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覚え書:「今週の本棚:松原隆一郎・評 『大いなる探求 上・下』=シルヴィア・ナサー著」、『毎日新聞』2013年08月18日(日)付。


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今週の本棚:松原隆一郎・評 『大いなる探求 上・下』=シルヴィア・ナサー著

毎日新聞 2013年08月18日 東京朝刊


 (新潮社・各2310円)
 ◇歴史を見つめた経済学者たちの息づかい

 数学者・経済学者のJ・ナッシュを描いた大ヒット映画『ビューティフル・マインド』の原作者による経済思想史の書。上下2巻から成る大著だが、語りのうまさはさすがで、一気に通読させられてしまう。

 本書は資本主義と経済政策の関係に絞って経済思想の展開を語っている。金融政策論争が選挙の論点となる昨今だけに、タイムリーではある。論争の起源は、どこにあるのか。

 近代初期の経済学は、市場経済における法則を見出(みいだ)し、中世における神の与えた秩序と同様に、運命として受け入れようとした。利潤率は長期的に低下して資本主義は停滞する(リカード)か亡(ほろ)びるか(マルクス)といった議論である。

 しかし経済学は、次第にその運命を「制御可能なもの」とみなすようになる。口火を切ったのはマーシャルで、企業家が競争を通じて生産性を高めるのが資本主義だとして、企業家精神の確立を説いた。本論はここに始まり、スミスもリカードもほとんど登場しない。経済政策の改良と革新に携わった人として、ケインズとシュンペーター、フィッシャーにハイエクが登場する。それにマーシャル、ロビンソンとセンが彩りを添える。

 もっとも、本書に引き込まれるのは、固い話だけによってではない。登場人物たちの生涯から、息づかいまで聞こえそうなエピソードが次から次へと紹介されるのである。人物論などまったく知られていなかったナッシュの心的苦闘を描いて感動を誘った前作の作者らしい筆の運びではある。

 たとえばI・フィッシャーは娘を統合失調症の(器官を切除するという、現在からすれば誤った)治療で亡くしたり、自身が結核に罹(かか)ったりしたことから、公衆衛生論の闘士でもあった。A・センはインドで飢饉(ききん)を体験したのみならず、自身も口腔癌(こうくうがん)を患い、鉛のマスクを鉄仮面のように被(かぶ)って、放射線を照射される不快な治療を受けている。

 一方、過度に外向的な人もいる。J・シュンペーターはイギリス紳士を気取り、高級娼婦(しょうふ)と街中を行き来するほど豪奢(ごうしゃ)で放恣(ほうし)な生活に溺れて、借金を重ねた。J・M・ケインズにも一時期は、愛人が(男女問わず)9名もいた。J・ロビンソンも夫を「駄馬」と面罵しつつ不倫を重ね、毛沢東語録を振り回すほどに社会主義国の広告塔ともなった……。

 そんな個人史とともに、歴史の流れに経済政策が果たした役割が描かれる。とりわけ第一次と第二次の大戦間期に頁(ページ)が割かれている。シュンペーターは技術革新こそが生産性を高めるとし、企業家と銀行が景気を左右すると見た。経済の実物面と運営面に注目したのである。

 対照的に通貨や資産・負債という金融面・ストック面に視点を移したのがフィッシャー、ケインズ、ハイエク。戦勝国も敗戦国も巨額の負債を負い、賠償金をめぐってヨーロッパは大混乱に陥った。それがインフレやデフレという景気変動の原因となり、政府の市場介入を拒否する市場放任主義は、大恐慌を招き寄せた。

 ここでフィッシャーは、債務がデフレによって過剰な負荷となる点に注目した。ハイエクは金融緩和が誤った投資を導いて恐慌が到来するとし、ケインズはいったんデフレになれば金融政策は無力だとみなして財政政策に期待した。それぞれが市場介入を説いたのだ。

 鳥の目と虫の目を駆使し、歴史・経済政策と人物のあがきの双方を遠近から描く。稀(まれ)なほど面白い学説史である。(徳川家広訳)
    --「今週の本棚:松原隆一郎・評 『大いなる探求 上・下』=シルヴィア・ナサー著」、『毎日新聞』2013年08月18日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130818ddm015070023000c.html:title]


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