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2013年8月

吉野作造と南原繁における「新生の経験」


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吉野作造と南原繁を対比していくといくつか共通点を見出すことができるのですが、その一つは、ふたりとも、共同体から嘱望された将来を、キリスト教入信期の青年期に否定していること。

現代の眼からみれば、二人とも東京帝大教授だから「末は博士か大臣か」の立身出世エリートの模範ですよといわれそうだけど、そう短絡的でもない。

吉野作造の場合、郷土の育んだ英才ともて囃されながら、大学以降、学問に嵌ったキワモノ扱いされ(〔それには理由があるけど〕困窮と非国民的態度)、勉強しすぎると吉野さんチのサクゾーさんみたいになるよと手のひらを返されている。勿論、吉野自身は歯牙にもかけないが、用意されたコース(国家からすばらしき人材とほめられることを素直に肯定する態度)は否定している。

今でこそ、吉野作造記念館もたち、吉野の正面からの評価(限界のある大正デモクラシーのそれでしょwみたいな)ものが再認識されつつあるのは喜ばしいことだけど、つい数十年前は、吉野よりも立身出世の見本の如き弟の吉野信次(官僚を経て政治家)が評価されていたという話もあるからねえ。単純でない。

さて宮城から目を西に転じると讃岐生まれの南原繁が目にとまる。没落した旧家の生まれで、勉学に精励した繁は、一家の再興という期待を一身に背負うことになった。しかし煩悶青年は、自殺を選ぶのではなく、その生き方を全否定し、「真理に生きる」ことを選択する。

属性によって、国家の描き出す嘱望された人材と「同じ」と措定することはたやすい。しかしその中身に踏み込んでみると、「かくあるべし」という他律的なものを一旦、否定したうえで、自身の生き方を定め直しているから、「同じ」と措定することは不可能のように思われる。

その経緯で、キリスト教信仰が介在し、これまでの生き方を否定したうえでの「新生」が可能になる訳なのだけど、そういう「超越」の介在もまた、所詮は「浮き世の根無し草」に過ぎない国家や愛国、そういった属性が相対化され是々非々、批判の対象として捉え直された来た(公共哲学の萌芽)ということなのではないだろうか。

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覚え書:「折口信夫の青春 [著]富岡多惠子・安藤礼二 [評者]赤坂真理」、『朝日新聞』2013年08月25日(日)付。


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折口信夫の青春 [著]富岡多惠子・安藤礼二

[評者]赤坂真理(作家)  [掲載]2013年08月25日   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 


■対談で描き得た人物像の新地平

 折口信夫は、長らく私の気になる人だった。今や私のアイドルと言っていいが、彼自身の著書は、ぐっとくると直観はしても、とっつきにくい。しかし、折口に共振した人が紡ぐ言葉には、読んで心をわしづかみにされるものがあり、私が折口に近づいたのも、本書の対談者、安藤礼二や富岡多惠子の著作を通してだった。
 折口信夫には、謎が多い。柳田國男の弟子というのが広く知られた顔だ。しかし、柳田に出逢(であ)う前に、折口の世界はすでに豊穣(ほうじょう)だったのであり、言語学、宗教学、のみならず短歌、小説など、これだけ多くの領域で一流の著作をなした人は、そうはいない。本書では、主に柳田以前、折口という「人」が形成される幼年期から青春期を、著作等を手がかりに追っている。
 折口は同性愛者だった。その点も、二人は追う。暴露趣味ではなく、ごく自然に、人と人が出会い惹(ひ)かれ合い別れた記録として。すべての人間関係は恋愛に似る。そしておよそ「個」などというきらめきは、他者との圧倒的なかかわりの中からしか出てこない。
 私が、他の折口論にいまひとつ興味を持てなかったのは、ほとんどの論者が、折口のセクシュアリティを、あたかもないかのように扱い、結果、どこかが薄かったからだ。富岡や安藤は、それほどに大きなファクターが、人生と表現に影響を与えないほうがおかしいと考える。折口は、同性愛者であることを隠さず、要職に就き、愛する者たちと共同生活を営み、磁力を放つ著作をなし続けた。家父長制の強かった時代において、想像を絶する勇気である。無視するほうが失礼ではないか。
 驚くべきことに、この種の人材は、今日の日本社会においてさえほとんどお目にかかれない。異性装タレントには驚くほど寛容な一方、喧伝(けんでん)される幸せのかたちは、「男女が結婚して子供をつくり育てる家庭」ばかりであり、それ以外の物語はほとんど話題にもされない。それは多数派だろうが、そのかたちばかりが強調されて多様性がなく息苦しさを覚えることも、少子化の大きな原因ではないだろうか?
 読めば読むほど引き込まれる本である。謎がさらに大きな謎を呼ぶミステリーのようであるし、明治から昭和という激動の時代と一人の人間のドキュメンタリーとしても、人間の孤独や愛を普遍的に描いた文学作品としても読める。資質も性別も世代もちがう二人の論者が、補完しあうようにピースをはめ、そうでなければ完成しない像があったと思わされる。
 閉塞(へいそく)感や疎外感に苦しむ、すべての人に。私は、折口信夫がこの国に生きていたという事実、それだけで、励まされる。
    ◇
 ぷねうま舎・2835円/とみおか・たえこ 35年生まれ。詩人・小説家。2001年、『釋迢空ノート』で毎日出版文化賞/あんどう・れいじ 67年生まれ。文芸批評家・多摩美術大学准教授。02年、『神々の闘争 折口信夫論』で群像新人文学賞優秀作。
    --「折口信夫の青春 [著]富岡多惠子・安藤礼二 [評者]赤坂真理」、『朝日新聞』2013年08月25日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013082500003.html:title]


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覚え書:「『AV女優』の社会学―なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか [著]鈴木涼美 [評者]水無田気流」、『朝日新聞』2013年08月25日(日)付。

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「AV女優」の社会学―なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか [著]鈴木涼美

[評者]水無田気流(詩人・社会学者)  [掲載]2013年08月25日   [ジャンル]社会 

■語ることと語り得ぬことの相剋

 おそらくAV(アダルトビデオ)ほど、日常的に消費されながらも、あえてその構造や意義を真摯(しんし)に検討されない分野も少ないだろう。その言説の多くは、(主として男性)消費者の性的ファンタジーや好奇心に訴える範疇(はんちゅう)に留(とど)まり、たとえ表象される女性に「語り」の役割が与えられたにしても、それは消費者の望む役割を引き受けたにすぎない……。本書を精読するまで、私はそのように理解していた。そしてその予測は、良い意味で裏切られた。
 女性が「体を売る」ということ。1983年生まれ・東京文化圏育ちの筆者にとって、このことは日常と地続きの風景だったという。放課後、部活動に勤(いそ)しむように「ブルセラ」に踏み込む同級生を横目に高校生活を送り、AVやキャバクラのスカウトマンの闊歩(かっぽ)する地域で大学生活を送り、やがて彼らとのネットワークをもった筆者は、AV業界の観察ポイントを確立する。
 本書の視角はAV業界を超え、奇妙に現代社会の縮図を描き出す。それは、より「替えの効く」「自己責任を問われる」立場の者の痛覚を突くだろう。とりわけ女性は、これらに加え「性的対象である」ことが日常に浸透している。いわゆる性の商品化の一言で語られる問題の複雑な澱(おり)がここに綴(つづ)られる。なるほどAV女優とは、これら矛盾の結節点である。出演動機などを語ることによって、当初「AV女優になる」ことを述べた彼女らが、「AV女優である」ことそのものへと転化する。その過程や構図が、本書の中で開示されていく手法は見事。
 若干疑問が残ったのは、果たして本書で取り上げられたような語りが、現在のAV市場の主たる需要分野なのかという点である。匿名性が高く、語る機会すら与えられない女優こそが多数派ではないのか。もっとも、それゆえの「語るAV女優」の切実な饒舌(じょうぜつ)さ、と考えれば納得できる。語ることと語り得ぬことの相剋(そうこく)に立つ、異才の書。
    ◇
 青土社・1995円/すずき・すずみ 83年生まれ。09年、東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。専攻は社会学。
    --「『AV女優』の社会学―なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか [著]鈴木涼美 [評者]水無田気流」、『朝日新聞』2013年08月25日(日)付。

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書評:瀧口夕美『民族衣装を着なかったアイヌ』編集グループSURE、2013年。


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瀧口夕美『民族衣装を着なかったアイヌ』編集グループSURE、読了。本書は、1971年生まれのアイヌの女性が、戸惑いながらも、母親をはじめアイヌの人たちに過去を尋ねて歩く記録だ。「今はもう日本人なんでしょう?」から始まる旅は、(善意はあっても)差異と同化の単純な認識を激しく撃つ。

かつての土人法は遠い過去の話といってよい。筆者は伝統的な暮らしではなく土産物屋で育ったが、抑圧を感じないないでは居られなかった。生きるとは、差異を博物館に展示することと同義ではない。しかしそれだけでもない。

土地や習慣が奪われ同化から承認へ。しかし、抑圧を跳ね返すことも「外向けの語り」にすらなりかねないのも事実である(私がいうはなしではないし、失礼だが続ける)。免罪は不要だが、人は重層的に生きている。

筆者の旅は、一元化できない重層的アイデンティティーを過去から拾い出す。「そういう多重性のもとで、個人の歴史というのは紡がれているのではないか」。筆者の歴史と言葉の記録は、アイヌや彼女だけの記録ではない。

私たちは押しつけられた均質を、相互監視で度合いを強め、「自分が何者であるか」ということを規定しないで生きてきた。しかしそうではない。単純な反抗でも馴化でもなく軛をどのように自覚していくのか。本書の出会いに耳を傾けたい。

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 --ちょうどこの話をしているのでお聞きします。現在、偏狭主義(パロキアリズム)を思わせるムードが爆発的に広がっていますか。イラク戦争後数ヵ月たって、大学ではどうですか。

 合衆国のことですか。大学ではそれほどでもないです。でもだれもわれわれには耳を貸しませんから。イラク戦争の後だけではありません。9・11以降、アメリカの愛国心は信じられないほどです。ところでご存知でしょうか。新聞で読んだのですが、私は愛国心のない奴(アンパトリオティック)なんだそうです。そのとおり。私には愛国心がありません。でもそれは、ジョンソン博士の定義を借りてのうえです--愛国心とは「悪党の最後の逃げ場」なのです。私の考えでは、「アンパトリオティック」は「オデシュプレミク」(自分の国(カントリー)を愛さない人物)と同じではありません。なぜなら、「パトリオティズム」は「ピトゥリブミボド」(父祖の土地)のような意味だからです。「父(パトリア)」に「主義(イズム)」がついた言葉なのです。となるとそれは、「デシュプレム」(自分の国(カントリー)にたいする愛)とはまったく違います。プレムというものはどんなものであれ、不合理なものです。さきほど法と正義について言ったのも同じことです。プレムはまさにあまのじゃくです--プレムは関心の葛藤、愛とは関心の葛藤なのです。政策の基礎に愛を置くことはできません。「デシュプレム」は「パトリオティズム」ではありません。
 思うに、合衆国でいま起きていることについて言えば、あのような想像力の死が見られるのははずかしいことです。想像力とは、他たる人たちに到達することができるものなのです。そう、マーティン・ルーサー・キングの名演説にあるように。一九六七年、リヴァーサイド教会でなされた「ヴェトナムを越えて」という演説で、キングは「私の敵と目されている人の人間性を想像することが必要だ」と言いました。もちろんそのとき、彼はキリスト教徒として語りました。私は敵を愛して敵のために死んだ人の名を借りて語ります。私はキリスト教徒ではないし、宗教的でもありませんが、キングの言葉の単独性の語り、証明不可能な語りとして解釈することはできます。そして私は、この演説から自爆行為などへ話をつなげ、その結果ポリー賞をもらいました。
 マケドニア人にはこう言いました。「愛国心は大変結構です。でもご存知でしょうか。ジョージ・W・ブッシュがあなたの政府を脅して、国際刑事裁判所への加盟を反故にするような文章〔合衆国との二国間協定。合衆国市民を国際刑事裁判所で訴追させないという内容〕に署名させたことを。ブッシュは「署名すれば共和国として認めましょう」と言ったのです。ですから、愛国心を脇に置き、それがいかに自分の弱みとなっているか考えてみてください」。ハワイの土着主義者にも同じことを言いました。「ええ、わかっていますよ。私は植民地に生まれました。あなた方ハワイの先住民が、自分の国家--真珠湾もあそこにある--での少数民族になっているという状況が、私にはよくわかります。ですからあなた方は、よくある根っからの土着主義者にはなってはいけません。自分が合衆国の一部である事実を使い、合衆国を粉砕しうる内側の批判勢力となってください。アメリカ人でありつづけ、土着主義者になってはいけません」、こういうふうにして私は、愛国心がいかに破壊的かを訴えます。愛国心(パトリオティズム)はデシュプレムとはまったく違うのです。

 --賛成ですね。最後の質問です。あなたはかならずしもインタヴューが好きではありません。インタヴューとは、いわば不意打ちで学ぶ方法であると、おっしゃることもあります。さて、この対談の最後に突飛な質問をさせてください。インタヴューとは、学術誌に掲載されるようなものではなく、みなの前で行うようなやりとりのようなものだ、複数の言語を行ったり来たりし、過去を回想できるようなものだと仮定してみてください--もしそうならば、一九六一年以来、このコルカタという都市では、コスモポリタンな感受性をある面で維持できていると思いますか。コスモポリタンな感受性のために、あなたはこの都市で居心地よく感じ、じっさい、この都市の知識人の生活--私はここに関わっており、ここで教えているからお聞きするのですが--が進んでいく道を楽観視できますか。それとも、あなたが一九六〇年代の初頭にインドを出たときから、コルカタはあまり変わっていないと思いますか。

 あなた方は私よりももっとコスモポリタンだと思います。ふざけて言っているのではありません。思うに、コスモポリタンという考えは、私の知的な趣味に合わないようです。でもこれにたいしてもまた、道徳的な立場は取りません。私という人間は……

 --でも偏狭主義にたいしては、道徳的な立場があるはずでしょう。

 偏狭主義ね。でも私が見付けた対処の仕方は--これはけっして、みなには勧めません--コスモポリタンになるのではなく、多くの家を見付つけるというものです。ある場所に入って、その場所に属するようになるわけです。ばかげた話があるんです。私は外国で道を聞かれるんです。ちょうど着いたばかりで、言語もわからないし、サリーを着ているのに。なぜでしょうか。私のなにかが、そこに住んでいることを示すに違いありません。私はそのことをとてもありがたく思います。いらいらするときもあります。なぜって、ジェスチャーを使って、なにもわからないと伝えなければなりませんから。それでも、それが私のやり方です。多くの家を見つけ、空気に根っこを下ろすというのが。コスモポリタンになるのではなくね。
 私に言わせれば、こんにち、このばらばらに分けられた世界でこういった状況におかれていれば、コスモポリタンな人物はいわば他とは違って見えます。私は道徳的な判断を下してはいませんが、自分は簡単にコスモポリタンにはならないと思うし、したがってコスモポリタンであることには躊躇を覚えます。あなた方のなかで私を外国で見かけた人がいたらわかるでしょう。ほんとうのコスモポリタンがするような会話が、私は上手にできないのです。いつも少し遅れているのです。そして心底思うのが、コルカタでは、一般的なエリートの知識人は、私よりもコスモポリタンです。

 --サリーを着ているのに道を聞かれるのは、ちょっとわかりませんね。人はすべからく間違った人物に道を聞いてしまうものです。

 私に道がわかることもありますよ。じっさい、ここに大学時代からの知人がいるかどうかわかりませんが、A・G・ストック先生のことを覚えていれば--先生と会ったのはインドを出てかなりたってからで、多分一九七五年ですね--いつ無くなったかは存じませんが、ちょうど先生が亡くなる前のこと--ラッセル・スクエアかどこかでのことです。一〇年ぶりにストック先生と会って、私と会うなり先生は「ガヤトリ、ガウアー通りってどこかしら?」。まさにこうなんです。「まあ、奇遇ね。なにをしているの」とかじゃないんです。先生にガウアー通りを教えてさしあげましたよ。だからときには、私も道がわかるんです。

 --ガヤトリさん(ディ)、もう時間がきたようです。素晴らしいお話をありがとうございました。

 こちらこそ、ありがとうございます。着てくださってありがとうございました。
    --ガヤトリ・スピヴァク(大池真知子訳)「家」、『スピヴァク みずからを語る 家・サバルタン・知識人』岩波書店、2008年、58-63頁。

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覚え書:「今週の本棚・この3冊:沖縄と東北をつなぐ=大城立裕・選」、『毎日新聞』2013年08月25日(日)付。


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今週の本棚・この3冊:沖縄と東北をつなぐ=大城立裕・選

毎日新聞 2013年08月25日 東京朝刊

 <1>福島に生きる(玄侑宗久著/双葉新書/840円)

 <2>「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか(開沼博著/青土社/2310円)

 <3>東日本大震災歌集(現代歌人協会編/500円・送料別=03・3942・1287)

 玄侑宗久『福島に生きる』は、福島に土着する、素朴に福島を愛する人の、震災から原発事故にかけての、純粋な怒りにみちた著作である。ただ、その怒りは、著者が僧侶であることとも関わって、普遍的な全人類的な、文明のための怒りに通じている。震災への政府の対応が官僚的に場当たり、時間稼ぎのものに見えるとき、歯に衣(きぬ)着せない批判、抗議となり、原発被害に発展して、人間から動植物に及ぶ滅亡の危機を見ると、日本の、あるいは全人類的な文明(経済の流通を含めて)に説き及ぶものになる。

 開沼博『「フクシマ」論』は、副題を「原子力ムラはなぜ生まれたのか」とするが、3・11には大学の修士論文として脱稿していた、という恐るべき予言の書である。予言を可能にしたのは、著者が福島の出身でありながら、東京の大学で社会学を学んだからである。故郷で起きている社会的現実を内と外から構造的に分析しているのだ。そこで検出されたのが、日本の中央のための地方支配である。悲劇をクールに見据えた真実! これは期せずして、沖縄の基地被害の真実と同じであることが、開沼氏と私が2011年7月に対談(東京新聞)をした機会に言及、発見された。

 現代歌人協会では、大震災をテーマにした作品を会員から募集して編集した。ジャンルの性質上、情念的な捉(とら)え方が主流になるが、どの作品にも真実が溢(あふ)れるなかで、私の感動度ベスト3は、1「半身を水に漬(つ)かりて斜めなるベッドの上のつつがなき祖母」(宮城県、梶原さい子)、2「子を連れて西へ西へと逃げてゆく愚かな母と言うならば言え」(沖縄県、俵万智)、3「被災者の思ひに届かぬ歌反故(ほご)の嵩(かさ)張りてをり三月十一日」(沖縄県、屋部公子)。

 期せずして災害との距離の取り方の3種類が出ていて、1現場、2現場からの逃避、3まったくの遠距離、という差がある。2では情念と社会性とが深く絡み合っている。3は作者が作歌の技巧に及びかねているほどの素朴な表現ながら、沖縄での平均的な受けとめかたが見られ、「遠距離のシンパシー」はいかにして可能かと問いたくなる、どうしようもない真実がある。

 歌集は断片の寄せ集めながら、大震災にたいする全国民の受け止め方の総合を象徴化して見せる。そしてそれが、玄侑作品の裏返しの(それ自体が語る)文明批評をなす。この発見こそが、悲劇からのせめてもの収穫であろうか。
    --「今週の本棚・この3冊:沖縄と東北をつなぐ=大城立裕・選」、『毎日新聞』2013年08月25日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130825ddm015070014000c.html:title]


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覚え書:「書評:パリ大全 エリック・アザン著 杉村昌昭訳」、『東京新聞』2013年08月25日(日)付。


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パリ大全 エリック・アザン著 杉村昌昭訳

2013年8月25日

◆積み重なる時と人を透視
[評者]雑賀恵子=評論家

 整備中の新橋-虎ノ門を通る環状2号線(新虎通り)が「シャンゼリゼ通り」になるという。いや、それを手本に、歩道の幅を最大級に広げ、街路樹やオープンカフェを設置するという話だ。十五年ほど前には、京都の鴨川に、パリのポンデザール(芸術橋)を模した歩道橋を架けるという計画もあった。こちらの方は、激しい議論の末に撤回されたが。おおシャンゼリゼ、空の下セーヌは流れ、恋と革命、芸術家たちの夢、花の都、ふらんすへ行きたしと思へども…。なんと、わたしたちはパリに憧れてきたことだろう。

 パリは輪郭のくっきりした街だ。東京が桑の葉を食べる蚕のように絶えざる運動を続けて増殖していくのとは逆に、脅かされ、包囲され、侵略されてきたために、大昔から城壁に閉じ込められている。だから切れ目のない同心円状の層の広がりとして発展するしかなかったという。だが、街路の舗石をめくれば、無数の時の顔が砂粒となって拡(ひろ)がっている。

 著者は、パレスチナ生まれの母とエジプト系ユダヤ人の父の子としてパリで生まれた。外科医として活動しつつパレスチナ連帯や反民族差別運動にかかわり、さらに出版社を立ち上げて、精鋭な良書を出し続けている。多彩な経験と豊富な知識をもった著者が、セーヌ川を挟んだ新旧のパリの街区や通りをゆっくりと歩きながら、幾層にも積み重ねられた時代の薄皮をはぎ、過去と現代の出来事と、市民や移民、作家や芸術家など、パリに生きた人々とを同時に透視したのが本書である。

 王政時代の鮮魚売り場の喧噪(けんそう)、回廊式の墓地、フランス革命の熱狂、劇場や賭博場や刑場、ユゴーやバルザックやピカソ、五月革命をめぐる議論…。数えきれない生者も死者もパリの断片だ。膨大な記録や評論、歴史を彩る小説や映画などから記憶のピースが集められ、緻密に相応(ふさわ)しい場所へと貼り付けられて、立体的なパリというジグソーパズルが、色鮮やかに立ち上がる。

(以文社 ・ 4725円)

 Eric Hazan 1936年生まれ。フランスの著述家。著書『占領ノート』など。
◆もう1冊 

 ベルナール・ステファヌ著『図説 パリの街路歴史物語』(上)(下)(蔵持不三也編訳・原書房)。パリの街路にまつわる歴史や文化のガイド。
    --「書評:パリ大全 エリック・アザン著 杉村昌昭訳」、『東京新聞』2013年08月25日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013082502000183.html:title]


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覚え書:「みんなの広場 戦争の悲惨さ 語り継ごう」、『毎日新聞』2013年8月23日(金)付、+α

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みんなの広場
戦争の悲惨さ 語り継ごう
主婦 60(東京都渋谷区)

 8月9日、長崎は68回目の「原爆の日」を迎えた。田上富久・長崎市長の平和宣言が深く心に響いた。市長が今年4月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議準備委員会で核兵器の非人道性を訴える共同声明に日本正負が賛同しなかったことを批判した。私はそれを知らなかったが、日本政府の対応を大変に残念に思った。
 世界で唯一の被爆国の日本が、核兵器の非人道性を認めないとは一体、なぜなのだろうか。まさに、「被爆国の原点に返れ」と訴えたい。
 さらに、正負だけにまかせるのではなく、私たち一人一人が、平和を求める原点を忘れずに、核保有国に核兵器廃絶を訴えていく責任があると思った。そのためにも、今の若い人たちに被爆体験、戦争体験を語り継いでいこうと思う。私は戦後生まれで子供はいない。母から聞いた、空襲の恐ろしさやすぐ上の兄を戦争で亡くした悲しさなどを、私は、若い人たちに語りついでいきたい。
    --「みんなの広場 戦争の悲惨さ 語り継ごう」、『毎日新聞』2013年8月23日(金)付。

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平成25年長崎平和宣言

 68年前の今日、このまちの上空にアメリカの爆撃機が一発の原子爆弾を投下しました。熱線、爆風、放射線の威力は凄まじく、直後から起こった火災は一昼夜続きました。人々が暮らしていたまちは一瞬で廃墟となり、24万人の市民のうち15万人が傷つき、そのうち7万4千人の方々が命を奪われました。生き残った被爆者は、68年たった今もなお、放射線による白血病やがん発病への不安、そして深い心の傷を抱え続けています。
 このむごい兵器をつくったのは人間です。広島と長崎で、二度までも使ったのも人間です。核実験を繰り返し地球を汚染し続けているのも人間です。人間はこれまで数々の過ちを犯してきました。だからこそ忘れてはならない過去の誓いを、立ち返るべき原点を、折にふれ確かめなければなりません。

 日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求めます。
 今年4月、ジュネーブで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明に、80か国が賛同しました。南アフリカなどの提案国は、わが国にも賛同の署名を求めました。
 しかし、日本政府は署名せず、世界の期待を裏切りました。人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない、という文言が受け入れられないとすれば、核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を日本政府は示したことになります。これは二度と、世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国としての原点に反します。
 インドとの原子力協定交渉の再開についても同じです。
 NPTに加盟せず核保有したインドへの原子力協力は、核兵器保有国をこれ以上増やさないためのルールを定めたNPTを形骸化することになります。NPTを脱退して核保有をめざす北朝鮮などの動きを正当化する口実を与え、朝鮮半島の非核化の妨げにもなります。
 日本政府には、被爆国としての原点に返ることを求めます。
  非核三原則の法制化への取り組み、北東アジア非核兵器地帯検討の呼びかけなど、被爆国としてのリーダーシップを具体的な行動に移すことを求めます。

 核兵器保有国には、NPTの中で核軍縮への誠実な努力義務が課されています。これは世界に対する約束です。
 2009年4月、アメリカのオバマ大統領はプラハで「核兵器のない世界」を目指す決意を示しました。今年6月にはベルリンで、「核兵器が存在する限り、私たちは真に安全ではない」と述べ、さらなる核軍縮に取り組むことを明らかにしました。被爆地はオバマ大統領の姿勢を支持します。
 しかし、世界には今も1万7千発以上の核弾頭が存在し、その90%以上がアメリカとロシアのものです。オバマ大統領、プーチン大統領、もっと早く、もっと大胆に核弾頭の削減に取り組んでください。「核兵器のない世界」を遠い夢とするのではなく、人間が早急に解決すべき課題として、核兵器の廃絶に取り組み、世界との約束を果たすべきです。

 核兵器のない世界の実現を、国のリーダーだけにまかせるのではなく、市民社会を構成する私たち一人ひとりにもできることがあります。
 「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」という日本国憲法前文には、平和を希求するという日本国民の固い決意がこめられています。かつて戦争が多くの人の命を奪い、心と体を深く傷つけた事実を、戦争がもたらした数々のむごい光景を、決して忘れない、決して繰り返さない、という平和希求の原点を忘れないためには、戦争体験、被爆体験を語り継ぐことが不可欠です。
 若い世代の皆さん、被爆者の声を聞いたことがありますか。「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ」と叫ぶ声を。
 あなた方は被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代です。68年前、原子雲の下で何があったのか。なぜ被爆者は未来のために身を削りながら核兵器廃絶を訴え続けるのか。被爆者の声に耳を傾けてみてください。そして、あなたが住む世界、あなたの子どもたちが生きる未来に核兵器が存在していいのか。考えてみてください。互いに話し合ってみてください。あなたたちこそが未来なのです。
 地域の市民としてできることもあります。わが国では自治体の90%近くが非核宣言をしています。非核宣言は、核兵器の犠牲者になることを拒み、平和を求める市民の決意を示すものです。宣言をした自治体でつくる日本非核宣言自治体協議会は今月、設立30周年を迎えました。皆さんが宣言を行動に移そうとするときは、協議会も、被爆地も、仲間として力をお貸しします。
 長崎では、今年11月、「第5回核兵器廃絶-地球市民集会ナガサキ」を開催します。市民の力で、核兵器廃絶を被爆地から世界へ発信します。

 東京電力福島第一原子力発電所の事故は、未だ収束せず、放射能の被害は拡大しています。多くの方々が平穏な日々を突然奪われたうえ、将来の見通しが立たない暮らしを強いられています。長崎は、福島の一日も早い復興を願い、応援していきます。
 先月、核兵器廃絶を訴え、被爆者援護の充実に力を尽くしてきた山口仙二さんが亡くなられました。被爆者はいよいよ少なくなり、平均年齢は78歳を超えました。高齢化する被爆者の援護の充実をあらためて求めます。
 原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げ、広島市と協力して核兵器のない世界の実現に努力し続けることをここに宣言します。

2013年(平成25年)8月9日
長崎市長 田上 富久


[http://www.city.nagasaki.lg.jp/peace/japanese/appeal/:title]

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覚え書:「メディア時評 『ゲン』の時代は終わっていない=荻上チキ」、『毎日新聞』2013年08月24日(土)付。


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メディア時評
「ゲン」の時代は終わっていない
荻上チキ 評論家

