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2013年6月

書評:朴三石『知っていますか、朝鮮学校』岩波ブックレット、2013年。

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朴三石『知っていますか、朝鮮学校』岩波ブックレット、読了。私たちはどれだけ朝鮮学校について知っているのだろうか。先ずは「事実を知ること」。そのことで誤解は解消される。本書は著者が大学で行った講義と学生の感想をもとに構成し、朝鮮学校に関する基本的な事実や情報を簡便にまとめた一冊。


本書はカリキュラム・教科書をはじめ、あらゆる角度から日常の学校生活を詳述する。朝鮮学校のイメージは「パッチギ!」とはほど遠いし、「反日教育」など行われていない。朝鮮学校の歴史では、如何に戦後日本政府がその固有性を同化によって抹消しようとしたかよく分かる。

朝鮮学校は、日本社会における多民族多文化共生の「試金石」であるにも関わらず、無知が差別を助長する。この問題は、「単に朝鮮学校の生徒や保護者のみの問題ではなく、朝鮮学校をめぐる日本社会の問題であり、日本人自身の問題である」。

「人びとが国際化時代を生きるということは、人びとがコスモポリタンになるということではない。それぞれの人びとが自分の文化的アイデンティティを基盤にして、他国の人たちと国際的な関係をもつこと」。その実践スクールが朝鮮学校であろう。

「互いの文化を尊重し、互いに学び理解を深める国際交流ができることは、日本社会をより豊かにすることにつながる」。

無償化反対の「気分」に呑み込まれる前にひともきたい一冊である。


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知っていますか、朝鮮学校 (岩波ブックレット)
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覚え書:「海を渡った人類の遥かな歴史―名もなき古代の海洋民はいかに航海したのか [著]ブライアン・フェイガン [評者]角幡唯介」、『朝日新聞』2013年06月23日(日)付。


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海を渡った人類の遥かな歴史―名もなき古代の海洋民はいかに航海したのか [著]ブライアン・フェイガン
[評者]角幡唯介(ノンフィクション作家・探検家)  [掲載]2013年06月23日   [ジャンル]歴史 

■冒険性を否定する、人と海との親密さ

 人間の住む世界から遠く離れた北極の氷の中や太平洋に浮かぶ孤島を訪ねた時、いつも考えることがあった。はるか昔、何千、何万年という昔に、海図も六分儀もないのに、ここまで来た人たちがいたのだ。水平線のはるか向こうを目指した古代の人たちの胸の内に思いをはせた時、私はいつも心が震えるような思いがした。
 陸地を離れて海へ出る。人類がアフリカを出て世界へ拡散していく歴史の中で、それは確かに最も想像力を刺激する一歩だった。本書はそのことについて書かれた本だ。歴史の教科書に太字で記される華々しい海戦や探検家の航海について触れたものではない。天体を見て遠洋に漕(こ)ぎ出したポリネシア人や、大三角帆を操り材木を運んだインド洋の商人、皮舟で巨獣を仕留めた北極圏の先住民の物語である。船上の会話、胸の鼓動、そして町のざわめき。それらが聞こえてくるような物語なのだ。
 ある意味、本書により私のロマンチックな幻想は覆された。私が感動したのは古代人が危険を承知で、それでも海に一歩踏み出したのだと考えたからだ。ところが著者は膨大な考古学的成果と、8歳の時から帆を操ってきた船乗りとしての経験から、彼らの航海の、その冒険性を否定する。彼らが水平線の先に向かったのは好奇心やロマンからではないという。
 冒険性の否定。実は著者が最も訴えたかったのはそのことだ。天体の位置、潮のうねり、鳥の動き、島に伝わる伝承。総合的な知を蓄積し海を体験的に解読することで、古代人はいつでもどこからでも帰れるという自信を持って外洋に漕ぎ出した。つまり外洋航海は日常的な沿岸航海の延長線上にあり、未知への旅立ちが冒険でなくなるほど彼らは海と親密な関係を築いていたというのである。
 数万年かけて築き上げてきた、この人と海との関係は、つい先頃まで保たれてきた。少なくとも1世紀前、考えようによっては十数年前まで。しかし……。
 著者がこの本を書きあげた動機はエピローグにたっぷりと書かれている。あるいは、それこそ彼が最も書きたかったものなのかもしれないと思えるほど、強い筆致で。端的に言うと、それはGPSに象徴される現代機器に知を外部化させて、何の省察もないまま自然との深い関係を放棄した現代に対する深い憂慮の念だ。
 「海は再び人間から遠い存在になった」と著者は書く。それは嘆きのようにも聞こえるし、人類は今まさに有史以来の転換点に立っているのだという警鐘のようにも聞こえる。そしてその結語は、同じ思いからGPSを使わずに北極を旅している私にとって賛同せざるを得ないものだった。
    ◇
 東郷えりか訳、河出書房新社・3045円/Brian Fagan イギリス生まれ、カリフォルニア大学サンタ・バーバラ校の人類学名誉教授。『歴史を変えた気候大変動』『アメリカの起源』など。
    --「海を渡った人類の遥かな歴史―名もなき古代の海洋民はいかに航海したのか [著]ブライアン・フェイガン [評者]角幡唯介」、『朝日新聞』2013年06月23日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013062300005.html:title]


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海を渡った人類の遥かな歴史 ---名もなき古代の海洋民はいかに航海したのか
ブライアン・フェイガン
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覚え書:「プライドの社会学―自己をデザインする夢 [著]奥井智之 [評者]水無田気流」、『朝日新聞』2013年06月23日(日)付。


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プライドの社会学―自己をデザインする夢 [著]奥井智之
[評者]水無田気流(詩人・社会学者)  [掲載]2013年06月23日   [ジャンル]社会 


■所属の不安定化で源泉がゆらぐ

 プライドとは、個人的な満足によるものなのだろうか。それとも、社会的な評価を要するものなのだろうか。たとえば、尊敬される地位、高い学歴、美しい容姿……等々は、個人的な資源でありつつも、社会の中で他人にその価値を共有されねば評価されない。自分や自分が属すものへの評価体系。本書はそれをプライド・システムと呼び、一般には心理的な問題とされているプライドを、社会学的に問い直すことを眼目としている。
 なるほどプライドとは、誠に魅力的で厄介な代物だ。たとえば、ジェーン・オースティン『高慢と偏見』の、「高慢」の原語はまさに「プライド」。「高慢」ならば悪徳だが、「自負」ならばどうだろうか。むしろ向上心の表れではないのか。この両義性を逆手に取るように、物語のヒロイン、エリザベスの自負は、ダーシーの高慢を凌駕(りょうが)し、ハッピーエンドに至る。
 プライドの源泉は一見多様である。家族、地域、階級、容姿、学歴、教養等々。だがそれらは、総じて「わたしたち」意識で結ばれた所属集団=コミュニティーを基盤とする。それゆえコミュニティーこそがプライドの源泉だと本書は指摘する。昨今の社会状況を鑑みれば、家族、地域社会の解体、若年層の非正規雇用化などにより、個人の所属の基盤は多くの面で不安定化している。こうした事態が、個人のプライドの源泉をゆるがせる。
 キャリアデザインなどに惹(ひ)かれる若者が真に求めているものも、実は「プライド」のデザインかもしれない。交流サイトなどの流行も、自己のプライドの源泉を他者からの評価に委ねる他ない現実社会の表象であるともいえよう。かつてサルトルは「他人という地獄」を論じたが、現代ではフェイスブックの「いいね!」に数量化された評価が、プライド・システムを補強するのか。なるほど、現代社会を読み解く最重要キーワードはプライドかもしれない。
    ◇
 筑摩選書・1680円/おくい・ともゆき 58年生まれ。亜細亜大学教授(社会学)。著書『近代的世界の誕生』など。
    --「プライドの社会学―自己をデザインする夢 [著]奥井智之 [評者]水無田気流」、『朝日新聞』2013年06月23日(日)付。

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プライドの社会学: 自己をデザインする夢 (筑摩選書)
奥井 智之
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書評:イーヴァル・ロー=ヨハンソン(西下彰俊、渡辺博明、兼松麻紀子訳)『スウェーデン 高齢者福祉改革の原点 ルポルタージュからの問題提起』新評論、2012年。

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本書はスウェーデンの老人ホームの現状を批判したヨハンソンの古典的名著『スウェーデンの高齢者』(52年)、『老い』(49年)を翻訳・収録した一冊。原著の写真も一部が収録されている。

高福祉で有名な北欧だがはじめからそうであったわけではない。その成果は勝ち取ってゆく歴史であった。当時の老人ホームは、障害者と同居の現代版姥棄山。前世紀的貧窮院時代の発想のままだった。

ヨハンソンは施設行脚を重ねる中で、施設への隔離主義の問題性を発見する。利用者ができるだけ社会と関わり続ける生活はできないのか。脱施設主義の主張はノーマライゼーションの先駆けといってよいであろう。

私事ながら病院で仕事をするようになり思うのは、施設は必要不可欠であるということ。しかし「そこに入れてしまえば問題は解決する」とは同義ではない。中身の絶えざる検討と共に、「共に生きる」を考えなければならない。


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スウェーデン:高齢者福祉改革の原点: ルポルタージュからの問題提起
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覚え書:「書評:青い花 辺見庸 著」、『東京新聞』2013年06月23日(日)付。


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青い花 辺見庸 著

2013年6月23日


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◆大災厄をさまよう魂
[評者]横尾和博=文芸評論家
 本書は現代の「黙示録」だ。文学はイメージであり、ビジョンである。瓦礫(がれき)と廃墟(はいきょ)をこれほどまでに鮮やかに、激しく描いた作品を私はほかに知らない。描かれた世界は大地震、大津波、原発事故、戦争の惨禍にあるニッポンで、過去、現在、近未来が交錯する。ストーリーらしきものはない。ただ線路の上を歩く中年男の意識の流れを一人語りで綴(つづ)っていくだけだ。男はひたすら薬物「ポラノン」を求めて線路の上をあるいている。
 この男を災厄での死者、精神科の入院患者、はたまた夢の中の記述と、どのように考えても読者の自由である。そう考えると私たちは重苦しいトーンから解放される。私はコッポラの『地獄の黙示録』を想起した。ただ現代の私たちは「黙示録」のような終末への予言書をもちあわせていない。それが私たちの悲劇の始まりかもしれない。大地震と原発事故。「黙示録」に示されたような事象を私たちは見てきた。しかしそこに語られている言葉には現象はあるが本質はない。
 作中の精神科病院のくだりや青い花の比喩(ひゆ)はロシアの作家、ガルシンの「あかい花」を下敷きにしている。「あかい花」は「世界のありとあらゆる悪が集まる」象徴だった。「青い花」の意味とはなんだろう。希望の喩か、幻覚の産物か。私は大災厄での死者の魂とうけとめた。極めつきの「震災文学」である。
 へんみ・よう 1944年生まれ。作家。著書『水の透視画法』など。
(角川書店・1680円)
◆もう1冊
 辺見庸著『瓦礫の中から言葉を』(NHK出版新書)。石巻出身の著者が、死者たちに届く言葉とは何かを問う。
    --「書評:青い花 辺見庸 著」、『東京新聞』2013年06月23日(日)付。

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覚え書:「書評:統合の終焉―EUの実像と論理 [著]遠藤乾 [評者]渡辺靖」、『朝日新聞』2013年06月23日(日)付。


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統合の終焉―EUの実像と論理 [著]遠藤乾
[評者]渡辺靖(慶応大学教授・文化人類学)  [掲載]2013年06月23日   [ジャンル]国際 


■柔軟で奥深い多面的な政治体

 昨秋、欧州連合(EU)加盟国の対外文化機関の連合体であるEUNICの本部(ブリュッセル)を訪れる機会があった。ときはユーロ危機の真っただ中。EUへの悲観論が支配的だった頃だ。
 ところがスタッフは意にも介していないようで、いたって楽観的。すっかり拍子抜けしてしまうと同時に、EUという存在の捉(とら)えにくさを改めて実感した。今も英国がEU脱退を検討する一方、来月にはクロアチアが新たに加盟する。
 EUを動かしている運動律=論理とは一体何なのか。
 EUの形成過程からその実像、思想的含意までを精査しながら、著者は「欧州合衆国」のような大文字の「統合」はもはや望むべくもないものの、EU以前の世界に戻れないほど小文字の「統合」が進んでいると説く。
 曰(いわ)く「国家でも単なる国際組織でもない宙ぶらりんの状態のままそれなりに安定」しているのがEUであると。曖昧(あいまい)さは柔軟さやしたたかさの裏返しでもある。
 この指摘は重要だ。社会学者ダニエル・ベルが「国民国家は大きな問題を扱うには小さすぎ、小さな問題を扱うには大きすぎる」と評したのは四半世紀前だが、依然、私たちは国家単位で「主権」「市民権」「憲法体制」などをイメージし、リアル・ポリティクスを論じる癖があるからだ。
 とりわけ米国と中国という2大大国の行方に目を奪われがちな昨今、EUという政治体の奥深さと影響力はもっと想起されてよい。政治や経済の統合を推し進めるアフリカ連合(AU)がモデルとするのもEUである。
 本書は欧州委員会での勤務経験を持つ著者が過去10年ほどの間に発表した論考を中心に編まれているが、密度の高い12のパーツ(章)が有機的に結びついた曼荼羅(まんだら)のように仕上がっている。まさにEUという多面体を映し出しているかのようだ。
    ◇
 岩波書店・3990円/えんどう・けん 66年生まれ。北大教授(国際政治、ヨーロッパ政治)。編著『ヨーロッパ統合史』
    --「書評:統合の終焉―EUの実像と論理 [著]遠藤乾 [評者]渡辺靖」、『朝日新聞』2013年06月23日(日)付。

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統合の終焉――EUの実像と論理
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覚え書:「みんなの広場 許せるわけがない 高市発言」、『毎日新聞』2013年06月24日(月)付。

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みんなの広場
許せるわけがない 高市発言
農業 64(福島県桑折町)

批判を浴びたために撤回し、謝罪したからといって発言した事実が消えるわけではない。「原発事故で死亡者が出ている状況ではない」という高市早苗自民党政調会長の発言に福島県民として憤りを感じる。参院選があるために慌てて撤回したと非難されても仕方あるまい。
 一体どれだけの人が原発自己によって非業の死を遂げられているか。その多くが原発事故による避難を強いられている方々だ。仮設住宅に住んでいる人にじかに聞いてみてほしい。「仮設で死にたくない。せめて死ぬときは自宅で死にたい」と言った80代の避難者の方の声は忘れられない。原発事故が原因で今も5万人以上の人が県外で避難している現実を見ての発言だったのか。
 世界一安全だと原発を他国に売り込む政権与党の政調会長の発言として容認できない。
 まず1週間でよい。現地に来て、見て、住んで2年過ぎても収まらない原発事故の現実を体験してほしい。
    --「みんなの広場 許せるわけがない 高市発言」、『毎日新聞』2013年06月24日(月)付。

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覚え書:「書評:褐色の世界史 第三世界とはなにか ヴィジャイ・プラシャド 著」、『東京新聞』2013年6月23日(日)付。

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褐色の世界史 第三世界とはなにか ヴィジャイ・プラシャド 著

2013年6月23日


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◆支配、暴力を克服する運動
[評者]早尾貴紀=東京経済大専任講師・社会思想史
 本書は、第三世界論を二十一世紀に呼び戻す試みだ。「第三世界」と言えば、今ではたいてい「冷戦の残余」や「発展途上国」といったイメージで聞き流されるだろう。しかし、本書はそうではない。著者は第三世界を、フランツ・ファノン(フランス植民地下西インド出身でアルジェリア独立運動に参加した思想家)にならって、「ヨーロッパに対峙(たいじ)するプロジェクト」と位置づける。つまり第三世界とは、地理的・時代的に限定された場所ではなく、帝国主義と植民地主義に規定された諸問題を超克しようとする、未完の思想運動だというわけだ。
 政治・経済・文化などあらゆる範囲に浸透する国家的あるいは超国家的な支配と暴力の問題を解決しようというのだから、このプロジェクトに賭けられた理想はあまりに高く、にもかかわらず第一世界・第二世界(米ソとその同盟国)からの妨害と干渉に遭い、挫折させられたのは当然だ。三部構成の見出しが、「探求」から「陥穽(かんせい)」「抹殺」と続くのはそのためだ。
 本書を日本語で読む意義も大きい。日本での第三世界論を象徴する『グリオ』と『aala』という雑誌は、一九九五年と九七年に相次いで終刊となった。冷戦崩壊後のグローバリゼーションと戦後半世紀の経過で、第三世界論は退潮した。同時にカタカナの「ポストコロニアリズム」が一部では流行したが、第三世界の歴史経験が忘却されたため、日本の文脈ではそれが血肉となることはなかった。それは、植民地支配をめぐる政治家の妄言や民族差別デモに表れている。すなわち、第三世界とは、現代日本においても呼び戻されるべきプロジェクトなのだ。
 アフリカ文学者である訳者が付した渾身(こんしん)の解説は、南アジア史を専門とする著者の知見を補い、さらに東アジアの文脈にまで接続し、本書を真に「世界史」たらしめている。「第三世界の継承者」を未来に生み出す第一歩だ。
ViJay Prashad インド出身、現在米国トリニティ・カレッジ教授。
(粟飯原文子訳、水声社・4200円)
◆もう1冊
 本橋哲也著『ポストコロニアリズム』(岩波新書)。植民地での暴力と西欧近代の歴史、さらに現代までの影響を解説した入門書。
    --「書評:褐色の世界史 第三世界とはなにか ヴィジャイ・プラシャド 著」、『東京新聞』2013年6月23日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013062302000173.html:title]


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覚え書:「書評:近代農業思想史 祖田修 著」、『東京新聞』2013年6月23日(日)付。

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近代農業思想史 祖田修 著

2013年6月23日


◆生き方まで問われる農学
[評者]玉真之介=徳島大教授
 農業は、市場経済の言いなりになることを拒んできた存在かもしれない。いつの時代でも強くはないが、人に生き方を問うてきた。本書は、そんな農業・農学の姿を近代から現代までの農業思想史としてまとめたものである。
 話はケネー、スミスの時代から始まる。それは、人間と自然を分離した自然観と科学技術に基づく市場経済社会の始まりでもあった。産業革命と同様、農業革命もイギリスで起こった。それを観察し農学を体系化したのはドイツ人のテーアであり、続いてリービッヒ、メンデル等々、農学は科学的となり、農業生産力は高まっていた。
 しかし、しだいに工業から立ち遅れていく。生産の担い手は依然として資本ではなく小農だった。資本主義への批判として登場した社会主義は、この小農問題の克服も目指していた。集団化や国営農場、人民公社…。しかし、それらは失敗だった。本書は、ある意味で二十世紀の総括の書でもある。
 大恐慌から戦後再生した資本主義の下で、農業は資本の力で「化学化」「工業化」を推し進め、自然と人間性を破壊しながら突き進んでいる。それが農業・農学に根源的な反省を迫っている。それに対して著者は、「生産の農学」に替わって、生態環境価値と生活価値を目指す「生の農学」、さらに経済価値を総合する「場の農学」を提起する。この地域と読み替えても良い「場」の重視こそ、著者の真骨頂といってよい。
 著者は、地方産業振興に尽くした前田正名(まさな)の研究者である。現実に寄り添い、実際科学として成果を挙げる農学の使命は「場」で果たされる。そこがケインズに代表される「リベラルな保護主義」の拠(よ)り所にもなる。学問の専門化と細分化が進み、全体像が見えなくなっている中で、本書は、農業・農学に関心を持ち、これから学ぼうとする人たちに、二十一世紀の農業・農学の論点と課題を示し、多数のヒントを与えてくれる必読書である。
 そだ・おさむ 1939年生まれ。京都大名誉教授。著書『コメを考える』など。
(岩波書店・2730円)
◆もう1冊
 木村茂光編『日本農業史』(吉川弘文館)。農耕の始まりから国際化の現代の問題まで、日本人に食を提供してきた農業の歴史を解説。
    --「書評:近代農業思想史 祖田修 著」、『東京新聞』2013年6月23日(日)付。

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013062302000172.html

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Rさんとの邂逅

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水曜日は授業が終わってから、かねてより一献の約束をしておいたメガロポリス埼玉のRさんと乾杯。

様々な話をし、楽しい時間かつ有意義なひとときを過ごす事ができました。ありがとうございます。

しかし、本当に、驚くのは、いろいろと無茶苦茶な連中が沸いてくるのは承知なのですが、そういうのに対抗していこうとする人々も草迸してくるのが不思議なことです。

そういう出逢い、友誼は大切にしたいと思います。

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覚え書:「今週の本棚:荒川洋治・評 『高等地図帳 2013-2014』=二宮書店編集部・編」、『毎日新聞』2013年06月23日(日)付。

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今週の本棚:荒川洋治・評 『高等地図帳 2013-2014』=二宮書店編集部・編
毎日新聞 2013年06月23日 東京朝刊

 (二宮書店・1600円)

 ◇地理「表現」の興味と工夫を知る

 日本・世界地図の最新版。一六〇〇円前後のスタンダードなものは、各社から出ているが、まずは配色から見ていこう。そこに個性が出るからだ。

 南アジアの関連地図、「カシミール地方」は三カ国の係争地。管理ラインからパンジャーブ州に向けての高地が、独特のグリーンで表現される。「スイス」一国単位の地図(正距円錐(えんすい)図法)は、アルプスの氷河が目に迫る印象。「アンデス山脈中央部」「ラパス(高地都市)」の色分けもいい。地勢図では、山は茶系、平地は緑系だが、すべてが山のようなところでは氷雪地帯を紫にするなど工夫。こちらは色彩を楽しむことができる。自然を表現しながら、自然に反する色をつかう。それも地図の感興だ。巻頭の「世界の国々」では、各国を隣り合う国から区別するため、中国、リビア、イラン、ナミビアなどが青い色になり、色の「同志」に。

 今回まず最初に見たのは、アフリカの新・独立国、南スーダン共和国の位置だ。首都は、ジュバ。独立前の同社の地図帳ではジューバとある。地名も表舞台に出ると微かに動く。

 日本地図はどうか。「中国・四国」全域図で、四国南端の足摺岬、土佐清水周辺が入りきれない状態になり、その部分は別枠に。『最新世界地図8訂版』(東京書籍・三月刊)には「中国・四国・近畿」全域図があるが、そこでは三重県・志摩半島の一部が、別枠に。このような場合に、全体を一望するのはむずかしいことがわかる。「表現」の課題である。

 『高等地図帳』を眺めていると名作の舞台が浮かぶ。広い地域に展開する作品では、森鴎外「山椒大夫」(岩代→春日→今津→直江の浦<現・直江津>→由良<宮津>→中山→京都・東山→佐渡・雑太(さわた)<現・佐和田>)、芥川龍之介「芋粥(いもがゆ)」(京都・粟田口→山科→阪本<現・坂本>→高島→敦賀)、国木田独歩「忘れえぬ人々」の阿蘇・宮地、愛媛・三津ケ浜、丹羽文雄「蓮如」の行路など。さきほどの四国の「別枠」のなかだけでも、大原富枝「婉(えん)という女」の宿毛(すくも)、田宮虎彦「足摺岬」が含まれる、というゆたかさ。これらの地名のほとんどは、地図上で確認可能。古代、中世の地名の多くが残る日本のよさだ。列島各地で生まれた名作の地名を地図でたしかめると、理解も深まる。漫然とした読書では、名作は実感できない。文学や歴史を語るとき地図は大きな力となる。

 巻末の都道府県一覧(面積・人口)の下欄の注に、「青森・秋田の十和田湖」は「両県の面積には含まれていない」。北海道の面積には「北方領土」を含み、島根県の面積には「竹島」を含む、とある。「全国の面積」には「境界不明分の面積を含む」。ここまでこまかくふれたものは類書では他にない。いっぽう、こんなことも。

 日本の市の一覧(市名と人口)があるけれど、日本には全部でいくつ市があるか、総数が記されていない(他社の地図帳もほぼ同様)。とても不便である。ひとつひとつ数えなくてはならないからだ。記さないのが通例らしいが、理解に苦しむ。また、この種の地図帳に望みたいのは「白地図」だ。都道府県の境界だけを書き入れたシンプルな地図がひとつあれば、学習にも有効。他にも感想や意見をもつ人は多いと思う。

 地図帳をつくる人たちは、実際につかう人の意見を聞く機会が、あまりないのではなかろうか。読者のほうも地図帳は特別なもの、聖域にあるもので、読書や批評の対象ではないと思ってきたようだ。そんな歴史も、地理から見えてくる。
    --「今週の本棚:荒川洋治・評 『高等地図帳 2013-2014』=二宮書店編集部・編」、『毎日新聞』2013年06月23日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130623ddm015070007000c.html:title]


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覚え書:「刊行:立教大学長の執務日記 戦時下の受難、生々しく」、『毎日新聞』2013年06月24日(月)付、夕刊。


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刊行:立教大学長の執務日記 戦時下の受難、生々しく
毎日新聞 2013年06月24日 東京夕刊

 日中戦争から太平洋戦争にかけて立教大学長が記した執務日記が、『遠山郁三日誌 1940-1943年 戦時下ミッション・スクールの肖像』(山川出版社)=として刊行された。大学史や教育行政史、キリスト教史にとっても第一級の史料だ。

 刊行されたのは、第4代学長の遠山が40年4月1日-43年1月30日までに記した日誌。A5判のノートにペンで書かれていた。公開は意識していなかったとみられる。

 同大学は米国聖公会が設立し維持していた。だが日米関係が悪化すると、米国人宣教師は次々と役職を離れた。日誌では開戦当日の41年12月8日、遠山が米国人として一人残っていたポール・ラッシュ教授に謹慎を命じ、翌日にラッシュが警察に連行されたことが記されている。

 また大学を経営する財団法人立教学院は、教育目的を「基督(キリスト)教主義」としていた。だが文部省から問題視され、42年9月、「基督教主義」の文言を削り「皇道ノ道」とした。チャペルも閉鎖した。さらに、教員の論文や講義内容などが監視された。

 遠山は出来事を簡潔に淡々と記している。だがその内容は「教会閉鎖。牧師を存せぬこと」などと、大学の自治がむしばまれてゆく過程を克明に示す。

 一方で、こうした国家主義的な外部の圧力に呼応する動きが学内にあったことも示唆している。「受難史観」だけでまとめきれない、戦時下における大学の複雑な実情が分かる。

 日誌は同大学関係者らによって研究されてきたが、学外には公開していなかった。また独特の崩し字で判読しにくく、活用は難しかった。そこで奈須恵子・同大学教授や豊田雅幸・同大学兼任講師ら編者5人は、日誌原文の判読や校訂、登場人物の特定など4年かけて刊行を実現させた。

 今回の刊行によって、広範囲な活用が可能となる。戦時下における大学の戦争体験について、研究の深化に寄与しそうだ。【栗原俊雄】
    --「刊行:立教大学長の執務日記 戦時下の受難、生々しく」、『毎日新聞』2013年06月24日(月)付、夕刊。

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書評:山口由美『ユージン・スミス 水俣に捧げた写真家の1100日』小学館、2013年。

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山口由美『ユージン・スミス 水俣に捧げた写真家の1100日』小学館、読了。本書は20世紀を代表する写真家の最後の仕事は『MINAMATA』(1975)。本書はスミスが水俣で過ごした3年間を、妻やアシスタントの証言をもとに、水俣での交友、撮影生活と思想、その人柄を明らかにする。

「写真を撮っている時間は少なかった」と水俣の人は言う。スミスは被写体との信頼関係を前提に自然な表情を写し取る。そして職人芸ともいえる紙焼き作業を経て連作する。写真には詩文やエッセイが添えられる……。それは所謂「組写真」といってよいだろう。

スミスが水俣を訪れたのは1971年、公害病認定から3年(発生の公式確認からは10年以上)。この時、水俣を訪れたカメラマンは単発的覗き見趣味取材がほとんど。それでも、世間にその悲劇を訴えたいと思う患者家族は協力を惜しまなかった。

スミスに限らず功名心は誰にもなくはない。しかし彼はそれから3年、水俣で過ごすことになる。写真のプロフェッショナルとしてだ。しかし、それは原田正純さんを想起させる「弱い方に立つ」立場である。

助手の石川武志は「ユージン・スミスが水俣に来ていなかったら、報道の写真は、もっと荒っぽくていいという考えのままだったと思う。つまり、どれだけ凄い被写体が撮れるか、ということ。でも、ユージンは違った」と証言する。

スミスが写真集に添えたメモ(信条)が印象的だ。

PHOTOGRPHY IS SMALL VOICE THAT CAN RIGHT NO WRONG,THAT CAN CURE NO ILLNESS, THAT CAN

なお、スミスの撮影した、有名な親子の入浴写真は現在では公開されていない。「水俣展」(96年)にその有名な写真は販促物に使われたが、雑踏で人々に踏まれるそれに両親はいたたまれなくなったという。ベンヤミンのいう複製技術時代の問題を考えさせられてしまう。

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ユージン・スミス: 水俣に捧げた写真家の1100日
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覚え書:「今週の本棚:松原隆一郎・評 『プライドの社会学』=奥井智之・著」、『毎日新聞』2013年06月23日(日)付。

