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2013年1月

覚え書:「直木賞に選ばれて-- 30年前のインド体験と等伯の世界=安部龍太郎」、『毎日新聞』2013年01月24日(木)付・夕刊。

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直木賞に選ばれて--
30年前のインド体験と等伯の世界
寄稿 安部龍太郎

 等伯を書く上でもっとも苦労したのは、法華経との関係をどうとらえるかということだった。
 等伯が生まれた奥村家も、養子に行った長谷川家も熱心な日蓮宗の信徒である。寺や檀家の求めに応じて仏画を描く絵仏師だった。等伯も若い頃に日蓮上人像や十二天像などを描いて、今も北陸地方の寺などに相伝されている。
 京都に出てからも日蓮宗本法寺に寄宿し、日堯上人像や巨大な仏涅槃図に取り組んでいる。縦十メートル、横六メートルの涅槃図の裏には、日蓮上人から始まる後継者たちの系譜と、家族や親族の名が書き込んであり、等伯の並々ならぬ信仰の深さをうかがうことができる。
 等伯の画業も、人生の苦難を乗り切る強さも、信仰に支えられていた。それゆえこのことを深く理解しなければ、等伯の画業の真実に迫ることはできない。
 そう思って法華経の勉強を始めたが、これがとてつもなく難しい。岩波文庫版を読もうとしたが、用語、用法が難しくて何を書いてあるかさっぱり分からなかった。
 どうしたものかと頭を抱え、旧知の文化部記者に法華経に詳しい人を紹介してほしいと泣きついた。すると彼は、「それならうってつけの人がいます」と言って、植木雅俊さんを紹介してくれた。
 植木さんは四十歳の時に、法華経を理解するにはサンスクリット(梵語)を勉強しなければ駄目だと一念発起し、十年間の語学勉強の上に八年間の翻訳期間を重ね、五年前に『梵漢和対照・現代語訳 法華経』(岩波書店)を上梓された。
 これは第六十二回毎日出版文化賞に輝いた労作で、まるで演劇の台本のように面白く読むことができる。
 なるほど古代インドの人々は、こんな問題意識をもってブッダの哲学と向き合っていたのかと、感激したり驚いたりしながら読み進めるうちに、ここに描かれている世界はかつて体験したことがあると思い当たった。
 今から三十年前、深い悩みと苦しみを抱えてインドを旅した時のことだ。
 人力車夫(リクシャワーラー)や物売り、物乞いにつきまとわれながら旅をつづけ、ブッダガヤの埃っぽい道を歩いていた時、頭の殻が割れたように忽然と分かったことがある。
 人間は在りのままで尊い、人間の生き方んび善悪優劣はない、ということだ。そして全宇宙につながっている充実感とえも言われぬ歓喜が突き上げてきた。
 (何だろう。この感覚は)
 それを突き止めたくて、帰国後にインド関係の本を読みあさった。そうしてヒンドゥ世界が梵我一如と輪廻の思想を基本として成り立ち、ブッダがそれを母胎として新しい世界観を確立したことが分かった。
 (それなら仏典にもボクがインドで感じたことと同じことが書かれているはずだ)
 そう思っていくつかの経典に当たったが、難解な漢訳言葉にはばまれて目的を果たすことができなかった。
 その探し求めていた世界が、植木さんが訳した『法華経』の中にきらびやかに広がっていた。
 そして等伯の「松林図屏風」も、そうした世界観に裏打ちされて成立したことが、ぼんやりと分かり始めたのだった。
あべ・りゅうたろう=作家、『等伯』で第148回直木賞)
    --「直木賞に選ばれて-- 30年前のインド体験と等伯の世界=安部龍太郎」、『毎日新聞』2013年01月24日(木)付・夕刊。

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覚え書:「今週の本棚:三浦雅士・評 『空海と日本思想』=篠原資明・著」、『毎日新聞』2013年01月27日(日)付。


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今週の本棚:三浦雅士・評 『空海と日本思想』=篠原資明・著
毎日新聞 2013年01月27日 東京朝刊


 (岩波新書・798円)

 ◇変奏されて生き続ける「思想の基本系」

 二十年以上も昔の話になるが、四国善通寺の戒壇めぐりを体験して驚愕(きょうがく)したことがある。予備知識もなく地下に降りて、突然、真っ暗闇に立ち、ほとんど恐怖を覚えた。いわゆる感覚遮断である。光もなく音もないと、足を前に踏み出すことさえできなくなる。左手の人差し指で壁のへこみに触り続けよ、という事前の注意の意味が、闇の中で初めて分かった。思想を体感させる装置である。ディズニーランドと似たようなものだが、ディズニーランドのほうは思想を体感させはしない。

 善通寺は空海の誕生地として知られ、善通は空海の父の法号である。戒壇めぐりは空海の思想を強く感じさせる。あるいは空海の着想ではないのかもしれない。だが、日本全国いたるところに空海すなわち弘法大師の事績とされるものがあって、それらはみな同じような思想を感じさせる。精神と身体、人間と自然の接点を強く意識させるのである。大師に帰せられる土木事業にいたるまでそうだ。支配するものと支配されるものの調和を意識させる。

 篠原資明(もとあき)は哲学者。だが同時に詩人でもある。ユニークな詩集を何冊も上梓(じょうし)している。この詩人哲学者という立場が本書の魅力の核心である。冒頭、プラトン哲学の基本系は「美とイデアと政治」にあると述べ、「思想の基本系」という考え方を提示する。思想の基本的なありようという意味だが、この基本系は音楽のように変奏されて、歴史を転生するというのである。変奏され、生き続けてこそ基本系なのだ。それでは空海の基本系とは何か。「風雅、成仏、政治」だという。風雅すなわち詩。プラトンの美の位置に坐(すわ)るのが詩なのだ。

 空海は詩人であり、芸術家であった。これが出発点である。それは宗教家であることと矛盾しない。真言密教の宇宙観に著者は詩を見る。のみならず、鎮護国家というかたちで政治を支えることとも矛盾しない。調和を乱す悪を退けることが政治だからである。美と政治と言えばなにやらキナ臭いが、著者は誤解を恐れない。天皇制が国家の四分五裂を回避させてきた事実に注意を喚起する。そして天皇制の核心に潜むのは、権力である以上に詩歌であると喝破するのである。日本思想の核心をなすのもまた詩歌なのだ。

 空海の思想の基本系はどのように変奏されてきたか。西行、慈円、京極為兼、心敬、芭蕉、宣長と、吟味されてゆくのは思想家でも政治家でもない。みな、歌人であり文学者である。著者は、いわゆる思想家に思想を見る以上に、歌人や俳人、すなわち広義の意味での詩人に思想を見てゆく。それは現代になっても変わりはしない。西脇順三郎や宗左近の詩に、空海の基本系がどのように変奏されているかを見るのである。哲学者で紹介されるのはほぼ九鬼周造ひとりだが、九鬼もまたその文芸評論家とでもいうべき側面が高く評価されているのだ。

 とはいえ、語られているのはあくまでも思想である。とりわけ、著者自身の造語として紹介される現代思想を読み解くキーワード「ありなし間(かん)」「いまかつて間」は面白い。前者は存在と無の間を、後者は現在と過去の間を思想の基本にする立場。二十世紀以降の哲学の動向は前者から後者への転回として記述されうるというのである。典型的なのはハイデガーの存在論からデリダの憑在(ひょうざい)論への転回。説得力がある。

 注目すべきは柔軟な思考と軽快な文体。哲学も変わった。尼ケ崎彬や鷲田清一もそうだが、日本の思想の担い手がいまやまったく新しくなったのだと強く思わせる。
    --「今週の本棚:三浦雅士・評 『空海と日本思想』=篠原資明・著」、『毎日新聞』2013年01月27日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130127ddm015070016000c.html


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覚え書:「今週の本棚:無縁介護=山口道宏・編著」、『毎日新聞』2013年01月27日(日)付。

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今週の本棚:無縁介護
山口道宏・編著
(現代書館・1680円)

 世界最速級で高齢化が進む中、身寄りもなく、誰にも知られずひっそり死んでいく孤独死(無縁死)が増えている。福祉を受けるには、自ら申請しないと役所が動かない問題を『申請主義の壁!』で告発した山口氏は、社会から孤立して声も出せず、福祉サービスにたどり着けない「無縁介護」が無縁死を誘うと訴える。
 下血し、血の海の中で孤独死していた86歳の男性。家族から放置され、「ラーメンが食べたい」との願いもかなわず死んでいったおじいちゃん……。現場に徹したルポである。「網の目にかからなかった」と釈明する縦割り行政への厳しい目線が全編を貫く。申請主義の限界を指摘し、行政と介護事業者の連携不足や社会保障費の抑制路線に警鐘を鳴らす。
 かつて、日本には「家族福祉」「企業福祉」があった。しかし、高度成長に伴う核家族化を経て、今や4分の1は単身世帯。終身雇用制が崩れ非正規化が進む職場では「縁」など生まれようもない。ワーキング・プアが600万人に達する貧困化は家族解体にも拍車をかけた。ゆくゆくは65歳以上が人口の4割に達する状況下で、「私だけは大丈夫」とは言い切れない状況を描いている。(啓)
    --「今週の本棚:無縁介護=山口道宏・編著」、『毎日新聞』2013年01月27日(日)付。

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覚え書:「書評:『のめりこませる技術 ―誰が物語を操るのか』 フランク・ローズ著 評・開沼博」、『読売新聞』2013年01月20日(日)付。

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のめりこませる技術 ─誰が物語を操るのか
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書評:三浦瑠麗『シビリアンの戦争 デモクラシーが攻撃的になるとき』岩波書店、2012年。

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戦争を始めるのは軍人だ……「軍の暴走」に対する懸念は、歴史に対する反省からの知恵であり、デモクラシーの政軍関係の基本である。しかし本書によれば、どうやら実態は必ずしもそうとは限らない。軍人よりも文民が戦争を欲している。

本書はクリミア戦争からイラク戦争まで綿密に分析する。真っ先に死ぬのは軍人だ。勝算のない戦などやりたくない。研究のきっかけはイラク戦争だ。「シビリアンが推進し、また軍人が反対する戦争」。著者の指摘には驚かされるが、タカ派政治家の言には枚挙暇がないことを想起すれば、「軍の暴走」が全ての戦争の原因とは限らないことは明らかだ。

勿論、現実に軍人が推進する場合もあるし、文民統制が機能する場合もある。しかし文民統制という構造があれば安心というのは早計なのだろう。ややアクロバティックではあるが、著者は、軍務の負担を国民が共有することに一つのヒントを見出す。

勿論、軍が全て平和的、シビリアンが常に攻撃的と仮定すること自体(その逆も含め)、思考停止であり、人間論としては、人間を抽象化させる立場(ヤスパース)の最たるもの。「想像力の翼」を広げることが必要か。常識を塗り替え、出発点に引き戻す一冊。


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 本書の執筆を終えての所感も記しておきたい。執筆を通して、あらためて、人間であれば誰しも「ダークサイド」を持っているというだけでなく、善意であっても結果的に害をなすことがあり、他者の苦しみに驚くほど冷淡になれるということを考えさせられた。戦争に関して、例えば被占領者の悲しみ、または兵士の苦しみ、あるいは指導者の後悔のいずれかに共感することは比較的簡単にできる。しかしその一方で、そのほかの人々の苦しみをいとも簡単に無視したり軽視したりしてしまうことができるのだ。その意味では、本書は自分の配下の兵士を、過酷な、かつ自分の信じていない戦いに送らざるを得なかったエリート軍人や、前線に送られた兵士の父母などに共感を寄せている分だけ、ほかの人々の苦境を軽視しているという批判を受けるかもしれない。だが、軍人の苦しみが真のものではないとは、誰にもいえないだろう。誰かを糾弾することはたやすいが、対立する立場の双方を理解し、共感を寄せることがいかに難しいことか。同じことは日本の左右陣営の対立にも言える。われわれは、ヒューマニズムと想像力の翼をもっと広げる努力をしなくてはならない。
    --三浦瑠麗『シビリアンの戦争 デモクラシーが攻撃的になるとき』岩波書店、2012年、255-256頁。

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覚え書:「今週の本棚:伊東光晴・評 『大正という時代』=毎日新聞社・編」、『毎日新聞』2013年01月27日(日)付。


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今週の本棚:伊東光晴・評 『大正という時代』=毎日新聞社・編

 (毎日新聞社・2520円)

 ◇不穏な日々“やわらかな社会”に憧れた人々

 昭和のはじめに生まれ、戦時中に小中学校時代、戦後に大学教育を受けた私には、「大正」という時代は、父や中学の教師たちのイメージと重なっている。

 大正生まれの人は、私がイメージする「大正の人」ではない。かれらは昭和の軍国主義時代に青年期をむかえ、戦地におもむいた「昭和の人」だからである。「大正の人」は明治に生まれ青年期を大正という時代にすごし、その時代風潮を持ちつづけた人である。

 この本は、この大正という時代をとりあつかった毎日新聞の1年間11回の記事に、この時代の文化と政治と社会を語る3つの対談を加えたものである。

 大正といえばまず大正デモクラシーであろう。それは第一の座談会にあるように、現実にあったわけではなく、「可能性としてあった」「美しさ」であり「輝き」だった。現実の選挙で露骨な買収の横行があったことや、多様な人がいたことを、2章の「大正デモクラシー」はとりあげている。しかし、それが持っていたやわらかな社会への憧れは、私の思う「大正の人」に共通していたように思う。

 3章は「船成り金」とその反動があつかわれているが、ヨーロッパの戦争で、アメリカも日本も経済が躍進したことを忘れてはならない。それが第二の座談会(13章)にあるように層としてのサラリーマンを生みだし、高等教育の拡大、そして大正モダンを生んだのである。

 ちょっとおしゃれでモダンぶり、外では建前を言うが、家の中では馬鹿な戦争などと平気で言い、表と裏を使いわけ、天皇は神ではなく、右も左も硬派が嫌い。父がそうであったが、教師も、昭和の時流に逆らわないが、好きではないという人たちだった。そこにひ弱な大正リベラリズムの影があった。

 この本には、たびたび皇室や皇族が登場する。原武史氏が座談会をはじめ何度も登場するためであろう。その中で、そうだと思うのは、明治天皇、大正天皇、昭和天皇の与えるイメージの違いである。

 大正天皇は皇后と二人で地方を旅行した。私が知る戦前の昭和天皇は、軍服・軍刀で白馬にまたがっていた。明治天皇はヒゲをはやし御真影の中にいた。皇后とつれそって歩くことはなかった。この違いが大正という時代だというのは、卓見である。この点で平成の天皇は大正に連なると。

 天皇機関説が発禁になるのが昭和、公認が大正だった。

 中国への21カ条要求とこれに反発する中国青年たちの五・四運動、ロシア革命とシベリア出兵、国内では「米騒動」そして行きついたところに「関東大震災」。この本から項目を拾うと、大正は平穏とはほど遠い時代だったことがわかる。

 「元始、女性は太陽であった……」で始まる「新しい女=青鞜(せいとう)」も、事実上大正のはじめだったが、「関西興隆」(11章)はうなずきながら読んだ。政治の東京に対し、大阪が輝いた時代が大正だった。商都大阪、新聞は朝日も毎日も大阪が本社、私鉄が国鉄と無関係にターミナル、デパートをつくり、住宅開発をした。その中で宝塚も発展した。大阪の名市長関一(せきはじめ)は、学者で政策者として、高く高く評価されなければならない人だろう。これを読んで「橋下大阪」の出現が、大阪の行方を象徴しているような気がした。

 すらすら読める。座談会も面白く、その中に自分も入りたくなる。「ラジオ放送開始」の章を見ると、試験放送も聞いたと自慢していた新しがり屋の父を思い出す。これも大正だった。
    --「今週の本棚:伊東光晴・評 『大正という時代』=毎日新聞社・編」、『毎日新聞』2013年01月27日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130127ddm015070039000c.html

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覚え書:「書評:『ホロコースト後のユダヤ人』 野村真理著 評・星野博美」、『読売新聞』2013年01月20日(日)付。


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『ホロコースト後のユダヤ人』 野村真理著

評・星野博美(ノンフィクション作家・写真家)
欧州を去った真の理由


 ナチによってユダヤ人が虐殺されたホロコーストについて知らない人はほとんどいないだろう。生き残った多くの人が「約束の地」を求めてパレスチナに渡り、いまも一触即発の状況が続くパレスチナ問題の原因を作ったことも、自明のこととして語られることが多い。しかし彼らがヨーロッパを去った本当の要因は何だったのか。本書はホロコースト後のユダヤ人の動向を明らかにし、約束の地を求めたイスラエル建国という俗説に疑問を呈する。

 強制収容所から生還して連合国の難民キャンプに収容されるユダヤ人難民は、ナチという原因が消滅すれば人数が減少するはずだった。しかし減るどころか数は増加した。ポーランドなどで反ユダヤ主義が発生し、ユダヤ人の帰還を望まない人が増えたためだ。あふれかえるユダヤ人に頭を悩ませる連合国。が、自国への流入は制限したい。パレスチナは恰好
かっこう
の問題解決策だった。

 パレスチナへのユダヤ人脱出は、当初はパルチザンとユダヤ旅団の良心によって始まった。しかしイスラエル独立戦争が不可避となり戦闘要員が不足すると、キャンプで暮らすユダヤ人は強制徴兵に近い形で徴集されてゆく。地獄から生還し、平凡な日常を回復することだけを望んだ若者が、十分な訓練を受けないまま戦場へ送られ、自分たちが住む場所を追われたように、今度はアラブ人の居場所を奪っていく。

 浮かび上がるのは、関係国の責任の押しつけあいと非当事者の無関心だ。トランプのババ抜きのように問題を弱者に押し付け、思考停止してゆく負の連鎖。ヨーロッパのユダヤ人社会の消滅は、ホロコーストを生き残ったユダヤ人がナチなき後に元の居住国を追われたことで「より完成されたともいえる」という一文が衝撃だった。パレスチナに平和が訪れるまで、ホロコーストは終わらない。パレスチナ問題を理解する上で欠かせない視点を備えた一冊である。

 ◇のむら・まり=1953年生まれ。金沢大教授・社会思想史、西洋史。著書に『ガリツィアのユダヤ人』など。

 世界思想社 2400円
    --「書評:『ホロコースト後のユダヤ人』 野村真理著 評・星野博美」、『読売新聞』2013年01月20日(日)付。

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http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20130121-OYT8T00432.htm


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教会と信仰生活を日常のものとして生活し、大事に実践されていた。けれども、決して聖書の句を引くとか、まじめくさった難しい話はされない。

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 先生は終生、本郷教会の会員であられました。教会を本当に大切にされました。私によく、「君は教会に行きますか」とお聞きになった。「いいえ」と言うと、「そうですか、それはやっぱり教会へ行く方がいいですね」と御忠言をされた。それも「行きたまえ」というような乱暴な言葉はひとつも出てこない。先生は社会問題や政治問題には狂奔したけれど、信仰とか教会とかはあんまりやらなかったんじゃないかと思っている人は多いかと思います。けれども私は、長い間いつでもこのことを人々に言ってまいりました。人を強制することはしない。けれども、自分はちゃんと教会を大事にし、海老名先生を助けてずっとこられたということ。それから、聖書をいつでも愛読の書におあげになりました。非常に読書力のある人で、高等学校の時に近松とか西鶴というものをほとんど読んだという伝えがあります。小説家になろうと思ったという位であります。だから、決して堅苦しい所謂教会の信者のような妙なにおいが全然無い方であった。こういうことも私におっしゃった。「ヨハン・セバスチャン・バッハのメモに、宗教音楽・カンタータの作曲を依頼されるのは嫌だと書いてあるものがあるよ」と。「あれだけ沢山カンタータを作って?」「いや、それは君、そういう意味じゃないんだよ。」カルビン派の教会がカンタータをやたらに頼んでくる。あのカルビン派というのは堅苦しい。私はそのはしくれですけど。ルター派の教会が頼むのは愉快で言い。「こういうことを彼は考えたんだそうだ、面白いことだねえ」と、こういう面白いことも教えてくれる。だから、「ハイデルベルヒのいばりくさった大学とか哲学者の道とは何だい」、と言われたのがわかるような気がするのであります。教会でも平素でも、本当に信仰を持って暮すということがどんなに大切であるかということを、先生は身をもって私に示して下すったのであります。私が一生の研究のテーマとしました「教会と国家」というのは、吉野先生が私に「こういうことを勉強したらどうだ。外国では政治学じゃ殊に大きなテーマだが、日本ではやる人がほとんどいない。だから君、やれ」と、「やってくれませんか」というような言い方で「やれ」と。私はそれを本当に有難く思っておりましたら、先生があくる日、ジョン・ネビル・フイッギスの“ Churcues in the modern state” 「この本をまず読んでみたらどうですかね」と言われた。私はそれを本当に熟読というか愛読いたしました。それが私の生涯のひとつの道標となって今日になっております。今でこそ、宗教とか、教会と国家ということを論ずる人がかれこれ出ました。宮田光雄君、或は北海道の深瀬忠一君、或は学習院の飯坂良明君、皆私の所におった諸君ですが皆立派な仕事をしてくれております。こういうことを、吉野先生は最初にお勧め下すった方でありました。
 当時社会的キリスト教という運動が始まりました時に、「先生、あれはどういうもんでしょう!」「うん、中島重君などが一生懸命やっているが、僕にはよくわかりません」とおっしゃいました。吉野先生こそ社会的キリスト教の旗振りじゃないかと思うような人が沢山いたと思います。「僕にはよくわかりません。あれは信仰の世界のことでしょうか。あれはひとつの倫理運動みたいなことになりやしませんかね」とおっしゃった。そして、横を向いたようにして笑って、「あれでやるとね、堀君、さだめし小キリストが沢山できることでしょうね」と言うて、これは先生の鋭い皮肉であった。先生は、終生、或る意味で本当にオーソドクシカリィに教会人でおありになった。教会と信仰生活を日常のものとして生活し、大事に実践されていた。けれども、決して聖書の句を引くとか、まじめくさった難しい話はされない。けれども、そこにやっぱり先生の本質がおありになった、ということを、私はいつまでも語り伝えなきゃならんような、何か責任みたいなものを感じております。勿論、私の見た先生であります。私は本当に先生にお世話になり、先生がいらっしゃらなければ、私は今はありえなかったのですから、或は盲になってべたほめに先生をほめたかも知れません。けれども、いくら私がそうでないようでありたいということを考えて、控えめ、控えめに表現してみても、やっぱり先生は、私にとって、私が今拙ない乱暴な言葉で申し上げたような、吉野先生でありました。
堀豊彦「吉野作造先生と私」、東京大学学生基督教青年会編『吉野作造先生 五十周年記念会記録』東京大学学生基督教青年会、1984年、35-36頁。

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近代日本のキリスト教受容の歴史をざっくり振り返ってみると、再渡来後の第一世代の担い手が武士階級によって担われたことから、倫理的受容にその特徴を見出すことができるしょう。

もちろん担い手=教会指導者たちに武士階級が多かったとはいえ、地方では、いわゆるジェントリや自作農・商工業者を中心に伝導も進みますから、一慨に「武士的」倫理主義と言い切ることはできません。

しかしながら決定的な影響を与えるのは、日清戦争後の不況です。重化学工業化へのシフトと戦後の不況は、先のジェントリや自作農、商工業者らの階級を没落させてしまいます。かわって台頭してくるのが、サラリーマンや大学生をはじめとする知識人たち。キリスト教の担い手は、武士から彼らにバトンタッチされていきます。倫理的といったものが、いわば修養倫理的なものに洗練されてしまうとでもいえばいいでしょうか。
※ちなみに吉野作造の生家は、商家。こちらも日清戦争後の不況のあおりをもろにくらっております。

さてもう一つは、社会参画か、それとも教会形成に重点を置くのかという問題です。こちらは、キリスト教だけに限定された問題ではありません。宗教は人間の内面を耕すものであるとすれば、それが発露されていくのは必然でもあります。

啓発を受けた人間が他者へ関わっていこうとする。社会参画をそういう意義でとらえるとわかりやすいかと思いますが、それと同時に信仰の橋頭堡としての教会形成も重要になってきますが、明治後期の日本においては、後者に重点が置かれるようになってきます。

さて、明治キリスト教の形成とは、江戸時代に形成されたキリスト教=邪宗門意識とどう向き合うかというのが大きな課題です。流れとしては、異教→洋教→公認教へというのが明治時代の流れだと思います。

つまり、邪宗教としての1)フルボッコ→2)欧化主義を瀬にした一時的流行→3)そして社会的地位を占める、といったところでしょうか。

しかし2)→3)の間に大きな事件が2つ起こります。1つは進化論の紹介です。文明開化と欧化主義の勢いは、西洋社会の精神的支柱としてのキリスト教に当然注目が集まるわけですが、進化論がその根拠を崩してしまいます。もう1つは内村鑑三不敬事件に見られるように、国体とキリスト教は合い合わないというものです。

これはまさに試練といってよい出来事だったと思います。

例えば、このころ、日本にはいわゆる自由主義神学が紹介されますが、教会指導者のおもだったものがこちらへ転じたり、多大な影響もうけております(なので、日本キリスト教史においては“蛇蝎”の如く扱われておりますが、正統派にみられない多様な展開と可能性を示唆しているのは事実なので全否定はできませんが、これはここでの議論ではないので、横に置きます)。

そして国体との対峙に関しては、戦う立場、矛盾しないとする立場に分かれますが、どちらかといえばやはり後者が多数を占めます。このことは、天皇への崇拝は、宗教としての崇拝ではないという棲み分け理論のようなカタチで併存されていきますが、見方をかえれば、その土地の精神風土と矛盾しない=その社会にとって悪質なものではない、という「有用論」ともなっていきます。

そして、これは大正時代になりますが、内務官僚・床次竹二郎の根回しによって、1912年「三教会同」という形で「公認」を受けることになります。三教会同とは、政府が神道、仏教、キリスト教の代表を華族会館にあつめ、宗教の意義を確認した会合ですが、ここでは、次の事柄が決議されます。

「我等は各其教義を発揮し、皇運を翼賛し国民道徳の振興を図らんことを期す」。
「我等は当局者が宗教を尊重し、政治宗教及教育の間を融和し、国運の伸長に資せられんことを望む」。

もちろん、制限された信教の自由の枠組みの中ですから、「公認」されるということは、非常に大切な策戦的アプローチだとは理解できます。しかし、社会から「公認」され「有用」であるということは、その社会に対して迎合的に振る舞わざるをえないということが必然します。そして、内村的な対決姿勢よりも、融和を選択することは、打って出るというよりも、仲間ウチを優先しようという気風ともなり、マーケットとしても既存のクラスタ……先にいったサラリーマンや学生……に専念することになります。

結果、修養倫理的な態度というものがメインストリームに位置する。もちろん、社会へ打って出ようとする社会的福音の立場も存在しますが、そうなってくると、教会自体からも「飛び出してしまう」ことが多く、場合によっては信仰すらも喪失するケースというのが多々出てきます。

もちろん、教会形成は必要ですし、社会に関わっていくことも大切ですし、問題を批判していくことも大切でしょう。しかし、このバランスをうまくとることには成功したとは言い難いのが実情ではないかと思います。

さて……。
冒頭には、クリスチャン・デモクラット吉野作造の薫陶を受けた政治学者・堀豊彦氏の回顧を掲げてみました。

吉野作造は「民本主義の旗手」と呼ばれる通り、宗教に啓発を受けた「社会派」の頭目といってよいかと思います。しかし、実際には、教会生活も大切にしていることには注目したいと思います。しかも、「宗教者然」とした態度は一切とらない。

確かに吉野作造の文章を読んでいると氏自身も「キリスト教のために」なにかをやろうとは一切思っていないし、聖書の言葉も管見ながら全く出てこない。しかしにじみ出てくる精神というものは、読み手を圧倒してくる。

だとすれば、社会派だ! 教会形成だ! という二元論をこえた、ひとつの素晴らしいお手本を、吉野作造は見せてくれているのではないだろうかと思います。

ということで、1878年(明治11年)の本日(1月29日)は、吉野作造博士の135歳の誕生日です。

「霊的生物としての本来の稟質は、之に適当な機会さへ与ふれば、無限に発展向上して熄まざるものである」。人間の善性を信じたその生涯に最敬礼。

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覚え書:「時代の風:民主主義の将来=仏経済学者・思想家、ジャック・アタリ」、『毎日新聞』2013年01月27日(日)付。+α

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時代の風:民主主義の将来=仏経済学者・思想家、ジャック・アタリ
毎日新聞 2013年01月27日 東京朝刊

 ◇理念欠けばポピュリズム

 「民主主義」というギリシャ語の言葉には軽蔑的な意味がある。貴族が人民による統治、つまりはポピュリズムを批判するのに使った言葉だ。

 ポピュリズムとは条件の厳しい道を避け、最も安易な方向に人々を導くことだ。ポピュリズムの指導者は人々を愚かだと考え、最も本能に近い欲求に訴える。だがそうした指導者が考えるより人々は賢明だ。やがてポピュリストの指導者は窮地に陥り、権力を譲ることに抵抗する。ポピュリズムは多くの場合、衆愚政治から始まり独裁で終わる。

 世論調査は世論を知るのに絶対に必要だが、隷従してはいけない。世論調査を毎日実施し、政治権力が常に調査結果に従えば、それはポピュリズムだ。民主主義では政治家は計画についてビジョン(理念)を持たなければならない。「人々がそう考えるなら、その考えを変えるよう説得しなければならない」という姿勢が必要だ。かつて「私は民衆の元首だ。だから私は民衆に従う」と言った政治家がいたが「私は民衆の元首だ。だから私が彼らを先導する」が正しい。世論調査は民意を理解するのに非常に有効で、国民をよりよく説得するのに有効なのだ。世論調査による専制は、株式市場の専制が政治のあり方をロデオ(荒馬や荒牛を乗りこなす競技)のように変えてしまうのと同じだ。

 真の国家のための政治家には、一時的に不人気になる勇気が必要だ。ただしその後、有権者に説明しなければならない。ずっと不人気のままでは選挙で負けてしまう。

 日本では首相が頻繁に代わるが、日本の強力な行政機関は頻繁な政権交代と表裏一体だ。強力な行政機関は安定や行動の永続性をもたらす。

 政治家に強い権力を持たせるには時間を与えなければならない。官僚は政治家に「私はあなたの前任の大臣5人を知っており、後任の大臣5人とも会うはずだ。その間、私はずっとここにいる。あなたは私に物を頼むことができるが、私はあなたが去るのを待つこともできる」と言える。

 例えば地方自治体の市長は任期の間、交代させられることはほとんどない。だから真の政治権力を持つ。奇妙なことだが(国家の)大臣より確実な任期を持つため大臣より権力を持つ。官僚に「私はあなた方を制御する時間がある」と言えるからだ。政治家が人々の審判を受けつつ、時間を持たなければ、民主主義は存続することはできない。

 日本の場合、解決法は組織制度の中にある。天皇制の日本では、大統領制や首相公選制は、元首の正統性の二重状況が問題になる。欧州では、君主を持つ国は全て安定している。英国、オランダ、スウェーデンは首相を直接選挙で選ぶ形は取っていない。これらの国でも首相は頻繁に代わるが、時には長期間政権を維持する首相もいる。英国のサッチャー元首相、ブレア元首相などがそうだ。それには政党の大改革が必要だ。政党内部の規則を変え、党首が長期間、党首であり続けられるようにしなければならない。

 ギリシャのアテネで始まった民主主義は非常に限定的なものだった。アテネ全体で行われたわけではなく、人口の大半を占めた外国人が排除されるなどした。少しずつ発展し、範囲を広げた。広大な領土でも民主主義は可能だ。米国はそれを示した。インドも困難やもろさを伴うが、広い領土を持つ民主主義国だ。欧州は段階的に制度や機構を増やし、欧州議会を持った。一方、独裁的で小さな都市国家もある。規模よりも文化、歴史、人々が自らの運命を引き受けようとする意思の問題だ。

 欧州の地方では、国家に代わる欧州政府を求める人がいる。スペインのカタルーニャ州の独立を求める人々は欧州統合は支持するが、国家で構成されるような欧州を望んでいない。現在の傾向は、非常に小さな領域と、大陸など大きな領域との二重権力に向かっている。国家はその中間物となり、国家の権力は弱まっている。民営化で権力を市場に委ね、地方分権化で地方に権力を移譲している。欧州では欧州統合だ。だが、これは国家の衰退であり、民主主義の衰退を意味しない。

 一方で、市場は地球規模に広がり、民主主義はそれに比べ、地域にとどまっている。長期的には、民主主義の地球規模化が進まなければ、地球規模の市場を持つことはできない。所有権のない市場は機能しない。例えば知的所有権を守り、あらゆる形の社会生活を保護するための地球規模での制度が必要だ。地球規模の民主主義がなければ、代わりに金融や行政機関による独裁的で排他的な法の支配が生まれ、破綻につながる。

 我々は今、2013年にいるが、1913年には、誰も世界大戦が起きるとは考えなかった。地球規模で民主主義を普及させようという勇気がなかった。そして今日、もし地球規模の民主主義について考えることができなければ、民主主義は市場に屈服し、それぞれの国で、ポピュリズムの脅威にさらされるだろう。=毎週日曜日に掲載
    --「時代の風:民主主義の将来=仏経済学者・思想家、ジャック・アタリ」、『毎日新聞』2013年01月27日(日)付。

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http://mainichi.jp/opinion/news/20130127ddm002070079000c.html


市場は地球規模に広がり民主主義は地域に留まっている。「地球規模の民主主義について考えることができなければ、民主主義は市場に屈服し、それぞれの国で、ポピュリズムの脅威にさらされるだろう」。

アタリのオピニオンを読みながら、民主主義の内実と位置について考えさせられる。

民主主義の源流といえば古代ギリシアに目を向けることができる。柄谷行人は、そのさらなる源流に、近著『哲学の起源』(岩波書店)で注目した。

それはイソノミア。

フォアゾクラティカの活躍したイオニア地方には、ギリシア本土の部族社会にはない自由と平等が存在したという。この支配・被支配関係のない無支配状態をイソノミアと呼ぶ。柄谷によれば、民主派・貴族派にも属さなかったソクラテスはイソノミアの精神を受け継ぐという。

ソクラテスの生きた時代は、ペルシャ戦争に勝利し、他のポリスを支配する時代。制度としては確かに民主政だろう。しかし内実は帝国主義と奴隷労働に基づく体制であり、外国人排除の上に多数支配は成立する。

プラトンはイソノミアもデモクラシーも否定して、哲人政治を構想する。多数支配に疑念を抱くソクラテスは、何を構想したのだろう。イソノミアとは見果てぬ夢なのだろうか。

経済格差と排外主義、そして軍事と統治力の強化は、21世紀に入ってから世界的潮流の感を呈している。しかし思えばアテネの民主主義も同じだったのではないか。だとすれば、ソクラテスとともに、この問いを探究する必要があろう。

