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覚え書:「今週の本棚:堀江敏幸・評 『家と庭と犬とねこ』=石井桃子・著」、『毎日新聞』2013年06月30日(日)付。


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今週の本棚:堀江敏幸・評 『家と庭と犬とねこ』=石井桃子・著
毎日新聞 2013年06月30日 東京朝刊


 (河出書房新社・1680円)

 ◇「愛すべき小農場」の夢をはぐくんだ心の軌跡

 敗戦の前年、「自分の生き方に迷っていた」石井桃子は、秋田県から生徒たちを連れて川崎の軍需工場へ働きに出ていた女学校の先生、Kさんと出会う。子どもたちとひとつになっているその姿に打たれて工場を訪ね、交流を深めると、心を開いて数年来の夢をKさんに語った。「愛すべき小農場」での自給自足。売るものも少しつくって、夜は勉強にあてる。

 驚いたことにKさんは、それをいっしょにやろうと言い、翌年、一九四五年の春に、子どもたちの身の安全を考えてふたたび秋田に帰ると、将来の農場になりうる山地を、郷里の宮城県で本当に見つけ出してしまったのである。

 のちに「ノンちゃん牧場」と呼ばれるこの土地を開いて三年後に書かれた「山のさち」から、二〇〇二年の「私の手」まで、本書には右の決断の背景を記した文章を柱として、半世紀以上に及ぶ歳月を見渡す文章が収められている。石井桃子は一九〇七年生まれ。二八年に日本女子大学校英文学部を卒業したあと、出版社で編集者をしていた。「自分の生き方に迷っていた」というその状況の内実については、べつの著作に当たるほかないのだが、五〇年代に書かれたものには山での暮らしと東京での暮らしが対比され、後者にはもう以前とおなじ気持ちで住むことができないという自省を伴う記述が、微妙な屈折と共に繰り返される。

 東京の人々は「殺人電車」に揉(も)まれ、わざとらしい、上滑りの言葉を受け入れている。「学校のことよりも映画のことにくわしい学生や、電気冷蔵庫をもっているおくさんが、農村の人たちより、えらくもなんともないことは、だれにだってはっきりわかる」(「都会といなか」一九五四年)。「文化生活」の背後にあるものを、彼女は実際に農村に行き、そこで暮らし、土地に縛られながら都会の人間に食糧を供給してくれた人たちの後を追ってみて、はじめて理解した。容易に食べていけないことも、身に染みてわかった。そのうえで、田舎を離れることを選択したのである。

 話を戻すと、宮城の山から三十分のところにある農家に部屋を借りて土に鍬(くわ)を入れたのが、八月十五日。山に入った女性たちは、大事な肥やしになる自分たちの排泄(はいせつ)物を借り主に提供してしまうのが惜しく、また雪のなかを通うのはいかにも大変だというので、近所の大工さんと青年団の何人かの手を借りて畑の近くにあった木小屋を改造し、その年の十二月、厳寒の季節に移り住む。やがて迎えた山での正月、力になってくれた人たちとの思わぬ餅つき大会の模様は、羨むべきどたばたと束(つか)の間の幸福に満ちあふれた、一篇の胸躍る物語である。

 農業体験と並んで重要なのは、「イノウエキヌ子」という名を与えることになった愛猫の横顔、「波長が合う」作家(ウィラ・キャザー)との出会い、「母の要領を得たような得ないような手料理」を軸にした家族の思い出など、「愛すべき小農場」の夢をはぐくんだ過去の生活である。とりわけ、小学生の頃、みなに不器用さを笑われながらも、ゆっくり着実に「コブコブした」カンジンこよりをつくって先生にほめられたという同級生の挿話が胸に沁(し)みる。

 戦後の石井桃子の仕事の、よい意味でのしたたかさ、芯の強さ、そして希望を少し上回りそうになる諦念を胸のうちに押し返そうとする覚悟の出所は、ひらがなを多用した一見やわらかい文章に隠されている、その「コブコブした」節目にこそあるのではないか。簡単にはほどけないこよりのような言葉の息吹が、ここにはあるのだ。
    --「今週の本棚:堀江敏幸・評 『家と庭と犬とねこ』=石井桃子・著」、『毎日新聞』2013年06月30日(日)付。

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