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今週の本棚:松原隆一郎・評 『プライドの社会学』=奥井智之・著
毎日新聞 2013年06月23日 東京朝刊

 (筑摩選書・1680円)

 ◇根拠を求めて彷徨う心の実像に迫る

 年末からの株価急騰に多くの日本人が浮かれるのを見て、違和感を持つ人もいるのではないか。それほどまで我々のプライドは、不況で傷ついていたのか、と。

 実際、この間の日本の完全失業率は4%台半ばで、英米の8%台やドイツの6%近くと比較しても決して高率とは言えない。それでも私たちが失職に怯(おび)えるのには、戦後日本で国家や地域が誇りとしにくくなり、経済やその成長率にのみプライドを賭けてきたことがある。

 本書は、このように厄介な代物である「プライド」を、「社会学」の視点から分析する。けれどもその体裁は、いささか謎めいている。最近の社会学の論文なら、現実にかんする数量データや具体的事例を挙げ、そこから考察を始めるだろう。プライドにかんし、小さくとも明確な像を切り出す作業である。

 これに対して本書では、全十章に「自己」「家族」「地域」「階級」「容姿」「学歴」「教養」「宗教」「職業」「国家」のテーマが配されそれぞれに6つの小見出しが挿入されている(「はじめに」「おわりに」は各3つ)。つまり計60(ないし66)のエッセイが並ぶ。そしてそこに、社会学・心理学の古典やオースティン『プライドと偏見』に始まり、『源氏物語』『万葉集』から志賀直哉『暗夜行路』、近年の芥川賞作品からフォースター『眺めのいい部屋』までの現代小説、そして黒澤明「生きる」からワイダ「カティンの森」までの映画など、膨大な素材が縦横無尽にちりばめられるのだ。

 著者はこの体裁を、アドルノの『ミニマ・モラリア』にならった「アフォリズム的記述」と呼んでいる。どこから読み始めても、どこで読み終えてもよい。しかし私には、圧倒的な読書量とあらゆる書物を噛(か)み砕く膂力(りょりょく)で書き上げたエッセイの集積に映った。曖昧でも大きく、「プライド」の実像に迫ろうとするのだ。

 著者は述べる。

 わたしたちは皆、プライドに取り憑(つ)かれて生きている。

 私たちはみな、「理想の自己」を思い描いて「現実の自己」を作り変える。ときに自己を破壊するほどで、成功すれば眩(まばゆ)いばかりのプライドを持つことができる。しかしある人が自己を誇りすぎると、えてして他の人は鼻白んでしまう。高慢が鼻につくからで、それは戦争にもつながりかねない。ホッブスの『リヴァイアサン』は、そこで調停のために「国家」の創出が不可欠と説く。

 だが国家は、国内戦争を回避するにせよ、一方では国家間戦争を引き起こす原因となりうる。そのとき「国家は戦争に際して兵士からその生命を要求」(清水幾太郎)する。国民の生命を守るはずだった国家が、国民に生命を差し出せと脅すのだ。

 ここで著者は、奈良にかつて存在した宿「日吉館」の名物女将の古希祝い文集という貴重書を持ち出す。古寺巡礼が召集学生に流行(はや)った件を回想する青山茂は、「せめていまのうちに自らの国の確かな遺産をたしかめて置きたいというせっぱ詰まった気持ちに、当時の若者たちは駆りたてられていた」と書く。お国のために死なねばならぬのだから、お国が何なのか理解したかったのだろう。

 ここから、我々が「-のために」といって実感できる「-」は、集団でいえば家族からせいぜい地域までだということが分かる。仏サッカー選手ジダンの頭突き事件は有名だが、あれは母親ないし姉妹を侮辱されての仕返しだったらしい。しかし今や核家族すら減少して、単身者が増えている。故郷の美しい里山も失われつつある。プライドは、根拠を求めて彷徨(さまよ)っている。

 それゆえ「階級」や「容姿」、「学歴」や「宗教」がプライドの根拠とされるだろうことは、容易に想像がつく。けれどもそれらはしばしば対立をもたらし、社会を不安定化させる。マルクスは階級対立に注目したし、「傾国」は美女を指す。東大法学部による官僚制支配の弊害はかねて指摘され、宗教がテロを引き起こす可能性を秘めることは9・11やオウム真理教の事件でも明らかだ。

 だからこそ、日本人は「職業」に賭けたのだと見ることもできる。職業を「カネのため」ではなく、「職業のため」とするのだ。著者は言う。

 職人は、(1)自分自身に、(2)自分の技能に、(3)自分の作品にプライドをもつのである。

とすれば失業がプライドの喪失や精神疾患すらもたらすのも、もっともではある。失業とは、労働者が職人的な技能やその成果を社会から否定された状態なのだから。

 陰鬱な紹介になってしまった。けれども救いになるくだりも報告しておこう。著者は母校である奈良の高校(仏教校)の仏殿で、東日本大震災で被災した福島県南相馬市の中高生による合唱の奉納を聞いた。それは僧侶の読経よりも美しく、奇跡としかいいようのないものだったという。宗教とも異なり、ささくれだった心を溶かす瞬間が存在しうるということであろう。
    --「今週の本棚:松原隆一郎・評 『プライドの社会学』=奥井智之・著」、『毎日新聞』2013年06月23日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚:中村達也・評 『<脱成長>は、世界を変えられるか?』=セルジュ・ラトゥーシュ著」、『毎日新聞』2013年06月23日(日)付。


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今週の本棚:中村達也・評 『<脱成長>は、世界を変えられるか?』=セルジュ・ラトゥーシュ著
毎日新聞 2013年06月23日 東京朝刊

 (作品社・2520円)

 ◇自然に埋め込まれた人間のための倫理学

 六月初旬に来日したオランド仏大統領が、安倍首相との会談で合意した内容のひとつが原発の推進であった。さらには、核燃料サイクルや原発の共同開発・輸出に関しても協力することを確認したという。そしてその数日後、アベノミクスの成長戦略の中に、原発の活用を盛り込むことを、安倍首相が表明した。脱成長を提唱し、原発を<絶望のエネルギー>と呼ぶラトゥーシュが、こうした動きをはたしてどう見るのか。そんなことを思いながら本書を読んだ。著者のラトゥーシュは、現代フランスを代表する経済学者にして思想家。前作『経済成長なき社会発展は可能か?』をきっかけに、注目を集めるようになった。

 興味深いエピソードが、「日本語版序文」に記されている。訳者の中野氏とともに京都の竜安寺を訪れたときのことである。寺のつくばい(茶庭の手水鉢(ちょうずばち))に彫られている四文字「吾唯知足(われただたるをしる)」、つまり「知足のものは貧しといえども富あり、不知足のものは富ありといえども貧し」を発見したときの驚きを彼は語っている。当時執筆中であった本書の最終章「<脱成長>の道(タオ)」は、老子の「少欲知足」の教えを引用することから始まっているからである。あたかも竜安寺での発見を予期していたかのようである。前作の発想、つまり脱成長とポスト開発を引き継ぎつつも、本書で目論(もくろ)むのは、脱成長の倫理学を構想すること、グローバル化した現代消費社会のいささか節度を欠いた生活様式に歯止めをかけるための論理を探ることである。

 それというのも、人類全体の地球環境に及ぼす負荷は、すでに一九八〇年代半ば頃に生物圏の再生産能力を超えたらしいからである。例えば、エコロジカル・フットプリントで表現される人類による地球環境への負荷は、二〇〇八年時点で、許容限度の一・五倍にも達しているという。人間の生命と生活を支えるはずの経済活動が、人間の生存基盤である生命の世界を地球規模で蝕(むしば)んでいるのである。ラトゥーシュは、そもそも人間は根源的に自然や他の人間からの<負債>を抱えた存在であることを強調する。だからこそ、人間を、社会関係のみならず、地球生命系にも埋め込まれた存在として捉え直すべきだと主張する。あらゆる関係から切り離され孤立した合理的経済人(ホモ・エコノミクス)をモデルとする経済学のパラダイムは、もちろん退けられる。

 そうしたラトゥーシュの立場からすれば、ヨーロッパで広がる脱成長型のライフスタイルに関心を寄せるのはもちろん、ラテン・アメリカの先住民族の世界観を色濃く反映したエクアドル憲法(〇八年)とボリビア憲法(〇九年)に注目するのも、ごく自然のなりゆきであろう。エクアドル憲法には「自然の権利」が、ボリビア憲法には「聖なる大地の尊重」が謳(うた)われている。そして両憲法に共通するのは、際限ない経済成長の追求から距離を置き、「自然と調和し、人々と助け合いながら共に生きること」、自然と共同体との関係の中に身を置き、つましくも豊かな生活を目指すことである。ラトゥーシュは、そこに西欧近代の個人主義とは一線を画した共同体倫理を見ている。

 いまや地球規模にまで拡大してしまった産業文明と消費文明を捉え直すために、学問分野の壁を易々(やすやす)と乗り越え、地球上の諸地域に根ざす知恵を掘り当て、諸家のアイディアを架橋しながら歴史の流れを辿(たど)る。そうして編み上げられた巨大な一枚の織物のようなラトゥーシュの主張を読み解くために、巻末に付された訳者の懇切な解説は、恰好(かっこう)の道しるべとなっている。(中野佳裕訳)
    --「今週の本棚:中村達也・評 『<脱成長>は、世界を変えられるか?』=セルジュ・ラトゥーシュ著」、『毎日新聞』2013年06月23日(日)付。

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覚え書:「みんなの広場 日本は賢明な国であれ」、『毎日新聞』2013年06月19日(水)付。

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みんなの広場
日本は賢明な国であれ
主婦 62(福岡市西区)

 ヘイトスピーチ(憎悪発言)のデモが日本であったことに強い衝撃を受けた。日本は人権を尊重する社会だと思っていたからである。「朝鮮人を殺せ」「ガス室にたたき込め」など大声を出しているデモ隊に恐怖を感じた。今、その国の考えが自分たちと異なっても、反日デモがあっても、日本にいる人たちの存在を否定することは許されるものではない。されたら仕返しするというのはあまりにも子どもじみている。
 学校で暴言を吐いた結果、相手が亡くなり取り返しがつかなくなったケースは何例もある。学校で人権尊重の取り組みをしているのに、なぜ大人がヘイトスピーチをするのか。表現の自由は、相手がどんなに傷つこうと何を言ってもいいということではない。
 政府がグローバル化に対応できる人間育成を言うなら、ヘイトスピーチへの規制があってしかるべきで、私たちはヘイトスピーチに対して間違っていると言わなければならない。
 日本は賢明な国であってほしい。
    --「みんなの広場 日本は賢明な国であれ」、『毎日新聞』2013年06月19日(水)付。

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『第一回普選と選挙ポスター』=玉井清・著」、『毎日新聞』2013年06月23日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『第一回普選と選挙ポスター』=玉井清・著
毎日新聞 2013年06月23日 東京朝刊

 (慶應義塾大学法学研究会・6930円)

 選挙運動の候補者と党首のツーショット写真は今に始まったことではない。85年前の第1回男子普通選挙(衆院選)でも野党・民政党の候補は党首・浜口雄幸とのかかわりをさかんにポスターでアピールした。

 片や与党・政友会の党首・田中義一は不人気である。政友会の候補の中には代わりに人気のあった犬養毅をポスターに用いる者もいた。有権者が一挙4倍になった普選では初めてポスターやビラが選挙運動に大量使用され、全国の塀や電柱は2色刷りのポスターで埋め尽くされた。

 慶応義塾図書館に眠っていた当時のポスターなどから、イメージ選挙のはしりとなった第1回普選の諸相を読み解いたこの書である。2大政党はポスターに風刺漫画も用いて互いを「大道の邪魔もの」「私利党略」と罵(ののし)り合った。選挙費用の乏しい無産政党は共通意匠のポスターで候補者名を差し替えて用いた。民衆の本格的政治参加の熱を伝えるポスターや資料は、やがて来る政党政治の没落の予兆も映し出していた。

 昭和のモダニズム漂うバラエティー豊かなポスターによって初めて視覚化された政治である。口絵の豊富なカラー図版が楽しい。(時)
    --「今週の本棚・新刊:『第一回普選と選挙ポスター』=玉井清・著」、『毎日新聞』2013年06月23日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『永続敗戦論 戦後日本の核心』=白井聡・著」、『毎日新聞』2013年06月23日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『永続敗戦論 戦後日本の核心』=白井聡・著
毎日新聞 2013年06月23日 東京朝刊

 (太田出版・1785円)

 冷戦後世代のレーニン論で注目された社会思想学者による戦後論だ。

 戦後日本は、敗戦を「終戦」と言い換えるなどして、アジアに対する敗北を否認して、戦前からの意識を継続してきた。その意識を許し、支える米国には、徹底して「従属」してきた。中韓などに歴史問題で批判されると神経質に怒るが、政経安保の「対米従属」は平気。憲法を批判する勢力が、憲法を「押し付けた」米国と協調する。こうした、敗戦を否認するために従属を選ぶ思考形態を、本書は「永続敗戦」と呼ぶ。

 アジア諸国の台頭などで、「永続敗戦」思考の矛盾は臨界に達しつつある。政権が歴史問題で強硬になっても、米国などの注文で沈静化する仕組みは、それこそ永続敗戦的だ。しかし、今やこの仕組みが露骨に見えすぎて、不満を露(あら)わにする人も多い。たとえば、橋下徹大阪市長の「慰安婦」発言などはそうした不満を解消できても、世界中に非難されて、再度の「敗戦」を招きかねない。

 著者の専門外の話も多く、引用元などに違和感を持つ「プロ」もいるだろう。既視感のある議論も混じる。とはいえ、まさに今だからこそ読みたくなる本だ。(生)
    --「今週の本棚・新刊:『永続敗戦論 戦後日本の核心』=白井聡・著」、『毎日新聞』2013年06月23日(日)付。

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わが身を忘れて、心を浄めたときに、はじめて他人の心をも浄めることができた


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 この時、洗礼の子は、あのとき百姓女が手拭いをきれいに洗った時に、はじめて、テーブルがきれいにふけたことを思いだした。つまり、彼がわが身を忘れて、心を浄めたときに、はじめて他人の心をも浄めることができたのであった。
 なお、追剥ぎは言った--
 「だが、わしの心がかわったのは、おまえが死を恐れなくなった時からだよ」
 このとき洗礼の子は、百姓たちが台をしっかりと止めたときに、はじめて木をまげることができたのを思いだした。つまり彼が死を恐れなくなって、神のうちに自分の生活を見いだした時に、かたくなな心が折れたのであった。
 追剥ぎはまた言った--
 「わしの心がすっかり溶けてしまったのは、おまえがわしを憐れんで、わしの前で泣きだした時だった」
 洗礼の子は非常に喜び、追剥ぎを連れて、焼けぼっくいのおいてあるところへ行った。かれらがそばへ行った時には、最後の焼けぼっくいからもまた、りんごの木が芽ふきだしていた。そこで洗礼の子は、牛飼いたちのところで湿った薪が燃えついたときに、はじめて焚火が強く燃えだしたことを思いだした。つまり、彼の心が燃えだして、初めて他人の心に火を移したのであった。
 そして洗礼の子は--今こそ罪のつぐないのできたことを喜んだ。
 洗礼の子は、その一部終始をのこらず追剥ぎに話して、死んでしまった。追剥ぎはその亡骸を葬ると、こんどは自分が、洗礼の子からいいつけられたとおりの生活をはじめ、同じように人々を教えだした。
    --トルストイ(中村白葉訳)「洗礼の子」、『トルストイ民話集 イワンのばか 他八篇』岩波文庫、1966年、148-149頁。

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日曜日は子供の10歳の誕生日。

小学生になってからは、私個人として……要するにおもちゃの類ではなくして……彼に書籍をプレゼントするようにしているのですが、昨年のレッシングの『賢者ナータン』は理解するまでに少し時間がかかりましたので、今年は『トルストイ民話集』をプレゼントしました。

長いものでも数10頁なので、読んでくれるのではないかと思います。

少し親ばかをすると、小さい時から、本は大好きで、「読んだほうがいいよ」と諭すまでもなく、本はしっかり読んでいます。

トルストイとの出逢いが、彼の世界観、人生観を転換するひとつのきっかけになればと思います。

ともあれ、10歳の君、おめでとう。

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覚え書:「生まれ変わる動物園 [著]田中正之/標本の本 [著]村松美賀子・伊藤存 [評者]川端裕人」、『朝日新聞』2013年06月16日(日)付。


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生まれ変わる動物園 [著]田中正之/標本の本 [著]村松美賀子・伊藤存
[評者]川端裕人(作家)  [掲載]2013年06月16日   [ジャンル]科学・生物 


■展示だけじゃない、研究意欲も

 動物園は博物館法で定められた施設だ。社会的使命として「種の保存」「教育・環境教育」「レクリエーション」に加え「調査研究」がある。これまであまり強調されてこなかった役割で、長らく改善すべきだとされてきた。日本で2番目に古い京都市動物園で、変化の兆しがあるという。
 『生まれ変わる動物園』の著者は、執筆時は京都大学の准教授。しかし職場は京都市動物園。職員と机を並べ作業服も着る。見た目は飼育員そのものだが、その実、プロの研究者である。5年間の動物園勤務の中、著者はまず自分の専門である霊長類の認知実験に取り組む。タッチパネルのコンピュータを使い数の認識について調べるなど。また、飼育動物の夜間行動観察で、キリンが首を折って眠るのがせいぜい数分であると確認し、野生では難しいバクやヤブイヌの出産の観察を子細に行う。動物園での研究は、より深く動物を理解することから、飼育環境の改善や種の保存にもつながりうる。
 動物園には潜在的な研究者が他にもいる。好奇心旺盛で、担当動物を理解したいと願う飼育員たちだ。研究の方法を知るプロが核となって研究マインドが加速する様は読んでいて楽しく頼もしい。著者はこの春、京都市動物園の研究センター長に転身した。
 一方、博物館。京都大学総合博物館の地下収蔵室を解説した写真読本『標本の本』は、研究の場としての博物館を描き出す。博物館では学芸員が調査研究をする建前だが一部を除いて難しいと聞く。大学直属ゆえ研究への使命感が強い施設の収蔵庫は、標本を蓄積し研究することが動植物学・地学などを支えていると実感させる。
 動物園と博物館にはそれぞれ固有の事情がある。しかし、収集展示の流れの中に研究を含めると一本スジが通る。古都京都からの二つの報告に、力強い研究マインドの発露を感じた。
    ◇
 『動物園』化学同人・1785円/たなか・まさゆき▽『標本』青幻舎・3360円/むらまつ・みかこ いとう・ぞん
    --「生まれ変わる動物園 [著]田中正之/標本の本 [著]村松美賀子・伊藤存 [評者]川端裕人」、『朝日新聞』2013年06月16日(日)付。

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覚え書:「制度―人類社会の進化 [著]河合香吏 [評者]萱野稔人」、『朝日新聞』2013年06月16日(日)付。


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制度―人類社会の進化 [著]河合香吏
[評者]萱野稔人(津田塾大学准教授・哲学)  [掲載]2013年06月16日   [ジャンル]社会 


■進化史の根源に迫る長い射程

 私たちはさまざまな慣習や規則のなかで生きている。わかりやすい規則といえば法律だが、それだけが規則ではない。たとえば言葉を話すということ自体、言語規則にしたがうことで可能となる。子どもの遊びにもルールがあり、ルールがあるからこそ、その遊びに熱中する。私たちは大切な人が死ねば葬式をあげる。ただしこれは法律によって義務づけられているものではない。かといって葬式をないがしろにすることもできない。その意味で葬式は、明確な規則であるとまでいえないが儀礼化された慣習ではある。
 こうした慣習や規則を「制度」としてとらえ、それが人類社会においてどのように生成し、進化してきたのかを考察したのが本書である。本書の特徴を一言でいえば、可能なかぎり「制度」という言葉の意味を広くとり、人類が「集団で生きる」ということによって示す社会事象の根源的で本質的な性質を明らかにしようとしていることである。したがって、チンパンジーなどの霊長類と人類との比較研究などもそこには含まれており、本書が対象とするタイムスパンはとても長い。論集という性格上、扱われているテーマも幅広い。その広さと深さにおいて、本書はまさに人類進化史の根源に迫る射程をもっている。
 これまで制度が論じられるとき、その多くは「官僚制研究」のような個別の実証研究か、言説分析にもとづいた制度批判であった。とりわけ制度を「言語によって社会的に構成されたもの」として片づけるポストモダン思想の影響は大きかった。しかし言語も制度の一つである以上、それは「制度は制度によってつくられている」と述べているだけで、制度の生成や進化について実際には何も論じることができていない。こうした空虚なポストモダン的制度論と決別し、制度をめぐる議論をより深化させていくためにも、本書は必読の書である。
    ◇
 京都大学学術出版会・4410円/かわい・かおり 61年生まれ。東京外大アジア・アフリカ言語文化研究所准教授
    --「制度―人類社会の進化 [著]河合香吏 [評者]萱野稔人」、『朝日新聞』2013年06月16日(日)付。

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覚え書:「過熱する『憎悪』:識者に聞く 排除は国民の仕事--フリーライター・赤木智弘さん」、『毎日新聞』2013年06月19日(日)付。

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過熱する「憎悪」:識者に聞く 排除は国民の仕事--フリーライター・赤木智弘さん
毎日新聞 2013年06月19日 東京朝刊

 在日コリアンを汚い言葉で攻撃する「ヘイトスピーチ」の問題は、16日に東京・新大久保で行われたデモで「在日特権を許さない市民の会」(在特会)と反対派から逮捕者を出す事態に発展した。ヘイトスピーチはなぜ過激化したのか。また私たちはどう考えればよいのか。識者に聞く。

 経済成長が終わり、非正規雇用の増加などで閉塞(へいそく)感が強まる中、「在日」を標的とする在特会の運動が、鬱積している不満のはけ口として一部で共感を呼んでいる。彼らがよりどころとする「民族」「国籍」は何の苦労もなく手に入り、揺るがない。第一次世界大戦後、超インフレに苦しみ没落していくドイツ人中間層が、すべてをユダヤ人の責任に帰すナチスを支持した状況とも重なってくる。

 とはいえ、彼らの言葉はどんなに汚くても「言論」である。ヘイトスピーチを法律で禁じようという議論もあるが、言論に法規制はなじまない。ヘイトスピーチを「国籍や性別など固有の属性に基づく差別」などと法で厳密に定義すれば、反対派による暴言は「定義に外れる」として許容されかねない。一方、定義をあいまいにしておけば、国家による表現の自由への際限ない介入を許す。

 今の日本人は職場と家庭に引きこもり、その外側で起きている現象への関心や想像力を失っている。地域や社会で人間関係を強め、属性の異なる人々と付き合っていく中で、差別を許さない言論を地道に鍛えていくほかない。ヘイトスピーチを排除するのは、国家権力ではなく国民の仕事なのである。(談)

==============

 ■人物略歴

 ◇あかぎ・ともひろ

 1975年栃木県生まれ。論文「『丸山眞男』をひっぱたきたい 31歳、フリーター。希望は、戦争。」が話題に。著書に「若者を見殺しにする国」。
    --「過熱する『憎悪』:識者に聞く 排除は国民の仕事--フリーライター・赤木智弘さん」、『毎日新聞』2013年06月19日(日)付。

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覚え書:「おかしなジパング図版帖―モンタヌスが描いた驚異の王国 [著]宮田珠己 [評者]三浦しをん」、『朝日新聞』2013年06月16日(日)付。

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おかしなジパング図版帖―モンタヌスが描いた驚異の王国 [著]宮田珠己
[評者]三浦しをん(作家)  [掲載]2013年06月16日   [ジャンル]アート・ファッション・芸能 


■こんなお辞儀見たことないよ

 図版がたくさんの楽しい本。なんの絵が載っているかというと、主に、「1669年にオランダ人モンタヌスが著した『日本誌』の挿絵」だ。
 当時のヨーロッパでは、未知の国の文化や風俗への関心が高まっていた。そこでモンタヌスは、挿絵をふんだんに使った本を出版し、好奇心旺盛な読者に「日本」の情報を伝えようとしたのだった。
 問題は、モンタヌスには来日経験がなかったことだ。文献を収集し、実際に日本を見たことのあるひとに話を聞き、と精いっぱいの努力はしたのだが、できあがった本の挿絵はどうしたってヘンテコになった。いま見ると、これらの絵が爆笑の不可思議日本を形成しているのである。
 海外のひとにとっては、「お辞儀」が奇異なものに映るらしい。『日本誌』のなかにも、お辞儀をする日本人があちこちに描かれるのだが、立ったまま体のまえで両腕をぶらんと下げ、腰を折っている。「立位体前屈をするも、体が硬くて地面に全然手が届かないひと」みたいだ。こんなお辞儀、見たことないよ!
 著者の宮田氏は挿絵の隅々にまで目をこらしており、「茄子(なす)のヘタのような兜(かぶと)」をかぶるサムライなど、妙ちくりんな人物を次々に発見し、楽しく紹介してくれる。建物も乗り物も着物も、ほぼすべてが変で、過去の日本ではなく、べつの惑星の光景を眺めているかのようだ。
 だけど、いやな感じはしない。情報を速く正確に伝達できるようになった現在でも、未知の国やひとや事物について、一方的な思いこみやイメージを抱いてしまうことはよくある。モンタヌスを笑えないなと思ったし、資料と想像力を武器に、見知らぬ世界になんとか迫ろうとした当時の人々の、情熱と好奇心と冒険への憧れの念に、なんだか胸が熱くなった。
 「こんなトンチキ日本に住んでみたかった」と、つい思ってしまう一冊だ。
    ◇
 パイ インターナショナル・1995円/みやた・たまき 64年生まれ。作家・エッセイスト。
    --「おかしなジパング図版帖―モンタヌスが描いた驚異の王国 [著]宮田珠己 [評者]三浦しをん」、『朝日新聞』2013年06月16日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013061600006.html:title]


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おかしなジパング図版帖 -モンタヌスが描いた驚異の王国-
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覚え書:「南無ロックンロール二十一部経 [著]古川日出男 [評者]佐々木敦」、『朝日新聞』2013年06月16日(日)付。


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南無ロックンロール二十一部経 [著]古川日出男
[評者]佐々木敦(批評家・早稲田大学教授)  [掲載]2013年06月16日   [ジャンル]文芸 


■時の断層をつなぐ、巨大で真摯な物語

 あの「二〇一一年三月十一日」によって、福島出身の古川日出男は、小説家としての根本的な転生を強いられることになった。それは無論自ら望んでのことではない。意識的な選択でさえなかったかもしれない。だが、その後に書かれた『馬たちよ、それでも光は無垢(むく)で』や『ドッグマザー』、現在も継続中の朗読と音楽による「銀河鉄道の夜」のプロジェクトには、彼の不可逆的な変貌(へんぼう)が刻印されている。では古川は、それ以前とはまったく違う作家になったのか。そうではない。彼は確かに変わった。だが変わらない、変わりようのないものもある。本作は、そのことをまざまざと教えてくれる。
 巨大で複雑な小説である。三つのパートから成る「書」が七つ積み重ねられる。だから「二十一」。「私」が、病室で昏々(こんこん)と眠り続ける「彼女」を見舞う「コーマW」。牛頭馬頭(ごずめず)の怪物に占拠された、いつとも知れぬ荒廃した「東京」を舞台に、「お前」と呼ばれる存在が、獣たちから人間へと7度生まれ変わる「浄土前夜」。そして六つの大陸と一つの亜大陸で「ロックンロールの物語」が壮大に奏でられる「二十世紀」。一見バラバラにも思える三つのパートが、読み進むうちに有機的に絡み合ってゆき、読者は思いも寄らない場所へと連れてゆかれることになる。それは、わたしたちの、そして古川日出男の現在である「二十一世紀」よりも以前、あの「三月十一日」でも「九月十一日」でもない、「二十世紀」の終わりの忌まわしく痛ましい出来事、それが起こった、起こってしまった場所である。
 ひどく曖昧(あいまい)な書き方をお許しいただきたい。この複雑で巨大な小説が、荒唐無稽な想像力の限りを尽くして、最終的に「何」を描こうとした作品なのか、ここではっきりと述べるわけにはいかない。それは読んでもらうしかない。ただ、最後のページに至った時、私はほとんど茫然(ぼうぜん)としていた。かつてこのような規格外の方法で、あの事件に取り組んでみせた小説があっただろうか。感嘆するとともに、なぜ古川日出男が、彼の郷里である「東北」を主題とする2008年発表の傑作『聖家族』に匹敵するヴォリュームで、この小説を書いたのか、いや、書かねばならなかったのか、考えざるを得なかった。
 それはおそらく「二十一」と「二十」の間に横たわる深い断層を、あらためて縫合する、ということだったのではないか。すなわち「二〇一一年三月十一日」以後の現在から「一九××年」の「あの日」を捉え返すこと……災厄は、悲劇は、時間を、以前と以後に分割する。だが実のところ時間は連続している。この巨大で複雑で大胆で真摯(しんし)な「ロックンロールの物語」は、そのことを教えてくれる。
    ◇
 河出書房新社・2520円/ふるかわ・ひでお 1966年生まれ。作家。『アラビアの夜の種族』で日本推理作家協会賞。『LOVE』で三島由紀夫賞。主な著書に『ボディ・アンド・ソウル』『gift』『ベルカ、吠(ほ)えないのか?』など。
    --「南無ロックンロール二十一部経 [著]古川日出男 [評者]佐々木敦」、『朝日新聞』2013年06月16日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013061600004.html:title]

