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2013年7月

書評:上山隆大ほか『大学とコスト 誰がどう支えるのか』岩波書店、2013年。


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上山隆大ほか『大学とコスト 誰がどう支えるのか』岩波書店、読了。教育費は本人(とその家族)が支払うべきという風潮が根強い。しかし個人負担の考え方はどうやら世界標準とは考えにくい。本書は、日本の「大学とコスト」を巡る現状について、その歴史と政治経済的背景を掘り下げる一冊。

本書の論考は、受益者負担神話の甘受に欺瞞を明らかにすると同時に、公的財政支援の必要性を提唱する。公益…その公益が一政府に還元されないのも大学教育だが…としての大学教育をコストから検証する本書はから学ぶべき点は多い。

本書は『シリーズ 大学』の第3巻。
[http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/028611+/top.html:title] 

「社会が大学を支え,大学が社会に役立つという関係を発展させていけるとすると,それはどういう方向に向かってなのか」。

因みに、1990年入学の、慶應義塾大学文学部の授業料は50万ぐらいだったと記憶しているけど、20年後のこんにちは80万だから、物価上昇にスライドさせたというそれではないような感もなきにしもあらず、というか。まあ、慶應に80万ブッコむなら、まあ、安いといえば安いのだろうけど。

参考:坂口幸世「大学授業料のはなし 授業料の現在と歴史」、『よみトク入試情報』2009年11月号。
pdf [http://www.yomiuri.co.jp/education/kouza/nyushi/0911/pdf/n0911.pdf:title]
 

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覚え書:「今週の本棚:湯川豊・評 『真珠湾収容所の捕虜たち』=オーテス・ケーリ著」、『毎日新聞』2013年07月28日(日)付。


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今週の本棚:湯川豊・評 『真珠湾収容所の捕虜たち』=オーテス・ケーリ著
毎日新聞 2013年07月28日 東京朝刊

 (ちくま学芸文庫・1470円)

 ◇米情報将校が捉えた“捕虜である友人”の群像

 一九四二年に米海軍日本語学校に入学、一年後、海軍少尉としてハワイに赴任した情報将校がいた。彼は日本語学校で学び直す必要がないほど、日本語がよくできた。著者のオーテス・ケーリである。

 一九二一年小樽に生まれ、父・祖父ともに日本に長く滞在した宣教師で、祖父は同志社大学の創始者新島襄の学友。当人は十四歳まで小樽の普通の小・中学校に通った。

 そういう若者がときにはべらんめえ調の日本語を駆使して、ハワイの捕虜収容所の管理にあたったのである。誰よりも収容所に入れられた日本人捕虜が「おったまげた」と、後にその一人が手記のなかで回想している(「解説」による)。この本は、捕虜収容所を管理する立場にあったケーリが、日本人捕虜の姿を克明に描いたもので、まずその点がめずらしい。日本語で書かれた初版は『日本の若い者』という題名で一九五〇年に日比谷出版社から刊行された。

 二十二歳の青年将校が収容所運営でとった方針は、「人間味」(と本人がいっている)を中心にすえることだった。そしてできるだけ捕虜の一人一人と話し合った。その結果、兵隊たちがケーリをしたってやってきて、友だちづきあいになる。

 「北川」は、東京の新聞社勤め、三十歳で召集され、中支、満州、サイパンを経て、最後にグアム島で自発的に捕虜になった。日本は敗れる、そして自分の共鳴できる人たちが国の指導権を握る、と予測してはいるが、捕虜になった重苦しい心情を内に秘めている。

 「マーシャル」は、あの「地獄島」で投降した。質問に答えて、戦友の肉を食って島で生き残るより、投降したほうがいいと思った、といいきっている。親分肌の好漢で、のちにケーリの「宣伝工作」に協力した。

 硫黄島の捕虜であった「幡(ばん)さん」は、死闘をかいくぐってわずかに生き残った一人。そのためか、悪びれず胸を張っていた。三十三歳のこの男は、仲間の信望あつく、おやじと呼ばれていたのを、著者が幡随院長兵衛の一字をとって「幡さん」と名づけた。日本がこれからどうなるか、考えぬこうとしている人物で、解説によれば、後に『新潟日報』紙の社長になっている。

 ついでにいうと、捕虜は認識票を捨て、偽名を使っているのが普通だった。いちばん多い名前は「長谷川一夫」。

 しかし当然のことながら、ケーリの「友人になった」捕虜は少数派で、彼が「精神いっぱい」と呼ぶ軍人精神を叩(たた)きこまれた国粋主義者の将校・兵隊が多く、その内のボスが幅を利かせていた。このあたり大岡昇平の『俘虜(ふりょ)記』を米軍側から見たような記述が興味深い。

 ケーリは少数派を陰ながら後押しして、「寺子屋」なる学校をつくり、「新聞グループ」によって壁新聞もつくられるようになる。その動きがさらに進んで、有志の二十数名を別の収容所に移し、『マリヤナ時報』なる投降勧告ビラなどを作製した。情報将校は、日米の兵士を一人でも多く救うためにそれを推進した、と書いている。

 本書の後半では、ケーリの日本進駐後の活動が語られるが、いちばん心を打つのは、敗戦後の荒廃のなかで、必死で生活をうち立てようとしている元捕虜の「友人たち」と、とことんつき合う男の姿だ。ケーリはのち長く同志社大の教授を務めて、二〇〇六年に死去。

 私はこの本の存在を知らなかったが、一部では幻の名著として評価が高かったようだ。終戦六十八年目の夏、元の姿のまま復刊された意義は大きい。
    --「今週の本棚:湯川豊・評 『真珠湾収容所の捕虜たち』=オーテス・ケーリ著」、『毎日新聞』2013年07月28日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130728ddm015070026000c.html:title]


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真珠湾収容所の捕虜たち:情報将校の見た日本軍と敗戦日本 (ちくま学芸文庫)
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覚え書:「今週の本棚:若島正・評 『粋人粋筆探訪』=坂崎重盛・著」、『毎日新聞』2013年07月28日(日)付。

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今週の本棚:若島正・評 『粋人粋筆探訪』=坂崎重盛・著
毎日新聞 2013年07月28日 東京朝刊


 (芸術新聞社・2520円)

 ◇忘れさられた“遊び心の時代”を逍遥する

 古本屋巡りをするおもしろさの一つは、気の向くままに雑本を買っていると、いつしかそれが何かのテーマを形作っていくことにある。本書『粋人粋筆探訪』は、子供の頃から蒐集(しゅうしゅう)癖があったという著者が、古本蒐集をしているうちに浮かび上がってきたテーマの一つとして、戦後に花開いた、「いかにも遊び心に満ちた、人生そのものを楽しんでいるようなオトナ」たち、石黒敬七、徳川夢声、サトウ・ハチロー、池田弥三郎などなどといった、いわゆる「粋人」という不思議な存在が物(もの)した、軟派系随筆である「粋筆」(それはしばしば「酔筆」であったりする)を集めて紹介したものである。それは何も、学術的な研究書を目指したものではない。清水崑、杉浦幸雄、横山隆一といった漫画家たちの粋筆を並べていたかと思えば、性風俗雑誌『あまとりあ』のバックナンバーを拾い読みしたりと、著者の坂崎重盛は興味の赴くままに戦後の昭和二十年代を逍遥(しょうよう)する。それはあの懐かしい、「カーバイドの光に照らし出された夜店、露店」の世界を思い出させる。わたしたち読者は、著者の案内に従って、ゆっくりとこの夜店の世界を一周し、気に入った店があればそこにしばらく立ち止まって、一時のタイムスリップに興じればいい。もともと、古本屋巡りの楽しみは、そういう勝手気ままなものではないか。

 それにしても、本書を読んでいて思うのは、ここで再現されているのが、わたしのような著者より十歳年下の人間にも強いノスタルジアを喚起させる、失われた時代であり、失われた文化であるという事実だ。「粋筆」の中身は、お色気、ユーモア、エスプリ、蘊蓄(うんちく)といった、著者も認めるとおり、「今日、ほとんど忘れられた世界」である。「もう『お色気』という言葉自体が今日ほとんど死語でしょう」と指摘されて、わたしは虚を突かれたような思いがした。「お色気」という言葉を聞いて、ただちに「若い娘はウッフン、お色気ありそでウッフン、なさそでウッフン」と口ずさんでしまうわたしなどは、「お色気」が日常的な世界にぼんやりと存在していた、おそらく最後の世代なのだろう。ありそでなさそな世界は、いつのまにか、あるかないかどちらかの、陰のないぎらぎらとした世界に変わってしまった。言葉が死語になったということは、その言葉が指し示しているものがもう今では存在しなくなったということだ。そういう事実を教えられて、わたしは愕然(がくぜん)とする。「お色気」の代わりにわたしたちが手に入れたのはおそらく「セクハラ」であり、「ユーモア」や「エスプリ」に取って代わったのは「おやじギャグ」である。それは世の中が進歩したということなのかどうか、わたしにはわからない。

 ここで紹介されている「粋筆」を、わたしもこの機会にまとめて何冊か再読してみたが、玉石混淆(こんこう)の感があり、特に艶笑譚(たん)のたぐいに属するものに対しては古さをおぼえずにはいられない。それは、文化的背景の移り変わりとともに、読み手の感覚も知らないうちに変わってしまったということもあるのだろう。しかし、「玉」の中には、裃(かみしも)を脱いでくつろいだ人間が醸し出す遊び心にあふれたものがたしかにある。それはお色気でもユーモアでもエスプリでもいいが、そういう懐の広い文人たちが文化の一部分を担い、大衆がその「粋筆」を読んでささやかな息抜きをしたという時代がかつて存在したのだ。時代錯誤と言われることを承知の上で、わたしもその時代をうらやましく思う。本書『粋人粋筆探訪』があらためて痛切に実感させてくれたのは、昭和は遠くなりにけりという感慨である。
    --「今週の本棚:若島正・評 『粋人粋筆探訪』=坂崎重盛・著」、『毎日新聞』2013年07月28日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130728ddm015070028000c.html:title]

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書評:ラッセル・スタナード(新田英雄訳)『相対性理論 常識への挑戦』丸善出版、2013年。

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ラッセル・スタナード『相対性理論 常識への挑戦』丸善出版、読了。本書はオックスフォード大学出版局より刊行のVery Short Introductionシリーズの一冊。特殊相対性理論と一般相対性論を中学生でもわかるように分かり易く解説することに挑戦した一冊(新書で150頁)。

同時刻の定義から説ききおこし、重力波に至るまで--。相対論から導かれた結論1つに対して、それを裏付ける実験事実と観測結果を併記することで、本書はアインシュタインの思考の軌跡をより分かり易く紹介することに成功している。

「常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションである」。冒頭に掲げられたアインシュタインの言葉である。常識に挑戦することは自然科学にだけ必要なのではない。日常生活で躓いた時こそ光り輝く一節だろう。おすすめです。


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相対性理論―常識への挑戦 (サイエンス・パレット)
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覚え書:「今週の本棚・新刊:『現代オカルトの根源 霊性進化論の光と闇』=大田俊寛・著」、『毎日新聞』2013年07月28日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『現代オカルトの根源 霊性進化論の光と闇』=大田俊寛・著
毎日新聞 2013年07月28日 東京朝刊

 (ちくま新書・840円)

 憎悪発言(ヘイトスピーチ)デモから一部の脱原発運動、政治家の「慰安婦」発言まで、「自分たちが純粋な被害者/誰かが陰謀を仕掛ける加害者」という単純な図式がどこか透けて見えがちな昨今だが、こうした二元論の源流を探るヒントになりそうな本だ。19世紀以降の欧米を中心に広く影響力を持った、霊魂が進化を続けるという「霊性進化論」の系譜をたどった。

 霊性進化論は、進化論と輪廻(りんね)転生思想の複合体である。独自の教育論で知られるルドルフ・シュタイナーからナチスドイツ、UFOや宇宙人と接触したとされるジョージ・アダムスキー、オウム真理教……さまざまな思想や新興宗教が、霊性進化論の系譜、影響下にあると論じる。

 霊性進化論は、進化論の台頭でキリスト教的価値観が揺らいだ後、近代科学と適合し得る信仰として登場した。だが、新しい装いで出現する度にほぼ必ず、単純な善悪二元論や自集団至上主義、陰謀論に陥った。こうした負の特徴は、現代日本では宗教以外の政治、思想など多方面に広がっているように思える。決して特殊な話ではない。何らかの「正義」にひかれた際、立ち止まって考えるための材料にしたい本である。(生)
    --「今週の本棚・新刊:『現代オカルトの根源 霊性進化論の光と闇』=大田俊寛・著」、『毎日新聞』2013年07月28日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130728ddm015070013000c.html:title]


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覚え書:「今週の本棚・本と人:『東京国立博物館の名品でたどる 書の美』 著者・島谷弘幸さん」、『毎日新聞』2013年07月28日(日)付。


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今週の本棚・本と人:『東京国立博物館の名品でたどる 書の美』 著者・島谷弘幸さん
毎日新聞 2013年07月28日 東京朝刊


拡大写真
 (毎日新聞社・2415円)

 ◇書は読めなくても楽しめる--著者・島谷弘幸(しまたに・ひろゆき)さん

 毎日新聞日曜版の連載「書の美」を収めた。日本の書の名品64点を選び、カラー写真と一緒に鑑賞の勘どころを凝縮し解説。一読すれば書の歴史の概略が頭に入る仕掛けになっている。

 「書の魅力を上手に発信したいと思いました。連載が始まり『毎週愛読してる。欠かさずに切り抜いています』といった声が聞こえてきた。だから、前週の内容と関連付けて書くようにもなりました。それにしても、1週間が過ぎるのが早かった」

 1953年、岡山県生まれ。師は故小松茂美さん。東京国立博物館で約30年、日本の書を研究し、現在は同館副館長。

 これほど多くの名品を実際に見てきた人は少ない。今回は、知り尽くした東京国立博物館の所蔵品ばかりをとり上げた。

 「(東博には)つくづく良い書があると実感しました。漠然とではなく、『この書のどこに魅力を感じるのか』と自問自答し新たな発見もありました」

 冒頭に書の見方、巻末に書の伝世についての論考を書き下ろした。連載を信仰、文学、人、近世と四つの章に分け再構成。拡大写真と強く開いても丈夫な造本を採用、手習いに使える。

 「書は読めなくてもいい」という鑑賞への誘いが圧巻だ。

 「私自身、最近書を見る時は『読んで』いません。その書に魅力があるのか最初に考える。たいてい美術館では絵を見た後で画家の名やタイトルを知る。ところが書の場合、掲げられた表示を読んでから書そのものを眺めている。楽しむのではなく勉強になっているんです」

 書を見るポイントとして、全体の調和と書線の重要性について繰り返し力説している。

 「好きか嫌いかを大切にしてその理由を自分に問い掛ければいい。そうして鑑賞の引き出しをたくさん増やしてほしい」

 東博の書はひと月半ごとに展示替えがある総合文化展(通常展示)や特集陳列、特別展に出陳される。本物を見るためのガイドブックにもなった。

 「時空を超え伝わった名品に会いに来てください。書は頭でなく自分の感性で楽しんでほしい。『読むな! 感じろ!』です。書を楽しむヒント、書の魅力のエキスが詰まった本になったと思います」<文・桐山正寿/写真・藤原亜希>
    --「今週の本棚・本と人:『東京国立博物館の名品でたどる 書の美』 著者・島谷弘幸さん」、『毎日新聞』2013年07月28日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130728ddm015070025000c.html:title]

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覚え書:「日中文化交流シンポ:来月2、3日開催--大崎・吉野作造記念館 /宮城」、『毎日新聞』2013年07月27日(土)付、地方版。

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日中文化交流シンポ:来月2、3日開催--大崎・吉野作造記念館 /宮城
毎日新聞 2013年07月27日 地方版

 大崎市古川の「吉野作造記念館」は8月2、3日、同館で日中文化交流シンポジウム「吉野作造と近代中国」を開く。北京外国語大の郭連友教授ら中国の4人の日中交流史研究者が、吉野の大正デモクラシー思想と中国革命のつながりなどについて講演。その中で、東日本大震災で見せた日本人の規律や倫理性が今後の中国社会建設のヒントになるとの認識が示されるという。

 シンポ主催者の大川真同館副館長(日本政治思想史)によると、中国は必ずしも日本への対決一辺倒でなく、政府自身が、官僚腐敗や民衆の生活不満などの行き詰まりを解く鍵として日本社会の絆の存在に注目。社会貢献的なNPO活動を政府が後押ししているという。それらを踏まえ、日本神道や神社まで、かつての紐帯(ちゅうたい)の証しとして研究対象にしているという。

 シンポではこれら中国での日本研究の最新成果を披露する。中国から研究者13人が自費で来日し、津波被災地も訪問する。日本側は東北大学大学院文学研究科の研究者2人が講演する。

 2日は午後3時、3日は午前10時開演。定員60人。各日とも聴講料310円。大学生以下は無料。要電話予約。問い合わせは同館(0229・23・7100)。【小原博人】
    --「日中文化交流シンポ:来月2、3日開催--大崎・吉野作造記念館 /宮城」、『毎日新聞』2013年07月27日(土)付、地方版。

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覚え書:「深海魚ってどんな魚―驚きの形態から生態、利用 [著]尼岡邦夫 [評者]荒俣宏」、『朝日新聞』2013年07月21日(日)付。

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深海魚ってどんな魚―驚きの形態から生態、利用 [著]尼岡邦夫
[評者]荒俣宏(作家)  [掲載]2013年07月21日   [ジャンル]科学・生物 


■大人の世界観、揺さぶる図鑑

 ただの子ども向け学習図鑑と思ってはいけない。これは大人も驚かす本である。
 これまでの深海魚本はピンボケ写真と干物のような標本写真に失望させられたが、博物画に似せた白地の背景に実物標本が見苦しくなく切り抜かれたビジュアルがようやく実現した。透明な頭部と球状の眼(め)を持つ奇魚デメニギスの鮮明な写真は、見るだけで世界観が変わる。
 最新の写真を駆使し、これだけ細かに形態の仕組みや種類識別の手がかりを説明してもらうと、異次元の形態をした生物の心まで読めるような気分になる。
 たとえばチョウチンアンコウの類。極小のオスが巨大なメスに寄生するのは有名だが、眼も鰭(ひれ)も失いイボ同然の姿で一生お世話になる「真性」型もいれば、繁殖期だけ寄生する「一時付着」型、自立が可能な「任意」型もいる。
 発光する種類は、真っ暗な深海で発光器の数や配列を鍵に、異性や仲間と出会う。
 彼らは生物の鑑(かがみ)である。
    ◇
 ブックマン社・3780円
    --「深海魚ってどんな魚―驚きの形態から生態、利用 [著]尼岡邦夫 [評者]荒俣宏」、『朝日新聞』2013年07月21日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013072100011.html:title]


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覚え書:「もうひとつのこの世―石牟礼道子の宇宙 [著]渡辺京二」、『朝日新聞』2013年07月21日(日)付。


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もうひとつのこの世―石牟礼道子の宇宙 [著]渡辺京二
[掲載]2013年07月21日   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 

 『苦海浄土』が作品としてまとまる過程に編集者として立ち合った著者は、当初から「傑作」であることを確信し、1969年からは石牟礼が書く原稿の大半を清書した。最も深い理解者の一人として、石牟礼作品は日本近代文学に出現したことがない「世界文学」であるという。書き下ろし「『天湖』の構造」を巻末に、石牟礼論を集成した。「もうひとつのこの世」を感受し、その様相を日本の農漁村、周縁、遊行の伝統を踏まえ幻想的世界として描き出してきた作家。作品によっては「必ずしも成功し」ていないとも率直に評しながら、「石牟礼さんとの出会いは、私の自己の再発見であった」と書く著者の、尊敬と友愛の念が深く伝わる。
    ◇
 弦書房・2310円
    --「もうひとつのこの世―石牟礼道子の宇宙 [著]渡辺京二」、『朝日新聞』2013年07月21日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013072100008.html:title]

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文の人(オーム・ド・レットル)・高崎隆治先生の思い出

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金曜にその話を聞いて驚いたのだけど、戦時下ジャーナリズム研究家の高崎隆治先生が先月末に88歳で亡くなったそうです。慎んでご冥福をお祈り申し上げます。年賀状のやりとりしかなく、無沙汰を囲っていたのですが、前日まで執筆されていたとか。

戦中を知る貴重な先達が鬼籍に入ってしまいました。


高崎隆治先生には、卒論の指導でお世話になり、文藝春秋が『マルコポーロ』で廃刊になったおり、その根に持つ思想性・権力との親和性の問題を、ある専門誌で連載することになり、僕が原稿を書いて、その推敲を高崎先生にしてもらいました。神田の白十字でその打ち合わせをしていたのですが、つらいですね。


そのころの高崎先生は70代でしたかね。酒は呑まないけれども、珈琲と煙草をこよなく愛され、煙草はセブンスターを愛飲されていたと思う。学徒出陣の話、中国戦線での話も詳しくお聞きしました。これはどこかで、記録にまとめてのこしておかないととは思っています。


高崎先生は、高校の教員を経て、フリーランスの研究者に。国立国会図書館にも所蔵のない、戦時下雑誌を日本各地の古本屋を経巡る中で発掘し、その問題性を指摘し続けてきました(そして、それが戦後日本の言論界の体質にも継承されている)。無視と恐喝にひるむことなく、前人未踏の業績だと思います。


高崎隆治先生は、ご自身が戦時下ジャーナリズム研究家と自己認識を敢えてしていたけど、やはりその翠点は、先生ご自身が「文芸の人」であったことを失念してもなるまい。著作は多いけれども、僕は『昭和万葉集』(講談社)を押したい。


歌人、文芸の人としての高崎隆治先生が、なぜ、戦う人だったのか--。それは歌人、文芸の人だったからだ。先生が学生の頃、西の大陸でベンヤミンが死ぬんだ。ベンヤミンは「オーム・ド・レットル」と自認したという。日本では、文芸とはママゴトの如き扱いをうけるが、ペンに言葉を託すとは命がけなのだ。


オームドレットルとしての高崎先生だからこそ、「軍国主義作家」として切り捨てられたもう一人の「オーム・ド・レットル」と切り結ぶ。それが、里村欣三だ。僕はそれは偶然ではなく必然だと理解している。


鶴見俊輔は、捕虜交換船で日本に帰ってきた。日本が負けると分かっていてだ。そしてその同じ頃、高崎隆治先生は、学徒出陣にとられることになる。しかし、あえて、幹部候補生入営はしなかった。どちらがどうというわけではない。しかし、ふたりとも、「抵抗」なのだ。

ご冥福をお祈り申し上げます。


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覚え書:「江戸の風評被害 [著]鈴木浩三 [評者]三浦しをん」、『朝日新聞』2013年07月21日(日)付。


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江戸の風評被害 [著]鈴木浩三
[評者]三浦しをん(作家)  [掲載]2013年07月21日   [ジャンル]歴史 

■うわさの陰に思惑がうごめく

 テレビやインターネットがない時代は、情報の伝達速度が遅いし、そのぶん噂(うわさ)も広まりにくかったのではないか、と漠然と思っていた。しかし江戸時代にも、噂はかなりの速度で広まったし、なかには風評被害を引き起こすような噂も多々あったということを、本書を読んで知った。
 「蕎麦(そば)を食べると中毒死する」という噂が出まわり、お蕎麦屋さんが商売あがったりになる。「上水に毒が投入された」という噂が流れ、汲(く)み置いた水を捨てたり、「水源からここまで毒が流れてくるのには間があるだろう」と慌てて水を汲んだりと、人々がパニックに陥る。江戸の町は噂に振りまわされ、幕府はそのつど律義に、「大丈夫だから落ち着け」と、お触れを出すのだった。
 「貨幣が改鋳される」という噂も、幕府が否定しても否定しても浮上した。江戸時代は「金・銀・銭」の三貨制だったうえに、江戸では主に金貨が、上方では主に銀貨が流通していたため、両替商がおおいに活躍し、金銀銭の交換レートは刻々と変動した。そのため、改鋳によって金や銀の含有率が変わるとなると、商機ととらえるひとも、損を恐れるひとも出てくる。著者は、貨幣改鋳の噂の背後にある、両替商をはじめとする「市場関係者の思惑や意思」を丁寧に解き明かしていく。
 噂には、景気をよくする効果もあった。「あのお稲荷さんは霊験あらたかだ」と噂されれば、参拝客が押し寄せる。収入増をもくろみ、「霊験あらたか」の噂をわざと流布させるしたたかなものもいた(しかし欲張りすぎ、寺社奉行に摘発されてしまったりもした。残念!)。
 江戸時代も現代と変わらず、噂は流れつづけた。噂はときに、社会や経済を混乱させることもあるが、その陰には、人々の思惑や、漠とした不安や期待が蠢(うごめ)いている。それを読み解くスリルと楽しさに満ちた本だ。
    ◇
 筑摩選書・1785円/すずき・こうぞう 60年生まれ。経済史家。『震災復興の経済学』『江戸のお金の物語』など。
    --「江戸の風評被害 [著]鈴木浩三 [評者]三浦しをん」、『朝日新聞』2013年07月21日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013072100010.html:title]


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江戸の風評被害 (筑摩選書)
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覚え書:「『大菩薩峠』を都新聞で読む [著]伊東祐吏 [評者]出久根達郎」、『朝日新聞』2013年07月21日(日)付。


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「大菩薩峠」を都新聞で読む [著]伊東祐吏
[評者]出久根達郎(作家)  [掲載]2013年07月21日   [ジャンル]歴史 

■大長編の謎に迫り、問題提起

 『大菩薩峠(だいぼさつとうげ)』という長篇(ちょうへん)小説をご存じだろうか。文庫で全二十巻もある。大衆小説の古典と呼ばれている。作者は、中里介山(かいざん)である。芥川龍之介や谷崎潤一郎が名作と称(たた)えた。
 評者は第一巻の半分も読まずにバンザイした。文体に馴染(なじ)めなかったのが理由である。それと主人公の剣術使いが、行きずりの老巡礼を斬る。人を斬るよりほかに楽しみがない、生き甲斐(がい)もない、とうそぶく剣客に、感情移入ができなかった。何より、はっきり言って、物語が面白くない。『大菩薩峠』を論じる本は、次から次に現れる。皆さん、よくお読みになられるなあ、と感心しきりだった。しかし途中で読むのをやめる人は、評者だけではないことを知った。世評高い著作がどうして自分に合わないのか。そのように考える人はいても、なぜなのか調べてみる人は珍しいだろう。この著者はまことに奇特なかたである。文学に詳しくなく(ご本人が言う)、普通の読者のお一人である。第一巻を読みだしたが、話の内容がよくわからない。難解なのでなく、描写や展開がぶっきらぼうすぎるのだ。場面が断片的で、ストーリーの運びが雑なのである。どこが傑作なのか。
 困惑した著者は『大菩薩峠』の初出紙に当たってみる。百年前の大正二年から十年まで都新聞(現・東京新聞)に連載された(前半の一部)。作者の介山は同社の記者であった。当時の時代背景や空気を感じつつ発表紙を読めば、読後感もまた違うだろうと考えた。
 すると思いがけない発見をした。現在私たちが読んでいる『大菩薩峠』は、新聞連載時の三分の二に縮められたダイジェストであったのだ。
 なぜこのようなことが行われたのか。作者の意図は何か。
 本書の著者はいくつかの考察を示す。そして書き換えられた部分の詳細な一覧表を作った。この表は労作であり、今後の研究者に有益である。本書を問題提起の書と推す。
    ◇
 論創社・2625円/いとう・ゆうじ 74年生まれ。専門は日本思想史。著書『戦後論』。
    --「『大菩薩峠』を都新聞で読む [著]伊東祐吏 [評者]出久根達郎」、『朝日新聞』2013年07月21日(日)付。

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「大菩薩峠」を都新聞で読む
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病院日記(6) ちょっとしたぼやき


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なんというか、結局、看護助手の仕事は、医師や看護師と違って責任はないので気楽な仕事で、汗を流せば済むから、楽と言えば楽なのだけど、やっぱり体力勝負なので疲れる。特に、下の世話なんかをしていると、時々、「ああ、おれ、何やってンだろう」ってものすごい焦燥感にとらわれる。

そういう職種へのリスペクトがお前にはないといわれれば、それまでの話だけど、結局はそれで食べていくことができる訳でもないから、責任はなく、だから、セルフリスペクトがないのもシカタガナイけど、それでもそこから色々と学ぶことはできるからそれは貴重な時間だと思っている。だけど……ねえ。

看護助手は僕のフィールドではないなとは思う(一生そこでやるなら収入と責任の意義で看護師の資格を取得すべきが筋だとも思うしね)。

ただしかし、最初に看護助手の先輩から言われたけど、「要するに主婦の仕事ですよ」という一言は重く響いている。その人も主婦ですけどね。介助の介助と、環境のクリーンアップが主たる業務になるけど、それを病院ではなく家庭に移せば、それは無償の奉仕となる。しかしこれは結構たいへんな内容だとね

