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2013年5月

覚え書:「みんなの広場 橋下市長にそろそろ『NO』を」、「橋下発言は権力側の視点」、「橋下発言 男性も抗議すべき」、『毎日新聞』。


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みんなの広場
橋下市長にそろそろ「NO」を
無職 68(大阪市北区)

 日本維新の会の共同代表を務める橋下徹大阪市長の従軍慰安婦問題についての発言。そのあまりの下劣さに、強い憤りとともに深いかなしみさえ感じた。
 「命がけで戦い、精神的に高ぶっている集団に、ひとときの休息を与えてあげるのに慰安婦制度は必要だ」などと橋下氏は力説した。「休息」とは言うまでもなく、男性軍人が女性から性的満足を得ることであり、女性を性的対象としかみていないことを意味する。それだけでなく、男性をも侮蔑している。こういうことを大都市の市長であり、正当の代表者が公言したのだ。
 橋下氏はかねて教育問題に「熱心」だ。しかし、人間の「生」につながる「性」についてのこのような下劣な理解しかできない人物が目指す「政治主導の教育」とは、一体どんな教育なのか。考えるだけで、そら恐ろしい。
 大阪市民の皆さん。もう、そろそろ橋下市長に「NO」と言うべきではないでしょうか。
    --「みんなの広場 橋下市長にそろそろ『NO』を」、『毎日新聞』2013年05月21日(火)付。

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みんなの広場
橋下発言は権力側の視点
カトリック司祭 52(徳島市)

 日本維新の会の橋下徹共同だいひょうは(大阪市長)の従軍慰安婦を巡る一連の発言に対するフリーライター井上理津子さんの「直言」を先日の本紙で読んだ。
 井上さんは大阪の旧遊郭街をルポした「さいごの色街 飛田」の著者。自由意思で入った女性など一人もいなかったという取材経験から、橋下氏の発言について、社会的弱者への差別や階層社会を肯定していると受け取らざるを得ないとして「支配階層」からの、極めて上から目線の言葉だと指摘されている。
 同書によると、橋下氏はかつてこの街の業者組合の顧問弁護士。同じ地域にかかわった井上さんとの「違い」はどこにあるのか。井上さんはそこで働く女性の側の視点に立ったのに対し、橋下氏は経営者側の視点に立ったことによるものではないかと思う。権力を持つ側と支配されている側、どちらの視点にたって考え、そして発言するのか。結局、今回の橋下氏の発言の問題は、そこに根があるのではないだろうか。
    --「みんなの広場 橋下発言は権力側の視点」、『毎日新聞』2013年05月25日(土)付。

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みんなの広場
橋下発言 男性も抗議すべきだ
自営業 62(大阪市都島区)
 ユニークかつ大胆な言動で、しばしば注目を集めてきた橋下徹氏ですが、今回の従軍慰安婦問題をめぐる一連の発言には大変驚かされました。
 女性の人権についての意識の問題や外交面でのさまざまな影響までも含めて、関係者や識者から既にたくさんの意見が寄せられていますが、男性としても看過できない発言だと思います。
 インタビューなどにける彼の発言を聞いていると、「男というものは性欲をコントロールできないものだから、そのはけ口が必要」という考えが根底にあるように感じられます。世の女性たちに誤解と無用な警戒心を持たれないためにも、良識ある男性も抗議の声を上げるべきだと考えます。
 橋下氏は大阪市長であり、日本維新の会の共同代表でもあります。その立場を踏まえ、熟慮のうえ猛省されることを強く望みます。世の半数は女性です。
    --「みんなの広場 橋下発言 男性も抗議すべき」、『毎日新聞』2013年05月26日(日)付。

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覚え書:「書評:文人荷風抄 高橋英夫著」、『東京新聞』2013年5月26日(日)付。

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文人荷風抄 高橋 英夫 著

2013年5月26日

[評者]四方田犬彦=比較文学者
◆発想に風通す本の虫干し
 荷風の『断腸亭日乗』は、読む人によってさまざまな顔を見せる不思議な書物である。それは日記の形態をとりながら念入りに推敲(すいこう)されたテクストであり、あからさまな虚構こそないものの、作者が体験した日常を取捨選択して記すことで、おのずから意図的な記述となっている。川本三郎はそこに近代都市東京を徘徊(はいかい)する遊歩者の像を見て取り、新藤兼人は迫りくる老いのなかで、なおも生への情熱を忘れない作家の執念を見た。
 本書はそのいずれの道も採らない。その描き出す荷風とは、和漢の古書を読む人であり、戦時下であるにもかかわらず、フランス語の個人教授に心の慰めを得る人である。そして緩やかな時間のもとに友情を育み、市井に潜む人でもある。著者は大見得を切って荷風を正面から問い詰めるのではなく、複雑な陰影をもった彼の世界のなかから三つの旋律だけを聴き取り、それが長い歳月のうちにどのように変奏されていくかを辿(たど)っている。「***の主題による変奏曲」という表現が西洋音楽の世界にあるが、さしずめこの書物はその手法を日本近代文学に適用した、美しい例となっている。
 のっけから「曝書(ばくしょ)」という言葉が登場する。今日ではほとんど用いられなくなったが、夏の土用のころ、書斎に積み上げてきた和書漢籍を家のあちらこちらに拡(ひろ)げ、虫干しをする習慣をいった。荷風はこの文人の習慣を、戦時下の空襲で蔵書のすべてが燃え尽きるまで、どうやら律儀(りちぎ)に続けてきたようである。
 曝書は単なる書物の整理と保存のための作業ではない。荷風にとってそれは、何日にもわたって蔵書を掘り返し、改めて読み直すことで着想を更新することであった。そこから作品が次々と生まれる。今日のインターネット社会での情報過多の状況からは想像もつかない、こうしたささいな個人的な営みを想起させるだけでも、本書の意義は大きい。
 たかはし・ひでお 1930年生まれ。文芸評論家。著書『母なるもの』など。
(岩波書店・2625円)
◆もう1冊 
 川本三郎著『荷風好日』(岩波現代文庫)。『断腸亭日乗』『墨東綺譚(ぼくとうきたん)』などを読み込みながら、荷風への思いをつづったエッセー集。
    --「書評:文人荷風抄 高橋英夫著」、『東京新聞』2013年5月26日(日)付。

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013052602000185.html


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文人荷風抄
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覚え書:「書評:ミッキーの書式 戦後まんがの戦時下起源 大塚英志著」、『東京新聞』2013年5月26日(日)付。


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ミッキーの書式 戦後まんがの戦時下起源 大塚 英志 著

2013年5月26日

[評者]阿部嘉昭=北海道大准教授
◆円と黒の造型が躍動
 『鳥獣戯画』などの鳥羽絵の伝統とポストモダンが化合して、世界に冠たるクールジャパン・コンテンツが成立したという日本中心主義的な通説に、表現史からの正論をぶつけてみせた大塚の面目躍如たる一冊だ。責任不在の通説に対して大塚は本書をこう語りだす。大正アヴァンギャルドが注目した、エイゼンシュテインらをはじめとするロシア構成主義がディズニーアニメと交錯して、戦前のまんが原理がゆるやかに形成されていったのだから、日本まんがの形成史はじつは日本固有ではない。しかも構成主義は機械礼賛的な戦時体制と安直に結びつく。戦前・戦中のサブカルチャーの土壌は、実際そんな汚辱にまみれているのだと。
 その後にあふれてくるのは戦前まんがへの深い愛着だ。田河水泡『のらくろ』に見え隠れする構成主義と、映画性の萌芽(ほうが)。ミッキーマウスを模倣して、造型に複数の円を組み合わせ、全体を黒にしたことで、「ミッキーの書式」からなる二足歩行動物キャラクターが田河以外にも躍動しだす。これが手塚治虫の登場の土台になった。
 戦時下の「科学」を子供向けまんがで捉えなおそうとした大城のぼるがストーリーを手放してゆく経緯と、海軍省後援アニメ『桃太郎 海の神兵』との構造的類似など、具体的な見解が満載。それらを実証する豊富なレア図版も見事だ。
 おおつか・えいじ 1958年生まれ。評論家。著書『戦後まんがの表現空間』。
 (角川学芸出版・3675円)
◆もう1冊 
 米沢嘉博著『戦後SFマンガ史』(ちくま文庫)。手塚治虫など戦後マンガの勃興期にSFが主流であった理由を考察。
    --「書評:ミッキーの書式 戦後まんがの戦時下起源 大塚英志著」、『東京新聞』2013年5月26日(日)付。

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ミッキーの書式    戦後まんがの戦時下起源 (角川叢書)
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書評というかファーストインプレッション:安部龍太郎『等伯』日本経済新聞出版、2012年。


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ほんとは稿を改めて推敲したいのだけど、衝撃だったので、連twのまとめです。

『等伯』(上) 2012/05/17

さて、とうとう、読み見ましたよ、上巻だけですが。安部龍太郎『等伯』日本経済新聞出版(直木賞)。評伝なので筋は横に置きますが、久しぶりに「感動で打ち震えた一冊」でした。返却期限ぎりぎりで通勤中に一気に読了。なさけない話だけど、泣きそうになった。もっぺんゆっくり読みたい。

前半生を描ききる安部龍太郎『等伯』(上)で驚くのは、等伯の信仰心の素朴さが極めてユニバーサルだった。素朴かつ普遍的なことに驚いた。そしてそれを時に生き生きと、そして時に活劇の如く、そして時には情愛と静寂に満ちあふれた言語で表現する書き手の存在にも驚いた。武士が主人公でないしね。

後半は、さらに進化・深化としての松林図の実相に迫ると聞く。これはもうただならぬ予感ですよ。(カントが批判するけど)スウェデンボリみたいな安易なスピリチュアルでないところが歴史なんだけど、そこからそういう漆枷を超脱する本物の何かつうのはあるんだなと思った。

ちょと日蓮遺文をもう一度読み直してから、『等伯』の下に挑もうと思います。等伯の歩みそのものなんだけど、そこには、通俗的な排他主義的でない包摂がみられる。その包摂とは丸山眞男が批判した日本精神の問題としてのそれではなくして、自身が関わることによって露わになる何かなんだと思った。

私自身に才能がないつうのはハナからわかってるンだけど、等伯の妻の静子と子息の久蔵との交誼には、泣いたよおいちゃんは。

これいいね!

『等伯』(上) 2012/05/29

ようやく安部龍太郎『等伯(下)』日本経済新聞出版、を読了。
雑感を書き殴っておきます。

安部龍太郎『等伯』(上)。本書は、英雄豪傑・剣客でもなく、かといって市井への惑溺でもない「絵描き」が主人公に驚くが、まったく「時代小説」なので二度驚く。安倍さんの「読ませる」力に戦慄した。(上)ははおおむね共感を持って読んだが、(下)は結論から言えば、自分自身との「対話」になったように思う。

安倍『等伯』。個人的趣味かもしれないが、人知を超えた英雄にも「シカタガナイ」と嘆く民衆にも興味はない。その両端には“生きた”人間は存在しないからだ。想像力を張り巡らせるなかで、等身大の人間を描き出す思考実験の一つが時代小説であるとすれば、本書は、時代を画する一書になるであろう。

安倍『等伯』。さて戻るが、(上)は共感しつつ読んだが、(下)は、「等伯」のどうしようもなさに、本を投げ出したくなるほど気分が上下した。しかし、ここが味噌なのだろう。先に自分自身と「対話」と表現したが、等伯の軌跡とは、作業仮設としての両端を排した人間としての「私」自身の歩みであるからだ。

安倍『等伯』。だから、等伯の「どうしようもなさ」にうんざりし、成功のうぬぼれに喜び警戒する。そこには、歴史教科書記載の先人がいるのではなく、読みながら自分自身の姿をみているように感じた。だから、本書を読むことは、自分の姿を等伯を通してまざまざと見せつけられることになったと思う。

安倍『等伯』。通俗的教養小説の説教も無用だが、諦めた人々の後ろ姿を匿名的に活写するのもうんざり。だから、本書は時代を画する一冊だ。英雄色を好むのでもなく、諦めの惑溺のなかに、私たちは存在するわけではない。その意味では本書は日本発のアルゲマイネ・ビルドゥングといってよいだろう。

安倍『等伯』。これは僕の読後観だけど、千差万別の誰が手にとっても違う景色でありながら同じよな軌跡を見て取るのではないだろうか。超越と内在が交差するその瞬間に、松林図を前にした近衛公のぼやき「等覚一転名字妙覚やな」が浮上する。これは日蓮の法華経講義の一節だ。

安倍『等伯』。人間が一番直視したくないものは、私自身だ。だから奇を衒う英雄に憧憬し、蓋を閉じて嘯くことで安心する。そこに七転八倒しながら……だから、どうしようもない人間なんだ、等伯は!……「生き抜いていく」。とすれば、私自身も「生き抜いていく」ことができるはずだだろう。

安倍『等伯』。松林図は、ひとつの曼荼羅である。それは仏教に由来し、きわめて「特殊」な形態をとる。文化と言葉の制限があるから「特殊」とならざるを得ない。しかし、そうでありながら「超越」していく普遍性が同時に内在する。人間も同じなのであろう。日蓮観を新たにすると同時に人間観が一新された。

直木賞受賞の安部龍太郎『等伯』日本経済新聞出版は、勿論、読んで「面白い」。しかし、ほんとうに恐ろしい小説だ。本書を手に取ることで、自分自身と対峙し、自己認識を一新していく手掛かりにして欲しいと思う。「等伯」とは、極めて私自身の事柄でありながら普遍的なのである。


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等伯 〈上〉
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覚え書:「今週の本棚:沼野充義・評 『ロシアとソ連 歴史に消された者たち』=下斗米伸夫・著」、『毎日新聞』2013年05月26日(日)付。

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今週の本棚:沼野充義・評 『ロシアとソ連 歴史に消された者たち』=下斗米伸夫・著
毎日新聞 2013年05月26日 東京朝刊

 (河出書房新社・3465円)

 ◇民族史の底流を貫く「古儀式派」の謎

 ロシアやソ連の歴史に関する数多い研究書の中でも、本書はひときわ異彩を放つ著作である。こんなことを大胆にここまで書いた研究者は日本にも、世界にも、一人もいない。著者の下斗米氏は、日本におけるソ連史・ソ連政治研究の最高の専門家の一人。当然、長年の研究の蓄積と膨大な調査の裏付けのうえに自説を展開しているだけに、その主張には重みがある。この本を通読することによって、ロシア・ソ連の歴史の底流にあった不可解な部分の謎が浮かび上がり、まさに目からウロコの驚きを味わうことができる。

 さて、それほど驚くべき本書の主張とは何か? ロシアのキリスト教の中でも「古儀式派」と呼ばれる一派があるのだが(分離派、旧教徒などとも呼ばれる)、その人びとが迫害を受けながらも民衆的な広がりを保ち、ロシアの資本主義の発展を担い、さらには体制に対する抵抗の担い手として革命運動にも連携し、革命後のソ連ではボリシェヴィキ政権にも影響力を与えながら、ソ連崩壊後の現代にいたっている、というのである。古儀式派の存在は少なくとも表面にはあまり現れず、制度化された正統的なロシア正教会の陰に隠されてきたので、このような史観は確かに常識をくつがえすものだろう。

 古儀式派が正教会から分離したのは、十七世紀後半、モスクワ総主教ニーコンによって典礼改革が行われたときのことだった。その改革を受け入れず、「分離」した人々はロシア各地で伝統的な儀式を守る抵抗勢力になった。十八世紀になるとピョートル大帝は近代化政策を進めるとともに、正教会を権力の支配下に置いて政治的に利用するようになるのだが、古儀式派はその皇帝を「アンチ・クリスト」と見なして敵視した。こうしてロシアは、西欧的な知と制度を取り入れ、近代的帝国の建設を進めようとする権力およびそれに従う上層の貴族階級と、そういった動きに抵抗し、土着的・伝統的な文化を守るロシア民衆(農民)に二分され、その二重性が近代ロシア社会と文化の全体を貫くことになる。

 ここまではよく知られた歴史的な経緯である。しかし、下斗米氏は、帝国としてロシア民族の外に拡張していこうとする権力に対抗する、ロシア民族主義の核心に古儀式派の存在を見て、十七世紀から二十世紀末にいたるロシア史の流れを、この両者の対立の構図のうちに描き出そうとした。本書では古儀式派をめぐる様々な歴史的事実が丹念に収集、分析されており、その中にはあまりよく知られていなかったことも多い。古儀式派の人々は(西欧におけるプロテスタントと同様)勤勉な労働を通じて資本を蓄積し、十九世紀末には繊維工業を中心に資本家として大きな勢力をなした。レーニンの右腕だった革命家ボンチ=ブルエビッチはレーニンの指示を受けて古儀式派の研究に携わった人物であり、それ以外にもボリシェヴィキ政権の中には「隠れ古儀式派」と呼べそうな政治家は少なくなかった。そして、反対派のテロを避けて隠遁(いんとん)する最晩年のレーニンを守ることになったのも古儀式派の村であり、そこで料理人をしていたのが現在の大統領プーチンの祖父であった、等々。

 ニーコンの改革によってロシアの正教会が分裂した一六六六年こそは、ソ連崩壊に至る歴史ドラマの起点であった、という本書の主張はあまりにも鮮やかに刺激的である。文献によって立証することが難しく、仮説や推測の域を出ない指摘も多いとはいえ、ロシア史の見方に新たな光を当てる大胆な試みであることは間違いない。
    --「今週の本棚:沼野充義・評 『ロシアとソ連 歴史に消された者たち』=下斗米伸夫・著」、『毎日新聞』2013年05月26日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130526ddm015070004000c.html

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ロシアとソ連 歴史に消された者たち ---古儀式派が変えた超大国の歴史
下斗米 伸夫
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覚え書:「書評:『幸せ』の戦後史 菊地 史彦 著」、『東京新聞』2013年5月26日(日)付。

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「幸せ」の戦後史 菊地 史彦 著

2013年5月26日

[評者]藤井淑禎=立教大教授
◆厚い論述、ほろ苦い着地点
 四百ページを超える大部の戦後史入門書である。巻末には各章で引用・参考にされた文献が目録化されており、これだけでも堂々たる戦後史関連文献目録として利用できる。そればかりでなく、章ごとの註(ちゅう)の充実ぶりも大変なものがある。ここは一種の戦後史事典として重宝したい。たとえばパラサイトシングルやアメリカのリストラについて関連の言説が史的に整理されており、へたな事典顔負けの内容だ。
 肝心の本体部分だが、「戦後史」と銘打つだけあって、また文献目録や註の充実ぶりとも見合って、扱う時代も、硬軟取り混ぜた内容も、幅広く網羅されている。ふつう戦後史というと、かつては政治史にかたより、いまは大衆文化などにかたよりがちだが、本書の硬軟のバランスの良さは、類書にはない卓越した目配りの賜物(たまもの)だろう。
 全体は三部構成で、各部は三章構成となっている。第1(ローマ数字の1)部は「壊れかけた労働社会」で、一九九○年代以降のリストラ、雇用形態差別、職場の居心地悪化が考察される。第2(ローマ数字)部は「家族の変容と個の漂流」で、戦後すぐから七○年頃までの上昇志向、その挫折を受けてのオタク文化の台頭、それに続くオウム事件に象徴される「強い個」志向が紹介される。第3(ローマ数字の3)部は「アメリカの夢と影-労働・消費・文芸」で、ふたたび日本的経営、消費社会、大国アメリカとの経済や文化をめぐる「たたかい」の歴史が論じられる。
 素材として各章でふんだんに取り上げられる映画やアニメ、文学などの分析も見事に各章に活(い)かされており、読者はそれらに導かれて戦後史のさまざまな局面を自分史と照らし合わせながら振り返ることになる。ただし、本書の着地点はさほど明るいものではない。終章では疎外された自己像の系譜がたどられ、それが巻頭のリストラ社会へとつながる現代日本社会像が念押しされているからだ。その意味でタイトル中の「幸せ」は、多分にほろ苦さを伴ったものでもあったのである。
 きくち・ふみひこ 1952年生まれ。企業コンサルタント。
(トランスビュー・2940円)
◆もう1冊 
 江藤淳著『成熟と喪失』(講談社文芸文庫)。第三の新人の小説作品から母と子の関係を分析し、戦後市民社会を論じた評論。
    --「書評:『幸せ』の戦後史 菊地 史彦 著」、『東京新聞』2013年5月26日(日)付。

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013052602000184.html

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「幸せ」の戦後史
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覚え書:「引用句辞典 トレンド編 [通販番組に学ぶ]=鹿島茂」、『毎日新聞』2013年05月25日(土)付。


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引用句辞典
トレンド編
鹿島茂
[通販番組に学ぶ]

「便利」価値見失う
資本主義の不幸


 競争心、すなわちわれわれ自身が優越したいという熱心な欲求は、もともと、他の人びとの卓越にたいするわれわれの感嘆に、基礎を持っている。(中略)われわれはそれら(自分自身の性格と行動)を、他の人びとの眼で見ることに、あるいは、他の人びとがそれらを見そうだと思われるように見ることに、努力しなければならない。このような見方で見られたときに、もしそれらがわれわれにたいして、われわれが望むとおりに見えるならば、われわれは幸福であり満足するのである。
(アダム・スミス『道徳感情論(上)』水田洋訳、岩波文庫)

 少し旧聞に属するが、近年、おおいに驚いたのは通販大手の「日本直販」が経営破綻したというニュースである。テレビで司会者が「残りあとわずか!」とゼットすると、画面に「SOLD OUT」の文字が出てくるので、テレビ・ショッピングの会社はどこも大儲けしているように見えたからだ。通販番組にかければどんな商品も片端から売れていくような気がしていたが、これは誤りであったのか?
 それはさておき、BSやCSに限らず地上波のチャンネルも通販番組に占領されていると怒る人がいる。その気持ちは理解できるが、実はこれは的を外した怒りである。原則、タダで見られる民間放送というのは、番組にCMが付随しているのではなく、CMに番組が付随しているメディアだからである。
 だから、私はテレビに優れた番組を期待するのやめ、通販番組を社会勉強の道具として使うことにしている、。げんに、通販番組は資本主義の原理を教えてくれる。その一つは、資本主義が成熟すると使用価値は交換価値に転換するというものである。
 「日本直販」の主力商品が高枝切りばさみだったことからも明らかなように、長らく通販の主流は使用価値(使って便利)中心の隙間家具的な商品であった。視聴者が「あっ、これは便利」と思って電話をかけたのである。健康・痩身の器具や食品もこれを「使えば」これこれの効果が得られるということなのだから「使用価値」商品なのである。
 だが、通販番組をしっかり観察していると、「便利」や「効果」を売りにする使用価値の商品から、「交換価値」の商品、つまり他の人と差を付けられることを売りにした商品が着実に増えていることがわかる。その証拠に、これまでは通販番組にはなじまないとされていた女性服や宝飾品が次々に登場している。また、女性下着なども機能性ではなくデザイン性にシフトしているような印象を受ける。
 これが何を意味するかといえば、商品は使用価値から交換価値へと進歩するという資本主義の法則が通販においても通用したという事実である。高枝切りばさみは一家に一個あれば足りるが、衣服は新しいデザインの服が登場すればそれも欲しくなる。市場が飽和すると、使用価値から交換価値への切り替えが起こる所以である。
 アダム・スミスがいうように、他人の持っている商品を羨ましく思うのと同じように、他人も自分の手に入れた商品を羨ましく思うだろうと想像する視点を人が獲得したとき、資本主義の加速が始まったのである。しかも、こうした視点による幸福も想像力の産物だから、人はすぐに次の商品が欲しくなって不幸になるのだ。
 ことほどさように、通販番組は実に「勉強になる」のである。
(かしま・しげる=仏文学者)
    --「引用句辞典 トレンド編 [通販番組に学ぶ]=鹿島茂」、『毎日新聞』2013年05月25日(土)付。

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『続 日曜日の歴史学』=山本博文・著」、『毎日新聞』2013年05月26日(日)付。

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今週の本棚・新刊:『続 日曜日の歴史学』=山本博文・著
毎日新聞 2013年05月26日 東京朝刊

 (東京堂出版・1680円)

 歴史学にとって最も信頼できる一次史料である古文書。博物館の歴史展示でも中核を占めている。しかし、日本語化した漢文だったりして取っつきにくい。この本は、信長、光秀、秀吉、家康の4人の天下人の著名な書状を読解して臨場感のある戦国時代像を構成し、歴史ファンの「古文書開眼」を狙っている。

 例えば、信長が宿老・佐久間信盛父子を追放した際の「折檻(せっかん)状」。光秀や秀吉の武勲をたたえる一方、「三十年(中略)無比類(ひるいなき)働申習候儀、一度も有之ましき事(30年間、お前が大した働きだと言われたことは、一度もないだろう)」。武勇を尊ぶ信長の激しい怒りが伝わってくる。

 新発見史料も面白い。秀吉が東北で行った厳しい検地と刀狩りは、ホラ話だと軽視されてきた。しかし一昨年、強硬姿勢を裏づける書状が見つかった。違反者をただちに成敗する軍勢を送るため、近江(滋賀県)から白河(福島県)まで、要所に兵糧の倉庫を造らせたというのだ。

 読み通すと、とりあえずは「釈文(しゃくもん)」(くずし字を活字にしたもの)への苦手意識が払拭(ふっしょく)されそうだ。文書を音読すれば、戦国武将の性格や息づかいも伝わってくる。(和)
    --「今週の本棚・新刊:『続 日曜日の歴史学』=山本博文・著」、『毎日新聞』2013年05月26日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130526ddm015070023000c.html

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覚え書:「今週の本棚:川本三郎・評 『文人荷風抄』=高橋英夫・著」、『毎日新聞』2013年05月26日(日)付。

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今週の本棚:川本三郎・評 『文人荷風抄』=高橋英夫・著
毎日新聞 2013年05月26日 東京朝刊


写真特集へ
 (岩波書店・2625円)

 ◇晩年に寄り添った、もう一人のミューズ

 永井荷風への現代人の関心は尽きることがない。

 近年、実に多くの荷風本が書かれ、もう語り尽くされた感があると思われていたが、ここにまた新たに荷風愛惜の好随筆が加わった。

 荷風にはさまざまな特色がある。江戸の流れをくむ花柳小説作家、フランス世紀末文学の香りを持つ詩人、漢文学の素養のある儒教精神を持った雅人、そして東京の町を愛した散策の人。

 本書は荷風を文人ととらえる。文字どおり文の人。現実社会から一歩身を引き、言葉の世界に生きる。読書と執筆に専念する。その読書も荷風の場合、多くは江戸の古書。

 著者は荷風をまず「曝書家(ばくしょか)」と呼ぶ(著者の造語)。漢籍や和書は書棚に横にして積み重ねる。埃(ほこり)がつもる。また和書には紙魚(しみ)がついたり、黴(かび)が生えたりする。そこで夏、土用の頃に本を虫干しする。これが曝書。本を家のあちこちに拡(ひろ)げる。本の大掃除である。

 大仕事だが、愛書家にとってはしばらく見なかった本を取り出して見る楽しみがある。例えば夏目漱石『門』では、主人公の宗助が若い頃、毎年、父親に本の虫干しの手伝いを言い付けられたことを懐かしく思い出している。古くから家にあった『江戸名所図会』や『江戸砂子(すなご)』を取り出して物珍しく眺めたという。

 曝書は過去との再会であり、文人にとっては新たな発見にもなる。荷風はこの曝書を夏の楽しみにした。日記『断腸亭日乗』にはしばしば「曝書」したことが記されている。「虫干」という随筆には「毎年一度の虫干ほど、なつかしいものはない」と書かれている。

 著者はこういう荷風を「曝書家」と呼び、古い本との再会、発見が荷風の執筆活動を豊かにしたと考える。「曝書家」は、やはり曝書を好んだ森鴎外にも通じるという。いわば曝書は文人のたしなみ。

 荷風は東京の町をよく歩き、また、江戸の文人たちの墓を訪ね歩いたが、同時に家のなかでする曝書も毎年欠かさなかった。散策、展墓と曝書。文人の真骨頂である。

 荷風は孤独だった。というより、孤独を愛した。二度の結婚は短期間で終わり、そのあと単身者として生きた。孤独な暮しは文人の清雅と静逸を支えた。

 しかし、老いを自覚した身には独り居はつらくもあったろう。しかも戦時下、物資が窮乏してゆくなかでの老いの暮しである。

 そんな時、一人の若い女性があらわれた。親子ほどに年齢が違う。荷風がこれまで付合ってきた芸者やカフェの女給、私娼(ししょう)のようなくろうと(、、、、)ではない。普通の女性である。

 阿部雪子という。著者は、これまで語られることの少なかったこの女性に着目する。

 『日乗』に阿部雪子がはじめて登場するのは太平洋戦争が厳しくなる昭和十八年二月十四日。「阿部雪子と云(い)ふ女より羊羹(ようかん)を貰(もら)ふ」

 この日から戦後の昭和三十一年四月二十二日まで五十回ほど登場する。晩年の荷風に静かに寄り添うこの女性は何者なのか。実は、荷風は彼女との関係を大事にしていたからこそ『日乗』に彼女のことを詳述していないと著者はいう。それだけに謎めいている。

 独り居の不便から荷風は時折り家事を手伝ってくれる女性を探していた。そこで知人から紹介されたのが阿部雪子だった。上野にあった国宝調査会というところで働いていた。知的女性である。はじめて会った時は二十代前半。荷風とは四十歳ほど離れている。

 無論、もう性的な関係はないだろう。そもそも明治人の荷風はくろうと(、、、、)とは遊んでもしろうと(、、、、)には手を出さない。『日乗』では「(余は)女好きなれど処女を犯したることなく又道ならぬ恋をなしたる事なし」と書いている。古風なモラルである。

 阿部雪子とはあくまで精神的なつながりだったろう。だから長く続いた。雪子にフランス語の素養があったことも大きい。荷風にとってフランス語の弟子でもあった。

 昭和二十七年の一日、荷風は雪子と東郊を散策した。その時に撮影された荒川放水路に架かる葛西橋の下に立つ二人の写真が掲載されているが、父娘のような幸せな様子がうかがえる(白いブラウスと長いスカートの雪子は「東京物語」の原節子に似ている)。

 雪子という名は『ボク東綺譚(ぼくとうきたん)』のミューズ、お雪を思い出させる。阿部雪子は晩年の荷風のもう一人のミューズだったのだろう。

 著者がいうように「文人とは本来人間的成熟と結びついたものだった」。成熟、円熟の果てに荷風はもう一人の雪子と出会ったのである。高橋英夫さん、よくぞこの女性に光を当ててくれた!