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南無ロックンロール二十一部経
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書評:上林陽治『非正規公務員という問題 問われる公共サービスのあり方』岩波ブックレット、2013年。

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上林陽治『非正規公務員という問題 問われる公共サービスのあり方』岩波ブックレット、読了。その陣容が無駄の象徴と指摘されるものの安定した職種というイメージの地方公務員。しかしその内実は3人に1人が非正規の職員だという。本書は、市民の日常を支える雇用現場の不安定な実態を報告する。

非正規雇用増大の背景は、地方財政の逼迫と行政サービスの増大。正規公務員を減員し、非正規で補っている。仕事内容は正規と同じ(若しくは以上)にもかかわらず、任用は1年以内でフルタイムで働いても年収200万に届かないのが殆どという。

例えば、、、
クラス担任を持ち、サッカー部の顧問ベテラン「臨時教員」。勤務経験も長く、学校から見れば安心で手放せない存在だし、生徒・保護者からすれば臨時/正規の差はない。しかし給与は正規教員の半分に満たないし、次年度任用決定は新年度が始まってから。

人が足りないことが充分な公共サービス提供を阻害し、制度自身の信頼性を損なわせている。それは、公共サービスに対する不信が、公務員の信頼喪失に連動する負のスパイラルとなっている。本書の報告はこと公務員に限定される問題ではない。

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覚え書:「書評:素顔の新美南吉 斎藤卓志 著」、『東京新聞』2013年06月16日(日)付。


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素顔の新美南吉 斎藤卓志 著

2013年6月16日

◆壮絶、哀切な晩年活写
[評者]宮川健郎=武蔵野大教授
 新美南吉は一九一三年、現在の愛知県半田市に生まれた。旧制中学のころから文学に関心をもち、雑誌に投稿する。児童雑誌『赤い鳥』には、童謡が二十三編、童話が四編掲載された。いま、全社の小学校国語教科書にのっている「ごん狐」も最初、『赤い鳥』に掲載された。その後、東京外国語学校(現在の東京外語大)入学のために上京し、卒業後、東京で職を得るが、喀血(かっけつ)して帰郷する。
 本書は、その新美南吉の評伝である。帰郷後、二十四歳で安城高等女学校教諭になってから、二十九歳で亡くなるまでを中心に書いている。
 教師としての南吉は、作文指導に熱心だった。予餞会(よせんかい)のために戯曲も書いた。心ひかれる女生徒がいたり、結婚を考えた女性がいたり、青年教師らしい日々が描かれる。また病がしのびよってくるが、南吉は執筆をつづける。死の前年に童話集『おじいさんのランプ』が刊行され、没後に出版された二冊の童話集のための作品も書いた。著者は、南吉の日記や書簡、教え子らの証言などの資料を駆使して、早すぎる晩年の南吉を活写する。死を前にして、それでも書きつづける南吉のすがたは、壮絶であり哀切だ。
 ことしは、新美南吉生誕百年。南吉童話は読みつがれている。著者が南吉の晩年の作品をどう読むのか、それをもっと知りたいと思った。
 さいとう・たくし 民俗学者。著書『世間師・宮本常一の仕事』など。
(風媒社・2310円)
◆もう1冊
 『新美南吉童話集』(千葉俊二編・岩波文庫)。「ごん狐」「おじいさんのランプ」など、南吉の作品十四篇を収録。
    --「書評:素顔の新美南吉 斎藤卓志 著」、『東京新聞』2013年06月16日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013061602000168.html:title]


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素顔の新美南吉―避けられない死を前に
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覚え書:「書評:連続する問題 山城むつみ 著」、『東京新聞』2013年06月16日(日)付。


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連続する問題 山城むつみ 著

2013年6月16日

◆加害者性の自覚迫る
[評者]井口時男=文芸評論家
 このところの中国・北朝鮮・韓国とのトラブルの多くは、近代日本史の「後遺症」に起因している。戦争と植民地支配が終わって七十年近いが、傷口は双方になお癒えず、感情的反発を誘発している。政治はそれを利用する。
 本書は雑誌連載された時評的エッセイを集成したもの。話題は文学を中心に多岐にわたるが、「連続する問題」というタイトルは中野重治のエッセイからの借用である。中野はそこで、一九七〇年代に入ってなお未解決のまま残る戦前・戦後史の諸問題を指摘した。著者には、それらがさらに四十年後の今日にも「連続」しているという認識がある。
 過去の出来事によって心が深くこうむった「傷=後遺症」は、目をそむけず、冷静に認識し対象化することでしか治癒しない。フロイトはそう述べた。
 目をそむけたくなるのは、被害者としての過去よりも、むしろ、加害者としての過去である。しかし、シベリヤのラーゲリで八年間の理不尽に耐えた詩人・石原吉郎の言葉を著者は引く。「<人間>はつねに加害者のなかから生まれる」。自分自身の加害者性を自覚できる者だけが、かろうじて単独の<人間>として立ち上がる可能性を持つ、という意味だ。
 著者の考察は、論理的であろうとする姿勢で貫かれている。それが批評家の倫理である。
 やましろ・むつみ 1960年生まれ。文芸評論家。著書『転形期と思考』など。
(幻戯書房・3360円)
◆もう1冊
 吉本隆明著『マス・イメージ論』(講談社文芸文庫)。文芸・漫画・歌謡などを通じて、変容する時代と文化を解読。
    --「書評:連続する問題 山城むつみ 著」、『東京新聞』2013年06月16日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013061602000169.html:title]

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覚え書:「過熱する『憎悪』:ベビーカー押してヘイトスピーチ 反対派との衝突激化 差別あおる真意は?」、『毎日新聞』2013年06月18日(火)付。

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過熱する「憎悪」:ベビーカー押してヘイトスピーチ 反対派との衝突激化 差別あおる真意は?
毎日新聞 2013年06月18日 東京朝刊


怒声が飛ぶ中、日章旗や旭日旗を掲げて集合場所の公園を出発するデモ隊=東京都新宿区で2013年6月16日午後3時3分、小泉大士撮影
拡大写真
 特定の民族や人種を汚い言葉でののしる「ヘイトスピーチ(憎悪表現)」。在日コリアンが多く住む地域を中心に昨年から毎週のようにデモが行われ、16日にはカウンターと呼ばれる反対派との衝突で逮捕者も出る事態となった。日章旗や旭日旗をはためかせ、差別をあおる真意は何なのか。現場を歩いた。【小泉大士】

 「ゴキブリ、ウジ虫、朝鮮人。お前らを一匹残らずたたきつぶす」

 16日午後3時。韓国料理店や韓流ショップが並ぶ東京・新大久保の大久保通りで在日コリアンの排斥を掲げるデモが始まった。

 拡声機で激しい言葉を浴びせるのは、デモの主催者で「行動する保守」を掲げるグループ「新社会運動」の桜田修成氏。インターネットの告知や口コミで集まった参加者は約200人(警視庁調べ)。20-30代を中心に男性が約8割を占めるが、女性会社員風や年配女性、ベビーカーを押しながらの女性もいる。

 「いつまで差別を楽しむのか。恥ずかしくないか」。怒声を上げたのは、今年1月に音楽業界の関係者らで発足した「レイシスト(差別主義者)をしばき隊」ら反対派。「それは主張やない ただの暴言や」などと書かれたプラカードを歩道で無言で掲げる「プラカ隊」なども合わせ約350人に上る。

 小競り合いで顔から血を流した男性も。「帰れ、帰れ」。反対派のシュプレヒコールが過熱すると、機動隊員が「朝鮮人ハ皆殺シ」などと書かれたプラカードを持って行進するデモ隊との間に割って入った。

 「差別主義者は恥を知れ」というプラカードを持ったフリーターの男性(25)は「表現の自由としては度が過ぎる」。「憎悪の連鎖は何も解決しない」という横断幕を広げた別の男性も「弱い者いじめに過ぎない」と話した。通り沿いで飲食店を経営する韓国人男性(45)は「韓国で報道されたら、誤解が広がり反発を招く」と顔をしかめた。

 この日のデモでは「在日特権を許さない市民の会(在特会)」会長、高田(通称・桜井)誠容疑者(41)ら8人が暴行容疑で警視庁に逮捕された。同会は2010年8月、京都市の京都朝鮮第一初級学校の授業中に「朝鮮学校をたたき出せ」などと大音量で侮辱を繰り返したとして、幹部ら4人が威力業務妨害容疑などで逮捕されている。 

 16日に新宿署に押しかけ、不当逮捕だと抗議していた男性はヘイトスピーチについて「愛国心の強い人がネットで真実を知って立ち上がった。竹島を侵略する韓国人への対抗だ」。同会の広報担当者は今年3月の毎日新聞の取材に対し「推奨しているわけではない。何がヘイトスピーチなのか明確な定義はなくデモの表現としてあっていいと思う」と答えた。抗議は17日も数十人規模で続いた。

 6月8日の京都市を皮切りに4回のデモを取材した。「マスコミは信用できない」という理由で、現場で取材を受けてくれる参加者はまれだった。ネットを通じて歴史問題に関心を持った人が多いとされ、「偏向報道」と批判するメディアも「ヘイト」の対象となっていた。

 フリー編集者で「しばき隊」の野間易通さん(46)は在特会などのデモについて「公正な社会を破壊する言論であり暴力そのもの」。京都のデモで「差別反対」というプラカードを掲げていた大学院生(24)はこう言った。「単純に言ってはいけないことを言っている。それでやめさせる運動に加わりました」

過熱する「憎悪」:ベビーカー押してヘイトスピーチ ネットの「まつり」路上へ--ジャーナリスト・安田浩一さん
毎日新聞 2013年06月18日 東京朝刊

 在特会を長く取材してきたが、最近の運動は「娯楽」の要素を強めている。16日のデモでは「朝鮮征伐大行進」や、デモの主催者の名を冠した「桜田祭り」という言葉があり、不快感を覚えた。以前は、内容には共感できなくとも「奪われた権利を取り戻す」という彼らなりの「危機感」があった。

 参加者は、必ずしも「貧しく仕事がない若者」ばかりではない。サラリーマンや主婦、公務員など多様だ。ただし「自分たちは被害者」という意識は共通する。社会の主流から排除され、言論は既存メディアに奪われ、社会福祉は外国人がただ乗り--という思い込みや憎悪でつながる。

 彼らをつなげているのがインターネットだ。ネット上で個人を攻撃する「まつり」を、そのまま路上へ持ち出している。攻撃の対象は「在日」でなくとも、「マスゴミ」「生保(ナマポ)」(生活保護受給者)でもいい。

 彼らは「愛国者」を自称しているが、本当は「国から愛されたいと渇望する者たち」ではないか。経済成長が望めず、社会が不安定化する中で、自分たちが守られているという実感を求めている。だがそこには、自らが傷つけている他者の痛みへの想像力と、差別者だという自覚が決定的に欠けている。(談)

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 ■人物略歴

 ◇安田浩一(やすだ・こういち)

 ジャーナリスト。1964年静岡県生まれ。週刊誌、月刊誌記者を経てフリーに。在特会を追いかけたルポ「ネットと愛国」(講談社)で講談社ノンフィクション賞を受賞している。
    --「過熱する『憎悪』:ベビーカー押してヘイトスピーチ 反対派との衝突激化 差別あおる真意は?」、『毎日新聞』2013年06月18日(火)付。

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[http://mainichi.jp/select/news/20130618ddm041040110000c.html:title]

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覚え書:「今週の本棚:三浦雅士・評 『ヤマネコ・ドーム』=津島佑子・著」、『毎日新聞』2013年06月16日(日)付。


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今週の本棚:三浦雅士・評 『ヤマネコ・ドーム』=津島佑子・著
毎日新聞 2013年06月16日 東京朝刊

 (講談社・2100円)

 ◇混血孤児の謎の事件に“現在”を問う力作長篇

 小説の現在を問う力作。

 「ミッチ、あなたはとにかく、日本に戻ってきた。外国のどこかで、あなたはテレビを見た。自分の眼(め)が信じられない、巨大すぎる津波の映像。それだけでもじゅうぶん、この世の終わりだと感じていたら、つづけて、四つもの原子力発電の施設が爆発したという。」

 冒頭の一節。ミッチは戦後日本を象徴するアメリカ兵が残した混血孤児。あなたと呼びかけているのは一歳年下のヨン子。ミッチには双子のようにして育ったカズがいる。四歳のときに一緒に「ホーム」からママのもとに引き取られた。ママの従妹(いとこ)がヨン子の母で、彼女たち二人は「ホーム」を経営している「朝美母さん」を助けていたのだ。

 「ホーム」にはさまざまな肌の混血孤児がいて、成長するとともに世界各地に分散する。養子にもなれば留学もする。成功もすれば失敗もする。ベトナム戦争に従軍して行方不明にもなる。作者は一九四七年生まれ。混血孤児は作者と世代をともにするが、本質的に国際性を帯びている。物語は、ヨン子、ミッチ、カズの三人の視点から縦横に語られてゆくが、その視点の背景につねに「ホーム」がある。

 「ヤマネコ・ドーム」は、五〇年代、アメリカがビキニ環礁ほかで行った核実験の汚染物質を集めて現地に作った巨大ドームを示唆する。福島原発事故と呼応するが、しかし題材の今日性がこの小説を力作にしているのではない。

 「ドーム」は同時に混血孤児たちが体験したある事件を象徴している。孤児たちはよくヨン子の家に遊びに来ていたが、ある時、近所の池で孤児のひとりのミキちゃんが溺死した。そのとき傍(そば)に立っていたのが近くに住む母子家庭の子、ター坊だった。孤児たちは池の周辺でカクレンボをしていたらしい。フランス人形のように可愛かったミキちゃんはそのときオレンジ色のスカートをはいていた。

 事件は事故死とされたが、ター坊が突き落としたとする噂(うわさ)が立った。ター坊の母は、ター坊が精神障害を抱え、オレンジ色に過剰に反応することから、その犯罪を確信し、被害者の位牌(いはい)を手作りして拝みつづけている。ミッチたち三人も、以後、間歇(かんけつ)的に続くオレンジ色にまつわる通り魔殺人事件に注目している。ター坊はここで放射能に等しい意味を帯びている。

 ター坊の母は大陸からの引揚者だったらしい。事件当時、ター坊は九歳、ミッチとカズは八歳、ヨン子とミキちゃんは七歳。ター坊にしても「ホーム」の仲間になってもおかしくなかった。いや、いっとき、ター坊も仲間に加わっていたのではなかったか。

 こうして、小説の隠された主題が明らかになってくる。噂はター坊を犯人とするだけではない、黒い肌のカズ、緑色に眼が光るミッチをも犯人に数え入れていたのである。のみならず、そうであったかもしれないと、カズ自身、ミッチ自身、あやふやな記憶に秘(ひそ)かに怯(おび)えていた。まるで推理小説だが、しかし、小説を力作にしているのは、犯人は誰でもありうるというこの謎を、言語そのものの仕組みと重ね合わせている点にこそある。

 カズとミッチとヨン子は、別々の体験をしているにもかかわらず、まるでその体験を取り換えることができるかのように感じている。感情移入である。まさに文学の力だが、それはしかし人間の責任というものを再考させずにおかない。

 小説の仕組みは、ヒロシマもフクシマもほんとうはあなたが惹(ひ)き起こした事件だったのではないかと問うているに等しいのである。

 力作の理由だ。
    --「今週の本棚:三浦雅士・評 『ヤマネコ・ドーム』=津島佑子・著」、『毎日新聞』2013年06月16日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚:若島正・評 『本読みの獣道』=田中眞澄・著」、『毎日新聞』2013年06月16日(日)付。


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今週の本棚:若島正・評 『本読みの獣道』=田中眞澄・著
毎日新聞 2013年06月16日 東京朝刊


 (みすず書房・2940円)

 ◇古本に生命を吹き込む“語り部”の魔力

 小津安二郎の研究家として知られた著者が、前著『ふるほん行脚』に続いて、雑誌『みすず』に連載していた古本探訪記を中心にまとめたのが本書『本読みの獣道(けものみち)』である。自称「古本主義者」の田中眞澄は、「書物の真価は新しきが故に尊しとせず」として、新刊書店を避け、あえて古本屋をたずねて巡り歩く。それはなにも、めったに入手できないような高額の稀覯(きこう)書を求めているわけではない。それとはまったく逆で、いかにも一徹の古本主義者らしく、店先に並んでいる百円均一本、あるいは著者の言葉を借りれば「雑本」、それこそがお目当てだ。「そこから随時随意に引き抜いた無限定の雑本にこそ、読書という行為の無償の本懐があると知らねばならない」。店の中に入っても、目についた本を何冊か選び出した後に、千円以上のものは棚に戻すのが田中眞澄の流儀である。

 こうして、どこの古本屋で、何をいくらで買ったかという情報と、短い内容紹介および読んでからの感慨(田中眞澄は、買った本をすべて読むという制約を自らに課している)を綴(つづ)ったのが、二〇〇三年から著者が亡くなる二〇一一年まで続いた連載「ふるほん行脚」のすべてである。そこで取り上げられる本は、ジャンルも限定されないし、新聞の書評欄で取り上げられるような話題書ではない、文字どおりの雑本で、おそらくどんな読者にとっても、そのうちの八割から九割くらいは聞いたことがないような本ばかりである。そんな雑本の話が、どうしてこんなにわたしを惹(ひ)きつけるのか。なにしろわたしは、あまりのおもしろさに、『ふるほん行脚』と『本読みの獣道』をどちらも二度通読してしまったほどなのだから。

 田中眞澄はひたすら歩く人である。それこそ全国津々浦々、知らない古本屋はないのではないかと思わせるほど、旅先でも古本を訪ね歩く。『ふるほん行脚』では、京都にあるわたしのなじみの古本屋で、そこのおばさんと立ち話をするくだりまで出てきて、唖然(あぜん)としてしまった。古本には自然と歴史が刻み込まれるように、こうして田中眞澄の古本探訪記は自然と現れては消える古本屋の浮き沈み、ひいては町の変遷を映し出す鏡となる。さらには、歩くこと、本を選び出すこと(これを「抜く」という)、そうした身体の運動が、田中眞澄が書く独特な文章の運動へとつながっている。これが本書の大きな魅力だ。「書くこともコトバの芸能と考える」田中眞澄は、こうして古本の語り部となる。

 こう言ってさしつかえなければ、田中眞澄が雑本を眺める目は、おそらく彼が人間を眺める目と同じである。本書に収められた、煙草(たばこ)をめぐるエッセイ「一切合切みな煙」で、「人はすべて死す。どっちみち。遅かれ早かれ。例外はない。……煙草を吸おうが吸うまいが、平等に人は死ぬ」と書かれている言葉を敷衍(ふえん)するなら、どんな本でも遅かれ早かれ、平等に古本になるのである。田中眞澄は楊逸の『時が滲(にじ)む朝』を百五円(消費税が付いているところにご注目。ここにも時代の移り変わりがある)で買って、こう漏らす。「三刷といえど、芥川賞とりたて作品が三カ月後にこの値付けとは」

 古くさい比喩で恐縮だが、バナナの叩(たた)き売りよろしく、店先に投げ出されている百円均一本は、いわば本の墓場にうっちゃられて死んだ本たちである。ところが、田中眞澄が「抜く」ことによって、死んだ本たちがよみがえって語り出すかに見える。抑圧され忘れられた人たちの物語が、歴史を超えて今ここに追体験されるかに見える。それが語り部としての田中眞澄の魔力であり、わたしはそこに魅惑されたのだ。

 「正直に人間の愚かさ、弱さを抱え込んでこそ、文学が成り立つ」と田中眞澄は書く。その文学観は、愚かさや弱さをさらけだした雑本たちを平気で自分の懐に招き入れる、彼の古本道となんとよく似通っていることだろうか。その意味で、本書は優れて「人間的」なのである。

 「ふるほん行脚」とは別に、本書のもう一つの柱は、「『戦後』という時代の子」である著者が、五〇年代に読んだアンデルセン童話や『若草物語』などの児童文学を古本で買って読み直し、その中に刻印されていた当時の「児童」のイメージに託されたものを発見する第一部であり、比較的年代の近いわたしには圧倒的に共感するところが多いのだが、「批評なき懐古を禁じ手とする」著者に倣って、安易なノスタルジアをここで綴ることはやめておきたい。

 それにしても、『本読みの獣道』とは、よくぞ言ったものだ。どんなガイドブックにも載っていない、道なき道を田中眞澄は一人で歩いて切り開いた。どこまでも在野のアマチュアたらんと自らを思い定めた、「あえて志に殉ずる」その軌跡をたどっているうちに、わたしたち読者には、田中眞澄が巨大な獣のように見えてくるのだ。
    --「今週の本棚:若島正・評 『本読みの獣道』=田中眞澄・著」、『毎日新聞』2013年06月16日(日)付。

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本読みの獣道 (大人の本棚)
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覚え書:「記者の目:生活保護法改正案=遠藤拓(東京社会部)」、『毎日新聞』2013年06月19日(水)付。


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記者の目:生活保護法改正案=遠藤拓(東京社会部)
毎日新聞 2013年06月19日 10時39分

 ◇現場の不安に向き合え

 新しい「最後のセーフティーネット」は、各地で相次ぐ餓死や孤立死といった悲劇を未然に防げるのだろうか。

 1950年の施行以来初となる生活保護法の抜本改正案が、終盤を迎えた国会で審議されている。働く受給者への支援を手厚くして生活保護からの脱却を促す一方、親族の扶養義務を強調する内容だ。厚生労働省は「必要な人に確実に保護を実施する考えを維持しつつ、制度が国民の信頼に応えられるようにする」と説明するが、改正案は受給者への締め付けを強めたような印象を受ける。必要とする人が受けやすくなったとは言い難いのではないだろうか。

 ◇バッシング受け、受給者引き締め

 改正案の中身はこうだ。就労による自立を促すため、生活保護から脱却した時点で支給する給付金を創設する。保護の申請時には、扶養義務がある親族の状況を記した書面の提出を義務付ける。自治体については、親族に扶養状況の報告を求めることを可能とし、親族の財産や収入に関する調査権限も拡大する--。

 民法の規定により、両親や祖父母、子ども、孫といった直系血族と兄弟・姉妹には、互いの暮らしを助ける義務がある。保護の要件ではないが、改正案ではこの扶養義務が大幅に強調されることになった。また、改正案は受給者に健康保持や家計管理の努力義務を課し、安価な後発医薬品(ジェネリック)の利用を促すとともに、不正受給に対する罰則を引き上げている。

 受給者側を引き締める条文が並んだ背景には、昨春から続く「生活保護バッシング」があるのだろう。芸能人が生活保護を受ける母親への扶養義務を果たさなかったことが、不正受給であるかのように批判され、自民党も生活保護に厳しい姿勢を打ち出した。厚労省は法改正が締め付け一辺倒とならないよう模索してきたが、流れを変えるものにはならなかった。

 これに対し、当事者や支援団体の声は一様に切実だ。「国は『最後のセーフティーネット』を刑務所に任せようとしているのか」。改正案が閣議決定された5月17日、ドメスティックバイオレンス(DV)被害にあった元受給者の女性は首相官邸前で抗議した。改正が実現すれば、DVから逃げた自分のような女性は、元夫との接点ができることをおそれて受給をあきらめ、食べるのに困って犯罪に手を染めてしまうかもしれないという趣旨だった。 

 「法改正により、窓口で申請を門前払いする『水際作戦』が強化される」。多くの支援団体はそう指摘する。厚労省は否定するが、私もNPO法人「自立生活サポートセンター・もやい」の協力で、何度か生活保護の申請に同行した経験から、同じ危惧を抱く。生きる糧を失った人々にとって、自治体のケースワーカーは生殺与奪の権を握った「絶対権力者」だ。悪意はなくても、彼らが扶養義務を強調すれば、家族との関係がこじれた人に申請を自粛させるのはそう難しくない。

 ◇「弱者だけ排除」担当者も懸念

 意外なことに、自治体関係者も、改正案を必ずしも肯定的にはとらえていない。「就労による自立促進は評価できるが、扶養義務に関して調べることが増え、ただでさえ人手が足りない職場をさらに忙しくする」。ケースワーカーを指導する立場にある中核市の査察指導員の感想だ。東京都区部のワーカー経験者は「悪意のある不正受給を察知できないまま、立場の弱い申請者だけが排除されるおそれがある」と警鐘を鳴らす。ある県の関係者は「しゃくし定規に運用すれば、間違いなく水際作戦の強化につながる」と認めた。

 立場こそ違うが、受給者側と自治体側は法改正の影響をもろに受けることになる。だから思う。厚労省は本当に、こうした現場からの声を法改正に生かそうとしたのか、と。振り返れば受給者も自治体の実務担当者も、制度見直しを議論する社会保障審議会(厚労相の諮問機関)特別部会の委員に含まれていなかった。制度の抜本見直しにはそれで事足りると判断したならば、残念だというほかない。

 生活保護受給者は3月時点で216万人超と過去最多を更新し続けている。改正案とセットで国会審議が続く「生活困窮者自立支援法案」が成立し、一歩手前で踏みとどまる仕組みが整っても、生活保護の重要性は変わらない。

 厚労省は改正案成立をゴールと思わず現場の不安や懸念に向き合ってほしい。張り替えた安全網が機能不全を起こすのを見たくはない。
    --「記者の目:生活保護法改正案=遠藤拓(東京社会部)」、『毎日新聞』2013年06月19日(水)付。

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[http://mainichi.jp/opinion/news/20130619k0000e070174000c.html:title]

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覚え書:「今週の本棚:井波律子・評 『図書館に通う-当世「公立無料貸本屋」事情』=宮田昇・著」、『毎日新聞』2013年06月16日(日)付。


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今週の本棚:井波律子・評 『図書館に通う-当世「公立無料貸本屋」事情』=宮田昇・著
毎日新聞 2013年06月16日 東京朝刊

 (みすず書房・2310円)

 ◇知られざる読書文化の現在に迫る

 著者は、六十有余年、翻訳ミステリーで知られる出版社の編集者、翻訳権エージェントとして活躍した出版界の大ベテランだが、リタイア後、居住する東京近郊の都市にある公共図書館を利用し、もっぱら趣味としての読書を楽しむようになった。本書は、本と関わりの深い著者が、一人の利用者としての目線に立って、公共図書館の変遷、現状、問題点などを、具体的かつ詳細に描き出したものであり、まことに新鮮で読みごたえがある。

 著者によれば、日本における公共図書館の総数は、一九七〇年代初頭には八〇〇館そこそこだったが、現在は四倍近い三〇〇〇館を超すほどになり、しかも貸出し総数は六億冊以上になっているという。驚嘆すべき冊数である。

 著者は図書館に通いはじめてから、現代日本のエンターテインメント小説の面白さを知り、まず開架中の本を次々に読破した。さらに、新刊本を借り出そうとすると、たとえば、東野圭吾の『マスカレード・ホテル』は刊行後まもなく申し込んだにもかかわらず、八カ月たっても六十四番目の予約待ちであり、実際に借りることができたのはほぼ一年後だったという。これはまだ序の口であり、評判の高い新刊本は数百人の予約待ちもめずらしくないとのこと。

 これだけの読者の手を経れば、どんな本でも汚れて劣化するのは当然である。公共図書館が膨大な利用者のニーズにこたえて、複数の本を購入することを問題視し、これでは「公立無料貸本屋」だとする批判もある由だが、これに対し、娯楽としての読書を求めて、公共図書館に通いはじめた著者は、なぜ公立無料貸本屋ではいけないのかと、逆に問題提起をする。たとえ公立無料貸本屋と非難されようと、公共図書館は多数の利用者の読書願望にこたえて貸出し数を増やし、そのパワーを起動力として、「少数の利用者の意見にも耳を傾け」広く目配りして、資料収集保存の役割をも果たしてゆくべきだと、いうのである。

 こうした公共図書館を実現するにはいかにすべきか。本書は、利用者ならではのアイデアを提出しつつ、多事多難の公共図書館の今後のありかたを多彩な角度から探ってゆく。

 公共図書館にスポットをあてる一方、本書では、藤沢周平をはじめとする好きな作家や時の流れのなかで埋もれた作家、編集者や翻訳エージェントしての経験など、著者と本の関わりの歴史が戦後出版史と交錯する形で描かれており、これまた興趣あふれる。

 とりわけ、海軍航空隊から復員した著者が生計を立てるために、小学校高学年の子どもを対象とした貸本屋を開業した経緯を描くくだりは、実に面白い。私事ながら、私は、このような貸本屋に通った子どもの世代であり、京都西陣にあったわが家近くの貸本屋に日参し、三年余り雑誌、読み物、漫画など、毎日二、三冊借りて、それこそ浴びるように読んだ。読み物はむろん古今東西、もろもろのエンターテインメントばかりである。

 こうした私的経験もあって、私自身は公共図書館を利用するには至っていないが、娯楽としての読書を求めて図書館に通いはじめ、公共図書館が公立無料貸本屋であってなぜいけないのか、という著者の主張は、まことに説得力があり正論だと思う。