まあ、だから「必殺 ちんぽ洗い人」などと自虐的に笑い飛ばしていかないと、きついものなのではありますので、その専業者に対する侮辱ではありませんので念のため。

だいぶ前にも言及したけど、結局その世界の、使命感に安住して構築される序列の構造と賃金体系等々の問題はやっぱり問題なんだろうけれども、それは環を大きく見てみるならば、日本における「そうなっているから、あたりまえなんだから、つべこべいうな」という役割分担の問題と同じだろうね。

そういう仕事の休憩の合間に、史料に眼を通してタブレットに入力していたり授業の準備してると、もう、こんなこと辞めてもええのではないのか? なんては思うのだけどね。ただ、まあ、そうもいかないわけでというか。といっても、家人をそれで路頭に迷わせてもいかねいというマッチョな掟でね、げふん

( まあ、ただ、看護助手もスーパーのmgrの話も、授業で扱う「ネタ」としては受けるというか学生が吃驚して喜ぶので、それはそれで大事なんだろな、とは思いつつ、まあ、いつまでもはやってらんねえのは事実なんだろうけど、 )

だけど……ねえ、、、心も体も疲れるワ。


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覚え書:「進化するアカデミア―「ユーザー参加型研究」が連れてくる未来 [著]江渡浩一郎・ニコニコ学会β実行委員会 [評者]川端裕人」、『朝日新聞』2013年07月21日(日)付。


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進化するアカデミア―「ユーザー参加型研究」が連れてくる未来 [著]江渡浩一郎・ニコニコ学会β実行委員会
[評者]川端裕人(作家)  [掲載]2013年07月21日   [ジャンル]文芸 政治 


■学会ネット中継、視聴者も参加

 研究者が集う学会は創造性を加速させる場として古くから機能してきた。論文で研究成果を共有し、年次大会などを通じて研究者をつなげる。では、それを現在のネット環境を前提に補完するとどうなるか。著者が実行委員長をつとめる「ニコニコ学会β」はまさにその分野に切り込む。
 「ユーザー参加型研究の場」であり、論文よりも分かりやすいという理由で動画での研究発表が推奨される。既存の学会で重要視される「新規性」を緩く考えるなど参入ハードルを下げ、何よりも楽しく知的想像力をくすぐる内容が評価される。シンポジウムをネット生中継しユーザー(視聴者)がコメントする仕組みは画期的で、2011年の立ち上げからこれまで数十万人が視聴・コメントした。通常、万の単位の人が参加し発言する学会など想定しがたい。
 看板コンテンツのひとつ「研究してみたマッドネス」が象徴的だ。通常の学会に属さない経歴学歴不問の「野生の研究者」が主役。本能の赴くまま、気がつくと研究開発をしてしまっている人は世の中にはたくさんおり、しかし、その成果を共有することはこれまで難しかった。ここでは、まさにそういった「研究者」たちに発表の場が与えられる。
 例えば--ロボットの統合操作ソフトを開発し4トンの巨大ロボットを簡単に扱えるようにしたり、クリスマスが苦痛な人たちのためにメディアに溢(あふ)れる情報を差し替え・遮断する「クリスマスキャンセラー」なるものを実現したり……。前者はともかく後者はふざけすぎ? いや、これも「減損現実技術」と呼ばれる立派な研究。無駄にハイスペックに見えても、それは将来性の証しかもしれない。
 ネットの「ユーザー」である我々はこういった研究の場にいつでも参加出来るし、支援の仕組みもできつつある。興味を持った方は本書を、いや、それ以前にすぐにネット検索し関連動画を確認すべし。
    ◇
 イースト・プレス・1365円/えと・こういちろう 産業技術総合研究所主任研究員。メディアアーティスト。
    --「進化するアカデミア―「ユーザー参加型研究」が連れてくる未来 [著]江渡浩一郎・ニコニコ学会β実行委員会 [評者]川端裕人」、『朝日新聞』2013年07月21日(日)付。

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覚え書:「私たちはなぜ税金を納めるのか―租税の経済思想史 [著]諸富徹 [評者]原真人」、『朝日新聞』2013年07月21日(日)付。


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私たちはなぜ税金を納めるのか―租税の経済思想史 [著]諸富徹
[評者]原真人(本社編集委員)  [掲載]2013年07月21日   [ジャンル]政治 

■税制の歴史から国家を考える

 日本の税収は経済規模に比べて小さく、先進国最小の政府だ。そして日本は最も増税できない国である。消費税率5%は先進国で際だって低い。世界最速で高齢化が進み、社会保障費を一番必要とするこの国で、増税はなぜこれほど避けられてきたのか。
 欧州では、国家は王のものでなく、市民によって担われるべきだという文脈で税が生まれた。米国の所得税も下からの運動が始まりだ。一方、明治期に政府が欧米税制を輸入した日本の税は、市民にとって「仕方なく応じるもの」にすぎなかった。当然、みずから国家を創るために必要な財源を担おうという感覚は育たない。増税は常に市民の「負担」だったのである。
 それでも戦後財政が維持できたのは右肩上がり経済のおかげだ。税収が自然に増え、正味増税せずにすんだ。ところがいま直面する人口減少、超高齢化のもとでは、そうはいかない。積み上がる巨額の財政赤字は、もはや増税なしに解決できなくなった。
 租税は国家が市民の生命と財産を保護することへの対価だと哲学者のホッブズやロックは考えた。本書がそうした17世紀からの租税思想史をたどるのは、そこから考え直そうというメッセージだ。
 そして近未来の税制をめぐる著者の問いかけはいっそう深く大きく、射程が長い。
 グローバル化が進み、巨大な国際金融は国家でさえ制御できなくなった。多国籍企業は租税回避のためにやすやすと国境を乗り越えてしまう。この時代に税とは何か、国家とは何かと改めて問うなら新たな思考実験が必要になる。
 本書が提案するグローバルな共通課税権力の樹立、いわば「世界国税庁」構想は夢物語と言ってもいい。だがユーロ危機を機に欧州連合が決めた、国境ごえの投機取引にかける超国家的な税に、著者は一つの可能性を見いだす。
 「税」と国家、市民について考えるのに必読の書だ。
    ◇
 新潮選書・1470円 もろとみ・とおる 68年生まれ。京大教授(財政学)、『思考のフロンティア 環境』など。
    --「私たちはなぜ税金を納めるのか―租税の経済思想史 [著]諸富徹 [評者]原真人」、『朝日新聞』2013年07月21日(日)付。

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覚え書:「みんなの広場 多様性を認める国に」、『毎日新聞』2013年07月17日(水)付。


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みんなの広場
多様性を認める国に

自営業 57(岐阜県高山市)

 東京・新大久保の在日コリアン排斥でものニュースにはとてもショックを受けました。人は大なり小なり偏見と理不尽な差別的意見を持っていますが、自分のそんな部分を胸に納めていればいいことです。しかしデモという行動に起こせば話は違ってきます。これを他者を排斥しようとする、歴史の逆行と言わないで、なんと言うのでしょうか。
 中国や韓国では、反日運動を政治に利用している向きがありますが、それは他国のお国事情。日本までそんな動向にあおられ、同じように隣人をおとしめることがあってはならないと思います。
 他国で暮らす日本人が、その国で差別を受けたり、排斥されたりしたらどうしますか。日本国内で、いろいろな国の人々がいろんな生活をして、それぞれ暮らしていけることは、多様性を認める国として日本の価値を高めると誇りに思わなくてはなりません。
 長い時を重ねて得た信頼を壊すような言動はお互いに慎みましょう。
    --「みんなの広場 多様性を認める国に」、『毎日新聞』2013年07月17日(水)付。

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覚え書:「世界を回せ(上・下) [著]コラム・マッキャン [評者]小野正嗣」、『朝日新聞』2013年07月21日(日)付。

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世界を回せ(上・下) [著]コラム・マッキャン
[評者]小野正嗣(作家・明治学院大学准教授)  [掲載]2013年07月21日   [ジャンル]文芸 ノンフィクション・評伝 

■綱渡りへの視線、境遇越えつなぐ

 1974年8月7日の早朝、マンハッタンの今はなき世界貿易センターのツインタワーの間で綱渡りした男がいた。地上400メートル(!)に張られたワイヤーの上を歩いたのは、フランス人綱渡り師のフィリップ・プティ。だが本書は彼の物語ではない。彼に注がれた驚愕(きょうがく)の視線、言葉、吐息と混じり合い、ある意味で彼を包み支えていた空気を、あの日共有していた人々がむしろ主人公なのだ。
 じじつ各章は、それぞれが独立した物語として読める。深い傷や悔恨を心に抱えた人物たちの視点から書かれた人生の物語を、中空の小さな一点(プティ)が、いわば世界の中心となって奇蹟(きせき)的に結び合わせる。その世界は悲しく切なく、強く抱きしめると壊れてしまいそうなほどはかなく美しい。
 小説が展開される時代、アメリカではベトナム戦争により多くの若者が命を落としている。戦死した息子を持つ母親の会を通じて知り合う白人のクレアと黒人のグロリア。プティが綱渡りを決行した日、マンハッタンの超高級街の豪奢(ごうしゃ)なマンションに暮らすクレアを、ブロンクスの荒廃した公営アパートで生活するグロリアが訪問する。目にも明らかな階級と貧富の差が、同じ傷を持つ者同士を結びつける絆を分断しようとする。
 奇(く)しくもその日、地方判事であるクレアの夫は、逮捕されたプティの審理の直前に、グロリアの隣人である売春婦ヘンダーソンの審理を行っている。38歳にして二人の孫を持つヘンダーソンを苛(さいな)む悔いは、娘ジャズリンを自分と同じ暴力とクスリまみれの仕事につかせてしまったことだ。審理の直後、その娘に悲劇が……。
 グロリアがクレアに言うちょっとした冗談が、扉を開くように二人の心を通い合わせる瞬間は感動的だ。同じ時空間にありながら、天と地ほども境遇の異なる人物たちが生きる全く別種のリアリティを克明に描き出し、それらを一つにつなげる作者マッキャンこそ、魂の綱渡り師だと言いたくなる。
 プティはツインタワーの間を水平に渡ることで、人々の耳目を上空に向けさせ、天と地を結んだ。マッキャンもまた、ジャズリンら売春婦の生活改善に献身的に取り組むアイルランド人修道士コリガンが、天なる神への垂直的な愛と地上的・肉体的な愛との間で煩悶(はんもん)する姿を描くことで、どんな人間の魂のなかでも崇高さと凡俗さがつながっていることを示す。
 天と地、美と醜、善と悪だけではなく、ジャズリンの成長した娘の〈いま〉を描くことで、小説は過去と未来もつなぐ。世界は回り続ける。共存しえないものがそれでも均衡点を見出(みいだ)し、人間と世界への信を許してくれる恩寵(おんちょう)的な瞬間がこの小説には満ちている。
    ◇
 小山太一・宮本朋子訳、河出書房新社・上下各1995円/Colum McCann 65年、アイルランド・ダブリン生まれ。本書で2009年度の全米図書賞、11年の国際IMPACダブリン文学賞。フィリップ・プティは実在の人物。ほかの邦訳に『ゾリ』。
    --「世界を回せ(上・下) [著]コラム・マッキャン [評者]小野正嗣」、『朝日新聞』2013年07月21日(日)付。

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覚え書:「四つの小さなパン切れ [著]マグダ・オランデール=ラフォン [評者]赤坂真理」、『朝日新聞』2013年07月21日(日)付。

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四つの小さなパン切れ [著]マグダ・オランデール=ラフォン
[評者]赤坂真理(作家)  [掲載]2013年07月21日   [ジャンル]文芸 ノンフィクション・評伝 


■対岸の傷ではない痛みの記憶

 年齢を問われ16歳を18歳と言ったマグダは「ならば右!」。母親と妹は「ならば左!」で、左には死が、右には強制収容所があった--。
 家族で唯一、ハンガリーのユダヤ人でも数少ないホロコーストの生き残りとなった彼女が、記憶をフランス語で紡いだとき、身近な人さえ驚いた。
 実の子にも言わないことを、いる確証もない誰かに向かって静かに語り出すこと。この態度が、彼女の詩であり散文であるような文章に、特異な風と光を与えている。それはかつて彼女が受けた光への返礼なのではないか。「いのちは奪われてしまったけれど、最後までわたしたちに生きる勇気を与えようとしてくれた人々」の思い出を生かすため、彼女は痛みをこらえて記憶の橋を渡る。「わたしたちはけっして癒えることはない。わたしたちはいつも癒(いや)しの途上にいる」
 あまりの悲惨さ、悲惨であればあるほど輝きを増す光。
 私はしかし、ここでふと考えこむ。ヨーロッパ現代文学に「ナチス」「ユダヤ人」「ホロコースト」がなければ、どれだけ層が薄くなるのかと。かの世界的ベストセラー、シュリンクの『朗読者』だって、ナチスの戦犯がらみでなければああも感動的ではなかった。
 マグダは言う。「ハンガリーの傷はあまりに痛ましくて、わたしはその記憶を閉じこめてしまった」。そのハンガリーを日本に換えても同じではないだろうか? 原爆や大空襲はホロコーストと言わないだろうか? なぜ私たちは、あたかも年月が蒸留する光のような語りを手に入れられないのだろう?
 ここに私たちが置かれたむずかしさが照らし出される。ドイツのようにナチス(党)とドイツを切り離せず、明確な悪者がいない、という。
 8月を迎える。対岸の傷や光としてではなく、読んでみてほしい。
    ◇
 高橋啓訳、みすず書房・2940円/Magda Hollander-Lafon 27年生まれ。児童心理学者。
    --「四つの小さなパン切れ [著]マグダ・オランデール=ラフォン [評者]赤坂真理」、『朝日新聞』2013年07月21日(日)付。

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他の人に考えてもらうことを辞めることと、ほんの少しの想像力。

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1年生の倫理学の講義が水曜日にて終わりました。

いろいろとお話をしましたが、結局は他の人に考えてもらうことを辞めることと(勿論「自分で考える」と言ってもそれは孤立した私ではないのだけど)、ほんの少しでいいから想像力を持ちあわせることに尽きるなあ、と思います。

そして、それを日常生活の中で諦めないで実践していくしかない。

ここにつきます。

それだけ、失念しないで、それぞれの道を歩んで欲しいと思います。

皆様、15回の短いつきあいではございましたが、ありがとうございました。

非倫理的倫理学教員、敬白。

さて……。
ただ講座の都合上、これで終わったわけではありません(汗

来週は2年生の最終講義。

と言っても二人だから、これはこれで大変なのよね。

しかし3年前に1名の履修者からはじまった非常勤先だけど、今期は80名近くだからずいぶん盛況になったもんだな。とわ言え、18名ぐらいがちょうどいいとは思うのですけどね。

まだ、がんばります♪

なにしろ、今日は、帰りに、この糞蒸し暑いのに、しぞ~かおでんを頂戴しましたので、エネルギーチャージできましたので(苦笑


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覚え書:「書評:海を渡った人類の遥かな歴史 ブライアン・フェイガン著 東郷えりか 訳」、『東京新聞』2013年07月21日(日)付。


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海を渡った人類の遥かな歴史 ブライアン・フェイガン著 東郷えりか 訳

2013年7月21日


◆太古の航海 その理由探る
[評者]関野吉晴=探検家
 大航海時代、世界一周の途中で客死したマゼランの航海を描いたツバイクの『マゼラン』は秀逸だった。現代に比べて大航海時代の航海がいかに苦難に満ちたものであるかを語っている。
 しかし本書は、それより遙(はる)か以前の我々の祖先たちがなぜ舟を造り、なぜそれまで馴染(なじ)んでいなかった海に繰り出したのかを考証する。東南アジア、地中海、インド洋、北大西洋、アリューシャン列島から太平洋にいたるまで、航海の歴史を掘り起こしながら、舟も残っていない、文献も遺構もない太古の時代の航海について探る。
 人類が大海原を生活の場にし、舟や筏(いかだ)で航海を始めたのは比較的新しい時代だと思われて来たが、それでは説明のつかない活動もあるからだ。例えばホモサピエンスがヨーロッパや中国に進出する以前、五万年前にはオセアニアに進出している。アジアの大陸と陸続きになったことがないオセアニアにどのように渡って行ったのか。
 著者は子供の時から海になじみ、ヨットに乗って大西洋に漕(こ)ぎ出したりしている。そのため海の描写が生き生きと、具体的に描かれている。海の専門用語もわかりやすく解説している。
 二○○四年以来、アフリカを出た人類がどのようにして日本列島にやって来て、日本人が形成されたのかを探る旅を私もした。様々なルートを通って来たが、南方から海を航海して来たグループもいると考え、自力で天然素材だけでカヌーを作り、インドネシアから日本まで航海した。太古の航海者と同じようにGPSやコンパスを使わず、人力と五感、島影と星を頼りに四七○○キロを航海して沖縄に着いた。
 航海者たちは好奇心からではなく、海岸での暮らしや漁業を支える自然環境が安定していなかったため、漁場をめぐる争いや食糧不足に生存を脅かされ、人々は常に移動していた、と著者は語る。日本列島に到着した人類も、そんな人口圧や環境変動で移動を余儀なくされた人たちだと、私も思う。
 Brian Fagan 英国生まれの人類学者。著書『歴史を変えた気候大変動』。
(河出書房新社・3045円)
◆もう1冊
 アリス・ロバーツ著『人類20万年遙かなる旅路』(野中香方子訳、文芸春秋)。アフリカで誕生した人類が世界に拡散した足跡を追う。
    --「書評:海を渡った人類の遥かな歴史 ブライアン・フェイガン著 東郷えりか 訳」、『東京新聞』2013年07月21日(日)付。

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海を渡った人類の遥かな歴史 ---名もなき古代の海洋民はいかに航海したのか
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覚え書:「書評:2011 危うく夢見た一年 スラヴォイ・ジジェク 著 長原豊 訳」、『東京新聞』2013年07月21日(日)付。


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2011 危うく夢見た一年 スラヴォイ・ジジェク 著 長原豊 訳

2013年7月21日


◆抗議し始めた人々
[評者]平井玄=批評家
 「最良の者たちがことごとく信念を見失い、最悪の者たちが並々ならぬ情念に満ち溢(あふ)れている」という詩人イェーツの言葉を、ジジェクは引いている。東欧と西欧の境目で育った思想家は、ロシア・イコンの光る眼を感じさせる。
 カイロのタハリール広場、ロンドン北郊の騒乱、ギリシャの蜂起、マンハッタンの公園占拠、そして大震災に続く反原発運動と騒乱が地球を駆け巡った二○一一年に「危ういまでに夢見た」著者が、その最中で書き綴(つづ)った考察である。さらに暗転、空洞を埋めるように噴き出すナショナリズムやレイシズム、宗教主義を予見して、書名の年がいったい何の<始まり>だったのかを執拗(しつよう)に語っている。
 「抗議者たちは、一九九○年に崩壊した共産主義者ではない。もしそうだとすれば、彼らがシステムによって脅かされている共(コモン)-を気にかけているというただ一つの意味において。本当の夢想家は、ちょっと化粧直しすれば物事が同じように進むと考えている連中だ。抗議者は、悪夢から醒(さ)めたのである」
 「敵は資本主義だ」と占拠された公園の群衆の中で著者は吼(ほ)える。新自由主義はヘーゲルの「世界精神」になったという。驚愕(きょうがく)の解答はなんと「プロレタリア独裁」である。ただし意味は空欄にしてある。この問いに答えよと、読む者に呼びかけるのである。
 Slavoj Zizek 1949年、スロヴェニア生まれの思想家。著書『暴力』など。
(航思社・2310円)
◆もう1冊 
 アラン・バディウほか著『1968年の世界史』(藤原書店)。世界同時的に歴史が転換した年を内外の識者が解読。
    --「書評:2011 危うく夢見た一年 スラヴォイ・ジジェク 著 長原豊 訳」、『東京新聞』2013年07月21日(日)付。

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書評:開沼博『漂白される社会』ダイヤモンド社、2013年。


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……圧倒的に理解できない現象があった時、少なからぬ人は、「絶対悪」としてでっち上げた「理解できないもの」を過剰に批判し、過剰に感傷に浸ってみせる。理解していないにもかかわらず。「理解できないもの」を理解したつもりになり、ひたすら。  そして、溜飲を下げれば、そんな「絶対悪」など元から存在しなかったかのように忘却し、日常へと戻り、また新たな「敵」や「悲劇」、「叩いていいもの」を探し出すことに血まなこになる。  そうして、本来解決されるべきとされた問題が解決されずに放置される。
    --開沼博『漂白される社会』ダイヤモンド社、2013年、386頁。

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開沼博『漂白される社会』ダイヤモンド社、ようやく読了。本書は日本のアンダーグラウンドな世界についてのルポルタージュとその考察。「周辺的な存在」を見ないことで欺瞞の虚構は構成される(漂白される社会)が、著者は敢えて切り結ぶ。見て見ぬとは見落とすではなく、意識的に避けていることなのだ、と。

開沼博さんについては、議論が中心-周縁という二元論的表象という点、脱原発推進しの上では、結局のところ、現状容認では?という懸念から批判が多いが、僕自身は、その認識枠組みが典型的なものであったとしても受け止める必要性は充分にあると思うし、足をひっぱてるわけではないと思う。

これは、何をするにしても同じなんだけど、それがどのように完璧な「錦の御旗」なるものであっても、とにかくいてまえ!では、同じような問題は形を変えて再生産されることは必須なんだから、いけいけどんどんで、「とにかくやればいい」式ですすめてしまうとろくなことはないと思う。出発点なんだと。

なにかを進めていくと言うことは、とにかく全否定してしまえば、それが獲得できると考えたり、それを成就するためには、何をやってもよいという訳ではないんだけど、時間の経過がものすごいスピードで進む現在は、そんな悠長なことはやってられないというけど、それは必要だとは思う。

ぐだぐだいわずに、とにかくやっちまえばいい、というのもある種の思考麻痺であるし、結局の所は、とにかくやっちまえばいいとして否定の対象とされるものが禍いしたことと、それは結局の所、同じ災禍を形をかえて招来させてしまうのだろうと思う。

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覚え書:「今週の本棚:加藤陽子・評 『情報覇権と帝国日本1 海底ケーブルと通信社の誕生』=有山輝雄・著」、『毎日新聞』2013年07月21日(日)付。

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今週の本棚:加藤陽子・評 『情報覇権と帝国日本1 海底ケーブルと通信社の誕生』=有山輝雄・著
毎日新聞 2013年07月21日 東京朝刊


 (吉川弘文館・4935円)

 ◇国際情報戦の実態に迫る本格的通史

 戦争が始められる直前、あるいは直後になされる敵への動作としては何があるだろうか。在外公館での機密文書の焼却か。それもあるだろう。だが、1914年8月4日に参戦したイギリスが翌朝までに行ったことは、北海沿岸から伸びるドイツ海底電線の切断だった。

 復旧できないよう、ご丁寧にも切断後の電線まで海底から巻き取って行ったイギリスの周到さの先には、海外とドイツの直接電信連絡の道を断つだけでなく、有線通信手段を断たれたドイツが全面的に無線に依存する状況を作り出し、そのドイツから発信される暗号電報を傍受する目論見(もくろみ)があったとされる。以上はバーバラ・タックマン『決定的瞬間』(ちくま学芸文庫)の教えるところだ。

 だが、メディア史を実証的かつ大胆に語らせたらこの人の右に出る者はいないと思われる有山輝雄氏のこの大著を読んでいて、次の箇所にぶつかった時には驚いた。世界大戦を遡(さかのぼ)ること10年、1904年2月の日露開戦時には既に海底電線切断がなされていたというのだ。「日本軍は〔中略〕旅順口(りょじゅんこう)・芝罘(しふう)間のロシア官設海底線を切断して旅順を情報封鎖した」。注を急いで確認すれば、叙述の裏付けとなっているのは防衛省防衛研究所所蔵の『極秘明治三七・八年海戦史』147巻本である。これは戦前期にあって海軍大学校教官位しか閲覧できなかったもので、4巻からなる普及版とは全く異なる。著者の史料への目配りの良さはこの一事からもわかろう。

 本書は、西欧近代「文明」の力を身につけることで、「文明」国クラブの一員にのし上がっていった帝国日本の姿を、国際通信の観点から描いた初めての本格的通史といえる。明治維新期から概(おおむ)ね1920年代までを本書がカバーし、1930年代から敗戦までを、続いて刊行される2巻がカバーする。

 19世紀半ばにあってイギリスの情報覇権のもとに組み込まれた日本が、その軛(くびき)から何とか脱しようと試みて西欧の覇権に挑戦し、その過程では東アジアにおける自らの覇権化を図るものの、結局は1945年の敗戦によって手痛く挫折してゆく過程を著者は一人で描いた。著者の気迫を支えているのは、長年の研究成果の集大成を世に送り出す使命感であり、また、アメリカによる新たな情報覇権への危機感であると評者には思えた。

 地味なニュースかもしれないが、今年6月27日、日本からシンガポールまでを結ぶ光海底ケーブルの運用が開始された。これと、既設の日米間の光ケーブルとの連動で、アジア・アメリカ間に最速最短の連絡網が形成されたことになる。このような現状を考える時、地域間情報流通の核心を誰が握るかという問題に対し、過去の日本人がかなり無頓着であった、いや、そうならざるを得ない環境に置かれていた、との本書の指摘は貴重だ。明治期において我らの父祖は、不平等条約の解消を何より望み、それは、1894年と1911年の二段階で達成されたのだと学校教育の場でも教えられることが多い。

 だが、国際情報流通の非対称性への自覚はといえば稀薄(きはく)だった。1870年、仏英独米の4か国間で締結された通信上の世界分割協定の結果、日本は知らない間に、イギリスのロイター傘下の国として編入された。当然のことながら配信されるニュースは、発信地ロンドンの関心によって編集される。元老の山縣有朋などが抱いたロシアへの警戒心の幾分かはイギリス由来かもしれない。そして、日本が外国海底電線への依存から脱却するのは遅く、1943年になってからのことだという。

 ここまでの叙述で評者は、国際情報覇権戦という観点から本書を紹介してきた。だが、むしろ本書の一番の勘所は、『時事新報』『東京日日新聞』等、当時の人々が実際に手にしていた新聞各紙に、海外情報がいかなる形で掲載されていたのかを、発信日と掲載日の差、発信地、情報元の外国新聞や通信社名についてのクレジットの有無から、着実に検証していった点にこそある。いかなる地域の情報を、いかなる程度まで情報速度の落差を容認しつつ受容していたのかがわかれば、その時代の社会のニーズや特質を明らかにできる。

 情報とニュースの現実の受け手を想像しつつ社会の本質に迫る。これが著者の真骨頂だと考えるのは、著者が福島県(伊達市)梁川町の老舗新聞販売店・阿部回春堂に残されていた、1903年から34年までの新聞配達元帳を用いて、地域の人々の階層や生活と購読新聞との関係を明らかにした人だからだ(『近代日本のメディアと地域社会』吉川弘文館)。大正期以降の社会について我々は、平準化や大衆化が進んだ社会だととらえてきた。だが購読層の分析からわかったことは、1930年代になっても、複数の新聞・雑誌から豊かな情報を得ている名望家層と、日常生活圏に生きる住民との情報格差は依然として縮小していなかったという事実だった。現代の階層構造と情報格差を考える上で重い示唆に富む。
    --「今週の本棚:加藤陽子・評 『情報覇権と帝国日本1 海底ケーブルと通信社の誕生』=有山輝雄・著」、『毎日新聞』2013年07月21日(日)付。

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情報覇権と帝国日本I: 海底ケーブルと通信社の誕生
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覚え書:「書評:周五郎伝 虚空巡礼 齋藤愼爾 著」、『東京新聞』2013年07月21日(日)付。

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周五郎伝 虚空巡礼 齋藤愼爾 著

2013年7月21日


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◆愛着と反発が照らす実像
[評者]高橋敏夫=文芸評論家
 山本周五郎ファンには、まことに不快な書かもしれない。半可通のファンは近づくな。しかしこの書がつきつける不快さを避ければ、本当のファンにはとどかない。この不快さを十分にうけとめねば、作家と作品の不思議な関係がついにわからぬままになろう。
 周五郎への疑問と反発と糾弾の書である。同時に、そしてそれ以上に、周五郎文学への愛着と信頼と肯定の書である。本書では、この両極があるいは拮抗(きっこう)し、あるいは手をたずさえつつ、新たな周五郎世界をうかびあがらせようとする。こうした批評のダイナミズムは、著者が敬愛し、随所で参照する吉本隆明をも超える。
 六〇年安保闘争の挫折と周五郎文学による救いという極私的体験に始まる「序章」から、出生地の虚偽問題、学歴にまつわる謎へ。質屋山本周五郎商店とのかかわり、結婚、馬込文士村での生活、直木賞辞退、戦中、戦後の生活へ。従来のオマージュ一辺倒の周五郎像を退ける著者の周五郎評はときに、女衒(ぜげん)的な人間認識、作家の神経ではない、語るに落ちる、異常など苛烈(かれつ)をきわめる。戦後の『柳橋物語』から、代表作と目される『樅ノ木は残った』『よじょう』、晩年の『虚空遍歴』などの詳細な検討でも定説の破壊が続く。著者が愛する『青べか物語』『その木戸を通って』『おさん』は「六〇年安保の年」前後の作品だという。
 この周五郎にしてこの作品あり。後書では、周五郎作品を読まずに通過するのは「生涯の損失」と記される。
 『周五郎伝』だが、ひとり周五郎の生活と作品の軌跡を辿(たど)るにとどまらず、さまざまな補助線をひき、周五郎が生きた時代と社会と精神の全体をいけどりにする。著者の『ひばり伝 蒼穹流謫』『寂聴伝 良夜玲瓏』同様、ぶ厚くならぬはずがない。結果、「映画化作品」と「俳句作品」の章を省いたという。他者の批評の丁寧すぎる紹介でやや薄らいだ作品への激烈な愛情吐露とともに、是非、読みたいものだ。
 さいとう・しんじ 1939年生まれ。俳人、評論家。著書『読書という迷宮』など。
(白水社・3570円)
◆もう1冊
 山本周五郎著『樅ノ木は残った』(上)(下)(新潮社)。「山本周五郎長篇小説全集」の第一、二巻として刊行。伊達騒動を扱った代表作。
    --「書評:周五郎伝 虚空巡礼 齋藤愼爾 著」、『東京新聞』2013年07月21日(日)付。

