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覚え書:「書評:一四一七年、その一冊がすべてを変えた [著]スティーヴン・グリーンブラット [評者]荒俣宏」、『朝日新聞』2013年02月10日(日)付。

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一四一七年、その一冊がすべてを変えた [著]スティーヴン・グリーンブラット
[評者]荒俣宏(作家)  [掲載]2013年02月10日

■教会も受容した死を超える快楽

 イタリア・ルネサンスの大物が活躍する半世紀ほど前の15世紀初頭、教皇秘書として古典写本の蒐集(しゅうしゅう)翻訳に携わったポッジョ・ブラッチョリーニが、立場を逸脱してまで救済した一冊の「超奇書」にまつわる歴史物語である。
 込み入った内容だが、逸話やイメージを随所に提示する手法のおかげで、流れの勘所を見失う不安はない。たとえば巨匠ラファエロの大フレスコ画「アテナイの学堂」が出てくる。古代ギリシャからアジアに及ぶ多彩な哲学者たちが、サンピエトロ大聖堂に参集し自由に議論を闘わせる空想的な場面である。この絵が、教皇の書庫兼執務室の壁に飾られた理由は明白だ。カトリックがどんな哲学や思想をも内部に取り込めるという自負を示したものだからだ。この開明性こそは、ルネサンスを推し進めた精神なのである。
 ところが主人公ポッジョは、すこし早く生まれてしまったために、教会はまだ異教弾圧時代であった。そんな時期に彼は、キリスト教どころか、世界の宇宙観を覆すほどの劇薬詩、ルクレティウス作「物の本質について」を、偶然に発見してしまう。が、これは救命薬にもなる可能性があった。
 本書の著者グリーンブラットによる本の発見が、ポッジョと重なる。学生時代のある日、著者は天上界のシュールな性行為が表紙に描かれた本を在庫処分品の山から救いだす。価格10セントの見切り品を、読みだしたら没入した。春になってヴィーナスが訪れると、天候は晴れやかに輝き、全世界が子孫を繁殖させようと狂おしい性的衝動に満たされる。この世は生と死の無限連鎖にすぎず、知的な設計者もいないし、人間の死など宇宙の関心事ですらない。
 著者は激しい衝撃を受けたという。彼の母は若い頃から死への恐れを抱き続け、母の怯(おび)えが息子にも重荷を負わせた。あの「死への恐怖」とは、何だったんだ?
 約600年前、ポッジョが抱いた疑念も、教会による「死への恐怖」の植え付けと、その救済法を独占することで権威を保つ体質だった。「快楽主義」の開祖エピクロスは性的な遊戯にふける淫猥(いんわい)な人物に貶(おとし)められ、その思想を宣伝するルクレティウスの詩をポルノに矮小(わいしょう)化され、作者も「媚薬(びやく)のせいで頭がおかしくなり、四十四歳のとき自殺した」と吹聴され、いったんは抹殺が成功したのである。
 さあ、ポッジョは原典再発見を機に、「死に打ち勝つ快楽」の思想をカトリック教義に同化できるのか? ルネサンスの知られざる暗闘は、やがて詩文を視覚化したボッティチェッリの名画「春」を生み、エピクロスをも加えた「アテナイの学堂」を教皇の書庫に掲げさせるまでになるのだが。
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 河野純治訳、柏書房・2310円/Stephen Greenblatt 43年米国生まれ。米ハーバード大学教授。世界的なシェイクスピア学者。本書で昨年のピュリッツァー賞ノンフィクション部門受賞。邦訳書に『シェイクスピアの驚異の成功物語』『悪口を習う』など。
    --「書評:一四一七年、その一冊がすべてを変えた [著]スティーヴン・グリーンブラット [評者]荒俣宏」、『朝日新聞』2013年02月10日(日)付。

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