 総じて本書は、仰天するような凄(すさ)まじい数の利用者にあふれる公共図書館の実情を浮き彫りにし、知られざる図書館文化の現在をありありと伝える好著だといえよう。
    --「今週の本棚:井波律子・評 『図書館に通う-当世「公立無料貸本屋」事情』=宮田昇・著」、『毎日新聞』2013年06月16日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130616ddm015070004000c.html:title]


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覚え書:「今週の本棚:本村凌二・評 『西洋古典叢書 ヘシオドス 全作品』=中務哲郎・訳」、『毎日新聞』2013年06月16日(日)付。


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今週の本棚:本村凌二・評 『西洋古典叢書 ヘシオドス 全作品』=中務哲郎・訳
毎日新聞 2013年06月16日 東京朝刊

 (京都大学学術出版会・4830円)

 ◇偉業の百冊目に刻む「人類の精神の黎明」

 あたり前すぎて気づきもしないが、アルファベットは人類最大の発明という。フェニキア人が開発しギリシア人が普及させた二十数種であらゆる言葉を表記する文字。そのギリシア語最古の詩人にホメロスと並んでヘシオドスがいる。

 前八世紀の人らしいが、文字を使ったかどうかはおぼつかない。おそらく口承詩として伝えられ、後に書き記されたものだろう。現存するヘシオドス作品の最古のパピルス断片ですら前一世紀のものだから、詩人の時代から七百年が経(た)ったことになる。中世まで残存し写本の形で伝わるものもあるが、最古でも十一世紀をさかのぼることはない。

 このようなパピルス断片や写本を参照しながら、近代の古文書学者が校訂本を刊行する。さらにこれらの校訂本を日本の西洋古典学者が日本語に訳すのだ。ヘシオドスから邦訳書までたどりつくには、気の遠くなるような歳月が流れ、手間がかかっている。

 ギリシア語やラテン語で書かれた古代の作品が日本語で読める。数多(あまた)の忘却や消失の危難を考えれば、奇跡に近い。しかも、それが百冊も刊行されたのだから、これはもう大偉業と言うしかない。京都大学学術出版会の「西洋古典叢書(そうしょ)」が百冊目をむかえ、それらが書棚に並ぶ様は壮観である。

 さて、その記念すべき百冊目が本書である。ヘシオドスといえば、なによりも真作の二つが思い浮かぶ。

 『神統記』には、おびただしい神々が登場し、天上の支配者が交替する。天空(ウラノス)の性器は末子のクロノスの手で切り取られ、海に投げ捨てられる。そこに湧き立つ泡(アプロス)から美と愛の女神アプロディテが生まれ出る場面は名画にもなり、やはり印象深い。クロノスの末子ゼウスが誕生し、やがて父親を屈服して不死なる神々の王となる。このゼウスの正義こそが世界を秩序づけると詩人は謳(うた)う。神々の系譜は複雑きわまりないが、この世の不可解さを象徴するかのようだ。

 『仕事と日』は、怠け者で邪(よこしま)な兄弟ペルセスに教訓を語る。タイトルから想像されがちだが、季節ごとの農作業や吉凶日の示唆は意外と少ない。むしろこの世に生きるための心構えが自在に語られる。ヘシオドスの父親は「みすぼらしい村に住みついたが、それが冬は辛(つら)く、夏は堪えがたく、善き時とてないアスクラだった」という。ところが、この村を訪れた学者は「美しい景色、快適な夏の避暑地、肥沃(ひよく)な野に囲まれ、冬中穏やかな気候に恵まれた地」と報告している。なぜかくも故郷を酷評するのか、想像がかけめぐる。そのひとつとして、詩人の心象風景を思い描くのもいいだろう。たとえば、われわれには恥を知り希望をいだくことは大切だと思える。だが、ヘシオドスは主語だけを変えて「恥の心は、貧窮した男を世話するには役立たぬ」「希望は、貧窮した男を世話するには役立たぬ」とくりかえす。ここには現代人には想像できない心の世界があるような気がする。

 ところで、本書の大半は真作・偽作のほどがわからない『断片』にあり、ありがたいことに本邦初訳である。たとえば『ペイリトオスの黄泉(よみじ)降り』という名で伝わる断片がある。生者が冥界に降(くだ)る物語だが、残念ながらわずかなパピルス断片しか残っていない。

 それにしても、ヘシオドスには人類の精神の黎明(れいめい)する姿がある。百冊目の本書を書棚に並べると、おのずと頬がほころぶような嬉(うれ)しさがこみあげて来る。
    --覚え書:「今週の本棚:本村凌二・評 『西洋古典叢書 ヘシオドス 全作品』=中務哲郎・訳」、『毎日新聞』2013年06月16日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130616ddm015070002000c.html:title]

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全作品 (西洋古典叢書)

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書評:清水唯一朗『近代日本の官僚 維新官僚から学歴エリートへ』中公新書、2013年。


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清水唯一朗『近代日本の官僚 維新官僚から学歴エリートへ』中公新書、読了。「官僚は顔の見えない巨大な権力であるが、有能な集団であることは間違いない」。だから批判の対象になる。が、私たちはどこまでその内実を承知しているのだろうか。維新~大正(完成期)の歩みを描く本書は一つの標になる。

近代国民国家の官僚制と常備軍を二つの柱とする。そして日本的官僚の起源は明治維新に遡る。実務行政の担い手のとして経験を積み調整能力を発揮する中で政治家になっていく。水平上昇の立身出世の模範型だが、日本で眼にするこのコースは欧米では少ない。

その理由は、全ての優秀な人材が「官僚」に集まるべくした帰結であったといってよい。藩閥の後退は、選挙による政治参加に加え、官僚となることで行政参加の道が平等に開かれた(志しを立てる)。官僚→政治家への道は両者が協働する日本政治の象徴でもある。

官僚を描くことはそのまま日本政治の歩みを描写することになるから本書は、優れた日本政治史の一書ともいえる。そして、人に即した豊富なエピソードは、印象批判の背景に存在する官僚たちの実像を伝える。本書は、安易な官僚批判の前に立ち戻す一冊になろう。

近代日本最大の成功と不幸は、官僚制に人材が集中したことだろう。終身雇用も高等官僚を嚆矢とするように--。制度が人をつくり、人が制度を生成する。本書は新書としては大部ながら、日本の統治内部を描く「目から鱗」の一冊。大学生に手にとってほしい。

以下は蛇足を少々。

先の官僚本で面白かったのは、終身雇用を含め高等文官への人気集中は、(無料の、武官育成の)士官学校・兵学校と双璧を為すのだけど、大正期……僕は大正時代は思想の実験場だとおもっているのだけど)、日露戦後の軍縮で後者の人気が落ち、WWIで上昇して、戦後のゝで下がるというのは興味深い。

そして、それはそれだけ余裕があったのだろうとも思う、加えて、言葉は悪いけど「ひっかけ問題」なんだけど、戦後通産相をつとめる石井光次郎の受験した高等文官試験(1913、筆記)は、「天皇機関説を論ぜよ」とか。石井は美濃部支持で試験官は上杉慎吉w 石井は両論併記で凌いだが、戦前昭和では考えられない話。

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近代日本の官僚 - 維新官僚から学歴エリートへ (中公新書)
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覚え書:「今週の本棚:富山太佳夫・評 『暮らしのイギリス史-王侯から庶民まで』=ルーシー・ワースリー著」、 『毎日新聞』2013年06月16日(日)付。


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今週の本棚:富山太佳夫・評 『暮らしのイギリス史-王侯から庶民まで』=ルーシー・ワースリー著
毎日新聞 2013年06月16日 東京朝刊


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 (NTT出版・3780円)

 ◇ネタ満載の学術書で味わう、散歩的な楽しみ

 本を読むというのは一体何のためなのだろうか。新しい知識を得て、何か新しいことを考えるためだろうか。それとも、散歩か何かのように、あれこれを見て楽しむためだろうか。勿論(もちろん)、ひとによって、時によって、違うかもしれないが。

 そんなことを考えながら、この『暮らしのイギリス史--王侯から庶民まで』という力の抜けるようなタイトルの本を手にする。目次を見ると、寝室、浴室、居間、台所の歴史の四つの部分に分かれている。その段階でこの本は真剣に読むような本ではないことが、まあ、大体は分かる。となると、私などはまずトイレを訪問して頭と体をすっきりさせ、それからコーヒーを同伴して、椅子にすわることになる。

 そして、パラパラとめくって出くわしたのが、「浴室の歴史」の中の「落し紙」という章。「一九九四年に実施した調査によれば、人は一日当たり平均三・四回はトイレに行き、十一・五枚分のトイレットペーパーを使用するという。トイレットペーパーという今や不可欠なトイレ備品の材質が最終的には紙に落ち着くまで、多種多様な材質が何百年にもわたり使用されてきたのである」。そう言えば、昔は「読み捨てた新聞」を利用するのは自然なことであった。

 排便処理用のトイレットペーパーを世界で初めて売り出したのは、一八五七年のアメリカ。一八八〇年代になると、イギリスでも「ブロンコ」という銘柄が生産され、「物売りによって手押し二輪車に乗せてロンドンの街を行商されていた」。官公庁で使うそれには、「盗難防止のためか……『政府所有物』と印刷されて」いたという。うーん、私はこのような歴史的事実を知らなかった。もっとも、知らなくてどうこうなるというものでもないだろうが。

 しかし、次のような事実はとなると、そうも言っていられないかもしれない。「おそらく一五〇〇年頃、社会に大変革が生じ、ほぼ二百年もの間、入浴習慣がとだえてしまう。一五四六年、ヘンリー八世の命により、ロンドンの浴場は永久に閉鎖された」。そして一五五〇年あたりから、「不潔な二百年」が始まる--だとすると、エリザベス女王や、シェイクスピアや、ミルトンや、ニュートンはどうしたのということになってしまうだろう。

 この本には、こうしたネタを扱う章が合計四五も収録されているのだ。下着、性病、夜着、入浴復活、便所、水洗便所、月経、暖房と照明、掃除、葬儀、悪臭、冷蔵庫、食事時間、ソース、酩酊(めいてい)等々。まさしくテレビのクイズ番組などにはうってつけのネタであると言うしかないであろう。いかにもイギリス人好みのガセ・ネタ本であると言うしかないであろう。散歩的な楽しみ本である、と。

 しかし、実は、そうではない。この本は、確かにあちこちにユーモラスな文章が出てくるものの、歴然たる学術書である。カルチュラル・スタディーズの方法を使いこなしたイギリス文化史のみごとな本である。使われている歴史の史料や図版には息をのむしかない。これまでの歴史学とは違っている。しかも、著者は女性。その自己紹介によれば、「私は由緒ある王宮において、学芸員として日々の大半をロンドン塔、ケンジントン宮殿、ハンプトン・コート宮殿などの公的な建造物、壮麗なカントリー・ヤードなどで働いている」。この本は、とりわけ一八世紀以降のイギリスの歴史や文化や文学に関心のある人々にとっては必読書である。(中島俊郎・玉井史絵訳)
    --「今週の本棚:富山太佳夫・評 『暮らしのイギリス史-王侯から庶民まで』=ルーシー・ワースリー著」、 『毎日新聞』2013年06月16日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130616ddm015070010000c.html:title]


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覚え書:「今週の本棚・新刊:『秩序の夢 政治思想論集』=苅部直・著 」、『毎日新聞』2013年06月16日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『秩序の夢 政治思想論集』=苅部直・著
毎日新聞 2013年06月16日 東京朝刊

 (筑摩書房・3780円)

 丸山眞男論などで知られる日本政治思想史家による評論集。あとがきで語っているように、政治そのものというよりは、文化や芸術、社会を論じた評論を選び収録した。近代において人々が「秩序」をどのように構想し、維持し、変革を試みたのかというテーマが通底している。

 過去の書物をひもときながらも、執筆時の今日的な課題や潮流に引きつけて語られている。なかでも2001年9月11日の米同時多発テロの後、翌02年執筆の「混沌(こんとん)への視座--国家と暴力をめぐって」の論考が興味深い。テロとその後の米国のアフガニスタン攻撃について<平和な日常生活を突然にくつがえす暴力の噴出と、それを封じこめ、排除しようとする国家の暴力とが交錯する空間>と断じ、私たちの平穏と秩序は国家の暴力によって保障されているのだという、まぎれもない現実について考察する。

 そこから坂口安吾の「堕落論」と丸山眞男らの戦後民主主義を対比させながら、個人と国家の関係性に対する両者の考え方の違いを語る展開も巧み。60年以上前の論考が9・11へとつながり、今読むと憲法改正論議についても考えさせられる。(さ)
    --「今週の本棚・新刊:『秩序の夢 政治思想論集』=苅部直・著 」、『毎日新聞』2013年06月16日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130616ddm015070024000c.html:title]


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秩序の夢: 政治思想論集
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書評:姜在彦『朝鮮儒教の二千年』講談社学術文庫、2012年。

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姜在彦『朝鮮儒教の二千年』講談社学術文庫、読了。本書は朝鮮儒教二千年の歴史を丹念に描き出した労作。中日と対比し朝鮮儒教の独創的展開と東アジア的普遍性を浮き彫りにする。圧巻は李氏朝鮮の朱子学受容と鎖国と開国への経緯。経世済民と切り離された形而上への惑溺は他人事ではなく示唆に富む。

本書は儒教とは何かから説き起こし、儒教を通して朝鮮史を俯瞰するが、著者の記述は学に留まらない。儒教を糸口に、東アジア諸文化との交流の中から、朝鮮半島の独創的な歴史を浮かび上がらせる。その意味で優れた「朝鮮の二千年」を描く朝鮮史ともなっている。

俗に韓国は「儒教の優等生」と評されるが、その経緯と内実に関しては殆ど知らなかった。本書は具体的事実に従い「目から鱗」を落としてくれる。個の世界と共同の世界は本来別々のものではない(「修己治人之学」)。その意義を新たにしてくれる名著といってよい。 


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覚え書:「書評:植物はそこまで知っている [著]ダニエル・チャモヴィッツ」、『朝日新聞』2013年06月09日(日)付。

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植物はそこまで知っている [著]ダニエル・チャモヴィッツ
[掲載]2013年06月09日   [ジャンル]科学・生物 


 植物は人が近づいて来るのを「見ている」。さらに、葉をちぎられたことを「記憶する」という。想像以上に発達している植物の感覚について、生物学者が研究成果を踏まえて解説する一冊。
 仲間が虫に食われると、においを「嗅ぐ」ことで察知して、身を守る化学物質を出す木もある。となると、そこに「痛み」や「感情」の存在を考えたくなるのが人情だ。ただ、著者は「植物は苦しまない。脳がないのだから」とクギを刺す。
 植物と私たちは、20億年前に枝分かれして進化してきたという。遠い遠い「親戚」が、どんな世界を見て感じているのか、想像してみるのも楽しい。
    ◇
 矢野真千子訳、河出書房新社・1680円
    --「書評:植物はそこまで知っている [著]ダニエル・チャモヴィッツ」、『朝日新聞』2013年06月09日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013060900008.html:title]


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覚え書:「書評:<驚異の旅>または出版をめぐる冒険 [著]石橋正孝 [評者]荒俣宏」、『朝日新聞』2013年06月09日(日)付。


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<驚異の旅>または出版をめぐる冒険 [著]石橋正孝
[評者]荒俣宏(作家)  [掲載]2013年06月09日   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 

■ヴェルヌ対版元、タフな闘争

 ジュール・ヴェルヌの豪華挿絵入り冒険物語は〈驚異の旅〉と総称され、日本を含む全地球、いや宇宙までも舞台とした科学的幻想小説大系である。が、その舞台に、肝心のフランスが出てこない。書いても版元から出版拒否されたのだ。じつはヴェルヌは母国で異質でタフな「出版をめぐる冒険」を繰り広げていた。仏人研究者も驚くほど膨大な原資料を駆使して語られた本書は、ヴェルヌの出版大冒険こそ「驚異の旅」と呼ぶに足るという事実を証明した。
 評者も作家だから版元相手にタフな闘争を行うが、ヴェルヌ作品の版元エッツェルの剛腕ぶりを知って驚愕(きょうがく)し、この有名作家が気の毒になった。あの『海底二万里』を、エッツェルの雑誌に連載した当時ですら、ヴェルヌは版元から月給で書かされる「サラリーマン作家」だったのだ。ようやく1875年になって、それまでの挿絵版の著作権収入を放棄するかわりに、以後出版する挿絵版に関し5%の印税を認められた。
 だが、それは序の口で、新作を書くごとにストーリーやキャラクターに遠慮のない注文が付く。そのために内容修正用の棒組みゲラを別に組んだほどだった、たとえば『海底二万里』の主人公ネモ船長は国籍を変更させられた。当初作者の構想では、ネモをロシアの弾圧に恨みを抱き抵抗する独立派ポーランド人とし、物語終盤でロシア軍艦を容赦なく沈める背景としていたが、ロシアでの発禁を恐れたエッツェルにより、軍艦は奴隷船にネモは奴隷解放主義者に修正するよう迫られる。そんな押し問答の結果、ネモ船長の国籍は謎となった。
 このような横暴とも見える版元の要求や修正は、双方の息子の代になっても継続する。なぜヴェルヌはそこまで譲歩しつづけたのか。これが月へ行くよりも多事多難な仏国出版事情にあり、ヴェルヌ作品の鑑賞法を一新させる有益な示唆を得る。
    ◇
 左右社・4410円/いしばし・まさたか 74年生まれ。立教大学助教。『大西巨人 闘争する秘密』
    --「書評:<驚異の旅>または出版をめぐる冒険 [著]石橋正孝 [評者]荒俣宏」、『朝日新聞』2013年06月09日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013060900013.html:title]

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覚え書:「発言 住民参加拒む行政の暴走=國分功一郎」、『毎日新聞』2013年06月13日(木)付。

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発言
住民参加拒む行政の暴走
國分功一郎 高崎経済大学准教授

 5月26日に東京都小平市で行われた住民投票は、都内初の直接請求による住民投票として注目を集めた。特に投票1週間前からは新聞各紙が連日報道し、代表的なテレビニュース番組が大きく取り上げ、投票日には50を越すマスコミ各社が市役所に集まった。運動を応援していた私もこの注目度に驚いた。
 そこには今の政治に対する人々の強い関心と疑問が示されているように思われる。選挙とは別の仕方で自分たちの意見を政治の場に届けるべきではないか……。潜在的には多くの人たちがそう感じているのだ。
 住民投票の選択肢は、道路建設に賛成か反対かではなく、「住民参加で計画を見なおす」か、「見なおす必要はない」かであった。これには二つの意味が重ねられている。
 一つは現行の道路計画の是非。もう一つは住民が自分たちで政治に参加するか否かの選択である。住民側の運動も従来の糾弾型ではなく提案型だった。この運動は住民投票の理念、住民参加の理念そのものを問い直していた。注目された理由の一つはそこにあったと思われる。
 しかし、そうした運動に対する行政側の拒絶反応は想像を絶するものであた。住民投票条例案可決から1カ月後の4月下旬、小平市は突然、成立要件として投票率50%を求める条例の改正案を提案する。「不成立」の場合には開票すらしないという驚くべき内容であったが、住民側はこの不意打ちに十分に対応できず、議会で改正案は可決されてしまう。26日の投票率は35・17%だった。行政が課したハードルを越えられず、住民投票は「不成立」とされた。
 小林正則市長は、住民投票の信頼性を担保するために成立要件が必要であったと強調している、。しかしこの成立要件は実に奇妙なものだ。投票率50%で意見Aが過半数であった場合、意見Aは有権者の4分の1の数(25%)をもって信頼に足るものとされる。ところが、有権者の33%、約3分の1が意見Aに投票しても、投票率が50%に満たなければ--たとえば投票率が35%にとどまれば--信頼に足らないものとされる。
 今回の住民投票では小平市の有権者14万5024人のうち、5万1010人が投票している。35%という投票率をどう評価すべきか。小林市長が3選された4月の選挙の投票率は37%であった。ほぼ同格と言ってよい。その投票で選ばれた人物が、住民投票の結果を信用に足らないとして内容の公表すら行わないというのは果たして社会正義にかなっているだろうか。今回の50%の成立要件は、道路推進派にはボイコットを、道路には反対だが50%超えを諦めている人には棄権を促した。その中での投票率である。
 住民投票の2日後、東京都は狙っていたかのように国土交通省に事業認可申請を行った。猪瀬直樹都知事には是非とも以上のプロセス全体を考慮し、事業認可申請を再考していただきたい。また、小平市の住民投票は正式に実施されたものである。だが、市は投票用紙をまもなく破棄すると言っている。開票を実施せず結果を葬り去ることは許されない。
こくぶん・こういちろう 哲学専攻。著書に「暇と退屈の倫理学」(朝日出版社)など。
    --「発言 住民参加拒む行政の暴走=國分功一郎」、『毎日新聞』2013年06月13日(木)付。

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父の日の散策。

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昨日は、青春を過ごしたw 中野区に所用があり、午前中に用事を済ませてから、子供がブロードウェイに用事があるとのことにて散策してきました。

少し懐かしい時間を過ごすと共に、心身共に充電することができたように思います。

また、その日は父の日ということもあり、昼からビールを頂戴した次第です。

みなさま、ありがとうございました。

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覚え書:「書評:女子プロレスラーの身体とジェンダー 規範的「女らしさ」を超えて [著]合場敬子 [評者]水無田気流」、『朝日新聞』2013年06月09日(日)付。

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女子プロレスラーの身体とジェンダー 規範的「女らしさ」を超えて [著]合場敬子
[評者]水無田気流(詩人・社会学者)  [掲載]2013年06月09日   [ジャンル]社会 


■「強さ」をめぐる問題提起

 女らしさや美の規範。これらは、今なお多くの女性を拘束する見えない鎖である。とりわけ、「強さ」の問題は複雑だ。近代社会は男性には身体的な強さを奨励し、他方で女性の身体性にはむしろ抑圧的に作用してきた。近代スポーツが合理的な暴力性発揮を主として男性だけに許容してきたことは、この証左である。
 一方、昨今では女性もまた強くあることが奨励される。だがその実態は、あくまでも社会が容認する範囲に留(とど)められる。女性が身体的強さを高め、そこから逸脱したらどうなるのか。本書はその先端事例として女子プロレスラーを取り上げ、検証している。
 一見突飛なこの題材は、この社会で女性が強さを目指す際に生じる軋轢(あつれき)を見事にあぶりだしていく。性的見せ物から始まった女子プロレスだが、それぞれの時期ごとに、女性にとっての強さの意味や価値が示唆される点が興味深い。「女性も強くていいんだ」と開眼した少女たちの、熱いまなざしを思いつつ。
    ◇
 明石書店・2940円
    --「書評:女子プロレスラーの身体とジェンダー 規範的「女らしさ」を超えて [著]合場敬子 [評者]水無田気流」、『朝日新聞』2013年06月09日(日)付。

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覚え書:「書評:フィリピンBC級戦犯裁判 [著]永井均 [評者]保阪正康」、『朝日新聞』2013年06月09日(日)付。


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フィリピンBC級戦犯裁判 [著]永井均
[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)  [掲載]2013年06月09日   [ジャンル]歴史 

■裁かれた日本軍、克明に調査

 フィリピンでの戦争裁判に関する先行研究はほとんどない。本書にはその嚆矢(こうし)としての自負が凝縮されている。
 太平洋戦争下、日本軍は3年余にわたってフィリピンを占領支配したが、その実態はどうだったか。戦後にフィリピンのあるメディアは、日本軍の「集団拷問や集団処刑、略奪、焼き払い、強姦(ごうかん)を経験した後には、フィリピン人は日本人をもはや人間と見ることをやめ、殺すべき相手(略)として見るようになった」と書いた。こういう空気の中で、フィリピン政府は、アメリカからの独立後にBC級裁判を行うことになった。
 マニラの軍事法廷で2年半、73件、151人の被告が非人道的行為の罪で裁かれた。国民の憎悪の中で、法の権威を守ろうとしたフィリピン人弁護人など本書はその細部を克明に調査し記述している。妻子や親族を日本軍に惨殺されたキリノ大統領が、53年に恩赦を決めるその心中の描写など、著者の筆調に歴史を学ぶ人間の原点を見る。
    ◇
 講談社選書メチエ・1890円
    --「書評:フィリピンBC級戦犯裁判 [著]永井均 [評者]保阪正康」、『朝日新聞』2013年06月09日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013060900015.html:title]


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フィリピンBC級戦犯裁判 (講談社選書メチエ)
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書評:松田茂樹『少子化論 なぜまだ結婚、出産しやすい国にならないのか』勁草書房、2013年。

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 しかし、当面人口減少は止まらないからといって、少子化対策を諦めてよいのだろうか。仮に出生率が永遠に回復しなければ、この国は、当初どころか、永遠に人口減少をし続けてしまう。
 以上にあげた点をみると、筆者としては、「少子化論」の側に少なからぬ問題があるように思えてくる。少子化論とは、この問題に取り組む研究者等によってつくられた、少子化の現状や要因に対する理論のまとまりを指すものとする。従来の少子化論は、わが国の少子化の実態、その危機、その背景要因の<全体像>を精確に捉えることができていなかったのではないだろうか。また、それを世の中の人々に的確に伝えてきただろうか。少子化論には少子化対策をガイドする役割があるが、従来の対策が出生率回復につながらなかったのは、そのガイド役が適切でなかったからではないだろうか。
    --松田茂樹『少子化論 なぜまだ結婚、出産しやすい国にならないのか』勁草書房、2013年、ii-iii頁。

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松田茂樹『少子化論 なぜまだ結婚、出産しやすい国にならないのか』勁草書房、読了。少子化対策が開始されてから、すでに二十年。合計特殊出生率は微増したが、その対策の効果には疑問が生じる。著者は従来の少子化論とその対策を膨大なデータから検証し、そのことで未来を見通す提言を提示する。


これまで「夫婦間の子どもの数」で論じられてきたが、現実の少子化の最大要因は「若年層の雇用の劣化により結婚できない者が増えたこと及びマスを占める典型的家族(夫は就業、妻は家事)という男女の役割分担において出産・育児が難しくなっていること」。

従来の対策は、女性個人の育児と就業だけ絞って展開されてきた(それが悪いのではないが)。しかし、経過を反省するなら、ピンポイント的支援で少子化を捉えるのではなく、要因背景として見逃せない非正規雇用の問題を含めた総合的な協業と試み直す必要がある。

「従来の少子化論は、わが国の少子化の実態、その危機、その背景要因の〈全体像〉を正確に捉えることができなかったのではないだろうか」というのが本書の執筆動機。少子化対策をガイドすべき少子化論の陥穽を正面から捉えることで、見えない問題に光を当てていく。

現行制度はあまりにも育児当事者支援に偏重してきたが(何もないよりはいいのだが)、このことは子育ては個人ないし家庭で「完結しろ」という自己責任論の一種かもしれないと思った。不必要な「協同」が先行し、必要な「協同」がスルーされるというか。了。


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覚え書:「書評:立身出世と下半身―男子学生の性的身体の管理の歴史 [著]澁谷知美 [評者]三浦しをん」、『朝日新聞』2013年06月09日(日)付。

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立身出世と下半身―男子学生の性的身体の管理の歴史 [著]澁谷知美
[評者]三浦しをん(作家)  [掲載]2013年06月09日   [ジャンル]社会 


■「性的充溢=男らしさ」の矛盾

 「1890-1940年代において、男子学生の性的身体は、教育者や医者らによって、どのように管理されたのか」を、資料分析や当事者へのアンケートを通して論考した本。
 男子学生たちは、「性的なことにかまけている場合ではない」と有形無形の圧力を受けてきた。なぜかまけてはいけないかというと、勉学がおろそかになり、国家に有用な人材に育たないからだ。恋や性的行いは、立身出世を果たしてから思う存分すればいいのである。
 そんな無茶(むちゃ)な。しかし大人は(女遊びしている自身を棚に上げ)、「花柳界に足を踏み入れるな」「自慰をするな」と学生たちに要求する。しまいには、高等学校などの入試において、身体測定とともに性病検査(通称「M検」)が行われる。全裸の男子学生の性器に、医者などがじかに触れて、性病にかかっていないかチェックするのだ。余計なお世話感満載!
 M検体験者へのアンケート結果、当時の受験雑誌に寄せられたM検への不安の声や性的な悩み相談が非常に興味深い。著者の丁寧な分析によって、「男らしさ」という幻想(と言っていいだろう)のもと、無視され抑圧されつづけてきた、男性の(というか人間の)繊細で言語化できない領域の存在が浮かびあがる。
 性的エネルギーの充溢(じゅういつ)は「男らしい」こととされるのに、学生に対してのみは、その「男らしさ」を封印するよう要求する。男性の性的身体は、常に矛盾にさらされてきた。本書は、その事実を明らかにした労作だ。「性的充溢=男らしさ」という幻想を都合よく押しつけられ、野獣めいた性欲あふれる生き物であるかのように扱われることに(例:「男はストレスを性的行為で解消する必要がある」といった無礼千万な言説)、男性はそろそろ「否!」の声を上げていいころだ。その際の理論武装にも最適な一冊。
    ◇
 洛北出版・2730円/しぶや・ともみ 72年生まれ。東京経済大准教授(教育社会学、社会学)。『日本の童貞』など。
    --「書評:立身出世と下半身―男子学生の性的身体の管理の歴史 [著]澁谷知美 [評者]三浦しをん」、『朝日新聞』2013年06月09日(日)付。