 晩年の荷風の数少ない年下の友人は、実業家で愛書家の相磯(あいそ)凌霜(りょうそう)。荷風を敬し続けた。その相磯が荷風の葬儀の時、一人の慎ましい女性が現れたと書いている。通夜にも葬式にも一人で来てひっそりと帰った。「(その)床(ゆか)しい後姿に、私は思わず眼頭を熱くしてしまった」。阿部雪子だった。    --「今週の本棚:川本三郎・評 『文人荷風抄』=高橋英夫・著」、『毎日新聞』2013年05月26日(日)付。

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書評:野本三吉『子供観の戦後史 増補改訂版』現代書館、2007年。


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野本三吉『子供観の戦後史 増補改訂版』現代書館、読了。本書は『戦後児童生活史』『近代日本児童生活史序説』をまとめた著者による児童観の変遷史、児童思想史。大人は子供をどのように見てきたのか--。ことあるたびに人は「子供が変わった」というがそれは「子供観」が変わったのである。

アリエスなど子供研究を踏まえ、今日のいじめや子供の権利条約に至るまでの戦後50年の軌跡を辿る。「戦争孤児はいまその岐路に立っている。この岐路はそのまま大きく言えば人類の福禍の岐路になる」(永井隆)。著者の思想的原点が戦争と原爆というのが印象的。そしてこの研究原点のつきけた問題は未だ未解決のまま、トピックに右往左往するのが現状であろう。

五百頁を超える大著ながら、子供観の変遷を辿る本書は読み応えのある刺激的な労作。初等教育に関わる人間には必須の一冊となるし、幅広く読まれて欲しい一冊だ。


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覚え書:「今週の本棚:村上陽一郎・評 『村山さん、宇宙はどこまでわかったんですか?』『宇宙はこう考えられている』」、『毎日新聞』2013年05月26日(日)付。

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今週の本棚:村上陽一郎・評 『村山さん、宇宙はどこまでわかったんですか?』『宇宙はこう考えられている』
毎日新聞 2013年05月26日 東京朝刊

 ◆『村山さん、宇宙はどこまでわかったんですか?』=村山斉・著、聞き手・高橋真理子(朝日新書・819円)

 ◆『宇宙はこう考えられている』=青野由利・著(ちくまプリマー新書・861円)

 ◇宇宙生成の謎をかみ砕いた科学記者の二冊

 才媛のサイエンス・ライター二人による、期せずして(でしょうね)ほとんど同じ(副題は、朝日本が「ビッグバンからヒッグス粒子へ」であり、筑摩本は「ビッグバンからヒッグス粒子まで」となっていて、まるで示し合わせたよう)内容の、しかも形態はどちらも新書という書物が相次いで刊行された。ちょっと珍しい現象だ。別の面からみれば、これらの書物で扱われているテーマこそが、今読書界のなかで、大きな関心を集めるものだ、ということにもなろうか。もっとも、こうしたブームとも言える現象の火付け役が、今回取り上げる朝日本の著者でもある村山斉さんである。CERN(欧州合同原子核研究所)での実験結果が、ヒッグス粒子なるものの存在の「確認」を導いた、というニュースが、昨年来、一般の新聞紙上をも賑(にぎ)わしてきたことも、ブームの追い風には違いない。しかし、この物理学や宇宙論のなかでも、最先端の、極端に難しいテーマを、日常的な表現で的確に説明、記述した村山さんのこれまでの啓発書(とりわけベストセラーの『宇宙は何でできているのか』)がなければ、この二冊もなかったであろう、とは推測できる。

 朝日本は、その村山さんを相手に、科学取材ではもうベテランの科学記者高橋さんが、宇宙の謎について、次々に切り込んでいく。村山さんは、例によって、コツンコツンだとか、ズブズブだとか、絶妙の擬態語を駆使しながら、実に判(わか)り易(やす)く答えていく。話題は、CERNの巨大な加速器から始まって、さすがに、問題のヒッグス粒子とは何か、についての対話までが、全体の半分近くを占める。かつて重力は、隠秘的な(オカルト的な)力とさえ言われたが、ようやく、ある種の合理性をもって語ることができそう、というところまできたのだから、お二人が興奮されるのも無理はない。

 あとは、現代物理学の基礎と、その宇宙生成論への応用に関する解説が重ねられていく。こうした話題にあまり馴染(なじ)みのない読者でも、何となく判ったような気分が味わえるのは、大きな特色で、随所に差し挿(はさ)まれた囲み記事様の個所も、読み応えがある。

 筑摩本は、本来はどちらかと言えばライフサイエンス系を主戦場としてきた青野さんが、科学記者の面目にかけて、この物理の難問に正面から取り組んだ意欲作である。やはりきっかけはCERNからのヒッグス粒子発見(?)のニュースである。朝日本が、対話形式であることも手伝って、エピソード主体で迫るのに対して、青野さんは歴史的・体系的な記述に重きを置いて、これも、少し違った判り易さではあるが、大変要領のよい解説を重ねる。当然ながら、青野さんの記述のなかにも、村山さんが登場するのも面白い。

 あとは、ビッグバン理論を導くに至った様々な天文学上の発見と、それを支える現代物理学理論のあらましが、これも読者が、そうだったのかと思えそうな筆致で描かれる。囲み記事風に挿まれるエピソードも、手法としては同じ。

 ただ、当然ながら両著で扱われる内容に大きな差はないものの、しかも基本的には素人を相手にした啓発のための書物でありながら、力点の置き方、説明の順序などには、それぞれ個性があり、味わいもある。読者としては、こう出揃(そろ)ったのを幸いとして、両著を揃えて読んでみるのが、幸便というものではないか。
    --「今週の本棚:村上陽一郎・評 『村山さん、宇宙はどこまでわかったんですか?』『宇宙はこう考えられている』」、『毎日新聞』2013年05月26日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130526ddm015070040000c.html


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覚え書:「今週の本棚・情報:「希望の百科事典」完結」、『毎日新聞』2013年05月26日(日)付。


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今週の本棚・情報:「希望の百科事典」完結
毎日新聞 2013年05月26日 東京朝刊

 白水社が昨年11月から刊行してきた哲学者エルンスト・ブロッホの大著『希望の原理 改訂新版』(保坂一夫ほか訳、白水 iクラシックス=全6巻・3990-4515円)が、このほど完結した。

 ファシズムと戦争の逆境のなかでアメリカに亡命したブロッホは、1938年から10年の歳月を費やし、古代ギリシャ・ローマから20世紀にいたるまで、1000人を超える先人の営みを検証した。その筆には、絶望的な状況下においても希望の芽を育てて現実化に向けようとする強じんな意志が秘められ、「希望の百科事典」と称えられてきた。

 82年刊行の邦訳版は今世紀に入って品切れ状態となっていたが、東日本大震災の後、一部でニヒリズムの広がりがみられたことなどから再刊が決定された。1、3巻に柄谷行人さん、宇野重規さんが「新解説」を、6巻には石丸昭二さんが「新版刊行に際して」をそれぞれ寄稿している。
    --「今週の本棚・情報:「希望の百科事典」完結」、『毎日新聞』2013年05月26日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130526ddm015070044000c.html

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『小さき 愛らしきもの』=田島充・著」『毎日新聞』2013年05月26日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『小さき 愛らしきもの』=田島充・著
毎日新聞 2013年05月26日 東京朝刊

(生活の友社・1890円)

 ひと昔前、「大きいことはいいことだ」という流行語があった。ことわざでは「大は小を兼ねる」。美術展においても「大作」が注目されがちだ。

 だが、東京・六本木で半世紀近く古美術商を営んできた著者は、『枕草子』で清少納言が説いた「なにも なにも 小さきものは みな美し」という言葉に共感してきた。本書は、東アジアの仏教美術や古陶磁、金工、ガラスなど、長く手元で大切にしたり取り扱ったりしてきた掌中の逸品148点を紹介している。

 笑みをたたえた頭部の埴輪(はにわ)は高さ7・9センチ。市松模様のモダンな棗(なつめ)は高さ4・8センチ。釉薬(ゆうやく)のたまりが美しい高麗白磁の杯は口径5・9センチ。文字通り「手のひらサイズ」の作品ばかり。出しゃばらないのに存在感がある。著者が言う「小さい故に凝縮された美」を確かに感じさせる。

 ただ小ぶりであればいいわけではない。そこに、かの白洲正子にも称賛されたという、著者の確固たる美意識がある。小さく存在する「必然性」を見抜く目は、作品写真に添えられた短文からもうかがえる。本自体も縦約18センチ、横約14センチと小ぶりだ。手元に置き、至福のひとときを楽しめる格好の一冊。(け)
    --「今週の本棚・新刊:『小さき 愛らしきもの』=田島充・著」『毎日新聞』2013年05月26日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130526ddm015070034000c.html


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覚え書:「そこが聞きたい:水俣病最高裁判決の意義 山口紀洋氏」、『毎日新聞』2013年05月22日(水)付。

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そこが聞きたい:水俣病最高裁判決の意義 山口紀洋氏
毎日新聞 2013年05月22日 東京朝刊

 「公害の原点」と言われる水俣病。患者と認められないまま他界した熊本県水俣市の女性の遺族が、県に水俣病認定を求めた訴訟で最高裁は4月、遺族側勝訴の判決を言い渡した。患者救済の道は広がるのか。代理人の山口紀洋弁護士に聞いた。【聞き手・和田武士、写真・手塚耕一郎】

 ◇57年経ても「今の問題」--原告側代理人弁護士・山口紀洋氏

 --公式確認から57年がたった今もなお水俣病問題は解決をみません。今回の判決で最高裁が示した判断=1=は、現状打開の契機になりますか。

 勝訴して患者と認められた女性と同じように、申請しながら必要な検診を受ける機会もなく亡くなった人は熊本県だけで約460人にも上ります。未認定の死亡者を発掘して、行政に認定させないといけません。最高裁判決はこれまでの方法は間違っていたとはっきり言っています。十分闘っていけると思っています。

 --最高裁判決の意義をどのように考えますか。

 公害健康被害補償法(公健法)などに水俣病を定義する規定はありませんでしたが、判決は水俣病を「魚介類に蓄積されたメチル水銀を経口摂取して起こる神経系疾患」と定義しました。また、行政による認定行為については「罹患(りかん)の有無という確定した客観的事実を確認する行為で、行政の裁量に委ねられるべき性質のものではない」と指摘しました。認定制度の基礎となる考え方を示し、統一的な解釈を示した点に、今回の判決の価値があります。つまり、行政が医学的な裏打ちのない基準で、患者を恣意(しい)的に線引きすることはできないと明確に指摘したわけです。

 --判決は、行政が患者認定の基準としていた「52年判断条件」の硬直的な運用を改めるよう求めました。

 認定制度の根本に関わる部分で行政の誤りを厳しく批判したと言えます。感覚障害しかない患者を水俣病と認めたことは非常に重要です。水俣病関西訴訟=2=の最高裁判決(2004年)では52年判断条件が事実上否定されたのに、行政は「審査の在り方が間違っていると言われたわけではない」「司法と行政の判断は別」と言い訳を続け、ダブルスタンダード(二重基準)を貫きましたが、もはや言い訳は通用しません。今回も環境省は「判決で判断条件は否定されておらず、変える必要はない」との見解を示しましたが、判決の意義を矮小(わいしょう)化し、曲解するものです。

 --確かに、今回の判決は52年判断条件を「違法、無効」とまでは言い切っておらず、運用の改善を求めるにとどまっています。

 行政への配慮とみるべきでしょう。仮に「違法、無効」と宣言すれば、過去に認定申請を棄却した人すべてについて再審査が必要です。影響の大きさを恐れたのだと思います。

 しかし、最高裁が認めた通り、四肢の感覚障害こそ水俣病の最も基礎的かつ中核的な症候です。一般に有名な劇症型はあくまで特別な症例です。複数症状の組み合わせを患者認定の要件にしてはなりません。

 この論理を貫くなら、最高裁は「四肢の感覚障害のみで十分。52年判断条件は撤廃すべきだ」と明言すべきでした。私の願いは57年間にも及ぶ違法な水俣病行政の改革ですが、最高裁は水俣病問題の闇の深さを理解していないのでしょう。

 --患者救済の道は広がりますか。

 今回の判決をテコに患者団体が相互に連絡を取り合って積極的に活動し、救済の道を切り開く必要があります。また、未認定患者でつくる「水俣病被害者互助会」の会員が国、県、原因企業チッソに賠償を求めた訴訟が熊本地裁で係争中ですが、県側に「最高裁の判断を適用すれば原告は直ちに行政認定されるべきだ」と申し入れる行動を起こしました。行政が全住民対象の調査でデータを収集し、感覚障害のみの患者を公健法上の水俣病とする基準を策定して積極認定する以外に解決の道はありません。

 --弁護士になった当初から水俣病問題に関わってこられました。

 「株主総会に乗り込んで患者の思いを社長にぶつけよう」とチッソ1株運動を提唱した後藤孝典弁護士の事務所に、同期の弁護士が入ったのがきっかけです。後に後藤弁護士はリウマチなどの治療薬のクロロキン製剤がもたらした網膜症の副作用被害を巡る「クロロキン薬害訴訟」に取り組み、私も弁護団に参加することになりました。仲間の弁護士や信頼するボランティアの仲間たち、同世代の支援者もいて、公害や薬害の問題に40年も関わることになりました。「水俣病は終わっていない」と言われますが、「今の問題だ」と表現をした方がふさわしいと感じています。

 --「今日的問題」という意味で福島第1原発事故と水俣病問題の類似性を指摘する声もあります。

 まず企業を守ろうとする行政の姿勢です。チッソは補償を担う親会社と事業を担う子会社に分離され救われました。東京電力もこれほどの被害を引き起こしながら潰すという話になりません。「加害者」が被害者認定をする点も同じです。水俣病の場合は04年判決で国も県も明確に加害者とされたわけです。その加害者が今も患者認定を担っています。そんなばかな話があるでしょうか。

 ◇聞いて一言

 大規模な弁護団を組まず、「ブレーン」と呼んで全幅の信頼を置くボランティアの仲間と共に訴訟を闘ってきた山口弁護士。行政の対応と司法の判断を舌鋒(ぜっぽう)鋭く批判する姿からは強い正義感と揺るぎない信念がにじんだ。公式確認から57年が経過し既に多くの患者が亡くなった。もはや行政の失態は明らかで、速やかに柔軟な対応を取ることが求められると改めて思う。と同時に、福島第1原発事故が、終わらぬ水俣病問題と重なり、被害補償をはじめとした行く末に大きな不安を感じた。

==============

 ■ことば

 ◇1 最高裁が示した判断

 国が1977(昭和52)年に定めた水俣病認定基準(52年判断条件)は感覚障害や運動失調など複数症状の組み合わせを患者認定の要件とし、感覚障害しかない場合、行政は申請を棄却してきた。だが、判決は「感覚障害だけの水俣病が存在しない科学的実証はない」として、複数症状の組み合わせがない場合でも水俣病と認定する余地があると指摘。52年判断条件の柔軟な運用を促した。

 ◇2 水俣病関西訴訟

 熊本、鹿児島両県から関西に移住した未認定患者が、排水を垂れ流したチッソのほか国と熊本県に賠償を求めて82年以降順次提訴。大阪高裁は01年、3者に賠償を命じ、チッソは上告を断念。最高裁は04年、「排水規制を怠った」として国と県の責任を認めた。

==============

 ■人物略歴

 ◇やまぐち・としひろ

 1940年東京都生まれ。72年弁護士登録。水俣病問題をはじめ、数多くの公害訴訟や薬害訴訟に関わった。日蓮宗僧侶でもある。
    --「そこが聞きたい:水俣病最高裁判決の意義 山口紀洋氏」、『毎日新聞』2013年05月22日(水)付。

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覚え書:「書評:怪獣文藝 [編]東雅夫 [評者]川端裕人」、『朝日新聞』2013年05月19日(日)付。


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怪獣文藝 [編]東雅夫
[評者]川端裕人(作家)  [掲載]2013年05月19日   [ジャンル]文芸 


■不穏で不安、ぞわっとした感覚

 我々の社会にとって「怪獣」は特別であるようだ。テレビでウルトラ怪獣が活躍(?)し、ゴジラが映画の定番だった頃に育った世代でなくとも思い入れを持つ人は多い。日常を逸脱した破壊のカタルシスと、秩序の外側と直結しているが故のぞわっとした感覚。人外の尋常ならざるものとして、怪獣は時に我々が抱える根源的な不安をも暴いてしまう。
 本書は、怪獣小説というべき短編を中心に編まれている。帯には「17大怪獣作家総進撃!」。レトロでウルトラ的(?)な装丁もあって、派手に街を壊しまくる話かと思うとやや違う。怪獣と「文芸」が切り結ぶ場では、むしろ不穏で不安でぞわっとした肌触りの方が際立つようだ。
 民俗学者と俳優の対談で、「神話的想像力」「日本的物語の定型」とのつながりが指摘される。「怪獣」を通じて、今、世に問われるべきものは何か。語り直されるべきものは何か。不安な作品群から、感じ取ることができる。
    ◇ 
 メディアファクトリー・1995円
    --「書評:怪獣文藝 [編]東雅夫 [評者]川端裕人」、『朝日新聞』2013年05月19日(日)付。

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覚え書:「書評:考える練習 [著]保坂和志」、『朝日新聞』2013年05月19日(日)付。


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考える練習 [著]保坂和志
[掲載]2013年05月19日   [ジャンル]人文 

 消費税増税、TPP、原発ほか現代は賛否に迷う問題に満ちていて、「どうすれば自分の頭で考えることができるのか」と思った若い編集者が、作家に「考える方法」を教えてもらいたいと、12回にわたって講義を受けた。作家のスタンスは、そもそも「わかる」のは目的ではない、公式をいくら覚えてもだめ、公式を自分で立てられなくては、と、「わかろうとする」営為からどんどん遠ざかる。その遠ざかること自体が「考える」そのものでもあるのだが。
 政治、経済、文学、スポーツ……話題は人生観のひだにも及ぶ。タイトルは「ハウツー」的だが、親切な保坂さんの講義はその土台から掘り起こす。編集者の狙いもそこにあるのだ。
    ◇
 大和書房・1680円
    --「書評:考える練習 [著]保坂和志」、『朝日新聞』2013年05月19日(日)付。

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書評:大江健三郎ほか『いま、憲法の魂を選びとる』岩波ブックレット、2013年。

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あの方は、本当に、姿かたちがそれは素敵な方でしたよ。背がすらりとして本当に素敵な人でしたけれども、姿かたち以上に、言動が本当に立派だと思いました。いいことをおっしゃる人でした。そして、決しておごることなく、毎日、足を棒にして日本中に平和を説いたのです。いまのこの戦争は、本当に日本のとるべき戦争ではないのだと、もっと平和でなければならないのだということを、一所懸命説いていらした安倍さんの姿を、私は思い起こします。
 三木も一緒に、一所懸命働いていたには違いないのですけれども、早く世を去られた安倍さんのことを考えますと、本当に残念に思われます。安倍さんのお子さん(安倍晋太郎元外相)も亡くなり、お孫さんは天下を取って総理大臣になっていらっしゃるのに、おじいさまのことをご存じないのですね。(二〇〇七年六月九日、「九条の会」学習会での挨拶より)
    --三木睦子「あなたのおじいちゃまはねぇ」、大江健三郎ほか『いま、憲法の魂を選びとる』岩波ブックレット、2013年、6-7頁。

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大江健三郎ほか『いま、憲法の魂を選びとる』岩波ブックレット、読了。12年9月の「九条の会」講演会をもとに奥平康弘・小森陽一両氏の対談を加えた一冊。96条改正提案が意味すること・目指すものを、生活の視座から浮き彫りにする。権力を制限し国民主権(財産)を守る意義考えるきっかけになる一冊。

本書の冒頭は三木元首相夫人睦子が安倍晋三さんに贈る「あなたのおじいちゃまはねぇ」(07年9条の会勉強会)。祖父の岸信介のみ脚光浴びる中で、埋もれたもう一人の祖父安倍寛の軌跡(自由と平和の闘士)から軽挙妄動を窘める。

続く大江さ「この国は民主主義の国か」では「私らの記憶のうちに生きる三木睦子さんにも聞いていただくつもりで」、「国民が少なくと本当に平和で手をつなぎ合って暮らせるならば、大国じゃなくたっていいじゃないか」と言葉を紹介。

三木元首相は防衛費1%決定で有名だが、睦子女史は「あなたはなぜ自民党議員なんだ」と誰何、「自分が辞めてしまったら、この国は憲法を変えて、戦争をする国になるよ」と元首相は答えた(澤地久枝「意志と勇気が試されるとき」)。

看板としての「保守」=絶対悪の如き脊髄反射は論外だが、保守に脈打つ多様な自由と平和への希求(それは戦争経験者だから)の存在には、兎に角外交対立に便乗する現在の痩せ細った自称「保守」の怯懦と怠慢を感じられずにはいられない。

奥平康弘・小森陽一対談「国民主権を守る思想としての憲法」も秀逸。「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」は権利保障されても人は生きていけない。だから二項で責任主体を「国」と規定する。平和主義の内実も示唆する。昨今の生活保護抑制議論や新自由主義的「自己責任論」の高踏が反平和主義と親和的であることは意義深い。

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奥平 例えば、憲法二十五条についてはあまり議論したことがないけれども、あれがあるということは、考えてみればすごい潜在的能力を持つもの、有効に闘っていくことができるものの一つなんです。「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」があなたにあるんだよと、これをどうプログラムしていくかということなんですから。
小森 二十五条には、権利だけを保障されても生きていけないのであって、責任を取るのは誰かということで二項に「国は」という主体が明記されている。だからこそ、二〇〇八年のリーマンブラザーズ・ショック以降、とことん国の責任が求められていきました。小泉政権の時に製造業にまで労働者派遣ができるように法律を改めたことによって、派遣切りが増えた。それに対して、二十五条を掲げて厚生労働省に直接交渉したのが、二〇〇八年の年末から二〇〇九年年始への年越し派遣村でした。あの運動には一瞬ですが、分裂していた全ての労働組合が後押しをしました。これが二〇〇九年の政権交代の大きな力につながったけれど、それを民主党という政党が公約を裏切って滅茶苦茶に踏みしだいたという帰結に今、あるわけです。そういう意味では、もう一回民主主義的な主体をそれぞれが選び取ってどうするのかということも、現段階の憲法の思想として捉えていかなければならないですね。
奥平 それがまさに、「生きた憲法=living constitution」あるいは「憲法を生きる」ということです。(二〇一三年二月七日、岩波書店にて)
    --奥平康弘・小森陽一「対談 国民主権を守る思想としての憲法」、大江健三郎ほか『いま、憲法の魂を選びとる』岩波ブックレット、2013年、60-61頁。

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いま、憲法の魂を選びとる (岩波ブックレット)
大江 健三郎 奥平 康弘 澤地 久枝 三木 睦子 小森 陽一
岩波書店
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覚え書:「書評:「グローバリズム」の歴史社会学 フラット化しない世界 [著]木村雅昭 [評者]萱野稔人」、『朝日新聞』2013年05月19日(日)付。

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「グローバリズム」の歴史社会学 フラット化しない世界 [著]木村雅昭
[評者]萱野稔人(津田塾大学准教授・哲学)  [掲載]2013年05月19日   [ジャンル]社会 


■今なお基底的、国民国家の論理

 グローバル経済の進展によって国家は衰退するだろう。これまで幾度となく表明されてきた見解だ。国家は市場経済にできるだけ干渉してはならず、規制緩和こそがあらゆる国家がめざすべき共通の課題である、という主張もその一つである。経済の領域だけではない。私の専門である人文思想の世界でも同じような見解がさんざん繰り広げられてきた。
 本書はしかし、こうした見方に対して批判的な立場をとる。はたしてグローバル経済の進展は実際に国家を後退させ、フラットな世界を実現しつつあるのだろうか。決してそうなってはいないことが、さまざまな事例の分析を通じて本書で示されている。その論証は十分に説得的だ。
 たとえば欧州連合(EU)はしばしば、グローバル経済の進展に近代国民国家が対応しきれなくなったことで生まれた地域共同体であると位置づけられる。しかし、国民国家の境界でコントロールできなくなったグローバル経済の流れを地域共同体の境界でならうまくコントロールできると想定すること自体、無理がある。債務危機におちいったギリシャの救済策においてEU各国の思惑が入り乱れたのも、国民国家の論理のほうがいまだ基底的でありつづけていることを示している。
 グローバル経済が進展しても国家は決して後退しないことを理解するためには、資本主義経済において国家がはたしている根本的な役割を考察しなくてはならない。なぜ2008年の世界金融危機のとき、あれほど「政府は市場から出ていけ」と主張していた金融機関に、公的資金の注入がなされたのか。歴史的な事実として資本主義が国民国家のもとで発展してきた理由についても説明を試みている本書は、そうした国家の役割を考えるうえで極めて重要な論点を提供している。通俗的なグローバリズム論から脱却するための必読の書である。
    ◇
 ミネルヴァ書房・3675円/きむら・まさあき 42年生まれ。京都大学名誉教授。『帝国・国家・ナショナリズム』
    --「書評:「グローバリズム」の歴史社会学 フラット化しない世界 [著]木村雅昭 [評者]萱野稔人」、『朝日新聞』2013年05月19日(日)付。

[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013051900008.html:title]


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「グローバリズム」の歴史社会学: フラット化しない世界
木村 雅昭
ミネルヴァ書房
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覚え書:「書評:不浄の血 [著]アイザック・バシェヴィス・シンガー [評者]いとうせいこう」、『朝日新聞』2013年05月19日(日)付。


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不浄の血 [著]アイザック・バシェヴィス・シンガー
[評者]いとうせいこう(作家・クリエーター)  [掲載]2013年05月19日   [ジャンル]文芸 


■民話、呪い、魔物が入り交じる異物

 アイザック・B・シンガーは1978年に米国人作家としてノーベル文学賞を受賞した。英語作家としてではなく、多くの地に散るユダヤ人の共同体が守り伝えてきたイディッシュ語作家として。
 短編を1、2本、私も大学生の頃に読んだ記憶がある。だが当時私はアイザック・B・シンガーの持つ言語的な事情をうまく想像出来なかった。だから、少し風変わりな話だったという印象しかない。
 ところが、今回出版された『不浄の血』は風変わりどころではない。民話と呪いと旧約聖書の言葉と多くの魔物たちと超人と村人が入り交じった異物としての文学である。
 著者はポーランドから米国に移住し、イディッシュ語で書き、それが英語に訳されて流布するうち、自らも英訳に参加するようになる。
 例えばその際、「訳しづらい部分」が削除されることがあった、と「解題」では述べられている。つまり、ユダヤ共同体の特殊な儀式や言い回しなどが、作者自らが参加した翻訳からも消えたのだ。
 大学生の私は、他国の人間でもわかりやすいバージョンの日本語訳を読んだわけだ。
 もしもあの時、イディッシュ語のオリジナル版にこだわった今回の試みに出会っていたら、私の文学観は今とはかなり違っていただろう。少なくとも近代文学の理性といったものが決して常識的なものではない、と若い私は揺さぶられる思いをしたはずだ。
 今はむしろ、カリブ海やアフリカからの移民たちの小説、米国の中のスペイン語での文学などが多数存在している。時代がアイザック・B・シンガーに近づいているのだ。
 読者市場に受け入れられるために特殊性を自ら排除した英語版の様々な既訳と共に、今回の短編集を読んで欲しい。最近、世界文学が身近になって喜ばしい分、他文化間の「わかりやすさ(グローバリズム)」が作家、翻訳家への圧力になっている可能性に思いをはせて。
    ◇
 西成彦訳、河出書房新社・2940円/Isaac Bashevis Singer 1904-91年。16の短編を収めた傑作選。
    --「書評:不浄の血 [著]アイザック・バシェヴィス・シンガー [評者]いとうせいこう」、『朝日新聞』2013年05月19日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013051900010.html:title]

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不浄の血 ---アイザック・バシェヴィス・シンガー傑作選
アイザック・バシェヴィス・シンガー
河出書房新社
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覚え書:「発信箱:原発輸出と共感力=青野由利(専門編集委員)」、『毎日新聞』2013年05月24日(金)付。


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発信箱:原発輸出と共感力=青野由利(専門編集委員)
毎日新聞 2013年05月24日

 女性からは総スカンだが、男性はどうだろう。ちょっとした疑いを抱いていたが、偏見だったようだ。「従軍慰安婦制度は必要だった」という橋下徹氏の発言をどう思うか。毎日新聞が今週まとめた世論調査では、男女ともに「妥当でない」が約7割で、性差はない。

 むしろ、驚くほど男女差が見られたのは「原発輸出」に対する考えだ。男性は「賛成」と「反対」が半々。一方、女性は「賛成」2割、「反対」7割で、圧倒的に否定的だ。過去の調査を見ると、「原発再稼働」についても女性の反対が多いが、これほどの違いではない。

 「一般的に女性は危険なことを嫌い、行動が慎重」「健康、安全、子どもの将来など、原発は女性の関心が高いことに影を投げかけるので反対は当然」。専門家から聞いた話はその通りだと思うが、プラスアルファがあるのではないか。

 ひとつ、思いつくのは「共感力」だ。輸出先の途上国や新興国が被るリスクを我が事のように感じられるか。そういえば、途上国支援に尽力してきた緒方貞子さんも原発輸出には疑問を呈していた。一方で輸出推進派は、別の「共感力」を主張するかもしれない。「途上国にも原発の電力で発展する権利がある」という見方だが、なんだかだまされている気がする。

 世論調査の担当部署によると、男女差があるのは国民の合意が固まっていない証拠。だとすれば、巻き返しのチャンスはある。自国の経済のために他国をリスクにさらさない。事故原因さえわかっていないのに、「世界一安全な原発」とにこやかに売り込む安倍晋三首相には、こうした共感力こそ期待したい。
    --「発信箱:原発輸出と共感力=青野由利(専門編集委員)」、『毎日新聞』2013年05月24日(金)付。

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http://mainichi.jp/opinion/news/20130524k0000m070164000c.html

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覚え書:「記者の目:アイヌ遺骨返還問題」、『毎日新聞』2013年05月21日(火)付。

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記者の目:アイヌ遺骨返還問題

北海道報道部 千々部一好

研究者のモラル確立を

 北海道大や東京大、京都大など全国11大学が、「人類学の研究」と称して明治時代から戦後までの期間に墓地から集めたアイヌの遺骨が1633体に上ることが4月、文部科学省の調査で明らかになった。遺骨は大半がばらばらに保管され、氏名すら分かっていない。死者を冒瀆する実態に、アイヌ民族への差別を感じた。遺族は遺骨返還を求めているが、取材を通じ、大学側に真摯な態度を感じられなかった。大学側は正しい歴史認識を踏まえて研究者のモラル確立を図り、そのうえで遺骨返還に真正面から向き合うべきだ。

史料認めぬ大学
「資料なし」疑問
 軽種馬の産地として知られる北海道日高地方。そこに浦河町の杵臼墓地がある。軽種馬の放牧場に隣接し、立派な墓石が目立つ和人墓地の脇にアイヌの墓がある。北大を相手取り札幌地裁に遺骨返還訴訟を起こした原告の一人、城野口ユリさん(80)の先祖もここで眠る。だが、北大の研究者が戦前から戦後にかけ、墓を掘り起こして遺骨や副葬品を持ち去った。「あの世に行って、ご先祖様からお前は何をしていたのかとしかられる」。そう言い残して1985年に亡くなった母親の言葉が城野口さんの脳裏に焼き付いているという。
 2008年6月、国会はアイヌを先住民族とする決議を採択した。アイヌの権利擁護を検討する政府のアイヌ政策推進会議は11年6月、返還可能な遺骨は大学が遺族に返し、めどの立たないものは北海道白老町に造る施設で国の主導で尊厳ある慰霊を行うとの方針を示した。これを受け、文科省が全国の大学のアイヌ遺骨の保管状況を調査した。
 アイヌの遺骨は、明治時代から東大、京大、北大の人類学の権威者が中心となって、「アイヌのルーツや人類学の研究のため」との理由で墓から掘り起こした。中でも、北大は掘り出された遺骨全体の約3分の2の1027体を保管しており、その実態を独自調査して報告書にまとめ、今年3月末、公表した。
 報告書によると、遺骨収集は1931~72年に北海道内の46市町村をはじめ、樺太(サハリン)と千島列島で行った。頭と体の遺骨がばらばらに保管され、6割以上が頭骨だけだった。個人の特定ができたのはわずか19体だけだった。北大は「研究後の管理が適切でなく、問題があったと言われても仕方ない」と、ずさんな管理を認めた。しかし、アイヌの一部から出ている「盗掘された」との指摘には、「裏付ける資料はなかった」と明確に否定した。
 だが、報告書に疑問点は多い。遺骨収集の1次資料となる発掘人骨台帳や、研究者が記録したフィールドノートについて「作成されたのは疑う余地がない」と認めながら、「所在は不詳」と結論づけた。医学部が08年1月まで、発掘人骨台帳の複写物があると認めながら、同年8月に大学側が内容を確認しようとしたところ、「保有しておりません」と返答した。医学部の改修などで研究室が移転し散逸したとしているが、その理由には合点がいかない。

聞き取り実施し
尊厳守る姿勢を
 目を世界に転じれば、国連の「先住民族の権利宣言」(07年9月採択)には遺骨返還の権利が明記され、米国や豪州、ニュージーランドなどでは具体的な返還手続きが進められている。北大の小田博志準教授(文化人類学)は、ドイツのベルリン医科大が11年9月、旧植民地のナミビアで収集した遺骨20体を返還したケースを例に挙げ「ベルリン医科大は、この問題に誠実で透明性のある対応をした。遺骨を管理する大学は、これをモデルにできる。遺骨収集の敬意を明らかにするため学内で保存する文書だけでなく、遺族や発掘関係者らへの聞き取り調査も行うべきだ」と指摘する。その通りだと思う。
 アイヌ遺骨問題で批判にさらされた日本人類学会(会長、松浦秀治・お茶の水女子大教授)は06年、「研究は人権と人間の尊厳を尊重しなければならない」とする研究倫理の基本指針を作った。アイヌ遺骨の収集で対象者の同意や研究の趣旨説明などが不十分だったとの反省に立ったものだ。だが、問題点を指摘された北大などの対応は、問題を過去のものとみるだけで当事者意識に欠けている。
 アイヌには就職や結婚などで長く差別を受けてきた歴史があり、それを繰り返してはならない。研究者や大学は遺骨問題を先住民族・アイヌの「苦難の歴史」を清算する一つの機会と捉え、問題解決に誠心誠意、対応すべきだと思う。
    --「記者の目:アイヌ遺骨返還問題」、『毎日新聞』2013年05月21日(火)付。

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覚え書:「書評:黒澤明の十字架 戦争と円谷特撮と徴兵忌避 [著]指田文夫 [評者]出久根達郎」、『朝日新聞』2013年05月19日(日)付。


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黒澤明の十字架 戦争と円谷特撮と徴兵忌避 [著]指田文夫
[評者]出久根達郎(作家)  [掲載]2013年05月19日   [ジャンル]アート・ファッション・芸能 


■偉丈夫はなぜ徴兵されなかった

 映画監督の黒澤明は壮健な偉丈夫だったが、徴兵体験はない。軍務経験もゼロである。自伝で、徴兵司令官が父の教え子だったため兵役を免れた、と書いている。著者は徴兵制度に情実があり得たか、と疑問を抱く。
 調べると召集延期の条件には、××に従事して必要欠くべからざる者、という項目があることを知る。続いて戦時下の映画会社の実態を調べる。黒澤の会社では、極秘で航空教育用の映画を製作していた。教官不足のため、映画を教材に用いたのだ。軍部の御用だから、余ったフィルムを劇映画に流用できる。黒澤は会社の宝であり、戦病死した山中貞雄の先例をくり返したくなかった。本人に内緒で軍部に手配りをした。
 黒澤は兵役未体験が心の負担になった。「静かなる決闘」の主人公の描き方に、その辺の心理が現れている。およそ黒澤映画らしからぬ、うじうじと悩む男--という風に兵役義務の観点から考察した、新鮮な黒澤作品論である。
    ◇ 
 現代企画室・1995円
    --「書評:黒澤明の十字架 戦争と円谷特撮と徴兵忌避 [著]指田文夫 [評者]出久根達郎」、『朝日新聞』2013年05月19日(日)付。

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http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013051900012.html


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黒澤明の十字架: 戦争と円谷特撮と徴兵忌避
指田 文夫
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覚え書:「書評:犬の伊勢参り [著]仁科邦男 [評者]田中優子」、『朝日新聞』2013年05月19日(日)付。

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犬の伊勢参り [著]仁科邦男
[評者]田中優子(法政大学教授・近世比較文化)  [掲載]2013年05月19日   [ジャンル]歴史 


■群衆と動物が入り交じった時代

 犬が伊勢参りをした最初の記録は一七七一年だそうだ。それ以来まさに「ぞくぞくと」犬の参宮が見られたのだった。本当なのか? それにしてもいったいなぜ?
 本書は数々の疑問に答えながら、その全体で江戸時代の人と動物の関係を描き出した。江戸時代の犬は里犬だった。個人が飼っているのではなく、町や村が放し飼いで育てていたのである。つまりハチ公のような忠犬はいなかったのだ。食べ物と眠るところがあればどこへでも行く。誰かが首に参宮と書いてある木札といくらかの銭をかけておけば、多くの人々が宿と食べ物を世話し、次に送り出したのである。この送りかたは、抜け参りの人々の送り方と同じである。さらに人々は、参宮犬が通ると他の犬が吠(ほ)えない、伊勢に着くと拝礼するという伝説を作ってゆく。
 犬だけではない。田畑で働く牛も、当時はほとんどいないはずの豚も、伊勢参りをした。豚は日常では食べないので家畜としては飼われていないのだが、朝鮮通信使を迎える広島や岡山では放し飼いになっていたという。そこで豚の伊勢参りとなる。
 こうなると人々は一種の奇跡、神の意思を信じることとなって伊勢はさらに賑(にぎ)わう。そのムードを盛り上げたのが、天からお札が降ってくるという奇瑞(きずい)である。こちらは仕掛けがある。高い山や木に登り、葦(あし)でお札をはさみ、下の方に団子や油揚げを串刺しにしておくと、カラスやトンビがくわえる。食べてしまったあとでお札が下に落ちる、という仕掛けである。
 本書の全体から聞こえてくる聖域の静寂と喧噪(けんそう)、厳粛と猥雑(わいざつ)、群衆と犬や豚や鳥たちが入り交じる生活のエネルギーが実に楽しい。
 近代になると犬は個人が飼うものとなり、その他は野良犬とされて殺されるようになった。近代的秩序というものだ。どちらが犬にとって良い世の中なのだろう。
    ◇
 平凡社新書・840円/にしな・くにお 48年生まれ。毎日新聞記者を経て元毎日映画社社長。著書に『九州動物紀行』。
    --「書評:犬の伊勢参り [著]仁科邦男 [評者]田中優子」、『朝日新聞』2013年05月19日(日)付。