 松江市の「はだしのゲン」(以下、ゲン)閉架に関するリアクションは、思ったより大きなものとなった。「ゲン」という作品自体が持つ影響力の範囲を確認させられた格好だ。
 同市教育委員会には以前より、特定の「市民」から、「ゲン」の撤去を求める申し入れが繰り返されていた。その模様は、ブログやネット動画などで公開され、既に一部で話題になっていた。「市民」のブログには、「ゲン」に対して「嘘出鱈目反日極左マンガ」「30年以上にわたり日本人に自虐史観を植え付けた」といった記述がある。リンク欄には在特会などの差異とが紹介されており、つまりは、ネット政治運動と連動した歴史認識をめぐる活動が出発点にあったわけだ。
 2012年8月、この「市民」が市議会に「松江市の小中学校の図書室から『はだしのゲン』の撤去を求めることについて」という陳情書を提出。陳情は、全会一致の不採択。しかし12月、松江市の市教委が独自に検討し、「首を切ったり女性への性的な乱暴シーンが小中学生には過激」という理由で、閉架措置にするように求めた。
 この一件が明らかになるや否や、メディアが一斉に取り上げた。毎日新聞も8月17日に報じ、20日の社説で取りあげている。ウェブ上では、「自由に読めるように戻してほしい」と求めるネット署名が即座に始まり、4日間で1万5000人超の署名が集まった。署名を呼びかけ文では、「リビジョニスト(歴史修正主義者)達の圧力に松江市教委が屈した」と批判している。一連の騒動が、どのような政治争点の中で取りざたされているかを浮き彫りにする一文だ。
 小中学生の頃、僕が「ゲン」を読んで真っ先に抱いたのは「こんな時代でなくてよかったな」という感想だ。原爆の威力、空襲、飢餓等が恐ろしかったこともあるが、最も怖かったのは、特定の意見や行動に同意しない者を「非国民」とののしることが是とされる、「特定の空気に熱狂する人々」の姿だった。
 そして僕は、すぐに思い知る。「こんな時代」は決して終わってはいなかったことを。今でも、気に食わない者に対して「非国民」「売国奴」といった言葉で罵倒する者がたくさんいる。発端の「市民」ブログにも、「売国奴」等にとどまらず、ネットでしばしば見る排外的な言葉が躍っていた。「ゲン」が過去になる日は遠い。メディアには、「ゲン」を反戦マンガとしてのみとらえて賛否を問うのではない報道を期待したい。(東京本社発行紙面を基に論評)
    --「メディア時評 『ゲン』の時代は終わっていない=荻上チキ」、『毎日新聞』2013年08月24日(土)付。

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『吉本隆明と「二つの敗戦」=とよだもとゆき・著』」、『毎日新聞』2013年08月25日(日)付。

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今週の本棚・新刊:『吉本隆明と「二つの敗戦」=とよだもとゆき・著』

毎日新聞 2013年08月25日 東京朝刊

 (脈発行所・1575円)

 吉本隆明が3・11後も反(脱)原発を批判したことに関し、違和感を覚えた人も多いだろう。さまざまな吉本論でそのことに真正面から対峙(たいじ)したものはあまり見受けられない。

 正確に言うと、吉本は原発促進派ではない。反核・反原発運動に、絶対の正義をかざして誰をも巻き込もうとする党派主義、それを隠してなびくソフト・スターリニズムを見て、激しく批判してきたのだ。著者はその吉本の方法論が、第二次世界大戦の敗戦直後に組み立てられた思考の原点に基づいているのを見る一方で、吉本が「核エネルギーの統御」と生活圏での原発稼働を短絡的に結びつけたことも冷静に分析する。吉本の思想形成の原点から丹念に彼の思考の方法論を押さえてたどるだけに、著者は吉本の原発論における飛躍と晩年の「引き裂かれ」を見逃さない。最終的に、吉本が科学技術を相対化していないという視点にたどりつく展開は迫力がある。

 吉本への感謝と批判を経たうえで近代の超克として、人間の「生」を贈与として受け止める著者の新たな発想が提示されている。それは吉本が晩年提唱した「存在の倫理」を深める試論として注目される。(古)
    --「今週の本棚・新刊:『吉本隆明と「二つの敗戦」=とよだもとゆき・著』」、『毎日新聞』2013年08月25日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130825ddm015070027000c.html:title]


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吉本隆明と「二つの敗戦」―近代の敗北と超克
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覚え書:「今週の本棚・新刊:『魯山人の世界』=白崎秀雄・著」。『毎日新聞』2013年08月25日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『魯山人の世界』=白崎秀雄・著

毎日新聞 2013年08月25日 東京朝刊

 (ちくま文庫・1050円)

 生前は「この上なく嫌い」だったが、死後に「地下の魯山人(ろさんじん)が仕掛けて来る蠱惑(こわく)にしたたかまどわされ、酩酊(めいてい)されつづけている」とまで豹変(ひょうへん)したという著者による芸術論集。

 魯山人が「近代ではただ一人の天才」と確信する理由として、書画、陶芸、漆芸、染色、料理など活躍した分野の幅の広さを挙げる。確かに、マグマが噴き出るような表現意欲を満たすため、自らの信じる美の世界に飛び込んでいく姿は圧倒的だ。

 そして、魯山人の造形力の根源は書を通じて鍛え上げた、自在に引くことができる「線」にあると主張。その基盤に、敬愛する顔真卿(がんしんけい)や良寛の懸腕直筆を身につけた、と解説している。

 ひじを浮かして筆の穂先を垂直に動かすこの筆法は、大変な腕力が必要だが、穂先が紙と垂直に接し鋭く自在な線を引くことができる。線を引く能力の高さを「線の名手」と名付けて賞賛している。

 師を持たず、古典を通じて学んだ魯山人。「温故知新」という言葉を好んだ事実も考えさせられる。

 傲岸不遜、毒舌で知られた魯山人芸術への再考を迫っている。そのヒントが詰まった渾身(こんしん)の作だ。(霧)
    --「今週の本棚・新刊:『魯山人の世界』=白崎秀雄・著」。『毎日新聞』2013年08月25日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130825ddm015070026000c.html:title]


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「感動したあ」という病(やま)い


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1年のうち24時間だけ、日本の一部がチャリティ熱につつまれて、地球は果たして救われてしまうのでしょうか?

……などと誰何すると、なんだテメエ、と言われそうですが、「感動したあ」乙という構造は、結局のところ、お賽銭をちゃり~んとなげて、これで1年は安心立命・無病息災というの、心根では繋がってるような気がする。

此岸は此岸、彼岸は彼岸という何も交差しない「見せ物」社会の「感動病」、そう僕は考えている。

日本テレビの24時間テレビの問題は、ギャラや取材等々……その欺瞞に充ちた構造はこれまでに何度も批判の対象となっている。しかし、それ以上に問題なのは、受容する側の「感動したあ」消費でしょう。

ここには、「感動したの? じゃあ、そんでどうするの?」ってのが抜け落ちてる。

感動して「終わり」。そのあとは「関係ない」。感動してお金落としたから「はい、終わり」。

その視聴光景は、真夏の高校野球を冷房の効いた部屋で「やいのやいの」と鑑賞して「球児のプレーに俺は感動したよ」などといいながら、その球児の熱闘の映像に、テロップで「本日の高温情報」が流れる……そういう他人事の光景のようだ。

そもそも「愛」が地球を救うのなら、土着文化を尊重した上での世界との連携なのに(神学的立場から表現すれば「文化内受肉」の問題)、「ニッポンって…?~この国のカタチ~」ってテーマそのものがあくまでも文化内受肉を排他する特殊主義への固執。震災直後の「絆」よろしく、権力による排他的な連帯なんて「愛」とは無関係だろう。そんな愛は地球も日本も救うわけはない。

「金が集まっているから、結果オーライやで」って騒音を封じる言い方もあるけど、それは禁じ手だろうと思う。そもそも、この国のチャリティーは、その組織のトップが皇族で占有されるように、どこまでも上からの「ほどこし」にすぎず、問題と格闘する当事者が自強されていくこととは無関係。

弱者が弱者で有り続けなければならない前提がオカシイ。

私は精神がひン曲がっているからだけど、日本社会は所詮、全部、「ネタ」社会。ネタに「反応して終わり」ですよ。

ああ、ええ話きいたわ、みたいな、はい、それで終わり。その時だけ金だしたり、哀れんではい、終わり。8月はそういうイベントが多い。原爆もそうだし、8月15日もそう。その日だけ「感動」して終わり。あとは関係ない。

感動することを全否定するつもりはないけど、おれは、自分が感動するために……何しろ他人の不幸ほど最上の「ネタ」は他にはないわけで……そういうものがそういうままで措定され続けることに、脳天気でありつづけることはいやだよな。ただそれだけ。


( いかん、いかん、ものすげえ、ななめからみすぎて、背骨がおりまがりそうになったわいな。 )

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覚え書:「今週の本棚:中村達也・評 『幸福の経済学-人々を豊かにするものは何か』『「幸せ」の経済学』」、『毎日新聞』2013年08月25日 東京朝刊(日)付。


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今週の本棚:中村達也・評 『幸福の経済学-人々を豊かにするものは何か』『「幸せ」の経済学』

毎日新聞 2013年08月25日 東京朝刊

 ◆『幸福の経済学-人々を豊かにするものは何か』=C・グラハム著、多田洋介訳(日本経済新聞出版社・2100円)

 ◆『「幸せ」の経済学』=橘木俊詔・著(岩波現代全書・1785円)
 ◇生活満足度をめぐる本格的探究に向けて

 多分、この一年だけでも、幸福や幸せがタイトルに入った本は、一〇冊を超えるのではなかろうか。とりわけ目に付くのが、経済との関係を扱ったもの。おそらくは、経済が幸福や幸せを後押しする力が弱まってきていることの反映でもあろうか。それでいて、経済成長を求める動きは、いっこうに止(や)む気配がない。与野党を問わず、競って「成長戦略」をスローガンに掲げてきたのは周知のところ。

 「無限の経済成長が可能であると考えているのは、狂人か経済学者くらいのもの」。半世紀ほど前に、K・ボールディングがこう言い切っていた。サルコジ仏大統領(当時)の肝いりで、ノーベル賞学者を動員して立ち上げた委員会の報告書『生活の間違った計測』(二〇一〇年)では、GDP偏重を脱した新たな指標作りを提案して関心を呼んだ。そうした文脈で両著を読むと、なるほどと合点がゆく。

 グラハム著は、先進諸国だけでなく、中南米、キューバ、旧社会主義圏、アフリカ、アフガニスタン等、分析対象が地球大に及ぶ。そして、経済発展の遅れている途上国の幸福度や生活満足度が、予想外に高いのとは対照的に、先進諸国のそれが低いことが示される。そこで著者が注目するのが「適応」と「期待」。例えばアフガニスタンのような厳しい経済状況の下では、人々はそうした状況に「適応」することでかろうじて生活を維持する他ないし、「期待」する生活水準そのものが低いために、幸福度や生活満足度は概して高い。先進諸国は、ちょうどこれとは逆。だからといって、低い所得水準が是認されるわけではない。質問を、「考えられる様々な生活水準の中であなたの生活水準はどの程度ですか」に替えると、はるかに低い数値の回答が返ってくるという。

 橘木著のブータン分析もこれと関連する。二〇〇五年度の国勢調査で国民の九七%が幸福だと回答したブータンだが、二〇一〇年の幸福度調査ではそれが半分以下にまで低下した。もちろん、調査手法が異なることも一因ではあろうが、著者によれば、インターネットなど情報の入手が容易になるにつれて、国民が自国の状況を他国と比較できるようになって、「期待」水準そのものが高まったために、それと現実とのギャップが幸福度の低下となって表れたのではないのか、と。


 単身者よりも既婚者の、男性よりも女性の幸福度が高いこともほぼ世界共通。さらに、若年層の幸福度が高く、年齢を重ねるにつれてそれが低下し、四〇代、五〇代で最低となり、その後は次第に幸福度が上昇する、U字型カーブを描くことも、ほぼ世界中で確認されている。

 ただし、橘木著では、二〇代後半と三〇代の幸福度が低く、この世代の雇用と労働をめぐる日本の状況が厳しいことが指摘される。

 ところで、大竹文雄他『日本の幸福度』(日本評論社、二〇一〇年)によれば、二〇代の比較的高い幸福度から始まり、三〇代で幸福度のピークを迎え、その後、下降線をたどる、いわば逆V字型が指摘されているし、内閣府『国民生活白書』(二〇〇八年)によれば、二〇歳頃から年齢を重ねるにつれて幸福度が低下し、中年・熟年頃に底を迎え、それ以降は幸福度が上昇することなく低水準の状態が続く変形L字型を描くという。日本だけが世界の標準と異なるのは果たしてなぜなのか、決着はまだついていない。幸福の経済学は、ようやくスタートラインを離れたようである。
    --「今週の本棚:中村達也・評 『幸福の経済学-人々を豊かにするものは何か』『「幸せ」の経済学』」、『毎日新聞』2013年08月25日 東京朝刊(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130825ddm015070032000c.html:title]


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覚え書:「今週の本棚:小島ゆかり・評 『スバらしきバス』=平田俊子・著」、『毎日新聞』2013年08月25日(日)付。


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今週の本棚:小島ゆかり・評 『スバらしきバス』=平田俊子・著

毎日新聞 2013年08月25日 東京朝刊


 (幻戯書房・2310円)
 ◇不思議な時空を追体験する乗り物エッセイ

 鉄道をこよなく愛する人々がいるように、バスをこよなく愛する人もいるのである。その情熱の方向は、バスの形態・容貌であったり、バスにまつわる歴史や知識であったり、また、バスに乗ることそのものであったり、いろいろ分かれるのだろう。

 本書の著者はまちがいなく三番目のタイプ。つまり、バスに乗るということが大好きな人なのだ。そこで全篇書き下ろしのバスに乗るエッセイ集。わたしも日々バスに乗る生活であるが、乗車時間をこれほど楽しみ、乗客をこれほど観察し、かつこれほどに奇想天外な想像をめぐらせている人がいたとは、驚く。

 いやその前に、よくもこんなにさまざまなバスに乗るものだと感心する。都バス、関東バス、京王バス、東急バス、西武バス、小田急バス、国際興業バス、あかいくつ、めぐりん、はとバス・ピアニシモ2、千葉交通高速バス、西鉄バスなどなど。横浜市営交通観光周遊バス「あかいくつ」はなんとなく察しがつくが、「めぐりん」って何? めぐりんとは、東京台東区内を走る小型循環バスであるらしい。しかも南めぐりん、北めぐりん、東西めぐりんの三コースがあるという。バスの世界もなかなか興味深い。

 これら各種のバスに、暮らしや仕事や観光と関係ないときにも、ふいに思いついて、あるいは魔がさしたようにふらふらと乗ってしまう。詩人で小説家で劇作家でもある著者は、魔がさしやすく、こらえ性がないのかもしれない。

 そんなすてきな人だからこそ、ただバスに乗るだけで不思議な時空を体験できる。言葉を飾らないユーモラスな文章にのせられて、いつのまにか著者になってバスに乗っている。知っているようで知らない風景を眺め、行きずりの人々や記憶のなかの人々との小さなドラマに遭遇し、そして未知の町に出会う。

 たとえばある日は、中野区の鍋屋横丁から王子駅までバスに乗る。用事は何もないのに、「王子」に惹(ひ)かれて乗ってしまう。「姥ケ橋(うばがばし)」などあやしい名の停留所も含めて四十ものバス停を一つ一つ過ぎる。中野区から杉並区、練馬区、板橋区を通過して北区まで。JRと西武新宿線をくぐり、西武池袋線を越え、東武東上線をくぐり、さらにJRの線路を二つ越える。視界を横切る看板や街路樹や飲食店や、進行するバスの時空間をリアルに体験しつつ乗ること約一時間。いよいよ王子駅前のバスターミナルに到着した。すると、狐のお面をかぶった人形や、「狐の行列」と書かれた黄色い提灯を眼(め)にする。大(おお)晦日(みそか)に狐の行列(狐に扮(ふん)して夜道を歩く)があるという。

 でもなぜそんな行列をするのだろう。不思議に思いながら駅員さんを見ると、耳がとがり、目が吊(つ)り上がって狐のような顔をしている。驚いてあとずさりした拍子に誰かにぶつかった。すみませんと謝りながらその人を見ると、耳がとがり、目が吊り上がってやっぱり狐だ。おたおたしながらまわりを見るとあっちもこっちも狐だらけで、ふさふさした尻尾(しっぽ)をゆらして歩いている。この狐たちが全員王子様なのか。思わず悲鳴を上げそうになったが我慢した。狐の鳴き声みたいなものが自分の口から出るのが怖かったのだ。(「王子様に会いに」)

 これを読んだら、王子稲荷(いなり)の狐もしめしめとほくそ笑むにちがいない。
    --「今週の本棚:小島ゆかり・評 『スバらしきバス』=平田俊子・著」、『毎日新聞』2013年08月25日(日)付。

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覚え書:「みんなの広場 『取り戻すもの』見えてきた」、『毎日新聞』2013年08月23日(金)付。


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みんなの広場
「取り戻すもの」見えてきた
無職 65(山口県周南市)

 自民党が言う「日本を取り戻す」は、誰から日本の何を取り戻すのかが曖昧だった。だが、参院選圧勝後、安倍晋三首相や閣僚による国防軍創設議論の加速や集団的自衛権の容認、日本版海兵隊創設などの発言から曖昧だったものが姿を現してきた。
 特に国防軍はたとえ任務が自衛隊と同じ専守防衛でも、名称が変わるだけではなく、性格や機能も変わり紛れもない軍隊となる。軍隊では規律や機密が優先され、基本的人権といえども反軍的と見なされると制約を受ける。他国の軍隊でも、思想良心の自由や言論・表現の自由などに一定の制限があるのが一般的だ。
 例えば、思想良心に反した任務でも上官命令は絶対であり背けない。また石破茂・党幹事長は、軍法会議の設置の検討に言及し、裁判を受ける権利さえ制約される可能性もある。国防軍ができれば次には兵員確保のための徴兵制も必要になる。取り戻すのは交戦権のある「普通の国」、戦前の軍事大国ではないのか。
    --「みんなの広場 『取り戻すもの』見えてきた」、『毎日新聞』2013年08月23日(金)付。

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覚え書:「ニコライ [著]中村健之介」、『朝日新聞』2013年08月18日(日)付。


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ニコライ [著]中村健之介
[掲載]2013年08月18日   [ジャンル]歴史 


 ロシア正教の大主教ニコライ(1836-1912)は、東京・神田にあるニコライ堂で知られる。幕末に来日して日本正教会を創建し、日本での活動は半世紀に及んだ。ロシア文学者の著者は、関東大震災で焼失したとされたニコライの日記をロシアで見つけだし、『宣教師ニコライの全日記』全9巻を刊行するなど、36年間にわたってニコライの真実を探し求めてきた。その地道な研究成果をもとに、布教と日ロ友好に尽くした生涯が生き生きと描かれる。何より、福沢諭吉や内村鑑三に並ぶ人物として日本近代史に呼び戻したい、という思いが行間ににじむ。副題の「価値があるのは、他を憐(あわ)れむ心だけだ」は、ニコライ56歳のときの言葉。
    ◇
 ミネルヴァ書房・4200円
    --「ニコライ [著]中村健之介」、『朝日新聞』2013年08月18日(日)付。

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ニコライ: 価値があるのは、他を憐れむ心だけだ (ミネルヴァ日本評伝選)
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覚え書:「女子と作文 [著]近代ナリコ」、『朝日新聞』2013年08月18日(日)付。

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女子と作文 [著]近代ナリコ
[掲載]2013年08月18日   [ジャンル]人文 


 著者は、女性による女性向けエッセーにひかれ、古本屋でみつけてはそれらからみえてくる欲望をミニコミ誌などで紹介してきた。本書は〈女性が書くということについて〉をテーマに、〈文学の領域とはべつのところで書いている人〉の随筆や手紙、詩などからうかがえる人生の一端に思いをはせた9編のエッセー。イラストレーター大橋歩の「an・an」創刊号のエッセーから2002-09年に発行した個人雑誌「アルネ」までをたどり、落とし前をつけて生きてきた大橋の人生に感動し、80年代の雑誌「オリーブ」の読者投稿欄の文化度の高さに感心する……。昭和時代を中心に、女性の切実な“つぶやき”のような思いを丁寧にすくう。
    ◇
 本の雑誌社・1575円
    --「女子と作文 [著]近代ナリコ」、『朝日新聞』2013年08月18日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013081800005.html:title]


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女子と作文
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日記:インド・ネパール・アジアン料理「PICE PLACE(ピース・パレス)」


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暑いときは、インドかタイのカレーに限るというのは、私だけの知恵ではなく、これはひょっとすると人類の叡智かも知れないと思いますので、久しぶりに、インドカレーでランチを頂戴しましたのでご紹介。

西武新宿線小平駅南口からあるいてすぐそこにあるインド・ネパール・アジアン料理「PICE PLACE(ピース・パレス)」。

今回、頂戴したのはランチセットの「スペシャルセット」です。

日替わりカレー、レギュラーカレーが各1(かぼちゃ野菜カレー+チキンカレーでオーダー)、ナン&ライス、サラダにババド、チキンティッカにデザートとドリンクがついて950円。

みた目では、「ちょっと少ないかナー」などと思いましたが、かなり満腹。スパイスの利いた奥深い味わいで、躰に夏の暑さを吹き飛ばす滋養を吸収できたのではないかと思います。

カレーは辛さの調節が4段階で調節できますし、途中での調整も可能です。

ディナータイムには、食べ放題・飲み放題コースもあるとかで、こちらは今度、利用してみましょう。

いやー、ひさしぶりにインドカリーを頂戴しましたが、いい刺激になりました。
ありがとうございます♪

[http://www.pice-place.com/:title]

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覚え書:「世紀の名作はこうしてつくられた [著]エレン・F・ブラウン、ジョン・ワイリー2世 [訳]近江美佐 [評者]出久根達郎」、『朝日新聞』2013年08月18日(日)付。


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世紀の名作はこうしてつくられた [著]エレン・F・ブラウン、ジョン・ワイリー2世 [訳]近江美佐
[評者]出久根達郎(作家)  [掲載]2013年08月18日   [ジャンル]文芸 


■『風と共に来る』だったのかも

 五百七十四頁(ページ)を、一気に読了した。読んでいる最中も興奮したが、読み終わった今も同じくらい興奮している。
 本書は、『風と共に去りぬ』という名作の歴史を、根掘り葉掘り調べあげてつづったものである。面白いはずだ。これまで知られなかった事実を、次々に明かしている。
 マーガレット・ミッチェルという二十五歳の主婦が、足の古傷が悪化し外出がままならなくなったため、気晴らしに小説を書き始めた。題名は無い。南北戦争から戦後にかけ目まぐるしく変動する社会を背景に、美人で勝ち気なスカーレットの成長を描く。最終章から書き上げ、あとは気ままに、書きたいと思う章を執筆する。十年、かかった。
 彼女の親友が出版社の副編集長になった。完成したら拝読したい、と手紙をよこした。第一章のみ未完成だったが、ミッチェルは親友に原稿を託した。読者第一号のこの親友とやりとりした私信が発掘されたことが、本書の大きな魅力である。従来の研究書に無い、出版までの過程が克明に語られる。タイトルも一向に決まらない。「ラッパが悲しく響く」「この世ではないどこかで」など二十二もの案をミッチェルは出した。出版社は最初「風と共に来る」だったらしい。去りぬ、は著者の希望だった。初版は一万部。一千頁もあって定価三ドル。安くない。著者は無名。出版社にとって賭けである。
 大当たり。四週間で二十万部、六カ月で百万部に達した。
 本書の読みどころは、このあとの騒動である。外国で海賊版が発行される。ミッチェルは「わが子」を守るため、著作権闘争に挑む。映画化に際しても、細かく注文した。
 本書の著者二人は古書収集が趣味、ジョンは『風と共に去りぬ』関係の大コレクターである。グッズの写真が楽しい。初版本を模した文鎮の書名が「風と共に去らない」。
 ちなみにミッチェルは、交通事故で「千の風」になった。
    ◇
 一灯舎・3360円/ Ellen F.Brown 米国のフリーライター。John Wiley Jr. 米国の収集家。
    --「世紀の名作はこうしてつくられた [著]エレン・F・ブラウン、ジョン・ワイリー2世 [訳]近江美佐 [評者]出久根達郎」、『朝日新聞』2013年08月18日(日)付。

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覚え書:「たそがれ・あやしげ [著]眉村卓 [評者]川端裕人」、『朝日新聞』2013年08月18日(日)付。


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たそがれ・あやしげ [著]眉村卓
[評者]川端裕人(作家)  [掲載]2013年08月18日   [ジャンル]文芸 


■人生顧みる時、迷い込む異界

 70年代の傑作ジュブナイル「なぞの転校生」「ねらわれた学園」。21世紀になってからも再刊され読者を得ている「司政官シリーズ」。子ども目線に寄り添ったり、官僚組織の中から壮大なSFを描いたり、著者の作品は常に「視点の置き所」を意識させる。
 本書に収録されている21の短編の語り手たちは、定年や再雇用契約切れ、さらには配偶者との死別などで、これまでの人生を顧みる時期にいる。いわば「たそがれ視点」の体現者たちだ。壮年期には見向きもしなかったであろう日常の隙間に引き寄せられ、幽霊、タイムスリップといった事象に出会いつつも日常に戻ってくる奇妙な味わいの作品群。若者言葉が行きすぎて大幅に言葉が変わった未来に迷い込む「新旧通訳」や、人生のやり直しをテーマにした「やり直しの機会」あたりが、例としては分かりやすいだろうか。しかし、各掌編ごとにそれぞれ視点の妙があり、新たな発見をさせてくれる。また、胸に滲(し)みる。
    ◇
 出版芸術社・1470円
    --「たそがれ・あやしげ [著]眉村卓 [評者]川端裕人」、『朝日新聞』2013年08月18日(日)付。

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覚え書:「みんなの広場 はだしのゲン閲覧制限に疑問」、『毎日新聞』2013年08月22日(木)付。

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みんなの広場
はだしのゲン閲覧制限に疑問
無職 55(新潟県加茂市)

 この時期は戦争の悲惨さを学び、二度と繰り返さないよう心したいものだが、松江市で漫画「はだしのゲン」が悲惨すぎる、よろしくないと閲覧制限していたのには首をかしげた。同市教委が市内の全小中学校に閉架措置を求めたという。
 故中沢啓治氏の作品には、強制連行されてきた朝鮮人が登場したり、旧日本軍がアジアで行った過激な行為があったりするが、主題は反戦反原爆だ。天皇陛下がもっと早く終戦に導いてくれたら被曝はなかったのにと嘆くシーンもある。
 これらを誤った歴史観と否定するのは、逆の方に傾いているからでは。国の「正当な」戦争に命をささげた英霊とかいうように。
 悲惨は過ちから起きる。悲惨で刺激が強いことを口実に子供たちに見せないのではなく、何が過ちだったのかを認めて教えていくよう望みたい。
    --「みんなの広場 はだしのゲン閲覧制限に疑問」、『毎日新聞』2013年08月22日(木)付。

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覚え書:「戦艦ポチョムキンの生涯―1900-1925 [著]寺畔彦 [評者]保阪正康」、『朝日新聞』2013年08月18日(日)付。


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戦艦ポチョムキンの生涯―1900-1925 [著]寺畔彦

[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)  [掲載]2013年08月18日   [ジャンル]文芸 

■数奇な運命辿った戦艦の素顔

 最終頁(ページ)を閉じたあとに、なるほどこういう視点のこんな記述の書があるのか、とのつぶやきが洩(も)れる書である。
 「戦艦ポチョムキン」を語りつつエイゼンシュタイン論、あるいは社会主義リアリズム論を展開するとか、20世紀初頭のロシア革命に至る道筋に光を当てるとか、さらには帝政ロシア末期の軍事をなぞりつつ、新しいタイプの戦争の登場への対応を語るとか。とにかく、こうしたすべての史実が記述されているのである。
 つまり本書は、著者自身の〈あの戦艦ポチョムキンの映画の製作された背景、そしてこの艦自体の運命とあの反乱の渦中に身を置いた人物たちの実像を知りたい〉という関心をもとに書かれている。著者は「あとがき」で、「解釈」を軸にして書いたというが、それ以前の関心や興味が著者をつき動かしたのだろう。
 「戦艦ポチョムキン」の反乱は、むろんエイゼンシュタインの描いた脚本とは異なっている。あまりにも有名となった「オデッサの階段の一連の画面」などは現実ではなく、事実と映画の差について著者は時間を追いながら比較している。この比較が本書の読みどころだ。
 ポチョムキンという艦名はエカテリーナ女帝の「愛人の座と帝国の宰相並みの権力を得る」ことになる近衛兵の名だが、この戦艦は、ロシアからソ連への歴史20余年の間に数奇な運命を辿(たど)る。1905年のオデッサでの反乱、それはやがて帝制の終焉(しゅうえん)につながる。この反乱のときに指導者の一人だった水雷兵曹マチュシェンコが、2年後に逮捕され処刑される。その折の描写の簡潔さが著者の姿勢なのだろう。
 ポチョムキン号は、その後パンテレイモンとなり、さらに革命や第1次大戦の推移によって幾つかの名称を持つことになる。その変遷に、歴史にふり回された戦艦の素顔が見えてくる。
    ◇
 現代書館・2310円/てら・あぜひこ 外資系企業に勤務後、ウクライナのオデッサに語学留学。本書が初作品。
    --「戦艦ポチョムキンの生涯―1900-1925 [著]寺畔彦 [評者]保阪正康」、『朝日新聞』2013年08月18日(日)付。

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覚え書:「アメリカ経済財政史―1929-2009 [著]室山義正 [評者]水野和夫」、『朝日新聞』2013年08月18日(日)付。

