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「私が私である」ことは、「私」以外のものによってしか証明されない。


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 先日わたしは、ある高名な画家の手になる詩を何編か読んだが、独創的なもので、ありきたりのものではなかった。たとい主題が何であっても、このような詩句のなかに、魂はいつも何かの戒めを聞きとるものだ。これらの詩句がそそぎこむ情感は、詩句にふくまれているかもしれぬどんな思想よりも価値がある。自分自身の思想を信じること、自分にとって自分の心の奥で真実だと思えることは、万人にとっても真実だと信じること、--それが普遍的な精神というものなのだ。内面的なものは時いたればもっとも外面的なものとなり、われわれの最初の思想が、最後の審判のらっぱによって、われわれのところへ返されるからだ。精神の声は誰にとっても親しいものだが、われわれがモーセやプラトンやミルトンのもっともすぐれた長所だと思うのは、彼らが書物や伝統を無視して、世人がではなく、自分たちが考えたことを語ったという点だ。詩人や賢者が星のようにいならぶ天空の輝きよりも、内部から閃いておのれの精神を照らし出すあの閃光を、人間は目にとめ、注視できるようにならねばならぬ。それなのに人間は、自分の思想を、自分のものであるだけに、かえってあっさり見捨ててしまう。
    --エマソン「自己信頼」、坂本雅之訳『エマソン論文集(上)』岩波文庫、1972年、193頁。

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先日、子どもが「サザエさん」を見ていたら、お父さんの波平さんが、オートバイの免許を取ろうとする話だった。話の筋は割愛しますが、「免許があれば身元を証明するときに便利」云々というの取得目的で、なんだか印象的だった。

私自身、自動車・オートバイの免許を取得していないので、本人確認をしなければならないときは、いろいろと面倒くさい。たしかに免許証というのは、私が私であることを証明するうえで有用なアイテムだということは理解している。

しかし、少し立ち止まって考えてみると、「私が私である」ことは「私」によっては証明できないのが人間の世界なのかもしれない、とふと実感してしまう。

それがモノであれヒトであれ、「私が私である」ことは、「私」以外のものによってしか証明されない。

だとすれば、「私が私である」ことは、戸籍のような「登録情報」としての「データ」という意義だけでなく、「私が私である」ことは、他者によって不断に生成されるものともいえる。

デリダによれば、「私が私である」ことを自分の耳で聞きたい欲望を人間は持っている。それは、ひょとすると他者によって規定されることへの抵抗なのかもしれない。しかし、それは「私が私である」ということを証明しえないにも関わらず……。

もっとも、自己同一性の問題に関しては、過度の実在論も過度の相対論も早計ではありますがね。

当たり前といえば、当たり前の話にもかかわらず、このパラドクスは日常生活に考えるヒントが山積していることを物語っているのではあるまいか……などと・・・ネ(苦笑

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