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日記:山形孝夫『黒い海の記憶 いま、死者の語りを聞くこと』岩波書店、2013年、ファーストインプレッション。


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 私たちは、3・11の大震災まで、近代日本の合理的で安全な国民国家に住んでいると思っていた。そこでは、生活のあらゆる領域に合理性と安全性がゆきわたり、それが政治・経済のシステムを法的に支え、政教分離や福祉・教育行政の専門技術化とあいまって、市場の透明性を支えている。そのかぎり、過去における不合理な政治神話とシステムは一切排除され、「国民」の等質性と「国家」の透明性が保障された安全で、平和な国土に暮らしている、と思っていた。
 3・11の黒い海がその真相を暴露した。近代国家は「国益」の名のもとに、「国民」を教育し、動員し、それに反対する者を排除し、抑圧する装置として機能していた。近代資本主義は、市場の自由化と透明性を旗印に、激烈な競争によって富の分配の不公平を隠蔽し、正当化してきた。その矛盾がバブル崩壊以降、経済的格差として現れた。この格差を、国家はこれも市場の透明性を理由に、正規職員と非正規職員に区分し、逆に支配の道具として使用してきた。要するにシステムの矛盾を犠牲者の自己犠牲に転嫁することによって、日本国家はシステムの強化と権力の正当性を維持し続けてきたのである。
 原発安全神話が新興宗教の呪術的救済神話と似ているのは、決して偶然ではない。それは、近代的な進歩史観や技術優先の効率主義のシステムの中で精巧かつ巧妙に構築された聖なる物語であり、貧困からの解放を告知する救済のシナリオであったのだ。安全神話が近代国家の象徴的な物語であるのは、その背後に、自作自演の「犠牲」の寓話を隠し持っているからである。
 「犠牲」とは、本来「供犠」に通じる宗教人類学の用語であるが、もともとは神の祭壇に捧げる「生贄」を指す。個人もしくは共同体が、自らの所有物を犠牲にしたり、場合によっては自己自身を犠牲として祭壇に捧げ、そのことによって神の保護を獲得しようとする呪術的行為である。ここで問題なのは、神聖化されるのは単なる犠牲者だけでなく、犠牲を要求する主体も、ともに神格化され正当化されるという点にある。
    --山形孝夫『黒い海の記憶 いま、死者の語りを聞くこと』岩波書店、2013年、71-72頁。

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山形孝夫先生の近著『黒い海の記憶』(岩波書店)を読んだ。いずれ項を改めて紹介したいと思うのですが、本書の肝は「新しい霊性」の到来を告げるところにある。しかしその「新しい霊性」の到来を告げるとは、こと宗教そのものに排他的に限定された話題ではなく、すべてのことがらと深く密接に関わっていることを明記すべきなのだろう。

これは、恐ろしい本だ。今年読んだもので一番の衝撃といってよい。


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黒い海の記憶――いま、死者の語りを聞くこと
山形 孝夫
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