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覚え書:「今週の本棚:三浦雅士・評 『なめらかで熱くて甘苦しくて』=川上弘美・著」、『毎日新聞』2013年04月28日(日)付。

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今週の本棚:三浦雅士・評 『なめらかで熱くて甘苦しくて』=川上弘美・著
毎日新聞 2013年04月28日 東京朝刊

 (新潮社・1470円)

 ◇変容し分裂し融合する「私」を描く短篇集

 川上弘美の小説の特長は限りなく詩に接近してゆくことだ。詩情ではない。詩情は感傷の別名にすぎない。そうではなく、人は誰でも自分自身という謎に向き合っているが、その謎を浮き彫りにする言葉の群が詩であるというときの、そういう詩に、川上弘美は接近してゆくのだ。人は言葉によって自分自身になる。感動とはその自分自身が分解し失われる瞬間のことであり、感動によって生き返ったように感じるのは、その後に自分自身が新たに組織し直されるからである。

 『なめらかで熱くて甘苦しくて』は「アクア」、「テラ」、「アエル」、「イグニス」、「ムンドゥス」と題された五つの短篇からなる連作。短篇原題はローマ字表記だが、それぞれ水、土、空、火、世界を意味するラテン語。西洋のいわゆる四大元素を並べた後に、それらを包含するように世界という語が置かれているわけだ。

 短篇はいずれも基本的に二人の登場人物からなる。汀(みぎわ)と水面(みなも)、加賀美と麻美、妊婦と胎児あるいは母と子、青木とわたし、「それ」と子供。図解すれば、別人であるはずの二人がひとつに混じり、同一人物であるはずの一人が二人に、三人になってゆく、そういう世界であって、異様な酩酊(めいてい)感に襲われるが、考えてみればこれは自分自身というものの一般的なありようなのである。

 人が鏡を見るのは、もともと見る私と見られる私の二人が私のなかにあるからである。鏡以前にも人はたとえば水面に自分自身を見ていた。川上弘美は、人間のそういう仕組のなかに文学の核心、感動の、驚異の、恐怖の核心が潜んでいると確信し、その場所へとひたすら突き進む。それが性の世界、生殖の世界を暗示するのは、二人が一人になり、一人が二人になるその機微がまったく同じだからだ。

 「アクア」の汀と水面は小学校の同級生で、境遇も性格も違うが、さまざまなかたちで交錯し続ける。人と人は入れ替わりうると感じさせるのは、行方不明になって裸体で発見された同じ団地の女の子の事件が話題になってからだが、汀も水面もその女の子であっても少しもおかしくないと感じさせる。事実、二人はそう感じているのであって、言葉は他人の身になることができなければ使うことができない。遊びが他人の身になることができなければ成立しないのと同じだ。描かれているのは現代のどこにでもある光景なのだが、垂直に不気味さを感じさせる。

 「アクア」の主人公の名が水面であるのを受けるように、「テラ」の一方の主人公の名は加賀美。水面から鏡への推移に作者の意図が示されている。初めは疑いなく別人として登場する事故死した加賀美と、彼女の恋人といま付き合っている「わたし」が、「わたし」の名が麻美でありしかも死者の名が「加賀美麻美」であったと明かされる最後の瞬間に、一挙に融合してゆく。息を呑(の)む展開だ。「わたし」は幽霊だったことになるが、考えてみれば人間はみな幽霊のようなものだ。

 とすればその後に、幽霊が実在になり、実在が幽霊になるその過程を、妊婦の体験、産婦の体験を通して描く「アエル」が続くのは必然。出産は不可思議な「私という現象」の成立過程にほかならない。

 二人の男女が輪郭を滲(にじ)ませてさまざまに他者と融合しながら時を経てゆく「イグニス」、「それ」が霊魂のように飛び交う「ムンドゥス」と続いて連作は閉じるが、川上弘美の世界への見事な案内になっている。いや、現代文学の世界への案内と言ったほうがいい。
    --「今週の本棚:三浦雅士・評 『なめらかで熱くて甘苦しくて』=川上弘美・著」、『毎日新聞』2013年04月28日(日)付。

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