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http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013051900004.html


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犬の伊勢参り (平凡社新書)
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書評:倉沢愛子『資源の戦争 --「大東亜共栄圏」の人流・物流』岩波書店、2012年。

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 日本軍の東南アジア占領の最大の目的は燃料、食料、鉄鉱石など戦争継続に必要な「重要国防資源」の獲得にあったことは、本書のなかで再三強調してきた。獲得したものは、現地自活のほかに、「大東亜共栄圏」内の物流に回すこと、日本へ搬送することが重要な意味をもち、搬送すべき量まで目標が定められていた。つまり戦争継続、日本国民の生存、あるいは現地自活のために必要な物資は、「獲得」するだけでなく、それを消費地まで「搬送」することが重要な課題であった。しかしそれができないために、各地でさまざまな物資が極端に不足したり、その一方で「滞貨」するという現象が起きたのであった。第二章で見たように、各占領地内でコメの不足や偏在をもたらしたのは、輸送力の不足であった。また第三章で見たように、ゴムや石油は国防資源として需要が多く、生産も間に合っていたにもかかわらず、輸送手段がなく、必要なところへ移動させることができなかったために滞貨が生じ、減産されることになった。
    --倉沢愛子『資源の戦争 --「大東亜共栄圏」の人流・物流』岩波書店、2012年、280頁。

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倉沢愛子『資源の戦争 「大東亜共栄圏」の人流・物流』岩波書店、読了。本書は、東南アジア地域研究者の筆者による「日本の戦時経済政策の分析を、現地の社会の状況分析と突き合わせていくこと」で大東亜共栄圏の実態を明らかにする労作だ。 

http://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?isbn=ISBN978-4-00-028377-9

共栄圏確立の為に実施された経済施策の殆どは、現地の実情や民生の向上とはほど遠いことを本書は丁寧に論証する。本音と建て前の分断のみならず「それだけの犠牲を強いて実行した資源取得政策が、日本の目的にさえかなわなかった」ことには驚く。

資源獲得の為に南方に「進出」したが、その実態は獲得どころではない。住民を餓死・酷死させるほど供出させた食料や資源は、輸送力不足のため現地で投棄されている。抑もプランテーションの東南アジアは食料輸入国なのである。実情を無視した搾取といってよい。

近年、政治家による、戦争を美化・正当化する発言が相次ぐ。そして賛美の拍手が止まない現状。しかし実相をみるとどうか。知人が「大東亜共栄圏」は実のところ「大東亜共“貧”圏なのでは?」と言ったが、それが現実であろう。本書の史料と聞き取りに真摯に耳を傾けたい。

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覚え書:「書評 少子化論 松田茂樹著」、『東京新聞』2013年5月19日(日)付。

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少子化論 松田茂樹 著

2013年5月19日

[評者]古田隆彦=現代社会研究所長
◆出生率回復の具体策示す
 わが国の少子化対策が一九九四年に開始されてから、すでに二十年になる。その効果なのか、合計特殊出生率(一人の女性が一生の間に産む子どもの平均数)は、二〇〇五年の一・二六から一一年の一・三九へと上昇した。だが、回復のペースは鈍化し、人口が維持できる二・〇七にはほど遠い。
 出生率の増減は、主に「結婚している人の割合」と「夫婦間の子どもの数」で決まる。一九六〇年ころまでは後者が主要因だったが、その後は前者の影響が大きい。ところが、従来の政策は「女性の進出などによって出産・育児期にも共働きを望む人が増えてきたが、保育所不足や育休などの両立環境が十分でない」という後者の視点で実施されてきた、と著者は指摘する。
 実態は違う。「若年層の雇用の劣化により結婚できない者が増えたこと及びマスを占める典型的家族(夫は就業、妻は家事)という男女の役割分担において出産・育児が難しくなっていること」が昨今の主要因なのだ。
 そこで、著者は政策転換として、若年層の雇用環境の改善、非正規雇用者の育休創設、子育て・教育の経済的負担の縮小、公教育の充実による家庭負担の軽減、仕事と子育ての両立支援、在宅子育て母親の再就職支援、祖父母との同居・近居支援、出生率回復の目標値設定などを主張する。
 内外の豊富なデータに基づく、詳細な分析と網羅的な提言は、家族社会学や少子化対策論の到達点を示し、政策論としては十分に頷(うなず)ける。だが、幾つ実現できるのか。政府や経済界の支援だけで果たして効果が現れるのか。
 「産まれてくる子どもに今の時代で不足のない経済的な生活を与えられないと思えば、これから子どもを産む夫婦が出産を控えるのは当然」と著者はいう。ならば、人口が減ってもなお生活水準の落ちない、実現可能な社会像を堂々と示したらどうか。個々の支援策は大きな目標の中に組み込まれて、初めて効果を生むのだと思う。
 まつだ・しげき 中京大教授・家族論。著書『何が育児を支えるのか』。
(勁草書房・2940円)
◆もう1冊
 中島さおり著『なぜフランスでは子どもが増えるのか』(講談社現代新書)。フランス人女性の生き方から少子化脱却の実情を探る。
    --「書評 少子化論 松田茂樹著」、『東京新聞』2013年5月19日(日)付。

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013051902000172.html


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覚え書:「書評:ソーシャル化する音楽 円堂都司昭 著」、『東京新聞』2013年5月19日(日)付。


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ソーシャル化する音楽 円堂都司昭 著

2013年5月19日

[評者]土佐有明=ライター
◆つながり遊ぶ道具に
 ソーシャル・ネットワークが発達した二〇〇〇年代以降、ポップ・ミュージックの楽しみ方は大きく変化した。例えば、動画共有サイトには、一般のユーザーが既存の曲に後から歌や踊りを当てはめた動画が溢(あふ)れており、それは時に原曲やその作者を凌駕(りょうが)する影響力を持つ。著者はこうした現象を「聴取」から「遊び」へという形容で説明する。
 古くは通信カラオケから、DJプレイ、エアギター、音楽ゲーム、i-Tunesによるランダム再生まで、周辺機器の充実により、音楽を玩具のように捉え、「遊び」に興じる傾向が加速している。また、アイドルの握手会や野外フェスの人気ぶりを見れば、音楽がコミュニケーションの媒介として機能していることも分かる。著者はこうした事象を列挙し、音楽が静態的な「観賞物」ではなく「つながり」の手段となった時代の空気を鮮やかに浮かび上がらせる。
 ポップ・ミュージックには実演や作品を聴衆が模倣する伝統がある。かつてビートルズに熱狂した若者は、その曲をコピーし、ファッションを真似(まね)た。だが著者の言う「遊び」はそうした素朴な憧憬(しょうけい)とは無関係に成り立つものだ。インターネットという遊び場の普及も手伝い、原作を改変する行為そのものが「創作」と認められるのが現代である。本書はそんな時代の空気を照らし出している。
 えんどう・としあき 1963年生まれ。音楽評論家。著書『ゼロ年代の論点』など。
(青土社・1890円)
◆もう1冊
 渡辺裕著『聴衆の誕生』(中公文庫)。音楽の複製化・大衆化・商業主義などを通じて聴衆の変化を追った文化論集。
    --「書評:ソーシャル化する音楽 円堂都司昭 著」、『東京新聞』2013年5月19日(日)付。

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013051902000171.html

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ソーシャル化する音楽 「聴取」から「遊び」へ
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たまこ 20130521wed


20130522222714
ちょうど1週間前に避妊手術をしまして、21日の水曜日に抜糸完了にて、一連の処置が終わりました。

術後2日ぐらいは、かなり疲れておりましたが、今週の頭から、だいぶ活動的になり、抜糸後は、本調子に戻りました。

これで、また宅内で大暴れしそうです(> <)


 

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覚え書:「今週の本棚:養老孟司・評 『建築家、走る』=隈研吾・著」、『毎日新聞』2013年05月19日(日)付。


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今週の本棚:養老孟司・評 『建築家、走る』=隈研吾・著
毎日新聞 2013年05月19日 東京朝刊

 (新潮社・1470円)

 ◇「場所」と「身体」を鍵に、自らの軌跡を語る

 今年四月、新歌舞伎座がオープンした。その建築を手がけたのが本書の著者、隈研吾。それならこの本は、新歌舞伎座の竣工(しゅんこう)を機に、急ぎ著者インタビューをして作り上げられたものか。

 それはまったく違う。たしかに聞き書きでまとめられた本なのだが、完成までに足掛け五年を経ている。いわば周到に準備された「現在の隈研吾」の紹介なのである。

 京都・下鴨神社には著者設計による「現代の方丈」庵がある。昨秋そこで著者と対談する機会があった。「昨日はどこでしたか」「マケドニア」。「明日はどちらへ」「中国」。わざわざ世界中をそうして走り回っているわけではないと思う。なぜだか知らないが、そうなってしまった。それが正直なところに違いない。国際的というのは、つまりそういうことなのである。

 半自伝的に自分の過去を語りながら、現在のさまざまな仕事の局面に触れる。語り口は平易で、読みやすく、一気に通読できる。そこでの鍵となる言葉が二つある。私はそう読んだ。それは「場所」と「身体」。建築という表現の前提は場所である。当たり前だが、場所を無視して建築はない。その中を動くのは身体。著者は身体性を重視する。

 これはむしろ無意識と言い換えるべきかもしれない。われわれは身体を「知っているつもり」だが、それはじつは「脳の中の幽霊」である。つまり自分が意識している身体は、実体を伴っていない。いわば幽霊のような仮構なのである。

 場所と身体には、一つ共通点がある。それは「個」であって、唯一無二、取り替えがきかないということである。ところが現代社会は、そうした個を無視する。いや、そんなことはない。近代こそ、個を中心に置いてきたではないか。

 まさにそこが問題なのであろう。個が中心だという意識的な前提を置けば、世間は逆に一般化、普遍化するに決まっている。それぞれが自分は個に決まっていると思っているのだから、「安心して」社会は一般化をいわば強制できる。それが現代人の生きにくさに通じている。

 著者はそれをよく知っている。私はそう思う。半自伝の部分で、著者は米国留学について語る。でもそれは「箔(はく)をつける」ようなものではない。ニューヨークで図書館に通い、畳を二畳注文する。あとは日本の現代建築批判。つまり世間に対してひねくれていただけである。

 帰国して十年間、地方での建築活動に専念する。東京では「干された」からである。世間から疎外されたのか、あるいは世間を疎外したのか。疎外した世間に戻ったときには、その世間を自分のなかに包摂するしかない。そういう風に人は育つ。外から見る人はそれを成功と呼び、出世物語と見るかもしれない。でもおそらく、自分との大きな折り合いがついたのだと、私は思う。

 そうなればそのまま世界に通用する。日本という世界を思い切って飲み込んでしまえば、あとは世界のどこに行こうと、同じことだからである。いますぐに理解できるか否か、それはともかく、現代の若い世代にぜひ読んで欲しい本である。建築という表現形式は、世間という一般と自分という個とが、直接にぶつかり合う、強い緊張関係の世界である。その緊張関係をいかに清々(すがすが)しく過ごしていくのか。それだけの力量を持つ人たちが、戦後日本の建築界から輩出した理由が知りたい。本書を読んで私はそう思った。
    --「今週の本棚:養老孟司・評 『建築家、走る』=隈研吾・著」、『毎日新聞』2013年05月19日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130519ddm015070003000c.html


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覚え書:「書評:竹山道雄と昭和の時代 平川祐弘著」、『東京新聞』2013年5月19日(日)付。


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竹山道雄と昭和の時代 平川祐弘 著

2013年5月19日

[評者]勝又浩=文芸評論家
◆真の教養人の自由な精神
 市川崑監督によって二度も映画化された『ビルマの竪琴』は、その原作である新潮文庫版も読み継がれて版を重ねている。一つの国民文学だと言ってもよいと思うが、作者は小説家でも児童文学者でもない。元来は旧制第一高等学校のドイツ語の先生だった。
 本書はその竹山道雄の評伝である。人名索引を含めて五百三十ページに及ぶ大著で、よく調べられた伝記的な事実はもとより、何よりも真の教養人であり国際人であった竹山道雄の思想とその意義を縦横に論じ解説して、行き届いている。竹山道雄がいかに、日本の軍部、ヒトラーのドイツ、共産主義のロシア、毛沢東の中国を批判してぶれなかったか。その、一切の過剰なものを信じなかった彼の自由と中庸の精神を鮮やかに浮かび上がらせている。
 著者は『和魂洋才の系譜』などで知られる比較文化・比較文学者であると同時に、竹山道雄の門下生であり、また娘婿でもある。それゆえ身内の弁や思い出話にならないように、極力第三者のことばを引いて客観性に努めたと断っているが、それは充分功を奏したと言ってよいであろう。
 著者の狙いだという「竹山の目を通して見た昭和の時代」「世界の歴史」という側面も見晴らしよく押さえられている。竹山道雄の思想を論ずる人はたくさんあるが、その思想を生きた人としての竹山道雄を同時代のなかに描いて、最も適任の人を得たのではないかと思われた。著者自身の個人的な見聞や裁断を遠慮なく披瀝(ひれき)しているところも刺激的で面白かった。
 この一冊から教えられたこと、考えさせられたことはたくさんあるが、小さな連想を一つ記せばこんなことがある。『ビルマの竪琴』では、歌が国や人種や戦場での敵味方さえ超える力を発揮するが、そんな歌の力はそのまま国際人竹山道雄の大きな教養そのものを象徴していたのかもしれない。とすれば、竹山道雄の思想とは、つまるところ平和の思想なのであろう。
 ひらかわ・すけひろ 1931年生まれ。東京大名誉教授。著書『小泉八雲』など。
(藤原書店・5880円)
◆もう1冊
 竹山道雄著『ビルマの竪琴』(新潮文庫)。第二次大戦中のビルマ戦線で、手製の竪琴で合唱の伴奏をした上等兵を主人公にした物語。
--竹山道雄と昭和の時代 平川祐弘 著
    --「書評:竹山道雄と昭和の時代 平川祐弘著」、『東京新聞』2013年5月19日(日)付。

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013051902000173.html

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覚え書:「みんなの広場 橋下氏の慰安婦発言がっかり」、「みんなの広場 女性の尊厳踏みにじる発言」、「みんなの広場 9条 今こそ愚直に守るとき」、『毎日新聞』2013年0月19日(日)付。


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みんなの広場
橋下氏の慰安婦発言がっかり
主婦 63(東京都板橋区)

 「縦断が飛び交う中で命をかけて走っていく時、精神的に高ぶっている集団に休息をさせてあげようと思ったら、慰安婦制度が必要なのは誰でもわかる」。これは、日本維新の会の共同代表、橋下徹氏の発言である。歴史認識や国際関係への影響だけではない、女性に対する氏の本音が透けて見えたと思うと情けないやらがっかりするやら、何とも複雑な思いがする。
 本来、女性の役割は「戦場の男の高ぶりを癒すこと」などではなく「男が戦場に行かないように声を上げる」ことこそが大事であると強く思っている。
 最近、一部の政治家の言動が、やたらキナ臭い。もっと、謙虚に国民の声に耳を傾けてもらいたい。私自身も一人の母として、今だからこそ平和のために声を上げなければいけないと感じている。
 いつか来た道をたどらないためにも日本の平和を守りたい。
    --「みんなの広場 橋下氏の慰安婦発言がっかり」、『毎日新聞』2013年05月19日(日)付。

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みんなの広場
女性の尊厳踏みにじる発言
自営業 69(静岡県小山町)

 日本維新の会共同代表の橋下徹氏が、戦争の遂行に慰安婦は必要だったと発言したという。あまりにも女性の尊厳を無視した言い分である。女性の心を尊重する立場に立つならば、こんな発言はあり得ない。橋下氏は、戦争の遂行を前提とした上で必要な方策は容認する姿勢らしいが、視野が狭すぎる。
 過去に他国との戦争をしたのは不幸な経験だ。もめごとの解決方法として男性は力の対決に走りやすいが女性は対話と謙譲を重視するのではないだろうか。もし、男性だけでなく女性の考え方も正当に政策に反映されるような国家体制であったならば、そもそも戦争に突入することもなかったのではあるまいか、と思う。女性と男性という二つの性の存在は、どちらか一方が他方に隷属するのではなく、互いに力を合わせて人類の未来への存続を担ってゆくためにある。
 男性中心の考えで女性には協力を強いて当然とする発想はやめてもらいたい。
    --「みんなの広場 女性の尊厳踏みにじる発言」、『毎日新聞』2013年0月19日(日)付。

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 みんなの広場
9条 今こそ愚直に守るとき
行政書士 64(東京都大田区)


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 改憲論議が盛んである。安倍晋三首相は改憲要件を緩和するための96条の改正を主張している。しかし、これは城に喩えれば、外堀を埋めようとするものであり、その先の真の狙いは内堀に当たる9条の改正であろう。それは、自衛隊を国防軍に改編し、軍としての存在を明確にすることで、武力行使(戦争)を可能にする体制づくりを目指すものといえる。
 また、首相の政権発足後の領土や歴史認識等の問題に関する強硬発言の裏には、そのことで国民のナショナリズムをあおり、改憲につなげようとする意図が見えた。
 しかし、国の安全は、感情に支配されない冷静な外交努力で守ることが基本でなければならない。私は今こそ、9条の不戦の誓いを愚直に守り続ける必要性を感じている。来る参院選では、我々は96条改正の先にある9条の改正も見据えて、改憲の是非を判断する必要があると思う。「アベノミクス」に浮かれてばかりはいられないのである。
    --「みんなの広場 9条 今こそ愚直に守るとき」、『毎日新聞』2013年0月19日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚:小島ゆかり・評 『生命の逆襲』=福岡伸一・著」、『毎日新聞』2013年05月19日(日)付。


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今週の本棚:小島ゆかり・評 『生命の逆襲』=福岡伸一・著
毎日新聞 2013年05月19日 東京朝刊


 (朝日新聞出版・1470円)

 ◇生物の“諭しの声”に耳を傾ける

 週刊誌『AERA』に連載中の生物学コラム「ドリトル先生の憂鬱」を新編集した一冊。つまり『遺伝子はダメなあなたを愛してる』(二〇一二年刊・朝日新聞出版)の続編である。

 かつての昆虫オタク少年が、その夢の続きを大いに語る本、といったらいいだろうか。

 「晴れた日は網を持って蝶(ちょう)を探しに」「画家フェルメールとカメラ・オブスキュラ」「小さな断片から大きな世界を見る力」「ホタルが光るまでの長い長い道のり」「カマキリというシュールな存在」「かくしてヒトのメスは長寿を謳歌(おうか)する」「iPS細胞は『自分探し』をする若者」「サーチュインは不老長寿の遺伝子か」など、一篇ずつのコラムのタイトルを追ってゆくだけでも、すでにわくわくする。

 少年時代の回想から、ごく最近の生物学の情報まで、話題は幅広く興味深い。専門的な知識をこれほどわかりやすく語ることができるのは、専門分野以外のことがよく見えている人だからにちがいない。

 「人間の思惑に対して、生物たちがどんなふうに逆襲を果たすかについて、あれこれ考察してみました。逆襲とはいえ、それは攻撃や復讐(ふくしゅう)ではありません。つねに教訓と展望を含んだ諭しであり、寛容さの表れなのです。私たちは、ドリトル先生のように、彼らのささやきに耳を澄ませ、そしてリスペクトを示さなければならないのです」(「あとがき」)

 いくぶん過激なタイトル「生命の逆襲」の意味はこういうことである。

 三十八億年という生命の時間を視野に入れたとき、いま見えている世界の姿はどのように変わるか。著者に導かれながら、可視・不可視の境界を超えて生命の不思議と問答をする。すなわち、読者もしばし、夢の続きを歩む著者の同行者になるのである。

 単細胞生物には死がありません。もちろん栄養不足などで分裂できないまま生命活動を停止するような単細胞もあり、この場合は細胞の死といえます。しかし分裂を繰り返すかぎりにおいて単細胞生物には死がないのです。しかも、もともとの細胞成分のうち半分が次の細胞に引き渡されるのです。(中略)限られた一生を終えると跡形もなく消え去る私たちは、単細胞生物から見れば、非常に儚(はかな)い存在なのです。(「単細胞生物に死はあるのか」)

 ネアンデルタール人と現代のヒトのDNAの違いから、両者は並行して進化してきた異なる種であることが判明したのです。もし、今なおネアンデルタール人が各地に存在し、私たちと似た文化や文明を持っていたとしたら。(中略)ネアンデルタール人と現生人類のあいだにこそ、ほんとうの人種問題が存在しえたのです。これを前にしたら、今、私たちが問題にしているような「人種」というものはなきに等しい。生物学的にはホモサピエンスは1種類です。(「ネアンデルタール人とホモサピエンスの人種問題」)

 ほかにも、爬虫(はちゅう)類であるコモドオオトカゲが見せる「待つ」という高等な心の作用や、新農薬ネオニコチノイドとミツバチの大量失踪の関連など、科学的な事実が警告していることの深さと鋭さに驚く。

 進化の頂点に立つと自負する人間こそが、あるいは、もっとも初歩的なミスを犯し続けて、生命界を脅かしているのかもしれない。
    --「今週の本棚:小島ゆかり・評 『生命の逆襲』=福岡伸一・著」、『毎日新聞』2013年05月19日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130519ddm015070038000c.html


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覚え書:「今週の本棚・新刊:『卵子老化の真実』=河合蘭・著」、『毎日新聞』2013年05月19日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『卵子老化の真実』=河合蘭・著
毎日新聞 2013年05月19日 東京朝刊

 (文春新書・893円)

 今や30代の初産は当たり前になった。しかし、20代後半から自然妊娠率が少しずつ低下するという事実はよく知られていない。原因は「卵子の老化」。その実態に、最新の研究成果、不妊治療や高齢出産をした当事者の声も交えて迫った。

 卵子は、老化が進むと質が低下し、染色体異常や流産が起こりやすくなる。また、卵巣で眠っている卵子の数のピークは胎児のときの約700万個。徐々に自滅し、思春期には20万個に減っている。個人差は大きく、30代で「在庫」が切れそうな女性がいる。35歳以上の自然妊娠する力は20代前半の半分という。

 だが、高齢出産は負の側面ばかりではない。英ロンドン大の研究によると、高齢出産の子どもはけがが少なく、言語発達も良好だった。

 著者は、出産専門のジャーナリスト。3人の子を持ち、流産も高齢出産も経験した。卵子の老化に伴う困難さは認めつつも、高齢出産を否定せず、リスクのみ強調する情報のゆがみに、むしろ警鐘を鳴らす。「いつどのように妊娠すべきかという問いに、正解はない」。その言葉に、自分らしく生き、産みたいと願う現代女性へのエールを感じた。(桃)
    --「今週の本棚・新刊:『卵子老化の真実』=河合蘭・著」、『毎日新聞』2013年05月19日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130519ddm015070023000c.html

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書評:鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』中公新書、2013年。


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 何よりも歩くうえで困るのは、旅人のために設けられていた茶店や立場(たてば)という休憩所がなくなったことである。江戸時代の街道では、歩き疲れたり、一息入れたりする茶店や立場が、渡河点や峠の上など随所に設けられていて、旅人たちは実際に活用していた。
 江戸時代の旅の復元では、これをどうするかが検討され、「茶店」を動かしたらどう?」この一言がグッドアイデアと採用された。
 車社会の利点を活かして、動く茶店をつくる。移動茶店の開店。第一回の宝来講では、大学の校友会がたまたま所有していたジープを一台借り受け、学生の中から男女一名ずつを選んでサポート隊とした。サポート隊の役割は、休憩地点に現れて、お茶やお菓子などを供して接待すること。数十人分の昼食を調達することであった。お茶は宿屋で朝のうちに沸かしてもらって、大きな魔法瓶に入れてもらうとよいが、お菓子や薬、その他必要なものを調達することから、会計の役割も加わった。
    --鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』中公新書、2013年、146-147頁。

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鎌田道隆『お伊勢参り 江戸庶民の旅と心』中公新書、読了。江戸時代の庶民にとって最も代表的な「旅」がお伊勢参り。

……と聞けば幕末の「ええじゃないか」を想起しがちだが、本書は熱狂的な特異点だけに注目するのではなく(もちろん、その“事件”のインパクトは承知の上ですが)、江戸時代の庶民がどのように「旅」を経験したのか、史料から明らかにする。

確かに「信心」が理由であれば、職場や家庭を離脱した「抜け参り」は許され、開放的外部との接触が人を蘇生させる。しかし、費用はいくらぐらい? 何を食べた?等々……その衣食住の受け入れや旅の実際については、本書で初めて知ることが多い。

圧巻は「歩く旅・現在 お伊勢参りを体験する」。学生とわらじを編んで、筆者が教鞭を執る奈良大学から5日かけて励まし合い、接待を受けお伊勢様へ歩いていく。見えてくるのは現代には「道中」がないことだ。

歴史としての「事柄」だけでなく、本書には地域開発の在り方から生きた教育のヒントまで見え隠れする好著。


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お伊勢参り - 江戸庶民の旅と信心 (中公新書)
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覚え書:「今週の本棚・新刊:『沈黙の力』=劉霞・著」、『毎日新聞』2013年05月19日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『沈黙の力』=劉霞・著
毎日新聞 2013年05月19日 東京朝刊

 (FOIL・1365円)

 中国の芸術家による写真集。自身が「醜い子供たち」と呼ぶ人形を北京郊外にさまよわせ、そのさまを撮り続けた。多くの写真で、人形は縛られたり、握りつぶされたりカゴに入れられたり。苦しく、怒りを露(あら)わにした表情を浮かべている。

 作者は、ノーベル平和賞を受賞した中国の人権活動家、劉暁波の妻でもある。人形たちの姿に、服役中の夫をはじめとした、自由を求めて運動を続ける人々の姿を重ねているかのようでもある。自身も労働収容所に入った経験があるという。今は自宅軟禁されており、作品は中国国内で公表できない。

 この写真集には、民主化という目の前のテーマにとどまらない奥行きもある。白黒でしか撮らない背景には、中国書道の伝統が関係するという。竹製のカゴに「投獄」されたり、象形文字と重ねて撮られたりした人形は、伝統文化の中にある抑圧性を示しているかにも見える。解説によれば、人形が本を指し示す写真に見えるのは、ソローやエマソンらアメリカの古典的な作品の訳書という。繰り返しめくるうちに、文化や民主主義の根底にまで思いを巡らせたくなる一冊。(生)
    --「今週の本棚・新刊:『沈黙の力』=劉霞・著」、『毎日新聞』2013年05月19日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130519ddm015070009000c.html


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沈黙の力
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覚え書:「今週の本棚・新刊:『兵士たちがみた日露戦争』=横山篤夫、西川寿勝・編著」、『毎日新聞』2013年05月19日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『兵士たちがみた日露戦争』=横山篤夫、西川寿勝・編著
毎日新聞 2013年05月19日 東京朝刊

 (雄山閣・2730円)

 副題「従軍日記の新資料が語る坂の上の雲」に本書の狙いが現れている。大日本帝国が帝政ロシアを破った日露戦争では、多くの将軍が脚光を浴び、小説や映画、ドラマで繰り返し取り上げられた。本書は、戦場の最前線に立ちながら、後世に注目されてこなかった兵士たちに光を当てた。何を食べ、どこで寝たのか。どのような武器で戦ったのか。戦場の実像を、彼らが残した従軍日記で再現している。

 2011年に大阪市立中央図書館で行われたシンポジウムと、同市の真田山(さなだやま)陸軍墓地で行われた研究集会での講演記録をもとに編集した。さらに与謝野晶子の有名な詩に登場する弟は、本当に旅順で戦ったのかどうかを探るコラムなど、最新の研究成果も盛り込まれている。

 日本史の史料は、古代から中世、近世と時代を下るにつれ増える。さらに近代以降は、飛躍的に豊かになった。だが編著者の西川氏によれば、その近代史の研究者は、古い時代に比べて格段に少ないという。優れた研究者がこうした史料を活用することで、大きな成果が上がることは、本書が証明している。近現代史研究の深化に期待したい。(栗)
    --「今週の本棚・新刊:『兵士たちがみた日露戦争』=横山篤夫、西川寿勝・編著」、『毎日新聞』2013年05月19日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130519ddm015070043000c.html


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兵士たちがみた日露戦争―従軍日記の新資料が語る坂の上の雲―
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覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 『議論の府』の自己否定=湯浅誠」、『毎日新聞』2013年05月15日(水)付。


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くらしの明日
私の社会保障論
「議論の府」の自己否定 憲法96条改正問題
湯浅誠 反貧困ネットワーク事務局長

 サウナの後、水風呂につかると気持ちいい。頭までつかりたくなるが「水の中にもぐらないでください」の張り紙を見て、ぐっと我慢する。
 そんな時ふと「大金持ちは『このサウナを買い取れば好きにもぐれる』と思うのだろうか」という疑問が頭をよぎる。「おれが気に入らないという」理由でルールを変える。傲慢だが、あり得るかも知れない。
 では、スポーツ選手が「勝てないからルールを変えてくれ」と言うのはどうか。「実力のなさをルールのせいにしても、その人の真の実力は向上しない」という批判が聞こえそうだ。
 あるルールが合理性を失った時「だたtらルールを変えればいい」という発想はあり得る。「ルールだから仕方ない」と忍従するだけではイノベーションは起こらず、違いは「時代が変わって合理性を失ったから」なのか「気に入らないから」「勝てないから」なのかに起因する。
 本格的に検討され始めた憲法96条改正問題はどちらだろうか。
 自民党は憲法改正草案で、現在「各議院の総議員の3分の2以上の賛成」で発議されるとしている憲法改正条項(96条)を「総議員の過半数の賛成」で足りるとルールを変えようとしている。理由は(1)世界的に見て改正しにくい憲法だから(2)国会での手続きが厳格だと、国民が憲法について意志を表明する機会が狭められるから--だという。
 よく分からない。
 改正しやすいことが無条件に良いことなら、法律も「国民100万人の署名を集めれば改正できる」とすればいい。国会が国民の意思表明のさまたげになるなら「国民100万人の発議で国民投票で決める」とすればいい。だが、そうなったら国会の存在意義はどこへ行くのか。
 「議論の府」としての国会の自己否定--。二つの理由の根底に共通するのは、これだ。
 国民の代表として生活の保障を得ながら、職業的に国全体を見渡し、議論して合意形成を目指す。これが国会の役割だ。自分たちが役割を果たしてこなかったからといって、国会議員としての実力のなさをルールのせいにしても、国会の実力は向上しない。
 私は、議会制民主主義が信用を失墜しているように見える今だからこそ、議会制民主主義を擁護したい。だから、もし議会が、自らの存在意義を否定するような理由で96条改正を持ち出すのなら、国会議員の総辞職とセットにしてもらいたい。
 なぜなら96条改正は「私たちは国会議員として実力がありません」という宣言なのだから。
ことば 憲法96条改正問題 自民党が参院選の公約に掲げたことで、政治の大きな焦点となった。ただ、改憲経験のある米国やドイツも、両院の3分の2以上の発議や議決が必要。日本の改憲要件が他国より特に厳しいわけであない。憲法は時の権力者が一時的な勢いで変えてはならない普遍の原理であり、憲法を国の最高法規たらしめているのが96条だ。
    --「くらしの明日 私の社会保障論 『議論の府』の自己否定=湯浅誠」、『毎日新聞』2013年05月15日(水)付。

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覚え書:「書評:ユーロ消滅?―ドイツ化するヨーロッパへの警告 [著]ウルリッヒ・ベック [訳]島村賢一 [評者]水野和夫」、『朝日新聞』2013年05月12日(日)付。

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ユーロ消滅?―ドイツ化するヨーロッパへの警告 [著]ウルリッヒ・ベック [訳]島村賢一
[評者]水野和夫(日本大学教授・経済学)  [掲載]2013年05月12日   [ジャンル]経済 国際 

■危機への岐路に立つメルケル

 ユーロ危機を国家債務危機ととらえた経済学者は「資本の理解者」となって貧者に新自由主義を強いると著者は指摘する。債務危機ではなく、欧州危機なのであって「欧州が排外主義や暴力に回帰せずに、根本的な変化や多大な挑戦に対して解答を見いだせる」かどうかが問題の核心だという。
 著者は、現在の欧州はマキャヴェッリが経験した15~16世紀以上の危機に直面しているのであり、「革命前夜のような状況」と認識する。独首相メルケルを、『君主論』の戦略家になぞらえ「メルキァヴェッリ」と称し、これまでの「懐柔戦略としての躊躇(ちゅうちょ)」的な手法をたたえているが、「ドイツによるヨーロッパ」が全面的になると、限界に近づくと危惧し、それを避けるための「公平」「均衡」など四つの原則を提唱する。
 現在の危機に対処するには、国民国家的世界観を変え、「ルールを守る小政治」から「ルールを変える大政治」へと転換する必要がある。欧州連合を進めていこうとする著者によれば、「慣れ親しんだルーティンを粉々にする例外の事態」と通常の事態が区別できない「リスク社会」において、秩序の転換には二つのシナリオがある。一つはヘーゲル的、もう一つはカール・シュミット的なそれだ。前者は民主主義が国家の枠を超えて生き残り、後者は独裁への道が待っている。
 危機のさなかに、ドイツは意図せずしてヨーロッパの中心に躍り出た。カエサル、ナポレオン、ヒトラーらが強大な軍事力を以(もっ)てしてもなしえなかったことを、メルキァヴェッリが“壮大な社会実験”として行っている。翻って、我が国のそれといえば、ベースマネーを2倍に増やすことだという。なぜ日本は「近代の勝利の副次的作用としてのグローバルなリスク」に無頓着なのだろうか、この点を解明しないと日本は周回遅れのトップランナーになりさがるだろう。
    ◇
 岩波書店・1575円/Ulrich Beck 44年生まれ。元ミュンヘン大学教授。社会学者。『危険社会』
    --「書評:ユーロ消滅?―ドイツ化するヨーロッパへの警告 [著]ウルリッヒ・ベック [訳]島村賢一 [評者]水野和夫」、『朝日新聞』2013年05月12日(日)付。