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立身出世と下半身―男子学生の性的身体の管理の歴史
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覚え書:「書評:亡びゆく言語を話す最後の人々 [著]K・デイヴィッド・ハリソン [評者]内澤旬子」、『朝日新聞』2013年06月09日(日)付。

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亡びゆく言語を話す最後の人々 [著]K・デイヴィッド・ハリソン
[評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)  [掲載]2013年06月09日   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 


■敬意をもって耳を傾け記録

 アメリカ先住民ナバホ族のディネ語の吹き替えによる「スターウォーズ」が今夏公開される。ナバホ族自身によるディネ語保存のための画期的な試みだ。アメリカ先住民の中で最も人口の多いナバホ族でも、半数がもうディネ語を話さないそうだ。
 この本で紹介されるのは、ディネ語よりもっともっと小さな、世界の辺境にひっそり散在し、あと数年で滅びてしまうかもしれない、そんな超マイナー言語の話者たち。文字を持たず、口承が大半だ。
 辺境でずっと自然に寄り添って暮らしてきた彼らから、豊かな土地を奪い、教育という名目で他言語を押し付け、彼ら独自の言語や文化が恥ずべきものであると抑圧したのは、ロシアやアメリカ、中国、ブラジル、オーストラリアなどの近代国家たち。日本だってアイヌと沖縄に同じことをしてきた。しかしその一方で視点をマクロにとれば、日本語もまた英語に脅かされるマイナー言語とも言えないか。
 言語学者である著者はアメリカ人であり、多言語を話すとはいえ、母語は英語。彼は最後に残された話者たちを訪ね、敬意をもって彼らの語りに耳を傾け記録する。例えばシベリアのトゥバ族の「行く」は、現在地から一番近い川を基点にして上流に行くか下流に行くかを分けて言う。環境とともに保存して意味を持つ言葉もあるのだ。
 家畜の状態、植物や天候を細かく見分けることが前提でついた膨大な名前たちは、知恵の宝庫であり、失われてからでは遅いのだと訴える。
 鮮やかに描かれる辺境の地の言語文化の豊かさに、著者と一緒になって感嘆する一方で、時々逆の、著者に訪ねてこられる者の視点にスライドしてしまう自分を発見し、複雑な気持ちになった。
 この先グローバリズムの果てに日本語が淘汰(とうた)されないためにも、今亡(ほろ)びゆく言語文化を知り、耳を傾けることが大切なのかもしれない。
    ◇
 川島満重子訳、原書房・2940円/K.David Harrison スワースモア・カレッジ言語学科助教授。
    --「書評:亡びゆく言語を話す最後の人々 [著]K・デイヴィッド・ハリソン [評者]内澤旬子」、『朝日新聞』2013年06月09日(日)付。

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亡びゆく言語を話す最後の人々
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覚え書:「みんなの広場 生活保護法改正は憲法に逆行」、『毎日新聞』2013年06月13日(木)付。

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みんなの広場
生活保護法改正は憲法に逆行
高校教師 55(静岡県掛川市)

 今月4日、衆院本会議で生活保護法改正案が可決、参院へ送られた。同案では、生活保護申請書の提出義務付け、扶養義務者に対する調査権限の強化、義務を果たしていない場合に扶養義務者に対する通知の義務付けなどが加わった。
 これでは今も行っている申請書の不受理、すなわち水際作戦の合法化や親族間の対立が原因で一層の保護断念が予想される。そもそも生活保護制度は、憲法25条の生存権に由来する。その2項には「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」とある。
 現政府は、その逆を行おうとしていおり、憲法違反だ。欧州の英米独では、生活保護の利用者は若者中心。医療費は無料か定額で食料品には消費税はかからず、年金も人間としての尊厳を保てる額のため、高齢者の生活保護利用は少ない。仏は、日本のような生活保護バッシングはあり得ないという。人間の尊厳を踏みにじる国、それは日本だ。
    --「みんなの広場 生活保護法改正は憲法に逆行」、『毎日新聞』2013年06月13日(木)付。

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覚え書:「書評:女性ホームレスとして生きる 貧困と排除の社会学 [著]丸山里美」、『朝日新聞』2013年06月09日(日)付。


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女性ホームレスとして生きる 貧困と排除の社会学 [著]丸山里美
[掲載]2013年06月09日   [ジャンル]人文 

著者:丸山里美  出版社:世界思想社 価格:¥ 2,940

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 野宿者全体のうち、女性は3%という。著者は10年以上にわたり女性ホームレスを調査、周囲との関係の中で、野宿を続けるか否か迷う彼女たちの声を丁寧に拾ってきた。著者によれば、これまでのホームレス研究の対象は男性が中心で、彼らの主体性や、野宿者排除に対する抵抗に注目するものが多かった。こうしたホームレス像に対し、著者は「一貫した自立的な意志のもとに、合理的に行為を選択していく主体が前提とされてきたのではないだろうか」と疑問を投げかけ、主体とは「長いプロセスのなかで現れてくるもの」ではないかという。「はじめに」では、研究過程での著者自身の迷いを率直に吐露している。
    ◇
 世界思想社・2940円
    --「書評:女性ホームレスとして生きる 貧困と排除の社会学 [著]丸山里美」、『朝日新聞』2013年06月09日(日)付。

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覚え書:「書評:量子革命 アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突 [著]マンジット・クマール [評者]角幡唯介」、『朝日新聞』2013年06月09日(日)付。


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量子革命 アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突 [著]マンジット・クマール
[評者]角幡唯介(ノンフィクション作家・探検家)  [掲載]2013年06月09日   [ジャンル]科学・生物 

著者:マンジット・クマール、青木薫  出版社:新潮社 価格:¥ 2,940

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■謎の世界に挑んだ物理学者らの百年

 原子以下の階層を支配する量子の世界。そこには私たちが日常目にする連続的な世界とは異なる不思議な世界が広がっている。例えば電子はある場所で消えたかと思うと、中間地点を経由することなく別の場所に突然現れたりする。この理解しがたい現象の解釈と理論を巡り物理学者たちはこの百年、激しい議論を戦わせてきた。
 謎めいた量子の世界に関する論争は「量子の王」と呼ばれたボーアとアインシュタインという天才物理学者の間の意見の違いに集約される。そしてこの論争の先に、物質の実在に関する哲学的な問いが横たわっていることが明確になった途端、本書のテーマは突如、物理学の枠にとらわれない普遍性をもつことになる。
 ボーアら量子陣営によると、電子や光子などミクロの粒子は客観的な意味で実在しないという。それらは人間の観測という干渉を受けた時にだけ実在するものであり、それ以外の時は厳密な意味で実在しない。過去や未来に実在しているかはあくまで可能性の問題に過ぎない。一方アインシュタインはそれに反論した。観測者がいなくても月がそこにあるように、自然は観測とは無関係に存在している。量子力学の考えは不十分であり、ミクロな自然をも包括しうる統一的な理論があるはずだ。量子力学の立場を認めると世界の根本は無秩序な確率に支配されることになると考えたアインシュタインは、後に象徴的な言葉を使った。神はサイコロをふらないと。
 神はサイコロをふるのか、ふらないのか。この謎が駆動力となり物語は一気に加速する。この問題がスリリングなのは根底に因果律の問題を含んでいるからだ。物事には原因があって結果がある。当たり前だ。しかし量子力学はその因果律を否定したのだ。電子は今そこにあっても過去にあそこにあったとは限らない。過去がそうだったからといって、未来もそうであるかは分からない。だとしたら私たちは何を信じたらいいのだろう? 時間が流れ物質が適切な位置を占めることで世界は構築されているのではなかったのか?
 二人のどちらの主張が現代の物理学界に受け入れられたのか、その決着を明かすのは妥当ではないだろう。ただ論争は彼らの死後も続けられた。有名な物理学者ファインマンは言ったという。「『こんなことがあっていいのか?』と考え続けるのはやめなさい」。なぜならその問いへの答えは誰も知らないのだから。だがそれでも問わずにはいられないのだ。本当にこんなことがあっていいのかと。
 中盤以降の畳み掛けるような構成。落ち着いた語り口。確かな世界観の広がりを感じさせてくれる読後感。完成度の高い読書だった。
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 青木薫訳、新潮社・2940円/Manjit Kumar ロンドン在住のサイエンスライター。アートとサイエンスを扱う学際雑誌「Prometheus」創刊編集長を務める。共著に「Science and the Retreat from Reason」。
    --「書評:量子革命 アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突 [著]マンジット・クマール [評者]角幡唯介」、『朝日新聞』2013年06月09日(日)付。

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覚え書:「書評:秀吉の出自と出世伝説 渡邊大門著」、『東京新聞』2013年06月09日(日)付。

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【書評】

秀吉の出自と出世伝説 渡邊大門 著

2013年6月9日

◆親しみやすさ、残酷さの謎
[評者]伊東 潤=作家
 日本史上において、秀吉ほど毀誉褒貶(きよほうへん)の激しい人物はいない。いまだにその人格や人間性の評価は一定しない。その輝かしいばかりの前半生と、天下人となった後の疑心暗鬼に囚(とら)われた後半生は好対照をなしており、それが秀吉の評価を二分するのだ。
 そもそも秀吉ほど謎に包まれた人物も珍しい。その出自の謎はもちろん、なぜ出世街道を驀進(ばくしん)し得たのか、なぜ残虐な行為を好んだのか、なぜ公家になろうとしたのか等々、興味は尽きない。そうした秀吉の様々な側面にメスを入れ、秀吉の実像を浮かび上がらせようというのが本書である。
 秀吉については服部英雄『河原ノ者・非人・秀吉』という大作があり、そちらは中世社会の視座から秀吉という人間を見つけ出していくというアプローチを取る。一方、本書は秀吉に関する史料を徹底的に解析し、そこから人間秀吉をあぶり出していく。これは、著者の近著『信長政権』(河出ブックス)における方法と同じである。
 そもそも陽気で親しみやすく「人間性豊かな英雄」というイメージは、虚像とまでは行かないまでも、よい部分ばかりが伝えられてきた、と著者は言う。後年の残虐な行為の数々も、信長に倣ったというより、その出自の卑しさからくる不安を払拭(ふっしょく)するために行われたものだと喝破する。
 つまり、出世する過程で受けてきた様々な侮蔑や屈辱を克服するためには尋常ならざるエネルギーを必要とし、その反動で高圧的な態度や残虐な行為に及び、遂(つい)にはそれが、一度は次代を託した関白秀次一家の悲劇や、朝鮮半島への進出へと向かったというのだ。まさに卓見であろう。秀吉一個にすべてが集中した権力構造は秀吉自身でしか統御できず、その死後、跡形もなく崩壊する。
 最後に著者はこう書いている。「もしかしたら、秀吉は生涯を貧しいまま過ごしたほうが幸せだったのかもしれない」。けだし同感である。

 わたなべ・だいもん 1967年生まれ。歴史学者。著書『戦国誕生』など。
(洋泉社歴史新書y・945円)
◆もう1冊 
 山本博文ほか編著『消された秀吉の真実』(柏書房)。豊臣政権の家臣群像、後の徳川史観とは異なる秀吉の実像に迫った歴史論集。
    --「書評:秀吉の出自と出世伝説 渡邊大門著」、『東京新聞』2013年06月09日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013060902000165.html:title]


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書評上杉忍『アメリカ黒人の歴史 奴隷貿易からオバマ大統領まで』中公新書、2013年。

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上杉忍『アメリカ黒人の歴史』中公新書、読了。副題「奴隷貿易からオバマ大統領まで」、四百年にわたる合衆国の繁栄を支えた裏面の差別史を的確かつ簡潔にまとめた一冊。歩みを振り返るだけでなく、今なお残された課題の指摘も忘れないすぐれた米国史。これぞ「新書」の力か。

http://www.chuko.co.jp/shinsho/2013/03/102209.html

黒人は人口比およそ数十%、彼らは一貫して最底辺に沈澱する人々であった。著者は黒人を炭坑ガイドのカナリアに喩える。それはアメリカ社会の危機をいち早く伝える役割を果たしてきたからだ。南北戦争と世界大戦、公民権運動…。エッジに全てが集中する。

危機をアメリカ社会に知らせる「カナリア」は同時に社会変革の最前線に常に立ってきたことをも意味する。自由と平等の建前の内実を実らしめんとしたのは最も虐げられた人々である。証言でその消息を綴る。読みやすく立体的に理解できるのも本書の魅力である。

改善と是正の漸進主義が米国黒人史の流れだが、過去四半世紀は白人保守革命の時代。脱人種の「新自由主義」は、かえって差別の構造を肯定し強化する方向へシフトする。このことはアメリカだけに限定される話ではない。多くの人に手にとってほしい一冊。


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覚え書:「書評:設計者 キム・オンス著」、『東京新聞』2013年06月09日(日)付。


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設計者 キム・オンス 著

2013年6月9日

◆犯罪者の実存を描く
[評者]郷原 宏=文芸評論家
 最近の韓国文学は韓流ドラマよりおもしろいとは聞いていたが、自分で読む機会には恵まれなかった。この隣国は文学的にはとても遠い国で、詩やドラマや映画はともかく、小説作品はあまり紹介されなかったからだ。その意味で、最近、クオン社から刊行された「新しい韓国の文学」シリーズは、干天の慈雨ともいうべき贈り物である。本書はシリーズ第六巻で、「韓国エンターテインメント小説の最高峰」という触れ込みの作品。
 一言でいえば暗殺者を主人公にした犯罪小説なのだが、アメリカのクライム・ノベルやフランスのロマン・ノワールとはひと味違った東洋的な雅趣があり、五百五十五ページの大冊を一気に読ませる。
 三十二年前、修道院のゴミ箱に捨てられていたレセンは、図書館という名の設計者に引き取られ、暗殺者として育てられる。設計者は暗殺のデザイナー、暗殺者はそれを実行する技術者である。ほかに調査専門の追跡者(トラッカー)と荒っぽい仕事を請け負う殺し屋がいる。
 十五年間、命じられるままに人を殺してきた彼は、業界内部の対立がエスカレートするなかで次第に孤立し、世直しをめざす女設計者とともに起死回生の賭けを打つ。変貌する現代の韓国社会のなかに極限状況を生きる犯罪者の実存を描いて、「新しい文学」と呼ぶにふさわしい第一級のエンターテインメントだ。

 キム・オンス 1972年生まれ。作家。長編『キャビネット』が各国で出版。
(オ・スンヨン訳、クオン・2310円)
◆もう1冊 
 李垠(イウン)著『美術館の鼠』(きむふな訳、講談社)。アジア・ミステリー叢書の一冊。美術館での事件を描く韓国小説。
    --「書評:設計者 キム・オンス著」、『東京新聞』2013年06月09日(日)付。

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書評:竹内洋『丸山眞男の時代 大学・知識人・ジャーナリズム』中公新書、2005年。


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竹内洋『丸山眞男の時代 大学・知識人・ジャーナリズム』中公新書、読了。戦後の市民の政治参加に圧倒的な影響力を及ぼした丸山眞男。本書は、丸山を知識人論の観点から論じ、その歴史的。社会的意義を説き明かす一冊。評伝・ないし丸山論というより、丸山の生きた時代を解明する著作でもある。

戦後の市民の政治参加に圧倒的な影響力を及ぼした丸山眞男。著者の特色は心理的人物分析と7で済むところを10語る点。本書でも発揮されている。戦前の蓑田胸喜らの帝大粛清運動の形式が左右問わず生きている。丸山が思想を問わず対峙したのがこれだ。

著者にとり丸山は憧れと批判の対象であったように、それが「知識人」に対する眼差しだった。タレント化する現在を思うと、良質なアカデミズムが生き生きとしていたことを教えられる。著者近著『メディアと知識人 清水幾太郎の覇権と忘却』 を併せて読みたい。

学問の自由と大学の自治を屠った蓑田胸喜(帝大教授思想資格民間審査官)らの帝大粛清運動は、文部行政と大学が蓑田化することで排除する対象を失ってしまう。すると今度は蓑田一派ら自身が排除される対象となっていく。単純なアナロギアはできないけど、ネトウヨ等々はこの方程式を自覚すべきか。

丸山眞男曰く「過激分子が必死となって道を『清め』たあとを静々と車に乗って進んで来るのは、いつも大礼服に身をかため勲章を一ぱいに胸にぶらさげた紳士官僚たちであった」(「戦前における日本の右翼運動」、『丸山眞男集 九』岩波書店)。利用されてポイですよ。

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覚え書:「書評:アメリカン・コミュニティ 渡辺靖著」、『東京新聞』2013年06月09日(日)付。


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アメリカン・コミュニティ 渡辺靖 著

2013年6月9日

◆せめぎ合う多様な共同体
[評者]越智道雄=明治大名誉教授、英語圏文化
 本書の狙いは、九つの共同体を糸口にアメリカでせめぎ合う「対抗言説」の雛型(ひながた)を提示することにある。一九五〇~六〇年代に世界に広がった「対抗文化」は左派に偏ったアメリカだが、著者は今日のアメリカで最も目立つ、要塞(ようさい)化された住宅地「ゲーテッド・コミュニティ」とスタジアムを教会化した福音派の巨大教会「メガチャーチ」を右派の過激化の実例とする。
 今日、右派の過激化の前衛はティー・パーティで、彼らは共和党領袖を振り回し、領袖らは押っ取り刀でオバマ政権に噛(か)みついてみせないと落選の憂き目を見る。アメリカでは左派の過激化より、秘密結社KKK(クー・クラックス・クラン)をはじめ、右派の過激化のほうがはるかに多い。右派は奴隷制を破壊された怨念を受け継ぎ、猛烈な勢いで最先端科学を取り入れて前進するアメリカ本流からあえて取り残される道を選ぶ。右派の心の支えはメガチャーチで、終末論に拠(よ)ってアメリカの前進を相対化する右派の心理を、本書では「再魔術化」と呼ぶ。近代化は「脱魔術化」だったが、右派は再び魔術に回帰する道を選ぶのだ。
 他方、強烈な平等意識と私有財産制ゆえに個人が孤立するアメリカでは、それへの対抗言説として、本書のブルダホフのように財産共有制の人為的左派共同体が多い。またボストン南部の貧民街、ダドリー街がNPOによって再生される感動的な経緯も、全米の都心貧民街で起きた出来事だ。アメリカの貧民街は都心にあって交通至便なので、街が再生されると、かつてそこを逃げ出した白人が戻ってくる。結果、街はハーレムのように「高級化」され共同体でなくなっていくが、ダドリー街はまだそうはなっていない。
 そのほか、犯罪激発のアメリカの縮図である刑務所で生計を立てる町、中流の理念から人工的に造られた都市、米領サモアと、幅広い共同体探訪によって本書はアメリカの多様性に迫る。

 わたなべ・やすし 1967年生まれ。慶応義塾大教授。著書『文化と外交』など。
(新潮選書・1365円)
◆もう1冊 
 渡辺靖著『アメリカン・デモクラシーの逆説』(岩波新書)。自由、多様性などにみられる転倒現象に着目して現代アメリカを再考。
    --「書評:アメリカン・コミュニティ 渡辺靖著」、『東京新聞』2013年06月09日(日)付。

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覚え書:「書評:東京放浪記 別役実著」、『東京新聞』2013年06月09日(日)付。

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東京放浪記 別役 実 著

2013年6月9日

◆人生模様を生む風景
[評者]佐藤洋二郎=作家
 著者は進学のために長野から東京に出てきたが、そのまま五十余年東京で暮らしている。文化が混沌(こんとん)とした都市から生まれるとすれば、劇作家の著者が東京に留(とど)まるという必然性はある。所帯を持ち、目黒、芝、六本木、広尾、永福町と移り住みながら、多くの話題作や問題作を世に送り出した。振り返ればそれも刺激のある都会にいるからだともいえる。
 そして本書のキーワードとなっているのが喫茶店だ。それというのも著者の仕事場所が自宅ではなく、いつも喫茶店の片隅だからだ。それは七十六歳になった今も変わらない。都会の落ち着く店を探しては通い続けているが、今日では、どの街も変貌した。高層ビルが聳(そび)え、路地はなくなってきた。犬や猫も生きにくそうだ。それは人間も同じだろう。落ち着いた喫茶店を探すのも一苦労だ。
 それでも、わたしたちは光の群れに集まる生き物のように、はなやかな都会が好きだ。文化や芸術が都市からはじまるということも知っている。手にしたい書物もある。劇場や美術館もある。流行も早い。そんな環境の中で生きられる喜びは大きい。著者もそんな都会をこよなく愛している。
 本書は落ち着いた静かな文章で、都会を放浪する演劇人としての人生模様を描いているが、文章の合間から東京の懐かしい香りが届いてくる。

 べつやく・みのる 1937年生まれ。劇作家。著書『不思議の国のアリス』など。
(平凡社・1890円)
◆もう1冊 
 佐藤洋二郎著『東京』(講談社)。西新宿、葛西、飯田橋など東京の街を舞台に、男女の情念を描く十二篇の物語。
    --「書評:東京放浪記 別役実著」、『東京新聞』2013年06月09日(日)付。

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歴史を学ぶとは、私たちがもっている認識を改めていくことなのではないか


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『新しい歴史教科書を作る会(作る会)』がレイシスト集団『在日特権を許さない市民の会(在特会)』と一緒に 「捏造!従軍慰安婦」展なるパネル展の協賛団体に名を連ねている……。

http://myosaka.blog.fc2.com/blog-entry-592.html

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というニュースを拝見したので、レビューというよりも、読んで感じたことについて少々。そもそも両方とも終わりやないけ、と言ってしまえばそうなのですが、「歴史を学ぶ」という意義から、twのまとめですが少々。。。


ちょうど、A・ゴードン『新版 日本の200年』(みすず書房 http://www.msz.co.jp/news/topics/07696;07697.html )を読み終えたせいかもしれないが、ユニークさを強調するあまり、他の時代や地域の人々と全く関係がないと「錯覚」して「自尊」することはかえってユニークさを損なうことになるのではないだろうか。

そして思い返すのは、やはりゲーテの言葉。「個々の人間、個々の民族の特性をそのまま認めながらも、真に誉むべきものは全人類に属することによってこそきわだつのだという確信を失わぬようにしてこそ、真に普遍的な寛容の精神が最も確実に得られる」との一節(ゲーテ(小栗浩訳)「文学論・芸術論」『世界の名著38』中央公論社、1979年)。

鎖国徳川時代ですら、諸外国との交流の中でその政治史、社会史、経済史、文化史が形成されてきた。近代日本200年の歩みとは広汎な世界の近現代史と密接不可分である、とゴードンは指摘する。普遍と個別は「相互連関性」によって成立する。経緯を振り返る新しい視座のひとつとなろう。


さて、そのA.ゴードン『日本の200年』みすず書房「日本語版へのまえがき」で興味深いをことを書いているのでご紹介。1990年代の末、アメリカのアジア学会の会員に「新しい歴史教科書を作る会」からパンフレットが送られてきたそうな。

いわく「それぞれの国は他の国々とは異なる独自の歴史認識をもっている。さまざまな国が歴史認識を共有することは不可能である」。はたしてそうか--。共通了解を目指すことの重要性は、すべからく同じだと主張することとは違う。

ユニークさを強調し神秘主義に傾くのでも、うすっぺらい作業仮設を設定することでもない。大切なことは、一見すると固有の神秘的な本質に見えることが、どのように循環し、変遷をとげたかを跡づけるということが歴史家の責務ではないかという話。その意味で、歴史修正主義は閉じた社会の独言といっても過言ではない。

結局、歴史を学ぶとは、私たちがもっている認識を改めていくことなのではないかと思う。

E・H・カーは、名著『歴史とは何か』(岩波新書)のなかで、「歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話である」と述べていますが、対話をすることで自己認識と他者認識が一新される。歴史を学ぶとはかくありたいものです。

ともあれ、日本人の研究者であっても、200年とはいえ、通史を著わすことに躊躇する現在。A.ゴードン『日本の200年』みすず書房は、おすすめです。

ちなみに旧版(2008年以降の経緯の増補前)の書評。[http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ss/sansharonshu/442pdf/04-01.pdf:title] 『立命館産業社会論集』 44巻2号。

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覚え書:「今週の本棚:渡辺保・評 『京舞井上流の誕生』=岡田万里子・著」、『毎日新聞』2013年06月09日(日)付。

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今週の本棚:渡辺保・評 『京舞井上流の誕生』=岡田万里子・著
毎日新聞 2013年06月09日 東京朝刊

 (思文閣出版・9450円)

 ◇「都をどり」に息づく文化・風俗の歴史を活写する

 「都をどりは、よいやさァ」

 大勢のかけ声で両花道へ揃(そろ)いの衣裳(いしょう)の芸妓(げいぎ)たちが並ぶ。花見に賑(にぎ)わう京都の春の風物詩、祇園の「都をどり」の幕開きである。私は子供の頃にこれを見た。私にとってはじめての芸能体験だったから忘れられない。

 「都をどり」は明治五年(一八七二)第一回京都博覧会の余興として、京都府参事槇村正直、祇園の茶屋一力の主人杉浦治郎右衛門と、今日京舞と呼ばれる舞踊井上流の家元三代目井上八千代によってつくられた。以来百四十年余り。今日まで続いている。

 京舞井上流は、初代八千代から現五代目まで、日本舞踊のなかでも独特の表現を持つ一派である。しかしなぜこういう一派が生まれたかは、井上家に伝わる伝承以外あまり明確でなかった。岡田万里子はその伝承を膨大な史料によって検証し、客観的にその歴史を描いている。

 構成は二部に分かれている。

 第一部は初代、二代目、三代目の三人の八千代の人生を描く。

 初代は書家であった井上敬輔の妹。京都の文化人サロンに育ち、近衛家に奉公した。近衛家には王朝文化の伝統とさまざまな芸能者の出入りがあり、その影響を受けた彼女は、近衛家を辞した後、舞の師匠、振付師として独立、井上流を創った。嘉永七年(一八五四)八十八歳で没する。

 二代目は兄敬輔の娘。初代につづいて能や文楽の人形の手法を取り入れ、慶応二年(一八六六)にはじめて名取を出し流派としての基盤をきずいたが、その後、七十四歳で没した。

 三代目は二代目の継承者。すでにふれた通り「都をどり」をつくり、昭和十三年(一九三八)百一歳で没した。

 江戸後期から昭和まで、三人の波乱の人生が活写される。

 第二部は井上流独特の表現に影響を与えた当時の上方の遊里の踊り、能の金剛流の町方の能楽師で、京都を代表する名手野村三次郎、文楽の人形遣いで、早替わりや宙吊(づ)りを得意にした吉田八蝶と吉田千四・兵吉父子、そして上方歌舞伎の舞台を描いて、今日井上流に残る作品の内容を検討している。

 その結果、当時の遊里では祇園町に限らず「舞さらえ」という大舞台での上演や祭礼に行列を作った「練り物」が行われ、街路で芸妓のページェントがあったことが描かれている。名古屋まで興行に出張しているのである。上方舞というと私たちは燭(しょく)台(だい)の灯の瞬く座敷の静かな舞だけを想像するが、それだけではなかった。そしてそういうなかで彼女たちは驚くべきことに能や狂言を演じ、人形浄瑠璃はもとより歌舞伎まで演じていたのである。しかもそれらの素材を自由に脚色していた。能の部分に艶っぽい男女の恋の唄が入っていることなど朝飯前だった。

 井上流の一種独特な無表情な、機械的な舞の動作、能から浄瑠璃までを自由に脚色した作品は、このような背景から生まれたものである。しかし今でこそ特殊に見えるその様式、作品も当時はごく一般的であり、にもかかわらず今日井上流にだけ残ったのは、井上流が祇園に定着したこと、もう一つは明治維新の近代化のなかで女紅場(にょこうば)という学校組織(それも祇園独特ではなかった)を今日までうまく運営して後継者の育成、遊里全体を統率したためであった。

 岡田万里子はこれらの事実を実証した。それが可能になったのは文化全体の流れをとらえる視点があったからである。その意味で本書は文化史であり風俗史として画期的である。多少専門的ではあるが、歴史のなかに浮かぶ人生や時代の風景はさながら小説や史伝を読むが如(ごと)くイキイキとして、私は大いに想像力を刺激された。
    --「今週の本棚:渡辺保・評 『京舞井上流の誕生』=岡田万里子・著」、『毎日新聞』2013年06月09日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130609ddm015070023000c.html:title]


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京舞井上流の誕生
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覚え書:「今週の本棚・新刊:『建築 21世紀はこれからだ』=馬場璋造ほか著」、『毎日新聞』2013年06月09日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『建築 21世紀はこれからだ』=馬場璋造ほか著
毎日新聞 2013年06月09日 東京朝刊

 (相模書房・1890円)

 これからの建築はいかにあるべきなのか。建築雑誌『新建築』の元編集者やカメラマンがそれぞれの視点から提言を行った。建築を評価する基準、保存運動の問題点、コンペの勝ち方--。執筆者7人の活動歴を積算すれば300年になるだけに、歯に衣(きぬ)着せぬ意見が並ぶ。