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書評:朝日新聞西部本社編『対話集 原田正純の遺言』岩波書店、2013年。


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朝日新聞西部本社編『対話集 原田正純の遺言』岩波書店、読了。人間の命と尊厳を脅かす事象に医師として半世紀以上取り組み、昨年亡くなった原田さん。本書は、一周忌に合わせて出版された対話集。対話者は石牟礼道子さんほか患者や記者など15名。著作は多いが、対談集は本書しかない。

本書に意義があるのは著者の肉声だ。ソクラテスの対話がそうであったように。著者の語りは人間を粉々にしてしまう問題が“かつての事件”ではないことを知らしめる。被害のショービズ的矮小化でもなく過小評価の切り捨ても不必要だ。

過去と現在を架橋する著者の対話の軌跡は、過去の「証言」という記憶と同時に現在の「出来事」としてそれを捉え直すことを切り結ぶ。著者の言葉一つひとつが「遺言」であり、今必要な視点となろう。


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対話集 原田正純の遺言

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覚え書:「今週の本棚:中村桂子・評 『世界の技術を支配するベル研究所の興亡』=ジョン・ガートナー著」、『毎日新聞』2013年07月21日(日)付。


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今週の本棚:中村桂子・評 『世界の技術を支配するベル研究所の興亡』=ジョン・ガートナー著
毎日新聞 2013年07月21日 東京朝刊


 (文藝春秋・2520円)

 ◇情報革命の礎を築いた「驚異の組織」の秘密

 ビル・ゲイツが「タイムマシンに乗ることがあったら、最初に降りるのは一九四七年一二月のベル研究所だ」と言った。この時この場でトランジスタの他、通信衛星、光ファイバーなど情報通信に関わる驚異的な発明が立て続けに生まれたからだ。

 米国政府公認の独占電話事業者AT&Tは一九〇〇年代初頭に「ユニバーサル・コネクティビティ」という壮大な構想を掲げた。その結果生まれた携帯電話やインターネットを日常としている私たちに、「われわれは今、ベル研究所と同じように、未来の経済の土台となるような科学的基礎を築いているだろうか。半世紀前の人々が困難に挑み、生み出したアイデアの配当で食いつないでいるだけではないだろうか」と問うために、著者はその業績を振り返る。

 AT&Tが一九二五年発足させたこの研究所はノーベル賞受賞者を一三人も輩出し、イノベーションの手本となった。そこでの主役は技術者ではなく科学者だった。基礎から応用までの自由度を与えられた研究者が三〇〇人、その対象は「物理化学、有機化学、冶金(やきん)学、磁気学、電気伝導、放射、電子工学、音響学、音声学、光学、数学、力学、さらには生理学、心理学、気象学」とほぼ何でもありだ。ただし目標は「コミュニケーション」である。創業時に入所し最後までリーダーとして活躍したマービン・ケリーが「新しい現象の発見、新しい製品や製造技術の開発、新たな市場の創造をすべて融合させたものでなければイノベーションとは言えない」という基本姿勢を示す。

 固体材料での増幅器への挑戦は、ゲルマニウムかシリコンかというところから始まり、小型で能力の高いトランジスタを完成していく一方、それに関わった一人ショックレーは、『半導体物理学』を著す。学問も作ったのだ。天才クロード・シャノンは、情報を「0」と「1」に置き換え、ノイズのある中で完璧に情報を送るには余分な情報を追加すればよいという衝撃的主張をした。トランジスタは他でも作れたかもしれないが、情報理論という一分野の創設と完成はシャノンにしかできなかったと言われている。

 原子爆弾とトランジスタは三年のずれで生まれており、ベル研は軍に求められてレーダーも開発している。戦争は発明の母という事実など人間の負の面ももちろんここにはある。

 それはともかく、情報社会の基本がすべて一研究所から生まれるという驚くべきことが起きたのだが、AT&Tは独占企業であり特許取得は許されず、技術は模倣され、独占は崩れていった。しかも新しい「問題」はなかなか見つからず研究所は規模縮小することになる。「巨人の終焉(しゅうえん)」だ。もちろん、成果はグーグルやアップルに受け継がれている。しかしこれが真のイノベーションかという問いがある。「もはや企業にとり自由な研究に投資する合理性も必要性もなくなった」という分析もある。近視眼的経営で野心的研究が少ないのが今なのである。第二のベル研はあるかという問いに、著者はエネルギーや生物医学などであり得るかもしれないと言っているが、わからない。

 「ベル研究所のスターたちには組織の本質が凝縮されている」。組織か個人かではなく、才能と個性ある個人あっての組織、その人たちが活躍できる環境をもつ組織あっての個人なのだ。イノベーションはかけ声とお金だけでは進まない。主要な研究者とその仕事、人間関係が詳述されているので、そこから何かを探せそうだ。(土方奈美訳)
    --「今週の本棚:中村桂子・評 『世界の技術を支配するベル研究所の興亡』=ジョン・ガートナー著」、『毎日新聞』2013年07月21日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚:沼野充義・評 『神童のための童話集』=S・クルジジャノフスキィ著」、『毎日新聞』2013年07月21日(日)付。


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今週の本棚:沼野充義・評 『神童のための童話集』=S・クルジジャノフスキィ著
毎日新聞 2013年07月21日 東京朝刊


 (河出書房新社・2940円)

 ◇20世紀の奇想、不条理を映す「怪作」

 ロシアは奥深い文学の国だ、とつくづく思わされることがある。いまでも時折、これまで知られていなかった作家が突然再発見されるからだ。こんなに面白い作家が、鬱蒼(うっそう)たる森の奥のどこに隠れていたのだろう、とびっくりさせられる。シギズムント・クルジジャノフスキィ(一八八七-一九五〇)も、そんな風に最近、鮮やかに登場した一人である。

 少し前までロシア国内でもほとんど完全に忘れられていた名前だった。ウクライナのキエフでポーランド貴族の家庭に生まれた彼は、一九二〇年代、革命後の熱気さめやらぬモスクワで文学活動を始め、演劇や映画の世界にも関わった。しかし、同世代のよく似た経歴のブルガーコフとは異なり、華々しい人気作家となることはなく、生前活字にできた作品もごく僅(わず)かである。本人は「無名であることで有名」と半ば自虐的に自分のことを語っていたという。しかし、それが幸いしてか、スターリン時代の粛清の嵐を免れることができた。社会主義リアリズムの枠にとうてい収まらない「変な」作家であっただけに、もしも有名だったら、逮捕されて収容所の露と消えた可能性は高い。

 しかし、ペレストロイカ後のソ連で再発見されて再評価が進み、いまや英訳が何冊も出て、ニューヨークのインテリにも「二〇世紀最大のロシア作家の一人」などと受け止められ、ポー、カフカ、ボルヘス、カルヴィーノなどと並べられるほどになった。著作の表題だけ見ても、「さまよえる<変>」、「文字殺人者クラブ」、「未来の思い出」、「存在しない国々」と、好奇心をそそられるものばかりだ。

 今回訳された『神童のための童話集』は、主に一九二〇年代に書かれた二九編のごく短い初期作品を集めたもの(ただし生前未刊)。ドイツの哲学者ヤコービと、「恰(あたか)も」を意味するロシア語の接続詞「ヤーコブィ」が対話するという奇想天外な処女短編に始まり、神が死んだ二三世紀を舞台にした空想短編「神が死んだ」、「ある」の民と「ない」の民が織りなす神話的な寓話(ぐうわ)「無者の国」に至るまで、哲学的奇想と言語遊戯に満ちた「怪作」ぞろいで、いずれも奇妙な後味を残し、常識と日常を揺さぶるような作用を読者に及ぼす。その他、「ホンノチョットたち」「影さんの旅」「アリガト半分」など、タイトルだけを見ても訳者の工夫がうかがわれる作品が並ぶ。訳者が蘊蓄(うんちく)を傾けた異例に詳しい訳注も、原作者の博識、奇想と競い合うように見えて、楽しめる。

 じつは、この作家の紹介は今回が初めてではない。すでに『瞳孔の中 クルジジャノフスキイ作品集』(上田洋子・秋草俊一郎訳、松籟社、二〇一二年)が出ており、ぜひあわせて読んでいただきたいと思う。変容する部屋とそこに閉じこもる主人公を描いた「クヴァドラトゥリン」、恋人の瞳孔の中に住む小人が主人公を訪ねてくるという「瞳孔の中」、自分の肘を噛(か)むという不可能な目標に情熱を燃やす「肘噛み男」の運命を主題にした「噛めない肘」など、代表的な傑作ぞろいで、訳者、上田洋子氏による「脳内実験から小説へ」と題された解説も、この不思議な作家の全体像と特徴を見事に描き出していて、本邦初の貴重な本格的紹介になっている。

 この作家の名前、あいにく、とても発音しにくく、覚えてもらうという最初のハードルが高いが、今後二〇世紀ロシア文学の奇想と不条理な夢の歴史を語るために、不可欠の存在となることはまず間違いない。(東海晃久訳)
    --「今週の本棚:沼野充義・評 『神童のための童話集』=S・クルジジャノフスキィ著」、『毎日新聞』2013年07月21日(日)付。

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ネット選挙解禁雑感:選挙にふさわしい投票スタイル等々……


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ネット選挙解禁って、誰もが自身の正義を相互確認するというのではなくして、とにかくそれを押しつけ合い合戦の平行線を追及する騒音にしか聞こえない。

(伝統的な哲学の価値論の概念にすら取り込まれない下位概念としての)うさんくさい「正義」なるものを一方的に語り、それをお互いに譲らずぶつけ合うことなど必要ない。

自分自身の信じている信念や政策を普遍的真理と思いこんで、他者に押しつけることではなくして、私はこう考えるというものをすりあわせていくなかで、より考え方を洗練させると同時に、間違っていたので有れば、相互に訂正しながら、投票活動などに結びつけていくそのことが必要なのだろうと思う。

そういう「合意形成」を無視して、とにかく「勝てばよい」とやるから、選挙が終わると「万歳!!!」という怒声と、負けたら負けたで、またぞろ「陰謀論ガー」が大挙するのだろうなあ(棒読み

まあ、ドブ板も、相手を否定するための広報合戦というヤツも、最初の普通選挙から変わらぬ光景であって、それがネットという新しいメディアでも繰り返されているというのが21世紀の「ネット選挙」の実相なのだろうと思う。

勝俣誠『新・現代アフリカ入門』岩波新書では、あちらの選挙は、結局、うちらの親分と親分の対決という感覚なんだと紹介されていた。まあサッカーの熱狂的ファンの喧嘩と同じで、負ければ負けたで納得いかねーって大乱闘を繰り広げるつう話みたいだけど、日本もそんなにかわらねえわ。

シニシズムというわけじゃないけど、出来合いの大声の連呼が、本来耳を傾けるべき声をスルーしていくという話なんでしょうなあ。

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地方議会選挙の洗礼
 結党時の五ヵ条の「政綱」から「七大政策」に至る途中、一九二七(昭和二)年九月から翌年にかけて、地方議会選挙が実施されていた。衆議院選挙に先立つ普選制度による最初の選挙である。この地方議会選挙において、有権者は民政党にどのような判断を下したのか。
 九月から一〇月の二府三七県の議員選挙の結果は、政友会八一八名に対して民政党五七二名(前回比四三名増)だった。翌年の一道一府三県の議員選挙は政友会一二九名に対して民政党一一六名とその差は縮まっている。政友会の田中内閣の与党選挙による不利な条件を考慮すれば、民政党は善戦したと評価できる。選挙全体に対する民政党の自己評価も「比較的好成績」だった。民政党はとくに都市部で勝つことができた。
 それでも敗けたのは与党=政友会の選挙干渉のせいだと民政党は非難した。そうだとしても、敗けは敗けだった。地方議会選挙の結果は、衆議院選挙の暗い予兆となった。
 民政党にとって意外だったのは、棄権率の高さである。期待していた新たな有権者=無産者の危険が多かった。民政党の衆議院議員小泉又次郎は党機関誌で危険の例を挙げる。たとえば投票所の数が少なく、順番を待ちきれずに棄権する。あるいは日曜日ではなく週日が投票日のため、下層労働者は一日の生活に追われて投票所へ足を運べない。制限選挙の時は、羽織袴で投票するのが当たり前だった。それゆえ仕事着や平服で投票するのを躊躇する人がいた。普通選挙には普通選挙にふさわしい投票スタイルが必要だった。
    --井上寿一『政友会と民政党 戦前の二大政党制に何を学ぶか』中公新書、2012年、49-50頁。

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覚え書:「黒船来航―日本語が動く [著]清水康行」、『朝日新聞』2013年07月14日(日)付。

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黒船来航―日本語が動く [著]清水康行
[掲載]2013年07月14日   [ジャンル]歴史 

 幕末、諸外国との外交交渉に臨んだ日本。近代西洋の論理に直面し、条約文をまとめる際には新たな単語や構文法を開発しなければならない場面もあった。「日米和親条約」などの文章を分析しながら、通訳らの苦闘を追う。例えば入り組んだ仮定的な条件を含む文章は、それまで公文書で使われていた「候文」では表現しにくく、「~すべし」という「べし文」に代わっていく。漢文も使われなくなる。それらは次代の日本語を生み出す過程でもあった。
 誤訳のエピソード、「条約」という語の用法の変遷や、当初共通語として使われていたオランダ語がフランス語にとって代わっていく経緯にも触れている。
    ◇
 岩波書店・1680円
    --「黒船来航―日本語が動く [著]清水康行」、『朝日新聞』2013年07月14日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013071400005.html:title]


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覚え書:「今週の本棚:幸福の遺伝子=リチャード・パワーズ・著」、『毎日新聞』2013年07月21日(日)付。


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今週の本棚:幸福の遺伝子
リチャード・パワーズ・著

(新潮社・2940円)

 たとえば、同じ猛暑の環境にいても、体感温度は人それぞれ。人間の幸福度もそれとちょっと似ているかもしれない。そして結局は「体感幸福度」が高ければ、いくら物理的な条件が悪くても、その人は幸せなのだ。
 本書は、いまや米国の文学界の大黒柱であるポストモダンの雄、リチャード・パワーズの最新訳書である。かつての人気作家が講師を務めるカレッジの「創作的ノンフィクション講座」を、アルジェリアから来た女子学生が受講する。彼女は故郷で大虐殺などを目の当たりにし凄惨な過去を持っているにも拘わらず、常に明るいオーラを発し周囲を光りで充たすような女性だ。この明るさと優しさは生まれ持った「幸福の遺伝子」のなせる業ではないか? その謎を解明し遺伝子操作を可能にすれば、人間はみんな幸福になれるのではないか? 幸福は相対的なものではないが、科学操作されたものを幸福と呼べるだろうか?--生命倫理に踏みこみつつ、文学と創作の可能性についても探っていく刺戟的な一冊。あの有名なゲノム学者やノーベル文学賞作家や大物女性司会者と思しき人物も登場し、読者の心をくすぐる。 =木原善彦訳(猫)
    --「今週の本棚:幸福の遺伝子=リチャード・パワーズ・著」、『毎日新聞』2013年07月21日(日)付。

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書評:澁谷知美『立身出世と下半身 男子学生の性的身体の管理の歴史』洛北出版、2013年。


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澁谷知美『立身出世と下半身』洛北出版、読了。なぜ少年は性から遠ざけられるのか。その起源は明治中葉に存在する。国家に有益な立身出世を目指す刻苦勉励のために性的品行は慎むべし。少年を取り巻く性的環境は学校、警察、社会を挙げて一元化されてゆく。本書は豊富なエピソードでその軌跡を辿る。

性的エネルギーは「男らしさ」の表象であるにもかかわらず学生に対しては封印の対象となったが、それは国家にとって「性」が有害な場合の禁忌。しかし、国や企業に役に立つとあれば性的行為が逆に公認され、奨励されることにもなる。

「生産する身体」に対して「性的な身体」が従属させられて来たのが近代社会の「~らしさ」という幻想であり、国家がそれを構想する。常に矛盾にさらされてきた男性の性的身体に関する言説を材料に、生-権力の動態を明らかにする好著。

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立身出世と下半身―男子学生の性的身体の管理の歴史
澁谷 知美
洛北出版
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覚え書:「欲望の美術史 [著]宮下規久朗 [評者]横尾忠則」、『朝日新聞』2013年07月14日(日)付。

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欲望の美術史 [著]宮下規久朗
[評者]横尾忠則(美術家)  [掲載]2013年07月14日   [ジャンル]アート・ファッション・芸能 新書 

■「食欲」から「死」までの美の小径

 画家が主題の選択に迷い、その拠(よ)りどころを一体どこに求めるべきかと心を煩悶(はんもん)させる経験は誰にもある。そんな時、本書があれば難なく画家は寸善尺魔の地獄から這(は)い上がれたのに。
 そーなんだ、「あらゆる人間の営みは欲望によって成り立っている」、そんな自明の理がわかれば、自らの欲望を描くことで簡単に問題解決じゃないか。
 画家の欲望がそのまま主題になることに、この時初めて画家は気づかされるのである。著者は美術史の深い森に分け入り、多様な主題と様式の中から美の欲望を二十八のお話にシステム化し、読者を欲望の小径に案内しながら、まるで寓話(ぐうわ)でも聞かされているような気分にさせ、気がついたら「欲望の美術史」が私たちの中に位置づけられているのだった。
 さて、全二十八話の中で私が特に関心を抱いたのは、「『私』に向き合う」と題する自画像の項だった。私も時に自画像を描いてきたけれど、自画像ほど自己の欲望と真正面から向き合う対象はほかにないのである。この不可知な謎の対象は内なる他者であると同時に逃れることのできない自己でもある。人間の五欲を仏教は戒めるが美の追求は五欲の吐露によって解脱に至るか? 果たして……。
 触ることはできるが自らが見ることのできない自己を如何(いか)に表現するか。フィレンツェのウフィツィ美術館に自画像が所蔵されることになった際、私は触覚と視覚を両立させた彩色デスマスク(ライブマスク?)を画面に張りつけ、自画像に対する解答とした。
 次の興味は、第二十八話の「よき死への願い」だった。私にとって死への欲望は生への欲望を手放すことである。天国も来世も求めない欲望。本書は生への欲望「食欲」から始まって生の欲望を手放す「死への願い」で終わる。本書は全体が欲望の連歌になっているように思えた。
    ◇
 光文社新書・966円/みやした・きくろう 63年生まれ。美術史家、神戸大学准教授。『カラヴァッジョへの旅』。
    --「欲望の美術史 [著]宮下規久朗 [評者]横尾忠則」、『朝日新聞』2013年07月14日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013071400013.html:title]


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<オールカラー版>欲望の美術史 (光文社新書)
宮下 規久朗
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覚え書:「ナショナリズムの誘惑 [著]木村元彦・園子温・安田浩一」、『朝日新聞』2013年07月14日(日)付。

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ナショナリズムの誘惑 [著]木村元彦・園子温・安田浩一
[掲載]2013年07月14日   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 国際 


 かつて旧ユーゴの民族紛争を取材した木村、日本と中国の青年たちが殺し合う映画を18年前につくっていた園、在日コリアンへのヘイトスピーチデモを行う集団を取材する安田。日本社会は、安易な排外ナショナリズムに覆われようとしていないか。3人の語り合いと各人のフィールドで、排外主義が立ち上がってくるのはなぜかを解こうとする。旧ユーゴでのすさまじい「民族浄化」と、聞くに堪えないヘイトスピーチとは、決して断絶してはいない。政治家のパフォーマンスの道具にされた「尖閣」、「奪われたものを取り返す」と、同じような主張をする日中韓のネット右翼たち。何が、何のために隣人への憎しみをあおるのか。
    ◇
 ころから・1470円
    --「ナショナリズムの誘惑 [著]木村元彦・園子温・安田浩一」、『朝日新聞』2013年07月14日(日)付。

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ナショナリズムの誘惑
木村 元彦 園 子温 安田 浩一
ころから
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覚え書:「みんなの広場 ヘイトスピーチ撲滅の法を」、『毎日新聞』2013年07月08日(月)付。


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みんなの広場
ヘイトスピーチ撲滅の法を
農業 62(京都府木津川市)

 本紙の報道で、ヘイトスピーチなるものを知った。特定の民族、集団の名を挙げて「殺せ」などと憎悪をかきたてる発言をする。ここでユネスコ憲章を考えてみたい。全文に、こうある。「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」。さらに、無知と偏見によって人間・人種の不平等が広がっている危険性を指摘している。

 ヘイトスピーチは、言論・表現の自由とは全く異質の行為である。このようなことが許されるなら、その場は地獄だ。危害におびえ、息をひそめる。とうてい、文明国とはいえない。
 激化するヘイトスピーチについて、ある団体が国会議員を対象にアンケートしたところ、回答率は1割にも満たなかったという。ヘイトスピーチそのもの以上に暗たんたる思いがした。犯罪ととらえて撲滅するには、言うまでもなくそのための法律を早急に制定しなくてはならない。国会議員の責務を果たされることを強く望む。
    --「みんなの広場 ヘイトスピーチ撲滅の法を」、『毎日新聞』2013年07月08日(月)付。

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覚え書:「素顔の新美南吉―避けられない死を前に [著]斎藤卓志 [評者]出久根達郎」、『朝日新聞』2013年07月14日(日)付。


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素顔の新美南吉―避けられない死を前に [著]斎藤卓志
[評者]出久根達郎(作家)  [掲載]2013年07月14日   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 


■聞き書きで創作の実態明らかに

 「里にいでて手袋買ひし子狐(こぎつね)の童話のあはれ雪降るゆふべ」。美智子皇后の御歌(みうた)である。新美南吉の童話「手ぶくろを買いに」を詠まれている。
 今年は新美の生誕百年、そして没後七十年である。すなわち、たった三十年の短い生涯であった。「ごんぎつね」や「おじいさんのランプ」「牛をつないだ椿(つばき)の木」など、子どもから大人まで幅広く愛読される作家だが、その実像は意外に知られていない。短命であったためと、劇的な生涯でなかったのが理由だろうか。面白いエピソードに欠ける。ということは、まじめな人物であったのである。
 こういう人の伝記をまとめるには、特別な視点と、些細(ささい)な事柄を興ずる心が無くてはいけない。本書の著者は、文学畑の人ではない。民俗学者である(『刺青墨譜』や『稲作灌漑(かんがい)の伝承』等の著がある)。
 既成の概念に捉われず、民俗採集の技法の聞き書きを用いて、新美の創作の実態を明らかにした。
 二十四歳の新美が、愛知県安城高等女学校の教諭になる。以後の年月が、童話作家を形成する重要な日々と筆を費やす。本書の大半が教師時代である。これが成功した。
 新美は新任して、一年生を受け持つ、翌年は二年生を、次の年は三年生、そしてまたあくる年は四年生を担任した。つまり、教師として初めて接した生徒たちと、四年間を共にして、無事卒業させ、翌年、病気のため亡くなったのである。生徒らに、新美先生はどう映ったか。
 本書の最も感動的なエピソードは最後にある。『校定新美南吉全集』に収録されていない詩を紹介している。原稿もメモも残っていない幻の作品だ。新美の教え子たちが、黒板に記した詩を、うろ覚えに覚えていた。皆で記憶にある語句を思いだし、復原したのである。「ちちはは老いたまふ」と始まる詩だ。彼女らはまた焼かれようとした師の日記を、大切に保管していた。
    ◇
 風媒社・2310円/さいとう・たくし 48年生まれ。愛知県安城市の元学芸員。著書『刺青 TATTOO』など。
    --「素顔の新美南吉―避けられない死を前に [著]斎藤卓志 [評者]出久根達郎」、『朝日新聞』2013年07月14日(日)付。

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素顔の新美南吉―避けられない死を前に
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覚え書:「蘇生した魂をのせて/石牟礼道子―魂の言葉、いのちの海 [著]石牟礼道子 [評者]いとうせいこう」、『朝日新聞』2013年07月14日(日)付。


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蘇生した魂をのせて/石牟礼道子―魂の言葉、いのちの海 [著]石牟礼道子
[評者]いとうせいこう(作家・クリエーター)  [掲載]2013年07月14日   [ジャンル]人文 ノンフィクション・評伝 


■「公」とは何か、水俣から学ぶ

 藤原書店から出ている全集も大詰めを迎えつつある石牟礼道子。行動をともなったその思索、そして言葉に関する本が幾つか出てきている。
 『蘇生した魂をのせて』は講演や対談をまとめたもの。そして『魂の言葉、いのちの海』は様々な書き手による石牟礼道子論と、全集未収録エッセーが掲載された本である。
 御存知(ごぞんじ)のように石牟礼は故郷熊本で水俣病患者に寄り添い、『苦海浄土』という貴重な記録文学を成した。そこには何よりも方言が踊り、震え、出来事に耐えている。
 体の中に水銀を貯(た)めざるを得なかった患者の苦しみはいまだ終わっておらず、そもそも近代化にともなう技術の一方的な“進歩”が、世界をどう不均衡にしてしまうかは、私たちの抱える原発事故問題に一直線につながっている。
 公害とはなんであるか。一体その「公」とは何か。本当にそれは公であるか。日本という国のために毒を排出し、誰かがそれを受け入れる、ということがあってよいのか。
 原発事故は公害である。その簡潔な視点に立てば、過去の公害をめぐる論議は私たちの礎になる。それを後退させてはならない、答えに窮して黙り込んではならない、と石牟礼の言葉を前に思う。
 特に何度も繰り返して考えたいのは、抗議運動を続けて来た患者たちの「自分たちの絶対的な加害者のために祈る」(『蘇生した魂をのせて』)という到達点だ。それはどれほどの苦難からしぼり出された深く重い言葉だろうか。
 また、『魂の言葉、いのちの海』で池澤夏樹は言っている。「水俣病の苦痛というのは世界中の人間にとって大事な財産なんですね」(2010年4月)。そして今、世界どころか、まさに日本の私たち自身が水俣から学び直さねばならない。
 学ばなければ、公害はとどめようもなく続く。「公」とはつまり、私たちを含む「絶対的な加害者」ではないか。
    ◇
 『蘇生した〜』河出書房新社・1890円▽『魂の言葉〜』KAWADE道の手帖・1680円
    --「蘇生した魂をのせて/石牟礼道子―魂の言葉、いのちの海 [著]石牟礼道子 [評者]いとうせいこう」、『朝日新聞』2013年07月14日(日)付。

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「われわれはなにもかもが人間の尺度にあわない世界に生きている」からこそ。


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 数世紀におよぶ進化をとげたあげく、われわれの時代になって近代文明がとるにいたった形態ほど、これまで述べてきた理想にいちじるしく逆らうものは、まずもって構想不能である。個人が偶然まかせの集合体にかくも完璧にゆだねられたことはなく、おのれの行動を思考に服させるなどもってのほか、そもそも思考すらおぼつかないというのは、かつてない事態である。抑圧者と被抑圧者という語、階級という観念などは、ことごとく意味を失う寸前にある。それほどまでに、心をうち砕き精神を踏みにじる機械、無意識や暗愚や腐敗や無気力、なかんずく眩暈をさそう機械と堕した社会機構を前にしたとき、万人がおぼえる無能力と苦悩がどれほどのものかは自明である。
 この痛ましい事態の原因はあきらかだ。われわれはなにもかもが人間の尺度にあわない世界に生きている。人間の肉体、人間の精神、現実に人間の生の基本要因を構成する事物、これら三者のあいだにおぞましい不釣合いが介在する。いっさいが均衡を欠く。より原始的な生をいとなむ孤立した小集団ならともかく、互いを食らいつくすこの不均衡を完全にまぬかれるような、人間の範疇(カテゴリー)や集団や階級は存在しない。そして、このような世界で育った若者や育ちつつある若者は、他の人びと以上に周囲の混沌をおのれの内部に反映する。この不均衡は本質的に量の問題である。ヘーゲルがいうように量は質に変わる。人間的な領域から非人間的な領域への移項には、たんなる量的差で充分である。抽象的には、尺度の単位を恣意的に変えられる以上、量はどうでもよい。しかし具体的には、ある種の尺度の単位は不変数として与えられ、今日まで不変数のままである。たとえば人間の肉体、人間の生命、年、日、人間の思考の平均速度のように。
 現在の生はこれらの尺度にあわせて組織されていない。生はまったく次元の異なる単位に転移してしまった。あたかも人間がおのれの本性(ナチュール)を考慮するのを怠って、外的自然(ナチュール)の諸力の次元にまで生を高揚させようとしたかのごとく。そして、どうみても経済体制は構築する能力を使いはたし、おのれの物質的基盤をしだに覆すためにのみ機能しはじめたとつけ加えるならば、現世代の運命を構成する歯止めなき悲惨の真の本質が、粉飾のないあらわな姿で浮かびあがるだろう。
    --ヴェイユ(冨原眞弓訳)『自由と社会的抑圧』岩波文庫、2005年、119-120頁。