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覚え書:「書評:歌は季につれ [著]三田完 [評者]三浦しをん(作家)」、『朝日新聞』2013年05月12日(日)付。

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歌は季につれ [著]三田完
[評者]三浦しをん(作家)  [掲載]2013年05月12日   [ジャンル]文芸 

■口ずさめば心にほのかな明かり

 著者の三田完氏は、作家であり俳人でもある。もともとはテレビの音楽番組を作っていたらしい。阿修羅像なみに多様な顔を持つ男……!
 よって、このエッセー集では、折々の出来事や風物から連想される歌謡曲と、それに呼応するような名句と、著者が見聞きしたり考えたりした事柄とを味わえる。一粒で三度おいしい。
 著者がともに仕事をした阿久悠や美空ひばりの姿。「雪の降る街を」や「渚(なぎさ)のはいから人魚」といった、人々に愛される歌にまつわる思い出。ちなみに、「渚のはいから人魚」に添えられるのは橋本薫の句、「流れ藻や涼しかるらん人魚の血」だ。しびれる。
 連載途中で東日本大震災が起きるが、著者の筆致は上擦らず荒ぶらない。俳句や歌謡曲といった、ひとの心から生じた「歌」はすべて、楽しいときもつらいときも私たちのそばにあり、口ずさめば心にほのかな明かりを灯(とも)してくれる。本書もまた、そういう「歌」のようなエッセー集だ。
    ◇ 
 幻戯書房・2310円
    --「書評:歌は季につれ [著]三田完 [評者]三浦しをん(作家)」、『朝日新聞』2013年05月12日(日)付。

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書評:飯倉章『黄禍論と日本人 欧米は何を嘲笑し、恐れたのか』中公新書、2013年。


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 他に西洋列強諸国が勝利の要因として注目したのは、日本の愛国主義である。そのお様子を如実に示しているのが『パンチ』に載った「愛国心のレッスン」〔図6-19〕だ。日本の軍事的成功に、ジョンブルが「あなたの軍制度はみごとに機能しているように思われますな。いかに切り盛りしているのですかな」と尋ねている。芸妓姿の女性となったこと日本が「とても単純ですわ。我々とともにいる誰もが母国のために自分を犠牲にする用意ができています。ーーそしてそうするんです!」と答える。自己犠牲を厭わないという回答にジョンブルは驚き、「驚くべき制度ですな! 私も母国でそれを試し、導入しなければなりませんな」と言っている。
    --飯倉章『黄禍論と日本人 欧米は何を嘲笑し、恐れたのか』中公新書、2013年、141ー142頁。

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飯倉章『黄禍論と日本人 欧米は何を嘲笑し、恐れたのか』中公新書、読了。20世紀前半の脅威・陰謀論の代表の1つが黄禍論。本書は、日清戦争から第一次世界大戦後までの「風刺画」の表象を検討する誹謗中傷の言説史。日本の虚像と実像を描き出す一冊。図版も多く立体的に理解できる。

西欧列挙の帝国主義の背景に潜むのは文明/野蛮という二項対立だが、そこから生まれる脅威論が黄禍論。しかし文明に自信があれば脅威論は論理的に噴出しないはずだ。その錯綜した感覚を風刺画を辿ることで鮮やかに浮かび上がらせることに本書は成功している。

今日我々が理解する黄禍とは、世界秩序における後発国家・近代日本の伸張であるが、実際に西洋が怖れたのは日中連帯だ。しかし、日本は名誉白人的脱アジアを選択する。アジアに対して高圧的に振る舞い、一等国を怖れるねじれもここに起因する。

第一次世界大戦後、人種平等案を提出するのは日本だ。しかしその優越的眼差しは、次の大戦の内実を予告する。そして人種平等を謳う国連憲章は、中国や南米をはじめとする諸国の声によって反映されるには興味深いし、歴史的に「~禍」は日本だけでない等々、本書で教えられることは多い。

黄禍論の入手しやすい総論は、H・ゴルヴィツァー(瀬野文教訳)『黄禍論とは何か』中公文庫。こちらと併せてよみたい。


以下は少々蛇足。

(そもそも植民地主義を肯定する文明/非文明論と非文明論を脅威とする黄禍論の自家撞着がある訳けど)、黄禍論の絵画的表象のひとつがヴィルヘルム2世の『ヨーロッパの諸国民よ、汝らのもっとも真聖な宝を守れ!』。

以後、実は、これが様々なバリエーションをもって、「汝らのもっとも真聖な宝」を敵から守れ!!!となるのですが、それがアメリカになったり、イギリスになったりと様々。

ちなみに第一弾の忌諱対象は仏陀w

著者も指摘しているけど、そもそも東洋を仏教で表象することに無理があるし(19世紀後半のオリエントの宗教的多様さを参照せよ)、そもそも十字架のもとに集う神々wですら「一枚岩」ではないという話。しかし、龍の上にのった仏陀が脅威なのは、西洋にない概念としての「虚無」なんだろなとかw
※ショーペンハウエルのその過重なミスリードはいうまでもなく。

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黄禍論と日本人 - 欧米は何を嘲笑し、恐れたのか (中公新書)
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覚え書:「書評:日本における新聞連載子ども漫画の戦前史 [著]徐園 [評者]保阪正康」、『朝日新聞』2013年05月12日(日)付。


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日本における新聞連載子ども漫画の戦前史 [著]徐園
[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)  [掲載]2013年05月12日   [ジャンル]歴史 アート・ファッション・芸能 


■ヒトコマから読む社会の動態

 著者(中国人研究者)は本書の狙いをこの表題を歴史に「刻む」ことと書く。子ども漫画史から日本社会の動態を問い直すとの姿勢だ。
 タテ軸(歴史)とヨコ軸(時代)を明確にするために、明治からの東京で発行された主要日刊全国紙8紙全てに目を通し、漫画のヒトコマずつを分析して、そこにどのような国家意思、日本人の好みや価値観があらわれていたか、平易に説明している。本文中の各種各様のリスト作成の熱意に圧倒される。
 明治35年に北沢楽天によって誕生した子ども漫画史は、五つの時期に分類される。意外なことに昭和5年から12年までが繁栄期で、漫画本数は131本と史上最高の数に達した。戦争期とも重なり、漫画の主人公は(1)国家の象徴(2)国家のために行動するとの特徴があった。「日の丸ポン吉」のように頬に日の丸がつく少年が主人公だったりする。
 大衆のエネルギーに支持された子ども漫画との結論が新鮮である。
    ◇
 日本僑報社・7350円
    --「書評:日本における新聞連載子ども漫画の戦前史 [著]徐園 [評者]保阪正康」、『朝日新聞』2013年05月12日(日)付。

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http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013051200012.html

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覚え書:「書評:江戸絵画の非常識―近世絵画の定説をくつがえす [著]安村敏信 [評者]横尾忠則」、『朝日新聞』2013年05月12日(日)付。

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江戸絵画の非常識―近世絵画の定説をくつがえす [著]安村敏信
[評者]横尾忠則(美術家)  [掲載]2013年05月12日   [ジャンル]アート・ファッション・芸能 


■「風神雷神」本当に宗達晩年の作?

 一例をあげる。「風神雷神図屏風(びょうぶ)」(建仁寺)の作者といえば誰もが疑うこともなく俵屋宗達に決まっていると言う。これは常識である。本書はこんな常識に対して異議申し立てをする非常識な研究者がいてもちっとも不思議ではないだろうという論者たちの意見を、美術史家の著者が交通整理しながらその理非を裁量していく手腕が実に鮮やかでスリリングである。
 例えば「風神雷神図屏風」は宗達の晩年の作であるというのが定説であるが、この作品には署名も落款もない。証拠がなければ常識の基盤が揺らぐ。本書の目的は常識の仮面を剥がすことで非常識を歴史の文脈に、新たな顔として位置づけられないかという挑戦である。
 一方〈それがどうした〉、真筆であろうがなかろうが、〈いいものはいい〉ではダメなのかという疑問が起こるかもしれないが、美術史はそう甘くあっちゃいけない。真偽の判定には直感型と状況証拠型があるが、最後はデュシャンの言うように鑑賞者にゆだねることになる場合もあろうか。
 さて、建仁寺の「風神雷神図屏風」をフェノロサが「伝宗達筆」として報告するまでは、「風神雷神図屏風」といえば尾形光琳、というのが常識だった。光琳が宗達の「真髄(しんずい)に接する手段としての模写」をしたという研究家に対して、光琳はそのような近代の芸術家肌ではなく、むしろ金銭目的の職人であったと著者。このように回転式ドアのように常識がくるっと非常識に一変する時、歴史が眼(め)を覚ます。
 著者は江戸の常識13の事柄を挙げながら、多岐にわたる考証を展開し、検討を重ね、次々と常識の本当を採掘しながらくつがえしていくが、同時に自ら学芸員としても制度化された美術館の常識に疑問を呈し、「美術史学の常識を問い直す」ことを訴える。そして実はこのことが「本書の執筆の主目的であった」と言っている。
    ◇
 敬文舎・2940円/やすむら・としのぶ 53年生まれ。板橋区立美術館前館長。江戸狩野派の研究者。
    --「書評:江戸絵画の非常識―近世絵画の定説をくつがえす [著]安村敏信 [評者]横尾忠則」、『朝日新聞』2013年05月12日(日)付。

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覚え書:「特集ワイド:いかがなものか 橋下氏『慰安婦必要だった』に直言」、『毎日新聞』2013年05月16日(木)付、夕刊。

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特集ワイド:いかがなものか 橋下氏「慰安婦必要だった」に直言
毎日新聞 2013年05月16日 東京夕刊

 日本維新の会の橋下徹共同代表(大阪市長)が従軍慰安婦制度を「必要だった」と述べ、さらに在日米軍に風俗業の活用を提案したことに対し、疑問や憤りの声が収まらない。果たして歴史認識の表明、政治家の「持論」として済ませられることなのか。その深刻さを3人に語ってもらった。

 ◇オウンゴールの愚--参院議員・亀井亜紀子さん

 橋下氏の政治家としての資質を疑います。橋下氏の真意がたとえ「戦争下では世界各国の軍が慰安婦制度を利用したのに日本だけが今も批判を受けるのはおかしい」と主張することにあったとしても、「慰安婦制度は必要だった」と言ってしまったら最後、従軍慰安婦問題の焦点が「必要だったかどうか」などの是非論に移ってしまいます。慰安婦制度が人道上許されないのは世界の常識。自らの非常識を露呈した形です。

 従軍慰安婦の問題は1965年の日韓基本条約締結時に解決している、というのが日本政府の立場です。それをわざわざ「必要かどうか」の議論にしてしまうことによって、橋下氏は日本の従軍慰安婦問題をことさらに批判しようとする人たちの土俵に自分から乗ってしまったのです。

 諸外国に「日本=従軍慰安婦問題」という印象を強く与えてしまった。国益を大きく損ね、外交上の“オウンゴール”に他なりません。

 橋下氏は国会議員ではなく、外交に携わる立場にはありません。かといって私人でもない。公人として発言は当然注目される。その自覚が本当にあるのでしょうか。米軍に対し「風俗業を活用してほしい」なんて、公的な場所で発言する感覚が恥ずかしい。彼一人の発言で日本の政治家の品格が疑われかねません。

 今回の発言で、猪瀬直樹東京都知事のイスラム諸国に関する不用意な発言を思い出しました。昨年、石原慎太郎前東京都知事の講演に端を発し、それに乗せられる形で当時の民主党政権が尖閣諸島を国有化し、日中関係を悪化させたことも……。

 最近、地方自治体の首長の不用意な発言が日本の外交にダメージを与えるケースが続き過ぎ。「発言には気をつけてください!」と強く言いたい。【聞き手・小国綾子】

 ◇差別、階層社会を肯定--フリーライター・井上理津子さん

 一連の橋下氏の発言は、社会的弱者への差別や階層社会を肯定していると受け取らざるを得ません。「慰安婦になってしまった方への心情を理解して優しく配慮すべきだ」とも言いましたが「支配階層」からの、極めて上から目線の言葉ですね。

 「日本の現状からすれば貧困のため(風俗店で)働かざるをえない女性はほぼ皆無、自由意思」というツイッターでの発言には大きな疑問を感じます。私は大阪の遊郭・飛田新地で働く女性約20人に話を聞きましたが、「自由意思」で入った女性など一人もいなかった。貧困だったり、まっとうな教育を受けられなかったりして、他に選択肢がないため、入らざるを得なかった女性が大半でした。経済発展を遂げたとされる現在でさえそうなのに、戦前においては言うまでもないでしょう。

 橋下氏は「慰安婦を暴行や脅迫で拉致した事実は裏付けられていない」とも発言しましたが、あまりにも限定的な考え方です。慰安婦になる以外に選択肢がなかった女性にとっては強制以外の何物でもないんです。「軍の維持のために必要だった」という発言に至っては、戦争を容認している証し。正体見たりです。

 苦しい事情を背負った女性の境遇、慰安婦に送り出さざるを得なかった家族の思い、社会的背景に心を致しているとは思えない。政治家の役割を果たしていると言えない。

 橋下氏は自らの考えを実行に移す際、メディアに向かって目立つ発言をすることで注目を集め、求心力を高めてきました。でも今回は何を狙った発言なのか、全く理解できません。大阪には「橋下さんの言動は好きじゃないけど、元気のない大阪を盛り上げようと頑張ってるから大目に見ようか」という消極的支持者が多い。今回の発言をきっかけに、そういう人たちも離れていくかもしれません。【聞き手・江畑佳明】

 ◇男もバカにしている--大阪府立大教授(哲学)森岡正博さん

 最初に思ったのは慰安婦と風俗業の話は分けて考えるべきなのに、二つをつなげて語っているところに問題があるということです。

 橋下氏は慰安婦制度について「今は認められないが、当時は必要だった」という言い方をしている。しかし自身がツイッターに書き込んでいるように、当時の慰安婦の女性たちは想像を絶するような過酷な状況に置かれていた。国家による強制があろうがなかろうが、慰安婦は当時においても黙認すべきではなかった。それなのに「必要」と認識することは間違っています。

 次に風俗業の話ですが、軍人のために活用するかどうかを言う前に、この業態について少なくとも三つのことを議論する必要がある。まずは倫理的な問題。二つ目は風俗業で働いている女性の労働環境。ピンハネはないのか、誰かに脅されていないか。三つ目は風俗業で働いている女性に対して社会が大きな偏見を持っているという問題です。

 だが橋下氏はそうした問題をすっ飛ばし、いきなり「活用を」と米軍司令官に訴えた。その言葉からは、我々の社会が目指す「すべての人には尊厳がある」ということとは逆の、言葉では言っていないけれど「風俗業で働く女性は兵隊の性の道具になってもいい」という、見下したメッセージが感じられます。

 語る次元が違う二つの問題をつなげることで、問題の本質を見えにくくしている。

 ツイッターに「男に、性的な欲求を解消する策が必要なことは厳然たる事実」と書き込んでいたが、女性観というより男性観が貧困。米軍の男性兵士でも結婚し子供がいて風俗の利用を拒否する人もいるだろうし、過酷な訓練をしても性欲が増さない草食系もいるかもしれない。橋下氏の発言はもちろん女性への蔑視であるが、男もバカにしていると感じます。【聞き手・大槻英二】

 ◇従軍慰安婦などを巡る橋下氏の発言

「銃弾が飛び交う中で命をかけて走っていく時に、精神的に高ぶっている猛者集団に休息をさせてあげようと思ったら、慰安婦制度が必要なのは誰でも分かる」

「意に反してそういう職業に就いたということであれば配慮しなければいけないが、なぜ日本だけが取り上げられるのか。慰安婦制度は世界各国の軍が活用した」(13日午前、記者団に)

「普天間飛行場に行った時、『もっと風俗業を活用してほしい』と言ったら、米海兵隊司令官は『米軍では禁止している』と。そういうものを真正面から活用してもらわないと、海兵隊の猛者の性的なエネルギーはコントロールできない」(13日午後、記者団に)

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 ◇「特集ワイド」へご意見、ご感想を

t.yukan@mainichi.co.jp

ファクス03・3212・0279

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 ■人物略歴

 ◇かめい・あきこ

 1965年東京都生まれ。2007年参院初当選(島根選挙区、1期)。国民新党政調会長を経てみどりの風幹事長。

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 ■人物略歴

 ◇いのうえ・りつこ

 1955年奈良県生まれ。長年大阪を拠点に活動した。著書に「さいごの色街 飛田」「大阪下町酒場列伝」など。

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 ■人物略歴

 ◇もりおか・まさひろ

 1958年高知県生まれ。生と死を総合的に探求する「生命学」を提唱。著書に「無痛文明論」「草食系男子の恋愛学」など。
    --「特集ワイド:いかがなものか 橋下氏『慰安婦必要だった』に直言」、『毎日新聞』2013年05月16日(木)付、夕刊。

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覚え書:「書評:鉞子―世界を魅了した「武士の娘」の生涯 [著]内田義雄 [評者]出久根達郎」、『朝日新聞』2013年05月12日(日)付。

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鉞子―世界を魅了した「武士の娘」の生涯 [著]内田義雄
[評者]出久根達郎(作家)  [掲載]2013年05月12日   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 

■隠れた名著の素性、明らかに

 司馬遼太郎の長篇(ちょうへん)『峠』は、主人公の河井継之助が上京を願って、長岡藩筆頭家老の稲垣宅に日参する場面から始まる。後年、二人は藩の存亡の機に対立する。
 時代が下って、主君に殉じた河井は武士の鑑(かがみ)とはやされ、稲垣は腰抜け者と評された。『峠』の取材に長岡を訪れた司馬は、郷土史家に『武士の娘』という本を教えられた。「大読書家」の司馬も初めて耳にする書名だった。
 作者は杉本鉞子(えつこ)、筆頭家老稲垣の娘である。金太郎のかつぐ鉞(まさかり)の如(ごと)く強い娘になってほしい、と名づけられた。在米の日本人と婚約、英語を学ぶため十四歳で上京し、ミッションスクールに通う。
 渡米後、英語で『武士の娘』を出版、ベストセラーとなる。女の子は「きの字」の形に体を曲げて就寝することや、手習いの師の前では不動の正座であること、など幼少女期に受けたしつけや見聞をつづった。アインシュタインや、インドの詩人タゴールらに愛読された。日本文化論『菊と刀』の著者ベネディクトは、本書に触発されて日本研究に励んだ。
 しかしわが国で知られるようになったのはごく近年である。長岡出身の著者もご存じなかった。人に教えられ発奮して調査、本書をまとめた。鉞子の人となりや家族、経歴を明らかにした。何より『武士の娘』の執筆には、偉大な同性の協力者がいた事実を突きとめた。日本の情緒をアメリカ人にわかりやすく伝えるため、適切な助言をしてくれ、また文章に独特の芳香を加えてくれた。彼女は手紙や日記を残していない。縁の下の力持ちに甘んじ、徹していた。
 鉞子は渡米前、浅草の小学校で准教員をしている。同年の樋口一葉が近くにいた。『武士の娘』が邦訳出版されたのは、戦時下の昭和18年。「敵国」に称賛された本が、なぜ必要とされたか。翻訳者といい、この辺の事情をも少し知りたかった。
    ◇
 講談社・1680円/うちだ・よしお 39年生まれ。NHKでスペシャル番組プロデューサーなどを務め、96年退職。
    --「書評:鉞子―世界を魅了した「武士の娘」の生涯 [著]内田義雄 [評者]出久根達郎」、『朝日新聞』2013年05月12日(日)付。

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覚え書:「書評:「幸せ」の戦後史 [著]菊地史彦 [評者]田中優子」、『朝日新聞』2013年05月12日(日)付。


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「幸せ」の戦後史 [著]菊地史彦
[評者]田中優子(法政大学教授・近世比較文化)  [掲載]2013年05月12日   [ジャンル]社会 

■喪失感の中から生きた時代問う

 生まれて60年余り、日本は豊かになって来たはずなのだが、私は常に「失い続けている」という思いが消えなかった。それは個人的な事情ではなさそうだ。やはり、そのことに向き合わねばならないのだろう。本書を読みながらつくづくそう思った。
 著者と私は同じ1952年に生まれた。本の冒頭に出て来るのは「社会意識とは何か」を問う章なのだが、いきなり歌の中に引き込まれる。ふるさとをテーマにした流行歌から明らかになるのは、60年代におけるふるさとの喪失である。地方から都市に出た人々のことだけではない。著者も私も都会の下町の生まれだが、親たちは団地にあこがれた。著者は団地に移り住み、私の家族は抽選から漏れて移り住めなかった。しかししょせん同じことで、下町は崩壊し郊外に出ることになった。至る所にふるさとの喪失はあったのだ。
 高度経済成長と裏腹に、「喪失」は60~90年代の特徴である。本書は「壊れかけた労働社会」「家族の変容と個の漂流」「アメリカの夢と影」という三部から成っている。仕事、家族、価値観とライフスタイル、そのいずれにおいても日本人は深い喪失を体験し、それにかわる新しい仕事の仕組み、家族の関係、新時代の価値観を確立したとはとても言えない。しかしその時々に、その喜びも苦悩も矛盾も表現してきた。そのことが本書では、膨大な歌、映画、アニメ、書籍をもって語られる。
 歌や映画はもちろん、オタクやエヴァンゲリオンやオウム真理教も、マーケティングと消費社会論も、テレビやロイヤルウエディングやスーパーとコンビニの出現も、同世代である村上龍や村上春樹の世界も、そして戦後日本のアメリカニズムも、それぞれ今までさんざん論じられてきたのだから、本書はその素材において目新しいものがあるわけではない。
 にもかかわらず、読みながら心に深くこたえるのはなぜか。それは著者自身が、自ら読み、口ずさみ、リストラを体験し、そのただ中で「自分の生きてきたこの時代とは何だったか」を問い続けてきたからである。とりわけTPPから改憲まで噴き出した昨今は、「自分とこの時代にとってアメリカとは何か」を考え、その関係を自分のなかで再構成する作業に迫られている。本書では村上龍や村上春樹を、日本の中に深く食い込んだアメリカの問題として読み解いている。それはこの世代の精神的な根幹に関わっているのである。
 著者は外から社会を分析しているのではない。仕事、家族、生活という自らの足もとを問い直しているのだ。同じ時代を生きてきた者にとって、自分を考える絶好の読書である。
    ◇
 トランスビュー・2940円/きくち・ふみひこ 52年生まれ。筑摩書房や編集工学研究所などを経て、99年、企業の組織課題やコミュニケーション戦略を中心にコンサルティング活動を行うケイズワークを設立。現在、同社代表取締役。共著に『情報文化の学校』。
    --「書評:「幸せ」の戦後史 [著]菊地史彦 [評者]田中優子」、『朝日新聞』2013年05月12日(日)付。

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たまこの帰還

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水曜の朝、珠子が入院して避妊手術を受けました。

午後に病院から電話があって無事終了したとの由。木曜日に迎えに行きました。

1日だけですが、帰宅して彼女がいないと寂しいものです(涙

病院に預けたその日、珠子を病院を連れてって検査して預けて帰ろう細君がしたとき、珠子ちゃんがつぶらな瞳で出てゆく細君を凝視していて、その眼差しに答えることに耐えかねたと細君が言っていた。そんな話を聞いてレヴィナスの議論を想起した。という話をしたら、あんたが連れてってといわれた。

木曜の夕刻、避妊手術を終えた珠子が帰宅しました。

手術は無事終わったようですが、気丈な珠子は、一言も鳴かず一睡もせす、小さな躰で迎えを待っていたとの由。

細君が迎えに行くと初めて「にゃー」と。帰宅してから安心して寝ています。人間のエゴとは故すまない。

昨日は疲れたようでぐっすり睡眠。動きがぎごちないですが、徐々に元の生活に戻っていくような感じです。


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書評:平田オリザ『わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か』講談社現代新書、2012年。

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平田オリザ『わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か』講談社現代新書、読了。演劇人の著者よる新しいコミュニケーション論、教育の現場に関わるなかで、ハウツー教育と社会の要求のダブルバインドを踏まえた上で、何が「表現」(コミュニケーション)なのか、認識を一新する。


明治以降整備された国語教育は、対話型コミュニケーション創出をしようとしつつ、察し会う「コミュ力」を育む。わかりあえない他者を前提とした「対話」より気心の知れた仲間内会話ばかりを大切にするものへ。それが人を生きにくくしている。

会話NGで対話が万能ではないが、空気を読みあう協調性や、定型質問に対する模範解答の陳列が必要なのではない。他者とやりとする「社交性」と、沈黙を含めた多様な表現を認め合うことだ。著者は演じ分ける能力の一つのヒントを見出す。

「他人と同じ気持ちになるのではなく、話せば話すほど他者との差異がより微細にわかるようになること。それがコミュニケーション」。鷲田清一・評。鷲田評が著者のコミュニケーション概念の核をなす。読みやすい一冊ながら教育関係者必携。

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覚え書:「書評:漁業と震災 濱田武士著」、『東京新聞』2013年05月12日(日)付。

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【書評】

漁業と震災 濱田武士 著 

2013年5月12日

[評者]川島秀一=東北大教授・海洋民俗学
◆抉り出された危機、問題点
 本書の書名が『漁業と震災』であり、『震災と漁業』ではないことの意味は大きい。後者ならば、単なる震災時とその後における漁業の問題を論じ尽くすだけで終えるであろう。しかし、本書で前提にしている漁業とは、「本来、日本の漁業、とくに沿岸漁業は自然のなかに溶け込んで営まれてきた歴史的産業」のことである。
 つまり「先人が自然との対話の中で生みだした漁労文化と魚食文化」という、列島の基層に永続的な流れを形成してきた漁業であり、それが東日本大震災を迎えてしまったという現実とその後の対応の姿を、本書は描いている。それは過去において何度も津波という自然災害を一時的な出来事として乗り越えてきた三陸の漁業の歩みを象徴している。しかし、今回の東日本大震災は一つの出来事とするにはあまりに大きかった。
 震災前から背負っていた、この列島の漁業の危機と問題点を、震災は見事なまでに抉(えぐ)り出した。たとえば、その歴史や役割を認識せずに、単に漁業権を独占していると批判されてきた漁業協同組合に対して、宮城県では震災後に「水産復興特区」という、企業参画の机上理論を対抗させてきた。復興方針とその関連予算が岩手・宮城・福島県で質を異にしていることにも通じた問題である。今回の津波の犠牲者で漁業者の割合が高かったのは、むしろ福島県であった。特に常磐地方は福島第一原発の事故により、海洋汚染も漁業に重大な被害を与えた。これに輪をかけた風評やメディアによる災害も、本書は論じている。また、これらのメディア災害や水産特区のような惨事便乗型の改革論を「第二の人災」と捉えているのも、本書の特色である。
 漁業の暮らしや仕事は、経済的側面だけでは成り立たず、「文化」や「環境」と本来は切り離せない関係にあること。それを、漁業経済学者の側から、ぎりぎりの一線上で訴えている。
 はまだ・たけし 1969年生まれ。東京海洋大准教授。著書『伝統的和船の経済』。
(みすず書房・3150円)
◆もう1冊
 森本孝著『舟と港のある風景』(農文協)。全国の漁村を歩き、伝統漁法、漁船漁具をはじめ、海辺の人々の暮らしと文化を記述。
    --「書評:漁業と震災 濱田武士著」、『東京新聞』2013年05月12日(日)付。

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013051202000174.html

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覚え書:「書評:ジェンダーと「自由」―理論、リベラリズム、クィア [編著]三浦玲一、早坂静、[評者]水無田気流」、『朝日新聞』2013年05月12日(日)付。

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ジェンダーと「自由」―理論、リベラリズム、クィア [編著]三浦玲一、早坂静
[評者]水無田気流(詩人・社会学者)  [掲載]2013年05月12日   [ジャンル]社会 


■かくも複雑な性と自由の現在

 このところフェミニズムは不人気である。それは皮肉にも、男女平等意識がある程度浸透したことにもよる。一方、当の女性たちはすでに「自由」を掌中にしたのだろうか。この素朴な問いへの解答は、困難かつ見えづらい。最大の要因は、近年自由の難易度が急上昇したことによる。
 私たちは、自由をめぐる文化的内戦時代を生きているのだ。それは、性差別を他のマイノリティーへの配慮とともに相対化し、希釈していく。政治的自由を求めた第一波や、社会運動の側面を持ち得た第二波に比べ、第三波以降のフェミニズムは、領域も「敵」もあまりに不透明。鍵は自由と多様性にある。
 とりわけ興味深かったのは、編著者・三浦玲一のポストフェミニズムへの目配りである。もはやあえて問われることもなくなるほど浸透した新自由主義だが、それゆえ現在個人、とりわけ女性は、苛烈(かれつ)なまでに自由の名のもとに自己管理を要請されている。この社会はすでに男女平等が達成されたとの前提に立ち、個人主義的に自己を自由に表現・定義することを女性に求める。そこではライフスタイルや消費の自由な選択が称揚され、女性個人による身体の自己管理と、「私探し」が流行していく。かつて性差は抑圧の装置であったが、現在は女性自身の欲望を発露するツールとされ、巧妙に女性を絡め取る。三浦はAKBやプリキュアまで駆使し、この現代的様相を鮮やかに説明している。
 第三部クィア・スタディーズに寄せられた論考も興味深い。かつて同性愛者排除は、近代家族を単位とする近代社会の成立に不可欠の要素であった。だが昨今はセクシュアル・アイデンティティーの多様性が論じられ、新たな消費市場概念としても再定義されつつある。だがこの拡散とゆらぎは、果たして差別解消に寄与するのか。再考すべき問いかけに満ちた、刺激的な論集である。
    ◇
 彩流社・2940円/みうら・れいいち 一橋大学教授/はやさか・しずか 一橋大学准教授。
    --「書評:ジェンダーと「自由」―理論、リベラリズム、クィア [編著]三浦玲一、早坂静、[評者]水無田気流」、『朝日新聞』2013年05月12日(日)付。

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http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013051200013.html


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ジェンダーと「自由」: 理論、リベラリズム、クィア
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“日本は世界でも有数の豊かな国”ということにかんして


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 日本は世界でも有数の豊かな国です。世界一の平均寿命を誇り、一人当たりの国民総所得(Gross National Income)は、三万三四七〇ドル(約二六八万円)。世界一九位の数字ですが、世界平均の一万五九七ドル(約八五万円)の三倍以上の値です(WHO,二〇一一年)。他方で東日本大震災は、明治の近代化以降、日本が抱えてきたさまざまな問題と結びついているという指摘もあります。日本全体としては、繁栄を誇りつつも、多数者の利益のために、必然的に存在する問題の影響や影の部分を、少数者や社会の一部の構成員に押し付けてきた社会でもあるということです。沖縄の米軍基地の問題、明治時代後期に発生した日本の公害の原点である足尾銅山鉱毒事件や、水俣病、そして原子力発電所の問題です。
 原発は被曝労働を必要としています。放射能にさらされながら業務を行う被曝下請け労働者、あるいは原発被爆者ともいわれるべき人々が事故の収束に向けた作業に携わっています。桁違いに高い放射線量にさらされながらの闘いですが、原子炉で働く人々が高い放射線量にさらされているのは、「事故後」の特別な事象ではありません。平時の、それも、定期点検や清掃作業の中で、原子力発電所で働く人たちは、高い放射線量にさらされてきたのです。
 人間の安全保障の視点からこの原発の問題を見直すと、エネルギー政策とは別に、そもそも一部の人の圧倒的な犠牲の上でなければ成り立たないシステムを私たちは容認し続けるのか、という視点が生まれます。海外、特に途上国に原発を輸出することは日本製の原発施設が他国の製品に比べ、いかに安全性に優れ、技術的に優位に立とうと、「人間の安全」が「保障」されない労働者を生み、あるいは、すでにある格差を利用して、さらにその格差を助長することにもつながりかねません。日本は東日本大震災の年、二〇一一年一〇月に原発輸出でベトナムとの間で合意、ほかにもトルコやインド、ヨルダンなどへの原発輸出が推進されようとしています。私たちは国内の原発問題のみならず、海外への原発輸出をどのように考えていくべきなのでしょうか。
    --長有紀枝『入門 人間の安全保障 恐怖と欠乏からの自由を求めて』中公新書、2012年、242-244頁。

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水曜は千葉の短大で倫理学の授業でしたが、学生さんの一人一人が授業を楽しみにしてくれているのが、ほんとうに嬉しいので、往復6時間かけて90分1コマなのですが、まいどまいどこちらの方が教わることが多く、費用対効果を考えると「きつィ」ものもあるのですが、これもひとつの財産になっていると思い、通っております。

さて、今日は、倫理学の大切な観点の1つであり、出発点でもある「身近なものへ注目する」ことについて少々をお話をしてきました。

私たちは、普段生活のなかで、小文字の事柄と、大文字の事柄について別々の事柄として「たてわけ」て考えているフシがあるかと思います。

小文字の事柄とは、プライベート・ライフといってよい部分であり、大文字の事柄とはパブリック・ライフの部分です。

しかしこの両方の事柄は、相互に無関係であるのではなく、互いに密接に規定しあっているものでもあります。だからこそ、両方に無関心であることは問題であるし、片一方だけに過度に偏重するのには問題があります。

そういうことをお話してきました。

日常生活の中に全ての根があるとすれば、その展開を考えるうえでは、自分自身の事柄をまったく抽象して思索するのも問題がある。

そういうことですよね。

なんだか、そのあたりことのがスルーされて、撤退か意識の高さかのイエスかノーかを迫るひとびとが多くいますが、そうではない地平において、意識を働かせていきたいものです。

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入門 人間の安全保障 - 恐怖・欠乏からの自由を求めて (中公新書)
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覚え書:「今週の本棚:中村達也・評 『デフレーション』=吉川洋・著」、『毎日新聞』2013年05月12日(日)付。