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アメリカ経済財政史―1929-2009 [著]室山義正

[評者]水野和夫(日本大学教授・経済学)  [掲載]2013年08月18日   [ジャンル]経済 


■建国理念の実現は中間層の肩に

 E・H・カーの「歴史は、現在と過去との対話である」という定義をうけ、清水幾太郎は「現在が未来へ食い込むにつれて、過去はその姿を新しくし、その意味を変じて行く」という。近代の本質を理解するには中世の理解が不可欠であるように、米国の建国当時の歴史を理解しなくては、米国の時代だった20世紀を理解することはできず、21世紀も見通せない。本書を読んでそう確信した。
 米建国時の理念である「マニフェスト・デスティニー(明白な天命)」それ自体に「自由と民主主義を世界に拡大し伝搬していく」使命が内包され、第2次世界大戦とソ連解体で世界の普遍原理になったかにみえた。しかし9・11以降「テロとの戦い」が長期化するに及んで、グローバリゼーションの意味がどう変じていくかを見極めることが21世紀を見通す鍵となる。
 また本書は、経済政策と財政政策を重層的に関連づけながら米国の経済構造および所得分配構造の変遷を解き明かしている。
 民主党の福祉重視のリベラルな政策から共和党の保守主義への転換が所得格差の拡大をもたらしたというのが通説であるが、財政関連データはこの見解を支持していない。人的資源支出(社会保障・福祉・教育など)が国防支出を下回っていたのは1970年までで、71年に両者の支出規模が逆転し、その差が開いていった。
 保守主義の時代では通常、人的資源支出は切り詰められそうだが、現実には保守化した白人高齢者を味方につけるために、どの政権も社会保障支出を増やしたのである。
 同時に、若者や母子家庭から高齢者へ所得移転する形で「貧困の配分」も実施されたので、中間層は没落した。
 米建国の理念は、21世紀も指針であり続けるのか。まさにオバマ大統領のいう「中間層の広い双肩にかかっている」(第2期就任演説)。
    ◇
 ミネルヴァ書房・1万500円/むろやま・よしまさ 49年生まれ。拓殖大学教授(地方政治行政)。『米国の再生』
    --「アメリカ経済財政史―1929-2009 [著]室山義正 [評者]水野和夫」、『朝日新聞』2013年08月18日(日)付。

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研究ノート:反ユダヤ主義の反ナチズム闘争のヒーローという問題

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 問題はこのようなキリスト教揺籃期の受難物語の元説が、ヨーロッパ中のすべてのキリスト教徒を途方もないユダヤ人憎悪に追い込んでいったという事実にあるのですが、それがユダヤ人問題として急速に加速されたのは、イベリア半島におけるレコンキスタ(八世紀~一四九二年)の過程においてであったことが歴史家によって指摘されています。先に引用したモルデカイ・パルディールの『キリスト教とホロコースト』は、こうしたユダヤ人憎悪におかされたキリスト教徒の筆頭に、一六世紀の宗教改革者のマルティン・ルターやジャン・カルヴァンを挙げ、二人の著作からそれぞれ驚くべき反ユダヤ主義の言説を抜き出して検証しています。さらに、私にとって少なからず驚き出会ったのは二〇世紀のプロテスタントの最高の神学者と称されるドイツのカール・バルトも、そうした一人であったこと。さらに、わが国では反ナチズム闘争のヒーローとして知られるディートリッヒ・ボンヘッファーもマルティン・ニーメラーも、ナチズムの反対者でありながら、一方では反ユダヤ主義者としてその言説をその著作に色濃くとどめている事実であります。
 私にとって不可解であるのは、こうした反ユダヤ主義の神学者や牧師が、第二次大戦後の日本のキリスト教会に反ナチズムのヒーローとして紹介され、日本人キリスト教徒の戦後の信仰的指標として受容され、大戦後の日本のキリスト教会の旗手として大きな役割を果たしていた事実にあるのです。このような人たちが、ナチス時代に、一方において反ユダヤ主義の急先鋒として動いた事実がそこではまったく隠蔽されたままに、日本の教会に紹介されてしまったのはなぜなのか。それにはさまざまな要因が挙げられますが、根本にあるのは、ほとんどの日本人キリスト教徒が、内村鑑三や矢内原忠雄といった人々を含めて、西欧福音派教会の主導するシオニズム運動に無批判に乗せられてしまった結果ではないか、と思われる。そしてこれは、とりわけ福音派の教会に、伝統として今日もそのまま継承されている。
 一方、ヨーロッパではどうか。ヨーロッパのキリスト教会は戦後、どのように転換したか。世界教会競技会(WCC)が大戦中の反ユダヤ主義を人道的犯罪として告発し、ユダヤ教徒に対して公式に謝罪を表明し、罪の赦しを乞う声明文を公表した一九四八年頃が境目になると思います。その頃、私は一六歳の高校生。私がようやくユダヤ人問題に目を開かれたのはそれから一〇年後、初めてヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』(霜山徳爾訳、一九五六年)を手にした時でした。その時の驚きというか震撼は、五〇年を過ぎた今も記憶から消えません。アウシュヴィッツが今日、世界有数の巡礼地として日本からもたくさんの参観者を集めているのもわかるように思います。
 ドイツの最近の情報では、ナチズムによるユダヤ人犠牲者を追悼する大小の施設が今も静かに各地に建設され、その数は一九九〇年のドイツ統一を契機として近年著しく増加し、現在もなお次々と新たな追悼施設が誕生していると聞いています。背景には、ナチスのユダヤ人虐殺の犯罪に対する加害者意識の高まりがある、と指摘する学者もいます(姫岡とし子「ドイツにおけるホロコーストの記憶文化性」『歴史と地理』六五四号、二〇一二年五月)。一方、それは私からするとヨーロッパ統合のアイデンティティとして、ユダヤ人問題の共有が現在もきわめて有効な政治戦略であり、免罪符であるからではないか、といった印象も少なからず残るのですが……。
    --山形孝夫『黒い海の記憶 いま、死者の語りを聞くこと』岩波書店、2013年、172-173頁。

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宗教人類学者の山形孝夫先生が『黒い海の記憶』(岩波書店)で少しだけ言及されていた問題について少しだけ紹介しておきます。これも自分の課題になりますので。

ご存じの通り、日本ではバルトやニーメラー、ボンヘッファーといえば反ナチズムの英雄になります。しかしながら、実は、反ユダヤ主義という側面も存在します。

勿論、反ユダヤ主義はキリスト教に内在するひとつのおおきな負の系譜だから、どうこうという話でもないし新しい話題でもないし、ルターやカルヴァンも例外ではありません。

問題なのは、日本のバルトをはじめとする教会神学の受容において「反ユダヤ主義の急先鋒として動いていた事実がまったく隠蔽」されたまま紹介されたことに尽きる……そういう話です。

山形さんはいくつか理由があるとしつつも根本には「ほとんどの日本人キリスト教徒が、内村鑑三や矢内原忠雄といった人々を含めて、西欧福音派教会の主導するシオニズム運動に無批判の乗せられてしまった結果ではないか」と同書で指摘。その伝統は今日までも継承されている……。

勿論、バルトの告白教会での反ナチズムの戦いや『教会教義学』の価値はそれで下がる訳ではないし、姑息なw旧大陸はいち早く罪責告白したうえで、有効な政治戦略の免罪符としてユダヤ・パレスチナ問題にアプローチしているのが現状です。

それはそれなのですが、ふまえたうえでの受容をどうして選択することができなかったのでしょうか。加えて、割と、バルト学者にはそこを隠蔽する癖は多いにあると思いますし。

バルト受容に関する歴史は、何度も言及してきた通り、戦前日本で、反ナチと対極の大政翼賛に迎合した過去があるのですが、それと似たようなフシもあるのではないかと推察されるということ。そして受容におけるそのねじれは、ことキリスト教における一つの神学のそれだけに限定されるものでもありませんよね。

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覚え書:「書評:自宅で楽しむ発電 中村 昌広 著」、『東京新聞』2013年8月18日(日)付。


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自宅で楽しむ発電 中村 昌広 著

2013年8月18日

◆こつこつ電気手作り
[評者]中野不二男=ジャーナリスト

 今の世の中、電力の話になると行政批判と節電ばかりだ。どれも正論なのだが、それだけではどうも…。そんなとき、「電気の手作り」をやろうというこの本を読み、元気が出てきた。家庭で消費する電力を、すべて賄おうというのではない。「最低限必要な発電・蓄電システムを個人で作る」という、小さな設備からスタートする提案である。

 一九八〇年代初めに放映されたテレビドラマ「北の国から」に、手作りの風力発電装置で裸電球が点(とも)るシーンがあった。著者はこのエピソードに、少なからず刺激された。自ら工夫して作った風力発電装置は、一台三万円もかからないという。それが今は三台になり、太陽電池パネルも併用して、“家産家消”の「お家発電所」となっている。蓄電用のバッテリーも、二個もあれば充分(じゅうぶん)なのだが、話を聞きつけた友人たちからの提供で、十八個にもなったという。

 実は私も、自転車のダイナモを利用して小型の水力発電装置を作ったことがある。だから著者の気持ちがよく分かる。知識のない役人相手の批判と“銃後の知恵”みたいな節電礼賛ばかりのメディアと違い、とにかくこつこつ着実に「自宅で楽しむ発電」の姿勢に拍手したい。基本的な考え方から本格的な風力発電装置の作り方まで、図解とともに楽しい文体で詳細に描かれている。お見事!

 (ソフトバンク新書・767円)

 なかむら・まさひろ 1959年生まれ。会社員。著書『自分で作る風力発電』など。
◆もう1冊 

 中野不二男著『暮らしの中のやさしい科学』(角川学芸出版)。犬は色弱か、など身近な疑問に答える科学エッセー。
    --「書評:自宅で楽しむ発電 中村 昌広 著」、『東京新聞』2013年8月18日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013081802000164.html:title]


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覚え書:「ミシンと日本の近代―消費者の創出 [著]アンドルー・ゴードン [訳]大島かおり [評者]渡辺靖」、『朝日新聞』2013年08月18日(日)付。


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ミシンと日本の近代―消費者の創出 [著]アンドルー・ゴードン [訳]大島かおり

[評者]渡辺靖(慶応大学教授・文化人類学)  [掲載]2013年08月18日

■小さなモノに光、大きな歴史照射

 米国の「知日派」というと、最近は外交・安全保障の専門家のみ注目されがちだが、著者は歴史研究における筆頭的存在だ。
 ある日、彼は、ふと1950年代の日本の既婚女性が毎日2時間以上も裁縫に費やしていた事実を知り驚愕(きょうがく)する。それが今回の知的探究の出発点となった。
 ふつうの日本家庭に入った最初のミシンはジョン万次郎が母親へ贈ったもの。シューイングマシネ(縫道具)がマシネと略され、さらに2音節に縮まって「ミシン」となった。
 その出現は〈洋裁〉と〈和裁〉という新語を生み、キモノを〈洋服〉に対する〈和服〉とし、〈日本〉と〈西洋〉が対峙(たいじ)する独特の世界観を固着化した。
 とりわけ「世界初の成功した多国籍企業」と称される米シンガー社の家庭用ミシンは10年代までに日本でも無敵の存在となった。それはまた「セールスマン」という近代的職業、女の「自活」という発想、消費者(割賦)信用という制度の拡張を意味した。
 しかし、同社がその「グローバル」な販売システムを頑(かたく)なに固守するなか、32年には日本の従業員が「ヤンキー資本主義」に抗(あらが)うべく大規模な労働争議を起こす。同社を去った従業員は国内メーカーへと移り、逆に海外の現地システムへの適応を徹底することで、戦後、米国市場を席巻した。
 興味深いのは、戦時中にあっても(旧約聖書の句をもじった)「踏めよ 殖やせよ ミシンで貯金」といった広告が数多く出回っていた点だ。近代的生活への渇望は戦火に絶えることはなかった。
 それゆえ戦後、高度成長期に「専業主婦」という言葉が一般化する頃には「洋装店」が激増し、「洋裁学校」は花嫁修業所としても大繁盛した。当時、欧米に比べて日本の既製服の割合は半分以下だったというから凄(すご)い。
 ミシンは「営利のためであれ家族のためであれ、生存のためであれ余暇のためであれ」という多様な意図を有する使用者を「大衆中流階級」へと統合していった。ミシンが労働者の窮乏や分断を促すと『資本論』で警告したマルクスの懸念は日本には該当しなかったと著者は説く。
 膨大な一次資料の収集と精査。安易な日本特殊論を忌避する比較史的視座。歴史を美化も卑下もしないバランス感覚。プロの学者としてのプライドを感じる。
 ミシン裁縫に励む女性と戦後の政党イデオロギーとの関係など、さらに知りたい点もある。
 しかし、小さなモノに光を当てて歴史の大きなうねりを照射するという、魅力的ながらも、実はかなり困難な研究手法の見事な成功例であることは間違いない。
    ◇
 みすず書房・3570円/Andrew Gordon 52年生まれ。ハーバード大教授(日本近現代史)。著書に『日本労使関係史 1853―2010』『日本の200年』など。東日本大震災のネット情報を保存する「2011東日本大震災デジタルアーカイブ」に参加。
    --「ミシンと日本の近代―消費者の創出 [著]アンドルー・ゴードン [訳]大島かおり [評者]渡辺靖」、『朝日新聞』2013年08月18日(日)付。

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覚え書:「みんなの広場 原発事故の教えを受け止めよ」、『毎日新聞』2013年08月21日(水)付。


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みんなの広場
原発事故の教えを受け止めよ
パート 65(大津市)

 福島原発事故が発生して2年半近く。収束のめどどころか悪化の一途のようで、資産では放射性汚染水が少なくとも1日300トン海に流出しているという。漁業関係者の不安の高まりを思う時、腹立たしさとやるせなさの日々だ。
 最新の科学技術をもってしても場当たり的対策にしかなり得ず、根本的な収束策には程遠い状態だ。これまで国策としてコスト面から原子力による電力生産にまい進し、国も電力会社も展望の正しさを主張していたが、それを東日本大震災が覆した。今こそ政治家の見識が問われている。
 たとえば電力需要がどれだけ逼迫しても、また原子力産業の裾野がどれだけ広がっていても、一度爆発すれば収束能力を持ち得ない「原子力」に電力を依存することはあってはならないと歴史が教えたのだ。このことを胸に刻んで決して忘れないことが、尊い人命を失い今なお厳しい生活を強いられている避難住民に対して国が見せるべき誠意と考える。
    --「みんなの広場 原発事故の教えを受け止めよ」、『毎日新聞』2013年08月21日(水)付。

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覚え書:「今週の本棚:堀江敏幸・評 『棕櫚の葉を風にそよがせよ 野呂邦暢小説集成1』=野呂邦暢・著」、『毎日新聞』2013年08月18日(日)付。


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今週の本棚:堀江敏幸・評 『棕櫚の葉を風にそよがせよ 野呂邦暢小説集成1』=野呂邦暢・著

毎日新聞 2013年08月18日 東京朝刊

 (文遊社・2940円)
 ◇何を失い、何を乗り越えたら今があるのか

 心の内の濁りに眼(め)を凝らし、聞こえない音に耳を傾け、それらを言葉の世界に映し出しつつ、文字の林間に響きわたらせる。これだけのことなら、年齢や経歴に関係なく物書きのだれもが通過するありふれた道筋だろう。しかしそのほの暗く湿った道の先にひろがる土地の匂いや高低差まで正確に把握し、澄んだ空気の流れを掴(つか)むことができる者は数えるほどしかいない。野呂邦暢はその希少な才能に恵まれた書き手のひとりだった。

 一九三七年、長崎に生まれ、諫早に暮らした野呂邦暢は、三十七歳のとき『草のつるぎ』で芥川賞を受賞してからわずか六年ほどのあいだに密度の濃い仕事を残して、一九八〇年、四十二歳で急逝した。本書は全八巻の刊行が予定されている『野呂邦暢小説集成』の第一巻で、単行本未収録の二篇をふくむ十一作で構成されている。

 敗戦の年の春、父親の応召を機に、野呂邦暢は母親の実家がある諫早市に疎開した。これが何を意味するかは言うまでもないだろう。数ケ月後、原爆によって郷里は壊滅し、一家はそのまま諫早に住み続けることになるのだが、一九五七年、今度はその諫早が大水害に見舞われ、少年時代を過ごした緑豊かな町の相貌は一変してしまう。

 大学受験に失敗し、しばらく京都で暮らしていた彼を諫早に呼び戻したのは、父親の病だった。さまざまな職について自活の道を探り、半年ほどではあれ東京でアルバイト生活を送ったこともあるという。そして、ふたたび諫早に帰ると、佐世保自衛隊に入隊した。先の大水害はこの入隊中に起き、一年後に除隊して彼が目にしたのは、もはやおなじ郷里ではなかった。原爆と水害。二度にわたって拠(よ)り所をなくした偶然と自衛隊での演習体験は、初期作品のみならず、『草のつるぎ』を軸のひとつとする虚構の世界、「河口と海が接する原初的な空間」や清と濁のまじわる谷間の捉え方に、大きな影響を与えている。

 表題作「棕櫚(しゅろ)の葉を風にそよがせよ」の主人公浩一は、東京での生活に疲れてアルコール中毒になり、地元の病院に入院していたとき同室になった建築資材会社社長の世話で、この会社の配達運転手を務めるようになる。都会での鬱屈をいまだ消化しきれずにいるもやもやした感覚が、旱魃(かんばつ)つづきで給水制限の出された郷里の乾き切った大気に重ね合わされる一方で、現在の境遇を振り返る浩一には、それを打ち消すような青春の湿気もまとわりついている。

「蠱惑(こわく)的なまでに暗い緑の葉身がぶつかりあう音に包まれていると、浩一の内部でも荒々しく裂けるものがあり、それは今、空中に漲(みなぎ)っている棕櫚の葉の乾いた軋(きし)りに和すようになる。深く割れた硬質の葉片が無数の鞘(さや)をかき鳴らす音さながら風にさからう響きは楠(くす)の葉がそよぐ気配と比べて全く異質のものだ。風がしばらく勢いを衰えさせた。彼もそれに合せて息をついた。やがてまた風が起り木々をゆすぶり始めると彼も目に見えない棕櫚の葉の強くかち合う響きに聴きいっている。」

 戦記物の愛好家で内外問わず資料を収集し読書にふける社長や、十歳ほど年上の女性画家との関係が、具象と抽象の微妙な均衡のうえに立つ文体でつづられる。右の引用の、地方都市を舞台にした、この「そよぎ」「ゆすぶられる」行間の波とタイトルに組み入れられた棕櫚という言葉から、フォークナーを連想するのはたやすい。しかし野呂邦暢の呼吸は、言葉の枝葉を無際限に伸ばしていくより、むしろ高台から全体像を見きわめ、余計な部分を裁ち切る方向でさらに生かされる。荒々しい幻聴は、この殺(そ)ぎ落としのある瞬間、青春の終わりを告げる空砲となって、主人公の胸に途切れることのない谷間の道から冷えた空気を呼び込む。しかも、枝葉を落とした向こう側に見えてくるのは、乗り越えるべき自らの分身なのだ。

 表題作ばかりではない。大連出身で、いつまでも遠い大陸の生地の思い出から逃れられない男を描く「或(あ)る男の故郷」でも、ひょんなことから知人の留守宅でともに寝泊まりすることになったベトナム帰還兵との奇妙な交わりを活写する「ロバート」でも、戦後の混乱期に混ぜ物のはいった闇米を飲み屋に持ち込んで換金するよう父親に命じられた兄弟の溝を弟に寄り添いながら捉える「白桃」でも、語り手はいつも、別の方向から同じ場所を目指して降りてくる過去の自分の影を探し、打ち消すために、いわば日々の索敵を行っている。

 何を失い、何を乗り越えたらいまがあるのかを、彼らは五感を全開にして追い求める。「ハンター」では野犬の群のボスが、「世界の終り」では核戦争勃発後の島で遭遇した遭難者が、いずれも《そいつ》と呼ばれて標的にされる。狙われているのはもちろん語り手自身だ。いちばん大切な的をピンポイントで狙いながら、最後の最後で銃口を空に向けて、「心のどこかにあるうつろな部分」を射貫(いぬ)く勇気が、全篇を支えている。続刊が待たれる。
    --「今週の本棚:堀江敏幸・評 『棕櫚の葉を風にそよがせよ 野呂邦暢小説集成1』=野呂邦暢・著」、『毎日新聞』2013年08月18日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130818ddm015070004000c.html:title]


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棕櫚の葉を風にそよがせよ (野呂邦暢小説集成1)
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覚え書:「書評:ベストセラーの世界史 フレデリック・ルヴィロワ 著 大原宣久・三枝大修ひろのぶ訳」、『東京新聞』2013年08月18日(日)付。


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ベストセラーの世界史 フレデリック・ルヴィロワ 著 大原宣久・三枝大修ひろのぶ訳

2013年8月18日

◆本がたどった驚きの運命
[評者]鷲尾賢也=評論家

 四十年近い編集者生活であった。ただ残念ながら、一冊もミリオンセラーを生み出すことができなかった。しかし、誕生の現場は知っている。黒柳徹子の『窓ぎわのトットちゃん』が刊行されたとき、隣の部署で眺めていたからである。初版部数は二万部。売れだすと、今日は十万、明日は二十万と重版がかかる。開いた口がふさがらないとは、こういうことを言う。

 本書は、「ハリー・ポッター」シリーズから、マーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』まで、あるいは、『聖書』『毛語録』『わが闘争』からハーレクインまで、ありとあらゆるベストセラーを俎上(そじょう)に載せる。ダイエット本、宗教書、旅行記、文法書、ミステリー、スパイ物…。一方で、ジッドの『背徳者』は、初版三百部。しかも、七人しか購読者がいなかった。こんな皮肉な事実まで教えてくれる。

 十八歳の女子大生のF・サガンがタイプライターでぽつんぽつんと打った小説が、二カ月後にはフランス中のあらゆる書店に置かれ、アメリカにも渡り、あっという間に世界的なベストセラーになる。初版は五千部だった。

 書物には、こういう「事件」がおきるのである。「本の運命など、決してだれにも、なにもわからない」。これは大編集者G・ガリマールの告白。実感する出版人・編集者も多いだろう。

 さまざまな賞との関係、テレビ・映画などの映像化の影響、広告・価格・検閲、あるいは宗教や信仰との連関、スキャンダル、文章の難易度、さらにはゴーストライターや盗作、詐欺師、訴訟、また読まれないベストセラーなど、数字の嘘(うそ)も含めてエピソードたっぷりの裏事情がじつにおもしろい。

 フランス人らしく警句や箴言(しんげん)などもはさみこまれ、本好きにはたまらない一冊。とりわけ不況にあえぐ出版関係者には必読かもしれない。

 といって、本書を参考にすれば、ベストセラーが作れるとはかぎらない。そこが何とも悩ましい。

(太田出版・2940円)

 Frederic Rouvillois 1964年生まれ。パリ第5大教授・憲法学者。
◆もう1冊 

 塩澤実信著『ベストセラーの風景』(展望社)。『点と線』『バカの壁』『広辞苑』など、日本のヒット本の逸話と時代の風景。
    --「書評:ベストセラーの世界史 フレデリック・ルヴィロワ 著 大原宣久・三枝大修ひろのぶ訳」、『東京新聞』2013年08月18日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013081802000168.htm:title]


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ベストセラーの世界史 (ヒストリカル・スタディーズ)
フレデリック・ルヴィロワ
太田出版
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八王子倫理学会?


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水曜日は、通信教育部で教鞭を執っていたときの、受講生とかるく一献してきました。

いやー、ひさしぶりにいい酒を酌み交わした時間を過ごすことができ、ありがとうございました。

通信教育部は、卒業を勝ち取るためには、レポート作成が要となりますから、ほんとにこつこつ積み重ねていくしかありません。入学したら卒業できる通学部と違い、卒業できるのはわずか数%。そのなかでも4年間で卒業することは並大抵の努力ではかないません。

しかしながら、ふたりの受講生は、4年間で卒業できる可能性が視野にはいってきたと報告してくださり、嬉しいことこのうえないひとときでした。

もちろん、ひとによっては、何年もかかったり、途中で継続できなくなってしまうこともありますが、他人とくらべてどうのこうのということよりも、自分が決めたことを本末転倒させず貫いていくということを、その学習の過程で身につけることができれば、それはただ、たんに大学で○○学を学んだという以上の、そのひとの財産になるのではないかと思います。

もちろん、入学したからには卒業を目指すというのがひとつの目標になりますし、卒業することはひとつの区切りになるとおもいます。

しかし、ひとが何かを探求することを「学問」として、とらえるならば、学生として在籍している間だけ「学問」するわけではないですから、学生の間にみにつけたそういう力を、その後も、おおいに発揮しながら、探求の道をお互いに歩み続けたいものです。

いやー、しかし、いい酒を飲みました。

ありがとうございます。


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覚え書:「今週の本棚・本と人:『「新しい野の学問」の時代へ』 著者・菅豊さん」、『毎日新聞』2013年08月18日(日)付。


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今週の本棚・本と人:『「新しい野の学問」の時代へ』 著者・菅豊さん

毎日新聞 2013年08月18日 東京朝刊

 (岩波書店・3360円)
 ◇被災地と研究者の関係を問う--菅豊(すが・ゆたか)さん

 2004年の新潟県中越地震の被災地、小千谷市東山地区で、牛の角突きとかかわってきた経験をもとに「新しい野(の)の学問」のあり方を問いかける書だ。

 「野の学問」とは、元は20世紀前半に始まった日本の民俗学を表す語だった。民俗学者であり東大教授の自身を含めたアカデミズム、民俗学を厳しく批判する。「現代の地域社会での知識生産、すなわち『新しい野の学問』の可能性と課題を考えたいと思いました」

 冒頭で、東日本大震災の被災地出身の歴史社会学者が、「調査」と称してやってくる研究者に対し、地元が抱く不信感や怒りを率直にぶつけた文章が引かれる。本書の執筆動機も東日本大震災にある。「現場が違っても、専門家が引き起こす問題の構造は同じ。研究者だけでなく被災地の社会実践にかかわる行政や団体が自らのあり方を問い直してほしい」と語る。外部の者が当事者とどうかかわるか、という重い問いかけだ。

 中越地震で被害を受けた闘牛会の面々と自身との関係性の変化を地震の前からたどった。被災後最初の現地入りから、「よそ者の研究者」だった著者が「勢子(せこ)」として闘牛会の一員となり、2007年からは「牛持ち」(牛の所有者)として毎月、小千谷に通うようになる。立ち位置が変わる度に、文化の所有や当事者性という観点から内省を繰り返すさまが、細かく描写される。

 印象的なのは、大規模な共同牛舎の計画をめぐるやりとり。復興支援団体の提案で「地域存続のためには角突きの醍醐味(だいごみ)を損なう共同牛舎建設もやむなし」との方針が浮上する。だが、著者の宴席での発言をきっかけに再検討が始まり、計画は見直される。「行政やコンサルタントの支援に、地元は頼るしかない場面もある。日常の場で何気なく、その問題点を伝えられる関係性が重要」と強調する。

 小千谷での実践は「新しい野の学問」を進化させるための示唆に富む。「一定程度、地域の当事者性を持ちながら、生活の中に専門知を生かしていく。そんな協働(きょうどう)的なあり方を考えていきたい」<文・手塚さや香/写真・木葉健二>
    --「今週の本棚・本と人:『「新しい野の学問」の時代へ』 著者・菅豊さん」、『毎日新聞』2013年08月18日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130818ddm015070019000c.html:title]


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覚え書:「今週の本棚:富山太佳夫・評 『地中海帝国の片影』=工藤晶人・著」、『毎日新聞』2013年08月18日(日)付。


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今週の本棚:富山太佳夫・評 『地中海帝国の片影』=工藤晶人・著

毎日新聞 2013年08月18日 東京朝刊


 (東京大学出版会・8190円)
 ◇旧フランス植民地の驚異的な史実

 この本の副題『フランス領アルジェリアの19世紀』を眼(め)にしても、おッ、読んでみようという気になって手に取りたくなるのは、ごく少数の専門家だけかもしれない。もっとも『地中海帝国の片影』と一緒になると、ぐんと魅力的になって、手を伸ばす人の数もふえそうではあるけれども。

 これは一九世紀のフランス領アルジェリアの歴史を各種の、そして普通は使われることのない一次資料--役人の配置転換表やさまざまの町の地図等--を使いながら書かれた興味深い本である。一九七八年に出版されて以来、二五年間で世界の三六ケ国語に訳されたエドワード・サイードの『オリエンタリズム』の影をそこに感じとることができるし、げんに彼の仕事には何度も言及されるものの、それをしのぐ発想さえ感じとれるのだ。

 ただ、こんな調子で書評を続けようとすると、ちょっと待って、アルジェリアというのは何処(どこ)にある、どんな国という質問を受けそうな気もする。アルジェリアは、数ケ月前、日本人の技術者がテロの犠牲になってしまった国である。フランスの有名な小説家アルベール・カミュの小説『ペスト』の舞台となった国でもある。いや、それよりもずっと以前に、アルジェリアやその隣国モロッコは『ドン・キホーテ』や『ロビンソン・クルーソー』の中にも顔を出していた。そして、二〇世紀最大の哲学者とも言うべきジャック・デリダは、アルジェリアのユダヤ系の家系であった。地中海をはさんでフランスと向い合うこの国は人種的にも、宗教的にも、文化的にも多重で輻輳(ふくそう)しているということである。

 その複雑な国をフランスが植民地化したのだ。「一八三〇年五月、フランス軍は約三万人の兵力をもってアルジェ西方に上陸し、七月には……首府を占領した。条約にしたがってアルジェの『トルコ人』支配層はほぼ全員が追放され、あるいは退去し、三世紀以上にわたってアルジェリアという領域を支えてきた政治体の中心に空白が生じた。地中海の商業・外交という近世的な回路によって結ばれてきたフランスとアルジェリアは、陸軍による占領というかたちで密接に接触することになった」

 そのあとに続くのは、アフリカやカリブ海地域で見られたような単なる植民地化ではない。「一八三〇年代から早くもアラビア語と医学の学校がアルジェに開かれた」という小さな指摘からでも、そのことは簡単に察知できるだろう。しかし、最初の一、二歩を踏み出したところで、大きな問題群に直面してしまうことになる。そこに、「異なる言語、文化、宗教をもつ複数の集団が混在するアルジェリア社会」があったからだ。

