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覚え書:「今週の本棚:堀江敏幸・評 『棕櫚の葉を風にそよがせよ 野呂邦暢小説集成1』=野呂邦暢・著」、『毎日新聞』2013年08月18日(日)付。


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今週の本棚:堀江敏幸・評 『棕櫚の葉を風にそよがせよ 野呂邦暢小説集成1』=野呂邦暢・著

毎日新聞 2013年08月18日 東京朝刊

 (文遊社・2940円)
 ◇何を失い、何を乗り越えたら今があるのか

 心の内の濁りに眼(め)を凝らし、聞こえない音に耳を傾け、それらを言葉の世界に映し出しつつ、文字の林間に響きわたらせる。これだけのことなら、年齢や経歴に関係なく物書きのだれもが通過するありふれた道筋だろう。しかしそのほの暗く湿った道の先にひろがる土地の匂いや高低差まで正確に把握し、澄んだ空気の流れを掴(つか)むことができる者は数えるほどしかいない。野呂邦暢はその希少な才能に恵まれた書き手のひとりだった。

 一九三七年、長崎に生まれ、諫早に暮らした野呂邦暢は、三十七歳のとき『草のつるぎ』で芥川賞を受賞してからわずか六年ほどのあいだに密度の濃い仕事を残して、一九八〇年、四十二歳で急逝した。本書は全八巻の刊行が予定されている『野呂邦暢小説集成』の第一巻で、単行本未収録の二篇をふくむ十一作で構成されている。

 敗戦の年の春、父親の応召を機に、野呂邦暢は母親の実家がある諫早市に疎開した。これが何を意味するかは言うまでもないだろう。数ケ月後、原爆によって郷里は壊滅し、一家はそのまま諫早に住み続けることになるのだが、一九五七年、今度はその諫早が大水害に見舞われ、少年時代を過ごした緑豊かな町の相貌は一変してしまう。

 大学受験に失敗し、しばらく京都で暮らしていた彼を諫早に呼び戻したのは、父親の病だった。さまざまな職について自活の道を探り、半年ほどではあれ東京でアルバイト生活を送ったこともあるという。そして、ふたたび諫早に帰ると、佐世保自衛隊に入隊した。先の大水害はこの入隊中に起き、一年後に除隊して彼が目にしたのは、もはやおなじ郷里ではなかった。原爆と水害。二度にわたって拠(よ)り所をなくした偶然と自衛隊での演習体験は、初期作品のみならず、『草のつるぎ』を軸のひとつとする虚構の世界、「河口と海が接する原初的な空間」や清と濁のまじわる谷間の捉え方に、大きな影響を与えている。

 表題作「棕櫚(しゅろ)の葉を風にそよがせよ」の主人公浩一は、東京での生活に疲れてアルコール中毒になり、地元の病院に入院していたとき同室になった建築資材会社社長の世話で、この会社の配達運転手を務めるようになる。都会での鬱屈をいまだ消化しきれずにいるもやもやした感覚が、旱魃(かんばつ)つづきで給水制限の出された郷里の乾き切った大気に重ね合わされる一方で、現在の境遇を振り返る浩一には、それを打ち消すような青春の湿気もまとわりついている。

「蠱惑(こわく)的なまでに暗い緑の葉身がぶつかりあう音に包まれていると、浩一の内部でも荒々しく裂けるものがあり、それは今、空中に漲(みなぎ)っている棕櫚の葉の乾いた軋(きし)りに和すようになる。深く割れた硬質の葉片が無数の鞘(さや)をかき鳴らす音さながら風にさからう響きは楠(くす)の葉がそよぐ気配と比べて全く異質のものだ。風がしばらく勢いを衰えさせた。彼もそれに合せて息をついた。やがてまた風が起り木々をゆすぶり始めると彼も目に見えない棕櫚の葉の強くかち合う響きに聴きいっている。」

 戦記物の愛好家で内外問わず資料を収集し読書にふける社長や、十歳ほど年上の女性画家との関係が、具象と抽象の微妙な均衡のうえに立つ文体でつづられる。右の引用の、地方都市を舞台にした、この「そよぎ」「ゆすぶられる」行間の波とタイトルに組み入れられた棕櫚という言葉から、フォークナーを連想するのはたやすい。しかし野呂邦暢の呼吸は、言葉の枝葉を無際限に伸ばしていくより、むしろ高台から全体像を見きわめ、余計な部分を裁ち切る方向でさらに生かされる。荒々しい幻聴は、この殺(そ)ぎ落としのある瞬間、青春の終わりを告げる空砲となって、主人公の胸に途切れることのない谷間の道から冷えた空気を呼び込む。しかも、枝葉を落とした向こう側に見えてくるのは、乗り越えるべき自らの分身なのだ。

 表題作ばかりではない。大連出身で、いつまでも遠い大陸の生地の思い出から逃れられない男を描く「或(あ)る男の故郷」でも、ひょんなことから知人の留守宅でともに寝泊まりすることになったベトナム帰還兵との奇妙な交わりを活写する「ロバート」でも、戦後の混乱期に混ぜ物のはいった闇米を飲み屋に持ち込んで換金するよう父親に命じられた兄弟の溝を弟に寄り添いながら捉える「白桃」でも、語り手はいつも、別の方向から同じ場所を目指して降りてくる過去の自分の影を探し、打ち消すために、いわば日々の索敵を行っている。

 何を失い、何を乗り越えたらいまがあるのかを、彼らは五感を全開にして追い求める。「ハンター」では野犬の群のボスが、「世界の終り」では核戦争勃発後の島で遭遇した遭難者が、いずれも《そいつ》と呼ばれて標的にされる。狙われているのはもちろん語り手自身だ。いちばん大切な的をピンポイントで狙いながら、最後の最後で銃口を空に向けて、「心のどこかにあるうつろな部分」を射貫(いぬ)く勇気が、全篇を支えている。続刊が待たれる。
    --「今週の本棚:堀江敏幸・評 『棕櫚の葉を風にそよがせよ 野呂邦暢小説集成1』=野呂邦暢・著」、『毎日新聞』2013年08月18日(日)付。

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