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今週の本棚:中村達也・評 『デフレーション』=吉川洋・著
毎日新聞 2013年05月12日 東京朝刊


 (日本経済新聞出版社・1890円)

 ◇冷静な“アベノミクス”批判の矢

 連日のように、アベノミクスが新聞紙上をにぎわしている。首相や大統領の名を冠した政策といえば、まずはレーガノミックスやサッチャリズムが思い浮かぶが、さながらそれらと並ぶくらいの注目度のようだ。大胆な金融緩和、機動的な財政出動、民間投資を喚起する成長戦略という「三本の矢」がその骨子だという。こんな時期だからでもあろうか。新聞の片隅に、三ツ矢サイダーの売れ行きが伸びているという記事が載っていたりするのも、ご愛敬(あいきょう)というもの。

 三本の矢のうち、まずは注目を集めたのが第一の矢、つまり大胆な金融緩和。日銀総裁が白川氏から黒田氏へと交代して、政府と日銀が協調して直ちに第一の矢を放ったことから、株高と円安が進んだ。確かに何かが動き始めたかのような気配ではある。しかし、これで「黒白」がついたというわけではない。本書は、アベノミクスへの冷静な批判の矢として読むことができそうだ。

 今世紀になって、先進諸国はおしなべて低インフレの時代に入ったが、日本だけがデフレに陥ったままである。デフレとは持続的な物価の下落のことであるが、消費者物価指数は一九九九年以降、何度かの中断はあるものの、ほぼ継続して下落しているし、企業物価指数やGDPデフレーターは、それ以前から下落している。つまり、日本のデフレ基調はほぼ二〇年にも及んでいる。アベノミクスでは、このデフレが経済停滞の原因だと見て、大胆な金融緩和によってデフレからの脱却、さらに経済停滞からの脱却を目論(もくろ)んでいる。一方、著者は、デフレは経済停滞の原因ではなく、むしろ経済停滞の結果なのだという立場をとる。加えて、大胆な金融緩和のアナウンスメント効果によって、「期待」つまり思惑が働いて株価や為替相場などの資産価格は動き始めたものの、通常のモノやサービスの価格そして賃金は、そうした思惑によってはまず動かない。つまり、金融緩和によるデフレ脱却には限界があるというのである。

 著者の見立てによれば、デフレの核心となっているのは、名目賃金の下落である。先進諸国の中で日本だけがデフレに陥ったのは、一九九八年以降、日本だけが名目賃金の下落が続いてきたからだ、と。バブル崩壊後の長引く経済停滞の中でリストラが進み、「雇用か賃金か」の選択を迫られた労働側が、やむなく賃金の切り下げを受け容(い)れざるを得なかったという事情がある。同時に、非正規雇用の増大が全体としての平均賃金の引き下げ圧力となってきた。デフレ脱却の鍵を握るのは、名目賃金の下落に歯止めをかけ、さらには上昇へと向かわせることができるか否かということになる。

 確かに、安倍首相が経済諸団体に賃上げ要請をしたのをきっかけに、流通・自動車・電機などの一部に賃上げの動きが見え始めてはいる。しかし、経済が低迷する中でそれがどこまで広がるのかは全く不透明だ。そもそも、デフレに陥るほどに経済が停滞した原因は、需要創出型のイノベーションが不足しているから、というのが著者のかねてからの主張である。そうしたイノベーションを生み出すような成長戦略が必要だということになれば、著者の主張は、アベノミクスの第三の矢と交差することになりそうだ。しかし、アベノミクスの第三の矢の全貌はまだ明らかにされてはいない。ところで、高齢社会が望ましい形で推移するための新たな需要とはどのようなもので、そのような需要を呼び起こすためのイノベーションとは具体的にどのようなものなのか、ぜひとも著者に尋ねてみたい。
    --「今週の本棚:中村達也・評 『デフレーション』=吉川洋・著」、『毎日新聞』2013年05月12日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130512ddm015070015000c.html


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覚え書:「書評:タックス・ヘイブン 志賀櫻著」、『東京新聞』2013年5月12日(日)付。


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【書評】

タックス・ヘイブン 志賀櫻 著

2013年5月12日

[評者]武田徹=ジャーナリスト
◆血税が流出する構図暴く
 本書の冒頭に日本の納税者の所得税負担率を示す図がある。所得額が増えれば税負担率も増える。累進課税制なので当然だ。ところが所得一億円で税負担率は最高に達し、以後減り始めて所得百億円に至るとピークの半分以下になってしまう。株式の売却益に特別税制が適用されるのでそんな逆転現象も起きるのだ。そう説明されて来た。だが著者はそこに疑問を抱く。そこでは所得自体が過小に計上されており、富裕層ほど納税率が低くなる「逆進」は実はもっと酷(ひど)いのではないか、と。
 金融監督庁創設時に初代の特定金融情報管理官を務めて以来、著者は国内外の機関でタックス・ヘイブンを利用した不正行為の取り締まりに関わってきた。タックス・ヘイブンとは、まともな金融規制の法律を欠き、逆に強い秘密保持法制を持つ地域や国のこと。そこを経由させると資金の追跡が極めて困難になるので高額所得者が所得隠しに利用したり、マネーロンダリングやテロ組織の資金集めの場にもなる。
 加えて本書が浮き彫りにするのは、国民に納税の義務を課している国家が、その一方でタックス・ヘイブンを保護し、所得隠しや納税回避を手助けしているねじれた構図だ。
 実は日本も例外ではない。日本の直接海外投資先の三位はタックス・ヘイブンとして悪名高いケイマン諸島なのだ。こうした疑惑の色濃い資金の流れはアベノミクスで金融緩和が進むと一段と増えるのではないか。
 税は国家が国民の稼ぎの上前をはねる上納金ではない。所得に応じて公平に徴収され、正しく再分配されて国民生活を豊かにする経済の「血液」である。それが正しく循環しているのか、市民社会が監視するには、資本主義が負った深手の傷口のようなタックス・ヘイブンを通じて血税が流れ出てしまう仕組みをまず知る必要がある。タックス・ヘイブンの裏も表も熟知した一人である著者が記した本書は、その格好の入門書となろう。
 しが・さくら 1949年生まれ。東京税関長などを経て、現在弁護士。
(岩波新書・798円)
◆もう1冊 
 C・シャヴァニューほか著『タックスヘイブン』(杉村昌昭訳・作品社)。脱税や資金洗浄などグローバル経済の闇に迫る一冊。
    --「書評:タックス・ヘイブン 志賀櫻著」、『東京新聞』2013年5月12日(日)付。

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013051202000175.html


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タックス・ヘイブン――逃げていく税金 (岩波新書)
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覚え書:「今週の本棚:松原隆一郎・評 『人口減少社会という希望』=広井良典・著」、『毎日新聞』2013年05月12日(日)付。

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今週の本棚:松原隆一郎・評 『人口減少社会という希望』=広井良典・著
毎日新聞 2013年05月12日 東京朝刊


 (朝日選書・1470円)

 ◇成長という国家目標を根底から見直す

 意表をついた書名。しかし「人口減少」から人々が反射的に連想する「絶望感」を、本気で希望に転換しようとする本である。

 ながらく日本では、人口増は「善」とされてきた。年金の財源は現役世代がもたらしてくれる以上、その人口が増えることは豊かな老後を保障してくれる。なにより人口が増えるのは、国民が幸せな暮らしを送っているからだろう。それゆえ二〇〇四年を境に人口が減り始めたというのは老後が絶望的となる兆しだし、若い日本人たちの暮らしが不安に満ちていることを示唆しているのだ、と。

 人口増そのものは、直接には日本人の国家目標ではなかった。戦後の日本において目標といえるのは、経済成長と個人の自由だった。しかし成長と自由が確保されれば幸せになれるし、人口も増えるだろう。そう考えて、経済成長を促すべく経済政策が総動員された。経済人の自由を束縛するような規制、慣行や制度を緩和ないし廃止する「構造改革」や、金融緩和で円安株高にし、輸出増で景気を上向かせようとする「リフレ政策」は、ともに経済成長を目標とするものだ。

 けれどもそれで経済が成長に転じたとして、日本人は幸せになれるのだろうか? そもそも「経済が成長すれば国民は幸せになれる」というのは、無条件に正しいのだろうか? 著者はこう問い、否と答える。ここでいう成長とは、「地域からの離陸」のことであり、それが限界に達した。高度成長がすべてを解決したという「成功体験」へのしがみつきこそが、苦境をもたらしている。

 著者の処方箋は、経済成長のためとして捨て去られた事柄を見直すことにある。グローバル市場で儲(もう)けるのでなく、地域内で人やモノ、カネを循環させること。賃金の安い発展途上国と貿易を通じて価格競争するよりも、地域経済で地産地消し高付加価値を生み出すこと。高齢者や子どもも集う地元で、人と人のつながりを取り戻すこと。開墾し耕しビルを建て汚水を流してきた自然を、人がそこに包まれ住まう環境とみなすこと。科学技術を管理する専門家に、一定割合で市民やNPOを参加させること、等。

 これらを聞けば、近代国家が歩んできた時計の針を逆戻りさせるノスタルジーと思われるかもしれない。しかしそれは誤解だ。医学にかんする説明を見てみよう。現代の医学は「特定病因論」、すなわち一つの病気には一つの病因が対応し、それを取り除けば治癒するとみなす方向で進歩してきた。感染症が良い例だ。ところが近年、新型の「鬱」のごとく、原因を特定できない病が増えてきた。そこで登場した「社会疫学」では、ストレスなど心理的要因はもちろん、コミュニティとの関わりや労働のあり方などの社会的要因、貧困や格差など経済的要因の複合として病をとらえている。

 病気にしてからが、地域社会のあり方や働き方の社会慣行に配慮することでしか治療しえないというのだ。病院で死の直前まで病気と闘うより、自宅で家族とともに死の時を待ちたいという人も増えてきた。自然にせよ人間にせよ、部分だけに注目しても制御しきれないのである。「内向き」と揶揄(やゆ)される若い世代は、むしろこの方向の最先端を感受しているのかもしれない。

 著者は独仏以北のヨーロッパ諸国を理想とするが、自然医療の中心地として知られるドイツのバート・ヴォリスホーフェンの例は印象深い。街全体が療養地に特化して、裸足で歩ける泥地や芳香に包まれる庭などが点在している。この自然と一体化した街の経営は、宿泊客の「クア・タックス」(保養税)で成り立っている。商店街がシャッター通り化して高齢者が住みにくい日本の地方都市は、思い切ってこの都市経営に倣ってはどうかと思う。

 著者は社会保障の専門家であるから、税の中心を企業と労働者からの法人税と所得税から消費税へ、さらに資産格差の広がりを見据えて相続税・環境税へとシフトさせるべきだとの提言も書かれている。だがなんといっても本書の読みどころは、成長という国家目標を根底から見直す大ぶりな視野にある。個人の自由のみならず神仏儒という伝統宗教も振り返り、それに「地球倫理」も付け加えようというあたりが核心だ。

 「地球倫理」とは、「普遍性」を目指して唯一の価値観を提示してきたキリスト教や仏教などの教えが、実は生まれた土地柄を色濃く反映していることを読み取り(砂漠を自然の象徴とみなすキリスト教にとって自然は克服すべき対象となる)、個性ある地域の共存という観点から普遍宗教にも協調を促すものだという。宗教まで一気に話が及ぶのは、そうでもしないと成長の呪縛が解けないということだろう。緻密な議論は今後に期待したい。

 私たちはしょせん、社会や自然に寄り添って生きるしかない。社会をうち捨て自然を加工することを自由や進歩とみなす錯覚を捨て、ゆとりある生き方を目指そう。小著ながら多くのヒントに満ちた一冊。
    --「今週の本棚:松原隆一郎・評 『人口減少社会という希望』=広井良典・著」、『毎日新聞』2013年05月12日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130512ddm015070005000c.html

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覚え書:「今週の本棚:堀江敏幸・評 『S先生のこと』=尾崎俊介・著」、『毎日新聞』2013年05月12日(日)付。


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今週の本棚:堀江敏幸・評 『S先生のこと』=尾崎俊介・著
毎日新聞 2013年05月12日 東京朝刊


 (新宿書房・2520円)

 ◇悲しみと悔悟を映す“翻訳者の声”を慕って

 学生の頃、脈絡なく読んで引き込まれた数冊のアメリカ現代文学の翻訳書を通して、私はその人の声を信用するようになった。『八月の光』『月は沈みぬ』『賢い血』『プアハウス・フェア』『ロング・マーチ』。いまでも大切にしているこれらの作品はすべておなじ人物によって、つまり本書のタイトルになった「S先生」こと須山静夫によって日本語に移されていたのである。

 須山静夫は一九二五年、静岡に生まれ、一九四四年に横浜工業専門学校(現横浜国立大学)造船科に進学、卒業後は農林省水産局漁船課に入省したものの、文学への想(おも)いは断ちがたく、二十五歳にして明治大学文学部の夜間三年に編入学し、一九五二年にはガリオア(占領地救済資金)留学生の試験に合格したため、明大を退学したうえでミシガン大学工学部造船科に留学している。

 英文学者の前史としては、じつに風変わりである。しかし船との関わりは、彼が選んだ文学の道のなかで大きな意味を持っていく。というのも、一九五三年に帰国して復学し、翌年書き上げた卒業論文の主題が、船乗りから転身した作家メルヴィルの『白鯨』をめぐるものだったからだ。学部卒業の後、留学中に知り合った女性と結婚して大学院に進み、農林省を辞して母校の助手となってから、息子が生まれ、教育者としても研究者としても万事順調にゆくかと思われた。だが、まさにそのとき、彼の日常は白鯨の吹き上げる息よりもつよい不幸の連鎖に見舞われる。

 著者がS先生に出会ったのは、一九八〇年代半ば、慶應大学英文科三年の時だった。非常勤として出講していた先生は、俳優の宮口精二似の古武士の雰囲気を漂わせた寡黙そうな人だったが、学生たちの誠実でない態度に触れたとたん、がらりと姿を変えた。徹底的な下調べと深い読解、そしてみごとな訳読。不明箇所をめぐっては、気骨のある学生と真剣な議論を重ねて飽きることがない。その優れた学生だった若き日の著者は先生の学問にかける姿勢と厳しさに魅了され、自身の指導教官と並ぶもうひとりの大切な師として接していくようになる。

 学生たちはふつう、教師がどのような思いでテキストを選択し、どのような人生を賭けてそれを読んでいるのかまで想像しない。著者は長年にわたる交流のなかでその仕事の背景を少しずつ知っていくのだが、真の理解は、二〇一一年に師を失ったあとに書き出された、一種の自分史でもあるこの追慕と哀惜の記録によって、はじめてなされたと言えるだろう。

 じつは、須山静夫は、一九六四年に最愛の妻を癌(がん)で亡くしていたのである。悲しみから立ち直ったつもりで再婚し、一女をもうけ、新しい家族に支えられながらも、彼は最初の妻への想いと悔悟の念を断ち切ることができなかった。なぜ他の人ではなく妻だったのか。『ヨブ記』の問いかけを反芻(はんすう)しつつ先を行こうとしたとき、今度は二十歳を過ぎた息子を事故で失う。なぜ自分が代わりに死ななかったのか。それを自問しつづけ、自らの文学研究と翻訳に投影していった。オコナーやフォークナーの翻訳に、他の訳者にはない声が感じられたのは、当然のことだったのだ。

 須山静夫はまた、小説家でもあった。右の問題を扱った長篇『墨染めに咲け』をめぐる章は、深い共感と絶望の先を見据えようとする明るい光に満ちた、あたたかい批評になっている。オマージュと呼ぶにふさわしいこの一書を通じて、S先生の読者がひとりでも増えることを期待したい。
    --「今週の本棚:堀江敏幸・評 『S先生のこと』=尾崎俊介・著」、『毎日新聞』2013年05月12日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130512ddm015070043000c.html

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『福島原発と被曝労働』=石丸小四郎、建部暹、寺西清、村田三郎・著」、『毎日新聞』2013年05月12日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『福島原発と被曝労働』=石丸小四郎、建部暹、寺西清、村田三郎・著
毎日新聞 2013年05月12日 東京朝刊

 (明石書店・2415円)

 著者は、福島第1原発事故の20-40年前から、福島原発の被曝(ひばく)労働者の調査や支援にかかわってきた地元と関西の4人。3・11事故による被曝の記述は簡潔だが、要点を見逃さず、張りつめている。「平常時」でも過酷な被曝を強いられてきた労働者たちの姿を知るためだろう。

 福島原発の下請け労働者の被曝線量は1980年代半ばごろまで、全国でも飛び抜けて高かった。このため、地元の双葉地方原発反対同盟の石丸氏に関西の研究者や医師らが加わり、原発労働者200人を調査した。すると、低賃金、被曝線量を低くみせる工作など、最近表面化している実情が浮かび上がっていた。

 10年ほど前からは、福島原発などで被曝し、血液系のがんになった労働者2人の相談が続いた。いずれも労災認定の基準にない病気で、認定は困難を極めた。著者らが支援し、被曝による国内外の発症例を示すなどして認定にこぎ着けた。2人の被曝と認定までの道のり、遺族の声にはストーリー性がある。

 欧米の被曝実態や米露の幅広い補償制度も紹介。福島原発の作業で被曝した約2万6000人の健康管理や補償に役立つだろう。(大)
    --「今週の本棚・新刊:『福島原発と被曝労働』=石丸小四郎、建部暹、寺西清、村田三郎・著」、『毎日新聞』2013年05月12日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130512ddm015070032000c.html


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覚え書:「書評:もうひとつの街 [著]ミハル・アイヴァス [評者]小野正嗣」、『朝日新聞』2013年05月05日(日)付。


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もうひとつの街 [著]ミハル・アイヴァス
[評者]小野正嗣(作家・明治学院大学准教授)  [掲載]2013年05月05日   [ジャンル]文芸 

■無意識の王国へさまよいだす

 しばらく前からひとつの噂(うわさ)が囁(ささや)かれているようだ。
 1冊の不思議な本がいま書店の棚で息を潜めている。収められた言葉が読者の視線に触れるときに生じるあまりの快楽と衝撃ゆえに、慎み深い小動物にも似たこの本は我々の指に触れるのをあえて避けるかのようだ、と。
 遠い異国に憧れやまぬ存在である我々は、この本をチェコの都プラハをめぐるものだと思い、手に取り、開く。そのときかすかに本が震えたのは気のせい? ページから放たれるこの淡い緑味を帯びた光は目の錯覚?
 実際、この本の語り手と同様、我々ははじめ目を疑うだろう。視界に立ち現れてくるのは、プラハ城やカレル橋など確かに〈あのプラハ〉だ。しかしそうした光景を描いているはずの文字が、異教の神々を祀(まつ)る祭典で奉納されるにふさわしい官能的な舞踏を踊り出す。言葉はもはや外側から対象を記述するのに倦(う)んで、対象の内部に、そして我々の視線の片隅に隠されていた思いも寄らぬ空間を次々と明らかにする。
 カレル橋を飾る聖人たちの彫像の内部に家畜小屋やバーが現れ、サメやエイが空を舞い、ベッドシーツが平原や山脈となり、図書館の奥にジャングルが現れる。
 当然、物語もまた単なる物語だけにとどまることはできず、言葉はときに詩に、ときに絵画となり音楽となりながら、あらゆる事物の、そして読む我々自身の意識の輪郭を曖昧(あいまい)にしていく。ちょうど列車に揺られて眠りに落ちていきながら、暗い夜の支配する無意識の王国へと我々が束(つか)の間彷徨(さまよ)い出すときのように。
 本書を読む我々を包むのは多幸感に満ちた夢なのか、それとも永遠に繰り返される悪夢なのか。はっと目を覚まし顔を上げるとき、本書を膝(ひざ)に開いた我々が乗っているのは、「もうひとつの街」へと人々を運び去る、あの緑色の路面電車なのかもしれない。
    ◇
 阿部賢一訳、河出書房新社・1995円/Michal Ajvaz 49年プラハ生まれ。作家、詩人、哲学者。
    --「書評:もうひとつの街 [著]ミハル・アイヴァス [評者]小野正嗣」、『朝日新聞』2013年05月05日(日)付。

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http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013050500108.html

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覚え書:「書評:フランシス子へ [著]吉本隆明 [評者]水無田気流」、『朝日新聞』2013年05月05日(日)付。

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フランシス子へ [著]吉本隆明
[評者]水無田気流(詩人・社会学者)  [掲載]2013年05月05日   [ジャンル]文芸 

■老詩人の歌うような猫語り

 個人的なことで誠に恐縮だが、私は吉本隆明さんの講義ビデオ収録のため、お宅に通っていたことがある。愛猫「フランシス子」ちゃんも「シロミ」ちゃんも、見たり撫(な)でたり機材に乗られたりした。その猫たちの気配とともに、歌うような語り口の吉本さんが、見事に再生される本である。
 猫は自分の「うつし」だそうである。「猫さんと一致した『瞬間的な自分』と一致できない『人類としての自分』」が、別々に出てくることがある。人間には、人類の枠組みでは収まりきらない何かがあって、どこかに猫類の自分がいるのではないか、とも。
 ふと、晩年盛んに「自然」と詩の関係を強調されていたことを思い出した。自然への目配りは、定型詩はもとより、四季派以下の口語自由詩の生命線である。戦後現代詩はある意味これを排してきたが、詩人・吉本隆明は特異なまでに自然を歌った。あれらは猫の視点から書かれた作品であったか……などと感慨に耽(ふけ)りつつ。
    ◇
 講談社・1260円
    --「書評:フランシス子へ [著]吉本隆明 [評者]水無田気流」、『朝日新聞』2013年05月05日(日)付。

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http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013050500117.html

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吉本 隆明
講談社
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書評:原田敬一『兵士はどこへ行った 軍用墓地と国民国家』有志舎、2013年。


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原田敬一『兵士はどこへ行った 軍用墓地と国民国家』有志舎、読了。国民を創造する国家は「死」を記念・管理せざるを得ない。本書は緻密な実証と丹念なフィールドワーク、そして国際比較のを通して、戦死者の追悼・慰霊・顕彰・記念を検証、著者の広範な取材はその成立と構造を的確に論証する。

軍用墓地とは、軍が設置し、維持・管理した軍人の墓地のこと。その先駆けは大英帝国という。日本では代々「家」の墓だが、献身(死)の引き替えとしての顕彰は個人名で記したが、やがては碑的なものへ収斂する。アーリントン墓地や「平和の礎」とは対照的。

時に感情の摩擦の導火線となる軍用墓地。本書はその知られざる実態を写真やイラストを豊富に用いて詳論する。本書で初めて知ることも多い。軍用墓地と国民国家の様々な事例と歴史を比較する本書は、この問題を考察するうえでは基本的な一冊になるだろう。

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兵士はどこへ行った 軍用墓地と国民国家
原田 敬一
有志舎
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書評:E・ブリニョルフソン、A・マカフィー(村井章子訳)『機械との競争』日経BP社、2013年。


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 これらの例が示すように、パターン認識も複雑なコミュニケーションもいまや自動化が可能だとなれば、人間の能力でコンピュータに脅かされないものは、何かあるのだろうか。チェス盤の残り半分に進んでいっても、人間がしかるべき比較優位を維持できるものは何だろうか。いまのところ人間がまさっているのは、じつは肉体労働の分野である。人形ロボットはまだひどく原始的で、こまかい運動機能はお粗末だし、階段を転げ落ちたりする。したがって庭師やレストランのウェイターがすぐに機械に取って代わられる心配はなさそうだ。
 それに、肉体労働の多くが実際には高度な知的能力をも必要とする。たとえば配管工や看護士は一日中パターン認識能力や問題解決能力を要求される仕事だし、看護士の場合には患者や同僚との複雑なコミュニケーションも仕事のうちである。彼らの仕事を自動化することがどれほどむずかしいかを知るには、一九六五年の米航空宇宙局(NASA)の報告書を引用すれば十分だろう。この報告書は有人宇宙飛行を擁護する文脈で、次のように指摘している。「人間は非線形処理のできる最も安価な汎用コンピュータ・システムである。しかも重量は七〇キロ程度しかなく、未熟練の状態から量産することができる」
    --エリック・ブリニョルフソン、アンドリュー・マカフィー(村井章子訳)『機械との競争』日経BP社、2013年、53-54頁。

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E・ブリニョルフソン、A・マカフィー『機械との競争』日経BP社、読了。本書は「技術の進歩によって人間の労働力がいらなくなり、失業が増えるのではないか」というラッダイト運動以来、繰り返された疑問に応える一冊。コンピュータの加速的な進歩は、機械が人間が駆逐する現在と言っても過言ではない。

経済学者はこの問題に「杞憂」と答えてきた。それは技術の進歩によって新しい仕事が生まれ新たな雇用機会となってきたから。労働力や資本の存在量が同じでも、技術革新は、より多くの生産物を生み出すから長期的な成長率を高くする。

しかし本書はこうした主張を一蹴する。著者は近年の情報技術の発展は雇用を奪っていると主張、技術の進歩が速すぎるからだ。これまでの調整メカニズムうまく機能しない。著者は「ムーアの法則」と「チェス盤の法則」からそれを説明する。

指数関数的に進むコンピュータの進歩は、雇用の減少のほか、置き換え不可能な領域における雇用の二極分化をもたらす。作曲家のような高所得を得られる「創造的な仕事」と低賃金の「肉体労働」。がそれである。

自動車は人間だけが動かしたが、グーグルの自動車は公道走行実験に成功したという。果たしてコンピュータは人間を凌駕するのか。本書の議論は説得的で、著者は楽観的提言を最後に付す。ただし疑問も残る。行く末を追跡したい。


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機械との競争
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エリク・ブリニョルフソン アンドリュー・マカフィー
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覚え書:「書評:漂うモダニズム [著]槇文彦 [評者]隈研吾」、『朝日新聞』2013年05月05日(日)付。

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漂うモダニズム [著]槇文彦
[評者]隈研吾(建築家・東京大学教授)  [掲載]2013年05月05日


■エース建築家の逆説的希望

 20世紀初頭、モダニズムというデザインの潮流が、世界を覆いつくした。コンクリートと鉄とガラスによる、合理的でグローバルな建築デザインが、世界を制覇した。槇文彦は、モダニズム建築の世界的エースであり、80歳を超えて、いよいよ活発に世界で建築を建て続ける。
 その当の槇が、近代小説の終焉(しゅうえん)を論じた水村美苗の『日本語が亡(ほろ)びるとき 英語の世紀の中で』を引きながら、モダニズム建築の終焉を語る。モダニズム建築と日本の近代小説の併行(へいこう)性が浮かび上がってくる。
 キーワードは、「翻訳」である。20世紀、すなわち工業化社会とは、翻訳者の時代であったというのが、槇と水村の共通認識だろう。翻訳者というエリートが、社会をリードして、誰も文句をいわなかった。なぜなら、工業化社会は、エリートが先端知を運ぶ、成長・拡張の時代であり、誰もが「拡張」のおこぼれにあずかれるから、エリートに対して文句をいわなかった。建築家は、モダニズムという「大船」に乗っていれば、エリートとして、堂々としていられた。
 しかし、すべてがシュリンクする脱工業化の時代は、どんな文化によって支配されるのか。「文化」に代わって、広告代理店的マーケティングの産物である「文化商品」が席捲(せっけん)する、と水村は暗く嘆く。逆に、槇の状況分析は明るい。言語という抽象的なものを扱う文学と、建築という具象的、具体的なメディアの本質的な差異が、評者にはとても面白く感じた。モダニズム=大船の時代においてすら、翻訳の産物であるそれぞれの建築は、恐ろしいほど多様であったと槇はいう。建築は、現地の材料と技で、その場の環境に適合する形で、血肉化するしかないからである。モダニズムの正統的嫡子(ちゃくし)の槇が、脱モダニズム、脱エリートの、全員が漂流する時代の建築の可能性を指し示すパラドクスは、感動的ですらあった。
    ◇
 左右社・6825円/まき・ふみひこ 28年生まれ。建築家。著書に『見えがくれする都市』『記憶の形象』など。
    --「書評:漂うモダニズム [著]槇文彦 [評者]隈研吾」、『朝日新聞』2013年05月05日(日)付。

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漂うモダニズム
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覚え書:「書評:原発と裁判官―なぜ司法は「メルトダウン」を許したのか [著]磯村健太郎・山口栄二」、『朝日新聞』2013年05月05日(日)付。

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原発と裁判官―なぜ司法は「メルトダウン」を許したのか [著]磯村健太郎・山口栄二
[掲載]2013年05月05日


 原発の建設や稼働をやめるよう住民が求める裁判は、1970年代以降数多く起こされたが、住民側が勝訴したのは現在のところ地裁・高裁での2件のみ。裁判官はどのような判断から判決を下したのか。一、二審の裁判官6人の証言を得て各判決の論理をたどり、苦悩を聞き出すとともに、「よほどのことがないかぎり行政庁の判断を尊重する」としか見えない最高裁の硬直したあり方を批判的に紹介する。中で「勝訴」の2判決は、3・11のメルトダウンを予見するかのように、現実的な危機意識に基づいていたことが、今さらながら明確だ。大震災以降、新しいかたちの原発訴訟が増えているという。事故を経験して、裁判官は変わりうるのか。
    ◇
 朝日新聞出版・1365円
    --「書評:原発と裁判官―なぜ司法は「メルトダウン」を許したのか [著]磯村健太郎・山口栄二」、『朝日新聞』2013年05月05日(日)付。

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原発と裁判官 なぜ司法は「メルトダウン」を許したのか
磯村健太郎 山口栄二
朝日新聞出版 (2013-03-07)
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覚え書:「みんなの広場 安倍首相の歴史観おかしい」、『毎日新聞』2013年05月09日(日)付 + 米国:安倍氏に懸念強め

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みんなの広場
安倍首相の歴史観おかしい
無職 66(埼玉県鴻巣市)

 内閣支持率の上昇と株高、景況感の回復に自信を深めたのか、安倍政権が「安全運転」をやめてタカ派色・国家主義を全面に出してきた。国防軍だの憲法改正だのと勇ましい言葉が自民党に飛び交っているが、過去の大戦を正当化するというのは、歴史観がやや違うのではないか。
 「お国のために」というフレーズは当時の若者には殺し文句で、その美辞によってどれだけ多くの有為の若者が散っていったことか。「民主主義対ファシズム」。70年間の図式に日本をまたはめ込もうというのか。
 先の大戦をいたずらに長引かせたのは当時の軍部で、300万人といわれる同胞を死に追いやった。また、多くの他国民の生命を奪った責任は重大だ。
 安倍晋三首相は戦後生まれだが、過去のあやまちについてどう認識しているのか理解に苦しむ。
    --「みんなの広場 安倍首相の歴史観おかしい」、『毎日新聞』2013年05月09日(日)付。

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米国:安倍氏に懸念強め 歴史認識「米の利益損なう恐れ」 議会報告書で「国家主義者」
毎日新聞 2013年05月10日 東京朝刊


国家安全保障会議創設に関する有識者会議であいさつする安倍晋三首相(左から2人目)=首相官邸で2013年5月9日、小出洋平撮影
拡大写真
 米議会調査局が1日付でまとめた報告書で、安倍晋三(しんぞう)首相について「『ストロング・ナショナリスト(強硬な国家主義者)』として知られる」と記述し、歴史認識を巡る言動について「地域の関係を壊し、米国の利益を損なう恐れがある」と指摘していたことが8日、分かった。安全保障と経済でアジアに重心を移す米国にとって日中韓の関係悪化を懸念する動きが米政府内で広がっていることを示している。

 報告書は、議員活動用の資料で、米政府や米議会の見解を示したものではない。しかし、安倍首相について「戦時中の行動について日本が不当に批判を受けていると主張している集団と関係がある」と指摘。さらに「閣僚選定にも(歴史認識を巡る)考えが反映されているとみられ、国家主義者であることを主張している政治家たち何人かを選び、一部は極端な見方を持っている」と分析している。

 米側は安倍政権による中韓との関係構築を見守ってきた。しかし、中国と対立する沖縄県の尖閣諸島問題では、米国は中国をけん制しつつ、日中両政府に冷静な対応を求める状況が続いている。さらに、北朝鮮の核・ミサイル問題への対応には、日米韓を基本に、北朝鮮への影響力を持つ中国とも連携が必要だ。

 しかし、安倍首相は4月に国会で、過去の植民地支配と侵略を認めておわびした1995年の村山富市首相(当時)の談話について、「侵略の定義は定まっていない」などと答弁。閣僚らの靖国参拝について「わが閣僚はどんな脅かしにも屈しない」などと述べた。報告書はこうした発言について「日本と韓国、さらに他の(アジアの)国々との関係を悪化させるだろう」と指摘している。

 米政府は非公式の外交ルートで閣僚の靖国参拝や首相発言を照会するなどして、日本側に自制を促すメッセージを発出。米国務省元高官も「政治指導者が歴史の修正主義者のようなことを言ってはいけない」と米政府の懸念を代弁した。【ワシントン西田進一郎】

 今回の米議会調査局報告書について、菅義偉(よしひで)官房長官は9日の記者会見で「米議会の公式見解ではない」と強調した上で、安倍首相を「国家主義者」とした記述について「誤解に基づく」と指摘。「(戦後の)我が国の平和と繁栄の歩みを見れば分かってもらえると思う」と述べた。報告書の背景について、日本政府内では「中韓が米国内で情報戦を強めている」との分析が大勢だ。外務省幹部は「日米関係がおかしくなっているわけではない」と強調する。

 「レッテル貼りだ」。菅氏は会見で中韓両国からの批判にこう応戦したが、同時に「アジアの人々に多大な損害と苦痛を与えたと認識している点は過去の内閣と一緒だ」と改めて火消しも図った。

 首相の歴史認識や靖国神社参拝を巡る強気の発言の背景には、首相の支持基盤である保守派に配慮しなければならない事情がある。このため首相らは事態収拾にあたり、村山談話と05年の小泉談話で用いられた「侵略」という言葉を引用することは避けている。「侵略戦争を否定した」という印象を軌道修正しつつも、歴代政権と一線を画したいとの思惑が見え隠れする。このほか、「高支持率による緩みが原因ではないか」(与党議員)との見方もある。

