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日記:南原繁研究会(第112回) 研究発表会


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 もし日本にキリスト教が来なかったとしたら、どんな日本になったであろうか。
 本書をご覧になればわかるように、キリスト教は日本に渡来以来、何度も事件を引き起こしている。いわば「お騒がせ宗教」である。その「お騒がせ宗教」がなかったとしたら、日本は、たぶん変わりなかったかもしれないが味気無かったにちがいない。
 聖書に「地の塩」という言葉がある(マタイ五・一三)。ここでいう塩は、わたしたちが現在用いているような精製された美しい塩ではない。よごれた色のゴツゴツした岩塩である。
 日本を騒がせて来たキリスト教は、岩塩のようなキリスト教として、日本に味をつけたり防腐のはたらきをしてきたのだろう。塩味がなくなるならば捨て去られるのみ、と聖書に書かれてある。
 およそ五百年前に、キリスト教は日本に入った。日本ではいろいろな扱いを受けたが、今ではなんとか住み込むまでになっている。この間のキリスト教の日本における位置を、日本での扱いからみて、次のように分けることができる。おおよその時期も付す。
 1 異神 一五四九~一五八七
 2 邪宗門 一五八七~一八五九
 3 耶蘇教 一八五九~一八七三
 4 洋教 一八七三~一八八九
 5 基督教 一八八九~一九四五
 6 キリスト教 一九四五~
 一期は、キリスト教が渡来し異国から来た力ある宗教とされたが、突然、秀吉によりバテレン追放令が出されるまで。
 二期は、宣教師の追放、禁制、鎖国で邪教とされていた時期で、回国までの長期にわたる。
 三期は、開国による宣教師の渡来はあったものの、禁制はつづき公然とは伝道ができず、その黙認される禁制の高札撤去まで。
 四期は、伝道の黙認から西洋化の波の押し寄せた時代で、「大日本帝国憲法」発布まで。「西教」ともいわれた。
 五期は、憲法で一応信教の自由が認められてからだに時世界大戦の敗戦まで。
 六期は、敗戦と「日本国憲法」により、本格的な信教の自由を得てから今日まで。
    --鈴木範久『日本キリスト教史物語』教文館、2001年、3-5頁。

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8月31日(土)に学士会館で開催された南原繁研究会(第112回) 研究発表会にて、「東大キリスト者良心の系譜 ―吉野作造と南原繁を中心に―」と題する発表をして参りしました。

アブストラクトだけ少々、記録しておきます。

近代日本のキリスト教史を振り返ってみると、吉野作造(1878-1933年)、南原繁(1889-1974)は、前者が洋教から基督教、後者が基督教からキリスト教の時代を生き抜いたことがわかりますが、二人が受洗したのは、共に基督教の時代です。
※吉野作造が1898年、南原繁が1911年になります。南原の場合、無教会への信仰の扉が開いた年になりますので、正確には「受洗」という表現ではありませんが。

戦前日本の長きに渡る「基督教」の時代とはどのような時代でしょうか。
もともと、近代日本のキリスト教受容を特徴づけるのは、ピューリタニズム的厳格な倫理主義がメインストリームとして採用されたことがそのひとつになります。

明治最初期のキリスト者たちが、佐幕系諸藩の出身であったことから、精神の第二維新(明治維新を単なる政治改革と捉え、宗教と教育とをもってその未完の改革を私たちの手で完成させる)という気負いがありました。

その自負は、社会参画への方向を示唆するものでしたが、同時に「国家に身を捧げる」という気負いは、国家への馴化も含み置かれるものでしたので、のちの迎合体質の一因にはなりますが、そうした感情を背負ったひとびとが殆ど武士階級の出身でしたから、陽明学がキリスト教導きの糸となったこともあり、キリスト教の倫理主義が注目をあびることになりました。

江戸時代においては、寺請制度と本山末寺制度の展開により、宗教と倫理が棲み分けをはかり、前者を仏教が、後者を儒学が担うことになりましたが、再渡来したキリスト教にはその統合の側面があり(と映ったのでしょう)、特に倫理的側面が注目を浴びることになりました。

勤勉、正直、禁欲……そういった道徳的に厳しい態度が、キリスト者を特徴づけることになりますが、それは、ややもすると、それは修養倫理に留まることにもなります。

文明開花と欧化の流行を背景に教勢力は拡大するものの、内村鑑三不敬事件、そして新神学の紹介以降は、教会形成への専念に舵を取る。

その結果、戦前日本のキリスト教の特色とは、超俗的なホワイトカラーの宗教という雰囲気をまとうことになります。同時にそれは、積極的な内発性の展開としての社会と関わりは影をひそめることを導く。

 そうした大勢の中、寛容の精神と社会との接点を忘れず、信仰を育み続けたのが東大キリスト者が吉野作造と南原繁になります。

信仰の師は異なるものの、共に小野塚喜平次の下で学んだ政治学の系譜の二人は、信仰による自己規律にのみ専念するだけでなく、社会に対する漸進的な関与を常に失念することがなかった歩みといっても過言ではありません。

その意味では、ふたりの信仰は(組合教会と無教会主義)、当時のマジョリティのそれとは異なる歩みであります。ただ興味深いのは、彼らの入信は、当時の大学生とほとんど動機はかわりません。

だとすれば、まさに信仰と社会生活、社会生活と信仰を二元論的に捉えるのではなく、両者をいったりきたりするなかで、鍛え上げられていったことが理解できます。

吉野作造は、社会活動に熱心で教会活動を疎かにしたイメージがありますが、決してそうではありませんし、社会活動だけに専念するありかたには否定的です。そしてそれは、南原繁の場合も同じなんですね。

だとすれば、ティリッヒのいう「相関の神学」のひとつの日本的事例として捉えてみることも可能ではないかと思います。

俗に、吉野作造と南原繁の信仰は、(倫理主義と密接に結合した)「罪の意識」の希薄さが弱点のごとく捉えられることが多いのですが、キリスト教信仰は「罪の意識」だけが核にはありません。

その意味で、二人の足跡を捉え直すことは、キリスト教の豊かな側面を再認識すると同時に、日本のキリスト教の体質を批判的にみる眼差しを提供するものになるかもしれません。


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※写真はわたしではありません。

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