 著者はミシュレやトクヴィルといった有名な思想家の言葉をならべて議論をまとめてしまうのではなく、フランス議会でのやりとりなども参照していく。とりわけ興味を引くのは、「アルジェリア・ムスリム法と土地問題」と題された第2部かもしれない。そこには、例えば「ハリールの『提要』のペロン訳は、二〇世紀初頭まで、フランス語によるイスラーム法研究の基礎文献として参照されつづけた。全六巻三〇〇〇頁(ページ)を超える大部の法学書は……」という一節があり、土地制度と法解釈の歴史が考察される。第3部では多数の地図を活用して、西部のオラン地方の都市構造の分析が展開される--図版もショッキングなくらい効果的だ。専門書だからと尻込みしている場合ではない。
    --「今週の本棚:富山太佳夫・評 『地中海帝国の片影』=工藤晶人・著」、『毎日新聞』2013年08月18日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130818ddm015070008000c.html:title]


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地中海帝国の片影: フランス領アルジェリアの19世紀
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病院日記(8) 「ありがとう」の一言に嬉しさを覚える自分の下衆さ


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ようやく帰宅。やっぱりというか、ものすごい疲れた。入浴介助だけなら、「ものすごい」と形容しないのだろうけど、そのあとGMSで24時過ぎまで仕事すると躰に堪えるなあ、と。何というか若くないことを痛感する。

朝から夕方までの入浴介助だけでも、足腰が立たないぐらい効(く)るのだけど、そのあとも立ち仕事続けるともう何がなんだかわからなくなって、ふわふわしてくる。まだ2-3年はもつだろうけど、躰が壊れてしまうなあと。

心配する看護助手の先輩からも、師長さんに行って、療養介護関係の資格をとってそのまま就職するようなコースにしてもらったほうがいいよ、何度も言われるのだけど、うーむ。もう、ちょっとだけ待って欲しいというか。

どうしようもなくなったときは、選択肢のひとつとして視野にいれるべきだろうけれども、ちょと今、格闘している課題だけは済ませておかないと踏ん切りもつかないものでね、てへげろ。

まあ、必殺!洗い人などと自分で茶化しながらやっているのですが……って、これも面倒くさいのだけど、その仕事をバカにしているわけではないという説明文を加えないと何言われるかわからんので挿入するけど……やっていると、事故が起きたらいかんので集中するけど、同時に精神も研ぎ澄まされる。

例えば、例の如く、「人様のお世話になるなどはしたない」と刷り込まれてきた高齢者の方は、毎度ながら、入浴のお手伝いをすると、「申し訳ない」つう話で手を合わせて「ありがとう」とおっしゃって下さる。しかし、自分はその言葉に嬉しさを覚えるわけで、そこに自分の下衆さも感じる訳よね。

「ありがとう」って言われたいためにやってんのか?と言われると違うけど、うれしく感じるのも厭なんだよな。また、無言で「作業」するわけにもいかないから、やりとりするのだけど、「さっぱりしましたか?」なんて聞いて「はい」って答えられて安心する自分も下衆いんだよな。

そして、鏡を鏡で映すがごとく、その下衆いを告白する、自分を観察する自分が存在してまたそこに厭にもなってしまう。ならば、「言語化」する必要などねえやろって話だけど、言語化による整理がされないままストレスとのもマズイから、ずっーと頭の中で誰何している。だけどけっこう鬱になるんだよな。

じゃあ、逆に見てみれば、銭もらってやっているンだから、それ以上・それ以下でもないと割り切ればいいという話だけど、そうなると多分、油断も生まれるのが怖いし、社会システムに馴化されるのが目に見えているからこれも厭でね。だからその両極を行きつ戻りつするしかねえのかな、と。


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覚え書:「今週の本棚・情報:『井筒俊彦全集』刊行へ」、『毎日新聞』2013年08月18日(日)付。


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今週の本棚・情報:『井筒俊彦全集』刊行へ

毎日新聞 2013年08月18日 東京朝刊

 慶應義塾大学出版会は、「知の巨人」井筒俊彦の没後20年と来年の生誕100年を記念して、『井筒俊彦全集』(全12巻・別巻、分売可)を刊行する。30を超える言語に通じ、東洋哲学と西洋哲学の「対話」を目指した大家が、日本語で執筆した全著作を執筆・発表年順に収録。9月末の第1巻配本は「アラビア哲学」(6300円)。問い合わせは同出版会(03・3451・3584)へ。
    --「今週の本棚・情報:『井筒俊彦全集』刊行へ」、『毎日新聞』2013年08月18日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130818ddm015070028000c.html:title]

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覚え書:「今週の本棚:松原隆一郎・評 『大いなる探求 上・下』=シルヴィア・ナサー著」、『毎日新聞』2013年08月18日(日)付。


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今週の本棚:松原隆一郎・評 『大いなる探求 上・下』=シルヴィア・ナサー著

毎日新聞 2013年08月18日 東京朝刊


 (新潮社・各2310円)
 ◇歴史を見つめた経済学者たちの息づかい

 数学者・経済学者のJ・ナッシュを描いた大ヒット映画『ビューティフル・マインド』の原作者による経済思想史の書。上下2巻から成る大著だが、語りのうまさはさすがで、一気に通読させられてしまう。

 本書は資本主義と経済政策の関係に絞って経済思想の展開を語っている。金融政策論争が選挙の論点となる昨今だけに、タイムリーではある。論争の起源は、どこにあるのか。

 近代初期の経済学は、市場経済における法則を見出(みいだ)し、中世における神の与えた秩序と同様に、運命として受け入れようとした。利潤率は長期的に低下して資本主義は停滞する(リカード)か亡(ほろ)びるか(マルクス)といった議論である。

 しかし経済学は、次第にその運命を「制御可能なもの」とみなすようになる。口火を切ったのはマーシャルで、企業家が競争を通じて生産性を高めるのが資本主義だとして、企業家精神の確立を説いた。本論はここに始まり、スミスもリカードもほとんど登場しない。経済政策の改良と革新に携わった人として、ケインズとシュンペーター、フィッシャーにハイエクが登場する。それにマーシャル、ロビンソンとセンが彩りを添える。

 もっとも、本書に引き込まれるのは、固い話だけによってではない。登場人物たちの生涯から、息づかいまで聞こえそうなエピソードが次から次へと紹介されるのである。人物論などまったく知られていなかったナッシュの心的苦闘を描いて感動を誘った前作の作者らしい筆の運びではある。

 たとえばI・フィッシャーは娘を統合失調症の(器官を切除するという、現在からすれば誤った)治療で亡くしたり、自身が結核に罹(かか)ったりしたことから、公衆衛生論の闘士でもあった。A・センはインドで飢饉(ききん)を体験したのみならず、自身も口腔癌(こうくうがん)を患い、鉛のマスクを鉄仮面のように被(かぶ)って、放射線を照射される不快な治療を受けている。

 一方、過度に外向的な人もいる。J・シュンペーターはイギリス紳士を気取り、高級娼婦(しょうふ)と街中を行き来するほど豪奢(ごうしゃ)で放恣(ほうし)な生活に溺れて、借金を重ねた。J・M・ケインズにも一時期は、愛人が(男女問わず)9名もいた。J・ロビンソンも夫を「駄馬」と面罵しつつ不倫を重ね、毛沢東語録を振り回すほどに社会主義国の広告塔ともなった……。

 そんな個人史とともに、歴史の流れに経済政策が果たした役割が描かれる。とりわけ第一次と第二次の大戦間期に頁(ページ)が割かれている。シュンペーターは技術革新こそが生産性を高めるとし、企業家と銀行が景気を左右すると見た。経済の実物面と運営面に注目したのである。

 対照的に通貨や資産・負債という金融面・ストック面に視点を移したのがフィッシャー、ケインズ、ハイエク。戦勝国も敗戦国も巨額の負債を負い、賠償金をめぐってヨーロッパは大混乱に陥った。それがインフレやデフレという景気変動の原因となり、政府の市場介入を拒否する市場放任主義は、大恐慌を招き寄せた。

 ここでフィッシャーは、債務がデフレによって過剰な負荷となる点に注目した。ハイエクは金融緩和が誤った投資を導いて恐慌が到来するとし、ケインズはいったんデフレになれば金融政策は無力だとみなして財政政策に期待した。それぞれが市場介入を説いたのだ。

 鳥の目と虫の目を駆使し、歴史・経済政策と人物のあがきの双方を遠近から描く。稀(まれ)なほど面白い学説史である。(徳川家広訳)
    --「今週の本棚:松原隆一郎・評 『大いなる探求 上・下』=シルヴィア・ナサー著」、『毎日新聞』2013年08月18日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130818ddm015070023000c.html:title]


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書評:小熊英二編ほか著『平成史』河出書房新社、2013年。

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小熊英二編ほか著『平成史』河出書房、読了。歴史は代表する何かによって描かれるが、70年代以降「『代表が成立しない』という状況を生んでいる」。本書は「社会構造と社会意識の変遷史として描くしか、『平成史』の記述はありえない」認識のもと、失われた何もないとされる近い過去を描きだす。

本書は、政治、経済、教育と社会保障、そして外交とナショナリズムが腑分けする。戦後日本社会の疾走はポスト工業化時代の到来と共に失速する。上手く対応できなかった現実を前提に、今後はどこに向かうのか。過去を踏まえ明日を展望する意欲的試みだ。

「何の歴史を語れば平成という時代を語ったことになるのか」。自由の象徴としての「フリーター」の喧伝は、自己責任とワンセットの悲哀に反転する平成の時代。語るべきものは何もないのではない。絶望に気づいていなかっただけかも知れない。

[http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309624501/:title]


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覚え書:「チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド [編著]東浩紀」、『朝日新聞』2013年08月11日(日)付。

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チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド [編著]東浩紀
[掲載]2013年08月11日   [ジャンル]社会 国際 

著者:東浩紀、津田大介、開沼博  出版社:ゲンロン 価格:¥ 1,470

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 ウクライナで旧ソ連時代の1986年に起こったチェルノブイリ原発事故の跡地、いわゆる「ゾーン」へのツアーは2011年から本格化した。本書の旅には、東のほか津田大介や開沼博らが参加し、老朽化した「石棺」や、ニュースで見たのとそっくりな発電所制御室、ヤノベケンジの美術作品にも出てくるプリピャチの観覧車などを巡っている。「事故の風化を防ぐ」「原発政策の透明化」「風評被害をなくす」。ツアー推進派の目的はさまざまだが、観光地化は、事故を過去の森に隠そうとする力にあらがうものだ。となれば、福島はどうか、が次に来るだろう。はたして、福島第一原発の観光地化を提案するムックが、準備されているそうだ。
    ◇
 ゲンロン・1470円
    --「チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド [編著]東浩紀」、『朝日新聞』2013年08月11日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013081100008.html:title]


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覚え書:「グローブトロッター―世界漫遊家が歩いた明治ニッポン [著]中野明 [評者]内澤旬子」、『朝日新聞』2013年08月11日(日)付。


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グローブトロッター―世界漫遊家が歩いた明治ニッポン [著]中野明
[評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)  [掲載]2013年08月11日

■人は旅になにを求めるのか

 19世紀末の欧米にグローブトロッター(世界漫遊家)と呼ばれる人々が出現する。交通機関の進展と低廉化にともない、旅が消費の一形態として、貴族だけでなく、多くの民間人に開放されたのだ。
 鉄道や汽船を乗り継ぎ、世界各都市から辺境まで、どこでも行ってみたい、見てみたいという欲求に突き動かされて歩き回る彼らにとって、開国されたばかりの日本は、いわばレアアイテム。多くの旅の記録が残されている。
 本書はそれらの旅の記録から、開国から数年刻みで刻々と発展してゆく明治期の日本の様子を追う。
 明治期の旅施設の整い具合も興味深いが、グローブトロッターたちのタイプ別分析が面白い。快適さを人脈で得るか、お金で購(あがな)うか。多くの土地を急いで踏破するか、ニッチな目標に沿ってじっくり滞在するか。
 人が旅になにを求めるのか、当時もより便利になった今も、あまりにも変わらないことに驚かされる。
    ◇
 朝日新聞出版・1995円
    --「グローブトロッター―世界漫遊家が歩いた明治ニッポン [著]中野明 [評者]内澤旬子」、『朝日新聞』2013年08月11日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013081100014.html:title]


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グローブトロッター 世界漫遊家が歩いた明治ニッポン
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朝日新聞出版 (2013-06-07)
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覚え書:「そこが聞きたい:麻生副総理「ナチス」発言 ゲプハルト・ヒールシャー氏」、『毎日新聞』2013年08月14日(水)付。


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そこが聞きたい:麻生副総理「ナチス」発言 ゲプハルト・ヒールシャー氏
毎日新聞 2013年08月14日 東京朝刊


 ◇過去に決着、意思欠如--元南ドイツ新聞極東特派員、ゲプハルト・ヒールシャー氏

 憲法改正を巡ってナチス政権を引き合いに出した麻生太郎副総理兼財務相の発言=1=が波紋を広げている。日本に40年以上住む元南ドイツ新聞極東特派員のゲプハルト・ヒールシャーさんに日独の歴史観の違いなどを聞いた。【聞き手・青島顕】

--麻生副総理の発言をどう聞きましたか。

 歴史の基本的問題が何も分かっていないと思います。第一次大戦後のドイツでは、世界恐慌の影響で失業者が増大し、政党政治へのあきらめが広がりました。普通の政党による政権が機能しない状況になって、リベラルな民主主義を認めたくない人たちがナチスを台頭させたのです。ナチスは全権委任法によって民主的なワイマール憲法を事実上つぶし、独裁国家になりました。第二次大戦後、その反省から連邦憲法裁判所が作られ、権力をけん制し、民主的な憲法を守るようになったのです。

--ドイツでは発言がどのように受け止められていますか。

 基本的には「信じられない」という反応です。内閣で重要なポストに就く人が、(民主主義の手続きなど)憲法の基本的姿勢に反する発言をすることなど、あり得ません。ドイツではナチスを称賛する言動は法律で禁止されており、ナチスを引き合いに出すのは、「ネオナチ」など一部の右翼的な人たちだけです。ドイツで大臣がこんな発言をすれば、大きな騒ぎになり、辞任に追い込まれていたでしょう。

--日本とドイツはいずれも第二次大戦の敗戦国ですが、責任の取り方に違いがありますか。

 私は両国の戦後処理を整理して論じたことがあります。対照的な点は三つです。(1)ドイツの裁判所は1958年以降、自国の戦争犯罪を告発、6500人が有罪になりましたが、日本は自ら追及していません(2)ドイツには教科書に何を書くべきか検討する公的機関があり、かつての敵国と一緒に、歴史教科書の内容を検討し、それに伴って記述を改訂しました(3)ドイツは53年に連邦補償法を制定し、ナチ犠牲者に補償してきました。東欧からの強制労働者に対し、2000年に政府と産業界との共同出資で財団を設立する法律を定め、補償してもいます。以上3点は過去と決着をつける政治意思の表れです。一方、日本はこうした点で過去と向き合うことを避けがちで、政治的な意思も欠けていると思います。

--両国の違いは、なぜ生じるのでしょうか。

 ともに戦後、外国に占領されましたが、日本は一つの国として残りました。ドイツは私が生まれた東プロイセンを含め、自国領土の24%を失ったうえ、二つの国に分断されました。国家が継続した日本に比べ、ドイツは新しい出発をして、「悪い」過去に対する区切りが意識的に行われたのです。

--麻生氏の発言は憲法改正を巡るものでした。ドイツは憲法にあたる「ボン基本法」=2=を多数回改正している一方、日本は一度も憲法を改正していません。日本は改憲のハードルが高いという議論も出ています。

 ドイツは戦後59回改憲していますが、人権尊重など基本構造を変えたことはありません。東ドイツと統一した後は、州の数の変更に伴う改正がありました。ハードルが低いわけではなく、連邦議会、連邦参議院で、それぞれ3分の2以上の賛成が必要です。政治的に対立する点では改正は困難です。少なくとも保守的なキリスト教民主同盟・社会同盟とリベラルな社会民主党という立場の異なる2大勢力が合意しなければ、改憲はできません。

--日本に憲法改正の機運が高まっていると思いますか。

 国民の多くが日本国憲法改正を望んでいるとはいえないでしょう。私は改憲が許されないとは考えていませんが、基本構造を簡単に改正すべきだとは思いません。改正手続きを定めた96条を緩和して、今より容易に変えられるようにすべきだとも思いません。

--日本の政治家に言いたいことはありますか。

 自民党の政治家にも、過去と向き合う意思を持った人はいました。90年代の宮沢喜一首相や河野洋平官房長官は、慰安婦問題に取り組みました。彼らの姿勢が、償いのための基金作りや首相のおわびの手紙につながりました。それより前の世代の大平正芳首相も同じでした。今の政治家からはそうした思いが伝わってきません。逃げないという意思さえあれば、日本も今からでも過去と向き合うことができると思います。

--麻生氏の発言を巡る日本国内の報道はドイツなど国外での声を受けてから大きくなりました。

 日本人の間で戦争や歴史について基本的な認識が共有されておらず、発言の異常さに気づかなかったのかもしれません。もっと早く自発的に報道し、問題から目をそらすべきではなかったと思います。

 ◇聞いて一言


 日本は第二次大戦後、生まれ変わったと理解してきた。憲法も天皇主権、帝国主義から国民主権、平和主義に改められた。ところが、分断されたドイツに育ったヒールシャーさんは「日本は戦後も国が継続している」と言い、あいまいな戦後処理の根源をそこに見る。68年たつのに置き去りにされていること、小さな声を上げている人たちの話に耳を傾け、今からできることを考えなければならないと思う。こっそりと元に戻す前にやるべきことはたくさんある。

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 ■ことば

 ◇1 麻生副総理の「ナチス」発言

 改憲と国防軍の設置などを提言する「国家基本問題研究所」が7月29日、東京都内で開いた討論会で「ドイツのヒトラーはワイマール憲法という当時ヨーロッパで最も進んだ憲法の下で出てきた。ワイマール憲法はいつの間にかナチス憲法に変わっていた。あの手口、学んだらどうかね」と発言。「誤解を招いた」と撤回したが、5野党が罷免を求めた。

 ◇2 ボン基本法

 戦後、東西に分かれたドイツのうち、西ドイツで1949年に作られた憲法。各州代表で組織した評議会がボンで制定し、米英仏3国の軍司令官が承認した。90年までに35回改正された。ドイツ再統一の際、適用範囲を旧東ドイツを含む全域に改めて、現在まで存続している。

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 ■人物略歴

 ◇Gebhard Hielscher

 1935年、東プロイセンの旧ティルジット(現ロシア領)生まれ。67年来日。71~2000年、南ドイツ新聞特派員。日本外国特派員協会会長も務めた。
    --「そこが聞きたい:麻生副総理「ナチス」発言 ゲプハルト・ヒールシャー氏」、『毎日新聞』2013年08月14日(水)付。

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[http://mainichi.jp/select/news/20130814ddm004070008000c.html:title]

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覚え書:「消費税日記―検証 増税786日の攻防 [著]伊藤裕香子 [評者]水野和夫」、『朝日新聞』2013年08月11日(日)付。


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消費税日記―検証 増税786日の攻防 [著]伊藤裕香子

[評者]水野和夫(日本大学教授・経済学)  [掲載]2013年08月11日   [ジャンル]経済 

■「最強の根拠」は財務省の発案

 野田佳彦内閣が消費税増税法を成立させて、昨日(10日)でちょうど1年たった。本書は2010年6月17日、菅直人総理(当時)の参院選での消費税10%発言から法案成立までの786日間を追った迫真のドキュメンタリーである。そして、行間に様々な歴史の教訓が隠されており、とても奥深い。
 本書を読んですぐに浮かんだのは、ビスマルクの「政治は可能性の芸術」である。1年1カ月だけ重なって民主、自民両党のトップだった野田と谷垣禎一が、多くの人の「増税の前にやることがある」との反対意見を押さえて成立させたのは、政治的現実のなかでまさに限界ギリギリまで可能性を追求したからだ。
 しかし、第4章の初め、いつから野田前総理が「政治生命を懸けて」増税を決意するようになったかというあたりから、本当に「可能性の芸術」だったのか疑問に思えてきた。09年、野田が財務副大臣に就く直前に著した『民主の敵』(新潮新書)には「消費税」の言葉は2カ所だけで、10年6月以降の財務相時代も、記者会見での発言で判断する限り、「他人事(ひとごと)」のようだったと指摘している。
 加えて、野田がマニフェストに書いていない消費税増税に踏み切る「最強の根拠」としたのが、財務省が鳩山総理時代の政府税制調査会への諮問文に「さらっと、忍び込ませた」11年度中の増税法案提出をうたう条項だった。そうなると、「可能性の芸術」を追求したのは野田ではなく、財務省ということになる。
 ここまでくるとブルクハルトの世界である。フランス革命で「自由のための専制」が正当化され、王政の比でない恐怖政治がおこなわれた状況を、この19世紀のスイス人は「歴史の危機」(危機が次の大きな危機を呼ぶ状況)という。今の日本では「財政再建のための国土強靱(きょうじん)化計画」という理屈が「可能性の芸術」を吹き飛ばすかもしれない。
    ◇
 プレジデント社・1785円/いとう・ゆかこ 朝日新聞記者。現西部本社報道センター次長(経済担当)。
    --「消費税日記―検証 増税786日の攻防 [著]伊藤裕香子 [評者]水野和夫」、『朝日新聞』2013年08月11日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013081100012.html:title]


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覚え書:「考えすぎた人―お笑い哲学者列伝 [著]清水義範 [評者]鷲田清一」、『朝日新聞』2013年08月11日(日)付。


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考えすぎた人―お笑い哲学者列伝 [著]清水義範

[評者]鷲田清一(大谷大学教授・哲学)  [掲載]2013年08月11日

■「入り口」へ誘う快調な文章擬態

 神託をもとめ「ソクラテスより頭のいい人間はいますか」と訊(たず)ねるところを、「頭の強い人間」と言い損ねたあとの顛末(てんまつ)から、サルトルを被告とする恋愛裁判まで、12名の哲学者の滑稽譚(たん)。「プラトンの対話ヘン」といった駄洒落(だじゃれ)の章題に、講釈あり、インタビューあり、子どもとの対話、合コンの中継ありと、著者の文章擬態は快調だ。
 意味はちんぷんかんぷんだけど人の心をぐいと鷲掴(わしづか)みにするような殺し文句が哲学書にはある。が、相手の顔色もおかまいなしに、論理を一貫させ、すべてを言い切らないと気がすまない、そんな哲学者のふるまいがとんちんかんを生む。言っていることは正しい(みたいだ)けどやっぱり違っているのでは……と、なかなかに痛いところを著者は突いてくる。
 著者は「哲学入門」の門口まで読者を誘う「笑い話」集だと言うけれど(人はこれを「敬して遠ざける」ともいう)、哲学研究者こそ一読しておいたほうがいいかも。
    ◇
 新潮社・1680円
    --「考えすぎた人―お笑い哲学者列伝 [著]清水義範 [評者]鷲田清一」、『朝日新聞』2013年08月11日(日)付。

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書評:清水知子『文化と暴力 揺曳するユニオンジャック』月曜社、2013年。


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清水知子『文化と暴力 揺曳するユニオンジャック』月曜社、読了。サッチャー政権以後の「社会のない社会」と呼ばれた時代を、人々はどのように生き、そこから何を生みだしたのか。現代イギリス社会を対象に文化と暴力の構造を読み解く一冊。イギリス人にとってサッチャー時代とは果たして何だったのか。

福祉国家が解体したサッチャー以後の英国社会。魔女は死んだがサッチャリズムは生きている。本書は、ヴィヴィアン・ウエストウッド、ダイアナ、英文学、中華料理等々……。文化と暴力をキーワードに現代社会に生きる意義を問い直す。

グローバル資本主義と新自由主義は、個人の自由と自律を錯覚させたのではあるまいか。自ら隷属することを自由と勘違いする矛盾。本書はサッチャー時代の功罪を検討する一冊。しかし、日本人とも無縁の話題ではない。戦慄せよ。


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覚え書:「日本のタコ学 [編著]奥谷喬司 [評者]荒俣宏」、『朝日新聞』2013年08月11日(日)付。


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日本のタコ学 [編著]奥谷喬司

[評者]荒俣宏(作家)  [掲載]2013年08月11日

■「頭」か「腹」か、から「心」まで

 ここ20年で大飛躍をとげた日本の「タコ学」。その成果を集めた論文集となれば一読せずにいられない。たとえば「タコの体」は、どこが頭でどこが背中なのか? 最新の理解によれば、一般に坊主頭と思われている部分は、内臓が入っているので「腹」。眼(め)と口と脳がある場所は8本足の股座(またぐら)に収まっているが、「頭」に当たる。
 その頭に8本足がくっ付いているから、彼らは「頭足類」と呼ばれる。一方、口がある部分を「体の尖端(せんたん)(前)」とすると、坊主頭の先っぽは体の後端となる。また、ふつうは内臓がある方が腹(表〈おもて〉面)なので、その逆側に付いている足や口は背(裏面)にあると言うしかない。要するにタコと人間の体は別の進化系統に拠(よ)っているのだ。
 ところが、謎だらけのタコの体も、その設計図が腹側に神経を置き背側に内臓を置くという点でクラゲ(刺胞動物)やハエ(節足動物)などと一致している。我々人間を含む脊椎(せきつい)動物だけがその配置を逆転させ、内臓を腹側に置いているのだ。また、食べるための口はどの動物でも体の前方にある。ここまでは設計図が同じでも、タコの場合は肛門(こうもん)が後ろへ行かずに折り返され、口と隣り合う形になる。
 胚(はい)の段階で前後に延びていたタコの神経は両方の端が丸まって脳という塊になる。ここに視覚、五感などの知覚中枢が集まるので、じつは人間とタコの脳は同じプランを持っていることになる。ということは、「心」についても同一の基礎に立つのではないか?
 さぁ大変だ。話はここからタコに人間的な自意識があるかどうか、否、タコの脳を通じて人間の脳のカラクリが解明できるかという哲学的展開となる。本書の後半には懇切丁寧な最新タコ図鑑が付され、イイダコの学名(種小名)決定において江戸の俳諧書『海乃幸(うみのさち)』と『和漢三才図会』が役立った話など、美味(おい)しい話題の大皿盛りである。
    ◇
 東海大学出版会・3990円/おくたに・たかし 31年生まれ。東京水産大学名誉教授。『軟体動物二十面相』など。
    --「日本のタコ学 [編著]奥谷喬司 [評者]荒俣宏」、『朝日新聞』2013年08月11日(日)付。

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覚え書:「ドゥルーズの哲学原理 [著]國分功一郎 [評者]いとうせいこう」、『朝日新聞』2013年08月11日(日)付。


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ドゥルーズの哲学原理 [著]國分功一郎

[評者]いとうせいこう(作家・クリエーター)  [掲載]2013年08月11日


■相手の考えの奥に潜り込む

 フランス現代思想は難解だ、と我々の多くは考えているはずだ。特にジル・ドゥルーズはその最高峰だ。難しい。
 そのドゥルーズを快刀乱麻を断つごとく、簡潔に読みほどいていくのが若き哲学者・國分功一郎である。かといって、わかりやすい解説書にありがちな“超訳”は一切ない。
 著者はバディウの指摘した、ドゥルーズにおける自由間接話法の多用から話を始める。他者の発言をカッコにくくらず、「と言った」とも受けず、裸のまま地の文の中に置く手法である(この評の冒頭、3行目「特に」以下がそれにあたる。「我々の多く」がそう言うのか、書く私の発言なのか、決定不能になる)。
 すると、評する主体と評される主体は交じり合う。まるで相手の考えの奥に潜り込むようにして、ドゥルーズは対象を思考する。
 その上で、哲学研究は何をするべきか?というドゥルーズの問いを著者もまた問う。そこには著者ならではの「自由間接話法」も働く。問いはどちらのものでもある。
 “哲学者本人にすら明晰(めいせき)に意識されていない”問いを描き出すこと。とドゥルーズは、あるいは著者は答える。哲学研究とは哲学者の意識を超えることなのだ、と。
 こうした原理的な構えから、ヒューム的な主体、フロイトからラカンに至る精神分析的知見、フーコーの権力論を欲望から読み解くことなど、ドゥルーズを巡って難解な用語で語られてきた概念が、徹底的な平易さで説かれる。
 すると、生活から果てしなく遠かった現代思想がここで必要だとヒリヒリ感じられてくる。例えば以下の言葉。
「服従を求める民衆が他の者にも服従を強いる、というありふれた(中略)、あのおぞましい現実」
 これこそ今の日本ではないか。それがさらに「なぜ人は自由になろうとしないのか」と言い換えられて初めて、我々の目は覚める。明るい。
    ◇
 岩波現代全書・2205円/こくぶん・こういちろう 74年生まれ。高崎経済大准教授(哲学・現代思想)。
    --「ドゥルーズの哲学原理 [著]國分功一郎 [評者]いとうせいこう」、『朝日新聞』2013年08月11日(日)付。

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覚え書:公共哲学としての南原繁

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 東京大学総長を務めた南原の場合、内村鑑三(一八六一-一九三〇)の流れをくむ無教会派キリスト教の影響とともに、カントの永遠平和思想とフィヒテの抵抗のナショナリズムの双方から強い影響を受けていました。前章でみたように、双方の公共哲学は相違いますが、南原は双方のメリットを活かすかたちで、日本の進路を考えたのです。
 すでに戦前に南原は、ナチズムなどの血縁共同体的社会観に抗して、フィヒテのいう「Nation(国民、民族)」が血縁ではなく、個々人の自由な創造的行為によって創出される「文化共同体」であることを強調しました。そして戦後は、フィヒテの『ドイツ国民に告ぐ』を思わせるようなかたちで、「道義国家」としての新しい日本の誕生を国民に訴えたのです。
 そしてそのために彼は天皇の人間宣言を歓迎しつつも、昭和天皇が戦争責任をとって退位する見解に与し、GHQが一方的に押しつけた憲法を丸呑みするのではなく、一定期間を経た後の国民投票によって施行されるべきだと主張しました。このように彼は、「個人の自律的判断」と「文化共同体としての新しい日本国の創造」を不可分とする公共哲学をとなえたのです。
 南原は「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない」と第一条にうたった一九四七年施行の教育基本法の起草にあたっても、大きな役割を演じました。このことからも教育基本法が、しばしば誤解されるように、公共性を軽視した個人主義に立脚しているのではないことがはっきりするでしょう。
 南原はまた、「正義にもとづく平和」を希求しつつも、冷戦下で国民国家として日本が真に独立し、国際社会の一員として活躍するためには、自衛のための最低限の武器もやむをえないという考えを示しました。彼はこうした自らの立場を「イデアル・レアリスト(理想主義的現実主義)」と呼んでいたようです(加藤節『南原繁』岩波新書、一九九七年参照)。
    --山脇直司『公共哲学とは何か』ちくま新書、2004年、110-112頁。