まずは、貧しい政治的想像力を、激しく揺さぶり,みずみずしく蘇らせる必要があるのではないだろうか。

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覚え書:「今週の本棚:20世紀遺跡 帝国の記憶を歩く=栗原俊雄・著」、『毎日新聞』2013年01月27日(日)付。


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今週の本棚:20世紀遺跡 帝国の記憶を歩く
栗原俊雄・著
(角川学芸出版・1680円)

 「帝国の記憶」という副題がついているが、実際は忘却されたことの掘り起こしだ。空襲で亡くなった人たちの埋葬地、硫黄島に生き残った兵士のあいだで起きた出来事から、実態が報道されなかった地震や模擬原爆にいたるまで驚くべき歴史の細部ばかりだ。長野県の高原にある「文化柱」や、戦時ニュースを報じるラジオ塔など戦争の文化「遺跡」も紹介されている。いずれも現場を歩き、当事者たちに対する地道な取材にもとづくものである。
 大文字の歴史ではなく、名もない庶民たちの声に耳を傾ける。大帝国の栄光の陰で被害を受け、長年苦しい思いをしたのはふつうの庶民だからである。
 事件よりも、忘れ去られた人たちの物語が印象に残った。その代表例はシベリア抑留者であろう。司法も立法も行政もマスコミも、さらにはアカデミズムも抑留被害者に冷たかった。年々減少している生存者たちの証言を通して、茶者がいうところの「未完の悲劇」の知られざる一面が明らかになった。
 記憶が風化し、戦争の恐ろしさが忘れられつつある今、ずっしりと胸にこたえる一冊だ。(競)
    --「今週の本棚:20世紀遺跡 帝国の記憶を歩く=栗原俊雄・著」、『毎日新聞』2013年01月27日(日)付。

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覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 生活保護見直し 影響は?=湯浅誠」、『毎日新聞』2013年01月25日(金)付。

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くらしの明日
私の社会保障論
生活保護見直し 影響は?
湯浅誠 反貧困ネットワーク事務局長

下がるのは「国民生活の最低ライン」
 「生活保護を受けている人たちは、ちょっともらい過ぎではないか」と問えば、7~8割の人が「そうだ」と答えるだろう。では、「生活保護を受けていない年収200万~300万円の低所得者層に限って負担増を求めるのは?」と聞いたらどうだろう。やはり7~8割の人が「とんでもない」と答えるのではないだろうか。必死で働き、暮らしを立て、子どもを育てている、こんな自分たちからむしり取るのか--と。
 実は、二つの問いは聞き方が違うだけで、同じ話だ。「えっ、何言ってるの?」と驚かれるところに、今の私たちの課題がある。


 例えば、年収200万~300万の子育て世帯は、子どもの学用品費や修学旅行の積立金を自治体から支払ってもらっている。中学校では年間10万円を超える。「就学援助制度」と呼ばれ、生活保護を受けていない141万人の子どもたちが利用している。
 誰をこの制度の対象にするかは自治体によって異なるが、多くの自治体では「生活保護より10%高い世帯まで」などと、生活保護を基準に規定を設けている。
 だから、生活保護費が下がれば、今まで就学援助を受けていた人たちの中から、対象から外れる人が出る。ある自治体の試算では、その割合は2~5%。2万8000人から7万500人になる。
 就学援助を受けている親たちの中には「生活保護はもらい過ぎ」と考える人がいるだろう。だが、それが自分の子どもの就学援助の打ち切りにつながると分かって言っているのか、私は疑問だ。


 また年収200万~300万の低所得世帯には、住民税を免除されている人たちがいる。全国で3100万人に上ると推計されている。年収いくら以上の人から住民税を払ってもらい、いくら以下の人を免除するかはどうやって決めるのか。これも生活保護費を参考に決める。
 生活保護費が下がれば、住民税を免除する基準も下がる可能性が高い。実際、04年には生活保護費の引き下げとともに、住民税の免除基準も下がった。3100万人のうち、対象者がどのくらいになるのかは分からない。しかし「生活保護の人たちはもらい過ぎ」と思っている人たちが、自分が住民税を支払うことになる事態を覚悟して言っているのか、私は疑問だ。
 なぜそうなるのか。下がるのは「生活保護の人が受け取る金額」ではなく「国民生活の最低ライン」だからだ。ここを間違えると、影響の大きさを測り損ねる。「後の祭り」にならないかを心配している。
ことば 生活保護基準 憲法が定める「最低限度の生活」を保障するための基準。食費、被服費、光熱費などの日常生活費を賄う生活扶助が基本で、必要に応じて住宅扶助や教育扶助、介護扶助などが加算される。受給申請者の年齢や性別、住んでいる地域や家族構成によって、基準が異なるものもある。生活保護制度では、収入との差額が保護費として支給される。
    --「くらしの明日 私の社会保障論 生活保護見直し 影響は?=湯浅誠」、『毎日新聞』2013年01月25日(金)付。

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覚え書:「司法よ! おまえにも罪がある [著]新藤宗幸 [評者]上丸洋一」、『朝日新聞』2013年01月20日(日)付。


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司法よ! おまえにも罪がある [著]新藤宗幸 [評者]上丸洋一(本社編集委員)

■人事交流が投げかける影

 原発の安全性をめぐっては1973年に始まった伊方原発(愛媛県)訴訟以来、建設中止などを求める住民らによって、数々の裁判が提起されてきた。しかし、住民側の勝訴は2例しかない。ほとんどの訴訟で裁判所は、行政の判断を支持してきた。
 なぜ司法は原発をチェックできなかったのか。本書は、行政側勝訴の判決に共通する論理構造を解き明かし、司法の責任を追及する。
 著者が着目した問題点の一つに、裁判所と法務省の人事交流がある。これによって法務官僚(訟務検事)に任用された裁判官が、原発訴訟で国側代理人を務めて「原発は安全だ」と主張する。そうした人物が元の裁判官に戻った後、原発の安全性を公正、公平に判断できるのか。人事交流が原発訴訟に「深刻な影を投げかけてきた」と著者は実名をあげて指摘する。
 裁判所は誰のために存在するのか。原発事故は根本的な問いを突きつけた。裁判所は本書にどう応えるだろうか。
    ◇
 講談社・1470円
    --「司法よ! おまえにも罪がある [著]新藤宗幸 [評者]上丸洋一」、『朝日新聞』2013年01月20日(日)付。

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http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013012000018.html

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覚え書:「路地裏が文化を生む! [著]増淵敏之 [評者] 田中優子」、『朝日新聞』2013年01月20日(日)付。


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路地裏が文化を生む! [著]増淵敏之 [評者] 田中優子(法政大学教授)

■都市の可能性を発見できる場

 「拡大するだけが都市の美徳ではない」。そのとおりである。本書はその思想を背景に、拡大しない「路地裏(バックストリート)」から都市を見た。新宿、渋谷、六本木、原宿、下北沢、秋葉原、吉祥寺、道頓堀、ミナミ、京都、札幌、広島、福岡が、路地と音楽と文学とタウン誌と劇場とカフェから見えてくる。現状ばかりでなく、その変化の歴史も綴(つづ)られる。つまり、路地裏を文化の場として捉(とら)えたとき、そこには金太郎飴(あめ)化している都市への絶望ではなく、新しい可能性が発見できるのだ。
 都市、文学、音楽、メディアは別々に論じられているが、しかし「場」から考えるとそれらはともに存在し、相互に関わり合いながら生み出されてきた。そこに私たちは「居場所」をみつけ、消費者であるとともに創造者となり、都市の文化を作ってきたのではないか。インターネットが仮想の場を構築しつつある今、本書は個々の場所の歴史を確認しつつ、そのことを思い出させてくれる。
    ◇
 青弓社ライブラリー・1680円
「路地裏が文化を生む! [著]増淵敏之 [評者] 田中優子」、『朝日新聞』2013年01月20日(日)付。

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http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013012000017.html

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なぜ、ロールズはグローバルな不平等に無関心だったのか

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なぜ、ロールズはグローバルな不平等に無関心だったのか
 『正義論』を読んでジョン・ロールズを知った人たちは、この節のタイトルに驚いたことだろう。結論から言うと、ロールズはまさしく、平等主義を強く支持する立場をとっている。しかし、「平等からの逸脱が正当化されるのは、その不平等がもっとも貧しい者の絶対位置(すなわち所得)を向上させるために必要であるときのみである」という、有名な「格差原理」でロールズが表明した立場は、一国家のレベルでのみ有効なのである。いかにして一国内での公平を実現するかが、ロールズの『正義論』のテーマだったのだ。もっとも、後に1999年に出版された『万民の法』では、ロールズはさらに理論を深めて、全世界統治(グローバル・ガバナンス)と世界正義(グローバル・ジャスティス)の問題に取り組んだ。そこでロールズは、グローバルな所得不平等と所得再分配について明確にも婉曲にも論じており、「格差原理」をグローバルなレベルで適用することを否定した。グローバルな不平等が世界でもっとも貧しい者の地位を改善していると主張できれば、グローバルな不平等の拡大を正当化せざるを得ないことを、「格差原理」は暗に示しているからだ。
 グローバルな所得分布の妥当性を論じる前に、移民問題に対するロールズの見解に注目してみよう。すでに触れたように、移民問題の原因は、各国の平均所得水準に大きな格差が生じていることであり、そしてグローバリゼーションが進展した結果として、その格差の存在が広く知れわたり、加えて移動コストの低価格化が移民を促進することとなった(2の3および2の5参照)。しかしロールズは、移民の受け入れは政治的・宗教的迫害を逃れてきた人々に与える亡命者保護のレベルに引き下げるべきだと主張した。だが結局のところ、移民の動機は一般に経済的理由であり、そのことは多くの米国市民にも当てはまるだろう。あえて言うなら、ロールズの祖先も同様だったはずだ。それなのに、ロールズは経済的理由による移民を明確に否定している。

 領土と、その領土が国民を永続的に支える能力は、国民の資産である。その能力の執行者は、政治的に組織された国民自身である……彼ら[貧しい国の国民]は自国の領土とその天然資源を適切に管理する責任を果たせなかったことを、戦争または同意を得ていない移民によって他国民の領土を侵略することで埋め合わせることはできないことを自覚すべきである。

 豊かな国々が移民に対する障壁をますます高くしていることを、ロールズは完全に正当化していると思える論調だ。引用文が述べているように、各国の国民は、自国の文化と伝統および全領土の管理者とみなされている。そうであれば、各国の国民には他国民の流入を受け入れたり拒絶したりする権利があるということになる。世界の人々の生活水準を平等化するための手段となり得る移民を、ロールズは永遠に遮断したと言えるだろう。
 グローバルな不平等に対するロールズの無関心ぶりは、さらに続く。ロールズによれば、不利な条件の「重荷に苦しむ社会」が「秩序ある国民」のレベルに達するために必要な場合に限り、国際援助は承認、支持されるという。「重荷に苦しむ社会」とは、歴史的原因によって所得水準が低いために、政治的行動についての法的規則を確立できず、基本的人権を尊重することができない社会である。政治的規則と基本的人権に加えて、他国民に対する平和的行動が「秩序ある国民」と定義されているための条件である。蔓延する貧困が原因で「秩序ある国民」になれない場合に限って、「重荷に苦しむ社会」を援助することは進歩的諸国民の義務となる。援助が継続されるのは、「重荷に苦しむ社会」がもはや物質的貧困に拘束されることなく、法的統治と基本的人権と実現できるようになる時点までである。つまり、この時点で援助は終了する。
 「重荷に苦しむ社会」が「秩序ある社会」に変容したら、各国間の所得水準の格差はもはや何の関係もない。ロールズははっきりと述べている。「いったん……適切に機能するリベラルな政府が確立できたら……各国の平均的な富の隔たりを縮めなければならない理由は存在しない」。ようするに、所得の格差は集団的選好の結果である、とロールズは考えているのだ。「秩序ある社会」の中には、消費よりも節約を好む社会もあれば、余暇を楽しむよりも一生懸命に働くことを好む社会もあるだろう。その結果として成果も異なり、一部の社会はその他の社会よりも裕福になる、というわけだ。基本的に、これらの違いは重要ではない。なぜなら社会が到達した豊かさのレベルは、その社会の選択を反映したものだからだ。
 各国間で平均所得の不平等が拡大していること(所得の分岐)については、すでに2の1および2の2で触れているが、ロールズの理論によれば、すべての国々が秩序ある状態である限りは、この所得格差を容認してよいということになる。おそらくロールズも、世界の最貧国の多くが現実に「重荷に苦しんでいる」のであり、裕福な国々は(所得の分岐が憂慮される限りにおいては)財政援助を行うべきであることには同意するだろう。しかし、ロールズは明らかに、秩序在る国々の間の所得の分岐が問題であるとは考えていなかった。インドも米国も、ともに秩序ある社会である。つまり、インドに対するいかなる援助も不要である、なぜならインドの物質的貧困はインド人の社会的選択の結果にすぎない、というわけだ。これと同じ趣旨のことを、ロールズを信奉する有力な研究者、ジョシュア・コーエンも明言している。「いったん、集団的自治の重要性を認めたならば、生活水準の収斂〔生活水準を先進国並みに引き上げること〕を望む理由は存在しない。収斂の欠如は、修正すべき欠陥ではない」
 こうしたロールズの姿勢は、互いに関連した二つの前提条件に基づいている。(1)政治制度(進歩的に機能する政府、すなわち国民全員の利益を考慮する政治制度)と基本的人権の順守は極めて重要であり、(2)個人的あるいは社会的目的としての富の取得は拒絶される。(2)は明らかに経済学の常識ばかりでなく、一般の常識からもかけ離れている。
    --ブランコ・ミラノヴィッチ(村上彩訳)『不平等について 経済学と統計が語る26の物語』みすず書房、2012年、183―187頁。

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ちょと最近忙しくてナニなんですが、ロールズの正義論の限界を1つ研究ノートとして「抜き書」しておきます。

後日、『正義論』、『万民の法』あたりと対照してみようと思いますが、ロールズに限らず、アメリカの正義論は、まさに歴史に準拠せず、正義を構想しようとする試みだから、どうしても、その土俵を大切にします。それゆえでしょうか、ときどきパラドックスを必然させてしまうフシもあるのかな、という実感です。

もちろん、歴史に準拠した(=生-権力の馴致)発想の楽天さほど、どうしようもないものはないわけですけど、念のため。


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覚え書:「【書評】大津波を生きる 高山文彦著」、『東京新聞』2013年01月20日(日)付。


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【書評】大津波を生きる 高山文彦著


◆防潮堤を築き闘った人々
[評者]稲葉 真弓 作家。著書に『半島へ』『海松』『千年の恋人たち』など。
 東日本大震災の際、巨大な防潮堤が無惨(むざん)に破壊され、内側にあった町が海にさらわれ更地のようになった映像を何度も目にした。それが世界に類を見ない、海面からの高さ一〇・四五メートル、総延長二・四キロメートルに及ぶ防潮堤で守られた(はずの)岩手県宮古市田老地区の姿だった。明治二十九(一八九六)年の大津波で死者一八五九人、昭和八(一九三三)年の大津波で死者九一一人を出した田老は、その被害の大きさから「津波太郎」と揶揄(やゆ)された。高山が描くのは、次々と襲いかかる天災に対し、田老がどのように闘ったか、その闘いの結果の検証である。
 明治の津波では村(当時)の半数以上に犠牲が出て家系断絶となった旧家もあったが、瞠目(どうもく)させられるのはこの荒野に新天地をもとめる人々がやってきて新たな村づくりを目指したこと。著者は被災した旧家の家系断絶に「近代」の象徴を見、支配層を失った土地の自由さと新たな人口の流入にも「近代」の息吹を見る。実際村は、大津波の十二年後の明治四十一年、「津波を知らない人々」によってにぎわい、見事復興をとげる。
 田老に於(お)ける復興の早さは、昭和の大津波の時にも発揮された。当時の村長関口松太郎の奮闘によるもので、関口はただちに県知事あてに救援を求める文書を出し、数カ月後、現地復興を宣言。後に田老を「防災太郎」として有名にする防潮堤の築造と、避難路が確保された市街地計画を発表した。
 計画は、大正十二(一九二三)年九月に起きた関東大震災後の東京の「新都市計画」を導入。東北の地に、首都東京の市街地計画が生かされたことも新鮮だが、関口は防潮堤造りを津波で家財を失った人々の収入源とし、「働いた金でまた船を買え」と励ました。
 本書を読み終えて思うのは、優れた指導者のいない今の日本の政治的貧しさだ。関口のような人が一人いたら、どれほど被災地は救われるだろう。
たかやま・ふみひこ
 1958年生まれ。ノンフィクション作家。著書『火花 北条民雄の生涯』など。
(新潮社 ・ 1680円)
<もう1冊>
 竹沢尚一郎著『被災後を生きる』(中央公論新社)。津波の被害を受けた岩手県大槌町と釜石市で、復興に取り組む人々の姿を描く。
    --「【書評】大津波を生きる 高山文彦著」、『東京新聞』2013年01月20日(日)付。

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013012002000155.html

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覚え書:「今週の本棚:偏愛ムラタ美術館 発掘篇=村田喜代子・著」、『毎日新聞』2013年01月20日(日)付。


覚え書:「今週の本棚:偏愛ムラタ美術館 発掘篇=村田喜代子・著」、『毎日新聞』2013年01月20日(日)付。


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今週の本棚:偏愛ムラタ美術館 発掘篇=村田喜代子・著
(平凡社・2100円)

 「作品をどう解釈するかは、読者次第。作者の手を離れているのだから」などと文学の世界ではよく言う。絵画も、さまざまな決まりのもとに描かれていたとしても、基本的には自由に楽しむものだ。いや、楽しむことのできる者が勝ちだ。一枚の絵に没入する喜びが本書にはある。
 「絵画は、一回きりの網膜の事件である」と言う。心をとらえた絵や突然の出会いがもたらす感動について語るのだが、ときには絵という視覚イメージから、文体そのものを想起しているのが面白い。例えば、画面の上下左右に水平線や字面が同時に存在する素朴派の画家、アルフレッド・ウォリス。ここで触れるのは山下清だ。「山下清の文章は超現在進行形だ。今、今、今というふうに現在が連なっている。(中略)山下清もぐるぐると紙を回しているのである」という具合に。
 このほか熊谷守一や黒澤明の絵コンテ、水越松南という南画系画家など興味の対象は貪欲に広がる。貝原浩は高い放射線量の中で暮らすベラルーシの婆さまや、森の中のパーティー、子どもたちを育てる母の絵を描いた。「光まみれの明るい恐怖図絵」という評にどきりとする。(咲)
    --「今週の本棚:偏愛ムラタ美術館 発掘篇=村田喜代子・著」、『毎日新聞』2013年01月20日(日)付。

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「だから何なんだ」と問い続けること

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「自分で考える」ということ
 そんな失意の中、七一年の春休みに帰省し、知人が持っていた一冊の本『自分で考えるということ』(澤瀉久敬著、角川文庫)のタイトルに惹かれた。一晩借りて読了した。「自分で考える」ことの手ほどきを手取り、足取りといっていいほどに、懇切丁寧に、順を追って、ものごとを整理しながら、解きほぐすように語ってくれていた。明晰な書は、読者に自分の頭がよくなったかのような錯覚をもたらすものだが、私は、この本を読みながら、頭の中が整理され、著者とともに順を追って思考している思いがした。その感動を知人に語ると、喜んでその本を私にくださった。心にのこる一冊となった(『科学者の本棚』岩波書店、五五~五九頁参照)。
 その本は、デカルトの「理性」に基づく「順序」と「方法」に則って考えることについて詳述していた。すなわち、「多くの問題がいつまでも解決できぬのは、与えられている問題を、そのままで解こうとするから」で、「複雑な問題を、そのままで、全体として解こうとしても、それは無理な話」であり、「全体を部分に分けて、一つ一つ解きほぐさねばならぬ」と述べ、「特に東洋人は--『全体』ということが好きで、『全体を全体のままで』ということをむしろ重んじさえする」が、「それではいけない。複雑なものを単純なものに還元せねばならぬ」と忠告していた。
 「理性の方法はこれだけではない。分けられた要求を、次に、一つ一つ、徐徐に、段々と、積み重ねてゆくことが必要である」「絵の上達を願うものは、まず一本の線を美しく描くことを学ばねばならぬ。一人前の大工になるには、幾年もただ板をけずることだけを習わねばならぬのである」「その前進にあたっては跳躍を試みてはならない。地上から一挙に屋根に飛び上がるようなまねをしてはならない」「理性に従う者は階段を一段一段と登らねばならぬ」「理性は跳躍をゆるさない」「分析と綜合こそ理性的人間の辿らねばならぬ道なのである」とも教訓していた。
 その本を何度も繰り返し読んで、与えられたものを受動的に受け入れるのみであったことを根底から反省した。素朴な問いを大事にし、自分が納得することを重視した。単純なことに始まり、一つひとつ自分で納得することを積み重ねた。自分が納得しなければ先へは進まない。不確かな「知」を足がかりとせずに、必ず納得するまで調べて、その上で先に進むという方法をとった。ものごとを理解するためには、与えられたものを鵜呑みにするのではなく、「だから何なんだ」と問い続けることが大事だと思うようになった。どんなに有名な先生に主張に対しても、同じ態度を貫いた。
    --植木雅俊『思想としての法華経』岩波書店、2012年、4-5頁。

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24日は、後期の哲学の定期試験。試験終了日のためか、大学構内の学生の数も少なく、4時間目に、全員参加で無事終了しました。

履修された皆様、15回の授業、レポートの作成、そして定期試験、お疲れさまでした。

最後の授業でもいいましたが、結局のところ、教室の中でまなんだもの「だけ」、テクストにかかれていること「だけ」が、哲学ではありません。

皆様の日常生活のなかで、どれだけ「気がつく」ことができるのかが、哲学なんだと思います。

15回の授業も、レポートの作成も、そして定期試験への取り組みは、本質ではなく、むしろ、その一つのリハーサルであったと思います。

試験が済んで、これから春休みになるかと思いますが、むしろ、そこでひとりひとりが自分自身の生活へ還っていくなかで、哲学という学問は立ち上がってくるものだと思います。

生-権力による馴化も同じです。学問もおなじです。「そういうものだよ」「考えるに値しない」ではなく、「与えられたものを鵜呑みにするのではなく、『だから何なんだ』と問い続けることが大事だ」と思います。

「だから何なんだ」

常にそう心がけるなかで、学問を深め、人間性を涵養していってほしいと思います。

皆様、ほんとうにありがとうございました。

……って、こちらは今度は、レポートの内容確認と採点ですね・・・・orz

orzとなってしまってもイタシカタありませんので、昨日は、試験が済んでから、勉強会の仲間達と、遅くなりましたが、新年会。

こちらもご参集されました皆様方、ありがとうございました。

こちらでも同じですが、おたがいに「だから何なんだ」でいきましょう!!!

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覚え書:「【書評】本の透視図 菅原孝雄著」、『東京新聞』2013年01月20日(日)付。

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【書評】本の透視図 菅原 孝雄 著

◆電子化の歴史的意味問う
[評者]仲俣 暁生  文芸評論家・フリー編集者。著書に『極西文学論』など。
 ここ数年、「電子書籍」の話題がメディアを席巻するのと歩調を合わせ、書物についての本が数多く書かれた。残念なことに、その大半は書物の電子化は不可避とする運命論か、その陰画にすぎない印刷本への偏愛を語った情緒的エッセイにとどまっていた。本の世界が大きく様がわりしつつあることは明らかだが、その変化を書物史のなかに位置づける努力は、ほとんど放棄されてきた。本書の最大の意味は、この試みに挑んだ点にある。
 二部構成の前半で著者は、グーテンベルクの活版印刷術を起点とする従来の書物史に疑問を投げかける。そのかわりに、およそ半世紀後のアルドゥス・マヌティウスによる携帯可能な小型本の刊行を、現在の出版状況に至る原点に置く。このアルドゥスの功績を二十世紀のコンピュータ革命のなかで正確に理解していた人物アラン・ケイへの言及から、本書の後半の主題である「未来の本」が論じられてゆく。
 昨今の「電子書籍」ブームの発端となったアップル社のアイパッドは、一九六○年代にケイが夢見た本を超える本、「ダイナブック」という夢を具現した、タブレット型コンピュータだ。活版印刷術の本質を見逃さなかったアルドゥスが書物の形態と意味を根本的に変えたように、デジタル技術も「本」を根本から変えるだろう。
 こうした「透視図」のなかに置いたとき、いまの「電子書籍」は、書物とコンピュータそれぞれがもつ豊かな可能性をいずれも放棄した折衷的な産物に思えてくる。これまでの「本」の形を模倣し、電子の「紙」に定着しているだけだからだ。「コンピュータ」そのものが書物の後継メディアだと考えたケイを受けて、著者も「電子ブック(電子書籍)」に批判的な立場をとる。
 巻末の「編集者の極私的な回想」で明かされる著者の経歴は、このような見取り図を描きえた理由をこっそりと明かしてくれる、必読の文章である。
すがわら・たかお
 1940年生まれ。編集・著述業。著書『デジタルメディアのつくりかた』など。
(国書刊行会 ・ 2625円)
<もう1冊>
 津野海太郎著『本はどのように消えてゆくのか』(晶文社)。活字本と電子本の共存時代を迎えたいま、<本>とは何かを考える。
    --「【書評】本の透視図 菅原孝雄著」、『東京新聞』2013年01月20日(日)付。

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013012002000156.html


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覚え書:「ひと:朴秉植さん=『死刑を止めた国』韓国の事情を日本に紹介する」、『毎日新聞』2013年01月15日(火)付。

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ひと:朴秉植さん=「死刑を止めた国」韓国の事情を日本に紹介する
毎日新聞 2013年01月15日 東京朝刊

 ◇朴秉植(パク・ビョンシク)さん(57)

 研究室や自宅に死刑関連の書籍や資料がずらりと並ぶ。ほとんどが日本の文献だ。

 「私の理論は日本製。日本で死刑廃止問題を学び、韓国に持ち込んだ」

 日韓を行き来しながら両国の死刑事情を紹介し、死刑廃止運動の懸け橋となってきた。

 83年から約9年間、日本に留学した。犯罪学の菊田幸一明治大学名誉教授に学ぶ中で死刑廃止を唱える人たちに出会った。日本で執行がなかった90年代初め「日本に倣おう」と母国を促し、帰国後も情報発信を続けた。

 長く軍事政権が続いた韓国では「政治犯」らが処刑され、87年の民主化後も死刑執行は減らなかった。「韓国は単なる死刑制度存置国ではない。48年の政府樹立から50年間で、年平均18人が執行されるひどい国だった」。だが、98年誕生の金大中(キムデジュン)政権以降は執行ゼロ。国際人権団体が「事実上の廃止国」に分類した。

 今では日本に韓国の事情を紹介する立場だ。「死刑問題は被害者抜きに考えられない」。韓国で被害者支援の自助グループ発足に携わり、活動を通じて死刑囚と交流を始めた殺人事件の遺族とともに廃止を訴えている。

 昨年11月に「死刑を止めた国・韓国」(インパクト出版会、1470円)を出版した。なぜ韓国では執行がないのか。死刑囚の処遇や被害者支援策とともにまとめた。

 「私に大切なことを教えてくれた日本で死刑が続くのは残念です。韓国の事情を紹介することで、問いかけたかった」<文・長野宏美/写真・竹内幹>

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 ■人物略歴

 韓国・東国大学法学部教授。全羅南道・海南郡生まれ。明治大学大学院博士課程修了、法学博士。
    --「ひと:朴秉植さん=『死刑を止めた国』韓国の事情を日本に紹介する」、『毎日新聞』2013年01月15日(火)付。

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http://mainichi.jp/select/news/20130115ddm008070055000c.html

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書評:ニーアル・ファーガソン(仙名紀訳)『文明 西洋が覇権をとれた6つの真因』勁草書房、2012年。


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 「いったいどのようにして……ヨーロッパはこれほど強大になり得たのだろうか。ヨーロッパ人は交易や征服のためにアジアやアフリカをたやすく訪れることができるのに、アジア人やアフリカ人がなぜヨーロッパの沿岸や港湾を侵略して植民地を築けないのだろうか。どうしてヨーロッパの王室に、自分たちの法律で枠をはめることができないのだろう」。
 老哲学者イムラックは、知識は力だからと答えるのだが、ではなぜヨーロッパ人の知識がその他の地域の知識よりすぐれていたのか。ここまで読んでこられた読者諸賢は、ラセラスにもう少し具体的な賢答を与えられるはずだ。なぜ西洋がその他の地域を支配し、その逆は起こらなかったのか。私が立証してきたことを、おさらいしてみよう。西洋は六つのキラーアプリケーションを持っていたのだが、その他の地域は持っていなかった。総括すれば、次の通りだ。

①競争 ヨーロッパ全土が、政治的に細分化され、国家形態が王政であっても共和制であっても、競争に熱心な企業がひしめいていた。
②科学革命 一七世紀の西ヨーロッパでは、数学・天文学・物理学・化学・生物学などの分野で画期的な進展が見られた。
③法の支配と代議制 まず英語圏で、社会的・政治的秩序の最善と思われるシステムが確立された。その根底には私的所有権という概念があり、資産所有者が政治的代表に選出されるようになった。
④現代医学 医療の面で一九世紀、二〇世紀には目覚ましい進展が見られ、西ヨーロッパや北米の人びとによって多くの熱帯病などが制圧された。
⑤消費社会 産業革命の結果、大量生産をうながす技術が開発され、需要が喚起された。綿製品をはじめとして、安くていい商品が供給可能になった。
⑥労働倫理 西洋では大量の労働力が集約的に合理化され、貯蓄が増え、資本蓄積が継続的に進められるようになった。
    --ニーアル・ファーガソン(仙名紀訳)『文明 西洋が覇権をとれた6つの真因』勁草書房、2012年、484-485頁。

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N・ファーガソン『文明 西洋が覇権をとれた6つの真因』勁草書房、読了。東洋の後塵を拝していた西洋は、なぜ、16世紀に、形成逆転に成功したのか。本書は覇権を可能にした6つの真因=キラーアプリ(The Six Killer Apps of Western Power)で説明する。

本書の指摘する6つのキラーアプリとは、競争、科学、所有権、医学、消費社会、労働倫理のこと。6つはそれぞれ東洋社会が先にリードしたものでもある。しかし、西洋社会が覇権に成功したのは、この6つのアプリを相互連関として有機的に使いこなしたことだ。


文明論といえば、地政学や軍事力・経済力といった力関係に目が向きがちだが、公衆衛生からジーンズに至るまで複眼的な視座で本書は文明を叙述する。加えて(反知性主義といってよい)西洋中心主義を退けるとともに、その脊髄反射としての反西洋主義も一蹴する。


文明をいわば複雑系として捉える著者の視点はユニーク。「私がこの本でお伝えしたかったことは、文明とはきわめて複雑で、数多くの構成要素が不規則に絡み合ったもの、エジプトのピラミッドよりもナミビアのアリ塚に近いことだ」(475頁)。

「ある意味では、アジアの世紀はすでにやってきている」(487頁)。時代のシフトは否定できない。しかし、6つの要因を抽出する筆者の筆致に見え隠れするのは、アプリを使いこなした人間がいたことだ。勢者必衰は時代の常としても、認識のアプデは必要であろう。

先に指摘したとおり、概念を自明のものと扱う視座には不安を覚える点は否めない。しかし、「近代とは何か」というダイナミックな流れを理解する上では好著。西洋法制史研究の大家山内進先生の近著『文明は暴力を超えられるか』(筑摩書房)を次に読みたい。

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 だが西洋文明のパッケージは、二一世紀が直面する問題の解決にあたって、各人が持つ創造性を最も効果的に発揮できる最善の経済的、社会的、政治的制度を生み出してきたように思える。この五〇〇年あまりにわたり、埋もれた天天才を発掘して教育していくうえで、西洋文明ほど効果的に人間社会に寄与してきた文明はほかに見当たらない。難題は、この優越性をこれからも認識していけるかどうかだ。文明がその住民にとってどれほどすばらしいものであるかを決めるのは、都市の中心部にどれほどりっぱなビルが林立しているかではなく、ビルに入っている期間がどれほど機能しているかでもない。文明の核心は、学校で教えられ、生徒や学生が学び、試練を受けた際に思い出す、教科書の内容にある。中国の文明は、かつて孔子の教えである儒教が中心だった。イスラム文明は服従崇拝だが、コーランに基づいている。では、個人の自由を至上とする西洋文明の基礎教材は何だろう。それは、現在の教育理論は知識の詰め込みや暗記には消極的だが、これらの知恵をどのように教えていくべきか。ひょっとすると私たちにとって本当の脅威は、中国の台頭やイスラム過激派の行動、二酸化炭素の増大などではなく、私たちが先祖伝来の自らの文明に自信を失っていることなのではあるまいか。
 この章の冒頭でP・G・ウッドハウスのジョークを紹介したが、私たちの文明は素人劇とは対極にある以上のものだ。チャーチルは西洋文明の本質をしっかり見きわめていて、その中心原則を「支配階級の人びとに定着した習慣や憲法に表明された意見に隷属すること」と定義して、さらに次のように述べている。

 どうして国ぐには合併して大きくなり、みなが利益を得るような法の支配を作るべきではないのか。それは確かに、求めるべき至上の希望であるべきなのに。……
 だが正しい原則は宣言するだけではまったく価値がなく、市民の徳と勇気に支えられなければ意味がない。しかり。力と科学を備えた道具や組織が、正義と理性を守る最後の砦だ。
 人類の大多数が結束して守らない限り、文明は永続には続かないかもしれないし、自由は失われてしまうかもしれないし、平和の維持もむずかしいだろう。結束した人びとが守護者であることを示せば、野蛮で粗野な暴力も立ちすくむはずだ。

 一九三八年に、その野蛮で粗野な暴力が、外国、とくにドイツで興隆した。これまで見てきたように、これも西洋文明の産物だ。チャーチルが大切にしたいと考えた自由や法に基づいた政府の価値と同じように、だ。その当時と同じく現在でも、西洋文明にとって最大の脅威はほかの文明ではなく、自らが内包する臆病さや気弱さによってもたらされる。--そして歴史への無知もその原因になり、自信を失わせていく。
    --ニーアル・ファーガソン(仙名紀訳)『文明 西洋が覇権をとれた6つの真因』勁草書房、2012年、511-513頁。

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覚え書:「今週の本棚・本と人:『パレスチナ問題とキリスト教』 著者・村山盛忠さん」、『毎日新聞』2013年01月20日(日)付。


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今週の本棚・本と人:『パレスチナ問題とキリスト教』 著者・村山盛忠さん
 (ぷねうま舎・1995円)

 ◇身に刺さったトゲに向き合って--村山盛忠(むらやま・もりただ)さん

 昨年11月に国連のオブザーバー国家となったパレスチナ、反発するイスラエル--。中東情勢は新たな局面にある。本書は、著者が第三者、傍観者の立場と訣別(けつべつ)し、キリスト者である自らの足もとの問題として、果てしない紛争を追究した記録だ。

