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覚え書:「今週の本棚:池澤夏樹・評 『書き出し「世界文学全集」』=柴田元幸・編訳」、『毎日新聞』2013年09月15日(日)付。


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今週の本棚:池澤夏樹・評 『書き出し「世界文学全集」』=柴田元幸・編訳
毎日新聞 2013年09月15日 東京朝刊

 (河出書房新社・1575円)

 ◇翻訳の演奏で「文体」を聞き分ける愉悦

 なにごとも始めが肝心。

 だから作家は小説の書き出しに心を砕く。登場人物たちの運命に読者の心が乗ってしまうまでの間、作者は文体で勝負しなければならない。

 では有名な小説の書き出しを数ページ分だけ抜き出して並べてみたらどうだろう? それは小説の文体のよきサンプル集にならないか?

 その試みの結果がこの本だ。

 選ばれたのはかつて世に栄えた「世界文学全集」に居並んだ名作ばかり。この選択について「前口上」は特に他意はないということを言った上で「まあしいていえば、見慣れているつもりのものが実は案外新鮮に見える、という愉(たの)しさが生じるためにはこういう古風なラインナップの方が効果的ではと思ったということに尽きる」と言う。

 半端に知っている作品だからこそずらっと並べるとおもしろい。『マクベス』の魔女たちの「きれいはきたない、きたないはきれい」の場面を、ああこんな風だったと思い出しながら辿(たど)り、『アンナ・カレーニナ』の「幸福な家族はみな似たようなものだが、不幸な家族はそれぞれ独自に不幸である」はうまい書き出しとして有名だから知っているぞと思って読む。

 読んだことがある話だとその先に展開する広大な世界を透かし見てぞくぞくする。「堂々たる、恰幅(かっぷく)よきバック・マリガンが階段の上から、泡立つ石鹸(せっけん)水の入った鉢の上に鏡と剃刀(かみそり)を十字に交差させて現われた」というのが『ユリシーズ』の第一行。遠大な旅の一歩目。

 書き出しは文体で勝負すると先に書いた。だから翻訳者の出番なのだ。多くの文体を訳し分ける伎倆(ぎりょう)がこのサンプル集の基礎だ。この場合、翻訳者の仕事は洋楽の演奏者に似ている。譜面は最初からある。聴衆はホールに集まっている。しかし演奏者が登壇するまで音は聞こえない。

 これまで柴田元幸はたくさんの訳書を通じて翻訳が演奏であることを教えてくれた。ぼくたちはみなその音色に聞き惚(ほ)れてきた。だからこのような軽妙な、気の置けない、正統的なのに時に羽目を外す音楽会が楽しいのだ。

 正統はジェーン・オースティンやハーマン・メルヴィルで、羽目を外す方は『私は猫だ』(もちろん漱石で、英訳からの重訳)など。

 発見も多い。チョーサーの『カンタベリー物語』の「四月がそのこころよい雨で/三月の日照りを根もとまでうるおし」ってひょっとしてエリオットの『荒地』の冒頭と関係ある? とか専門家ならば知っているであろうことが気になってしかたがない。

 あるいは詩の一行目だけを三十一篇並べた『エミリー・ディキンソン一行目集』。よくこんなことを考えついたと思うが、結果はまるで優れた句集のようなのだ。小説家が最初のページに注ぐ工夫を詩人は最初の行に注ぎ込む。その姿勢は一行だけの詩である俳句に似てくる。「汽車が墓地の門を抜けていった」とか、「夢はいいが目覚める方がもっといい」とか、「死以外はすべて 調整可能である」とか、まったく参ったなあという感じ。

 この本は雑多な構成の中にいくつもの挑発を隠している。これまで知らないままに来たエミリー・ディキンソンを丁寧に読みたくなるほどにも。

 その挑発に乗って、非礼を承知で、不遜にも、この本に一個だけ魅力的な書き出しの拙訳を追加してみようか--

 「スカーレット・オハラは美人ではなかったが、彼女の魅力につかまった男たちは、タールトンの双子がいい例だが、たいていそのことに気づかなかった」は『風と共に去りぬ』。
    --「今週の本棚:池澤夏樹・評 『書き出し「世界文学全集」』=柴田元幸・編訳」、『毎日新聞』2013年09月15日(日)付。

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