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本日にて、哲学入門の前期授業が終わりました。今季は、大学の行事と重なり1回少ない構成だったので、最後がかなりきつい構成となり、受講者の皆様には、おせおせの授業をしてしまい大変もうしわけございませんでした。

ただ、これは何度もいっていることなのですが、結局の所、哲学とか倫理学という学問は、教室で学んだからナンボ、本を読んだからナンボ、という話ではなくして、そういうことは結局のところ、“畳みのうえで水泳”をするようなものですから、授業の終わった今日から、ひとりひとりの生活のなかで、本を読み思索し、友と語り、そしてまた自分自身にそれをもどしていく……その繰り返しの中で、出来合の言葉をさも自分の言葉のように錯覚するのではなくして、力強い考え方をみにつけていってほしいと思います。

そこにこそ「哲学の教室」は存在する訳ですから。

さて、伝統的な西洋思想史においては教養が人格を涵養するものだといわれてきましたが、その意義では、皆さんにはほんとうの「哲学の教室」のなかで、それを養っていって欲しいなと僕は思います。

ヴェイユがそうであったように、人間のただなかで、人間を深めていくほかありません。

ともあれ、ほんとうに、怒糞なヘタレ野郎の授業に参加してくださいましてありがとうございました。


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熟議民主主義の最大の敵は、合意形成を無視した宣伝合戦にある


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今日、病院で入院している方の不在者投票をやっていたけど、投票するのはほとんど高齢の方ばかり。病棟の性質上、若い人は多くはないけど、それでも20代から40代のひとびとはほとんど投票していなかったのは事実。ついでだけど「だから、そういう手合いは困るんだよ」などと講釈たれるのは糞。

どこを応援しようと別にかまわないと思うけど、それに熱が入るあまり他者批判に専念する手合いが多い。先の民主党政権批判に集中するあまり、例えば、その返す刀wとしての「アベノミクス」(がどういうものかは検討しないで)を持ち出して、とにかく、それでやればバラ色になるのような形式。

結局、現実の政治は、一地点における前後でバラ色になるわけじゃないんだから、為にする批判と無検討な宣揚だけで、言論空間を圧倒してしまうと、窒息してしまうんじゃねえかと。だから「つまんねー」ってなるというか。もちろん、「つまんねー」で「いかない」のが良いわけじゃないけどさ。

政治で変わるところは歴然としてあるのだけど、短期的にその一戦で変わることのできないところもあるから、その短期戦と長期戦をきちんと分けて考えていかないと難しいのとちゃのうかいなという。どちらも場合も「バラ色」なんてあり得ないわけなんだけど、そういう言論がチトね、どうよとは思う。

まあ、またうじけさんの「どっちもどっちかw」って理解されてしまうと、それこそ手に負えないけれども、旗印を明確にして、そこになにかすれば済むというのも、たんなる思考麻痺の、お任せ民主主義とかわらねーわな、という感。

例えば、山本太郎候補が当選したら、脱原発はバラ色に「チェンジ」するのか??? たぶんというか限りなくnoでしょう。そういうことというか。勿論、シニシズムではありませんよ。ただ選挙による数の変化が「バラ色」ではないというだけの話だから、1mmずらせることができるかどうか肝なんでしょ
※ちなみに自民党が躍進するとナショナルを超えた極右へ急旋回はyesですけどね。

なんどもいってるけど、現実の政治に関わることとして、選挙に集中することは、政治アクセスの一つであるからキチンと関わっていくことは大切なことはいうまでもない。だけど、そこだけで「済ませてしまう」ことで、果たして民主主義は機能するのかということ。

困っている人と役所の窓口に足を運んで見えてくること、デモに参加することで政治家に圧力を示威すると同時に見えてくること……等々、いろいろあるのだと思うのだけどね。しかし、やいのやいのと政争談義に惑溺することで、片づけてしまうと、実際のところ権力の都合の良い構造に荷担するだけだろう。

ひさしぶりにめんどくさい話をしたけど、どうもこうも日曜がそうだから、いろんなところから「ここいれてけろ」、「ここいれるな」、「いやいや、うちですよ」って声をかけてくれるのはありがたいのだけど、その声かけが「合意形成」を無視した押し売りのセールスマンがとっかえひっかえだから、まあ、ね。

まあ、それから、これはどの党も同じだけど、もう景気回復する要素なんてないし、何度もいってるけど、生産人口が減少する人口減社会がもうそこまで来ている現在、バブルはあっても恒常的な上昇数値は無理でしょう。ならば、成長戦略よりも、ガツンと悪くならないような戦略と防御策を講じてほしいよ。

熟議民主主義の最大の敵は、合意形成を無視した宣伝合戦にあると思う。

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覚え書:「書評:落語で味わう江戸の食文化 林秀年著」、『東京新聞』2013年07月14日(日)付。


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落語で味わう江戸の食文化 林秀年 著

2013年7月14日


写真
◆演目眺め腹いっぱい
[評者]八木忠栄=詩人・文筆家
 食べ物や酒が出てくる落語は多い。寄席でおいしいものが出てくる落語を聴いた帰りには、じっくり飲食したくなる。たとえば、出来のいい「青菜」を聴いた帰りには、鰯(いわし)の塩焼きでいいからおいしい日本酒を一杯やりたい。「目黒のさんま」の後には、脂したたる焼きたてのさんまにかぶりつきたくなる。
 江戸期に作られた落語には、当然江戸の食文化が反映している。その大半は庶民が食べていたものであり、高級で手のこんだレシピなどはない。平成のわれわれの食卓と、それほど大差はない。
 本書は、よく知られた「時そば」に始まって「寄合酒」に到(いた)るまで、六十篇以上の落語に登場する飲食物を、噺(はなし)を紹介しながらとりあげている。つまり落語を楽しみながら、江戸の食文化を具体的に味わえる仕組みになっている。さらに当時の庶民の飲食の様子を伝える図譜・図絵が豊富に挿入されていてありがたい。
 落語の飲食に関する著書は従来もあったが、文献による貴重な図版をこれだけ多く併載した例はない。江戸の食文化の一端を覗(のぞ)けるだけでなく、落語の背景も現前してくる仕掛けになっている。
 既刊の『落語で辿(たど)る江戸・東京三十六席。』『落語で知る人生の知恵』と併せ、著者の落語三部作となる。
 読み終わって、さて、今から私は何を味わいに、どこへ出かけようか?
 はやし・ひでとし 1949年生まれ。文筆家。
(三樹書房・1890円)
◆もう1冊
 『落語のいき(2)食と旅噺編』(小学館)。桂文楽「時そば」などを収めたDVDブック。江戸の食も解説。
    --「書評:落語で味わう江戸の食文化 林秀年著」、『東京新聞』2013年07月14日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013071402000169.html:title]


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落語で味わう江戸の食文化
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覚え書:「トロツキー(上・下) [著]ロバート・サーヴィス [評者]保阪正康」、『朝日新聞』2013年07月14日(日)付。

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トロツキー(上・下) [著]ロバート・サーヴィス
[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)  [掲載]2013年07月14日   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 


表紙画像
著者:ロバート・サーヴィス、山形浩生  出版社:白水社 価格:¥ 4,200

Amazon.co.jp楽天ブックス紀伊國屋書店BookWebTSUTAYA online
■革命と共に変貌、複雑な性格描く

 トロツキーを20世紀の革命史にどのように位置づけるか、本書はそれを試みた書だが、著者はイギリスのロシア史専攻の歴史学者。これまでに『レーニン』『スターリン』を著し、本書で3部作が完成することになる。
 著者は、まず序文で「ロシア外の人物でトロツキー主義者以外の手による初の完全なトロツキー伝」と自賛する。読後、なるほどとうなずける半面、トロツキーの思想やその運動の結末が充分(じゅうぶん)に分析されているとはいい難い。ただしトロツキーの60年の生涯は丹念に描写されている。記述も日本人好みの編年体で追いかけるのでかなりわかりやすい。これまでの類書の如(ごと)く、スターリンとの対比やその葛藤は本書の軸にもなるし、革命路線への姿勢などは、著者の思い入れもあって際だって明確な分析になっている。
 トロツキーは、レーニンに対して自らを同一化することにより革命の正統性を強調し続けるのだが、確かに1917年の2月革命から10月革命にかけてトロツキーがいなければ革命国家の創設はなかったであろう。同時にトロツキーもまた赤色テロを全面的に支持し、血に彩られた革命そのものを肯定する側にいる。著者も指摘するのだが、10月革命のあと、ボリシェビキは、1789年のフランス革命後の革命狂乱の後に登場したナポレオンのような存在に、トロツキーがなりうると見ていた、とも書く。この指摘にはより深い吟味が必要であろう。
 ウクライナ南部の富農の家に生まれ、高等教育を受けるプロセスでの成績の良さとやがてマルクスの著書にふれて革命家となるその道筋で、トロツキーの性格がどうつくられ、その才能がどう生かされたか、著者の関心はこの複雑な性格(出身階層やユダヤ人であることを隠したがる)にあるのだが、革命と出会ううちに変貌(へんぼう)する様を緻密(ちみつ)に描写している。この期の知識人の心理をつき放して書いている点に、トロツキーに関心のある人は批判を持つのかもしれない。
 20世紀の革命家の原像をトロツキーに求める人たちは今なお少なくないという。トロツキーは、スターリンを「日和見主義者、無節操な策士、最高主権者として権力を最大化して、『官僚主義』の利益のために表に出ているにすぎない指導者」と、批判する。逆にスターリンは1935年には「トロツキーの死を望んでいたことは、ほぼ確実」と著者は見ている。
 しかし、トロツキーとスターリンはより近似的な像を持っていたと著者は結論づける。人道的社会主義を主張したふたりはその実現など考えていなかった。そこに尊称でも蔑称でもなく語る次代の視点があるのだろう。
    ◇
 山形浩生・守岡桜訳、白水社・各4200円/Robert Service 英オックスフォード大学セント・アントニーズ・カレッジ教授。ロシア史専攻。著書に『ロシア革命1900-1927』『情報戦のロシア革命』『レーニン』『スターリン』など。
    --「トロツキー(上・下) [著]ロバート・サーヴィス [評者]保阪正康」、『朝日新聞』2013年07月14日(日)付。


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覚え書:「今週の本棚・新刊:『世界の壊れ方 時評二〇〇八~二〇一二年』=町田幸彦・著」、『毎日新聞』2013年07月14日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『世界の壊れ方 時評二〇〇八~二〇一二年』=町田幸彦・著
毎日新聞 2013年07月14日 東京朝刊

 (未來社・2310円)

 強引な単独行動主義が一つの頂点を極めたイラク戦争の後、米国の一極支配は揺らぎ、世界は中心を失ってゆく。長く国際報道にかかわった元新聞記者が、そうした潮流を冷静に見つめた時評集。先行きの見えない時代、タイトルにある「壊れ方」にこだわった視点が冴(さ)えてくる。

 著者はウィーン、モスクワ、ロンドンで特派員経験を持ち、描かれる対象も欧米からバルカン、ロシアと旧ソ連諸国、モンゴル、北朝鮮に及ぶ。政治・外交から経済、宗教にいたるまで目配りを怠らない。

 壊れゆく世界の中で、揺れ動く英国人の心のひだを覗(のぞ)き込むような時評群が強い印象を残す。常に思慮深く、感情を表に出すことのない英国人の現実主義--その奥深さとかなしさが見えるからだろうか。

 名曲の邦訳の誤りを考察する「“Let It Be”の意味」は、日本で一人歩きする「幸福な誤訳」から、極めてキリスト教的な歌詞の背景へと踏み込んでいく。作者ポール・マッカートニーとジョン・レノンの曲をめぐる確執、「権威」に抗し続けた作家、故なだいなださんの文章が引かれ、ビートルズの実像に深みと味わいが添えられる。(羅)
    --「今週の本棚・新刊:『世界の壊れ方 時評二〇〇八~二〇一二年』=町田幸彦・著」、『毎日新聞』2013年07月14日(日)付。

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世界の壊れ方: 時評 二〇〇八~二〇一二年
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覚え書:「今週の本棚・新刊:『私の最高裁判所論 憲法の求める司法の役割』=泉徳治・著」、『毎日新聞』2013年07月14日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『私の最高裁判所論 憲法の求める司法の役割』=泉徳治・著
毎日新聞 2013年07月14日 東京朝刊

 (日本評論社・2940円)

 日本の司法は長年、三権分立の中で消極主義だといわれてきた。それは、最高裁が示した法令違憲判断が戦後わずか8件にとどまることにも現れている。最高裁判事として6年余の在任中、25件の反対意見を書いた著者が、「人権を守る役割を、司法はもっと認識すべきだ」と、司法の機能強化への願いを込めた。

 戦前、司法権の独立を確立するために激論を戦わせた判事らの気骨に始まり、戦後憲法下で発足した最高裁が違憲審査権を担うに至るまで、裁判所の歴史が古書などから掘り起こされ、歴史書としても興味深い。先人の苦闘を引き継いだ最高裁が、いかに違憲審査権を行使すべきか、未来の法曹養成はどうあるべきか、などのテーマにも触れ、現在の司法の課題も浮かび上がる。

 少数意見も積み上げれば未来の多数意見につながるとの考えから、著者は裁判官出身者では珍しく「もの言う判事」であり続けた。その個別意見も紹介している。中でも「1票の格差」訴訟では、合憲とする多数意見に対し、「違憲だ」と反対意見を書き続けた。それは、昨年の衆院選を巡り、下級審で相次いだ違憲判断となって結実している。(石)
    --「今週の本棚・新刊:『私の最高裁判所論 憲法の求める司法の役割』=泉徳治・著」、『毎日新聞』2013年07月14日(日)付。

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私の最高裁判所論: 憲法の求める司法の役割
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書評:中西竜也『中華と対話するイスラーム 17-19世紀中国ムスリムの思想的営為』京都大学学術出版会、2013年。

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中西竜也『中華と対話するイスラーム 17-19世紀中国ムスリムの思想的営為』京都大学学術出版会、読了。俗にイスラームは商人の宗教といわれたように、在中ムスリムはイスラーム勃興期に起源をもつ。本書は、アジア各地からやってきたムスリム移民の土着内開花(「中国的イスラーム」)を素描する。

中国内ムスリムの危機は明朝。「回回は天下に遍あまねし」から一転して、外国人ムスリムの入国が制限される。結果、在中ムスリムは、中国の伝統的思想や中国社会の現実との対応を迫られる。独自性保持と協調が課題となる。

本書の圧巻はイスラームの「漢訳」における中国伝統思想との対話、そして、近世中国内地におけるスーフィズム(ペルシア語イスラームの中国受容含む)を明らかにした点である。画一的なムスリム認識を原典に即して一新する快著。

[http://www.kyoto-up.or.jp/book.php?id=1881:title]

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覚え書:「今週の本棚:鹿島茂・評 『メディアとしての紙の文化史』=ローター・ミュラー著」、『毎日新聞』2013年07月14日(日)付。

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今週の本棚:鹿島茂・評 『メディアとしての紙の文化史』=ローター・ミュラー著
毎日新聞 2013年07月14日 東京朝刊

 (東洋書林・4725円)

 ◇魔術的な「文明のインフラ」の過去と未来

 人類最大の発明が文字だとすると、印刷術の発明がそれに次ぐ。しかし、紙の発明と改良がなかったら、世界は現在のような姿でありえただろうか。書物や新聞もなければ、紙幣も有価証券もありえない。紙は文明のインフラなのである。だが、いままさにその紙が電子媒体によって代替されようとしている。本書は、決定的な過渡期を迎えたこの紙という《魔術的媒体》の文化史的再考の試みである。

 紙の歴史は西暦一〇五年頃の中国に溯(さかのぼ)る。後漢の役所で書写材として紙の採用を伝えた記録が残っているからだ。カジノキの樹皮を原材料とする中国紙はシルクロードを経由してサマルカンドに至り、アラブ世界に伝わったが、そこではカジノキがなかったために、原料はぼろ布、古着、索具(ロープ)などによって代用される。この原料の転換がまず大きな影響を与え、製紙業はぼろ布を求めて都市の周辺に成立する。

 十三世紀に北アフリカ、スペイン経由でイタリアに伝播(でんぱ)すると、紙に大きな転換が訪れる。「まず紙料(しりょう)調製の段階では、あらかじめ腐敗させておいたぼろ布を叩(たた)いてすりつぶし、繊維にまでほぐす作業(叩解(こうかい))が機械化された。水力で水車を回し、その回転運動をカムシャフトがハンマーの垂直的な上下動に変換する機構をそなえた叩解機(スタンパー)の導入である」

 叩解機の導入はイタリアの織物業と金属加工業で使われていた水車技術とハンマー装置の転用だった。また、次の紙葉(しよう)形成の工程でも、金属加工業の針金製造技術を応用して漉簀(すきす)に竹や葦(あし)に替えて針金を用いたことが漉き作業の効率を上げた。さらに、仕上げの表面加工の工程においても植物原料の糊(のり)の替わりに膠汁(にかわじる)を使ったことが滲(にじ)み防止効果をもたらした。こうした工程の変化が、製紙所の立地を制限することになる。紙料の調製においても水車を回すにも製紙業は川のほとりの水利に富む都市が選ばれるようになったのだ。「漉槽(すきそう)を一つ備えた製紙所は、一労働日あたり三千枚もの紙を生産することができた。一年で見ればほぼ百万枚であり、これは十五世紀のローカル市場では、需要をはるかに超える供給量であった」。その結果、ヨーロッパで生産された紙が伝来経路を逆にたどってアラブ圏に輸出され、アラブ圏の製紙業を衰退させてゆく。

 ヨーロッパで製紙業が発達した背景としては羊皮紙の供給が限られていたことがある。「中世後期の写本は、行間をつめ、文字を小さくし、字間を狭くとって、一ページあたりにできるだけ多くの文字を詰め込むようになった」。紙の登場はこうした羊皮紙の制約を取り払った。「紙は修道院、市庁舎の書記室、そして大学で使われた。そうやって紙は文字文化の発展をうながし、知識の蓄積と一般化に貢献し、印刷機登場の土壌を準備するという、非常に重要な使命を果たした」

 しかし、初期の製紙業の大手需要を支えていたのはこの手の知的用途ではなかった。十五世紀に流行したトランプ遊びが紙の需給関係を大きく変化させたのである。トランプ遊びは木版画の技術と結びついて「絵」の大量複製を生み出し、製紙業を支えたのである。そして、一四五〇年、ついにグーテンベルクが活版印刷機を発明し、製紙業と結びついて文字文化は決定的な段階を迎えることになる。だが、それから四〇〇年の間、増え続ける需要にもかかわらずヨーロッパの製紙業は大きな限界を抱え続けることになる。木から紙をつくる方法を知らなかったため、人口増でぼろの供給量が増えない限り、生産には限度があったのだ。

 バルザックの『幻滅』には、印刷工場を経営する青年ダヴィッド・セシャールが苦心の末に画期的な製紙法を発明したにもかかわらず、アイディアを強欲なライバルに横取りされる様子が詳しく描かれているが、やがて製紙業界はジラルダンの新聞革命に刺激されてパルプから紙を作り出す方法を考えだし、大量発行される新聞や雑誌を支えることになるのである。

 さて、以上がハードウェアとしての紙の文化史の大筋だが、本書の本当の魅力は、こうした形而下(けいじか)的要素にからめながら、紙を巡る形而上学的な諸問題がさまざまに論じられている点にある。すなわち、マクルーハンのメディア理論から照射するラブレーと印刷術の関係、《印刷されない》自筆原稿と《印刷された》書物とを巡って展開されるドン・キホーテ論、ロビンソン・クルーソー論、書簡体小説論。大量の紙と活字を消費する大衆新聞の登場により大きく変化するメディアの本質。および、印刷物の氾濫(はんらん)によって逆に刺激されることになる自筆原稿管理の問題などであるが、それらは案外、いま取り沙汰(ざた)されている《アナログなもの》と《デジタルなもの》との共時的な緊張関係を考察するための大きなヒントとなるかもしれないのである。「新しい媒体(メディア)は古い媒体(メディア)を模倣する。(中略)これから当分のあいだ、我々は依然として紙の時代に生き続けるのである」

 原文は英米独仏西の古典が引用された博引旁証(ぼうしょう)の文章だが、翻訳は至って読みやすい。(三谷武司訳)
    --「今週の本棚:鹿島茂・評 『メディアとしての紙の文化史』=ローター・ミュラー著」、『毎日新聞』2013年07月14日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130714ddm015070029000c.html:title]


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覚え書:「今週の本棚:白石隆・評 『オバマと中国』=J・A・ベーダー著」、『毎日新聞』2013年07月14日(日)付。


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今週の本棚:白石隆・評 『オバマと中国』=J・A・ベーダー著
毎日新聞 2013年07月14日 東京朝刊

 (東京大学出版会・2625円)

 ◇対アジア政策「戦術的」決定の内幕

 オバマ大統領の外交政策チームの一人として、2009~11年、国家安全保障会議(NSC)のアジア担当上級部長を務めた人物の回顧録。著者とはわたしも何度か会ったことがあるが、穏やかで自己抑制の効いたバランスのとれたチーム・プレイヤーで、かれのかつてのボスで、まさに傍若無人、自己主張のひじょうに強かったリチャード・ホルブルックとはまるで対照的な人物である。

 おそらくそういう人柄も反映しているのであろう、中国が台頭しつつあるアジアについて、オバマ大統領がどのような政策を遂行したか、歴史家が将来、この問題を理解しようとする際、その一助となるよう、自分の経験を述べておく、そういう立ち位置で著者は本書を書いている。本書は、その意味で、オバマ政権のアジア政策が実務家レベルでどのように決められたのかを理解するのに大いに参考になるし、読み物としてもおもしろい。ここではスペースの関係上、その例を一つだけ挙げておく。

 つい先日、ブルネイのASEANプラスの会合でも懸案となった南シナ海領有権問題についての米国の政策である。米国は2010年、南シナ海問題について政策を転換した。それまで米国の政策は、南シナ海の領有権問題について米国はいかなる特定の立場もとらない、というものだった。著者は、これはあまりに受け身で、米国の利益について「重要な配慮に欠け」ている、と考えた。南シナ海では、中国と東南アジア諸国、特にベトナム、フィリピンとの間で、漁船の拿捕(だほ)、原油・ガス資源探査の妨害等、事件が頻発していた。2010年2月には、国務副長官ジェームズ・スタインバーグと著者に対し、中国の外務副大臣が南シナ海における中国の「疑問の余地のない領有権」を主張した。そのため、著者はカート・キャンベル国務次官補と協議し、2010年7月にハノイで開催されるASEAN地域フォーラム(ARF)を念頭に関係省庁横断会議を立ち上げた。南シナ海領有権問題への米国の関与はここで策定された。クリントン国務長官は、ARFにおいて、米国はいかなる領有権争いにも特定の立場は取らないという政策を確認するとともに、「航行の自由などを米国は死活的な利益とみなす」と述べた。中国は2010年9月には南シナ海における行動規範について専門家会合を開催する意向を表明した。そのため著者は「外交交渉が始まったということは、中国がこの地域において攻撃的な姿勢を見せても高くつくだけだと悟ったことを意味していた。」と言う。この評価には異論もあるだろうし、わたしは甘いと思う。実際、南シナ海における行動規範の作成はまだはじまってもいない。しかし、それでも、2010年7月のクリントン長官の声明の重要性は疑いない。

 著者は、国家安全保障政策とは「戦術的な決断」の積み重ねで、戦略などというものはない、かりに戦略的なビジョンなるものが求められるとすれば、それは「よく練られた特別な戦略を備えた計画」というより「米国の国益を熟慮した結果」である、という。政府内にいれば、そう見えるのだろう。しかし、「戦略的思考」は確実にある。基本原則も明確に定義されている。オバマ政権において、アジア政策の「戦術的」決定が、どのような戦略的思考と基本原則に基づき、どのようなスケジュールの下、だれをプレーヤーとしつつ、行われたか、それを理解する上で、本書はひじょうに参考になる。(春原(すのはら)剛訳)
    --「今週の本棚:白石隆・評 『オバマと中国』=J・A・ベーダー著」、『毎日新聞』2013年07月14日(日)付。

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書評:伊藤順一郎『精神科病院を出て、町へ ACTがつくる地域精神医療』岩波ブックレット、2012年。

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伊藤順一郎『精神科病院を出て、町へ ACTがつくる地域精神医療』岩波ブックレット、読了。従来、精神疾患をもつ人々への治療は閉鎖病棟での長期入院が担ってきたが、本書は、近年注目を浴びる地域生活に根ざした訪問医療(ACT)プログラのを最前線を紹介。精神医療の概念を変える試みだ。

ACTとは「包括型地域生活支援プログラム」のこと。医師、看護師、作業療法士や精神保健福祉士などがチームを組み、地域社会の中で訪問し、精神障害をもつ人々の治療やケアにあたる方法のこと。訪問医療の導入は成果をあげつつある。

閉鎖病棟での治療から地域社会での治療とは「病気が主人公」から「その人が主人公」への転換。「精神医療は『生活を立て直す』支援を含んでこそ、地域生活の中で訳に立つ支援となりうる」。入院中心の医療ではなかなか得られない視点。

ACTにおいて大切にされるのは「言葉の役割」。慢性的なスタッフ不足の医療現場で医師や看護師と患者が言葉が交わすのはせいぜい一日数回。言葉のやりとりでつくられる信頼という文脈で治療を一緒にやっていくのは対照的だ。

戦後日本の精神医療は「隔離」が国是であるといってもよい。見えなくさせることで解決できるわけではない。ACTの試みは精神医療の概念だけでなく、精神疾患を取り巻く社会の認識を転換する試みでもある。戦後医療史の叙述も参考になる。

日本の精神医療の特徴とは国の方針として精神科病院の運営を民間に任せてきたこと。昭和25年精神衛生法の施行は私宅監禁を禁じたが、代わりに病院での隔離へ。都道府県に公的病院設置を求めたもののままならず、結局「医療法の精神科特例」で病院を作りやすくして民間に委せることに。

精神科における精神科医の配置基準は一般の1/3、看護師も2/3でよいこととされ、昭和35年に医療金融公庫(現・福祉医療公庫)が設立されると精神科病院はハイペースで増加。高度経済成長の時代、結局は「労働力として期待できない人々」を大量に収容することが目的となったといってもよい。

こうした歴史は、日本の精神科病院が「治療的な装置」ではなく「隔離する装置」として大量に設置されたことを物語り、措置入院(全額公費)が甘く適用された状態は、民間病院といいながら競争原理が働くわけでなくもなく、元々「少ないスタッフ」による病棟」の構造は、治療を阻むものになった、か。


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覚え書:「今週の本棚・本と人:『二・二六事件の幻影』 著者・福間良明さん」、『毎日新聞』2013年07月14日(日)付。


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今週の本棚・本と人:『二・二六事件の幻影』 著者・福間良明さん
毎日新聞 2013年07月14日 東京朝刊

 (筑摩書房・2310円)

 ◇映画で読む、変革への欲望史--福間良明(ふくま・よしあき)さん

 戦前最大のクーデター、2・26事件(1936年)は戦後、繰り返し映画化された。関連映画史から、戦後社会が抱き続けた欲望の正体を描いた。「戦前右翼でも、たとえば知識人に影響力を持った原理日本社は、戦後ほぼ黙殺された。なぜ、2・26ばかりが大衆文化で受けてきたのかを明らかにしたかった」

 初の2・26映画「叛乱(はんらん)」(54年)以来、関連映画は事件を起こした青年将校の変革への“情熱”を語り、「銃殺」(64年)以降は彼らと妻らの“純愛”も美化してきた。私的な“情愛”を振り切って行動・理念への“情熱”に向かうという様式美は、一時期の東映やくざ映画にも通じる。「人々は、ああした物語でカタルシスを得てきたわけです。私も、半ば共感してしまう」

 戦後初期から60年代、青年将校の“情熱”は、映画批評でも「浅はかな暴力につながった」と批判されがちだった。背景には、「日本が戦前に逆戻りする」との危機感や、教養主義的な落ち着いた知識人文化を軍部に破壊された記憶があった。