 1964年、プロテスタント牧師としてエジプトのコプト福音教会に赴き、3年後、第3次中東戦争に巻き込まれた。「戦争をアラブ側から見る必要を感じて帰国したものの、当時の日本でPLO(パレスチナ解放機構)はテロ組織と見なされ、その名を口にするのさえ憚(はばか)られました」

 ユダヤ教の聖書を旧約聖書とするキリスト者には、ホロコーストをはじめ迫害の歴史からの「ユダヤ人の解放」が命題であり、パレスチナに関わるのはためらわれた。が、75年のキリスト者の世界会合で「イエスが育ったナザレの牧師から『一度でもパレスチナのキリスト者に対話を求めてきたのか』と問われた」ことが迷いを取り去った。

 ユダヤ教徒がすなわちユダヤ人であるのに対し、パレスチナ人はイスラム教徒のみではない。少数派キリスト教徒がいまも存在する事実は「身に刺さったトゲ」となり、「キリスト者自身の問題として扱わなければ」という信念が生まれた。大阪にパレスチナ支援組織を設立し、さらに西(欧州)のキリスト教が東(中東)を切り離す歴史的経緯を深く掘り下げた。

 例えばコプトを異端とした5世紀のカルケドン公会議。「教理上の対立とされるが、ローマ皇帝が異民族統治の都合で異端を政治利用したもの」と断じる。

 歴史の理解の先に現代のパレスチナ問題が浮かび上がる。東と分かれ、西に成立したキリスト教世界がユダヤ人を迫害し、「欧州が償うべき問題をアラブ世界に持ち込んでしまった」。

 いま、ユダヤ人入植地を守る高く分厚い壁によって、パレスチナの地は刻まれている。「差別の構造を支えているのは、やはり欧米由来のキリスト教ではないか」。自己批判につながりかねない問いであってもなお、真実に向き合う。「本にまとめたことは私の歩みそのものです」

 錯綜(さくそう)した中東問題に対して、確固たる一つの視座を与えてくれる一冊である。<文・井上卓弥、写真・西本勝>
    --「今週の本棚・本と人:『パレスチナ問題とキリスト教』 著者・村山盛忠さん」、『毎日新聞』2013年01月20日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130120ddm015070156000c.html

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「書評:『アホウドリと「帝国」日本の拡大』 平岡昭利著」、『読売新聞』2013年01月13日(日)付。

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書評:『アホウドリと「帝国」日本の拡大』 平岡昭利著
評・星野博美(ノンフィクション作家・写真家)
 明石書店 6000円

羽毛目当ての南進
 南洋の絶海を優雅に舞う姿から、昔は信天翁、沖の太夫などと呼ばれた巨大な鳥、アホウドリ。

 阿呆鳥、馬鹿鳥などという不名誉な名前で呼ばれるようになったのは、南海の無人島に生息するが故に人を恐れず、簡単に撲殺されたからだ。美しい羽毛と人を恐れない気品が、彼らを絶滅寸前まで追いこむことになった。

 本書は、明治期の日本人の南洋進出の動機にアホウドリの存在があり、この「バード・ラッシュ」に国家の領土拡大の意図が便乗していくという、「アホウドリ史観」を提唱する。

 探検や冒険には富の独占や強烈な自己顕示欲がつきものだが、まさか帝国日本の南進にアホウドリが関わっていたとは! 驚きから頁をめくる手が止まらなくなった。

 最初は巨利に目がくらんだ山師的な商人から始まった。出稼ぎ者を引き連れて無人島へ行き、アホウドリを殺しては羽毛を海外へ送る。しかしアホウドリは成鳥に育つまで時間がかかり、すぐに激減してしまう。その島を見限って次の島の探索へ移る。労働者の置き去りも頻繁だった。1905年頃からは、目的が激減した鳥類から、肥料となるグアノ(鳥糞 ちょうふん)、軍需資源となるリン鉱へと変わり、やがては国家の武力進出を招いていく。

 著者を最初にこのテーマに惹きつけたのは40年前、南大東島で感じた疑問がきっかけだったという。八丈島の人たちが断崖絶壁を登って上陸し、開拓したといわれる島で、誰に尋ねても農業のために移住したとしか答えない。「農業のために1200キロも離れた八丈島からやって来て、この断崖絶壁を登るか?」すべてはこの疑問から始まった。この違和感が、大袈裟にいえば著者の研究人生を決定づけてしまったのだ。

 島嶼を丹念に歩き続けることでしか見開かれない時空間の広さ。それを堪能してほしい。学術書でありながらノンフィクションでもあるような、実に魅力的な執念の一冊である。

 ◇ひらおか・あきとし=1949年、広島県生まれ。下関市立大教授。専門は人文地理学・島嶼地域研究。
    --「書評:『アホウドリと「帝国」日本の拡大』 平岡昭利著」、『読売新聞』2013年01月13日(日)付。

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http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20130116-OYT8T00390.htm

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覚え書: 「文化 直木賞を待つ 安部龍太郎」、『日本経済新聞』2013年01月20日(日)付。


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文化
直木賞を待つ
安部龍太郎

 直木賞の発表を待つのは二度目だった。前回は第百十一回。十九年も昔である。まだ若かったせいか候補にしてもらっただけで舞い上がり、仕事が手につかなくなった。発表当日も期待と不安に我を忘れ、どんな状況だったかも覚えていない。
 その点、今回は不思議なくらい落ち着いていた。もう賞の対象になることはないだろうと腹をくくって仕事をつづけてきたせいか、候補にしていただいたことを楽しむ余裕があった。


 選考会のある十六日は、先約があった。昨年中国旅行にご一緒した大学教授のO先生、財務省ご出身のTさんと、西馬込の寿司屋で旧交を温めることにしていた。
 ところがこのような嬉しい予定が飛び込んできたので、「騒がしいことになりそうですが、それでもいいですか」とO先生にたずねた。すると先生は「こんなことは滅多にあるもんじゃないから、私たちも楽しませてもらいたいわ」と、快く了解して下さった。
 一方のTさんは、このほど国家の要職につかれたばかりである。忙しくてとても来ていただけないだろうと思っていたが、ガラリと寿司屋の引き戸を開け、「予定より早く着いちゃいました」と照れたような笑顔を見せて下さった。
 三人で飲み始めた頃、『等伯』を担当してくれた日本経済新聞出版社のK君、文化部のU子さん、友人のM君、彫刻家の御宿主さんがやってきた。御宿さんとは十五年来の付き合いで、腹を割って話せる得難い友人である。
 TさんもO先生もこころ配りの行き届いた優しい方で、すぐに四人と打ち解け、旨い寿司をつまみながらの歓談となった。芸術論、社会論、経済論、風俗論と話はつきない。楽しく話し込んでいるうちに、いつしか今日がどんな日かを忘れていた。


 七時過ぎ、芥川賞に黒田夏子さんが選ばれたというニュースが流れた。直木賞ももうすぐだなと思いながら知らせを待ったが、七時半を過ぎても電話が来ない。あるいは駄目かもしれないという予感が走った。
 「こんなに長引くとは、二作受賞か該当作なしね」
 O先生の読みは鋭い。他のメンバーも落ちるかもしれないという思いにとらわれたらしく、次第に口数が少なくうつむき加減になっていた。
 私も黙り込み、ふと長かった道程に思いを馳せた。画家の西のぼるさんから初めて長谷川等伯のことを教えていただいた日。調べてみれば異様なほど親近感を覚えたこと。没後四百年展で初めて「松林図屏風」を観て、衝撃のあまり棒立ちになったこと。
 朝刊に連載を始めてからも、いろんなことがあった。最大のショックは、やはり3・11の大震災である。あの津波の凄まじさ、犠牲になった人々の痛ましい姿、たてつづけに起こった福島第一原発の爆発。それらをニュースで目の当たりにすると、足元が崩れ落ち、果てしなく落ちていくような喪失感を覚えた。
 こんな現実を前に、小説を書きつづける意味があるのか。そんな思いに茫然としながらも、自分には小説を書き続けることしか出来ない。それなら被災した方々の心の救いに通じる作品を書かなければと、己れを鞭打ちながら原稿用紙に向かった。
 等伯の苦難に満ちた生涯、それでも絵を描きつづけた情念、そうして肉親の死や世上の矛盾をすべて昇華する松林図の境地。そこに達する姿をどう描けばいいか、苦心と苦悩の日々が続いた。それを無事に切り抜けられたのは、法華経の研究家である植木雅俊さんの助言があったからだ。


 思えば私が等伯を書いたのではなく、等伯が世に出ようとして私を走らせたのではないか……。そんなことを考えていると、手元のケイタイが鳴った。、番号の表示で日本文学振興会からだと分り、受賞を確信した。
 その旨を聞き、ありがとうございますと答えた瞬間、まわりで歓声が上がった。
 仲間全員が立ち上がり、安堵と祝福の声を上げた。あまりの騒がしさに先方の声が聞こえなくなり、店の外に出て電話をつづけたほどである。
 店にもどるともみくちゃにされた。喜びの握手を交わし、肩を叩き、感激のあまり抱き合った。いつもは冷静な担当のK君が、緊張から解き放たれて呆けたような顔をしている。一年四カ月伴走してくれたU子さんは、店の壁によりかかって静かに泣いていた。
 それから東京会館に行き、黒田夏子さんと、朝井リョウさんと一緒に記者会見に臨んだ。カメラのフラッシュが目に痛いほどで、自分の人生ではないような華やかさである。
 会見を終え、選考委員の方々が集っておられる銀座のお店に行った。店内は関係者で足の踏み場もないほどである。隅の席におられた渡辺淳一さんが、ここにおいでと席を空け、
 「よく頑張ったね、おめでとう」
 にこやかに乾杯のグラスを合わせて下さった。
 第百十一回の候補になった時にも選考委員をつとめておられ、その後の歩みをずっと見ていて下さったのである。
あべ・りゅうたろう 作家。1955年福岡県生まれ。2005年「天馬、翔ける」で中山義秀文学賞。他の著作に「信長燃ゆ」など。11年1月から12年5月まで本紙で連載した「等伯」で直木賞。

    「文化 直木賞を待つ 安部龍太郎」、『日本経済新聞』2013年01月20日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚:渡辺保・評 『時代を生きた名句』=高野ムツオ・著」、『毎日新聞』2013年01月20日(日)付。

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今週の本棚:渡辺保・評 『時代を生きた名句』=高野ムツオ・著
 (NHK出版・1260円)

 ◇巧妙細緻に「短詩形」で編まれた日本近代史

寒昴(かんすばる)たれも誰かのただひとり照井翠

 照井翠は岩手県釜石の高校教師だった。

 二〇一一年三月一一日、東日本大震災が起こった。四百人の生徒全員を無事体育館に避難させた。しかし間もなく周囲の状況が明らかになってくる。孤児になった生徒四人、片親になった生徒十六人、家を失った生徒無数。夜になって体育館にこらえきれずに泣く声が溢(あふ)れた。照井翠は校庭に出た。涙を抑えて振り仰ぐ夜空に輝く寒中の星座スバル。

 私は初めこの句がよくわからなかった。しかし著者の評釈を読んで思わず胸が熱くなった。かけがえのない親を亡くした生徒たちの泣き声が聞こえるようだったからである。

 間もなく震災二周年。復興は遅々として進まず。そのありさまを見るにつけ、この泣き声を忘れるべきではないと思う。

 もともと私は俳句のような短詩形は花鳥風月を詠(うた)うのにはふさわしいが、東日本大震災のような大災害や戦争や社会的な現象を詠うにはふさわしくないと思ってきた。

 しかし著者はそうは考えなかった。大きな社会現象を表現した俳句を選び、それに評釈を加えて、この短詩形のもつ可能性をひろげて見せたのである。たとえば戦争。

兵隊がゆくまつ黒い汽車に乗り西東三鬼

戦争が廊下の奥に立つてゐた渡邊白泉

 いずれも戦争の足音が聞こえてくる。著者はこの二句にも、句の背後に隠された作者の人生、当時の日本の時代状況を簡潔かつ丁寧に描いている。そのために読者は、作品の向こう側に広がっている風景--そして時代の意味を知ることが出来る。それはこの短詩形の限界を補填(ほてん)するものであると同時に、作品をより鮮明に浮かび上がらせるための方法である。この「詞書(ことばがき)」ともいうべき方法が折口信夫の『自歌自註』や安東次男の一連の芭蕉評釈のような名著を生んだ方法でもあった。

 戦争はさらに悲惨な場面に進

んでいく。

水をのみ死にゆく少女蝉(せみ)の声原民喜

 広島の原爆である。東京もむろん無事ではなかった。東京大空襲。

百方に餓鬼うづくまる除夜の鐘石田波郷

 しかしやがて終戦を迎えた日本は目覚ましく復興した。みんな必死で働いたからである。

銀行員等朝より蛍光す烏賊(いか)のごとく金子兜太

 私にとってこの句が印象深いのは、日本銀行で働く金子兜太の姿を遠くから見たからである。天井が高く冷え冷えとした日銀には蛍光灯の光が煌々(こうこう)と輝いていた。その下で働く人々。その姿は決して日銀だけのものではなかった。どこにでもある風景。それをとらえて、自嘲的に象徴化したところが名句である。

 そう、この本は、俳句が時代を表現する可能性を示すと同時に、著者が俳句を使いながら巧妙細緻に編纂(へんさん)した日本近代史なのである。明治から今日まで。多くの戦争から東日本大震災まで。そこには私たちの社会の変遷があざやかに浮かんでいる。

 むろん著者は時代を描くとともに個人の人生のつぶやきも忘れていない。

中年や遠くみのれる夜の桃

西東三鬼

 夜の闇に匂う桃の香りは、中年にさしかかった作者の性的欲望の象徴だろうと著者はいう。

 歴史はまた個人の人生の集積でもある。

 わずか二百頁(ページ)ほどの本であるが、俳句の可能性を大きく広げた本であり、日本とはなんであるか俯瞰(ふかん)させる本である。
    --「今週の本棚:渡辺保・評 『時代を生きた名句』=高野ムツオ・著」、『毎日新聞』2013年01月20日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130120ddm015070036000c.html


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覚え書:「今週の本棚:海部宣男・評 『10万年の未来地球史』=カート・ステージャ著」、『毎日新聞』2013年01月20日(日)付。

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今週の本棚:海部宣男・評 『10万年の未来地球史』=カート・ステージャ著
 (日経BP社・2310円)

 ◇「始めてしまった」温暖化の行方を見極める

 本書の表題に、「そーんな先の話?」という方もあろう。だがこれは温暖化問題に関心を寄せる読者には、新鮮な現在的(・・・)視点を提供する本である(原題はDeep Future)。

 IPCCによる人為的気候温暖化の警鐘にはさまざまな立場から批判があったが、IPCCもデータの扱いなどを改善し、気候モデルの改良もかなり進んだ。日本では深刻な福島原発事故で議論がやや下火だし、「原子力と環境と、どちらをとれば?」と悩む方もあろう。それでも、人為的温暖化が現代の大きな課題であることに変わりはない。

 気候変動の研究者で、『ナショナル・ジオグラフィック』などに寄稿する科学ライターでもある著者は、未来に対して現実的、かつ科学者らしくポジティブな目を向ける。性急な温暖化論議に飽いた読者にも、新鮮に違いない。

 この特徴ある本の方針を二つあげるなら、一つは、過去を基盤とした未来への長期的な視点だ。太古の気候変動の具体例を深く探り、それを踏まえて、気候モデルを援用しながら長期にわたる未来への影響--炭酸ガス濃度、気温、氷床、海水面上昇、海水酸性化、などを考える。とりわけ、前回の間氷期であるエーミアン期の詳しい気候データが得られたことは大きい。また、五千五百万年前に起きた急激な超温暖化期PETM(暁新世・始新世境界温暖化極大イベント)を取り上げて、現代の温暖化問題に極めて適切と思われる指標を与えた。

 二つ目は、炭酸ガス放出に関する「控えめケース」と「極端ケース」の二つを並列して議論を進めたこと。「控えめ」は、現在387ppmに達している大気中の炭酸ガス濃度をすぐに下げようとしても現実的でないとして、2100年代の550~600ppmをピークに炭酸ガス濃度を抑え込み、2200年には排出量をゼロにするモデルだ。IPCCの「低排出B1シナリオ」に相当する。実は過去に排出された炭酸ガスで、気温や海洋の汚染はもう後戻りできない上昇を始めている。「控えめケース」でもかなりな影響が、それも数万年も継続するという。

 もう一つの「極端ケース」は、地下に蓄えられた5000ギガトンの利用可能な炭素燃料をすべて使い尽くした場合だ。それ以上炭酸ガスは増えようがないという、豪快?なもの。2100~2150年に炭酸ガス濃度は1900~2000ppmのピークに達する。影響はもちろん非常に大きく、十万年をはるかに超えて残る。

 エーミアン期は控えめケースの、PETM温室期は極端ケースの、それぞれモデルとなる事例である。気候現象は複雑で理解途上だから、未来予測は難しい。だが過去に起きた事実は、未来への鏡になる。実際、この事例比較には説得力があるのだ。

 過去百万年以上にわたる氷河期では、氷期と温暖な間氷期が何度も繰り返された。その変動の原因は太陽と地球の位置関係による放射量変化にあり、炭酸ガスではない。十三万~十二万年前のエーミアン間氷期では温暖な気候が数千年間続いた後、徐々に寒冷化した。海水面は温暖期を通して、ゆっくり7mほど上昇した。サハラを緑にした降水増加、テムズ川を泳いでいたカバなど、著者は当時の世界を、臨場感たっぷりに楽しませてくれる。この時の炭酸ガス濃度は300ppm程度だが、現代の温暖化の控えめケースのモデルとして十分に参考になる。

 五千五百万年前のPETMは、さらに興味を引く。すでにかなりの温暖期だったが、あるとき炭酸ガス濃度が突如増えはじめ、数千年で地球全体の気温は5~6度も上昇。この高温状態はおよそ十七万年続き、海では大規模な酸性化で底棲(ていせい)の有孔虫などが大量に死んだ。温暖化の原因は、自然におこった炭酸ガスかメタンの大量放出である。温暖化ガスの急増による温室効果で地上から氷床が消滅し海面が70mも上昇するという「極端ケース」が招く状況が、実際に存在したのだ。規模も含め、まことにピッタリの事例である。

 ところで大気中に出た炭酸ガスは、なかなか無くならない。炭酸ガス循環の研究で、海による吸収作用の限界が分かってきた。炭酸ガスが減らないと気温は下がらず、氷床は溶け続け海水面は上昇し続ける。そうした影響が控えめケースでも数万年、極端ケースでは二十万年に及ぶというのも、本書の重要な視点だ。過去の事例もそれを裏書きしている。

 気候変動の影響はじわじわと、目に見えない。長期的に考えなければならない点が難しい。それに温暖化の影響には、ポジティブな面もあればネガティブな面もある。著者は、太陽-地球関係で本来なら五万年後に訪れる次の氷期を、人為的な炭酸ガスの増加がすでに食い止めてしまったと考えている。これには、太陽~地球関係の変化の組み合わせも与(あず)かっているようだが。

 いずれにせよ、私たちが「始めてしまった」温暖化は、長期にわたって続く。だからその行方をよく見て、対応する努力と相応の投資が必要だと、著者は説く。

 多分、それは正しいだろう。(小宮繁訳)
    --「今週の本棚:海部宣男・評 『10万年の未来地球史』=カート・ステージャ著」、『毎日新聞』2013年01月20日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130120ddm015070041000c.html

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書評:山下正寿『核の海の証言 ビキニ事件は終わらない』新日本出版社、2012年。

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山下正寿『核の海の証言 ビキニ事件は終わらない』新日本出版社、読了。「一九五四年には第五福竜丸がアメリカの水爆実験による被害をうけた」と学校教科書にはある(実教出版)。しかしビキニで被災したのは第五福竜丸だけではなかった。この矮小化には核問題への規制を伺うことができよう。

第五福竜丸以外にも水爆実験に遭遇した日本船の乗組員が補償も受けないまま病に倒れていった。高知県で高校教員を務める著者は、八〇年代半ばから、その実像に迫ろうと教え子らとともに聞き取り活動を継続。この活動のまとめが本書である。

第五福竜丸事件のあと、二カ月の間に米国は六回の水爆実験を繰り返し、のべ一千隻の日本船が被曝した。ところが政府は、マグロの検査を年末でうち切り、翌年には米国政府と共に幕引き。「いつの時代もしわ寄せが来るのは底辺にいる者」と遺族は語る。

本書は前半が、当時のビキニ海域で操業した人々への聞き取り調査の記録。後半部分が、水爆実験の実際の検証と隠されゆくビキニ事件の経緯の解明と健康問題のその後を扱う。ビキニ事件から日本の原子力開発は始まった…重厚ながら非常に読みやすい一冊。


ええと、それからものすごい蛇足。JCPのしんぶん赤旗および新日本出版は、原子力の問題に対する執念にも満ちた取材と問題の発掘力に驚き、利用すること多々あります。ただ、原子力の是非も、第一義ではない過去についてはそれなりの説明責任は欲しいところ。

JCPは1961年、「原子力問題にかんする決議」において「ただちに設置しなければならない条件は存在しない」としつつも(原子力を人類の福利向上に利用するには)「人民が主権をもつ新しい民主主義の社会、さらに社会主義、共産主義の社会においてのみ可能である。ソ連における原子力の平和利用はこのことを示している」と言葉を綴っている。

先の選挙で、だれでもかれでも「脱原発」と旗印を掲げましたので、JCPだけに問題があるわけではないのは承知しておりますし、その旗印は時局によってさまざま変わることでしょう。しかし、結局はそれを「票田」のために利用する「ネタ」というようなスタンツは……例えば、取材力がすごくとも……辞めて欲しいなとは思います。


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覚え書:「今週の本棚:加藤陽子・評 『蒋介石の外交戦略と日中戦争』=家近亮子・著」、『毎日新聞』2013年01月20日(日)付。

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今週の本棚:加藤陽子・評 『蒋介石の外交戦略と日中戦争』=家近亮子・著
 (岩波書店・2940円)

 ◇酷薄な歴史に堪えた「危機の指導者」像

 70代半ばより年長の読者のなかで、満州からの引揚げ体験のある方、あるいは近親者から体験を聞いたことのある方の割合は存外大きいのではないか。引揚げに際し、老若の目に映じた中国国民政府軍、中国共産党軍、ソ連軍、日本軍の姿は、戦後の日本人の草の根の歴史観に大きな影響を与えたことだろう。

 ひるがえって、抗日戦に勝利した蒋介石(しょうかいせき)率いる中国に思いをはせれば、そこには、国民政府軍と共産党軍の他、なだれをうって満州へ侵入したソ連軍、敗北の自覚のない100万人もの日本軍の存在があった。まずは、日本軍の投降と武器回収をめぐって国民政府軍と共産党軍との対立が起こり、4年続く内戦へと突入する。よって1949年、内戦に勝利した中華人民共和国が、抗日戦の戦勝を自らのものとしたとしても、怪しむにたりない。

 だが近年、アメリカで公開された「蒋介石日記」をその最たる例として、特に台湾で国家機密級の史料公開が進んだ結果、軍人でありながらも外交を「新時代の武力」として早くから重視していた蒋介石が、中国の「自由と平等」を勝ち取るため、長期的展望と外交戦略に従って行動していたことなどが明らかになってきた。

 蒋介石のように、自らの政治的行為と決断を後世の人々に説明できるだけの十分な史料を作成し、戦火の中でも史料を死守した者に、歴史の女神クリオは微笑(ほほえ)んだようだ。史料を残さず、残してもすぐに捨てたり隠したがったりする我々日本人には耳の痛い話にちがいない。国家のもつ史料の質と量いかんで、書かれるべき歴史をめぐってヘゲモニー争いが決せられる世の中がやって来るのだろう。そのような将来への準備をしておくためにも、本書はきわめて有益な一書となる。

 著者がバランスよく描いたように、蒋介石は1935年、政府・軍・党の全権を掌握するや、来るべき日中戦争へ備え、四川省の奥地建設や揚子江への魚雷艇配備に着手する。また蒋は、41年12月、英米を巻き込むことで日中戦争を世界大戦へと転化させ、42年10月、不平等条約体制から中国を脱却させることに成功し、43年11月、チャーチルとローズヴェルトと共にカイロ会談に列することで中国を四大国として世界に認知させていった。
 自国の軍事力のみで日本軍を打倒しえなかった蒋介石に対し、当時の日本軍などは低い評価を与えがちだったろう。だが、1938年5月20日、蒋介石が中国空軍機に日本国民向けの反戦ビラを積み、熊本・宮崎上空で撒布(さんぷ)させた一件など、本書で初めて知ったが、これは著者もいうとおり、外交戦略として卓抜なものだったろう。無防備都市へは爆撃をおこなわない、平和国家としての中国を国際社会へアピールできる一方、中国空軍基地の地政学的重要性をもアメリカに向けアピールできたからである。

 目から鱗(うろこ)が落ちる思いがしたのは、1937年12月12日、蒋介石が下した南京撤退命令をめぐる解釈である。上海では頑強に抗戦した蒋が、なぜ南京では自軍に対し早々と撤退を命じたのか。著者の答えは私を震撼(しんかん)させた。スペイン内戦をつぶさに研究していた蒋は、もし南京で徹底抗戦をおこなえば、マドリード防衛戦のごとく、都市を舞台とした長期戦となり、共産党勢力の増大が不可避となる。「南京を日本軍の手に落としても、それは共産党の手に落とすよりは取り戻しやすい」。これこそが、歴史の酷薄さに堪えた、危機の時代の指導者の姿だったのだろう。
    --「今週の本棚:加藤陽子・評 『蒋介石の外交戦略と日中戦争』=家近亮子・著」、『毎日新聞』2013年01月20日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130120ddm015070004000c.html

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覚え書:「今週の本棚:中村達也・評 『世界しあわせ紀行』=エリック・ワイナー著」、『毎日新聞』2013年01月20日(日)付。


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今週の本棚:中村達也・評 『世界しあわせ紀行』=エリック・ワイナー著
 (早川書房・2415円)

 ◇生活の中に「幸福の形」を訪ねる

 この数年、社会科学の分野で幸福研究がにぎやかだ。経済があるレベルに到達すると、それ以上成長を続けても、生活満足度や幸福感がさして改善されないことが分かってきた。改善どころか低下することさえあるとの指摘もある。とはいえ、まだまだ多くの疑問を残していて、研究は発展途上にある。

 ところで、本書の著者はジャーナリスト。NPR(全米公共ラジオ)の特派員として、イラク、アフガニスタン、エルサレムなどを回り、紛争と悲惨と不幸の修羅場を見てきた。そうした活動を続けているうちにふと、今度は逆に幸福の国を見てみたい、という思いに駆られるようになった。そして生まれたのが本書。それぞれの国に暮らす人々と直(じか)に交わって話を聞き、表情を観察し、彼らの心の奥にあるものを粘り強く探り当てる。ジャーナリスト魂が存分に発揮された一冊だ。

 最初に訪れたオランダでは、幸福学研究の世界的権威、フェーンホーヴェン教授にインタビュー。「世界幸福データベース」を作成し、幸福度の世界ランキングを発表している人物である。でもインタビューの様子から察するに、どうやら著者は、幸福度を数値化するなどということには、大いにわだかまりを感じたようだ。著者の流儀は、人々の実生活の中に自ら立ち入ってゆくこと。それも駆け足旅行のついでにというのではなく、十分な日数をそれぞれの国に費やしてである。

 オランダの次に訪れたのは、幸福度ランキングでも上位にあるスイス。何人ものスイス人と接触し、行動をともにして見出(みいだ)したのは、この国の人たちが、どうやら幸福と嫉妬の関係を意識しているらしいということ。幸福を損ねるのは嫉妬であり、だからこそそれが現れないように押さえ込んでいるのではないのか、と。そのあとに飛んだのが、これまた幸福度ランキングで上位を占めるアイスランド。冬期には、終日、太陽が昇らない漆黒の世界の中で、人々は予想に反して朗らかで幸せそうなことに著者は驚く。そしてこの国では、失敗に対して実に寛大であることを知った。

 続いて、ブータン。「幸福の国」としてすっかり有名になった国だが、一人当たりGDPでみると、世界ランキングで百位以下だし、平均寿命も長くはない。しかし、憲法第九条に「国民総幸福」を目標に掲げる国。そして、出会った人々はみな和やかな表情を湛(たた)えている。これはきっと国教であるチベット仏教が関係しているにちがいない。

 さらに、カタール。幸福度ランキングで中の上に位置するこの国を選んだのは、世界で最も裕福な国の一つだからだ。何しろ一人当たりGDPが世界の一、二位を争う国だ。ところが予想に反して、人々の表情は、おしなべて幸せとはほど遠いものであった。高級車を乱暴に運転し、表情も言葉も硬い。そして気づいたのが、つながりの欠如。石油産出のおかげで砂漠の中で突如裕福となったこの国には、歴史とのつながりが欠けている。歴史の時間軸の中でのアイデンティティを欠く人々の表情に著者は衝撃を受ける。さらに、タイ、インド、イギリス、アメリカ、モルドバへと足を運ぶ。

 トルストイの『アンナ・カレーニナ』の冒頭には、「幸せな家族はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある」という一節があるが、それとはちょうど逆に、「不幸な国はどれもみな同じように見えるが、幸福な国にはそれぞれ幸福の形がある」というのが、どうやら著者の到達した結論のようである。(関根光宏訳)
    --「今週の本棚:中村達也・評 『世界しあわせ紀行』=エリック・ワイナー著」、『毎日新聞』2013年01月20日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130120ddm015070018000c.html

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ボールペンで残された思索の軌跡


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そういえば、大人になってから、ほとんど鉛筆やシャープペンシルをつかっていないことに気がついた。

思い返せば、たぶん、高校時代ぐらいから鉛筆やシャープペンシルよりも、ボールペン(水性・油性を問わず)を使う比率が高くなったように思う。

もちろん、筆記試験に代表されるように、書き直しが必要な事柄については、鉛筆のたぐいを使っていますが、どこかに提出したりする必要のないものなんかは、それが「書き直し」を要するものであっても、ボールペンでほとんどすませるようになった。

もっとも、ボールペンでも「書き直し」はします。しかし、鉛筆の場合と違って消しゴムで消したりはしないから、「書き直し」の経緯は残ってしまう。

手帳に認める予定の変更のような案件については、ぐじゃぐじゃっと塗りつぶしてしまうこともありますが、自分はひょっとすると「書き直し」の「経緯
」を大事にするためにボールペンを使っているのではないかと考えたりもする。人間の思索がどう変化していくのか。

何をどう訂正していくのか。ひとつの記録をボールペンで消えないように残しているのではないだろうか、と。

「そんなん、考えすぎですよ」と言われればそれまでだし、ボールペンの方が楽だからと言えば否定できないけれども、消しゴムで経緯を消しさり、模範解答集と一言一句たがわないものをコピペすることへの、それはささやかな抵抗なのではないだろうか、と考えすぎたりするのですが、みなさまはどうですかね?

