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「民衆に平和を取り戻させるには、経済開発にたいして草の根からの民衆の手で制裁を加えることが重要」なことについて

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……平和をことばに置きかえることのなんとむずかしいかを思わずにはいられない。私には、民衆の平和は民衆の詩と同じように独自のものに思われる。だから平和の意味を考えるのは、詩の解釈と同じくらいに骨の折れる仕事なのである。
 時代が異なり、また文化圏が異なるに応じて、平和の意味も異なるのだ。これは石田雄教授が述べている論点である。彼が提起しているように、同じ文化圏でも、中央部と周辺部とでは平和の意味が違う。中央部では、平和はもっぱらそれを維持するということに重点が置かれるのに対して、周辺部に住む人々は、平和な生活を、つまり「自分たちの生活を平穏にしておいてくれる」ことを念願する。しかし、この民衆の平和という第二の意味は、いわゆる発展=開発の時代とされたこの三十年ほどのあいだに失われてしまった。このことが私の主要な論点なのである。開発にかこつけて、民衆の平和にたいして世界的な戦争がしかけられてきたのだ。すでに開発ずみの地域には、民衆の平和はほとんど残っていない。民衆に平和を取り戻させるには、経済開発にたいして草の根からの民衆の手で制裁を加えることが重要なことと考える。
    --I・イリイチ「平和とは人間の生き方」、玉野井芳郎、栗原彬訳『シャドウ・ワーク 生活のあり方を問う』岩波現代文庫、2006年、18-19頁。

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ちょうど、今から30年近く前に、来日したイリイチの講演録の冒頭部分なのですが、イリイチが生きた時代以上に、「平和のため」という幟旗によって平和を「根こぎ」にしてしまう風潮が強くなったように感じる。

インドの文人・アルンダティ・ロイ女史は、民主主義の名のもとに、搾取と貧困、差別と格差が拡大していると指摘した。

しかし、このことは、遠い海の向こうの話ではないだろう。

政府があらかじめ用意した都合の良い「絆」なんてものは糞食らえと思う。しかし、隣近所においても、そして全くしらないところでも、人間が人間に手をさしのべることが希薄となり、関心も抱かなくなるようになると同時に、人間の生きている世界を企業や政府にだけ「おまかせ」した「開発」だけでなんとかなるという発想は、この国においても、その気配が加速度的に伸張していると思う。

加えて、完全な“正義”の言論は、これまた錦の御旗のように「拡声器」で「いやさか、いやさか」といわんばかりに、“連呼”されている。

しかし、実際のところ、健全に機能しているようには思えない。

地に足のついた「民衆の手で制裁を加えること」をもういちど、生活空間のなかで、試行錯誤していくという“蟻のような営み”が重要なのではないだろうか。

「民衆の平和は民衆の詩と同じように独自のものに思われる」。

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