 新左翼運動が激化する60年代後半になると、青年将校の“情熱”は、学生らの権力批判に重なり、肯定的評価も得るようになる。「ただしこの頃も、猪木正道や竹山道雄ら戦前の教養主義の洗礼を受けた保守派論客が2・26再評価を警戒しています」

 さらに80年代以降、2・26事件は、漠とした“何かへの情熱”や“純愛”を描く青春映画の舞台になってゆく。60年代まであった、歴史学の成果とリンクさせた映画批評なども減った。「こうして、物語への陶酔は相対化できなくなったわけです」

 「2・26映画を支えてきた、一気に何かを変えることへの漠然とした憧れは、一部政治家への熱烈な支持や排外主義的なデモなど、昨今の動きにも通じているのではないか」とも。

 かつて2・26映画批判の根拠だった戦争の記憶や教養主義はもはや過去のもの。「だが、以前のありようは想像できる。こうした研究を通し、地道に論点を現代へフィードバックすることが、安易な“情熱”“情愛”を批判的に問うことにつながるのではないでしょうか」<文・鈴木英生/写真・森園道子>
    --「今週の本棚・本と人:『二・二六事件の幻影』 著者・福間良明さん」、『毎日新聞』2013年07月14日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・この3冊:沖縄文化に触れる=俵万智・選」、『毎日新聞』2013年07月14日(日)付。


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今週の本棚・この3冊:沖縄文化に触れる=俵万智・選
毎日新聞 2013年07月14日 東京朝刊

 <1>神に追われて(谷川健一著/新潮社/品切れ)

 <2>ウミンチュの娘(今井恒子著/角川書店/1575円)

 <3>ああ、沖縄の結婚式!--抱腹絶倒エピソード(玉城愛、にーびちオールスターズ編著/ボーダーインク/1470円)

 石垣島に移住して二年あまり。沖縄の文化に触れる三冊を選んでみた。手に取ったきっかけは、すべて石垣出身のバンド「きいやま商店」だ。メンバーおススメの映画が「スケッチ・オブ・ミャーク」。宮古島の人と音楽と神事を撮ったドキュメンタリーだ。神事を司(つかさど)る女性に興味が湧いて、『神に追われて』を読んだ。宮古島の根間カナという女性を中心に、人が神に見込まれ、やがて巫女(みこ)的な存在となってゆく過程が描かれている。民俗学者が紹介する宗教体験、としてたんたんと書かれているが、不可思議で霊的なできごとが、静かな迫力と深い説得力を持って迫ってくる。「私が南島通いをしてユタとかカンカカリヤと呼ばれる南島の巫女の入信のいきさつに並々ならぬ興味をおぼえたのは、人間的な烈(はげ)しい苦悩を通して、巫女たちの精神が形成されていることを知ってからのことである。」と著者は言う。普通の暮らしをしたいと思っても、神がそれを許さず、逃げおおせられなくなったとき、巫女は生まれるのだ。

 『ウミンチュの娘』は、「きいやま商店」のCDを買いにいった地元の山田書店のレジ横に、山積みしてあったので思わず手にとった。ひとことで言えば、石垣島出身の女性社長による熱血半生記。昭和三十二年生まれの著者が描く少女時代には、ドル通貨やダイナマイト漁、民間療法の瀉血(しゃけつ)などが出てくる。高校卒業後、上京し、就職、結婚……子育てをしながら勤めた会社が二度倒産するなどの波乱を経て、IT企業を起こす。その行動力と前向きさが痛快だ。

 最初の会社の社長が宮古島出身で、その母親がユタ。著者は会うなり「可愛い男の子が見えますよ」と言われ、予言通りに男の子を授かる。その息子が高校二年生のときに体調を崩し「まぶいぐみ」という祈祷(きとう)を受けるために石垣島に戻る場面もある。起業家の半生記に、そういう話がちりばめられているところが、いかにも沖縄だなあと思う。

 三冊目は『ああ、沖縄の結婚式!』。「うちなー披露宴は、誇るべき沖縄独特の文化です。」と言う著者は、結婚式の司会歴11年。披露宴でのさまざまな興味深いエピソードが紹介されている。とにかく余興にかける情熱が、すごい。ビデオを使ったものなども、凝りに凝る。「きいやま商店」も、しょっちゅうメッセージの撮影協力をしていて、そんなに結婚式があるのかと訝(いぶか)しく思っていたが、本書を読んで納得した。

 彼らを窓にして、自分は沖縄を体験しているのだなあとあらためて思う。
    --「今週の本棚・この3冊:沖縄文化に触れる=俵万智・選」、『毎日新聞』2013年07月14日(日)付。

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書評:佐々木俊尚『レイヤー化する世界 テクノロジーとの共犯関係が始まる』NHK出版新書、2013年。

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 金融市場、宗教団体、民族組織、テロリスト、ボランティア活動、自然保護運動、展覧会、国際イベント、ファッション、アートなどさまざまな分野でさまざな人たちや団体がそれぞれにレイヤーをつくり、そこで活動していくでしょう。
 そしてそれらのレイヤーは国境と必ずしも一致するわけではありません。いや、一致しないことのほうが多いのです。
 インド人という存在は、「インド亜大陸の三角形の国土に住んでいる人たち」ではありません。それは単なる国境のレイヤーを語っているだけです。
 インドにはたくさんの民族が同居していて、たくさんの言語も使われています。だから民族のレイヤーや言語のレイヤーは、国境のレイヤーとは重なりません。
 政治のレイヤーも同じで、先ほども書いたように世界中に散らばっているインド人たちがインドの政治に参加するようになってきているなかで、政治のレイヤーは国境よりもずっと広く、世界を覆うぐらいの面積になってしまいます。
 では「インド人」とは、どう定義されるのでしょうか?
 もちろん、法的にはインドの国籍を持っている人がインド人です。しかしそれは単なる「国籍のレイヤー」にすぎません。インドの国籍を何かの理由で捨て、母国から遠く離れたどこかに住んでいるけれども、インド人としての自負を持っている人もきっといるでしょう。そういう人にとっては「インド国籍がインド人」と定義されることには抵抗があるかもしれません。
 では厳密に言えば、インド人とは何なのでしょうか?
 それは、先に挙げたようなさまざまなインドのレイヤーの重なりにある、それぞれのレイヤーを貫いて光が通っている。そういうプリズムの光が、インド人だということなのである。
 あいまいない感じるかもしれません。でも国民国家というウチとソトを分ける考えが消滅した先では、国や民族というのはそのようなあいまいさのなかにしか存在しないことなのです。
 レイヤーが幾重にも重なり、その重なったところに私たちはプリズムの光として立っている。そういう私たちの集合体で、世界はできているのです。
    --佐々木俊尚『レイヤー化する世界 テクノロジーとの共犯関係が始まる』NHK出版新書、2013年、244-245頁。

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佐々木俊尚『レイヤー化する世界 テクノロジーとの共犯関係が始まる』NHK出版、読了。メディアの先端を歩き続けた著者が次の時代を予見する文明論。世界帝国から国民国家へシフトすることで繁栄した現代。キーはウチとソトだが、今や機能不全。レイヤーが人と世界を変えていくのでは著者は読む

植民地も非植民地もどこかでソトを利用してウチの充足を図ることで「発展」してきたのが20世紀。しかしウチとソトの境界はあいまになりつつあるのが現在。あらゆるものが分散化する世界では、相関性を欠如した自足的社会モデルでは対処不可能だろう。

国民国家と民主主義と経済成長という二十世紀を支えた三つの連携が終わろうとしている。代わりに台頭するのが、グーグルのような超国籍企業が作る「場」(レイヤー)である。レイヤー化した世界で私たちは「プリズムの光の帯になっていく」。

著者は民主主義や既存の制度を単純に全否定しようとするのではない。既存の制度そものもの一つのレイヤーであったことを我々は自覚していなかったのではないか。著者は「気づく」ことから始まるという。先ずは自覚から始め固陋を落としていくほかない。

本書に冷ややかな評価が多いがやや早計か。10代の読者を想定し書き下ろされた本書は、近代という世界システムを平易に解説する一冊だ。デジタルプラットフォームやオルタナティブに対する楽天性は否めないが文明の明日を考える一つの出発点になる。


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覚え書:「少女と魔法―ガールヒーローはいかに受容されたのか [著]須川亜紀子 [評者]水無田気流」、『朝日新聞』2013年07月07日(日)付。


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少女と魔法―ガールヒーローはいかに受容されたのか [著]須川亜紀子
[評者]水無田気流(詩人・社会学者)  [掲載]2013年07月07日   [ジャンル]アート・ファッション・芸能 社会 

■日本生まれの強く可愛い魔女

 日本の魔法少女物アニメ番組は、過去40年以上にもわたり放映されているという。少女メディア文化において、これは世界的にも稀(まれ)なケースだと筆者は指摘する。西欧では魔女は成人女性の力、美、知の象徴であり、それゆえ恐怖の対象として描かれてきた。たとえ善き魔女が描かれても、「奥様は魔女」のように白人美女が定番。だが、日本のアニメ世界に輸入されたとき、魔女は少女と合体し、可愛らしく活発な「ガールヒーロー」に変身した。筆者は1960年代から近年までの魔法少女物を分析し、女性へ向けられた複雑な要請と眼差(まなざ)しを鮮やかに解析して行く。
 60年代の「魔法使いサリー」は、あくまでも女性らしさを手放さず乱暴者の男子も静かに諭し、それも無駄であった場合にのみ魔法を行使。最終的には自己犠牲の精神で友人を救う。その姿は、同時代の西欧におけるパワフルな女性の表象とは対照的だ。魔法とは、当初ガールヒーローの過剰な男性化を回避すべく与えられた安全な武器だった。
 もっとも、このような優等生的魔法少女像はその後変遷を遂げる。そもそも、成人女性ではなく少女が好まれる背景には、女性の過剰なセクシュアリティが忌避される日本の文化気風がある。セクシーな女性キャラが大抵敵役なのもその証左であろう。だが、80年代の「魔法の天使クリィミーマミ」は、女性らしさ規範をめぐる葛藤を経て、異性からの承認に依らない自己肯定へとたどり着く。最終回の「優は優だもん!」の台詞は、少女向けアニメ史上に残る名台詞である。後の社会に訪れる承認欲求の問題に、いち早く取り組んだのは魔法少女たちだったのか。90年代の「セーラームーン」や00年代以降の「プリキュア」シリーズに見られる、女性同士の絆と母性の位置づけについての分析も秀逸。強く、可愛く、カッコよく、かくも複雑な欲望を詳解する秀作である。
    ◇
 NTT出版・3990円/すがわ・あきこ 関西外国語大学専任講師。専門はメディアとジェンダー、文化研究。
    --「少女と魔法―ガールヒーローはいかに受容されたのか [著]須川亜紀子 [評者]水無田気流」、『朝日新聞』2013年07月07日(日)付。

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覚え書:「第一回普選と選挙ポスター―昭和初頭の選挙運動に関する研究 [著]玉井清 [評者]出久根達郎」、『朝日新聞』2013年07月07日(日)付。


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第一回普選と選挙ポスター―昭和初頭の選挙運動に関する研究 [著]玉井清
[評者]出久根達郎(作家)  [掲載]2013年07月07日   [ジャンル]政治 


■好んで使われた「昭和維新」

 参議院議員選挙が始まった。今回から候補者はインターネットを使って運動することが認められた。
 選挙運動の研究書は意外に少ない。ビラや挨拶(あいさつ)状などを収集する者がいないため、実態が解明できないのである。
 このたび慶応義塾図書館から、第一回普通選挙で用いられたポスターやビラなどの資料が発見された。本書はそれらの紹介と共に、選挙戦の様相と有権者の投票意識を分析した。時宜に適(かな)った出版といえる。カラーのポスター図案が楽しい。「投票スレバ明(あかる)クナリ 棄権スレバ暗クナル」。これは内務省の棄権防止ポスター。「選ぶ人正しければ選ばれる人正し」。朝日新聞社が募集した標語の入選作。図案と標語は候補者が無断で複製使用できた。選挙運動ではポスターに限らず、レコード、芝居、映画など種々のものが活用された。ネット選挙もこの流れにある。驚くのは、「昭和維新」という語が好んで使われたこと。昭和新政の意で普選の成功を謳(うた)ったもの。
    ◇
 慶応義塾大学法学研究会・6930円
    --「第一回普選と選挙ポスター―昭和初頭の選挙運動に関する研究 [著]玉井清 [評者]出久根達郎」、『朝日新聞』2013年07月07日(日)付。

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社会を批判的にまなざす「力」

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金曜日の授業にて、哲学の講座は残り1回になりました。

最初の授業から口をすっぱく言っているのですが、本来、大学での学問、なかんずく教養教育とは、例えばそれが外国語を学習するものであったとしても、何かそれは社会の要請に応えるという名の馴化としてあるべきではなく、社会を批判的にまなざす「力」を養うものであるはずだから、徹底的に、俗流のプラグマティズムに陥ってはいけないと考えています。

だから、哲学や倫理学を学習するといっても、それは、誰が何をいったかとか、どこに何が書かれているのか、というコピポbotになるのではなくして、そういう考えに耳を傾けながら、自分ではどう考えるのかということが肝要になってくるのではないかと思います。

勿論、コピペbotになるといっても、それはローティがいうように、鏡に映し出すように正確に記述することは、先験的に不可能でありますし、「自分で考える」といっても、無から何かを創造するなんてことはできません。

だから、今、生きている現代の私として、古典と対話するしかありません。

残り1回ですが、そういうひとときになるように配慮しましたが、これは、哲学や倫理学といった講座に限られた問題ではありませんので、「グローバル~」だとか「意識の高い~」といった鳴り物入りの現在の流行に左右されることなく、力を養い続けてほしいなと思います。

ともあれ、7月からもの凄い猛暑。

あと1回ですが、干からびないようにがんばるしかないですね。


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覚え書:「輸血医ドニの人体実験―科学革命期の研究競争とある殺人事件の謎 [著]ホリー・タッカー [評者]内澤旬子」、『朝日新聞』2013年07月07日(日)付。


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輸血医ドニの人体実験―科学革命期の研究競争とある殺人事件の謎 [著]ホリー・タッカー
[評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)  [掲載]2013年07月07日   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 

■血は畏怖の対象、生命の定義問う

 現代では、ごく当たり前の処置方法である輸血だが、他人の血を注入することに対して、どこかで怖いとも思う。血に対して抱く畏怖(いふ)心は、本能なのか文化なのか。
 いずれにせよ、血液型や免疫や消毒、細菌の知識があるからこそ、医師に腕を差し出せるというもの。本書はそれらがまだなにもわかっていない17世紀に英仏で行われた輸血実験にまつわるブラッディな歴史ノンフィクションだ。
 17世紀の科学はまだ黎明(れいめい)期。迷信や錬金術も跋扈(ばっこ)する。中世まで教会は死体解剖に否定的で、学問として盛んに行われたのはルネサンス期からのこと。
 けれども死体はあくまでも死体。生存中の心臓や血液の動きなどはわからない。そこで行われたのが、動物による生体実験だ。犬猫、果ては蛇や鰻(うなぎ)を生きたまま切り開いて心臓を観察し、血液の流れを追うことを繰り返した末に、ようやく17世紀初頭に血液は身体中を循環しているのだと「わかる」。そうしてやっと、流れる血に別の生物の血を足し入れたらどうなるか、つまり輸血への第一歩がはじまる。
 英仏で競うように動物から動物への輸血、そしてフランス人医師ドニによって動物から人間(!)への輸血実験が行われ、いったん成功したかに見えたものの、3度目の実験の後、被験者は死亡する。しかもあとからそれが毒殺であったことが判明したにもかかわらず、輸血実験はその後150年間も凍結してしまう。ドニの野心も、潰(つい)える。
 現代の知見からすれば、早すぎた実験かもしれないが、殺人をしてまで1世紀半もタブーにしたことの意味は、重い。自然哲学と迷信、イングランドとフランス、カトリックとプロテスタント、医学界の政治と功名心、そして多くの貧民を生み出していた大都市パリとロンドンの階級社会。丹念に叙述されたこれらの対立項を追っていくと、科学主義の登場に揺れながらも、やはりまだ多くの人々にとって、血は畏怖の対象であったことが読みとれる。
 人の命を救いうるなにかが実験によって「できそうになる」たびに私たち社会を構成する全員が、人間や生命をどう定義するのか、無理やり考えさせられることになる。それは現代の先端医療でも全く変わらない。あまりにも難しい問いだ。発見されなければ考える必要もないのにと、思うときすらある。だからこそ、この事件を読めて良かったと思う。現代懸案の先端技術も数世紀経てば輸血のように「当たり前」になるのだろうか。
 ともあれ、被験者はもちろんのこと、実験初期の被験動物たちが流した大量の血潮に感謝しつつ、輸血技術を享受したいものだ。
    ◇
 寺西のぶ子訳、河出書房新社・2940円/Holly Tucker ヴァンダービルト大学医療・健康・社会センター、フランス・イタリア語学部准教授(医学史)。「ウォールストリート・ジャーナル」「クリスチャン・サイエンス・モニター」に寄稿。米テネシー州在住。
    --「輸血医ドニの人体実験―科学革命期の研究競争とある殺人事件の謎 [著]ホリー・タッカー [評者]内澤旬子」、『朝日新聞』2013年07月07日(日)付。

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輸血医ドニの人体実験 ---科学革命期の研究競争とある殺人事件の謎
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覚え書:「シッダールタの旅 [著]ヘッセ [構成・写真]竹田武史 [評者]横尾忠則」、『朝日新聞』2013年07月07日(日)付。


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シッダールタの旅 [著]ヘッセ [構成・写真]竹田武史
[評者]横尾忠則(美術家)  [掲載]2013年07月07日   [ジャンル]アート・ファッション・芸能 国際 

■煩悩と解脱、輪廻の天地を活写

 三島由紀夫氏の死の3日前の電話で「インドには呼ばれる者とそうでない者がいる。君はやっとインドに行く時期が来た」。なにやら呪術めいた言霊に背を押されて1974年にインドに発った。この年に奇(く)しくもこの写真家が生まれている。彼は私がしたようにヘッセ芸術の結晶『シッダールタ』を伴侶にバイクに跨(またが)り、カメラを手に「仏陀との対話」の40日間の旅に出た。私は7度渡印したが、著者の写真が語るような濃密な魂体験には及ばなかった。
 彼のインドを凝視する裸眼は、禁欲的、瞑想(めいそう)的、求道的な隠者ヘッセと、解脱の境を求めて呻吟(しんぎん)するシッダールタを二重写しにしているが、そんな写真は見る者の眼(め)を浄化する力を宿している。
 著者はインドの早朝、生きとし生ける万物が眠りから覚め、プラーナの霊気が辺り一帯を支配し光の粒子と混じる頃と、日没の長い影が夕闇の中に姿を晦(くら)ますのを待ちかまえるかのように、どこからともなく聞こえてくるアリ・アクバル・カーンのラーガの楽曲に導かれ、夜の帳(とばり)が天と地をひとつにする瞬間をカメラにより見事に活写する。
 そんな静寂の中、「女が何であるかまだ全く知らない愚かな沙門(しゃもん)」であるシッダールタは快楽を求めて美妓(びき)との性愛の陶酔へと下降していく。古代インドでは人生の三大目的のひとつに性愛(カーマ)を通した解脱の道を説く。著者はこの性愛をカジュラホの性愛像の写真で説明するが、シッダールタの快楽と苦悩の狭間(はざま)で魂が裂かれようとする、愛なき性愛の描写に他に如何(いか)なる表現があろうか。
 灼熱(しゃくねつ)の下、瞑想的で宗教的なインドの静寂と反対に、喧噪(けんそう)と悪臭、人と物の過密空間の中で沸騰する人間の欲望。これもインド時間だ。輪廻(りんね)と涅槃(ねはん)、煩悩と解脱を分かつのではなく、これらを一体化する時、シッダールタは老いを前に生死の時間の束縛から脱するのだった。
    ◇
 高橋健二訳、新潮社・1575円/たけだ・たけし 74年生まれ。写真家。文化、歴史をテーマに旅のルポを手がける。
    --「シッダールタの旅 [著]ヘッセ [構成・写真]竹田武史 [評者]横尾忠則」、『朝日新聞』2013年07月07日(日)付。

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書評:奥井智之『プライドの社会学 自己をデザインする夢』筑摩書房、2013年。


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奥井智之『プライドの社会学 自己をデザインする夢』筑摩書房、読了。プライドとは、個人の資質に属しつつも社会的文脈で価値が評価されなければ機能しない。二重に拘束される評価体系を著者はプライド・システムと呼び、従来、心理学の研究対象とされたプライドを社会学的に分析するのが本書。

プライドを持って生きるとは対自関係のみでなく、自他関係の中でで生起する。理想の自己をデザインすることは二重に拘束されている。本書は、自己」「家族」「地域」「階級」「容姿」「学歴」「教養」「宗教」「職業」「国家」を切り口に厄介な夢に切り込む。

厄介なこととは「わたしたちは皆、プライドに取り憑かれて生きている」。プライドを共有する文脈へのレースは、時として、外在集団に対する排他性を招来する。オースティンの名著の即すれば、高慢(プライド)は両義的意義を持つ。対自認識の生成は課題だろう

その人から一人歩きし出すのが「自己をデザインする夢」かも知れない。調停機関としての機能した「国家」に期待することは望み薄だろう。本書は哲学・文芸の古典から黒澤明の名著まで、膨大な素材を取りあげ、根拠を求めてさまようプライドを論じる好著。


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プライドの社会学: 自己をデザインする夢 (筑摩選書)
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覚え書:「もうひとつのこの世 石牟礼道子の宇宙 渡辺京二著」、『東京新聞』2013年07月07日(日)付。


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もうひとつのこの世 石牟礼道子の宇宙 渡辺京二著

2013年7月7日


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◆情念が支える知の全体性
[評者]三砂ちづる=津田塾大教授
 ほかでもない。渡辺京二による石牟礼道子論である。のちに『苦海浄土』として世に出る「ゆき女聞き書」や「天の魚」を誰よりも先に原稿の形で読み、四十年以上にわたって一貫して編集者として石牟礼を支え続ける。
 むろん渡辺京二は「編集者」だけであるはずもない。名著『逝きし世の面影』のタイトルは、石牟礼がつけたという。長きにわたる関わりから生まれる豊饒(ほうじょう)を私たちは幾重にも受け取ることができ、この本はその一例である。
 冒頭、講談社文庫版『苦海浄土』の本文と同じくらい有名な、渡辺による解説の一文から本書は始まる。この本を手にした喜びを早々に確信させるこの名文で始まり、石牟礼作品の頂点、『天湖』の書き下ろし評論で終わる。
 石牟礼文学の特質の一つは、人間の生を、この世の世俗的な生活の彼方(かなた)にあってその始原をなす、隠れた「もうひとつのこの世」から呼び返されるものと捉えていることである。二つめは、現在と過去がまじりあい同時進行する物語構造になっていること。ジョイスやフォークナーが開拓し、ラテンアメリカのマルケスやリョサらが継承した十九世紀文学を土台とする二十世紀前衛文学の手法が、意図せずしてあらわれているという。
 反近代の権化のように言われる石牟礼文学はかように近代的なものであり、そして「近代の初発には、いま現にある近代とは異なる『情念に支えられた知性の全体性と能動性』があったのではないか」という岩岡中正の指摘を重要な論点とする。ポストモダンどころではない。石牟礼道子という希有(けう)な作家は「男の思想と訣別(けつべつ)して女の言葉で語る」とか、「環境問題の告発」とか、そういうことばに回収されようもない全体性の上に立っている。
 この本の底に流れる、若き石牟礼研究者こそ出でよ、という静かな呼びかけに、誰が応えるのか。完結したばかりの「石牟礼道子全集」が、丹念にひもとかれていかねばなるまい。
 わたなべ・きょうじ 1930年生まれ。日本近代史家。著書『黒船前夜』など。
(弦書房・2310円)
◆もう1冊
 『石牟礼道子-魂の言葉、いのちの海』(河出書房新社)。石牟礼の対話や渡辺京二、池澤夏樹、町田康らのエッセーを収めたムック。
    --「もうひとつのこの世 石牟礼道子の宇宙 渡辺京二著」、『東京新聞』2013年07月07日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013070702000184.html:title]


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覚え書:「今を生きるための現代詩 渡邊十絲子著」、『東京新聞』2013年07月07日(日)付。


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今を生きるための現代詩 渡邊十絲子著

2013年7月7日


写真
◆わからなさを慈しむ
[評者]横木徳久=文芸評論家
 昔から多くの「詩の入門書」が書かれてきた。それは詩の読解方法が世間一般になかなか定着しない事情とともに、つねにスタンダードを壊して「今」を剔出(てきしゅつ)していくのが現代詩の本髄でもあったからだ。著者がタイトルに「今を生きるため」と付けた意図もそこにある。
 本書では、絵画、音楽、スポーツなど他ジャンルとの具体的な比較を通じ、また自身の過去の体験も率直に語って、詩の読み方を明らかにしていく。わかりやすく説明され、サービス精神に溢(あふ)れた入門書である。だが、サービスと迎合は違う。著者は「わかりやすさ」に徹しながら、逆に「わからない状態のたいせつさ」「わからなさの価値」を提唱する。
 本書で言及される詩人、黒田喜夫、入沢康夫、安東次男、川田絢音、井坂洋子はいずれも難解な部類の詩人である。ここにも著者の面目がある。また谷川俊太郎の教科書に載っている詩「生きる」を評価せず、むしろ難解な「沈黙の部屋」を評価するところには国語教育批判がこめられている。井坂洋子の詩を通じて、男の詩と女の詩を比較するところには鮮やかな批評性も見える。「わからなさ」と向き合うことで得られる濃密な体験をみずからが示す「入門書」である。
 著者が偏愛する「わからなさの価値」は、「難解さ」への敬意を失った現代社会への痛烈な批判でもある。
 わたなべ・としこ 1964年生まれ。詩人。著書『新書七十五番勝負』など。
(講談社現代新書・798円)
◆もう1冊
 井坂洋子著『はじめの穴 終わりの口』(幻戯書房)。内外の詩作品を、自分史と重ねながら読み解く詩の入門書。
    --「今を生きるための現代詩 渡邊十絲子著」、『東京新聞』2013年07月07日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『新訳 茶の本』=岡倉覺三・著」、『毎日新聞』2013年07月07日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『新訳 茶の本』=岡倉覺三・著
毎日新聞 2013年07月07日 東京朝刊

 (明石書店・1575円)

 『茶の本』は、日本のほか東アジアの芸術精神を英文で紹介した岡倉天心の代表作として名高い。いや、こんな説明の仕方こそ、美術史家の訳者が本書で正そうとしている。著者をめぐる「神話」解放を提唱した、入魂の解説は読み応えがある。

 第一にこだわったのは名前だ。岡倉の本名は覺三。原文(1906年刊行)はもちろん、初めて全文邦訳された岩波文庫版(29年)も「Kakuzo」「覺三」著だ。しかし、後に続いた10種類近くの訳書は、天心が近親者への書簡などに使った号で、法名にも含まれた「天心」という呼称に。ここで礼賛の意味合いが込められる。

 「天心神話」生成の理由について、訳者は日本が軍国主義の道を歩んだ歴史との関連を指摘する。それゆえ、これまでの翻訳は<日本からのまなざしで処理しすぎてきた>とも。日米を往復した時代に書かれた本書を、<アメリカ東部の精神風土、思想状況のなかから生まれた>点に目を向けるべきだとする主張は説得力がある。

 訳文は平易で、著者が留意した韻にも気を配った労作。=木下長宏訳・解説(け)
    --「今週の本棚・新刊:『新訳 茶の本』=岡倉覺三・著」、『毎日新聞』2013年07月07日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『森のふしぎな生きもの 変形菌ずかん』=川上新一・著、伊沢正名・写真」、『毎日新聞』2013年07月07日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『森のふしぎな生きもの 変形菌ずかん』=川上新一・著、伊沢正名・写真
毎日新聞 2013年07月07日 東京朝刊

 (平凡社・1680円)

 変形菌(粘菌)は、小さくて、色とりどりで、自由自在にかたちが変わる不思議な生きもの。アメーバになって動き、キノコのように胞子を作る。バクテリア、カビ、キノコなどを食べ、加工品のオートミールも好物らしい。

 生物分類体系では「プロチスタ界」に属し、動物、植物、菌類の定義から外れた「真核生物」というグループに入る。

 博物学者の南方熊楠、日本の変形菌の父・田中(市川)延次郎、そして昭和天皇も熱心な研究者だった。

 ツノホコリ、クビナガホコリ、アミホコリ、フンホコリ、ハシラホコリなど、79種の奇妙なかたちの変形菌の種類や見分け方を解説。

 スミレアミホコリは「可憐(かれん)で高貴な王妃」、エツキケホコリは「茶色い異星人」、ボゴールフクロホコリは「仕立てのいいジャケット」、タマゴルリホコリは「惑星のようなキラキラ感」といったかんじのキャッチコピーも秀逸である。