 ただ、中韓との関係を改善する見通しが立たない中、日本側がこのまま手をこまぬいて米国からの批判が強まれば、安倍政権が歴史認識をめぐって孤立する予想外の展開を招く恐れもある。政府内では「首相に直接苦言できる人がいない」(政府関係者)という懸念の声も漏れ始めている。【松尾良、鈴木美穂】
    --「米国:安倍氏に懸念強め 歴史認識『米の利益損なう恐れ』 議会報告書で『国家主義者』」、『毎日新聞』2013年05月10日(金)付。

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[http://mainichi.jp/select/news/20130510ddm001030072000c.html:title]

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覚え書:「書評:協力がつくる社会 ペンギンとリヴァイアサン [著]ヨハイ・ベンクラー [評者]渡辺靖」、『朝日新聞』2013年05月05日(日)付。


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協力がつくる社会 ペンギンとリヴァイアサン [著]ヨハイ・ベンクラー
[評者]渡辺靖(慶応大学教授・文化人類学)  [掲載]2013年05月05日

■共感や協調を引き出す工夫

 人を動かす常套(じょうとう)手段といえばアメと鞭(むち)。どちらも人間が私利私欲に満ちた存在だとする性悪説に根ざしている。人間とは「リヴァイアサン」(旧約聖書に出てくる巨大な海の魔獣)というわけだ。
 だがネットワーク研究の第一人者である著者は「人間は単なるアメと鞭よりはるかに多くのものに動機づけられている」とし、自発的に協力する存在としての人間に着目する。オープンソースの基本ソフト(OS)として有名なリナックスのマスコットである「ペンギン」がその象徴だ。
 ネットワーク理論の分野では社会科学や自然科学の知見を援用しながら20年ほど前から協調や創発のメカニズムの解明が進んでいる。
 著者はその成果を踏まえながら、ウィキペディアのようなオンライン上の協働プラットホームからコミュニティー警備、カーシェアリングにいたるまで、世界各地のペンギンたちによる創意工夫の先端事例を豊富に紹介する。
 とりわけ保守派とリベラル派のブログ論壇の運営スタイルを比較しながらオバマ大統領の巧妙な選挙戦略を分析したくだりは秀逸。ネット選挙に関心ある向きは必読だ。
 むろん著者は「私たちは天使ではない」とし、ナイーブな性善説には与(くみ)しない。「私利私欲と協力は排他的ではない」とも念押ししている。
 協調や創発を意図的に誘引することには危険性も伴う。リヴァイアサンがペンギンを餌食にしないとは限らない。
 しかしリヴァイアサンだけでは組織や社会の運営に限界があるのも確かだ。国際関係においてすらハードパワー(アメと鞭)のみならず、ソフトパワー(相手の共感や協力を引き出す力)が注目される時代である。
 リヴァイアサンの発想に囚(とら)われるあまり身近な制度や人間関係の潜在能力を押し潰してはいないか。
 一度立ち止まって見直すには格好の一冊だ。
    ◇
 山形浩生訳、NTT出版・2520円/Yochai Benkler 64年、イスラエル生まれ。ハーバード大ロースクール教授。
    --「書評:協力がつくる社会 ペンギンとリヴァイアサン [著]ヨハイ・ベンクラー [評者]渡辺靖」、『朝日新聞』2013年05月05日(日)付。

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協力がつくる社会―ペンギンとリヴァイアサン
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覚え書:「書評:プロイセン東アジア遠征と幕末外交 [著]福岡万里子」、『朝日新聞』2013年05月05日(日)付。


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プロイセン東アジア遠征と幕末外交 [著]福岡万里子
[評者]荒俣宏(作家)  [掲載]2013年05月05日


■困難多かった「開国」への道

 オイレンブルク伯爵が率いるドイツ初の日本訪問使節団は、自然から民俗習慣におよぶ幕末日本の貴重な調査資料を残した。ただし、一行は物見遊山に来たのではなく、露仏英蘭米の五カ国と同じ修好通商条約を結ぶ交渉に来たのだ。こちらはきわめて困難な交渉となり、担当した外国奉行堀利熙(としひろ)を理由不明の自刃にまで追い込んだ。本書は自刃の真相にせまりつつ、これまで五カ国との条約成立をもって全面開国と思われた「鎖国」の常識を、外国側文書の検討を軸に突き崩していく。
 当時の幕府は、条約締結の結果吹き荒れた物価騰貴や攘夷(じょうい)運動の激化を収拾できず、「先約」のあったポルトガル以外、どことも条約を結べぬ状況にあった。それでも条約締結を迫るドイツに対し幕府は捨て身の妥協案を捻出する。つまり「ドイツ一国」だけ例外扱いにするという条件だが、ドイツがじつは複数の小国群であり「一国」と承認できない事実が発覚してしまう。詳細な裏付けで顛末(てんまつ)を追う。
    ◇
 東京大学出版会・6090円
    --「書評:プロイセン東アジア遠征と幕末外交 [著]福岡万里子」、『朝日新聞』2013年05月05日(日)付。

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快楽に負けることは何を意味するかというと、それは結局最大の無知にほかならないことになるのである


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 『では、これがどのような技術であり、どのような知識であるかということは、あらためてまた考察することになるだろう。しかし私とプロタゴラスとが諸君の質問に関連して行わなければならない証明のためには、それがとにかくひとつの知識であることだけわかれば充分なのだ。
 諸君の質問というのは--おぼえているかね--次のようなものであった。すなわちわれわれが、知識より強いものは何もなく、知識のあるところ、いかなる場合であろうと、快楽に対してもほかの何に対してもつねに打ち克つということを、お互いに同意した際であったが、君たちはこれに対して、知識をもった人でもしばしば快楽に負けることがあると主張したのだった。そしてわれわれが君たちに同意しなかったので、諸君はつぎにわれわれに向かってこうたずねたのだ。プロタゴラスにソクラテス、もしこの状態が快楽に打ち負かされることではないとするなら、いったいそれは何であり、あなたがたはそれを何だとおっしゃるのですか。どうか私たちに教えてください、とね。
 --さて、もしあのときに、諸君に向かってわれわれがただちに、それは無知である、と答えたとしたら、きっと諸君はわれわれを笑ったことだろう。しかしいまは、諸君がわれわれを笑うとしたら、それは君たち自身を笑うことにほかならないだろう。なぜなら、君たちもまた、快苦--とはすなわち善悪なのだが--の選択について過ちをおかす人々があるとすれば、それは知識を欠いているから過つのだということに、ちゃんと同意したのだからね。おまけに、ただ知識の欠如というだけでなく、その場合に欠けている知識とは計量術にほかならないということまで、先に同意してくれたのだ。しかるに、知識を欠いておかされた過ちの行為なら、それは無知によって為されるのだということぐらい、君たち自身でもわかるだろう。
 したがって、快楽に負けることは何を意味するかというと、それは結局最大の無知にほかならないことになるのである。ここにいるプロタゴラスやプロディコスやヒッピアスは、自分こそはこの無知を癒す医者であると主張しているわけだ。それなのに君たちは、それが無知ではなくて何かほかのものであると思っているものだから、教えられることのできないものだと決めこんで、そうした事柄の先生であるこれらソフィストたちのところへ自分でも行こうとしないし、諸君の子供たちをやろうともしない。金のことばかりけちけちと心配して、この人たちに支払うのを嫌がっているが、それこそ個人的にも公共的にも間違ったふるまいというものだ』
    --プラトン(藤沢令夫訳)『プロタゴラス ソフィストたち』岩波文庫、1988年、149―150頁。

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葬儀やGWがあったので金曜日は3週間ぶりの授業になりました。
ちょうどフォアゾクラティカーからソクラテスにかけてのあたりを紹介しましたので、ここ数日、プラトンの手によるソクラテスの言明を再度、追いかけていました。

無知の知の自覚すらないまま知者を誇るおごりと見せかけにすぎない砂上の楼閣の如き「繁栄」の謳歌という当時のギリシア世界の様子をうかがい知ると、眠りを覚ます「虻」を自認したソクラテスの執拗な追及に襟を正すと同時に、どうしても、現在の日本社会を重ね合わさずにはいられません。

実際のところ、危機的な状況であるにもかかわらず、気にもとめることなく進んでいく日常生活。そして実際のところは「真理」をねじ曲げているにも関わらず、知者だとか高貴な人と尊重される僭主のごとき人々。

互いに、日常生活など改めて考えてみることなど不要だ!と居直る両者の精神が相照らされることで、「矛盾」が「矛盾」と認識されず、さらなる負のスパイラルに陥っているといところでしょうか。

ちょうど、民主制が内部から自壊していく様子に立ち会い、民主政の名の下に死刑を告げられたソクラテス。

そんな話しをしながら、ソクラテスの話というのは、遠い昔の遠い世界の出来事として対象化することなく、私自身の「今・現在のことがら」として、その言葉に向き合うしかないね、なんて続けましたが、学生さんたちの反応も割とよく、ソクラテスを学ぶことが、「今・現在」の私たち自身(と、私たちの生きている社会)を見つめ直すことになることを理解くれたのは幸いだと思います。

哲学をやっていると、

「ほぉ、難しい分野ですね」

だとか

「高尚な話にはついていけませんよw」

などと言われることが多いし、履修されている学生さんにも「ありがたそうだけど、あんまり関係ないかも」って認識で入ってくる方が多いのですが、授業を積み重ねるたびに、自分自身の事柄として向き合ってくれるようになる方が多いのがうれしいですね。

なんだか手前味噌的ですが、哲学など役に立たない!ではなく、根本から何かを改めることに微力ながら関わっているんだなあ、などと思った次第です。

ともあれ、誰もが毒杯を飲み干さなければならないような事態にはならないようにしたいものです。


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覚え書:「書評:黄禍論と日本人 飯倉章著」、『東京新聞』2013年5月5日(日)付。

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黄禍論と日本人 飯倉章 著

2013年5月5日

[評者] 成田龍一 日本女子大教授。著書『近現代日本史と歴史学』など。
◆風刺画を丹念に解読
 「黄禍論」とは、白人たちが「黄色人種」の脅威を説くもので、ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世-カイザーが十九世紀末に唱えたとされる。人種偏見が基調をなすが、本書はこの黄禍論の様相を、日清戦争から義和団出兵、日露戦争、さらに第一次世界大戦の時期まで広範に扱う。「民族」に軸足を求めていた近代日本であるが、「人種」概念もまた、世界では重いものであった。
 いまひとつ、本書では『パンチ』など外国の諸雑誌に掲載された諷刺画(ふうしが)を用いて、その様相を説明する。諷刺画の解読は、出来事を仔細(しさい)に知り、その文脈に通じていなければならず、ひねりの解釈は容易ではない。著者は百数十点に及ぶ諷刺画を取り上げたんねんに解読し、この時期の国際関係を浮き彫りにしていく。著者の営みは、この時期の日本が、人種という眼鏡を介して「外」からいかに見られていたかを記すことともなった。
 カイザーのスケッチをもとにした寓意(ぐうい)画「黄禍の図」が、次々にパロディ化されて行く過程など興味深いが、本書で取り上げられる諷刺画は、黄禍論をテーマとしつつ、日本がその多くを占める。いっそのこと、諷刺画と黄禍論の解説と二兎(にと)を追うのではなく、諷刺画による日本イメージの推移としたほうがすっきりしたようにも思える。
いいくら・あきら 1956年生まれ。城西国際大教授。著書『日露戦争諷刺画大全』など。
(中公新書・903円)
◆もう1冊
 H・ゴルヴィツァー著『黄禍論とは何か』(瀬野文教訳・中公文庫)。ドイツの歴史学者が黄色人種脅威論を分析。
    --「書評:黄禍論と日本人 飯倉章著」、『東京新聞』2013年5月5日(日)付。

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013050502000179.html


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黄禍論と日本人 - 欧米は何を嘲笑し、恐れたのか (中公新書)
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覚え書:「書評:それでも彼女は生きていく― 3・11をきっかけにAV女優となった7人の女の子 [著]山川徹 [評者]赤坂真理」、『朝日新聞』2013年05月05日(日)付。

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それでも彼女は生きていく― 3・11をきっかけにAV女優となった7人の女の子 [著]山川徹
[評者]赤坂真理(作家)  [掲載]2013年05月05日   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 


■〈家族〉と〈企業〉が壊れた世界で

 東日本大震災から4カ月ほどのある日、ルポライターの著者が現地でこんな噂(うわさ)を聞く。「被災した女性たちが上京して風俗やAV(アダルトビデオ)で働き始めている」。ここで著者は戦前の東北の〈娘身売り〉を想起した。戦前に東北では貧困ゆえに娘を売った、という話を。
 「震災がなければAVの仕事をしなかった」という7人の女の子も聞き手も、ゆるいと言えるほど今風だが、視点に射程の長さがある。そして、つい遠い昔のことと思いがちな〈娘身売り〉の時代は、昭和でありほんの80年前なのだと気づくとき、ある深い理解がやって来る。日本という国は、大戦の痛手から「ちゃんと復興」しないうちに、大きな人災と天災をいくつも浴びたのだ、と。
 速やかな経済発展を成し遂げるかたちで戦後復興は、成った。一方で、福祉を家庭と企業に負わせることで公的負担を軽くした。このことが、非常時にとても弱い社会をつくった。すぐに、脱落者を多量に生む。しかも脱落が「自己責任」と言われる。それが、今を生きる日本人すべての生きづらさであり、7人の女の子たちは、特殊というよりは端的なのだろう。
 AV女優などの語りはもともと、とても今風なところと古風なところを持っている。それが「生い立ち話」になりやすかったのは、性産業が、家族からこぼれた者の受け皿であり、なおかつ家族を支える手段ともなってきたことによる。7人の話は、日本の経済の影の主役だった〈家族〉と、表の主役であった〈企業〉、両方が壊れた世界で生きるとはどんなことであるかを問いかけている。
 「震災の体験を風化させてはいけません」とお題目を唱えながら、すでに「なかったこと」として生きる都市の人間と、何も変わらない被災地の現実とのギャップも、身ひとつのリアルな移動者は教えている。
    ◇
 双葉社・1470円/やまかわ・とおる 77年山形県生まれ。ルポライター。『東北魂 ぼくの震災救援取材日記』など。
    --「書評:それでも彼女は生きていく― 3・11をきっかけにAV女優となった7人の女の子 [著]山川徹 [評者]赤坂真理」、『朝日新聞』2013年05月05日(日)付。

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http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013050500109.html

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書評:井上寿一『政友会と民政党 戦前の二大政党制に何を学ぶか』中公新書、2012年。

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歴史の教訓
 以上の戦前政党政治の歴史から何を学ぶべきか、三点にまとめ直してみる。
 第一に、二大政党制よりも連立政権の重要性である。戦前の日本政治は、二大政党制の限界を克服するために、新しい政党間提携を模索した。同様に今の日本政治も、二大政党制の確立を急ぐよりも、民意の複雑な方程式の最適解を求めて、連立政権の再編を試みるべきである。この観点に立つと、二〇〇九(平成二一)年の政権交代は、自民・公明から民主・社民・国民新への連立政権の再編と解釈できる。
 第二に、私たちが求めるべきは、国民と痛みを分かち合える政治指導者である。甘口の利益誘導を図る政治家に用はない。低成長と超少子高齢化社会を前提とするならば、戦時下の国民と同様に、下方平準化であっても、国民は政府による公共財の平等な再分配を求めるだろう。必要なのは、自己を犠牲にしてでも解決困難な国家的な課題に取り組むだけの胆力がある政治指導者である。
 第三に、政治参加に対する国民の責任感覚の回復である。戦前の日本国民は、政党内閣崩壊後も希望を捨てることなく、新しい社会の実現を目指した。私たちも日本政治に対する責任を分有しながら、議会政治の発展に参加し続けなければならない。
    --井上寿一『政友会と民政党 戦前の二大政党制に何を学ぶか』中公新書、2012年、245-246頁。

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井上寿一『政友会と民政党』中公新書、読了。先の政権交代以降の迷走は政治不信に拍車をかけた。考える手掛かりは戦前日本(1925-32)に存在する。本書は二大政党制の成立・展開・崩壊を追跡することで「戦前の二大政党制に何を学ぶのか」(副題)に応えようとする(=機能する条件)一冊。

なぜ戦前の政党政治に注目するのか。一つは日本の二大政党の政治史は戦前にしか前例がない点、一つは時代背景としての格差拡大社会という共通点、一つは「非常時小康」という危機的な状況の類似、即ち3.11後の場当り的錯綜は満州事変を挟む世相と通ずる。

政友会とは元々国家優位の「反政党」。民政党は革新官僚と連携した漸進主義。しかし両者の政策の差異が近似するなかで泥仕合がはじまり……気が付くとという話になる。軍部が「押しつぶした」歴史教科書表記の実相は「自壊する過程」である。


敗戦後もその血脈は耐えていない。「戦前昭和と今の二大政党は悪いところばかり似ている」。民主党が民政党から学ぶべきは官僚を批判するより使いこなすこと。自民党は、政友会があらゆる階層から学び政治を導き出したことを想起すべき、と著者はいう。

本書は著者5部作の4作目(『戦前昭和の社会』講談社、『戦前日本の「グローバリズム」一九三〇年代の教訓』新潮社、『戦前昭和の国家構想』講談社、『理想だらけの戦時下日本』筑摩書房。経済・対外危機とテロを踏まえると、荻野富士夫『特高警察』も併読したい。

以下、蛇足ですが……
しかし、井上寿一先生の、このスパークぶり(2年で5冊・どちらも一般向けながら、総論と各論をフォロー)というのはハンパないとは思いつつも、これもひとつの危機意識なんだろうと思ってしまいました。

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政友会と民政党 - 戦前の二大政党制に何を学ぶか (中公新書)
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覚え書:「書評:自然災害と民俗 野本寛一著」、『東京新聞』2013年5月5日(日)付。


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自然災害と民俗 野本寛一 著

2013年5月5日

[評者] 金田久璋 民俗学者・詩人。著書『森の神々と民俗』など。
◆入念な聞き書き基に考察
 たとえば、著者はその重厚な論考の中で、聞き書きした相手の実名と生年を必ず書き記す。それが野本民俗学の調査研究の基本であり、堅実で実直なポリシーである。「名もないとされる」一人の庶民がそこにいたことは微動だにしない。そのうえで一次資料で書くことを頑として貫く。何かと個人情報が厳しい現在、信頼に基づくその姿勢を貫くことは並大抵ではない。しかもそれ相応の誠実さが求められる。必然的に口述による論著は貴重な一級資料となる。
 一例を挙げるなら、九州の火山地帯で著者が採集した「ヨナ歯」という民俗語彙(ごい)がある。噴火の降灰(ヨナ)による病的な牛馬の歯をさすが、おそらくどのような辞典にも載録(さいろく)されてはいまい。聞き書きを前提とする民俗学の醍醐味がまさしくここにある。ちなみに「ヨナ」は「後産」のヨナ・エナと同根の語彙であろう。さらには、津波を起こす「ヨナタマ」(海霊)という民俗語彙についての説得力のある考証には、身震いを禁じ得ない。
 東日本大震災から二年後の3・11に、この日を銘記するように刊行された本書は、まさしく環境民俗学の創始者の一人である著者の面目が躍如している。「一見無関係に考えられるような生業行為と祭りが深い祈りで結ばれていることを発見」してきた、庶民の手堅い伝承知の集成として、今こそ災害国日本の防災マニュアルにどのように生かすべきかが問われているのである。
 地震と津波、火山噴火と降灰、山地崩落、台風、河川氾濫(はんらん)、琵琶湖の増水、雪崩、吹雪、冷害、旱天(かんてん)と雨乞い、霜と続く十一章にわたる章立ては、日本人ならどこにいても無関係・無関心ではありえないさまざまな自然災害が、入念な聞き取りを基に詳細に考察されている。終章で「地域共同体の基礎力の復活」が提唱されているが、あらためて民俗の「絆」の力を見直したいと思う。
のもと・かんいち 1937年生まれ。民俗学者。著書『海岸環境民俗論』『神と自然の景観論』など。
(森話社・2730円)
◆もう1冊
 川島秀一著『津波のまちに生きて』(冨山房インターナショナル)。気仙沼で被災した民俗学者が三陸の生活と復興を語る。
    --「書評:自然災害と民俗 野本寛一著」、『東京新聞』2013年5月5日(日)付。

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013050502000181.html


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覚え書:「書評:ドクトル・ジヴァゴ ボリース・パステルナーク著」、『東京新聞』2013年5月5日(日)付。


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ドクトル・ジヴァゴ ボリース・パステルナーク 著

2013年5月5日

[評者] 辺見庸 作家。著書『たんば色の覚書』『水の透視画法』など。
◆目くるめく風景、人の運命
 すぐれた物語は「永遠の貌」をもたず、読まれる時によって、面貌がおどろくほど変幻する。一九五〇年代に発表されたパステルナーク著『ドクトル・ジヴァゴ』を七〇年代に邦訳で読み、このたびは工藤正廣氏の新訳を繰って目をみはった。時代的制約を感じさせず、いま現在そしてこれからめぐりくるだろう新たな歴史の怒濤(どとう)と、ひとがまっとうな「個」でありつづけることの困難を、かつてよりくっきりと黙示しているからだ。
 第一次大戦からロシア革命前後の奔流を、医師で詩人のジヴァゴがどう生きて、なにに苦しみ、だれを愛し、いかに死んだか。せんじ詰めればそれを追った、こよなく詩的なこの大長編が東西冷戦下、「ジヴァゴ事件」として語りつがれる大騒ぎになった。
 作品はロシア革命の暗部を隠さなかったために発禁となり、イタリアで刊行され、著者は五八年、ノーベル文学賞に決定するも、ソ連作家同盟がかれを除名、ソ連当局も国外追放を示唆したため、パステルナークは受賞辞退に追いこまれる。
 ロシア革命礼賛者の多かったこの日本でも、同著をよく読みもせずに「反共作品」視したむきが少なくなく、偏見が消えたのは冷戦構造崩壊後であろう。言いかえれば、『ドクトル・ジヴァゴ』は新たな超弩級(ちょうどきゅう)の激動が予感されるいまこそ、くもりない目で読まれるべきである。
 詩と散文のつづれ織りであるこの作品は、詩人にしてロシア文学者の工藤氏による四十年におよぶ労苦をへて、いまふたたびの命をふきこまれた。
 「良心が汚れていない者は誰もいなかった」「彼(ジヴァゴ)は緩慢に狂っていった」の文にわたしは今昔を忘れ、緩慢に狂ったのはジヴァゴか時代かと自問する。目を洗われるようなロシアの風景描写がひとの運命の移ろいにかさなり、いくども眩(くるめ)いた。ただし、本が高額にすぎる。廉価版が望まれる。
Boris Pasternak 1890~1960年。旧ソ連の詩人・小説家。著書『わが妹 人生-1917年夏』など。
(工藤正廣訳、未知谷・8400円)
◆もう1冊
 『パステルナーク全抒情詩集』(工藤正廣訳・未知谷)。『初期』から未刊詩集『晴れよう時』まで全七冊の抒情詩。解説付き。
    --「書評:ドクトル・ジヴァゴ ボリース・パステルナーク著」、『東京新聞』2013年5月5日(日)付。

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013050502000180.html


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覚え書:「村上春樹さん:京大で公開インタビュー 「物語」とは人の魂の奥底にあるもの ジョーク交え、小説論語る」、『毎日新聞』2013年05月07日(火)付夕刊、ほか。


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村上春樹さん:京大で公開インタビュー 「物語」とは人の魂の奥底にあるもの ジョーク交え、小説論語る
毎日新聞 2013年05月07日 東京夕刊

 6日、京都大学百周年記念ホール(京都市左京区)で公開インタビューに臨んだ村上春樹さん(64)は、チェックの半袖シャツにジャケットをはおり、レンガ色のパンツに青色のスニーカーといういでたち。身ぶり手ぶりを交え、マイク通りのいい声で、河合隼雄さんとの出会いや作品に込めた思いを語った。

 村上さんは、米国滞在中の1993年、プリンストン大客員教授だった河合さんと初めて出会った。「僕は当時、河合先生のことをほとんど知らなかったが、家内が先生のファンで、彼女に勧められたのが会うきっかけだった」。それ以来、懇意にしてきた経緯を紹介し、「僕が、『○○先生』という呼び方をするのは河合先生だけ。先生には、河合隼雄という生身の人間と、社会的役割を担った心理学者の顔があったが、僕には最期まで先生の顔で接していた」と振り返った。

 村上さんはまた、自らの小説の要に置いている「物語」の意味について熱を込めて語った。「『物語』とは、人の魂の奥底にあるもの。心の一番深い場所にあるからこそ人と人を根本でつなぎ合わせることができる」。そして「小説を書く時は深い場所に降りていく。先生もクライアント(患者)と向き合う時は、きっと魂の奥底に降りていったと思う。僕のイメージする『物語』を真の意味で正確に受け止めてくれたのは河合先生以外にはいなかった」。

 ファンから事前に寄せられた「ランニングは続けるか」「演奏したい楽器は」などのアンケートには、「85歳になってもフルマラソンできるような身体づくりをしていきたい」「今もピアノで、好きな曲の和音探しをすることがある」などと丁寧に答えていた。【有本忠浩】

 ◇「技術的な話が興味深かった」

 全国から集まった聴衆の興奮に応えるように、開場は一般的な講演会などよりかなり早い開演1時間半前。待ちわびたファンが詰めかけ、河合隼雄財団のスタッフら約20人が対応に追われた。

 講演後も、聴衆は高揚冷めやらない。熱心にメモを取ったという千葉県市川市の会社員、田中安美(あみ)さん(22)は「ジョークを交えたり、河合隼雄さんの物まねをされたりで、ユーモアのある方だったことが意外」。

 連休だったからこそ、来場できたような人も。公務員の嶋田竜太郎さん(36)は、東京都大島町の伊豆大島から来た。「講演中、時々照れ笑いをして、シャイな人という感じ。小説の技術的な話も興味深かった」と、うれしそうだった。

 文壇関係者の姿もちらほら。「村上春樹論集」などの著書がある文芸評論家で早稲田大教授の加藤典洋さん(65)は「(村上さんは)とても丁寧に話されていた。背景に、河合隼雄さんへの敬愛の念を感じた。新作について、かなり詳しく語ったのも珍しい。リラックスして質問に答えていたのは、会場が東京などではなく京都だったことも影響したのでは」と分析した。【鈴木英生、清水有香、関雄輔】
    --「村上春樹さん:京大で公開インタビュー 「物語」とは人の魂の奥底にあるもの ジョーク交え、小説論語る」、『毎日新聞』2013年05月07日(火)付夕刊。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130507dde041040038000c.html

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村上春樹さん:人と人のつながりに共感…新作について語る
毎日新聞 2013年05月07日 10時38分(最終更新 05月07日 13時00分)


贈呈されたブロンズ像を手に、カフカ賞受賞を喜ぶ村上春樹さん=2006年10月30日、会川晴之撮影
拡大写真
 作家、村上春樹さん(64)が6日、京都大百周年記念ホール(京都市左京区)で行われた公開インタビュー「魂を観(み)る、魂を書く」(河合隼雄財団主催)に登場した。村上さんはミリオンセラーとなった新作長編小説「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」について、「(作中の多彩な)人物をここまできちんと書いたのは初めて。書きながら、人間と人間のつながりに強い関心と共感を持つようになった」などと背景を語った。

 定員500人の会場は一般公募の当選者らで満員となった。全国各地から駆けつけた聴衆は注意深く聴き入り、村上さんが時折交えるジョークに笑い声を上げた。

 村上さんは小説家の役割について「人々が持っている物語を相対化しモデルを提示すること。僕の物語と読者の心が共鳴することで、魂のネットワークが作られる」と強調し、デビューからの作品の変遷に触れた。「ノルウェイの森」以来のリアリズム(現実主義)で表現した作品である新作に関し、「表面には現実、その底には非現実がある。文学的な後退だと思われるかもしれないが、自分としては新しい試みをしている」と明かした。

 最後に「僕が本当にうれしいのは本を出すとそれを待って買ってくれる読者がいること。一生懸命書いているので、よろしくお願いします」と語りかけ、場内を沸かせた。

 同財団が臨床心理学者の河合隼雄さん(1928-2007)の業績にちなみ創設した「河合隼雄物語賞・学芸賞」を記念する催し。河合さんと親交のあった村上さんが、文芸評論家で本紙書評執筆者の湯川豊さんを聞き手に語った。村上さんが国内の公開の場で発言するのは04年11月の東京都内での出版イベント以来。主催者の要請で、この日は会場内での撮影は禁止された。【棚部秀行、大井浩一】
    --「村上春樹さん:人と人のつながりに共感…新作について語る」、『毎日新聞』2013年05月07日(火)付、電子版。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130507k0000e040061000c.html

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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
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覚え書:「今週の本棚:鹿島茂・評 『昨日までの世界 上・下』=ジャレド・ダイアモンド著」、『毎日新聞』2013年05月05日(日)付。

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今週の本棚:鹿島茂・評 『昨日までの世界 上・下』=ジャレド・ダイアモンド著
毎日新聞 2013年05月05日 東京朝刊

 (日本経済新聞出版社・各1995円)

 ◇自由を求めた文明社会は何を失ったのか

 授業で「ALWAYS 三丁目の夕日」が話題にのぼったので、昭和三十年代を体験した人間として「希望のある良い時代だったとは思うけど君たちがタイム・マシンでワープしたら、すぐ現代に戻りたいと言いだすと思うよ。だって入浴も下着の交換も週に一度なんだから」と言ったら「わぁー、やだ!絶対にワープしたくない」という答えが返ってきた。

 ことほどさように、人は今日の世界を否定するために「昨日までの世界」を過度に美化するが、その世界の持っていた不都合は忘れてしまう。あるいは逆に、現代の快適さに慣れて「昨日までの世界」の優れた点も捨て去ってしまうのだ。いずれにしても、「昨日までの世界」の実態を知らないことに変わりはない。その点『銃・病原菌・鉄』の世界的ベストセラーで知られる著者ほど「昨日までの世界」について知り尽くした人はいない。人類生態学者としてニューギニア高地を始めとして世界各地の文明化以前の社会をくまなく観察し、人類の進歩について思索を深めてきた学者なのだから。

 では、著者が「昨日までの世界」と呼ぶ社会は具体的にどう定義されるのか? 「数十人から数千人の小集団で構成される、狩猟採集や農耕や牧畜を生業(なりわい)とする古今の社会で、なおかつ西洋化された大規模な工業化社会との接触による変化が限定的にしか現れていない」ような「伝統的社会」のことで、対立概念は産業革命や衛生革命を契機に成立した「国民国家」である。

 まず、著者が強調するのは、伝統的社会にも領土紛争や戦争は大昔から存在し、その殺傷率や非戦闘員の殺戮(さつりく)は近代の世界大戦にもひけをとらないということ。また、欧米人とのコンタクトが戦争を引き起こしたという進歩派の主張も根拠がない。「伝統的戦争は、長期的な経過で判断するかぎり、ファーストコンタクト以降、おおむねまったくみられなくなったり、生起頻度が減少したりしている」。なぜか? 伝統的社会では終戦の意思を決定する中央集権的権力がないため、不満分子が戦闘を再開したがると、指導者はそれを抑えることができないからだ。「部族社会においては、停戦後の平和が脆弱(ぜいじゃく)であり、持続的な平和構築ができず、すぐさま戦争の悪循環が繰り返されるのである。(中略)この違いこそが、かりにも国家が存在するにいたった主たる理由なのである」

 なるほど、これは新しい視点である。中央集権政府というのは、報復感情ではなく国家理性で決定を行うがゆえに、なんの恨みもない国と戦争するという愚行も犯す反面、戦争を純粋な利害から停止することもできる。しかし、伝統的社会では報復感情が最優先されるから、報復殺人の悪循環を断ち切ることはできない。この意味では中央集権政府が本質的に悪であるという主張は誤りである。むしろ悪なのは政府が伝統的社会特有の報復感情に影響を受けることだ。「昨日の敵は今日の友」というドライな関係は国民国家でなければ実現できないのである。

 また、伝統的社会にも、嬰児(えいじ)殺しや体罰、あるいは高齢者遺棄を行っているところもある。とりわけ、集団全体の食糧をまかなうのが厳しい狩猟採集社会においてはこうした手段に訴えることが少なくない。

 つまり伝統的社会すべてがユートピアでは決してないのだ。人類が伝統的社会を離脱して文明社会を採用したのは、物質的な豊かさや教育・医療を享受する権利のほかに、個人的自由を求める強烈な心の動きがあったからである。文明社会で教育を受けたニューギニアの女性はアメリカ社会で匿名でいられることの利点を強調する。「ひとりでいる自由、ひとりで歩く自由、プライバシーを持つ自由、自分の考えをいう自由、率直に議論をする自由、型破りな意見を持つ自由、仲間社会の圧力を跳ね返す自由」。われわれはこうした自由のために伝統的社会を捨てて、個人主義と核家族の現代社会を選んだのである。

 だが、それによって失ったものが大きいのもまた確かである。「伝統的社会においては、孤独は問題にもならない。だれもが生まれた場所や、その周辺で人生を送り、親戚や幼なじみに囲まれて過ごす」。そう、自由と引き換えの孤独地獄こそが文明社会の宿痾(しゅくあ)である。では、どうやってこの孤独地獄を克服したらいいのか? ヒントは伝統的社会の地域的・血縁的集団の子育てにあるという。「小規模社会では、子どもの養育に、親以外の人々(アロペアレント)が関与し、子育ての責任を社会で広く分担している」。そのために活用されるべきは高齢者である。「(アフリカ南西部の)クン族の社会では、祖父母は野営地で孫の世話をし、自分の子ども(孫の親)が狩りや食物採集に気兼ねなくいけるように協力している。私の友人たちも、孫の子守りを引き受け、まさに、クン族の祖父母たちと同じ役回りを引き受けているのである」。保育園と養老院の併設あたりが具体的に実現できる方策かもしれない。欧米型の個人主義と核家族を採用した結果、少子高齢化社会となった日本にとって学ぶべきものの多い一冊である。(倉骨彰訳)
    --「今週の本棚:鹿島茂・評 『昨日までの世界 上・下』=ジャレド・ダイアモンド著」、『毎日新聞』2013年05月05日(日)付。

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昨日までの世界(上)―文明の源流と人類の未来
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覚え書:「今週の本棚:池内紀・評 『夏の嘘』=ベルンハルト・シュリンク著」、『毎日新聞』2013年05月05日(日)付。

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今週の本棚:池内紀・評 『夏の嘘』=ベルンハルト・シュリンク著
毎日新聞 2013年05月05日 東京朝刊


 ◇池内紀(おさむ)・評

 (新潮社・2100円)

 ◇小さな嘘からもつれゆく練達の物語集

 『朗読者』が世界的なベストセラーになったドイツの作家の短篇集。以来、二十年ちかくになるが、ほぼ五年に一冊といった執筆ペースではなかろうか。手間ひまかけた、神経のいきとどいた粒よりが七篇。練達の料理人による一品づくしにあずかったぐあいである。

 それぞれ独立しているが、共通したものがあって、ゆるやかな連作のように読める。季節は初夏だったり、晩夏だったり、秋に入りかけていたり。誰にもある夏の記憶が底に流れている。ジリジリ照りつけ、じっとり汗のにじむ日本の夏ではない。朝夕はヒンヤリしていて雷雨のあと急に肌寒さを感じるような風土の夏だ。おのずと人間関係も乾いており、日本的なべとつきが一切ない。

 共通するもう一つは、タイトルにもある「嘘(うそ)」。ちょっとした嘘、とっさに、あるいは何げなく口にした嘘、わざと言わずにおいた無言の嘘。みずから封印していた嘘と対面して、男と女の日常が微妙にもつれ、変化していく。気がつくと、「一緒の生活はもう終わるが、元の自分の生活にもまだ戻ってはいない。無人地帯にいるようなものだった」。

 小説を書き出す前、シュリンクは大学で法律を教えていた。いまもフンボルト大学で教鞭(きょうべん)をとり、イギリス、アメリカの大学でも教壇に立っている。講義ノートをかかえた旅の途上、空港の待合室、休暇をすごした海辺のホテル……。小説家の目でまわりの人を観察しているのではあるまいか。小さな嘘は法律には触れないが、人の営みのルールには抵触して、日常に及んでくる。それまで知らなかった「無人地帯」へと押しやっていく。

 登場人物はオーケストラのフルート奏者、あるいは劇作家、非常勤の大学講師などで、自分を冷静に捕捉できるし、嘘の効用とともに嘘が及ぼす思いがけない展開も追っていける。自分の感じている違和感を分析できる。

 シュリンクは一九四四年生まれであって、遅ればせにコンピュータ・メディアと遭遇した世代だが、なんとあざやかにカードやメールやパソコンのキーやインターネットカフェ、そして携帯を使いこなしていることだろう。かつての嘘は口頭や紙の上に起きて、やりとりされたが、いまや電子回路で瞬時にとびかい、また一瞬にして消え失(う)せる。

 「春先に三、四週間、アメリカ西部のカレッジで過ごし、秋にはオーストラリアの海岸地方にある大学に行き、その間に数か月はアムステルダムで暮らすというのは……」

 そんな時代の男女なのだ。恋人同士はめいめいフランクフルトとアムステルダムに住居をもち、隣り町のように往き来する。日光をあびながら、あるいは夕闇のなかでセックスして、疲れきり満足して横たわっていられる。大人のメルヒェンのような物語が、どうしてこうも印象深いのだろう?

