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書評+研究ノート:シーナ・アイエンガー(櫻井祐子訳)『選択の科学 コロンビア大学ビジネススクール特別講義』文藝春秋、2010年。


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 コカ・コーラは一八八六年に発明されて以来、攻撃的でしばしば巧妙な広告戦略を通じて、消費者の心とアメリカ文化の中にしっかりと根を下ろしてきた。コカ・コーラ者は、イメージが製品そのものより重要だということに、いち早く気がついた企業だ。この一世紀の間に数十億ドルもの資金を投じて、あのどこでも見かけるトレードマークと、特別な色合いの赤で塗られたおなじみの缶を、テレビ・コマーシャルや雑誌、広告、そして特にハリウッド映画に登場させてきた。コカ・コーラの看板は一九三二年以来、マンハッタンのツー・タイムズスクエア・タワーの看板の下段を占めている。同社は第二次世界大戦中、前線の後方でコーラを瓶詰めするために、二四八人もの「技術顧問」を海外に送った。また人気画家のノーマン・ロックウェルに、アメリカの農場の少年たちが海水浴場でコーラを飲んでいる絵を描かせた。世界中から集まった若者たちが丘の上で「世界にコーラをおごりたい」と歌った七〇年代のコマーシャルを覚えている人がいるだろうか? あの歌は、トップテン・ヒットになった。人々はお金を払ってまで、コカ・コーラのCMソングを聴いていたのだ! コーラは単なる飲み物以上の存在なのである。
 サンタの服がコーラのラベルとまったく同じ色の赤だということに、あなたは気づいていただろうか? それは偶然ではない。コカ・コーラ社はこの色の特許を取得している。サンタクロースは明らかに、コカ・コーラの宣伝マンなのだ。
 それだけではない。わたし自身の経験から言えば、コーラは自由を象徴する。わたしがベルリンに行ったという話は前にした。一八九八年一一月のベルリンの壁崩壊に続く祝典では、缶コーラが無料で配布された。それから何年もたった頃、コカ・コーラのマーケティング・キャンペーンについて研究しているとき、初めて無料コーラのことを思い出したのだった。そうだ、自由の象徴として讃えられたあの日、わたしはたしかにコーラを飲んだのだ。壁から削り取った色とりどりの破片を左手に持ち、右手にはコーラ缶を握っていた。もしかしたらわたし自身のコーラ好きも、そのとき動かぬものになったのかも知れない。わたしの中ではこのとき、コーラが、自由やそのほかのアメリカの理想と結びついたのだ。
 二〇〇四年にタイムズスクエアの新しいコカ・コーラの看板がお披露目されたとき、ニューヨーク市長のマイケル・ブルームバーグは、テレビの全国放送でこう言った。
 「この看板は、何よりもアメリカを象徴しています……。コカ・コーラ社は、これまでずっとニューヨーク市の偉大なるパートナーであり、アメリカの偉大なるパートナーでした。コカ・コーラ社は、すべての善きものを守るために戦ってきたのです」
 わたしたちはこうしたメッセージに絶えずさらされており、その結果として、コカ・コーラのロゴを見るたびに良い気分になる。そしてこのような良い感情が、飲料の味にふくらみを持たせる。コーラの味は砂糖と天然香味料だけではない。自由の味がするのだ。
    --シーナ・アイエンガー(櫻井祐子訳)『選択の科学 コロンビア大学ビジネススクール特別講義』文藝春秋、2010年、200-202頁。

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シーナー・アイエンガー『選択の科学 コロンビア大学ビジネススクール特別講演』文藝春秋、読了。本書は盲目の女性シク教徒の著者が「選択」をテーマに、社会心理学における知見をまとめた一冊。根本的には、自分の選択に責任をもつことの重要性を各種、実験から明らかにする。

選択肢の過多は必ずしも合理的選択とはならないし、一見すると強制に見えるものが、かえって選択者を活かすこともある。人生は、運命、偶然、選択という3つの観点で語ることができると著者は言う。本書で紹介される豊富な実験は、流行本ながら思考をリセットするうえで有効か。

個人的には……おそらく文脈からはずれるであろうが……野家啓一さんの『物語の哲学』(岩波書店)で語られる「物語論的歴史哲学」を想起。選択の意義を問う(=責任を持つ)とは、物語ることの普遍的意義とも連関か。これは後日の課題。

選択後の自己認識を、今のご時世は全て「自己正当化乙」式で片づけてしまう早計さがあるような気がする。勿論パターナリズムにみられる「正当化」は不要ですけど、自分自身のなかで、価値的に整合性をつけていく「物語る」力には、人間をよりよく活かす力があるような気がしてほかならない。

何らかの失敗をしたとき、それを吟味することは必要不可欠だと思う。しかし、なにぶん、現在は「早急な社会」--。そういう反芻すらも「言い訳探しかッ ゴルァ」ってなってしまうと不毛な気がする。失敗したときだけでなく首尾よくいったときも検討することは必要なのではないでしょうか……ね。

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