たまには、こんなことを考えてみたりもします(笑

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覚え書:「アベノミクス:安倍首相の経済政策「完全に正しい」 ノーベル賞経済学者・クルーグマン氏『評価』」、『毎日新聞』2013年01月15日(火)付。

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アベノミクス:安倍首相の経済政策「完全に正しい」 ノーベル賞経済学者・クルーグマン氏「評価」
毎日新聞 2013年01月15日 東京朝刊

 ◇財政悪化「深く考えているわけではないだろうが」

 【ロンドン坂井隆之】大胆な金融緩和や財政出動で景気底上げを図る安倍晋三首相の経済政策「アベノミクス」が、ノーベル経済学賞受賞者からも評価されている。著名な経済学者のお墨付きを得たことで、首相は一段と自信を深めそうだが、アベノミクスへの期待感が支えになっている円安や株高の持続性には疑問の声もある。

 08年のノーベル経済学賞受賞者で、コラムニストとしても知られる米プリンストン大のクルーグマン教授は11日付ニューヨーク・タイムズ紙(電子版)のブログで、安倍首相が目指す経済政策について「深く考えてやっているわけではないだろうが、結果的に完全に正しい」と“評価”した。

 同氏はかねて、不況脱却のためには大胆な財政・金融政策が必要だと主張。安倍政権が打ち出した20兆円規模の緊急経済対策や、日銀に対する強硬な金融緩和の要求に対し、「(財政破綻のリスクなどを強調する)堅物過ぎる理論にとらわれて他のどの先進国もできなかったこと」と指摘する。

 ただ、クルーグマン氏の分析には、皮肉も交じる。アベノミクスの効果について「国債の金利は上がらず、円は下がっており、日本に非常によい結果をもたらしている」と述べる一方、「安倍(首相)はナショナリストで経済政策への関心は乏しく、それ故に正統派の理論を無視しているのだろう」と推測。金融市場はひとまず好感しているものの、財政の持続可能性などに深い洞察を欠いたままの政策運営には、懸念をにじませる。

 円相場の急速な下落と日本株の上昇に対しては欧米でも関心が高く、連日報道されている。ただ、各紙とも持続性には半信半疑で、英フィナンシャル・タイムズ(FT)は12日の記者コラムで「過去20年間、日本株に失望させられ続けてきた。今回、何が違うのかは疑問だ。昔と違い日本が世界に売るものは乏しく、円安は特効薬ではない」と言及した。そもそもアベノミクスは、クルーグマン氏らの主張を裏付けにした側面があり、同氏が評価するのは当然という指摘も。新政権の経済政策の評価が定まるには、なお時間がかかりそうだ。
    --「アベノミクス:安倍首相の経済政策「完全に正しい」 ノーベル賞経済学者・クルーグマン氏『評価』」、『毎日新聞』2013年01月15日(火)付。

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え!
「深く考えているわけではない」からやばいのではないか???

http://mainichi.jp/select/news/20130115ddm008020034000c.html


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覚え書:「3.11後のサイエンス 原発大国からの苦言=青野由利」、『毎日新聞』2013年01月日(火)付。

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3.11後のサイエンス
原発大国からの苦言
青野由利

政権交代で「原発ゼロ」政策は、あっさりくつがえされる運命にあるようだ。安倍晋三首相は昨年末、民法のインタビューで次のように述べている。「新たに造っていく原発は、40年前の古いもの、事故を起こした福島第1原発のものとは全然違う」。新型炉なら安全だから新増設も可、と受け取れる。
 確かに古い原子炉はリスクが高い。では、新しくすれば安全といえるのか。


 昨年12月、原子力規制委員会の国際アドバイザーに米英仏の3人が就任し、日本での会合に参加した。原発大国からの助言が興味深い。
 「日本の業界の姿勢にショックを受けた」と語ったのはフランス原子力安全機関の前委員長アンドレ・ラコステさんだ。昨年2月、日本政府の事故調査委員会に参加した。その際に、電気事業者が「規則に従ってきた、厳格に守ってきた」と繰り返し述べたことが衝撃だったという。裏を返せば「規則さえ守っていればいい」という態度。「それは危険だ」とラコステさんは苦言を呈する。
 「国策民営」で原発を推進してきた日本では、安全に対する「業界の責任」が曖昧になりがちだが、国際的には常識だ。国際原子力機関が掲げる10項目の「安全原則」にも明記されている。事業者には、規制を超え、自ら安全を確保する責任がある。ところが、日本では、そうした「安全文化」への認識が事故後も希薄。とすれば、炉だけ新しくても意味がない。
 米原子力規制委の元委員長、リチャード・メザーブさんによれば、米国でも79年のスリーマイル島原発事故以前は「安全にとって一番重要なのは設計」と言われていた。「炉が新しければ安全」に通じる話だ。しかし、事故後は認識が改められた。原発事業者が「原子力発電運転協会(INPO)」を組織し、安全性を互いに評価しあう。年1回の会合で一番成績が悪かった企業の社長は改善計画を説明しなくてはならない。「みんなの前で恥をかきたくない」というプレッシャーを安全向上に利用する仕掛けだ。


 実は日本にもINPOをめざした「日本原子力技術協会」があったが、役割を果たせず昨年改組した。今度こそ日本版INPOをめざすというが、具体性が見えない。さらに、世界に比べ、日本で影が薄いのが「個人の責任」だ。英原子力規制機関長のマイケル・ウェイトマンさんは「原発を再稼動する前に所長から個人の書簡をもらってはどうか」と提案した。「安全だ、証拠があると、責任をもって署名してもらう」。そうすれば、何かあった時に「規則を守っていました」ではすまない。
 ここで、「炉が新しければ安全か」という話に戻りたい。3人の話を総合すれば、「炉の型はともかく、大事なのは事業者の安全文化」となるだろう。そして、その不備を長年放置し、時に助長してきた責任は自民党にもある。
 アドバイザーの助言を聞いた規制委員会の田中俊一さんは次のように述べている。「一人一人が責任を持って考え、それを経営管理が後押しするという点で、日本の状況は不満足。個人の考えだが、(それらに対する)信頼感がもてなければ、運転再開してはいけないのかもしれない」。新増設どころではない。(専門編集委員)
    --「3.11後のサイエンス 原発大国からの苦言=青野由利」、『毎日新聞』2013年01月日(火)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130115ddm016070010000c.html


原発大国から苦言されても、「再稼動」「新増設」とか終わっているのではないかと思いますけれども、安部晋三閣下。

そもそも、放射性廃棄物は未来への負担であり、タコ部屋労働といってよい、最前線の労働者の問題とかどうするのでしょうかねぇ。

そういえば、原発大国フランスでも、最低辺の労働者はよくわからないまま酷使されているという日本と同じ構造ですよね。


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 最後に下請け労働者の問題を取り上げなければなりません。なぜならそれがきわめて重大な問題だからです。下請け労働者数は大きく増加しています。理由は収益を上げる、ただそれだけのためです。これら原発の下請け作業員は個人契約で働いているのですが、フランス電力の正社員と比べ、賃金は大変低く抑えられています。彼らはなんの保障も受けられないまま必要に応じて原発に送り込まれています。さらに正社員ほど細かな健康経過観察も受けていません。そこで、ある疑問が生じてきます。原発の危険性についてろくに情報を与えられていない人間が、安全管理業務に携わって大丈夫なのだろうかと。毎年二万人から三万人が放射線にさらされる作業についているのです。フランス原子力安全局(ASN)の二〇〇八年の年次報告書のなかでも、原発内の危うい作業上教が報告されています。業務委託の契約期間は三年であり、フランス電力が資格を持つ企業よりも馴れ合いの企業を採用していることから保守管理上の問題が危ぶまれるというものです。原発事故が発生した際は下請けの作業員が緊急措置にあたることになるわけですから、なおのこと事態の悪化が懸念されます。今回の福島原発事故のケースもそうですが、下請け任せの現場の実態を知れば知るほど危惧は募ります。
    --コリーヌ・ルパージュ(大林薫訳)『原発大国の真実 福島、フランス、ヨーロッパ ポスト原発社会へ』長崎出版、2012年、207ー208頁。

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書評:小林ソーデルマン淳子・吉田右子・和気尚美『読書を支えるスウェーデンの公共図書館 文化・情報へのアクセスを保障する空間』新評論、2012年。


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 あらゆる方法で図書館の魅力を子どもたちに示すことができるのは、小学校から中学校までの九年間にかぎられている。というのも、フィンスカテバリには高校がないため、高校に進学した子どもたちはべつのコミューンまで通学するようになるからである。
 九年間、一生懸命図書館利用教育に取り組んできた司書としては、子どもたちがそれぞれの高校にある学校図書館へ行くことを期待したいところではあるが、高校生にとっては図書館以外にも面白いところがたくさんあるし、進学するとやらなくてはいけないこともぐっと増えてしまう。いつのまにか、。公共図書館からも、読書からも離れていってしまう・・。この傾向はフィンスカテバリにかぎったことではなく、高校生の図書館離れはスウェーデン全体を覆っている。
 図書館離れと読書離れが一気に進む高校生に向けて、二〇一〇年に通学バスを使ったユニークなサービスがはじまった。それが「ライン500:通学路の本」である。「ライン500」とは、ヴェストマンランド・レーンとダーラナ・レーンにある五つの町を通るバスルートのことで、毎日、多くの高校生を乗せて走る路線バスのルート名をそのままプロジェクトの名前にした。
 若者の読書離れを食い止めるためには、高校生が気軽に本を手にとる状況をつくりだすのがよいのではないかという発想が、このプロジェクト誕生のきっかけとなった。バスの中に図書コーナーを設けて、「走る図書館」としたのである。図書館と違うのは、読んで気に入った本を自分のものにしてもよいことである。もちろん、読了後バスに返却してもよいし、友達に貸してもよいことになっている。バスが通る五つの町の図書館では、バスに置いてある本を推薦するためのブログを作成し、本を読んだ高校生の感想も掲載している。ちなみに、このプロジェクトには文化評議会が助成金を出しており、地域図書館とヴェストマンランド公共交通がプロジェクトの実施にあたっている。
    --小林ソーデルマン淳子・吉田右子・和気尚美『読書を支えるスウェーデンの公共図書館 文化・情報へのアクセスを保障する空間』新評論、2012年、123-125頁。

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小林ソーデルマン淳子・吉田右子・和気尚美『読書を支えるスウェーデンの公共図書館 文化・情報へのアクセスを保障する空間』新評論、読了。

スウェーデンの公共図書館の伝統を言い表す表現に次のようなものがある。すなわち「人は誰しも本を読む権利があり、それを保障する場所が公共図書館である」。本書は百年以上にわたる公共図書館の伝統と今を報告するドキュメント。意義と可能性を示唆する一冊だ。

公共図書館の源流はどこにあるのか?それは生涯学習のさかんなお国柄。百年前からはじまる自主的学習サークルの読書会に由来する。読書会は校舎なき学校の役割を果たし、移民受け入れと教育について、自己認識と他者認識の「平等」の場として図書館が機能した。そのことに驚く。

今日では、単なる資料提供の場にとどまらない。映画会、コンサートから語学講座まで。地域コミュニティの中核としての「総合文化センター」と呼べるほど多様なものになっている。

読書離れに対しては駅構内図書館や「走る図書館」(図書コーナー設置バス)など新しい挑戦も。「公共図書館とは社会を映し出す鏡のようなもの」。施設内の椅子や机、書架にも使いやすさと意匠にも工夫を凝らす。

生涯学習を縦糸に異文化コミュニケーションを横糸に独自の進化を遂げる図書館。本書は、スウェーデンの図書館制度と歴史、法律、サービス・プログラム・施設の今を報告する好著。

http://www.shinhyoron.co.jp/cgi-db/s_db/kensakutan.cgi?j1=978-4-7948-0912-4


蛇足:大阪市長・橋下徹さんが、図書館のあり方をめぐり喧々囂々だ。氏の手法は主として「民間では……」というブラック企業におけるうさんくさい「費用対効果」を「対案」として持ち出すのだけれども、図書館は単に「本を読む」「学習する」施設ではない。地域の文化コミュニティーとの位置づけから再考察しなければならない。中之島図書館の運用転換指示もそのひとつでしょう。

加えて氏は、自身を誹謗中傷した雑誌・書籍の閲覧禁止(該当箇所のみ)を指示した前科の持ち主だ。次は何を指定するかわかったものではない。

結局の所、書物という人類の知的財産を、自身をためにする「モノ」としてしか理解できない精神とは、人間精神に対する「不敬」であり、それは「本を焼く者は、やがて人間も焼くようになる」(ハイネ)になると思う。

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覚え書:「韓国詩人・尹東柱の足跡解明へ 代表作舞台は高田馬場?」、『東京新聞』2013年01月15日(火)付、夕刊。


覚え書:「韓国詩人・尹東柱の足跡解明へ 代表作舞台は高田馬場?」、『東京新聞』2013年01月15日(火)付、夕刊。

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韓国詩人・尹東柱の足跡解明へ
代表作舞台は高田馬場?

戦時下・朝鮮語で詩作、逮捕
 韓国の国民的詩人・尹東柱(ユン・ドンジュ 一九一七~四五年)が、戦時下の日本で詩作した東京都内の下宿場所は、新宿区高田馬場とみられることが、民間研究者の調査で分かった。尹の代表作の中で「六畳一間」と表現されている場所だ。なぞだった足跡が明確になることで、作品研究に新しい光をもたらす可能性がある。 (編集委員・五味洋治)

民間研究者が調査
 下宿場所を探したのは、尹東柱の調査を続けている千葉県柏市の楊原泰子さん。尹の足跡を訪ね、毎週追悼集会を開いている「詩人尹東柱を記念する立教の会」の会員だ。
 代表作の一つ「たやすく書かれた詩」(四二年)は、尹が友人に手紙で送った五編のうち四編の詩に、周辺の様子とともに描かれているが、所在地は分からない。手紙は友人が奇跡的に保存していた。
 尹は一九四二年四月から日本に滞在。半年間は東京・池袋にある立教大で学んだ。京都の同志社大に移籍してから、禁じられた朝鮮語で詩を書いたなどとして治安維持法違反で逮捕された。作品の多くが押収されたため、韓国の友人に送った五編が現存する最後の作品とされている、。このため立教時代に書いたとみられる詩の六畳部屋の場所は、日韓の尹の詩のファンにとって大きな関心事だった。、
 現在の北朝鮮出身で日本に留学していた元北朝鮮高官(故人)が「尹東柱と一緒に東京で下宿していた」と語っていたことが、最近判明した。日本に残る資料や関係者の証言から、元高官の下宿は「東京市淀橋区諏訪町二〇九菊水館」、「同区諏訪町二一二、石神方」の二カ所だったことが楊原さんの調査で分かった。ともに現在のJR高田馬場駅前の高田馬場一に当たる。どちらかが尹の下宿先だったと推定される。
 楊原さんは「関係者の協力でかなり分かってきた。記録に残っている番地に一部不明な点があるのでさらに調査を重ねたい」と話している。
 尹東柱を追悼する集いは、今年も命日に近い二月十七日午後二時、立教大チャペルで開かれる。問い合わせは楊原さんの電子メール = pyol-1917@ezweb.ne.jp =へ。
尹東柱(ユン・ドンジュ) 朝鮮開拓民の子孫として中国東北部に生まれる。現在の延世大学(ソウル)を卒業後、42年、立教大学英文科に入り、10月に京都の同志社大に編入。43年7月治安維持法で逮捕され、45年2月16日に27歳で福岡の刑務所で獄死した。叙情的な作品は人気が高いが、日本での生活については不明な部分が多い。
    --「韓国詩人・尹東柱の足跡解明へ 代表作舞台は高田馬場?」、『東京新聞』2013年01月15日(火)付、夕刊。

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覚え書:「トクヴィルが見たアメリカ-現代デモクラシーの誕生 [著]レオ・ダムロッシュ [評者]渡辺靖」、『毎日新聞』2013年01月13日(日)付。

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トクヴィルが見たアメリカ―現代デモクラシーの誕生 [著]レオ・ダムロッシュ
[評者]渡辺靖(慶応大学教授・文化人類学)

■旅と思索の軌跡、リアルに追体験

 1831年春、仏貴族出身の判事修習生トクヴィルは友人ボモンと共に9カ月間の米国旅行に出発した。弱冠25歳。刑務所視察というのはあくまで口実。市民が大国を統治するという、人類初の試みから40年余りを経た米国の実情を探るのが真の目的だった。
 そのときの観察記『アメリカのデモクラシー』は高評価を受け、1841年には仏知識人の殿堂アカデミー・フランセーズの会員に選ばれた。
 米国でも自国の本質を捉えた不朽の名著とされ、今でも保守・リベラル双方が主張の箔付(はくづ)けに好んで引用している。
 本書は当時の関係者の草稿や覚書、書簡をもとに『デモクラシー』の舞台裏を再構成した、いわばメイキング版である。
 馬車や蒸気船に揺られ、北米大陸の大自然に抱かれ、先住民の長からボストンの名士、さらには現職大統領まで貪欲(どんよく)に交わりながら米国理解という「生死をかけた真剣勝負」に挑んだトクヴィル。
 最良の映像評伝を観(み)ているかのごとく、本書はその旅と思索の軌跡を追体験させてくれる。
 黒人奴隷や先住民の境遇への憤り。階級・地域・人種の切迫した関係への懸念。ロシアと米国が「いつの日か世界の半分の運命を手中に収める」のではという予感。
 民主政と貴族政の狭間(はざま)で心が揺れ動くなか、喜怒哀楽に満ちた米国体験を自らの思想に結実させていくトクヴィルの姿は実にスリリングだ。『デモクラシー』の核をなす「心の習慣」や「多数派の専制」といった概念に込めた彼の想(おも)いがひしひしと胸に響いてくる。
 欲を言えば、「アメリカ人の重大な特典は……欠点を自ら矯正する能力をもっていることにある」という『デモクラシー』のなかの重要な指摘、すなわち米国の復元力をめぐる考察の背景にもっと迫っても良かったと思う。
 民族・宗教・言語の多様化、連邦政府の肥大化、党派対立の先鋭化、市場主義の遍在化、軍事大国化……。当時と今とでは米国も大きく様変わりした。
 トクヴィルはある草稿にこう書き留めている。「政府にとってもっとも難しい課題とは、統治することではなく、人びとにみずからを統治する方法を教えることだ」
 彼が賞讃(しょうさん)した米国の市民精神をオバマ大統領は現代の文脈においてどう解釈し、人びとをどう鼓舞してゆくのだろうか。
 『デモクラシー』の冒頭には「私はアメリカのなかにアメリカを超えるものを見た」という有名な一文がある。
 もしトクヴィルが今日の日本を訪れたのなら、この社会を、そしてこの国のデモクラシーをどう評価するのだろうか。
    ◇
 永井大輔・高山裕二訳、白水社・2940円/Leo Damrosch 1941年生まれ。幼少期をフィリピンで過ごし米国へ。プリンストン大学で博士号を取得。ハーバード大学名誉教授。著書『ジャンジャック・ルソー 不安な天才』は全米図書賞の最終候補に。
    --「トクヴィルが見たアメリカ--現代デモクラシーの誕生 [著]レオ・ダムロッシュ [評者]渡辺靖」、『毎日新聞』2013年01月13日(日)付。

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http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013011300008.html

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覚え書:「異論反論 北方領土を巡る重要証言がなされました=佐藤優」、『毎日新聞』2013年01月16日(水)付。


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異論・反論
北方領土を巡る重要証言がなされました
寄稿 佐藤優

歴史の歪曲を防ぐ英断
 日露関係の専門家を震撼させる重要証言を東郷和彦・元外務省欧亜局長(京都産業大客員教授)が行った。1992年3月、東京で行われた日露外相会談において、当時のコズイレス・露外相が渡辺美智雄外相に対して、平和条約締結以前に歯舞群島、色丹島を日本に引き渡すという内容のロシア側秘密提案を行った。
 〈提案は当時渡辺美智雄外相とコズイレス外相の会談の席上、口頭で行われた。ロシア側は①歯舞、色丹を引き渡す手続きについて協議する②歯舞、色丹を引き渡す③歯舞、色丹問題の解決に倣う形で国後、択捉両島の扱いを協議する④合意に達すれば平和条約を締結する--と打診。エリツィン大統領の了承はとっていないかったが、日本側が応じれば正式提案とする可能性があったという。歯舞、色丹の返還を先に進めるという点で昭和31(56)年の「日ソ共同宣言」とは違った内容だ。さらに協議の行方によっては国後、択捉の返還の可能性も残した。東郷氏は提案の特徴について「平和条約を待たずに歯舞、色丹を引き渡すという譲歩をロシア側はしている。日本には四島一括の看板を取り下げ歩み寄ってほしいと養成している」と指摘する。〉(1月8日付産経新聞)

事実と異なる記事が出て悩んでいた東郷局長
 この秘密提案は、存在しないことになっているが、実際には日本側通訳が作成した手書きの記録が残っている。外務省ロシア課には、課長しか鍵を持っていない施錠キャビネットがある。そこには、公式には存在しないことになっている文書、具体的には裏交渉の記録や、異性問題でトラブルを起こしてロシアの秘密警察に揺さぶられた外務官僚に関するメモが保管されている。92年秘密提案の記録も、廃棄されていないならば、宇山秀樹ロシア課長が管理するキャビネットに保管されているはずだ。
 東郷氏がこれまで公にしなかった秘密提案について証言した背景には、以下の事情がある。昨年12月24日付北海道新聞朝刊に、この秘密提案の内容を知っている当時のクナーゼ露外務次官が、歯舞、色丹の2島引き渡しで平和条約を締結し、その後、国後、択捉について協議するという趣旨の提案だった--と、事実と異なる話をしたからだ。この記事が出た後、東郷氏は「事実と違う内容が一人歩きすると、今後の北方領土交渉に悪影響を与える」と悩んでいた。筆者は電話で東郷氏に「2島返還での平和条約締結に日本がどう反応するかという、インテリジェンス(情報)工作が行われているのだと思います。東郷さんは当時の日本側関係者からも、この提案を日本が拒否した経緯について聞いているはずです。誰かが証言しておかないと、歴史が歪曲されてしまう。ロシアが平和条約締結依然に歯舞群島、色丹島の引き渡しを打診したということは、国後島、択捉島の返還にも含みをもたせたということです。この事実を後世に伝える義務が私たちにはあります」と述べた。東郷証言によって歴史の歪曲が防がれたことを筆者は歓迎する。
さとう・まさる 1960年生まれ。作家・元外務省主任分析官。「石川達夫『チェコ民族再生運動』(岩波書店、2010年)を読み、ドイツ人に同化すると見られていたチェコ人が民族意識を確立する過程は、現下沖縄をめぐる状況の理解にも重要と感じました。
    --「異論反論 北方領土を巡る重要証言がなされました=佐藤優」、『毎日新聞』2013年01月16日(水)付。

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佐藤氏が指摘する関連報道(1)

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「平和条約待たず2島返還」 ロシアが平成4年に「北方領土」秘密提案
2013.1.8 11:09 (1/2ページ)[領土・領有権]

東郷和彦元欧亜局長

 北方領土交渉をめぐりロシアが平成4(1992)年、平和条約締結前の歯舞群島、色丹島の返還と、その後の国後、択捉両島の返還に含みを持たせた提案を秘密裏に行っていたことが7日、分かった。外務省で領土交渉に携わった東郷和彦元欧亜局長が産経新聞に証言した。これまで提案の存在自体は知られていたが詳細が判明したのは初めて。旧ソ連時代とは異なり踏み込んだ提案だったが、四島返還の保証はなかったため日本側は同意せず「幻の提案」として終わった。

 提案は当時の渡辺美智雄外相とコズイレフ外相の会談の席上、口頭で行われた。ロシア側は(1)歯舞、色丹を引き渡す手続きについて協議する(2)歯舞・色丹を引き渡す(3)歯舞・色丹問題の解決に倣う形で国後、択捉両島の扱いを協議する(4)合意に達すれば平和条約を締結する-と打診。エリツィン大統領の了承はとっていなかったが、日本側が応じれば正式提案とする可能性があったという。

 歯舞・色丹の返還を先に進めるという点で昭和31(56)年の「日ソ共同宣言」とは違った内容だ。さらに協議の行方によっては国後・択捉の返還の可能性も残した。東郷氏は提案の特徴について「平和条約を待たずに歯舞・色丹を引き渡すという譲歩をロシア側はしている。日本側には四島一括の看板を取り下げ歩み寄ってほしいと要請している」と指摘する。

 これまで東郷氏は著書『北方領土交渉秘録』(新潮社)で「92年提案」と存在は認めていたが、交渉が継続していることもあり内容については明かしてこなかった。ところが昨年12月、当時のロシア外務次官ゲオルギー・クナーゼ氏が北海道新聞の取材に対し「92年提案」について、歯舞・色丹の引き渡し手続きに合意した後に平和条約を締結し、その後、日露間でふさわしい雰囲気ができれば国後・択捉を協議する、との内容だったと述べた。

 東郷氏は会談には同席していなかったが、クナーゼ氏の発言について「事実関係が異なる。この内容が独り歩きしたら90年代の日露交渉がわからなくなる」として証言を決断した。

 日本側が提案を拒否した理由としては、四島一括返還要求を捨てることへの拒否感、もう少し譲歩を引き出せるのではとの誘惑などが挙げられるとした。

 東郷氏は「旧ソ連崩壊後で日露の国力に大きな差があった時ですら四島一括提案ではなかったことを認識すべきだ。(当時と状況は変化したが)それでも今、ロシアは交渉に応じる姿勢を示している。安倍晋三首相にはプーチン大統領と勝負してほしい」と語る。
    --「『平和条約待たず2島返還』 ロシアが平成4年に『北方領土』秘密提案」、『産経新聞』2013年01月08日(火)付、電子版。

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http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130108/plc13010811090003-n1.htm


佐藤氏が指摘する関連報道(2)

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日本との連携を真剣に模索 ロシア秘密提案で佐藤優氏 
2013.1.8 13:47
 佐藤優・元外務省主任分析官の話「1992年は東西冷戦崩壊後直後で、どういう世界秩序になるか不透明だった。秘密提案をしたということは、ロシアが日本との連携を真剣に考えたということだろう。

 2001年12月ごろ、元ロシア外務次官のゲオルギー・クナーゼ氏に会った際、東郷和彦氏が語ったのと同じ内容を聞き、外務省に極秘公電で報告した。クナーゼ氏が提案内容を意図的に変えているのは、2島で動くのか日本側の出方を探るとともに、国内的には高まるナショナリズムのなかで四島返還に行くかもしれない提案をしたことの責任追及を回避する意味合いもあるのではないか」
    --「日本との連携を真剣に模索 ロシア秘密提案で佐藤優氏」、『産経新聞』2013年01月08日(火)付、電子版。

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http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130108/plc13010813490008-n1.htm


佐藤氏が指摘する関連報道(3)

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2島返還 92年に提案 元ロシア外務次官証言(12/24 10:25、12/24 18:03 更新)
1992年の非公式提案などについて説明するクナーゼ氏
 ロシアが1992年、北方領土問題の解決に向け、歯舞、色丹の2島を返還し、国後、択捉の2島の扱いは継続協議とする案を日本側に非公式に提案していたことが分かった。当時のロシア外務次官ゲオルギー・クナーゼ氏が北海道新聞の取材に明らかにした。

 91年までの旧ソ連時代とは一線を画す柔軟な提案だったが、日本側は四島返還を目指す立場から国後、択捉両島の返還の確約を求めたため、立ち消えになった。<北海道新聞12月24日朝刊掲載>
    --「2島返還 92年に提案 元ロシア外務次官証言」、『北海道新聞』2012年12月24日(月)付、電子版。

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http://www.hokkaido-np.co.jp/news/politics/429379.html


佐藤氏が指摘する関連報道(4)

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平和条約前に歯舞、色丹返還 92年、ロシア提案 東郷元局長が証言(01/09 06:40)
 ロシアが1992年に領土問題解決に向けて、平和条約締結後の歯舞、色丹の2島返還を約束した56年の日ソ共同宣言に基づき非公式提案をしたとのゲオルギー・クナーゼ元ロシア外務次官の証言について、東郷和彦・元外務省欧亜局長は8日、「証言に誤りがある」と明らかにした。平和条約締結前に歯舞、色丹2島を先行返還するとの内容で、証言よりも日本に有利な提案だったという。

 提案は92年3月、当時の渡辺美智雄外相とコズイレフ・ロシア外相との東京での会談後、行われた。クナーゼ氏を取材した北海道新聞が昨年12月24日報じた。同氏の証言によると、提案は、ロシア側が《1》歯舞、色丹2島を引き渡す手続きなどに合意《2》平和条約を締結《3》歯舞、色丹2島を日本へ引き渡す《4》その後、日ロ関係の推移を見て、ふさわしい雰囲気ができれば残る国後、択捉2島について協議する―との内容。

 一方、東郷氏によると《1》歯舞、色丹を引き渡す手続きなどに合意《2》協定を結んで歯舞、色丹2島を引き渡す《3》歯舞、色丹にならう形で残る国後、択捉の扱いを交渉《4》交渉がまとまれば平和条約締結する―との内容だった。<北海道新聞1月9日朝刊掲載>
    --「平和条約前に歯舞、色丹返還 92年、ロシア提案 東郷元局長が証言」、『北海道新聞』2013年01月09日(水)付、電子版。

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http://www.hokkaido-np.co.jp/news/politics/432368.html

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「旅客来りて嘆いて曰く」だよ

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ちょっといくつかのニュースを紹介します。

(ニュース1)
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【政治】

厚労相「全体で引き下げ」と明言 生活保護の支給水準
2013年1月16日 19時35分

 田村憲久厚生労働相は16日午後、生活保護の支給水準(基準額)について「全体として引き下げることになる」と明言した。減額に慎重だった公明党の石井啓一政調会長も「必要があると説明がつくならば、やらざるを得ない」と容認する意向を示し、保護費削減に向けた政府、与党内の動きが加速した。具体的な引き下げ幅調整が今後の焦点。
 低所得者の一般的な生活費より高い支給ケースがあったとする社会保障審議会生活保護基準部会の報告書がまとまったのを受け、それぞれ記者団に述べた。
 報告書は現在の基準額が単身世帯より多人数世帯に有利と指摘、厚労相はこの点も「適正化を図る」と述べた。
    --「厚労相『全体で引き下げ』と明言 生活保護の支給水準」、『中日新聞』電子版、2013年01月16日(水)。

http://www.chunichi.co.jp/s/article/2013011601001690.html

(魚拓)http://megalodon.jp/2013-0119-0105-35/www.chunichi.co.jp/s/article/2013011601001690.html

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「保護費削除に向けた、政府、与党内の動きが加速した」そうな。

え???


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国民とともに 公明党の副大臣
公明新聞:2013年1月7日付


桝屋敬悟氏
福祉現場の人材不足解消に全力
厚生労働副大臣 桝屋敬悟氏

―副大臣に就任しての抱負や決意を。

今回、図らずも2度目の厚労副大臣を拝命いたしました。大変な重責だと感じています。私は2009年の衆院選で落選を経験しました。その間、中国5県を中心に、福祉施設だけでも300~400カ所の現場を見て回りました。貴重な3年3カ月でした。この経験を無駄にせず、公明党出身の副大臣らしく汗をかいてまいります。

―労働、福祉、年金が担当ということですが。

労働分野については、まず景気・経済の回復が前提となりますが、公明党青年局がこれまで取り組んできた若者の雇用対策についても、国として早急に進めなくてはなりません。

また、福祉の現場の人材不足が深刻です。施設職員の処遇改善だけではなく、長年勤めてもキャリアパス(能力アップの道筋)が構築されないという問題もあります。若者が福祉の仕事に対して魅力を感じられるように変えていきたい。

―生活保護の見直しが指摘されています。

福祉の党・公明党として、生活保護制度のセーフティーネット(安全網)機能は絶対に後退させてはなりません。私は、これまでただの一度も現場の声を聞かずして、政策を決めたことはありません。これからも公明党のネットワーク力を十分生かし、厚労行政の充実に全力を挙げる決意です。

一方、民主党政権の3年3カ月で、年金に対する不信感が極めて大きくなりました。若者にも「年金は払ってももらえない」との意識が醸成されてしまったことは非常に残念です。これまでの税と社会保障の一体改革で、年金改革の第一歩が始まりました。信頼される年金制度の構築にも力を入れてまいります。
    --「桝屋敬悟氏 福祉現場の人材不足解消に全力 厚生労働副大臣 桝屋敬悟氏」、『公明新聞』2013年1月7日付。

http://www.komei.or.jp/news/detail/20130107_9983
(魚拓)http://megalodon.jp/2013-0119-0107-10/www.komei.or.jp/news/detail/20130107_9983


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9日前の『公明新聞』では「生活保護制度のセーフティーネット(安全網)機能は絶対に後退させてはなりません」とある。

あたまがわるいので、意味がわからない。

こんなニュースも流れてきた・・・・

(ニュース2)
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公明党:原発新増設「認めぬ方針」再検討 県本部代表・桝屋衆院議員、自民と政策調整 /山口
毎日新聞 2013年01月16日 地方版

 公明党県本部代表の桝屋敬悟衆院議員(比例中国ブロック)は15日、「原発の新増設は認めない」とした同党の方針が再検討される見通しを示した。安倍晋三首相が「30年代の原発稼働ゼロを目指す」とした民主党政権のエネルギー政策を見直すとしており、連立政権を組む自民党との政策調整が必要になるとの判断。県庁での記者会見で述べた。

 公明党は昨年12月の衆院選で「原発の新規着工を認めず、可能な限り速やかに原発ゼロを目指す」との選挙公約を掲げた。ただ、この方針は「党中央が地元での議論を行わずに決めたもの」(公明党県幹部)で、中国電力が計画する上関原発など個別の原発についての詰めた議論は行ってはいないという。

 桝屋氏は「(新増設を認めない方針は)党内で本当にがっちりした議論ができたかというと難しい。現地の声を聞き、地元の議員と相談しながら、その方針でこれからやっていけるのかどうか、安倍政権のエネルギー政策の再検討に合わせ、具体的な問題についてもう一度詰めていきたい」と話した。【尾村洋介】

〔山口版〕
    --「公明党:原発新増設「認めぬ方針」再検討 県本部代表・桝屋衆院議員、自民と政策調整 /山口」、『毎日新聞』2013年01月16日(水)付。

http://mainichi.jp/area/yamaguchi/news/20130116ddlk35010400000c.html
(魚拓)http://megalodon.jp/2013-0119-0111-44/mainichi.jp/area/yamaguchi/news/20130116ddlk35010400000c.html

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マニフェストでは、「原発の新規着工を認めず、可能な限り速やかに原発ゼロを目指す」との選挙公約を掲げたのですが、この方針は「党中央が地元での議論を行わずに決めたもの」なんですか……。

あたまがわるいのでまったく理解できない。

ついでにマニフェストは、以下の通り。
http://www.komei.or.jp/policy/various_policies/pdf/manifesto2012.pdf
(魚拓)http://megalodon.jp/2013-0119-0114-39/www.komei.or.jp/policy/various_policies/pdf/manifesto2012.pdf

http://www.komei.or.jp/policy/various_policies/pdf/manifesto2012_bw.pdf
(魚拓)http://megalodon.jp/2013-0119-0115-29/www.komei.or.jp/policy/various_policies/pdf/manifesto2012_bw.pdf


ニュース1が流れてきたとき、僕は次のような雑感をした(ツイッター、若干、加筆訂正)。

昭和史において創価学会の功罪に注目した場合、功の殆どは、誰もが相手にしなかった「貧乏人と病人」に光をあてたところじゃないだろうか。組織化された労働組合に保護されず、かといって資本家・管理職として手厚い保護をうけない群衆たち。それが戦後日本の日本人の現実だった。その特徴こそ「貧乏人と病人」であり、「貧乏人と病人の集まり」と揶揄された。しかし誰もが注目しなかったところ(だけじゃありませんが)に、きちんと光を注いでいく。そして、そこに人間蘇生のドラマが誕生した。

勿論、好き嫌いはあると思うが、狭く宗教運動と捉えるのではなく、広く、戦後の民衆運動としては、時代を画するものであったと思う。ここは評価せざるを得ないし、それが創価学会の力強さだろう。

そうした団体を背景にもつ公明党が、「弱者叩き」に回ってしまうことには、頭を抱えてしまわざるを得ない。

だから僕は穿った見方をしよう。中卒の両親が、文句も言わず働きづめで、この子だけは大学へやろうと苦労した。子供はちょうじて大学へ入学し、一流の知性を身につけ、一流企業に就職した。しかし、なんだか自分が一流の人間であると錯覚して、両親たちとは「違う人種ですよ」と振る舞うようになってしまう……。

まあ、特定の団体に限定される話ではなく、どこにでも転がっている話でしょうが。

しかし、私は、巣立っていく若き知性の宝冠たちが、そうしたひとびとを、抑圧する側に回ってしまえば、おわりだと思う。

さて……、ニュース2のケース。次のような雑感を吐露。

某宗教政党議員諸氏は、国家に阿ることが趣味なのか。日蓮の人生とは国家諌暁の歩みではなかったのか。「世皆正に背き人悉く悪に帰す、故に善神は国を捨てて相去り聖人は所を辞して還りたまわず…」(立正安国論)とは彼らに向けられた言葉ではないかと思ってしまう。どこが自民の暴走のストッパーですか。

公明党を支援する人々というのは、例えば「うちこそ脱原発」って頭を下げて手弁当で支援をお願いする。しかしほとんど相手は「いつも、選挙の時だけ来て、気持ちわりーだよな」って叩かるのがほとんどのケースだろう。

知ってか知らずか私には理解できないのだけど、議員諸氏は健気に応援する名もなき民衆の姿を忘れたのか。

私自身は、大衆運動の意義をスルーして「カルト乙w」っていうのも脊髄反射や批判もタイガイだとは思うが、そこに胡座をかくエリートたちはもっと最低だと思う。「旅客来りて嘆いて曰く」だよ。

えーと、それから最後になりますが、昨年の11月に少し連twしたもののまとめを最後に掲載しておきます。こちらは手直しナシです。

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(前置き:ある牧師さんが、脱原発や信教の自由を真剣に考えるなら、共産関係で死票になるよりも、考え方は全くあわないけれども、公明党に入れるという選択もありだというお話をされておりましたので、それに関してです。本来、社会的マイノリティーの方に向き、普遍的真理のようなものに憧憬していくべき政党であるはずなのですが、現状はどうなのかという話で、私は支援者にどうのこうのなんていいたくはありません。そうした姿をいきなりの「上から目線」やdisり根性でちゃちゃ入れる奴らこそ最低だと思います。しかし、そうした批判を議員諸氏、および党職員らはきちんとむきあっていくべきだと思う)