 執筆陣の中核である馬場璋造は約20年間、同誌編集長を務めた。丹下健三や前衛建築家集団メタボリストと関わり、建築ジャーナリズムを牽引(けんいん)してきた馬場は現代建築史の生き証人であり、本書も彼の喜寿を機に編まれた。だが、業界裏話の類いを期待すると見事に裏切られる。

 「変わらねばならない建築」と題した巻頭の一文では、モダニズム建築の歴史や価値観の変遷、情報技術の発達などに目配りしつつ、21世紀は地域社会が成熟していく「中世化」が進むと推測。建築家に対し、コスト優先主義からの脱却や職能向上を説き、「自らの努力で新時代を引き寄せよ」と叱咤(しった)激励する。

 21世紀の現在も、前世紀を引きずっている建築への疑問が感じられる。その受容者である私たちも、これから考えていくべきことは多いと思わされた。(田)
    --「今週の本棚・新刊:『建築 21世紀はこれからだ』=馬場璋造ほか著」、『毎日新聞』2013年06月09日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130609ddm015070012000c.html:title]


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書評:今泉みね子『脱原発から、その先へ ドイツの市民エネルギー革命』岩波書店、2013年。


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今泉みね子『脱原発から、その先へ ドイツの市民エネルギー革命』岩波書店、読了。本書は3.11以降のドイツのエネルギー政策とその背景、政策転換を実現するための具体例(その障害と現時点での問題点)をまとめた最新の報告。

[http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0258820/top.html:title]

本書は「フランスから電力を輸入できるから」ドイツの政策転換は可能になったのでは?という問いにも応えると同時に、また再生可能エネルギーの現在がバラ色でないことも浮き彫りにする。ただしそれが「可能」であるとの示唆は、一つのヒントになる。

エネルギー転換を進めるドイツの現状、政策転換の背景となるこれまでの環境政策、そして市民による政府の働きかけと再生可能エネルギーの現在の4点を分かり易くレポート。一朝一夕で実現した訳でないドイツの脱原発の「現在」がよく分かる一冊。おすすめです。


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 エネルギー転換について、ドイツのこれまでの経過をようやくすると、原発運転停止による電力供給不足はおこっておらず、それどころか2012年には過去最高の電力の輸出過剰を記録した。再生可能エネルギー発電も、量や設備容量の点ではかなり進展しているといえるだろう。課題はおもに、需要と供給のバランス、送電や配給といった供給構造の改革や拡充である。
 「エネルギー転換」は確かに当初は高くつく。従来とはまったく異なるエネルギー源をベースにするのだから当然である。
 それでも、再生可能エネルギーの利用技術にいったん投資してしまえば、長期的には経済的にも得策である。
 化石エネルギー源の多くは輸入に頼らねばならず、しかも量が有限で今後も価格が上がるだろうが、風や太陽は無限で無料だ。それに太陽光発電や風力発電が普及し、技術が向上するにつれて、太陽光発電の例でも明らかなように、発電コストもますます安くなるはずだ。原発や化石燃料発電による環境への負担、つまり「外部コスト」を計算に入れれば、現在でも安いぐらいだが、このような点は一般に伝わりにくい。再生可能エネルギー電力への賦課金による一般家庭への負担は、3人世帯の平均年間電力消費量を3500キロワット時とすると、2012年では年間126ユーロ(約1万4000円)、月にすればタバコ2箱分だった。たとえばこれが4箱分になってもまだ、大半の家庭は負担に耐えられるだろう。無駄な買い物や電力消費の削減で対応するという方策もある。
 それでも、「転換」にかかるコストを賦課金として無制限に電力料金に上乗せすれば、市民から拒否されるだろう。しかし一方では、石炭発電にはいまだに税金から多額の補助金が出ているという現実がある。家庭への負担を無制限に増やす以前に、政策レベルでまだ改善の余地があるのだ。「エネルギー転換」を真剣に目指すなら、まずはこうした旧式の発電技術への投資資金を削って、再生可能エネルギー利用にかかるコストに回すべきだろう。
    --今泉みね子『脱原発から、その先へ ドイツの市民エネルギー革命』岩波書店、2013年、32-34頁。

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覚え書:「今週の本棚:池澤夏樹・評 『「昭和」を送る』=中井久夫・著」、『毎日新聞』2013年06月09日(日)付。


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今週の本棚:池澤夏樹・評 『「昭和」を送る』=中井久夫・著
毎日新聞 2013年06月09日 東京朝刊

 (みすず書房・3150円)

 ◇人間観察から思索へと導く臨床“試論”集

 精神医学と人間を巡るエッセーを集めた一冊。

 エッセーは随筆と同じと思われがちだが、フランス語の語源に戻ればエッセーは「試みること」だ。身辺雑記ではなく「試論」。あるテーマについて主題を立てて思索を展開してみる。

 精神医学の臨床医として長らく患者を診てきた著者が、人間観察を通じて見つけたこと、知見と仮説をエッセーとして書く。だから見た目の割に中身はずっしりと重い。

 今、たいていの人は生きるための思考の枠組みとして科学を採用している。科学をまったく無視した生きかたはまず考えられない。しかし、言うまでもなく科学は万能ではない。我々は生きる日々を主観として受け取るが、科学はそれを客観として見よと教える。そこに隙間(すきま)がある。

 医学者は正にその隙間を引き受ける。人間の身体は自然科学の規則に従うマシンであるはずなのに常にそれを逸脱する。教科書と目前の症例が噛(か)み合わない。

 まして著者は精神科医だ。心の病気を科学として捕らえようとしてもすり抜けるものが多い。永遠の真理なのか、一回限りの事象なのか。治療は効いたのか、治ったのは偶然か。

 そういう臨床例の話がまずあって、その先で話題はさまざまに広がる。その一つ一つが背筋を伸ばして読むに価する。人間について知らぬことを教えられ、時にはちょっと挑発される。

 症例がおもしろいのは、我々が、自分でも他人でも、一人一人の人間をストーリーとしてとらえるからだろう。こういうことをしてこうなった、と言われると納得する。ストーリーを共有できることを親しい仲と言うのではないか(国と国の場合だって同じことで、だからストーリー=ヒストリーの共有が隣国との友好には大事なのだ)。

 大人になってから発症した無辜(むこ)梅毒の患者がいた。梅毒は抗生物質の普及以降は珍しい病気になったから医者たちが気づかなかったらしい。第四期になると精神の荒廃を伴う。

 この患者に対して標準的な療法は通用しなかった。そこで中井医師はヒデルギンとルシドリールという二つの薬を処方してみた。これは「パスカルの賭け」つまり「ダメでもともと」だったそうだ。これが医者自身が「わが目を信じられなかった」というほど効いた。

 薬の宣伝ではない。患者と医者と薬、組合せの妙ということらしい。こんなのが科学と人間の関係、医学というフィールドで起こっていることなのだろう。

 次にこのストーリーは医師自身の身体に舞台を移す。ご本人が脳梗塞(こうそく)を起こした後、目まいの症状が残った。対応策として前記の二つの薬の服用を続けることにした。前立腺のガンの摘出手術で服用を止めたら、術後目まいが戻った。微量のヒデルギンで見事に止まった。他の患者の例が二つ続く。

 ああ、我々は今、こういう身体感によって生きているのだと一種の感慨を持って読んだ。脳の中で起こっていることをああかこうかと推測する。薬は多くを試して効くものを見つけ出す。厳密な科学と経験蓄積。しかし身体も精神も謎に満ちている。よい医者は大胆であり、細心であり、なによりも謙虚だ。

 本のタイトル、「『昭和』を送る--ひととしての昭和天皇」は一九八九年の九月に書かれている。大喪(たいそう)の礼から七か月後だ。

 昭和九年に生まれて同時代を生きてきた自分の人生と精神科医から見た洞察を重ねて、昭和天皇を巡る精神史を明らかにする。戦争責任を考えれば、人々の間で時に天皇は「よい陛下」と「わるい陛下」に分裂していたと言う。これは父親の場合によく起こることで、そうでもしないと子供は父を受け止められないのだ。

 その一方、天皇本人は「責任を負わされて、しかも、自由裁量性が全然ないというのは、たいへん精神衛生に悪い」。その自衛策としてか、知的離脱を身に着けた。「新宿御苑の園遊会のテレビに見るように周囲に懸命に応対されつつ、もう一人の陛下は、そういうおのれを微苦笑とともに眺めておられたような気がしてならない」というのは当たっているだろう。

 この論について著者はまた、敬愛する師、「私の世代からみれば、保守的な愛国者でもある」土居健郎が書かせたと言う。「私は弁護者の立場に徹してそれを書いた」と。

 この論でいちばん大事なのは四半世紀前の時点で今上(きんじょう)ならびに皇后の性格を正しく評価していた点ではないだろうか。「明仁天皇はおのれの個人的勇気が利用されるだけに終わることを、かなり露骨に嫌悪されるのではないか」という推理は爾来(じらい)何度か実証されたように思う。

 それはそれとして、本書の中でぼくが読んで最もおもしろかったのは「笑いの生物学を試みる」以下の三本の論文、最も科学に近い分野の試論だった。

 とりわけ、思春期論には瞠目(どうもく)した。心の変化、身体の異変、その相互作用をこれほど端的かつ正確に書いた文章を他に知らない。体験の裏打ちがまたその信頼性を高めている。
    --「今週の本棚:池澤夏樹・評 『「昭和」を送る』=中井久夫・著」、『毎日新聞』2013年06月09日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚:持田叙子・評 『荷風俳句集』=加藤郁乎・編」、『毎日新聞』2013年06月09日(日)付。


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今週の本棚:持田叙子・評 『荷風俳句集』=加藤郁乎・編
毎日新聞 2013年06月09日 東京朝刊

 ◇持田叙子(のぶこ)評

 (岩波文庫・987円)

 ◇小さく可憐な“文学カメラ”で捉えた日常

 永井荷風は歩くのが好き。町が好き。町のなかを流れる川や家々をいろどる樹、表通りをはずれて自分を思いがけない未知の場所へと連れてゆく小さな道を愛す。そして巷(ちまた)に立ちこめる人々のにぎわいを愛する。

 そんな人が真底もっとも好きだったのは、歩く背広のポケットに入る文学カメラといってもよい小さな可憐(かれん)な詩型、五七五の俳句だったのではないかなあと、本書を読んであらためて、しみじみと思いあたる。

 長大な日記『断腸亭日乗』のそこここには、日々の感慨としての俳句が記される。この小さな詩は彼の随筆や小説にも侵入する。とりわけ場末の遊廓(ゆうかく)のうらぶれた滅びの詩情をうたう小説『ボク東綺譚』にユニークに、荷風の手による街頭のスナップ写真と俳句のちりばめられることは、あざやかな印象をはなつ。

 それにしても余技の域をこえ、文学者としての彼のいのちにここまで俳句が絡みつくとは--、荷風の八三六句を一気に並べる本書が問わず語りで示す命題である。彼の俳句が傑作か否かは別の問題として。

 荷風の句はそう凝らない。すなお、淡泊。古風な「や」「かな」をけっこう多用する。

三日月や代地(だいち)をぬけて柳橋

まつすぐな川筋(かはすぢ)いく里(り)日のみじか

葉ざくらや人に知られぬ昼あそび

 しかし本当にぴったり、ぶらぶら歩きやひそかなアソビのいうにいわれぬ情緒に、みずみずしい瞬間の発見の眼(め)をもつ俳句は。

 シングルをつらぬく荷風の日々の暮しにも、俳句はよく寄りそう。十代の頃からなじむこの詩型に安らいで、荷風はひとりの侘(わ)びしさ淋(さび)しさ楽しさをふっと呟(つぶや)き、ふっと笑う。

よせかけし竹の箒(はうき)にしぐれ哉(かな)

鍵穴をさぐる戸口や飛ぶ蛍(ほたる)

窓の燈やわが家うれしき夜の雪

ひとり居も馴(な)るればたのしかぶら汁

砂糖つけて食麺麭(パン)かじる夜長(よなが)哉

 いいなあ、どれもいいなあ……。まこと荷風は、日常の詩の発見者だ。そこには俳句カメラがよく機能していたのか! みずから料理し掃除する人だから、生活の細部に眼がゆき届く。詩人で主婦の彼は、何とこんな所まで見ている--「初霜や物干竿(ものほしざお)の節(ふし)の上」。

 その他、秀句は多い。浮世絵をほうふつさせる季節の匂いゆたかな、「両国や船にも立てる鯉(こひ)のぼり」「縁日の遠き火影(ほかげ)やさつき川」「肌ぬぎのむすめうつくし心太(ところてん)」などは、荷風文学ファンにはたまらないだろう。

 俳句の他、荷風の狂歌、漢詩、江戸音曲詞章を集成する本書は、『俳人荷風』(岩波現代文庫)の著作を残して昨年逝去した加藤郁乎(いくや)氏の入魂の編集による。巻末の池澤一郎氏の「解題」は加藤氏の衣鉢を継ぎ、荷風文学の詩情に溶けこむ滋養としての俳句を説いて重厚、読み応えがある。

 それにつけても幕末明治生れの人々の、何と多表現、多言語的であることか。荷風のみならず鴎外や漱石も外国語に長(た)け、かつ漢文や日本の詩歌の教養を自然に身に付けていた。ことばや発想の引出しがゆたか。硬軟自在。

 ゆたかなことばや発想は、人を自由にする。荷風について言えば核としてのロマンチストにとどまらず、ある時は漢文のレトリックを刀として世相を斬り、ある時は誹諧(はいかい)精神にて近代が忘れた笑いや自虐の系譜を回復した。

 自虐とは自己客観化。<文豪>という裸の王様になんかならず、ナサケナイ自分を笑いつづけた点にこそ、荷風の知の豪奢(ごうしゃ)がかがやく--「飯粒(めしつぶ)をはがすや古き足袋(たび)の裏」。
    --「今週の本棚:持田叙子・評 『荷風俳句集』=加藤郁乎・編」、『毎日新聞』2013年06月09日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130609ddm015070032000c.html:title]

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荷風俳句集 (岩波文庫)

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無理をして出かけるということ=我慢なのか?

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日曜は、2.5週間ぶりの休日なんだけど(ヤッタ!、家族との約束で、その付き添いというか、色々しないといけない。ホントはゆっくり休むとか自分の仕事(論文を書くとか)したいんだけどそういうわけにもいかない。

思えば、少年の頃、釣りが好きで、疲れた親父に無理を行ってつれていってもらった。当時は社会的にも日曜日だけが休日という世の中でしたが、親父は釣りなんか好きじゃないけど、無理して、よくつれていってくれたとは思う。その意味では、「我慢」というのとは違うけど、がんばるしかないのよね。

しかし、現実にはだるいという感情を否定することはできないし、それは虚偽なんだろうな。

……などと思いつつ、寝てから、その日は都内で数件、家人の用事を済ませてきました。

たしかにまあ、だるいのですが、家族も喜んでいたようですのでそれでよしとしておきます。

たぶん、死んだ親父もそうだったのではないのかなあ、などと、ぼんやり。

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覚え書:「今週の本棚:中村桂子・評 『鼻の先から尻尾まで-神経内科医の生物学』=岩田誠・著」、『毎日新聞』2013年06月09日(日)付。


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今週の本棚:中村桂子・評 『鼻の先から尻尾まで-神経内科医の生物学』=岩田誠・著
毎日新聞 2013年06月09日 東京朝刊

 (中山書店・2940円)

 ◇医療現場発「観察と洞察」の面白さ

 神経内科は、全身の神経系を対象とするので、「頭の天辺(てっぺん)から足の裏まで診察する科」と思ってきた岩田先生、近年その間違いに気づく。脊椎(せきつい)動物の先端は鼻、最後尾は尻尾(しっぽ)なのだ。四つん這(ば)いになってみると実感できる。先生の診療の基本は問診と診察、体に刺激を与えての反応の観察である。

 観察は日常にも及び、洗髪後鏡を見ながら(なけなしの髪とあるが、それはどうでもよい)片目をふさぐと反対側の瞳孔が拡(ひろ)がることに気づく。瞳孔の大きさは明るさにより変化することはよく知られているが、そこでは両目に入る光量の和が効いているのだ。片目を閉じれば当然入力は減る。体験を生かす医師の教育をと願って、これを授業で用いると学生は驚いて体に関心を示すとのことだ。

 これは「目玉の不思議」であり、このような観察と洞察が30話並んでいる。どれも専門知識と日常の眼が合体した面白さがある。「片頭痛は脳の病気?」には、突然の頭痛にこれで頭を縛るようにとデスデモナにハンカチを渡されるオセロが登場する。片頭痛は、拡張した動脈が三叉(さんさ)神経を引っ張って起こるので、縛って血流を減らすのがよいと説明できる。最近、動脈拡張の原因は三叉神経が炎症誘起物質を放出するためとわかり、原因遺伝子も見出(みいだ)された。ショパンも片頭痛に苦しんだ一人で、ピアノ・ソナタ第2番は第1楽章で予兆、次が恐怖、第3楽章の葬送行進曲は痛みに耐えるしかない諦め、第4楽章は脱力感と混迷だというのが岩田説だ。そう思って聴いてみよう。

 「“むせ”れば安全」も紹介したい。人体で最もスリルに富んだところは「咽頭(いんとう)」だとのこと。気道と食物道が交差する咽頭が、人間では言葉を話す能力と引き換えに誤嚥(ごえん)を起こす構造になり、窒息の危険を抱え込んだ。これを避けるのが“むせ”である。高齢者の死因として多い肺炎は、唾液が気道に入っても、むせて咳(せき)で追い出せなくなり、唾液中の細菌が肺に入って起こる。高齢になって咳ばらいができなくなったら要注意である。医師でも肺炎の原因は食物の誤嚥とし、経口摂取を止(や)めればよいとする人がまだ多いが、それは違うとの指摘になるほどと思う。

 患者の観察、解剖学で得た知識、生物進化への興味、芸術への関心などがみごとに混じり合った医師像が見えてくる。近年医学が科学技術化し、最先端科学と医療機器こそ最良の医療への道とされるが、現場でありがたいのはこういう医師の存在ではなかろうか。科学的知識は重要だが、診察し、判断し、治療するのは人間であることはいつの時代も変わらない。

 ところで岩田医師が「神様の失敗」とする人体部分が四つある。頸椎(けいつい)、鼠径(そけい)輪、肛門の周りの静脈叢(じょうみゃくそう)、腰椎である。頸椎症、鼠径ヘルニア、痔核(じかく)、腰椎症に悩む人は確かに多い。頸(くび)は重い頭に耐えかね、腹筋の裾が閉じていないので内臓がはみ出し、イキむと肛門の周囲に血液が集まり、腰も体重を支えかねている。人間が立ち上がったために起きた問題である。頸椎も腰椎も動くようにと椎間板が入っているが、年と共につぶれて弾力を失ないちょっとしたことで椎骨からはみ出す。椎間板の耐用年数は40年とのこと。それなのに私たちはテニスで腰をひねり、車をバックさせようと頸をまわし、椎間板をこき使う。ここで岩田先生敢然と反スポーツキャンペーンを張る。「担ぐな、ひねるな、反るな、屈(かが)むな」と。オリンピック招致キャンペーンとどちらに分があるか国民投票も面白いかもしれない。
    --「今週の本棚:中村桂子・評 『鼻の先から尻尾まで-神経内科医の生物学』=岩田誠・著」、『毎日新聞』2013年06月09日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130609ddm015070036000c.html:title]


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鼻の先から尻尾までー神経内科医の生物学
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覚え書:「今週の本棚・新刊:『犬の伊勢参り』=仁科邦男・著」、『毎日新聞』2013年06月09日(日)付。

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今週の本棚・新刊:『犬の伊勢参り』=仁科邦男・著
毎日新聞 2013年06月09日 東京朝刊

 (平凡社新書・840円)

 江戸の頃、庶民のあいだでは「お伊勢参り」が盛んだったことはよく知られている。伊勢神宮まで詣でたのは、善男善女だけではなかった。犬までもが、それも単独ではるばる東北、四国などからやってきては拝礼して帰郷した--という。

 一概には信じられない話だ。それを著者はさまざまな史料を渉猟するなかで、「事実は小説よりも奇なり」どころか、犬が国元の人たちの期待を背負って代参する事例があったことなどを描き出す。のみならず牛や豚までもが伊勢参りをしていた記録を発掘する。あくなき探求心は「歴史探偵」の名に恥じない。

 人に連れられることなく一匹でのお伊勢行が可能だったのか。そもそも犬に信仰心があったのか。そうした疑問を解くため、著者は日本人と犬がどういう関係を築いてきたのかを実証的に明らかにしていく。それらの謎解きは、明治初期以降、犬のお伊勢参りがぱたりと途絶えてしまったことと密接に関わってくるのだが、それは本書のヤマ場。言わぬが花だろう。ただ、最後に明かされる「信仰心」の論考は圧巻のひと言。

 式年遷宮の年にふさわしい知的好奇心を満たす好著の登場だ。(隈)
    --「今週の本棚・新刊:『犬の伊勢参り』=仁科邦男・著」、『毎日新聞』2013年06月09日(日)付。

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覚え書:「みんなの広場 橋下氏 発言姿勢に問題」、『毎日新聞』2013年06月05日(水)付。

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みんなの広場
橋下氏 発言姿勢に問題
無職 63(横浜市旭区)

 橋下徹大阪市長の発言が批判されていますが、私は発言の内容以前に、その発言の姿勢が気になります。自分の発言が報道された後の反応が批判的だったことを受けて、彼は「よく読んでもらえば分かる」「部分的に取り上げられて報道されたので真意が伝わらなかった」などと反論していました。自分の考えのどの部分が批判されたのか、というように自分を振り返るという行為が一切なく、自分以外のところに批判の原因をもっていっているのです。
 自分の意見に絶対的な自信がある、というか、内容を確認してみるということを思いつかない、ということでしょうか。
 一般的に、自分の意見が受け入れられなかった場合には、自分の真意がなぜ伝わらなかったのかをまず第一に自分の側から考えていくものですが、彼の態度にはそれが全くないように感じました。今、自分の意見の発信には積極的だが、自分と異なる人の意見を聞くということには消極的なことを改めて実感しました。
    --「みんなの広場 橋下氏 発言姿勢に問題」、『毎日新聞』2013年06月05日(水)付。

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覚え書:「書評:脳のなかの天使 [著]V・S・ラマチャンドラン [評者]福岡伸一」、『朝日新聞』2013年06月02日(日)付。

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脳のなかの天使 [著]V・S・ラマチャンドラン
[評者]福岡伸一(青山学院大学教授・生物学)  [掲載]2013年06月02日   [ジャンル]科学・生物 

■なぜ美を感じる? ヒトの特性に迫る

 ルリボシカミキリの青を、私は限りなく美しいと感じるが、ルリボシカミキリ自身は、仲間の背中の模様を、私が感じるように感じてはいない。おそらく彼らにはそれは青色ですらない(虫は色彩をもたない)。美とは一体何だろうか。この思考実験からわかるように、美は客観的な存在ではなく、私たちの心の作用としてある。美術家の森村泰昌は、芸術の本質は「まねぶ」ことにあるといった。まねすることは学ぶこと。
 意外なことに、脳科学の進展は、芸術家の直感と極めて近いところに焦点を結びつつある。本書は、ベストセラー『脳のなかの幽霊』の著者が、美の起源とヒトの脳の特性を縦横無尽に論じた最新作。読まずにはいられない。
 美を感じることは、生物学的に根拠がある。生存に必要なことを自然界から抽出する操作として。青に美を感じるのは、海や大気の色だから。ダイヤモンドの輝きが美しいのは、水の反射を想起させるから。
 その抽出方法を、著者は美の原理を順に挙げ論じていく。ひとつは単離。複雑なものから輪郭、色、形状、動きなど少数の要素を取り出してみせること。もうひとつはピークシフト。単離されたものがもつベクトルをさらに強めること。ラスコーの壁画はなぜ忘れがたいほど美しいのか。バイソンは輪郭線だけで表現され(単離)、小さな頭と大きな背の盛り上がりが見事に誇張されている(ピークシフト)から。ピカソの絵が破調に見えて、なおそこに美があるのも、それが天才による極端な単離とピークシフトだから。
 ではなぜヒトは自然からことさら美を抽出する必要があったのか。進化の光を当てると見えてくる。ここからが本書の核心部分。それはある光景を思い浮かべるとき、実際にそ れを見ているのと同じ体験が可能だから。バーチャルリアリティーによってリハーサルできることがリアリティーと直面したときの準備を与え得るから。
 著者はここに、近年の脳科学の最大の発見、ミラーニューロンを結びつける。この神経細胞は特定の動作をしているとき活性化されるだけでなく、その動作を他の個体が行っているときも同じように活性化する。いわば「まねぶ」の回路。この回路を脳の他のしくみと連携させたおかげで、ヒトは遺伝子の束縛から脱し、サルと袂(たもと)を分かって短期間のうちに文化と文明を築き得た。
 米国では『ゲーデル、エッシャー、バッハ』の著者D・ホフスタッターの新著『Surfaces and Essences』が評判だ。テーマはアナロジー能力がヒトをヒトたらしめたこと。まねぶ意義がにわかに注目を集めているのである。
    ◇
 山下篤子訳、角川書店・1995円/V.S.Ramachandran 神経科学者。カリフォルニア大学サンディエゴ校の脳認知センター教授及び所長。ソーク研究所兼任教授。共著に『脳のなかの幽霊』、著書に『脳のなかの幽霊、ふたたび』など。
    --「書評:脳のなかの天使 [著]V・S・ラマチャンドラン [評者]福岡伸一」、『朝日新聞』2013年06月02日(日)付。

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覚え書:「書評:旅立つ理由 [著]旦敬介 [評者]内澤旬子」、『朝日新聞』2013年06月02日(日)付。

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旅立つ理由 [著]旦敬介
[評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)  [掲載]2013年06月02日   [ジャンル]文芸 


■旅の醍醐味、粋に描いた短編集

 旅をテーマにした本を手に取るには、特別な気力を振り絞らねばならない。
 旅というものは、本来実にわがままな娯楽にすぎない。異郷の地について知るのだったら、定住までの記録や専門知識にのっとった調査による紀行文を読むほうが格段におもしろく外れが少ない。しかしそれらは、純粋な旅の記述とはちょっと違うものだ。
 旅人は、異国の地でほどよく初心者であってほしい。そして、購(あがな)って得る対価以上の「なにか」は、求めずして偶然に降ってくるからこそ、響くもの。だからこそそういう出会いを求め歩いていることが透けて見える文を読むと、一気に興ざめる。ついでに言えば旅の自慢もナルシスティックな旅の言い訳も、苦手だ。
 偏屈極まりない読者であることは自覚している。ならば読まなければいいのだが、極上の「旅」が読める機会を逃すのは惜しい。
 タイトルから警戒して開いた本書であるが、旅に出る理由を語るような野暮(やぼ)とは無縁の、実にクールな旅の短編小説集だった。
 国境を越え両替もしないうちに入ったウガンダの食堂。次の国に行くための予防接種。ビールを求めてやっと見つけたザンジバルのバー。
 旅の途上で誰でも出会うような出来事と、人々のなにげないしぐさや会話から、彼らの民族的な流浪の背景を鮮やかに切り取り、読み手をふと浮き立つような切ない気持ちに導く。自分が移動のさなかに味わうあの気持ち。言いたくないけど言ってしまえば、旅の醍醐味(だいごみ)。それが小説全21編にわたって嫌みなく粋に鏤(ちりば)められている。登場する土地に対する知識や語学力、観察眼や人生経験を備えているだけで書けるレベルの文ではない。こんな風に書けたらどんなに素敵(すてき)だろうと、嫉妬も忘れ素直に憧れる。唯一の難点は、旅心に火が点(つ)いてしまうこと。良書の証しとはいえ、困る。
    ◇
 岩波書店・2415円/だん・けいすけ 59年生まれ。作家、翻訳家、ラテンアメリカ文学研究者。明治大教員。
    --「書評:旅立つ理由 [著]旦敬介 [評者]内澤旬子」、『朝日新聞』2013年06月02日(日)付。

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書評:金森修『動物に魂はあるのか 生命を見つめる哲学』中公新書、2012年。


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金森修『動物に魂はあるのか 生命を見つめる哲学』中公新書、読了。動物には魂があるのか、それとも機械なのか。本書はアリストテレスからデリダに至るまでの動物霊魂論……主として17-18世紀フランス思想……の系譜を読み直す試み。動物とは何かとの問いは人間とは何かを変奏する。

機械論vs霊魂論。「動物論の背後には、不可視の境界に接するように、議論場の背後に人間論が控えている」。西洋世界の知的冒険は、全肯定という名の全体への回収としての日本的融通無碍に対して、積極的な刺激になるであろう。

デカルト以降カントまでのフランス思想史は定型で済まされその名実が問われることは殆どない。機械論と霊魂論の拮抗した二百年の思想史を拾い上げる本書は、優れた近代哲学(心身論)の入門書ともなっている。

「お前がそんなに複雑で優れた魂をもっているのは、他人だけではなく、他の生物にもできる限り気遣いをすることができるように、そうなっているんだよ」。他より少し「特別」と自認する人間の在り方を自覚し直したい。

