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覚え書:「今週の本棚:堀江敏幸・評 『メモワール-写真家・古屋誠一との二〇年』=小林紀晴・著」、『毎日新聞』2013年03月24日(日)付。

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今週の本棚:堀江敏幸・評 『メモワール-写真家・古屋誠一との二〇年』=小林紀晴・著
毎日新聞 2013年03月24日 東京朝刊


 (集英社・1785円)

 ◇悲劇に昂ぶる“人間の闇”を追って

 若い写真家が先達の仕事に強く引きつけられ、その作品を前に感じた昂(たか)ぶりと、にもかかわらず生じたひとつの疑問の根を探ろうとする試み。しかもみずからの写真によってではなく、瞬間を捉える映像から常に遅れてやってくる、言葉という厄介な手段を用いて。

 論の対象は、一九五〇年生まれの写真家、古屋誠一である。東京で写真を学んだのち、二十三歳で渡欧した古屋は、一九七八年、オーストリアのグラーツで出会った女性クリスティーネと結婚する。その直後から彼女は重要な被写体となるのだが、次第に精神に異常をきたし、一児を遺(のこ)して、一九八五年、当時彼らが住んでいた東ベルリンのアパートから身を投げた。以後、古屋は、亡き妻との時間を仏語のメモワール、すなわち記憶と記録と自伝の意味を兼ねる重層的な表題のもとに、写真集の形で再構成しはじめる。

 彼女をそこまで追い詰めたのは、自分ではなかったか。懺悔(ざんげ)とも供養とも自己批判ともどこか微妙なところでずれを起こす問いを重ねながら、彼は執拗(しつよう)に、もうここにはいない妻と、まぎれもない現在時の対話をつづけていく。一九六八年生まれの著者は、一九九一年、個展会場でその古屋の作品に触れ、衝撃を受ける。彫りの深い、陰りのある表情で、凜(りん)とした空気と壊れかけていく心の磁場を同時にまとうクリスティーネの姿を淡々と追っていく写真の、静謐(せいひつ)な品格。同時にまた、それらすべてを踏み破るような、穏やかならぬ負の力の偏在。見る者の胸を突き刺したのは、自死の直後、横たわる妻を古屋が上から撮影し、小さなコンタクトプリントの一コマとして発表していたことだった。

 私的な悲劇の現場を、なぜ人々の目に晒(さら)す必要があるのか。このような出来事を「自分の作品」にしていいものなのか。最初の問いは、むしろ怖いもの見たさに近い興味関心に根ざしている。しかし本書が特異なのは、一対一の関係に収まる疑念が、もっと規模の大きな不幸を前にした時の写真家の心の動きに重ねられていることだ。自身がニューヨークで体験した九・一一。そして十年後の、すぐには現地入りしなかったという三・一一。倫理的なためらいの生じる場へ、写真家はなぜ出向くのか。悲惨な光景のなかに美を認めて高揚しかねない、あるいはすでに昂ぶっている自分を、どう受けとめるのか。

 古屋の世界と向き合いながら、著者はプラトンの「呪われた眼(め)」を意識し、場所を変えて幾度も対話を重ねていくうち、相手の人生と作品世界に半身を入れてしまう。論述の対象が自問の核となり、かけがえのない師のような存在になっていく。だからこそ、古屋がいまはもうここにいない妻との向き合い方を模索しつづけ、写真だけでなく彼女がドイツ語で遺したノートの一部を公開した際、「得体(えたい)の知れなさ」を感じて、対話の中断を余儀なくされたのである。それでも離れなかったのは、古屋の世界には「人が生きていくなかで体験するであろう普遍的な要素が多く含まれている」からであり、自分のなかに「一人の人間が抱えている闇をとことん見てみたい欲求があった」からだと著者は書く。

 ここで示されているのは、古屋が古屋でありうる理由と、その闇に魅了され、至近からそれを観察し得た希(まれ)な体験を言葉の「作品」にしたいという想(おも)いの衝突である。両者が複雑にからまって、「作品」というそれこそ得体の知れない謎めいたよじれの結果に立ち到(いた)る事実を、本書は最も自然な現象として読者に差し出しているのだ。
    「今週の本棚:堀江敏幸・評 『メモワール-写真家・古屋誠一との二〇年』=小林紀晴・著」、『毎日新聞』2013年03月24日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130324ddm015070007000c.html

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メモワール 写真家・古屋誠一との二〇年
小林 紀晴
集英社
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