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語る対象が最初からあるのではなくて、大勢の人がある現象に注目して、それについて語るようになる


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 一般論として、学が産に協力すること事態は頭から断罪はできない。世の中の財を産がつくっている以上、そこに学が貢献することは、巨視的には公共のためになるはずなのである。ただ、問題は貢献の仕方なのだ。私企業の短期的利益のためだけに、大学の教育研究のエネルギーが使い果たされては困るのである。公的教育機関である大学を、手軽なアウトソーシング先にしてよいはずはない。
基礎的な知をになう役割をもつ大学において、とくに大切なのは、学問の独立性であり自律性ーである。だから学が産や官と連携する際には、まず原則やルールをきちんと定める必要がある。しかし現状はそうなっているだろうか。
    --西垣通『集合知とは何か -ネット時代の「知」のゆくえ』中公新書、2013年、13-14頁。

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水曜から千葉で担当する倫理学の講座もいよいよ本格的な授業開始となりました。初等教育に「特化」していることもあってか、かなりのスキル系優位のカリキュラムにならざるを得ないのですが、一般教養としての「倫理学」に関しては、何を教えてもらうというスタイルよりも、共に討議するなかで、自分自身でつかみ取ることが大切なのではないかと教養教育に関しては考えておりますので、先ずは、「なんで学問と向き合うことが敢えて必要なのか」というところから始めるようにしております。

そこで孔子の『論語』の冒頭より「学びて時にこれを習ふ、亦説ばしからずや。 朋有り遠方より来る、亦楽しからずや。 人知らずして愠みず、亦君子ならずや。」(学而第一)から、学ぶ意義を確認します。つまり人間が何かを学ぶということは、何らかの目的-手段の連鎖においてそれと向き合うというよりも、学ぶことによって、それを自らの生きるエネルギーに転換していくことが重要になってくるのではないか、という話です。

そして、和辻哲郎の『倫理学』より

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総じて学問すなわち「問うこと」がすでに人間の存在に属することである。元来「学」とは「まねぶこと」「模倣すること」を意味した。すなわちすでに為し得る他の人についてその仕方を習得することである。それは第一に作用、行為であってノエーマ的な知識ではない。第二にそれは他の人との間に行われるのであって孤立人の観照ではない。学が特に知識に関する場合でも、すでにできあがった知識を単に受け取って覚え込むのは学ぶことではない。学ぶのは考え方を習得して自ら考え得るに至ることである。だからこの際ノエーマ的契機を抜き去ってノエーシス的契機にのみ即するならば、学とは人と人との間の局面的面受の関係であるとも言い得られる。同様にまた「問う」とは訪(とぶら)いたずねることである。人を訪ねる、人を訪(と)う、というごとき好意的連関において、その人に安否を問うというごときことが行われる。安否を問うのはその人の存在の有りさまを問うのであり、したがってその人を問うことにほかならぬ、このような間柄の表現が問いの根源的意味である。

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「学問」という言葉の語義(問い・学ぶ)から、「すでにできあがった知識を単に受け取って覚え込むのは学ぶことではない」と指摘し、これまでの「学習観」を破壊するようにしておりますが、ちょと難しい話をしたかなと思いきや、反応を見るとわりと好評でホッとした次第です。

さて、講義後、大学の図書館へ本を返却にいくと司書さんと話しをしていた受講生とばったり。ちょうど授業で紹介した本の返却だったので、「さっきの本はこれですよ」とカウンターで返却して書架へ。

帰り際、司書さんから「彼女、先生の紹介された本を借りていましたよ」と声をかけて頂きましたが、こういうのは嬉しいですね。

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 では、「女ことばイデオロギー」(「女ことば」という規範・知識・価値の体系)は、どのように成立したのでしょうか。女ことばがはなしてきた言葉づかいから生まれたのでないのならば、何によって形成されてきたのでしょうか。実は、その答えは、四つの問題点を指摘したこれまでの議論の中にあります。
 まず、規範としての女ことばですが、私たちはマナー本が女性の話し方の規範にかかわりがあることを確認しました。次に、知識としての女ことばにも、フィクションの登場人物が使う言葉づかいが影響を与えてきたことをみました。最後に、価値としての女ことばにも、新聞投書の影響が大きいことを指摘しました。本書では、これらのマナー本、フィクションの会話、新聞投書などを「言説」という概念でとらえ、女ことばは、言説によってつくられてきたと考えます。
 では、言説とは何でしょうか。フーコーは、言説とは「言語によって語られる諸対象を体系的に形成する実践である」と指摘しています(『知の考古学』)。
 「言説」とは、話し言葉でも書き言葉でも「何々は、○○である」と語る言葉のかたまりです。フーコーはことばに注目して、私たちが何らかの知識や概念を持っているのは、人々がそれについて「ことばで」語ってきたからだと考えました。語る対象が最初からあるのではなくて、大勢の人がある現象に注目して、それについて語るようになる。すると、それの語る行為が、その現象を社会的に意味のある対象にしてきたと考えたのです。
    --中村桃子『女ことばと日本語』岩波新書、2012年、21-22頁。

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