 著者の専門は、細胞性粘菌および変形菌の分類、系統、進化学。

 元・自然(菌類、隠花植物)写真家で現在は「糞土師(ふんどし)」を名のる伊沢正名(まさな)の写真も見ごたえ十分。(魚)
    --「今週の本棚・新刊:『森のふしぎな生きもの 変形菌ずかん』=川上新一・著、伊沢正名・写真」、『毎日新聞』2013年07月07日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130707ddm015070009000c.html:title]


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書評:伊藤邦武『物語 哲学の歴史 自分と世界を考えるために』中公新書、2012年。


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伊藤邦武『物語 哲学の歴史 自分と世界を考えるために』中公新書、読了。「人間の誰もが世界と向き合い、自分の生を意味を顧みるときに、どうしても問わずにはいられない、もっとも根本的な問いを深く考え、その答えを模索しようとする知的努力」が哲学。哲学史を一つのストーリーとして描き出す

筆者は西洋哲学二千余年の歴史を、「魂の哲学」(古代・中世)、「意識の哲学」(近世・近代)、「言語の哲学」(20世紀)、「生命の哲学」(21世紀へ)と分類、そのパラダイムシフトを追跡する。魂から意識へ。意識から言語へ、そして生命へ。

西洋哲学の源流は魂への配慮に始まる。そしてどう認識し、言語化するのかという営みは、魂そのものとしての生命に注目せざるを得なくなる。自分とは何か?とは、世界と対話した上で自分に戻るからするから、哲学のストーリーとは再帰的といってよい。

本書は新書サイズで西洋哲学史の流れだけでなく、代表的な考え方を平明かつコンパクトにまとめようとする大胆な試みだが、筆者の意図はほぼ成功しているといえよう。「自分と世界を考えるために」(副題)一助となる一冊である。

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『未解決事件 オウム真理教秘録』=NHKスペシャル取材班・編」、『毎日新聞』2013年07月07日(日)付。

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今週の本棚・新刊:『未解決事件 オウム真理教秘録』=NHKスペシャル取材班・編
毎日新聞 2013年07月07日 東京朝刊

 (文藝春秋・1680円)

 昨年5月に放送されたNHKスペシャル「未解決事件『オウム真理教』」--。その中で伝えきれなかった警察や元信者らの膨大な証言をまとめた。警察やメディア、社会全体の失敗から未来への教訓を探る未解決事件シリーズとして、「グリコ・森永事件」に続く第2弾となる。

 取材で入手した教団内部の極秘テープは700本。首謀者、松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚の肉声からは、教団発足当初から社会の破壊をもくろんでいた事実が明らかになる。元幹部の井上嘉浩死刑囚は、放送後にディレクターに寄せた手紙の中で、麻原が地下鉄サリン事件を起こした目的を吐露する。事件前、山梨県内の教団施設でサリンが検出されたが、強制捜査は遅れ、結果的に未曽有のテロを防げなかった。オウムの事件は都道府県をまたいで起きた。当時の山梨県警捜査一課長は「警察同士で情報を共有するのが遅すぎた。反省すべき点」と振り返る。

 被害者遺族は「裁判になっても何もわからずじまい」と憤る。放送の前後、特別手配の元信者3人が相次いで逮捕された。裁判は再び動き出すが、本書を読むと、事件の闇は底知れないのだと痛感する。(土)
    --「今週の本棚・新刊:『未解決事件 オウム真理教秘録』=NHKスペシャル取材班・編」、『毎日新聞』2013年07月07日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130707ddm015070021000c.html:title]

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覚え書:「今週の本棚:伊東光晴・評 『日本型雇用の真実』=石水喜夫・著」、『毎日新聞』2013年07月07日(日)付。


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今週の本棚:伊東光晴・評 『日本型雇用の真実』=石水喜夫・著
毎日新聞 2013年07月07日 東京朝刊

 (ちくま新書・798円)

 ◇“新古典派”労働市場改革の実態に迫る

 著者は長く労働省(現厚生労働省)につとめ、何回も、労働経済白書--正確には『労働経済の分析』の執筆にたずさわってきた論客であり、二〇一一年に京都大学に移って労働経済論を講じている。

 この本の出発点は、社会科の本にも、経済学のテキストブックのどこにでもある、財の需要と供給とが、価格をパラメーターとして交わる図である。ただし、それが労働市場であり、財の量が労働量であり、価格が賃金率である。賃金が需要と供給できまる--これがアメリカの「労働経済学」であり、主流派経済学、新古典派の労働市場分析である。

 あらためて書くまでもなく、新古典派のこの理論は、需要者も供給者も対等であることを前提にしている。財の需給の場合は、この仮定は、第一次接近としては許されても、労働市場では現実遊離である。労働者の立場は弱い。使用者は強い。この現実を無視した考えである。

 この非現実的仮定から生れる政策、思想を批判し、日本的雇用の中にある長所を守ろうとするのがこの本を貫く視点であろう。

 賃金が、労働の需給の均衡点できまるという理論を認めると、どうなるだろうか。失業が生れるのは、賃金が均衡点より高いからである。賃金引下げを認めない労働組合ゆえか、労働の流動性を阻害しているものがあるからだということになる。

 賃金が高すぎるから失業が生れる--この新古典派の考えの誤りを明らかにし、社会全体の需要をふやし、生産量をまして雇用増で失業をなくそうとしたのがケインズであり、この考えにそって、戦後の先進国では、政府の努力によって雇用問題を解決しようとし、福祉社会を志向してきた。これが著者の考えであり、冷戦体制下の資本主義では、資本主義の弱点を克服しなければならないことからこうした考えが当然のこととされてきた。

 だが一九九一年の社会主義の崩壊によって事態は変る。福祉社会志向は弱まり、市場主義経済の資本主義は自信をふかめ、新古典派的考えの上に立つグローバリズムが浸透してゆく。労働省内で著者はそれを一九九五-六年に強く感ずる。日経連の「新時代の『日本的経営』--挑戦すべき方向とその具体策」(一九九五年五月)と、OECD(経済協力開発機構)の対日審査(一九九六年)報告がそれである。

 対日審査報告は、日本的雇用慣行を批判し、労働市場の流動化を進めようというものであるが、審査への同意に対し、OECD諸国は直ちに反発したが、日本が反論しなかったのは問題だ、と著者は書いている。

 しかし、はっきり言えば、日本の内部に年功制賃金を廃し、解雇を容易にし、労働市場の流動化をはかりたいと考える人たちがいて、OECDに出向しており、こうしたことを書いているのではないか。

 日経連の前述の提言は、市場メカニズムの重視、規制緩和の推進、自己責任原則の確立--であり、著者が言うように、新古典派の労働市場論にそったもので、OECDの審査報告と同じである。

 これらの内外からの批判にもかかわらず、日本の長期雇用傾向と、その基礎にある年功賃金制は、雇用の主要部分では変らなかった。著者はアメリカなどと異なる日本のこの雇用形態をどのようにとらえているのだろうか。

 年功賃金制が、どのような歴史的経過をたどって形成されたかは、故大河内一男東大教授とその流れによって明らかにされている。職場、職種を移りながら能力を高め、それとともに給与が上がっていく日本の制度を著者は「人間基準」とよび、潜在的可能性をも考えた人間評価だとしている。私たちは、歴史と文化の違いが労働市場の制度的違いをひきおこしていることを再認識しなければならない、と。

 私は、日本の伝統的な労働市場は、OECDの流動化論等によって変ることはなかったと書いた。しかし、正確には、それは正規雇用についてであって、九〇年代後半から二一世紀へと、大量の非正規雇用の増大が生れた。これが労働市場流動化論のもたらしたものと言ってよい。それが所得格差の拡大をひきおこすのである。

 原因は何か。戦後日本は、営利を目的とする職業紹介を原則として認めないという制度をとってきた。戦前への反省からである。だが、この原則は規制緩和で順次ゆるめられ、人材派遣業が一万を超え、企業がコスト削減のため、これを利用した。その重圧は若年者にとってとりかえしがつかないものとしてのしかかっている。労働政策の最大の失敗である。

 将来の雇用はどうなるのか。人口減に入った日本は不況期が頻発し、雇用問題の解決がむずかしくなることが理論とともに示されている。

 「労働力は商品ではない」--これが著者の基礎にある考えである。本書はこうした視点を持った一労働官僚の、新古典派的「労働経済学」批判の書である。
    --「今週の本棚:伊東光晴・評 『日本型雇用の真実』=石水喜夫・著」、『毎日新聞』2013年07月07日(日)付。

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覚え書:「みんなの広場 福島県民の痛み理解し発言を」、『毎日新聞』2013年07月05日(金)付。

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みんなの広場
福島県民の痛み理解し発言を
無職 85(福島県相馬市)

 此の次の避難の場所は墓ですと老婆は言ひて命を断ちぬ
 放射線うつると言われ疎外さる児童の痛み涙して聞く
 右の短歌は私が詠んだものです。
 自民党の高市早苗政調会長は東京電力福島第1原発事故で死者が出ていないと発言したことについて「全てを撤回し、おわび申し上げる」と陳謝した。しかし、高市氏は原発事故の本当のおそろしさをわかっているのだろうかと、憤りを感じるのは私だけではあるまい。
 5回も6回も避難所をたらい回しにされた人々の苦しみ、避難に耐えられず亡くなった幾多の老人。働きざかりの一家の柱となる人でさえ、原発により将来の見通しがたたないと命を絶ったと聞いている。現在、原発の安全性などどこにも見当たらない。
 国会議員たちよ、福島県の現状をじっくりと見てほしい。そして、福島県民の痛みを無視するような発言は絶対やめてほしい。
    --「みんなの広場 福島県民の痛み理解し発言を」、『毎日新聞』2013年07月05日(金)付。

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覚え書:「性欲の研究―エロティック・アジア [編]井上章一」、『朝日新聞』2013年06月30日(日)付。

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性欲の研究―エロティック・アジア [編]井上章一
[掲載]2013年06月30日   [ジャンル]社会 


 編者と鹿島茂による巻頭対談で、オタクの元祖として名挙げされたプルースト。『失われた時を求めて』に登場する、眠る少女を思うさま観察するイメージは川端康成の中で『眠れる美女』に結実し、コロンビアに飛び火して、ノーベル賞作家ガルシアマルケス『わが悲しき娼婦(しょうふ)たちの思い出』を生むに至る。性欲は時代も国境も貫いて突き進む。社会的には肩身が狭くなる一方の性欲だが、これを文化波及のカギとみる研究者たちによる論文とコラム集。清代中国の美少年「相公(シャンコン)」についての論考があり、性器やおっぱい、ストリップやオナニーの研究が並ぶ。ただし、エロチシズムをかき立てる本ではありません、たぶん。
    ◇
 平凡社・1890円
    --「性欲の研究―エロティック・アジア [編]井上章一」、『朝日新聞』2013年06月30日(日)付。

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性欲の研究: エロティック・アジア

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覚え書:「今週の本棚:養老孟司・評 『ウェブ文明論』=池田純一・著」、『毎日新聞』2013年07月07日(日)付。


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今週の本棚:養老孟司・評 『ウェブ文明論』=池田純一・著
毎日新聞 2013年07月07日 東京朝刊

 (新潮選書・1575円)

 ◇生きて変化するアメリカ現代社会のスケッチ

 これはウェブを創りだし、さらにそれを最大限に利用することで、いまも変化しつつある米国社会論である。良かれ悪(あ)しかれ、日本にとって縁の切れない米国という存在を、ウェブという面から見たらどうなのか。興味深い論考になるはずである。

 本書は文芸誌『新潮』に三年にわたって連載された「アメリカスケッチ2・0」をまとめている。司馬遼太郎の『アメリカ素描』から書き始め、スケッチという表現は村上春樹の『回転木馬のデッドヒート』から採ったという。「フィクションとノンフィクションの中間存在」をスケッチと表現する村上の用語が「事実の記録とその価値評価が基本的に混在するウェブ時代のテキスト」にふさわしいと著者はいう。しかし全体の記述は事実の方に寄り添う。文芸誌での連載が著者にこうした表現をとらせたのかもしれない。「2・0」はウェブ2・0を踏まえている。

 全体は四部に分かれる。第一部は広いアメリカの地理的多様性を示すために、具体的に以下のような都市を扱う。西洋文明の後継者としての意識を露(あら)わにするワシントン、あらゆる意味での交易都市としてのニューヨーク、経済や技術の面で発展しつつあるヒューストン、というふうな具合である。

 それがウェブとどう関係するのか。第一部の総論で著者はいう。そこを通底するものとしてたとえば法がある。米国が弁護士だらけだということは周知であろう。「アメリカの法文化とソフトウェア文化はどこかで基盤を共有している」。「今日のウェブのリンク構造は法律文書を整備する文化の中から生まれたものではないかと思えてしまう」。こうした著者の指摘は鋭い。

 第二部の主題は経済と企業、あるいは起業といっていい。公共のための支出は、もっぱら政府がする。そういう常識の日本では、寄付といえばお祭りの寄付くらいだが、米国はいわば寄付社会である。子ども時代からファンドレイジング、つまり金の集め方を教わっていく。だからウェブ上で資金集めをするクラウドファンディングもある。

 第三部は「メディアと歴史」と題されている。しかしかならずしもその字面から予想されるような内容ではない。自然史博物館の項まで含まれているからである。博物学とウェブがきわめて相性がいい。関係者はそれをよく知っている。ウェブのおかげで、博物学には革命的な変化が起こりつつある。こういう項が含まれていることは、著者の目配りの良さを示している。

 第四部は「政治とコミュニケーション」である。たとえばオバマの選挙戦にウェブがどのような重要な役割を果たしたか、私のような政治音痴が読んでも興味深い面がある。なにしろ現在進行形に近い話題だからである。現在の米国社会で、ウェブが果たしている役割がいちばんはっきり見えている局面かもしれない。

 読了して思う。ウェブ文明論がウェブでなく、文芸誌の連載、さらには単行本となっているのは、どういうことか。将来こうした論考がもっぱらウェブに変わるだろうか。

 これを時代の移り変わりの一時期と捉える人もあろう。むしろこうした二重性こそ、豊かな文化だと思う人もあるかもしれない。ともあれただいま現在、生きて動いている巨大社会を捉えようとする著者の試みは、事の成否に関わりなく評価できる。まさにこの作業自体がいささかアメリカ的だ、というべきであろうか。
    --「今週の本棚:養老孟司・評 『ウェブ文明論』=池田純一・著」、『毎日新聞』2013年07月07日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130707ddm015070027000c.html:title]

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病院日記(5) 世間様に無言に「荷担」し、無言で「遠慮」すること


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少しtwに連投した殴り言で、かつ、内容が錯綜はしているのですが、記録として残しておきます。そのうち、議論を整理して幾つかに分けて掲載し直そうとは思いますが(汗


さて……。

帰宅った。今季最大の猛暑にてかなりへろへろ。看護助手は屋内業務なのに仕事がおわったら、塩ふいていた。つまり汗だくったという話。夕方に一度帰宅して汗を流してから次の仕事。なんか長い一日だった。

土日は清掃業者が休みなので、基本的に環境整備が主たる業務になるんだけど、病室の掃除をしていると、入院されている方やその家族の方に話しかけられることが多い。今日は、最近入院された方のご家族とやりとりをしたというか、話しかけられると応答せずを得ないのでしましたが考えることが多かった。

その方は、知的障害の方で、今回は神経内科関係の診察で入院されてのですが、その方が布団を蹴飛ばして寝ることを心配してお母さんが、ポンチョ型に毛布を縫い合わせて持参したのですが、使ってよいのかどうかということ。担当につないで確認して大丈夫は大丈夫でした。

しかし、そのお母さんが、規定の備品ではないものを使うとはいえ、恐縮に応対されることに、こちらの方が申し訳ないと感じると共に、そうした人々や家族の方々は、言葉は俗なのですが、「世間様に遠慮」して生きていかなければならないんだなあということを感じて、凡庸だけど、少し辛かった。

おまえ、どこまでウブなんやw とか、おまえ、ほんと、どこまで世間知らずの田舎の坊っちゃんかwww なんて指摘されても、現実に目の当たりにするとショックだった訳だから、はい、そうです、としか答えられないし、遠慮させている世間様に私自身が荷担していることはやっぱり辛かった。

五体満足とは一体、何なんでしょうねぇ。しかし、私自身を振り返ってみても、子どもを授かった時、はっきりいってこれも情けない話だけど、天より授かった我が子が「五体満足」であることに「安堵」して「感謝」したのは事実だ。


おそらく誰もがそう願うだろうけれども、それは裏を返すと、「五体満足」でないと、「生きていくことが難しい」世間であるからなんだろうと思う。だから「安堵」するひとがいて、「遠慮」するひとがいる。そしてこれは身体的障碍の問題に限定される話題ではなくして、見えない形で様々に遍在している。

母が我が子を無心に案ずる発露は否定するつもりはない。しかし、私たちの生きている社会には、我が子ゆえに案ずるのではなくして、その社会の邪魔物だからというおびえに案ずるというそれが落とし込まれた懸念というのが実際にあるのだと思う。

知らず知らずに、何かに荷担していくということ。そして、その無言の荷担の連鎖が、遠慮しないのであるとすれば「生きる」ことすら抹消しようとする構造。汗をだらだら流しながら、そんなことがよぎりました。だから、ほんと、お前、どこまでウブなんだだし、僕は糞野郎だと思います。


努力や訓練によってどうしようもできないことって色々とあると思う。しかし、そういうのも、たぶん、負担としては……このへんは僕も細かいところは知らないのだけど……基本的に自己責任というのがおそらく私たちの社会なんだろうと思う。一体、どこまで背負えばいいのだろうか。

聖域なき構造改革と規制緩和は、自由競争で公正が実現!というフレーズとは裏腹に、1%に冨が集中し、拡散することはなかった。加えてパブリックに遠慮する精神風土が、ますます人々を追いやっているように感じるし、結局は、銭のない人間は、まともな処置をうけることも不十分な環境になりつつある。

ネーション=ステートは、忠誠を建前に保証を準備する枠組み。しかし実際のところ、ハンセン病の隔離・断種に見られるように、当該コミュニティにとって「有用」と見なされない存在を包摂するどころか排除した。「生きていて申し訳ありません」と自白を強要されることほどツライ話はない。

たとえば、「共に」生きるということは、(極端な喩えですが)政府の発注をうけた電通の連呼する(包摂を割愛した排除が目的とされる)「絆」というのではなくして、まずは、自分自身の認識がどうであるのか確認し、そして、どのように手を取り合っていくのかという手順を踏まないとやばいのではないか。

例えば、環境をバリアフリー化すれば「それでよし」でも、加えて「いやいや、心のバリアフリー化も必要ですよ」っていう「言葉」で済ませるで解決できるという話でもないというか。もちろん、環境や意識の変革も必要であることは言うまでもないけど、何か言葉から洩れていくものがある。

「掬いとろう」などとは思わないけど、単純に現実を認識して……という時点ですでに現実から遠ざかるのだけど……済ませるののでもなくして、これをやれば「OK」っていうのでもないようにしたい。もちろん、それは認識を一新しつつ取り組みしつつという話だけどね。


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覚え書:「人口減少社会という希望 コミュニティ経済の生成と地球倫理 [著]広井良典 [評者]水野和夫」、『朝日新聞』2013年06月30日(日)付。


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人口減少社会という希望 コミュニティ経済の生成と地球倫理 [著]広井良典
[評者]水野和夫(日本大学教授・経済学)  [掲載]2013年06月30日   [ジャンル]経済 

■比重増すローカルで内的な生

 成長至上主義者は本書を読んで、どう反論するだろうか。これまで幾度となく成長戦略が打ち出されてきたものの「失われた20年」は、なぜかいまだに終わらない。本書が指摘するように、そもそも経済成長が「信仰のようなもの」だったのだと考えれば合点がいく。官僚や財界にやる気があるとかないということに問題があるのではない。
 本書は斬新な「資本主義論」を語る経済書であるばかりでなく哲学書、宗教書であり、科学史、人類史をも扱っており、近年稀(まれ)にみるスケールの大きな書である。そして、現在日本が直面している諸問題が、数撃ちゃ当たる式の経済成長策で解決できるほど生易しいものではないことがよく理解できる。
 同時に、著者が10年以上にわたって構想してきた「定常社会論」構想の集大成版とも位置づけることができる。人類史20万年のなかで、「三つのサイクル」を著者は見いだし、各々(おのおの)のサイクルの前半が「物質文明の拡大期」で人口増加の時代であり、後半は「内的・文化的な発展」期であると同時に人口減少の時代であると結論づけている。
 その後半期に「定常社会」を迎えるのであり、現在は「三度目の定常期」を迎えようとしている。こうした過渡期においては「情報の時代」がいつも生ずるのであって、現在のデジタル革命の先には「『生命/生活(life)』というコンセプトに象徴されるような、ローカルな基盤に根ざした現在充足的な生への志向が比重を増していくだろう」と指摘する。
 グローバル化の先にローカル化を見る著者は「鎮守の森・自然エネルギーコミュニティ構想」を提唱している。本書を読んで強く感ずるのは、政府の成長戦略にはこうした壮大な構想力が決定的に欠けているということである。本書のような視点があれば、人口減少を「希望」だと自信をもって言えるのである。
    ◇
 朝日選書・1470円/ひろい・よしのり 61年生まれ。千葉大学教授。『コミュニティを問いなおす』など。
    --「人口減少社会という希望 コミュニティ経済の生成と地球倫理 [著]広井良典 [評者]水野和夫」、『朝日新聞』2013年06月30日(日)付。

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覚え書:「忘れられない日本人移民 ブラジルへ渡った記録映像作家の旅 [著]岡村淳 [評者]小野正嗣」、『朝日新聞』2013年06月30日(日)付。

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忘れられない日本人移民 ブラジルへ渡った記録映像作家の旅 [著]岡村淳
[評者]小野正嗣(作家・明治学院大学准教授)  [掲載]2013年06月30日   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 


■〈家〉なき存在の現実を映す

 著者の岡村淳は1987年にブラジルに移住して以来、小型ビデオカメラを片手にたった一人でドキュメンタリーを撮り続けている。彼の初期の代表作が、ナメクジの生態を記録した番組であることの意味は大きい。
 カタツムリが平気でも、ある意味〈家なし〉のカタツムリであるナメクジを嫌悪する人は多い。「無視され、あるいは偏見を浴びせられている存在」に視線を傾けずにはいられないところにこの希有(けう)な記録映像作家の特質がある。
 日本からブラジルに渡った移民は二つの国の言語・文化の〈あいだ〉を生きざるをえない、いわば〈家〉なき存在である。労苦を重ね、ひどい差別を受けながらも、たくましく生き抜いてきた名もなき日本人移民たちの〈痕跡〉を、岡村は映像ではなく、〈言葉〉で記録する。
 大地主や権力者に搾取・迫害される〈土地なし農民〉たちの闘争運動のリーダーとなった石丸さん。60年ぶりに帰国し姉と再会する80歳の陽気な妙子さん。私財を投じて、広島・長崎での被爆経験のある移民を支援する高潔な森田さん。軍国日本を嫌い、ブラジル移民の父・水野龍の書生となってかの地に渡った石井さんと、70歳にして陶芸家となった妻の敏子さん。どの方も忘れがたい魅力を備えて読者に迫ってくる。
 移民の記録映像作家として、〈あいだ〉にあることの辛酸を嘗(な)めてきた著者は、売るためのステレオタイプや〈社会的弱者の救済〉というお題目を羅列する商業主義的なテレビやジャーナリズムと一線を画し、同時に移民社会内部の中傷や差別を指摘することも忘れない。だがそうした批判が返す刀で、移民の現実を映す〈鏡〉たらんとする自身の文章もまた予断や偏見から自由ではないのだと、自らの愚かさと醜さへと向けられているところが潔い。それが本書をきわめて忘れがたく美しい書物にしている。
    ◇
 港の人・1890円/おかむら・じゅん 58年生まれ。記録映像作家。主な映像作品に「郷愁は夢のなかで」。
    --「忘れられない日本人移民 ブラジルへ渡った記録映像作家の旅 [著]岡村淳 [評者]小野正嗣」、『朝日新聞』2013年06月30日(日)付。

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覚え書:「記憶をコントロールする 分子脳科学の挑戦 [著]井ノ口馨 [評者]福岡伸一」、『朝日新聞』2013年06月30日(日)付。


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記憶をコントロールする 分子脳科学の挑戦 [著]井ノ口馨
[評者]福岡伸一(青山学院大学教授・生物学)  [掲載]2013年06月30日   [ジャンル]科学・生物 

■どう作られ、保持されるのか

 「記憶は死に対する部分的な勝利である」とはカズオ・イシグロの名言である。記憶だけが、流転し消滅しつづける世界に私をつなぎ止め、私が私であることを示してくれる唯一の証(あかし)。では記憶とは何か。著者は最初、この問いを哲学から考えようとし、ついには脳のシステムとして捉えなければならないと思い詰め、米国に旅立った。私たちが何かを体験すると、脳の海馬でシナプスが回路を作る。それが記憶の元型となる。そして、ここからが重要なのだが、海馬で作られた記憶は、大脳皮質に書き写され、海馬の方はクリアされる。しかも、大脳皮質に保持された記憶の回路は、思い出すたびにいったん不安定化され、再度、固定化されることも明らかになった。記憶の美化や目撃証言の信憑性(しんぴょうせい)、あるいは意識とは何かまで議論は及ぶ。本書は、著者の一匹狼(いっぴきおおかみ)的な個人史の道のりを縦軸に、脳科学の展開を横軸として描かれた、最も新しい記憶研究の見取り図である。語り口も平易。
    ◇
 岩波科学ライブラリー・1260円
    --「記憶をコントロールする 分子脳科学の挑戦 [著]井ノ口馨 [評者]福岡伸一」、『朝日新聞』2013年06月30日(日)付。

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覚え書:「ひと ブラック企業の淘汰を目指す 中嶌聡さん」、『毎日新聞』2013年07月03日(水)付。


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ひと ブラック企業の淘汰を目指す
中嶌聡さん(30)

 あるタイ焼き店の20代の店長は、多い月で200時間も残業していた。1日の売り上げが悪いと、午後10時ごろから翌日の対策会議が始まる。帰ったら倒れるように寝た。給料は19万円余り。「再就職先もないから」と耐えていた。
 人材派遣会社の営業マンだったころ、労働法などを学ぶセミナーに参加したのを契機に、地域労組に入った。この店長らの相談に乗り、解雇や残業代不払いなど、会社側との団体交渉は3年半で約60件に上った。「労働者が追い込まれる前に声を上げ、会社と話し合える仕組みができないか」。労使間の信頼関係こそ重要だと痛感し、近くNPO法人化する「はたらぼ」(大阪市北区)で関係作りを手助けする。劣悪な労働条件で若者を使い捨てにするブラック業をなくすのが狙いだ。
 ブラック企業には明確な定義がないため、「はたらぼ」では労務管理に真面目な企業を集め、ブラック企業との差別化を図る。採用時に就業時間や休日出勤の有無などの条件を明示している▽残業代を他の手当と混同せずに明確にしている--など15項目程度の指標を設定。クリアした企業に宣言書を出してもらう。指標が守られているかは従業員がチェック。大学生等の就職活動に役立ててもらう。
 目指すは「個人の能力が最大限に生かされる社会」。実現には、高給や手厚い福利厚生が必要なのではない。最低限のルールを守る職場環境だと信じている。文・服部陽 写真・望月亮一
■人物略歴 大阪府茨木市出身、大阪教育大卒。
    --「ひと ブラック企業の淘汰を目指す 中嶌聡さん」、『毎日新聞』2013年07月03日(水)付。

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覚え書:「神は死んだ [著]ロン・カリー・ジュニア [評者]佐々木敦」、『朝日新聞』2013年06月30日(日)付。


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神は死んだ [著]ロン・カリー・ジュニア
[評者]佐々木敦(批評家・早稲田大学教授)  [掲載]2013年06月30日   [ジャンル]文芸 

■絶望の極点で希望は紡げるか

 ショッキングな題名だが、内容そのままなのだ。表題作で、本当に「神」は死ぬ。スーダンのダルフール地方の難民キャンプ。ディンカ族の若い女に姿を変えた「神」は、理由あって弟の行方を探している。彼女は「神」なのだが全知全能ではない。むしろ人間たちの蛮行に対して、ほとんど何も手を出せず、ただ見守ることしか出来ない。紛争は熾烈(しれつ)を極めており、たくさんの罪なき人々が動物のように命を奪われている。
 スーダンを訪れていたブッシュ政権のコリン・パウエル国務長官(実名で登場する)は、偶然「神」と出会い、彼の人生に隠された最大の後悔を贖罪(しょくざい)するために、自らの立場をなげうって、彼女を助けようとするのだが……。
 ロン・カリー・ジュニアの処女作は、このようなひどく奇妙で哀切な物語から始まる。続く各編も、いずれも突飛(とっぴ)なアイデアと醒(さ)めたリアリズムが混交する、不思議な感触を持っている。当然のことながら「神の死」は人間たちに甚大な影響を及ぼした。信仰の対象を喪(うしな)った聖職者は死を選び(「橋」)、ゲームめいた集団自殺が横行する(「小春日和」)。「神を食べた犬へのインタビュー」には、死んだ「神」の肉を食べたせいでいくぶんか「神」になってしまった犬が登場する。
 9編は人物や時系列が緩やかに繋(つな)がっており、「神の死後」をめぐるSF的なヴィジョンが展開する。語りも一作ごとに工夫が凝らされており、重いテーマを考え込む隙を与えず最後まで読み切らせてしまう。だが、それこそが作者の狙いなのだ。
 全編を読了してしばらく経ち、いま私はこの書評の言葉を連ねながら、そこに何が描かれていたのかを思い出し戦慄(せんりつ)する。神の死んだ世界。いかにして絶望の極点にありながら希望を紡げるのか。これは宗教の問題ではない。現代を生きるわれわれ全員に突きつけられた問いである。
    ◇
 藤井光訳、白水社・2310円/Ron Currie Jr. 75年米生まれ。本書でニューヨーク公立図書館若獅子賞。
    --「神は死んだ [著]ロン・カリー・ジュニア [評者]佐々木敦」、『朝日新聞』2013年06月30日(日)付。