 やがて辺りに霧がたれこめ、早足にべつの季節がやってくる。嘘の引きおこした波風の修復はついたのか? シュリンクはそれには答えず、かわりに書いていく。海辺、森、下町、郊外町、どこも何代にもわたり、そしていまもまたつづいている人間的な日常がある。そこに意味深い言葉がそえられる。

 「若いときには寝ているか起きてるかのどっちかでしょ。でも年をとると、第三の可能性として、寝ても起きてもいない夜っていうのがあるのよ」

 あきらかにこの作家は人間を見る独自のルールをもっている。人間心理の「嘘の法律」といったものをよく知っている。(松永美穂訳)
    --「今週の本棚:池内紀・評 『夏の嘘』=ベルンハルト・シュリンク著」、『毎日新聞』2013年05月05日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130505ddm015070005000c.html


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書評:柳澤協二『検証 官邸のイラク戦争』岩波書店、2013年。


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柳澤協二『検証 官邸のイラク戦争』岩波書店、読了。イラク戦争から十年。自衛隊派遣時、内閣官房副長官補を務めた著者が自衛隊を派遣した政府の判断を検証する。安全保障と国際協調に関して、アメリカ一辺倒という歪さが浮かび上がる。本書は70年に入省した元防衛官僚の手による批判と自省の一冊。

柳澤協二『検証 官邸のイラク戦争』岩波書店 


http://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?isbn=ISBN978-4-00-025883-8

 「日本はイラク戦争を通じて『アメリカの真の同盟国』となる一方,それ以外のアイデンティティーを失い,自己認知の漂流を続けている.その漂流ぶりは,今やアメリカ自身にとっても最大のリスク要因」。


「丁寧な議論を促すためにエンジンブレーキの役割を果たしたい。執筆を通じて、政策決定プロセスの中に身を置いていた人間ならではの役割はこれだ、と気持ちが固まりました」と著者。本と人:『検証 官邸のイラク戦争』 著者・柳澤協二さん:毎日新聞

http://mainichi.jp/feature/news/20130505ddm015070008000c.html

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検証 官邸のイラク戦争――元防衛官僚による批判と自省
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覚え書:「今週の本棚:井波律子・評 『ヘタウマ文化論』=山藤章二・著」、『毎日新聞』2013年05月05日(日)付。


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今週の本棚:井波律子・評 『ヘタウマ文化論』=山藤章二・著
毎日新聞 2013年05月05日 東京朝刊

 (岩波新書・756円)

 ◇創造的破壊が編み出す無類のオモシロさ

 対象となる人物の特徴を意表をつく鮮やかさで描出する、似顔絵作家・イラストレーターとして、つとに知られる著者が、自由自在に展開する、まことに洒落(しゃれ)た「文化論」である。

 絵であれ文章であれ、従来はウマくなることが究極の目標であり、ヘタからウマいところに上昇するために、著者もまた修練を重ねてきた。しかし、いつのころからか、このウマい、ヘタの二極とは別の尺度であるオモシロいという第三極があらわれ、世間を席巻するようになった。かくして、これはいったいどういうことなのかと、ヘタ、ウマい、オモシロいの三つの極を交錯させながら、著者はヘタウマ文化論を縦横無尽に繰り広げてゆく。

 著者がはじめてヘタウマという言葉を知ったのは、おそらく一九六〇年代後半、安西水丸ら気鋭のイラストレーターの展覧会を見た時だという。そこに並ぶ絵はどれもヘタなのに、いきいきとした生命力にあふれ、見る者に衝撃を与え実にオモシロい。さるベテランのイラストレーターの言によれば、彼らは「本当に描けばみんなウマいんだけど、わざとヘタに見えるようにしてる」のであり、ヘタウマなのだとのこと。ウマいのに、彼らはその整った枠組みをはずしたり歪(ゆが)めたり壊したりして、新しい表現を模索しているというわけだ。

 これを皮切りに、著者は大いなるヘタウマ文化の実践者を次々に想起する。たとえば、江戸末期の文化を盛り上げた、曲亭馬琴、式亭三馬、蜀山人(しょくさんじん)、写楽、歌麿、十返舎一九など。「洒落と粋と滑稽(こっけい)という、江戸文化人の基礎教養を身につけた」彼らは、一芸を極めたのち、やがて限りなく逸脱し、一種、異常な独創の世界を求めるに至る。さらにまた、かのピカソ。著者は昔、映画「ピカソ この天才を見よ」を見た時、正確なデッサン力をもつピカソが、きわめて写実的に描いた対象をぐいぐいと変形し、とんでもない造型をつくり出してゆくさまを目の当たりにして、その破壊と創造のプロセスを実感したという。

 また、とびきりウマい芸の持ち主には、自己破壊衝動ともいうべきヘタへの憧れもあるようだ。「談志が出来なかった芸」のくだりで描かれる落語家立川談志の姿は、そんなウマい芸人の苦闘ぶりを浮き彫りにしており、圧巻である。落語家には、芸は大したことがないのに、そのイメージに「フラ(いわくいいがたいおかしみ)」があり、高座に上がっただけで、客を笑わせるタイプがある。談志は名人芸の持ち主なのに、このフラがなく、「自分の中で騒ぎ立てる『創意の虫』と格闘をし続けなければならなかった」と、著者はいう。

 こうして見ると、上質のヘタウマ文化は、ウマくなるためのプロセスをきっちり踏み、型を身につけた人々が、さらなる飛躍をめざし、型を壊して脱皮するという、創造的破壊によってはじめて編み出されるといえよう。江戸文化このかた日本では、こうした創造的破壊が、サブカルチャーの分野において、ちょっと斜に構えた遊びのポーズで脈々と行われてきたことを、本書は的確に示唆している。もっとも、著者も述べているように、昨今のテレビのバラエティ番組で、タレントが無内容、無芸のしゃべりをまきちらし、レベルの低い観客の笑いをかぶせ「爆笑空間」を捏造(ねつぞう)するケースなどは、むろんこの限りではない。

 融通無碍(ゆうずうむげ)に展開される本書『ヘタウマ文化論』は、意想外の角度から文化の何たるかを照射しながら、考えるヒントをさりげなく示すなど、無類のオモシロさに満ちている。
    --「今週の本棚:井波律子・評 『ヘタウマ文化論』=山藤章二・著」、『毎日新聞』2013年05月05日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130505ddm015070038000c.html

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ヘタウマ文化論 (岩波新書)
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覚え書:「今週の本棚・本と人:『検証 官邸のイラク戦争』 著者・柳澤協二さん」、『毎日新聞』2013年05月05日(日)付。

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今週の本棚・本と人:『検証 官邸のイラク戦争』 著者・柳澤協二さん
毎日新聞 2013年05月05日 東京朝刊

 (岩波書店・2520円)

 ◇日米安保戦略の矛盾問う--柳澤協二(やなぎさわ・きょうじ)さん

 「テロとの戦い」を錦の御旗(みはた)に米国が始めたイラク戦争から10年。制圧後、開戦の前提となる大量破壊兵器(WMD)が存在しなかったことが判明、国際社会に衝撃を与えたことを忘れてはならない。自衛隊イラク派遣の実務責任者だった元内閣官房副長官補の著者が、武力行使を支持した政府の判断と自衛隊派遣プロセスを、自省の念を込めて検証した。浮かび上がるのは、日米同盟の維持が自己目的化し、この国の安保政策の戦略的思考を「狭めている」事実であろう。

 「政府は当時、北朝鮮核問題を抱える中、WMDに関する情報も持たず、『開戦支持以外あり得ない』という空気が支配していました。小泉純一郎首相は、日本が軍事的リスクを負うことで、国際社会で『名誉ある地位』を占めて政治的影響力を持とうと政治判断したが、そうならなかった。そもそも前提も違っていた」。退官後も胸中のモヤモヤが晴れず、自分なりの答えを出すために書き始めた。

 70年安保の年に防衛庁(当時)入りし、96年の日米ガイドライン改定など、一貫して同盟の維持と深化に心を砕いた。「トゥーリトル、トゥーレイト」と批判された91年の湾岸戦争がトラウマになり、9・11後の「ショー・ザ・フラッグ」、イラク戦争開戦時の「真の同盟国たれ」と迫る米側の要請を受け、戦争の正当化に腐心。当事者だけに、なぜ自衛隊を派遣し復興支援をするのかという根本の議論を欠いた描写は具体的だ。「『ブーツ・オン・ザ・グラウンド』を継続しないと、同盟がもたないという強迫観念の域にまで達していた」と考察する。

 イラク戦争後、中国の台頭など国際情勢は様変わりしたが、「日本と米国とその他の世界」という世界観から、日本は今も抜け出していないと見る。単純な二元論の図式で考えたり、勇ましい過激な言論をもてはやしたりする近年の風潮も気になるという。「丁寧な議論を促すためにエンジンブレーキの役割を果たしたい。執筆を通じて、政策決定プロセスの中に身を置いていた人間ならではの役割はこれだ、と気持ちが固まりました」<文・中澤雄大/写真・藤原亜希>
    --「今週の本棚・本と人:『検証 官邸のイラク戦争』 著者・柳澤協二さん」、『毎日新聞』2013年05月05日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130505ddm015070008000c.html

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検証 官邸のイラク戦争――元防衛官僚による批判と自省
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覚え書:「時代の風:作り手による『物語』=京都大教授・山極寿一」、『毎日新聞』2013年05月05日(日)付。

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時代の風:作り手による「物語」=京都大教授・山極寿一
毎日新聞 2013年05月05日 東京朝刊

 ◇多様な視点から解釈を--山極寿一(やまぎわ・じゅいち)

 芥川龍之介の作品に「桃太郎」という短編がある。桃太郎がサル、イヌ、キジを連れて鬼ケ島に征伐に行く有名な昔話を鬼の側から描いた話だ。豊かで平和な暮らしを突然たたきつぶされた鬼たちがおそるおそる、何か自分たちが人間に悪さをしたのかと尋ねる。すると桃太郎は、日本一の桃太郎が家来を召し抱えたため、何より鬼を征伐したいがために来たのだと答える。鬼たちは自分たちが征伐される理由がさっぱりわからないままに皆殺しにされてしまうのである。

 笑い話ではない。つい最近まで、いや現在でもこれと同じことが起きていないだろうか。私が子どもの頃、アメリカのインディアンは白人と見れば理由もなく襲ってくるどう猛な民族で、力を合わせて撃退し滅ぼすことが美談とされていた。アフリカのマウマウ団と言えば、呪術を用いて人々を暗殺する危険な集団で、平和な暮らしを守るために撃退しなければならない悪の根源と見なされていた。

 しかし、物心ついて世界の歴史を読みあさるようになると、これらの考えが土地を侵略した側が作った身勝手な物語であるとわかってきた。住んでいた土地を奪われ、不公平な取引をさせられ、伝統と文化を捨てることを強いられた人々が抵抗している姿を、悪魔の仕業のように語っていたのである。私は物語を作った側にいただけなのだ。インディアンやマウマウ団を生み出した人々の側にいれば、自分たちの文化や暮らしを踏みにじった人々は鬼ケ島にやってきた桃太郎のように映ったに違いない。

 こういった理不尽な物語は民族と民族の間だけにあるのではない。人と動物の間にもある。私が研究しているゴリラは、19世紀にアフリカの奥地で欧米人に発見されて以来、好戦的で凶悪な動物と見なされてきた。それは初期の探検家たちが作り上げた物語がもとである。その話に合わせてゴリラはキングコングのモデルとなり、人間を襲い、若い女性をさらう邪悪な類人猿として人々の心に定着した。そのため、ライオンやゾウと同じような猛獣と見なされ、盛んに狩猟された。

 発見以来100年以上たってから、野生のゴリラの調査が始まり、彼らが平和な暮らしを営む温和な性質をもつことが明らかになった。現地のアフリカの人々もゴリラを特別視などしていなかった。こういった物語はアフリカを暗黒大陸、ジャングルを悪の巣窟と見なしたがった欧米人の幻想だったのである。それは欧米各国がアフリカに植民する格好の理由になった。暗黒の世界に支配されている不幸な人々に光を当てるためというわけである。

 今もこうした誤解に満ちた物語が繰り返し作られている。9・11の後、アメリカはイラクが大量破壊兵器を持ち世界の平和を脅かすと決めつけて戦争を始めた。アルカイダはアメリカ人をアラブの永遠の敵と見なして自爆テロを武器に戦うことを呼びかけている。イスラエルとパレスチナも互いに相手を悪として話を作り、和解の席に着こうとしない。どちらの側にいる人間もその話を真に受け、反対側に行って自分たちを眺めてみることをしない。

 人間は話を作らずにはいられない性質を持っている。言葉を持っているからだ。私たちは世界を直接見ているわけではなく、言葉によって作られた物語の中で自然や人間を見ているのだ。言葉を持たないゴリラには善も悪もない。自分たちに危害を加える者には猛然と戦いを挑むが、平和に接する者は温かく迎え入れる心を持っている。過去に敵対した記憶は残るが、それを盾にいつまでも拒絶し続けることはない。人間が過去の怨恨(えんこん)を忘れずに敵を認知し続け、それを世代間で継承し、果てしない戦いの心を抱くのは、それが言葉による物語として語り継がれるからだ。

 言葉の壁、文化の境界を越えて行き来してみると、どこでも人間は理解可能で温かい心を持っていることに気づかされる。個人は皆優しく、思いやりに満ちているのに、なぜ民族や国の間で理解不能な敵対関係が生じるのか。グローバル化した現代、私たちはさまざまな地域や文化の情報を手に入れることができるようになった。物語を作り手の側から読むのではなく、ぜひ多様な側面や視点に立って解釈してほしい。新しい世界観を立ち上げる方法が見つかるはずである。=毎週日曜日に掲載
    --「時代の風:作り手による『物語』=京都大教授・山極寿一」、『毎日新聞』2013年05月05日(日)付。

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[http://mainichi.jp/opinion/news/20130505ddm003070120000c.html:title]

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覚え書:「今週の本棚:本村凌二・評 『経済史の構造と変化』=D・C・ノース著」、『毎日新聞』2013年05月05日(日)付。


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今週の本棚:本村凌二・評 『経済史の構造と変化』=D・C・ノース著
毎日新聞 2013年05月05日 東京朝刊

 (日経BPクラシックス・2520円)

 ◇社会経済の浮沈の鍵を時間軸から解き明かす

 もし古代ギリシャ人が一七五〇年のイギリスに連れて来られたとしても、まだ見慣れたものがかなり残っていたはずだ。だが、その二百年後に降り立ったとしたら、理解不能な異空間に来たと感じただろう。

 さかのぼれば、およそ一万年前に地球は長い氷河期を脱した。そのころマンモスなどの大型動物は絶滅していた。人間が獲物として食い尽くしてしまったのだ。狩猟・採集の時代から農耕と牧畜がはじまり、やがて、ギリシャ・ローマの時代まで八千年の時が流れている。その古代文明の栄華の場に新石器時代の人間が立ったとしたら、やはりまるで見知らぬ異空間と思うにちがいない。

 この一万年の間に、人類の物質生活はどのように変化したのか。それを経済史という概念でとらえ、「経済の構造と実力(パフォーマンス)を時間の流れの中で説明する」のが本書の試みである。

 歴史上の人類は、知識の蓄積を重ねながら、不可逆的な経済発展を実現できなかった。文明も政治・経済組織も栄枯盛衰をくりかえしている。このような社会経済の浮沈を説明するには、人間の組織について理解を深めなければならない。それには経済理論の枠組みが必要であり、とりわけ古典派、新古典派、マルクス主義の理論が参考になるという。

 古典派モデルの経済史は、人口と資源の葛藤の歴史であり、19世紀半ばまでの変転なら理解しやすい。また、新古典派は、知識の限界点での代替財の追加を想定することによって、欧米で実現した未曽有の経済成長に迫ることができる。さらに、長期的な変化に目をやれば、マルクス主義の枠組みがもっとも説得力があるという。それは制度、所有権、国家、イデオロギーなどの人間の諸要素を盛りこんでいるからだ。だが、人口変動を重視しなかったところに欠陥がある。

 経済史の根底には人々が協力・競争する形態とそれらの活動を組織するルールの執行システムがあるという。このルールが社会の富と所得の分配を決めるのだから、所有権の構造をにぎる国家は経済史の重要なテーマであるはずである。だが、この視点は今の経済史には欠落していると著者は指摘する。

 ところで、冒頭にあげた二つの異空間は、歴史上、人口と資源の比率が激変し断絶したために生じた。第一次経済革命と第二次経済革命とよばれる。

 第一次経済革命は、狩猟・採集から農耕へ移行したというよりも、共有資源から排他的所有権に変わったからである。そのために知識と新技術を獲得する動機(インセンティブ)が働く。古代の経済は著しく発展し、19世紀以前の社会で一人当たりの所得がもっとも高くなるのは、2世紀のローマ帝国だったという説もあるほどだ。

 16世紀以降の西欧では、取引コストを下げる「効率的な経済組織」が形成され、やがて市場経済が発展する。それは国家が所有権の保護を適切に行うようになったからだ。そこから第二次経済革命への道が開く。しかし、制度は必ずしも効率的ではなく、非効率的な制度が存続して、国家が経済成長を促進しない場合もありうる。そこに「正の取引コスト」という概念を経済史の研究にとりこむ余地が見えるという。

 著者は、経済史に経済理論や数量分析を導入した功績により、一九九三年にノーベル経済学賞を受賞している。短い時代と狭い地域の史料ばかりにのめりこみがちな歴史家には、衝撃と瞠目(どうもく)の一書である。(大野一訳)
    --「今週の本棚:本村凌二・評 『経済史の構造と変化』=D・C・ノース著」、『毎日新聞』2013年05月05日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130505ddm015070036000c.html:title]


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覚え書:「今週の本棚・新刊:『被爆アオギリと生きる 語り部・沼田鈴子の伝言』=広岩近広・著」、『毎日新聞』2013年05月05日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『被爆アオギリと生きる 語り部・沼田鈴子の伝言』=広岩近広・著
毎日新聞 2013年05月05日 東京朝刊

 (岩波ジュニア新書・903円)

 被爆者の沼田鈴子さんは「アオギリの語り部」として知られた。2011年7月に87歳で亡くなるまで、修学旅行や平和学習で広島を訪れた延べ約10万人に被爆体験を語った。平和の民間大使としてアジアや欧米など21カ国を訪問し、市民同士による草の根交流の大切さを強調した。

 沼田さんは22歳の夏、広島に落とされた原爆により片足を失う。婚約者は終戦の直前に戦死した。沼田さんは自殺の誘惑に負けそうになったとき、原爆の熱線で幹をえぐられた被爆アオギリが若葉をつけているのを見つけ、生きる勇気をもらう。原爆記録映画「にんげんをかえせ」に登場したのを契機に、被爆アオギリを分身に見立てて原爆を語り始める。片足をなくした体験から、反戦と反核に反差別を加えた。児童や生徒には「相手の痛みがわかる心」と「真実を知る知恵」を持つ人になってほしい、と諭すように訴え続けた。

 本書は遺言となった沼田さんのメッセージを、半生の活動を通じて集大成している。若い世代に向けての一冊だが、母親や父親世代にも読んでほしい。人間が再生していく物語と戦争に反対する真摯(しんし)な姿勢は、世代を超えて胸に響く。(伸)
    --「今週の本棚・新刊:『被爆アオギリと生きる 語り部・沼田鈴子の伝言』=広岩近広・著」、『毎日新聞』2013年05月05日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130505ddm015070027000c.html:title]


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書評:川田稔『戦前日本の安全保障』講談社現代新書、2013年。


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川田稔『戦前日本の安全保障』講談社現代新書、読了。戦前日本の歩みとは、日露戦争での辛勝を例証するまでもなく、国際社会における安全保障と切っても切り離せない。本書は、山県有朋、原敬、浜口雄幸、永田鉄山を取り上げ、主として戦間期における安全保障構想と国際秩序認識を考察する。

当時国是は、大陸権益を維持しつつその拡大が一貫。しかしそのアプローチは多様で驚く。山形はロシア協調、原は軍事協同から経済へシフトすることで協調外交を模索するが、国力の差が濱口の課題として重く立ちはだかる。多国間軍縮もその一つ。

著者は本書で取りあげるキーパーソンについて個別に論じており、本書はその入門的概観といってよい。外交・安全保障について戦前・戦後と「分断」の認識と捉えがちだが、今日に通底する側面も存在する。現在を考える上で押さえてべき一冊か。


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覚え書:「書評:昨日までの世界(上・下)―文明の源流と人類の未来 [著]ジャレド・ダイアモンド [訳]倉骨彰 [評者]福岡伸一」、『朝日新聞』2013年04月28日(日)付。


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昨日までの世界(上・下)―文明の源流と人類の未来 [著]ジャレド・ダイアモンド [訳]倉骨彰
[評者]福岡伸一(青山学院大学教授・生物学)  [掲載]2013年04月28日   [ジャンル]人文 


■風土と環境因重視、叡智をたどり直す

 朝日新聞が、識者アンケートによるゼロ年代の書物50冊を選んだ際、1位に輝いたのが著者の『銃・病原菌・鉄』だった。その彼が満を持して書いた新刊が本書である。テーマは「昨日までの世界」の叡智(えいち)をいま一度たどり直し、現代の工業化社会に生かすことができないかを模索すること。
 「今日の世界」とは、ヨーロッパ化された世界のことである。『銃・病原菌・鉄』ではその理由が問われた。アフリカに起源を持つ人類のうち、ヨーロッパに旅立った一握りの白い人々が今日、政治、経済、文化、あらゆる面で世界を制覇している。白人が生物学的に優れていたからではない。ささいな環境要因の偶発的な差がそれを可能にした。穀物の元になる植物の自生。家畜化に適した動物。動物との接触がもたらした感染症ですら彼らを利した。しかし、成功を収めたはずの私たちの社会は今、新しい課題を抱え行き詰まっている。人間関係と経済、戦争と平和、子育て、高齢者、宗教……。
 700万年にも及ぶ人類史全体から見ると、私たちの文明は、今しがた出来たものにすぎない。それよりも「昨日までの世界」を知った方がよい。人類はこれらの問題群とずっと取り組んできた。昨日まで、とはいえそれは農耕が始まる前、1万年以前のことである。著者はニューギニア、アフリカ、南米に散在する「伝統的社会」の中に「昨日」の名残を見いだせるという。伝統的社会は、問題に対する巧みな解決策を持っている。その叡智に学ばない手はない。
 例えば今、日本で問題の体罰。ほとんどの伝統的社会ではいわゆる「体罰」は行わないという。アフリカのアカ・ピグミー族は子どもを絶対に叩(たた)かない。ニューギニアのある部族に至っては、赤ん坊がナイフを振り回しても叱ることさえしない。放任主義の中で子どもが自律的に学んでいくことに委ねる。日本のように「他人に迷惑をかけてはいけない」という規範を教育の徳目に掲げる集団もほとんど存在しない。他人のことよりまず自分の生存を優先させる。
 一方、農耕民の社会はある程度、体罰を行い、牧畜民の集団は体罰を行う傾向が強いように見受けられる。これは集団の生業形態に関係するのではないか。価値の高いものを所有する集団ほど体罰をし、教育を強化する傾向がある。
 一言でいえば、著者の立場は、発展史観ではなく生態史観を採るということ。遺伝的決定論や適応度の物語にも取り込まれない。その意味で、風土と環境因を重視した和辻哲郎や梅棹忠夫にも通じる。ドグマやイデオロギーによらない公平さ、自由さが持ち味。そのスタンスは一貫している。ダイアモンド文明論の決定版的集大成。
    ◇
 日本経済新聞出版社・各1995円/Jared Diamond 37年、米国生まれ。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)地理学教授。『銃・病原菌・鉄』でピュリツァー賞受賞。
    --「書評:昨日までの世界(上・下)―文明の源流と人類の未来 [著]ジャレド・ダイアモンド [訳]倉骨彰 [評者]福岡伸一」、『朝日新聞』2013年04月28日(日)付。

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覚え書:「書評:ろくでなしのロシア―プーチンとロシア正教 [著]中村逸郎 [評者]保阪正康」、『朝日新聞』2013年04月28日(日)付。

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ろくでなしのロシア―プーチンとロシア正教 [著]中村逸郎
[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)  [掲載]2013年04月28日   [ジャンル]国際 

■結託して神聖さを醸成する

 著者は、ロシア現代政治を専門とする研究者だが、しばしばモスクワに滞在して、この国の現実を見ている。ロシア人がつくる社会システムの非効率、独善性など、当のロシア人自身があきれ怒りだすのだが、本書のタイトルは、その折の罵(ののし)りの言葉だ。
 この語に対峙(たいじ)するのは、「聖なるロシア」であろう。著者自身、その語を求めてロシア正教とロシア社会、さらにプーチンという政治指導者の実像を確かめようと、その深部に入りこむ。見えてくる光景は何か。ロシア正教やそれを取り巻く環境にも、「ろくでなしのロシア!」が浮かびあがるが、実はこの語には「強烈な愛国心」が宿っていると気づく。プーチンという指導者がなぜ受けいれられているか、相互に利用し、利用されあう関係で肥大化していくロシア正教の存在を司祭から庶民までの証言を通して、読者に納得せしめる。
 1991年のソ連崩壊のあと、ロシア社会に空前の宗教ブームが起きる。政治への絶望と宗教への期待が表裏の関係だ。ところが新興宗教は伸びるのに、ロシア正教は伸びない。一方で、ロシア正教は教会ビジネスを際限なく拡大していく。アルコール飲料の販売で利益をあげる分、「深酒が引き金となって社会問題がより深刻化」、教会に足をはこぶ人がふえるという構図、原油ビジネス、商業銀行の開設、国民の目には「欲深い教会」と映るのも当然だ。
 プーチンとこのロシア正教の関係について、「プーチン国家主権は正教会と結託することで、神聖さを醸成する」と著者は見る。プーチンはいくぶん粗野な言葉で政治を語り、指導者が正面きって口にしない表現(自らがロシア人であるとの宣言など)をもとにロシア人の心底に入りこんでいく。結果的に、反プーチン運動がプーチン支持者をふやすという逆説が生まれる。
 著者独特の語り口が随所にあり、それも魅力である。
    ◇
 講談社・1995円/なかむら・いつろう 56年生まれ。筑波大教授(ロシア現代政治)。『虚栄の帝国ロシア』など。
    --「書評:ろくでなしのロシア―プーチンとロシア正教 [著]中村逸郎 [評者]保阪正康」、『朝日新聞』2013年04月28日(日)付。

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覚え書:「みんなの広場 平和主義は米の押し付けか」、『毎日新聞』2013年05月03日(金)付。


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みんなの広場
平和主義は米の押し付けか
会社員 23(神奈川県小田原市)

 私の職場では毎年憲法記念日にさまざまなテーマで憲法について考えてきた。これをきっかけに、私は社会人になってから初めて憲法を学び、多くの意見を読んで、「私たちの日本国憲法」とは何であるか、疑問に思った。
 今の日本国憲法は連合国軍総司令部からの押し付けられた憲法であるから改正し、独自の憲法を持つべきだ、という意見がある。しかし、本当に平和主義はアメリカに押し付けられたのだろうか。日本国民は平和主義、国民主権、基本的人権の尊重を望まなかったのか。私は平和な世の中は全ての人が望んでいることであり、人が生まれながらにして持つ権利であると思う。
 憲法改正の声が高まる今、私たちは将来のために国に何を望むか、必要な権利は何か、平和とは何か、そして「私たちの憲法」とは何か、真剣に考えていかなければならないと感じた。
    --「みんなの広場 平和主義は米の押し付けか」、『毎日新聞』2013年05月03日(金)付。

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覚え書:「書評:自然災害と民俗 [著]野本寛一 [評者]角幡唯介」、『朝日新聞』2013年04月28日(日)付。

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自然災害と民俗 [著]野本寛一
[評者]角幡唯介(ノンフィクション作家・探検家)  [掲載]2013年04月28日   [ジャンル]人文 

■伝承からみえてくる自然観

 私が探検をする理由を簡単に説明すると、自然を旅して死を身近に感じることで逆に研ぎ澄まされた生の瞬間を味わいたいから、ということになる。しかし似たような活動をしていても、例えば欧米の人などはそんな風に考えるのか以前から疑問だった。自然の本質を人間には制御不能のどうしようもない世界と捉える私の感性の裏には、自然が豊かな半面、その脅威に怯(おび)えてきた日本人の精神の遍歴が反映されている気がする。
 本書は地震や津波、河川氾濫(はんらん)、台風などの自然災害に対し日本人がどのような態度で臨んできたのかを民俗の観点から振り返ったものだ。災害は被害が大きく人間と自然が最も鋭く対峙(たいじ)する最前線であるだけに、結果、日本人の自然観そのものが見えてくる内容となっている。
 津波の例をみてみよう。昔の人はウミガメの伝説の中に津波で失った最愛の人への未練を断ち切り、改めて生きる決意を込めていた。一方、ジュゴン伝説の中には潮が引いた海岸に魚や貝を獲(と)りに行ったせいで、多くの人が大津波に呑(の)まれたという話を警句的に織り交ぜている。他にも河川の氾濫や山地の崩壊に対処するため居住区域を工夫するなど、私たちの先祖は探検なんぞしなくても生活自体が自然と根っこの部分で結びつき、そこで暮らしていたわけだ。
 自然との共生というと昨今では商品の宣伝コピーみたいなキレイごとばかりが幅を利かせているが、本来のそれは生き死にのかかった厳しいものだった。便利さと安全性だけを追求してきた現代の我々は急速に自然から切り離され、震災でも起きない限りその素顔に思いを馳(は)せることはなくなった。しかし一方で生活における生の実感は確実に希薄になっている……。
 どちらが良い悪いではなく、単純に自然との関係を考えることは必要なことだと思う。そこにしか生と死の秘密は存在していないのだから。
    ◇
 森話社・2730円/のもと・かんいち 37年生まれ。近畿大学名誉教授(日本民俗学)。『生態と民俗』など。
    --「書評:自然災害と民俗 [著]野本寛一 [評者]角幡唯介」、『朝日新聞』2013年04月28日(日)付。

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自然災害と民俗
自然災害と民俗
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野本 寛一
森話社
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覚え書:「書評:日本の動物観 [著]石田おさむ・濱野佐代子・花園誠・瀬戸口明久 [評者]荒俣宏」、『朝日新聞』2013年04月28日(日)付。

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日本の動物観 [著]石田おさむ・濱野佐代子・花園誠・瀬戸口明久
[評者]荒俣宏(作家)  [掲載]2013年04月28日   [ジャンル]人文 


■江戸時代も続いていた内臓食

 日本の動物観というと仏教の殺生禁忌やら徳川綱吉の「生類憐みの令」を思い浮かべるが、どうもほんとうは動物を殺し食べた日本史こそ探究すべきだったようだ。
 本書は勇敢にも、雨乞いの儀式に捧げられた犠牲獣の問題、美味な食材として江戸時代にも存続した狩猟獣の内臓を食べる習慣などを考察する。
 内臓食ではカモシカ、ムササビ、ウサギ、クマなどが好まれたが、絶品は草食動物の小腸に詰まっている糞(ふん)であり、「極上のソーセージ」だった。明治期以後の肉食はそうした文化の復活でもあった。
 野生動物やペットの問題も大胆でスリリング。明治以後に野犬狩りや狼(おおかみ)狩りが徹底的に行われた裏に、動物を管理し有用化する西洋の理論や進化論の影響があり、中西悟堂ら都市から郊外に移り住んだ文化人が主導した「野鳥」への愛と保護という新思潮でも、初期には「カスミ網やカモ猟のような伝統狩猟」が鳥との親交の一つとされた点は興味深い。
    ◇
 東京大学出版会・4410円
    --「書評:日本の動物観 [著]石田おさむ・濱野佐代子・花園誠・瀬戸口明久 [評者]荒俣宏」、『朝日新聞』2013年04月28日(日)付。