私自身は、ちょうど学生時代に宗教法人法の改正の問題と出くわし、日本ではその意義がほとんど正しく理解されていない問題ですけれども、創価学会・公明党だけでなく、キリスト教や様々な宗教の方が問題に対処していくアプローチの現場にみっちりと従事してきました。結果としては、改悪されますが。

しかしこの日本的な精神風土への「いかがなものか」という団結(とまでは言いませんが)は、君が代・国旗法制化によって見事に裏切られることになったと思う。何かの顔合わせで。01年の暮れに、公明党のさる参議院議員と懇親したことがある。

彼は「公明党がいるから小泉の暴走を押さえている」という。まあ、イエスでありノーであろう。私自身は、人間精神の内面の自由は、いかなる立場であっても制限されてはならないと考えるし、それが信教の自由の歴史だった。宗教法人法の問題が象徴だったが、その一分野である、国旗国歌では裏切られた。

この繰り返しが自公政権の10年だったのではないかと思う(それ以前に石原慎太郎とちちくりあっていたはもっと問題だが。09年の政権交代時に、恩師も言っていたが(国旗国歌でぶちきれていましたが)、与党でなくなったのは、「原点回帰」のきっかけになるいいことなのではないかと。まさにそう思う

その意味では、(これは公明党に限らない問題だけれども)「脱原発」なり、なんらかのお題目というものが、選挙のネタとしての云々ではなく、宗教的信念に起因する人間精神の「発露」としての「叫び」であるものでなければならないとは思う。ここで、ヘタを打つともう誰からも信用されなくなるだろう。

まあ、そのまえに、「反省せえや」というのはいうまでもない訳で、そこをスルーすると、JCPが敗戦直後は日本国憲法打破と叫んだり、ソ連が水爆実験成功すると「きれいな核」といっていた過去を「隠したまま」、護憲・脱原発を主張するのと同じになってしまうからね。

もっと言いうか。

公明党は、創価学会の無償の「支援」に「安住」するのではなく、組織化されない多様なマイノリティの声……元々が組織化されない底辺の民衆の「為に」が出自でしょう……の「受け皿」となる「新生」の契機として出直すべきなんじゃないのかな。

「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆のなかに死んでいく」というのが公明党の結党の原点であるという。だとすれば、その大衆とは誰か。「票になる」人間だけではない。本気で、「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆のなかに死んでいく」って欲しいわけではあるわけです。

まあ、大学出たエリート官僚の恥辱の搾取構造とかやめろ……とかうわやめろ。ふじこ。jp


私は宗教の真性さは、どこにあるかと誰何した場合、「脱原発」を掲げることに「のみ」存在するとは思いません。推進するのは論外だが、従軍チャプレンのジレンマを引き受けなければならないからだ。しかし、己の宗教的信念の発露の行動が「普遍的」なものだと思うならば、それに誠実であってくれ。

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まだ、なんらかの結論を出すには、早計であることは承知しておりますし、「脱原発」のみが宗教の真性さを試金石になるとは私は思えません(逆に推進することは試金石になるでしょう)。

なので、動向に注目しようかとは思いますが、まあ、「どうなってんだ!!!」って雑感せざるを得ないのは事実として否定できないので、とりとめもないエントリーになりますが、残しておこうと思います。


そういえば、うちの小学三年生の息子が「うそつきは泥棒のはじまり」といっておりましたわ。

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覚え書:「世界正義論 [著]井上達夫 [評者]保阪正康」、『朝日新聞』2013年01月13日(日)付。

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世界正義論 [著]井上達夫
[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)  [掲載]2013年01月13日

■「国境を越える正義」を探究

 第1章第1節の冒頭の「世界正義論とは、国境を越えて妥当する正義の探究である」という一言が、この書のすべてを語っている。法哲学の研究者として、この正義の探究は「五つの問題系」を整理することで可能だと説く。
 この五つの問題系(メタ世界正義論、国家体制の国際的正統性、世界経済の正義、戦争の正義、世界統治構造)をそれぞれ章立てにして論じていく。学術書なのだろうが、現代社会にあって「正義とは何か」との関心を持つ一般読者にとっては難解な表現も多く、ときに理解を確認しつつ読まなければならない。しかし論理を補完する引用例が今日的であるために、頁(ページ)をめくるうちにしだいに著者の用いる言語が具体的なイメージとなって伝わってくる。
 たとえば、「正義よりも平和を」との主張は、「不正の受忍は不正への反抗に比し『より小さな害悪』である」という主張と等しいとの指摘、毎年1800万人の貧困死がでている世界貧困問題に目をつぶることは「加害賠償責任の履行拒否」という意味でも無責任との視点を提示する。さらに戦争の正義を論じる章では、「少数者へのコスト転嫁による多数者のただ乗り(注。著者はベトナム戦争初期のアフリカ系米国人や貧困白人層から成る志願兵を例に引く)」を論述し民主国家が陥る「多数の専制」に鋭くメスを入れる。
 戦争の正義論では四つの類型を示してそれぞれ深く吟味を続けるのだが、そのひとつ絶対平和主義について諦観(ていかん)的平和主義の忍従、黙従などという態度とは異なるとの指摘にも考えさせられる。
 著者は終章で〈諸国家のムラ〉と呼ぶ世界秩序構想を主導する。これは著者が批判的に見る世界政府とも「無政府社会」とも異なるといい、このムラ実現には、「市民的脱国家体」を取り込めと誘う。普遍的な世界正義とは存在しえないのかもしれないとの読後感がつい口から洩(も)れる。
    ◇
 筑摩選書・1890円/いのうえ・たつお 54年生まれ。東京大学教授(法哲学)。著書に『共生の作法』など。
    --「世界正義論 [著]井上達夫 [評者]保阪正康」、『朝日新聞』2013年01月13日(日)付。

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http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013011300009.html


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覚え書:「今週の本棚:中村桂子・評 『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』=ガイ・ドイッチャー著」、『毎日新聞』2013年01月13日(日)付。

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今週の本棚:中村桂子・評 『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』=ガイ・ドイッチャー著
 (インターシフト・2520円)

 ◇言語と思考の関係を科学の目で解き明かす

 言語は思考に影響を与えるのだろうか。さまざまな言語に接することが多くなった昨今、このような問いを持つ方は少なくないだろう。評者も、言語に関心を持つしろうととして一時期、「サピア=ウォーフ仮説」を信じていた。北米先住民の言語調査を通し、言語によって思考・世界観が異なるという考えが出されたのだ。西欧中心の学界での相対論が魅力的だった。しかしその後、人間は生まれながらに普遍文法を持つというチョムスキーの生成文法論が登場し、彼らの仮説は消えた。著者は、この仮説は実証性に欠け、言語が思考にとっての牢獄(ろうごく)であるという妄想によってある世代の人をだましたとまで言っている。

 ところで著者は、生成文法論に対しては、記憶、知覚、連想など思考の基底部分で言語は心に習慣を植えつけるという立場をとる。本書で紹介される脳神経科学や心理学の実験がそれを支持するからである。言語と思考の問題は複雑なので最初に大きな流れをまとめた。そのうえで本書に従い、さまざまな考え方を追って行こう。

 よく取り上げられるのが色である。ギリシャの詩人ホメロスは海を青でなく、ぶどう酒色やすみれ色としたという研究があり、そこからホメロスは盲目だったとか、ギリシャ以後色感が進化したなどの考え方が出された。しかし、ここから答は出ない。そこで始まったのが未開人の調査である。一八七八年、ベルリンに、スーダンから見世物として連れて来られたヌビア人には「青」を表わす言葉がなく、青い毛糸をある者は黒、ある者は緑と呼ぶことがわかった。その後いくつかの研究がなされた中で、一八九八年に人口四五〇人のマレー島を調査したリヴァースを、人類学のガリレオと呼ぶ。この島で最もはっきりしている色名は黒、白、赤であり、年寄りは青も黒と呼ぶ。しかし若者は、青を英語から借用したbulu-buluという語で表わす。リヴァースは島民の色の識別能力を検査し、全島民が原色すべてを見分けることを明らかにしたのである。若者の新しい言語への対応も含めて、色に関する語彙(ごい)は文化的なものと考えられる。一方、多くの民族で色を表わす言葉は常に、黒、白、赤の順で表われるという事実も見出(みいだ)された。生物学的要因か文化か。この間を揺れるさまざまな研究結果から「自然の制約と文化的要因のバランスに答を求めるべき」というのが著者の判断である。

 近年の研究がそれを支持する。オーストラリアの先住民のグーグ・イミディル語では方角を左右前後でなく東西南北で表わす。北を向いて読書する人に「先を読め」と言いたい時は「もっと東へ行け」というほど徹底している。ところが彼らが英語を話す時は左右の概念を理解できる。私たちが空間的思考の基本構成要素と信じてきた概念などなくとも言語は成立すること、幼少期からの発話習慣が位置確認能力や記憶パターンに影響する心的習慣を形成することがわかったのである。この語は、言語学にこの成果を残し、今消えつつあるとのことだ。

 次いで語彙の性の例がある。ドイツ語で男性の、スペイン語では女性の名詞は、ドイツでは強く、スペインでは優しいと受け止められる。母語が思考に影響する例である。色を区別する時の左右の脳の反応をMRIで調べ、その違いから言語の影響を調べる実験も行われている。

 新しい研究法で、言語と文化、思考という課題が少しずつ解けつつある。言語学者でなくともさまざまなテーマが考え出せそうで楽しい。(椋田直子訳)
    --「今週の本棚:中村桂子・評 『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』=ガイ・ドイッチャー著」、『毎日新聞』2013年01月13日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130113ddm015070044000c.html

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「文字ではなく私の精神(ガイスト)を聞いて欲しい」……ってほど大げさではありませんが


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 私は1949年度の東大法学部の授業で、当時、総長をしておられた南原先生の政治学史(=ヨーロッパ政治理論史)を受講しました。幸いなことに、それは、先生にとって最終講義の年に当たっていたのでした。それまで、いっこうに法学部の勉強になじみを覚えていなかった私は、南原先生の講義内容に強く引かれるものがありました。その後、ヨーロッパ政治思想史を専攻する研究者の道を歩むことになったのも、この時の出会いがきっかけとなったのでした。
 先生の講義は、小さなメモを手にされながら力強い口調で学生たちに訴えかけるもので、さながら総長演説のような趣がありました。ノートをとることに追われる学生たちをたしなめて、くり返し、「文字ではなく私の精神(ガイスト)を聞いて欲しい」と求められたのです。いまにして思えば、それは、「文字は人を殺し、霊(ガイスト)は人を生かす」(IIコリント三・六)というパウロの言葉につながるものだったことに気づかされます。ヨーロッパ政治思想史を貫くキリスト教の《精神》と国家の《権力》との緊張関係をはらんだ展開の歴史から、主体的に学ぶことを教えておられたのです。
    --宮田光雄「『国家と宗教』との出会い」、『国家と宗教』岩波書店、2010年、523-524頁。

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さて……。
17日(木曜日)の授業にて、本年度は最終講義。

結局、もっと突っ込んでやらなければならないところはごまんとあるのだから、やらせてくれというのが正味の話なのですが、制度としての教育はそれを容認できるわけでもありませんから、

「これにて、ごめん」

……というわけでホント、申し訳ございません。

本日は、誰の思想がどうのだとか、誰が何をどう解釈しているとか、という話は抜きにして、哲学の根本的なテーマである「人間とは何か」について突っ込んで話をさせて頂きました。

これも何度も言及している話でありますが、哲学を学ぶとは、「人間とは何か」という未完のプロジェクトの“完成の未完成”、そして“未完成の完成”を生涯にわたって遂行していくという難事。

しかし、そういう難事を避けて、テケトーに「まあ、それはそういうもんだよね」と認識において蓋をするのが、生活であり既製の権威化した学問や知識ではないかと思います。

そういうことにどこまでも抗う、常にに“完成の未完成”、“未完成の完成”をめざす、諸君、そしてわたしでありたいと思います。

ぐだぐだと後期も15回の授業を続けてきましたが、大事なことを、自分が確認した訳でもない出来合のなんちゃらで判断して「それでよし、OK」とするようなことだけはないでほしいと思います。

それこそが「人間とは何か」を探究することなのではないと思いますしね。

ともあれ、皆様、ありがとうございました。

……って来週は、試験ですよね。

ホント、試験して「その人に哲学の力があるのかないのか」なんて一寸もわかりゃアしねぇのに、ほんと、世の中は、本末転倒してますね。

……って、だからといって世の中爆発しろ!!!っていうのは哲学することではありませんし、「そーゆうものが世の中なんだよね」ってセルフ慰めするのも違いますからね。

……って、

ともあれ、皆様、ありがとうございました。


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覚え書:「今週の本棚;イタリアの島から日本へ、そして世界へ=ヨゼフ・ピウタ著」、『毎日新聞』2013年01月13日(日)付。

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今週の本棚;イタリアの島から日本へ、そして世界へ
ヨゼフ・ピウタ著(上智大学出版・1260円)

 カトリックの本山バチカン(ローマ教皇庁)で、前教皇ヨハネ・パウロ2世の右腕として庁立グレゴリアン大学長や教育省次官の重責を担ったヨゼフ・ピウタ大司教は、恐らくまた、日本ともっとも深い関係をもつイタリア人聖職者・教育者だろう。
 1928年、伊サルデーニャ島に生まれ、イエズス会に入会。52年の来日後、カトリック系名門校、神奈川・栄光学園で教鞭を執り、上智大教授を経て同大理事長、学長を歴任した。上智大創立100周年を迎えるにあたり、記念事業の一環として、その人柄を慕う卒業生らの協力で初めての自伝がまとめられた。
 70年代の激しい学生運動を越えて大学改革に取り組み、81年には学長として、日本を訪れた最初の教皇であるヨハネ・パウロ2世を案内し、上智大キャンパスにも迎えた。数々の出会いの記憶がよみがえる。
 戦後の荒廃の中、次々に学校が建て直される様子を見て「日本の将来は明るい」と確信した。2004年に75歳で日本に「帰国」した後も、「人類の将来にとって重要なのは教育」との信念は揺るがない。
 運命に導かれ、進行と教育に捧げられた半生の記録である。(卓)
    --「今週の本棚;イタリアの島から日本へ、そして世界へ=ヨゼフ・ピウタ著」、『毎日新聞』2013年01月13日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚:池澤夏樹・評 『最後の人 詩人 高群逸枝』=石牟礼道子・著」、『毎日新聞』2013年01月13日(日)付。


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今週の本棚:池澤夏樹・評 『最後の人 詩人 高群逸枝』=石牟礼道子・著
 (藤原書店・3780円)

 ◇名作の萌芽を支え、促した出会いの記録

 世界経済フォーラム(WEF)二〇一二年の「世界男女格差報告」によれば日本は百三十五か国のうちの百一位であるという。情けないことだ。

 不況脱出の鍵をこの格差問題の是正に求める論もあるが、それでは女とは何か?

 個体同士の性別意識はヒトがヒトになる前、有性生殖が生まれた時からあったけれども、社会において女性とは何かが意識的に考えられるようになったのは近代のことだ。

 先駆者としてまず与謝野晶子や平塚らいてうの名が浮かぶ。それに続いたのが高群逸枝(たかむれいつえ)。熊本県出身の詩人であり、女性学の研究者である。その頃のことだから大学に講座があるはずもなく、終世在野。孤立無援のまま『招婿婚(しょうせいこん)の研究』、『女性の歴史』などの成果を上げた。

 この『最後の人』は石牟礼道子が高群逸枝について書いた文章の集大成である。

 それにしても不思議な仲だ。

 高群と石牟礼、二人の間には三十三年の齢(とし)の差がある。熊本の一主婦であった石牟礼はたまたま同郷の高群の仕事を知って、『女性の歴史』を夢中になって読み、「かねてから私が思っていることに全部答えてある」と興奮し、ファンレターを書いた。それを受け取って一か月後に高群は亡くなった。だから実際には二人は会っていない。

 しかし高群逸枝には伴侶がいた。

 橋本憲三。

 これがすごい男。逸枝の才能を信じ、研究の意義を信じ、自分は生涯をこの人に捧(ささ)げると決めて、死後の全集刊行まで献身的に遂行した。同じような例は男女を入れ替えれば珍しくない(例えばドストエフスキーの妻のアンナ)。しかし妻の執筆の支えを男子一生の仕事とした男はめったにいない。

 その橋本憲三が葬儀を終えてしばらくした頃、自分の郷里でもある熊本に戻って、かつてファンレターをくれた石牟礼に会った。その手紙のことは病床にあった逸枝との間でも話題になっていたと伝えた。

 逸枝と憲三は東京・世田谷の真ん中に残った森の中の家で暮らしていた。いつかその家を見に来ないかと石牟礼道子を誘った。

 逸枝が亡くなった二年後、道子は家族の了解を得て上京、「森の家」に半年近く滞在し、妻の『全集』の編集に勤(いそ)しむ病がちの憲三の世話をしながら逸枝のことを聞き、同時にのちに『苦海浄土』となる原稿を書いた。

 二年後に橋本憲三は季刊『高群逸枝雑誌』を創刊する。石牟礼がこの雑誌に寄稿した「最後の人 高群逸枝」がこの本の第一部であり、その後に滞在中の「日記」や関連する文章、二〇一二年八月に行われた(藤原良雄による)インタビューなどを加えることでこの本は成っている。

 高群逸枝は晩年に至るまで戦闘的だった。亡くなる前年に書いた『日本婚姻史』にも通じる言葉を引いて石牟礼はこう記す--

 「家父長制家庭では私有財産に制約されて性生活にあらゆる作為が加えられる。産めと言ったり堕(お)ろせと言ったり、女性の性は不感症型の妻と商売型の娼婦(しょうふ)のそれとに分化し女性の愛は自主性も原始性も喪失し現代の家庭の性生活の内容は百鬼夜行の惨状である」

 その逸枝のことを夫の憲三はこんな風に言う--

 「とてもおばあさんだなんてひとではなかったなあ。終生、乙女のようなひとだった……。むしろ年月と共にわかわかしくさえなってゆくような、まったく不思議きわまるひとでしたよ。ああしかし、ぼくよりほかに、そのことを知っているものはない」

 そういう憲三の言葉を聞きながら、道子はこう伝える--

 「一人の妻に『有頂天になって暮らした』橋本憲三は、死の直前まで、はためにも匂うように若々しく典雅で、その謙虚さと深い人柄は接したものの心を打たずにはいなかった」

 道子は十一年の後に再び上京して憲三を見舞い、彼の妹の静子と共に最期を看取(みと)った。

 人の世にはこういう巡り合わせがあるのかと考える。

 もしも一九六四年に三十七歳で高群の著作に出会っていなければ、石牟礼道子は『苦海浄土』や『椿の海の記』を書かなかったかもしれない。少なくともその内容はずっと違ったものになっていただろう。石牟礼は橋本憲三に会うことで高群を徹底して深く読む契機を得た。

 高群を促していたのは、社会で行われている言説と自分の体感・生活感の間の大きな落差だった。石牟礼はいわば『女性の歴史』の応用問題として水俣病というとんでもない仕事を負うことになった。その意味ではこれは萌芽(ほうが)期の『苦海浄土』を支え、促した出会いの記録である。

 高群と石牟礼の間に橋本憲三を挟めば、思想は著作物だけでなく具体的な人格を経て継がれるという奇蹟(きせき)の好例。

 最後に私的な感慨を付け加えさせてもらえば、高群逸枝が「森の家」で著作に励んでいた時期、ぼくはそこから四キロ足らずのところでせっせと小学校に通っていたのだ。
    --「今週の本棚:池澤夏樹・評 『最後の人 詩人 高群逸枝』=石牟礼道子・著」、『毎日新聞』2013年01月13日(日)付。

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覚え書:「そこが聞きたい 低成長20年の反動=ジョゼフ・ナイ」、『毎日新聞』2013年01月14日(月)付。

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そこが聞きたい
ジョセフ・ナイ(75)

低成長20年間の反動

 尖閣諸島や竹島の領有権問題を引き金に日本のナショナリズムが勢いづく。海外でも日本の右傾化論争が盛んだ。米ハーバード大のジョセフ・ナイ教授は日本のナショナリズムを「弱さの表れ」と指摘し、警鐘を鳴らしている。【聞き手・ワシントン古本陽荘、写真も】

右傾化する日本
 --右傾化する日本に、いち早く懸念を表明されましたよね。
 ◆一九三〇年代のように軍部と結びついたナショナリズムが日本に芽生えているとは思わない。軍国主義や侵略主義といった傾向はみられない。しかし、ナショナリズムというのは、よくない事が続いた後に、その反動として強まることがある。日本では20年以上にわたり低成長が続いた。日本のナショナリズムはその反動で起きている面がある。30年代は(過剰な自信から)侵略主義が強まったが、今のナショナリズムは、日本人が自信を失ったことからきている。
 --自信を失っているとは、どういうことですか。
 ◆「つらい時代を迎えている」「日本が不当に扱われている」という感情から生まれている。自信を取り戻したら、再び日本はうまくやっていくのだろう。そのためには経済成長率を高めていくことが有益だ。
 --そもそもナショナリズムはいけないものですか。
 ◆一定程度のナショナリズムには利点がある。どの国家もある程度のナショナリズムを保持すべきだ。国家としてのまとまりをもたらすからだ。だが、過剰なナショナリズムは危険だ。例えば、選挙で当選するために「尖閣諸島(沖縄県)に兵を置く」と主張した政治家が当選してしまうようでは、それは不健全なナショナリズムと言っていいだろう。一方で、「日本は安定した大国であり、挑発的な行動を取る必要はない」と訴えるのなら、そのナショナリズムは健全と言えよう。
 --安倍晋三首相も、選挙中、ナショナリズムに訴えるような主張もしていました。
 ◆就任して間もないので断定的には言えないが、これまでのところ合理的な対応をしているように見える。第1次安部内閣では就任前の主張と、就任後の行動は必ずしも一致しなかった。(現実的な対応をした結果で)これは責任を持って政治を行っていることの証左だ。今回も、楽観的になっていいのではないかと感じている。具体的にどう行動するか見極めたい。
 --衆院選の結果をどうみていますか。
 ◆自民党と公明党の連立政権は圧倒的な議席を得た。これは日本にとって良いことだ。頻繁な政権交代に終わりを告げ、日本に自信を与える可能性がある。極端な右派勢力も大きな支持は受けなかった。私が話した日本の複数の国会議員は、政界再編の可能性も語った。さらに強い政府になるかもしれない。

まずは経済成長を
 --日本は何をすべきだと思いますか。
 ◆まずは経済成長だ。安部首相もそうした主張をしている。正しい判断だ。成長率が上昇すれば変化が出てくるだろう。楽観的な雰囲気を作ることになる。日本の人々が自信を持ち、その結果、もっと健全なナショナリズムが出てくるだろう。
 --ナショナリズムが高まったまま、経済成長に失敗した場合はどうなりますか。
 ◆日本は「被害者だ」という意識が高まり、さらに内向きになる可能性があるので危険だ。周辺国との関係が悪化するだろう。世界が日本にやってもらいたいと望むようには日本が貢献しなくなる懸念も生じる。世界で第3位の経済力を持ち、能力のある人や産業がある。日本が内向きになり、世界に貢献することをやめれば、それは日本にとっても世界にとっても不利益だ。
 --日本は衰退局面にあるという主張も目にします。
 ◆確かに成長率は伸び悩んでいる。だが、それでも日本は快適で、成功した社会なのだ。中国がどんなに成長しても日本に住みたいという人がいる。空気の汚染や食品の安全何度を気にする人にとっては、中国よりも日本の方がはるかに優れているからだ。日本は、私やアーミテージ元国務副長官が報告書(第3次アーミテージ報告書)で「1級国」と位置づけた国の一つだ。大きな役割を担う高い能力をもった国家という意味だ。日本は今でもその分類にある。問題は、これからも、そうした高い能力を行使する国家であり続けるかどうかだ。
 --日本にどれだけ時間が残されているでしょうか。
 ◆安部首相が経済成長を軌道に乗せることができれば、時間はかなりあるはずだ。日本には、人口減少の問題があるが、これは女性の社会進出と一定の移民を受け入れることで対応できるだろう。私は、東日本大震災が、明治維新や戦後復興のように、日本に大変化をもたらすと考えていた。これまでそうなっていないことに驚いている。

ことば 第3次アーミテージ報告 ナイ、アーミテージ両氏が中心になってまとめた対日政策提言書。00年、07年に続いて昨年発表された。日本は1級国(tier-one nation)から2級国(tier-two nation)に脱落する瀬戸際とし、エネルギーや安保政策で国際的に責任ある行動を取るよう求めた。

Joseph Samuel Nye,Jr.1937年、米東部ニュージャージー州生まれ。プリンストン大卒後、ハーバード大で政治学博士号を取得。同大で教壇に立つ一方、国務次官補代理、国防次官補など政府の要職も歴任した。著作には「スマート・パワー」など。
    --「そこが聞きたい 低成長20年の反動=ジョゼフ・ナイ」、『毎日新聞』2013年01月14日(月)付。

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アメリカの望む「日本」のテンプレ集みたいですが、いちおう、覚え書として残しておきます。これが「スマート・パワー」か!!!

http://mainichi.jp/select/news/20130114ddm004070002000c.html

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覚え書:「書評:『みんなで決めた「安心」のかたち』 五十嵐泰正+「安全・安心の柏産柏消」円卓会議著」、『読売新聞』2013年01月06日(日)付。

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『みんなで決めた「安心」のかたち』 五十嵐泰正+「安全・安心の柏産柏消」円卓会議著

評・開沼 博(社会学者・福島大特任研究員)
「安心」の再獲得目指し


 「行政は検査しているって言うけど、やっぱ危ないよ」「いつまでも気にしてたって仕方ないだろう」――

 3・11は、空気のように「あって当然」と思われてきた「安心」が、いつ失われてもおかしくないものであることを私たちに示した。広がる不信感の中、多くの人が放射性物質による食品汚染に戸惑い「どうするか」論じてきた。しかし、誰もが納得できる答えは容易に見つからない。

 本書に記されるのはそんな「神学論争」の泥沼の中心に立たされた者たちが、困難を乗り越え自らの「安心」の再獲得を目指す軌跡だ。

 福島第一原発から200キロ・メートル以上離れているのにも拘
かか
わらず放射性物質を含む雨によって「ホットスポット」を持つことになった千葉県柏市。社会学者でもある著者が所属する「ストリート・ブレイカーズ(ストブレ)」は商工会議所青年部が立ち上げ1998年から活動を続ける「ジモト」の若者による町おこし団体だ。震災前から、ストブレメンバーの農家を中心に作物の直売所運営もしていた彼らは「つながりはじめてきたこの街の生産者と消費者の関係を、原発事故なんかで失いたくない」と「安全・安心の柏産柏消」円卓会議を立ち上げる。農家・スーパーマーケット・飲食店・主婦といった多様な利害を持つ者が、行政や研究者と同じ立場で議論し合い出口を探る。消費者を巻き込んで作物や農地の線量測定を行い、ウェブやイベントを通して情報発信する。

 「もう農業やめろってことですかね…」。メンバーが絶望の言葉を呟
つぶや
いた夜もあった。だが、「顔の見える関係」の中にジモト農作物に対する消費者の安心感が戻りはじめる。

 読みやすい構成だ。円卓会議参加者への顔写真入りインタビューでは、等身大の「ジモトへの思い」が綴
つづ
られる。それでいて、地域への住民参加のあり方や闘争・告発型社会運動の課題に、実践を通した鋭い考察もなされる。3・11が風化しようとする今、読まれるべき論考だ。

 ◇いがらし・やすまさ=筑波大准教授。都市社会学、国際移動論
 ◇柏市周辺の消費者、生産者、流通、飲食店などが参加。

 亜紀書房 1800円
    --「書評:『みんなで決めた「安心」のかたち』 五十嵐泰正+「安全・安心の柏産柏消」円卓会議著」、『読売新聞』2013年01月06日(日)付。

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http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20130107-OYT8T00873.htm

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覚え書:「今週の本棚:松原隆一郎・評 『ケインズとケンブリッジに対抗して』=F・A・ハイエク著」、『毎日新聞』2013年01月13日(日)付。

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今週の本棚:松原隆一郎・評 『ケインズとケンブリッジに対抗して』=F・A・ハイエク著
 (春秋社・3675円)

 ◇俗説を打破する経済政策論争の真実

 「ケインズかハイエクか」という対比を、しばしばマスコミで目にするようになった。もっぱら「大きな政府か小さな政府か」というイデオロギー対立をめぐる記事で引用されてのことだ。だがそれが「財政(公共事業)主義か構造改革か」とまで敷衍(ふえん)されるなら、二人にとっては迷惑でしかないだろう。

 というのもJ・M・ケインズは『繁栄への道』でこそ不況時の失業対策として公共事業を提唱したが、生涯にわたり重視したのは金融政策の方だったし、F・A・ハイエクは自由主義市場論者と呼ばれるものの、『自由の条件』にせよ強調されたのは慣習や法という「構造」の下での市場秩序だったからだ。

 そんな誤解が現れるのも、もとをただせば彼らの論争が正確に理解されないまま俗説として流布しているから。そして本書こそ、ケインズとハイエクが直接に論を闘わせた1930年代前半のやりとりを中心とする論文集の待望久しい初訳なのだ。ハイエクの英文は晦渋(かいじゅう)を極めるだけに、訳者の労をねぎらいたい。

 事情は込み入っている。ハイエクが微に入り細にわたる執拗(しつよう)な分析と批判を(長すぎて前・後編に分載された)書評で展開したのは、ケインズの『貨幣論』(1930)をめぐってであった。ケインズはすぐさま反論を寄せたが、議論もそこそこに「無慈悲な論理学者が誤った前提から、最後はいかに精神病院に行き着くことになりうるかを示す、驚くべき一例」と罵倒する始末。

 その後、年末年始に何通もの私信で論争は続き、ケインズは耐えきれなくなったのか鬼才、P・スラッファを刺客としてハイエクの『価格と生産』批判を書かせるに至り、その内容には応戦したハイエクよりもむしろケインズが感じ入り、『一般理論』執筆のヒントを得るのである。

 こうした経緯がマニアックに過ぎると感じる向きにはN・ワプショット『ケインズかハイエクか』(新潮社)の併読をお勧めしたい。当時の世相と二人を取り巻く学者の生態が、ゴシップを交え克明に描かれている。

 こうした学術書を本欄で紹介するのも、それが円安誘導とデフレ脱却をめざすという「アベノミックス」の行く末を予告すると思われるからだ。ハイエクは、金融緩和で余分なお金が出回れば企業家は誤った生産と投資を行い、反動で景気はいっそう冷え込むだろう、と言う。

 対照的に『貨幣論』後のケインズはデフレは家計も企業もお金を使わないという社会心理の冷え込みである「流動性の罠(わな)」によるのだから、金融政策だけでは有効性が薄いと見た。それに市場に溢(あふ)れたお金は海外に逃避してしまうから、資本取引を規制すべしと唱える(「国家的自給」)。

 ケインズとハイエクの予告は、併せて2003年頃から08年頃までの金融緩和で実現したともいえる。日本ではデフレは終息せず、カネは米国に流れ、そこで土地バブルという誤投資とサブプライム恐慌を引き起こした。今回もその再演となるのだろうか。

 経済の混乱とは資産バブル・流動性の罠なのか、金融政策に誘導された誤生産なのか。彼らの論争は終始噛(か)み合わなかったが、激しくなじり合いながら「Dear」に始まり「Yours sincerely」と結ぶ書簡を何通も交わすなど、凡人には近づきがたい16歳差の友情ではある。

 第三部の回想編では、もっぱら批判の矢は取り巻きに向けられ、ケインズその人は戦後も生きたならインフレ退治の同志だったろうと温かい筆致で回想される。怜悧(れいり)・執拗・残酷に宥和(ゆうわ)。深い感情が渦巻く一級の文献である。(小峯敦・下平裕之訳)
    --「今週の本棚:松原隆一郎・評 『ケインズとケンブリッジに対抗して』=F・A・ハイエク著」、『毎日新聞』2013年01月13日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130113ddm015070021000c.html


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書評:ダン・ストーン(武井彩佳訳)『ホロコースト・スタディーズ 最新研究への手引き』白水社、2012年。

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……ジャック・デリダ、エミール・ファッケンハイム、テオドール・W・アドルノ、エマニュエル・レヴィナスらの哲学は、ホロコーストなしでは理解不能である。同じように、イムレ・ケルテース、ピョードル・ラヴィッチ、レイモンド・フェダマン、ホルヘ・センプルン、サラ・ノンベルグ=プルシティク、イダ・フィンク、ヘンリク。グリンベルグらの小説や短編、パウル・ツェラン、エドモン・ジャベス、イェジー・フィツォフスキの詩についても同じでああろう。今日、証言(テスティモニー)という分野が存在し、盛んであるのも、ホロコーストゆえと言ってよいだろう。最後に、「想起の文化」、文化遺産、過去を記憶し記念することで得られる癒し--こういったものに対するわれら西洋人の強迫観念も、ホロコースト認識が社会の中心的位置を占めるようになった事実と関連している。こういった流れについてこの本では、取りあげることができないが、私が述べることはこうした認識を背景としており、ホロコースト後の思想を採り入れたものであると、読者の皆さんは理解されるものと思う。この本はホロコースト史学の研究だが、私はよき歴史家というものは、さまざまな学問と思想の中から、この世界の意味を紡ぎだしてゆくものだと考えている。なぜなら人間がこの世に創りだすもの自体が歴史の一部でえあり、それゆえ歴史化しうるし、またそうせねばならないからだ。私の仕事は、哲学や文学論、人類学などに影響されており(またその知識があると信じたいが)、また学問としての歴史学は、さまざまな手法、史料、様式に対し心を開くときに最も効果があると信じている。それゆえこの本は複数形でHisitories of the Holocaust と題されている。その理由は、ホロコーストについてはたくさんの競合する(また補完し合う)記述が存在するためであるが(その主要な議論を私はこの本で紹介する)、また同時にこれからも満足のいく、単一かつ完全な記述など決してありはしないし、あるべきでもないからだ。現在、実に多種多様な研究が展開しているということ自体、何にでも単純にけりをつけたがる現代(モダン)(もしくは「ポストモダン」)文化に対する最も効果的な抵抗となるだろう。過去を「終わらせないこと」、常に変化し続けるということ、これこそが歴史家が貢献しうる人間のさまざまなあり方であり、こうして自由が広がるのだ。
    -ダン・ストーン(武井彩佳訳)『ホロコースト・スタディーズ 最新研究の手引き』白水社、2012年、17-18頁。

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ダン・ストーン『ホロコースト・スタディーズ』白水社、読了。ここ20年、ホロコースト史学は急速に発展したが、何から読めばいいのか。本書は「最新の研究の手引き」。筆者は加害と被害を真摯に取りあげながらも証言への敬意を忘れない。ホロコーストを総合的な視野で世界史のなかに位置づける試み。