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覚え書:「脊梁山脈 [著]須藤靖 乙川優三郎 [評者]角幡唯介」、『朝日新聞』2013年06月30日(日)付。

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脊梁山脈 [著]須藤靖 乙川優三郎
[評者]角幡唯介(ノンフィクション作家・探検家)  [掲載]2013年06月30日   [ジャンル]歴史 文芸 

■国や民族揺さぶる木地師の系譜

 日本の山中にはかつて木地師という集団がいた。轆轤(ろくろ)を回して木でお椀(わん)やこけしを作り、良材を求めて山中を漂泊していた人たちだ。
 第2次大戦後に中国から復員する主人公がその木地師の男と出会うことから物語は始まる。人を殺すのが嫌になった、これからは山に籠(こも)る。男の言葉に強い印象を受けた主人公は、彼が山に籠る理由を知りたくて、自らも信州の山村に分け入り木地師の系譜を調べだす。
 冒頭からしばらくは山と日本人の関係を描く小説なのだと思って読み進めた。ところがやはりその見通しは甘かったらしい。主人公は調査の過程で木地師の成り立ちに朝鮮半島から渡来した秦氏が関わっていたことを確信するのだが、そのあたりから物語は急に混沌(こんとん)としはじめる。さらにその秦氏と日本の古代王朝との深い繋(つな)がりから、話は古代史最大の事件ともいわれる大化の改新の秘密に突き進む。天皇家の政治的基盤が確立したあのクーデターには大いなる歴史の欺瞞(ぎまん)が隠されていたというのである。
 着地点が見えないまま物語は進行する。その過程で読者はこれまで抱いていた国とか民族に対する理解が揺さぶられることに気づくだろう。木地師が暮らした山の文化と天皇家に象徴される歴史により、日本人の精神性は育まれてきた。それなのにその双方で渡来系の血が濃く関わっていたとしたら、我々日本人とは一体何なのか、よく分からなくなってくるのだ。
 それでも私たちの内側には日本人としての原形質が形作られている。木地師の生き様を求めて山中を彷徨(ほうこう)する主人公の旅は、作られたストーリーのさらに向こうで皆が共有している根源的な何かを探り当てる試みのように見える。おそらくそこにこそ私たちの内部を芯から貫くこの国のぶっとい脊梁(せきりょう)があるのだろう。読み終わった時にそれが少しだけ見えてくるのである。
    ◇
 新潮社・1785円/おとかわ・ゆうざぶろう 53年生まれ。作家。「生きる」で直木賞。
    --「脊梁山脈 [著]須藤靖 乙川優三郎 [評者]角幡唯介」、『朝日新聞』2013年06月30日(日)付。

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書評:フランク・ローズ(島内哲朗訳)『のめりこませる技術 誰が物語を操るのか』フィルムアート社、2012年。


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フランク・ローズ『のめりこませる技術 誰が物語を操るのか』フィルムアート社、読了。本書は現代メディアを横断する「のめりこませる技術」を腑分けする現代メディア論。著者は元ワイアード誌編集長。膨大な事例を検証し、メディアの「物語性」に問題を提起する。

本書は「のめりこませる技術」を腑分けする現代メディア論。メディアの物語性に問題を提起する。著者は元ワイアード誌編集長。膨大な事例を検証し説得力に富む。

インターネットの登場は伝統的なメディアに対する改革となったが、「物語」事態のあり様を変えることにもなった。即ち、従来の視聴のみ受容する観客を「参加」型がへと変容させた。送受信の境界が曖昧になる中で、物語が消費されている。

キーワードは「参加」。それは市場のあり様をも変容する。受け手を巻き込み参加させる技術は「企業」ではなく「個人」をターゲットとする。進化し続けるこの技術を前に、のめりこまない視点は必要不可欠となろう。メディアを材料に現代を読む異色の「物語」論。

以下、蛇足。副題の「誰が物語を操るのか」は消費社会の動員の問題への警鐘となるものだが、そもそも人間は「物語」を消費しながら生きていくほかない。「良い/悪い」の二分法ではないが、この「物語」性をどう捉えるかの視座も必要不可欠になるだろう。


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覚え書:「書評:字幕屋のニホンゴ渡世奮闘記 太田直子 著」、『東京新聞』2013年6月30日(日)付。


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【書評】

字幕屋のニホンゴ渡世奮闘記 太田直子 著

2013年6月30日


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◆台詞と人生を磨く
[評者]中条省平=フランス文学者
 じつに面白い本だ。技術論として、言語論として、人生論として。
 技術論というのは、本書は映画の字幕がどのように作られるかを、丁寧かつ分かりやすく記した日本で唯一の本だからだ。観客が字幕で読めるのは一秒で四文字。俳優がどんなに猛スピードで喋(しゃべ)っても、この字数に縮めなければならない。そんなアクロバットのような作業の逐一をユーモアたっぷりに教えてくれる。
 というわけで、字幕作りでは語学力より、日本語のセンスが問題になる(本書の文体も弾むようで、読みやすい)。例えば「他人の人生を何だと思ってるんだ!」という台詞(せりふ)の訳がある。これが一秒で言われていたら? 「人の人生を!」でぎりぎり五文字。その言葉のセンスはつねに本、マンガ、新聞、広告…あらゆる種類の言葉を楽しみ、貪欲に、批判的に吸収することでしか保てない。本書が鋭い現代日本語論になるゆえんである。
 だが、そもそも字幕屋になる道はあるのか? そんな読者の疑問に答えるべく著者自身の波瀾万丈(はらんばんじょう)(つまり、行き当たりばったり)の人生を語るエピローグが最高に楽しい。卓球選手になれず、ロシア文学研究に挫折し、それでも呑気に過ごした映画業界周辺での日々。だが、著者には仕事への愛と喜びと誇りがあった。そして、いつのまにか自分の道を歩きだす。感動的な自己形成の物語である。
 おおた・なおこ 1959年生まれ。映画字幕翻訳者。
(岩波書店・1785円)
◆もう1冊
 戸田奈津子著『字幕の花園』(集英社文庫)。字幕翻訳について雑誌「ロードショー」に連載した人気コラムを収録。
    --「書評:字幕屋のニホンゴ渡世奮闘記 太田直子 著」、『東京新聞』2013年6月30日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013063002000166.html:title]


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字幕屋のニホンゴ渡世奮闘記
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覚え書:「主役はダーク・科学を語るとはどういうことか [著]須藤靖 伊勢田哲治 [評者]川端裕人」、『朝日新聞』2013年06月30日(日)付。

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主役はダーク・科学を語るとはどういうことか [著]須藤靖 伊勢田哲治
[評者]川端裕人(作家)  [掲載]2013年06月30日   [ジャンル]科学・生物 

■怒り心頭の物理学者、科学哲学者と大激論

 『主役はダーク』は破格の科学エッセーだ。最新の天文学、宇宙物理学を独特の諧謔(かいぎゃく)を交えて語る。
 宇宙は膨張しており、物質は希薄になっていくはずなのに、我々の世界(例えば地球)が物質に満ちているのは、ダークマターのおかげらしい。いまだ直接観測されていないが宇宙の22%を占め、局所的な密度を上げるのに貢献しているという。一方ダークエネルギーはさらに圧倒的で宇宙の74%! 万有引力ではなく、互いに反発する斥力を働かせ、宇宙が一貫して膨張する性質を与えてきた。どちらも物理学で真面目に議論される有力仮説だ。
 ともすれば難しくなりそうなテーマだが「最近の世の中は何か暗い」の一文で始まり、国家予算の赤字やら大学生の就職率について嘆きつつ、気づけば宇宙のど真ん中に誘われている。爆笑、苦笑と科学が隣り合わせる筆さばきだ。
 なお、本書には「仮想敵」が配されている。それは科学哲学。現代科学から周回遅れになっており、なおかつ、見当外れだというのだが、その問題意識が、著者(物理学者)と科学哲学者の対談『科学を語るとはどういうことか』として結実した。
 物理学者は「科学者が受け入れられないような科学像」を科学哲学が作っていると怒り心頭だ。例えば、素粒子の存在を疑う極端な反実在論(構成的経験主義)など意味不明であり、科学哲学は科学者に役立つ提案をすべきだと訴える。
 一方、科学哲学者は、長い間、同じ問題をいろいろな角度からつつきまわしているのを認めつつ、なぜ科学が成功しているのか、科学とはどのような営みなのか知りたいという。「鳥に対する鳥類学者」とよく言われるそうだ。しかし、研究の結果が科学者にとっても刺激を与えるものであればさらによい、とも。実際、科学の新分野の立ち上げに科学哲学が参照される事例が、脳科学、認知科学、分類学などであるという。
 結局、議論は見事なまでにかみ合わずに終わる。ただ、無益というわけでもなく、読者は哲学系の粘り強い(それどころか、ねちっこい)考え方を知るだろうし、物理学者が科学哲学についてダメ出ししているうちに哲学者めいてくるのも目撃する。『主役はダーク』とあわせて読めば、宇宙物理学の最先端が「哲学」めいていることも分かりさらに興味深い。
 なお、本書では追究されないが、科学哲学が社会における意思決定に役立つかどうかという問題もある。これについては、著者(科学哲学者)らが編んだ『科学技術をよく考える』が4月に出たばかり。一連の著述をひとつながりのものとして捉えたい。
    ◇
 『主役は…』毎日新聞社・1785円/すとう・やすし 58年生まれ。東京大学教授(宇宙物理学)▽『科学を語る…』河出ブックス・1575円/いせだ・てつじ 68年生まれ。京都大学准教授(科学哲学)
    --「主役はダーク・科学を語るとはどういうことか [著]須藤靖 伊勢田哲治 [評者]川端裕人」、『朝日新聞』2013年06月30日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013063000003.html:title]

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主役はダーク 宇宙の究極の謎に迫る
須藤 靖
毎日新聞社
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書評:広井良典『人口減少社会という希望 コミュニティ経済の生成と地球倫理』朝日新聞出版、2013年。


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広井良典『人口減少社会という希望 コミュニティ経済の生成と地球倫理』朝日新聞出版、読了。私たちの直面する人口減少社会は「絶望」なのか。著者より豊かな社会へのステップアップ(希望)と捉え、幾つかの処方箋を提示する。フィールドワークに基づく身の丈にあった地域内循環論は説得力を持つ。

高度成長期に「大きいことはいいことだ」とのCMが。それは経済成長こそ国民の幸せに直結という「地域離脱」のモデルでった。が、経済成長が全てを解決したのかと問えばそうではない。著者は安易なノスタルジーを退けながら地域密着の知恵を探る。

勝他の念の囚われた成長の論理は留まることを知らない。等身大の成長とは個人の自由に基づくものだ。著者は伝統宗教の価値観と論理を振り返り、社会保障を地球倫理の実践として措定する。本書の特色は、各論だけでなく、文明論にある。

ややアクロバティックですけど、本書の魅力は、地域の実践を丹念に取材しつつも、「人口減少社会」を文明論として捉え直したところにある。

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人口減少社会という希望 コミュニティ経済の生成と地球倫理 (朝日選書)
広井良典
朝日新聞出版 (2013-04-10)
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覚え書:「書評:図書館に通う 当世「公立無料貸本屋」事情 宮田昇 著」、『東京新聞』2013年6月30日(日)付。


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図書館に通う 当世「公立無料貸本屋」事情 宮田昇 著

2013年6月30日


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◆借りて読む楽しみに誘う
[評者]小田光雄=文芸評論家
 宮田昇は戦後出版史における重要な証人であり、『翻訳権の戦後史』や出版太郎名義の出版時評『朱筆』をはじめとして、多くの知られざる事柄を読者に教示してきた。今回の新著はタイトルが示しているように、後期高齢者の宮田が七、八年前から街の図書館に通うようになり、本を借りて読み、それらを通じて体験したり、触発されたりして書いた十七編のエッセイ集だ。本人の言葉を借りれば、「街の図書館通いの随筆」ということになる。
 宮田の著作がそうであるように、藤沢周平、貸本屋経営、アメリカやフランスの出版社など、各エッセイは一編ごとに感興をそそり、評者なりの意見と記述を付け加えたくなるテーマと題材が並び、本当に充実した一冊となっていて、とても八十代半ばの著作とは思えない。戦後の出版業界は宮田のような人々によって支えられてきたのだと、改めて実感する。だから本当はそれらのエッセイをいくつか吟味し、紹介してみたいのだが、ここでは書名やサブタイトルにこめられた意味から一冊の全体像を考え、宮田の図書館に対する視点と思考を取り上げたい。
 宮田は「はじめに」で、一九七〇年代に比べ、公共図書館が飛躍的に増え、貸出総数も十年前の倍の五億冊を超え、日本も欧米並みになったことを記し、そのかたわらで「公立無料貸本屋」という問題提起がなされ始めていることをまず示す。そして図書館をめぐるさまざまな問いを発していくわけだが、一五八ページに集約されるそれを要約すれば、図書館予算減少状況を救うのは利用者による貸し出しの増加、それに伴う図書館の充実であり、一方では情報開示による市民参加型の資料収集保存と幅広い収書だとみなす。
 それに対し、私見も述べておけば、三年前から貸出総数はすでに出版業界の一年間の販売部数を上回る七億冊以上に達している。これも新たなる図書館状況であり、さらなる注視が必要な時期に入っていると思われる。
 みやた・のぼる 1928年生まれ。文筆家。著書『新編 戦後翻訳風雲録』など。
(みすず書房・2310円)
◆もう1冊
 井上真琴著『図書館に訊け!』(ちくま新書)。大学図書館の職員が図書館の利用法や探索上達術、電子書籍利用法などを伝授。
    --「書評:図書館に通う 当世「公立無料貸本屋」事情 宮田昇 著」、『東京新聞』2013年6月30日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013063002000168.html:title]


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図書館に通う―― 当世「公立無料貸本屋」事情
宮田 昇
みすず書房
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覚え書:「書評:メディアとしての紙の文化史 ローター・ミュラー 著」、『東京新聞』2013年6月30日(日)付。


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【書評】

メディアとしての紙の文化史 ローター・ミュラー 著

2013年6月30日


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◆心血注がれた手紙
[評者]小倉孝誠=慶応大教授
 Eメールが一般化した現在、手紙を便箋に書くことは稀(まれ)になってきた。また電子書籍が広く普及すれば、紙媒体の本の価値が変わっていくだろう。とはいえそれは近年の現象で、人類は長い間、私的にも公的にも紙をいつくしみ、紙と深く関わってきた。本書は、その紙の文化的意義を歴史的にたどってみせる。
 中国とアラビアで生まれた紙がヨーロッパ文化の主役になるのは十五世紀、グーテンベルクが活版印刷術を発明してからである。印刷業は紙を必要とし、したがって製紙業の発達をうながした。しかし、当時はまだ手書きが主流で、印刷が手稿を消滅させたわけではなかった。
 手で書かれ、印刷されないものの代表が手紙。十七・八世紀は書簡の時代とも呼ばれ、人々は入念に便箋を選び、手紙に心血を注いだ。紙を媒体とする手紙には、強い情動が込められていたのだ。そして「紙の時代」である十九世紀、木材パルプだけから紙が製造できるようになり、紙の価格が下がった。それは定期刊行物(ジャーナル)の発展を助け、紙がメディアをになう主要な物質になったのである。
 西洋諸国全体を対象にし、作家や哲学者の興味深い証言を数多く引用している点で、視野の広い歴史書であり、紙と印刷業をめぐる文学史としても読める。本書で使われている紙の肌触りも独特で、装丁もまた美しい。
 Lothar Muller 1954年生まれ。ドイツの作家・ジャーナリスト。
(三谷武司訳、東洋書林・4725円)
◆もう1冊
 M・マクルーハン著『グーテンベルクの銀河系』(森常治訳、みすず書房)。印刷技術の歴史、人との関係を考察。
    --「書評:メディアとしての紙の文化史 ローター・ミュラー 著」、『東京新聞』2013年6月30日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013063002000167.html:title]

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メディアとしての紙の文化史
ローター ミュラー
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覚え書:「みんなの広場 平和憲法は理想の憲法」、『毎日新聞』2013年07月01日(月)付。


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みんなの広場
平和憲法は理想の憲法
無職 79(東京都練馬区)

 1945(昭和20)年3月の東京大空襲の夜、私は猛火の中を逃げ回り九死に一生を得ました。たった一夜で町は焦土になり市民十万余人が焼き殺されました。そして約300万人の方があの忌まわしい戦争の犠牲になりました。戦後ようやく新憲法ができてうれしい限りでした。戦後の授業で先生が「この憲法は世界に誇る理想の平和憲法だから、どんなことがあっても守り続けなければならない」と涙ぐみながら言われました。先生のお父さんも戦死されたとのことでした。
 戦争と再軍備を永遠に放棄した平和憲法のお陰で世界から信頼され、現在まで戦争犠牲者もださずにめざましい復興も成し遂げられたのではないでしょうか。その平和憲法を96条のハードルを下げても改悪するというのはとんでもない暴論です。また戦争で迷惑をかけた近隣諸国、そして世界への平和の誓いをほごにする裏切り行為でもあります。憲法改悪は戦争への道への逆戻りで絶対に許してはならないと思います。
    --「みんなの広場 平和憲法は理想の憲法」、『毎日新聞』2013年07月01日(月)付。

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『波打ち際に生きる』=松浦寿輝・著」、『毎日新聞』2013年06月30日(日)付。

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今週の本棚・新刊:『波打ち際に生きる』=松浦寿輝・著
毎日新聞 2013年06月30日 東京朝刊

 (羽鳥書店・2310円)

 詩人であり小説家であり批評家である著者は昨年3月、定年まで7年を残して東京大学の教壇を去った。その際におこなった「退官記念講演」と「最終講義」をまとめた本だが、柔軟かつ強靱(きょうじん)な知的刺激に満ちている。表題と同じテーマで語られた前者の講演は、内房総の海岸にまつわる自身の幼少時の体験に始まり、多様な表現の境界領域を志向してきた著者の資質をよく示すものだ。

 しかし、こうまとめてしまうと、ここにある魅力は伝わらない。「近代的な時間システム」をめぐる順応と反抗、束縛と逸脱といった対極的な欲望の「錯綜(さくそう)した絡み合い」を講じた「最終講義」もそうだが、著者は常に具体的な名前と言葉、画像(映像)を博引しつつ、思考そのものを織り上げていく。その手つきはきらびやかで、ドラマチックで、知的に構成されていながら感覚的でもある。

 ヴァレリー、折口信夫、エッフェル、ヒッチコック、萩原朔太郎、ルイス・キャロル、ダーウィン、吉田健一……と、主だった固有名詞を挙げるだけでも、踏み破られた領野の広大さは知られよう。ここから新たにどのような言葉の織物が紡がれるか、期待と興味は尽きない。(壱)
    --「今週の本棚・新刊:『波打ち際に生きる』=松浦寿輝・著」、『毎日新聞』2013年06月30日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130630ddm015070061000c.html:title]

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覚え書:「書評:ヤマネコ・ドーム 津島佑子 著」、『東京新聞』2013年6月30日(日)付。

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【書評】

ヤマネコ・ドーム 津島佑子 著

2013年6月30日


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◆血や国を超越する関係性
[評者]与那覇恵子=東洋英和女学院大教授、現代日本文学
 本書は、気を緩めてしまうと一瞬、どの時代のどこに居るのか分からなくなってしまうほど、三人称の多声が響きあう巧妙な語りで展開されていく。
 登場する人物も多彩である。戦後に米兵と日本女性との間に生まれたミッチとカズ、ミキなど多数の「混血孤児」。母子家庭のヨン子とター坊。ブリトン人とアイヌの女歌手。ブルターニュの「魔法使い」に、城館の女主。時間と空間は錯綜(さくそう)しつつも、ベトナム戦争や湾岸戦争、チェルノブイリに9・11、ケネディの暗殺事件などの、世界への参照点が織り込まれている。
 冒頭の現在時は3・11後の五月。場所は、見えない放射性物質に汚染されている東京。六十歳を過ぎたミッチとヨン子は、世界の変異を眼にして八歳と七歳の時に遭遇した、オレンジ色のスカートを池の水に浮かべて死んだミキちゃんの記憶を呼び起こす。子供たちにオレンジ色は原発の爆発のように、一瞬にして安穏な生活にひびを入れた禍々(まがまが)しいものとして共有された。
 その感覚を最も体現していたのが殺人犯と目された九歳のター坊である。数年に一度の発作と、それに関連するかのようにオレンジ色を身につけた女性が殺害されるがそれに説明はない。ター坊は、放射能に代表される見えないものの脅迫から逃げられず、破壊的になっていく力を表すのであろうか。
 最後は、ター坊の死後「放射能の煮こごり」のような部屋で暮らす彼の母親を、ミッチとヨン子が連れ出す場面で終わる。行く先は、植物や動物や生者や死者が共に生存するブルターニュの森がイメージされている「ヤマネコ・ドーム」ということになろうか。絶望の中に血にも国にもこだわらない新しい関係を築こうとする希望の声が聞こえる。
 戦後六十年の世界の経験と彼らの経験との重なりによって、致命的な暴力性が潜在する私たちの生きてきた歴史を改めて辿(たど)り直す物語となっている。
 つしま・ゆうこ 1947年生まれ。作家。著書『火の山-山猿記』など。
(講談社・2100円)
◆もう1冊
 津島佑子著『葦舟、飛んだ』(毎日新聞社)。団塊の世代で幼なじみの男女五人が付き合いを再開し、戦争の時代の影をたどる物語。
    --「書評:ヤマネコ・ドーム 津島佑子 著」、『東京新聞』2013年6月30日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013063002000169.html:title]

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ヤマネコ・ドーム
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生きるということは、それぞれの状況なりに、やはりしんどい

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 あたりまえのことだが、原発の計画さえなけえれば未来はバラ色、というわけにはいかない。原発計画がなくなっても、生きるということは、それぞれの状況なりに、やはりしんどい。それでも、それを「原発あり」で生きるか、「原発なし」で生きるかは、まるで違うと私は思う。
 ならば、やはり「原発なし」で、しんどい生を生きてゆきたい。祝島や珠洲の人びとは、そのしんどさを、安易に解決しようとはしなかったのだろう。
 「抵抗をしつづければ、原発は経済的に破綻して、撤退せざるを得なくなる」(序章の立花正寛さん)という言葉のとおり、珠洲の原発計画は「凍結」となった。いままた上関の原発計画も、原発をつくるための海の埋め立て免許が失効しつつある。
 どちらも、わかりやすい勝利とはほど遠い。それでも、たたかいの日々を実際に保ちこたえ、事実として原発をつくらせていない人びとが、祝島にも珠洲にもいる。
    --山秋真『原発をつくらせない人びと -祝島から未来へ』岩波新書、2012年、210頁。

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水曜日は授業が終わってから、かねてより約束していた青年と軽く一献の筈が重く一献となり、結局、終電の終点で起きてしまうというヤツをやってしまいましたが、有意義な時間を共有することができたことには、感謝の念のたえません。

原発の問題に限らず、なんらかのカタチで政治的イシューと連結した問題というのは、必ず「バラ色の未来」が“語り”としてでてきます。

そしてほとんどの場合、そのポスト・変革といったものが、どのようなカタチであれ、提示されたものとは違うものとなってしまうことも多い。

そしてそこで、「ああ、やっぱり“期待する”んじゃなかった」というシラケで退行していくというのがお約束のパターンだったのはではないかと思います。

しかし、喧噪をかき分けて、何かを変えていくということは、バラ色の未来が「棚からぼた餅」式にポンっと与えられるものではなくして、自分の昨日・今日・明日という時間軸の連続のなかで、1ミリでも不断にずらし続けていくことでなければならないのではあるいまいか。

そういうことを、奮闘する青年の姿から、実感した次第です。

鳴り物入りのキャッチコピーでもシニシズムに耽るでもなく、たえず現実と格闘し続けていく--そういう“担う”“引き受けていく”自分でありたいものです。

しかし、若い者には負けていられないね(苦笑

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原発をつくらせない人びと――祝島から未来へ (岩波新書)
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覚え書:「今週の本棚:堀江敏幸・評 『家と庭と犬とねこ』=石井桃子・著」、『毎日新聞』2013年06月30日(日)付。


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今週の本棚:堀江敏幸・評 『家と庭と犬とねこ』=石井桃子・著
毎日新聞 2013年06月30日 東京朝刊


 (河出書房新社・1680円)

 ◇「愛すべき小農場」の夢をはぐくんだ心の軌跡

 敗戦の前年、「自分の生き方に迷っていた」石井桃子は、秋田県から生徒たちを連れて川崎の軍需工場へ働きに出ていた女学校の先生、Kさんと出会う。子どもたちとひとつになっているその姿に打たれて工場を訪ね、交流を深めると、心を開いて数年来の夢をKさんに語った。「愛すべき小農場」での自給自足。売るものも少しつくって、夜は勉強にあてる。

 驚いたことにKさんは、それをいっしょにやろうと言い、翌年、一九四五年の春に、子どもたちの身の安全を考えてふたたび秋田に帰ると、将来の農場になりうる山地を、郷里の宮城県で本当に見つけ出してしまったのである。

 のちに「ノンちゃん牧場」と呼ばれるこの土地を開いて三年後に書かれた「山のさち」から、二〇〇二年の「私の手」まで、本書には右の決断の背景を記した文章を柱として、半世紀以上に及ぶ歳月を見渡す文章が収められている。石井桃子は一九〇七年生まれ。二八年に日本女子大学校英文学部を卒業したあと、出版社で編集者をしていた。「自分の生き方に迷っていた」というその状況の内実については、べつの著作に当たるほかないのだが、五〇年代に書かれたものには山での暮らしと東京での暮らしが対比され、後者にはもう以前とおなじ気持ちで住むことができないという自省を伴う記述が、微妙な屈折と共に繰り返される。

 東京の人々は「殺人電車」に揉(も)まれ、わざとらしい、上滑りの言葉を受け入れている。「学校のことよりも映画のことにくわしい学生や、電気冷蔵庫をもっているおくさんが、農村の人たちより、えらくもなんともないことは、だれにだってはっきりわかる」(「都会といなか」一九五四年)。「文化生活」の背後にあるものを、彼女は実際に農村に行き、そこで暮らし、土地に縛られながら都会の人間に食糧を供給してくれた人たちの後を追ってみて、はじめて理解した。容易に食べていけないことも、身に染みてわかった。そのうえで、田舎を離れることを選択したのである。

 話を戻すと、宮城の山から三十分のところにある農家に部屋を借りて土に鍬(くわ)を入れたのが、八月十五日。山に入った女性たちは、大事な肥やしになる自分たちの排泄(はいせつ)物を借り主に提供してしまうのが惜しく、また雪のなかを通うのはいかにも大変だというので、近所の大工さんと青年団の何人かの手を借りて畑の近くにあった木小屋を改造し、その年の十二月、厳寒の季節に移り住む。やがて迎えた山での正月、力になってくれた人たちとの思わぬ餅つき大会の模様は、羨むべきどたばたと束(つか)の間の幸福に満ちあふれた、一篇の胸躍る物語である。

 農業体験と並んで重要なのは、「イノウエキヌ子」という名を与えることになった愛猫の横顔、「波長が合う」作家(ウィラ・キャザー)との出会い、「母の要領を得たような得ないような手料理」を軸にした家族の思い出など、「愛すべき小農場」の夢をはぐくんだ過去の生活である。とりわけ、小学生の頃、みなに不器用さを笑われながらも、ゆっくり着実に「コブコブした」カンジンこよりをつくって先生にほめられたという同級生の挿話が胸に沁(し)みる。

 戦後の石井桃子の仕事の、よい意味でのしたたかさ、芯の強さ、そして希望を少し上回りそうになる諦念を胸のうちに押し返そうとする覚悟の出所は、ひらがなを多用した一見やわらかい文章に隠されている、その「コブコブした」節目にこそあるのではないか。簡単にはほどけないこよりのような言葉の息吹が、ここにはあるのだ。
    --「今週の本棚:堀江敏幸・評 『家と庭と犬とねこ』=石井桃子・著」、『毎日新聞』2013年06月30日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『出雲大社 日本の神祭りの源流』=千家和比古、松本岩雄・編」、『毎日新聞』2013年06月30日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『出雲大社 日本の神祭りの源流』=千家和比古、松本岩雄・編
毎日新聞 2013年06月30日 東京朝刊

