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覚え書:「今週の本棚:鹿島茂・評 『昨日までの世界 上・下』=ジャレド・ダイアモンド著」、『毎日新聞』2013年05月05日(日)付。

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今週の本棚:鹿島茂・評 『昨日までの世界 上・下』=ジャレド・ダイアモンド著
毎日新聞 2013年05月05日 東京朝刊

 (日本経済新聞出版社・各1995円)

 ◇自由を求めた文明社会は何を失ったのか

 授業で「ALWAYS 三丁目の夕日」が話題にのぼったので、昭和三十年代を体験した人間として「希望のある良い時代だったとは思うけど君たちがタイム・マシンでワープしたら、すぐ現代に戻りたいと言いだすと思うよ。だって入浴も下着の交換も週に一度なんだから」と言ったら「わぁー、やだ!絶対にワープしたくない」という答えが返ってきた。

 ことほどさように、人は今日の世界を否定するために「昨日までの世界」を過度に美化するが、その世界の持っていた不都合は忘れてしまう。あるいは逆に、現代の快適さに慣れて「昨日までの世界」の優れた点も捨て去ってしまうのだ。いずれにしても、「昨日までの世界」の実態を知らないことに変わりはない。その点『銃・病原菌・鉄』の世界的ベストセラーで知られる著者ほど「昨日までの世界」について知り尽くした人はいない。人類生態学者としてニューギニア高地を始めとして世界各地の文明化以前の社会をくまなく観察し、人類の進歩について思索を深めてきた学者なのだから。

 では、著者が「昨日までの世界」と呼ぶ社会は具体的にどう定義されるのか? 「数十人から数千人の小集団で構成される、狩猟採集や農耕や牧畜を生業(なりわい)とする古今の社会で、なおかつ西洋化された大規模な工業化社会との接触による変化が限定的にしか現れていない」ような「伝統的社会」のことで、対立概念は産業革命や衛生革命を契機に成立した「国民国家」である。

 まず、著者が強調するのは、伝統的社会にも領土紛争や戦争は大昔から存在し、その殺傷率や非戦闘員の殺戮(さつりく)は近代の世界大戦にもひけをとらないということ。また、欧米人とのコンタクトが戦争を引き起こしたという進歩派の主張も根拠がない。「伝統的戦争は、長期的な経過で判断するかぎり、ファーストコンタクト以降、おおむねまったくみられなくなったり、生起頻度が減少したりしている」。なぜか? 伝統的社会では終戦の意思を決定する中央集権的権力がないため、不満分子が戦闘を再開したがると、指導者はそれを抑えることができないからだ。「部族社会においては、停戦後の平和が脆弱(ぜいじゃく)であり、持続的な平和構築ができず、すぐさま戦争の悪循環が繰り返されるのである。(中略)この違いこそが、かりにも国家が存在するにいたった主たる理由なのである」

 なるほど、これは新しい視点である。中央集権政府というのは、報復感情ではなく国家理性で決定を行うがゆえに、なんの恨みもない国と戦争するという愚行も犯す反面、戦争を純粋な利害から停止することもできる。しかし、伝統的社会では報復感情が最優先されるから、報復殺人の悪循環を断ち切ることはできない。この意味では中央集権政府が本質的に悪であるという主張は誤りである。むしろ悪なのは政府が伝統的社会特有の報復感情に影響を受けることだ。「昨日の敵は今日の友」というドライな関係は国民国家でなければ実現できないのである。

 また、伝統的社会にも、嬰児(えいじ)殺しや体罰、あるいは高齢者遺棄を行っているところもある。とりわけ、集団全体の食糧をまかなうのが厳しい狩猟採集社会においてはこうした手段に訴えることが少なくない。

 つまり伝統的社会すべてがユートピアでは決してないのだ。人類が伝統的社会を離脱して文明社会を採用したのは、物質的な豊かさや教育・医療を享受する権利のほかに、個人的自由を求める強烈な心の動きがあったからである。文明社会で教育を受けたニューギニアの女性はアメリカ社会で匿名でいられることの利点を強調する。「ひとりでいる自由、ひとりで歩く自由、プライバシーを持つ自由、自分の考えをいう自由、率直に議論をする自由、型破りな意見を持つ自由、仲間社会の圧力を跳ね返す自由」。われわれはこうした自由のために伝統的社会を捨てて、個人主義と核家族の現代社会を選んだのである。

 だが、それによって失ったものが大きいのもまた確かである。「伝統的社会においては、孤独は問題にもならない。だれもが生まれた場所や、その周辺で人生を送り、親戚や幼なじみに囲まれて過ごす」。そう、自由と引き換えの孤独地獄こそが文明社会の宿痾(しゅくあ)である。では、どうやってこの孤独地獄を克服したらいいのか? ヒントは伝統的社会の地域的・血縁的集団の子育てにあるという。「小規模社会では、子どもの養育に、親以外の人々(アロペアレント)が関与し、子育ての責任を社会で広く分担している」。そのために活用されるべきは高齢者である。「(アフリカ南西部の)クン族の社会では、祖父母は野営地で孫の世話をし、自分の子ども(孫の親)が狩りや食物採集に気兼ねなくいけるように協力している。私の友人たちも、孫の子守りを引き受け、まさに、クン族の祖父母たちと同じ役回りを引き受けているのである」。保育園と養老院の併設あたりが具体的に実現できる方策かもしれない。欧米型の個人主義と核家族を採用した結果、少子高齢化社会となった日本にとって学ぶべきものの多い一冊である。(倉骨彰訳)
    --「今週の本棚:鹿島茂・評 『昨日までの世界 上・下』=ジャレド・ダイアモンド著」、『毎日新聞』2013年05月05日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130505ddm015070003000c.html


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