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書評:瀧口夕美『民族衣装を着なかったアイヌ』編集グループSURE、2013年。


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瀧口夕美『民族衣装を着なかったアイヌ』編集グループSURE、読了。本書は、1971年生まれのアイヌの女性が、戸惑いながらも、母親をはじめアイヌの人たちに過去を尋ねて歩く記録だ。「今はもう日本人なんでしょう?」から始まる旅は、(善意はあっても)差異と同化の単純な認識を激しく撃つ。

かつての土人法は遠い過去の話といってよい。筆者は伝統的な暮らしではなく土産物屋で育ったが、抑圧を感じないないでは居られなかった。生きるとは、差異を博物館に展示することと同義ではない。しかしそれだけでもない。

土地や習慣が奪われ同化から承認へ。しかし、抑圧を跳ね返すことも「外向けの語り」にすらなりかねないのも事実である(私がいうはなしではないし、失礼だが続ける)。免罪は不要だが、人は重層的に生きている。

筆者の旅は、一元化できない重層的アイデンティティーを過去から拾い出す。「そういう多重性のもとで、個人の歴史というのは紡がれているのではないか」。筆者の歴史と言葉の記録は、アイヌや彼女だけの記録ではない。

私たちは押しつけられた均質を、相互監視で度合いを強め、「自分が何者であるか」ということを規定しないで生きてきた。しかしそうではない。単純な反抗でも馴化でもなく軛をどのように自覚していくのか。本書の出会いに耳を傾けたい。

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 --ちょうどこの話をしているのでお聞きします。現在、偏狭主義(パロキアリズム)を思わせるムードが爆発的に広がっていますか。イラク戦争後数ヵ月たって、大学ではどうですか。

 合衆国のことですか。大学ではそれほどでもないです。でもだれもわれわれには耳を貸しませんから。イラク戦争の後だけではありません。9・11以降、アメリカの愛国心は信じられないほどです。ところでご存知でしょうか。新聞で読んだのですが、私は愛国心のない奴(アンパトリオティック)なんだそうです。そのとおり。私には愛国心がありません。でもそれは、ジョンソン博士の定義を借りてのうえです--愛国心とは「悪党の最後の逃げ場」なのです。私の考えでは、「アンパトリオティック」は「オデシュプレミク」(自分の国(カントリー)を愛さない人物)と同じではありません。なぜなら、「パトリオティズム」は「ピトゥリブミボド」(父祖の土地)のような意味だからです。「父(パトリア)」に「主義(イズム)」がついた言葉なのです。となるとそれは、「デシュプレム」(自分の国(カントリー)にたいする愛)とはまったく違います。プレムというものはどんなものであれ、不合理なものです。さきほど法と正義について言ったのも同じことです。プレムはまさにあまのじゃくです--プレムは関心の葛藤、愛とは関心の葛藤なのです。政策の基礎に愛を置くことはできません。「デシュプレム」は「パトリオティズム」ではありません。
 思うに、合衆国でいま起きていることについて言えば、あのような想像力の死が見られるのははずかしいことです。想像力とは、他たる人たちに到達することができるものなのです。そう、マーティン・ルーサー・キングの名演説にあるように。一九六七年、リヴァーサイド教会でなされた「ヴェトナムを越えて」という演説で、キングは「私の敵と目されている人の人間性を想像することが必要だ」と言いました。もちろんそのとき、彼はキリスト教徒として語りました。私は敵を愛して敵のために死んだ人の名を借りて語ります。私はキリスト教徒ではないし、宗教的でもありませんが、キングの言葉の単独性の語り、証明不可能な語りとして解釈することはできます。そして私は、この演説から自爆行為などへ話をつなげ、その結果ポリー賞をもらいました。
 マケドニア人にはこう言いました。「愛国心は大変結構です。でもご存知でしょうか。ジョージ・W・ブッシュがあなたの政府を脅して、国際刑事裁判所への加盟を反故にするような文章〔合衆国との二国間協定。合衆国市民を国際刑事裁判所で訴追させないという内容〕に署名させたことを。ブッシュは「署名すれば共和国として認めましょう」と言ったのです。ですから、愛国心を脇に置き、それがいかに自分の弱みとなっているか考えてみてください」。ハワイの土着主義者にも同じことを言いました。「ええ、わかっていますよ。私は植民地に生まれました。あなた方ハワイの先住民が、自分の国家--真珠湾もあそこにある--での少数民族になっているという状況が、私にはよくわかります。ですからあなた方は、よくある根っからの土着主義者にはなってはいけません。自分が合衆国の一部である事実を使い、合衆国を粉砕しうる内側の批判勢力となってください。アメリカ人でありつづけ、土着主義者になってはいけません」、こういうふうにして私は、愛国心がいかに破壊的かを訴えます。愛国心(パトリオティズム)はデシュプレムとはまったく違うのです。

