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病院日記(5) 世間様に無言に「荷担」し、無言で「遠慮」すること


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少しtwに連投した殴り言で、かつ、内容が錯綜はしているのですが、記録として残しておきます。そのうち、議論を整理して幾つかに分けて掲載し直そうとは思いますが(汗


さて……。

帰宅った。今季最大の猛暑にてかなりへろへろ。看護助手は屋内業務なのに仕事がおわったら、塩ふいていた。つまり汗だくったという話。夕方に一度帰宅して汗を流してから次の仕事。なんか長い一日だった。

土日は清掃業者が休みなので、基本的に環境整備が主たる業務になるんだけど、病室の掃除をしていると、入院されている方やその家族の方に話しかけられることが多い。今日は、最近入院された方のご家族とやりとりをしたというか、話しかけられると応答せずを得ないのでしましたが考えることが多かった。

その方は、知的障害の方で、今回は神経内科関係の診察で入院されてのですが、その方が布団を蹴飛ばして寝ることを心配してお母さんが、ポンチョ型に毛布を縫い合わせて持参したのですが、使ってよいのかどうかということ。担当につないで確認して大丈夫は大丈夫でした。

しかし、そのお母さんが、規定の備品ではないものを使うとはいえ、恐縮に応対されることに、こちらの方が申し訳ないと感じると共に、そうした人々や家族の方々は、言葉は俗なのですが、「世間様に遠慮」して生きていかなければならないんだなあということを感じて、凡庸だけど、少し辛かった。

おまえ、どこまでウブなんやw とか、おまえ、ほんと、どこまで世間知らずの田舎の坊っちゃんかwww なんて指摘されても、現実に目の当たりにするとショックだった訳だから、はい、そうです、としか答えられないし、遠慮させている世間様に私自身が荷担していることはやっぱり辛かった。

五体満足とは一体、何なんでしょうねぇ。しかし、私自身を振り返ってみても、子どもを授かった時、はっきりいってこれも情けない話だけど、天より授かった我が子が「五体満足」であることに「安堵」して「感謝」したのは事実だ。


おそらく誰もがそう願うだろうけれども、それは裏を返すと、「五体満足」でないと、「生きていくことが難しい」世間であるからなんだろうと思う。だから「安堵」するひとがいて、「遠慮」するひとがいる。そしてこれは身体的障碍の問題に限定される話題ではなくして、見えない形で様々に遍在している。

母が我が子を無心に案ずる発露は否定するつもりはない。しかし、私たちの生きている社会には、我が子ゆえに案ずるのではなくして、その社会の邪魔物だからというおびえに案ずるというそれが落とし込まれた懸念というのが実際にあるのだと思う。

知らず知らずに、何かに荷担していくということ。そして、その無言の荷担の連鎖が、遠慮しないのであるとすれば「生きる」ことすら抹消しようとする構造。汗をだらだら流しながら、そんなことがよぎりました。だから、ほんと、お前、どこまでウブなんだだし、僕は糞野郎だと思います。


努力や訓練によってどうしようもできないことって色々とあると思う。しかし、そういうのも、たぶん、負担としては……このへんは僕も細かいところは知らないのだけど……基本的に自己責任というのがおそらく私たちの社会なんだろうと思う。一体、どこまで背負えばいいのだろうか。

聖域なき構造改革と規制緩和は、自由競争で公正が実現!というフレーズとは裏腹に、1%に冨が集中し、拡散することはなかった。加えてパブリックに遠慮する精神風土が、ますます人々を追いやっているように感じるし、結局は、銭のない人間は、まともな処置をうけることも不十分な環境になりつつある。

ネーション=ステートは、忠誠を建前に保証を準備する枠組み。しかし実際のところ、ハンセン病の隔離・断種に見られるように、当該コミュニティにとって「有用」と見なされない存在を包摂するどころか排除した。「生きていて申し訳ありません」と自白を強要されることほどツライ話はない。

たとえば、「共に」生きるということは、(極端な喩えですが)政府の発注をうけた電通の連呼する(包摂を割愛した排除が目的とされる)「絆」というのではなくして、まずは、自分自身の認識がどうであるのか確認し、そして、どのように手を取り合っていくのかという手順を踏まないとやばいのではないか。

例えば、環境をバリアフリー化すれば「それでよし」でも、加えて「いやいや、心のバリアフリー化も必要ですよ」っていう「言葉」で済ませるで解決できるという話でもないというか。もちろん、環境や意識の変革も必要であることは言うまでもないけど、何か言葉から洩れていくものがある。

「掬いとろう」などとは思わないけど、単純に現実を認識して……という時点ですでに現実から遠ざかるのだけど……済ませるののでもなくして、これをやれば「OK」っていうのでもないようにしたい。もちろん、それは認識を一新しつつ取り組みしつつという話だけどね。


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