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私は……自国内では、潜在的にあるいは実際に暴力的になりかねない多数派の一員です。

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 私はバラモンで、バラモンとして生まれ、すなわち上層カーストとして生まれ、先に述べた通り、潜在的に暴力的な--すべてのヒンドゥー教徒が暴力的なのではありませんが--それでも自国内では、潜在的にあるいは実際に暴力的になりかねない多数派の一員です。私は非常に普遍主義的で反カースト主義的な両親に育てられました。現在は合州国の非常に権威ある大学で教えています。私が「私の」あるいは「私のもの」と言うときには、非常に慎重であるべきですし、また確かに慎重であると思います。そういう言葉が思い浮かぶとき、私は即座に何が問題であるかを考えるのです。愛するものを自分のものだと言えないこと、これが権力ブロックに同一化されるときに起こることなのです。松本さん、愛がなくなってしまったのではありませんが、ただ私は、知的なプロジェクトを愛の上に築くことはできないだけです。合州国や英国では、私のような人たちが少数派として、多数派が自分たちを理解してくれないと不平を言いたくなる誘惑は、非常に強いものです。そういった誘惑に「否」と言ったために私は苦しみ、私を支持してくれる人もありません。あなたは私に大変重要な質問をしてくださいました。同じ答えの二つの側に立ちつつ、これからも友達であり続けましょう。
    --G・C・スピヴァク(中井亜佐子訳)「他のアジア」、鵜飼哲監修『スピヴァク、日本で語る』岩波書店、2009年、153-154頁。

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新年初日の授業は、Humanismusの系譜について少々お話をしました。哲学の要といってよいStudia humanitatisと切っても切り離すことのできない問題になるのでホントは、丁寧にやるべきなのですが、時間の都合もあり1コマだけになり、申し訳ない次第です。

さて、要の東西を問わず共通していることは、人間は教養(←それが何かについてはひとまず措きますが)を深めること、そして人間同士の切磋琢磨によって、人間性は涵養されるという発想ではないかと思います。

そして、前者においては、論語読みの論語知らずに、そして後者においては、本来お互いの精神を真摯に磨き合う対話といったものが知的遊戯に陥ってしまうというのも、東西に内包された問題ではないかと思います。

ともあれ、人間を大切にしようという発想は、人間の歴史そのものといってよいのですが、現実には、人間を大切にしょうという発想のもとに、人間自身が台無しにされてきたのもその歴史であると思います。

それについては、様々な理由を挙げることができると思いますが、ひとつは、その人間を、いわば、“どう設定するのか”ということと密接に繋がっていると思います。すなわち人間/非人間という二項対立の問題のことです。

カントは、『純粋理性批判』において、哲学とは何かという問いに対して「人間とは何か」という探究であると応えました。確かに、あらゆる思想・宗教は「人間とは何か」という問いを探究し続けます。しかし、それを定義することはある意味では不可能であるし、人間とはいったんなんらかの形で「定義」されてしまった瞬間に「非人間」という存在を不可避に設定することにもなってしまいます。
※勿論、だからといって、その問いの探究なんて「無駄だ」というのは早計ですが。

もちろん、それは思想の話ですよね?といわれてしまえば、そうですけれどもと思いますが、簡単にそうも言い切れないのが人間の歴史ではないかと思います。一方に「人間」なるものが存在し、一方にいわば、人間「未満」のような存在を設定するから、暴力や支配というものが容易に容認されてきた……。だとすれば、アカデミズムや思想や宗教だけに限定されるものでもないということが容易に分かるのではないかと思います。

その意味では、Humanismusの系譜を学ぶとは、同時に「人間とは何か」を学ぶという事柄にほかなりませんが、自分とは何であって、他者とは誰であってということを学ぶこともでもあり、絶えず生活者として「二項対立」を不断に退けていく意志を身につけていくことではないかと思います。

まあ、たった90分でしたが、簡単に「人間主義大事だよね」とみなさんは仰いますが、「人間主義は大事」だけれども「その対象となる人間は、こういう人間であって、こういう人間は、人間主義の対象にはならないんだよねw」などとはなって欲しくないとは思います。


さて、以下はおとといの連続twのまとめですが、これも考えるヒントになると思いますので、少し併載しておきます。まあ、市井の職場でのクレームのお話。

1.「責任者だせ」で1時間、お話を伺っておりました。今回の場合、こちらが百%悪い。誠心誠意お詫びし続けた。詳しくは措きますが接客クレーム。どうして最初に「申し訳ございませんでした」の一言が出てこないのだろうか。確かに焦りはあったと思うのだが。ともあれ案件クローズでほっ、ともかく疲れた

2.私は素直さや熱心さが最高の美徳だとは言い切れないと思うし、同時に全てが策戦で片づくとも思わない。しかし、たいていの場合、こちらに不始末があった場合は、先ず「申し訳ございませんでした」が筋なのではないか。勿論どちらに由来しようがいいと思う。

3.「ああ、それは氏家さん、もう企業の奴隷の発想ですよ乙」とかいわれてしまうともう二の句を継げることができないけど、馴化されることと、理解してそう振る舞うことは同義ではない訳だしねえ。ともあれ、あたまがまっちろになったっていうのをしりぞけることも大事なんだけどね。

4.ともあれ、くたくた。こちらが悪いし、仕事なので仕方ないけど。しかしなんだ。テレオペの仕事もそうだったけど、結局は一番ボコボコにされるのは、当事者ではないつうかほんちゅうか。だから、twなんかで電凸拡散♪みたいのを見るとぞっとする。効果あるのか? ホント呪いの時代(内田樹)だ。

5.ただ、同時に、……そしてこれは僕が慈悲深い訳でもなく(ってみなさんご存じですが)……、ああ、だからそういう呪いをかけてくる人間は、もはや人間ではないから、ぶっ殺してもよいっていうような脊髄反射だけは絶対に退けていかないといけないと思っています。

以上。

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