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覚え書:「ルイス・ブニュエル [著]四方田犬彦 [評者]佐々木敦」、『朝日新聞』2013年08月11日(日)付。

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ルイス・ブニュエル [著]四方田犬彦

[評者]佐々木敦(批評家・早稲田大学教授)  [掲載]2013年08月11日


■反転と逆説の映画、妖しい輝きを活写

 ルイス・ブニュエルは、1900年にスペインに生まれ、1983年に没した映画監督である。彼はシュールレアリスム映画の金字塔とされる第1作『アンダルシアの犬』から遺作となった『欲望のあいまいな対象』まで、生涯に32本(数え方によっては37本)の映画を発表した。
 『忘れられた人々』『ビリディアナ』『砂漠のシモン』『皆殺しの天使』『ブルジョワジーの秘(ひそ)かな愉(たの)しみ』等々、傑作、名作とされるフィルムは数多く、ここ日本においても繰り返し特集上映がなされてきた。
 にもかかわらず、ブニュエルという映画作家は、これまで十分に論じられてきたとは言い難い。他の巨匠名匠たちと比べると、どこかキワ者扱いというか、別枠という印象さえある。これは取りも直さず、ブニュエルの作品の一筋縄でいかなさ、底知れぬ奇怪さ、通り一遍の分析への抵抗、要するに語りにくさを示している。と同時に、ある意味で、日本の映画批評の偏向性を物語ってもいるだろう。
 著者は、過去の多くの仕事でも明らかな、ほとんど超人的と言ってよい批評家としての胆力を駆使して、この特異なシネアスト(映画人)にかんする膨大な資料(記録と証言)を総覧し、古今東西のブニュエル研究をあまねく踏まえた上で、しかしあくまでも1本ごとのフィルムに徹底的に寄り添うことによって、この長大にして重厚なルイス・ブニュエル論を完成させた。
 ブニュエルの語りにくさとは、涜神(とくしん)的、反道徳的、スキャンダラスなどと評される彼の映画が、しかし表面的な過激さ、あからさまな危険さに留(とど)まらない複雑精緻(せいち)な回路を内在させていることによる。それはいわば反転し続ける逆説であり、尽きせぬパラドックスである。本書でも繰り返し言及されるブニュエルの有名な言葉「わたしが無神論者であるのも、ひとえに神のおかげである」に、それは端的に表れている。
 敬虔(けいけん)なカトリック教徒として育ちながら、信仰を嘲弄(ちょうろう)するかのような映画を撮り続けたブニュエル。富裕層の低劣さを強烈に描きつつ、貧者の善良さも鮮やかに否定してみせたブニュエル。現実と幻想が、完璧に同等の存在として存在する世界を創り上げたブニュエル。1本のフィルムが、単線の物語やテーマに収斂(しゅうれん)することなく、文字通りの「あいまいな対象」として妖しく輝き出す瞬間を、著者は驚くべき筆力で生け捕っている。
 幸いにもブニュエルの多くの作品は今やDVDで見られる。本書を捲(めく)りながらフィルモグラフィーを辿(たど)ってみるのも良いだろう。
    ◇
 作品社・5040円/よもた・いぬひこ 1953年生まれ。映画史家。主な著書に『映画史への招待』『モロッコ流謫』『見ることの塩』『ラブレーの子供たち』『日本のマラーノ文学』『大島渚と日本』など。
    --「ルイス・ブニュエル [著]四方田犬彦 [評者]佐々木敦」、『朝日新聞』2013年08月11日(日)付。

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覚え書:「「少女小説」の生成―ジェンダー・ポリティクスの世紀 [著] 久米依子 [評者]水無田気流」、『朝日新聞』2013年08月11日(日)付。

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「少女小説」の生成―ジェンダー・ポリティクスの世紀 [著] 久米依子

[評者]水無田気流(詩人・社会学者)  [掲載]2013年08月11日

■規範と逸脱の麗しき輪舞

 近代日本の「少女小説」。このジャンルの独自性は、日本の近代化と文化表象の特異性を裏書きしている。少女小説が登場したのは、明治30年代のこと。その系譜は近年のコバルト文庫に至るまで、百年にもわたる歴史をもつ。だがその内容や領域に一貫性はなく、ときに相反する特性をも包摂する。これは、いわゆる欧米の「家庭小説」などとも一線を画すと筆者は指摘する。
 明治後期、いわゆる少女向け読みものとしての少女小説が誕生。だが同時期書かれた田山花袋「少女病」等、青年と若い娘の恋愛小説もまた、少女小説と呼ばれていた。無垢(むく)なる性愛対象という「少女」は、後発近代化国・日本の成人男性にとって、抑圧された自らの自然を回復するための救世主でもあった。このあり方は、その後次第に教育的配慮とは齟齬(そご)をきたす。
 近代教育における少女への要請もまた、二転三転を繰り返した。学制公布当初は、欧化思想のもと男女平等志向が伸展するかに見えたが、その後儒教的倫理観の揺り戻しが起こる。教育勅語発布や日清戦争勃発等の社会情勢は富国強兵路線強化へと結びつき、結果的に少年から少女を隔絶し、その価値を低減させるに至った。高等女学校令の公布により「良妻賢母」教育が浸透し、少女性は家の娘規範と同一視されていった。その過程で少女小説から異性愛的要素は排除され、日本独自の耽美(たんび)的な友愛、つまりシスターフッドの世界観が形成された。それは恋愛代替物としてのモチーフから、次第に吉屋信子のごとき独自の美学様式を獲得していった。
 なるほど少女小説の百年とは、ジェンダー規範強化と、その美的な逸脱の相克史でもあったのだ。それは宝塚や昨今の「男の娘(こ)」と呼ばれる女装美少年等、異性装の美学へも受け継がれていく。規範と逸脱、周縁性と大衆性の交錯する麗しき輪舞を堪能されたい。
    ◇
 青弓社・3150円/くめ・よりこ 目白大学教員(日本近代文学・日本児童文学)。共著『天空のミステリー』など。
    --「「少女小説」の生成―ジェンダー・ポリティクスの世紀 [著] 久米依子 [評者]水無田気流」、『朝日新聞』2013年08月11日(日)付。

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日記:『風立ちぬ』雑感 --ひとりの人間がその内に孕む矛盾をひとつの作品に


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全体がワッーって収斂されていくことには懐疑的だから、日本テレビ+スタジオジブリを宣揚することだけは避けているんですけど、子どもが見たいというので、『風立ちぬ』を見てきました。

宮崎駿さんが自身のうちに秘めている、兵器と平和の両者への指向(思考・嗜好)を共存させるということ、すなわちひとりの人間がその内に孕む矛盾をひとつの作品にしたことには敬意を表したい。

戦闘機の絵を描くことイコール軍国主義者なのか、といえばノーでしょう。内なるものを相対化させ飼い慣らすことはなかなかできない。

極端だけど、戦争映画みて戦争やろうゼと思うとか、ゲームのしすぎはパラノイアっていう科学的根拠を全く割愛した単純化の方がやばいのではないだろうか。

勿論、そういうパターンもなきにしもあらずだろうけど、結局それを趣味的な愛好と、現実への取り組みを共存させるのは、カルチベートの問題になってくる。

だからなし崩し的な還元主義による脊髄反射的ほど恐ろしいものはないだろう。

過去を描くことに関してアキレス腱がないわけではない。それはロマン主義の負の側面といってよい。一種美化された過去が提示されると、容易に人はそこに収斂されていく。指摘は多いと思うけれども、『風立ちぬ』は、割と意識的にその憧憬を抑制しているように感じた(勿論、創作ゆえのロマン主義もあるのだけど。

認識の地平として、ナショナリズムの良し悪し自体がナンセンスであるの同様にロマン主義の良し悪し自体にもナンセンスはあると思う。しかしながら、……そして、言い方が語弊を招きそうだけれども……、宮崎さんの育ちの良さがいい方向に機能していることは否定できないとは思う。もちろん、あそれはア・プリオリな文化資本乙というよりも、オルテガ的に捉えても良いけど、自身が生き方として獲得していくそれという意味で。

「夢は狂気をはらむ、その毒もかくしてはならない。美しすぎるものへの憬れは、人生の罠でもある。美に傾く代償は少くない」。

[http://kazetachinu.jp/message.html:title]

私的な指向・志向・嗜好と公的な選択は全く別だ。その意味で、月並みだけど成熟した人間になれるかどうかだけだけの話。

まあ、ほとんど正反の評価は出揃っているので、今更わたしが云々感ぬん言及するのもナンセンスだけど、結果としては宮崎さんを擁護するような形になったかと思うが、脳内思考を刀狩りする清潔主義・道徳主義的強制ほど、実際のところ、現実の武力を肯定する発想と五十歩百歩であるからいたしかたない。

( むしろ、育ちの良さとしての素朴な宮崎さんの善意が、悪しきロマン主義として、アニミズム的なディープエコロジカルに傾きがちなところは、ヒコーキ好きよねんよりは、まあ、問題だとは思っているけど。 )

ちなみに、僕はあらゆる暴力に荷担することは嫌悪しますが、戦争の道具は好きですけどね。

関連記事 [http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/kenpouto/list/CK2013050902000173.html:title]


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覚え書:「書評:<おんな>の思想 上野 千鶴子 著」、『東京新聞』2013年08月11日(日)付。

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<おんな>の思想 上野 千鶴子 著

2013年8月11日

◆リブ、フェミニズムの現在
[評者]三上治=評論家

 経産省の一角に立つ三つのテント、内の一つは女性用のテントだ。このテントで「未来を孕(はら)む女たちのとつきとおかのテントひろば」行動が提起された。これは少し前のことだが、福島のある女性が原発事故を契機に脱原発運動に加わる中で提示したものだった。「経済(かね)より命」という言葉と共に、脱原発や反原発運動を担ってきた女性たちの主張を象徴するものでもある。

 ウーマンリブやフェミニズム運動として登場した女性たちの自己主張の声も時がたち、声高には聞こえなくなった。社会の表面では見えにくくなったが、その主張は社会に浸透し、こうした動きや言葉となって存在している。

 その女性(おんな)の主張や考えの現在はどこにあるのか。それをリブやフェミニズム、あるいはその先駆になった著作を読み直し、著者が影響を受けたと思われる作家たちの思想を検討しながら、<おんな>の思想の現在が提示される。おんなの思想とは女性たちが社会や家族の場面で置かれている関係、また、それを支配している考え(思想)に異議申し立てをし、そこから解放された立場や考えを主張するものだ。リブ(女性解放)、フェミニズム(女性尊重)はその要約的な表現である。

 石牟礼道子、田中美津、フーコー、サイードら、内外の十一人の性をテーマとした著作が取り上げられる。共通点は現在の男女関係やそれを支配する理念は歴史的なもの、つまりは文化の様式の中で形成されたものであり、自然的な根拠を持つものではないとする考えだ。これは歴史や現在の男女関係が固定的・永続的なものでなく、置換可能なことを意味する。それは私たちの社会現象として表現され、家族や男女関係の変貌として実感できる。

 ただ、女性には現在も依然として<産む><産まぬ>が大事なことだ。森崎和江の「産の思想」と富岡多惠子の「単独者の選択」の間で揺れ動いてきた著者の立場と思想が本書を貫くテーマであり、性差を問わず共感できる。

(集英社・1575円)

 うえの・ちづこ 1948年生まれ。女性学者。著書『近代家族の成立と終焉』。
◆もう1冊 

 ジュディス・バトラー著『ジェンダー・トラブル』(竹村和子訳・青土社)。<女性>という自然的集合性を衝撃的に解体した人文書。
    --「書評:<おんな>の思想 上野 千鶴子 著」、『東京新聞』2013年08月11日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013081102000171.html:title]


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<おんな>の思想 私たちは、あなたを忘れない
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覚え書:「書評:これからお祈りにいきます 津村 記久子 著」、『東京新聞』2013年08月11日(日)付。


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これからお祈りにいきます 津村 記久子 著

2013年8月11日

◆神社に頼る若者らを描く
[評者]佐藤洋二郎=作家

 生きていくための経験や知識が乏しいために、不安と焦燥の中にいるのが青春時代だという気もするが、本書にはその多感な時代の揺れ動く心を描いた作品二篇が収められている。また青春期には未来に希望や夢を抱き、それが頼りない灯であっても、手放せば人生も闇夜をさまようようなものになる。本書の主人公たちが神社に行って祈願するのもそのあらわれだろう。

 迷ったり、すがったりする中心に神がいる。神は弱い人間がつくり上げた道しるべなのだ。全国に数多(あまた)ある神社は、わたしたちのさまざまな感情を癒(いや)してくれる場所なのだ。古社の多い関西に生まれ育った著者は、そのことを十分に意識して書いたように見える。

 「サイガサマのウィッカーマン」は公民館の清掃のアルバイトをしている高校生が主人公。中学生の弟は不登校だ。父親には愛人がいる。母親は一見のんきそうだが、家庭は崩壊寸前だ。その主人公が冬至の祭りを手伝い、市井の人々の悩みや苦悩に接する話で、一種の成長小説として読める。

 「バイアブランカの地層と少女」は京都の大学に通い、ボランティアでガイドをやっている青年の話。恋にも悩むし、友人の神経脱毛症を治すために神社にお参りにも行く。実家は活断層の上にあり、そのことも心配している。父親は若い女性と蒸発したままだ。

 ともに心やさしい青年の日常をすくった作品だが、神社や祈りと、若者を融合させた珍しい小説とも言える。家庭に問題を抱えているといっても、彼らに特に深い苦労があるわけではなく、恋に悩むことはあっても重い失恋をしたわけではない。だがそれでもなにかに頼ろうとするのは、彼らが暗中模索の青春期にいるからだろう。

 小説が湿り気を帯びたり、深刻になっていないのは、作品にユーモアがあるからだ。大人には通り過ぎた場所なので、彼らの生き方に既視感があるのは否めないが、読書離れをしている若者に、ぜひ読んでほしい一書だ。

(角川書店・1470円)

 つむら・きくこ 1978年生まれ。作家。著書『ワーカーズ・ダイジェスト』など。
◆もう1冊 

 津村記久子著『ポトスライムの舟』(講談社文庫)。化粧品工場で働く契約社員の女性の日常を描く物語。二〇〇九年芥川賞受賞。
    --「書評:これからお祈りにいきます 津村 記久子 著」、『東京新聞』2013年08月11日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013081102000170.html:title]


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これからお祈りにいきます (単行本)
津村 記久子
角川書店
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書評:R・A・モース、赤坂憲雄編『世界の中の柳田国男』藤原書店、2012年。

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R・A・モース、赤坂憲雄編『世界の中の柳田国男』藤原書店、読了。本書は11人の外国人研究者、2人の日本人研究者が知の巨人の多様な実像を描き出す一冊。手放しの賞賛でも痛罵でもない落ち着いた筆致は、通俗的な柳田像を見直すきっかけになる。いろいろと眼からウロコの一冊だった。

柳田のアキレス腱は自身の理想的社会を背後に想定するナショナリズムだが、それは重層的で多様な日本社会を単純化してしまう(和辻も例外ではない)。しかし本書によれば、柳田のフィールドワークと口承重視の研究姿勢は、国家が押しつけるナショナリズムと交差するものではないとの指摘には刮目した。

私自身は、例えば、良いナショナリズム/悪いナショナリズムという便宜的アプローチよりも、そもそもナショナリズムそのものが毒素だろうという反共同体的認識が原点にあるから(勿論、根無し草的コスモポリタンにも反吐は出るけど)、どうしても、柳田国男よりも南方熊楠的なもに憧憬してしまう。

勿論、それはナショナリズムの問題だけではないけれども、先の柳田論集を読む中で、もう一度、柳田国男についても読み直す必要はあるなあ、とは思った次第。あらゆるイズムを退けるという矜持は必要だけれども、全否定主義はなにも産みださないとは思うしね。限界を知ることで見てくることの方が多い。

なんかサ。事績の経過をたどると、国民国家が捏造(想像)する歴史って、結局のところ、ただ「そういうことにすぎない」ってだけの積み重ねにすぎないわけなんだけど、なんで、そこに、ほかのそれより「えらい」だとか「命をかけなければならない」って発想に転換するのがよくわからんのだよね。俺は。

もちろん、私自身も憧憬する丸山眞男よろしく、世の中全体が「がー」ってなるときは、なるべくそうではない方向に軸足を置くというあまのじゃくがあるし、えてして東洋社会というのは共同体優位のエートスだから、近代的個人主義の確立に軸足を置いてしまいますが、まあ、日本も近代以前なんだよなw

たましいがゆがんでいるせいなのだけど、なにをやるしても、熱心さとどうじに、「あほくさ」みたいな感覚を同伴させないと、やっぱりそれはそれでろくなことにはならねえんだろうつう気はする。

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『日本国憲法の初心 山本有三の「竹」を読む』=鈴木琢磨・編著」、『毎日新聞』2013年08月11日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『日本国憲法の初心 山本有三の「竹」を読む』=鈴木琢磨・編著

毎日新聞 2013年08月11日 東京朝刊

 (七つ森書館・1680円)

 書物には“顔”がある。品格とでも言えばいいだろうか。それは昨今の電子書籍では味わえない確かな手触りである。手練(てだ)れの新聞記者である著者が、慌ただしい仕事の合間を縫ってJR中央線・荻窪にある古本屋をのぞき、「ただならぬ」一冊の本と偶然出合う。そして、本書は生まれた。

 その本とは作家、山本有三の『竹』。昭和二十三年刊行、100ページ足らずの薄い新書だが、造本センスが光っていた。和紙を使った白と紺の品ある装丁に対し、「戦争放棄と日本」という声高なタイトル。著者はこの「奇妙な落差」を見逃さずに一読、圧倒されたのである。

 『路傍の石』を書いた有三は理想主義者であり、戦後、貴族院議員、参議院議員という政治家の顔を併せ持った。先を見通せない混乱期、新憲法の口語化に携わり、越後長岡の逸話「米百俵」をひいて教育の重要性を説いた人である。彼は潔く散る桜よりも、四季を通じて色を変えずに天を目指し、重い雪を払いのける竹を好んだ。『竹』にはそうした精神が宿る。戦後68年の夏。改憲論議を前に改めてこの国の品格を考えるヒントが詰まった一冊だ。(雄)
    ーー「今週の本棚・新刊:『日本国憲法の初心 山本有三の「竹」を読む』=鈴木琢磨・編著」、『毎日新聞』2013年08月11日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130811ddm015070031000c.html:title]


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日本国憲法の初心―山本有三の「竹」を読む
鈴木 琢磨
七つ森書館
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覚え書:「今週の本棚:井波律子・評 『「青鞜」の冒険-女が集まって雑誌をつくるということ』=森まゆみ・著」、『毎日新聞』2013年08月11日(日)付。


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今週の本棚:井波律子・評 『「青鞜」の冒険-女が集まって雑誌をつくるということ』=森まゆみ・著

毎日新聞 2013年08月11日 東京朝刊


 (平凡社・1995円)
 ◇破天荒な「女性誌」同人が輝いた時代

 明治四十四年(一九一一)に創刊された雑誌『青鞜(せいとう)』は、平塚らいてう(一八八六-一九七一)の「元始、女性は太陽であった」という、発刊の辞こそよく知られているものの、その内実はほとんど明らかにされていない。

 本書の著者は、『青鞜』に遅れること七十三年、昭和五十九年(一九八四)から二十五年にわたり、女性三人で地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を刊行しつづけた。この実践的経験を踏まえつつ、著者は各号の収録作品はむろんのこと、デザイン、校正、広告、販売など、多様な角度から雑誌としての『青鞜』を実際的に検証し、その具体像をいきいきと描き上げている。また、らいてうをはじめ、『青鞜』の同人のユニークな生の軌跡や、本郷区、小石川区など、『青鞜』の同人と縁の深い地域にスポットを当て、時の彼方から「『青鞜』のあったころ」をありありと現前させる。

 明治の官吏の家に生まれた平塚らいてうは、本郷の誠之小学校卒業後、お茶の水女高師附属高等女学校に進学、さらに日本女子大に入学、卒業した。こうして当時の女性としては稀有(けう)の高い教養を身につけたものの、その能力を発揮する機会もなく、参禅して内的世界の深化を試みたりするうち、森田草平とすこぶる観念的な「心中未遂」事件を起こす。

 やがてニーチェの紹介で知られる生田長江(いくたちょうこう)に雑誌の刊行を勧められ、保持研(やすもちよし)、物集(もずめ)和(かず)など日本女子大の関係者五人が集まり、創刊号への準備を進める。資金はらいてうの母が出した。まさに、手作りの女性の雑誌というところだが、『青鞜』創刊号には、先述したらいてうの発刊の辞や物集和の小説のほか、与謝野晶子、田村俊子の作品も掲載され、発行部数は千部。堂々たる船出であった。なお、表紙のデザインをしたのは、やはり日本女子大卒業生の長沼智恵、のちの高村光太郎夫人である。

 らいてうは『青鞜』発刊のきっかけを作った主宰人ではあったものの、編集、校正、広告集めなどの実務は苦手であり、創刊当初、実際の編集責任者は保持研だった。本書に描かれるらいてうのイメージはむしろ内向的かつ消極的で、けっして強烈なリーダーシップを発揮するタイプでない。

 そんな彼女とは対照的に、馬力のある保持研のような女性が次々に登場し、『青鞜』を持続させていったように見える。らいてうの熱狂的崇拝者だった大阪出身の画家尾竹紅吉(本名は一枝)、保持研が故郷の愛媛県今治に帰った後、編集責任者となった伊藤野枝がこれにあたる。彼女たちがすべて東京以外の出身だったことも興味深い。

 本書に登場する伊藤野枝の姿は、福岡から上京し辻潤と結婚、二児をもうけながら、『青鞜』の編集に奔走するなど、まことに野性的でバイタリティにあふれ、鮮烈きわまりない。次々にメンバーが入れ替わり、編集拠点も移動しながら存続した『青鞜』は、らいてうに奥村博というパートナーがあらわれ、伊藤野枝が大杉栄と出会ったのを機に、大正五年(一九一六)、ついに終刊に至る。通算五年、全五十二冊。『青鞜』の破天荒な冒険は終わった。

 本書では、『青鞜』各号の「あとがき」を綿密に読み込み、当時の状況を明らかにするとともに、図版入りで各号の広告を紹介している。なかには、丸善の「新ラシイ女は萬年筆(まんねんひつ)の所有者也」という抱腹絶倒の広告などもあり、時代の雰囲気が如実に読みとれて面白い。知られざる『青鞜』の冒険と時代を描ききった好著だといえよう。
    --「今週の本棚:井波律子・評 『「青鞜」の冒険-女が集まって雑誌をつくるということ』=森まゆみ・著」、『毎日新聞』2013年08月11日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130811ddm015070020000c.html:title]


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『青鞜』の冒険: 女が集まって雑誌をつくるということ
森 まゆみ
平凡社
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覚え書:「みんなの広場 他国の歴史を学ぼう」、『毎日新聞』2013年08月10日(土)付。


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みんなの広場
他国の歴史を学ぼう
高校生 16(東京都練馬区)

 先日、麻生太郎副総理のナチス発言が問題になり、国際的にも非難を受けるという事態に陥りました。
 ドイツは今でもナチスドイツ時代の反省から、ナチス式敬礼である右手を挙げること、ナチスのマークを掲げることなどを禁止しています。
 実際に私もドイツに3年間住んでいたことがありましたが、誤解を避けるため不用意に右手を挙げないほうがいいということを言われました。初めは戸惑いもありましたが、ドイツの歴史を知ることで納得することができました。日本では、日本の歴史を中心に学んでいたので、他国の歴史の深い事情まで学ぶ機会はほとんどありませんでした。
 今、日本ではグローバル化が進んでいます。他国との関わりが増えていくなかで歴史に関わってくる問題もたくさん出てきています。英語などの他言語を学ぶことも大切ですが、まずはその国の歴史について学ぶことが、将来外国と関わっていく中で重要なことだと感じました。
    --「みんなの広場 他国の歴史を学ぼう」、『毎日新聞』2013年08月10日(土)付。

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覚え書:「今週の本棚・情報:「谷川健一全集」が完結」、『毎日新聞』2013年08月11日(日)付。

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今週の本棚・情報:「谷川健一全集」が完結

毎日新聞 2013年08月11日 東京朝刊

 冨山房インターナショナル(東京・神田神保町)が2006年から刊行していた『谷川健一全集』(全24巻)が完結した。日本を代表する民俗学者は長年、沖縄をはじめ全国の民俗調査などを通して「日本人とは」「日本人の誇りとは」と問い続けた。「古代」「沖縄」「地名」「評論」「短歌・創作」などのテーマ別で構成した。各巻とも6825円(分売可)。全巻セットは16万3800円。
    --「今週の本棚・情報:「谷川健一全集」が完結」、『毎日新聞』2013年08月11日(日)付。

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谷川健一著作集 第1巻 民俗学篇 1 魔の系譜/神・人
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覚え書:「今週の本棚:荒川洋治・評 『読書について』=ショーペンハウアー・著」、『毎日新聞』2013年08月11日(日)付。


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今週の本棚:荒川洋治・評 『読書について』=ショーペンハウアー・著

毎日新聞 2013年08月11日 東京朝刊


 (光文社古典新訳文庫・780円)
 ◇自分の頭で考えない人のための読書哲学

 読書とは何かを知るためにはこの本しかない。これまでも、これからも。

 ドイツの哲学者ショーペンハウアー(一七八八-一八六〇)の名著『読書について』の新訳だ。訳文がいい。文字も大きく読みやすい。「自分の頭で考える」「著述と文体について」「読書について」、以上三編で構成。

 「本を読むとは、自分の頭ではなく、他人の頭で考えることだ。たえず本を読んでいると、他人の考えがどんどん流れ込んでくる」。読書は「自分の頭で考える人にとって、マイナスにしかならない」。さらにいう。

 「学者、物知りとは書物を読破した人のことだ。だが思想家、天才、世界に光をもたらし、人類の進歩をうながす人とは、世界という書物を直接読破した人のことだ」

 ショーペンハウアーのことばは明快。そのすべてが真実であるというしかないが、次のような一節も心に残る。「自分の頭で考える人はみな、根っこの部分で一致している」「立脚点にまったく違いがなければ、みな同じことを述べる」

 わあ、すごい。哲学というのは、そこまでもっていくのだ、ひとつもふたつも奥まで運んでいくのだということがわかる。ともかく自分の頭で考えられない人は読書などしてはならないのだ。むしろしないほうが、じかに現実に接するので、一定の知恵が保たれるというのだ。この本を読んでいくと、読書は「自分の頭で考える」ことのできる、ごく少数の人、特別な能力をそなえる人だけにゆるされるもので、そうではない人たちが少しでもかかわると、ろくでもないことになるということだ。一般読者、一般的読書の否定である。否定もだいじだと思う。本を読むことを人はこれまで肯定的にしか扱わなかった。そのために読者は自分を疑う機会を十分に与えられない。その意味でこの本のことばは、すべてに「甘い」いまのような時代にこそ向けられているのだと思う。

「書く力も資格もない者が書いた冗文や、からっぽ財布を満たそうと、からっぽ脳みそがひねり出した駄作は、書籍全体の九割にのぼる」。また、「うわべの文学」と「真の文学」に分け、それぞれを「流失する文学」「不動の文学」といいかえる。いまは「うわべの文学」「流失する文学」だけが評価される、と。読書の最大の要点は「悪書」を読まないこと。「いつの時代も大衆に大受けする本には」手を出さないのが肝要。「人々はあらゆる時代の最良の書を読む代わりに、年がら年じゅう最新刊ばかり読み、いっぽう書き手の考えは堂々巡りし、狭い世界にとどまる。こうして時代はますます深く、みずからつくり出したぬかるみにはまっていく」。この文章が書かれたのは、およそ一七〇年前だが、現在も同じ。ぴたり、あてはまる。

 匿名の批評、言動を全否定。いまは匿名のことばが得々と画面でつぶやかれるが「愚かしくあつかましい」ことを平然とつづけている人たちはこの批判をどう受けとめるのだろうか。「著述と文体について」で分析・批判される、安易な言語表現も今日目にするものの原型である。こうしてさまざまな問題にふれる。人の生き方にも及ぶ。途方もないひろがりと、深みがあるのだ。読書を見れば、人間と社会のすべてがわかる。それがこの古典の視点である。

 いまは一般読者が支配。本らしい本を読む人は少ない。読書が消えた時代だ。静かだ。読書とは何かを「考える」ときなのかもしれない。この本を読みながら、そう思った。(鈴木芳子訳)
    --「今週の本棚:荒川洋治・評 『読書について』=ショーペンハウアー・著」、『毎日新聞』2013年08月11日(日)付。

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読書について (光文社古典新訳文庫)
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書評:上野俊哉『思想の不良たち 1950年代 もう一つの精神史』岩波書店、2013年。


