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覚え書:「今週の本棚:湯川豊・評 『ちょうちんそで』=江國香織・著」、『毎日新聞』2013年02月24日(日)付。

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今週の本棚:湯川豊・評 『ちょうちんそで』=江國香織・著
毎日新聞 2013年02月24日 東京朝刊


 (新潮社・1365円)

 ◇愛しすぎた人間のなかに残ったもの

 江國香織氏の新しい長篇小説には、ずいぶん斬新な工夫がその構造の中にほどこされている。端正で落ちついた文体のせいで、ギスギスした実験のように表立たないのだけれども。

 まず、物語の始まる場所を見よう。雛子(ひなこ)という主人公は五十四歳、東京からかなり離れた所にある養老施設でひとりで暮らしている。いや、ひとりではないかもしれない。架空の妹(名は飴子(あめこ))が四六時中現われ、幻の対話の中で日々が過ぎてゆく。

 隣室で妻と共に暮らす丹野(たんの)龍次という老人が、わりとよく雛子の部屋に訪ねてくる。雛子は歓迎はしないが、拒みもしない。丹野は、かつて命をかけたような激しいドラマを体験した女性を、この若い入居者の中に嗅ぎつけていて、気になって仕方がないようだ。

 そのような雛子の暮らしがまずある。そのうえで、章が進むにつれて、説明なく様々な人物が登場し、独立した場面を作ってゆく。ちょうどハメ絵のように、断片が少しずつ人物同士を関係づけて、ゆっくりと全体像が現われる、というような構成だ。

 最初の章に、生後間もない赤ん坊を連れた、若い夫婦である正直(まさなお)と絵里子、正直の弟で大学生の誠とそのガールフレンドの亜美が、夏の海辺で遊んでいる情景がある。話が進むにつれて、正直は雛子の最初の結婚でできた子(夫は病死)、その子を連れて再婚し、誠が生まれたことがわかる(この夫は健在)。

 また次の章で、カナダのある町の日本人学校に通うなつきという少女が現われる。なつきは小島先生を特別にしたっている。なつきが小人を見たことがあるという話を、笑ったりせず、まっすぐに信じてくれた。

 この痩せて小柄な小島先生こそが、妹の飴子であることが、やがて明らかになる。飴子は三十一歳のときに妻子ある男と駆け落ちした。その時はまだ雛子と連絡があったが、男が妻のもとに戻ったとき、今度はほんとうに行方不明になった。雛子は妹がどこにいるかを知らず、現われる架空の妹は、いつも二十代とか十代の若い姿をしている。

 そのようにハメ絵の部分が少しずつ置かれていって、人間関係と、それぞれの身に起こったことが否応(いやおう)なく見えてくる。推理小説的手法の応用ともいえるが、一気に何かが解き明かされるわけではない。部分が繋(つな)がって、逆に人間存在のナゾがゆっくりと深まってゆく。斬新で趣きの深い手法だ。

 雛子は、自分にはもう記憶しかないのだ、と思う。架空の妹とのおしゃべりによって現われる、穏やかだった時代の記憶だ。二人並んで窓から顔を出してむさぼった雨の匂い。「六番街」にいたときの、町の夕方の匂い。それだけが人生の価値であるかのような思い出が、すばらしい描写によって現われる。

 しかし一方で、雛子には封印してある記憶がある。人を愛しすぎたことによる破滅的な体験があり、封印することによって自分の中に死の一部を抱えこんでしまった。それでも、痛切な悲しみが、押さえがたく心身に滲(にじ)み出てくる。

 小説の結びで、雪がひらひらと散らつく夜、架空の妹が弾くピアノを聴きながら雛子は思う。現実に存在しない音の一つ一つが降りてきて、消えてゆく、「雪のように、記憶のように」。

 この言葉、雛子が思っているのか、作者が雛子をいとおしみ、慰めているのか、混然として判断がつかない。

 愛しすぎた人間二人の、痛切で苦い人生をみごとに形象化した果てに、やさしく慰撫(いぶ)するような文章が残る。すばらしい小説の達成という以外にない。
    --「今週の本棚:湯川豊・評 『ちょうちんそで』=江國香織・著」、『毎日新聞』2013年02月24日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130224ddm015070013000c.html


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