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動物に魂はあるのか 生命を見つめる哲学 (中公新書)
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覚え書:「書評:彼女たちはなぜ万引きがやめられないのか?―窃盗癖という病 [著]河村重実 [監修]竹村道夫 [評者]鷲田清一」、『朝日新聞』2013年06月02日(日)付。

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彼女たちはなぜ万引きがやめられないのか?―窃盗癖という病 [著]河村重実 [監修]竹村道夫
[評者]鷲田清一(大谷大学教授・哲学)  [掲載]2013年06月02日   [ジャンル]教育 医学・福祉 社会 

■「治療的司法」への取り組みも

 一見遠い話のようだが、この本で引かれた手記を読んで、ハマってしまってどうにも抜けられない窃盗癖患者の苦しみが立ち上がるその足許(あしもと)が、自身のそれと地続きでないと言い切れる人がどれだけいるだろう。動機も発動の仕方も相当に複雑だが、彼らが「これまでの人生で、自分に責任があるとは思われない、割に合わない役割を背負わされた体験者」であるのは間違いないと竹村医師はいう。
 議論は、高い比率でみられる過食嘔吐(おうと)型の摂食障害と窃盗癖とのクロス・アディクション(多重嗜癖〈しへき〉)に限定されているが、この嗜癖は自身を蝕(むしば)むだけでなく、はっきりと他者に被害を及ぼす。だからそれへの対応も、係争と治療のあいだを揺れ動いてきた。治療の実際のみならず、自助グループの活動、「治療的司法」への地道な取り組み、弁護活動の過程なども丹念に紹介されている。患者さんみずからが作った、万引きをやめるための「具体策」の真っ直(す)ぐさに目頭が熱くなった。
    ◇
 飛鳥新社・1680円
    --「書評:彼女たちはなぜ万引きがやめられないのか?―窃盗癖という病 [著]河村重実 [監修]竹村道夫 [評者]鷲田清一」、『朝日新聞』2013年06月02日(日)付。

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彼女たちはなぜ万引きがやめられないのか? 窃盗癖という病
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覚え書:「書評:『八月の砲声』を聞いた日本人―第一次世界大戦と植村尚清『ドイツ幽閉記』 [著]奈良岡聰智 [評者]保阪正康」、『朝日新聞』2013年06月02日(日)付。

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「八月の砲声」を聞いた日本人―第一次世界大戦と植村尚清「ドイツ幽閉記」 [著]奈良岡聰智
[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)  [掲載]2013年06月02日   [ジャンル]歴史 ノンフィクション・評伝 


■知られざる国家総力戦の実態

 1914年7月の第1次世界大戦勃発時、ドイツには約600人の日本人(留学生が多い)が滞在していたと推測される。当初、日本は味方と目されていたが、やがて日英同盟の関係で日本も参戦しドイツに最後通牒(つうちょう)をつきつけると、その空気は一変する。
 本書の1では日本政治史研究者の著者が、各種資料をもとに「敵国日本人」の置かれた状況を解説する。この解説を理解して、2のプラハのドイツ大学で細菌学研究を続けていた医師・植村尚清(ひさきよ)の80日間に及ぶ幽閉記録を読むと、第1次世界大戦の知られざる一面がわかってくる。植村は、ドイツ人の多くからドイツは日本に多くの知識・学問を教えたのになぜ戦いを挑むのか、「恩知らず」と罵声を浴びせられた。植村の筆も、ドイツ人は心が狭い、惨忍(ざんにん)な行動に走ると怒りだす。
 著者の語る会社員、旅芸人、ドイツ人の妻など多様な日本人の辛苦の姿に、実はドイツの国家総力戦の実態があったとの指摘は鋭く、貴重だ。
    ◇
 千倉書房・3360円
    --「書評:『八月の砲声』を聞いた日本人―第一次世界大戦と植村尚清『ドイツ幽閉記』 [著]奈良岡聰智 [評者]保阪正康」、『朝日新聞』2013年06月02日(日)付。

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書評:R・E・ルーベンスタイン『殺す理由 なぜアメリカ人は戦争を選ぶのか』紀伊國屋書店、2013年。


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 別の言い方をするなら、戦争は通常アメリカ国民に対して、この市民宗教の諸原理によって--要求されないまでも--正当化されるものとして売りこまれるということだ。社会学者のロバート・N・ベラー〔一九二三生〕によれば、市民宗教とはものの見方や信念や行動の大まかな体系を意味し、組織化された宗教と同じではないが重複する部分を有し、国家のアイデンティティーに倫理的次元を提供する。
    --R・E・ルーベンスタイン『殺す理由 なぜアメリカ人は戦争を選ぶのか』紀伊國屋書店、2013年、55-56頁。

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R・E・ルーベンスタイン『殺す理由 なぜアメリカ人は戦争を選ぶのか』紀伊國屋書店、読了。米国の歴史とは戦争を選択してきた歩みである。本書は、紛争解決学の著者は通俗的なドクサを退けながら、米国の歴史を辿るなかで集団的暴力が「道徳的に」正当化されてきた文化的・社会的要因を探る。

「なぜアメリカはかくも憎まれるのか」はイコール「なぜアメリカはかくも戦争ばかりしたがるのか」である。著者はフロンティア征服欲に観られる通俗的な文化論を一蹴する。戦争を選ぶには確固たる理由があるのだ。

実利にさといはずのアメリカ人が戦争を容認してきた理由は、それが道徳的に正当化されると納得したときに戦争が選択されるという。本書は「自衛」「愛国」「道徳」の側面からその経緯を浮き彫りにする。

著者は米国史を振り返りながら一つの共通点を見出す。それは、関わっていこうとする戦争が道徳的に正しいか否かの判断について最も大きな影響を与えているのはアメリカの市民宗教(ベラー)ということ。

国家統合としての「見えざる国教」による承認が満たされた場合、戦争へ舵を切り、人々は献身していく。市民宗教は最良の形で表出することもあれば逆もある。そして為政者はそれをコントロールする。

平和を創出するためには、原論に直結した議論も必要でろう(日本ではこれがミスリード)。著者の議論は、平和原論に対して極めて辛辣かつ挑発的な「実践さ」が特徴だが、省りみられない深部にメスを入れる。


 


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 私たちアメリカ人は通常なら、かなり実利にさとい国民である。遠隔地の貧しい人々に寄付してほしいとか、地元の警察官や消防士を支援してほしいと求められると、寄付金のどれほどが実際にくだんの目的で使われるのか、どれほどが何者かのポケットに入るのかを知りたがる。ところが、異国の地で戦うために息子や娘や恋人を供出せよと求められると、愛国心的心情か何らかの抑制因子が働いて、同様の実際的な質問をすることをしばしば思いとどまってしまう。誰が戦争から利益を得るのか? 私たちが戦うか否かを決する際に、どれほどの軍のキャリアや民間人の雇用、企業役員の給料や株主の配当が、その決定に左右されるのか? 私はけっして、おおかたの戦争は純粋に私的な利益のために遂行されると言っているのでも、誰かを必然的に豊にする正義の戦争はありえないと言っているのでもない。だが、あるケースに利害を有することは、それをどのように評価するかに影響を及ぼす。だからこそ、判事その他の公僕はそうした利害を開示することを期待されている。要するに、私たち一人ひとりが和戦いずれかを決する際に考慮できるように、主戦論者が戦争にいかなる利害を有しているのか、私たちは彼らにそれを開示するよう要求しなくてはならないのだ。
    --R・E・ルーベンスタイン『殺す理由 なぜアメリカ人は戦争を選ぶのか』紀伊國屋書店、2013年、266-267頁。

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覚え書:「書評:アンネ・フランクについて語るときに僕たちの語ること [著]ネイサン・イングランダー [評者]小野正嗣」、『朝日新聞』2013年06月02日(日)付。


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アンネ・フランクについて語るときに僕たちの語ること [著]ネイサン・イングランダー
[評者]小野正嗣(作家・明治学院大学准教授)  [掲載]2013年06月02日   [ジャンル]文芸 人文 


■生還者は「人間的」になったのか

 艱難(かんなん)汝(なんじ)を玉にす。だが、途方もない災厄を経験した者はその分だけ人格者になれる、とナイーブに考えるのは幻想である。ヨーロッパで約600万人が虫けらのように殺戮(さつりく)されたユダヤ人虐殺(ホロコースト)の地獄から生還した者たちは、より〈人間的〉になったのだろうか?
 自身も厳格なユダヤ教徒の家庭に育った著者の意見はどうやら否定的だ。
 表題作の短編では、正統的ユダヤ教徒となりイスラエルに移住したマーク夫妻を、フロリダに暮らすユダヤ系の主人公夫妻が迎え入れる。そこで語られるマークの父親の逸話は強烈である。ゴルフ場のロッカールームで同じ絶滅収容所の生存者に再会した父親が示す反応は、決して心温まる〈いい話〉などではない。
 ヨルダン川西岸のユダヤ人入植地が舞台の「姉妹の丘」では、度重なる戦争で夫と子供を失った女性リーナが、労苦と悲しみによって頑迷さを深め、パレスチナ人から土地を奪うのみならず、過去の約束を盾に若い女性の未来を奪う。「キャンプ・サンダウン」は、サマーキャンプに集うユダヤ人の老人たちを描くものだが、ホロコーストの被害者である彼らは偏狭な思い込みから無実の老人を迫害するのである。
 「覗(のぞ)き見ショー」の主人公アレンを苛(さいな)む深い罪悪感は、妊娠中の妻がいるにもかかわらずいかがわしい店に入ることに加えて、改名までして自らのユダヤ性を捨て去ろうとしたことに由来する。
 本作の短編群には、アウシュビッツ以降の世界でユダヤ人であることの生きづらさが示されている。だが、ユダヤ人にも様々な宗教的、思想的立場があり、その不条理や矛盾に葛藤する人物たちの姿こそが〈人間的〉なのだ。ホロコーストによる個人的あるいは集団的な深い傷を抱えた人間が、我々と同じくらい愚昧(ぐまい)さを抱えてもいると知ることは、我々をより〈人間的〉にしてくれる気がする。
    ◇
 小竹由美子訳、新潮社・1995円/Nathan Englander 70年米国生まれ。本書でフランク・オコナー国際短編賞。
    --「書評:アンネ・フランクについて語るときに僕たちの語ること [著]ネイサン・イングランダー [評者]小野正嗣」、『朝日新聞』2013年06月02日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013060200006.html:title]


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覚え書:「書評:少子化論―なぜまだ結婚、出産しやすい国にならないのか [著]松田茂樹 [評者]水無田気流」、『朝日新聞』2013年06月02日(日)付。

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少子化論―なぜまだ結婚、出産しやすい国にならないのか [著]松田茂樹
[評者]水無田気流(詩人・社会学者)  [掲載]2013年06月02日   [ジャンル]政治 社会 


■従来の対策の根本的な転換を

 少子化は、日本社会の抱える問題の集積点である。しかしながら経済・社会・家族関係などと不可分の関係にあるため、客観的に論じることは難しい。自明視されているがゆえに見えない問題に本書は一つ一つ光を当てていく。
 このまま少子化が進めば、社会保障制度は破綻(はたん)し、労働力も消費力も大幅に損なわれる。次世代を産み育てる若年層に優しい政策が必要だが、肝心の投票率は高齢者層が高いため、政治は「高齢者シフト」が起こっている。また地域社会は学区など子どもを媒介にしたつながりを基盤としてきたが、これも解体の危機に瀕(ひん)している。なるほど少子化とは、単に次世代人口が減少することのみを意味しない。総体としてこの国を崩壊に導く時限爆弾なのだ。
 それに対し、従来の少子化対策には根本的な誤りがあったと筆者は指摘する。少子化の最大の要因は未婚化であり、若年層の非正規雇用増加などが背景にある。それゆえ、制度に守られず生活も不安定な非正規雇用者こそ優先的に賃上げし、同一労働同一賃金を目指すべきである。また雇用の場でも子育て当事者しか念頭に置いていないのも問題だ。日本の育休制度は先進諸国の中では中程度だが、育休取得中の社員の穴埋めを求められる他の社員の負担増は見えていない。むしろ有給休暇の取得促進や残業削減策など、総合的な労働時間減少と効率性向上が肝要。女性個人の育児と就業だけではなく、総合的な協業と次世代再生産の両立が目指されるべきだ。
 通読して、あまりにも育児当事者(母親)支援に偏った現行制度の問題を再認した。これは裏を返せば、子育ては個人責任との認識から来るものだろう。昨今話題の「女性手帳」も問題は同根である。諸外国に比べ、日本は公共交通機関などで子連れに冷淡だという報告も気になる。この国の、今ここにある危機を読み解くガイドとなる一冊。
    ◇
 勁草書房・2940円/まつだ・しげき 70年生まれ。中京大学教授(社会学)。『何が育児を支えるのか』など。
    --「書評:少子化論―なぜまだ結婚、出産しやすい国にならないのか [著]松田茂樹 [評者]水無田気流」、『朝日新聞』2013年06月02日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013060200011.html:title]

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覚え書:「企画展:『明治文化研究の奇人変人たち』 吉野作造ら作品展示 幻の草稿「圧迫と虐殺」公開--きょうから大崎で /宮城」、『毎日新聞』2013年05月26日(日)付、地方版。


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企画展:「明治文化研究の奇人変人たち」 吉野作造ら作品展示 幻の草稿「圧迫と虐殺」公開--きょうから大崎で /宮城
毎日新聞 2013年05月26日 地方版

 大崎市古川の吉野作造記念館は26日からの企画展「明治文化研究の奇人変人たち--吉野作造・尾佐竹猛・宮武外骨」で、吉野が1923(大正12)年9月の関東大震災時に記した幻の草稿「圧迫と虐殺」を展示する。

 草稿は震災時に続発した労働運動家・社会主義者に対する官憲・軍隊による圧迫や、自警団による朝鮮人虐殺の模様を関係者から聞き取りするなどし原稿用紙約60枚に書きまとめたもの。

 当時の出版社「改造社」発行の「大正大震火災誌」に掲載しようとしたが、内務省から公表差し止め処分を受け、吉野が「後年の参考に」と表紙を付け和とじにして保存。震災から40年後、吉野没(33年)から30年後の63年にみすず書房が刊行した「現代史資料6 関東大震災と朝鮮人」に収載された。

 所蔵先の東大大学院法学政治学研究科付属明治新聞雑誌文庫が貸し出した。草稿は吉野の公正な人間観を伝える。

 尾佐竹は大審院判事、宮武は風刺ジャーナリストで、吉野と「明治文化研究会」を主宰し本業以外にさまざまな顔を見せた。宮武が作った奇妙な六角形の小さな本が珍しい。

 26日午後2時から堅田剛独協大法学部教授による講演「明治文化研究会の三博士」がある。7月28日まで。有料。問い合わせは同記念館(0229・23・7100)。【小原博人】 
    --「企画展:『明治文化研究の奇人変人たち』 吉野作造ら作品展示 幻の草稿「圧迫と虐殺」公開--きょうから大崎で /宮城」、『毎日新聞』2013年05月26日(日)付、地方版。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130526ddlk04040038000c.html:title]

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覚え書:「書評:『自然主義』と呼ばれたもの達―失われた近代を求めて2 [著]橋本治 [評者]赤坂真理」、『朝日新聞』2013年06月02日(日)付。

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「自然主義」と呼ばれたもの達―失われた近代を求めて2 [著]橋本治
[評者]赤坂真理(作家)  [掲載]2013年06月02日   [ジャンル]文芸 ノンフィクション・評伝 


■「外来の流行」あてはめた不幸

 あなたが外国語に堪能で、最近は日本語のほうがおぼつかないくらいだ、とする。それでも、故郷の信州の風景とそこで育んだ「私」の心情を書きたい衝動が内に湧いたとき、外国語では決して触れられないものを発見するはずだ。
 これが、現代日本語そのものの生成過程だったと知ると驚く。母国語そのものが、そういう渇きや不備を抱えていて、その解消に、ある人々が苦闘した時代が、ほんの百年ほど昔にあった。そしてそのことを、今の私たちはなんにも知らないし、教えられない。
 だから橋本治が、書かなければならなかった。
 日本は長らく、公文書には漢文つまり中国語を使い、日本固有の物語を著すのには、漢字を音で一字一字当ててみたり、やがて仮名との「和漢混淆(こんこう)文」をつくったり……と、書き言葉と話し言葉は長らく一致しなかった。「翻訳」ではなく「訓読み」というかたちで、異物を異物のまま内化しつつ、常に生成途上のような言語とともにあり、ようやく言文一致体を手にした。
 日本という国は、何かへの内発的欲求と、外部状況に巻き込まれた否応(いやおう)なしの変化とが、一緒にやってくることが多い。そのため「新しい文体」も「新しい物語」も、名付ける言葉は内側からは出てこずに、「自然主義」と外来の流行概念をあてはめるしかなかった。だから「自然主義と呼ばれたもの達(たち)」であり、それは一種の不幸である。こういう不幸は日本の至るところにある。憲法だって、そうである。こういうことが空前の規模で起きたのが、明治という時代だったとは言えるだろう。私たちはまだ、そのつけを払っている。
 これは、日本語と、それで表される物語に関する本であると同時に、すぐれた歴史書である。本当は、こういうことが学校で教えられなければいけない。
    ◇
 朝日新聞出版・2310円/はしもと・おさむ 48年生まれ。作家。『巡礼』『蝶のゆくえ』など。
    --「書評:『自然主義』と呼ばれたもの達―失われた近代を求めて2 [著]橋本治 [評者]赤坂真理」、『朝日新聞』2013年06月02日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013060200004.html:title]


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「自然主義」と呼ばれたもの達
朝日新聞出版 (2013-06-10)
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覚え書:「書評:褐色の世界史―第三世界とはなにか [著]ヴィジャイ・プラシャド [評者]柄谷行人」、『朝日新聞』2013年06月02日(日)付。

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褐色の世界史―第三世界とはなにか [著]ヴィジャイ・プラシャド
[評者]柄谷行人(哲学者)  [掲載]2013年06月02日   [ジャンル]歴史 


■プロジェクトの出現と崩壊追う

 「第三世界」という言葉は今も使われるが、ほとんど途上国や経済的後進国という意味でしかない。本書の序文冒頭に、次のことばがある。《第三世界は場所ではない。プロジェクトである》。このプロジェクトはたんに、これまで植民地下にあった諸国が独立し、西洋先進国と並ぶようになるということではない。それまで前近代的として否定されてきたものを高次元で回復することによって、西洋先進国文明の限界を乗り越えるというものである。このような理念がなくなれば、第三世界は消滅するほかない。本書は、この理念がいかにして出現し、且(か)つ消えていったかを丹念に追跡するものである。
 本書から、私は第三世界に関する基礎的な史実を学んだ。その中でも興味深いのは、第三世界の運動が国連を中心にしたということである。つまり、途上国の連合体は、大国に従属せず、国連を通して力を行使しえたのである。もう一つ大事なのは、第三世界が、1927年ブリュッセルで結成された「反帝国主義連盟」から始まるという指摘である。このことは、第三世界が帝国主義戦争(第1次大戦)の結果として生まれてきたことを意味する。
 かつて第三世界は世俗的・社会主義的なナショナリズムを掲げたが、今やそれが消えて、人種、宗教などにもとづく偏狭な文化ナショナリズムに転じた。が、この傾向は経済的後進国に限らない。日本でもどこでもそうなっている。これをもたらしたのは、グローバルな資本主義である。それは新自由主義と呼ばれているが、新帝国主義と呼ぶべきものである。「第三世界」を滅ぼしたのは、この新帝国主義である。しかし、本書を読んで、私はこう思った。そう遠くない将来に、「第三世界」に代わるものが生まれるだろう、そして、それは新たな国連と結びつくだろう、と。
    ◇
 粟飯原文子訳、水声社・4200円/Vijay Prashad 米トリニティ・カレッジ教授(南アジア史、国際学)。
    --「書評:褐色の世界史―第三世界とはなにか [著]ヴィジャイ・プラシャド [評者]柄谷行人」、『朝日新聞』2013年06月02日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013060200005.html:title]

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書評:鳥居龍蔵『ある老学徒の手記』岩波文庫、2013年。


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鳥居龍蔵『ある老学徒の手記』岩波文庫、読了。本書は小学校中退で国際的に活躍した東京帝大助教授(人類学)の自伝、1953年朝日新聞社刊行の初の文庫収録。

生涯の概要は以下に詳しい(徳島県立鳥居龍蔵記念館)
→ http://www.torii-museum.tokushima-ec.ed.jp/denki.htm 

60年・400頁の記録は躍動的時代小説の如し。脇目もふらず一気に読んだ。

「私は学校卒業証書や肩書で生活しない。私は私自身を創り出したので、私一個人は私のみである」。鳥居は小学校を中退し独学自習の末、研究者へ。1875年に小学校全国設置の翌年の入学だが、学校嫌い=探究嫌いではない。「枠」が探究を塞ぐことを示す。

本書の前半は鳥居少年の軌跡、後半は、中国・蒙古、そして南島を東奔西走する調査冒険の記録。学校否定から始まった学問の探究は、学歴・肩書きとの対決(要はいじめ)の連続だ。無学歴で助教授まで登るも軋轢から辞職。しかし探究は倦むことを知らない。

しかし鳥居は歯牙にかけない。帝大を出なくとも数カ国語を操り、欧文で論文を書く。評価したのは先端の欧米だった。開国後、日本の国是は追いつけ・追い越せ。しかしその内実は、コピペと学界・学内政治。今も同じである。その軌跡は学ぶ意義と

鳥居龍蔵は確かに字義通り「学校嫌い」で、学校を出たという「権威」との闘いの連続だったが、「学校嫌い」イコール「探究」ぎらいではなかった点は留意すべき。そして探究(その補助としての知識の吸収を含め)に関して、学校という「枠」の用意したそれに準拠しなくても学ぶことはできる訳でもある。

鳥居龍蔵は語学の天才といってよい。自伝を読みつつ稀代の碩学・井筒俊彦を想起せざるを得なかった。昨今、グローバル教育(なんじゃそりゃ)でTOEICの点数稼ぎドリルに狂奔しているけれども、手段に過ぎない語学の修得に関しても、短期的「益」を超えた好奇心こそ、その習熟の因になるなあと。

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覚え書:「書評:さらば、食料廃棄 S・クロイツベルガー、V・トゥルン著」、『東京新聞』2013年6月2日(日)付。


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【書評】

さらば、食料廃棄 S・クロイツベルガー、V・トゥルン 著

2013年6月2日

◆飢餓と地球を救う買い方
[評者]小林照幸=作家
 食料廃棄と飢餓は表裏一体…。ドイツ人のジャーナリストと映像作家が自国やフランスなど世界各国の食料の生産、消費、廃棄の現状を取材し警告した。現在、世界人口は約七十億人。うち七分の一が飢餓に悩む。一方、世界で食用として収穫及び生産された食料品の三分の一がゴミとして廃棄されている、という。先進国では、その割合は二分の一にもなるようだ。読み進むほどに、食料廃棄が地球に強いる負荷の大きさを痛感させられる。
 洋の東西を問わず、スーパーマーケットは営業時間の延長と共に廃棄食品が増えた。まだ十分食べられる生鮮食品でも、見た目、賞味期限の頃合いで廃棄し、新品と入れ替えるシステムのためだ。廃棄食料を飼料や肥料にする再利用は限られ、大半は焼却処分し、排出される温室効果ガスが地球温暖化の一因となる。食料廃棄削減で地球温暖化抑制を、と唱える以前に途上国の食料生産の現在を知る必要がある。
 途上国の多くは農業国。森林を伐採して農場を作るが、耕地の大半は輸出用作物の栽培だ。世界の穀物は、肉を大量消費する先進国のために、その多くが家畜の餌になる。これらが地球温暖化と飢餓を加速させている。
 こうした現況を伝え、ドイツをはじめ各国で廃棄食品を利用し、リサイクルする個人やフードバンクなど各団体の活動のルポは感動的ですらある。
 廃棄されたパンをペレット材と混ぜて燃料に活用するドイツでの試み、レストランや学校給食の食べ残しを豚の餌にリサイクルし、その餌で育った豚肉のブランド化に成功した横浜市の紹介はインパクトが強かった。
 食料廃棄の削減で、我々にできることは多い。賞味期限直前の商品を値引きで売り切る努力もひとつだが、著者は何よりも我々が食べ物を無駄にせず、計画的な買い物を行うことを強調する。大量に食料を輸入し、大量に廃棄する日本人の足元を問い、改善への取り組みのヒントにも富んだ一冊だ。
    ◇
 Stefan Kreutzberger ジャーナリスト。Valentin Thurn 映画監督。
(長谷川圭訳、春秋社・2625円)
◆もう1冊
 T・スチュアート著『世界の食料ムダ捨て事情』(中村友訳・NHK出版)。消費者・生産者を取材し、食料廃棄の実態をルポ。
    --「書評:さらば、食料廃棄 S・クロイツベルガー、V・トゥルン著」、『東京新聞』2013年6月2日(日)付。

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013060202000166.html


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さらば、食料廃棄 捨てない挑戦
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覚え書:「書評:日本の景気は賃金が決める 吉本佳生著」、『東京新聞』2013年6月2日(日)付。

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【書評】

日本の景気は賃金が決める 吉本佳生 著

2013年6月2日


◆格差縮小の必要性を説く
[評者]根井雅弘=京都大教授
 景気をよくするにはどうしたらよいかという議論が盛んに行われているが、本書は、賃金格差の拡大が不況を深化させたという基本的な立場に立って政策提言した問題提起の書である。
 安倍内閣の発足以来、マスメディアによく登場するようになった「アベノミクス」とは、「三本の矢」(大胆な金融政策、機動的な財政政策、産業の成長戦略)に支えられた経済政策のことである。このなかで「大胆な金融政策」がとくに注目を浴びているが、著者は、たとえ2%のインフレ目標が達成されたとしても(円安や資源価格高騰によって達成される可能性はあると著者はみている)、それは例えば複数の子供がいて教育費のたくさんかかる世帯に打撃を与えるので景気回復にはつながらないと言う。
 現在、「男女間」「企業規模の大小」「正規・非正規などの雇用形態」「勤続年数の長短」による賃金格差が歴然と存在しているが、弱い立場にいる労働者ほど消費性向(所得のうち消費に回す割合)が高いのだから、「賃金格差の大幅な縮小なくして、本格的な景気回復はない」と著者は主張する。論理は明快だ。
 評価が分かれるとすれば、第三次産業の比重の重さ(いまや全体の75%を占める)や担保となりうる都市部の不動産を重視するあまり、大胆な金融政策が不動産価格の上昇と都市への人口集中を招いてサービス業を中心に需要が増大していくことに期待をかけているところだろう。バブルになってもかまわないという意見は大胆だ。
 名目賃金の下落に注目してデフレを語るのはケインジアンなら理解しやすいが、景気の動向をみるには、消費ばかりでなく、シュンペーターがいうような革新投資(将来の需要につながるようなイノベーション)にも注目すべきだろう。景気回復のために次から次へと提言が出てくるのは、それだけ景気回復への国民の期待が大きいことの反映なのだろう。
   ◇
 よしもと・よしお 1963年生まれ。エコノミスト、関西大特任教授。
(講談社現代新書・840円)
◆もう1冊
 岩本沙弓著『バブルの死角』(集英社新書)。現在進行中のバブルが崩壊する前に、強者だけを利する経済ルールを改めるよう主張。
    --「書評:日本の景気は賃金が決める 吉本佳生著」、『東京新聞』2013年6月2日(日)付。

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013060202000165.html

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日本の景気は賃金が決める (講談社現代新書)
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覚え書:「メディア時評 議論が深まらぬ『不格好な議題』=荻上チキ」、『毎日新聞』2013年06月01日(土)付。

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メディア時評
議論が深まらぬ「不格好な議題」
荻上チキ 評論家

 メディアは「議題の形」を広く共有する機能を持つ。「議題の形」が不格好であれば、おかしな結論が導かれやすくなる。だからこそ人々は、メディアが取り上げる「議題の形」をも、注意深く監視しなくてはならない。
 貧困と社会保障について語る際、生活保護の不正受給や受給者のパチンコ利用を真っ先に連想する者が少なくない。「本当に必要な人に届けるため」と口にしつつ、貧困者をケアするための議論にコミットしないなら、それはただただ、手軽な攻撃性の発露として、メディア経由の定型句を投げているだけだ。金額で0・4%ほどの不正受給を連日取り上げながら、8割近い未捕捉の貧困層を憂慮しないという不格好な議題。困窮による死者を嘆いてみせるくせに、自分の言葉で命綱を切り落とす姿を省みてはくれないか。
 各党が提出したいじめ対策法案について報道が盛り上がらない。昨年は、あれだけいじめ報道が盛り上がったにもかかわらず。いじめ問題といえば「いじめ自殺事件」ばかりがクローズアップされ、自殺より件数が多いはずの不登校のリスク等は軽視。良質な学校空間を作るための日常的な改善事例をほとんど取り上げない。ここにもまた、不格好な議論がある。
 慰安婦問題はどうか。数ある論点の中でも、「狭義の強制性の有無」だけしか議論しない者の姿は、被告人席に立たされた者が、責任を「値切る」議論に終始しているようでもある。渦中の橋下徹氏の慰安婦制度をめぐる発言は、当初の発言趣旨を問われて以降、自身のダメージコントロールに追われた。記者会見では、女性の人権や沖縄の怒りなどと繰り返し口にしていたが、例えば琉球新報は、「橋下氏は、女性をモノ扱いしただけでなく、『強姦神話』を前提にすることで、男性をも愚民視している」(5月18日)、「『大誤報』『日本人の読解能力不足』と責任を転嫁するさまは見苦しく、政治家としての資質さえ疑う」(5月28日)と舌鋒鋭く批判した。
 毎日新聞社説も橋下氏の会見を「本質そらす責任転嫁だ」「事実上修正しながら『誤報』と主張し、『風俗業発言』以外撤回しないのでは反省とは言えまい」と手厳しい(5月28日)。そのうえで問われる。「本質そらさぬ議論」がどこまでできてきたかと。政治を監視するためのメディア、そのメディアを監視するためには、不格好な議論に繊細でなければいけない。そのためには、まず自分自身から。
(東京本社発行紙面を基に論評)
    --「メディア時評 議論が深まらぬ『不格好な議題』=荻上チキ」、『毎日新聞』2013年06月01日(土)付。

