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書評:月村太郎『民族紛争』岩波新書、2013年。

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 ここに、フランスの思想家、エルネスト・ルナンの有名な文章がある。
 「国民とは、したがって、人々が過去においてなし、今後もなおなす用意のある犠牲の感情によって構成された大いなる連帯心なのです。それは過去を前提はします。だがそれは、一つの確かな事実によって現在のうちに要約されるものです。それは明確に表明された共同生活を続行しようとする合意であり、欲望です。個人の存在が生命の絶えざる肯定であると同じく、国民の存在は(この隠喩をお許しください)日々の人民投票[un ple’biscite de tous les jours]なのです」(ルナンほか『国民とは何か』六二頁)。
 当たり前のことだが、民族紛争を再発させない為には、民族的アイデンティティを超えた他民族的な国民的アイデンティティ、そしてそれに基づく国民意識の涵養と維持が為されなくてはならない。本書で指摘したように、民族紛争を発生させる構造、政治、経済、社会的な要因はある。しかしそれらに対処するだけでは十分ではない。エリート、民衆が一緒になって他民族的な国民的アイデンティティを内面化、更には社会化させることに向けて日々努力し続けること、これが一見迂遠であるが、民族紛争の再発を防ぐ最善の道なのだろう。
    --月村太郎『民族紛争』岩波新書、2013年、226頁。

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月村太郎『民族紛争』岩波新書、読了。頻発する民族紛争はどう発生し激化するのか。本書は序章で民族と国民の概念を整理した上で、スリランカ、クロアチアとボスニア、ルワンダ、ナゴルノ・カラバフ、キプロス、コソヴォの6つの事例を取り上げその経緯と軍事介入、ジェノサイドの実態を考察する。

後半は民族を紛争を理解する為に、発生のメカニズム、連邦制から多極共存性にまでの予防法、激化のメカニズムと民族紛争「後」の再建を取り上げ詳論する。「移行期正義」を無視することはできない(例えば紛争中の不義を不問に付す)との著者の観察には留意したい。

多民族共存社会がいかなる体制を採用しようとも中長期的には国民国家の規範を全否定することはできない。とすれば、国民形成という近代国際・国内政治におけるパラダイムに改め向き合わざるを得なくなる。著者が最後にルナンの『国民とは何か』を引用するのが印象的

「民族紛争を再発させない為には、民族アイデンティティを超えた多民族的な国民アイデンティティ、そしてそれに基づく国民意識の涵養と維持が為されなくてはならない」。そしてそれはエリート、民衆が一緒になって内面化・社会化し続ける日々の努力が必要となる。

月村太郎『民族紛争』岩波新書。民族と国家の意識が混同され、ステートに都合よく動員されるのが近代。日本ほど強引にすり替えてきた国家は存在しないし、近年悪化の一途。国家の解体を夢想するだけでなく、国民概念・国民意識の換骨奪胎による共生も現実的には視野にいれるべき。

殆どの場合、科学的・歴史的な根拠が全くないにも拘わらず、近代以降の線引きが序列化によってその差異が対立的な概念として光を浴びて、衝突を加速させている。まあ、「ウチとソトの論理」(佐々木俊尚)。その解放としての脱・植民地が裏腹な結果にもなっている。

例えば、インドは英国の植民地支配を脱して、“建前”としては民主主義の制度のもとに、植民地支配と前時代的ありかたから脱却されたということになっている。しかし、その内実は、拍手できるものでもない。この辺りはアルンダディ・ロイが指摘するところか。※勿論、民主主義否定ではないけど。

ウチを潤沢するためにソトを利用するというのが近代社会の基本的構造なんだけど、それを脱却するために、同じ構造が動員されていく。だとすれば、その概念認識自体を一新していくなかで、変えていかないと、まさに仲間か敵かの二元論で、形を変えて悲劇の招来が必然になるという。

月村太郎『民族紛争』岩波新書では、スリランカが民族紛争の事例として紹介されるけれど、この辺りは、梅原猛式の「仏教は平和の宗教、一神教は暴力の宗教」という認識を改めるうえでは認知しておくべき課題だとは思っている。どの宗教にも限らず、平和を希求する人間もいればそうではない場合もある。

「仏教は平和の宗教、一神教は暴力の宗教」みたいな単純化した立場の認識こそ問題なのだと思う(勿論、それはそれぞれの歴史的負荷をスルーするという意味ではないのはいうまでもなく)。重層的なアイデンティティに絡め取られた人間をどのように眼差していくのかが課題になると思うのよね。

たぶん、大切なことは、一つ一つの問題をスルーすることでもないし、特定の作業仮設的な枠組みから一つに収まりきらない対象を限定していくことなんだろうと思う。その両者は両極端にあるように見えながら、実はひとつもののうらとおもてなんだと思う。人間観の更新を絶えず意識的に試みるしかない。

まあ、僕自体は立ち位置として、仏教よりもキリスト教の批判精神に軸足をおいているのはいうまでもないけど、この間、(もちろん限界はあるけれども)「キリスト教には、反省できる体質がある」って話をしたら、佛教者から「失笑」されましたけど、その「失笑」こそやばいよなあとは思った。

いうまでもない話だけど、キリスト教が素晴らしく仏教がダメだという話ではないんだけど、とくに日本における仏教の歴史と動態を考えるならば、それは問題があったとしてもスルーして反省してこなかった経緯の方が多いから、それを批判的に照射するという意義で…黒船というと違うけど…軸足を置いてる。

勿論、体制内補完勢力と化しているのは仏教だけに限定される問題ではないけど、対抗意識みたいなもんが先になって、本当に取り組まなければならないことを置き去りにしたまま、他者批判にシノギをけずることほど、不毛なことはないよね。


 


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