 --賛成ですね。最後の質問です。あなたはかならずしもインタヴューが好きではありません。インタヴューとは、いわば不意打ちで学ぶ方法であると、おっしゃることもあります。さて、この対談の最後に突飛な質問をさせてください。インタヴューとは、学術誌に掲載されるようなものではなく、みなの前で行うようなやりとりのようなものだ、複数の言語を行ったり来たりし、過去を回想できるようなものだと仮定してみてください--もしそうならば、一九六一年以来、このコルカタという都市では、コスモポリタンな感受性をある面で維持できていると思いますか。コスモポリタンな感受性のために、あなたはこの都市で居心地よく感じ、じっさい、この都市の知識人の生活--私はここに関わっており、ここで教えているからお聞きするのですが--が進んでいく道を楽観視できますか。それとも、あなたが一九六〇年代の初頭にインドを出たときから、コルカタはあまり変わっていないと思いますか。

 あなた方は私よりももっとコスモポリタンだと思います。ふざけて言っているのではありません。思うに、コスモポリタンという考えは、私の知的な趣味に合わないようです。でもこれにたいしてもまた、道徳的な立場は取りません。私という人間は……

 --でも偏狭主義にたいしては、道徳的な立場があるはずでしょう。

 偏狭主義ね。でも私が見付けた対処の仕方は--これはけっして、みなには勧めません--コスモポリタンになるのではなく、多くの家を見付つけるというものです。ある場所に入って、その場所に属するようになるわけです。ばかげた話があるんです。私は外国で道を聞かれるんです。ちょうど着いたばかりで、言語もわからないし、サリーを着ているのに。なぜでしょうか。私のなにかが、そこに住んでいることを示すに違いありません。私はそのことをとてもありがたく思います。いらいらするときもあります。なぜって、ジェスチャーを使って、なにもわからないと伝えなければなりませんから。それでも、それが私のやり方です。多くの家を見つけ、空気に根っこを下ろすというのが。コスモポリタンになるのではなくね。
 私に言わせれば、こんにち、このばらばらに分けられた世界でこういった状況におかれていれば、コスモポリタンな人物はいわば他とは違って見えます。私は道徳的な判断を下してはいませんが、自分は簡単にコスモポリタンにはならないと思うし、したがってコスモポリタンであることには躊躇を覚えます。あなた方のなかで私を外国で見かけた人がいたらわかるでしょう。ほんとうのコスモポリタンがするような会話が、私は上手にできないのです。いつも少し遅れているのです。そして心底思うのが、コルカタでは、一般的なエリートの知識人は、私よりもコスモポリタンです。

 --サリーを着ているのに道を聞かれるのは、ちょっとわかりませんね。人はすべからく間違った人物に道を聞いてしまうものです。

 私に道がわかることもありますよ。じっさい、ここに大学時代からの知人がいるかどうかわかりませんが、A・G・ストック先生のことを覚えていれば--先生と会ったのはインドを出てかなりたってからで、多分一九七五年ですね--いつ無くなったかは存じませんが、ちょうど先生が亡くなる前のこと--ラッセル・スクエアかどこかでのことです。一〇年ぶりにストック先生と会って、私と会うなり先生は「ガヤトリ、ガウアー通りってどこかしら?」。まさにこうなんです。「まあ、奇遇ね。なにをしているの」とかじゃないんです。先生にガウアー通りを教えてさしあげましたよ。だからときには、私も道がわかるんです。

 --ガヤトリさん(ディ)、もう時間がきたようです。素晴らしいお話をありがとうございました。

 こちらこそ、ありがとうございます。着てくださってありがとうございました。
    --ガヤトリ・スピヴァク(大池真知子訳)「家」、『スピヴァク みずからを語る 家・サバルタン・知識人』岩波書店、2008年、58-63頁。

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