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上野俊哉『思想の不良たち 1950年代 もう一つの精神史』岩波書店、読了。本書は、近代日本の矛盾と葛藤と正面から切り結んだ安部公房、鶴見俊輔、花田清輝、きだみのる)を取り上げ、その思想の可能性を問い直す試み。戦争、メディア、民衆を切り口に、近代という「ずれ」に立ちつづけた四人の不良たちだ。

彼らは「一つの立場に拘泥し、これに生命を賭ける、ということのばからしさをよく知っている」。だから不良なのだ。律儀に線路を走り続けるのでもなく、脊髄反射的全否定でもない。その苦渋に満ちた逸脱や倒錯の自覚的選択に著者は注目する。

四人の不良は自己同一性への果敢なき抵抗で共通する。「『正しい』立場が見失いがちなアノニマス(匿名的)な知性の転回と倒錯に身構えてほしい」。現代社会をトランスローカルに俯瞰し、しなやかな知性と批判精神とは何かを学ぶことのできる、格好の一冊。

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思想の不良たち――1950年代 もう一つの精神史
上野 俊哉
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覚え書:「今週の本棚:本村凌二・評 『新・ローマ帝国衰亡史』『古代末期-ローマ世界の変容』」、『毎日新聞』2013年08月11日(日)付。


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今週の本棚:本村凌二・評 『新・ローマ帝国衰亡史』『古代末期-ローマ世界の変容』

毎日新聞 2013年08月11日 東京朝刊
 

 ◆『新・ローマ帝国衰亡史』=南川高志・著(岩波新書・798円)

 ◆『古代末期-ローマ世界の変容』=B・ランソン著、大清水裕ほか訳(白水社・文庫クセジュ・1260円)
 ◇世界帝国をとらえる新たな二つの視点

 形あるものはいつか壊れる。かの空前絶後の世界帝国ローマもやがて姿を消した。永遠なるものは何もない。頭ではわかっていても、その謎はやはり残る。だから、交響曲「ローマ帝国衰亡史」は多くの人々がくりかえし聴きたがる。そのシナリオは多種多様であるから、この交響曲の数は二一○種にもなるらしい。

 主旋律となる衰退の原因には、ゲルマン民族、キリスト教徒、人口減少、気候変動、インフラ劣化、鉛中毒など数えきれない。しかも、それなりの根拠をもつから、目移りするばかり。さすがに、大帝国の衰退となると、数多(あまた)の旋律が底に流れる。

 これらの背景を熟知しながら、あえて南川氏は「新」と銘打つ交響曲を折り目正しく奏でる。もともと氏は帝政前期の政治史を専門としていたせいか、おのずから帝政後期の政治史に目がむく。あくまでも「ローマ帝国という政治的な枠組み」の意義を重んじる立場だ。そこには後述するような「衰亡」を軽んじる近年の研究動向への「新」反論という含みもあるらしい。

 その序奏として耳をそばだてれば、まず、ローマあるいはイタリアという帝国の中心部ではなく、辺境とよばれる地域を舞台として帝国の生態に注目する。次に、その辺境は「線」ではなく「ゾーン」としてとらえるべきだという。その地帯にはローマ軍が駐屯し、周りには様々な人々が混ざって生活していたからだ。

 ローマの平和(パクス・ローマーナ)にも危機が訪れた三世紀。その混乱も収拾され、四世紀になるとコンスタンティヌス帝が登場する。だが、この大帝とよばれた改革者の時代に、すでに衰退の影がひそんでいたという。なによりも、帝国領内に移住した外部族出身者をとくに軍人として公然と登用したことである。だが、それらの参入者は「ゲルマン人」と一括(ひとくく)りにされ敵意をもって見られていたわけではない。さらに、強力な機動軍の創設のために辺境の兵力は削減されると、辺境のゾーンは曖昧になり、人の往来がしやすく流動的になる。


 大帝の死後、帝位をめぐる争いがくりかえされたが、それでも帝国には衰退の兆しはほとんどない。だが、やがて半世紀を経ると、帝国は完全な崩壊状態におちいる。だから、「政治の枠組み」に焦点をあてながら、その後の経過が語られる。

政治過程の叙述は複雑で錯綜(さくそう)しやすいが、そこは巧みに解きほぐされる。大帝実子の生き残りコンスタンティウス二世、かの「背教者」ユリアヌス、ウァレンティニアヌス朝、そしてテオドシウス帝が登場する。この期間に帝国西半の防備が手薄になると在地の有力者が強勢になり、軍団中枢部にはゲルマン人の登用が目についてくる。

 その背景にはゲルマン人の帝国内移住の荒波が打ち寄せていたことがある。だが、必ずしも「大侵入」ではなかったという。むしろ、ゲルマン人を差別・排除する「排他的ローマ主義」の芽生えが注目される。「ローマ人である」というアイデンティティが危機に瀕(ひん)し変化したのだ。

 それは四一○年のゲルマン人によるローマ略奪にいたる、わずか三十年間におこったこと。帝国内の他者を排除する意識が強まったとすれば、ローマ帝国は外敵に倒されたというよりも、自壊したと南川氏は診断する。その議論にはすこぶる納得することが多い。

 ところで、帝政後期をふくむ三世紀から七世紀ころまでを「古代末期」ととらえる視点がある。そこでは変化よりも継続に目をむけ、ローマ世界の「衰亡」よりも「変容」が語られる。二〇世紀後半に目立つようになったが、それは日本の古代史研究が英語圏の研究動向に偏りがちなせいだ、と『古代末期』の訳者は指摘する。視野を独仏伊などに広げれば、すでに二〇世紀初頭にまで遡(さかのぼ)ることができる。ランソンの小著はそのあたりの事情を簡潔に見渡してくれる。

 この立場からすれば、交響曲「ローマ帝国衰亡史」は、あらたな交響曲「古代末期」の第一楽章として編曲される。つづいて第二楽章、第三楽章……が演奏されることになる。

 当然のことながら、時間も空間もテーマも拡(ひろ)がり、むしろ経済、社会、宗教、文化なども射程におさめる。そもそも絵画や彫刻が個性を強調する様式から象徴的・抽象的様式になる時代として「古代末期」は注目されていた。さらに宗教世界にあっては、禁欲的な聖人伝説が人々をひきつける心性に狙いをむける。たとえば、当初は音楽を蔑視していたキリスト教も聖歌にただよう荘厳な雰囲気を認めるようになる。帝国内の異文化変容は地域ごとにも多様であり、「ローマ性」が単一ではなく複数のものとなる新しい時代が生まれていくという。

 ランソンの指摘する「ローマ性」と南川氏の唱える「ローマ人である」アイデンティティとはどのような異同があるのか。そこにはやはりなにか心性の問題に帰着するものがあるのだろうか。あらためて、評者なりの驚きでもある。
    --「今週の本棚:本村凌二・評 『新・ローマ帝国衰亡史』『古代末期-ローマ世界の変容』」、『毎日新聞』2013年08月11日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・本と人:『千曲川ワインバレー 新しい農業への視点』 著者・玉村豊男さん」、『毎日新聞』2013年08月11日(日)付。


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今週の本棚・本と人:『千曲川ワインバレー 新しい農業への視点』 著者・玉村豊男さん

毎日新聞 2013年08月11日 東京朝刊


 (集英社新書・798円)
 ◇持続へ向かうライフスタイル--玉村豊男(たまむら・とよお)さん

 生まれも育ちも東京でフランス通のエッセイストが、ひょんなことから長野県軽井沢に移り住んだのはバブル経済絶頂期。テニスの合間にうまいものを食い、地元住民とのほほ笑ましい交流を描いた著書『軽井沢うまいもの暮らし』をうらやましく読んだ。学生だった私は東京・四谷のカリフォルニアワイン専門商社でラベル張りのアルバイトをしていた。まだ日本ではなじみが薄く、ようやく「ボージョレ・ヌーボー」なる新酒が出回り始めた頃である。

 著者はその後、原因不明の病で療養を余儀なくされ、「人生の後半は土を耕して暮らそう」と一念発起。20年余り前、標高850メートルの里山に土地を買い求め、ワイン用ブドウの苗木を植えた。眼下に上田盆地と千曲川の流れを、遠くに北アルプスを望む美しい丘を「ヴィラデスト」と名付けた。今や信州有数のワイナリーに育ち、「千曲川ワインバレー構想」の中心人物として、新たな日本農業の可能性に言及したのが本書である。

 単なる成功譚(たん)ではない。新規就農をするにも一苦労だったという。「まだ欧州のようにワインを楽しむ文化は根付いておらず、植え付けようにも生食用ブドウとの違いを理解してもらう必要がありました」

 著者はそんな時でも焦らない。地域の寄り合いに積極的に出てとけ込み、地道に賛同者を増やしていく。この10年で千曲川流域に3軒のワイナリーができ、地元自治体や農協を巻き込んで開講した「県ワイン生産アカデミー」に、全国から新規就農希望者が相次ぐまでになった。

 「ワイナリーは地域にたくさん集まれば集まるほどいい。ライバルはよき仲間です」。共に学び助け合うことで、人が人を呼び発展する。観光経済にとどまらず、あらゆるサービス業に裾野は広がっていく。

 「新しい農業が生み出すライフスタイルです。高度成長時代のように拡大を望まず、あくまで持続を目指す。『ワインのある食卓』は、生きる喜びをかみしめることができるのです」。日に焼けた顔は自信に満ちて見えた。<文・中澤雄大/写真・手塚耕一郎>
    --「今週の本棚・本と人:『千曲川ワインバレー 新しい農業への視点』 著者・玉村豊男さん」、『毎日新聞』2013年08月11日(日)付。

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覚え書:「みんなの広場 麻生氏発言は安倍政権の本音」、『毎日新聞』2013年08月09日(金)付。


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みんなの広場
麻生氏発言は安倍政権の本音
無職 83(名古屋市守山区)

 ナチスの手法を例にした麻生太郎副総理の発言が批判されているが、発言の趣旨は安倍政権のひそかな願望をいみじくも表している。
 日本国憲法の国民主権、基本的人権の尊重、平和主義という特色が、安倍政権には邪魔なのだ。そこで天皇を元首とし、言論・集会の自由を制約し、自衛隊を国防軍とする改定案を用意している。これを正面から取りあげると議論百出で面倒だから、「喧騒」の中ではなく、静かにうまくやればいいというのだろう。
 明治憲法では「法律の範囲内」という条件下で保障されていた臣民(国民)の権利が、戦時中、治安維持法や国家総動員法に天皇の緊急勅令を織り交ぜて、まったく無視されることになった。
 麻生氏の発言の問題点は、ナチス政権を支持するかどうかではなく、ワイマール憲法同様、有名無実化してしまいたい、ということである。私たちは、この一点に注意をしぼって警戒しなければならない。
    --「みんなの広場 麻生氏発言は安倍政権の本音」、『毎日新聞』2013年08月09日(金)付。

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覚え書:「私たちが、すすんで監視し、監視される、この世界について [著]ジグムント・バウマン、デイヴィッド・ライアン [評者]水無田気流」、『朝日新聞』2013年08月04日(日)付。


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私たちが、すすんで監視し、監視される、この世界について [著]ジグムント・バウマン、デイヴィッド・ライアン
[評者]水無田気流(詩人・社会学者)  [掲載]2013年08月04日   [ジャンル]社会 

■「我見られる、ゆえに我あり」

 高速で移動する資本や情報、流動化する雇用のあり方などを踏まえ、現代社会の特性を、液状化する近代(リキッド・モダニティー)と論じたジグムント・バウマン。情報化とともに巧妙さを増す監視社会化の問題を論じたデイヴィット・ライアン。この二人の社会学者による、刺激的な対談書である。原題は「リキッド・サーベイランス」。監視(サーベイランス)が全面的に浸透した現代の社会状況を意味している。
 かつて監視者とは、ジョージ・オーウェル「1984年」のビッグブラザーのごとき、プライバシーの収奪者とみなされていた。近代化の当初、監視の原理はもっと堅牢でその分目につきやすいものだった。この原理をミシェル・フーコーは「パノプティコン(一望監視システム)」と呼んだが、今やそれははるかに複雑で見えにくいものとなった。本書の眼目は、その見えにくさそのものへの問いである。
 今や人々は自ら進んでプライバシーを明け渡す。たとえば注目を集めるため、購入記録を増やしてクレジットの利用金額を拡大するため、あるいはソーシャルメディア上で心地よい承認を得るために。情報技術の進展により接続過剰が常態となった現代。もはや秘匿に価値はなく、「我見られる、ゆえに我あり」なのだとバウマンは指摘する。
 だがそうした社会状況は、人々の連帯に寄与する以上に、新たな斥力を生み出しているという。資力のない消費者の排除や、セキュリティー・システムに守られた高級住宅地に暮らす富裕層とそれ以外の貧困層の分断のように。監視の浸透は、異なる者同士の相互排除を増進させる。さらに、虹彩(こうさい)や指紋など生体認証システムの普及は、個々人の人間性を介さない選別を可能としていく。今やこうした監視の様態は、社会の存立基盤と化しているのだ。現代社会の問題を開示する、鋭利な切断面のような書。
    ◇
 伊藤茂訳、青土社・2310円/Zygmunt Bauman,David Lyon それぞれ英国とカナダの社会学者。
    --「私たちが、すすんで監視し、監視される、この世界について [著]ジグムント・バウマン、デイヴィッド・ライアン [評者]水無田気流」、『朝日新聞』2013年08月04日(日)付。

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覚え書:「メディアとしての紙の文化史 [著]ローター・ミュラー [評者]田中優子」、『朝日新聞』2013年08月04日(日)付。

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メディアとしての紙の文化史 [著]ローター・ミュラー
[評者]田中優子(法政大学教授・近世比較文化)  [掲載]2013年08月04日   [ジャンル]歴史 

■製紙技術をめぐる発見満載

 中国起源の紙はアジアで広まり、パピルスはヨーロッパで広まったと思っていた。しかしそうではなく、パピルスは消え去り、紙が世界を席巻したという。集積された語り物である『千夜一夜物語』も紙に記録されて集められたのだが、紙が次第に西へ伝わってゆく過程で、紙を語りつつ成立したのだという。
 書物は紙と印刷術の組み合わせで発展したと思っていたが、その前の写本も紙の出現によって大いに効率が増したのだという。紙の普及は本だけでなく、木版やそれを使ったトランプの出現も促したし、書類のやりとりによる統治ももたらした。また、複式簿記による経済合理性も、紙がデータを流通させ過ぎてしまうことが原因だった。データ管理が複式簿記を産んだのである。印刷技術について書かれた本は多いが、製紙技術についてこれほど詳しく書かれた本は珍しい。ヨーロッパの製紙がぼろ布をふんだんに使ったものだったとは知らなかった。発見満載の本である。
    ◇
 三谷武司訳、東洋書林・4725円
    --「メディアとしての紙の文化史 [著]ローター・ミュラー [評者]田中優子」、『朝日新聞』2013年08月04日(日)付。

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日記:山形孝夫『黒い海の記憶 いま、死者の語りを聞くこと』岩波書店、2013年、ファーストインプレッション。


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 私たちは、3・11の大震災まで、近代日本の合理的で安全な国民国家に住んでいると思っていた。そこでは、生活のあらゆる領域に合理性と安全性がゆきわたり、それが政治・経済のシステムを法的に支え、政教分離や福祉・教育行政の専門技術化とあいまって、市場の透明性を支えている。そのかぎり、過去における不合理な政治神話とシステムは一切排除され、「国民」の等質性と「国家」の透明性が保障された安全で、平和な国土に暮らしている、と思っていた。
 3・11の黒い海がその真相を暴露した。近代国家は「国益」の名のもとに、「国民」を教育し、動員し、それに反対する者を排除し、抑圧する装置として機能していた。近代資本主義は、市場の自由化と透明性を旗印に、激烈な競争によって富の分配の不公平を隠蔽し、正当化してきた。その矛盾がバブル崩壊以降、経済的格差として現れた。この格差を、国家はこれも市場の透明性を理由に、正規職員と非正規職員に区分し、逆に支配の道具として使用してきた。要するにシステムの矛盾を犠牲者の自己犠牲に転嫁することによって、日本国家はシステムの強化と権力の正当性を維持し続けてきたのである。
 原発安全神話が新興宗教の呪術的救済神話と似ているのは、決して偶然ではない。それは、近代的な進歩史観や技術優先の効率主義のシステムの中で精巧かつ巧妙に構築された聖なる物語であり、貧困からの解放を告知する救済のシナリオであったのだ。安全神話が近代国家の象徴的な物語であるのは、その背後に、自作自演の「犠牲」の寓話を隠し持っているからである。
 「犠牲」とは、本来「供犠」に通じる宗教人類学の用語であるが、もともとは神の祭壇に捧げる「生贄」を指す。個人もしくは共同体が、自らの所有物を犠牲にしたり、場合によっては自己自身を犠牲として祭壇に捧げ、そのことによって神の保護を獲得しようとする呪術的行為である。ここで問題なのは、神聖化されるのは単なる犠牲者だけでなく、犠牲を要求する主体も、ともに神格化され正当化されるという点にある。
    --山形孝夫『黒い海の記憶 いま、死者の語りを聞くこと』岩波書店、2013年、71-72頁。

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山形孝夫先生の近著『黒い海の記憶』(岩波書店)を読んだ。いずれ項を改めて紹介したいと思うのですが、本書の肝は「新しい霊性」の到来を告げるところにある。しかしその「新しい霊性」の到来を告げるとは、こと宗教そのものに排他的に限定された話題ではなく、すべてのことがらと深く密接に関わっていることを明記すべきなのだろう。

これは、恐ろしい本だ。今年読んだもので一番の衝撃といってよい。


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黒い海の記憶――いま、死者の語りを聞くこと
山形 孝夫
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覚え書:「『昭和』を送る [著]中井久夫 [評者]鷲田清一」、『朝日新聞』2013年08月04日(日)付。


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「昭和」を送る [著]中井久夫
[評者]鷲田清一(大谷大学教授・哲学)  [掲載]2013年08月04日   [ジャンル]歴史 ノンフィクション・評伝 


■精神への「圧力」、減圧の工夫

 時代の流れにふと、えもいわれぬ違和を感じるとき、あの人ならどう受けとめるだろうかとその発言にふれたくなる、そんな書き手がだれにも数人はあるのではないか。わたしにとってはずっと、中井久夫がその一人であった。
 いまも気にかかっている過去の診療のふり返りや、震災時対応についての助言、ときどきの政治状況への発言から、恩師・友人の追悼文や医局や家庭での「手抜き料理」のレシピまで、本書の内容はじつに多彩である。けれども、他のエッセイ集でもそうだが、ひとの精神にかかる〈圧力〉についての診断とその減圧の工夫の提案が、どの文章からも伝わってくる。
 人に自然治癒力があるように「事態」にも自然治癒力があると言い切る中井にとって、さまざまな出来事の重なりのなかから予兆や徴候(ちょうこう)を読む視力が、問題の解決策以上に大きな意味をもつ。ある一線を越えると事態が一変するという、その見えない臨界を視(み)る中井の「臨床眼」は、精神医療の現場だけでなく、それを潜(くぐ)り抜けて時代精神にまで向かう。その推力となるのが、人類学的事実、詩文、政治史・戦史まで、時空を超えて広がる照合軸の遠大さであり、乳児からペットまで触診しようという濃(こま)やかな想像力だ。
 昭和天皇の最後の和歌二首と、終戦のときに一歳でありながら、天皇の吐血の翌日に十二指腸潰瘍(かいよう)で千ミリリットルの吐血をして緊急入院し、天皇逝去の三日後に退院した知人の話とから始まり、発表ののち二十数年間、単行本に収録しなかった理由についての付記で閉じられる長い表題作は、昭和という時代にもろもろの精神にかかった凄(すさ)まじい〈圧力〉がまるで鎮魂歌のように綴(つづ)られていて、その言葉の重量に圧倒される。
 社会評論でも随想でも雑記でもないこの独自のエッセイ集、「エッセイ」の原義どおり、不二の「臨床眼」による〈試み〉の記録としてある。
    ◇
 みすず書房・3150円/なかい・ひさお 34年生まれ。精神科医。『臨床瑣談』『私の日本語雑記』ほか著書多数。
    --「『昭和』を送る [著]中井久夫 [評者]鷲田清一」、『朝日新聞』2013年08月04日(日)付。

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「昭和」を送る
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覚え書:「戦場の軍法会議―日本兵はなぜ処刑されたのか [著]NHK取材班、北博昭 [評者]保阪正康」、『朝日新聞』2013年08月04日(日)付。

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戦場の軍法会議―日本兵はなぜ処刑されたのか [著]NHK取材班、北博昭
[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)  [掲載]2013年08月04日   [ジャンル]歴史 ノンフィクション・評伝 

■形骸化していた「法の正義」

 昭和史、とくに太平洋戦争の内実を継承するのに、NHKのディレクターの果たす役割は大きい。これまでも中田整一、片島紀男らは資料発掘や新視点などを提示してきたし、定年退局後も幾つかの関連の著作を発表している。
 この書は、その系譜に連なるといっていいが、陸海軍内部の軍法会議のからくり、法務官と死刑宣告を受け処刑された上等機関兵の関係者などを丹念に訪ね歩いて戦争と司法のあり方を問うた質の高い書である。放送関係者の筆調は映像的かつ表層的だが、戦争など露ほども知らない世代が、協力者の一橋大の吉田裕教授や近代史研究者の北博昭氏の助言や資料によって戦争の根源的な矛盾に気づいていく様は説得力がある。
 海軍法務官の馬塲(ばば)東作の残した文書、そこにひそむ「法の正義」が形骸化していた事実。正直にいえば法務官の書類は未(いま)だ隠蔽(いんぺい)されているケースが多い。北氏の保管する資料をもとに「真実」を明かしていくのだが、そこにこれだけの壁とこれほどの国家の論理があるのかと驚かされる。悩める法務官の良心が、「法」の名のもとに行われたゲリラ殺害、一般兵士への処刑などの告白につながるのだ。
 取材班の1人は書く。無謀な作戦を実行しても責任をとらない軍、その責任を末端の兵士に押しつけることに加担する法務官、「こうした事態を招くことを知りながらも司法と軍の一体化を許してしまった国の横暴」、このメカニズムははたして克服されたのか。敵前逃亡の名のもとに日本軍に殺害された日本兵、彼らの家族や縁者はどのような生き方を強要されたのか。一族が本籍を移すエピソードに暗然とさせられ、この国の怖さが感じられる。
 戦後の戦争責任を問う裁判で、司法は常に国民に受忍論を説いてきた。その裁判官に元法務官が多く、しかも彼らが戦後の司法界の中枢にいたという事実、その指摘は重い。
    ◇
 NHK出版・1995円/NHK取材班=小山大祐(だいすけ)(68年生まれ)ほか。きた・ひろあき 42年生まれ。近代史研究者。
    --「戦場の軍法会議―日本兵はなぜ処刑されたのか [著]NHK取材班、北博昭 [評者]保阪正康」、『朝日新聞』2013年08月04日(日)付。

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覚え書:「ヘイトスピーチ問題:6割以上知らず…大学生ら意識調査」、『毎日新聞』2013年08月09日(金)付。

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ヘイトスピーチ問題:6割以上知らず…大学生ら意識調査
毎日新聞 2013年08月09日

 東京や大阪などで在日コリアン排斥などを掲げる「ヘイトスピーチ(憎悪表現)」デモなどを巡り、大都市圏の大学生ら約1000人に意識調査をしたところ、6割以上がヘイトスピーチの問題を知らなかったことが分かった。無回答も目立ったといい、調査を実施した東洋大社会学部の井沢泰樹教授(教育社会学)は「多くの若者はアジアの問題をどう受け止めるべきか、判断できる材料を(学校教育の中で)与えられてこなかったのではないか」と分析する。

 調査は在日コリアン青年連合(事務局・大阪)と共同で6~7月に実施。東京、大阪などの18~23歳を中心に計1014人が回答した。

 それによると、ヘイトスピーチの問題を知っていたのは全体の35%。どう思うかを聞いたところ、「絶対やめるべきだ」「よくないと思う」の合計が7割を超えたが、「何とも思わない」(10.3%)、「共感する」(7.4%)との回答もあった。

 また、全体の約7割が身近に在日コリアンの友人や知人はいないと回答。日本とアジアの近現代史を巡る学校での歴史教育について、7割超が「不足」と感じていた。

 一方、17~39歳の在日コリアン91人にも調査を実施。ヘイトスピーチを知る前後での変化を問う設問では、同じ在日の友人を求めるようになった(8人)▽日本人が怖くなった(7人)▽在日と知られるのを避けるようになった(6人)--などの回答が並んだ。【小泉大士】 
    --「ヘイトスピーチ問題:6割以上知らず…大学生ら意識調査」、『毎日新聞』2013年08月09日(金)付。

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[http://mainichi.jp/select/news/20130809k0000m040053000c.html:title]


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覚え書:「【自著を語る】『宮沢賢治の菜食思想』 鶴田静さん(エッセイスト)」、『東京新聞』2013年08月06日(火)付。

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【自著を語る】

『宮沢賢治の菜食思想』 鶴田静さん(エッセイスト)

2013年8月6日


◆清貧イメージ覆す新解釈
 一九七六年以来ベジタリアン(菜食主義者)の私は、これまで西洋のベジタリアンであるピタゴラスやプラトンらの言説を借りて菜食の「社会的」効用を説いてきた。しかし日本では肉食が隆盛を極めてきた。
 日本のベジタリアン代表として、国民的作家の宮沢賢治を得たことは幸いである。私は、宮沢賢治の菜食の思想がどのように形成され、展開されたのかを探ってみた。
 「玄米と味噌(みそ)と野菜」に定着しているかのような賢治のイメージを覆すために、私は彼の物語や詩などの諸作品に湛(たた)えられた、ベジタリアニズムの源泉を掬(すく)いあげた。また書簡や手帳から抽出した賢治の生の言葉により、彼が菜食者だったと立証した。
 「私は春から生物のからだを食ふのをやめました」。これは友人に宛てた手紙における彼の“宣言”である。解体される豚を見、「これらを食べる人とても何とて幸福でありましょうや」……つまり賢治の菜食思想は、動植物、自然と人間にある命の尊重の発露なのである。
 驚くことに、九十年以上前の賢治の作「ビヂテリアン大祭」では、現在の私たちが遭遇している、生命、食糧、動物保護、宗教、平和などの諸問題を、菜食によって解決する論議がなされていた。
 自身、農民となった賢治は、農村の改善、作物の生産向上、ユートピアの創造を試みた。飢餓飢饉(ききん)をなくし、労働ばかりの農民の辛(つら)い暮らしを芸術を含めた楽しい生活にし、他人の幸せを自分のそれとし、世界全体の平和を目標とした。
 賢治の時代、岩手県は三陸地震や凶作に見舞われた。まさに三・一一で私たちが体験した状況と重なるものだ。彼の思想と行動は、現在の日本の在り方、行く末を考えるとき、一つの範となるだろう。
 二十一世紀の今日、日本でも世界各国でもベジタリアンは増加し続けている。米国の元大統領、アイドルやアスリートたちも多くベジタリアンに転向している。社会的存在である人々が良い社会のための生き方のモデルとなり、かつベジタリアンであることは望ましい。(晶文社・二三一〇円)
写真
 つるた・しずか 東京都生まれ。明治大学文学部卒。1975年ウィリアム・モリス研究のため渡英、ベジタリアンとなる。著書『ベジタリアンの文化誌』『ベジタリアンの世界』、訳書『ウィリアム・モリスの庭』。
    --「【自著を語る】『宮沢賢治の菜食思想』 鶴田静さん(エッセイスト)」、『東京新聞』2013年08月06日(火)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/jicho/list/CK2013080602000236.html:title]


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宮沢賢治の菜食思想
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覚え書:「国家はなぜ衰退するのか―権力・繁栄・貧困の起源(上・下) [著]ダロン・アセモグル、ジェイムズ・A・ロビンソン [評者]原真人」、『朝日新聞』2013年08月04日(日)付。


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国家はなぜ衰退するのか―権力・繁栄・貧困の起源(上・下) [著]ダロン・アセモグル、ジェイムズ・A・ロビンソン
[評者]原真人(本社編集委員)  [掲載]2013年08月04日   [ジャンル]政治 経済 
■自由・公平な制度が経済発展もたらす

 世界には豊かな国と貧しい国がある。その差はどこから生まれるのだろうか。素朴だが、深遠な問いだ。つい決定論に走りやすいこの設問に、本書は、国家の経済的命運は経済的な制度が決める、つまり自発的な努力によって豊かになれるのだという仮説を示す。
 ノーベル賞受賞の経済学者たちから大きな反響があったこの話題の書は、著者らが15年かけた共同研究の成果を一般読者に向けてまとめたものだ。英国の名誉革命や日本の明治維新、世界各国の過去300年の歴史を「制度」という視点から解釈し直した。
 これまで国家間の格差の要因にはもっともらしい説がいくつもあった。地理説は進化生物学者のジャレド・ダイアモンドも提唱しているし、信仰や風習などの文化的要因、遺伝的要因に理由を求める説もあった。為政者無知説は経済学者に支持が多いという。本書はそのいずれも退ける。
 実証研究から浮かびあがるのは豊かな国には自由で公平、開放的な経済制度があることだ。所有権が守られ、分配ルールが確立した社会では技術革新が起き、新産業が勃興(ぼっこう)しやすい。逆に貧しい国には権力者が国家を食い物にして民衆から収奪する経済制度がある。
 本書がもう一つ強調するのは、経済制度を決めるのはその国の政治制度だということだ。豊かな経済をつくりあげたとしても、法の支配や政権交代が可能な民主制度の支えがなければ、結局それを維持できず国家は衰退してしまう。
 本書の制度説は、一見ごく当たり前のようにも見えるのだが、実は多くの「常識」を覆す問題提起をはらんでいる。
 たとえば米国の対中外交やイラク政策の根底にある近代化理論。すべての社会は成長とともに民主化に向かう、というこの考えを、本書は「正しくない」という。
 また近年急成長する中国などの新興国は、いずれ先進国の経済水準に追いつくだろうと多くの人は信じている。ならば日本もやがて中国に追いつかれ、賃金や物価は中国並みになるのだろうか。それまで日本のデフレは続くのか。
 本書の見解に従うなら、必ずしもそうとは言えない。中国の国家資本主義はいまは強さが目立つものの、民主化されていない政治制度のもとでバラ色の未来は描けない、と著者らはみる。私たちは中国発のデフレに極度におびえる必要はないのかもしれない。
 昨今、世の中では効率が悪い民主主義や、政府の意にそわない頑固な中央銀行への批判が絶えない。だがそれらは長い目でみるなら、豊かな経済社会の礎を築くのに必要な機能なのだ。そんな点も含め、この本には、そこかしこに論争のタネが仕込まれている。
    ◇
 鬼澤忍訳、早川書房・各2520円/Daron Acemoglu マサチューセッツ工科大学エリザベス&ジェイムズ・キリアン記念経済学教授、James A.Robinson ハーバード大学デイヴィッド・フローレンス記念政治学教授。
    --「国家はなぜ衰退するのか―権力・繁栄・貧困の起源(上・下) [著]ダロン・アセモグル、ジェイムズ・A・ロビンソン [評者]原真人」、『朝日新聞』2013年08月04日(日)付。

