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覚え書:「今週の本棚:加藤陽子・評 『蒋介石の外交戦略と日中戦争』=家近亮子・著」、『毎日新聞』2013年01月20日(日)付。

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今週の本棚:加藤陽子・評 『蒋介石の外交戦略と日中戦争』=家近亮子・著
 (岩波書店・2940円)

 ◇酷薄な歴史に堪えた「危機の指導者」像

 70代半ばより年長の読者のなかで、満州からの引揚げ体験のある方、あるいは近親者から体験を聞いたことのある方の割合は存外大きいのではないか。引揚げに際し、老若の目に映じた中国国民政府軍、中国共産党軍、ソ連軍、日本軍の姿は、戦後の日本人の草の根の歴史観に大きな影響を与えたことだろう。

 ひるがえって、抗日戦に勝利した蒋介石(しょうかいせき)率いる中国に思いをはせれば、そこには、国民政府軍と共産党軍の他、なだれをうって満州へ侵入したソ連軍、敗北の自覚のない100万人もの日本軍の存在があった。まずは、日本軍の投降と武器回収をめぐって国民政府軍と共産党軍との対立が起こり、4年続く内戦へと突入する。よって1949年、内戦に勝利した中華人民共和国が、抗日戦の戦勝を自らのものとしたとしても、怪しむにたりない。

 だが近年、アメリカで公開された「蒋介石日記」をその最たる例として、特に台湾で国家機密級の史料公開が進んだ結果、軍人でありながらも外交を「新時代の武力」として早くから重視していた蒋介石が、中国の「自由と平等」を勝ち取るため、長期的展望と外交戦略に従って行動していたことなどが明らかになってきた。

 蒋介石のように、自らの政治的行為と決断を後世の人々に説明できるだけの十分な史料を作成し、戦火の中でも史料を死守した者に、歴史の女神クリオは微笑(ほほえ)んだようだ。史料を残さず、残してもすぐに捨てたり隠したがったりする我々日本人には耳の痛い話にちがいない。国家のもつ史料の質と量いかんで、書かれるべき歴史をめぐってヘゲモニー争いが決せられる世の中がやって来るのだろう。そのような将来への準備をしておくためにも、本書はきわめて有益な一書となる。

 著者がバランスよく描いたように、蒋介石は1935年、政府・軍・党の全権を掌握するや、来るべき日中戦争へ備え、四川省の奥地建設や揚子江への魚雷艇配備に着手する。また蒋は、41年12月、英米を巻き込むことで日中戦争を世界大戦へと転化させ、42年10月、不平等条約体制から中国を脱却させることに成功し、43年11月、チャーチルとローズヴェルトと共にカイロ会談に列することで中国を四大国として世界に認知させていった。
 自国の軍事力のみで日本軍を打倒しえなかった蒋介石に対し、当時の日本軍などは低い評価を与えがちだったろう。だが、1938年5月20日、蒋介石が中国空軍機に日本国民向けの反戦ビラを積み、熊本・宮崎上空で撒布(さんぷ)させた一件など、本書で初めて知ったが、これは著者もいうとおり、外交戦略として卓抜なものだったろう。無防備都市へは爆撃をおこなわない、平和国家としての中国を国際社会へアピールできる一方、中国空軍基地の地政学的重要性をもアメリカに向けアピールできたからである。

 目から鱗(うろこ)が落ちる思いがしたのは、1937年12月12日、蒋介石が下した南京撤退命令をめぐる解釈である。上海では頑強に抗戦した蒋が、なぜ南京では自軍に対し早々と撤退を命じたのか。著者の答えは私を震撼(しんかん)させた。スペイン内戦をつぶさに研究していた蒋は、もし南京で徹底抗戦をおこなえば、マドリード防衛戦のごとく、都市を舞台とした長期戦となり、共産党勢力の増大が不可避となる。「南京を日本軍の手に落としても、それは共産党の手に落とすよりは取り戻しやすい」。これこそが、歴史の酷薄さに堪えた、危機の時代の指導者の姿だったのだろう。
    --「今週の本棚:加藤陽子・評 『蒋介石の外交戦略と日中戦争』=家近亮子・著」、『毎日新聞』2013年01月20日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130120ddm015070004000c.html

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