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日本の動物観: 人と動物の関係史
石田 おさむ 濱野 佐代子 花園 誠 瀬戸口 明久
東京大学出版会
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「話さない」ことも、そして「いない」ということさえ表現かもしれない


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 さて、「今朝、何、話したの?」と聞くと、子どもたちは、ほぼ決まって「えぇ、今朝、何話したっけ?」と呟く。私はこれだけでも、この授業(国語授業内での演劇教室のこと……引用者註)の意味があると考えている。話し言葉の教育とは、まずもって、自分の話している言葉を意識させることから出発するはずだから。
 日常、話し言葉は、無意識に垂れ流されていく。だからその垂れ流されていくところを、どこかでせき止めて意識化させる。できることなら文字化させる。それが確実にできれば、話し言葉の教育の半ば達成されたと言ってもいい。子どもたちは、そこから、日常使っている自分たちの言葉に意識的になるはずだから。
 実際の授業では、優等生的な子が、「じゃあ、宿題の話をします」とか「運動会が近いので、運動会の話をします」と発言して、流れが決まっていく。私の役割は、それでも黙っている子に、さらに聞いていくことだ。「じゃあ、君は何話すの?」
 そうすると必ず「話さない」という子がいる。私はすかさず「じゃあ、君は話さない役にしようか?」と聞くと、意外とみんな、「えー、じゃあ、なんか言う」と言って自分の台詞を書き始める。日頃、書くということにプレッシャーを感じている子も、いったん「書かないでいい」と言われると、不思議と自分の台詞を書き始めるものなのだ。
 あるいは「話さない、寝てるから」という子どももいる。こういう子には、「おぉ、いいね、いいね。じゃあ君は寝る役にしょうか」と言う。まだ黙っている子に、「君はどうする?」と聞く。そうすると「いない」と言う子がいる。「いつも遅刻ギリギリに来るから、いない。だから友だちが何話してるかも知らない」と言う。私はもう喜んでしまって、「おぉ、いいねいいね、じゃあ、遅刻してくる生徒の役も作ろう」となる。
 さて、三時間目、冒頭、最後の練習をして、どうにかギリギリ、各班とも台本が出来上がって発表となる。発表の場では、全員が宿題の話を真面目にしている班よりも、宿題の話をしている子の横で、机に突っ伏して寝ている子もいれば、途中から「やばいやばい」と教室に入って来る子もいる班の方が、よほど演劇的には面白い。
 このとき子どもたちは、「話さない」ことも表現だということを学ぶ。「いない」ということさえ表現かもしれないと感じる。子どもたちのなかで「表現」という概念が、大きく広がっていく瞬間がある。
    --平田オリザ『わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か』講談社現代新書、2012年、5557頁。

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国民国家体制において、強い国家=強い軍隊をつくるためには、どうしても国語の統一が必要となる。

正しい言語や標準語といってものを設定し、それについての「読み・書き」できることの収得が何よりも優先させられてきたのが国語教育の歴史といってよい。

たしかに言語の「共有」という意義では、国語教育はその役割をしっかり果たしてきたが、もはやその使命は終わっている。加えて、コミュニケーション能力が国語を中心とした初等教育に要請される昨今、確かに改革は必要だけれども、需要と供給のバランスは、ホンネと建前的なダブルバインドによって、その目指すべきものとは、思っても見なかった方向に向かっていると言っても過言ではない。

そうしたなかで、大切なことは色々あるのでしょうが、やはり「表現」とは、「自分の考え」を「言葉」によって適切にパロールするもの(ないしは)ディスクールするものという狭いものに限定しないことも必要なのではあるまいか。

劇作家平田さんの魅力的な提案には驚くばかりだ。

確かに「話さない」ことも表現の一つであれば、誰かを祝福するために「言葉」を贈るのもその1つだし、絵がうまいのなら絵を贈り、歌がうまいなら歌を歌うというのもその一つであり、これは立派な表現である。

表現概念について、もっと柔軟に向き合う必要がありますね。

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覚え書:「【自著を語る】『思想としての「医学概論」 いま「いのち」とどう向き合うか』 高草木光一さん(慶応義塾大学経済学部教授)」、『東京新聞』2013年4月23日(火)付。

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【自著を語る】『思想としての「医学概論」 いま「いのち」とどう向き合うか』 高草木光一さん(慶応義塾大学経済学部教授)

2013年4月23日

◆先端技術に陥穽ないか
 私は、経済学部専門課程で「社会思想」を担当している。「医学概論」をそんな門外漢がつくるとは、いかにも無謀な試みのように思われるだろう。しかし、社会思想という曖昧模糊(もこ)とした学問領域の役割の一つは、既存の領域が対応しきれない新しい事態に対して、諸分野を結び、共通の認識をつくっていくことだと私は考えている。その「新しい事態」として、「いのち」への脅威が挙げられるだろう。文明の最先端の技術が文明そのものをやがて滅ぼしてしまうという恐怖は、福島原発事故によって現実的なものとなった。救命の先端技術に「いのち」を脅かす陥穽(かんせい)はないのか、iPS細胞の研究開発の行き着く先には恐るべき管理社会、格差社会が待ち構えているのではないか。医に関してももはや鈍感ではいられなくなった。
 「医学概論」という講義は、一九四一年に大阪帝国大学医学部で澤瀉久敬(おもだかひさゆき)によって行われたのが日本で最初と言われている。その講義録は、科学論、生命論、医学論の三部からなる『医学概論』(一九四五~五九年)としてまとめられた。「医学概論」は、医学とは何かを考察する、医学の根幹にあるべき学問領域だと言う澤瀉は、実は医師ではなく、フランス哲学研究者だった。むしろ非医師であったからこそ、壮大にして、批判的な「医学概論」体系をつくりえたとも言える。この恰好(かっこう)の先例に倣いつつ、3・11後の状況に立脚した新たな「医学概論」を構築することがわれわれの課題となった。澤瀉の三部作に緩やかに対応するように、社会思想研究者の私、「いのち学」者の最首悟(さいしゅさとる)、医学者、医師の佐藤純一、山口研一郎の四名が、それぞれの立場から医学・医療のもつパラドックスを探り、最後に全員で医と「いのち」の未来を展望するシンポジウムを行った。
 本書は、二〇一二年度慶応義塾大学経済学部での講義を基にしているため、医学に関する専門的な事柄もわかりやすく解説されている。講義には医学部の学生もモグリで参加し、「医学部では聴けない医学の講義」を熱心に聴き入っていた。
 (岩波書店・四二〇〇円)
 たかくさぎ・こういち 1956年群馬県生まれ。慶応義塾大学大学院経済学研究科博士課程単位取得。最近の著作に『「いのち」から現代世界を考える』『一九六〇年代 未来へつづく思想』(以上編著、岩波書店)等。
    --「【自著を語る】『思想としての「医学概論」 いま「いのち」とどう向き合うか』 高草木光一さん(慶応義塾大学経済学部教授)」、『東京新聞』2013年4月23日(火)付。

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覚え書:「書評:政治をあきらめない理由 [著]ジェリー・ストーカー [訳]山口二郎」、『朝日新聞』2013年04月28日(日)付。

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政治をあきらめない理由 [著]ジェリー・ストーカー [訳]山口二郎
[掲載]2013年04月28日   [ジャンル]政治 

 民主主義は世界中に広がってきたのに、人々が政治に幻滅しているのはなぜか。英国の政治学者が、再生への道を探った。
 政治家に対する懐疑的な見方や、ポピュリズムが高まっている。グローバル化や科学技術の発展で政治は軽視されてきた。では、どうするか。「有能なアマチュア」になれるよう、市民が発言できる機会を広げることだ。政治は、競合する利益や意見の中から意思決定を絞り出す仕事であり、妥協や失望がつきものだが、自由や福祉を守る重要な営み、と考えるべきだという。
 このような「二枚腰の理想主義」は日本にもあり、丸山眞男、堀田善衞、湯浅誠の著作も読んでほしいと訳者は述べている。
    ◇
 岩波書店・3360円
    --「書評:政治をあきらめない理由 [著]ジェリー・ストーカー [訳]山口二郎」、『朝日新聞』2013年04月28日(日)付。

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http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013042800002.html

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政治をあきらめない理由――民主主義で世の中を変えるいくつかの方法
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現実の進行は、すべての予想を裏切る。


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 だが、この稿のはじめに書いたように、挿画を書いて発表したいという、子供のころの夢は六十を超えてかなったことになるわけだから、いよいよもって、いうことはないのだ。
 本道へもどっても、おそらく私は、もう絵を捨てきれないだろう。神さまは老後のたのしみ、生き甲斐を与えて下すったのか……。
 絵のほうは欲念もなく、たのしみに描くだけだから健康にもよいらしい。
 「ジョギングなんかをするよりも、ずっといいですよ」
 と、知り合いの医者にいわれたことがある。
 これまでも欲張ったり、気負ったりしたことがない私だけれども、これからは、いよいよ無駄な事を捨てて、でき得るかぎり、簡素に生きたいと切におもっている。
 そして、容易ならぬ時代の訪れを、どのように受けとめて行くか、これが最後の難関で、予想もつかぬ。
 精神も肉体もおとろえるばかりの齢になって、来るべき凄まじい時代に直面するのは、まったく恐ろしいことではある。
 現実の進行は、すべての予想を裏切る。
 これも、六十余年を生きてきて、はっきりとわかった。
 予想なんていうものは、当たったためしがない。
    池波正太郎「鉛筆と共に」、『新 私の歳月』講談社文庫、1992年、147-148頁。

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1990年の今日5月3日は、池波正太郎先生のご命日。
起床後、手を合わせてから、ゆっくり『鬼平犯科帳』を通読しています。1カ月ぶりの休日になりましたが、贅沢な一日ではないかと思います。

うえの文章は、晩年の池波さんのエッセーからの一こまですが、池波先生のヒューマニズムと、何が起ころうとも乗り切っていくその「気概」に啓発を受けると共に、そうした師恩を引き受けてもいかなければと思う次第です。

いろいろと、面倒になって投げ出したくなる毎日ですが、一日一日を「生き切っていく」ほかありませんね。

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新・私の歳月 (講談社文庫)

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覚え書:「書評:山靴の画文ヤ 辻まことのこと 駒村吉重著」、『東京新聞』2013年4月28日(日)付。


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山靴の画文ヤ 辻まことのこと 駒村 吉重 著

2013年4月28日

◆余白多い自由求めて
[評者] 正津 勉 詩人。著書『行き暮れて、山。』『小説尾形亀之助』など。
 辻まこと。今年、生誕百年、没後三十八年。いまもこの人の著書やイラストの原画、ことに肉筆原稿や絵画作品などは、業界で飛びっ切りの高値がつく。熱烈なファンが数多くいるのだ。
 まことは画描(えか)きを志すも挫折。「画描きに近い職業で暮らす」うちに、独自の筆遣いを手中にした画師である。そして山や街や人を描いた画もだが、実に文がいい。一口で説明のできない語り口のなめらかな出色の名文なのである。
 世渡りの職業でいえば画家・随筆家だろうが、肩書は無用。自在な生き方というか、生涯の振り方といおうか。まことはいかにして「自由人」になりえたのか? まずは出自の問題がある。
 ダダイスト辻潤と、女性解放運動家の伊藤野枝の長男に生まれた。三歳の時、母が家出し大杉栄のもとへ。関東大震災に際し、母は大杉と幼い甥(おい)とともに憲兵隊に虐殺される。この惨劇が与えた影響は大きい。以来「居候」と称する日々を送る。家庭を持つも、安穏を得ない。
 画文は身すぎで、交友も趣味も山遊びもみな「居候」の一つなり。著者は特異な出自に抗(あらが)った謎多い生涯を、大正・昭和の時代を背景に再現し、父の求めた自由とは異なる余白の多い自由、そして魂の屈託を真情をこめて描いている。しかし何と、その最後が自死だったとは。
こまむら・きちえ 1968年生まれ。ノンフィクション作家。著書『ダッカへ帰る日』など。
(山川出版社 ・ 1890円)
◆もう1冊 
 辻まこと著『ひとり歩けば』(未知谷)。<歩くひと>と呼ばれた画家がつづる山歩き・街歩きのエッセー選集。
    --「書評:山靴の画文ヤ 辻まことのこと 駒村吉重著」、『東京新聞』2013年4月28日(日)付。

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013042802000153.html

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覚え書:「書評:日本人は災害からどう復興したか 渡辺尚志著」、『東京新聞』2013年4月28日(日)付。


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日本人は災害からどう復興したか 渡辺 尚志 著

2013年4月28日

[評者] 祖田 修 京都大名誉教授、農業経済学。著書『コメを考える』など。
◆増大する人災要素を注視
 二年前の3・11は、私たちに驚天動地の自然の恐ろしさを見せつけた。
 この十年ほどの間だけでも、世界各地で巨大な被害をもたらす地震・津波・洪水・凶作・噴火が次々と起こった。地球環境の悪化は、天災の頻度と大きさを増幅しているように見える。私は人災要素の増大という視点からの災害史研究を、以前から切に期待していたが、ようやくその本格的な足掛かりとなる書物が現れたと言えよう。
 本書は、大災害を経験した、当の村人たち自身が記録した、主として一七〇〇年代の文献を基礎に、恐ろしくも生々しい人々の大量死と絶望、混乱、そして復興への模索の様を描き出している。3・11は決して想定外の出来事ではなく、繰り返し祖先たちがもがき苦しんできたことだということを教えてくれる。人々は悲惨の記録を書き、「水塚」を築き、巨石の慰霊塔を残しているのに、なぜ私たちは、のど元過ぎれば熱さを忘れてしまうのであろうか。思い出したくないことを風化させてしまうことの戒めを伝えている。
 記録はただ惨状だけではなく、非常食や備荒貯蓄について語り、「コブシの花が咲かない年は用心せよ」など、かすかな自然界の変化に、それぞれが目を凝らし、耳を澄ますよう教える。また助けを請う人たちの複雑な心理に思いを寄せ、助ける側のかすかな不遜の念をも自戒するよう求めている。さらには、火事場にもなお我欲を貪(むさぼ)る人々のいることも書きこまれている。
 だが残った人々はやがて、かつての村の絆にすがり、新たな絆を結び、注意深くまた雄々しく地域の再建に立ち上がっていく姿をも捉えられている。著者は3・11の重さを胸に、祈るような思いで、こうした先人の苦難の内実を伝え、矛盾や対立さえも復興への原動力に変えていく人々の力強さに、希望を繋(つな)いでいる。3・11で胸が痛むのは、再建すべき町や村そのものを失いかねない人々が多数いることだ。
わたなべ・たかし 1957年生まれ。一橋大教授、日本近世史。著書『百姓たちの幕末維新』など。
(農文協 ・ 2100円)
◆もう1冊 
 安田政彦著『災害復興の日本史』(吉川弘文館)。富士山噴火や明暦の大火、関東大震災などの記録を復興に焦点を当てて読み直す。
    --「書評:日本人は災害からどう復興したか 渡辺尚志著」、『東京新聞』2013年4月28日(日)付。

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日本人は災害からどう復興したか: 江戸時代の災害記録に見る「村の力」
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覚え書:「引用句辞典 トレンド編 『理解されない!』という嘆息=鹿島茂」、『毎日新聞』2013年04月27日(土)付。


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引用句辞典 トレンド編
「理解されない!」という嘆息
鹿島茂

円滑に社会動かす妥協的システム


 「理解されない!」という嘆息から、人は悲痛感に似た誇りを感じている。もし実に理解されてみよ。君のあらゆる価値と実質とが、カケネなしに計算され、白昼に曝された時を考えてみよ! だれが自ら、自分の財産を登録して、貧しさに倦厭たらずに居られるぁ? 理解されない故に、人はいつも自誇して居り、天才の悲痛感に酔って居られる。
 「私は理解されない!」
 この嘆息こそが、その反対を願う意志からでなく、一も言われたことがあるか?
(萩原朔太郎『虚妄の正義』講談社文芸文庫)

 夕方、オフィス街近くにある居酒屋に足を運んでサラリーマンたちの会話に耳を傾けてみよう。各人の会話を一言でようやくすれば、朔太郎が右に掲げる「私は理解されない!」ということになる。年功序列の賃金ほどこの慨嘆の格好の標的となるものはないのだ。
 また、イタリアンやフレンチのランチタイムでおしゃべりに興じているマダムあるいはマドモワゼルたちの「セックス・アンド・ザ・シティ」的女子会トークを盗み聞きしてみよう。これまた「私は理解されない!」に要約されてしまう。銀座や新宿の文壇バーもまたしかり。「理解されない故に、人はいつも自誇して居り、天才の悲痛感に酔って居られる」のである。
 では、神が彼らの願望をすべてかなえ、各人が「完全に理解されるシステム」を創ったとしたらどうだろう? この世から「理解されない天才」や「実力がありながら不遇なサラリーマン」や「献身しながら報いられない妻」や「魅力がありながら男たちから放っておかれる独身美女」はすべて消え、自己の赤裸々な姿を直視して絶望に沈むレ・ミゼラブル(惨めな人々)だけが取り残されることになるだろう。
 これは、やはり人間の社会を円滑に動かすには最適なシステムとはいえない。各人のよい部分ばかりか悪い部分も完全に理解されてしまうことはメリットよりもデメリットをもたらすことが多いのだ。
 そこで知恵ある先人たちは「きわめてアバウトにしか理解されない」がゆえに、絶望ではなく、「自己満足と不満の絶妙なブレンド」が与えられるような妥協的システムを構築することにしたのである。
 年功序列はその最たるものだ。給料が貢献度ではなく年齢によって上がっていくというのはまことに理不尽な制度である。そのため、社員の貢献度を数値化して賃金に連動させようという努力がなされたが、そうなると、低評価の社員がヤル気を失うという事態が生まれた。年功序列なら、少なくとも、酒場で「おれは理解されていない」という憤懣をぶつけて怪気炎をあげることができたのに、である。
 これと同じなのが、物書き業界の四〇〇字詰め原稿用紙いくらの原稿料と画家業界の「号当たりいくら」のシステムである。本来なら、書かれている内容や描かれている内容によって作家や画家は評価されるべきだが、それを採用したのでは、「私の評価はこんなに低いはずがない」と怒り出す作家や画家たちばかりなって、大混乱が起きること必定である。
 そして、最後に、じつは、結婚制度というものも、これと似たようなシステムで運用されているのではなかろうか? 完璧な相互理解の後に結婚するのなら誰も結婚しないだろう。また完璧に理解されてしまった結婚というのはむしろ地獄ではあるまいか?
(かしま・しげる=仏文学者)
    --「引用句辞典 トレンド編 『理解されない!』という嘆息=鹿島茂」、『毎日新聞』2013年04月27日(土)付。

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覚え書:「今週の本棚:伊東光晴・評 『タックス・ヘイブン-逃げていく税金』=志賀櫻・著」、『毎日新聞』2013年04月28日(日)付。

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今週の本棚:伊東光晴・評 『タックス・ヘイブン-逃げていく税金』=志賀櫻・著
毎日新聞 2013年04月28日 東京朝刊

 (岩波新書・798円)

 ◇租税回避地-巧妙なからくりの実態に迫る

 アメリカを代表する巨大企業、GEの本社はどこにあるかに答えられる日本人はほとんどいないだろう。デラウェア州の都市--とはいっても、人口7万人ほどのウィルミントンである。GEだけではない。フォードも新興のグーグルも、上場企業の約50%の本社があるという。法人税が安いからである。

 税金が安いか、かからないところがタックス・ヘイブン(租税回避地)であり、アメリカは国内にそれがある例外国家である。

 タックス・ヘイブンを利用して税を逃れようとするのは金持と企業である。

 金持の場合は、税金の安い国に籍を移す。本当にその国に住んでいるのか。税逃れのための偽装か。これが課税当局との争いになる。この本には、課税当局が勝った例として、スイスに居を移した『ハリー・ポッター』シリーズの翻訳者の例が、負けた例として贈与税を逃れた武富士事件があがっている。

 武富士事件の判決には唖然(あぜん)とする。武富士のトップが息子を一年間香港に住まわせ日本での非居住者にし、香港に置いた1000億円をこえる財産を贈与し、税をのがれた。課税当局はいったん税をとったものの裁判に敗れ、取った税に還付加算金をつけて返すこととなった。その額なんと400億円。武富士は倒産し、債権者に多大の損失を与えているのに、この判決は何としたことか。

 相続税のないのは香港だけではない。オーストラリア、カナダ等、イギリスの旧植民地だったところでは、昔のイギリスの法律が今も生きている。

 この本には世界のタックス・ヘイブンの所在地一覧がのっている。OECDの資料である。何といっても多いのはケイマン諸島などで知られるカリブ海の地域であるが、アイリッシュ海のマン島(ホンダ参加のオートバイレースで知られる)、英仏海峡のジャージー、ガーンジーの3島もそれで、いずれも英王室属領。英国に属していない。マン島についていうと、人口6万強、独自の議会をもっている。ロンドンから遠くない島、しかも保養地の島に行けば税が回避できるとあれば、どう使われているかは想像できよう。

 先進国でタックス・ヘイブンの国は、スイス、ベルギー、オーストリアそしてルクセンブルク。中国が香港とマカオをOECDのリストから除くように求めており、またイギリスなど旧宗主国の要求でも、OECDリストはゆがめられている。

 著者が強調しているのは、ロンドンのシティもニューヨーク市場もタックス・ヘイブンだという。非居住者どうしの国際取引が規制されていないからである。

 多国籍企業は、海外子会社を複数使って利益を租税回避地に送り、その金を他に投資するなどし、税を免れようとする。それに立ち向かう税務当局の武器がこの本にある移転価格税制等である。子会社との取引価格が操作されていないかに注目するのである。

 日本の企業も、タックス・ヘイブンをさかんに利用しているのも本書が書くとおりだろう。アメリカで発達した巧妙な技術を学んでいる。

 著者は財務省で税務畑を歩み、OECD租税委員会の日本の代表を務めた人であるが、イギリスもヨーロッパの国も、自国関係の不当な租税回避地を守ろうとする。テロ資金の浄化もここを利用する。たび重なる投機による国際金融危機も無関係ではないと著者はいう。日本の裁判所はどう考えているのか。著者の切歯扼腕(せっしやくわん)が聞こえてくる本である。
    --「今週の本棚:伊東光晴・評 『タックス・ヘイブン-逃げていく税金』=志賀櫻・著」、『毎日新聞』2013年04月28日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130428ddm015070033000c.html:title]


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覚え書:「今週の本棚:三浦雅士・評 『なめらかで熱くて甘苦しくて』=川上弘美・著」、『毎日新聞』2013年04月28日(日)付。

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今週の本棚:三浦雅士・評 『なめらかで熱くて甘苦しくて』=川上弘美・著
毎日新聞 2013年04月28日 東京朝刊

 (新潮社・1470円)

 ◇変容し分裂し融合する「私」を描く短篇集

 川上弘美の小説の特長は限りなく詩に接近してゆくことだ。詩情ではない。詩情は感傷の別名にすぎない。そうではなく、人は誰でも自分自身という謎に向き合っているが、その謎を浮き彫りにする言葉の群が詩であるというときの、そういう詩に、川上弘美は接近してゆくのだ。人は言葉によって自分自身になる。感動とはその自分自身が分解し失われる瞬間のことであり、感動によって生き返ったように感じるのは、その後に自分自身が新たに組織し直されるからである。

 『なめらかで熱くて甘苦しくて』は「アクア」、「テラ」、「アエル」、「イグニス」、「ムンドゥス」と題された五つの短篇からなる連作。短篇原題はローマ字表記だが、それぞれ水、土、空、火、世界を意味するラテン語。西洋のいわゆる四大元素を並べた後に、それらを包含するように世界という語が置かれているわけだ。

 短篇はいずれも基本的に二人の登場人物からなる。汀(みぎわ)と水面(みなも)、加賀美と麻美、妊婦と胎児あるいは母と子、青木とわたし、「それ」と子供。図解すれば、別人であるはずの二人がひとつに混じり、同一人物であるはずの一人が二人に、三人になってゆく、そういう世界であって、異様な酩酊(めいてい)感に襲われるが、考えてみればこれは自分自身というものの一般的なありようなのである。

 人が鏡を見るのは、もともと見る私と見られる私の二人が私のなかにあるからである。鏡以前にも人はたとえば水面に自分自身を見ていた。川上弘美は、人間のそういう仕組のなかに文学の核心、感動の、驚異の、恐怖の核心が潜んでいると確信し、その場所へとひたすら突き進む。それが性の世界、生殖の世界を暗示するのは、二人が一人になり、一人が二人になるその機微がまったく同じだからだ。

 「アクア」の汀と水面は小学校の同級生で、境遇も性格も違うが、さまざまなかたちで交錯し続ける。人と人は入れ替わりうると感じさせるのは、行方不明になって裸体で発見された同じ団地の女の子の事件が話題になってからだが、汀も水面もその女の子であっても少しもおかしくないと感じさせる。事実、二人はそう感じているのであって、言葉は他人の身になることができなければ使うことができない。遊びが他人の身になることができなければ成立しないのと同じだ。描かれているのは現代のどこにでもある光景なのだが、垂直に不気味さを感じさせる。

 「アクア」の主人公の名が水面であるのを受けるように、「テラ」の一方の主人公の名は加賀美。水面から鏡への推移に作者の意図が示されている。初めは疑いなく別人として登場する事故死した加賀美と、彼女の恋人といま付き合っている「わたし」が、「わたし」の名が麻美でありしかも死者の名が「加賀美麻美」であったと明かされる最後の瞬間に、一挙に融合してゆく。息を呑(の)む展開だ。「わたし」は幽霊だったことになるが、考えてみれば人間はみな幽霊のようなものだ。

 とすればその後に、幽霊が実在になり、実在が幽霊になるその過程を、妊婦の体験、産婦の体験を通して描く「アエル」が続くのは必然。出産は不可思議な「私という現象」の成立過程にほかならない。

 二人の男女が輪郭を滲(にじ)ませてさまざまに他者と融合しながら時を経てゆく「イグニス」、「それ」が霊魂のように飛び交う「ムンドゥス」と続いて連作は閉じるが、川上弘美の世界への見事な案内になっている。いや、現代文学の世界への案内と言ったほうがいい。
    --「今週の本棚:三浦雅士・評 『なめらかで熱くて甘苦しくて』=川上弘美・著」、『毎日新聞』2013年04月28日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130428ddm015070003000c.html:title]

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病院日記(4) 自分の生きている「世界」の広さ・狭さを自覚すること


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3週間ほど、病院で仕事するようになって、それから、その前の工場の時も実感したのですが、人間は、自分が自分の関わっている世界っていうのは、実はものすごく狭い世界でしかないなあと実感しました。その狭いというのは物理的関係世界なのですが、同時に精神も規定してしまうというか。

工場だとベルトコンベアの前で、病院だと担当科のユニットの中。工場、病院に関わらず、会社も大学も実は“狭い・世間”で、そこと家を往復して殆どの時間が過ぎていく。しかし、その知見だけで世界を判断するというか。ではノマドがいいかというと、ノマドも結局は「会う」世界は同質世界ですよね。

おまえも、広い世界を知らない井の中の蛙だろうといわれてしまえばそうですが、しかし、そのことであることは自覚しておいて損はないなあ、というのは実感しました。別に勤務先の人が錯覚してるというのではなくして、会社員であろうと主婦であろうと、そんな広い世界につながってないって話。

なので、通俗的かもしれませんが、家と勤務先の往復だけであるにも関わらず、「俺の経験では……」式のゴタクをならべて「はい、OK」というのじゃなくして、色々な世界に対して、これはもう、意識的に関わっていくような努力っていうのを自覚的に選択していくことがやっぱり必要だとは思った。

床屋政談みたいなのに食傷は誰しもがしているとは思いますし、もうええわですけど。いや、だからといってポストモダン的な「意識低いよ」で片づけるのも難であって、そうではない、「関わっていく」っていくことをしていくなかで、言葉を点検して紡ぎたいなとは思いました。雑感ですけどね。


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覚え書:「今週の本棚・新刊:『あのとき、文学があった 「文学者追跡」完全版』=小山鉄郎・著」、『毎日新聞』2013年04月28日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『あのとき、文学があった 「文学者追跡」完全版』=小山鉄郎・著
毎日新聞 2013年04月28日 東京朝刊

 (論創社・3990円)

 著者は今年度の日本記者クラブ賞受賞が決まった共同通信のベテラン文芸記者(現在は編集委員兼論説委員)。1990年1月から94年5月まで、『文學界』に連載したコラムを一冊にまとめた。この時期の日本文学の話題を冷静に、こなれた文章でつづっている。取材した作家たちの言葉をふんだんに引用しながら、しばしば、自身の実感に照らし合わせて、温かいが鋭く批評する。資料的価値が高いのはもちろん、読み物としても随分と面白い。

 テーマは多岐にわたっている。村上春樹作品の英訳、安岡章太郎の洗礼、村上龍と映画、野間宏の文学世界の特質。社の先輩だった辺見庸については、記者としての軌跡をたどり、芥川賞を受賞したばかりの小川洋子には詳しく来歴を語らせる。

 文学賞とともに、訃報についての文章が多いのは、この二つが文芸記者の重要な執筆対象だからだろう。開高健死去時の夫人の言葉、中上健次の素顔、佐藤泰志の突然の自殺への当惑。桐山襲、李良枝、安部公房。抑えた筆致から、彼らの仕事への敬愛が伝わる。書中の言葉から拾えば、全編を通して「記者はひとり」の覚悟が脈打つ一冊だ。(重)
    --「今週の本棚・新刊:『あのとき、文学があった 「文学者追跡」完全版』=小山鉄郎・著」、『毎日新聞』2013年04月28日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130428ddm015070027000c.html:title]


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覚え書:「今週の本棚:若島正・評 『完全なるチェス』=フランク・ブレイディー著」、『毎日新聞』2013年04月28日(日)付。

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今週の本棚:若島正・評 『完全なるチェス』=フランク・ブレイディー著
毎日新聞 2013年04月28日 東京朝刊

 (文藝春秋・2625円)

 ◇転落する天才の“エンドゲーム”

 チェスという小さなゲームの美しさに魅せられた人間は数限りない。しかしその中で、ボビー・フィッシャーほど、さまざまな伝説や憶測を生み、彼が残した棋譜だけではなく、その人物像についても多くの本が書かれたプレイヤーはいないだろう。神童としてアメリカのチェス界に出現し、世界チャンピオンをずっとソ連のプレイヤーが独占していた時代にあって、いわばたった一人でそれに立ち向かい、アイスランドのレイキャヴィクで行われたボリス・スパスキーとのマッチに歴史的な勝利を収め、国家的なヒーローとなったフィッシャーは、自ら王座を下りた後、悲惨な転落の道を歩んでいく。ホームレス同然の二十年間を送ってから、ユーゴスラヴィアでのスパスキーとの再戦でカムバックを遂げるが、お尋ね者としてアメリカに追われ、国外での逃亡生活の後、成田で逮捕されたことはまだわたしたちの記憶に新しい。そして最後には、市民権を得たアイスランドで亡くなるのだが、この波瀾(はらん)万丈と言ってもいいフィッシャーの生涯を描いた伝記が、本書『完全なるチェス』である。

 本書の原題は「エンドゲーム--ボビー・フィッシャーの驚くべき興亡」という。エンドゲームとは、チェスの終盤のことだ。つまり、本書の力点は、フィッシャーが世界チャンピオンという王座にのぼりつめるまでの時期よりも、むしろそこから転落していく後半生に置かれている。まさしく、フィッシャーがチェスのキングのように、次第に追いつめられて、盤上をさまよったあげく、アイスランドという盤の片隅でチェックメイトになったかのような感慨を読者は抱くのだ。

 フィッシャーを二十年間の隠遁(いんとん)生活から目覚めさせた原因であり、彼が四十七歳にして初恋の感情をおぼえた相手でもある、十七歳のハンガリー人女性は、「わたしが好きなのは天才か、いかれた人よ」と言ったという。フィッシャーは天才なのか奇人なのか、意見が分かれるところだろうが、おそらく彼は天才でも奇人でもあった。そして、真の天才のみに許される輝かしい名局を残したのに比して、狂いぶりの方は、偏執狂のように反米的言辞や反ユダヤ的な暴言をまき散らし、ホロコーストを否定するという、きわめてありきたりで凡庸なものだったのが、わたしにはとりわけ悲痛に映る。言い換えれば、こうした凡庸な奇人としてのフィッシャーの姿を見てしまった後で、それでもなお彼の残した棋譜の美しさを賞賛したいと思う人間だけが、心底からチェスを愛していると言えるのだろう。フィッシャー死亡の知らせを聞いて、かつての敵であったスパスキーが「私の弟が死んだ」とメールで書いたというくだりは、本書で最も美しいエピソードの一つだ。

 著者のフランク・ブレイディーは、フィッシャーが天才少年として台頭した頃から彼に注目し、彼の盤上盤外でのふるまいを見守ってきた人である。そのつねにバランスの取れた記述には、真の天才のそばにいて歴史を目撃してきた幸せが控えめに現れている。著者によれば、フィッシャーはけっして精神に変調を来していたのではなく、アイスランドでの最晩年には書店や図書館に通って読書三昧にふけっていたという。そのときの愛読書の一冊が『ローマ帝国の興亡』だったとか。いったいフィッシャーはそこに何を読み取っていたのか。ローマ帝国の運命に己の運命を投影していたのか。本書を読み終えて、なぜかいつまでも心に残るのは、本を読むフィッシャーのその姿なのだった。(佐藤耕士訳)
    --「今週の本棚:若島正・評 『完全なるチェス』=フランク・ブレイディー著」、『毎日新聞』2013年04月28日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130428ddm015070013000c.html:title]


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