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覚え書:「今週の本棚:沼野充義・評 『ロシアとソ連 歴史に消された者たち』=下斗米伸夫・著」、『毎日新聞』2013年05月26日(日)付。

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今週の本棚:沼野充義・評 『ロシアとソ連 歴史に消された者たち』=下斗米伸夫・著
毎日新聞 2013年05月26日 東京朝刊

 (河出書房新社・3465円)

 ◇民族史の底流を貫く「古儀式派」の謎

 ロシアやソ連の歴史に関する数多い研究書の中でも、本書はひときわ異彩を放つ著作である。こんなことを大胆にここまで書いた研究者は日本にも、世界にも、一人もいない。著者の下斗米氏は、日本におけるソ連史・ソ連政治研究の最高の専門家の一人。当然、長年の研究の蓄積と膨大な調査の裏付けのうえに自説を展開しているだけに、その主張には重みがある。この本を通読することによって、ロシア・ソ連の歴史の底流にあった不可解な部分の謎が浮かび上がり、まさに目からウロコの驚きを味わうことができる。

 さて、それほど驚くべき本書の主張とは何か? ロシアのキリスト教の中でも「古儀式派」と呼ばれる一派があるのだが(分離派、旧教徒などとも呼ばれる)、その人びとが迫害を受けながらも民衆的な広がりを保ち、ロシアの資本主義の発展を担い、さらには体制に対する抵抗の担い手として革命運動にも連携し、革命後のソ連ではボリシェヴィキ政権にも影響力を与えながら、ソ連崩壊後の現代にいたっている、というのである。古儀式派の存在は少なくとも表面にはあまり現れず、制度化された正統的なロシア正教会の陰に隠されてきたので、このような史観は確かに常識をくつがえすものだろう。

 古儀式派が正教会から分離したのは、十七世紀後半、モスクワ総主教ニーコンによって典礼改革が行われたときのことだった。その改革を受け入れず、「分離」した人々はロシア各地で伝統的な儀式を守る抵抗勢力になった。十八世紀になるとピョートル大帝は近代化政策を進めるとともに、正教会を権力の支配下に置いて政治的に利用するようになるのだが、古儀式派はその皇帝を「アンチ・クリスト」と見なして敵視した。こうしてロシアは、西欧的な知と制度を取り入れ、近代的帝国の建設を進めようとする権力およびそれに従う上層の貴族階級と、そういった動きに抵抗し、土着的・伝統的な文化を守るロシア民衆(農民)に二分され、その二重性が近代ロシア社会と文化の全体を貫くことになる。

 ここまではよく知られた歴史的な経緯である。しかし、下斗米氏は、帝国としてロシア民族の外に拡張していこうとする権力に対抗する、ロシア民族主義の核心に古儀式派の存在を見て、十七世紀から二十世紀末にいたるロシア史の流れを、この両者の対立の構図のうちに描き出そうとした。本書では古儀式派をめぐる様々な歴史的事実が丹念に収集、分析されており、その中にはあまりよく知られていなかったことも多い。古儀式派の人々は(西欧におけるプロテスタントと同様)勤勉な労働を通じて資本を蓄積し、十九世紀末には繊維工業を中心に資本家として大きな勢力をなした。レーニンの右腕だった革命家ボンチ=ブルエビッチはレーニンの指示を受けて古儀式派の研究に携わった人物であり、それ以外にもボリシェヴィキ政権の中には「隠れ古儀式派」と呼べそうな政治家は少なくなかった。そして、反対派のテロを避けて隠遁(いんとん)する最晩年のレーニンを守ることになったのも古儀式派の村であり、そこで料理人をしていたのが現在の大統領プーチンの祖父であった、等々。

 ニーコンの改革によってロシアの正教会が分裂した一六六六年こそは、ソ連崩壊に至る歴史ドラマの起点であった、という本書の主張はあまりにも鮮やかに刺激的である。文献によって立証することが難しく、仮説や推測の域を出ない指摘も多いとはいえ、ロシア史の見方に新たな光を当てる大胆な試みであることは間違いない。
    --「今週の本棚:沼野充義・評 『ロシアとソ連 歴史に消された者たち』=下斗米伸夫・著」、『毎日新聞』2013年05月26日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130526ddm015070004000c.html

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