ダン・ストーン(武井彩佳訳)『ホロコースト・スタディーズ 最新研究への手引き』白水社。出版社による内容紹介(目次含む)


 http://www.hakusuisha.co.jp/detail/index.php?pro_id=08237


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覚え書:「今週の本棚:湯川豊・評 『祖母の手帖』=ミレーナ・アグス著」、『毎日新聞』2013年01月13日(日)付。

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今週の本棚:湯川豊・評 『祖母の手帖』=ミレーナ・アグス著
 (新潮社・1680円)

 ◇生涯一度の恋に秘められた物語

 不思議な語り口で語られる、小さな中篇小説である。たどたどしい語り方にじれったくなったりするが、しだいに意外に深い奥行をもつ物語であることに気づくことになる。遠い、イタリアのサルデーニャ島に生きたひとりの女性の話である。

 語り方のいちばん大きな特徴は、祖母、そして祖父、父、母というふうに、家族関係の名詞で押し通されることで、語り手の孫娘「わたし」も含めて名前がつけられていないことだ。家族関係という濃密な場所から、濃密な女性が語り出される。

 そして、この「祖母」がまことに魅力的な存在なのだ。若い頃、井戸に身を投げたこともあるし、自傷癖もある。頭がおかしいのではないかと周囲から見られるが、「大きくて引き締まったおっぱいと豊かな黒い髪と大きな目」をもつ美女。村に疎開してきた、サルデーニャ島最大の町・カリアリの製塩所の社員だった祖父に求婚される。祖父を愛せないからイヤだ、と抵抗するが、曽祖父母の厳命によって結婚させられる。それが一九四三年、大戦末期のこと。

 この祖父というのがまた十分に変わっている。むりやり結婚したのだからといって、祖母のなすがまま。すなわち、祖母は背の高いベッドのなかで、できるだけ祖父から離れ、端っこのほうでちぢこまって寝る。祖父も同じように端に体を置き、祖母に触れない。四十すぎの男の欲求を処理するために売春宿にかよいつめ、祖母はそれをみとめている、というぐあい。

 あるとき、祖母は変心し、売春宿ゲームを自室でやることにし、祖父はそれを受け容(い)れる。激しい売春宿ゲームのようすがシンボリックに描写される。しかしゲームが終われば、二人ともまたそれぞれが端に行き「おやすみなさい」。ただし、ゲームの結果だろう、祖母は何度か妊娠するのだが、持病の腎臓結石による激痛がそのたびにきて、流産をくりかえす。

 最初に指摘したように、語り口は鮮明ではない。既に何冊かの長篇小説をもつアグスという女性の新鋭作家は、意識的な技巧としてたどたどしい語り方をしているのかと戸惑いつつ読み進むうちに、この祖母と祖父の奇怪な関係は、だんだん神話的な色彩を帯びてくる。巨(おお)きな人間の原型がゆったり動いているような。

 一九五〇年、医者のすすめによって、祖母は腎臓結石を治すために初めて本土の温泉に行き、療養生活に入る。そこで祖母は生涯一度の恋に落ちる。

 相手は第二次大戦に海軍将校として参加した「帰還兵」。戦争によって片脚を失ない、義足をつけている。この美しい男に祖母は一目惚(ひとめぼ)れし、「いちばん大切なもの」すなわち愛を抱き、かたときも離れない至福の日々を過した。そして、赤い縁取りのある黒い手帖(てちょう)に、その愛の記録を刻明に書きつけた。

 祖母はそれから九か月後に、男の子を出産した。それがわたしのパパだが、当然のことながら祖母に生涯一度の恋を聞かされつづけたわたしは、パパは「帰還兵」とのあいだにできた子ではないかと疑っている。祖母の手帖は失なわれていて真実は長く不明のまま。

 しかし、物語の最後になって、わたしの抱いたナゾは、どんでん返しふうに解き明かされる。それだけなら、よくある構図だ。この小説のすごみは、解かれたナゾの上に、祖母の存在という、より大きなナゾがかぶさってくることだ。それによって、人間という途方もなく暖かいものに触れたような感動がやってくる。イタリアに新しい文学の芽が生まれているのを知り、うれしくなった。(中嶋浩郎訳)
    --「今週の本棚:湯川豊・評 『祖母の手帖』=ミレーナ・アグス著」、『毎日新聞』2013年01月13日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130113ddm015070032000c.html


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覚え書:「書評:『ヴィジュアル版 国家と国民の歴史』 ピーター・ファタードー編」、『読売新聞』2013年01月06日(日)付。


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『ヴィジュアル版 国家と国民の歴史』 ピーター・ファタードー編

評・杉山正明(ユーラシア史家・京都大教授)
視覚で訴える多様性


 本書は、いわゆる世界史の教科書とはほど遠い。似て非なるものである。

 一見するとコンパクトなかたちで、ところが実は世界の主要各国の歴史と現在が随分と詳しく叙述され、その気になれば一気呵成
かせい
に世界史の根幹を見渡せる仕掛けになっている。これまでありそうでいて、意外になかった類いのユニークな企画本といったらいいか。

 採り上げられているのは28か国。通称ではエジプト、現在の正式な国名ではアラビア語で「ミスル」という古き国から、1948年の血なまぐさい戦争で“勝利”したとされるイスラエルにいたるまでの諸国が対象となる。それに対応して、各国からひとりずつ歴史学者が選抜もしくは依頼されて、合計28人。それぞれ全く独自のセンスと発想で、自国の歴史と国家観、アイデンティティーを綴
つづ
る。全体をある枠組に従って定型的に仕切り、統一的な叙述をおこなうという気は微塵
みじん
もない。

 その結果、当然のことながらテーマ・内容・書き方も、見事にてんでんバラバラ。しかし、かえってそれが各国の独自性を際立たせている。素朴に見えるが、その実まことに巧妙な編集戦略といっていいかもしれない。そもそも世界全体を統一的に述べるなどということが、どこかナンセンスなのだから。

 くわえて、各国・各時代の歩みを象徴する絵画・写真など200点を超える精選されたカラー図版が要所に配され、視覚的にも人類文化の多様さを見事に読者に訴える。ヴィジュアル版ならではの魅力である。

 日本は最後から3番目。その直前がイタリア、直後がドイツ、最後がイスラエル。この並びに「いわく」を感じる人もいるかもしれない。日本についての執筆者は成田龍一氏。戦争・女性・国民意識における記憶の役割など、いかにも近現代史家らしい文章となっている。末尾で東日本大震災に触れ、「日本におけるひとつの時代の終わり」と述べているのがまことに印象的であった。日本語版監修猪口孝、小林朋則訳。

 ◇Peter Furtado=イギリス王立歴史協会フェロー。

 原書房 5800円
    --「書評:『ヴィジュアル版 国家と国民の歴史』 ピーター・ファタードー編」、『読売新聞』2013年01月06日(日)付。

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http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20130107-OYT8T00980.htm


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「信教の自由を阻害する戦前的体質の根深さ」と「少数者の信教、思想、良心の自由に対する無神経さ」について

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 9月に開催都市が決まる2020年夏季五輪の東京招致の機運を高めようと、ロンドン五輪のメダリストらが6日、千代田区丸の内でイベントを開催した。

 新年にちなみ、ボクシング男子金メダルの村田諒太選手や、重量挙げ女子銀メダルの三宅宏実選手らは晴れやかな和服姿。会場の丸ビルに特設された「オリンピック・パラリンピック招致祈願神社」に、「2020年 強い日本を世界へ」「東京オリンピックをもう一度」などと書き込んだ絵馬を奉納、招致成功を祈願した。猪瀬知事も参加し、「五輪招致に成功すれば世界中から観光客が集まり、東京や日本の素晴らしさを海外へ伝えることができる」と述べ、近く行われる国際オリンピック委員会(IOC)の世論調査の際に、五輪開催に「賛成」と回答してほしいと改めて呼びかけた。

(2013年1月7日 読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyo23/news/20130107-OYT8T00048.htm

(魚拓1)
http://megalodon.jp/2013-0114-1738-33/www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyo23/news/20130107-OYT8T00048.htm
(魚拓2)
http://megalodon.jp/2013-0114-1739-25/www.yomiuri.co.jp/zoom/20130107-OYT9I00047.htm

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少し前の報道ですが、大事な問題なので、少しブログのほうにも残しておこうと思います。

1/6の19:00のNHKニュースでの報道を見た折り、「特設神社自体に聖性はないでしょうが、こうした形式での祈願が神社非宗教という雰囲気を醸成させてしまうのでは、と。うーむ」とツィートしました。
※NHKの報道(インターネット掲載のニュース)は既にリンク切れ、……ですので、上には『読売新聞』オンラインより紹介。

人間の精神にとってもっとも大切なものは何かと考えた場合、それは人間精神の自由ではないかと思います。そしてなかでも宗教は、精神の中核をなすものだけに、宗教を信じる自由(それは同じく宗教を信じない自由を含む)の否定は、その人の人格の全否定になってしまいます。

近代日本の歩みの一つとは、まさに信教の自由を容易に踏みにじってきた歴史であり、大日本帝國憲法による制限付きの「信教の自由」から日本国憲法による信教の自由の保障への転換は、時代を画するものであったといってよいかと思います。
※日本国憲法 第二〇条 「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。何人も宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

しかし、そこに生きる人間のメンタリティーを、ざっくりと戦前・戦後と見比べてみた場合、「転換」があったのかといえば、首肯するには難しさを覚えてしまうのは私だけではないでしょう。

そうした、戦前・戦中・戦後を貫く、信教の自由に関する日本人の「世間」的空気の圧倒的マジョリティの特徴とは何でしょうか。

恩師はそれを次の二点を指摘しました。すなわち「第一に、信教の自由を阻害する戦前的体質の根深さである」。「第二に少数者の信教、思想、良心の自由に対する無神経さ」の二つです。

(実際にそれは宗教儀礼であるにもかかわらず)慣習だから従って当たり前という同調同圧効果、そして、その同調を「頼みにして」、意識的な信仰者を奇異的現象と扱い、排除していこうとする傾向としてそれは現れてくるかと思います。

そして、その中核を担ったのが、神社神道の伝統であり、この神社をめぐる表象に、その無神経さが厚顔無恥としてわき出してくることは、戦後今でも同じではないかと思います。
※加えて言えば、宗教としての神社神道すらも、国家権力の犠牲者であるとは思いますが、それはここでの本旨ではないので横に置きます。

さて……。私はうえのニュースを見たとき、そら恐ろしいものを感じてしまいました。

それは、戦前の論理の延長線上にある、宗教であるにもかかわらず「神社」への「祈願」を、文化的事象として取り扱い、そこに収斂させていこうとする無神経さのことです。

神社への「祈願」は個々人の信仰としては成立しますし、それが制限されることには、私は大反対です。しかし、戦前の苦い思い出を想起すれば、それを信仰と受容せず、それを異にするような立場を、排除していくような圧倒的な雰囲気醸成には、違和感があるという話です。

私自身は、オリンピックの東京招致には否定的な立場であります。
しかし、都知事が音頭をとって、その「願い」をもとに出発しようとするのであれば、「特設神社」ですからそこには信仰というレベルにおける「聖性」はないでしょうけれども、こうした形式での祈願というスタイルが、神社非宗教論という雰囲気を当然なものとして受け入れよという空気を醸成してしまうものであることを踏まえるならば、手法に敏感になるべきではないでしょうか。

為政者たちが特定の道筋に全ての議論を収斂させていこうとする“なりふりかまわず”さの1つであり、まさに信教の自由に対する「無神経さ」の表れなのでしょうが……、こうした一つ一つの積み重ねが何かを形成するか想像すると、私自身は危惧してしまいます。

この手の話は、「まあ、どうでもよくね?」とか「考えすぎじゃねぇの?」って反応が多いのですが、極端に言えば、「まあ、どうでもよくね?」とか「考えすぎじゃねぇの?」と反応することも制限される出発点であることはお忘れなく……。


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 「町のヤスクニ」

 確かに新憲法による信教の自由の保障により、散発的なテロとみられる攻撃はあるが、戦前にみられた国家権力や公的権力による組織的な信教の自由に対する抑圧は大幅に姿を消した。しかしながら、この信教の自由を単に占領軍による一時的な押しつけとして、戦前の宗教のあり方を伝統的なよきものとする声も絶えない。
 なかでも顕著な動きは、靖国神社の国営化とも受け取られる政治的な活動であった。これは、必ずしもキリスト信徒にのみ限られた問題ではないので、ここでは、「町のヤスクニ」とされた事件をみておこう。
 前述の「神道指令」のあと、翌年一一月、連合軍最高司令部から「町内会、隣組による神道の後援及び支持の禁止」の通達が出された。これは、日本の太平洋戦争の推進に、思想的に大きな役割を果たした国家神道、神社神道の下部組織として、町内会や隣組を、今や一宗教にすぎない神道からの独立を図るためであった。ところが、神社が地域共同体と深い関係にあって、地域共同体がそのまま地域の神社の氏子とされていたところでは、この通達は徹底しなかった。一時的には通達を念頭においていた地域でも、占領時代が終わると旧に復した。
 一九五五(昭和三〇)年、浜松市に教員として移り住んだ一キリスト信徒は、その町内に設けられていた自治会に加入したところ、町内の神社の祭りが、その自治会によって営まれ、自治会員は祭りへの参加をなかば強制されるほか、祭典費用も自治会費に含まれることに疑問をもつ。一般の住民は、それが戦前からの慣習であったから、「つきあい」として受け入れていた。
 そのキリスト信徒は、機会のあるたびに自治会の役員に、そのようなことが信教の自由に反することを語るが反応がないまま時が過ぎる。とうとう自治会の役員会に呼び出され、会の方針を受け入れないならば退会するように迫られた。キリスト信徒は、心ならずも自治会に退会届を出さざるをえなくなる。一九七三(昭和四八)年のことであり、この間一八年という歳月が過ぎていた。
 自治会を退会するということは何を意味するのか。それは自治会を通じて行われてきた広報紙の配布や回覧板による案内の停止だった。健康診断の案内もゴミの収集カレンダーも受け取れなくなる。キリスト信徒は、前もって困る事態を予想して市当局に不利益を与えない処置を依頼していた。ところが、悪い予想は的中して不利益をこうむる事態が生じた。
 自治会がそのまま特定の神社の維持団体であることは、その自治会は宗教団体になる。そうであるならば、特定の宗教団体に公金を支援として支出している市当局は政教分離の憲法違反を犯していることになる。そのうえ、靖国神社への遺族の参拝にも補助金が支出されていることが判明。キリスト信徒たちは市に対して監査請求を提出した。
 ところが、これも却下されてしまい、最後の手段として「浜松市自治会補助損害賠償請求等住民訴訟」と「浜松市靖国神社参拝費補助損害賠償等住民訴訟」を静岡地方裁判所に提出した。第一回公判が予定されていたところ、浜松市および自治会連合会側に変化が起こる。それが原告側の要求にほぼ応じた変化であることを確認、一九七四(昭和四九)年一〇月二三日に両者は覚書を交わして告訴は取り下げられた(溝口正『自治会と神社 --「町のヤスクニ」を糾す』すぐ書房、一九七五)。
 この事件からわかることは、第一に、信教の自由を阻害する戦前的体質の根深さである。第二に少数者の信教、思想、良心の自由に対する無神経さ、それにもかかわらず第三に、憲法の規定が最後のとりでになった点である。
    --鈴木範久『信教自由の事件史 日本のキリスト教をめぐって』オリエンス宗教研究所、2010年、236-238頁。

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覚え書:「今週の本棚:哲学の練習問題=西研・著」、『毎日新聞』2013年01月13日(日)付。


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今週の本棚:哲学の練習問題=西研・著
(河出文庫・798円)

 かつて同タイトルで毎日新聞文化面に連載され、1998年に刊行された本を文庫化したものだが、構成を一新。全体の3分の1が新たに書き下ろされた「大増補版」である。
 「生まれ変わりは証明できるか」「宇宙に果てはあるか」「他人と『わかりあえない』と思うのはなぜ」といった素朴な疑問に、できるだけ難しい言葉を使わずに答えるスタイルは原著と同じ。哲学になじみのない読者も自然と哲学史のエッセンスに触れ、「物事を根底から考える」哲学の思考法を知ることができる。
 筆者はフッサールの研究者。本書も「普遍性」を志向する現象学のアプローチが基本になっているが、背景にはきわめて現代的な問題意識がある。たとえば著者は哲学の動機として、(イスラエルとパレスチナに見られるような)世界像をめぐる信念の対立を「解きほぐして相互理解を進めたいという願い」を強調する。大幅に加筆された「社会正義」に関する考察などにも、現象学の方法への信頼がにじみ出ている。
 川村易による独特な味わいの「考えさせる」イラストも多く描き加えられ、その面での楽しさもパワーアップした。(壱)
    --「今週の本棚:哲学の練習問題=西研・著」、『毎日新聞』2013年01月13日(日)付。

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我が宿は 雪降りしきて 道もなし 踏みわけてとふ 人しなければ

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我が宿は 雪降りしきて 道もなし 踏みわけてとふ 人しなければ 読人知らず
    --三二二、「巻六 冬歌」、『古今和歌集』。

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2013年初の東京での降雪。

記録的に写真で少し残しておこうかと思います。

東京都・小平市周辺の様子ですが、15cmぐらいつもっています。


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書評:柴原三貴子『ムスリムの女たちのインド 増補版』木犀社、2012年。


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 幼いころ両親を亡くし親戚の家で育った夫と結婚したチャビーラおばさんは、舅や姑との関係に苦労しなかった代わりに、夫が親から受け継ぐ農地も住む家もなかった。マクドゥミアを家に建てるだけの小さな土地を買い、ボンベイで働く夫の帰りを待ちながら、男三人、女三人の子供を育てた。
 誰もが銀行などの口座を持つわけでなく、現在でも村へ確実に送金するのは難しいインド。夫が村へ戻ったときに渡されたお金が底をつくと、彼女は近所の農家の手伝いをして食いつないだ。子供だけに食べさせて、自分ひとり空腹のまま布団にはいる日も少なくなかったそうだ。
 その当時、チャビーラおばさんを助けたのは、同じマクドゥミアに住むサーヴィトリーディーディーだった。ディーディーというのは、目上の女性への敬称で、歩いて三十分ほどの小学校で長年教師をしている彼女を、村の人たちは親しみと尊敬を込めてディーディーと呼んでいる。いつも趣味の良いサリーを、きれいに着付けている彼女が村を歩くと、子供たちの「ディーディー、ナマステー!」という元気が声が響く。
 ディーディーの家は、ブラフマンというヒンドゥーの上位カーストに当たる。彼女は十代で結婚したが、子供をもうける前に離婚してマクドゥミアの実家に戻り、その後再婚せず、ずっと教師を続けてきた。
 この村に限らず、周辺のむらむらには、ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒が、その割合の差はあれ、交じり合って住んでいて、ディーディーの家は私がお世話になっている家と直線にすると数十メートルしか離れていない。
 完全に菜食のディーディーの家、豚以外の肉を食べるムスリム、豚を家畜として放牧しているカーストの違うヒンドゥー教徒、小さな村にさまざまな食習慣、服装、宗教を持つ家々がひしめき合い暮らしていることに、私は初め本当に驚いた。アヨーディヤーにある「バーブルのモスク」はもともとヒンドゥー教のラーマ寺院があった土地だと主張する暴徒が、モスクを破壊したことに端を発し、インド各地で多数の死者を出す大規模な暴動に発展した一九九二年のアヨーディヤー事件は、ヒンドゥーとムスリムの対立面ばかりが強調され、報道されていた。しかも、マクドゥミアとアヨーディヤーは五十キロメートルほどしか離れていないこともあり、両教徒は住み分けているものだとばかり、私は思い込んでいたのだった。
 村では、ムスリムの子供たちはヒンドゥーの目上の人には「ナマステー」と挨拶し、フセイン氏の両親はマッカ(メッカ)巡礼を終えた人として尊敬を受けていて、ふたりに対しては、宗教に関係なく村の誰もがイスラーム式の挨拶をする。
 そして、隣人を不快にさせない気遣いは自然で、細やかだ。たとえば、ムスリムの家で肉を調理するときはいつも開け放しの玄関を閉め、菜食の人びとがふいに訪ねていやな思いをしないようにする。また、どこで誰と擦れ違ってもいいように、肉を近所のムスリム同士で分けるときは器を布で覆う。豚を家畜にしている人は、豚がムスリムの敷地にはいらないように注意して放牧している。
 生まれたときから異なる宗教や習慣と並んで、穏やかに暮らす知恵や気遣いを身につけてきた村の人びとと接していると、「都市部で暴動があっても、村の中にいれば安心だから、九二年の暴動のときにはデリーに住む家族を村へ疎開させようかと本気で考えた」と、友人のフセイン氏が以前語っていた言葉が理解できるのと同時に、外国人を見たこともなかった人たちが、私を村の一員としてとても自然に受け入れてくれたことにも納得がゆくのだった。
柴原三貴子『ムスリムの女たちのインド 増補版』木犀社、2012年、64-67頁。

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柴原三貴子『ムスリムの女たちのインド 増補版』木犀社、読了。本書は1999年の秋から1年間、写真家の著者がインド北部の小さな村で村人と一緒に生活した記録である。人柄のしばれる文章と眼差し、そして数々の写真は、現地の女性たちの優しさや愛情、暮らしぶりをを生き生きと描き出す。

世界中で最も宗教間対立の激しい地域がインドである。そのインドにはカースト制度が存在し、ムスリムの女性は自由ではない。それはイエスであり、同時にノーである。私たちは一つの言葉に対して一つのイメージを抱きがちだが、それが全てではない。本書はそのことをそっと教えてくれる。

確かに宗教間対立は存在し、カーストや女性の自由の問題は歴然と存在する。しかし、そのなかで、人種や宗教の違いに囚われない人々も存在する。誇大でも貶下でもない庶民の息遣い。本書は画一的なイメージを一新してくれる。

筆者は本書を執筆後、ムスリムの男性と結婚する。「私は普通の日本人よりもイスラーム教を知りすぎてしまっていた。教義をきちんと守れないことは自分が一番分かっている」。そのときの知人の説得が面白い(増補版終わりに)。

「あなたは無神論者ではないでしょう? あなたが信じる神にアッラーという名前を付ければいいだけなのよ。改宗してから、礼拝をするとか断食をするとか巡礼へ行くとかは個人の判断なのだから、やってもやらなくても誰も文句は言いません」と。

「単眼的なアプローチは、世界中のほぼすべての人を誤解するには、もってこいの方法となるだろう」と指摘するのはインド出身の経済学者・アマルティア・セン。認識を新たにする一冊です。了。


国際交流基金のwebに著者のインタビュー→ http://www.jpf.go.jp/jfsc/topics/fr-0805-046.html


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……女性でも男性でもイスラーム教徒と結婚するならば、原則として相手がイスラーム教に改宗しなければ結婚できない。私はムスリムになるつもりはなかった。何も知らないほうが簡単だったかもしれないが、私は普通の日本人よりもイスラーム教を知りすぎてしまっていた。教義をきちんと守れないことは自分が一番分かっている。
 「あなたは無神論者ではないでしょう? あなたが信じる神にアッラーという名前を付ければいいだけなのよ。改宗してから、礼拝をするとか断食をするとか巡礼へ行くとかは個人の判断なのだから、やってもやらなくても誰も文句は言いません」と、Kさんは私を説得する。これが切り札とばかりに「私は今年三十九歳になります。子供ができるかどうか分かりません。甥御さんは一人息子だし、後継ぎを残せないのは困りますよね」と言うと、「私の知り合いに十七歳で結婚して子供のいない人もいる、子供を授かるか授かれないかはアッラーが決めることで、結婚してみないと分からないでしょ?」と返してくる。私はかなり形勢が不利になってきた。
    --柴原三貴子「増補版終わりに」、『ムスリムの女たちのインド 増補版』木犀社、2012年、286頁。

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覚え書:「みんなの広場 9条改正『72%が賛成』に衝撃」、『毎日新聞』2013年01月09日(水)付。

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みんなの広場
9条改正「72%が賛成」に衝撃
無職 70(大分県杵築市)

 本紙によると、新しい衆院議員の72%が憲法9条改正に、78%が集団的自衛権公使に関する集団的自衛権行使に関する憲法解釈の見直しにそれぞれ賛成だという。衝撃的な数字だ。
 私はベトナム戦争の時に自衛隊を派遣せずに済んだのは9条があったからだと考えている。イラク戦争時に自衛隊の現地での活動が「人道復興支援」にとどまったのも9条が歯止めになったと判断している。
 そして、安倍晋三首相が狙う集団的自衛権行使の容認は、極めて危険だ。私は、これを認めたら、同盟国の米国は時刻が関係する戦争や紛争に自衛隊を派遣し、戦闘行為への関与を求めてくるとみる。首相が前回在任時に挙げた「公海における米艦防護」など間接的な対応ではなく、自衛隊が敵軍と直接戦火を交える事態も予想される。貴重な命が失われはしないか。
 夏の参院選で自民党が勝てば、安部首相は動きを加速させるかもしれない。国民は動向を監視しなければならないし、マスメディアは立ち位置が問われる。
    --「みんなの広場 9条改正『72%が賛成』に衝撃」、『毎日新聞』2013年01月09日(水)付。

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覚え書:「田中角栄―戦後日本の悲しき自画像 [著]早野透 [評者]後藤正治」、『毎日新聞』2013年01月06日(日)付。

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田中角栄―戦後日本の悲しき自画像 [著]早野透
[評者]後藤正治(ノンフィクション作家)  [掲載]2013年01月06日

■「戦後」を映し出した政治家
 田中角栄が世を去って20年がたつ。総理番、派閥番、地元の新潟支局勤務などを通してこの政治家に至近距離で接してきた元政治記者による評伝である。描いてきた角栄像に、よりくっきりと輪郭を与えてもらった感がある。
 なによりも戦後という時代の政治家だった。戦争だけは嫌、生活を豊かに--戦後社会が目指した国民的黙契であるが、イコールそれは「ひたすら具体」「実利実用」「現世利益」という角栄の思考と志向にぴったり重なっていた。卓越した馬力で政界の頂点へと上り詰めていく。
 ロッキード裁判の被告席にあった時期、著者は志願して新潟勤務につく。角栄王国の構造を知りたく思ってである。旧社会党の支持層までが越山会の熱心な会員となっていた。道路、橋、トンネル……利があった故であるが、それだけではない。「地方」「裏」「雪」……踏みつけられてきた側の情念と「化学反応」を起こしたが故に王国は形成されたのだった。
 実利は「自身の実利」にも結びついていた。地元の柏崎・刈羽。地域に交付金を落とす電源3法によって当地は原発集積地になったが、用地売買にかかわって5億円が刈羽村長より角栄邸に運び込まれたという証言も記されている。明の角栄も闇の角栄も、ともにこの政治家のもつ顔だった。
 人・田中角栄は魅力的な人だったと思う。「百日の説法屁(へ)ひとつ」「男にとって女は砥石(といし)(苦労して磨かれる)」「おれは木魚だな(叩〈たた〉かれ役)」など、遺(のこ)された語録にもその一端がうかがえる。
 副題は「戦後日本の悲しき自画像」。角栄の姿は、戦後の日本社会をそのまま映し出していたという意であろう。その通りだと思う。いま角栄の娘や弟子たちもパワーを失いつつある。比較して器量の差は歴然としていた。「黙契」も「人」も定かに見えぬポスト戦後の日々である。
    ◇
 中公新書・987円/はやの・とおる 45年生まれ。元朝日新聞記者。桜美林大学教授(政治ジャーナリズム)。
    --「田中角栄―戦後日本の悲しき自画像 [著]早野透 [評者]後藤正治」、『毎日新聞』2013年01月06日(日)付。

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http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013010600009.html

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覚え書:「広島・長崎市長から手紙 ’13冬 新しいリーダーたちへ」、『毎日新聞』2013年01月09日(水)付。


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広島・長崎市長からの手紙 ’13冬
新しいリーダーたちへ

 原発の安全神話が崩れ果てた今、核抑止力の安全神話が問われている。被爆地・広島と長崎の両市長は、核兵器による抑止力を強く懸念し、人類が生存していくには核廃絶しかないとの思いを手紙にしたためた。2013年の新年にあたり、松井一実。広島市長と田上富久・長崎市長からのメッセージを紹介したい。

広島 松井一実市長
核は絶対悪と認識を

 我が国では昨年末に新しい政権が誕生しました。折しも昨年は、核保有国であるロシア、北朝鮮、フランス、中国などでも新しい指導者が登場し、アメリカではオバマ大統領がまもなく2期目のスタートを切ろうとしています。しかるに核保有国の為政者たちは、私たちの生きる世界を将来にわたって平和で安全なものにしようと考えているでしょうか。
 核兵器廃絶を求める被爆地の願いとは裏腹に、今なお世界には2万発もの核弾頭が存在し、「核兵器なき世界」を掲げたオバマ大統領でさえ核実験を繰り返しています。
 私は、このような現実を見るとき、世界の為政者たちこそ、核兵器は非人道的な兵器であり「絶対悪」であると認識しなければならないと考えています。そのためにも、為政者たちには、ぜひ、被爆地を訪問してほしいと思います。
 昨年、国連で発表された「核兵器を非合法化する努力の強化」を促すための共同声明について、唯一の被爆国である我が国が参加を見合わせたことは、被爆地として納得できるものではありません。とはいえ、我が国は、声明の根柢にある、核兵器が非人道的なものであることは認めているところであり、今後、核兵器廃絶を推進する関係国との連携を一層進めていくなかで、被爆地の思いを共有することを強く期待しています。
 被爆者をはじめ被爆地の市民は、原爆による破滅的な被害に苦しみながらも、その惨禍が決して繰り返されないよう核兵器廃絶を訴え、発信し続けてきました。この思いを広く共有していくための鍵は、つらく悲しい経験を踏まえ、地球上のすべての市民が未来に向けて相互理解を深めていくことにあります。その思いを胸に、被爆地広島の市長として全力で努力していく所存です。
 今なお、原爆の後障害に苦しんでいる多くの被爆者にとって、そして平和を願うすべての人にとって、この1年が明るく幸せな年となるよう心から願っています。

長崎 田上富久市長
廃絶が唯一の選択肢

20世紀は「戦争の世紀」と言われています。その20世紀の半ばに、米国で3個の核兵器が製造されました。そのうちの1個は実験に使われ、2個が広島と長崎に落とされたのです。核兵器を持ってしまった人類の歴史の始まりでした。
 いま21世紀の歴史をつくろうとしている核兵器保有国のリーダーの皆さんに、あらためて先入観を取り除いて直視してほしいことがあります。
 一つは、核兵器が人間にもたらす現実です。原子雲の下で起きた事実を知るために、ぜひ被爆地を訪れ、被曝の傷痕を見て、被爆者と話をしてください。
 二つ目は、核兵器の存在が世界を危険にさらしているという現実です。核兵器の抑止力理論に頼っている間に、核兵器を持つ国、持とうとする国が次々に出現し、それをなかなか阻止できない状況が続いています。国際テロ組織が核兵器を入手し、世界を人質に取る可能性も高まっています。
 最後の一つは、政府の力についてです。グローバル社会の中で、政府は簡単にお金と情報の流れをコントロールすることができない時代になりました。しかし、幸いにも世界から核兵器をなくす力を持っています。そのために必要なのは、核兵器保有国のリーダーの強い政治的な意思です。
 数多くのハードルを越えなければならない困難な道のりであることは間違いありません。しかし現実を直視するとき、廃絶だけが持国と世界を危険から守る唯一の選択肢であること明らかです。そして、各国のリーダーとしてそれを支持する多くの国民によって、“持ってしまった核兵器”をなくすことができれば、それは21世紀に、地球温暖化、貧困、飢餓など世界の課題の克服への扉を開くことにもなるはずです。
    --「広島・長崎市長から手紙 ’13冬 新しいリーダーたちへ」、『毎日新聞』2013年01月09日(水)付。

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覚え書:「われらが背きし者  [著]ジョン・ル・カレ [評者]小野正嗣」、『朝日新聞』2013年01月06日(日)付。

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われらが背きし者  [著]ジョン・ル・カレ
[評者]小野正嗣(作家・明治学院大学専任講師)

■スパイ小説、語りに仕掛け
 オックスフォードの元教員ペリーは彼の恋人で弁護士のゲイルと訪れたカリブ海のリゾート地で、ロシア人の富豪ディマからテニスの試合を申し込まれる。だが、武装した護衛に守られ、5人の子供たちと信心深い妻と暮らすこのディマの真の目的は、テニスの試合ではなかった。
 ロシアの犯罪組織の幹部でマネーロンダリングの専門家であるディマからメッセージを託されたペリーは、英国諜報(ちょうほう)部に接触する。彼は恋人を危険な企てに巻き込みたくないが、ディマの美貌(びぼう)の娘ナターシャの秘密を知ったゲイルは、ひるむことなくペリーと行動を共にする。そしてこの二人を、一匹狼(おおかみ)的な諜報部上級職員ヘクターが腹心の部下らとバックアップする。
 ディマが組織を裏切り、命を賭してまで伝えようとする国際金融市場に関する情報とは? この情報の信憑(しんぴょう)性をめぐって諜報部内に生じる対立の行方は? 
 思えばスパイ小説ほど不自由なものはない。国家に脅威をもたらす謎が提示され、その解明が秩序の回復をもたらすというパターンを踏襲せねばならないのだから。にもかかわらず、ル・カレがこれほど〈読ませる〉のはなぜか?
 語りに多くの仕掛けがなされているからだ。前半に多用される回想シーンは、先を急ごうとする読者の好奇心をかき立てる。登場人物たちもまた、主人公のペリーとゲイルに劣らず、個々の犯罪者、諜報部員が、内的な苦悩と葛藤とともに立体的に造形されている。冒頭とクライマックスで重要な役割を果たすテニスの試合など、細部が実に有機的に連動している。
 だが冷戦期に国家間の対立を軸に発展したジャンルであるスパイ小説は、国家が脱領域・脱中心化されたグローバル市場時代のいま、どのような結末を持ちうるのか? それが一国家の秩序の回復という終点に〈着地〉できるはずがないのは明らかである。    
    ◇
 上岡伸雄、上杉隼人訳、岩波書店・2730円/John le Carre 31年生まれ。『寒い国から帰ってきたスパイ』。
    --「われらが背きし者  [著]ジョン・ル・カレ [評者]小野正嗣」、『朝日新聞』2013年01月06日(日)付。

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http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013010600016.html

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<中立的なもの>に惑わされた<渇望>によって、哲学は解雇される