 (柊風舎・1995円)

 「平成の大遷宮」で関心が集まる出雲大社を歴史・考古・民俗・宗教学など多様な観点から分析している。神社とは? 神話とは? 神無月とは? 遷宮とは? 出雲大社をめぐる疑問を一線の研究者がコンパクトに解説し、情報誌レベルでは物足りない参拝者に格好の概説書だ。

 出雲大社の謎は結局、「なぜ出雲大社があのような形で現在まで存在しているのか?」の点に集約される。国家の社として都の東に伊勢神宮がありながら、なぜ好対照な性格の出雲大社が西にあるのか。

 この点、編者で出雲大社権宮司の千家和比古(せんげよしひこ)氏が、日本人の心的DNAに「相対観の視座」があると強調しているのが印象的。一神教的狭量とは対照的な価値観で、その象徴が出雲大社の存在というのである。

 個別テーマも面白い。例えば、コラム「出雲の埴輪(はにわ)と野見宿禰(のみのすくね)伝承」。『日本書紀』の垂仁(すいにん)天皇紀に、殉死の悪風を廃するため出雲出身の宿禰の発案で埴輪が誕生したとある。裏づけの乏しい伝承とされてきたが、近年、日本最古級の人物埴輪の出土が出雲で確認された。安直な憶測を戒めながらも、埴輪の起源と出雲の関係への興味を隠していない。(和)
    --「今週の本棚・新刊:『出雲大社 日本の神祭りの源流』=千家和比古、松本岩雄・編」、『毎日新聞』2013年06月30日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130630ddm015070074000c.html:title]

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出雲大社―日本の神祭りの源流

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書評:南川高志『新・ローマ帝国衰亡史』岩波新書、2013年。


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 では、この課題に挑戦した結果、ローマ帝国の衰亡とは何であったといえるだろうか。
 それは、「ローマ人である」という、帝国を成り立たせていた担い手のアイデンティティが変化し、国家の本質が失われてゆく過程であった。それが私の描いた「ローマ帝国衰亡史」である。
 ローマ帝国は、一般的に語られているのと異なり、四世紀のかなり遅い時期まで強勢であった。そして、四世紀の終わり頃からの怒濤のごとき政治的・軍事的な動きの中で、西方におけるローマ帝国は短期間で崩壊した。政治過程をそのように理解した上で、もっと広い視野から見てみれば、「衰亡」はより深い意味をともなって理解される。
 すなわち、最盛期のローマ帝国は、担い手も領域も曖昧な存在であったにもかかわらず、一つの国家として統合され、維持されていた。そして、その曖昧さこそが、帝国を支える要件であったのは、本書で見てきたとおりである。そうした曖昧さを持つローマ帝国を実体あるものとしたのは「ローマ人である」という故地に由来するアイデンティティであった。アイデンティティなるものは本来、他と区別して成立する独自性を核としている。にもかかわらず、最盛期のローマ帝国がこのアイデンティティの下で他者を排除するような偏狭な性格の国家とならなかったのは、それが持つ歴史とその記憶ゆえであった。ローマ帝国には、あのリヨンのクラディウス帝演説の銅板に刻まれているように、外部から人材を得てきた歴史があり、その記憶があった。そうした王政・共和制時代以来の国家発展の歴史を認識し記憶することにより、人々は偏狭な自己認識に陥らなかったのである。
 だが、そうしたローマ国家が、四世紀以降の経過の中で徐々に変質し、内なる他者を排除し始めた。高まる外圧の下で、「ローマ人」は偏狭な差別と排除の論理の上に構築されたものとなり、ローマ社会の精神的な有様は変容して、最盛期のそれとはすっかり異なるものとなった。政治もそうした思潮に押されて動くことによって、その行動は視野狭窄で世界大国に相応しくないものとなり、結果としてローマ国家は政治・軍事で敗退するだけでなく、「帝国」としての魅力と威信をも失っていった。
 こうした事態に至らしめた減員は、当時の統治能力の欠けた皇帝や「世界」を読めない無能な政治担当者の行動のみに帰されるべきではないだろう。激動の時代に生きた人々の自己理解、他者認識が変化して、国家の本質が失われていったからである。
 ローマ帝国は外敵によって倒されたのではなく、自壊したというほうがより正確である。そのようにローマ帝国の衰亡を観察するとき、果たして国を成り立たせるものは何であるのか、はるか一六〇〇年の時を隔てた現代を生きる私たちも問われている、と改めて感じるのである。
    --南川高志『新・ローマ帝国衰亡史』岩波新書、2013年、205-207頁。

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南川高志『新・ローマ帝国衰亡史』岩波新書、ギボンの名著に“新”を冠する本書は、歴史学最新の成果を踏まえ地中海の帝国よりも「大河と森」の帝国の衰亡を点描する。帝国領土は確かに明るい地中海が全てではない。巨大な帝国は三十年で滅亡した。栄えた国が滅びること、国家とは何を考えさせる好著。

四世紀後半、攻勢に晒されるローマは「尊敬される国家」をかなぐり捨て、全盛期の推進軸(市民権の平等と寛容)とは対極の「排他的ローマ主義」へ傾く。国家の統合よりも差別と排除を優先させ、実質的にローマを支える「他者」を野蛮と軽蔑し、排除した。


「この『排他的ローマ主義』に帝国政治の担い手が乗っかかって動くとき、世界を見渡す力は国家から失われてしまった。国家は魅力を失い、『尊敬されない国』へと転落していく」。著者は安易に現代と比較することに控えめだが歴史は大切なことを教えてくれる。

私は歴史学者じゃないけど、先のようなかたちでの「歴史から学ぶ」ということは必要なんだろうと思う。確かに、ゲルマン民族云々によって西ローマ帝国どーんていうのが教科書的「学び」なんだろうけれども、その転換に、繁栄から凋落へというのは(要するに寛容から排除)、アクチュアリティがあるわな

国が傾くと、声高な外交にシフトすることで、本当に考えなければならない問題をスルーさせ、瞬間最大風速的な一時しのぎの求心力を得るために排外主義に傾き、失敗してきたのは世の常。しかし、ローマ帝国もそのひとつというのは、常々「ネットで真実!」と刮目したネトウヨ諸氏にも紐解いてもらいたい

私自身はそういう内向きなものだけでなくて全てのナショナルなものは……松下電器は嫌いだけど……唾棄すべきと思っているけど、その手前に留まるとしても、自分が何であるように、他者も何であるという、自覚とその相互認識という手順が割愛されていくと、ほんと目も当てられなくなってしまう。

ざっくりとしたもの謂いをすれば、一口にギリシア・ローマといっても、ギリシアは、まさに「排外主義」に基礎づけられた自己認識によってどん尻になってゆく、ローマに超克されてゆく。そしてローマは、先験的な条件ではない「であること」の選択としての「市民権」により他者から魅力を集めた。

ついでに言及すれば、本来的に、カテゴリーに準拠されえないイエスの“戦い”が、斜陽するローマ帝国の国教となった時点で、その普遍的なものが歪められてしまうっていうのも、まあ、時期的にはローマ帝国の排外主義の生成の時を同じくしていくというのは、難ですよ。これぞ枠内猫パンチというヤツか

しかし、まあ、これはキリスト教に限定され得ない話ではあるわけなので、この世を撃つ眼差しが、この世の仮象たるものの下位に序列化されたときの問題として考えておかないと、あまり意味はない。江戸期以降の仏教や、戦前日本の諸宗教が「私たちこそ国家に有益な宗教」競争をしたわけだしね。

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覚え書:「今週の本棚:池内紀・評 『追悼の文学史』=講談社文芸文庫・編」、『毎日新聞』2013年06月30日(日)付。


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今週の本棚:池内紀・評 『追悼の文学史』=講談社文芸文庫・編
毎日新聞 2013年06月30日 東京朝刊

 ◇池内紀(おさむ)・評

 (講談社文芸文庫・1575円)

 ◇時の遠近に整序され、交錯する生と死の風景

 ナルホド、こういう本づくりもあったのかと、おもわず膝(ひざ)を打った。日本の文芸誌の慣例だが、著明な作家の死に対して特集を組む。文壇における「格」といったものがはたらいて多少のちがいはあるが、追悼の性格はかわらない。そこから選んで一冊を編む。

 ここでは死の年の順に、佐藤春夫、高見順、広津和郎、三島由紀夫、志賀直哉、川端康成の六人。追悼文は計五十一篇だが、書き手は吉行淳之介、丹羽文雄、佐多稲子など、何人かがかさなっている。その四十数人もまた、おおかたがのちの死に際して特集を組まれたにちがいない。すべて『群像』から選ばれていて、一九六四年から七二年にかけての六号分が底本になった。

 時間の望遠鏡をあてがったぐあいだ。半世紀ちかく前の文学的風景が、くっきりと映っている。佐藤春夫について亀井勝一郎のいう「やや鼻にかかった紀州弁で、咄々(とつとつ)として諧謔(かいぎゃく)を弄(ろう)するその音声」。田村泰次郎が高見順に見た「演技意識」。「大根役者でおわる者の多いなかに、君は天性のすぐれた名優であった」。円地文子も同じように「舞台人の印象」を受けたが、はなやかな光源に「ひどく暗い光」を見てとった。

 広津和郎は戦前からの作家として以上に、戦後は松川事件をめぐる裁判批判で知られる人だが、佐多稲子はその人の言葉として、「自分は暇だからできる」を書きとめている。松本清張は追悼文のタイトルを「松川事件の『愉(たの)しみ』」とした。「こういう云(い)い方は悪いかもしれないが、広津氏は松川裁判が終って、その愉しみを奪われたのがよほど淋(さび)しかったのではなかろうか」

 自決にあたり三島由紀夫がのこした檄文(げきぶん)と二首の辞世を、河野多惠子は「冴(さ)えないものであった」と述べ、しめくくりに語っている。「氏は作家であったからこそ、最期にのぞみ、修練にかけては文よりも遥(はる)かに乏しかった筈(はず)の太刀は使いこなせても、文は使いこなせなかったのだと、私は思う」

 志賀直哉はつねづね、そっと死に、弔問客には骨壺(つぼ)にお辞儀をして帰ってもらえばいいと、それを口ぐせにしていた。阿川弘之の「葬送の記」によると、病院の酸素マスクを経て、その死には芸術院からの叙位叙勲、天皇陛下の祭粢料(さいしりょう)、総理大臣の弔電などの問い合わせが殺到した。川端康成に「この頃は銀座に遊びに行きますか」と問われ、勘定が払いきれないのでごぶさただと中村真一郎が答えると、川端康成は言下に言ったそうだ。「勘定なんて払うもんじゃないんですよ」

 新聞の追悼文とちがって雑誌の特集には、書き手に時間の余裕がある。だからおもしろいのだ。あらためて死者について考え、心に通りすぎていくことを思い返すなかで、おのずと自分と交錯する。その人にまつわる情景なり感情を整理しなくてはならない。死という厳粛な事実に対する礼節が必要だ。いびつな記憶は捨て、死者が秘めていたかくしごとには用心深く蓋(ふた)をして、いかにもその人を感じさせる言葉をさがし、またひとり記憶の訪問をくり返す。

 追悼記の進行に立ち会うなかで、四十年あまりをひとっとび。だが気がつくと昭和の文壇はもはや影もなく、あれほど世に知られていた人も、多くがすっかり忘れられた。現在が過去に、過去が大過去になって現在と結ばれ、ここでは生と死と並んで時の遠近が微妙なバランスをとっている。そんな本に仕立てた功をたたえつつ言うのだが、この表題は誤解を招くのではなかろうか。
    --「今週の本棚:池内紀・評 『追悼の文学史』=講談社文芸文庫・編」、『毎日新聞』2013年06月30日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130630ddm015070073000c.html:title]


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覚え書:「今週の本棚:川本三郎・評 『周五郎伝-虚空巡礼』=齋藤愼爾・著」、『毎日新聞』2013年06月30日(日)付。


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今週の本棚:川本三郎・評 『周五郎伝-虚空巡礼』=齋藤愼爾・著
毎日新聞 2013年06月30日 東京朝刊

 (白水社・3570円)

 ◇「苦労人の文学」が秘める豊かな慰藉の力

 純文学と大衆文学が画然とわかれていた時代があった。その時代は、文壇では川端康成、志賀直哉、谷崎潤一郎ら純文学の作家がはなやかな「正月作家」とすれば、大衆文学の山本周五郎は地味な「歳末作家」と低く見られていた。

 周五郎研究の第一人者、亡き木村久邇典(くにのり)はかつてそう言った。いまはもうそんな区分はない。いい文学かそうでないか。それだけだ。

 齋藤愼爾(しんじ)氏は俳人であり、すぐれた編集者であり、吉本隆明を敬愛する「六〇年安保世代」であり、どちらかと言えば純文学畑の批評家と思われていた。それが二〇〇九年に『ひばり伝 蒼穹流謫(そうきゅうるたく)』を出し世を驚かせた。そして今度は山本周五郎。

 やはり驚く。とはいえ年季が入っている。周五郎をはじめて読んだのは六〇年安保闘争後のいわゆる挫折の季節だったという。失恋も重なり人生最悪の時期に周五郎に出会い、「私は救われたのである」。

 周五郎は、映画評論家の佐藤忠男の言葉を借りれば「苦労人の文学」。それだけに敗れた者、苦しんでいる者を慰藉(いしゃ)する豊かな力がある。

 周五郎の有名な言葉がある。自分は「慶長五年」の何月何日に大阪城で何があったかより、その日、大阪の道修(どしょう)町の商家の丁稚(でっち)が、どんな悲しい思いをしていたかを書きたい。

 齋藤氏はこの「五年」に着目する。周五郎は「五年」に特別の意味をこめた筈だ。なぜなら「大正五年」こそ少年の周五郎が質屋に奉公した年だから。核心を衝(つ)いている。

 『樅(もみ)ノ木は残った』『青べか物語』、あるいは直木賞に推されながら辞退した『小説日本婦道記』などよく知られた作品もさることながら齋藤氏は初期の「小さいミケル」という少女小説にも目を配る。貧しい家の子供が池に落ちた小犬を助けようとして死んでしまう。梗概(こうがい)を読むだけでホロリとする。無名時代にすでに子供の悲しみを描いていた。

 厖大(ぼうだい)な資料を駆使した評伝で、周五郎は神奈川の名門、県立横浜第一中学に入学したのか、途中で退学せざるを得なかったのか、といった細部も詳述する。あるいは若き日の、質屋の娘へ抱いた淡い恋心。

 さらには、父親の葬儀の時、香典を全部持って行ってしまい親族の顰蹙(ひんしゅく)を買ったという奇矯(ききょう)なふるまいにも触れている。質屋に奉公に出した父親に対する怒りがあったのかもしれない。怒りは同時に悲しみでもあったろう。

 周五郎に対する厳しい目もある。とくに戦時中、一般には軍部に協力しなかったとされているが、はたしてそうかと疑義を呈するところなど考えさせる。

 評伝は伝記の部分と、作品論がうまく溶け合っていなければならない。作品論の圧巻は『柳橋物語』を論じた章。

 江戸の町娘おせんは、上方へ修業に出た庄吉と好き合い、その帰りをひたすら待つ。そのあいだに、もう一人の幼馴染(なじみ)幸太に想(おも)いを寄せられる。おせんは幸太を拒絶する。江戸の町が大火になった夜、その幸太がおせんを助けに来る。そして彼女を助けたあとに死んでゆく。自己犠牲の物語である。

 『柳橋物語』を「恋愛小説の傑作」と評価する齋藤氏の筆は熱く、最後にはこうまで書く。「私は『愛するものに拒絶されたら死なねばならぬ』と信じている節がある。そうした人間には、周五郎文学は大いなる慰藉として在る」。私的な思いがこもっている。

 『柳橋物語』は大火をクライマックスに置いているが、周五郎作品には天変地異が多いという指摘は3・11のあとには重要だろう。齋藤氏は思いを新たにして読んでいる。周五郎は幼少時に山津波で祖父母を失なっているだけではなく、質屋奉公時代には関東大震災に遭遇している。戦時中は癌(がん)に苦しむ最初の奥さんを背負って防空壕(ごう)に逃げたこともある。周五郎にとって作品とは悲しみの総和だった。

 長編小説のほか「おさん」「その木戸を通って」といった小品が好きだというのは渋い。ちなみに「おさん」は田坂具隆監督、「その木戸を通って」は市川崑監督によって映画化されている。

 齋藤氏はこれまで周五郎について書かれたいくたの本にきちんと目を通している。その博覧には驚嘆する。周五郎論集成の観がある。

 とりわけ亡き文芸評論家の奥野健男、児童文学者の上野瞭、歴史家の渡辺京二が何度も援用される。

 また佐藤忠男が高く評価されているのが注目される。佐藤氏こそ大衆文学が低く見られていた時代に名著『長谷川伸論』や『苦労人の文学』などで、純文学と大衆文学の垣根を取払った先駆者なのだから。齋藤氏は周五郎を論じながら先行する研究に敬意を払っている。

 氏の筆はとどまるところを知らない。若き日の周五郎が読んだ本にはイギリスの作家ゴールズワージーがあった。この作家の『フォーサイト家年代記』は美智子皇后の大学卒論のテーマである。こうした余談も楽しい。書き下ろしの力作。
    --「今週の本棚:川本三郎・評 『周五郎伝-虚空巡礼』=齋藤愼爾・著」、『毎日新聞』2013年06月30日(日)付。

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覚え書:「みんなの広場 沖縄修学旅行で学んだこと」、『毎日新聞』2013年06月30日(日)付。


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みんなの広場
沖縄修学旅行で学んだこと
小学生 11(東京都葛飾区)

 沖縄は太平洋戦争の時、アメリカ軍と地上戦が行われた場所だ。地上戦を体験された方からとても貴重なお話を聞き、戦争の怖さを痛感した。
 修学旅行で、沖縄に到着してから、最初に行った所は「ひめゆり平和祈念資料館」だ。ひめゆりの塔の「ひめゆり」の由来は、それぞれの学校の校友会誌の「乙姫」と「白百合」が合わさったもので、植物の花の名前とは関係ないことをはじめて知った。戦争中に戦っていた兵士たちの傷の様子は内臓が飛び出ていたりしたということを生存者の方から聞き、とてもおそろしくなった。また住民の方々が避難した「ガマ」では小さな子供が泣くとその近くにいる大人までアメリカ兵に殺されてしまうということで、いろいろな手口を使い、小さな子供たちを殺したと聞いて残酷だと思った。戦争はたくさんの人々を狂わせるとても恐ろしいものだと改めて感じた。
    --「みんなの広場 沖縄修学旅行で学んだこと」、『毎日新聞』2013年06月30日(日)付。

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覚え書:「高岡重蔵活版習作集 [著]高岡重蔵 [評者]内澤旬子」、『朝日新聞』2013年06月23日(日)付。

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高岡重蔵活版習作集 [著]高岡重蔵
[評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)  [掲載]2013年06月23日   [ジャンル]アート・ファッション・芸能 


■本場顔負けの欧文組み版の技

 ワインのラベルや古い洋書の文字が好きだ。強い主張はないのにきちんと美しい。パソコンで英文を打っても、あの雰囲気は決して出せない。
 きちんと設計された欧文活字書体を使い、伝統的なルールに従い、文字を組み合わせているからだと知ったのは、嘉瑞(かずい)工房という小さな印刷所を訪ねてからだ。
 鉛で鋳造された凸版活字をひとつずつ並べて版面を組む、活版印刷。現在では希少となったが、一昔前までは書籍も新聞も楽譜すらもこの印刷方式で刷られていた。なかでも欧文は、日本語より活字化の歴史が何倍も長く、文字数が少ないこともあり、数千もの活字書体が作り出されてきた。それぞれ製作経緯にまつわる用途があり、混ぜて使うときの相性もあるという。
 嘉瑞工房の相談役である高岡重蔵氏は、今年92歳。デザイナーではなく「一介の欧文組版工」として、レターヘッドやカレンダー、年賀状や小冊子など、沢山(たくさん)の欧文印刷物を、海外に出しても通用する品質で製作してきた。
 ルールや歴史が身についていない日本人が欧文を組んでも、大概の場合どこか野暮(やぼ)ったくなる。海外のレストランで日本語のメニューを見たときのちぐはぐした感じとまではいかないまでも、それと似たことが起きてしまうのだ。
 この本に収められた「習作」たちは、ドイツの書体デザイナー、ヘルマン・ツァップも唸(うな)らせたという、「本場顔負け」の組み版技が光る印刷物ばかり。特に連作は欧文書体と組み版の歴史をたどれるようになっていて、何度見ても見飽きない。著者はどれだけの努力を払ってこれらの知識と技術を身につけたのか。
 巻末の解説から、活字書体の簡単な用途や歴史も学べるけれども、なによりまず著者が窮めた欧文組み版の技を虚心坦懐(きょしんたんかい)に眺めてほしい。美しさを知る人がひとりでも増えて、この技が次世代にも必要とされるよう、切に願う。
    ◇
 烏有(うゆう)書林・3990円/たかおか・じゅうぞう 21年生まれ。欧文組み版工。著書に『欧文活字(新装版)』など。
    --「高岡重蔵活版習作集 [著]高岡重蔵 [評者]内澤旬子」、『朝日新聞』2013年06月23日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013062400003.html:title]


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高岡重蔵活版習作集―My Study of Letterpress Typography
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覚え書:「なぜ人間は泳ぐのか?―水泳をめぐる歴史、現在、未来 [著]リン・シェール [評者]荒俣宏」、『朝日新聞』2013年06月23日(日)付。

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なぜ人間は泳ぐのか?―水泳をめぐる歴史、現在、未来 [著]リン・シェール
[評者]荒俣宏(作家)  [掲載]2013年06月23日   [ジャンル]歴史 


■水と人間の驚くべき雑学百科

 著者はごくふつうの女性スイマー。70歳を前にしてヨーロッパとアジアをつなぐヘレスポントス海峡6・5キロの横断泳に挑んだ。その訓練の間に聞き知った「水泳と人間の歴史」や、水泳に関する驚くべき雑学が、本書を完璧な水泳百科に仕立てた。都会の黒人女性が水泳をしない理由の一つに、苦労して伸ばした縮れ髪を濡(ぬ)らしたくない思いがあること、水着の試着に抵抗がある女性の気持ちなど、水が苦手なカナヅチ組の本音まで探っている。
 まずはご多分に漏れず、水泳の起源にかかわる恋愛神話がある。大昔レアンドロスという若者がヘレスポントス海峡の対岸に住むヘロという巫女(みこ)に恋をした。彼は毎夜海峡を泳ぎ渡って彼女と密会するようになる。しかし嵐の夜に若者は溺死(できし)し、悲しんだヘロも塔から海に身を投げたという。西洋ではこの海峡を泳ぎ渡ることが英雄の勲章となったが、中世以後水に入ることが禁忌とされ水泳の習慣も消滅した。だが、水泳をギリシア文明の遺産と崇拝する詩人バイロンが1810年、横断泳に成功し、詩才よりもこの偉業を誇りとしたことなどで、水泳愛は復活する。
 西洋の泳法は古代から平泳ぎ一辺倒であったが、19世紀半ばにアメリカ先住民からまったく異質な泳法がもたらされ、水面を這(は)うように泳ぐので「這う(クロール)」と名がついた。船舶事故などで溺死者が多かったのと、海水浴が健康にいいと言われだした時期とも重なって、水泳は瞬く間にひろがった。アメリカの歴代大統領が素っ裸で水泳を楽しんだ逸話も興味ぶかい。一方、女性は「陸上よりもっと大げさな衣裳(いしょう)」で体を覆うことを条件に水泳が許されていたが、アネット・ケラーマンが勇敢にもレオタードだけの姿で登場した結果、泳ぎやすい水着が女権拡張のシンボルともなったという。では、水泳百科を書き上げた著者は海峡横断に成功したのか?
    ◇
 高月園子訳、太田出版・2520円/Lynn Sherr ニューヨーク在住の放送ジャーナリスト・作家
    --「なぜ人間は泳ぐのか?―水泳をめぐる歴史、現在、未来 [著]リン・シェール [評者]荒俣宏」、『朝日新聞』2013年06月23日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013062400002.html:title]

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書評:宜野座菜央見『モダン・ライフと戦争 スクリーンのなかの女性たち』吉川弘文館、2013年。


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 日本映画は、「銃後」と呼ばれながらも中途半端なまま統制が緩やかに進行した一九三八、九年の社会にしたたかに対応した。何よりもスクリーンのモダン・ライフは、国民生活を戦前に変わらぬ豊かさのイメージによって描き、実際に戦争がもたらしたダメージを観客がまともとに直視することを妨げることで戦争を支援したのである。
 スクリーンのモダン・ライフは、資本主義社会のビジョンを持たずに繁栄に憧れる人々が放つ活力の輝きと危うさを同時に伝える。果たして、彼らを見詰めた観客たち自身とどれほど違っていたのだろうか。このように感じる時、私たちの歴史的想像力は触発されてやまない。
    --宜野座菜央見『モダン・ライフと戦争 スクリーンのなかの女性たち』吉川弘文館、2013年、220頁。

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宜野座菜央見『モダン・ライフと戦争 スクリーンのなかの女性たち』吉川弘文館、読了。ファシズムが台頭した「非常時」、映画は戦争一色になるどころかモダン・ライフを描き続けた。本書は、30年代の日本映画を女優に着目して論じた一冊。女性の美と資本主義、戦争と平和の関係を大体に描き出す。


ファシズムが台頭した「非常時」、映画は戦争一色になるどころかモダンライフを描き続けた。本書は30年代の日本映画を女優に着目して論じる異色作。女性の美と資本主義、戦争と平和の関係を描き出す。

黎明期の映画産業は資本主義の肯定と無縁ではない。大衆の欲望に応えることで発展し、戦時期の作品もモダンライフを描き続けた。栗島すみ子から田中絹代、原節子に至る作品群の女性表象を分析することでその共犯関係を詳述する。

勿論、戦争末期になるとモダン・ガールは批判の対象となる。転変する女性表象は資本主義と戦争に翻弄されるスターの影を映し出す。この時代を単純な構造(例えば、軍部/無辜の民)で認識しがちだが、本書はその襞と闇に切り込んでいく労作だ。

 

[http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b107578.html:title]

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覚え書:「歴史哲学への招待―生命パラダイムから考える [著]小林道憲 [評者]田中優子」、『朝日新聞』2013年06月23日(日)付。


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歴史哲学への招待―生命パラダイムから考える [著]小林道憲
[評者]田中優子(法政大学教授・近世比較文化)  [掲載]2013年06月23日   [ジャンル]科学・生物 

■科学との共通性が見えてくる

 「歴史的事実」という言葉がある。歴史教科書に記述されていることは、あたかも事実のように私たちは思っている。しかし一方、歴史が物語であることも承知している。ではいったいどのようにして私たちは「事実」をその中から発見したり、出来事の歴史を記述すればよいのだろうか?
 本書は、「出来事と出来事は独立したものではなく、縦横に影響し合い、連動しながら」激変するものであり、「おのずと自己自身を形成していく自己組織系」であるという。その、因果関係に収斂(しゅうれん)させようとしない複雑系の歴史イメージが面白い。この歴史観のなかでは偶然も大きな要因となる。そこから、可能性の「分岐」も考えねばならなくなる。つまり歴史を貫く普遍的な法則はなく決定論もない、となる。歴史の非決定性、予測不可能性、一回性、不可逆性、偶然性の主張が過激だ。量子力学の不確定性原理等の説明を用いながら、その不確定性によって歴史学と科学の共通性が見えてくる。
    ◇
 ミネルヴァ書房・3150円
    --「歴史哲学への招待―生命パラダイムから考える [著]小林道憲 [評者]田中優子」、『朝日新聞』2013年06月23日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013062300008.html:title]


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覚え書:「沖縄ワジワジー通信 [著]金平茂紀」、『朝日新聞』2013年06月23日(日)付。


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沖縄ワジワジー通信 [著]金平茂紀
[掲載]2013年06月23日   [ジャンル]人文 


 「報道特集」のキャスターが沖縄タイムスで2008-12年に連載していた時事エッセー。〈沖縄を論じることは日本の姿を論じること〉といい、普天間基地移転問題や沖縄の核兵器をめぐる日米密約について率直につづる。タイトルは、沖縄をめぐる情勢にイライラ、ムラムラするのをどう伝えたらいいのかと思っていたら現地の友人から「ワジワジーしてるねえ」といわれたことから。この国が弱い立場のところに都合の悪いものを押しつけ続ける態度を一貫して批判するが、沖縄のライター知念ウシさんから、「植民地」と「差別」というキーワードで激しく突き詰められ、「あなたの所に基地を持って帰ってください」といわれる巻末対談に引き込まれる。
    ◇
 七つ森書館・1890円
    --「沖縄ワジワジー通信 [著]金平茂紀」、『朝日新聞』2013年06月23日(日)付。

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