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覚え書:「今週の本棚:加藤陽子・評 『経済の未来-世界をその幻惑から解くために』=ジャン=ピエール・デュピュイ著」、『毎日新聞』2013年06月02日(日)付。


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今週の本棚:加藤陽子・評 『経済の未来-世界をその幻惑から解くために』=ジャン=ピエール・デュピュイ著
毎日新聞 2013年06月02日 東京朝刊


拡大写真
 (以文社・3150円)

 ◇現代人の「安全装置」への思い込みを突き崩す

 怒っている人は子供っぽく見える。だがそれは、普通の人が怒った場合に限られることを、この本を読んで思い知った。現代フランスの誇る正真正銘の知識人が怒って一書をものした時、その書は痛快を通り越して、読み手に深い感動を与えるものとなる。フランスの思想家が、なぜ江戸前の啖呵(たんか)を切っているのだろうと錯覚させる、テンポのよい訳文は、訳者の森元庸介氏の功績に帰せられる。

 フランスの名門校として知られるエコール・ポリテクニク(国立理工科学校)で長らく経済学を教え、現在はアメリカのスタンフォード大学で哲学を講ずる著者デュピュイは、ある日キレる。それは、2011年のノーベル経済学賞に輝いたアメリカのクリストファー・シムズとトーマス・サージェントが、口々に「ユーロ圏の公的債務危機を解決するなんてお茶の子さいさいです。少なくとも経済学の視点からすればね。ただ、政治が躓(つまず)きの石になっているんですよ」、「経済理論から見れば、ヨーロッパやユーロをめぐって新しい問題などないと言いたいですけどね」と述べたのを耳にした瞬間だった。

 本書は、危機への処方箋が書けるのは経済学だけであり、市場のみが審判を下しうると考えがちな現代人の思い込みを、古今の西欧哲学を総動員しつつ、全力で突き崩しにかかる闘争の書にほかならない。著者はまず、近代社会において、経済という考え方が生み出された必然性を述べるため、人間社会にとって究極の「悪」とは何かの考察に読者を誘う。原爆投下やホロコーストを想起すれば、巨大な悪は悪意のまったき不在を通じても起こりうるとわかる。そのような悪の解決は宗教の審級に委ねるしかないが、近代社会は宗教を公的な場から除くことで成立しえた。そこで、近代にあって宗教に代替する安全装置として期待されたものこそ、経済にほかならなかった。だが、安全装置としての経済も、2008年の世界金融危機を契機に、自失に陥った。

 では、どうすればよいのか。著者は、「破局」としての未来イメージを社会の構成員がその両肩に担いつつ共有することで、破局の回避を窺(うかが)うしかないとする。これは、ウルリッヒ・ベックが『ユーロ消滅?』(岩波書店)で述べていたこと、すなわち、地球規模のカタストロフィーの予感が広く共有されることで、国境を越えた新たな責任の共同体の成立可能性は高く保たれる、との論に通ずる。

 ただ、デュピュイの真骨頂は、「破局」としての未来イメージの内容を選択する、政治という行為の意味を大きくとらえる点にある。

 今後、成長とエコロジーの選択、原発の存廃、憲法改正の是非を鋭く問われるはずの我々にとって、本書のうちで最も参考となる部分を挙げておく。選択につきものの罠(わな)に陥ってはならないと著者はいう。では、罠とは何かを例で見よう。敵に囲まれたある民主国家において、現時点で占領中の国外領土を返還するか否かの政治論議があるとする。この占領地は戦時にはまちがいなく勝利に寄与する場所となる。他方、この占領地を返還すれば戦争の可能性は減少するはずだがその可能性は確実とはいえない。この場合、占領維持派が優勢となるのは、人間の脳が、見せかけの「確実」性や頻度に反応しやすくできているからだという。いかなる未来を招来できるかは、選択肢をいかに書くかにかかっている。まさに政治の役割は大きく、選択する我々の責務は重い。(森元庸介訳)
    --「今週の本棚:加藤陽子・評 『経済の未来-世界をその幻惑から解くために』=ジャン=ピエール・デュピュイ著」、『毎日新聞』2013年06月02日(日)付。


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http://mainichi.jp/feature/news/20130602ddm015070018000c.html


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覚え書:「今週の本棚・本と人:『漂うモダニズム』 著者・槇文彦さん」、『毎日新聞』2013年06月02日(日)付。


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今週の本棚・本と人:『漂うモダニズム』 著者・槇文彦さん
毎日新聞 2013年06月02日 東京朝刊


 (左右社・6825円)

 ◇大海原で泳ぐ建築家たち--槇文彦(まき・ふみひこ)さん

 世界的な建築家による20年ぶりのエッセー集。1950年代の米国修業時代の回想をはじめ、都市や空間に関する考察、作品論など読み応えがある50編を収める。とりわけ表題作は「建築の現在と未来」をクールな眼差(まなざ)しで分析し、刺激的だ。

 鉄とコンクリートとガラスで作られ、合理性と国際性ゆえに20世紀の<建築の普遍語となった>モダニズム。だが資本主義の肥大や情報化社会の到来により、使命やスタイルが薄まり<なんでもありの時代に突入>したと考察。<五十年前のモダニズムは、誰もが乗っている大きな船であったといえる。そして現在のモダニズムは最早(もはや)船ではない。大海原なのだ>と総括する。

 著者自身「モダニズム建築の正統な継承者」と言われる。「日本と米国の若者に『これからの建築はどうなるのか』と相次いで質問されたことが、これを書くきっかけになりました。大海原に投げ出された若い建築家が泳いでいくには、客観的な現状分析が必要だと考えたのです」

 新たな潮流のうねりも見て取る。一つが風土や文化に根ざした地域的特性を持つ建築だ。西洋中心のモダニズムが消失した結果、<現代のコルビュジエは中近東、アジア或(ある)いは南米に生まれても不思議ではない>と指摘。<現代は極めてエキサイティングな時代なのだ>という。表意(漢字)と表音(かな)文字を併用する日本語の特性が、優れた建築を多く生む一因になったとの分析も興味深い。

 「良い空間を作り出す理性と感性のバランスは、日本人が自然に体得してきたもの。一つの文化現象と言えるのではないでしょうか」

 84歳。海外12カ国でプロジェクトが進み、今秋には米同時多発テロの現場跡地に設計した高層ビルが完成する。インタビューは事務所がある東京・代官山の複合施設「ヒルサイドテラス」で行われた。30年以上かけて設計を手掛けた代表作だ。

 「完成後、建物が長く愛され、使われていくことが大事なのです。そこの中庭もよくカップルが記念撮影していくんですよ」。まっすぐだった表情が、ほころんだ。<文・永田晶子/写真・内藤絵美>
    --「今週の本棚・本と人:『漂うモダニズム』 著者・槇文彦さん」、『毎日新聞』2013年06月02日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130602ddm015070034000c.html

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書評:ポール=ジェラール・パソル『ルイ・ヴィトン 華麗なる歴史』河出書房新社、2012年。

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ポール=ジェラール・パソル『ルイ・ヴィトン 華麗なる歴史』河出書房新社、読了。本書は150年を超えるルイ・ヴィトンの歴史を、完全収録した大型ビジュアルブック。700点超の図版・証言・記録で558頁、その歩みを立体的に紹介する。重量4キロ、価格16800円はダテじゃない。本物の意義を一冊に凝縮した。

前半はルイに始まる三代の歩みを概観する。創業者は十代で職人の道へ。ヴィトンとは「固い頭」の意味。ここにクラフツマンシップの原点がある。旅行鞄からファッションへ--。その原点ゆえに新しい挑戦が「伝統」になっていく。

一利用者・愛好者としてヴィトンの特色はリペアにある。物を大切にすること=持ち手を大切にすることと思っていたが、その意義が理解できた。質草にすぎないと思う人にも、訝しがる清貧派にも手にとって欲しい。

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覚え書:「書評:カフカと映画 [著]ペーターアンドレ・アルト [評者]佐々木敦」、『朝日新聞』2013年05月26日(日)付。

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カフカと映画 [著]ペーターアンドレ・アルト
[評者]佐々木敦(批評家・早稲田大学教授)  [掲載]2013年05月26日   [ジャンル]歴史 ノンフィクション・評伝 


■『城』の舞台発見?踏み込む論証

 前世紀のはじめ、若きフランツ・カフカは、昼間は公務員として働き、夜はのちに文学史上の大事件と見なされることになる数々の小説と、そのもとになる創作メモ、日記や手紙などを書いていた。ではそれ以外の時間、彼は何をしていたのか。カフカはプラハの街に繰り出し、友人と語り、呑(の)み、食事し、そして映画を観(み)ていた。
 ベルリン自由大学の学長を務める著者は、カフカの日記や手紙から映画にかんする記述を拾い出し、そこで言及されているカフカが実際に観たとおぼしき映画を調べ上げ、カフカの小説が、ちょうど揺籃(ようらん)期にあった同時代の映画に、いかに影響されていたかを検証してみせる。同様の観点に立つ本は過去にもあったが、この本の論証と推理がもたらす知的スリルは半端ではない。なにしろカフカの『城』のモデルになったかもしれない実在する城を発見してしまったのだから。
 当時まだ生まれてまもない映画の特性(撮影と映写のメカニズム、ショットとその編集という技法など)と、無声映画の他の芸術とは異なる感情表現やドラマツルギーの、カフカの小説との類似性。あの独特な文章と、奇妙だが生々しい叙述は、言われてみれば確かに映画的だ。だがそれを単なる同時代性としてではなく、更に踏み込んで論じている点に本書の白眉(はくび)がある。
 1921年の夏、カフカは肺病治療のためサナトリウムに滞在した。そこから遠くない場所にオラヴァ城という城があった。カフカがその城を訪ねたという証拠はない。だが『城』の舞台は確かにオラヴァ城に似ている。そしてこの城は、F・W・ムルナウ監督の傑作「吸血鬼ノスフェラトゥ」の撮影場所だった。つまり私たちはムルナウの映画でカフカの小説の「城」を見ることが出来るのだ。そう著者は推論している。大胆な仮説だが、実に面白い。カフカの読み方が変わってしまいそうである。
    ◇
 瀬川裕司訳、白水社・3570円/Peter-Andre Alt 60年生まれ。ベルリン自由大学学長。
    --「書評:カフカと映画 [著]ペーターアンドレ・アルト [評者]佐々木敦」、『朝日新聞』2013年05月26日(日)付。

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覚え書:「書評:そのとき、本が生まれた [著]アレッサンドロ・マルツォ・マーニョ [評者]内澤旬子」、『朝日新聞』2013年05月26日(日)付。


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そのとき、本が生まれた [著]アレッサンドロ・マルツォ・マーニョ
[評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)  [掲載]2013年05月26日   [ジャンル]歴史 国際 


■出版史から見たヴェネツィア
 
 1987年ヴェネツィアの小さな教会図書館で、コーランが発見された。刊行は1538年以前。世界で最初に印刷されたコーランだった。グーテンベルクが活版印刷を開発し、42行聖書を刊行したのが1455年。それから百年も経たずに、ヴェネツィアではアラビア語活字が作られ使われていたことになる。
 アラビア文字は、ラテンアルファベットに比べて1文字ずつ繋(つな)げて鉛活字を組むのが非常に難しい。ルネサンス期のヴェネツィアには、それに挑戦できる資金、技術、人材、販路に加えて言論の自由があったことを示す。一時はドイツをしのぐほどの隆盛ぶりだったという。
 アラビア語だけでない。アルメニア語、ギリシャ語、ヘブライ語、キリル文字など多言語に対応。さらに地図や新聞、楽譜、美容、料理にポルノまで。需要の多彩さが、当時のヴェネツィアそのものということなのか。出版史からたどる、ヴェネツィアの知られざる魅力にあふれた一冊。
    ◇
 清水由貴子訳、柏書房・2205円
    --「書評:そのとき、本が生まれた [著]アレッサンドロ・マルツォ・マーニョ [評者]内澤旬子」、『朝日新聞』2013年05月26日(日)付。

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そのとき、本が生まれた
アレッサンドロ・マルツォ マーニョ
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覚え書:「みんなの広場 『過ち繰り返さぬ』歴史の大切さ」、『毎日新聞』2013年06月01日(土)付。


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みんなの広場
「過ち繰り返さぬ」歴史の大切さ
中学生 14(西東京市)

 今年は、歴史を教わる先生が去年と代わりました。去年はずっと「どうして歴史を覚えなくちゃいけないの?」と思っており、過去のことを細々と教えられても将来なんの役にもたたないと感じていました。それもあり私は歴史の授業が嫌いでした。ですが今年、新学期に入り、初めて歴史を教わる先生が歴史を学ぶ意味を教えてくれました。「二度と過去と同じ過ちを繰り返さないように歴史を知るんだ」と。私はすごく納得しました。
 かつて日本は戦争で多くの人が亡くなり、他国の人たちにも迷惑をかけました。こうした過去の悲劇を知らなければ人間は、平気で同じことを繰り返してしまいます。失敗して得るものは多くあります。私は今、過去のさまざまなことを知り、学んでいます。先生の話を聞き、知ることの大切さも教わることができました。歴史の授業が少しだけ好きになりました。
    --「みんなの広場 『過ち繰り返さぬ』歴史の大切さ」、『毎日新聞』2013年06月01日(土)付。

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覚え書:「書評:正直シグナル 非言語コミュニケーションの科学 [著]アレックス(サンディ)・ペントランド [評者]保阪正康」、『朝日新聞』2013年05月26日(日)付。

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正直シグナル 非言語コミュニケーションの科学 [著]アレックス(サンディ)・ペントランド
[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)  [掲載]2013年05月26日   [ジャンル]科学・生物 

■無意識の行動に表れる意図

 本書を読み進むうちに、この書のテーマを意味する表現に何度か出会う。「人間の集団を、言語によって結びついた、個々の知性の集まりとして見ることから、太古のシグナリング・メカニズムによって結びついたネットワーク・インテリジェンスとして見ることへの移行は、必要不可欠」などがそうだ。
 移行への第一歩で、従来の組織原理、情報収集、意思決定の方法が変わり、我々の社会生活が変容する。原始社会では、非言語手段で意思決定やその伝達が行われていたが、そこにこそ正直シグナルの共有があったというのである。興味ある視点だ。
 計算社会科学という新分野の第一人者である著者は、人間の社会的相互作用を「情動(顔の表情、声の調子など)」「言語」のほかに、「話し手の態度あるいは意図が、韻律と身ぶりの大きさや頻度の変化のような無意識の行動」に表れると分析し、これを正直シグナルと称する。この分析に、著者の研究グループは測定機器を考案し、何万人もの行動を観察して統計をとった。ポーカーから会社の営業まで幅広い実験結果が報告されている。
 正直シグナルには、影響力、ミミクリ(模倣)、活動レベル、一貫性の四つがあるという。ミミクリは会話の際の相づち・うなずきなど反射的になぞる行為だが、これは一対一の会話では、信頼と共感を生む。測定機器で調べると、動きのある活動レベルは会話への関心が深く、2人の間では2分以内に連絡先を交換するそうだ。いずれにせよ、人はこの四つの中に自らの心理を投影させた正直なメッセージを宿らせる。
 人類は今、携帯やアイフォーンにより、まったく新しい時代のデータ回路を持つ。末尾の一節(「私たちは、なんと興味深い時代に生きているのだろう」)にふれて、データ主導情報社会の負の側面について考え込む。
    ◇
 柴田裕之訳、安西祐一郎監訳、みすず書房・2730円/Alex(Sandy) Pentland MITメディアラボ教授。
    --「書評:正直シグナル 非言語コミュニケーションの科学 [著]アレックス(サンディ)・ペントランド [評者]保阪正康」、『朝日新聞』2013年05月26日(日)付。

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覚え書:「書評:民俗と民藝 [著]前田英樹 [評者]鷲田清一」、『朝日新聞』2013年05月26日(日)付。


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民俗と民藝 [著]前田英樹
[評者]鷲田清一(大谷大学教授・哲学)  [掲載]2013年05月26日   [ジャンル]歴史 社会 


■「暮らしの真実」透視した2人

 学術用語の初期の翻訳例に、今は「真理」「真実」と訳されるtruthの訳語として「本真(ホンマ)」というのがあった。嘘(うそ)みたいな話だが、ホンマのこと。ものごとを貫く「まこと」の道理を、(関西の)生活のなかに染みわたった語で訳そうとしたのである。
 著者によれば、柳田國男の民俗学と柳宗悦の民藝(みんげい)運動という、ほぼ同時期に展開された知の二つの動きも、まさに人びとが無名のままで培った「民俗」と「民藝」のなかに「暮らしの真実」を透視しようとするものであった。
 ところがこの二つの動き、呼応しあう「民俗」と「民藝」という概念を軸としながら、そして事件の継起として語りだされる歴史学のなかで人びとの暮らしの連続が「無歴史」とされることに強く抗(あらが)いながら、さらに後年、これまたともに沖縄に深く思いを寄せながら、なぜか論争も参照も協力もした跡がない。たった一度きりの対談も疑義の交換で終わった。
 労働と歌と祭りと道徳が一体となった「常民」の暮らしを郷土の記憶のなかに探った柳田と、李朝の器や木喰(もくじき)仏や沖縄の染織に「無事の美」と「正しい工藝」を見いだした柳。著者は、不幸にもすれ違いに終わったこの二つの仕事を、一つところから生まれ、一つところへ収斂(しゅうれん)してゆくものとして、「輪唱のように歌わせたい」と願う。
 二人の仕事の要を搾り込んでいった果てに浮き立ってくるのは、「自然と共に働くことを惜しまない」、「慎(つつ)ましい暮らしの内側にいつも和やかな道徳を育てている」などとても単純なこと。ここに著者は、「大陸の南の端から東の島々にわたるアジアの文明を貫いて働き、絶えず生成され、結果として〈日本〉と呼ばれることになる」一つの「潜在的原理」を見とどける。
 最終章で二人の仕事をつなぐものとして引かれる河井寛次郎の澄みきった言葉は、おまけというには深すぎる。
    ◇
 講談社選書メチエ・1680円/まえだ・ひでき 51年生まれ。立教大教授。『沈黙するソシュール』ほか。
    --「書評:民俗と民藝 [著]前田英樹 [評者]鷲田清一」、『朝日新聞』2013年05月26日(日)付。

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誹謗は漠然とした人間嫌いから出た想定である


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誹謗 CALOMNIE
 誹謗は漠然とした人間嫌いから出た想定である。想像上の行為を対象とした誹謗は、嘘である。しかし、動機を対象とした誹謗は、人間嫌いそのものとちょうど同じ程度にほんとうらしい。誹謗は決して止まらない。それ自身で落ちて行く。そして、しまいには、人間全体を否認するようになる。誹謗の毒は、周知のごとく、だれもそれから逃れられないということである。
    --アラン(神谷幹夫訳)『定義集』岩波文庫、2003年、44頁。

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ちょうど、授業でジョン・デューイの民主主義と教育(哲学)をめぐる関係について紹介し、世界市民として生きる意義を考えていましたので、金曜朝のNHKニュースの特集(NHKで在日韓国人に対する "ヘイトスピーチ"特集)を紹介しました。

わたし自身、この問題は、長らく関わっていることもあるし、そもそも、地球市民を考えるうえで、大切なことは何かといえば、高名な識者が作業仮設としての概念としてのそれを「丁寧」に解説することに惑溺するのでもなく、そして同時に、そういうものは不可能である、などとしたり顔でシニシズムを決め込むのではないのだろうと考えます。

だから、今の日本社会で何が起こっているのか、彼女たちに知ってもらったうえで、「世界市民」であるとか、「平等」であるとか、「博愛」であるとか、そして「差別に対する“No”」というものを、考えるきっかけになってもらえればと思い、授業で紹介しました。

正直、若い世代には、ネトウヨ的風潮も強いので、強烈な反撥も出てくるのではと思いつつ(……それは結局杞憂でしたが)、一番多かったのは、そういう事件が、自分の住んでいるところから数十キロメールはなれたすぐそこで展開されていることに驚いたようで、少しは刺激になったことは、よかったのではないかと思った次第です。

さて、ここから、どう連帯していくか。
これが僕を含めた人間の課題であることはいうまでもありません。

そこから、うすっぺらい「平和主義」や「世界市民」といったスローガンの「とりあえず、連呼」ではない、力強い言葉というものへ彼女たちと共に展開していきたいな、と。思った次第です。

好き嫌いがあることは承知しております。しかし、それを踏まえた上でも「憎悪」は何も産みださない。


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覚え書:「書評:隣人が殺人者に変わる時 [著]ジャン・ハッツフェルド/ゆるしへの道 [著]イマキュレー・イリバギザ、スティーヴ・アーウィン [評者]渡辺靖」、『朝日新聞』2013年05月26日(日)付。


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隣人が殺人者に変わる時 [著]ジャン・ハッツフェルド/ゆるしへの道 [著]イマキュレー・イリバギザ、スティーヴ・アーウィン
[評者]渡辺靖(慶応大学教授・文化人類学)  [掲載]2013年05月26日   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 国際 


■ルワンダの悲劇、目を閉ざさずに

 1994年のルワンダ虐殺。フツ族の過激派によってわずか3カ月間に80万人のツチ族と穏健派フツ族が殺害された。
 ジェノサイド(根絶を目的とする計画的殺戮〈さつりく〉)という点ではナチスのホロコーストと同じだが、ルワンダの場合、二つの民族は同一の由来を持ち、同じ言語を話し、隣人として長く共存していた。
 曖昧(あいまい)だった両者の差異を固着化させたのは宗主国ベルギーによるツチ優遇策。62年の独立後も政情不安の源泉となった。
 『隣人が殺人者に変わる時』は重い口を開き始めたツチの生存者14人の証言集。隊列を組み、大鉈(おおなた)や手榴弾(しゅりゅうだん)を手に近づいてくるフツ。そこには顔なじみの教師や医者、聖職者の姿もあった。虐殺は毎日朝9時半から規則正しく行われ、ツチの多くは泥沼に茂る葉の下に身を沈め続けた。
 殺害の様子をここに列挙することは控えたい。ただ、その残忍さたるや、死体を食べる動物でさえ逃げ出すほどだった。そして、被害者に背を向け、逃げ出したのは国際社会も同じだった。
 剥(む)き出しの現実を意味づけしようともがく生存者の姿は、人間の精神が受容できる苦しみの限界点を示しているかのようだ。
 『ゆるしへの道』の女性著者は当時22歳。同じツチの女性7人とともに、穏健派フツの牧師宅の1畳もないトイレに無言のまま91日間身を隠し通した。彼女を支え導いたのは信仰だった。
 ところが、解放後、彼女は自分の家族を殺戮(さつりく)したフツを許すにいたる。それは一体なぜか。そして可能なのか。そもそも「許し」とは何か。
 彼女はやがて国連で仕事を見つけ、良き伴侶に恵まれ、ニューヨークに移住する。想像を絶する悲劇のなかにも希望と愛を感じさせてくれる一冊だ。
 その彼女は今も祖国の孤児への支援を惜しまない。曰(いわ)く「子どもたちが新しいルワンダをつくっていくからです。子どもたちに投資しなければ未来はありません」と。
 6月1日から横浜で開催されるアフリカ開発会議(TICAD)。豊富な資源をもとに急成長するアフリカには各国の「戦略的」な熱い眼差(まなざ)しも降り注がれる。
 しかし、アフリカの過去や窮状に目を閉ざすとき、善意に基づく営為でさえ搾取や暴力を誘発する逆説に陥りかねない。
 ルワンダ虐殺については映画「ホテル・ルワンダ」など優れたドキュメンタリーも多いが、国際社会の自戒も含め、アフリカ・ブームに沸く今、改めて想起される必要があろう。
 日本は世界の140カ国以上が加盟するジェノサイド条約を未批准の唯一の先進国だ。
    ◇
 『隣人…』 ルワンダの学校を支援する会訳、かもがわ出版・1995円/Jean Hatzfeld 49年生まれ。ジャーナリスト。『ゆるし…』 原田葉子訳、女子パウロ会・1470円/Immaculee Ilibagiza ルワンダ生まれ。著述家。Steve Erwin トロント生まれ。作家。
    --「書評:隣人が殺人者に変わる時 [著]ジャン・ハッツフェルド/ゆるしへの道 [著]イマキュレー・イリバギザ、スティーヴ・アーウィン [評者]渡辺靖」、『朝日新聞』2013年05月26日(日)付。

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隣人が殺人者に変わる時―ルワンダ・ジェノサイド生存者たちの証言
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ゆるしへの道―ルワンダ虐殺から射してくる、ひとすじの光
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覚え書:「書評:平和主義とは何か 政治哲学で考える戦争と平和 [著]松元雅和 [評者]萱野稔人」、『朝日新聞』2013年05月26日(日)付。

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平和主義とは何か 政治哲学で考える戦争と平和 [著]松元雅和
[評者]萱野稔人(津田塾大学准教授・哲学)  [掲載]2013年05月26日   [ジャンル]政治 社会 


■武力行使を考え抜く道筋示す

 改憲論議が再び活発化している。その根幹にはもちろん、憲法が掲げる平和主義を今後も維持していくべきか、という問題がある。事実、憲法の平和主義は国際貢献や集団的自衛権といった、現代の国際社会が突きつける課題にさらされてきた。そうした状況のもと、国際関係の指針となりうる説得的な平和主義のあり方を政治哲学的に探ろうとしたのが本書である。
 本書の大きな特徴は平和主義を二つに分けている点だ。一つは、いかなる場合でも武力行使を拒否し非暴力をつらぬく「絶対平和主義」であり、もう一つは、平和的手段による問題解決を最優先としつつも場合によっては例外的に武力行使の必要性を認める「平和優先主義」である。本書が軸足をおくのは後者の平和優先主義のほうだ。そのうえで、平和主義の可能性を三つの非平和主義の主張をぶつけながら探っている。三つの非平和主義とは、「戦争には不正な戦争もあれば正しい戦争もある」と考える正戦論、「戦争の正・不正を議論すること自体意味がない」と考える現実主義、そして「著しい人権侵害を阻止するためには武力行使も必要だ」と考える人道介入主義である。
 驚くのは、これら非平和主義と平和主義がときとして極めて接近し、共通点さえ示すことだ。これは著者が「平和優先主義」に立脚して議論を展開していることに由来する。とはいえ、このことは決して本書の瑕疵(かし)にはならない。逆である。これまで議論がなかなかかみ合わなかった平和主義と非平和主義のあいだに共通の議論の土台をつくり、論理性を重視した合理的な思考によって武力行使の問題を考えなおす道筋をつけること。これこそが本書の最大の意義である。平和「主義」という特定の立場を性急に選びとるだけでは、決して平和主義を強化することにはならないし、平和そのものを進展させることにもならないのだ。
    ◇
 中公新書・861円/まつもと・まさかず 78年生まれ。島根大学准教授。『リベラルな多文化主義』
    --「書評:平和主義とは何か 政治哲学で考える戦争と平和 [著]松元雅和 [評者]萱野稔人」、『朝日新聞』2013年05月26日(日)付。

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覚え書:「みんなの広場 本当にグローバルな人材とは」、『毎日新聞』2013年05月26日(日)付。


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みんなの広場
本当にグローバルな人材とは
大学生 21(千葉市美浜区)

 最近「グローバル人材」という言葉をよく耳にする。特に就職活動を控えた大学生はこの言葉に敏感だ。「グローバル人材になるためにはまずは語学力。そのために英語を勉強しよう」と考える人も多い。確かに語学力は世界で仕事をするうえで必要だ。語学が堪能ならビジネスも円滑に進むだろう。しかし「語学の勉強=TOEICのような試験で高得点を取ること」という認識が一般化していることには疑問を感じる。
 そもそもTOEICはリスニングとリーディングから構成されたインプット中心の試験である。それは長年、日本人が英語を話せない原因として批判されてきた受験英語と変わらない。社会がグローバル人材を求めるのであれば、自分の言葉で伝えるアウトプットする英語を習得すべきではないか。そのためにはライティングや英会話を重視するだけでなく、多文化や日本への理解を深める必要がある。「英語の技術」ではなく「英語を使って何を伝えるか」を考えるべきだ。
    --「みんなの広場 本当にグローバルな人材とは」、『毎日新聞』2013年05月26日(日)付。

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