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 <中立的なもの>の哲学に属する思想の運動はその起源と影響とにおいてさまざまであるけれども、哲学の終焉を告げる点で一致している。その運動は、いかなる顔も命じることのない従属を称揚するものであるからである。前ソクラテス期の哲学者たちに対して啓示されたと言われる<中立的なもの>に惑わされた<渇望>によって、哲学は解雇される。あるいは欲求として解釈された渇望、したがってまた活動の本質的な暴力に帰着する<渇望>が哲学を解雇してしまい、渇望は芸術や政治においてのみ自己満足することになる。<中立的なもの>の称揚は、《私》に対して《私たち》が先行し、状況内の諸存在に対して状況が先行しているというかたちをとって主張されることもある。
    --レヴィナス(熊野純彦訳)『全体性と無限(下)』岩波文庫、2006年。

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1906年の今日(1月12日)は、エマニュエル・レヴィナス(Emmanuel Lévinas)師がリトアニアのカウナスでお生まれなさった日です。

思想を一変させる根源的思索は、今世紀に入ってから、いやまして輝きを強くするばかりです。

今年も師の残されたテクストを丁寧に学んでいきたいと思います。

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覚え書:「異論反論 働く母親の立場は厳しいままです=城戸久枝」、『毎日新聞』2013年01月09日(水)付。

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異論反論
働く母親の立場は厳しいままです
寄稿 城戸久枝

共働きしやすい環境整備を

 2歳になる息子と散歩をしていたとき、見知らぬ高齢の女性に声をかけられた。「一人っ子はダメよ。もう一人、産んじゃいなさい。亡くなったら悲惨よ」
 唐突な話に少々驚いたが、彼女が87歳と聞いて納得した。戦争や戦後の混乱期を20歳前後で生き抜いた世代だ。彼女にとって、子供の死は今よりずっと身近だったろう。今は老人ホームで暮らしている彼女も、あるいは子供を亡くした経験があるのかもしれない……。軽やかな足取りで去っていく後ろ姿を見つめながら、私は複雑な気持ちになった。
 私は34歳で第1子を出産した。もうすぐ37歳。40歳を前にして、2人目を望んでいないわけではない。ただ、妊娠・出産となると、体力はもつか、経済力は保てるか、そして仕事はどうなるのかなど、さまざまな不安が付きまとう。
 少子高齢化が進むなか、第1子の出産平均年齢は30を超えている。国立社会保障・人口問題研究所の第14回出生動向基本調査(2010年)によると、結婚年齢が高くなると夫婦の平均出生子供数は低下している。妻の結婚年齢が20~24歳の風では、平均出生子供数が2・08人、30~34歳では1・50人だという。
 国はさまざまな少子化対策を打ち出しているが、その効果が数字として表れていないように思う。例えばワークライフバランスといっても、社会がそれを受け入れる体制が整っていなければ実現は難しい。
 出生数は年々減少しているが、必ずしも第2子、第3子を望まない夫婦が多いとは限らない。私の周囲にも経済的な理由で第2子、第3子を断念している夫婦もいる。経済的不安を解消するためにも夫婦共働きは推奨されるはずだが、日本の働く母親の立場は相変わらず低い。子育てをしながら働く日本の女性と男性との給与格差が、先進国で最大だという経済協力開発機構(OECD)の報告が、働く母親の置かれた厳しい現状を表している(昨年12月18日付毎日新聞夕刊)。
 1日付で厚生労働省が発表した人口動態統計の年間推計によると、2012年の出生数は103万3000人と、戦後最小となる見込みである。人口の自然増減は21万2000人のマイナスである。高齢化は進み、人口の減少はさらに加速することは目に見えている。新政権には、経済対策とともに、子育てをする女性が働きやすい環境を整える政策を早急に立てることを望む。

「夢も希望もなく、手当で子供を増やすのは難しい」
 正月に帰省した際、中国で生まれ育った父に少子化について訪ねると、こう返ってきた。
 「昔は貧乏であってもある程度の余裕と夢があった。子宝は財産よりいいという考えもあった。夢も希望もないのに手当だけで子供を増やそうとしても難しい」
 新しい年を迎えた。日本はこれからどこに向かうのか。子供たちの明るい未来につながる1年となることを願う。
きど・ひさえ ノンフィクションライター。1976年愛媛県生まれ。帰省の際の子連れでの飛行機は無事、乗り切った。「今年は、これまで重ねてきた取材を形にしていきたい。今年もよろしくお願いします」
    --「異論反論 働く母親の立場は厳しいままです=城戸久枝」、『毎日新聞』2013年01月09日(水)付。

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覚え書:「書評:戦後沖縄と米軍基地―「受容」と「拒絶」のはざまで [著]平良好利 [評者]中島岳志」、『朝日新聞』2013年01月06日(日)付。

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戦後沖縄と米軍基地―「受容」と「拒絶」のはざまで [著]平良好利
[評者]中島岳志(北海道大学准教授・南アジア地域研究、政治思想史)


■固定化を進めた奇妙な連携
 沖縄の米軍基地問題には、多様な主体が絡まる。立場の異なる住民、沖縄の政治リーダー、日本政府、そしてアメリカ。複数の思惑が交錯する中、米軍基地は残存し、現在に至る。問題の枠組みが構造化したのは27年間のアメリカ統治時代。この時期にいかなる交渉が繰り広げられ、基地の固定化が進んだのか。
 本書が主に追及するのは、沖縄の政治リーダーの行動である。1950年代に住民が直面したのは、土地代金の問題だった。米軍は既存の基地継続と共に、敷地の拡張を進めたが、その土地の多くは私有地や市町村有地だった。米軍は代金一括払いによる買い上げを計画したが、住民は猛反発。反対運動が激化する。
 ここで沖縄の政治リーダーがとった行動は、基地撤退要求ではなく、一括払い政策の廃止と賃貸料の増額の訴えだった。彼らの基本的スタンスは基地の整理縮小であって、全面撤去ではなかった。沖縄の基地関連収入は日本復帰間際になっても約45%を占め、基地なしでは住民の生活が立ち行かない状況に陥っていた。
 政治リーダーの要求は、日米安保継続を基調とする日本政府の思惑と適合的だった。本土の政治家・官僚は沖縄の声を巧みに代弁し、日本復帰に向けた対米交渉を進めた。
 これは、結果的にアメリカにとっても好都合だった。沖縄の施政権返還に応じることで、アメリカは懸案だった経済的・行政的負担から解放された。しかも、基地は従来通り存続。以後、住民の要求は日本政府に向けられるようになった。基地の固定化は、沖縄側と日本政府、そしてアメリカとの奇妙な連携によって進んでいったのである。
 「受容」と「拒絶」のはざまで葛藤し、利害を調整していった沖縄のリーダーたち。著者は、その懊悩(おうのう)の声を丁寧に追い、歴史のパズルを埋めていく。その静謐(せいひつ)かつ情熱的な筆致に、胸を打たれた。
    ◇
 法政大学出版局・5985円/たいら・よしとし 72年生まれ。法政大学非常勤講師。
    --「書評:戦後沖縄と米軍基地―「受容」と「拒絶」のはざまで [著]平良好利 [評者]中島岳志」、『朝日新聞』2013年01月06日(日)付。

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http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013010600012.html

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私は……自国内では、潜在的にあるいは実際に暴力的になりかねない多数派の一員です。

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 私はバラモンで、バラモンとして生まれ、すなわち上層カーストとして生まれ、先に述べた通り、潜在的に暴力的な--すべてのヒンドゥー教徒が暴力的なのではありませんが--それでも自国内では、潜在的にあるいは実際に暴力的になりかねない多数派の一員です。私は非常に普遍主義的で反カースト主義的な両親に育てられました。現在は合州国の非常に権威ある大学で教えています。私が「私の」あるいは「私のもの」と言うときには、非常に慎重であるべきですし、また確かに慎重であると思います。そういう言葉が思い浮かぶとき、私は即座に何が問題であるかを考えるのです。愛するものを自分のものだと言えないこと、これが権力ブロックに同一化されるときに起こることなのです。松本さん、愛がなくなってしまったのではありませんが、ただ私は、知的なプロジェクトを愛の上に築くことはできないだけです。合州国や英国では、私のような人たちが少数派として、多数派が自分たちを理解してくれないと不平を言いたくなる誘惑は、非常に強いものです。そういった誘惑に「否」と言ったために私は苦しみ、私を支持してくれる人もありません。あなたは私に大変重要な質問をしてくださいました。同じ答えの二つの側に立ちつつ、これからも友達であり続けましょう。
    --G・C・スピヴァク(中井亜佐子訳)「他のアジア」、鵜飼哲監修『スピヴァク、日本で語る』岩波書店、2009年、153-154頁。

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新年初日の授業は、Humanismusの系譜について少々お話をしました。哲学の要といってよいStudia humanitatisと切っても切り離すことのできない問題になるのでホントは、丁寧にやるべきなのですが、時間の都合もあり1コマだけになり、申し訳ない次第です。

さて、要の東西を問わず共通していることは、人間は教養(←それが何かについてはひとまず措きますが)を深めること、そして人間同士の切磋琢磨によって、人間性は涵養されるという発想ではないかと思います。

そして、前者においては、論語読みの論語知らずに、そして後者においては、本来お互いの精神を真摯に磨き合う対話といったものが知的遊戯に陥ってしまうというのも、東西に内包された問題ではないかと思います。

ともあれ、人間を大切にしようという発想は、人間の歴史そのものといってよいのですが、現実には、人間を大切にしょうという発想のもとに、人間自身が台無しにされてきたのもその歴史であると思います。

それについては、様々な理由を挙げることができると思いますが、ひとつは、その人間を、いわば、“どう設定するのか”ということと密接に繋がっていると思います。すなわち人間/非人間という二項対立の問題のことです。

カントは、『純粋理性批判』において、哲学とは何かという問いに対して「人間とは何か」という探究であると応えました。確かに、あらゆる思想・宗教は「人間とは何か」という問いを探究し続けます。しかし、それを定義することはある意味では不可能であるし、人間とはいったんなんらかの形で「定義」されてしまった瞬間に「非人間」という存在を不可避に設定することにもなってしまいます。
※勿論、だからといって、その問いの探究なんて「無駄だ」というのは早計ですが。

もちろん、それは思想の話ですよね?といわれてしまえば、そうですけれどもと思いますが、簡単にそうも言い切れないのが人間の歴史ではないかと思います。一方に「人間」なるものが存在し、一方にいわば、人間「未満」のような存在を設定するから、暴力や支配というものが容易に容認されてきた……。だとすれば、アカデミズムや思想や宗教だけに限定されるものでもないということが容易に分かるのではないかと思います。

その意味では、Humanismusの系譜を学ぶとは、同時に「人間とは何か」を学ぶという事柄にほかなりませんが、自分とは何であって、他者とは誰であってということを学ぶこともでもあり、絶えず生活者として「二項対立」を不断に退けていく意志を身につけていくことではないかと思います。

まあ、たった90分でしたが、簡単に「人間主義大事だよね」とみなさんは仰いますが、「人間主義は大事」だけれども「その対象となる人間は、こういう人間であって、こういう人間は、人間主義の対象にはならないんだよねw」などとはなって欲しくないとは思います。


さて、以下はおとといの連続twのまとめですが、これも考えるヒントになると思いますので、少し併載しておきます。まあ、市井の職場でのクレームのお話。

1.「責任者だせ」で1時間、お話を伺っておりました。今回の場合、こちらが百%悪い。誠心誠意お詫びし続けた。詳しくは措きますが接客クレーム。どうして最初に「申し訳ございませんでした」の一言が出てこないのだろうか。確かに焦りはあったと思うのだが。ともあれ案件クローズでほっ、ともかく疲れた

2.私は素直さや熱心さが最高の美徳だとは言い切れないと思うし、同時に全てが策戦で片づくとも思わない。しかし、たいていの場合、こちらに不始末があった場合は、先ず「申し訳ございませんでした」が筋なのではないか。勿論どちらに由来しようがいいと思う。

3.「ああ、それは氏家さん、もう企業の奴隷の発想ですよ乙」とかいわれてしまうともう二の句を継げることができないけど、馴化されることと、理解してそう振る舞うことは同義ではない訳だしねえ。ともあれ、あたまがまっちろになったっていうのをしりぞけることも大事なんだけどね。

4.ともあれ、くたくた。こちらが悪いし、仕事なので仕方ないけど。しかしなんだ。テレオペの仕事もそうだったけど、結局は一番ボコボコにされるのは、当事者ではないつうかほんちゅうか。だから、twなんかで電凸拡散♪みたいのを見るとぞっとする。効果あるのか? ホント呪いの時代(内田樹)だ。

5.ただ、同時に、……そしてこれは僕が慈悲深い訳でもなく(ってみなさんご存じですが)……、ああ、だからそういう呪いをかけてくる人間は、もはや人間ではないから、ぶっ殺してもよいっていうような脊髄反射だけは絶対に退けていかないといけないと思っています。

以上。

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覚え書:「今週の本棚:〈3・11〉忘却に抗して 識者53人の言葉=毎日新聞夕刊編集部・著」、『毎日新聞』2013年01月06日(日)付。

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今週の本棚:〈3・11〉忘却に抗して 識者53人の言葉
毎日新聞夕刊編集部・著
(現代書館・1785円)

 1923年の関東大震災直後、総合雑誌『改造』は、同年10月号の表紙に「大震災号」と刷り込んだ。山本有三、武者小路実篤ら時代を代表する作家が、この天災を生々しい筆致で論じた。たとえば芥川龍之介は渋沢栄一らが唱えた〈調子づいた日本人に天が下した警鐘〉だとする天譴論に対して、こんな「不公平」な天罰などない、と憤った。、同時代の知識人が震災とどう向き合ったのかを、残さなくてはならない--。そんな編集者の気迫が伝わってくる。
 東日本大震災から約1年間にわたって、震災、原発事故について知者たちの問い続けた記事をまとめた本書も、この『改造』特集号と同じベクトルの延長上にある。登場者は、高村薫、秋山駿、金子兜太、梅原猛の各氏をはじめとする文学者に加え、有馬朗人、小柴昌俊の両氏ら科学者もいる。いずれも日本の「いま」を代表する知性だ。また昨年亡くなった吉本隆明、藤本義一の両氏のまとまったインタビューとしては最後のものであり“遺書”となった。
 事態が激しく動いていた時期での「言葉」という生々しさに加え、識者たちの思索の姿もまた、後世への貴重な記録となっている。
    --「今週の本棚:〈3・11〉忘却に抗して 識者53人の言葉=毎日新聞夕刊編集部・著」、『毎日新聞』2013年01月06日(日)付。

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覚え書:「書評:伊藤野枝と代準介 [著]矢野寛治 [評者]出久根達郎(作家)」、『朝日新聞』2013年01月06日(日)付。


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伊藤野枝と代準介 [著]矢野寛治
[評者]出久根達郎(作家)  [掲載]2013年01月06日

■「奔放な恋の女」の真実に迫る

 こんなにも知的な美人、とは意外だった。
 伊藤野枝、である。評者の知る野枝は、大正期の婦人運動家で、結婚を破棄して上野高等女学校の英語教師だった辻潤と同棲(どうせい)、無政府主義者の大杉栄と出会うや恋慕し、やがて大杉の子を五人産む。この間、平塚らいてうらの女性文学雑誌「青鞜(せいとう)」に参加、のち発行をひきついだ。大正十二年の関東大震災直後、大杉と大杉の六歳の甥(おい)と共に、憲兵大尉らによって虐殺された。
 奔放な恋に生きた女。それが評者の野枝観である。行動からのイメージより、野枝の伝記に添えられている写真で形成されたものだった。
 櫛(くし)を入れていない髪。男を誘うようなまなざしと笑顔。伊藤野枝といえば、大抵この写真である。写真で肉感的イメージが固定された。だから本書の表紙写真を見た時、そのキッとした鋭い目と、利発な口元、意志の強そうな顎(あご)、何より毅然(きぜん)とした美女ぶりに意表を突かれた。別人の野枝を見た思いである。容貌(ようぼう)だけではない。
 本書は野枝の知られざる行動(「青鞜」を九州で販売)と、叔父の代準介の隠された姿(玄洋社の頭山満に「萬人(ばんにん)に一人」の男と称(たた)えられた代は、十三歳で貸本業から身を起こす)を、代の手書きの自叙伝をベースに、次々と明らかにしていく。著者の義母は代の孫に当たる。身内の証言を織り込みながら、評伝や研究書で誤り伝えられてきた二人の関係を再検し正していく。
 代は娘が通う上野高女に野枝を入学させた。野枝は娘をライバル視する。嫉妬から代親子を誹謗(ひぼう)した小説を書く。世人はこれを真実と信じた。「新しき女」は、本音で生きているはずだからだ。
 代準介は大燈国師の書幅を頭山に献じ、代わりに愛猫の子をもらった。この猫、人語を解した。代の自伝を『牟田乃落穂(むたのおちぼ)』という。牟田は荒れ地の意。無駄の洒落(しゃれ)でもあるか。自伝以外の代の顔も見たい。
    ◇
 弦書房・2205円/やの・かんじ 48年生まれ。博報堂のコピーライターを経て、書評家・映画評論家。
    --「書評:伊藤野枝と代準介 [著]矢野寛治 [評者]出久根達郎(作家)」、『朝日新聞』2013年01月06日(日)付。

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書評:加藤節『南原繁 --近代日本と知識人』岩波新書、1997年。

すぐれた評伝が新書に収録されると初学者にその輪郭を理解するうえで好都合なことはいうまでもない。近代日本を代表する政治学者にして、戦後民主主義の枠組みづくりに大いに貢献した南原繁の足跡をスケッチしたのが本書である。類書が少ないなかで恰好の一冊となっている。

著者の加藤節氏は、丸山眞男と共に南原繁に学んだ福田歓一門下。いわば南原の孫弟子という。
周知の通り南原は無教会主義者内村鑑三の直弟子である。信仰の立場からこの世の仮象に過ぎないものを撃つ内村の批判的理想主義の眼差しを引きつぎ、どのようにそれを具体化していくのかが南原の課題となる。

戦中の労作『国家と宗教--ヨーロッパ精神史の研究』(岩波書店、1942年)から戦後、東大総長に就任して、民主主義基礎論への展開が、まさにその課題実践の経緯である。

戦前の国家至上主義は血を吸うことで成立したが、その反省をふまえ、戦後民主主義としての国家像は「道義的国家」と定位されることになった。そしてそれが日本国憲法の要請でもあると南原は説く。

昨今、国家を規制する憲法を無視したり、改革という美名のもとに、倫理や徳といったものを「えい、やッ」とばかりに放擲する姿に拍手が送られるなか、反倫理的な行為を抑制し、理想追求へ不断の努力を怠ってはならないと筋道をつけた南原の足跡は、時代を照射する輝きが秘められている。

おもえば首相・吉田茂は南原繁を「曲学阿世の徒」と罵った。

パワーゲームは、パワーを批判する人間を「曲学阿世の徒」と封じ込めてしまう。吉田は偉かったとは思うが、限界も存在するのであろう。根源的批判の眼差しをどこかで持ち合わせぬ限り民主主義は成立しない。

さて、著者の加藤氏は、本書刊行後、「南原繁研究会」を組織し、テーマ別に共同研究を主催、その成果を精力的に発表している。本書を読み終えられ、深く考察したいというとき、EDITEXから刊行されている報告を読むことを進める。

ともあれ、本書は、「振り返ってみなければならない」人物の優れた入り口になろう。


南原繁研究会のwebは以下のとおり。

http://nanbara.sakura.ne.jp/


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覚え書:「今週の本棚:白石詩集」、『毎日新聞』2013年01月06日(日)付。

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今週の本棚:白石詩集
青柳優子訳
(岩波書店・2205円)

 一九一二年、平安北道定州(現・北朝鮮)に生まれ、日本の青山学院を卒業、戦前の朝鮮詩界で活躍した詩人、白石の主要作を収める。白石の詩集刊行は日本では初めて。
 詩集『鹿』(一九三六)に始まる白石の詩は、方言と古語を生かしたもの。独特の並列叙法で、郷土詩を超える新境地をひらいた。「枯れ葉も 髪の毛も ぼろ布も 棒切れも 瓦も 鶏の羽も 犬の毛も 燃える焚火」(「焚火」)は、視線の流れが美しい。市井の「悲しい歴史」にふれても、不思議なあたたかみがある。医員は、「無言で腕をとり 脈をとる/その手は温かく 柔らかく/故郷も 父も 父の友だちも みんないた」(「故郷」)などの点景も、ことばの線がきらめく。訳も流麗。
 一九四五年の解放とともに、白石は、ソウルから郷里定州に帰る。そのあと一時、行方不明に。一九九五年ごろ亡くなったということだ。生前一冊の詩集しか編まれていないが、いまも韓国でもっとも高い評価をうける詩人のひとりである。一九二八年朝鮮にわたった、鳥取県生まれの詩人、則武三雄(一九〇九-一九九〇)が、「葱」と題する詩で、戦前の白石の即席を伝えている。(門)
    --「今週の本棚:白石詩集」、『毎日新聞』2013年01月06日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚:創文社『神學大全』が完結」、『毎日新聞』2012年01月06日(日)付。

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今週の本棚:創文社『神學大全』が完結

 創文社が1960年から刊行を続けてきた13世紀イタリアの神学者・哲学者、トマス・アクィナスの大著『神學大全』の邦訳版(全45巻、39冊・3990~7980円)がこのほど「39・40巻」(合本=5040円)の刊行をもって50年余の歳月をかけて完結した。
 ともに京都大名誉教授の高田三郎、山田昌の両氏ら多くの翻訳・研究者が携わった厳密な訳業を、稲垣良典・長崎純心大大学院教授(九州大名誉教授)が引き継ぎ、全体のほぼ半分を手がけて完成させた。
 中世キリスト教神学思想の最高峰としいて名高い同書は「神と神学」「倫理と人間」「キリスト」の3部からなり、後世の思想家、ロックらに影響を与えた政治哲学「共通善」が説かれるなど、政治思想史における価値も見逃せない。
 稲垣氏は中世スコラ哲学研究の第一人者。『トマス・アクィナス哲学の研究』(創文社)など、トマスに関する多くの著書がある。
    --「今週の本棚:創文社『神學大全』が完結」、『毎日新聞』2012年01月06日(日)付。

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世の東西の解釈(1)

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 究極の解釈ということは、自己矛盾であるように思われる。解釈は常に途上にある。したがって、解釈という語が人間存在の有限性と知の有限性とを指し示すのだとすると、解釈の経験は、以前の自己了解のうちに存在していなかったものや、解釈学として特殊な諸領域に分類されたもの、そして、難しいテキストのなかの困難を克服するための技術として応用されたものを含むことになる。当時は、解釈学はKunstlehreとして理解可能であったのだが、今ではもはやそうではないのである。
 すなわち、<テキストの説明と理解においては、完全に見通しうるテキストとか、あるいは、完全に汲み尽くすことの可能な関心といったものはそもそも存在しない>ということをわれわれが前提するときには、解釈の術と理論に関連するすべてのパースペクティヴはずれてしまうのである。
    --ハンス=ゲオルク・ガダマー(本間謙二、座小田豊訳)『科学の時代における理性』法政大学出版局、1988年。

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修士の頃、講読でづっと読んでいたのが、解釈学関係の文献で、主としてリクールとガダマーを手当たり次第に読んだ記憶があります。

西洋における解釈学(現代で言えば「哲学的解釈学」)の系譜は、ユダヤ・キリスト教の伝統では、聖典をどのように解釈するのかという伝統と切り離して考えることはできないし、古代ギリシアにおける詩句解釈に始まるテクスト理解の技法に、大きな根っこがあります。

聖典にしても、文献にしてもそれをどう理解するのかという理解の技法が解釈学の要といってよいでしょう。西洋世界においては、のちには、ローマ法典の解釈という現実との対話としても洗練されていき、学芸における一つの共通了解へと発展していきます。

そして神学的解釈学、文献的解釈学、法学的解釈学といった「特殊解釈学」の流れは、近代にいたり「一般解釈学」へ学として統合されていく。

その特徴を一言で言えば……もちろん、様々な立場はありますが、これもかなりの単純化でしょうがお許しを……歴史をふまえた現在でテクストと緊張的に対話を遂行する、ことではないかと思います。

歴史をふまえたうえで、この「いま」、過去のテクストと対話する・・・などと耳にすると「当たり前じゃん」と言われそうですが、その「当たり前」なことは、西洋における伝統であって、ひるがえって、本朝の現況を鑑みるに、それは「当たり前」とはほど遠いのが現状ではないでしょうか。

日本におけるテクスト解釈の歴史は、数々の創造的な営みを別にすれば、メインストリームはやはり、「訓詁註釈」であり、近代に入って創造された「作者の気持ちとは何か」に代表される意図還元主義の偏重という二つではないかと思います。

前者は、儒学を育んだ中国の伝統をまさに「需要」ではなく「輸入」したにすぎませんから、これは本家のうえをいく硬直した態度としてテクストと向かい合うことになってしまう。訓詁註釈とは、まさに字義に沿って解釈していくという原初の緊張関係が喪失されてしまうと、それは権威ある解釈の奴隷を生み出すことになった。様々な解釈は積み重なっていきますが、結局の所、それは鎖の輝きを自慢し合う奴隷たちという有様が実状という話です。そしてそれが儒学の領域に限らず、仏教においてもしかり、さまざまな諸学においてもしかりという話です。

おいおい、西洋でもそれは同じじゃないかといえば、もちろん、洋の東西を問わず、そうした陥穽はどこにでも存在していることは否定しません。しかし、西洋における解釈学の伝統というのは、まさにそうした権威主義との対峙に大きな特色があったことも忘れてはいけないと思います。
※それからめんどくさいのですが、ここでの議論は西洋の文物や思想がえらくて、東洋のそれが糞だという話ではありません。手続きの問題を指摘しているだけですから。

つぎに、「作者の意図」の問題。もう、これは、ロラン・バルトの「作者の死」の議論を待つまでもない話です。作者がどうであったのか、というのはテクストと向き合う上での一つの材料にしかすぎません。しかしながら、デリダ的議論でいえば、本家の西洋が「自分のしゃべっている言葉を自分の耳で聞きたい」という音声中心主義が批判にさらされたわけにもかかわらず、それ以上に意図だのなにだのに過度に第一義をおくのが、近代日本の「私」という瑕疵なんじゃないかと思います。

このふたつが、硬直化と恣意的解釈という病根を日本におけるテクスト解釈、そしてアカデミズムにおける学の遂行に大きな問題を与えたことは否めないし、いまだにそういう傾向はあるのじゃないかと思います。

もちろん、先に言及したとおり、日本にも、そうした日本的態度ではない、例えば、鎌倉仏教の諸開祖や荻生徂徠のような創造的な先達はたくさん存在しているとは思います。

しかし、単純な権威の奴隷、そして意図還元主義はまだまだ大手をふってあるいているのは現状でしょう。なにしろ義務教育における「解釈」教育というものがまだまだそうした傾向が濃厚だからです。

その意味で、過去のテクストと今現在向かい合うということ、それは歴史性をふまえた上で対話をしている。その緊張関係のなかで、むきあっているという構えから、もう一度、テクストと向き合っていく、っていうことが、学者に限らず、必要なのではないかと思います。

最近、思うのは、どこにいっても、(原テクストではなく論書に)「そう書いてある」というのと「作者の気持ちはこれのはずだー」っていう声を聞くことが多いので、その環境の伝統の違いについてつらつらと述べてみました。

では、その解釈の手法とは具体的にどうなのか。
それは、また近いうちに続けようかと思います。


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覚え書:「今週の本棚:川本三郎・評 『瓦礫の下から唄が聴こえる』=佐々木幹郎・著」、『毎日新聞』2013年01月06日(日)付。

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今週の本棚:川本三郎・評 『瓦礫の下から唄が聴こえる』=佐々木幹郎・著
 ◇『瓦礫(がれき)の下から唄が聴こえる』(みすず書房・2730円)

 ◇旅する詩人、開かれた山小屋の日々

 詩人というと孤独な書斎の人の感が強いが、この詩人は実によく旅をしている。人に会い、話を聴き、風景に目をこらす。そうやって、いわば言葉を鍛えている。

 若い頃に、友人と盲目の琵琶法師を訪ねて佐賀県の山のなかを歩き、ある村で、特攻隊の生き残りという琵琶法師に会った。メチルアルコールを飲みすぎたため戦後、視力を失なっていた。その演奏を録音した。今でも聴く。「わたしはその声を聴くたびに、わたしの詩がこのだみ声の美しさに対抗できているだろうかと思う」

 現代詩の詩人にとって民謡は難敵。それでも新潟県糸魚川市から新しい民謡の依頼があった時、引受けた。そして何度も糸魚川に行った。ある祭で「さっしゃげ(「差し上げる」の方言)、さっしゃげ」という掛け声を聴いた。現代詩人にとって新鮮だった。この言葉から新しい民謡が生まれた。旅が詩を作り出している。

 三月十一日のあとには何度も東北に行く。東北の言葉で語られる体験に心揺さぶられる。中原中也の「私が感じ得なかつたことのために、罰されて、死は来たる」という言葉を改めて強く思い出す。

 三月十一日のあと、津軽三味線の二代目高橋竹山(女性)と釜石、大船渡、陸前高田の仮設住宅をめぐり、津軽三味線の演奏と詩の朗読を行なう。誰も慰問に来ないような仮設住宅や公民館を訪ねる。毎回、五十人から百人の人が来てくれる。想像を超えた惨事に生き残った人を前にする。「毎回が緊張の連続だった」「舞台の上で身震いした」。ここでも詩人の言葉が厳しい現実に試されている。言葉は死者たちに見つめられている。詩人の言葉は「現在、この国に浮かぶ膨大な死者の霊に試されている」。

 東北各地を旅し、詩人は被災者の話に耳を傾け続ける。ある女性が語る。自分は助かった。潰れた家の下から助けを求める声が聴こえたが、自分には何も出来なかった。「どうか神様わたしを許してください」。詩人はこの体験を前に詩を作れるのか。確かなのは昨日までの言葉はもう使えないことだろう。「昨日考えていたことが今日通用しなくなる」

 旅をするだけではない。詩人は日常的に実に多くの人と交流する。活動的で、人間が好きなのだろう。

 浅間山麓(さんろく)、群馬県の嬬恋(つまごい)に山小屋を作った。そこには友人、知人だけではなく村人も気軽にやってくる。孤独な詩人の隠棲所(いんせいじょ)ではない。東京から両親に連れられてやって来た四歳の女の子は「おーい、シジン、何してるの?」と親しく声を掛ける。小屋は開かれた、小さな、もうひとつの家になっている。

 そこでは、さまざまな共同作業が行なわれる。

 クリの木にツリーハウスを作る。その外壁に土壁を塗る。窓に自分たちで作ったステンドグラスを入れる。光が差しこむ。「人は光のなかにいるとき、心を癒されるのだ」と知る。

 さらにネパールのものに倣って大きな竹を支えにしてブランコを作る。白樺(しらかば)を使ってキャンドルを作る。ススキの原を刈る。

 四季折り折り、仲間たちとの共同作業がある。東日本大震災のあと家の絆が言われた。山小屋で暮す詩人は、血のつながらない家族もありうるのではないかと考える。山小屋の体験がその考えを強めてゆく。

 この本には詩人の私性がよく語られている。詩人はいう。3・11のあと「私」そのものをもう隠すことができなくなってしまった、と。いま、これまでの言葉を失なった裸の自分が時代に向き合っている。
    --「今週の本棚:川本三郎・評 『瓦礫の下から唄が聴こえる』=佐々木幹郎・著」、『毎日新聞』2013年01月06日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130106ddm015070008000c.html

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覚え書:「今週の本棚:なるほど、村上春樹=小山鉄郎・著」、『毎日新聞』2012年01月06(日)付。

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今週の本棚:なるほど、村上春樹=小山鉄郎・著
(共同通信社・1470円)

 本格的な村上春樹論をもつ著者がちょっと変わった角度から春樹作品を読み解いていった。題名に「空想読解」とあるが、これは「ナゾ解き」というのがふさわしいようだ。
 たとえば、「1963/1982年のイパネマ娘」という短編小説があるが、そこから入って村上春樹にとって1963年がもつ特別な意味を追究する。1963年は、芦屋の浜がまだ海岸線をもち、少女たちが砂浜にすわって海を眺めていた時代。そして、「ケネディー大統領が頭を撃ち抜かれた年」でもあるというところから、村上春樹においてヴェトナム戦争がいかに重大な意味をもっていたかを、具体的に作品のなかで検証する。「1963年」というナゾがきれいに解かれる。
 野菜、霊魂、お化け、雨月物語、赤・緑・青などの色がもっている意味等々、小山氏が春樹作品のキーワードと考える言葉を取りあげ、その秘密を読み解いてゆく。語り口は雑談的で軽快、あっちこっちに寄り道する楽しさがあるが、ときには鋭く突っこんで作品の本質に迫る。多くの作品の終結部近くで主人公たちが流す涙についての読解は新しく、説得力も十分だ。(豊)
    --「今週の本棚:なるほど、村上春樹=小山鉄郎・著」、『毎日新聞』2012年01月06(日)付。

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書評:内田樹『呪いの時代』新潮社、2011年。

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相互の違いを踏まえた上で合意形成を目指す気などさらさらない…これが現在の言語空間の支配的体質ではないだろうか。相手を屈服させる為だけに捻出される無数の言葉はまるで「呪詛」のようである。本書は雑誌連載のエッセイを纏めた一冊だが、「呪い」を切り口に現代の世相を浮彫りにする。

勿論、呪詛の背景には、現状を変えたいという苛立ちが存在することは否めない。しかし、「『現実を変えよう』と叫んでいるときに、自分がものを壊しているのか、作り出しているのかを吟味する習慣を持たない人はほとんどの場合『壊す』ことしかしない」。

なぜなら、破壊は創造より楽だからだ。

呪詛を繰り返す者は、破壊するだけでなく、そのことで自身の承認欲求を満たそうとしている。嫉妬や羨望、そして憎悪が一人歩きする現代。著者は生活とぱっとしない「正味の自分」に注目するよう示唆している。

等身大の人間とその生活から言語が切り離された瞬間、呪詛は立ち上がる。

呪詛合戦はやすっぽい「征服感」をもたらすだけで、疲弊を相互に招来する。時代に対する「苛立ち」をぬぐうことは不可能であろう。だとすれば「呪い」ではなく「贈与」へエネルギーを注ぐほかあるまい。本書は、自身の言説を振り返る契機になる一冊ではないだろうか。


関連サイト

http://www.shinchosha.co.jp/book/330011/

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/28694


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「今週の本棚:養老孟司・評 『ひとの目、驚異の進化』=マーク・チャンギージー著」、『毎日新聞』2013年01月06日(日)付。


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今週の本棚:養老孟司・評 『ひとの目、驚異の進化』=マーク・チャンギージー著
 (インターシフト・1995円)

 ◇「見ること」の常識を変えて「自ら」を知る

 ソクラテスは「汝(なんじ)、自らを知れ」といったという。科学の世界はものを考える人たちの集まりなのだから、学者なら自分のことは普通よりよくわかっているに違いない。