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国家はなぜ衰退するのか(上):権力・繁栄・貧困の起源
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覚え書:「みんなの広場 麻生氏、発言撤回ではすまない」、『毎日新聞』2013年08月08日(木)付。

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みんなの広場
麻生氏、発言撤回ではすまない
翻訳業 62(東京都品川区)

 「ナチス・ドイツの手口を学んだらどうか」という耳を疑う発言をして、さっそく国際的非難を浴びた麻生太郎副総理が発言を撤回した。
 この種の暴言の常として、撤回の弁明を真意と異なり誤解を招いたとしているが、本紙8月1日夕刊の「発言要旨」を読む限り、ヒトラーに学べと確かに言っているし、国民がよく分からないうちに改正してしまおうとの趣旨に取れる。
 憲法「改正」が必要だという空気のようなものができ上がっているが、実は日本国憲法がその趣旨の通り実現されたことはないのである。逆にそれを徹底すれば、もっと自由で平等な社会となるだろうが、麻生氏が代表する自民党はその反対のことを「憲法改正草案」で言っている。
 本当に民主主義を信奉し、ナチスを否定するならば、絶対に出るはずのない発言であり、こうした人物が副総理でいる現内閣の危険思想の発露とみるべきである。発言撤回ではすまない重大問題である。
    --「みんなの広場 麻生氏、発言撤回ではすまない」、『毎日新聞』2013年08月08日(木)付。

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http://www.youtube.com/watch?v=dSQD8RPtOo8


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覚え書:「書評:言葉が立ち上がる時 柳田 邦男 著」、『東京新聞』2013年08月04日(日)付。


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言葉が立ち上がる時 柳田 邦男 著

2013年8月4日


◆命懸けで紡いだ言葉の力
[評者]姜信子=作家
 「言葉への旅に出よう」。柳田邦男さんのその声に、私はあの人たちのことを想(おも)わずにいられない。3・11から一年後のなにもない廃墟(はいきょ)の陸前高田で、「あのとき、私たちは言葉も津波に流されてしまいました」と、精一杯(せいいっぱい)の心でそっと語ったあの人たち。一見この世には言葉が溢(あふ)れているというのに、あの人たちはチリジリバラバラの言葉の廃墟に立っている。その声を聞いた私も、どうやら言葉を失(な)くしている。
 そう、私たちは命が言葉を見失った時代に生きている。生き直し、結び直す言葉を切実に求めている。だからこそ、柳田さんも、言葉が生まれくる根源へと、意を決して旅に出た。
 たくさんの生と死、哀しみと歓び、胸に食い込む言葉たちに出会うこの旅のはじめに、柳田さんは「待つ」ということを考える。人間を襲う理不尽をめぐって真に問うべきことを思う。問う時間は待つ時間。命の物語が生まれいずるのを待つ時間なのだと言う。
 思えば、人間は、遙(はる)か昔より無数の生と死の物語を紡いできた。千年前の歌の言葉がその情感とともに脈々と受け継がれてきたように、私たちには集合的無意識とも言うべき美学や情緒の様式があり、それは無数の命の物語を育む豊かな森でもあった。
 そしてなにより、極限状況の中で言葉を紡ぎだしてきた人々がいる。たとえば、死に至る病に向き合う時間の中で、原発避難を強いられた福島で、ナチスの強制収容所で、彼らは「人生の意味を問う者」としてではなく、「人生に問われている者」として命がけで問いに向き合う。生と死のはざまから、命を支える言葉をつかみだす。強制収容所を生き抜いたフランクルの言葉を引いて、そう柳田さんは語るのだ。
 こうして言葉は生まれて、読まれ、書かれ、人を結んで、千年も二千年も先へと脈々と命の物語を紡いでゆく。柳田さんと旅してたどりついた、その遙(はる)かな光景を前につくづくと思う。命がけの言葉はわれらの希望なのだと。
(平凡社・1575円)
 やなぎだ・くにお 1936年生まれ。作家。著書『言葉の力、生きる力』など。
◆もう1冊 
 小森陽一著『ことばの力 平和の力』(かもがわ出版)。漱石や賢治らの作品から、ことばをめぐる個人と国家の関わりを読む。
    --「書評:言葉が立ち上がる時 柳田 邦男 著」、『東京新聞』2013年08月04日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013080402000178.html:title]


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覚え書:「書評:アジア力の世紀 進藤 榮一 著」、『東京新聞』2013年08月04日(日)付。


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アジア力の世紀 進藤 榮一 著  

2013年8月4日


◆冷静に説く共生への流れ
[評者]根井雅弘=京都大教授
 歴史の大きな流れを捉えるのは簡単ではない。「アジア力」と聞いても、近隣諸国と尖閣問題や竹島問題などをかかえる日本が「アジアは一つ」(岡倉天心の言葉)のような流れに乗ることができるのか、疑問に思う読者もいるかもしれない。だが本書は、いまや産業競争力の強さで他を圧倒し、二十世紀の「パックス・アメリカーナ」に代わる「アジア力の世紀」が胎動しつつあることを冷静に説いている。
 二十一世紀の情報通信革命によってアジアは「一日経済圏」となり、新しい生産・経営様式(ネットワーク化とモジュール化がキーワード)の確立がアジア型の「ものづくり」文化を生成させた。実際、数字で見ても、東アジアの世界輸入総額に占める比率は二〇一〇年に26%、世界輸出総額に占める比率は同じく31%に到達している。著者はこれを「大アジア力の世紀」の到来と呼んでいるが、論壇には中国脅威論やTPPへの過剰な期待などが繰り返し登場し、必ずしも歴史の大きな流れを捉えていないという。
 地域統合の構築と深化については欧州統合の先例があり、著者はそれを参考に、東シナ海に資源エネルギー共同開発の仕組みをつくること、そして「一つのアジア」を担う次世代を育成することの二つを提案している。もちろんこれらはそう簡単ではないかもしれないが、東シナ海をめぐる小さな領土と資源をめぐって現在のような不毛な争いを続けるよりは、経済合理性からいっても共に利益を享受できるウィンウィン関係をつくりやすいと主張する。
 不安があるとすれば、戦略と謀略のゲームにたけたアメリカの外交力が、ガラパゴス化した日本外交を裏で操る可能性があることだろう(これまでの歴史からこれは決して非現実的ではない)。だが、地域統合の流れを正確につかみ、アジア共生への枠組みを地道につくり上げていく以外にこの国の将来はないという著者の立場は揺るがない。警世の書として一読を勧めたい。
(岩波新書・798円)
 しんどう・えいいち 1939年生まれ。筑波大名誉教授。著書『戦後の原像』など。
◆もう1冊 
 谷口誠著『東アジア共同体』(岩波新書)。東アジア地域統合の重要性と課題を示し、日本の果たすべき役割を具体的に提案する。
    --「書評:アジア力の世紀 進藤 榮一 著」、『東京新聞』2013年08月04日(日)付。

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アジア力の世紀――どう生き抜くのか (岩波新書)
進藤 榮一
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病院日記(7) 「生きていることだけでそれはすばらしい」の意味

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今日はキツイ一日だった。2時間睡眠二日酔いにて入浴介助。しかも今日はストレッチャーではなくてキャリー一人介助が多かったので腰に効て、風邪が悪化。そのままGMSの職場へ行くと、冷凍機故障にて商品撤去を独りで。そんで、休憩時間にiPhoneに保存したレポート全部読んだ。

我ながらよくやったワと思うけど、明日仕事に行く前に最終チェックして採点して、書評の仕上げ予定。風邪引いた自分が悪いのだけど、いっぺんに色々とやらなければならないのでやるしかないのだけど、ぐへへ。

ほんとはもう少し思索して投下すべきなんだろうけれども、とりあえず実感もあるので、少し、今日、学んだことだけを流しておきます。まあ、そんなんいうても、お前の考えはいわれなくても分かるし、改めていわれてもそれは「言葉」だけの話ですよねwww と失笑を買いそうだけど、まあ、いいや。

配属先の病棟がそうだからなんだけど、体を自分で動かすことができない人が多いので、結局は、自分とは異なる他者の介助がなければ生きていくことができないと言っても過言ではない。だけど、所謂、字義通りの「生きていることだけでそれはすばらしい」ってものを持たないと始まらないと思った。

勿論、難病だけでなく、人が老いるということを考えれば「他人事」ではないからねー、という想定先取り“有用性”の論理から、「生きていることだけで素晴らしい」を認めることもできるよね!とは返されそうだけど、そういわれてしまうとそうではない、と思う。有用性の論理こそ人間の敵なんだと思う。

先週は、精神科から転棟してきた方が、何も自分ができないことを嘆き「一人前でない自分はだめですよねー、早く人間になりたい」ようなことを言っていましたが、こちらも仕事とはいえ、介助をしていると、こちらの体も心もツライんだけど、「そうじゃあねえんだ」ともの凄い思ってしまう。

「生きているだけで素晴らしい」って、誰でもそう思うし、そうありたいと思う“素敵なフレーズ”でぐうのねも出ないひとつのファイナルアンサーのひとつなんだけど、僕もそうだったけど、現実には、その中身っていうのは極めてうすっぺらなんだよね。

何ンというか、絵に描いたような美談にホロロとするような「ドラマ」のような、自分の五感をフルに発揮して、その生きているというこの美醜を嗅ぎつけることとはほど遠い、何か、無菌室で作業が進行をするのを眺めながら「うん、生きるっていいよね」みたいなね。そういう薄っぺらさなんだよ。

勿論、これは、体験至上主義でも、間接表象から学ぶことの無意義性という意味ではないですよ。しかし、そういったものを超越して、例えば「汝殺す勿れ」の戒律に無疑曰信で遵じていくようなものといいますか。ものすげえ、キツイしツライんだけど、だけどその極地で、「それでええんや」と感じるのね。

「生きているだけで素晴らしい」には、たぶん、その字義通りの本来性よりも、こういうひとも活躍できるんだ、とか、すごいエライよね、みたいなものが世俗社会ではやはり見え隠れするんですよ。その地平においては「来ているだけで素晴らしい」っていうものは、それ自身からどんどん遠くなってしまう。

ということは、その「生きているだけで素晴らしい」という人間存在の全肯定の思想というものは、何か特定の「生きている」ことに収斂されるものでもないし、宗教思想的に言えば、その「生きる」が「老」や「病」や「死」と有機的な相関関係を持ち得た「生」としてのそれなんだろうと思う。

毎度、毎度、入浴介助しながら、そういう思いが強くなってくる。毎度、毎度、…これも何度も言及したけど…「すまねえ」って手を合わせる利用者さんもいる(合わせないでくれ)。元気だから素晴らしいの? その人が有能だから素晴らしいの? いい学校でているから「生きていることが素晴らしい」の?

たぶん、そういう地平から人間を眼差していく、関わっていくしかないのとちゃうのかと……ね。そして、レヴィナスがそういうように、結局は、全く関係のない人間同士が、それとなく、敬意を相互に表しながら「殺し」あうことしないようにいきていくことなんかとも関わっているような気がしています。

まあ、こういうご時世で、そんなことを考えたりさ、世界の動向と切り離された(ように見える)そういうミニマムなことで悩むこと自体が、ナンセンスなんだろうけどね。ただ僕は、そういうミニマムなものというのは、大文字の現在進行形の出来事と無縁ではないとは思っている。


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覚え書:「今週の本棚:持田叙子・評 『ゆうじょこう』=村田喜代子・著」、『毎日新聞』2013年08月04日(日)付。

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今週の本棚:持田叙子・評 『ゆうじょこう』=村田喜代子・著
毎日新聞 2013年08月04日 東京朝刊

 ◇持田叙子(のぶこ)評

 (新潮社・1890円)

 ◇いのちの源の海に向かう少女の成長譚

 村田喜代子は、昔ばなしや神話、伝説のこころの影を今の私たちのこころの中に溶かし入れ、生き死にの歓(よろこ)びや恐れをあざやかに見きわめるすぐれた物語作者である。

 物語の魂に憑(つ)かれたようなゆたかで神秘的な書きっぷりをみせる彼女がさいきん特にこころざすのは、いのちに根源的にかかわる火と水を描くこと。

 たとえば文芸誌『こころ』に連載の始まった「八幡炎炎記」は、圧倒的な火の小説。

 原爆が投下され炎の燃える広島をからくも逃れ、不義の男女が火と製鉄の町、北九州八幡で戦後を生き直す第一話には、善悪をこえた偶然に左右され、蟻(あり)のように地を這(は)いまわる私たちの生の不条理が雄渾(ゆうこん)に描かれる。

 人間の運命をわしづかみにする炎の巨神兵のような原爆にはどこか、人の手に負えない巨大な原子炉のイメージも重なる。

 九州生まれの著者にとって火とは、郷土の火の国そして日本列島を生みだした火山のたとえでもある。

 二〇一一年の大震災以降、恵みと災いをもたらしつつも健やかな自然の正体を探るように著者は、郷土の火の山をみつめてきた。

 短篇「光線」は、九州の火山の町で放射線治療をうける妻につきそう男の数週間を描く。あたりに降りしきる「猛烈な火山灰」と、妻のからだに降る放射線とが対比され、目にみえず匂いもしない光線への畏怖(いふ)が浮き上がる。

 さて「八幡炎炎記」や「光線」が火の小説であるとするなら、本作は新たにいのちの源の海深くに潜ろうとする野心的な水の小説。

 一人の少女の心象を通し、南国の光まばゆい神話的な海を幻視する。おそろしい……火を書く火の女であるとともに、水を書く水の女でもあることを著者はめざすのか。

 舞台は熊本にかつて実在した港の遊廓(ゆうかく)、東雲(しののめ)楼。時は明治三十六年。一人の少女が親に売られ、火山と岩と海しかない硫黄島からこの遊廓にやってくる。

 遊廓遊女小説は近代においても盛んで、貧のため春をひさぐ女性の存在は社会の不平等を撃つためにも書かれたけれど、吉原など江戸情緒ただよう遊里を舞台とするのが主流。

 九州各地はては南西諸島から娘たちの売られてくる南国の港の遊廓、という設定は戦略的に新鮮で、都会中心の目を正される。

 それに遊女とは、海や川をさすらう古代の水辺漂泊民の女がたつきのため歌舞を披露しつつ旅したのが起源ともされ、ならば海のほとりの遊廓とは遊女の原義にふさわしい。

 ヒロインも異色。青井イチは色気のかけらもない元気な海の子。母は海女で父は漁師。硫黄の匂う海でいっしょに泳いだイルカや亀についてはよく知るけれど、人間の事はわからない、まして大人の性の事など。

 その十五歳の海の子が廓(くるわ)に着くなり裾をまくられ事務的に男根を入れられて女性性器を検分され、異様な感覚に「あ」と動転するところから独特の無常のドラマは始まる。

 情のない性交のつらさ。イチはしじゅう「痛(い)て。痛て。」と叫ぶ。先輩の遊女は少女たちに賢い身の守り方--女が主導し男を骨ぬきにする「精緻精妙微妙凄絶(せいぜつ)な技術」を教える。イチなどは廓きっての花魁(おいらん)「東雲さん」に、生理の出血を自在にコントロールする秘術まで習う。本当にこんなことできるの?

 女から女へ授けられる女のからだの内側のあれこれの知識がすごい迫力。女であるのに女について何も知らない自分に気づく。にわかに体内に紅(あか)い血がどっくんと湧く思い。

 イチにはもう一人すぐれた教師がいて、それは廓内の学校「女紅場(じょこうば)」で読み書きを教えてくれる元士族の「鐵子(てつこ)さん」。鐵子さんの導きにより「青井イチ」と書いた瞬間、少女は世界を知り分け、自己存在の感覚を得る。

 十五の春に売られてきたイチは十六の冬、東雲楼の遊女たちと力をあわせ、廓を脱出する。ゆく先はそれぞれ。イチは朝鮮半島まで伸(の)す筑紫の海女の仲間に入る決意をする。

 一見けなげな少女の向日的成長譚(たん)だが、字を学び知にめざめたイチの前には果てしない孤独も広がる。子を喰(く)いつぶすオヤはオヤでないと知った。捨てるべきものとさとった。

 強いられた性交をへて、島ことばでいえば「じのそこがほげ」(地の底が抜け)る地獄に自分が生きることにも気づいてしまった。

 もはや南の海だけが彼女を待つ。廓でいやいや男と寝るイチの想念にはしばしば、光みちる青の虚空でやわらかく泳ぐイメージが浮かんだ。イチの眼(め)を見返す大きな海亀こそ、少女のエロスの象徴。亀は彼女の神だった。

 海の娘は海に還る。近代の遊廓ストライキの事実に、古層の神話--浦島太郎譚や豊玉姫譚が重ねられる。原始の神々の棲(す)む青い海に、遊女の流す紅い血と涙が広がる。

 この先イチはどこをさすらうのか--小説の視野は大きく、海に遊ぶ女、海女の原郷であり、古来日本とアジアの密に交流する南の広い海域を向いて終わる。
    --「今週の本棚:持田叙子・評 『ゆうじょこう』=村田喜代子・著」、『毎日新聞』2013年08月04日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130804ddm015070030000c.html:title]


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覚え書:「今週の本棚:池澤夏樹・評 『民族衣装を着なかったアイヌ』=瀧口夕美・著」、『毎日新聞』2013年08月04日(日)付。


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今週の本棚:池澤夏樹・評 『民族衣装を着なかったアイヌ』=瀧口夕美・著
毎日新聞 2013年08月04日 東京朝刊


 (編集グループSURE・2625円)

 ◇自らの立ち位置を求めた“北の出会い”の物語

 我々が日本語にできなかった西欧語の一つに「アイデンティティー」がある。

 自分は何者であるかということを社会的なフレームの中で規定する。他者に対する名乗りだが、勤務先や肩書きではなくもっと個的なもの。

 これに対応する概念が日本の文化の中にはなかった。

 そんなことを考える必要がなかったのだ。我々はみな均質の日本社会に埋め込まれていたから上下左右の位置関係を記した名刺一枚で済んできた。それ以上のことは考えなかった。

 しかしそうでない人たちもいる。単一民族という嘘(うそ)の陰に押し込められた少数民族や近代になって朝鮮半島から来た人々。日本国民である他にもう一つの資質を持っている者。

 『民族衣装を着なかったアイヌ』は一九七一年に生まれたアイヌの女性が惑いながら自分の立ち位置を確定するまでの物語である。

 偏見との戦いと一言でいうほどことは簡単でない。著者は阿寒湖のアイヌ観光の土産物店で育った。観光はアイヌにとって大事な産業だが、それは偏見の制度化につながっている。

 「問題は、観光=興味の対象が、見られるほうの許容限度を超すほどにもなることだ」と彼女は子供の時の体験を踏まえて言う。博物館の展示品と違って人は生きて生活しているのだから。

 自分たちがどういう道を辿(たど)って今いるところまで来たか、著者はまず始めに母に聞く。アイヌという抽象的な言葉を人々の生活史で具体化する。そこから祖先を辿って、十勝川の下流域に住んだ曽々祖父長濱伊蔵という人に遡(さかのぼ)る(この人が生まれたのが一八七二年、私事ながらぼくの曽祖父が八歳で北海道に渡った翌年である)。八十一歳まで生きたこの人物の一生はおもしろい。馬を飼ったり魚を捕ったりする一方、十勝川の渡し船を漕(こ)いでいた。地域への奉仕ということになるが、当たり前のことであり、そういう人々、そういう時代だったのだろう。

 自分の祖先だけでなく、著者はもっと広く女たちの話を聞いてまわった。その一人がアイヌではなくウイルタの北川アイ子。日本領だった樺太(サハリン)の生まれで、ここには他にニヴフとエヴェンキ、サハなどの少数民族がいた。

 やがて戦争になり、戦争が終わってソ連の時代が始まった。十九歳で結婚した相手のゲルゴールは四十歳以上年上だったけれど「やさしい人だったよ」とアイ子は言う。でもその夫がシベリアに連れていかれたので朝鮮人のゴンと再婚した。そして一九五五年に日本に渡った。

 聞き書きは会話の形を残し、迂闊(うかつ)な質問で相手の機嫌を損ねたことまで書いてあって、臨場感がある。そこでまさに一つの人生が語られている。

 その先で著者は、もう当然のようにサハリンに渡ることになる。この旅行記の部分は苦労が多い分だけ読む方はおもしろい。人が人に会っているという印象が強く迫る。

 アイ子の兄のゲンダーヌが生まれた佐知というところを訪れると、そこの慰霊碑には「安らかに眠れ」という意味の文句がロシア語、ウイルタ語、ニヴヒ語、日本語、アイヌ語、朝鮮語で書いてあった。そういう辺境を日本は失って単一民族の神話に立てこもった。

 アイデンティティーの曖昧さは過去を参照することで解決できる。過去は揺るぎないから、起こってしまったことだから、信頼できる。「アイヌ民族というものと、現代のアイヌである自分自身との距離がずっとつかめずにいた」という著者は間違いなくそれをつかんだ。
    --「今週の本棚:池澤夏樹・評 『民族衣装を着なかったアイヌ』=瀧口夕美・著」、『毎日新聞』2013年08月04日(日)付。

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書評:小林清美『アウトバーンとナチズム 景観エコロジーの誕生』ミネルヴァ書房2013年。


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小林清美『アウトバーンとナチズム 景観エコロジーの誕生』ミネルヴァ書房、読了。緑の党の活躍や脱原発へいち早く舵を切ったことで名高い環境先進国・ドイツ。そのエコロジー的認識が高まったことのは戦後ではなくナチス体制期。アウトバーンと景観建設を切り口に正負の遺産を描き出す歴史研究。

自然保護や景観形成に力を入れたのは何も戦後ではない。高速道路網の整備による技術立国化を目指していたヒトラーたちがエコロジー思想を抱いていたわけではない。しかし民族の遺産としての環境保全は開発と自然の融和へと収斂する。

エコロジーの盛り上がりはワイマール期よりナチス期の方がいきおいを増したこともあり、景観育成のほか、有機農法等々様々な試みが為された時代である。〈緑〉とナチズムの共犯関係に迫る本書は、今日的な政策を冷静に捉えようとする。

 http://www.minervashobo.co.jp/book/b108514.html 個人の情念としてのロマン主義は否定しないものの、そうしたものが公共政策に多大な影響をあたえるときついなあ、という感慨。よければいいということに躊躇してしまう

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アウトバーンとナチズム―景観エコロジーの誕生 (MINERVA歴史叢書クロニカ)
小野 清美
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覚え書:「ウルトラセブンが『音楽』を教えてくれた [著]青山通」、『朝日新聞』2013年07月28日(日)付。


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ウルトラセブンが「音楽」を教えてくれた [著]青山通
[掲載]2013年07月28日   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 


 1968年、7歳の筆者は「ウルトラセブン」の最終回に衝撃を受ける。愛するダンに自分はウルトラセブンだと告げられたアンヌ隊員。その背景で「なぜ?」と疑問符を畳みかけるかのように強く和音を刻む硬質のピアノのタッチに、心を射抜かれたのだ。曲はシューマンのピアノ協奏曲だと知り、筆者はレコードを買いにいくが、あまりの印象の違いに失望する。同じ曲が、演奏により全く違う命を得るというクラシックの本質に目を開かされ、聴き比べる楽しみを知る。テレビにラジオ、BGMなど芸術の世界への入り口は限りなく存在する。人生を豊かに彩る芸術との出会いを、ひとりでも多くの子供に、と祈りたくなる一冊だ。
    ◇
 アルテスパブリッシング・1680円
    --「ウルトラセブンが『音楽』を教えてくれた [著]青山通」、『朝日新聞』2013年07月28日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013072800006.html:title]


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覚え書:「今週の本棚・新刊:『それでも彼女は生きていく』=山川徹・著」、『毎日新聞』2013年08月04日(日)付。

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今週の本棚・新刊:『それでも彼女は生きていく』=山川徹・著
毎日新聞 2013年08月04日 東京朝刊

 (双葉社・1470円)

 山形県出身で、東北をフィールドにノンフィクションを執筆してきた著者による4冊目の単独作品だ。

 東日本大震災の直後から東北沿岸を歩いてきた著者は、震災数カ月後に「被災した女性が水商売や風俗で働き始めている」といううわさを聞き、かつて読んだ『昭和東北大凶作 娘身売りと欠食児童』という本を思い出す。東京でAVや風俗に身を投じた女性を探し始めると、拍子抜けするほどあっけなく見つけてしまい、戸惑いながらも取材を始める。

 副題には「3・11をきっかけにAV女優となった7人の女の子」とあるが、実際には震災以前からのAV女優や、風俗業から転身した女性など境遇はさまざま。「震災で家族が困窮しやむなくAV女優に……」という分かりやすく単純な話ではない。しかし共通して「震災で何かが変わった」と口にする。「何か」とは被災した故郷や家族への思いだったり、自分の将来への展望だったり、とさまざまだ。

 AV女優という特定の職業が対象になっているが、彼女たちの語りを通じて、岩手、宮城、福島に生きる人たちの震災後の心の揺れが抽出され、描かれている。(さ)
    --「今週の本棚・新刊:『それでも彼女は生きていく』=山川徹・著」、『毎日新聞』2013年08月04日(日)付。

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なごやまつり


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さて……。
8月3日の土曜日。
家族旅行で名古屋を訪問しましたが、その日の夜は、少し時間を頂き、古い友達、そして新しい友達と歓談する時間をつくることができました。

皆様、お忙しい中、時間をさいてくださりありがとうございました。

しかしびっくりのするのは、世界が狭いということ。いろいろなものごとがリンクしてきたり、共通の知人がいたりして驚いた次第です。

また、ご迷惑をおかけするかと思いますが、どうぞよろしくおねがいします。

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覚え書:「神の島 沖ノ島 [著]藤原新也、安部龍太郎 [評者]角幡唯介」、『朝日新聞』2013年07月28日(日)付。

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神の島 沖ノ島 [著]藤原新也、安部龍太郎
[評者]角幡唯介(ノンフィクション作家・探検家)  [掲載]2013年07月28日   [ジャンル]アート・ファッション・芸能 


■写真と文章で味わう神秘の地

 びっくりしたという意味では近年まれに見る本だ。本書は写真家の藤原新也氏と作家の安部龍太郎氏が、玄界灘のど真ん中に浮かぶ沖ノ島を訪ねた時の写真と文章をまとめた大型本だが、こんな島が日本に残っていたことに驚かされた。
 本の題名が示す通り、沖ノ島はまさに神の島だ。何しろ島そのものが御神体。海の神に対して捧げられた宝物が多数発掘されており、「海の正倉院」と呼ばれるという。おまけに今でも女人禁制で、上陸の際には全裸で海に入り禊(みそぎ)をする必要がある。そんな神秘の地が福岡県のわずか60キロ沖合にあるなんて、この国も捨てたものではない。
 その島に藤原氏は島を畏(おそ)れそして祀(まつ)った古代人の目となって上陸する。収録された多数の写真は島に封印された彼らの情念や霊気がにじみだしてくるかのようだ。島にあつい信仰を寄せた宗像一族について著した安部氏の掌編小説も興味深く、見応えと読み応えのある作品となっている。
    ◇
 小学館・2940円
    --「神の島 沖ノ島 [著]藤原新也、安部龍太郎 [評者]角幡唯介」、『朝日新聞』2013年07月28日(日)付。

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覚え書:「青い花 [著]辺見庸」、『朝日新聞』2013年07月28日 (日)付。

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青い花 [著]辺見庸
[掲載]2013年07月28日   [ジャンル]文芸 

 「わたしはあるいている」。故郷の東北の線路沿いを独りで歩いている。「妻は死んだのだ。父も母も死んだのだ。子どもたちも死んだのだ。犬も死んだのだ。友だちもずいぶん死んでしまった」。なぜなら「震災と戦災がかれらを殺した」から。
 「わたし」が求めているものは、恋しい女、幻の青いコスモス、そして、すごいクスリ。「安心安全とコンプライアンス&PC相互監視」の「ニッポン」で、わたしは考える。滑稽で無意味でグロテスクな世界を覆うあらゆる厄災に怒り、呪いの言葉をこれでもか、これでもかとまき散らす。
 そこにある現実と真実に、鳥肌をたてて読むべき小説。この参院選の後では、ことさらに。
    ◇
 角川書店・1680円
    --「青い花 [著]辺見庸」、『朝日新聞』2013年07月28日 (日)付。

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「都市は人を自由にする」のか?

