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覚え書:「今週の本棚:荒川洋治・評 『庶民烈伝』=深沢七郎・著」、『毎日新聞』2013年02月03日(日)付。

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今週の本棚:荒川洋治・評 『庶民烈伝』=深沢七郎・著
毎日新聞 2013年02月03日 東京朝刊

 (中公文庫・740円)

 ◇隠れたものに向きあう文章と心

 「楢山節考」で知られる深沢七郎(一九一四-一九八七)が一九六二年から一九六九年にかけて書いた、連作の短編七編を収める。ほぼ約半世紀前のものだが、いまも心を強くとらえるものばかりだ。

 深沢七郎の文章には「(そうか)」とか「(ハテナ)」とか「(まずいな)」とか、いまや子どもの作文にも出てこないような安手な表現があちこちにあるので、ふつうの文学とは別の空気が漂う。本書の、二番目に置かれた「おくま嘘歌」は、鶏を飼う六三歳の女性、おくまさんの話だが、「おくまは今年63で、」という書き出し。「六三」ではなく「63」なので、文学の裾野にしがみつくぼくは(こまったな)、漢字の「六三」あるいは「六三歳」にしてほしいと思うが、そうはしないのだ。こういう無造作なことばでいつのまにか話は始まり、とても深い空気のなかへ入っていく。

 夫は亡くなったが、おくまさんには、息子と娘、二人の子どもがいる。嫁いだ娘にも、孫がいる。おくまさんはときどき孫(シゲオ)の顔を見に、娘(サチ代)の家へ。でもそれは「嘘」で、ほんとうは娘の顔を見たいのである。「ちょっくら、行って来るけんど」と家を出て、娘の家に向かうのである。

 <サチ代が、

「あれ、おばあちゃんが来たよう、坊(ボー)の顔を見たくて」

 と言ってこっちを向いた。孫の顔を見たくて来たのだとサチ代は思ってるので、

「坊の顔を見たくて来たのオジャンけ」

 とおくまは嘘を言った。>

 そのあとの場面--。

 <「あれ、よかったよオ、まったく、坊は」

 とおくまは意味もないことを言いながらシゲオを背負(おぶ)った。

「あれ、まったく、よかったよオ」

 と言いながらおくまはのろのろ廻り歩いた。>

 おくまさんは、いっしょに暮らす息子夫婦に冷たくされているので、出かけるのではない。嫁も、もったいないほど、いい人で、その点に問題はない。サチ代がわが子シゲオが可愛いように、おくまさんも自分の娘サチ代が可愛いので、会いたいのだ。でも「シゲオの顔を見たくて来たと言った方がサチ代は喜ぶだろうと思った」のである。「よかったよオ」と、「意味もないことを言いながら」と深沢七郎は書く。これら、ちらちらとつづく文の、なんと美しいことだろう。

 孫も見たいが、娘の顔を見たい。それは、こうした年齢の母親のごくふつうの感情かもしれない。その「娘に会いたい」気持ちがここまでしっかりと抱きとめられ、誰もの心に届くようにつづられた形跡は、これまでの日本文学にはなかった。あまりに自然で純粋なあまり、隠れがちなものがここではすくいとられるのだ。この情景を目におさめるだけで、人は、半年や一年、何もなくても生きていけるのではないか。ここには「1人」の心の、すべてを見通す目がある。いまは知ることも、見ることもできない人間の目であると思う。

 「べえべえぶし」は、いつも「べえべえぶし」をうたっていた父親の死。そこへ、小さな子ども「4人」を自転車にくっつけて、おぶって(すごい)、かけつける娘の姿は、いつまでもまぶたに残る。「安芸(あき)のやぐも唄」は、天地を変える大きなできごとのあとの「1人」の感覚をこれまでにない受けとめ方で書きしるし、深い感動へいざなう。深沢七郎は、いろいろな「1人」の話を書いた。隠れた心を表した。
    --「今週の本棚:荒川洋治・評 『庶民烈伝』=深沢七郎・著」、『毎日新聞』2013年02月03日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130203ddm015070009000c.html


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