 むろんこれは皮肉である。たとえば私は解剖学を専攻した。解剖学は人体を「見る」学問である。それなら「見る」ことがよくわかっていたかというと、ちっともわかっていなかった。年を経るごとにそれを痛感する。

 この本はヒトが「見る」ことについて、四つの特徴を挙げる。その四つが「見ること」についての常識を変えてしまう。

 まず色。ヒトの肌は何色か。そう訊(き)かれると、ふつうは肌色というのではないか。でも肌色は色ではないともいえる。トマトをトマト色というようなものだからである。では正解はなにか。無色。

 そんなバカな。何色か知らないが、ともかく色はあるでしょうが。そう思うかもしれない。でも日本語で顔色というときは、厳密に色を指してはいない。著者が主張するようなことは、日本人ならわかっていなければいけなかった。われわれはむしろ「顔色を読む」のである。顔色という「色」はない。

 著者の結論は、ヒトの色覚はまさに顔色を読むように進化した、というものである。これまでの考えでは、霊長類の色覚は果物のような食物の成熟度を見るために進化したとされてきた。でもさまざまな証拠から、顔色を見るためと考えた方がいい。

 ヒトの網膜には、三種の波長を捉えるように分化した錐状体(すいじょうたい)という神経細胞がある。S、M、Lと名付けられている。三原色と思ってもいい。このそれぞれがどの程度反応するかで、物の色が決まる。不思議なのは、この三種の細胞が可視範囲の光を均等に割るのではなく、MとLが近くて、Sが遠いのである。このMとLの位置は、じつはヒトの顔色がいちばん変化する領域と一致している。

 顔色はどう変化するのかというと、酸化ヘモグロビンの多少、血液量の多少による。前者では顔色は赤と緑の軸に沿って変わり、後者では青と黄の軸に沿って変わる。こうした顔色の変化は、相手の感情の状態や、子どもの具合の良し悪(あ)しを判断するにも重要である。そう思えば、色覚が顔色を見るために進化したのは不思議ではないともいえる。

 二番目は両眼視についてである。ふつう両眼視は立体視にとって重要だと考えられてきた。著者の意見は違う。目の前に葉っぱのような邪魔ものがあって、その向こうにあるものを透かして見るとき、左右の目はじつは違う像を見るが、それを合成して、見ているものがなにかを判断できるようにする、つまり透視のためだというのである。

 第三はいわゆる錯視である。心理学は錯視の多様な例を集積してきた。でもそれはじつは錯視ではない。三次元空間で動いているという状況だとすると、ものは錯視のように見えなければならない。知覚には時間がかかるから、もし「正しく」現在を認知しようとしたら、われわれは過去しか認知できない。実際には脳は予測された未来を知覚する。

 第四は文字である。文字は自然のなかの形を示している。ヒトは文字を見るとき、自然を見ているのである。

 見ることに関心がある人だけでなく、「自らを知りたい」人に、ぜひ読んでもらいたい本である。われわれは年中「見ている」が、いったいなにをどう見ているのだろうか。(柴田裕之(やすし)訳)
    --「今週の本棚:養老孟司・評 『ひとの目、驚異の進化』=マーク・チャンギージー著」、『毎日新聞』2013年01月06日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130106ddm015070004000c.html

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「民衆に平和を取り戻させるには、経済開発にたいして草の根からの民衆の手で制裁を加えることが重要」なことについて

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……平和をことばに置きかえることのなんとむずかしいかを思わずにはいられない。私には、民衆の平和は民衆の詩と同じように独自のものに思われる。だから平和の意味を考えるのは、詩の解釈と同じくらいに骨の折れる仕事なのである。
 時代が異なり、また文化圏が異なるに応じて、平和の意味も異なるのだ。これは石田雄教授が述べている論点である。彼が提起しているように、同じ文化圏でも、中央部と周辺部とでは平和の意味が違う。中央部では、平和はもっぱらそれを維持するということに重点が置かれるのに対して、周辺部に住む人々は、平和な生活を、つまり「自分たちの生活を平穏にしておいてくれる」ことを念願する。しかし、この民衆の平和という第二の意味は、いわゆる発展=開発の時代とされたこの三十年ほどのあいだに失われてしまった。このことが私の主要な論点なのである。開発にかこつけて、民衆の平和にたいして世界的な戦争がしかけられてきたのだ。すでに開発ずみの地域には、民衆の平和はほとんど残っていない。民衆に平和を取り戻させるには、経済開発にたいして草の根からの民衆の手で制裁を加えることが重要なことと考える。
    --I・イリイチ「平和とは人間の生き方」、玉野井芳郎、栗原彬訳『シャドウ・ワーク 生活のあり方を問う』岩波現代文庫、2006年、18-19頁。

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ちょうど、今から30年近く前に、来日したイリイチの講演録の冒頭部分なのですが、イリイチが生きた時代以上に、「平和のため」という幟旗によって平和を「根こぎ」にしてしまう風潮が強くなったように感じる。

インドの文人・アルンダティ・ロイ女史は、民主主義の名のもとに、搾取と貧困、差別と格差が拡大していると指摘した。

しかし、このことは、遠い海の向こうの話ではないだろう。

政府があらかじめ用意した都合の良い「絆」なんてものは糞食らえと思う。しかし、隣近所においても、そして全くしらないところでも、人間が人間に手をさしのべることが希薄となり、関心も抱かなくなるようになると同時に、人間の生きている世界を企業や政府にだけ「おまかせ」した「開発」だけでなんとかなるという発想は、この国においても、その気配が加速度的に伸張していると思う。

加えて、完全な“正義”の言論は、これまた錦の御旗のように「拡声器」で「いやさか、いやさか」といわんばかりに、“連呼”されている。

しかし、実際のところ、健全に機能しているようには思えない。

地に足のついた「民衆の手で制裁を加えること」をもういちど、生活空間のなかで、試行錯誤していくという“蟻のような営み”が重要なのではないだろうか。

「民衆の平和は民衆の詩と同じように独自のものに思われる」。

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覚え書:「今週の本棚:五味文彦・評 『織田信長』=池上裕子・著」、『毎日新聞』2013年01月06日(日)付。

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今週の本棚:五味文彦・評 『織田信長』=池上裕子・著
 (吉川弘文館・2415円)

 ◇徹底して突き放した視線で“英雄”をとらえる

 日本歴史学会編集の定評ある人物叢書(そうしょ)であるが、意外と著名人の伝記は少なく、古代の天武天皇や中世の源頼朝、戦国時代の豊臣秀吉、そして織田信長などについては、これまで出版されていなかった。

 彼らは多くの著作で触れられており、評価もそれなりに定まっているので、今さら改めて出生から死没にいたるまでをきちんと描くのに食指が動かない、ということもあるのだろう。織田信長を描く難しさは、まさにその点にある。

 政治をぐいぐいと引っ張ってゆく信長の生涯は、多くの小説などにもとりあげられてきており、その英雄ぶりは様々な形で触れられてきた。それにもかかわらず、著者が信長を描こうと思ったのは、その英雄の手にかかって理不尽にも殺害された多くの人々の思いを、信長を通して語ろうとしたからである、という。

 人物伝を書こうとする場合、多くはその人物にある程度の思い入れや共感がないとなかなか書けないものであるが、著者は徹底的に信長を突き放してみることから迫ってゆくのである。

 信長が求めていったのは、分国の拡大と京都を中心とする天下の静謐(せいひつ)であったとして、その達成に向けていかに戦ったのかを描いてゆく。

 それはこれまで言われてきているような、決して新しい動きではなく、越後の上杉にも甲斐(かい)の武田にも共通するところである。ただ信長は、絶対君主のような面をもち、時代の波に乗って、そうした側面を抑制することなく人々に君臨することができたのである、と説く。

 逆らう者、抵抗を続ける者に憎しみ・怒りをつのらせ、徹底的に叩(たた)くとか、根切り・なで切りの殲滅(せんめつ)戦をするとか、狂気のような沙汰に走ってしまうところがあった。まことに多くの人を殺したのであった。

 こうした厳しい評価を交えつつ、信長の過酷なまでの分国の拡大戦争と、その信長に従う諸大名や国人の動き、逆に反信長包囲網をしく大名らの動きを描いてゆき、信長の「天下布武(てんかふぶ)」の天下がやがて日本全国を意味するようになってゆく過程を、史料の厳密な分析と冷静な視線から明らかにしてゆく。

 そして最後に、信長の「流通・都市政策」と「家臣団と知行制」の両面から探って、その歴史的な役割に触れる。

 流通・交通の促進をはかる政権であったこと、伊勢湾・太平洋沿岸、瀬戸内海、日本海の三つの物流の大動脈の掌握を早くから視野に入れた政権であること、城下町や都市の振興策に力を入れた政権であることなどは評価できるが、家臣団の統制や村落支配の面では遅れた面が多く、それが結局は信長の命取りになっていったとする。

 このようにこれまで多くの研究によって高く評価されてきた信長像に対し、疑問をなげかけている。村落支配をはじめとする民政の面では、著者がこれまで研究を進めてきた関東の後北条氏と比較して遅れていたという。

 ただ、都市の存在に目をつけて政策を展開した信長の新しさはもっと評価すべきではなかろうか。岐阜・安土・京都を軸として軍事・交通の施策を展開した動きはかつてなかったことであろう。

 さらに信長の冷酷な一面だけでなく、他の面にも目を注ぐと、また違った信長の性格や特徴が見えてくるように思ったが、それは本書が徹底的に信長を告発していることからくる思いなのかもしれない。
    --「今週の本棚:五味文彦・評 『織田信長』=池上裕子・著」、『毎日新聞』2013年01月06日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130106ddm015070033000c.html


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覚え書:「みんなの広場 はかない命、精いっぱい生きる」、『毎日新聞』2013年01月05日(土)付。

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みんなの広場
はかない命、精いっぱい生きる
中学生 14(東京都八王子市)

 私は今、学校の国語の授業で「命」について学んでいる。命というものは、この世の中にいるすべての人がもっているもので、いつ、どこでなくなってしまうか分からない。今こうしている間も、命は常に終着駅、つまり死へと進んでいる。その終着駅はいつくるか分からない。
 今までずっと一緒にいた人が、もしかしたら明日にはいないかもしれない。もちろん私だっていないかもしれない。そう考えると、とてもおそろしい。と同人日、今を生きることができるって、とても素晴らしいことだ、私は何かしたいなと思うことが多い。
 こんな考えをするのは私だけではない。普通はくるはずの明日に甘えてしまう人が多いと思う。でも、命はいつなくなってしまうか分からない。なので、私は今を大切に精いっぱい生きていきたい。
    --「みんなの広場 はかない命、精いっぱい生きる」、『毎日新聞』2013年01月05日(土)付。

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覚え書:「ニュースの匠:小選挙区のマジック=鳥越俊太郎」、『毎日新聞』2013年01月05日(土)付。

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ニュースの匠:小選挙区のマジック=鳥越俊太郎
毎日新聞 2013年01月05日 東京朝刊

 ◇「民意得ぬ」自民圧勝

 今回の衆院選を見ていてどこかいぶかしい思いが残ったのは私だけではないでしょう。民主党が3年3カ月の政権運営で失政を続けたとか評判が悪かったのは確かです。だけどそれに比べ自民党の前評判が特にいいというわけでもありませんでした。「小泉郵政選挙」の時ほど「風」が吹いたわけでもありませんでした。

 でも結果は自民党の圧勝に終わりました。これって何だろうな?と疑問を抱いているとき、インターネット上で「ヨミウリ・オンライン」に宮野勝・中央大文学部教授が書かれた「2012年衆院選結果の一つの見方」という文章を見つけました。

 これは私の抱いた疑問を数字で読み解いたものだったので、ここで大意をご紹介しておきます。宮野教授によれば、今回の選挙で自民党の議席獲得数は全体で定数480中294(全体の61・3%)。そのうち、小選挙区での議席数は237(全体の79・0%)。

 ここまでの分析で分かりますよね。自民党は小選挙区では全体の8割近くを押さえて圧勝の最大要因となったことが……。これに対し比例代表での議席獲得の割合は31・7%、得票率に至っては27・6%。これは自民党が「大敗」したと言われている2009年の選挙時の比例代表での議席率30・6%、得票率26・7%とほとんど変わらない数字です。比例代表は支持する政党名を書くわけですから、政党支持率がズバリ出るわけです。今回の比例代表の得票率27・6%は、選挙結果の自民圧勝の印象とやはりどこかそぐわない印象を否めませんね。宮野教授も今回の分析の中でこう指摘しています。「得票率と議席率ともに3分の1にも届いておらず比例では民意を得ていない」

 「民意を得ていない」政党が小選挙区制という、ある意味ではマジックを使って圧勝し、自民・公明という従来の連携からいえば衆院の議席の3分の2(320)を超える325議席を確保したことは大きい。

 更に言えば憲法改正や集団的自衛権の解釈変更、自衛隊を国防軍に変更という、自民党の長年の政権でなし得なかった「タカ派3原則」が大手を振ってまかり通るイヤな予感がします。公明党が尻込みすれば維新の出番。いずれにしろ次の参院選で大局は決まる。ご用心あれ!
    --「ニュースの匠:小選挙区のマジック=鳥越俊太郎」、『毎日新聞』2013年01月05日(土)付。

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http://mainichi.jp/opinion/news/20130105ddm012070004000c.html


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文化による単純な一般化は、人びとの考えを固定化するうえできわめて効果を発揮する

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 世界の人びとは--おそらく必要以上に断固として--文化は重要だという結論に達している。世界の人びとは明らかに正しい。文化はたしかに重要だ。しかし、本当に問われるべき問題は、「文化はどのように重要なのか?」なのである。前の二つの章で論じたように、文化を分明や宗教的アイデンティティごとに歴然と分割された枠内に制限して考えることは、文化の属性を狭くとらえすぎている。たとえば、国民、民族、人種などの集団についても、文化ごとにそれを一般化すると、そこに含まれた人間の特性を驚くほど限定的かつ冷淡に理解するはめになるだろう。文化と意はなにかはっきり理解しないまま、文化の支配的な力を運命だと受け止めているとき、われわれは実際には、幻想の影響力に囚われた空想上の奴隷になることを求められているのだ。
 ところが、文化による単純な一般化は、人びとの考えを固定化するうえできわめて効果を発揮する。そのような一般化が通説や日常会話のなかに多々見られるという事実は、容易に見てとれる。暗黙のゆがんだ思い込みは、人種差別的な冗談や民族批判の種として頻繁に見られるだけでなく、壮大な理論として登場する場合もある。文化的偏見に関連する事例が、社会のなかで(たとえ些細なことでも)偶然に見られれば、そこから理論が生まれ、偶然の相関が跡形もなく消えたあとでも、その理論は葬り去られずに残るかも知れない。
    --アマルティア・セン(大門毅編集、東郷えりか訳)『アイデンティティと暴力 運命は幻想である』勁草書房、2011年、148-149頁。

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twのまとめですが、一応、残しておこうと思います。

時間があったので久しぶりに戦争映画を見ました(『血と砂』、岡本喜八監督、東宝、1965)。

三船敏郎さんの怪演と、それに充分うち応えている仲代達矢さんの怜悧な演技に驚いた作品でした。

さて、私は戦争映画をよく見ます。しかし、そのことをもってして、イコール「戦争が大好きな吉外」みたいに思われても困る。

そういう単純な還元主義は、一見心理主義を装いながら、実際には、全く科学的な知見に基づかない単純化の論理ではないかと思う。これは、例えば「ゲームのやりすぎは犯罪者乙」というのと五十歩百歩でしょう。

しかし、そういう手合いが最近多くて辛い。


「ゲームのやり杉は犯罪者」とか「戦争に“関連する”ものが“趣味”な人間は死ね」っていうスマート爆弾の方が、大政翼賛の国防婦人会予備軍なのではないだろうか。

“嗜好性”を“志向性”と錯覚するなという話だし、ほっといてくれとは思う。

ゲーテが早漏だったから、創作が爆発したというのもナンセンス。心理的還元主義は、ほとんど場合、有効ではない。

そもそも、ひとつの理論で全てを説明しようとするのが、“暴挙”なのではないでしょうか……ねぇ。


ついでにこのニュースで紹介されている取り組みもたいがいですん。

http://www.nytimes.com/2012/12/25/science/scientists-to-seek-clues-to-violence-in-genome-of-gunman-in-newtown-conn.html?_r=2&


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覚え書:「訃報:ベアテ・ゴードンさん 89歳=日本国憲法の「男女平等」起草」、『毎日新聞』2013年01月03日(木)付。

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訃報:ベアテ・ゴードンさん 89歳=日本国憲法の「男女平等」起草
毎日新聞 2013年01月03日 東京朝刊

 【ニューヨーク草野和彦】第二次世界大戦後、連合国軍総司令部(GHQ)民政局員として日本国憲法の男女平等などの条項を起草した米国人女性、ベアテ・シロタ・ゴードンさんが昨年12月30日、膵臓(すいぞう)がんのため、ニューヨーク市内の自宅で死亡した。89歳だった。親族が毎日新聞に明らかにした。

 1923年、ウィーン生まれ。有名ピアニストだった父ら一家で来日し、5歳から約10年間東京で暮らした。22歳だった45年に再来日し、民政局員として憲法起草に従事し、日本での生活で少女の身売りなどを知っていたことから女性の地位向上を提案。14条(法の下の平等)や24条(両性の平等)に反映された。

 00年5月には国会の憲法調査会で意見陳述し「日本国憲法は世界に誇るモデルだから50年以上も改正されなかった。他の国にその精神を広げてほしい」と訴えた。9条(戦争放棄)を含む改憲の動きにも反対していた。

 また、ニューヨークの日米交流団体「ジャパン・ソサエティー」に勤務し、狂言師の野村万蔵さん、版画家の棟方志功さん、茶道家の千宗室さんらを米国で紹介。文化の橋渡し役としても活躍した。
    --「訃報:ベアテ・ゴードンさん 89歳=日本国憲法の「男女平等」起草」、『毎日新聞』2013年01月03日(木)付。

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http://mainichi.jp/select/news/20130103ddm041060081000c.html

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虚言をなすことなかれ。知りながら詐りをしないようにせよ。

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 虚言をなすことなかれ。知りながら詐りをしないようにせよ。また生活に関しても、知識に関しても、戒律や道徳に関しても、自分が他人よりもすぐれていると思ってはならない。(八つの詩句の章・九三一)
    --中村元訳『ブッダのことば スッタニパータ』岩波文庫、1984年、202頁。

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昨日は、古い知人と新しい知人と新年会。
参集された皆様、ありがとうございました。
種々、闊達なやりとりができたことに感謝しております。

私自身、虚心坦懐に学問と向かい合っていく一つの出発点になったのではないかと思います。

また、共に切磋琢磨できる機会を設けていければと考えておりますので、どうぞよろしくおねがいします。

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書評:高橋哲哉『記憶のエチカ -戦争・哲学・アウシュヴィッツ』岩波書店、2012年。

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読了というか1995年刊行同書の「岩波人文書セレクション」再録のため再読。アーレントやレヴィナスの言葉に耳を傾け「物語」に回収されない証言と向かい合う思考のあり方を問う一冊。歴史修正主義や戦後責任を考える上では必携。

「出来事から出発し、出来事をめぐって哲学することはいかなることか」。
再読になったが、今の時代に読むべき一冊ではないかと思う。為にする修正主義や都合のいい物語への回収の烽火があがった当時の世相を背景に発表された論集だが、現在読むとアクチュアリティに驚いてしまう。

「〈記憶〉や〈証言〉の本質には、〈死者に代わって〉ないし〈不在の他者に代わって〉という構造」が不可避となる。戦争と暴力の記憶が鋭く問われるのは「直接体験を持たない者に対してであり、未来の世代にいかにしてそれを伝えていくかという問題」と高橋さんは指摘する。

お弟子さんの東浩紀さんは、師の「無限の倫理的責任ガー」に辟易し、popなまじめを決め込む。そのことはよく分かる。しかし、「~責任ガー」というものの内実を引き受ける私たちが、それを創造するものだとすれば、「もう、おなかいっぱい」として簡単に退けてしまうのは早計だと思う。

さて、人文セレクションの眼目は末尾の「岩波人文書セレクションに寄せて」(二〇一二年初秋)。高橋さんは本論でホロコーストのほか従軍慰安婦の問題をとりあげたが、ここでハンセン病患者共生隔離政策の歴史を取り上げる。民族浄化は世界の果ての過去の事件ではないし、日本では敗戦によっても終わってはいないのだ。

ハンセン病の問題は若い学生に聞いても知らない人間が多い。まさに「忘却の政治」とは「起こったことが起こらなかったこと」にしようとするものである。だからこそ、本書のアクチュアリティはそこにある。記憶を哲学する。今読まれて欲しい一冊である。


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 先日、ハンセン病問題を考える会に参加した。そこで初めて私は、元ハンセン病患者の方にお会いした。一七歳で発症し、遠く離れた療養所に入所。実態は、一度入ったら二度と出ることができない強制隔離であった。以来六一年間、療養所内で生きてきた。特効薬の開発で病気が完治しても、差別を恐れてほとんどの元患者が療養所内で生涯を閉じる--それを見てきた、と言う。患者の遺体を患者仲間が火葬に付すことを強制されていた話は、絶滅収容所のユダヤ人特務版を連想せずに聞くことができなかった。
 日本のハンセン病患者強制隔離政策は、一九〇七年の法律「癩予防ニ関スル件」に始まる。患者が市中に存在するのは文明国として「国辱」だという理由であった。一九三一年、満州事変の年に「癩予防法」が成立、総力戦に向けて強力壮健な民族を造るという「優生学的」目的があった。家庭や地域から一人残らず患者を狩り出して、療養所に隔離する「無癩県運動」が全国で展開される。強制断種・強制堕胎によって、子孫も含め患者を絶滅させる「絶対隔離政策」へとつながっていく。草津の栗生楽泉園には特別病室と称して重監房が造られ、全国から「反抗的」とされる患者が送りこまれて、事実上虐殺された。「日本のアウシュヴィッツ」と呼んでも、決して過言ではないだろう。
 こうした「民族浄化」政策は、驚くべきことに、敗戦によって終わることはなかった。一九五三年、新「らい予防法」が成立し、強制隔離は継続させる。強制堕胎も含め、一九九六年に廃止されるまでつづいた。私がお会いした元患者の方は、療養所への入所の際、名前を変えられ、元の自分は社会的に死者となったと語る。九歳で隔離された患者が入所に際して署名させられた、死後解剖の同意書も見せてくださった。仮に治癒したとしても療養所から出されることはなく、死ぬまで隔離され、死んだ後も解剖で遺体を収奪される。物理的にも人格的にも社会から抹消し、子孫まで含めて根絶されるのである。では、この日本版「絶滅作戦」の記憶は、今日、どうなっているのか。
    --高橋哲哉『記憶のエチカ -戦争・哲学・アウシュヴィッツ』岩波書店、2012年、285-286頁。

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研究ノート:日蓮のもつバイタリティ 中村元×鶴見俊輔対談より

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これからの仏教
鶴見 少し話がずれるんですが、そういうふうに世界を見渡して考えると仏教はどういう方向へといくんですか。
中村 やはり若干の特徴が現れています。まず一つは、超宗派性です。古い昔からの宗派というのがその区別の意味をもたなくなりました。その傾向はいろいろなところに現れていると思います。違った宗派の間で協力するとか、同じ地区の仏教徒が協力する。古いドグマは意味をもたなくなる。超宗派的な共同がおこなわれる。それから、宗教の世俗性ということです。古い時代には、宗教は世俗生活に対立していたものです。ところが最近になりますと、生活の中に宗教を生かさなければならないとみんながいうわけです。はては「在家仏教」という主張も出てきました。会社員などが集まって仏典を読む。話し合いをする、といったような動きがあっちこっちに出てくる。第三の特徴としては国際性というか普遍性をもってきた。違った人種、違った国の人々が意見を交換する、協力する。
鶴見 しかし、一方ではまた違う動きも出てきますね、創価学会のように今までの宗派よりさらに排他的な。
中村 さらに排他的なものが出てきましたね。これをどう解釈していいのか。しかし、将来は創価学会も変わるんじゃないかと思うのですが。これがナチスみたいなものに日本ではならないのではないかと私は思います。だんだん増えてくると先鋭な排他性が希薄になります。
鶴見 創価学会も日蓮宗なんですけど、どうして明治以後は日蓮宗を通してだけ、実に創造的な宗教運動が出てきたんでしょうか。また仏教的な思想家にしても、日蓮の系統が主に、宮沢賢治とか、石原莞爾とか、妹尾義郎とか……。
中村 日蓮の思想が、民族的なバイタリティに結びついているのでしょう。仏教界では日蓮の系統がいちばん活動意欲をはっきり出していますね。第一、日蓮の生涯がそうでしたでしょ。その門流がひじょうに活動的だったわけです。ただ、その向け方はいろいろ違うと思われます。ある場合は、ナショナリズムで、ある場合は平和運動で、中には同じグループが状況に応じて違った動きをするのです。たとえば日本山妙本寺。戦争中はかなり国家主義的だったですけれど、今日はもう、平和運動のほうへいっていますね。ここにひじょうな飛躍があるわけですけれど、しかし日蓮の精神を現実に生かすんだという意欲をもっている点では皆同じだと思われます。
 こういうことがいえませんかな。人間的に望ましい生活をするということについて、昔は、国家の支配統制の力が弱かった。それは、大名はずいぶん勝手なことをしたり暴圧をおこなったでしょうけれども、自分たちだけでひそかに暮らす範囲があった。しかし、今日ではそれができない。あらゆることに国家の支配統制を受けている。そういうところで邪曲を正すということになりますと、どうしてもおさえている権力に対して抗争することになる。だから対抗意識をもたせるものは、やはり日蓮の力です。今は、国家の問題じゃなくて、世界的に、世界が一つの地球社会というものになって、強い力をもっている国が他の国をおすというようなことが現実におこなわれているわけです。すると、これに対抗する精神が当然出てくる。それにいちばん結びつきやすいのがやっぱり日蓮であるようです。
鶴見 日本の仏教学についてどういうことを望まれるんですか。昔から変わらないという点で、どういうことがいちばん困るんですか。
中村 つまり訓詁註釈だけやってるわけです、仏教学でもインド学でも。現実の人間生活において個々の思想がどういう意義をもっていたかを検討しようという仕事は、ほとんどやろうとしない。
    --中村元、鶴見俊輔「学問をこえて」、『中村元対談集ⅢIII』東京書籍、1992年、243-245頁。

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中村元先生と鶴見俊輔さんの対談「学問を超えて」は、異色対談といってよいものの一つでしょうが、ふたりが肝胆相照らすといいますか、お互いの言葉に膝を打つところにその醍醐味があるのではないかと思います。

この対談では、学としての仏教学の過去と現在、そして未来を展望する内容です。それと同時に、仏教学に限らず学問とは、本来どうあるべきかということを、鶴見さんが聞き手になって、中村先生の生涯から語れるという仕立てになっておりますが、最後は「これからの仏教」について。

中村先生は、これからの仏教の特質として、超宗派性、世俗性、国際性の3つが大切になるのではないかと、この対談では指摘しております。それはとりもなおざす、日本仏教の負の歴史……それは、独自性の探求とはほど遠い宗派意識や宗学の問題、僧俗のヒエラルキー、そして島国根性、といってよいかと思いますが……の反省にたった上での展望であり、先生ご自身も仏教学というアカデミズムまでが同じ陥穽に陥っていることに対する異議申し立てに起因する創造的示唆なのではないかと思います。

だからこそ、先生は我が身で知らせながら、専門的手続きを決しておろそかにすることなく、狭苦しい仏教学という枠組をやすやすと乗り越えていったのだろうと思います。

そのひとつの実践道場としての「寺子屋」である東方学院もその一事例であることは言うまでもないでしょう。

たしかに、世界が狭くなっていく、そして通俗的には葬式仏教の限界といったものが露わになるにつれ、制度宗教の側でも、それなりの対応を講じていかない限り、じり貧になっていくことは明らかですから、そうした方向へシフトしつつあるとは思います。

もちろんまだまだな訳ですが、超宗派というのは、なんらかの作業仮説のような一なるものへ消化されるという意義ではなく……理性の宗教や、宗教におけるエスペラントなるものの創造というものは糞でしょうけど……参与の形式として「超宗派的な共同」は現代世界において必要不可欠ですし、「古いドグマ」に閉じこもることのナンセンスもあきらかだからです(※ただしここでも、時代に対するおもねりとしての改変もまたナンセンス)。

そして、世俗性に関しても国際性に関してもいうまでもありません。それぞれの独自性とは、他なるものと真摯に対面することによって、いっそうそれが輝き深まるからであります。

こうした3つの軸へのシフトは歓迎してしかるべき流れだとは思いますが、ところどころで指摘したとおり、安易な迎合は慎重に退けていってしかるべきですから、その動向を見守りたいなあとは思います。

さて、後半部分は、宗教のもつ「排他性」の問題。
特にここでは素材として日蓮門流の歴史が検討されておりますが、これは、実際のところ、日蓮関係にだけ限定される問題でないことも明らかでしょう。

その宗教がその宗教として他と違うという意識がなくなってしまうと宗教は存在することができません。もちろん、その意識が排他的なものとなって人々を苦しめてきたことは明らかですが、それを完全抹消することは、まさにそれぞれの宗教というものの消滅を意味するから、「二番、三番があっての一番」という絶対性をどのように担保していくかは、大きな課題であるとは思います。
※もちろん、これは敷衍すれば、宗教にだけ限定されるものでもありませんから、例えば、他者を否定することによって、自分の存在を充足させようとするネトウヨ的承認欲求のようなものも似たところがありますので、真理をめぐる問題に限定されない人間の生き方の問題と相即不二になっているとは思います。

で……。
鶴見さん、中村さんともに、排他性の問題は問題があるけれども、積極的な面にも注目する必要があると話を進めますが、「どうして明治以後は日蓮宗を通してだけ、実に創造的な宗教運動が出てきたんでしょうか」という問いに対して、それを日蓮のもつバイタリティ、そしてその随伴者たちの「日蓮の精神を現実に生かすんだという意欲」に見いだそうとしています。

もちろん、そのバイタリティには退けられてしかるべき事例の方が多いとは思いますが、日蓮自身の生涯を想起するならば、その批判の排他的エネルギーは実際のところどこに向けられていたのかと誰何した場合、それは、「国家の支配統制」であったことには注目すべきではないかと思います。

「おさえている権力に対して抗争すること」としての日蓮のバイタリティ、この創造的エネルギーは現在うまく機能しているのか。

「だんだん増えてくると先鋭な排他性が希薄」になるのは必然だと思いますが、社会において一定の影響力を与えうる、足場を固めたあとだとしても、「おさえている権力」に対しては、一定の預言者的スタンスを失わない。日蓮門流にはかくあって欲しいとは思います。

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覚え書:「ひと 大作「3・11鎮魂と復活」に願いを込めた前衛書家 千葉蒼玄さん」、『毎日新聞』2013年01月01日(日)付。

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ひと
大作「3・11鎮魂と復活」に願いを込めた前衛書家
千葉蒼玄さん(57)

 びっしりと書き込まれた文字が迫ってくる。高さ3メートル60センチ×幅9メートル。東日本大震災からの再生への願いを込めた。昨年10月に完成した。
 3・11は仕事で東京にいた。やっとのことで自宅のある宮城県石巻市に戻ると、惨たんたる光景が広がっていた。家は無事だったが、代表作をはじめ作品の大半を津波で失った。「押し寄せるように黒い壁が来た」。門人から「その時」の恐怖を聞かされた。
 津波の跡に立ち、目を奪われたものがある。新聞紙だ。「家の壁に新聞紙がへばりついていた」。流されてもへばりつくその姿に再生への力を感じ、これを書こうと決めた。
 「11日午後2時46分ごろ、東北地方で非常に強い地震があり……」。震災発生から1カ月の毎日新聞と地元紙の記事。これを昨年の元旦から書き連ねていった。襲いかかる津波と亡くなった人たちを思いながら。書いても書いても尽きない。「震災を伝える新聞の情報量の多さにも驚いた」という。
 震災の8カ月跡に家も失った。が、多くの門人に囲まれ悲嘆したふうはない。
 「流された作品以上のものを書こうと思っているから、意気消沈はしていない。石巻に住んでいる者が(被災地のことを)発信しなきゃならないし、伝えることは芸術家の使命ですから」
 作品は4~16日に開かれる「TOKYO書2013」(東京都美術館)で展示される。
ちば・そうげん 玄穹社(げんきゅうしゃ)主宰。書道芸術院事務局長として本部のある東京と石巻を往復する。毎日書道会評議員。
    --「ひと 大作「3・11鎮魂と復活」に願いを込めた前衛書家 千葉蒼玄さん」、『毎日新聞』2013年01月01日(日)付。

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書評:「植木雅俊『思想としての法華経』(岩波書店)、『第三文明』2013年2月、95頁。

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法華経の神髄をえぐりだし、研究史を画する一書

 著者は、サンスクリット原典から『法華経』、『維摩経』の画期的な訳業を世に送り、その明晰(めきせき)な訳文と創意に富む訳注は仏教学に新たな息吹(いぶき)を吹き込んだことで知られる。
 本書は、これまでの成果をもとに、『法華経』を「思想」として読み解き、主要なテーマを詳細に論じた一冊だ。
 法華経の神髄とは何か--。「真の自己に目覚めること」である。この認識から他者への目覚めへと展開するダイナミズムが可能となる。認識における止揚(しよう)の論理と実践における寛容の思想の解明が本書の圧巻であろう。
 宗教の歴史とは、権威化・硬直化という必然にどのように応答していくのかという歩みといってよい。欺瞞(ぎまん)の襞(ひだ)に分け入る応答がなくなれば、「人間のために」という溌剌(はつらつ)さは人間を差別するイデオロギーとして機能する。このことは学問についても同じである。往々にして文献学は煩瑣(はんさ)な訓詁学(くんこがく)へ傾き、思想家は文献を疎(おろそ)かにしがちだ。著者は梵漢和(ぼんかんわ)のテクストに一字一句忠実である。同時に、そのアクチュアリティ(現実性)を浮かび上がらせるから驚くほかない。
 著者は環境と時間に恵まれた研究者ではない。仕事のかたわら、稀代(きだい)の碩学(せきがく)・中村元博士のもとで修学を重ね、穴を穿(うが)つような研鑽(けんさん)を続けてきた。著者の半生が序章で語られるが、それは真理に蓋(ふた)をする「虚栄心」との戦いでもあったという。原典と素直に対話する。そこから文献に裏打ちされた思想が初めて立ち上がるのだ。
 本書の出現は、学芸の歴史において一つの「快挙」「事件」といってよい。通読する中で、法華経のイメージが一新される。多くの人に手にとって欲しい。
--拙文「植木雅俊『思想としての法華経』(岩波書店)、『第三文明』2013年2月、95頁。

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