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村上春樹さんの近著『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(文藝春秋)の主人公の生まれ故郷が愛知県名古屋市という設定になっている。

高校時代の幸福な学生グループに属した多崎が都内の大学へ進学後、なぜか、そのグループを追放されることになる。その謎を巡礼していくのが作品の筋だが、その名古屋を土日に旅してきました。

そこで少し感じたことですが少し覚え書きとして。

村上春樹さんは、その近著のなかで、名古屋は確かに大都市だけれども、実は、人間関係も緊密で、大都市の体をなしているけれども、田舎的なエートスとそんなに変わらない(趣旨)ことを、多崎に語らせますが、そのことを実感しました。

今回の旅の目的は、子どもが歴史に興味があるので名古屋城を見たいというのと、その名古屋市を舞台として活躍する「おもてなし武将隊」に合いたいというので、訪問したのですが、驚いたのは、「おもてなし武将隊」に対する「おっかけ?」の多いことでした。

円環内で完結するというのは、田舎の専有物かと思っておりましたが、決してそうではないのだな……そのことを実感しました。だからといってそれは名古屋に限定されるわけではなく、「構え」や「人口構成」をどの設定にとっても、これは日本の「都市」に見えない形で落とし込まれた「非・都市」なるものなのではないのかな、と。

なんでそんな光景を眼差したことがそういう話になるのか?っていうのはいまのところなかなか説明はできないのですけど、そういうのは、ピンと来ましてね。少し記録として残しておきます。

そして東京も例外ではないという話なんです。

まあ、田舎vs都市vs大都市という対立構造自体が、そもそもナンセンスであって、……そしてそれがいいのかどうなのか、さしあたり僕もよくはわからないんだけど……「都市は人を自由にする」というのは、日本では、まだ都市においても非都市においても、現出はしていないのだろう……とね。

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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
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覚え書:「ヨーロッパ文明の正体―何が資本主義を駆動させたか [著]下田淳 [評者]水野和夫」、『朝日新聞』2013年07月28日(日)付。


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ヨーロッパ文明の正体―何が資本主義を駆動させたか [著]下田淳
[評者]水野和夫(日本大学教授・経済学)  [掲載]2013年07月28日   [ジャンル]経済 

■解明の鍵は「棲み分け」にあり

 鉈(なた)で一刀両断されたような良い意味での重い読後感が残り、あらゆるものを数値と結びつけて考えたがる「理系バカ」が支配する現代社会から脱しなければ、日本の未来はないという著者の主張にとても共感できる。
 ヨーロッパ文明は12世紀に始まり、これを解明する鍵は「棲(す)み分け」にあるとするのが本書の核心である。とりわけ富の棲み分けと職の棲み分けが農村に「貨幣関係のネットワーク」を成立させ、資本主義をもたらしたという。
 そして、資本主義を効率化させていったのが「時間・空間の能動的棲み分け」だった。これは聖俗の棲み分けに他ならない。「教会という空間を整理整頓して礼拝のみの空間とし、礼拝の時間と俗生活の時間をタイムスケジュール化して分離する」からである。この棲み分けは必然的に「均一化」と「排除」を生み、空間を棲み分けて最終的に到達したのがナショナリズムだった。資本主義およびナショナリズムを理解するにはキリスト教、とくにカトリックの理解が不可欠だということがよく理解できる。
 なぜ非西欧では日本だけが明治維新で西欧化に成功したのかについても説得的である。日本でも江戸時代から富、職の棲み分けがある程度は行われていたからだと、具体例を挙げて証明している。
 富の棲み分けは理系人間、すなわち「職人」という技術者を重用し、17世紀の「科学革命」へと繋(つな)がって、あらゆるものを数値化していった。
 しかし、「理系バカ」が主導する「理系資本主義」はもはや限界に達し、ここから日本が脱することから始めなければいけないと本書は主張する。「過度」と「速さ」の理系型ではなく「適度」「遅さ」の「文系資本主義」の道をとれというのだ。18歳のとき数学ができないという理由だけで文系コースに進んだ評者としては、再チャレンジのチャンスだと勇気が湧いてきた。
    ◇
 筑摩選書・1680円/しもだ・じゅん 60年生まれ。宇都宮大学教授。歴史家。『ドイツ近世の聖性と権力』 
    --「ヨーロッパ文明の正体―何が資本主義を駆動させたか [著]下田淳 [評者]水野和夫」、『朝日新聞』2013年07月28日(日)付。

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ヨーロッパ文明の正体: 何が資本主義を駆動させたか (筑摩選書)
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覚え書:「10万人のホームレスに住まいを! [著]青山やすし [評者]渡辺靖」、『朝日新聞』2013年07月28日(日)付。


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10万人のホームレスに住まいを! [著]青山やすし
[評者]渡辺靖(慶応大学教授・文化人類学)  [掲載]2013年07月28日   [ジャンル]社会 ノンフィクション・評伝 


■市場原理を活用する自立支援

 市場原理を忌避することなく、むしろ適切に活用することで社会問題の解決を目指す〈社会企業〉。日本でも若い世代を中心に起業が相次いでいるが、スケールアウト(規模拡大)に苦心している良質な事業も少なくない。
 本書は社会企業大国アメリカにあって、ホームレスの自立支援をリードする起業家ロザンヌ・ハガティ氏の経験談を収めた一冊。
 彼女はたった一人でNPOを立ち上げ、官民の資金を集め、マンハッタンの荒廃したホテルの建物を買い取り、周辺のホームレスのための恒久的な生活な場--一時的なシェルターではない--として見事に蘇生させた。
 アメリカでは13万人が自助努力の遠く及ばない深刻なホームレス状態にあるが、目下、彼女はうち10万人に安定的な住居を提供し、社会的排除や貧困・医療・教育・雇用の問題を改善しようと、全米130以上の地域でコミュニティー再生事業を展開している。国際的なネットワークづくりにも意欲的だ。
 住居の提供には1人当たり年間平均約1万5千ドルかかるが、他の支援手法よりはずっと割安。万一、刑務所や病院に収容された場合の高額な費用とは雲泥の差だ。周辺の不動産価値の下落も防げる。
 市場や政府を批判するだけの人や旧態依然とした左右の観念論から抜け出せない人は日本にも多い。
 しかし、彼女は違う。たとえば行政の非効率さに辟易(へきえき)しながらも、その中で「一人卓越した人を見つける」ことが大切だと前向きで具体的だ。
 都庁職員として長年、山谷の日雇い労働者の問題に取り組んできた著者による日米比較も説得力がある。
 「大きな政府」という選択肢が消えつつある今日、理想主義と現実主義が交差する新たな公共領域のフロンティアを開拓し続けるハガティ氏の言動は私たちに勇気と希望を与えてくれる。
    ◇
 藤原書店・2310円/あおやま・やすし 43年生まれ。明治大教授。元東京都副知事。『石原都政副知事ノート』など。
    --「10万人のホームレスに住まいを! [著]青山やすし [評者]渡辺靖」、『朝日新聞』2013年07月28日(日)付。

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10万人のホームレスに住まいを!  〔アメリカ「社会企業」の創設者ロザンヌ・ハガティの挑戦〕
青山 やすし ロザンヌ・ハガティ
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書評:アダム・スミス(高哲男訳)『道徳感情論』講談社学術文庫、2013年。


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風邪薬で仕事が進まなかったので『国富論』で名高いアダム・スミスの処女作、高哲男訳『道徳感情論』講談社学術文庫、読んだ。の著者の処女作が本書。「人間がまず隣人の、次に自分自身の行為や特徴を、自然に判断する際の原動力を分析するための論考」。

[:http://bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2921766:title]


スミスは人間の行為や特徴を検討することで、人間は利己的動物ながら他人に共感することができる。スミスは人間の行為とその特徴を検討することで、社会を形成する人間の「適合性」のメカニズムを具体的に本書で明らかにする。まさに英国道徳哲学の面目躍如。

(狭義の経済学には門外漢ながら)分析が対象を扼殺するのは学の常。人間の全体よりも部分に注目するが、(スミスは『国富論』での議論も含め)全体性をとらえようと努力している感がある。五百頁を超える訳書ながら非常に読みやすく示唆に富む一冊だった。

先験的な規範よりも、相互検討的な適合性によって導かれる行為規範を尊重し、それを絶えず検討することで徳のある社会が実現可能となる。英国流の経験主義と言ってしまえばそれまでだが、このアプローチは必要不可欠と思う。古典中の古典ながらおすすめの一冊。


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道徳感情論 (講談社学術文庫)
アダム・スミス
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覚え書:「対話集 原田正純の遺言 [編]朝日新聞西部本社/原田正純の道 [著]佐高信 [評者]田中優子」、『朝日新聞』2013年07月28日(日)付。


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対話集 原田正純の遺言 [編]朝日新聞西部本社/原田正純の道 [著]佐高信
[評者]田中優子(法政大学教授・近世比較文化)  [掲載]2013年07月28日   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 


■水俣病患者に学んだ半世紀

 福島原発事故によって人も社会も海も被害を受けた。いまだ何も乗り越えられていない。にもかかわらず再稼働が次々と審査申請された。こういう時こそ、水俣を思い起こさなくてはならないだろう。
 原田正純は二〇一二年六月に亡くなるまで、医師として五十三年間にわたって水俣病患者に寄り添い続けた。『原田正純の遺言』は、亡くなる直前までおこなわれた対談を集めたものだ。またその生い立ちや研究の過程、そしてその人柄については『原田正純の道』がじつに丁寧に描いている。この両方を同時に読むことをおすすめする。
 水俣を医学からのみ見ている人ではなかった。「圧倒的に被害者のほうが弱いんですからね。中立ってことは『ほとんど何もせん』ってことですよね。『何もせん』ってことは結果的に、加害者に加担しているわけです」「医学も必要だけれども、この人をどうやって救済するかというのは、きわめて政治的、行政的問題でしょう?」。これは、原発に直面している私たちこそが、問われている姿勢だ。
 ほとんどの生物が遭遇しなかった大量の有機水銀が体内に入ってきたとき、遺伝子はそれを処理できなかったばかりか、「胎盤は毒を通さない」という医学の常識に反して胎児性水俣病が発生した。原田はこれを「人類が初めて経験したこと」だと語る。「教科書はない。……彼らから学ぶしかな」いと、原田は患者の家に通いつめた。この二冊の本は、原田が患者たちから学び続けた記録だとも言える。
 三池炭塵(たんじん)爆発、カネミ油症事件、土呂久砒素(とろくひそ)公害にも関わり、それも対談に収録されている。田中正造の「谷中学」にちなんで、あらゆる分野を巻き込んだ「水俣学」を確立した。それは今も継承されている。ここから「福島学」が生まれる可能性がある。
 人類が直面した危機に、笑顔を絶やさずまっすぐ向き合い続けた人だった。
    ◇
 『原田正純の遺言』岩波書店・2310円、『原田正純の道』毎日新聞社・1890円/さたか・まこと 45年生まれ。
    --「対話集 原田正純の遺言 [編]朝日新聞西部本社/原田正純の道 [著]佐高信 [評者]田中優子」、『朝日新聞』2013年07月28日(日)付。

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対話集 原田正純の遺言

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覚え書:「ふたごと教育 [編]東京大学教育学部付属中等教育学校 [評者]川端裕人」、『朝日新聞』2013年07月28日(日)付。


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ふたごと教育 [編]東京大学教育学部付属中等教育学校
[評者]川端裕人(作家)  [掲載]2013年07月28日   [ジャンル]教育 


■遺伝と「個の確立」を問う研究

 東京大学教育学部付属中等教育学校は「ふたごの学校」として知られる。中高一貫の課程に「ふたご枠」があり、60年間で900組が学んだ。
 ふたごの研究は世界的に注目されている。「双生児法」という手法では、遺伝的にほぼ完全に等しい一卵性双生児と平均的に50%等しい二卵性双生児を比較することで、人間の性格や能力などに遺伝と環境がどんな割合で影響するか調べる。身長体重などの身体的特徴は8割、学業成績など知的能力は5割前後が遺伝で説明できるという。
 最近では、特定の遺伝子と特定の気質が対応づけられた例もあり「この遺伝子を持つ人はこう」と決めつけられる未来を想像してしまう。本当にそうなのか。今、我々は新たな知識を受け入れる足腰を鍛えなければならない。
 評者の見立てでは本書がまさに役に立つ。多くの紙幅が割かれているのは個々のふたごペアの成長について。エピソード的で、科学というより「ごく普通の教育活動を通じた研究」だ。ふたごであること、その保護者であること、教員であることなど、様々な立場を概観する章は「ふたごの学校」の面目躍如。こと遺伝要因が重く語られそうな世で、発端の研究対象であるふたごを個々人として丹念に見ると違った視野が広がる。
 ふたごが多くいるこの学校は「自分とは何か、人間が成長するということはどういうことか……『個の確立』とは何かを問い続けている」と述べる部分で膝(ひざ)を打った。これは、遺伝子とその表現型が解明される時代の「個の確立」についてのヒントではないか。単純化して言えば、遺伝的な差異を所与としても、個性は環境との交互作用で多彩になりうると確信させられる。
 なお双生児法については本書内の概説より『遺伝マインド』(安藤寿康、有斐閣)が詳しいので併読を推奨。ふたご研究が我々に見せる問題系がより明確になる。
    ◇
 東京大学出版会・2520円/同校は48年創設。53年度から毎年約20組の双生児を募集し、教育に関わる研究を実施。
    --「ふたごと教育 [編]東京大学教育学部付属中等教育学校 [評者]川端裕人」、『朝日新聞』2013年07月28日(日)付。

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ふたごと教育: 双生児研究から見える個性

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書評:月村太郎『民族紛争』岩波新書、2013年。

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 ここに、フランスの思想家、エルネスト・ルナンの有名な文章がある。
 「国民とは、したがって、人々が過去においてなし、今後もなおなす用意のある犠牲の感情によって構成された大いなる連帯心なのです。それは過去を前提はします。だがそれは、一つの確かな事実によって現在のうちに要約されるものです。それは明確に表明された共同生活を続行しようとする合意であり、欲望です。個人の存在が生命の絶えざる肯定であると同じく、国民の存在は(この隠喩をお許しください)日々の人民投票[un ple’biscite de tous les jours]なのです」(ルナンほか『国民とは何か』六二頁)。
 当たり前のことだが、民族紛争を再発させない為には、民族的アイデンティティを超えた他民族的な国民的アイデンティティ、そしてそれに基づく国民意識の涵養と維持が為されなくてはならない。本書で指摘したように、民族紛争を発生させる構造、政治、経済、社会的な要因はある。しかしそれらに対処するだけでは十分ではない。エリート、民衆が一緒になって他民族的な国民的アイデンティティを内面化、更には社会化させることに向けて日々努力し続けること、これが一見迂遠であるが、民族紛争の再発を防ぐ最善の道なのだろう。
    --月村太郎『民族紛争』岩波新書、2013年、226頁。

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月村太郎『民族紛争』岩波新書、読了。頻発する民族紛争はどう発生し激化するのか。本書は序章で民族と国民の概念を整理した上で、スリランカ、クロアチアとボスニア、ルワンダ、ナゴルノ・カラバフ、キプロス、コソヴォの6つの事例を取り上げその経緯と軍事介入、ジェノサイドの実態を考察する。

後半は民族を紛争を理解する為に、発生のメカニズム、連邦制から多極共存性にまでの予防法、激化のメカニズムと民族紛争「後」の再建を取り上げ詳論する。「移行期正義」を無視することはできない(例えば紛争中の不義を不問に付す)との著者の観察には留意したい。

多民族共存社会がいかなる体制を採用しようとも中長期的には国民国家の規範を全否定することはできない。とすれば、国民形成という近代国際・国内政治におけるパラダイムに改め向き合わざるを得なくなる。著者が最後にルナンの『国民とは何か』を引用するのが印象的

「民族紛争を再発させない為には、民族アイデンティティを超えた多民族的な国民アイデンティティ、そしてそれに基づく国民意識の涵養と維持が為されなくてはならない」。そしてそれはエリート、民衆が一緒になって内面化・社会化し続ける日々の努力が必要となる。

月村太郎『民族紛争』岩波新書。民族と国家の意識が混同され、ステートに都合よく動員されるのが近代。日本ほど強引にすり替えてきた国家は存在しないし、近年悪化の一途。国家の解体を夢想するだけでなく、国民概念・国民意識の換骨奪胎による共生も現実的には視野にいれるべき。

殆どの場合、科学的・歴史的な根拠が全くないにも拘わらず、近代以降の線引きが序列化によってその差異が対立的な概念として光を浴びて、衝突を加速させている。まあ、「ウチとソトの論理」(佐々木俊尚)。その解放としての脱・植民地が裏腹な結果にもなっている。

例えば、インドは英国の植民地支配を脱して、“建前”としては民主主義の制度のもとに、植民地支配と前時代的ありかたから脱却されたということになっている。しかし、その内実は、拍手できるものでもない。この辺りはアルンダディ・ロイが指摘するところか。※勿論、民主主義否定ではないけど。

ウチを潤沢するためにソトを利用するというのが近代社会の基本的構造なんだけど、それを脱却するために、同じ構造が動員されていく。だとすれば、その概念認識自体を一新していくなかで、変えていかないと、まさに仲間か敵かの二元論で、形を変えて悲劇の招来が必然になるという。

月村太郎『民族紛争』岩波新書では、スリランカが民族紛争の事例として紹介されるけれど、この辺りは、梅原猛式の「仏教は平和の宗教、一神教は暴力の宗教」という認識を改めるうえでは認知しておくべき課題だとは思っている。どの宗教にも限らず、平和を希求する人間もいればそうではない場合もある。

「仏教は平和の宗教、一神教は暴力の宗教」みたいな単純化した立場の認識こそ問題なのだと思う(勿論、それはそれぞれの歴史的負荷をスルーするという意味ではないのはいうまでもなく)。重層的なアイデンティティに絡め取られた人間をどのように眼差していくのかが課題になると思うのよね。

たぶん、大切なことは、一つ一つの問題をスルーすることでもないし、特定の作業仮設的な枠組みから一つに収まりきらない対象を限定していくことなんだろうと思う。その両者は両極端にあるように見えながら、実はひとつもののうらとおもてなんだと思う。人間観の更新を絶えず意識的に試みるしかない。

まあ、僕自体は立ち位置として、仏教よりもキリスト教の批判精神に軸足をおいているのはいうまでもないけど、この間、(もちろん限界はあるけれども)「キリスト教には、反省できる体質がある」って話をしたら、佛教者から「失笑」されましたけど、その「失笑」こそやばいよなあとは思った。

いうまでもない話だけど、キリスト教が素晴らしく仏教がダメだという話ではないんだけど、とくに日本における仏教の歴史と動態を考えるならば、それは問題があったとしてもスルーして反省してこなかった経緯の方が多いから、それを批判的に照射するという意義で…黒船というと違うけど…軸足を置いてる。

勿論、体制内補完勢力と化しているのは仏教だけに限定される問題ではないけど、対抗意識みたいなもんが先になって、本当に取り組まなければならないことを置き去りにしたまま、他者批判にシノギをけずることほど、不毛なことはないよね。


 


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覚え書:「書評:反・自由貿易論 中野剛志 著」、『東京新聞』2013年07月28日(日)付。


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反・自由貿易論 中野剛志 著

2013年7月28日


◆国、文化の多様性が犠牲に
[評者]祖田修=農業経済学者
 本書は「米豪FTA(自由貿易協定)は、オーストラリアを殺した」という衝撃的な言葉で始まる。オーストラリアの期待に反し、FTAのメリットはなかった。米韓FTA、またしかりである。オーストラリアは、同盟国アメリカを信じ、世界の潮流に乗り遅れると思い込み、不満団体は補償措置の約束で懐柔し、甘い経済効果試算で、「今やその時」と考えたという。
 著者は、これほど自由貿易論者が台頭したのは、一九三〇年代の世界恐慌は保護主義が悪化させたとする、間違った「通説」が信じられ、それが高じて自由貿易こそが世界を豊かにするという信念を生み出したとする。そして競争と発展のためには、関税だけでなく各国独自の政策や取引慣行、文化や言語まで国際市場に従属すべきものとする「ハイパー・グローバリゼーション」の思想が登場してきたという。しかもそうした国家を超える力をリードしうるのはいわば政治的経済的強国であり、有無を言わさず「世界標準」の決定力をもつ危険性が高いのである。
 このような状況を、著者は冷静に分析し、今問題のTPP(環太平洋連携協定)の本質へと迫っている。同様の見解がないわけではない。米国を代表する経済学者で大統領経済諮問委員会の委員長だったスティグリッツなどは、グローバル化の行き過ぎを「世界の99%を不幸にする経済」と称し、雇用問題や賃金低下を生み出し、相手国の自主性と民主主義を制限するものとしてTPPを批判している。フランスの人類学者トッドは、市場経済・貿易自由化の行き過ぎは文化の多様性を阻害するものとして、強い懸念を表明している。
 著者はこれらの見解を集約し、世界の各国や地域の発展段階の差異、文化の多様性を顧慮しない自由貿易の限界を示している。そして日本側にTPPへの危機感が薄いこと、同盟国としておもねる姿勢のあることを憂慮している。本書はTPPに関し、最も信頼しうる著作の一つである。
 なかの・たけし 1971年生まれ。評論家。著書『TPP亡国論』など。
(新潮新書・735円)
◆もう1冊
 エマニュエル・トッド著『自由貿易は、民主主義を滅ぼす』(藤原書店)。自由貿易推進の是非を問うトッドの発言集。石崎晴己編。
    --「書評:反・自由貿易論 中野剛志 著」、『東京新聞』2013年07月28日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013072802000171.html:title]


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覚え書:「幸福の文法―幸福論の系譜、わからないものの思想史 [著]合田正人 [評者]鷲田清一」、『朝日新聞』2013年07月28日(日)付。

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幸福の文法―幸福論の系譜、わからないものの思想史 [著]合田正人
[評者]鷲田清一(大谷大学教授・哲学)  [掲載]2013年07月28日   [ジャンル]人文 


■「問い」を問い直すラジカルな人間論

 「幸福だった」というふうに、幸福は失ってはじめてわかる。あるとき幸福を感じても幸福感というものは長続きせずに凡庸な日常へとすぐに均(なら)されてしまう。幸福への問いは難儀なものだ。
 幸福というテーマは、西洋の歴史において、19世紀までずっと哲学思想の核心にあった。ところが20世紀も四半世紀過ぎたころから、不幸論はわずかながらあっても、幸福へのパスポートのようなマニュアル本はあっても、幸福の思想は消えてしまう。世界大戦、アウシュビッツ、スターリン体制下での粛清、ヒロシマ・ナガサキなどの“殲滅(せんめつ)”がくり返され、人間性というものが再起不能なまでのダメージを受けたということがあるのだろうか。
 ところが昨今、「国民総幸福量」(GNH)という国家発展の評価軸や、「幸福経済学」という名の実証研究など、幸福論のインフレーションが起こりつつある。それらを横目で見ながら、著者は、幸福の思想史に正面から取り組む。
 まず、古代ギリシャの幸福観をいくつかの原型に分類し、近代西欧社会へのそれらの残響を細かに確認しつつ、いくつかの系譜とそれらの交叉(こうさ)を描きだす。この見取り図はとても勉強になる。
 次に、19世紀末から1930年にかけて出版された、ヒルティ、アラン、ラッセルの3大幸福論を読み解く。多くの人がきれいごとばかり書かれているのだろうと読まずして思い込み、正面から論じられることもめったになかった3書の学史的ないし政治的な背景を仔細(しさい)に探ることで、これらを歴史の文脈のなかへ置き戻す。
 最後に、「幸福とは何か」「人はいつ幸福となるか」といった問いが無意味である理由が論じられる。人間の本質とか本性といったものを前提として、その属性として幸福を語ることはできず、逆に、幸福という「何だか分からないもの」への問いが人間性なるものの問いなおしを促すのだ、と。
 人びとが深く執着してきた幸福という観念が、社会のなかでいわば疑似餌(ルアー)のような役割を果たさせられてきた事実に対抗するかのように、著者は「『幸福』という語は、人知れず生まれて消えてゆく個体のあるかなきかの、しかし無限な『特異性』の肯定である」と書きつける。
 わたしたちは「私」という自己理解を溢(あふ)れ出る波動のようなものとして、いつもすでに他者たちのそれと細部にいたるまで交差しあい干渉しあっており、その界面に浮かび上がる波紋の一つとして幸不幸はあるということだろうか。幸福論はここで、遊牧民のように異郷を旅してきたこの哲学者ならではのラジカル(根底的)な人間論となっている。
    ◇
 河出ブックス・1575円/ごうだ・まさと 57年生まれ。明治大学教授(哲学・思想史)。著書に『レヴィナスを読む』『ジャンケレヴィッチ』など、訳書にレヴィナス『存在の彼方(かなた)へ』、メルロポンティ『ヒューマニズムとテロル』など。
    --「幸福の文法―幸福論の系譜、わからないものの思想史 [著]合田正人 [評者]鷲田清一」、『朝日新聞』2013年07月28日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013072800003.html:title]

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幸福の文法 ---幸福論の系譜、わからないものの思想史 (河出ブックス)
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旗の台の満衛門


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水曜日は授業が済んでから、ふるい知人……そう、その名前を“兇賊・旗の台の満衛門”とでも呼んでおきましょうかw……と軽くのつもりが重く一献。

貴重な時間をありがとうございました。

しかし、すこし飲み過ぎた具合によって……だな。

げふんげふん。
 

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覚え書:「広島原爆:7年後のヒロシマ 岩波書店、未公開写真集を刊行」、『毎日新聞』2013年07月28日(日)付。


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広島原爆:7年後のヒロシマ 岩波書店、未公開写真集を刊行
毎日新聞 2013年07月28日 東京朝刊

 原爆投下の7年後に爆心地から約2キロ圏内の広島の街を撮影した未発表の写真を、岩波書店が「立ち上がるヒロシマ1952」にまとめ刊行した。復興する広島の生き生きとした表情が収められている。

 写真は岩波書店が1952年8月6日に出版した岩波写真文庫「広島??戦争と都市」に掲載される予定だったもの。52年春から夏にかけて市内の情景を中心に撮影されたが、同年4月にサンフランシスコ講和条約が発効し、原爆報道の制限が解かれたため、同社は本の内容を原爆被害特集に変更。当初予定していた写真はほとんど使われずに終わった。

 撮影したのは同文庫の編集長格だった写真家の名取洋之助さん(1910?62年)や、スタッフの長野重一さん(88)=東京都品川区。撮影を担当した岩波映画製作所(98年に倒産)にこの時のネガ106本が残っており、3000枚以上の写真が写っていた。このうち約130枚を写真集に掲載した。

 建設中の原爆資料館や、広島駅前に広がるマーケットのにぎわい、川岸にバラックが建ち並ぶ「原爆スラム」など、さまざまな角度から撮影。被爆によるやけどのひどさから「原爆一号」と呼ばれた故・吉川清さんが、原爆ドームのそばに開いた「原爆一号の店」で子どもたちに話をしている写真もある。

 広島県立文書館の元副館長の安藤福平さん(64)は「そうそうたる写真家が外部の目で撮影した貴重な資料。戦後の広島はいろいろな問題を抱えていて、復興は並大抵の苦労ではなかったことも伝わってくる。残された資料としての意義は大きい」と話している。【村瀬優子】
    --「広島原爆:7年後のヒロシマ 岩波書店、未公開写真集を刊行」、『毎日新聞』2013年07月28日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130728ddm041040059000c.html:title]


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岩波写真文庫アーカイヴス 立ち上がるヒロシマ1952

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覚え書:「書評:笑いの日本文化 樋口和憲 著」、『東京新聞』2013年07月28日(日)付。

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笑いの日本文化 樋口和憲 著

2013年7月28日


◆平安をもたらす役割
[評者]飯島吉晴=天理大学教授、民俗学
 現在、テレビにはお笑い番組が氾濫(はんらん)しており、この浅薄で孤独な「笑い」の商品が大量に制作され消費されているが、一方で日常生活からは深く温かな笑いは失われている。日本の「笑い」はこれでよいのか。また「笑い」とはそもそも何なのだろうか。著者が、柳田国男の笑い論を援用しながら、日本人の「笑い」とその文化を探求したのが本書である。
 著者によれば、本来「笑い」は神に捧(ささ)げるものであり、古くは「烏滸(おこ)の者」という常ならぬ存在が神を笑わせ平安をもたらす特別の役割を演じていたのだという。「笑い」はあの世とこの世を結ぶコミュニケーションの一種でもあり、烏滸の者が神に犠牲を捧げ、そのお返しとして神からの笑いを祈願したのだという。
 音霊(おとだま)を感じ取り多様な価値を生み出す道化者でもある烏滸の者の役割には、日本の「笑い」の本質や可能性を見ることができる。だが、経済や有用性を優先する近代化・都市化が進展し、さらに一元的な価値観が世界を支配するグローバル化の席巻によって、「笑い」や烏滸の者は深く埋没し駆逐されてしまっている。
 しかし同時に、新たな社会の夢と希望を作り出すのに求められるものも、やはり本物の「笑い」と烏滸の者の末裔(まつえい)なのである。本書は、東日本大震災の多くの被災者にも勇気と希望を与えてくれる。
 ひぐち・かずのり 1959年生まれ。日本学術振興会専門調査役。
(東海教育研究所発行、東海大学出版会発売・2100円)
◆もう1冊
 山口昌男著『道化の民俗学』(岩波現代文庫)。狂言や中世劇の悪魔と道化など、世界の笑いとエロスの民俗を紹介。
    --「書評:笑いの日本文化 樋口和憲 著」、『東京新聞』2013年07月28日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013072802000169.html:title]

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笑いの日本文化―「烏滸の者」はどこへ消えたのか?
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