わが身を忘れて、心を浄めたときに、はじめて他人の心をも浄めることができた
-----
この時、洗礼の子は、あのとき百姓女が手拭いをきれいに洗った時に、はじめて、テーブルがきれいにふけたことを思いだした。つまり、彼がわが身を忘れて、心を浄めたときに、はじめて他人の心をも浄めることができたのであった。
なお、追剥ぎは言った--
「だが、わしの心がかわったのは、おまえが死を恐れなくなった時からだよ」
このとき洗礼の子は、百姓たちが台をしっかりと止めたときに、はじめて木をまげることができたのを思いだした。つまり彼が死を恐れなくなって、神のうちに自分の生活を見いだした時に、かたくなな心が折れたのであった。
追剥ぎはまた言った--
「わしの心がすっかり溶けてしまったのは、おまえがわしを憐れんで、わしの前で泣きだした時だった」
洗礼の子は非常に喜び、追剥ぎを連れて、焼けぼっくいのおいてあるところへ行った。かれらがそばへ行った時には、最後の焼けぼっくいからもまた、りんごの木が芽ふきだしていた。そこで洗礼の子は、牛飼いたちのところで湿った薪が燃えついたときに、はじめて焚火が強く燃えだしたことを思いだした。つまり、彼の心が燃えだして、初めて他人の心に火を移したのであった。
そして洗礼の子は--今こそ罪のつぐないのできたことを喜んだ。
洗礼の子は、その一部終始をのこらず追剥ぎに話して、死んでしまった。追剥ぎはその亡骸を葬ると、こんどは自分が、洗礼の子からいいつけられたとおりの生活をはじめ、同じように人々を教えだした。
--トルストイ(中村白葉訳)「洗礼の子」、『トルストイ民話集 イワンのばか 他八篇』岩波文庫、1966年、148-149頁。
-----
日曜日は子供の10歳の誕生日。
小学生になってからは、私個人として……要するにおもちゃの類ではなくして……彼に書籍をプレゼントするようにしているのですが、昨年のレッシングの『賢者ナータン』は理解するまでに少し時間がかかりましたので、今年は『トルストイ民話集』をプレゼントしました。
長いものでも数10頁なので、読んでくれるのではないかと思います。
少し親ばかをすると、小さい時から、本は大好きで、「読んだほうがいいよ」と諭すまでもなく、本はしっかり読んでいます。
トルストイとの出逢いが、彼の世界観、人生観を転換するひとつのきっかけになればと思います。
ともあれ、10歳の君、おめでとう。
岩波書店
売り上げランキング: 46,616
| 固定リンク
« 覚え書:「生まれ変わる動物園 [著]田中正之/標本の本 [著]村松美賀子・伊藤存 [評者]川端裕人」、『朝日新聞』2013年06月16日(日)付。 | トップページ | 覚え書:「今週の本棚・新刊:『永続敗戦論 戦後日本の核心』=白井聡・著」、『毎日新聞』2013年06月23日(日)付。 »
「家族」カテゴリの記事
- 日記:横浜ぶらり(2013.10.16)
- わが身を忘れて、心を浄めたときに、はじめて他人の心をも浄めることができた(2013.06.24)
- 父の日の散策。(2013.06.17)
- たまこ 20130521wed(2013.05.23)
- たまこの帰還(2013.05.17)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント