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2013年9月

書評:北川達夫・平田オリザ『ニッポンには対話がない』三省堂、2008年。


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北川 相手の見解があって自分の見解がある、それが対立する、対立するとお互いが変わってくる。まさに、その変わってくるところを楽しめるか、そこを重視できるかですよね。回避をせずに、対立を恐れないでぶつかって、そのうえでお互いにどう変われるか、そのプロセスを理解することが対話では重要になってきます。回避してしまえば、その場の摩擦を避けることはできても、お互いすれ違いですから、本質的な問題は何も解決しません。
    --北川達夫・平田オリザ『ニッポンには対話がない』三省堂、2008年、167頁。

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北川達夫・平田オリザ『ニッポンには対話がない』三省堂、読了。本書は元外交官でフィンランド教育の紹介者・北川氏と演劇ワークショップで名高い平田氏の対談集。品格や武士道精神よりも、日本社会に必要なのは対話力。本書でふたりは「学びとコミュニケーションの再生」(副題)を縦横に論じる。

正しい意見と間違った意見を先験的に設定し正解へ誘導する日本と、考える力の習熟を目指すフィンランド。冒頭で国語の授業を対比し、リスク(対立や選択に伴う痛み)から移民社会の問題まで。教育現場のコミュニケーション概念を一新する。

「桃太郎は鬼を殺すべきだったか」。「教える立場の人間が、『教え込むことの誘惑』を抑えることができるか」等々。理由もなく人の意見を封殺する風土が根強くある日本社会と現状の不具合だらけのコミュ力を痛罵し、オプションを提案する。

平田氏あとがきが印象的。「協調性(価値観を一つにまとめる能力)がいらないとは言わないけれど、それよりも社交性(異なる価値観をそのままに、知らない人同士がうまくやっていく能力)が必要」。カントを彷彿!教育者に手にとって欲しい。


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ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生
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覚え書:「『東洋の魔女』論 [著]新雅史 [評者]水野和夫」、『朝日新聞』2013年09月22日(日)付。


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「東洋の魔女」論 [著]新雅史
[評者]水野和夫(日本大学教授・経済学)  [掲載]2013年09月22日   [ジャンル]歴史 

■紡績業通して語る日本戦後論

 本書の途中でページをめくることができなくなった。「女工に負けたら恥じよ」と当時強豪の女子校チームに野次(やじ)られ、「女工」という烙印(らくいん)を押されたことで、しどろもどろになった日紡チームは負けてしまう。ここで、涙腺が緩んでしまったのである。
 本書は書名から連想されるスポ根論ではない。企業を通してみた日本の近代経営論であり、第2次大戦に出征し、命からがら帰国した将兵のその後の「大きな物語」である。
 日本のエスタブリッシュ企業である紡績会社のバレーボールチームは、戦後、義務教育修了年限に達した大量の女子を「いかに就職させるかという問題」を解決する手段として生まれた。
 1950年代まで、女子社員の勤続年数は短かった。当時、女子中卒者の多くは20歳前後で離職し、その後「音信不通」になっていった。
 そうした社会状況を改善するため当時の繊維業界は官民あげて「絶え間ない努力」を行った。「工場の近代性・安全性を喧伝(けんでん)し(略)面倒見のよい職場であることをアピールしようと」、米国でレクリエーションとして考案されたバレーボールを採用した。
 60年代、当時のエリートである高卒女子の日紡貝塚チームを率いた大松博文監督は、他の一般労働者と同等の工場勤務をこなす彼女たちに睡眠時間を削っての猛練習を課し、ステートアマであるソ連の女子バレーに挑んだ。
 大松は彼女たちの望んだ「結婚」、すなわち女性性を取り戻すためにいったんそれを否定して「鬼」と化し、金メダルを取ることで「魔女」から「解放」したのだった。
 翻って、グローバル時代の21世紀には「泳げない者は沈めばいい」を標榜(ひょうぼう)するグローバル企業のトップが名経営者としてもてはやされる。この彼我の差は時代の差に帰すことはできないというのが本書を読んだ実感だ。今の経営者にぜひ一読を薦めたい。
    ◇
 イースト新書・903円/あらた・まさふみ 73年生まれ。大学講師(社会学)。『商店街はなぜ滅びるのか』
    --「『東洋の魔女』論 [著]新雅史 [評者]水野和夫」、『朝日新聞』2013年09月22日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013092200004.html:title]


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「東洋の魔女」論 (イースト新書)
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覚え書:「ギャンブラー・モーツァルト 「遊びの世紀」に生きた天才 [著]ギュンター・バウアー [評者]横尾忠則」、『朝日新聞』2013年09月22日(日)付。

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ギャンブラー・モーツァルト 「遊びの世紀」に生きた天才 [著]ギュンター・バウアー
[評者]横尾忠則(美術家)  [掲載]2013年09月22日   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 

■社交の主役、ゲームの魔術師

 今まで読んだ何冊かのモーツァルトの伝記でも、彼の常軌を逸した遊びには面目躍如たる異端児ぶりに思わず瞠目(どうもく)してきたが、そんなモーツァルトの「遊び」の世界をさらに徹底的に眺めることで、〈遊ぶ天才〉を文化史的に、平易な文章で探ろうとするのが本書の狙いである。
 モーツァルトの生きた18世紀はそのまま遊びの世紀でもあった。全ての遊びに通じて社交の場の主役になり、舞踏会のハシゴを繰り返しながら貴族の家々を訪ね、人々の称賛と名声の輪の中をスイスイと魚のように泳ぐモーツァルトの華麗な姿がまるでロココ絵画のように彩られていく。
 遊びの達人モーツァルトは舞踏の名手であり、熱狂的なビリヤードプレーヤーでありカードプレーヤーでもある。「海千山千の不屈のゲームプレーヤー」のモーツァルトは遊びの森深く建造された魔宮に棲(す)む魔術師でもある。文化の中に遊びが存在するのではなく、遊びはあくまでも文化に先行しているとするホイジンガの哲学をそのまま先取りしているようなモーツァルトだ。
 遊びは真面目と対立する概念であり、私がツイッターを通じてしばしば芸術の遊戯性に触れる時、返送ツイートの中には、真面目を道徳的にとらえ、逆に遊びを不真面目な悪ふざけのように認識する人たちがいるのも事実である。私は、芸術家の遊戯性を排除した芸術作品は存在すべきでないとさえ思っています。
 遊びが日常生活からはみ出した存在であることを理由に悪(あ)しき文化とする傾向に対しては、抵抗しなければならないと思うが、一方では過剰な遊びを大衆文化の核として受け入れ、文化に先行した遊びを自由と勘違いして、いつの間にか創造の精神を喪失してしまっているような気がしないでもないのである。遊びと真面目の真の関係の回復のためにも今、本書を必要としたい。
    ◇
 吉田耕太郎・小石かつら訳、春秋社・4725円/Gunther G.Bauer 28年生まれ。ドイツの作家、研究者。
    --「ギャンブラー・モーツァルト 「遊びの世紀」に生きた天才 [著]ギュンター・バウアー [評者]横尾忠則」、『朝日新聞』2013年09月22日(日)付。

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覚え書:「『南原繁と新渡戸稲造 -私たちが受け継ぐべきもの-』 EDITEXから刊行」、『週刊読書人』2013年9月27日(金)付。


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『南原繁と新渡戸稲造 -私たちが受け継ぐべきもの-』
EDITEXから刊行

 (有)EDITEX(エディテクス=東京都文京区本郷2-35-17コート本郷301)から南原繁研究会編『南原繁と新渡戸稲造--私たちが受け継ぐべきもの--』が刊行された。A5判212頁・2205円。
 これは毎年行われている南原繁研究会による南原繁についてのシンポジウムの第9回(2012年11月3日開催)の記録で新渡戸稲造生誕120周年記念として行われたもの。
 全体は、I南原繁と新渡戸稲造--私たちが受け継ぐべきもの、II南原しっげるをめぐって、といった構成になっており、第I部は、樋野興夫「講演、今ふたたび、新渡戸稲造 -新渡戸、内村、南原、矢内原、吉田富三から「がん哲学」へ-」、愛甲雄一・桜庭慎吾・小川瑞メグ・大井赤亥・山口周三「パネル・ディスカッション 新渡戸稲造の代表的著書をめぐって」、高木博義「閉会の挨拶」、草原克豪ほか「懇親会スピーチ」、第II部は堀数正「南原繁の文化価値体系-形成・展開・完結-」、鈴木英雄「南原繁と文学」、愛甲雄一「南原繁と中村春二-「中村春二先生の思い出」から-」、佐藤全弘ほか「書評再録」。
 なお南原繁研究会の既刊書としては、2007年から毎年、各A5判・税別定価で『宗教は不必要か-南原繁の信仰と思想』204頁・1420円、『真理の力-南原繁と戦後教育改革』306頁・1905円、『南原繁 ナショナリズムとデモクラシー』216頁・1900円、『無境界キリスト教と南原繁』256頁・2100円を刊行している。
    --「『南原繁と新渡戸稲造 -私たちが受け継ぐべきもの-』 EDITEXから刊行」、『週刊読書人』2013年9月27日(金)付。

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覚え書:覚え書:「境界なき土地 [著]ホセ・ドノソ [評者]いとうせいこう」、『朝日新聞』2013年09月22日(日)付。

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境界なき土地 [著]ホセ・ドノソ
[評者]いとうせいこう(作家・クリエーター)  [掲載]2013年09月22日   [ジャンル]文芸


■無意識と抗えぬ血が湧き出す

 南米チリの作家ホセ・ドノソは前世紀の終わり頃に亡くなっている。作品が日本に紹介されたのは主に70年代のことだったが、他のラテンアメリカ文学者たちほどには人口に膾炙(かいしゃ)されず、どこか通好みの作家という印象が強いのではないか。
 それもこれも、代表作『夜のみだらな鳥』の圧倒的なグロテスクさ、現実の変容ぶり、自由で複雑な語りなどによるだろう。確かにそれは、奇怪な有機体の中へ迷い込んだような錯覚を誘う大長編である。
 今回訳出された『境界なき土地』は、まさに『夜のみだらな鳥』を書きあぐねていたドノソが、その“原稿用紙の裏に”書いたという伝説を持つ。難航する創作の合間にふと浮かび上がった世界を、デッサンするかのように。
 舞台は小さな村の売春宿。訪れる乱暴者や権力者が“ヒロインの家族”を脅かし、魅了し、破滅に導く様が簡潔に、しかしひと筋縄ではいかない屈折の中で描かれている。
 いかにもラテンアメリカ文学の王道的な世界だが、ドノソ作品には他にも『三つのブルジョワ物語』などがあり、そこでは都会的で洒落(しゃれ)た不条理劇が展開する。したがって、今回の『境界なき土地』はドノソの無意識や抗(あらが)えぬ血のようなものが湧き出てしまった短い物語のように見える。
 読みやすく魅惑的な本作はドノソ世界への入り口として申し分のない悲痛さ、ユーモア、暴力性をたたえている。この鮮烈なイメージ群、物語の切れ端こそが、のちに出現するドノソ世界という「境界なき土地」の見取り図ではないかと思わせるほどだ。
 訳者のあとがきによると、同じ「フィクションのエル・ドラード」シリーズで『夜のみだらな鳥』が復刊され、別な出版社からも長編『別荘』が出る予定だそうだ。
 大作を待つ間に、この『境界なき土地』を数度楽しみ、ドノソ世界を経巡(へめぐ)る体力をつけておくことをお薦めする。
    ◇
 寺尾隆吉訳、水声社・2100円/Jose Donoso 24年生まれ、96年没。チリの作家。
    --「境界なき土地 [著]ホセ・ドノソ [評者]いとうせいこう」、『朝日新聞』2013年09月22日(日)付。

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境界なき土地 (フィクションのエル・ドラード)
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覚え書:「カッパ・ブックスの時代 [著]新海均 [評者]内澤旬子」、『朝日新聞』2013年09月22日(日)付。


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カッパ・ブックスの時代 [著]新海均
[評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)  [掲載]2013年09月22日   [ジャンル]人文 


■熱い本作りの場、暗転の軌跡描く

 1970年代、小学生のときにはじめて手にした大人向けの本といえば、カッパ・ブックスだ。『頭の体操』『ウンコによる健康診断』など、居間に転がっていたのを夢中になって読んだ。子どもにも分かる文と構成で書かれていた。
 この「大衆向け教養路線の新書」が作られた背景には、知識人向けブランドとして既に確固とした地位を築いていた岩波新書への対抗心があったのだという。
 本書は敗戦の年に創業した光文社の軌跡を、54年に創刊したカッパ・ブックスを中心に据えて描くノンフィクション。
 高度経済成長期、本そのものが、良く売れた時代のなかでも、カッパ・ブックスはダントツの売り上げを誇っていた。子どもだった私でも知っているベストセラータイトルが沢山(たくさん)ある。
 前半はそんな黄金期。ベストセラー、ミリオンセラーと、それをたたき出した伝説の編集者たちが魅力的に描かれる。才能、個性、いやなにより絶対にいい本を作るという熱くて強い信念が漲(みなぎ)り、熱血漫画を読むような心地よさだ。
 けれども出版「社」というものは、本を作って売ればそれでよしというわけにはいかないようなのだ。後半の暗転ぶりが強烈だ。同じ業界にいる者として小耳に挟んでいた横領事件など噂(うわさ)の数々が、生々しい実名と数字入りで容赦なく書き進められる。
 カッパ・ブックスを作ったカリスマ社長神吉晴夫への反動が、激しい労働争議となり、優秀な人材が流出し、さらに時代の変化とともに社内のドル箱は、カッパ・ブックスから「JJ」など女性ファッション誌へ移行。
 ファッション誌出身の並河良が社長になり、凋落(ちょうらく)気味であったノンフィクションの部署に厳しい鉈(なた)を振るう。「週刊宝石」をつぶし、デザイン性の高い週刊誌や新書を創刊させる。週刊誌は失敗して20億の赤字となる一方、光文社新書は売り上げを伸ばし、カッパ・ブックス編集部は廃部となる。
 著者は最後のカッパ・ブックス編集部員で、2010年の大規模リストラ敢行時に退社している。
 一時代を築いたシリーズの寿命だったのだと思う。けれども著者からすれば、会社組織ならではのいざこざで、あれほど熱かった本作りの場がいつのまにか冷えきり、挽回(ばんかい)の機会が必要以上に奪われてしまったという悔しさが、大いに滲(にじ)む。リストラ後、光文社の経営は雑誌広告収入などにより好転したという。
 会社が最後に守るべきものは何か。社名か、従業員か。「わからない」と並河元社長はつぶやく。社が作ってきた「本」という製品は、守るべき対象には入らないのか。聞いてみたくなった。
    ◇
 河出ブックス・1575円/しんかい・ひとし 52年生まれ。75年、早稲田大学卒業後、光文社入社。カッパ・ブックス編集部に配属され、月刊「宝石」編集部を経て、99年から2005年の終刊までカッパ・ブックスの編集に携わる。著書に『深沢七郎外伝』。
    --「カッパ・ブックスの時代 [著]新海均 [評者]内澤旬子」、『朝日新聞』2013年09月22日(日)付。

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覚え書:「みんなの広場 あまりにものんきすぎる国会」、『毎日新聞』2013年09月26日(木)付。


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みんなの広場
あまりにものんきすぎる国会
中学校講師 61(京都府舞鶴市)

 先の国際オリンピック委員会(IOC)総会で安倍晋三首相は東京五輪の招致演説の際、原発汚染水について「状況はコントロールされている」と発言した。世界に向けられたこの言葉に私は危うさを覚える。
 汚染水はどこまで増え続けるのだろう。自身が起きたら貯蔵タンクはどうなるのだろう。放射能は人体に影響がないといえるのは、約15万人にも及ぶ住民が我が家を離れて帰ることができないということを前提としているのではないか。
 それにしても、国会は何をしているのだろう。このような状況で、現状の打開に向けて国の総力を挙げて対処しなければならないときではないのか。党派を超えて議員の英知を結集し、避難者が故郷に戻れる日を一日も早く実現するために全力を尽くすときではないのか。その国会の動きが全く伝わってこない。あんまりにものんきすぎる。
 「福島」の解決の展望が見えたときに初めて、私たちは東京五輪開催を気持ちよく歓迎できるだろう。
    --「みんなの広場 あまりにものんきすぎる国会」、『毎日新聞』2013年09月26日(木)付。

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覚え書:「書評:イエス・キリストの生涯 小川 国夫 著」、『東京新聞』2013年09月22日(日)付。


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【書評】

イエス・キリストの生涯 小川 国夫 著

2013年9月22日


◆奇蹟の意味、背景描く
[評者]横尾和博=文芸評論家
 世界で一番有名なのに、世界でもっとも謎の多い人物がイエス・キリスト。その生涯は多くの作家の創作意欲を掻(か)き立てた。現代日本文学では遠藤周作の『イエスの生涯』が有名。遠藤と同じカトリック信者の小川国夫は、イエスの像をわかりやすく、かつ文学的なイメージを重ねて本書を織りあげた。
 作者は聖書のなかに登場する女性や貧者など弱い人たちに寄り添う。イエス・キリストとは誰か、この世に何をもたらしにきたのか、聖書に記される奇蹟(きせき)の意味や比喩とはなにか。私たちの問いは無限に広がる。その問いに作者は自分なりの解釈をていねいに加えて謎に迫る。
 たとえば、奇蹟の背景には人間の哀れさ、悲しみ、苦しみの極点があり、悲惨(ミゼール)な状態にあるものこそ救いを望んでいる、と。その言葉を聞くと私は親鸞の「悪人正機説」を思い出す。善人が救われるのは当然だが、悪人こそ救われるべきである。ドストエフスキー『罪と罰』のなかでも展開されるテーマだ。救済思想の根源を考えさせられた。
 新約聖書はイエスの誕生から磔刑(たっけい)までの物語。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書と手紙などで構成されている。作者は四つの福音書を自分の意訳で読者に提示した。小川国夫は二〇〇八年に帰天したが、本書が示すように、「永遠の書」のなかに生き続けている。
(新教出版社・1995円)
 おがわ・くにお 1927~2008年。作家。著書『アポロンの島』『弱い神』など。
◆もう1冊 
 三浦綾子著『イエス・キリストの生涯』(講談社文庫)。受胎告知に始まるイエスの生涯を名画とエッセーでたどる。
    --「書評:イエス・キリストの生涯 小川 国夫 著」、『東京新聞』2013年09月22日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013092202000179.html:title]


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イエス・キリストの生涯
小川 国夫
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覚え書:「書評:混浴と日本史 下川 耿史 著」、『東京新聞』2013年09月22日(日)付。


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【書評】

混浴と日本史 下川 耿史 著

2013年9月22日

◆禁じられた性の享楽
[評者]岡村民夫=法政大教授
 著者は名高い性風俗史研究家。『公衆浴場史』や武田勝蔵の先行研究を踏まえた本書は、日本の入浴文化の通史として読めるが、やはり性との関係を重視したところに特色がある。古代における禊(みそ)ぎや温泉地の宴を「歌垣」と重ね、性行為をともなった混浴と解釈したり、奈良時代における「施浴」(衆生に温浴を提供する仏教的慈善活動)を混浴と推理したりするのは、独自の説といえよう。
 もうひとつの特色は、公衆浴の歴史に施政者ないし上流階級の社会規範的論理と庶民の享楽的論理との併存や抗争を見て、混浴をもっぱら後者の営みとして熱っぽく語っている点である。江戸時代に関して、公認の吉原遊郭の地位を脅かす「湯女(ゆな)風呂」(私娼窟(ししょうくつ))を幕府が取り潰(つぶ)したせいで、かえって江戸市中の「入り込み湯」(混浴銭湯)が男たちの欲情を誘い、寛政の改革以降、混浴禁止令が連発され、田舎の温泉の混浴が旅人の話題になったと論述するあたりは本書の山場(やまば)に違いない。随所に配された時代ごとの混浴風景の図絵や写真もありがたい。
 贅言(ぜいげん)すれば、海や川での禊ぎや温泉プールブームが論じられているだけに、海水浴をスルーしている点がやや惜しいと思う。海水浴こそ、歌垣の近代的再生ではないだろうか。今後、温泉における混浴復興があるとすれば、案外、水着着用の方向になるかもしれない。
(筑摩書房・1995円)
 しもかわ・こうし 1942年生まれ。風俗史家。著書『盆踊り 乱交の民俗学』。
◆もう1冊 
 山崎まゆみ著『だから混浴はやめられない』(新潮新書)。世界各地の混浴温泉地のルポ。江戸期の銭湯事情も解説。
    --「書評:混浴と日本史 下川 耿史 著」、『東京新聞』2013年09月22日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013092202000178.html:title]


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混浴と日本史 (単行本)
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書評::樋口陽一『いま、「憲法改正」をどう考えるか 「戦後日本」を「保守」することの意味』岩波書店、2013年。

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樋口陽一『いま、「憲法改正」をどう考えるか 「戦後日本」を「保守」することの意味』岩波書店、読了。安倍首相が力をいれる憲法改正と、なし崩し的にその雰囲気に呑み込まれる世相の何が問題なのか。本書は明治以来の立憲政治と憲法史の伝統から、その問題点を撃つ。要を得た警世の一冊。

「自国の先達の残した最良の過去を--その挫折の歴史とともに--記憶し、それを現在に生かそうとしないことを、『保守』と言えるだろうか」。立憲主義と天賦人権論の否定にみられるエスノセントリズムは、保守とは逆の幼稚な根無し草といってよい。

短著ながら、自民党憲法草案の腑分けと問題の指摘は的確であり、「戦後レジームからの脱却」は、戦後日本だけでなく、近代日本の伝統と挑戦の否定でもある。酷評が多いが、現在の立ち位置を確認し、明日を展望する一冊。おすすめです。

[http://book.asahi.com/booknews/interview/2013061200002.html:title]

[http://book.asahi.com/reviews/column/2013063000002.html:title]


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覚え書:「松岡二十世とその時代 北海道、満洲、そしてシベリア 松岡 將 著」、『東京新聞』2013年09月22日(日)付。

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松岡二十世とその時代 北海道、満洲、そしてシベリア 松岡 將 著 

2013年9月22日


◆「農民のため」 貫いた生涯
[評者]脇地炯(けい)=評論家
 松岡二十世(はたよ)は昭和初頭、エリートの道を捨てて北海道の農民運動に投じた人である。小林多喜二『不在地主』で知られる磯野富良野農場と月形村の小作争議を指導、「共産党狩り」に連座して三年間下獄した。思想的彷徨(ほうこう)を経て旧満州国に渡り今度は農政全般に心を砕いたが、ソ連に抑留されシベリアで病没した。「農民のため」という使命感を貫いた数奇な生涯を、遺児が十年かけて追跡した大冊である。
 争議を担った日本農民組合入会に先立つ東京帝大時代、二十世は学内の「新人会」に属して労働者や農民と交流する一方、エンゲルスの『ドイツ農民戦争』を翻訳、社会主義への傾斜を深めていた。が、それだけでは使命感とその持続の理由は解けない。伊達支藩の書記だった生家の家風や、受洗していたキリスト教の倫理的影響はどうだったか。考察の欲しかったところだ。
 二十世らの「小作組合型」農民運動は、小作の地位に修正を加えた昭和十三年の農地調整法成立もあって衰えていく。日中戦争が泥沼化し思想弾圧が厳しくなるなか、「階級闘争のためでなく全国家のために尽くすべき」だと述べるに至る。だがその具体策こそ農村建設だという含みがあり、思考変換のなかに固有の倫理が透けて見える。
 ところで著者は『不在地主』中の檄文(げきぶん)は二十世が書いたビラそのままであり、『転形期の人々』の学生のモデルは二十世であると実証的に指摘している。文学史研究上の手柄であろう。
 十四年末、大連に職を得て日本を離れ、家族を呼び寄せる。満州国の政治団体「協和会」幹部に転じ、農村視察や喫緊の農業問題に関する論文執筆に全力を傾ける。異民族との「協和」実現には「三千万農民をうるほ」すことが必須だというのが持論だった。
 小作問題もソ連社会主義信仰も遠い歴史になった。二十世の生涯はその制約を負った時代的なものだった。が、社会的弱者に寄せた一途(いちず)な倫理感は今日なお、検討に値すると思われる。
(日本経済評論社・5040円)
 まつおか・すすむ 1935年生まれ。元農水省国際部長。
◆もう1冊 
 『尾崎秀実時評集-日中戦争期の東アジア』(平凡社東洋文庫)。戦時のアジア情勢を報告した時評集。「東亜協同体」の理念を問う。
    --「松岡二十世とその時代 北海道、満洲、そしてシベリア 松岡 將 著」、『東京新聞』2013年09月22日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013092202000181.html:title]


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覚え書:「<脳と文明>の暗号 M・チャンギージー 著 中山宥訳」、『東京新聞』2013年09月22日(日)付。


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【書評】

<脳と文明>の暗号 M・チャンギージー 著 中山宥訳

2013年9月22日


◆音楽の起源は足音のまね
[評者]金子務=科学史家
 音楽が魂を揺さぶり、人を踊らせるのはなぜだろう? この難問に、人工知能研究者の著者はこともなげに、音楽が自然をまねているせいだ、と説く。脳は野生のネコ、文化の側でこのネコをならす文字や言葉、音楽という仕掛けを進化させたのだ、と。脳の中のホムンクルス(小人)が踊り出すのか。
 この野心的な新説が、序章と終章をはさむ全四章で展開される。始めに脳ありき、である。脳がまず自然淘汰(とうた)で自然界に合わせて進化し、その複雑な自然物である脳の暗号に合わせて、文化が環境に相応(ふさわ)しいように文化淘汰で進化する。本書は聴覚系の言葉と音楽が主題だが、文字、絵画の視覚系については、同じ著者の『ひとの目、驚異の進化』(インターシフト)がある。なお著者は、耳の音はソリストで純粋、眼のアートより格上と見ている。
 実験と推測を繰り返す筆法には忍耐を要するが、説得力がある。自然界の基本音(ものがぶつかり、すべり、鳴るの三音素)をまねた発声器官が破裂音、摩擦音、共鳴音からなる言葉を生んだというのも面白い。音楽論はもっと上を行く。動作音でもっとも強力な足音をまねたのが音楽、というのだ。
 音楽とは、聞き手を前にした架空の歩行者の足音。なるほど、コツコツもドスンドスンも強弱高低、間合いもさまざま、女か男かだれでもわかる。クラシックの主旋律一万を調べて、音域の上下両端に留(とど)まろうとする音楽慣性の法則を立てたり、キーボード九十二曲を調べて、速いテンポの曲でメロディの上下動が大きいのは、歩行者の移動方向の変化と関係ある、とする。近づけば高く大きく、遠ざかれば低く弱く、というドップラー効果も指摘する。
 ステップといえばギリシャの足踊りを思い出した。左右交互に強弱をつける三拍子歩行が健康によい、と人にも勧めている。人類学者は人類が足から進化した、直立二足歩行こそ原点。脳科学者は足音こそ音楽文化の始まり。近いようで異なる二つの見解だ。
(講談社・2520円)
 Mark Changizi 米国の研究所「2AI Labs」の主任。
◆もう1冊 
 金井良太著『脳に刻まれたモラルの起源』(岩波科学ライブラリー)。モラルとは人類が進化的に獲得したものであることを明かす。
    --「<脳と文明>の暗号 M・チャンギージー 著 中山宥訳」、『東京新聞』2013年09月22日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013092202000180.html:title]


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覚え書:「悼む ロバート・ベラーさん 米宗教社会学者」、『毎日新聞』2013年09月23日(月)付。


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悼む
ロバート・ベラーさん 米宗教社会学者
7月30日死去・86歳

魅力的な思考展開

 ロバート・ベラーはいかにも学者らしい学者だったが、また荒野を彷徨い、神に問いかける預言者のようでもあった。ウェーバーやデュルケム以来の、人類史的・文明史的な宗教社会学の構想を現代に引き継ごうとし、「公共哲学としての社会科学」に挑み続けたのがベラーだった。
 ハーバード大学でタルコット・パーソンズに信頼され、宗教研究を委ねられてきた若きベラーは、哲学や文化人類学をも貪欲に学び禅にも親しんだ。日本文化研究に取り組み、丸山眞男も大いに刺激を受けた「徳川時代の宗教」(1957年)は、今も日本でも海外でもよく読まれている。この著作はベラーの比較文明史的な視野の広さを支える基礎となったものだ。
 70年前後に2人の若い娘に先立たれたベラーは、個人主義の限界に強く思いをいたし儀礼的なものの価値を見直した。そして、個人の自由と自律を支える宗教や精神文化の伝統が現代社会でどのように生かされうるのかを問うた「心の習慣--アメリカ個人主義のゆくえ」(85年)は学術書としては異例なほどに幅広い読者を獲得する書物となり、政治家にも大きな影響を及ぼした。刊行後にカリフォルニア大学留学中だった私は、この書に寄せるベラーの情熱に感染したものだ。
 2011年、「人類進化の中の宗教」という大著を刊行、あらためて注目を浴び、世界各地で講演やセミナーに招かれていた。昨年秋、立教大学の招きで来日し、幅広い聴衆の感銘をよんだのは記憶に新しい。
 書物を通して、また近くにいてその考えを聞き逃したくない、そんな気持ちが今もふつふつと沸いてくる魅惑的な大学者だった。(上智大学教授・島薗進)。
    --「悼む ロバート・ベラーさん 米宗教社会学者」、『毎日新聞』2013年09月23日(月)付。

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[http://www.rikkyo.ac.jp/feature/lecture_report/2012/10/post-120.html:title]
[http://www.rikkyo.ac.jp/events/_asset/120929100206.pdf:title]

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覚え書:「今週の本棚:張競・評 『爪と目』=藤野可織・著」、『毎日新聞』2013年09月22日(日)付。


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今週の本棚:張競・評 『爪と目』=藤野可織・著
毎日新聞 2013年09月22日 東京朝刊


 (新潮社・1260円)

 ◇愛の不在、孤独をありふれた日常として

 不思議な小説である。静かな物語展開なのに、軽やかな文体のなかに微量の鉛がよどんでいる。作品自体は理由のない不快感を与えるわけでない。しかし、物語の表層を覆う透明さの下に、正体不明の念力が不気味な音を出している。

 筋はけっして複雑ではない。語り手の「わたし」は三歳の陽奈(ひな)ちゃんで、彼女の生母の死、「あなた」である義母と父親の同居、義母との平凡な日常が描かれているだけだ。

 言葉で説明しにくい不思議さは別のところにある。一つは透明さのなかに点在する細部の曖昧さである。陽奈ちゃんの生母の死因は何か。古本屋さんはなぜ義母のコンタクトレンズを舐(な)め取ったか。陽奈ちゃんの復讐(ふくしゅう)じみたいたずらはなぜあの形を取ったのか。理由は最後まで明かされていない。そうした布置は二人称と同じように、暈(ぼか)しのような二次的な効果をもたらしている。

 ただ、読者の思考回路が攪乱(かくらん)されるのは、情緒世界の表と裏がひっくり返されているからである。注目すべきは、愛の不在は不幸としてではなく、ありふれた日常として描かれていることだ。陽奈ちゃんの生母と父親の関係は冷え切っているし、「あなた」は大恋愛のすえに同居したわけではない。男もまだ同じである。陽奈ちゃんの父親は育児を押し付けるのが目的であり、「あなた」を愛しているようには見えない。

 親子の間にも愛が欠けている。陽奈ちゃんと生母の間はまるで感情のガラスで隔てられているようで、父親は子供から遠く離れている。義母は子守の義務を果たすだけで、子供の内的世界に無関心である。

 しかし、愛の不在は悲劇の原因ではない。愛がなくても穏やかな生活があり、笑いがあり、ささやかな幸せがある。二人の女性とも快適な住空間があり、衝動買いができるほど豊かな生活をしている。愛のない生活は苦痛としてではなく、人生のありうる選択肢として描かれている。

 孤独が心地よさとともに語られているのも印象に残る。陽奈ちゃんの生母は両親がすでになく、遠方にいる兄には丸五年も連絡していない。夫に裏切られ、友達もいない。しかし、生母はまったく苦にしていない。没頭できる趣味があり、インターネットの仮想空間に自分だけの小さい世界があるからだ。雲が浮かぶ空、模様替えした部屋、自慢の欧風家具、新しく購入した調度品。彼女はそれらを写真に撮って、秘密のブログに載せるのが最大の楽しみである。

 「あなた」もまた同じだ。同居の男にほとんど見返られることはなく夫婦生活も途絶えている。古本屋の男はもっぱら性行為しか期待しておらず、それもつかの間の関係に過ぎない。陽奈ちゃんの生母のブログを発見し、それにはまってしまうのも孤独の楽しさを発見したからだろう。陽奈ちゃんに至っては、周囲のすべての大人から突き放されている。

 孤独の哀(かな)しみも古来、詩文の永遠の主題で、人間が宿命的に抱えるものとして、あるいは戦う逆境として描かれている。しかし、この作品では孤独感は悩みの原因ではない。ましてや惨めな人生の寓意(ぐうい)ではさらさらない。それどころか、孤独は生きる喜びの隠喩であり、自ら求める自由として語られている。

 快適に生きるためには、たとえ家族のあいだでも親密性はもはや必要とされない。現実生活のなかでもその足音が聞こえてきているだけに、読者ははっと虚を衝(つ)かれ、軽微な恐怖を感じる。怪奇な趣向がないのに、ホラー小説と目されたのもそのためであろう。感受性の反転によって、読者は未(いま)だかつてない人間精神に接するのである。
    --「今週の本棚:張競・評 『爪と目』=藤野可織・著」、『毎日新聞』2013年09月22日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130922ddm015070017000c.html:title]


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日記:怒の倫理的意味


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 今日、怒の倫理的意味ほど多く忘れられているものはない。怒はただ避くべきものであるかのように考えられている。しかしながら、もし何物かがあらゆる場合に避くべきであるとすれば、それは憎みであって怒ではない。憎しみも怒から直接に発した場合には意味をもつことができる。つまり怒は憎みの倫理性を基礎附け得るようなものである。怒と憎みとは本質的に異るにも拘らず極めてしばしば混同されている、--怒の意味が忘れられている証拠であるといえよう。
 怒はより深いものである。怒は憎みの直接の原因となることができるのに反し、憎みはただ附帯的にしか怒りの原因となることができぬ。
 すべての怒は突発的である。そのことは怒の純粋性或いは単純性を示している。しかるに憎みは殆どすべて習慣的なものであり、習慣的に永続する憎みのみが憎みと考えられるほどである。憎みの習慣性がその自然性を現わすとすれば、怒の突発性はその精神性を現わしている。怒が突発的なものであるということはその啓示的な深さを語るものでなければならぬ。しかるに憎みが何か深いもののように見えるとすれば、それは憎みが習慣的な永続性をもっているためである。

 怒ほど正確な判断を乱すものはないといわれるのは正しいであろう。しかし怒る人間は怒を表わさないで憎んでいる人間よりも恕せられるべきである。
    --三木清「怒について」、『人生論ノート』新潮文庫、昭和六十年、52-53頁。

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文章理解の問題を解いていたら、どこかで読んだことのある文章だなーと思って、文体から三木清の著作をいくつかひっぱりだしてみたらそれでした。『人生論ノート』(新潮文庫)所収の「怒について」。冒頭部分ですが、怒りと憎しみを対比することで、怒りの(積極的な)倫理的意味について書いています。

「切に、義人を思う。義人とは何か、怒ることを知れる者である」。
ヒューマニズムとは怒りを知らないことであろうか。神の愛は人間を人間的にした。それが愛の意味。しかし、世界が人間化されたときに必要なことは怒である(神の怒りをしることでもある)。

だとすれば、そこで大切なことは何か--。純粋性の発露としての怒りをただやみくもに退けたり押さえ込んだりするではなくして、生活に深く落とし込まれた永続性としての憎しみなのではあるまいか。そしてその混同なのではないか。

愛と怒りをただ単純に対立的概念として捉えるのではなく、怒りの倫理的意味をもう一度復権させる必要がある。

憎悪に対して憎悪で報いるのは正義ではないが、キングは「忍耐強い攻撃と、正義という名の兵器を毎日のように使って、その悪を攻め続けなければならない」(マーチン・ルーサー・キング『黒人の進む道』サイマル出版会、1968年)という。初源としての問題の指摘は、憎しみからは発しない。

しかし「突発的な怒り」に倫理的意義があり、「永続的な憎しみ」に意義がないのは何かルサンチマンを彷彿させるものがあるし、いわゆる「ヘイト・スピーチ」という言葉とその現象には、何ら倫理的意義がないことを想起してしまう。正義の告発でも何でもないという話なんですよね。


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「今週の本棚・本と人:『新編 天才監督 木下惠介』 著者・長部日出雄さん」、『毎日新聞』2013年09月22日(日)付。

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今週の本棚・本と人:『新編 天才監督 木下惠介』 著者・長部日出雄さん
毎日新聞 2013年09月22日 東京朝刊

 (論創社・3150円)

 ◇正義と家族愛をいま、改めて--長部日出雄(おさべ・ひでお)さん

 映画をこよなく愛する作家が、「本当の人間」を描くことにこだわった映画監督の生誕100年を機に、かつて刊行した評伝に大幅加筆して再び世に問うた。その理由をあとがきでこう記している。<一度舵(かじ)取りを誤れば重大な危機に陥りかねない時代の急流に差しかかった今、木下惠介の生き方と考え方と残した作品の数数には、極めて貴重な示唆が少なからず籠(こ)められている>

 日本初のカラー映画「カルメン故郷に帰る」や「喜びも悲しみも幾歳月(としつき)」など人生の苦しみと喜びを描いた木下だが、同時代の黒澤明や小津安二郎と比べて忘れ去られている気がするという。彼らと比べて、木下作品はコメディーからシリアス、ホームドラマ、晩年の社会派まで多岐にわたり作風は一貫しない。ただ、いずれにも共通する思想が流れていた。

 「それは正義であり、家族愛でした。若い頃にはうっとうしく感じて、距離を置いた。1998年の暮れに木下が86歳で亡くなり、その正月はずっと彼の作品をビデオで見て過ごし、『ああ、俺は木下が好きなんだ』とつくづく感じたのです」

 作品に通底するヒューマニズムは、老境に入った作家の心を強く揺さぶった。さっそく取材と資料収集を開始。幸いに監督の人となりを直接知る人物が多く存命しており、6年がかりで出版にこぎつけた。それから8年。この国を覆う風潮を考える時に“木下イズム”の重要性を感じ、改めて筆を執った。

 「家族の理由なき殺人などが頻発している。道徳観念の欠如です。35年も前、木下は『古い』『大時代的だ』と言われながらも敢然と時流に反して、『衝動殺人 息子よ』を作った。この先見性はすごい」

 「二十四の瞳」を話題にした時だった。突然、著者は私の前で嗚咽(おえつ)した。貧しいために上の学校に進めず、肺病で奉公先から帰され、家の納屋に独り放置されて早世する少女。そうした悲話はかつて珍しくなかった。

 「木下作品は忘れられてはいけない。その本質と魅力に多くの人が触れるきっかけになればうれしい」<文と写真・中澤雄大>
    --「今週の本棚・本と人:『新編 天才監督 木下惠介』 著者・長部日出雄さん」、『毎日新聞』2013年09月22日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130922ddm015070026000c.html:title]


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覚え書:「今週の本棚:海部宣男・評 『食べられないために』=G・ウォルドバウアー著」、『毎日新聞』2013年09月22日(日)付。


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今週の本棚:海部宣男・評 『食べられないために』=G・ウォルドバウアー著
毎日新聞 2013年09月22日 東京朝刊

 (みすず書房・3570円)

 ◇昆虫の成功をもたらした進化の驚くべく戦略

 いま地球上で一番成功している生物は? 「人間」も一つの答えだが、生物総量なら、アリは人間よりひと桁大きい。種の多さで比べれば、昆虫は他の動物全部、細菌、藻類、植物など全生物の種を合わせたより、はるかに多いのだ。昆虫という生物がいかに成功しているか、数字は明瞭に語っている。

 ファーブルの『昆虫記』は、身近な虫たちの不思議な生態で、読者をとりこにした。それから百年余、本書で語られるのは全世界の多彩な昆虫たちの生態であり、さらに信じがたい、魅了される物語である。ファーブルと現代の昆虫生態学の間には、本質的な違いがある。現代の「昆虫記」では、ダーウィンの自然選択による進化の考えが浸透しているのだ(ファーブルは、強硬な進化論反対論者だった)。

 では進化が全てを説明し、驚きはなくなってしまった? とんでもない。驚くべき生態を作りだした進化というコンダクターの絶妙な技量に、私たちはもう一つ驚くのだ。まずは著者が博識と饒舌(じょうぜつ)で繰り出すその驚きの一部を、見てみよう。

 「逃げること」は食べられないための共通手段、だが最後の手段だ。「隠れること」こそ、文字通りウの眼(め)・タカの眼でおいしい食べ物を探す捕食者から逃げる、最良の手段である。エネルギーもいらないし。葉裏、樹皮、幹の中、地面と隠れ場所は多いが、鳥はそれでもつつきまわる。それではと虫たちは、環境に溶け込む。木の葉、花、枯葉、泥の塊、鳥の白い大きな糞(ふん)まで、なんでもござれだ。

 イギリスのオオシモフリエダシャクという蛾(が)は、樹皮に生える白っぽい地衣類に似せて、白っぽい色をしている。ところが十九世紀半ば、マンチェスター近郊で黒い個体が見つかり、五十年経(た)つとその付近では黒い個体だらけになった。煤煙(ばいえん)で地衣類が枯れて、黒っぽい幹ばかりになったからだ。二十世紀半ばに大気浄化法が成立すると、再び白いオオシモフリエダシャクが優勢になった。自然選択による適応が僅か五十年程度で進むことが、これで明らかになった。

 「戦うこと」も重要な生存手段だが、トゲや大アゴでは限界がある。有効なのは、「毒」だそうだ。例えば、いやなニオイで撃退する。北米のホソクビゴミムシがすごい。体内に過酸化水素とヒドロキノンを別々に蓄え、お尻にある回転自在の銃身から一緒に発射。酵素が作用して、摂氏百度もの刺激性のベンゾキノンになる。人間も火傷(やけど)するそうだ。ほとんど戦車だなあ。

 だがもっと有効なのが、多様な毒性化合物による「いやな味」や、毒を含む針や毛である。鳥がこうした昆虫を食べると、吐き気や痛さに閉口して、同じ虫は食べなくなる。面白いことに、食べられた虫自身はほぼ死んでしまうが、毒は相手を殺すほどではない。捕食者に学習させ、自分は死ぬが子孫は守られ繁栄する。自然選択が生んだ、種の保存の驚くべき戦略。

 こうした昆虫は、黒、白、赤など目立つ「警告色」をまとう。誤って襲われるのを避けるためだ。さらに有毒戦略の成功は、数々の模倣者を生んだ。針もないのにハチに擬態するアブの類、毒もないのに警告色をまとう蛾など、枚挙にいとまがない。

 ファーブルの時代から、生態学は進歩した。昆虫の不思議な生態が自然選択で進化してきたという考えは机上の空論ではなく、室内や野外での実験で地道に実証されてきた。著者自身も含めた実験の例も豊富で、生態学者の苦労と楽しみを伝える。

 昆虫好きにはもちろん、進化というものを考えてみたい方にもお薦めである。(中里京子訳)
    --「今週の本棚:海部宣男・評 『食べられないために』=G・ウォルドバウアー著」、『毎日新聞』2013年09月22日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130922ddm015070195000c.html:title]


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覚え書:「今週の本棚:本村凌二・評 『チーズと文明』=ポール・キンステッド著」、『毎日新聞』2013年09月22日(日)付。


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今週の本棚:本村凌二・評 『チーズと文明』=ポール・キンステッド著
毎日新聞 2013年09月22日 東京朝刊


 (築地書館・2940円)

 ◇曲折した九千年の足跡をたどる

 若いころの記憶では、チーズなんか少しも美味(おい)しくなかった。なにかしら石鹸(せっけん)でもかじらされているようで、もう一口くださいなどと言う気にはとてもならなかった。

 ところが、バブル経済期に海外旅行がしやすくなったせいだろうか、やたら味わい深いチーズを口にする機会がふえたように思う。それにつれて、欧米やオセアニア産の良質なチーズが輸入されるようになったのだろう。

 歴史を遡(さかのぼ)れば、それもそのはず。わが国土では一世紀余りのチーズ製造歴しかないのに、地中海世界ではかれこれ九千年近い年月が流れているのだから。

 本書は、多種多様なチーズがどのような外界の変化に応じて生まれてきたかを解き明かしながら、西洋文明史のなかでチーズの歴史が刻んだ曲がりくねった足跡をたどる試みである。

 ある民話によれば、羊の胃袋で作った水筒にミルクを入れて牧夫が旅をしていたとき、ミルクが固まったのがチーズの始まりという。だが、これは神話のような伝説にすぎない。

 というのは、ミルクを消化するにはラクターゼが必要だが、かつては成人するにつれこの酵素は生成されなくなっていった。だから、そもそも大人はミルクを飲むことなどほとんどなかった。飲めば下痢などの症状がひどかったからだ。何かのきっかけでミルクが凝固したとき、それを食した成人でもミルクを飲んだときの症状がないことに気づくようになったらしい。今日、冷たい牛乳を飲める人々はラクターゼ生成能力を遺伝的に獲得しているからだという。評者はそれを獲得していないのが、いささか残念でならない。

 メソポタミアの女神イナンナは、農夫が捧(ささ)げるパンや豆類などに比べて、牧夫がもたらすヨーグルトやチーズなどがどんなに恵みがあるか、という主張にほだされて牧夫と結婚したという。

 前千二百年ころの東地中海では、楔形(くさびがた)文字の粘土板文書に、船の積み荷のチーズが受領されたという記録がある。保存用・輸送用の容器があり、チーズが遠距離海上交易で運ばれていたのだ。地中海各地をさまようオデュッセウスはシチリア島に到着すると、洞窟のなかで整然としたチーズ作りの作業に感服してしまう。のちにシチリア産チーズは広く知られ、あちこちで模倣されたらしい。

 ローマ時代になると大型のチーズが出現する。加熱調理と高圧圧搾の処理法が開発され、大量の凝乳(ぎょうにゅう)(カード)を作るチーズ工場すらあったほどだ。

 温暖な地中海地方を離れて寒冷なヨーロッパ北西部に来ると、搾ったミルクは一晩以上も長く保存できる。やがて効率よく作業する中世の荘園では、「乳搾り女」のような職種も出てきた。「“乳搾り女”は誠実で、評判がよく、清潔でなければならない」という。

 近代になると、イングランドのチェダーチーズとオランダのゴーダチーズが浮上する。まるで植民地覇権の争いのようだったが、市場では酸味の低く甘い風味のゴーダチーズが大きな成功をおさめる。工業化も技術力も専門性もオランダは最も進んだチーズ生産国なのだ。

 19世紀半ばから始まるチーズ生産の工業化は、百年足らずで農場作りのチーズを駆逐してしまった。だが、昨今、伝統製法のチーズが再評価されつつあり、喜ばしいことである。

 チーズの味わい方は人によりけりだろう。がいして赤ワインのおつまみに合う。だが、日本人には和食になじむ白ワイン向きのチーズもあるはずだ。それを見つけるのが文明の楽しみ方かもしれない。(和田佐規子訳)
    --「今週の本棚:本村凌二・評 『チーズと文明』=ポール・キンステッド著」、『毎日新聞』2013年09月22日(日)付。

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書評:上丸洋一『「諸君!」「正論」の研究 保守言論はどう変容してきたか』岩波書店、2011年。


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上丸洋一『「諸君!」「正論」の研究 保守言論はどう変容してきたか』岩波書店、読了。本書は戦後保守の代表的オピニオン雑誌を材料に、戦後の言論・思想状況の変遷を明らかにする。核武装論や靖国と東京裁判のほか、それぞれの創刊者の対比(池島信平と鹿内信隆)など話題は多岐にわたる。

興味深いのは、二誌にも「まとまな」時代があったこと。『諸君!』は09年休刊になったが、ここ二十年来の論調は、論敵への無理筋ともいえる根拠なき過剰な批判が殆どで、もともとあった柔軟性とは対照的。著者は休刊は「堕落の果て」と批判する。

ためにする過剰な噛みつきは、やがてバランスを欠き、「オピニオン」の看板とは裏腹に下品な雑誌に成り下がった。しかしこの二誌の軌跡は雑誌空間に限定されるものではなく、今やちまたに溢れている。安倍首相と同年の著者の描く本書は時代の鏡だ。

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『諸君!』『正論』の研究――保守言論はどう変容してきたか
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覚え書:「恋歌 [著]朝井まかて」、『朝日新聞』2013年09月15日(日)付。

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恋歌 [著]朝井まかて
[掲載]2013年09月15日   [ジャンル]文芸 


 気鋭の時代小説作家が、樋口一葉の師として知られる歌人、中島歌子を描いた。幕末から明治にかけて、過酷な運命の下でひたむきに生きる女たちの重厚な物語だ。
 明治後期、歌子の部屋で、教え子の三宅花圃(かほ)は紙の束を見つける。200枚をこえる紙には、「師の君」と呼ばれ、いつまでも娘のような恩師からは想像のつかない、激しい恋と壮絶な過去が記されていた。
 歌子の半生が劇的だ。水戸藩士と結ばれ、嫁いだ歌子を待っていたのは天狗(てんぐ)党の乱。賊徒の妻として捕らわれ、周りの女や子どもが次々と処刑されてゆく。歌子はなぜ手記を残したのか。なぜ歌一筋に生きたのか。絶望を前に女たちが詠む歌が心を揺さぶる。
    ◇
 講談社・1680円
    --「恋歌 [著]朝井まかて」、『朝日新聞』2013年09月15日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013091500003.html:title]


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恋歌
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覚え書:「今週の本棚・新刊:『沖縄の自立と日本』=大田昌秀・新川明・稲嶺惠一・新崎盛暉、著」、『毎日新聞』2013年09月22日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『沖縄の自立と日本』=大田昌秀・新川明・稲嶺惠一・新崎盛暉、著
毎日新聞 2013年09月22日 東京朝刊

 (岩波書店・2205円)

 副題は「『復帰』40年の問いかけ」。元県知事と前県知事、沖縄大名誉教授、元沖縄タイムス会長が、論考と座談会で沖縄の歴史をひもとき、あるべき将来を展望した。

 沖縄の行政とジャーナリズム、アカデミズムを代表する4人の「ヤマト=本土」批判は激烈だ。いわく、沖縄にとって日本は帰るべき「祖国」だったのか。日本政府は沖縄の人々を人間扱いせず、モノ扱いしてきた。日本はアメリカの従属国で、沖縄はその日本の植民地のようなもの。本土の人間は防衛を沖縄に任せて知らんふりしている……。

 オピニオンリーダーたちのこうした指摘は、もろもろの問題を内包する米軍基地の多くを、沖縄に任せたままでいる私たちヤマト人の良心を揺さぶってくる。また、稲嶺は「米軍基地がなければ、沖縄は経済的に立ちゆかない」というありがちな思い込みに、データを示して反論している。

 日本国からの「独立」についての可能性とプロセスなどについては、4人の間に温度差がにじむ。だが、沖縄ではヤマトへの不信感、怒りのマグマが鬱積していることを痛感させられた。(栗)
    --「今週の本棚・新刊:『沖縄の自立と日本』=大田昌秀・新川明・稲嶺惠一・新崎盛暉、著」、『毎日新聞』2013年09月22日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130922ddm015070044000c.html:title]


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沖縄の自立と日本――「復帰」40年の問いかけ
大田 昌秀 新川 明 稲嶺 惠一 新崎 盛暉
岩波書店
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覚え書:「みんなの広場 満蒙開拓団の悲劇を知る」、『毎日新聞』2013年9月18日(日)付。


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みんなの広場
満蒙開拓団の悲劇を知る
林業 65(北九州市八幡西区)
 長野県阿智村に満蒙開拓団の記念館が開館したという道根馨さんの投稿(8月31日)を読み、本棚から「満州移民の村・信州泰阜村の昭和史」(筑摩書房)を出し、読み直しました。当初で言われるように「満蒙開拓」は国策であり、長野県からは全国の15%にあたる3万人が応募。泰阜村からは1020人が送り出され、600人が終戦間際のソ連の参戦で敗走中に亡くなられて帰って来なかったとあります。これほどの犠牲者が出た原因の一つにソ連の侵攻を前に開拓団からすべての壮年男性を根こそぎ動員(徴兵)したことがあります。女性と老人で子供を背負っての逃避行が多くの犠牲と後の残留孤児を生んだとあります。
 満蒙開拓団に関する本を他に数冊読みましたが、進行したソ連の軍紀が乱れていたことや関東軍に開拓団など市民を守る考えなどなく、むしろソ連侵攻を少しでも遅らせる盾として利用したともありました。記念館の役割は大きく、次の遊行ではぜひ立ち寄りたい。
    --「みんなの広場 満蒙開拓団の悲劇を知る」、『毎日新聞』2013年9月18日(日)付。

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満州移民の村―信州泰阜村の昭和史 (1977年)
小林 弘二
筑摩書房
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覚え書:「原風景のなかへ [著]安野光雅 [評者]原真人」、『朝日新聞』2013年09月15日(日)付。

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原風景のなかへ [著]安野光雅
[評者]原真人(本社編集委員)  [掲載]2013年09月15日   [ジャンル]アート・ファッション・芸能 

■魔法が隠されているよう

 安野光雅が描くと、花も森も写実的なようでいて、なぜかだれの絵とも違う、淡く、澄んだ色調になる。独特の安野ワールドになるのだ。それは水彩やパステルの独特のタッチのせいだとずっと思っていたが、この本でそれだけではないと知った。
 昭和の面影が残る千葉県佐原の街並み。土蔵や郵便ポストまでていねいに描いたその水彩画を著者は「一見写生風に見えたらお慰み」といい、実は一軒一軒バラバラにスケッチして組み合わせた「仮想の町」だと明かす。みる側にそれと知られぬ巧(たくら)みが施されているのだ。
 絵は「むしろ見えないものを描くもの」と著者はつぶやく。収められた日本の原風景34作をそうやってながめ直すと、何げない風景にも魔法が隠されているようで楽しい。
 当代の名文家でもある著者の一作ごとのエッセーもニヤリ、ほろりとさせられる逸品ぞろいだ。いや、画の手の内まで明かすのだから、本書の主役はむしろこちらかも。
    ◇
 山川出版社・1680円
    --「原風景のなかへ [著]安野光雅 [評者]原真人」、『朝日新聞』2013年09月15日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013091500012.html:title]


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原風景のなかへ
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山川出版社
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覚え書:「江戸創業金魚卸問屋の金魚のはなし [著]吉田智子 [評者]出久根達郎」、『朝日新聞』2013年09月15日(日)付。

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江戸創業金魚卸問屋の金魚のはなし [著]吉田智子
[評者]出久根達郎(作家)  [掲載]2013年09月15日   [ジャンル]文芸 科学・生物 

■戦時中は爆弾よけに飼われた

 大抵の人が一度は飼った覚えがあるはずだが、その結末は記憶に無い。ふしぎな「ペット」である。はかない生き物だと思っていたら、寿命は平均15年くらいで、最長寿45年の記録があるという。
 飼い方のコツは、過保護にしない。つまり、水を換えすぎない、エサを与えすぎない。水がきれいすぎると、金魚の赤色が「飛んでしまう」。
 東京本郷の住宅街にある創業350年の、金魚卸問屋七代目女将(おかみ)のお話である。
 加賀藩のお屋敷(東大の場所)に納めていた。殿様の観賞用と毒味用であった。やがて養殖が盛んになり、富裕層から庶民の愛玩物となる。金魚は夏の風物詩として定着する。先の戦争では、金魚を飼っている家には爆弾が落ちない、という流言が東京中に広がったという。生きた金魚は入手がむずかしく、代わりに陶器の玩具が作られた。赤い色は魔よけの意味がある。
 本書には多くの種類がカラー写真で収められている。眺めていると、幼心に還る。
    ◇
 洋泉社・1890円
    --「江戸創業金魚卸問屋の金魚のはなし [著]吉田智子 [評者]出久根達郎」、『朝日新聞』2013年09月15日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013091500013.html:title]



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江戸創業金魚卸問屋の金魚のはなし
吉田 智子
洋泉社
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日記:「哲学には答えがない」わけではなく


101s

哲学の授業をしていると、「哲学には答えがない」ですね、という反応がよくあります。

たしかに、これまで義務教育で学習したような意義での「答えがない」のかもしれませんが、厳密には「答えがない」わけではありません。

このあたりは最初に断るようにしてはいますが、これは学習をすることと、学問をすることの違いと言って良いかもしれませんが、例えば、問題集とその解答集があって、ひとつひとつの問題を解いて、それから解答集を開いて、正誤していくというような意味では、答えは存在しないといえば存在しないといってよいかもしれません。

そうではなく、自分で考え、そしてそれがどうなのか他者とすりあわせて、自分で答えをつかみ取っていく。その先に「答え」が存在する。

自分で苦労して手に掴んだ答えは、結果としては、問題集に付属する解答集に掲載されたものと同じかも知れません。

しかし、大切なことは、先験的に答えのようなものが実在し、鋳型に落とし込むように自分を変形させていくという発想を辞め、自分でそれをつかみ取っていく……そういう風に学問観というものを転換していかないかぎり、学習から学問への転換はできないのではないか……そういう風に思ってしまうわけですが・・・。

ともあれ、「答えがないですよね」……という前に「自分で探してみるか」という風にちょっと変えてみることをオススメしたいと思います。

 


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覚え書:「GHQの検閲・諜報・宣伝工作 [著]山本武利 [評者]保阪正康」、『朝日新聞』2013年09月15日(日)付。


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GHQの検閲・諜報・宣伝工作 [著]山本武利
[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)  [掲載]2013年09月15日   [ジャンル]歴史 ノンフィクション・評伝 

■見えない形の巧みな言論弾圧

 GHQ(連合国軍総司令部)は、日本占領終結後にプレス政策をどのように進めたかの報告書をまとめた。そのタイトルが、「プレスの自由」というのだが、著者によればマッカーサーら指導部は、「メディアの自由の浸透に貢献した功績を強調している」という。検閲や自由を抑圧した具体例は極端に記述も少ないそうだ。
 日本占領期にGHQの言論弾圧はいかに巧みに行われたか、その巧みさをアメリカのさまざまな機関から収集した記録文書で白日のもとにさらす。著者はその研究では第一人者であり、実際にその現実を解き明かされると大日本帝国型の言論弾圧とは異なる総合的なシステムが用いられていることがわかる。
 たとえば検閲の実務には、多数の日本人が動員される。検閲者は4年余りの間に延べ2万5千人近くに及んだという。この実態については、検閲者たちの良心の痛みもあり、戦後社会ではほとんど公開されていない。著者は、そういう検閲者の生の声も紹介している。なにより生活の豊かさの保障の前に、誰もがこの同胞を売るがごとき仕事の屈辱に耐えたとの証言は貴重である。
 アメリカの情報統制は、日本社会への軍国主義復活を阻止し、共産主義の国内への浸透を防ぐのを目的にしていたが、それらの目的はすぐに達せられたともいえる。なぜなら当時の日本国民は、GHQが鼓吹している民主主義思想をすぐに受け入れたからだ。その言論弾圧のシステムは国民にはまったく見えない形になっていた。日本の新聞や雑誌なども、当初の事前検閲よりのちに幾分(いくぶん)ゆるやかになる事後検閲に、逆に不安を抱くといった体質もあった。
 言論弾圧は、政治的システムのマイナスより、国民の精神やその内面に打撃を与える。日本で用いられた手法は、日本人捕虜の意識調査をもとにして確立されたとの記述は衝撃だ。
    ◇
 岩波現代全書・2415円/やまもと・たけとし 40年生まれ。早大、一橋大名誉教授。インテリジェンス研究所理事長。
    --「GHQの検閲・諜報・宣伝工作 [著]山本武利 [評者]保阪正康」、『朝日新聞』2013年09月15日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013091500010.html:title]


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GHQの検閲・諜報・宣伝工作 (岩波現代全書)
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覚え書:「死後に生きる者たち―〈オーストリアの終焉〉前後のウィーン展望 [著]マッシモ・カッチャーリ [評者]佐々木敦」、『朝日新聞』2013年09月15日(日)付。


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死後に生きる者たち―〈オーストリアの終焉〉前後のウィーン展望 [著]マッシモ・カッチャーリ
[評者]佐々木敦(批評家・早稲田大学教授)  [掲載]2013年09月15日   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 

■めくるめく思弁の「連作歌曲」

 著者は、ネグリ、アガンベン等と並ぶ現代イタリアを代表する思想家であり、大作オペラ「プロメテオ」など作曲家ルイジ・ノーノ(故人)との共同作業でも知られ、更にはイタリア下院議員及び2度にわたりベネチア市長を務めた政治家でもある。だが本書が扱うのは、19世紀末から20世紀初頭、いわゆる転換期のオーストリア、ウィーンにおける文化・芸術だ。
 ニーチェに由来する「死後に生きる者たち」という印象的な題名(もっともこれは英語題名で、原題は「シュタインホーフから」。シュタインホーフはウィーンの森に位置する精神科病院敷地内にある有名な教会)は、この本の主役のひとりであるウィトゲンシュタインの次の言葉と響き合っている。「自分のいる時代に先んじているだけの者は、その時代にいずれは追いつかれる」。私たちは著者の博覧強記に誘われて、それから1世紀後の、ウィーンから遠く離れた日本という国で、「死後に生きる者たち」のめくるめく思弁に触れることになる。
 召喚される作家、芸術家は、ホーフマンスタール、クラウス、ヴァルザー、トラークル、ムージル、ロース、ベルク、ヴェーベルン等々。著者は本書を“連作歌曲”になぞらえている。論理を尽くして主題を収斂(しゅうれん)させてゆくことよりも、荒々しい泉のごとく湧き出る連想を、自由に、だが厳格に押し広げていって、やがて叙述はそれ自体が、豊饒(ほうじょう)な意味が折り畳まれた音楽、複雑に織り重なりあった建築物のような様相を呈する。
 本書は有用な知識や省察を得るためのものではない。おびただしい固有名詞と、その交点から導き出される無数の光輝を浴びるための書物である。その輝きは、ただ時代に先んじようとしているだけの者には価値がないのかもしれない。だが、本書が語っているように、あからさまに反時代的であるからといって、死後を生き延びないとは限らない。
    ◇
 上村忠男訳、みすず書房・4200円/Massimo Cacciari 哲学者、政治家。著書に『必要なる天使』など。
    --「死後に生きる者たち―〈オーストリアの終焉〉前後のウィーン展望 [著]マッシモ・カッチャーリ [評者]佐々木敦」、『朝日新聞』2013年09月15日(日)付。

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死後に生きる者たち―― 〈オーストリアの終焉〉前後のウィーン展望
マッシモ・カッチャーリ
みすず書房
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覚え書:「みんなの広場 東京五輪開催を歓迎できない」、『毎日新聞』2013年09月18日(水)付。


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みんなの広場
東京五輪開催を歓迎できない
アルバイト 43(盛岡市)

 国際オリンピック委員会(IOC)総会で、東京が2020年のオリンピック開催地に選ばれた。その直前に行われた安倍晋三首相のスピーチを聞いて、がくぜんとした。福島第1原発の状況はコントロールされていると断言したからだ。
 事故を起こした福島第1原発は、現場の作業員の体を張った懸命の努力で何とか持ちこたえているのが現状であり、コントロールされている状況からは程遠いと聞く。そもそも本当にコントロールされているのなら、汚染水の漏えいなど起きないはずだ。安倍首相の発言は、原発事故の厳しい現実を意図的に無視し、今も原発事故の被害に苦しんでいる被災地や被災者を愚弄するものではないか。オリンピック招致のために、被災地や被災者を切り捨てたと言えないだろうか。
 私の住む岩手県にも、原発事故の被災者が大勢いる。特に、汚染水の漏えいは、復興途上の水産業に深刻な影響を与えている。オリンピックの東京開催を私は素直に歓迎できない。
    --「みんなの広場 東京五輪開催を歓迎できない」、『毎日新聞』2013年09月18日(水)付。

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覚え書:「日本の『ゲイ』とエイズ―コミュニティ・国家・アイデンティティ [著]新ケ江章友 [評者]内澤旬子」、『朝日新聞』2013年09月15日(日)付。

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日本の「ゲイ」とエイズ―コミュニティ・国家・アイデンティティ [著]新ケ江章友
[評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)  [掲載]2013年09月15日   [ジャンル]社会 

■愛こそが、最大のリスク?!

 1981年、朝日新聞に「ホモ愛好者に凶報」という記事が載る。エイズに関する日本初報道だった。評者は当時14歳。以来、恐怖と思春期の好奇心に駆られ、記事を読み漁(あさ)り、気がついたら日本の男性同性愛者たちに向けられていた偏見や彼らの実像を伝える記事や書籍を読んでいた。これまでフィクションでしか知らなかった日本の同性愛者について、現実の隣人として想像できるようになれた。エイズ流行がきっかけだったのだと、本書を読んではじめて気づいた。
 本書はエイズをめぐる言説の変遷と、国家がとった予防対策、感染リスクの認知促進などの政策に、当事者である男性同性愛者たちが、どう関わったのかをこまかく検証した論文をもとに書かれた。
 エイズは感染する。公衆衛生(国家)の立場からは、防疫の対象。感染の危険が高い場所や行為を特定し、リスクを数値化して把握せねばならない。しかも感染源は空気でも大腸菌でもなく、体液。性行為のバリエーションや交渉人数という、個人のプライバシーにまつわる領域に深く踏み込んでの調査が必要だった。
 外側からの非難や差別、管理介入される屈辱に抗するため、同性愛者たちの多くはコミュニティーを作り、実態調査や予防のための啓蒙(けいもう)に主体的にかかわり、社会の中で可視化される存在になる道を選んでゆく。一方国家は国家で彼らのアクションを予防に効果的と歓迎し、国家予算を投入していったという。ある種の利害一致というべきか。
 なるほどそういうことかと思う一方、著者が最後に投げかける、感染は必ず避けねばならないものなのかという問いが重く響く。評者自身、癌(がん)に罹(かか)って以来、病と死を積極的に受け入れたいと願うようになった。ならば感染の可能性をお互い承知で受け入れる生き方も、刹那(せつな)的だと否定するのもおかしいのかも。「愛こそが、最大のリスク」?!
    ◇
 青弓社・4200円/しんがえ・あきとも 75年生まれ。名古屋市立大学男女共同参画室プロジェクト推進員。
    --「日本の『ゲイ』とエイズ―コミュニティ・国家・アイデンティティ [著]新ケ江章友 [評者]内澤旬子」、『朝日新聞』2013年09月15日(日)付。

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日本の「ゲイ」とエイズ: コミュニティ・国家・アイデンティティ
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覚え書:「流動化する民主主義―先進8カ国におけるソーシャル・キャピタル [編著]ロバート・D・パットナム [評者]水無田気流」、『朝日新聞』2013年09月15日(日)付。


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流動化する民主主義―先進8カ国におけるソーシャル・キャピタル [編著]ロバート・D・パットナム
[評者]水無田気流(詩人・社会学者)  [掲載]2013年09月15日   [ジャンル]政治 社会 

■重要な地域社会の人間関係

 絆やつながりの大切さ。東日本大震災以降のひと頃、これが盛んに強調されたのは記憶に新しい。震災より少し前には、孤独死や無縁死が社会問題として大きく取り上げられた。背景にあるのは、地域社会の人間関係希薄化にともなう不安の蔓延(まんえん)。もっとも、これは日本に限らず先進諸国共通の悩みのようである。
 代表作『孤独なボウリング』で、地域社会の良好な人間関係を「社会関係資本(ソーシャルキャピタル)」と呼び、それがもたらす計り知れない恩恵について論じたパットナム。その彼が、今度は各国の研究者たちとともに、先進8カ国の過去50年にわたる市民社会の変化を、社会関係資本を軸に比較検証した。対象となったのは、イギリス、アメリカ、フランス、ドイツ、スペイン、スウェーデン、オーストラリア、そして日本。表題が示すように、眼目はこれら先進諸国における民主主義の機能整備と社会関係資本の密接な関係にある。
 パットナムは指摘する。民主主義社会の形成とともに訪れた個人主義化や市民の政治離れが、皮肉にも実効性を伴う民主主義存続のための基本的な社会的・文化的前提を風化させている、と。この指摘は、アリストテレスまで遡(さかのぼ)る政治理論--民主主義の定立基盤として、市民による地域社会への積極的参画が不可欠--と共鳴する。
 とりわけ、日本の社会関係資本に関する猪口孝の検証が興味深い。独自の「市民社会指標」を用いた地域ごとの比較精査や、社会関係資本の変遷史等により、その特性について明確に論じている。近年日本では、他人への信頼感や政治参加意識は向上する一方で、政治家への一任意識は低下傾向にある。だがそれを具体的な社会参加へと結びつけるためには、市民意識高揚のための物理的・社会的なスペースや、心理的な動機付けが必要といった指摘も重要。民主主義の実効性そのものに取り組む、巨大な詳解書。
    ◇
 猪口孝訳、ミネルヴァ書房・5040円/Robert D. Putnam 41年生まれ。米国ハーバード大学教授。
    --「流動化する民主主義―先進8カ国におけるソーシャル・キャピタル [編著]ロバート・D・パットナム [評者]水無田気流」、『朝日新聞』2013年09月15日(日)付。

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流動化する民主主義: 先進8カ国におけるソーシャル・キャピタル
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書評:西村佳哲『いま、地方で生きるということ』ミシマ社、2011年。


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 しかし思い返してみると、奈良のフォーラムで広瀬さんから聞いていた自然学校は、それともまた少し違うものだった。
 彼は多くの人が「田舎には仕事がない」と言うけどそんなことをないんだ、と話していた。それは勤め先がない、つまりいわゆる会社のような求人口がないだけの話で、人手が足りなくてできずにいる仕事はもう山ほどあるんだと。
 だから地域に入って、そこで暮らす人々と出会いながら、昔でいう便利屋のように働いてみればいい。彼らが困っていることを何でも手伝ってみるといい。給料はもらえなくても、生きてゆくための食料は手に入るだろうし、信頼を得れば居場所もできてゆくだろう。
 そんなふうに地域とかかわりあながら、ひいてはその土地の魅力や資源を外の世界にも伝えてゆくのが自然学校なんだと話していた。
 「えっ、でもその名前が自然学校なの?」と戸惑いを感じる人がいるかも。自然学校という言葉には、どうしても野外レクレーションのイメージが強い。
 でも広瀬さんにとって自然学校をつくることは、地域の人や自然と、ともに生きてゆく拠点づくりなんだということで僕は了解している。

 中でも「田舎に仕事がないわけじゃない」というくだりには強く頷ける。たとえば高知県は統計上は失業率が高く、沖縄や青森につづいて上位に並ぶ。移住コンシェルジェを務めていた知り合いも、「かかってくる電話相談には真っ先に『仕事はないですよ』と伝えます」と言っていた。が、じっさいに行ってみるとお見せを営んでいる人は多い。喫茶店の店舗数も全国一。勤め先としての企業が少ないだけで、全就業者人口における自営業主比率や県民所得における個人企業の割合は全国一だ。
 働き口がなくても、仕事は自分でつくってゆけばいい。
    --西村佳哲『いま、地方で生きるということ』ミシマ社、2011年、28-29頁。

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帰りの電車のなかで、西村佳哲『いま、地方で生きるということ』ミシマ社、読了。『自分の仕事をつくる』(ちくま文庫)で、働くことや生きることを考察してきた著者が東日本大震災後の東北や九州を巡り、地方で生(働)きることを考えた本。酷評が多いけれど、僕自身は面白く読んだ。初のミシマ本。

内容はインタビューが中心。そしてこの本にその答えはない。(言い方は悪いけれども)「田舎の実像はそんなんじゃねえよ」と迷羅馬風イチャンを付けようとすればきりがない。しかし、筆者の聞き書きは、日本の田舎の挑戦の〝今〟をレポートしている。

自然学校の広瀬さんの言葉が印象的。「多くの人が『田舎には仕事がない』と言うけれどそんなことはないんだ、と話していた。それは勤め先がない、つまりいわゆる会社のような求人口がないだけの話で、人手が足りなくてできずにいる仕事は山ほどあるんだと」。

僕も18まで田舎で生活していたから理解できるけれども、まさに田舎には〝勤め先〟としての〝仕事〟は少ないし、勤め先の「肩書き」がないと都会以上にとやかくいわれる社会(日本的精神風土含めて)。しかしながら、人手が足りないのも実情。そこにどう挑戦するか。

権力や手抜きの就業行政に〝ていよく〟利用されることや、すり替えられた自己責任を金科玉条の如く奉ることは毛頭不要だけれども、日本の田舎での挑戦ははじまっていると思う。だからこそ、東京への一極集中へシフトがもう一度きられたことは、ものすごく逆風になってしまう。そこがねえ……、。

ムック本的な「いまこそ、地方で農業☆」には、記事自体が、都市で生成された勝ち組-負け組の枠組みに準拠しているから、正直、反吐が出る。しかし、東京に20年近くすんで理解できるものでもあるけど「生きてゆくためにお金が要る度合い」は、都市に近づくほど強く、遠ざかるほど弱いのは事実。

田舎の「しがらみ」自体は爆発しろなんだけど、脱サラしたらどうにかるなるべみたいな甘っちょろい幻想でもなく、「働く」ということが「生きる」ということとどう連動しているのかをもう一度、省察しながら、自身が働いていることや、その土地で生きていることを検討するきっかけにはなった感。

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覚え書:「血盟団事件 [著]中島岳志 [評者]角幡唯介」、『朝日新聞』2013年09月15日(日)付。


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血盟団事件 [著]中島岳志
[評者]角幡唯介(ノンフィクション作家・探検家)  [掲載]2013年09月15日   [ジャンル]歴史 

■独善に傾いた正義、内部から覗き見る

 冒頭から一気に引き込まれた。話は五・一五事件で元陸軍軍人の西田税を狙撃した血盟団員・川崎長光へのインタビューから始まる。血盟団事件の関係者が存命していたことにまず驚いたし、本人を探し出して話を聞き出したところに著者の並々ならない気魄(きはく)が感じられて目が離せなくなった。
 血盟団事件とは昭和7年に宗教家井上日召に率いられた若者たちが引き起こした連続テロである。元蔵相の井上準之助と三井財閥総帥の団琢磨が暗殺され、陰惨なテロの時代の引き金を引くことになった大事件だ。血盟団というおどろおどろしい名前の得体(えたい)の知れない集団が、「一人一殺」という禍々(まがまが)しいスローガンを掲げたことで、この事件には暗い昭和のイメージが強くまとわりついている。
 時代はちょうど世界恐慌の影響で経済が悪化の一途をたどった頃だった。農村は貧しさで疲弊し、富を独占する財閥と無力な政党政治への民衆の不満は頂点に達していた。井上日召は資本主義体制を破壊することによってしか社会の秩序は回復できないと結論し、同じように煩悶(はんもん)する農村の若者や学生らを糾合し、国家革新を志向する海軍の青年将校らと結託しながらテロへの道を突き進んでいく。
 事件の詳細はさておき、本書の特徴はその語り口にある。興味深いことにこの本には血盟団員の側から見た時代に対する憤懣(ふんまん)と、彼らのかなり一方的な言い分しか書かれていない。こうした歴史的な事件を扱った作品では通常あるはずの批判や論評の類が、ラストをのぞいて一切なされていない。バランスを取ることを避け、ただ血盟団員の個々の来歴や行動や思想などを、資料からの引用を多用しながら、厳選された文章で正確に記述しているだけなのだ。
 だがそれにより物語は極めて高度な臨場感を持つことになった。読みながら私は血盟団の一味になったような感覚に陥った。井上日召や海軍青年将校らの謀議を横で耳をそばだてて聞きながら、ひたひたと革命が近づく現場に同居しているような気分になってきた。彼らの理想が高邁(こうまい)なだけに、途中から思わずその考えに共鳴しそうになって、確かにこのような腐敗した体制は打倒せねばならぬと拳を握りそうになっているぐらい、記述は迫真に満ちている。
 当然だが血盟団の正義は独善に傾いていく。そうした一方的な正義が独善に傾く過程を、読書を通じて内部から覗(のぞ)き見ることができるところに本書の功績はある。そして著者が言うように当時と現代の世相との間に通底する何かに思いをはせた時、この事件が歴史の埃(ほこり)の中に埋もれた出来事だと突き放すことのできない底光りを放っていることに気づくのである。
    ◇
 文芸春秋・2205円/なかじま・たけし 75年生まれ。北海道大学准教授(南アジア地域研究、日本思想史)。『中村屋のボース』で大佛次郎論壇賞。『インドの時代』『パール判事』『秋葉原事件』など。
    --「血盟団事件 [著]中島岳志 [評者]角幡唯介」、『朝日新聞』2013年09月15日(日)付。

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覚え書:「安部公房とわたし [著]山口果林 [評者]福岡伸一」、『朝日新聞』2013年09月15日(日)付。


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安部公房とわたし [著]山口果林
[評者]福岡伸一(青山学院大学教授・生物学)  [掲載]2013年09月15日   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 


■覚悟感じる切実な自己回復の書

 まず驚かされるのは、カバーの4枚の写真の著者の表情だ。やさしく柔らかでさりげない。そこにどれほど親密な時間が共有されていたかが手にとるようにわかる。同時にこのときかろうじてバランスを保っていたであろう均衡の危うさを思うと心が痛んだ。
 私は一時期、安部公房作品を熱心に読んでいた。しかし作家の身の上に何が起きていたのか全く知らないでいた。
 2人は、演劇を学ぶ学生とその師として1960年代に出会い、徐々に接近していく。「未熟な私のどこに、安部公房は引きつけられたのだろう」「そのドライブで、次の段階へ進むことになるだろうとの予感があった。私に覚悟はできていた」。著者は連続テレビ小説の主役に抜擢(ばってき)されスターに、作家は世界的な評価を受けノーベル賞にも擬せられるようになる。深まって行く関係。やがて妻の知るところとなり作家は家を出る。
 数々の秘密の暴露がある。堕胎。癌(がん)告知。手術。作家は女優のマンションで倒れる。しかし抑制の利いた筆致が凡百の暴露本に堕してしまうことを避け、貴重な資料的価値を生み出している。
 「私は安部公房の手に魅せられた」「好みには、ある傾向があるのに気づく。ちいさい世界で完結するものどもだ」。密会は重ねられ、方舟(はこぶね)はさまよい、作家はカンガルーの軽やかさに憧れていた。帯の印象的な言葉「君は、僕の足もとを照らしてくれる光なんだ--」は本文になかったが、いつ語られたものなのか。
 著者との関係は、年譜からも一人娘による伝記からも注意深く、そして完全に消しさられている。このような本には批判があるだろう。しかし私は本書を、透明な存在にされた著者の、ようやく到達できた切実な自己回復の書として読んだ。彼女には覚悟があるのだ。「安部公房は私を守りとおしてくれたのだと思っている」。作家の全身像は、ここに補完されたのではないか。
    ◇
 講談社・1575円/やまぐち・かりん 47年生まれ。女優。俳優座、安部公房スタジオなどの舞台に出演。
    --「安部公房とわたし [著]山口果林 [評者]福岡伸一」、『朝日新聞』2013年09月15日(日)付。

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安部公房とわたし
安部公房とわたし
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山口 果林
講談社
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書評:NHK取材班・北博昭『戦場の軍法会議 日本兵はなぜ処刑されたのか』NHK出版、2013年。

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海軍法務官から資料や日記を託された北博昭氏の協力で本書は、これまで殆ど明らかにされなかった戦場の軍法会議の実像を明らかにする。戦争末期、士気の低下と食糧不足は相次ぐ逃亡を招くが、いずれも極刑をもって見せしめとされた。

例えば……。飢餓での戦線離脱は最大7年以下の懲役で死刑には当たらない。しかし手続きを変え、死刑が適用される(「奔敵未遂」)。また特攻の強要もたび重ねられたという。前線で兵隊の数が減ることは本来不利な筈なのに、軍法会議関係者はそれを「口減らし」ととらえた。

本書は法の正義が形骸化していた事実を明らかにする。無謀な作戦の責任を取らない軍と高級将校。その責任を末端の兵士に転化する法務官…。軍と司法の歪んだ癒着関係は、戦後日本の体質にも継承されている。戦後、裁判官に転じた人間は多いという。

初めて公開された各種文書、そして関係者への丹念な聞き取り調査から、戦時下日本における陸海軍の軍法会議の欺瞞のメカニズムを明らかにする労作。戦争の根源的な矛盾を説得力を持って示す一冊といえよう。

※番組を見ていないのが残念。


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戦場の軍法会議―日本兵はなぜ処刑されたのか
NHK取材班 北 博昭
NHK出版
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覚え書:「今週の本棚:白石隆・評 『国家はなぜ衰退するのか 上・下』=D・アセモグルほか著」、『毎日新聞』2013年09月15日(日)付。


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今週の本棚:白石隆・評 『国家はなぜ衰退するのか 上・下』=D・アセモグルほか著
毎日新聞 2013年09月15日 東京朝刊

 (早川書房・各2520円)

 ◇国家形成と経済発展の因果関係に迫る

 本書の原題は「国はなぜ失敗するのか」。日本、米国、英国、ドイツなどでは、最も貧しい人たちでも教育、医療、公共サービスが受けられ、経済的・社会的機会も、サハラ以南のアフリカ、南アジア、中央アジアなどに住む圧倒的多数の人たちよりはるかに恵まれている。また、アフリカにあるといっても、シエラレオネでは国が破綻しているのに、ボツワナでは政治的安定と経済成長が実現されている。では、なぜ、世界には豊かな国と破綻した貧しい国があるのか。

 産業革命が英国でおこったのはなぜか。西欧で近代化がはじまったのはなぜか。なぜ、日本は19世紀に近代化の途(みち)を歩みはじめ、中国はそうならなかったのか。こういう問いについてはすでに多くの研究がある。本書の強みは、そういう研究も踏まえた上で、なぜ豊かになる国と貧しい国があるのか、理論的に説明し、特に「国はなぜ失敗するのか」について、見事な理論的洞察を提供していることにある。

 では、なぜ豊かな国と貧しい国があるのか。本書はこれを二つのステップで説明する。まず、政治・経済制度を「収奪的」か「包括的」かで区別し、世界の国々の歴史的軌跡を制度の観点から解釈する。次に、世界のある地域で包括的制度が生まれ、ほかの地域では生まれていないのはなぜか、を説明する。

 包括的な政治・経済制度と繁栄はつながっている。包括的経済制度の下では、所有権が保証され、平等な機会が与えられ、新しい技術への投資のインセンティブがある。収奪的制度の下では、所有権は保証されず、少数のエリートが多くの人たちの資源を搾り取る。投資のインセンティブはない。そのため、包括的経済制度は、収奪的経済制度より、経済成長につながりやすい。

 包括的経済制度は包括的政治制度を支え、またそれによって支えられる。包括的政治制度においては、近代的な国家機構が形成され、政治的中央集権下、政治権力が広く多元的に分配されている。こういう政治制度の下では、法と秩序が確立され、所有権が保証され、包括的市場経済がつくられる。一方、収奪的政治制度の下では、国家権力は少数の人たちに集中し、支配エリートは、多くの人たちの利益を犠牲にして、みずからの利益を拡大しようと、収奪的経済制度を維持・発展させる。

 ただし、これは、収奪的政治制度の下で経済成長はおこらない、ということではない。近年の中国を見れば明らかな通り、近代的国家機構がつくられ、政治的中央集権化が実現されれば、収奪的制度の下でも経済成長はおこる。しかし、収奪的政治制度下での成長は持続しない。それは二つの理由による。第一に、持続的経済成長はイノベーションによってもたらされる。しかし、イノベーションは創造的破壊をもたらし、創造的破壊は旧勢力の衰退と新勢力の台頭をもたらす。そのため支配エリートはイノベーションを怖(おそ)れ、経済成長は持続しない。第二に、収奪的政治制度の支配エリートは圧倒的多数の犠牲に上にたいへんな利益を享受する。そのため多くの勢力が武力に訴えても支配エリートに挑戦し、国家権力を手に入れようとする。その結果、収奪的政治制度の下では、政治は不安定化し、ときには国家の破綻をもたらす。

 国家形成と経済発展について学ぶところの多いすばらしい本である。今年、これまでに読んだベストの本として推奨する。(鬼澤忍訳)
    --「今週の本棚:白石隆・評 『国家はなぜ衰退するのか 上・下』=D・アセモグルほか著」、『毎日新聞』2013年09月15日(日)付。

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国家はなぜ衰退するのか(上):権力・繁栄・貧困の起源
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国家はなぜ衰退するのか(下):権力・繁栄・貧困の起源
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覚え書:「書評:明治のサーカス芸人はなぜロシアに消えたのか 大島 幹雄 著」、『東京新聞』2013年09月15日(日)付。


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明治のサーカス芸人はなぜロシアに消えたのか 大島 幹雄 著

2013年9月15日

◆革命を越え交錯する運命
[評者]春名徹=歴史研究者
 著者は最近『サーカスは私の<大学>だった』で評判になったが、評者の読書歴では二十三年前の最初の本『サーカスと革命』と『海を渡ったサーカス芸人』が強く印象に残っている。
 新著はこれらの仕事の延長上にある。著者はロシアのサーカス研究家から三枚の写真を見せられた。革命前のロシアにやってきた日本の芸人で、革命後もとどまった人たちだという。名はイシヤマ、タカシマ、シマダ。
 探索にとりかかる著者の前にあらわれたのは明治以降に、いっせいに国外に飛び出した芸人たちの姿だった。芸人をつうじた日本とロシアの深いつながり、第一次世界大戦からロシア革命へという激動の時代をロシアで生きた日本の芸人たちの物語でもあった。
 イシヤマ・マツァウラ(表記不明)は空中ブランコを演じ、第一次大戦にもかかわらずロシアにとどまった。ロシア人と結婚して男の子をもうけ、さらにソビエト時代にアジア系の養女と親子四人のグループで足芸を看板に巡業をつづけ、かの地で死去した。
 高島松之助はバチを使った太神楽の伝統芸を加味した斬新なジャグリングで、ヨーロッパの観客を魅了した。
 パントシ・シマダは実は朝鮮人で多彩な芸の持ち主、ロシア人と結婚して幸せな家庭をもったが、スターリン独裁の時代に突然逮捕、家族の前から消えた…。三人の運命に多くの日本人芸人の運命が交錯する。孤独に死んだ者、ヤマサキ・キヨシのようにスパイ容疑で銃殺された者。
 それは知識人と芸人が一体となった新しい文化の創造を実現したかもしれないソビエト・ルネサンス-道化師ラザレンコ、詩人マヤコフスキー、演出家メイエルホリド、それらを支えた芸人、俳優、読者、観衆たちの輝かしい時代に対する痛恨をこめた回顧であり、憧れといかがわしさの両面を持つ芸人そのものの宿命でもある。「サーカスの呼び屋」を自称する知識人・大島ならではの仕事である。
(祥伝社・1680円)
 おおしま・みきお 1953年生まれ。サーカスプロモーター・早大非常勤講師。
◆もう1冊
 『アートタイムズ(10)特集「サーカス学」出帆!』(デラシネ通社)。サーカスの歴史や文化を総合的に探究する特集冊子の最新刊。
    --「書評:明治のサーカス芸人はなぜロシアに消えたのか 大島 幹雄 著」、『東京新聞』2013年09月15日(日)付。

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明治のサーカス芸人は なぜロシアに消えたのか
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覚え書:「みんなの広場 生活保護減額、どう暮らせば」、『毎日新聞』2013年09月16日(月)付。


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みんなの広場
生活保護減額、どう暮らせば
パート 50(福島市)

 この8月から生活保護基準額が引き下げられました。病気がちで週2~3日のパートをして暮らしている私にとって、憲法25条の健康で文化的な最低限度の生活を営むことすらも厳しい状況になっています。
 諸物価が上昇する一方、生活保護支給額の減額によって私の可処分所得は減少しています。電気料金は約9%値上げされ、節電に努めても基本的なライフラインであり、限界があります。食料品も安売り品を狙って買うようにしていますが、情報源となる新聞の折り込み広告を入手するために定期購読しているのに、それさえ危うい状況です。町内会費も払えないため町内会を退会しようかとも考えています。家計費の引き締めに苦心するばかりです。
 そのうえに消費税率の引き上げが取りざたされており、さらなる可処分所得の減少、ひいては生活の困窮は目に見えて明らかです。
 このような事態に際し、生活保護を受けている私はこれからどう暮らせばいいのでしょうか。
    --「みんなの広場 生活保護減額、どう暮らせば」、『毎日新聞』2013年09月16日(月)付。

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覚え書:「今週の本棚:持田叙子・評 『柳田国男を読む』=赤坂憲雄・著」、『毎日新聞』2013年09月15日(日)付。


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今週の本棚:持田叙子・評 『柳田国男を読む』=赤坂憲雄・著
毎日新聞 2013年09月15日 東京朝刊

 ◇持田叙子(のぶこ)評

 (ちくま学芸文庫・1365円)

 ◇多様ないのちの種子をはらむ「古典」の底力

 柳田国男については、日本民俗学の偉大な父というレッテルがかえってその思想をせばめ、生気を奪う面があると著者は主張する。

 それは柳田を祖として「成り上がった」民俗学の制度の問題である。もちろん、稲作農耕民を歴史の中心におき、政治的手腕を駆使し、「稲と常民と祖霊が三位一体をなす」不動の学を樹立した柳田自身の問題でもある。

 しかし批判のための批判をする気は毛頭ない。柳田国男とは明らかに、ゆたかな古典である。古典は不死の多様ないのちの種子をはらみ、次代の読み手を待つ。読み手により変幻し、新しい花をひらく。種子をひろい、未来への可能性を発見するこそ、批評家の任務。

 柳田の場合その種子は、民俗学を大成する後期の仕事にでなく、社会とぶつかり新しい知をおこそうと戦う前期の仕事にこそゆたかに見出(みいだ)されるとするのが、著者のスタンス。

 思想家が未だ何者でもない地点にさかのぼり、予定調和でなく虚心に読むことを志す。

 たとえば約百年前に刊行された『遠野物語』。民俗学草創の書という権威づけを取り払い、柳田がそこに蒔(ま)いた知の種子に目をこらす。なんとも魅惑的な可能性がひしめく。

 のどかで平凡な山村の風景が広がる。鳥が鳴き稲がみのり、いろりには暖かい火がともる。しかしそれは牧歌的な郷愁の書ではない。

 嫁姑(しゅうとめ)の争いに疲れた息子が、母を大鎌で惨殺する話がある。老人が口べらしで村を追われ、村外れの窪地(くぼち)でサバイバルする話がある。稲をたずさえ南からこの列島に移住した日本民族と、山に棲(す)む先住民族との闘争を暗示する、「山男」「山女」「山の神」の話がある。

 若き柳田は果敢に、共同体の闇や人間の根源としての残酷と差別に触れる。この列島の歴史が、稲作を絆とする単一民族にリレーされてきたとする、先入観の虚偽をはがす。列島の中の雑種と混合の文化に注目する。定住民と同じほど漂泊民を重視する。つまり既成の歴史学の底に沈められた異相の歴史を透視し、それを鮮やかに物語る。

 この試みは著者の見る限り、昭和初頭まで持続する。特に大正期はダイナミックな山人史が構想され、「山人外伝資料」などが発表される。

 しかし昭和三年より方向は転換する。柳田は先住民の歴史「山人史」を手放し、以降はもっぱら稲作民としての日本人の歴史を固める。昭和三年は、昭和天皇の大嘗祭(だいじょうさい)が挙行された年。もしや稲の王たる新天皇の即位に配慮し、柳田ははっきりと稲を選んだのか……。

 ここまでが第一部。一九九四年刊行の著作の再録。本書は二部構成。第二部は「一国民俗学を越えて」「『会津物語』は可能か」など三篇の論考に、最新のインタビュー「柳田国男の初志を受け継ぐ」がおさめられる。

 東日本大震災をへて、先見的に東北の文化にまなざしを向けた近代の知、柳田国男が新たに見直されている。古典の底力である。

 ゆえにこそ再び柳田を、稲と常民による「ひとつの日本」の学の祖として祭り上げたくない。『遠野物語』を原点とする初期の、外部や異端を発見する力をこそ汲(く)み、私たちの生きる多様な日本に役立つものとしたい。

 近来、『遠野物語』は英訳された。映画化の話も動きだす。たぶん著作は次々に電子書籍化される。柳田が徹底して掘りおこしたローカルの等身大の民俗の知こそ、グローバルな二十一世紀の社会再編に役立つ実学になりうる--著者は、今もっとも熱く柳田国男に学ぶ、読み手の先端の一人である。
    --「今週の本棚:持田叙子・評 『柳田国男を読む』=赤坂憲雄・著」、『毎日新聞』2013年09月15日(日)付。

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柳田国男を読む (ちくま学芸文庫)
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覚え書:「今週の本棚:池澤夏樹・評 『書き出し「世界文学全集」』=柴田元幸・編訳」、『毎日新聞』2013年09月15日(日)付。


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今週の本棚:池澤夏樹・評 『書き出し「世界文学全集」』=柴田元幸・編訳
毎日新聞 2013年09月15日 東京朝刊

 (河出書房新社・1575円)

 ◇翻訳の演奏で「文体」を聞き分ける愉悦

 なにごとも始めが肝心。

 だから作家は小説の書き出しに心を砕く。登場人物たちの運命に読者の心が乗ってしまうまでの間、作者は文体で勝負しなければならない。

 では有名な小説の書き出しを数ページ分だけ抜き出して並べてみたらどうだろう? それは小説の文体のよきサンプル集にならないか?

 その試みの結果がこの本だ。

 選ばれたのはかつて世に栄えた「世界文学全集」に居並んだ名作ばかり。この選択について「前口上」は特に他意はないということを言った上で「まあしいていえば、見慣れているつもりのものが実は案外新鮮に見える、という愉(たの)しさが生じるためにはこういう古風なラインナップの方が効果的ではと思ったということに尽きる」と言う。

 半端に知っている作品だからこそずらっと並べるとおもしろい。『マクベス』の魔女たちの「きれいはきたない、きたないはきれい」の場面を、ああこんな風だったと思い出しながら辿(たど)り、『アンナ・カレーニナ』の「幸福な家族はみな似たようなものだが、不幸な家族はそれぞれ独自に不幸である」はうまい書き出しとして有名だから知っているぞと思って読む。

 読んだことがある話だとその先に展開する広大な世界を透かし見てぞくぞくする。「堂々たる、恰幅(かっぷく)よきバック・マリガンが階段の上から、泡立つ石鹸(せっけん)水の入った鉢の上に鏡と剃刀(かみそり)を十字に交差させて現われた」というのが『ユリシーズ』の第一行。遠大な旅の一歩目。

 書き出しは文体で勝負すると先に書いた。だから翻訳者の出番なのだ。多くの文体を訳し分ける伎倆(ぎりょう)がこのサンプル集の基礎だ。この場合、翻訳者の仕事は洋楽の演奏者に似ている。譜面は最初からある。聴衆はホールに集まっている。しかし演奏者が登壇するまで音は聞こえない。

 これまで柴田元幸はたくさんの訳書を通じて翻訳が演奏であることを教えてくれた。ぼくたちはみなその音色に聞き惚(ほ)れてきた。だからこのような軽妙な、気の置けない、正統的なのに時に羽目を外す音楽会が楽しいのだ。

 正統はジェーン・オースティンやハーマン・メルヴィルで、羽目を外す方は『私は猫だ』(もちろん漱石で、英訳からの重訳)など。

 発見も多い。チョーサーの『カンタベリー物語』の「四月がそのこころよい雨で/三月の日照りを根もとまでうるおし」ってひょっとしてエリオットの『荒地』の冒頭と関係ある? とか専門家ならば知っているであろうことが気になってしかたがない。

 あるいは詩の一行目だけを三十一篇並べた『エミリー・ディキンソン一行目集』。よくこんなことを考えついたと思うが、結果はまるで優れた句集のようなのだ。小説家が最初のページに注ぐ工夫を詩人は最初の行に注ぎ込む。その姿勢は一行だけの詩である俳句に似てくる。「汽車が墓地の門を抜けていった」とか、「夢はいいが目覚める方がもっといい」とか、「死以外はすべて 調整可能である」とか、まったく参ったなあという感じ。

 この本は雑多な構成の中にいくつもの挑発を隠している。これまで知らないままに来たエミリー・ディキンソンを丁寧に読みたくなるほどにも。

 その挑発に乗って、非礼を承知で、不遜にも、この本に一個だけ魅力的な書き出しの拙訳を追加してみようか--

 「スカーレット・オハラは美人ではなかったが、彼女の魅力につかまった男たちは、タールトンの双子がいい例だが、たいていそのことに気づかなかった」は『風と共に去りぬ』。
    --「今週の本棚:池澤夏樹・評 『書き出し「世界文学全集」』=柴田元幸・編訳」、『毎日新聞』2013年09月15日(日)付。

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書き出し「世界文学全集」

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書評:小林美希『ルポ 産ませない社会』河出書房新社、2013年。

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小林美希『ルポ 産ませない社会』河出書房新社、読了。「産めない」のではなく、社会が「産ませない」(帯)。本書はジャーナリストとして結婚、出産、雇用に取り組んだ著者による痛切な報告。子育てすることで孤立していかざる得ない現代。「孤育」てしながら働く女性に日本社会は寛容ではない。

本書は、子育てしながら働き続ける女性の困難、孤立する母親、男性の低い育児休業取得率や高年齢出産のリスク、保育サービスの不足など、問題を概観しながら、政治家たちの「少子化対策」の喧噪で見えにくくなるその最新の惨状を明らかにする。

マタニティ・ハラスメントの強さは従来から指摘されていたが、産科や小児医療の現場でのその熾烈さには驚く。両立が難しく、出産、子育てを機に辞めていく産科医が多い。人員不足は結果としてベルトコンベア化した医療を必然とする負のスパイラルだ。

アスリートのシングル出産が〝ネタ〟となり、公共交通機関でのベビーカーに眉をひそめる日本社会。妊娠・子育て支援を本気で考えようと思う人などほとんど存在しない。「子どもが心配なら家でみろ」。本書は歪んだ自己責任の襞に分け入る渾身のレポートである。


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ルポ 産ませない社会
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小林 美希
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覚え書:「福島と原発―誘致から大震災への五十年 [著]福島民報社編集局 [評者]保阪正康」、『朝日新聞』2013年09月08日(日)付。


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福島と原発―誘致から大震災への五十年 [著]福島民報社編集局
[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)  [掲載]2013年09月08日

■地方からの目線にこだわる

 東京電力福島第一原発の事故は、中央集権型国家の宿痾(しゅくあ)だ、というのが本書の率直な読後感である。日本の原子力発電の歴史、その立地の経緯を丹念に辿(たど)りながら、福島県大熊町などの町村が、出稼ぎからの脱却、雇用への期待を軸にしつつ原子力発電所による地域再生の道を模索するプロセスが語られる。
 原発報道については多くの書が編まれたが、本書は福島県の県紙としての視点、地方からの目線にこだわり、さらに中央(国、東電本社)に振り回される立場を堅持している。その力点は原発振興に関わった県知事や県職員、自治体の首長らの声を徹底して集め、整理分析し、そして客観的な記述を貫く点にある。
 昭和から平成にかけて福島原発では数多くのトラブルもあった。が、東電の対応は常に二転三転、その体質を「見過ごした国への県や立地町の不満」は潜在していたとの具体的事例ごとの証言に、本書は用いていないが、「人災」の語がなんどもかぶる。
    ◇
 早稲田大学出版部・2940円
    --「福島と原発―誘致から大震災への五十年 [著]福島民報社編集局 [評者]保阪正康」、『朝日新聞』2013年09月08日(日)付。

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福島と原発―誘致から大震災への50年
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覚え書:「海辺の恋と日本人―ひと夏の物語と近代 [著]瀬崎圭二」、『朝日新聞』2013年09月08日(日)付。


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海辺の恋と日本人―ひと夏の物語と近代 [著]瀬崎圭二
[掲載]2013年09月08日

 今でこそリア充が集う場となっている海水浴場だが、明治時代、日本でこの習慣が始まった当初は、湯治のような医療行為の一つと受け止められていた。それが恋の場所となっていく。変遷を、漱石から石原慎太郎「太陽の季節」、雑誌「ポパイ」、松本隆に至るまでの文学、映画、雑誌、歌やマンガから読み解く。すでに明治30年代に海水浴はレジャーとしての意味合いが強くなっており、当時の小説でも、男女の出会いの場としての描写が登場している。大正時代にはスポーツとしても注目され、戦後になると、南国リゾート風、アメリカンなイメージで描かれる。描写の違いはあるものの、「恋愛の場としての海」は100年前から変わらない。
    ◇
 青弓社・1680円
    --「海辺の恋と日本人―ひと夏の物語と近代 [著]瀬崎圭二」、『朝日新聞』2013年09月08日(日)付。

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海辺の恋と日本人: ひと夏の物語と近代 (青弓社ライブラリー)
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覚え書:「記者の目:田中正造没後100年=足立旬子(科学環境部)」、『毎日新聞』2013年09月12日(木)付。


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記者の目:田中正造没後100年=足立旬子(科学環境部)
毎日新聞 2013年09月12日 00時20分

 「公害の原点」と呼ばれる栃木県・足尾銅山の鉱毒事件で、被害者救済に半生をささげた政治家、田中正造(1841-1913年)が亡くなって今年でちょうど100年。

 「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」

 「デンキ開けて世間暗夜(あんや)となれり」

 経済成長優先の近代文明を鋭く批判した言葉は、100年たっても色あせない。それどころか、東京電力福島第1原発事故後、正造の生き方や思想が再評価されている。

 足尾銅山では、明治政府の富国強兵政策の下、外貨獲得の柱として銅の大増産が古河財閥によって進められた。山の木々は燃料用に伐採されたうえ、製錬時に出る有毒ガスのため枯れて、大雨のたび、鉱毒を含んだ土砂が下流の渡良瀬川沿岸に流れ出た。稲は立ち枯れ、魚は死滅、人々は健康被害に苦しんだ。沿岸住民は「押し出し」と呼ばれる請願運動を繰り返し、国会議員の正造は、国会で国に銅山の操業停止や対策を迫った。しかし、日露戦争に突き進む国は銅生産を優先したため、天皇に直訴を試みた。

 盛り上がる世論を鎮めるため、国は鉱毒を沈殿させる名目で最下流域の旧谷中村(栃木県)に遊水地建設を計画した。正造は谷中村に移り住み、最期まで住民とともに反対運動を展開したが、村は強制的に破壊され、遠くは北海道へ移住を余儀なくされた。

 鉱毒の被害地では、田畑の土の上と下を入れ替える「天地返し」や、汚染された表土を削り取って積み上げる「毒塚」が作られた。命を育む大地が汚染され、何の罪もない人々が故郷を追われた。弱い立場の人たちにしわ寄せがくる構図は原発事故も同じだ。

 ◇「自然を征服」は人間のおごり

 正造が批判したのは、何でもカネに換算する価値観だ。科学技術の力で自然を征服できると考えるのは人間のおごりだと主張した。また「少しでも人の命に害があるものを、少しぐらいは良いと言うなよ」と、人命の尊重が何にも勝ると訴えた。軍備を全廃し、浮いた費用で世界中に若者を派遣し、外交による平和を構築することも唱えた。正造の思想に詳しい小松裕熊本大教授(日本近代史)は「ガンジーよりも早く、非暴力、不服従を実践した」と評価する。

 だが、軍国主義の時代に戦争に反対し、経済成長ではなく、人命を優先せよとの正造の訴えを支持する人は一部だった。運動の資金調達に奔走している最中、渡良瀬川沿岸で倒れ、支援者の家で亡くなった。終焉(しゅうえん)の地の8畳間を代々保存する庭田隆次さん(79)は「今はたくさんの人が見学に来るが、見向きもされない時代も長かった」と話す。

 正造の警句は生かされず、約50年後、今度は水俣病が発生した。化学工場のチッソ水俣工場(熊本県水俣市)で、廃液に含まれていた水銀が不知火海を汚染し、汚染された魚を多く食べた人たちが中枢神経を侵された。しかしチッソも国も生産を優先して対策を怠り、被害が拡大した。

 2020年五輪は東京で開催されることが決まった。だが、福島第1原発の汚染水漏れについて「状況はコントロールされている」と説明した安倍晋三首相に、福島の漁業者や避難生活を送る人々から厳しい目が向けられていることも忘れてはならない。

 ◇国民にも向かう厳しいまなざし

 私財を運動に投じた正造の全財産は、信玄袋に入った大日本帝国憲法と聖書、日記帳、石ころなどわずかだった。死の間際に「見舞客が大勢来ているようだが、うれしくも何ともない。正造に同情してくれるか知らないが、正造の事業に同情して来ている者は一人もない」と言い残したという。また「俺の書いたものを見るな。俺がやってきた行為を見よ」とも言っていた。

 正造と鉱毒事件を研究する「渡良瀬川研究会」の赤上剛副代表(72)は「正造の事業とは鉱毒事件解決だけではない。憲法に基づき、国家が国民の生命と生活をきちんと守るよう、政治も含め社会の仕組みを変えようとした」と話す。

 厳しいまなざしは、国民にも向けられた。採石のため山容が変わるほど削られた霊山「岩船山」(栃木県)を引き合いに「今の政治に今の国民を見る」と嘆いた。

 今月4日の正造の命日に、出身地の栃木県佐野市で法要が営まれた。始まってすぐに雨が激しくなり、雷が何度も鳴り響いた。100年たって日本は経済大国になったが、山や川が荒らされ、人の命が軽んじられている。政治家は、国民は、何をやっているのかと、正造が-咤(しった)しているように感じた。一人一人が何ができるかを考え、行動を起こせ--。雷鳴が胸に刺さった。
    --「記者の目:田中正造没後100年=足立旬子(科学環境部)」、『毎日新聞』2013年09月12日(木)付。

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[http://mainichi.jp/opinion/news/20130912k0000m070134000c.html:title]

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覚え書:「ライス回顧録―ホワイトハウス 激動の2920日 [著]コンドリーザ・ライス [評者]渡辺靖」、『朝日新聞』2013年09月08日(日)付。


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ライス回顧録―ホワイトハウス 激動の2920日 [著]コンドリーザ・ライス
[評者]渡辺靖(慶応大学教授・文化人類学)  [掲載]2013年09月08日   [ジャンル]国際 

■臨場感あふれる外交の舞台裏

 人種差別の激しかった米南部アラバマ州に育った著者は国際政治学者として頭角を現し、30代半ばにして国家安全保障会議(NSC)に参画、ブッシュ前政権下では大統領補佐官と国務長官を務めた。まさに現代のベスト・アンド・ブライテスト。おまけにピアノの名手でもある。
 経歴はキッシンジャーと似ているが、同氏とは対照的にあくまで大統領に忠実な閣僚たちとの仲介者に徹した。
 在任中は9・11の惨劇からテロとの戦い、中東和平交渉、イランや北朝鮮の核問題まで、次々と複雑な連立方程式への対応を迫られ、知的にも体力的にも想像を絶する重圧の日々が続いた。
 加えて、政権内部の権力闘争にも悩まされる。とりわけイラク開戦をめぐってインテリジェンス機関の情報を鵜呑(うの)みにしたことや、チェイニー副大統領やラムズフェルド国防長官などのタカ派、いわゆる「ネオコン」の影響力を排除できなかったことには無念さを隠さない。
 たとえば9・11から2カ月後には、NSCを担当する自分の知らぬ間にテロリストの拘禁に関する大統領令が署名されていたというから恐ろしい。目下、日本版NSC創設へ向けた動きが加速しているが、指揮系統の混乱・乱用の防止は大丈夫だろうか。
 その日本に対する評価は辛口だ。曰(いわ)く「日本は、停滞し老化しているだけでなく、周辺諸国からの憎悪で呪縛されているように思えた」「日本人は過敏で不安なのだ」等々。
 本書には、各国首脳との駆け引きや応酬を含め、息をのむような外交の舞台裏が生々しく綴(つづ)られている。回顧録ゆえの恣意(しい)性は否めないが、あまりの臨場感に700頁(ページ)近い大著を一気に読破した。
 著者はまだ50代。共和党内には政治の表舞台への復帰を待望する声も強い。
 シリア情勢が緊迫するなか、著者は米国による軍事介入を強く提唱している。
    ◇
 福井昌子ほか訳、集英社・4200円/Condoleezza Rice 54年生まれ。スタンフォード大教授。元・米国務長官。
    --「ライス回顧録―ホワイトハウス 激動の2920日 [著]コンドリーザ・ライス [評者]渡辺靖」、『朝日新聞』2013年09月08日(日)付。

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覚え書:「醤油と薔薇の日々 [著]小倉千加子 [評者]水野和夫」、『朝日新聞』2013年09月08日(日)付。


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醤油と薔薇の日々 [著]小倉千加子
[評者]水野和夫(日本大学教授・経済学)  [掲載]2013年09月08日

■女性を暗くする「成長」の強要

 著者は前著『結婚の条件』(2003年)で「少子化とは『結婚の条件』の問題」だと看破した。結婚の条件は女性の学歴に応じて階層化し、「それぞれのカテゴリーの女性が求める結婚は異なる。が、その条件に叶(かな)う男性は一様に見つからない」。その結果、「あらゆるつまらない労働から、若い女性が総撤退を始めている」と、日本の抱える問題を一刀両断した。
 本書も期待を裏切らない。問題が深刻化するに応じて著者の主張は益々(ますます)冴(さ)えわたる。扱うテーマは1992年放映の安田成美が「薔薇って書ける?」と問う醤油CMから始まるので、本書は「失われた20年」論でもある。檀れいの第三のビールCMで、「『仕事』か『結婚』か」の二者択一は「『仕事』か『仕事と仕事』か」になり、女性たちは暗澹(あんたん)たる思いを抱くと著者はいう。
 若い女性がなぜ、道を歩きながら煙草(たばこ)を吸うのか。喫煙とはストレスを和らげるための「安価な『依存』対象」なのであって、現在の若い女性は将来の健康よりも現在のストレス解消のほうが喫緊の課題だと著者は指摘する。車内の化粧も同じで、「なんで、今さら素顔を隠さなければならない」と思い、何の希望も見えず「頽廃(たいはい)」が進行する。
 こうした分析から読み取れるのは、日本の近代システムがきしみをたてて崩れ始めているということだと思う。
 近代化の過程で国家から望ましき母親像を強制された母親をみて育った娘たちが結婚しない、母にならないというかたちで「静かに反乱を始めている」(前著)からである。
 思えば、この20年、政府はやっきになって「成長」を強要し、今も女性にもっと活躍の場を、と叫び続けている。女性たちが反乱する本当の理由を理解しないと、事態は悪化するばかりだ。「事実は真実の敵」(『ドン・キホーテ』)。成長のための会議を繰り返し、事実を複雑化すると真実を見誤ることになる。
    ◇
 いそっぷ社・1680円/おぐら・ちかこ 52年生まれ。評論家。『セックス神話解体新書』『結婚の才能』
    --「醤油と薔薇の日々 [著]小倉千加子 [評者]水野和夫」、『朝日新聞』2013年09月08日(日)付。

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日記:人生や仕事での主要な関心は、当初のわれわれとは異なる人間になることです。


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 -- あなたは、ごく頻繁に「哲学者」、のみならず、「歴史家」、「構造主義者」、「マルクス主義者」と呼ばれています。コレージュ・ド・フランスにおけるあなたの担当講座の肩書は、「思想体系の歴史の教授」です。このことの意味は何でしょう?
 わたしが何であるかを正確に認識する必要があるとは思いません。人生や仕事での主要な関心は、当初のわれわれとは異なる人間になることです。ある本を書き始めたとき結論で何を言いたいか分かっているとしたら、その本を書きたい勇気がわく、なんて考えられますか。ものを書くことや恋愛観駅にあてはまる事柄は人生についてもあてはまる。ゲームは、最終的にどうなるか分からぬ限りやってみる価値があるのです。
 わたしの専門領域は思想〔思考〕の歴史です。人間は思考する存在であります。人間の思考方法は、社会や政治や経済と関連しているが、さらに、きわめて一般的かつ普遍的なカテゴリーや形態上の構造とも関連している。しかし思考は種々の社会関係とは別の何かである。人々が実際に思考する仕方は、論理の普遍的カテゴリーでは適切には分析されない。社会と体系的な思考〔思想〕分析とのあいだには、小道、小路--多分ごく細い--があって、それこそは思考〔思想〕の歴史家がたどる小道なのです。
    --ミシェル・フーコー、ラックス・マーティン(田村俶、雲和子訳)「真理・権力・自己  --ミシェル・フーコーにきく--」、『自己のテクノロジー フーコー・セミナーの記録』岩波現代文庫、2004年、2-3頁。

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金曜日から後期の「哲学入門」の授業がはじまりました。

このところ涼しい日が続いていたのですが、今日は夏日。
大学に到着すると温度計は31度を示しており、やれやれ……なのですが、やれやれとも言っておれませんので、ゆる~く、導入の授業をして参りました。

1年生の受講者がほとんどなので……そして、これはもう毎度毎度の話にはなってしまいますが……哲学とは何ぞや、というよりも、学問を修めるとは何ぞや、という話に力点がいってしまいます。

高等学校を含めてよいと思いますが、義務教育においては、それを理解して運用していくという「学習」が要求されますが、学問は、学習とは異なります。そうした基礎的な読み書きの力を、まあ、元にはしますけれども、結局の所は、1+1=?というようなものをうめていくのではなくして、自分が「おい、これ、どうなんだよ」っていうところを、仲間や先輩の手助け、そして先達の知見に耳を傾けながら探求していく……そこに尽きるのではないかと思います。

よく、学生から「哲学には答えがありませんね」と言われますが、「答え」は問題集の模範回答集に掲載されているわけでもありませんし、教師の私が開陳するものでもありません。結果として回答集やら私が開陳したものと同じであるかもしれません。

しかし大切なのことは、自分自身で納得のいくまで探求していくことではないかと思います。

ですから、授業ではそういう示唆をたくさん準備しておりますから……

「んんん????」

……と思ったときは、スルーすることなく、「では、どうよw」とツッコミを入れながら歩み出してほしいと思います。

結局はそうすることによって、これまで身につけてきた知識や習慣、常識といったものをいったんふるいにかけながら、たとえばそれを相対化してみたり、自分自身の「コトガラ」にしていくことで、自分とは関係のない他人事であった知というものが、いきいきとしたソフィアになるのではないかと思います。

これから15回の授業、どうぞよろしくお願いします。

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覚え書:「HHhH―プラハ、1942年 [著]ローラン・ビネ [評者]佐々木敦」、『朝日新聞』2013年09月08日(日)付。


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HHhH―プラハ、1942年 [著]ローラン・ビネ
[評者]佐々木敦(批評家・早稲田大学教授)  [掲載]2013年09月08日   [ジャンル]文芸 


■迷いや不安と共に、歴史を物語ること

 歴史小説と呼ばれるジャンルは、我が国の出版界においても、一大マーケットを築いている。それは事実と関係しているが、しかしノンフィクションではない。歴史小説の作者は、資料や記録を駆使して、過去に実際に起こった出来事を描き出す、あるいは物語る。そう、それもやはり物語なのだ。つまり歴史小説に描かれた「歴史」は、当然のことながら、ほんとうの事実とは違っているし、あちこちに穴が開いている。明らかに出来なかった欠落を、作者は自らの想像力や推論によって埋めてゆく。むしろそこにこそ歴史小説を書く、そしてそれを読む醍醐味(だいごみ)があるのだと言ってもいいかもしれない。
 だが、この小説の語り手である「僕」は、自分にそのような「作者の横暴」を許すことが出来ない。彼が書こうとしているのは、1942年のプラハで実際に起こった、ユダヤ人大量虐殺の発案者にして責任者であり、「金髪の野獣」と呼ばれたナチスの高官ハイドリヒの暗殺事件である。実行犯はチェコ人のヤン・クビシュとスロバキア人のヨゼフ・ガブチーク。2人の青年は当時ロンドンにあったチェコスロバキアの亡命政府によってプラハに送り込まれる。フランス人でありながら、この事件を小説にしようと思い立った「僕」は、可能な限りの調査を尽くして、この歴史上の事件を再現しようとする。だが、すぐさまたくさんの壁が彼の前に立ちはだかる。ハイドリヒという怪物の半生と暗殺計画の経緯は、かなりの部分まで辿(たど)ることが出来た。だが、クビシュとガブチークはどんな会話を交わしたのか、2人の心境はどうだったのか、彼らを助けた名もなき人々の肖像、等々、資料にも証言にも残っていない、だが確かに存在したはずの無数の出来事、いや、「過去」そのものが「僕」を苦悩と逡巡(しゅんじゅん)に陥れる。それでも彼は書き出し、幾度となく脇道に逸(そ)れながらも、なんとか書き続けようとする……。
 この小説の独創性は、何よりも「歴史を物語ること」自体を主題にしている点にある。「見て来たように語る」のが歴史小説家の課題であり権利であるとするなら、「僕」にはどうしてもそうすることが出来ない。なぜならそれは結局のところ嘘(うそ)だからだ。すこぶる感動的なのは、にもかかわらず彼が書いてゆくこと、迷いや不安や怖(おそ)れを隠すことなく、むしろそれらと共に過去に向かっていこうとすることである。そしてこの小説は、最後についに「その日」の一部始終を物語る。それがいかなるものになっているかは、ここで述べるわけにはいかない。だが間違いなく言えることは、それが限りなく誠実で、真摯(しんし)で、繊細で、勇敢な行為であるということだ。読後、震えの来るような傑作である。
    ◇
 高橋啓訳、東京創元社・2730円/ Laurent Binet 1972年、パリ生まれ。初の小説作品の本書で、2010年度ゴンクール賞最優秀新人賞、リーブル・ド・ポッシュ読者大賞。
    --「HHhH―プラハ、1942年 [著]ローラン・ビネ [評者]佐々木敦」、『朝日新聞』2013年09月08日(日)付。

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覚え書:「首里城への坂道―鎌倉芳太郎と近代沖縄の群像 [著]与那原恵 [評者]鷲田清一」、『朝日新聞』2013年09月08日(日)付。


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首里城への坂道―鎌倉芳太郎と近代沖縄の群像 [著]与那原恵
[評者]鷲田清一(大谷大学教授・哲学)  [掲載]2013年09月08日

■調査・史料に残った戦前の文化

 明治12(1879)年の「琉球処分」と首里城明け渡しによって王国が崩壊したあと、琉球文化が衰亡の一途をたどるなか、昭和初期、空前の「沖縄ブーム」が起こり、その後一転して戦時下「本土防衛」の島とされ、王国の記憶をとどめるものの大半が戦塵(せんじん)に消えた沖縄。「本土」に翻弄(ほんろう)され続けるなかで、遺(のこ)された琉球文化の痕跡を入念に探る調査と史料収集を、16年にわたり黙々とやり通した人がいた。大正10(1921)年、美術教師として東京から赴任した鎌倉芳太郎である。
 もし彼がいなかったら、そして彼が撮りためた乾板写真と手書きで複写された史料がなかったら、首里城の取り壊しの阻止も後の復元も、紅型(びんがた)染織の技法の再生もありえなかった。が、その縁の下ともいうべき仕事は、死後30年ほとんど忘れ去られている。
 10代で両親をあいついで亡くした著者は、両親の生地、沖縄に足繁(しげ)く通うようになる。そのなかで鎌倉の存在を知り、その生涯を賭けた仕事を虱(しらみ)つぶしに調べ、宮古、八重山へとその足跡をことごとく辿(たど)りなおした。鎌倉がフィールド調査に身を捧げたのとほぼ同じ期間を費やして。
 祭祀(さいし)空間や工芸品の調査・収集、古文書や建物の設計図の筆写、そして夥(おびただ)しい人びとへの聴き取り。鎌倉の仕事はしかし、孤独の作業ではなかった。沖縄の下宿先で母のように首里の言葉と習俗を教えてくれた婦人、行く先々で助けてくれた無名の人びと、末吉麦門冬(すえよしばくもんとう)、伊波普猷(いはふゆう)ら「沖縄学」の同志、本土から後方支援した学者たち。そして彼自身の晩年の大仕事。それらの糸が、鎌倉が35年ぶりに沖縄を訪れたときに一つに撚(よ)り合わさってくる結末に、深く心を揺さぶられた。
 何かを記録しようという欲望は、その大きさ、深さに圧倒されることで立ち上がるが、著者の場合、それは自身の生存の未生と未来を探る旅でもあった。
    ◇
 筑摩書房・3045円/よなはら・けい 58年生まれ。ノンフィクション作家。『まれびとたちの沖縄』など。
    --「首里城への坂道―鎌倉芳太郎と近代沖縄の群像 [著]与那原恵 [評者]鷲田清一」、『朝日新聞』2013年09月08日(日)付。

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覚え書:「みんなの広場 本当にこのままでいいのか」、『毎日新聞』2013年09月13日(金)付。


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みんなの広場
本当にこのままでいいのか
高校生 18(埼玉県川越市)

 東京電力福島第1原発で相次ぐ汚染水漏れ事故の対応として、政府は関係省庁で作る現地対策事務所を設け、担当職員を常駐させることを決めた。
 震災後、政治家は名ばかりの組織を乱立させ満足しきっているように思える。予算の関係で汚染水を保管するタンクは、長く耐えられないほど簡易的に作られているという。なぜ頑丈な物を国を挙げて用意しないのか。その場しのぎの考えは通用しない。
 政府は汚染水対策に470億円を投入すると決めたものの、これまでどうでもいい所に金が流れて一番切迫した所に金が流れない。それなのに増税して金を集めようとしている。
 安倍晋三首相は経済強化に固執しているが、大切なものが見えていない。この自己で、この先地球環境が大きく左右されるかもしれない。腰をすえて考えねばならないこの状況で、原発輸出を進めるとはあきれてしまう。この人をトップに選んだ国民に問う。本当にこのままでいいのか。
    --「みんなの広場 本当にこのままでいいのか」、『毎日新聞』2013年09月13日(金)付。

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覚え書:「書評:海に生きる 海人の民族学 秋道 智彌 著」、『東京新聞』2013年09月08日(日)付。


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海に生きる 海人の民族学 秋道 智彌 著

2013年9月8日

◆里海めぐる人知の可能性
[評者]川島秀一=東北大教授
 著者は長年、海洋民族学や生態人類学の立場から内外の海の調査研究を続けてきた。本書は東日本大震災後初めての、海とそこに生きる海人(かいじん)について書かれた注目すべき本だ。
 随所に最新の自然科学的な知見が展開され、しかも叙述は実に理解しやすい。海にかかわる研究は総合性が必要で、特に津波や原発事故後の海の復興を考える場合、自然科学と社会科学の総合性は欠かせない。しかし、著者は「われわれは科学が万能ではないことを今回の津波から学んだ」と述べ、「自然科学と社会科学の示す数字の虚構性を追及することこそが重要」であるともうったえる。
 海の資源保持や復興で第一に考えておかなければならないことは、「森・海・里の連環」につながる自然の循環を著しく阻害しないことであるという。例えば近世の宮城県気仙沼では、湾の奥に塩田が開けていた。湾に流れ込む大川は真水を運び、良い塩ができないことから、お塩師たちが訴えて、河口の向きを現在の位置に変えた。当時の生業においては川は敵であったわけだが、森と川と海の関わりについて人々は「民俗知」として会得していた。
 津波後の海の復興は、現在のように自然科学の衣装をまとった、なかばイデオロギー化された運動としてではなく、生活に深く根ざしたものとしてどのように提示していくことができるかが、確かに今後の課題である。
 「里海」に関わる人知も海に対してどこまで可能であろうか。高知県では「黒潮牧場」というパヤオ(浮き魚礁(ぎょしょう))を作ることで確実にカツオなどの漁獲を得ることができたが、そのために高知湾でカツオの群れが減少し、大型のカツオ一本釣り漁船はこの漁場から離れている。また、三陸沿岸は僻村(へきそん)ではなく、近世にはナマコとアワビの二品(ふかヒレは近代)を交易する開かれた地域であったと述べている。このような歴史や文化を無視しても復興はあり得ないだろう。
(東京大学出版会・2940円)
 あきみち・ともや 1946年生まれ。海洋民族学者。著書『コモンズの地球史』。
◆もう1冊
 『鶴見良行著作集(9)ナマコ』(みすず書房)。徹底したナマコのフィールドワークから、アジアと日本の海の民の多様な交易を探る。
    --「書評:海に生きる 海人の民族学 秋道 智彌 著」、『東京新聞』2013年09月08日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013090802000163.html:title]


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海に生きる: 海人の民族学
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覚え書:「【自著を語る】『「大東亜戦争」期 出版異聞』 小谷汪之さん(東京都立大名誉教授)」、『東京新聞』2013年09月10日(火)付。

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【自著を語る】

『「大東亜戦争」期 出版異聞』 小谷汪之さん(東京都立大名誉教授)

2013年9月10日

◆右傾化日本に迫るあの闇
 憲法改定、集団的自衛権、尖閣・竹島と、きなくさい臭いが立ち込めてきた。それだけに、改めて戦前、特にいわゆる「大東亜戦争」の時代のことが思い起こされる。
 「大東亜戦争」期には、インドの経済や政治にかんする著書や翻訳書がたくさん出された。それは、英米との対立を深めていた日本が資源を求めて東南アジアからインドへと関心を広げていたからで、そこには反英インド民族運動への期待もからんでいた。インド史研究を「本業」とする者として、そんな戦前のインド関係の本を調べていて、一冊のちょっと奇妙な本と出会った。それはP・A・ワディア、G・N・ジョシ共著、小生第四郎(こいけだいしろう)訳『印度資源論』(一九四二年)という本で、おかしなことに、この翻訳書には原著のタイトル、出版地・出版社、出版年が記されていないうえ、訳者とされている小生第四郎という名前もそれまで見たことがなかった。
 それで、小生第四郎とは何者かと調べていくうちに、思ってもみなかった世界が眼前に開けてきた。それは堺利彦や弁護士・布施辰治の周りに群がる、学歴らしい学歴もない、文字通り「雑草」のような知識人たちの世界で、彼らのしたたかな生き方に強く関心をそそられた。『印度資源論』の版元、聖紀書房・社主、藤岡淳吉もその一人で、彼の図太(ずぶと)い生きかたを追ううちに、これら「雑草」的知識人たちが生きた戦前の出版の世界へと関心が広がっていった。
 こうしていくつにも分岐していく関心を抱え込みながら『印度資源論』の謎を追っていく過程で、小生第四郎が『印度資源論』の訳者とされていることに疑念をもち、本当の訳者は一体誰なのかという問題に接近していくことになった。それは、著書や翻訳書を自分の名前で出したくても、それができない人たちがたくさんいた「大東亜戦争」期の苛烈な思想・言論弾圧の闇の中に、『印度資源論』の真の訳者を探る作業であったが、その時、常に念頭を去らなかったのは今日の日本の極端に右傾化した政治状況だった。(岩波書店・二七三〇円)
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 こたに・ひろゆき 1942年埼玉県生まれ。東京大文学部東洋史学科卒。千葉大文学部助教授などを経て、東京都立大(現・首都大学東京)人文学部教授。2005年退職。『マルクスとアジア』『インドの中世社会』ほか。
    --「【自著を語る】『「大東亜戦争」期 出版異聞』 小谷汪之さん(東京都立大名誉教授)」、『東京新聞』2013年09月10日(火)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/jicho/list/CK2013091002000242.html:title]


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「大東亜戦争」期 出版異聞――『印度資源論』の謎を追って
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書評:渡部良三『歌集 小さな抵抗 殺戮を拒んだ日本兵』岩波書店、2011年。


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渡部良三『歌集 小さな抵抗 殺戮を拒んだ日本兵』岩波書店、読了。神は「汝殺す勿れ」と命じ、軍人勅諭は「下級のものは上官の命を承ること、実は直に朕が命を承る義」と命じた。

著者は前者を選んだ無教会キリスト者。学徒出陣で中国大陸へ渡った。度胸試しの捕虜刺殺を拒否して半殺し。その折り詠んだのが本書に収録された数々の歌だ。

著者は捕虜虐殺を拒否し、戦場では敵を殺すまいと銃弾をそらしたが、皇軍の略奪や強姦を止めることができなかった。そのことが重い自責となり、長く沈黙を続けたが、せめて孫には語りたい。衣服に縫いつけた短歌のメモを92年に私家版として編んだ。

冒頭で、抗命時の連作短歌が掲載され、以後、日本軍の作戦や出来事についてその経緯が作品とともに綴られている。学徒出陣から復員まで--。

もし自分が戦場で捕虜虐殺を命じられたのならどうするのだろうか。

読了後、雄弁に何も語れなくなった。

言うもならぬ現実(うつつ)ぞいまし演習に新平(へい)十人は一人を刺して

祈れども踏むべき道は唯ひとつ殺さぬことと心決めたり

三八銃両手(もろて)にかかげ営庭を這いずり廻るリンチに馴れ

稀有なる人間記録だ。

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歌集 小さな抵抗――殺戮を拒んだ日本兵 (岩波現代文庫)
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覚え書:「今週の本棚:村上陽一郎・評 『科学者の卵たちに贈る言葉』=笠井献一・著」、『毎日新聞』2013年09月08日(日)付。

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今週の本棚:村上陽一郎・評 『科学者の卵たちに贈る言葉』=笠井献一・著
毎日新聞 2013年09月08日 東京朝刊

 (岩波科学ライブラリー・1260円)

 ◇類稀なる生化学者の破天荒な言行録

 手塚治虫の作品に登場する「お茶の水博士」、モデルと言われるのは、自称・他称を合わせると数人ではきかないらしい。江上不二夫もときにそう言われることがある。東京大学の理学部に生物化学の教室をつくるにあたって、名古屋から招かれた学者、言ってみれば日本の生化学の生みの親の一人が江上である。ちょうど評子の年代が、その教室の第一期に当たる。今でこそ、ライフ・サイエンスと名も広げて、この分野は内外共に花盛りだが、評子と同年代の学生たちが、眼(め)を輝かせ、熱誠を漲(みなぎ)らせて、この未知の分野に挑もうとしていた有様を、昨日のことのように思い出す。そして、かれらの中心に、無二の求心力を持った江上不二夫がいた。本書は、その第三期の学生だった著者が、熱い思いを籠(こ)めて綴(つづ)った江上の言行録である。

 江上の一般向けの仕事の一つにワトソンの『二重らせん』の翻訳がある。共訳は、教室一期生の中村桂子。著者によれば、この訳業で、江上はほとんど名前を貸しただけのはず、ということだが、ここで、ワトソンは、以後この分野のかなりの研究者がそうであるように、競争相手を蹴落とし、ノーベル賞獲得競争に奔走するような研究者の「はしり」を演じている。江上は、この訳本のあとがきで、日本の科学もこれからは、こうした「たくましい科学者」が出なければならないのでは、と書いてはいるが、自分自身は、こうした科学者像に批判的であった、あるいは少なくとも自分は、そのような研究者を目指そうとはしない、と考えていた、と著者は言う。

 科学者とは、十九世紀に社会に初めて登場したときには、自然の謎を解き明かさなければ、死んでも死にきれない、と思うような、ごく僅(わず)かな、世間的な名利や成功とはおよそ関係のないところで、ひたすら研究に励む人々の謂(い)いであった。漸(ようや)く世紀後半に幾つかの大学に理学部と呼ぶべき学部も設立されたが、卒業しても、雇用機会はほとんどなく、研究費を提供してくれるところもまるでなかった。そうした科学者の本来の姿を知り、自らも、その一員であることを任じていた江上が、ワトソンのような「たくましい科学者」に出会って、将来の科学者はこうでなければ、という思いと、自分はそうではないという思いの相克のなかにあったことは、想像に難くない。そして、少なくとも今の若い科学者やその卵に、科学者の本来の姿を届けたい、という著者の思いも、切実に伝わってくる。
 しかし、この本は、もう少し別の面も持っている。江上の類稀(たぐいまれ)な科学者としての個性を明らかにするところに本書の目的があるからだ。それはある意味では破天荒とでも形容するほかはないものであった。なりふり構わず、思いついたことは、何でもしゃべってしまう、繰り返しが多く、周囲の思惑など薬にしたくもない。そうした言動のなかに、後輩たちにとって宝物と言うべきアイディアが山ほど溢(あふ)れている。誠実な実験以上の教師はない、流行を追っても仕方がない、つまらない研究なんてない、結果が得られたら必ず発表しなさい……。様々なテーマの可能性のほかに、折りに触れて語られるこうした研究指針に頷(うなず)く人も多いだろう。ただ著者に言わせれば、江上に一メートル以上近づくのは危険。早口、高音、強音の言葉と唾きのマシンガンが襲うからだ。

 小さな本だが、無類に面白いし、若い人でなくてもためになる。
    --「今週の本棚:村上陽一郎・評 『科学者の卵たちに贈る言葉』=笠井献一・著」、『毎日新聞』2013年09月08日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130908ddm015070004000c.html:title]


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覚え書:「書評:炭素文明論 佐藤 健太郎 著」、『東京新聞』2013年09月08日(日)付。


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炭素文明論 佐藤 健太郎 著

2013年9月8日

◆「驚異の元素」争奪の人類史
[評者]小林照幸=ノンフィクション作家
 百以上の元素を整列させた周期表で六番目となる炭素。元素記号Cは炭(Carbon)が由来だ。地表、海中など私たちの目に触れる範囲で炭素の元素分布(重量比)は僅(わず)か0・08%。鉛筆の芯の黒鉛やダイヤモンドは炭素原子の単体だが、著者は二酸化炭素(CO2)のように他の様々な元素と結び付く炭素を「驚異の元素」と評する。
 現在まで判明している天然及び人工の化合物はのべ七千万超。うち実に八割が炭素を含む。他の元素にはない特徴で、著者は「元素の絶対王者」「不偏不党の存在」と読者の興味を喚起する。
 炭水化物(コメ、麦、トウモロコシから得られるデンプン)砂糖、香辛料、ニコチン、カフェイン、酒類の主成分のエタノール、数々の火薬類、石油などの炭素化合物を取り上げ、これらの発見、性質、関連物質を考証し、過去、現在の各時代で炭素が人類と化学反応して不即不離の間柄を築いたことを平易な文体で検証する。
 ニコチン、カフェイン、アルコールは喫茶、飲酒といった世界的文化を生むが、農耕開始から先の世界大戦まで、人類史は食料、化石燃料はじめ炭素を含む天然資源の争奪戦の側面が強い、と考察する視座は目から鱗(うろこ)ものだ。
 大航海時代はアジア・南米の植民地からトウモロコシ、タバコ、香辛料などをヨーロッパにもたらし、日本の戦国時代は大名による水田の分捕り合戦で、第二次大戦は日独伊が油田獲得に挑んだ。先駆ける第一次大戦は石油が軍用機、軍艦の燃料となり、ダイナマイトはじめ様々の爆弾類が使われた。
 現代の地球温暖化の主原因は、空気中の二酸化炭素の濃度増加にある。これも時代との化学反応だ。カーボンナノチューブやシェールガスの本格的実用化、さらに光と二酸化炭素、日光でデンプンを作り出す人工光合成の技術開発への展望など今後についても著者は紙幅を割き、「二一世紀も炭素争奪戦の時代」と読者に伝えるのである。
(新潮選書・1365円)
 さとう・けんたろう サイエンスライター。著書『医薬品クライシス』など。
◆もう1冊
 西岡秀三著『低炭素社会のデザイン』(岩波新書)。原発に頼らずに二酸化炭素の排出量を大幅に削減できる新しい社会を構想する。
    --「書評:炭素文明論 佐藤 健太郎 著」、『東京新聞』2013年09月08日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013090802000164.html:title]


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炭素文明論 「元素の王者」が歴史を動かす (新潮選書)
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日記:画一化の傾向にたいして本能的に反発し、マジョリティーと違った意見や傾向、学問でも、芸術でも、そういったものを本能的に保護しようとする伝統


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丸山(眞男) アメリカではそういう傾向が最も極端にあるようですけれどもね、それに抵抗する要素も、さっき言ったようにあるんじゃないか。
高見(順) ありますね。その一例として、ぼくはいつも感心しているのですが、『タイム』のブック・レビュー欄。ほかの記事は、いわば歌謡曲みたいなものですよ。ところが、ブック・レビュー欄だけは実に高級です。詩集の紹介などをしょっちゅうやっていて、売れなくても高い文学の紹介につとめ、ベスト・セラーなどは扱っていない。ジャーナリズムの腐蝕力に、同じジャーナリズムの中で抵抗している。
丸山 ラスキなんかも『アメリカン・デモクラシー』の中で面白くそのことをいっている。ジャーナリズム、放送、ハリウッド映画などが、市民の意見の形成に及ぼす圧倒的な力をいろいろの例をあげて述べて、いかに自主的に判断しようと思っても、判断する材料というのは、ほとんどそうした巨大ジャーナリズムやシネマによって提供されるので、そこに知らず知らず判断の溝が出来てしまうんですけれども、その反面、まだアメリカにはノンコンフォーミズムというピューリタンの伝統が強く、画一化の傾向にたいして本能的に反発し、マジョリティーと違った意見や傾向、学問でも、芸術でも、そういったものを本能的に保護しようとする伝統は実に強いと言っているんです。
高見 日本と逆だね(笑)。
丸山 少数者の考え方、少数者の意見を何んとかして盛り立てて、そいつを保護してゆこう、そういうトラディションが失われない間は、まだアメリカのデモクラシーは健全でしょう。こいつは日本なんかとくに学ぶ点だと思いますね。むろんそれは、芸術や学問やインテリゲンツィアが社会の上に立つべしという哲人政治的な議論になってはいけない。そうでなくて、マイノリティーを押し潰さないという問題です。

※初出、『人間』鎌倉文庫、1949年12月(12月号)。
    --丸山眞男、高見順「」、『丸山眞男座談』第一巻、岩波書店、1998年、305-307頁。

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よく、日本に住むひとびとは、典型的なアメリカ人像を想起して、「ハンバーガーの食べ過ぎ、ケチャップのかけすぎのデブ」みたいなものを滑稽がりますが、果たしてその滑稽がる日本に住む人々は、その滑稽なる対象よりも「画一的」なのかどうかといった場合、現実は、より深刻な問題を抱えていると思います。

だから、すぐなにかあると、全体の方針と少しでも違うような事例があると、「そういう連中は、日本人ではない」「非国民だ」といった議論が簡単にまかり通ってしまう。特に2020年の東京オリンピック開催決定後、その論調が強くなったような気がします。

要するに「オリンピック開催を喜ばない人間は日本人ではない、〝非国民〟だ」云々かんぬん。

しかし、そういう言説が、例えば日本人という概念を創り上げるのかどうかといえば、そうではないですよね。

人種論的なアプローチで科学的にその独創性を規定することは事実上困難ですし、近代国民国家生成後、その国際的な相互認識としては、それは「情念」としての概念ではなく、〝さしあたり〟に過ぎない「機能」としての概念という意義に過ぎませんから、あくまでもそれをどこかで相対化して受容する契機が必要になりますから。

知らない間に呑み込まれた画一化という自己認識と他者認識が、実は権力にとって都合の良い人間像に過ぎず、それを刷新していこうとする挑戦を根こぎ(ヴェイユ)にしていくことに関しては、歴史を振り返れば、日本に住む人々はアメリカに住むひとびと以上に問題でしょう。

さて冒頭に掲げたのは、昭和24年に行われた丸山眞男と作家・高見順との対談です。今から半世紀以上前の対談ですし、現在のアメリカにそうした伝統が残っているのか問うてみると、いささかあやしくなることは否めませんが、それでもなお世間様に抗う良心の伝統は残っているのも事実ですので、そうした……楽天的といってしまえはそうなのですが……「デモクラシー」の「健全」さを、日本でもどこかで引き受けていかないと、知らない間に「画一化」の傾向に呑みこまれてしまうのではないかと危惧してしまいます。

もちろん、「保護していこう」というパターナリズムの善意の問題は承知しておりますが、それでもなお、盲目的に全体に回収されていくことに無頓着であることより、まだマシですし、流石丸山眞男だなと唸ってしまうのは、そうした抗う知性・良識というのがややもすると「哲人政治」に傾きガチなのが変革の歴史であったわけですから、そこに釘を差すことも忘れない。

かくありたいものです。


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覚え書:「今週の本棚・この3冊:小林秀雄=石原千秋・選」、『毎日新聞』2013年09月08日(日)付。

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今週の本棚・この3冊:小林秀雄=石原千秋・選
毎日新聞 2013年09月08日 東京朝刊

 <1>無常という事(『モオツァルト・無常という事』新潮文庫所収/546円)

 <2>常識について(角川文庫/品切れ)

 <3>考えるヒント(文春文庫/590円)

 没後三〇年記念だったのだろう、今年のセンター入試に小林秀雄が出題され、国語の平均点が下がって話題になった。予備校関係者によると、問題文を見て受験生が泣きだしてしまった会場が複数確認されているという。問題文を見て、これはひどいと思った。はじめの一字「鐔(つば)」にいきなり注がついているのだ。つまり、問題作成者は受験生がテーマとなっている「鐔」について知らないと認識していながら出題したことになる。これは非常識だ。小林秀雄がというよりも、問題文の選定がまちがっていた。

 そういう私は、高校生時代から小林秀雄の大ファンである。『本居宣長(もとおりのりなが)』が刊行されたときには、どうしても手に入れたくて、大きな書店を何軒も探し回ったものだ。今回は大物よりも、伝説の名文が収められている、私の愛読した文庫を挙げておこう。現在は、全集を出している新潮社の文庫に比較的多くの作品がある。

 『無常という事』は、何と言っても「美しい『花』がある、『花』の美しさという様なものはない」という名文(かな?)で多くの読者を悩ませた、能の「当麻(たえま)」について書いた随筆「当麻」だろう。これは、「美しい花」という存在はあるが、「美しさ」は人間が勝手に作り出した観念にすぎないから信ずるに値せず、と言っているのだろう。こういう姿勢は、「マルクス主義文学」など「様々なる意匠」にすぎないと論じた初期の評論以来一貫している。

 『常識について』は、やや軽めの随筆集。「読書について」には「人間から出て来て文章となったものを、再び元の人間に返すこと、読書の技術というものも、そこ以外にはない」という文章がある。これが、昭和と呼ばれた時代の近代文学研究を規定した。国語教科書の「学習」にも「作者の意図について考えてみよう」などという課題が必ず一つはあったものだ。平成以降の文学研究は、いわば小林秀雄的読書観と格闘することから始まった。

 『考えるヒント』で、深い感銘を受けたのは「人形」という一篇。長距離列車で、人形を抱いて一緒に食事をする老夫婦と乗り合わせた時のこと。小林秀雄は人形は亡くなった子だと察して、無言でバターを皿に載せてやるのだ。そこへ若い女性が乗ってきたが、「一と目で事を悟り」、彼女も自然に振る舞う。こういう悲しみとこういう優しさがあるのだと、人間を愛(いと)おしく思ったのをいまでも覚えている。
    --「今週の本棚・この3冊:小林秀雄=石原千秋・選」、『毎日新聞』2013年09月08日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130908ddm015070013000c.html:title]


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覚え書:「今週の本棚:若島正・評 『カッパ・ブックスの時代』=新海均・著」、『毎日新聞』2013年09月08日(日)付。


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今週の本棚:若島正・評 『カッパ・ブックスの時代』=新海均・著
毎日新聞 2013年09月08日 東京朝刊


 (河出ブックス・1575円)

 ◇ベストセラーに刻まれた「DNA」

 わたしが中学生になった一九六〇年代の中頃は、カッパがラッパを吹いているマークで知られる、光文社のカッパ・ブックスが書店をそれこそ席巻していた。当時わたしの行きつけだった本屋では、推理小説を中心としたカッパ・ノベルスが、ある書棚の大半を占め、その裏側には岩田一男の大ベストセラー『英語に強くなる本』をはじめとするカッパ・ブックスがぎっしり詰まっていた。ようやく書物に目覚めたわたしがいつも最初に手に取るのはカッパの本で、まずカッパの松本清張を全冊読んだ。その後も、六〇年代後半のカッパ・ブックス全盛期にいたるまで、どれだけカッパの本を読んだだろうか。郡司利男『国語笑字典』、多湖輝『頭の体操』、佐賀潜『刑法入門』と、思いつくままに挙げていくときりがない。それは教養主義とはまったく無縁で、本屋のいちばん目につく場所に置かれている本を読んだまでのことだ。わたしが言いたいのは、中学生にもそれほどの影響力を持っていたくらい、当時はカッパ・ブックスの時代だったという事実である。

 本書『カッパ・ブックスの時代』は、光文社に入社したときにカッパ・ブックス編集部に配属され、途中では他の部署に移りながらもふたたびカッパに戻り、二〇〇五年の終刊でいわばカッパの最期を看取(みと)った著者による、カッパに携わった編集者たちのベストセラーを生み出そうと苦闘する姿を活写したドキュメンタリーである。とりわけ印象的なのは、カッパ生みの親である、「戦後最大の出版プロデューサー」と称された神吉晴夫で、「本でも雑誌でも、いや人間でも、実用性、物語性、扇動性の三つをそなえていないと、売りものにならない」、「カッパの本は、冷たいロゴスを底にひめた温かいパトス、つまり、知性をふまえた感性、感覚、感情にうったえる」ものであるべきだという信念を持ち、岩波新書の教養主義に対抗して、著者と編集者と読者が同じ平面に並ぶような本作りを目指した。その結果として陸続と生み出されたカッパのベストセラー本は、戦後民主主義の一つの結実だと言ってもけっして大袈裟(げさ)な評価ではない。

 カッパが高度経済成長期という時代の産物であるとするなら、それが時代の変遷とともに移り変わるのもやむをえないことだろう。本書の後半は、一九七〇年に始まる光文社の労働争議から、経営破綻による二〇一〇年のリストラ騒動にいたる、一出版社のあまりにも生臭い衰亡史が綴(つづ)られている。ここが編集者物語だけでは終わらない本書のもう一つの読みどころだ。一冊の新書には、単にそれを書いた著者がいるだけではなく、編集者の努力と、さらにはその背後にある出版社の浮沈の激しい経営状態が隠されている。本書を読んでいると、そういう当たり前ではあってもふだん意識することのない事実に、わたしたち読者は初めて気づかされるのである。

 著者の新海均が繰り返し使っているのは、「カッパのDNA」という言葉だ。創刊者の神吉晴夫を生みの親として、その血を引き継いだ編集者たちは、光文社の運命とともに別の天地を求め、新出版社を設立してそこで新しい新書のシリーズを作り、ベストセラーを生み出す者もいた。そうして別の形でカッパの魂が生き続けていくところに、今後の出版文化がどのようにして支えられていくのか、一つの答えを見たような気がする。思えば、こうして感慨にふけっている、一人の読者にすぎないわたしにも、身体のどこかに「カッパのDNA」が宿ってしまったのかもしれない。
    --「今週の本棚:若島正・評 『カッパ・ブックスの時代』=新海均・著」、『毎日新聞』2013年09月08日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130908ddm015070009000c.html:title]


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覚え書:「みんなの広場 『集団的自衛権』理解できず」、『毎日新聞』2013年09月05日(日)付。


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みんなの広場
「集団的自衛権」理解できず
無職 82(北九州市)

 「集団的自衛権」の表現を理解できず抵抗を感じている。自国の防衛でもないのに何故、自衛権と呼ぶのか。今の定義では「自国が直接攻撃されなくても、自国と密接な関係にある国への武力攻撃を実力で阻止できる権利」だそうだ。
 だが、自国への攻撃とみなして他国の援助・手助けに行くという「みなし自衛」にしたものを権利と呼べるのか。憲法を改正してまでなぜ戦争に加わりたいと望むのか理解できない。
 米国が日本に軍備を持たせたくないのと、当時の首相の二度と戦争を起こさない決心とで憲法9条は生まれたと聞く。その後の東西冷戦で米国は日本を防波堤にするため基地が欲しくて、見返りに日本を守る片務的な日米協定が結ばれた。その初心を忘れ、みなし自衛を可能にしたら、米国は沖縄の基地を縮小する代わりに軍事強化をするように思えてならない。新たな局面も予想され、外に戦争しに出て行くことは間違いない。不戦・平和がいつまで保てるか心配である。
    --「みんなの広場 『集団的自衛権』理解できず」、『毎日新聞』2013年09月05日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚:中村桂子・評 『医療大転換-日本のプライマリ・ケア革命』『医師は最善を尽くしているか』」、『毎日新聞』2013年09月08日(日)付。


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今週の本棚:中村桂子・評 『医療大転換-日本のプライマリ・ケア革命』『医師は最善を尽くしているか』
毎日新聞 2013年09月08日 東京朝刊


 ◆『医療大転換-日本のプライマリ・ケア革命』=葛西龍樹・著(ちくま新書・777円)

 ◆『医師は最善を尽くしているか』=A・ガワンデ著、原井宏明・訳(みすず書房・3360円)

 ◇医療の質を上げるには何が必要かを問う

 『医療大転換』。二〇〇ページほどの本書のどこを読んでもあたりまえのことばかりだ。誤解のないように大急ぎで言うなら、この「あたりまえ」の指摘こそ重要なのである。私のような医学・医療のしろうと、つまりそれに患者(やその家族)として関わる者が、そうあって欲しいと願っている姿がここにはある。なぜか多くの場合、専門家としろうとの間にはギャップがある。医療の専門家の描き出す未来像は、最先端の科学を生かし、最新の機器を備えて行うものとなる。もちろんそれが不要とは言わないが、日常大事なのは、健康診断でちょっと怪しいと言われた時に相談に乗り、適切な対応をとって安心させてくれる医師であり、医療だ。

 「身近にあって、何でも相談にのってくれる総合的な医療サービス」、つまりプライマリ・ケアとそれを担う専門医「家庭医」の重要性を指摘し続けてきた著者は、多くの例で日本がいかにこの面での後進国であり、その結果、医療・医師への不満・不信・不安が渦まいているかを示す。一九八五年、旧厚生省に懇談会が組織され、家庭医制度が生まれそうになったが、なぜか日本医師会が反対し実現しなかった。実は今「総合診療専門医」といういかめしい名前でまた議論されているが、これが本当の「家庭医」になるかどうか怪しそうだ。

 問題は、誰もがまず総合病院へ足を向けることと出来高払いとの二つから無駄な検査、投薬、患者のたらい回しなどの問題が出ていることであり、患者も何でも大きな病院へ行く習慣を反省しなければならない。本書で紹介されるプライマリ・ケアの先進国、英国やオランダの実例に学びたい。英国の家庭医は登録者一人当たり一年につき五五ポンド、住民二〇〇〇人の地域なら約一六〇〇万円の収入になるそうだ(経費込み)。無駄な投薬の必要はない。著者は二〇〇六年から福島県立医科大学に勤務しており、東日本大震災後、プライマリ・ケアに欠ける医療の弱点を痛感したという。震災対応の医療予算が、地域医療でなく先端研究に向けられたことに違和感を抱いた者として、現場の声の必要性を思う。

 医師という人間の重要性が浮かび上がったところで、『医師は最善を尽くしているか』に眼(め)を向けよう。病院勤務医の著者は、通常医師の仕事とされる診断・治療・説明の技術以前に、人間として責任を引き受けみごとに行動することが重要であるという興味深い指摘をする。常にリスクと責任を伴う医療には、勤勉さ、正しく行うこと、工夫の三つが不可欠と言うのである。勤勉さの一例は手洗いである。全員が正しく手を洗うことでどれだけ医療の質があがるか。これがなかなか難しく医師が菌をうつす危険性は常にあるのだ。正しく……の章では、患者(特に異性)の裸とどう向き合うか、適切な医師の給料など興味深いテーマと共に、最大の難問は医学の限界を知ることだという本音が語られる。工夫の章では、嚢胞(のうほう)性線維症(遺伝病)の人の生きる時間が病院によってどれだけ異なるかという具体例から、医師たちの工夫の大切さが示され、思わず引きこまれる。

 著者は、現場でのパフォーマンス向上の重要性を説き、そこに予算が出れば医療の質はあがるのにと言う。両著共、現場の医師が医療の質をあげる方法を示し、そこへの注目を求めている。見当違いなところに予算や人間を投入しないためにも、私たちも現場を知り、自らの考えをもつことが大事だ。
    --「今週の本棚:中村桂子・評 『医療大転換-日本のプライマリ・ケア革命』『医師は最善を尽くしているか』」、『毎日新聞』2013年09月08日(日)付。

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医師は最善を尽くしているか―― 医療現場の常識を変えた11のエピソード
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覚え書:「今週の本棚・新刊:『戦後史の中の英語と私』=鳥飼玖美子・著」、『毎日新聞』2013年09月08日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『戦後史の中の英語と私』=鳥飼玖美子・著
毎日新聞 2013年09月08日 東京朝刊

 (みすず書房・2940円)

 同時通訳者から大学教育の現場へ身を投じた女性の自伝的随想に、日本が国際社会へ出て行った、輝かしい時代の歴史が刻印されている。

 最初に通訳という職業の悲喜こもごもが記された。國弘正雄、村松増美といった大先達たちの体験談は、過ぎ去った時代をほうふつとさせ、時代の変貌ぶりを実感させる。

 また、著者が優等生でなく(本当だろうか?)、外国人と自然に触れ合う環境に育ち、海外留学を経て、「偶然の積み重ね」で同時通訳者になったという回想には驚かされる。当時としては、何とも自然に社会へ出て、職業に就いたものである。

 さらに、外部からは華やかな仕事に見える通訳から、國弘が、<やがて自分の歌を歌いたくなるよ>と予言した通り、大学教員に転身したのも「偶然の積み重ね」だという。

 英語と日本人との関わりについて素直な意見も披露された。英語は、国際共通語としてコミュニケーションや相互理解のために必要であり、ネイティブ・スピーカーのような発音を目指すべきではないという主張にはホッとさせられた。さらに、現在の英語教育についてのさまざまな疑義もちりばめられている。(霧)
    --「今週の本棚・新刊:『戦後史の中の英語と私』=鳥飼玖美子・著」、『毎日新聞』2013年09月08日(日)付。

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書評:ジャン・ブリクモン(菊地昌実訳)『人道的帝国主義 民主国家アメリカの偽善と反戦平和運動の実像』新評論、2011年。


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ジャン・ブリクモン『人道的帝国主義 民主国家アメリカの偽善と反戦平和運動の実像』新評論、読了。戦争の歴史とはあらゆる美徳を動員する正当化の歴史といってよいが、その急先鋒を邁進するのが米国の人道的帝国主義。

人道的と帝国主義とはそもそも相反する原理だ。その結合で世界の警察官を自認する合衆国。本書はその欺瞞のイデオロギーと政治・経済システムの諸相を徹底的に告発する一冊だ。

現代社会を規定する植民地支配の歴史の継承者・肯定者として君臨する合衆国はやりたい放題だ。介入する理由など本来存在しない。著者は人権主義左派と自らを規定しながら、国際政治の原点に立ち返ることで対抗する。すなわち国家主権の尊重と国際法の厳守だ。

著者はオランダ・ルーヴァン大の理論物理学者。執筆動機は「怒り」であり「本書の目的は思想戦を行うこと」。随所に断言が見られるが、著者が指摘する米国中心の一元化社会の諸相は、現代世界を読み解く上で必須の一冊か。緒言はN.チョムスキーが書いている。


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人道的帝国主義: 民主国家アメリカの偽善と反戦平和運動の実像
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覚え書:「今週の本棚・新刊:『明治国家をつくった人びと』=瀧井一博・著」、『毎日新聞』2013年09月08日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『明治国家をつくった人びと』=瀧井一博・著
毎日新聞 2013年09月08日 東京朝刊

 (講談社現代新書・945円)

 憲法は英語で「constitution」だが、これは、もともと「制定」「構造」などの意味を持つ。著者はこの「本来的に動態的な概念」に着目し、明治憲法を明治国家という「国制」の動態的な成立との関わりで捉え、憲法史に新たな視野を開いてきた。高く評価された『伊藤博文--知の政治家』(中公新書)の執筆と同時期に雑誌連載した文章をまとめた本書においても、著者の目はさまざまな史料から多彩な人物の思考の跡を取り出し、斬新な読みを示している。

 例えば、幕末に西洋へ渡った人々の報告や紀行文には、英仏等の「国制」である民衆による統治に驚きをもって接し、理解に努めた様子が書き留められている。中でも議会制度や民主的裁判を補完するものとして、新聞による公論の形成が注目されていたのは印象深い。

 伊藤や木戸孝允、山県有朋といった維新の元勲とともに、村垣範正(のりまさ)や栗本鋤雲(じょうん)、箕作麟祥(みつくりりんしょう)ら従来あまり注目されなかった旧幕臣、さらにジョセフ・ヒコ(アメリカ彦蔵)、法学者のクルメツキやグナイストらの意外な人々も含め、明治の国造りを彩った人物の思想と行動が生き生きと描かれているのが魅力だ。(壱)
    --「今週の本棚・新刊:『明治国家をつくった人びと』=瀧井一博・著」、『毎日新聞』2013年09月08日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚:加藤陽子・評 『柳宗悦-「複合の美」の思想』=中見真理・著」、『毎日新聞』2013年09月08日(日)付。


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今週の本棚:加藤陽子・評 『柳宗悦-「複合の美」の思想』=中見真理・著
毎日新聞 2013年09月08日 東京朝刊

 (岩波新書・840円)

 ◇民藝の思想家に学ぶ「力強い平和論」への思考

 柳宗悦(やなぎむねよし)(1889-1961)と聞いてすぐに反応できる人は、東京は駒場にある日本民藝館を訪れたことのある方や、朝鮮の陶磁器、アイヌ・東北・沖縄の衣装や織物に関心のある方なのではないか。

 だが、この本の著者は、平和思想という独創的な一点から柳に迫った。日本人の生活に根づいた力強い平和思想とはいかなるものなのか。国際関係論を学ぶなかで、この「問い」に突き動かされた学究は、柳の多彩な活動を核として支えていた「思想の型」というべきものを長い時間をかけて掴(つか)み、この思想の型に「複合の美」との名前を与えた。

 「複合の美」を理解するためには、柳の思想の特徴を端的に示す文章をお目にかけるのが一番だろう。朝鮮総督府の建物増築のため、朝鮮王朝の正宮・景福宮の正門である光化門が取毀(とりこわ)されるのではないかと危惧した柳は、1922年9月の『改造』に「失われんとする一朝鮮建築のために」と題する文章をのせる。1910年に日本の植民地となった朝鮮の文化財保護の大切さを、本国の日本人が切実なものとして受け止めるのは難しいことだろう。ならば、柳は日本人に向け、いかなる言葉で訴えかけたのか。

 「次のように想像して頂こう。仮りに今朝鮮が勃興し日本が衰頽(すいたい)し、ついに朝鮮に併合せられ、宮城〔皇居のこと〕が廃墟(はいきょ)となり、代ってその位置に厖大(ぼうだい)な洋風な日本総督府の建築が建てられ、あの碧(みどり)の堀を越えて遙(はる)かに仰がれた白壁の江戸城が毀されるその光景を想像して下さい」(柳宗悦『民藝四十年』岩波文庫)

 柳が民芸運動を始めたのは1926年、日本民芸協会を設立したのは1934年のこと。民芸への本格的な取組みがなされる前の段階で柳は、日本国民のすべてを戦慄(せんりつ)させるようなレトリックを用い、日本の対朝鮮政策の再考を促していた。

 1920年に書かれた「朝鮮の友に贈る書」では、より明確に「私は仮りに日本人が朝鮮人の位置に立ったならばといつも想(おも)う」と書く。植民地が否定されてはいなかったこの時期において、支配者と被支配者の立場を入れ替えて想像するとの思想の型を柳が身につけられたのはなぜなのか。

 柳の蔵書整理に関わりながら、蔵書への書込みまでをも踏破した著者の見立てはこうだ。通常、アナキズムの思想家として知られるロシアのクロポトキンには地理学者の顔もあり、生物が進化できたのは弱肉強食の結果だけでなく、相互扶助の面も大きかったと説いた。助け合いは倫理上好ましいだけでなく、生物学的にも意味があったとの知見に勇気づけられた柳は、さらに思索を一歩先に進める。美醜、光と影といった対立する二元がこの世にあるのは、「音は音なきところに響き、光は光なきところに輝く」からである。世界において「一つを得んがためには二面」が必要なのだ、と。

 対立する相手があって初めて自らもあるのならば、相手の立場と自らの立場を入れ替える思考訓練にも、いっそうの臨場感が加わろう。クラウゼヴィッツも言うように、戦争を遂行するには、「燃え上がる激情」が国民の心に芽生えていなければならない。激情の火を消すのに、柳が導いた思考訓練は有効なのではないか。英雄的な抵抗運動をおこなえる人の数はいつの時代においても限られているとすれば、柳が示した平和論の間口の広さは実に心強い。

 傍観者に堕さない平和論をいかにしたら築けるのか。著者が長年向き合ってきた「問い」は、今最も必要とされる迫力ある「問い」となった。
    --「今週の本棚:加藤陽子・評 『柳宗悦-「複合の美」の思想』=中見真理・著」、『毎日新聞』2013年09月08日(日)付。

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覚え書:「みんなの広場 翼賛体制化を懸念する」、『毎日新聞』2013年09月05日(木)付。

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みんなの広場
翼賛体制化を懸念する
僧侶 98(富山県高岡市)

 参院選で圧勝した自民党は念願の改憲実現に積極的に取り組んでいる。政府で憲法解釈の公式見解を示す内閣法制局の長官を集団的自衛権の行使を容認する人物に代え、事態を一挙に前進させようとしている。
 これに対し、前長官が最高裁判事就任にあたっての改憲で、憲法9条の解釈変更による行使の容認について異議を唱えると、すかさず菅義偉官房長官が「最高裁判事の発言として非常に違和感を感じる」と批判した。安倍政権の近ごろの動向を見ていると、各種の審議会や委員会のメンバーに当局の賛成派とみられる人たちを起用し、かつての翼賛体制に改めようとしているように思われる。
 先の参院選の投票率は50%台だったにもかかわらず、あたかも国民の総意を得られたとの認識でいるようだ。その意識の傲慢さが、憲法改正に関してナチス政権を引き合いに出した麻生太郎副総理のあの発言に表れたのではないか。そう思うと、翼賛体制化を懸念せずにはいられない。
    --「みんなの広場 翼賛体制化を懸念する」、『毎日新聞』2013年09月05日(木)付。

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覚え書:「ドレのロンドン巡礼 天才画家が描いた世紀末 [著]谷口江里也 [絵]ギュスターヴ・ドレ [評者] 田中優子」、『東京新聞』2013年09月01日(日)付。


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ドレのロンドン巡礼 天才画家が描いた世紀末 [著]谷口江里也 [絵]ギュスターヴ・ドレ
[評者] 田中優子(法政大学教授)  [掲載]2013年09月01日   [ジャンル]アート・ファッション・芸能 ノンフィクション・評伝 

■近代資本主義社会へのいざない

 ギュスターヴ・ドレは一八六九-七二年のロンドンにいた。フランス人だが、故郷のアルザスはその間にドイツの支配下に入った。ロンドンで描かれたのは、産業革命の始まりの風景である。ガス工場や蒸気船や通勤列車などの新しい道具が見えると同時に、テムズ河畔で大量の荷揚げをする労働者たち、ビリングスゲートにぎっしり並ぶニシンやタラ、船着き場で働く人々、大喧嘩(おおげんか)が起こっている夜のドックの活気が、まるで映画のように立ち上がってくる。ボートレースやダービーの熱狂も声が聞こえてくるようだ。
 その一方で花やオレンジやマッチやぼろやがらくたを売る最下層の生活がリアルに描かれる。「国民国家と産業化社会というツイン・エンジンによって駆動する近代」で、マルクスが『資本論』を著し、ドレはロンドンの貧富の差を描いた。そして二人は同じ年に没した。単なるドレの版画集ではない。その背後に始まった近代資本主義社会を、著者は丁寧に案内してくれる。
    ◇
 講談社・1995円
    --「ドレのロンドン巡礼 天才画家が描いた世紀末 [著]谷口江里也 [絵]ギュスターヴ・ドレ [評者] 田中優子」、『東京新聞』2013年09月01日(日)付。

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覚え書:「書淫日記 万葉と現代をつないで [著]上野誠 [評者]鷲田清一」、『朝日新聞』2013年09月01日(日)付。


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書淫日記 万葉と現代をつないで [著]上野誠
[評者]鷲田清一(大谷大学教授・哲学)  [掲載]2013年09月01日   [ジャンル]人文 

■研究の話で笑わせる語り芸

 「書淫(しょいん)」は、著者によれば、本を読むこと、買うことに過度に傾くことで、オタクと似て内向きの幸福に浸るところがあり、つい鼻白んでしまいもする。ところが著者は、他人を歓(よろこ)ばせることで幸福感に浸るという珍しい書淫。専門の万葉研究のことでも、瑣末(さまつ)なほじくりを自虐的に描いて、逆に読者をぐいと引き込む。千年を優に超える万葉解釈のバトンリレーの一員をみずから任じ、ちょっと愉快な現代訳にも精を出す。
 そんな研究の周辺を、ぷっと噴きだすようなエピソードふんだんに書き綴(つづ)る。古事記から高橋是清の自伝、阿部定の予審調書、吉村昭の文体まで32の読書記は、美でなく笑いの絢爛(けんらん)となる。今ではほとんど知られない本も多く、それを全部すぐにも注文したくなる。語り部というより語り芸の人なのだ。自分を貶(おとし)めても人を歓ばせたい、そこのところが、私、関西人としてはちょっと切なくないでもないが。博多に住む母親の話には身を洗われる。
    ◇
 ミネルヴァ書房・2520円
    --「書淫日記 万葉と現代をつないで [著]上野誠 [評者]鷲田清一」、『朝日新聞』2013年09月01日(日)付。

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書淫日記: 万葉と現代をつないで
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他人はみなそれぞれかけがえのないものですけれども、私たちは全員の死ををひとしく哀悼することができません


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 ポワリエ 他人はみなそれぞれかけがえのないものですけれども、私たちは全員をひとしく愛することができません……
レヴィナス まさしく、それゆえに、私たちは、私が倫理的秩序あるいは聖性の秩序あるいは慈悲の秩序あるいは愛の秩序あるいは慈愛の秩序と呼ぶものから出てゆかねばならないのです。いま言ったような秩序のうちにあるとき、他の人間は、彼がおおぜいの人間たちの間で占めている位置とはいったん切れて、私とかかわっています。私たちが個人として人類全体に帰属しているということをとりあえずわきにおいて、かかわっています。彼は隣人として、最初に来た人として、私にかかわっています。彼はまさにかけがえのない人であるわけです。彼の顔のうちに、彼がゆだねた内容にもかかわらず、私は私あてに向けられた呼びかけを読みとりました。彼を放置してはならない、という神の命令です。他なるもののために、他なるものの身代わりとして存在すること、という無償性の、あるいは聖性のうちにおける人間同士の関係がそれです!
ポワリエ 質問を繰り返すことになりますが、私たちは全員をひとしく愛することができません。私たちは優先順位をつけ、判別します……
レヴィナス というのも「全員」(Tout le monde)という言葉が口にされたとたんにすべてが変わってしまうからです。その場合には、他人(l'autre)はもうかけがえのないものではなくなります。この聖性の価値--そしてこの慈悲の高まり--は、全員が同時に出現するという事態になれば、他の人たち(les autres)との関係を排除することも、無視することもできなくなります。ここで選択という問題が出てきます。私は「内存在性からの超脱」(des-interessement)を果たしながら、今度はいったい誰が際立って他なるもの(autre par excellence)であるのかを特定することを迫られるのではないでしょうか?評価(ratio)という問題が出てきます。裁きの要請が出てきます。そのときまさしく、「かけがえのないものたち」(uniques)のあいだで比較を行うという要請が、彼らを共通の種属に還元するという要請が出てくるわけです。これが始原的暴力(premiere violence)です。かけがえのない唯一性(unicite)に対する異議申し立てです。
    --エマニュエル・レヴィナス、フランソワ・ポワリエ(内田樹訳)『暴力と聖性--レヴィナスは語る』国文社、1991年。

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今年は、葬儀が多い一年で春先から、4件目になりますが、葬儀に出られないのでお通夜に参列して参りました。

現在の地に引っ越して10年の間。たまたま隣家だったことで、家族のようにおつきあいし、子供も祖父のようにかわいがってくださいましたので、一緒に参列してきました。

葬儀の度に実感する話ですが、少しだけ書きのこしておきます。これはいつも言っているとおりなのですが、建前としては、「全ての人に等しく」ありたいのですが、現実には、対象を序列化して扱わざるを得ないのが人間ということです。先験的な善し悪しや、そのことに無自覚でよしとするのではありません。

お前が薄情ものだろうと人間主義を気取ってもはじまりませんし、人間とはそういうものなのさと気取ってもはじまらないのですけどね。

どこから人間をはじめるかといえば、そういう極端なところに定位してはじまるのではないという話です。葬儀に対する異なった感情は端的にその消息を物語っているのではないかと思います。

例えば、会社で部下が葬儀で急に欠勤するとなったら、上司は月並みに人並みに弔いの念は沸いてくるとは思います。しかし、同時に、それ以上に、「ああ、彼が休む。シフトがやばいな」などとも思うし、参列する方は参列する方で「つき合いで参列めんどくさい」というのもある。

それを「非人間的か」と誰何されれば違う訳でね。

今回の葬儀もまさにそういう複雑な感情と向かい合わざるを得ませんでした。つまり、俗に、家族・親族は特別な「絆」の共同体であり、それ以外は「さしあたりの人間関係」にすぎないか言われればそうではないということ。

形式から言及すればものすごくお世話になった方ですから「行かざるを得ない」葬儀でありますので、参列しますが、家族であっても「行かざるを得ない」葬儀であったとしても、前者の方が弔いの念が「強く」、後者の方が「弱い」場合もあるということ。春先に実家の祖母の葬儀がありましたが、明らかにリソースの注ぎ方は違いましたよね。

こういうところを判断していくと、レヴィナスが「他人はみなそれぞれかけがえのないものですけれども、私たちは全員をひとしく愛することができません」という質問について、平板な善意のような人間観だけ人間存在を認識してもはじまらないしそうではないというパラドクスに言及しておりますが、それは、愛という側面だけでなく、死に関しても、人は序列化して扱っているのは間違いない。

まさに薄情者vs人間主義というすっぺらいイデオロギー対立の喧噪のなかに人間は存在しているのではないと思う。善し悪しを先験的な立場から判定するよりも、そこから、ではどういう風に組みたてていくのかということが問われているような気がする。

その人間の存在を規定する認識に振り回されて終わりとするのか、それとも、そういう規定を自明のものとさりげなく落とし込む構造を理解するだけでなく、ダブルバインドに満ちた存在が人間であることを自覚してから、さてどうよ、というステップが必要なんだよな、……などと思うのですがね。

人間は、俗に排他的特権的な共同体と措定される家族共同体よりも、大事な相手であると措定することもあるのは事実なんだろうと思う。しかし、それは「ナチュラルではない」と断定など、おそらくはできない。家族社会学の知見に従い、近代家族そのもののフィクション性からもわかる通りですが。

勿論、家族に関する事柄で、「そんな嘘っぱちやから、全部放置プレーでok」という短絡ではありませんが、人間がそういうものである以上、全部を家族に還元してことたれりとする発想にはいかがわしさは感じざるを得ない。例えば、イデオロギー性にまみれたエセ科学に過ぎない親学に共感するみたいなw

無責任を気取ったり、問題を指摘して鬼の首をとる必要はないと思うけど、「これぞ、人間としてナチュラルだ」/「これぞ、人間として非ナチュラルだ」という発想からは、どこかで訣別していかないと、都合のよい「さしあたりに過ぎない」人間観に、生きた人間の身の丈を合わせることになってしまうのぢゃないのかねー。

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覚え書:「特派員ルポ―サンダルで歩いたアフリカ大陸 [著]高尾具成 [評者]小野正嗣」、『朝日新聞』2013年09月01日(日)付。


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特派員ルポ―サンダルで歩いたアフリカ大陸 [著]高尾具成
[評者]小野正嗣(作家・明治学院大学准教授)  [掲載]2013年09月01日   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 

■ひとつながりの希望と絶望

 2008年3月、毎日新聞記者の著者は、南アフリカのヨハネスブルクに赴任する。以後4年にわたって、この広大な大陸の10近くの国に足を運んだルポが本書である。
 6月には横浜でアフリカ開発会議が開かれ、この「最後の巨大市場」への経済的な関心は高まるばかりのようだ。だがいま一つそこに暮らす人々の姿が見えてこない。
 本書の良さは、南アフリカであれば、サッカーのW杯をめぐる喧噪(けんそう)、ウガンダであればテロや少年兵など痛ましい問題、ジンバブエであれば大統領選挙での国内対立など、各国が抱える主要トピックを、現地の人々の〈声〉に耳を澄ませながら浮かび上がらせているところだ。
 アフリカには、貧困、エイズ、内戦のイメージがつきまとう。あるいは大自然、野生動物といった紋切り型。むろんそうした現実もある。だがそれが決して〈すべて〉ではないことを、履いていたサンダルがボロボロになるまで著者が聞き歩いてきた人々の〈声〉が物語っている。
 ジンバブエでは報道規制と年率10万%(!)のハイパーインフレに悩まされながら取材を続ける記者魂。マンデラ元大統領を語る言葉はまっすぐな敬意に満ち温かい。
 それにしても著者の〈つながる力〉はすごい。来日したジンバブエ首相に故郷の村に住むその母親の写真を渡し、「お前、いつ行ったんだ!」と感動させる。リビアで内戦を取材中に「3・11」を迎えた著者は、反カダフィ派の義勇兵たちから「日本は必ず立ち上がる」と励まされる。
 ルワンダで大虐殺を経験した生存者を取材した際に著者の脳裏をよぎるのは、長年取材してきた広島の被爆者たちの姿であり言葉である。そしていま著者は被災地・釜石に赴任している。希望は絶望とひとつながりであり、悲しみや怒りや苦悩を経ているから笑いや喜びは尊い。そこにアフリカも日本も違いはない。
    ◇
 岩波書店・2625円/たかお・ともなり 67年生まれ。91年、毎日新聞に入社。08年度ボーン・上田記念国際記者賞。
    --「特派員ルポ―サンダルで歩いたアフリカ大陸 [著]高尾具成 [評者]小野正嗣」、『朝日新聞』2013年09月01日(日)付。

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特派員ルポ サンダルで歩いたアフリカ大陸
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覚え書:「世界が認めたニッポンの居眠り 通勤電車のウトウトにも意味があった! [著]ブリギッテ・シテーガ [評者]萱野稔人」、『朝日新聞』2013年09月01日(日)付。

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世界が認めたニッポンの居眠り 通勤電車のウトウトにも意味があった! [著]ブリギッテ・シテーガ
[評者]萱野稔人(津田塾大学准教授・哲学)  [掲載]2013年09月01日   [ジャンル]社会 

■会議でも目をつぶる仮眠の国

 パリに留学中、私はよく地下鉄の車内で居眠りをしたが、あるとき、車内で眠っている人は他に誰もいないことに気がついた。地下鉄だけではない。カフェでうとうと眠ってしまうと、すぐにウエーターがきて「大丈夫ですか」などときいてくる。どうやらカフェで眠るのはご法度らしい。大学の授業でも居眠りしている学生は見当たらない。何人もの学生に「授業中に居眠りすることはないのか」ときいたところ、全員から「ない」という返事がきた。小中高の授業でも居眠りする人はいないという。要は、他人がみている環境のなかで眠るという発想そのものがないのである。
 そうした常識をもつ多くの欧米人にとって、電車内でも授業中でも喫茶店でも会議中でも居眠りをする日本人の姿は驚きの対象にちがいない。本書はその居眠りを、表題から予想されるものとは異なり、社会人類学的にまじめに考察した本である。
 それによると日本の社会は、夜間の睡眠時間が比較的短く、昼間に各自がうたた寝や居眠りをする仮眠文化圏に属する。これは、一日の睡眠が夜間の一回だけで、睡眠そのものがプライベートな領域に閉じ込められた、ヨーロッパなどの単相睡眠の社会と著しい対照をなす(中間にシエスタ=昼寝文化圏がある)。日本では睡眠時間が短いことが勤勉さの証(あかし)とされる一方で、会議中などでの居眠りに比較的寛容なのはそのためだ。
 睡眠は一日のうちでもっとも時間をかける活動の一つである。だから、ある社会の睡眠のとり方について考察することはそのままその社会の時間のつかい方やそれをめぐる規範意識を考察することにつながる。私たちが日ごろ当然のようにおこなっている居眠りを考察することが、ここまで日本社会の特質をあぶりだすことになるのかということを発見させてくれる、とても知的で楽しい本だ。
    ◇
 畔上司訳、阪急コミュニケーションズ・1785円/Brigitte Steger 65年生まれ。英ケンブリッジ大准教授。
    --「世界が認めたニッポンの居眠り 通勤電車のウトウトにも意味があった! [著]ブリギッテ・シテーガ [評者]萱野稔人」、『朝日新聞』2013年09月01日(日)付。

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覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 人材育つ環境、大局的に=湯浅誠」、『毎日新聞』2013年09月04日(水)付。

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くらしの明日
私の社会保障論
人材育つ環境、大局的に
「世界一企業活動しやすい国」に危うさ
湯浅誠 社会活動家

 派遣労働に関する厚生労働省の研究会の報告書が出た。規制の対象をこれまでの「業務」単位から「人」単位に切り替えて、人を入れ替えれば半永久的に、ある業務を派遣に任せられる仕組みにするという。労働政策審議会の審議を経て、来年の通常国会で法改正を目指す予定だ。
 安倍晋三首相は、日本を「世界一、企業が活動しやすい国にする」と宣言しているので、その方向で議論は固められるだろう。国会の「ねじれ」も解消し、どんな法案でも、基本的には与党の望むものが成立する。
 農林業や商店主などの自営業は衰退し、社会的起業といった新しい事業形態も芽吹いたばかり。多くの人は、雇われない限り、暮らしが成り立たない。個人やその家族の生活は「会社あってのもの」だ。そのため、個人やその家族の暮らしを守ろうとすれば「とにかく雇用を増やすことが先決」となり、企業の嫌がる規制は、たとえ労働者を保護する規制であっても撤廃すべきだ、という理屈が、大きな説得力と浸透力を持つ。結果として、働く人たちは自分の雇用を守るために、自分の給料が減るのを受け入れる選択--家族のために家を不在にして、長時間労働や単身赴任をする選択をせざるを得なくなる。
 不平や不満はあるだろう。だが、そこで何とかやりくりするのが、働く者としての、生活者としての技量の見せどころだとも言われる。「逆境を乗り越える力が必要だ」と。
 「ちょっと待てよ」と思う。
 先日、ある自動車メーカーでF1エンジンから軽自動車の設計に転じた人が「決められた規格で勝負するのは、F1も軽も同じだ」と語っていた。自転車を乗せられる軽自動車を開発するため、エンジンルームを9センチ縮めるイノベーション(技術革新)を実現したそうだ。彼は「軽自動車の規格を撤廃すべきだ」とは言っていなかった。
 ある電機メーカーの元人事担当者が「リストラは麻薬だった」と述べていた報道も見た。一時的には人件費が減って業績が上がるが、人材が流出し、残った人も勤労意欲をそがれて企業の成長力が減る。そして、企業はまたまたリストラに頼る。「常習性が出てくるんですよ」と。
 大切なのは、人の力を高め、職場の力を高め、一定の制約の中でもイノベーションを起こしていくことのはずだ。「ルールのせいで勝てない」と安易な打開策ばかり進めても、イノベーションは起こらない。人を擦り切れさせていってしまったら、逆効果でさえある。
 「世界一企業活動のしやすい国」が、「世界一人材が育たず、人々が疲弊しきり、イノベーションの起こらない国」とならないよう、長期的・大局的な観点からの検討を望みたい。

ことば 派遣労働の見直し
 厚労省研究会の報告は、現行制度では専門業務以外の仕事を派遣に任せる場合は3年が上限だったのを、3年で人を交代させれば、派遣社員を使い続けられるようにする内容。人件費の高い正社員を派遣に置き換える動きが出る可能性がある。
    --「くらしの明日 私の社会保障論 人材育つ環境、大局的に=湯浅誠」、『毎日新聞』2013年09月04日(水)付。

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覚え書:「雑誌の王様 評伝・清水達夫と平凡出版とマガジンハウス [著]塩澤幸登 [評者]いとうせいこう」、『朝日新聞』2013年09月01日(日)付。


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雑誌の王様 評伝・清水達夫と平凡出版とマガジンハウス [著]塩澤幸登
[評者]いとうせいこう(作家・クリエーター)  [掲載]2013年09月01日   [ジャンル]政治 社会 

■天才的な編集者の時代の証言

 『平凡』『平凡パンチ』『アンアン』『ポパイ』『ブルータス』などなど、時代を先駆けた雑誌を作り続けてきたマガジンハウス(平凡出版から1983年に社名変更)。そこに清水達夫という天才的な編集者がいた。
 本書は清水と共に「出勤時間も取材費の精算も仕事の進め具合も服装も自由、食事代は会社の負担」という驚くべき雑誌の王国を作り出す岩堀喜之助たち、戦後の個性豊かな出版人の来歴、発言を丹念に追う。同時に、著者の雑誌論も強く打ち出されるから、編集に興味のある者、携わる者には必読の書だろう。
 特に清水の先見性、編集方針のブレなさは学ぶべき点だらけで、新雑誌創刊によって「社会の文化の質や構造、大衆の生活内容まで作りかえてしまう」こと、マーケティングよりは「身近な誰かをモニターにする」こと、「雑誌は表紙だ」など、のちにファッション雑誌などの常識になっていくことが清水の哲学によって古くから導き出されていた様を、著者は描き出す。
 そして、広告収入が販売収入を上回る「八十年代の中ごろ」から、出版界全般で雑誌がマーケットの後追いになっていく姿も。つまり雑誌が売れなくても広告で収益が上がるシステム以降のことも。
 こうして、本書は清水達夫の精神を克明に浮かび上がらせながら、木滑良久、石川次郎と続く編集人脈を写し出し、同様に時代を伴走したスターや文学者のエピソードにもすいすい寄り道する。その筆致はまさに雑誌的である。
 評者である私も、実は雑誌編集から仕事を始めた。先輩に「雑多な情報をうまくまとめるから雑誌なんだ」とよく教えられた。だからなのか、本書を読みながら、先輩編集者から教えを乞うような気分が続いた。楽しく味わい深い時間だった。「雑誌が王様」だった時代の、それは貴重な証言であり、これから再び王国を作る時の忠告でもある。
    ◇
 河出書房新社・3150円/しおざわ・ゆきと 47年生まれ。作家、編集者。70年に平凡出版に入社、01年に退社。
    --「雑誌の王様 評伝・清水達夫と平凡出版とマガジンハウス [著]塩澤幸登 [評者]いとうせいこう」、『朝日新聞』2013年09月01日(日)付。

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雑誌の王様 ---評伝・清水達夫と平凡出版とマガジンハウス
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覚え書:「民族衣装を着なかったアイヌ―北の女たちから伝えられたこと [著]瀧口夕美 [評者]三浦しをん」、『朝日新聞』2013年09月01日(日)付。

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民族衣装を着なかったアイヌ―北の女たちから伝えられたこと [著]瀧口夕美
[評者]三浦しをん(作家)  [掲載]2013年09月01日   [ジャンル]文芸 


■それぞれの語りに耳を傾ける

 本書は、アイヌの母と日本人の父とのあいだに生まれ、阿寒湖のお土産屋さんで育った四十代前半の著者が、自らのルーツとアイデンティティーについて真摯(しんし)に考えた記録だ。
 著者は、親戚をはじめとするアイヌの人々、樺太の少数民族ウイルタの老女など、さまざまなひとから話を聞く。冬の川の様子。サケ漁や狩猟の思い出。夫婦や家族の歴史。語り手たちの人柄が生き生きと伝わってきて、読んでいて何度も笑い、涙した。
 かれらの語りや、著者がたどる先祖の足跡から浮かびあがるのは、明治期以降の「同化」政策と戦争がもたらした影だ。アイヌだけでなく樺太に住む少数民族も、日本語を話し、日本式の生活をしなければならなくなった。
 しかし同時に、かれらは強制的な「日本化」に静かに激しく抵抗し、民族の言葉や文化風習を決して捨てなかった、という事実も浮かびあがってくる。著者の曽祖父は同胞と会い、ほとばしるようにアイヌ語でしゃべりだす。それまで家族ですら、彼がアイヌ語を話せることを知らなかったのに。「アイヌは滅んだのではなくて、生活スタイルを変えながら今に至ったのだ」と著者は言う。
 「自分とは」「民族とは」と常に問いつづけなければならない苦しみは、私などが察しきれるものではないと思うが、しかし本書を読んで、その一端を知り、感じることはできた。決して声高にならず、「アイヌ」や「少数民族」と大雑把にくくることなく、そのひとそれぞれの語りに耳を傾け、熟考し、感じ、書物の形で我々に届けてくれた著者のおかげで。
 親子、言語や文化、歴史について、改めて考えるきっかけにもなる、普遍性を持った一冊だ。アイヌの老女が語る壮絶すぎる夫婦げんかなど、笑い事ではないが笑ってしまう話も随所にある。一読を強くおすすめしたい。
    ◇
 編集グループSURE(電話075・761・2391)・2625円(送料210円)/たきぐち・ゆみ 71年生まれ。
    --「民族衣装を着なかったアイヌ―北の女たちから伝えられたこと [著]瀧口夕美 [評者]三浦しをん」、『朝日新聞』2013年09月01日(日)付。

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日記:精神主義の反対物への転化は、一方、形式主義に転化し、他方では物質主義に転化する

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丸山 精神主義の反対物への転化は、一方、形式主義に転化し、他方では物質主義に転化するわけです。というのは、例えば入営するといろいろ備品があてがわれる。靴なんかは大中小、三つぐらいしか種類がない。しかも中が一番多いので、あとから配給になると、合わないものも出てくるわけだが、そういう場合でも「少し小さいが我慢してはけ、そのうち足の方が小さくなる」というようなことをいう(笑)。あれは、一つは精神的な訓練なんだけれども同時に、軍需品はマスプロダクションでもって規格的に作り、規格に人間をあてはめる。人間が道具を使うのじゃなく、規格の中に人間がむりやり入らされる。「軍隊は員数だ」ということになるわけで、それがもっと甚だしくなると、よく厩なんかの前につれて行って、お前達は郵便一本で来るけれども、この馬は何千円だぞというように、人間の生命というものが、動物以下、更に物質以下に評価される。そういったことがまさに精神主義の帰結として出てくるということ、この逆説が面白い。
※初出、『知性』国土社、1949年6月(6月号)。
    --丸山眞男、大岡昇平、亀島貞夫、野間宏「日本の軍隊を衝く」、『丸山眞男座談』第一巻、岩波書店、1998年、183-184頁。

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戦前日本の軍隊の特徴とは、ビンタと着剣特攻の玉砕に見られるように「精神主義」だとよく指摘され、まさにその通りなのですが、精神主義だけなのかというとそうでもないでしょう。

そもそも、規律と規格をもった高度に組織化された団体としての近代国家の「軍隊」とは、精神的なるものだけでは運用は難しいのもその実で、形式主義(規律)と物質主義(規格)がその枠組みを作っていることは自明の前提ですから、たとえば、アメリカの軍隊は、形式主義と物質主義の運用に成功して、日本の精神主義をうち破った……のように断言することは、いささか早計ではないかと思います。
※もちろん、日本の精神主義をアメリカの物量主義がうち破ったのは事実ですが。

その意味では、単純な対比で、あちらを立てて、こちらを立てないという図式で満足するのではなく、精神主義と形式主義や物質主義がどのように交差していくのかを見きわめることが重要になってくる。

さて、うえの対談は、丸山眞男を含め、徴兵経験のある文化人が「日本の軍隊」とは何だったのか、例えば「ミリタリズムそのものとは何か」「蛮行を合理化するもの」等々を具体的に論じたものですが、そのなかで、丸山は興味深い指摘をしております。

まさに冒頭の一節に見られる「精神主義の反対物への転化は、一方、形式主義に転化し、他方では物質主義に転化する」というところ。

ちょうど合う靴のサイズがないから「少し小さいが我慢してはけ、そのうち足の方が小さくなる」というのはまさに「精神主義」。しかし、靴のサイズを用意しないのは「形式主義」であり「物質主義」の帰結。

この逆説の問題は、おそらく、こと軍隊だけに限定されるものではないでしょう。


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覚え書:「書評:思想課題としての現代中国 革命・帝国・党 丸川 哲史 著」、『東京新聞』2013年9月1日(日)付。


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思想課題としての現代中国 革命・帝国・党 丸川 哲史 著

2013年9月1日

◆近代化への欲望 読み解く
[評者]羽根次郎=愛知大助教
 領土問題とは恐ろしいもので、自国領有権への無条件承認という厳しい踏み絵を国民に迫る。子どもの頃に大人から言われた「喧嘩両成敗(けんかりょうせいばい)」の道徳は何だったのかと首を傾(かし)げたくなる。相手の言い分に耳を貸すことすらしない、そんな不道徳な相互不信が「愛国」に映る状況をどう考えるべきなのか。
 本書ではその「相手の言い分」が、思想的レベルに濾過(ろか)して紹介される。しかも、領土問題は議論の契機であって、行論の射程は中国そのものを問う水準-中国とは単なる一国家なのか?に達している。国家とは「外部」からの影響の中で歴史的に形成されるものである以上、歴史と対外関係への探求に紙幅が割かれている。
 日本の言論空間では近代とは批判の対象として扱われがちである。しかし、(半)植民地経験を持つ発展途上国にとり、近代化とは歴史と民衆の期待の産物である。中国では、民族的自己改造たる近代化が「救国」をもたらす、という政治経済双方を貫くテーゼの実現者こそ「党」であった。一方、「救国」の国土保全は清代の版図継承という帝国的課題と表裏の関係にあった。帝国特有の多元的な社会を結合するには、抽象性の高い政治言語、つまり「帝国」の言語を「革命」が引き受けざるをえなかったと考える本書の文化政治分析は面白い。
 さらに、「党」を近代化のエンジンと見なす慧眼(けいがん)によって、「中国革命」とは政治目的にとどまらぬ近代そのものへの追求であったと論じられているのも新鮮だ。中国国民党と中国共産党とを同一地平で議論しうることで脱構築されていく中国像は、中国にとっての「領土=主権」の意味を近代化の観点より理解する必要を読者に気づかせてくれる。それは領土問題のみならず、文革や天安門事件をはじめとする多種多様の問題を理解するための新しいモデルをも読者に提供している。中国へのアクチュアルな関心を持つ読者にぜひ薦めたい一書である。
(平凡社・2940円)
 まるかわ・てつし 1963年生まれ。明治大教授。著書『魯迅と毛沢東』など。
◆もう1冊 
 汪暉(ワンフイ)著『世界史のなかの中国』(石井剛ほか訳・青土社)。文革・琉球・チベットという視野から中国の歴史や日中関係を考える。
    --「書評:思想課題としての現代中国 革命・帝国・党 丸川 哲史 著」、『東京新聞』2013年9月1日(日)付。

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覚え書:「書評:文学のことば 荒川 洋治 著」、『東京新聞』2013年9月1日(日)付。


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文学のことば 荒川 洋治 著

2013年9月1日

◆くもりない目で見る
[評者]渡邊十絲子(としこ)=詩人
 いいまわしに凝っていて、情緒的。感覚の繊細さをほこるように、こまやかな描写がつづく…。世間的に、<詩人の書く文章>といえば、そんなイメージだろう。しかし荒川洋治の文章はちがう。情緒的な湿度はどこまでも低く、自己満足におちいりがちなこまかい感覚描写も遠ざけている。
 それはつまり、ストイックで的確なことばを選びつづけることによって、そのような自己をつくろうとしている、ということである。人はよく、文章には書き手の人がらがあらわれると思っているが、事実は逆で、書くことばの性質がその人の人格をつくっていく。
 虚飾のないことばを書いているから、ものを見る目にくもりがない。率直で簡潔だ。本書に収められたひとつひとつのエッセイはごく短い。テーマはいま昔の詩や小説であり、またテレビや新聞についても書いている。世の中のあらゆることばに目を届かせようとしているのだ。
 「顔色を見ながらすべてをまわりに合わせる、いまのような時代」。著者は世の中をそのようにとらえている。でも厭世(えんせい)的なことは書かない。役者がすてきだ、テレビドラマがおもしろい、昔の本が自分の心を照らす、というふうに書く。さまざまな話題を通じて、ひとりの詩人がこの世界を好きになろうとしている姿勢が浮かびあがってくるようだ。
 (岩波書店・1890円)
 あらかわ・ようじ 1949年生まれ。現代詩作家。著書『昭和の読書』など。
◆もう1冊 
 水村美苗著『日本語が亡びるとき』(筑摩書房)。豊かな文芸を生んできた日本語が英語の時代に衰退する問題を議論。
    --「書評:文学のことば 荒川 洋治 著」、『東京新聞』2013年9月1日(日)付。

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Go to the people


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Go to the people
live among them
love them
learn from them
start with what they know
build on what they have

But of the best leader
when the task is accomplished
the work is done
people all remark
we have done it ourselves
晏陽初(Yen Yang Chu)


南原繁研究会での印象録を少し残しておきます。

先の研究発表会では、結核予防会結核研究所所長・石川信克「国際医療協力の平和論的意義ーアジア・アフリカでの体験」から始まりましたが、石川所長が結核医療活動のなかで、大切なのは、「プログラムを持っていくのではない、プロブレムを発見するのだ」と語っていた点です。

氏は、大学院の教育現場でもこの言葉を大切にしているという。

そして、国際貢献の理想的ありかたとして、近代中国の平民教育・農村建設運動の指導者・晏陽初の詩を紹介されておりましたがこのところにつきるのでしょう。

南原繁研究会で僕が一番感動したのは、がん哲学外来や結核予防会結核研究等々……国内外の医療現場の話に見られるそれですが、南原繁の思想を活かしていこうという草奔の人々が存在し、そうした他者と関わっていこうという取り組みを試行錯誤しながら自ら行っていることです。

誰かに頼まれたとか、組織化された上意下達ではなく、啓発を受けた一人一人が動いている。その目標が素晴らしく、だれしもそうしたほうがいいようなことであったとしても、それが強制や号令によってなされてしまうのであれば、最終的には本来掲げたものとまったくことなる地平に着地することの方が多いことを勘案するならば、これはすごいことだと思います。


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晏陽初―その平民教育と郷村建設
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覚え書:「今週の本棚:沼野充義・評 『言語学の教室-哲学者と学ぶ認知言語学』=西村義樹、野矢茂樹・著」、『毎日新聞』2013年09月01日(日)付。

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今週の本棚:沼野充義・評 『言語学の教室-哲学者と学ぶ認知言語学』=西村義樹、野矢茂樹・著
毎日新聞 2013年09月01日 東京朝刊

 (中公新書・882円)

 ◇心の仕組みが生む「言葉」を見つめ直す

 世の中には、言葉に興味を持つ人は多くても、言語学と聞くと、敬遠したがる向きが少なくない。確かに言語学といえば、聞いたこともない珍しい言語を調べたり、複雑きわまりない文法の規則を吟味したり、数学も顔負けの込み入った式を使って文の構造を分析したり。素人にはなかなか足を踏み入れられない領域と思われてもしかたない面がある。

 しかし、本書はそういった言語学のイメージを一新するような楽しい入門書だ。認知言語学を専門とする西村義樹氏に、哲学者、野矢茂樹氏が生徒役になって聞くという対話の形で進められるので、とても読みやすいが、同時に言語を使う人間の心の働きについて深く考えさせられる内容になっている。野矢氏は先人の学説を解釈するだけの研究者ではない。心と言語について独創的な論を切り拓(ひら)きながら、それを平易な言葉で語れる本物の哲学者である。彼が鋭いつっこみを入れると、真面目な言語学者がすべてについて緻密に対応していく。わくわくするような学問的対話がたっぷり味わえる。

 具体的な例を挙げよう。日本語には、「雨に降られた」といった言い方がある。一種の受身の文だが、英語では同じような受身の文は作りにくい。「降る」が自動詞だからである。こういった「間接受身」は日本語の特徴の一つで、被害や迷惑をこうむったときに日本人の口から自然に出てくる構文だろう。ところが、西村氏によれば、日本語を学ぶ外国人は、間違った類推をして「昨日財布に落ちられました」などと言うことがあるという。これは日本語として明らかにおかしいが、どうしてなのか?

 他にも面白い例が満載だ。「がんが毎年、数十万人の人を殺している」といった、無生物主語による「使役構文」の翻訳が、どうして日本語では自然に響かないのか? 私からも例を一つ付け加えれば、アメリカで煙草(たばこ)を買うと「喫煙は殺す」(Smoking kills)と書かれていてびっくりする。その違和感の原因は警告があまりに単刀直入であるだけでなく、構文が日本語に馴染(なじ)まな

 まだ、いろいろある。「西村さんが公園の猫に話しかけてきた」という文は、日本語としてどうしてなんとなく変なのか? 東京大空襲で焼け野原になったところを視察した天皇に、人々は自分の家を焼かれたのにもかかわらず、なぜ「陛下、みんな焼いてしまいまして、ほんとうに申しわけありません」(堀田善衛による)などと、自分の責任であるかのような言い方をしたのか? 「冷たいものが歯にしみる」と言うのが正しいはずなのに、どうして「歯がしみる」とも言えるのか。「自転車をこぐ」「トイレを流す」などと平気で言うが、本当はこぐのはペダルだし、流すのは水ではないか(トイレを本当に流してしまったら大変だ!)、等々。

 本書はこういった問題に認知言語学の立場からアプローチし、文法と意味、カテゴリーとプロトタイプ、使役構文、メトニミー(換喩)とメタファー(隠喩)といった話題について議論していく。認知言語学といっても多くの読者にはまだあまり馴染みがないかもしれない。それもそのはず、言語学の中でも比較的最近、一九八〇年代末から急速に発展してきた新しい分野である。それ以前の学界の主流であった生成文法は、統語論を中心に、人間の持つ普遍的な言語能力を科学的に究明するための道を切り拓く革命的なものだったが、意味の分析は得意ではなく、言語能力を独立した心的器官と見なしたため、人間の心の働き全般と言語を有機的に関係づけることに無頓着だった。

 それを批判して出てきたのが認知言語学であり、西村氏によれば、認知とはまさに「人間の心の仕組み」に他ならない。生きた人間の心に一歩近づいた言語学、それが認知言語学とも言えるだろう。生成文法が否定してきた言語相対論--言語が思考に何らかの影響を与え、それが文化の違いにもつながってくる、といった当然の考え方--にも新たな光を当てることができる。だから平易に解説してもらえると、こんなに面白いのだ。

 そういえば、最近、日本の政治家の言語の劣化が目立っている。「イスラム教国は互いに喧嘩(けんか)している」「(米兵は)もっと風俗を活用してほしい」「(憲法改正の議論に関して)ナチスの手口を学んだらどうかね」--呆(あき)れるような「失言」のオンパレードで、すぐに社会の批判にさらされ、「真意が理解されなかった」などという、見え透いたその場しのぎの苦しい言い訳が繰り出されることになる。しかし、発言の元にある「心の仕組み」が直るわけではない。フロイトによれば言い間違いというものは、そもそも深層心理のなせる業である。

 そして、失言をいくら訂正したところで、結局のところ最後まで人々の記憶に残るのは、ハムレットではないが「言葉、言葉、言葉」なのだ。いったいどんな心の仕組みがそういった言葉を生み出しているのか、しっかりと見つめたいものだ。こういう優れた入門書を熟読しながら。
    --「今週の本棚:沼野充義・評 『言語学の教室-哲学者と学ぶ認知言語学』=西村義樹、野矢茂樹・著」、『毎日新聞』2013年09月01日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130901ddm015070005000c.html:title]

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言語学の教室 哲学者と学ぶ認知言語学 (中公新書)
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覚え書:「今週の本棚:伊東光晴・評 『里山資本主義』=藻谷浩介、NHK広島取材班・著」、『毎日新聞』2013年09月01日(日)付。

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今週の本棚:伊東光晴・評 『里山資本主義』=藻谷浩介、NHK広島取材班・著
毎日新聞 2013年09月01日 東京朝刊


 (角川oneテーマ21・820円)

 ◇バイオマス発電にみる林業再生への光

 多くの人に読んでもらいたい本である。ひとつの中心は、第一章と二章。NHK広島放送局のディレクター夜久恭裕氏の筆になるものである。

 日本の製材業は衰退し続けている。輸入材におされ、国産材は振るわず、日本の森は荒れている。こうした中で、岡山県の山あいにある真庭市の従業員200人の製材所にスポットが当てられる。社長の中島(なかしま)浩一郎さんの奮闘である。

 製材にともなう木くずを利用し、バイオマス発電を試みる。融資が受けられずに苦労するが、10億円を投資し、1時間に出力2000キロワットの発電にこぎつける。これで製材所の年間電力1億円分をまかない、余った電力を電力会社に売る。だが1キロワット3円では採算に合わない。しかし、2002年、法律により9円になり、年5000万円のプラスを生む。今まで木くずは産業廃棄物として処理費2億4000万円を払っていた。その削減分がプラスになる。さらに残る木くずを筒状に固めてペレットにし、石油にかわる燃料にする。町の支援もあって、家庭用ストーブ、農業ハウス用ストーブが普及し、ペレット販売がキロ20円ちょっとで軌道にのる。これは石油に対抗できる値段である。役場も小学校も使う。

 夜久ディレクターは、バイオマス燃料の先進国オーストリアにとぶ。中島氏もしばしば訪れた先進バイオマス国である。そこで見たものは、大きな製材会社がつくる生産量年間6万トンのペレット工場で、驚いたのは、ペレット需要者宅に運ぶ大型タンクローリー車である。車からの一本のホースが各家庭の貯蔵庫にペレットを送り、もう一本で燃えかすを吸い上げる。スイッチひとつでペレットに触れることのない、全自動ボイラーが整備されている。

 注目しなければならないのは、経済面で石油に対抗できることである。同じ熱量当たりにして灯油の2分の1の値段であり、これがバイオマスボイラー等の設備費の高さを補っている。この経済性がオーストリアのエネルギー生産量の28・5%を再生可能エネルギーにし、その比率を高めている。

 また、バイオマスの国オーストリアは、1978年に国民投票で原発の稼働を拒否し、99年憲法に原子力利用の禁止を明記したという。

 本書を読むとドイツとの違いに気づく。ドイツは経済性のない太陽光発電を高価で買い取り、そのつけを庶民にまわしている。これらにならったスペインでは行きづまり、買取制度を廃止した。日本は、この悪(あ)しき例に学び、より高い価格で買い取り、そのつけを消費者にまわしている。バイオマス発電もキロワット当たり9円でなりたつものを20円をこえる買取価格にした。バイオマス発電に成功した真庭市などは、23億円の融資を受け、出力1万キロワットの発電所の建設に入り、中島氏は高知県の限界集落といわれる大豊町に請われて、従業員55人の製材所とバイオマス発電所の建設にむかっている。このような試みの中に、日本の林業の再生の光が見出(みいだ)せるのかもしれない。

 つづく章では、瀬戸内海の周防大島に都会から入った人たちの創意工夫の地域おこしと、広島県庄原市の社会福祉法人が、逆転の発想で、デイサービス、保育園、レストラン等を地元の人たちの協力によって複合経営し、生きがいまでつくりだしていく姿が紹介されている。安心のネットワークとお金が地域内を循環する「さとやま」である。これが未来をつくるサブシステムであることを藻谷浩介氏が解説している。
    --「今週の本棚:伊東光晴・評 『里山資本主義』=藻谷浩介、NHK広島取材班・著」、『毎日新聞』2013年09月01日(日)付。

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里山資本主義  日本経済は「安心の原理」で動く (角川oneテーマ21)
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覚え書:「風知草:小泉純一郎の「原発ゼロ」=山田孝男」、『毎日新聞』2013年08月26日(月)付。

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風知草:小泉純一郎の「原発ゼロ」=山田孝男
毎日新聞 2013年08月26日 東京朝刊

 脱原発、行って納得、見て確信--。今月中旬、脱原発のドイツと原発推進のフィンランドを視察した小泉純一郎元首相(71)の感想はそれに尽きる。

 三菱重工業、東芝、日立製作所の原発担当幹部とゼネコン幹部、計5人が同行した。道中、ある社の幹部が小泉にささやいた。「あなたは影響力がある。考えを変えて我々の味方になってくれませんか」

 小泉が答えた。

 「オレの今までの人生経験から言うとね、重要な問題ってのは、10人いて3人が賛成すれば、2人は反対で、後の5人は『どっちでもいい』というようなケースが多いんだよ」

 「いま、オレが現役に戻って、態度未定の国会議員を説得するとしてね、『原発は必要』という線でまとめる自信はない。今回いろいろ見て、『原発ゼロ』という方向なら説得できると思ったな。ますますその自信が深まったよ」

 3・11以来、折に触れて脱原発を発信してきた自民党の元首相と、原発護持を求める産業界主流の、さりげなく見えて真剣な探り合いの一幕だった。

 呉越同舟の旅の伏線は4月、経団連企業トップと小泉が参加したシンポジウムにあった。経営者が口々に原発維持を求めた後、小泉が「ダメだ」と一喝、一座がシュンとなった。

 その直後、小泉はフィンランドの核廃棄物最終処分場「オンカロ」見学を思い立つ。自然エネルギーの地産地消が進むドイツも見る旅程。原発関連企業に声をかけると反応がよく、原発に対する賛否を超えた視察団が編成された。

 原発は「トイレなきマンション」である。どの国も核廃棄物最終処分場(=トイレ)を造りたいが、危険施設だから引き受け手がない。「オンカロ」は世界で唯一、着工された最終処分場だ。2020年から一部で利用が始まる。

 原発の使用済み核燃料を10万年、「オンカロ」の地中深く保管して毒性を抜くという。人類史上、それほどの歳月に耐えた構造物は存在しない。10万年どころか、100年後の地球と人類のありようさえ想像を超えるのに、現在の知識と技術で超危険物を埋めることが許されるのか。

 帰国した小泉に感想を聞く機会があった。

 --どう見ました?

 「10万年だよ。300年後に考える(見直す)っていうんだけど、みんな死んでるよ。日本の場合、そもそも捨て場所がない。原発ゼロしかないよ」

 --今すぐゼロは暴論という声が優勢ですが。

 「逆だよ、逆。今ゼロという方針を打ち出さないと将来ゼロにするのは難しいんだよ。野党はみんな原発ゼロに賛成だ。総理が決断すりゃできる。あとは知恵者が知恵を出す」

 「戦はシンガリ(退却軍の最後尾で敵の追撃を防ぐ部隊)がいちばん難しいんだよ。撤退が」

 「昭和の戦争だって、満州(中国東北部)から撤退すればいいのに、できなかった。『原発を失ったら経済成長できない』と経済界は言うけど、そんなことないね。昔も『満州は日本の生命線』と言ったけど、満州を失ったって日本は発展したじゃないか」

 「必要は発明の母って言うだろ? 敗戦、石油ショック、東日本大震災。ピンチはチャンス。自然を資源にする循環型社会を、日本がつくりゃいい」

 もとより脱原発の私は小気味よく聞いた。原発護持派は、小泉節といえども受け入れまい。5割の態度未定者にこそ知っていただきたいと思う。(敬称略)(毎週月曜日に掲載)
    --「風知草:小泉純一郎の「原発ゼロ」=山田孝男」、『毎日新聞』2013年08月26日(月)付。

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覚え書:「今週の本棚・情報:生誕90年 池波正太郎展」、『毎日新聞』2013年09月01日(日)付。


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今週の本棚・情報:生誕90年 池波正太郎展
毎日新聞 2013年09月01日 東京朝刊

 東京・銀座の百貨店「松屋銀座」8階で、「生誕90年 池波正太郎展-鬼平犯科帳、剣客商売、仕掛人・藤枝梅安を創った男」が開催されている。9日まで。

 多くの時代小説を世に送り出した池波は1923年、浅草生まれ。劇作家・長谷川伸に師事し、60年に『錯乱』で直木賞を受賞した。今回は直筆原稿をはじめ、愛用した万年筆やパイプ、舞台衣装など貴重な資料の数々を展示するほか、名作を生んだ書斎を再現。90年に亡くなるまで、創作の合間に映画や旅、食を楽しんだ作家の生きざまが伝わってくる展覧会となった。問い合わせは同百貨店(03・3567・1211)へ。【中澤雄大】
    --「今週の本棚・情報:生誕90年 池波正太郎展」、『毎日新聞』2013年09月01日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・本と人:『安部公房とわたし』 著者・山口果林さん」、『毎日新聞』2013年09月01日(日)付。


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今週の本棚・本と人:『安部公房とわたし』 著者・山口果林さん
毎日新聞 2013年09月01日 東京朝刊

 (講談社・1575円)

 ◇自分史で照らす作家の素顔--著者・山口果林(やまぐち・かりん)さん

 20年前に68歳で死去した安部公房。三島由紀夫や大江健三郎さんとともに戦後の日本文学を代表する存在で、国際的にも高く評価される。その素顔を安部と20年以上にわたって交際した女優がつづっている。

 驚くほどに冷静な筆致だ。感情を排して、短いセンテンスで客観的に綴(つづ)っていく。桐朋学園大演劇科在学中に教員だった安部と出会ったこと。主演したNHKドラマ「繭子ひとり」のロケ前に妊娠がわかったこと。87年に安部ががんを患っていることが判明し、闘病を続けたこと。安部研究にとっても、一級の資料だ。

 「私が知り得ている事実を書こうと思いました。私の存在は安部さんの年譜などから消され、透明人間になっている。何とか、自分が生きてきた証しを残したかったのです」

 「20年来、被爆者たちの手記を朗読する舞台を続けています。体験のつらさや差別を乗り越えて、時間がたってから証言される方もいます。2年前の東日本大震災もきっかけでした。被災した方々が自分の生きてきたよりどころとして、アルバムを探しておられる。安部公房さんとのことを書き残すのが自分にできることでした」

 自身についても赤裸々に告白している。幼い時に受けた性的ないたずら。演劇にかける夢。学生時代の失恋。自分史がたどられることで、23歳年上で妻子のある安部との関係が深まっていった必然性のようなものが、浮き彫りにされていくのだ。

 「これなら、世間も自分を許してくれると思ったのです。記憶に加えて手帳やメモ、毎年の確定申告まで参照しました」

 興味深い安部のエピソードがいっぱいだ。文学賞の選考では司馬遼太郎と馬が合ったとか、邦楽をとても嫌ったとか。ゆっくりとした動作で、群れをつくらず単独行動を好んだ安部を動物のナマケモノにたとえている。

 「茶目(ちゃめ)っ気があってチャーミングな人でした。前衛的な大作家というイメージが強いと思いますが、この本で身近に感じてもらえるのではないでしょうか」<文・重里徹也/写真・内藤絵美>
    --「今週の本棚・本と人:『安部公房とわたし』 著者・山口果林さん」、『毎日新聞』2013年09月01日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20130901ddm015070017000c.html:title]


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書評:「山形孝夫著『黒い海の記憶』(岩波書店)」、『第三文明』2013年10月、86頁。


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書評

『黒い海の記憶 いま、死者の語りを聞くこと』

山形孝夫・著

岩波書店・2,100円

死者を記憶し、死者に向き合う「新しい霊性」

 「泣くこと」も「死者と語り合うこと」も現代人にとっては禁忌(きんき)の対象であろう。バラエティー番組のオカルト趣味は不要だが、失笑する前に本書を紐解(ひもと)いてほしい。
 「私たちは。悲しみに出会っても、泣かない。むしろ、泣くことを抑えるように自分を制御している。教会でもお寺でも、私たちは泣かない」。こうした制御装置は宗教だけの話ではないが、先の東日本大震災は、人々を拘束する欺瞞(ぎまん)の構造と無力さを暴きだすことになった。
 すべてを惜しみなく奪う「黒い海」。生者に対しても死者に対しても、辻褄(つじつま)合わせにしのぎをけずる既成宗教は何の慰(なぐさ)めにもならなかった。愛と試練、慈悲と無常……その一言で何の説明になろうか。しかし人々は無意識に紡(つむ)ぐ「死者との対話」のなかで明日への一歩を踏み出した。
 著者は故郷・仙台で被災した宗教人類学者。注目するのは「死者の語りを聞く」ことだ。それは定型の宗教言語の深奥にひそめく普遍的な〝原初の祈り〟ともいうべきものだろう。「生き残った者は、死者の無念を自分自身の生き方として受け止めなければならない」。悲しみの門から入ることによって生き方としての他者への優しさへ向かうことが初めて可能になる。
 生者と死者のつぶやきに寄り添い、長年にわたる研究に裏打ちされたその思索は、宗教の未来を導く根源的考察である。本書は新しい霊性の到来を告げる標(しるべ)となろう。
(神学研究者・氏家法雄)

    --拙文「山形孝夫著『黒い海の記憶』(岩波書店)」、『第三文明』2013年10月、86頁。

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覚え書:「最後のクレイジー 犬塚弘 [著]犬塚弘・佐藤利明 [評者]いとうせいこう」、『朝日新聞』2013年08月25日(日)付。


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最後のクレイジー 犬塚弘 [著]犬塚弘・佐藤利明
[評者]いとうせいこう(作家・クリエーター)  [掲載]2013年08月25日   [ジャンル]アート・ファッション・芸能 

■教養と矜持と、底抜けの悪戯心

 戦後の日本が焼け跡から復興していくとき、人々の傍らには音楽と笑いがあった。
 その代表が言わずと知れた「ハナ肇とクレイジー・キャッツ」である。音楽ライブから始まって、彼らは創成期のテレビ、日本映画の新しい潮流を一気に作り出してゆく。
 江戸の粋な文化とつながった洒脱(しゃだつ)なジャズ感覚で。
 本書はクレイジー唯一のメンバーとなってしまった犬塚弘氏へのロングインタビューである。そこにはコミック・バンドの根底にいかに深い教養があったか、強い矜持(きょうじ)を保っていたか、同時にそれらすべてをチャラにするような底抜けの悪戯(いたずら)心があったかが、事細かに再現されている。
 いや、クレイジーを囲むテレビマン、映画監督、放送作家など、昭和の大衆文化を形成する者たちすべてに右のことは当てはまるだろう。揶揄(やゆ)されがちな娯楽産業こそが戦後の民度を引っぱり上げていたことの、これは証言だ。
 全体に犬塚弘氏のリベラル感覚が横溢(おういつ)する。
    ◇
 講談社・1575円
    --「最後のクレイジー 犬塚弘 [著]犬塚弘・佐藤利明 [評者]いとうせいこう」、『朝日新聞』2013年08月25日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013082500012.html:title]


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覚え書:「ミレナへの手紙 [著]フランツ・カフカ [評者]小野正嗣」、『朝日新聞』2013年08月25日(日)付。


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ミレナへの手紙 [著]フランツ・カフカ
[評者]小野正嗣(作家・明治学院大学准教授)  [掲載]2013年08月25日   [ジャンル]文芸 


■返事が待てない、障害だらけの恋

 カフカの魅力は小説に尽きない。『ボヴァリー夫人』を書いたフローベールの『書簡』と並び、カフカの『日記』と『書簡』は世界中で作家たちに読まれ続けてきた。
 手紙という私的な文章ながらも、そこには創作行為の普遍的な真理があらわにされているからだろう。〈書かれた言葉〉と〈書く自己〉への深い懐疑、〈書くこと〉に対する徹底的な謙虚さである。
 この謙虚さが自己と他者への辛辣(しんらつ)さへと至るフローベールと違い、「流刑地にて」で囚人の身体に文字を刻む拷問機械を描写し、他者からの賞賛(しょうさん)を拒む「断食芸人」を書いたカフカの場合、厳しさはただ己へと向けられる。〈書くこと〉も〈恋すること〉も〈生きること〉と同様に巨大な「不安」の源でしかない。
 本書に収められた恋文の宛名人のミレナは、ジャーナリストで翻訳も手がけていた。カフカの作品を訳したいと二人は出会う。作家は一回り以上年下のこの才女に惹(ひ)かれていく。その証拠に手紙の数が増えていく。返事が待てない。一日に何通も手紙が書かれる。このあたりは、恋人からメールの即レスがないと居ても立ってもいられない現在の恋する若者も同じか。
 しかしミレナは人妻でウィーンに暮らし、プラハ在住のカフカは結核を病み、婚約者もいる。緊張と障害だらけの恋は一筋縄で行かない。返事がなければ不安だが、あればあったで内容に動揺する。
 心を静めようと手紙を書く。だが逆効果だ。手紙を書くこと、つまり〈書くこと〉はどうしても己を欺いてしまうからだ。真実には「血が通っていて、だからたえず表情を変える」。それを言葉でどうやって捉えられるのか?
 我々と違い、その事実に鈍感でいられなかったところにカフカの悲しさと美しさがある。我々がカフカを読むのをやめられないのは、「いちばん深い地獄にいる者ほど歌声が清らかだ」からだ。
    ◇
 池内紀訳、白水社・3465円/Franz Kafka 1883~1924。チェコの作家。
    --「ミレナへの手紙 [著]フランツ・カフカ [評者]小野正嗣」、『朝日新聞』2013年08月25日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013082500010.html:title]


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日記:南原繁研究会(第112回) 研究発表会


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 もし日本にキリスト教が来なかったとしたら、どんな日本になったであろうか。
 本書をご覧になればわかるように、キリスト教は日本に渡来以来、何度も事件を引き起こしている。いわば「お騒がせ宗教」である。その「お騒がせ宗教」がなかったとしたら、日本は、たぶん変わりなかったかもしれないが味気無かったにちがいない。
 聖書に「地の塩」という言葉がある(マタイ五・一三)。ここでいう塩は、わたしたちが現在用いているような精製された美しい塩ではない。よごれた色のゴツゴツした岩塩である。
 日本を騒がせて来たキリスト教は、岩塩のようなキリスト教として、日本に味をつけたり防腐のはたらきをしてきたのだろう。塩味がなくなるならば捨て去られるのみ、と聖書に書かれてある。
 およそ五百年前に、キリスト教は日本に入った。日本ではいろいろな扱いを受けたが、今ではなんとか住み込むまでになっている。この間のキリスト教の日本における位置を、日本での扱いからみて、次のように分けることができる。おおよその時期も付す。
 1 異神 一五四九~一五八七
 2 邪宗門 一五八七~一八五九
 3 耶蘇教 一八五九~一八七三
 4 洋教 一八七三~一八八九
 5 基督教 一八八九~一九四五
 6 キリスト教 一九四五~
 一期は、キリスト教が渡来し異国から来た力ある宗教とされたが、突然、秀吉によりバテレン追放令が出されるまで。
 二期は、宣教師の追放、禁制、鎖国で邪教とされていた時期で、回国までの長期にわたる。
 三期は、開国による宣教師の渡来はあったものの、禁制はつづき公然とは伝道ができず、その黙認される禁制の高札撤去まで。
 四期は、伝道の黙認から西洋化の波の押し寄せた時代で、「大日本帝国憲法」発布まで。「西教」ともいわれた。
 五期は、憲法で一応信教の自由が認められてからだに時世界大戦の敗戦まで。
 六期は、敗戦と「日本国憲法」により、本格的な信教の自由を得てから今日まで。
    --鈴木範久『日本キリスト教史物語』教文館、2001年、3-5頁。

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8月31日(土)に学士会館で開催された南原繁研究会(第112回) 研究発表会にて、「東大キリスト者良心の系譜 ―吉野作造と南原繁を中心に―」と題する発表をして参りしました。

アブストラクトだけ少々、記録しておきます。

近代日本のキリスト教史を振り返ってみると、吉野作造(1878-1933年)、南原繁(1889-1974)は、前者が洋教から基督教、後者が基督教からキリスト教の時代を生き抜いたことがわかりますが、二人が受洗したのは、共に基督教の時代です。
※吉野作造が1898年、南原繁が1911年になります。南原の場合、無教会への信仰の扉が開いた年になりますので、正確には「受洗」という表現ではありませんが。

戦前日本の長きに渡る「基督教」の時代とはどのような時代でしょうか。
もともと、近代日本のキリスト教受容を特徴づけるのは、ピューリタニズム的厳格な倫理主義がメインストリームとして採用されたことがそのひとつになります。

明治最初期のキリスト者たちが、佐幕系諸藩の出身であったことから、精神の第二維新(明治維新を単なる政治改革と捉え、宗教と教育とをもってその未完の改革を私たちの手で完成させる)という気負いがありました。

その自負は、社会参画への方向を示唆するものでしたが、同時に「国家に身を捧げる」という気負いは、国家への馴化も含み置かれるものでしたので、のちの迎合体質の一因にはなりますが、そうした感情を背負ったひとびとが殆ど武士階級の出身でしたから、陽明学がキリスト教導きの糸となったこともあり、キリスト教の倫理主義が注目をあびることになりました。

江戸時代においては、寺請制度と本山末寺制度の展開により、宗教と倫理が棲み分けをはかり、前者を仏教が、後者を儒学が担うことになりましたが、再渡来したキリスト教にはその統合の側面があり(と映ったのでしょう)、特に倫理的側面が注目を浴びることになりました。

勤勉、正直、禁欲……そういった道徳的に厳しい態度が、キリスト者を特徴づけることになりますが、それは、ややもすると、それは修養倫理に留まることにもなります。

文明開花と欧化の流行を背景に教勢力は拡大するものの、内村鑑三不敬事件、そして新神学の紹介以降は、教会形成への専念に舵を取る。

その結果、戦前日本のキリスト教の特色とは、超俗的なホワイトカラーの宗教という雰囲気をまとうことになります。同時にそれは、積極的な内発性の展開としての社会と関わりは影をひそめることを導く。

 そうした大勢の中、寛容の精神と社会との接点を忘れず、信仰を育み続けたのが東大キリスト者が吉野作造と南原繁になります。

信仰の師は異なるものの、共に小野塚喜平次の下で学んだ政治学の系譜の二人は、信仰による自己規律にのみ専念するだけでなく、社会に対する漸進的な関与を常に失念することがなかった歩みといっても過言ではありません。

その意味では、ふたりの信仰は(組合教会と無教会主義)、当時のマジョリティのそれとは異なる歩みであります。ただ興味深いのは、彼らの入信は、当時の大学生とほとんど動機はかわりません。

だとすれば、まさに信仰と社会生活、社会生活と信仰を二元論的に捉えるのではなく、両者をいったりきたりするなかで、鍛え上げられていったことが理解できます。

吉野作造は、社会活動に熱心で教会活動を疎かにしたイメージがありますが、決してそうではありませんし、社会活動だけに専念するありかたには否定的です。そしてそれは、南原繁の場合も同じなんですね。

だとすれば、ティリッヒのいう「相関の神学」のひとつの日本的事例として捉えてみることも可能ではないかと思います。

俗に、吉野作造と南原繁の信仰は、(倫理主義と密接に結合した)「罪の意識」の希薄さが弱点のごとく捉えられることが多いのですが、キリスト教信仰は「罪の意識」だけが核にはありません。

その意味で、二人の足跡を捉え直すことは、キリスト教の豊かな側面を再認識すると同時に、日本のキリスト教の体質を批判的にみる眼差しを提供するものになるかもしれません。


[http://nanbara.sakura.ne.jp/kenkyukai2013.html:title]


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※写真はわたしではありません。

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覚え書:「『青鞜』の冒険―女が集まって雑誌をつくるということ [著]森まゆみ 田中優子」、『朝日新聞』2013年08月25日(日)付。


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『青鞜』の冒険―女が集まって雑誌をつくるということ [著]森まゆみ
[評者]田中優子(法政大学教授・近世比較文化)  [掲載]2013年08月25日   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 

■面白さ・難しさ、「編集」から迫る

 平塚らいてうが中心となり、日本で初めて女性たちの手によって刊行された雑誌『青鞜』(一九一一年創刊)を、編集という側面から徹底的に追った本である。表紙、目次、編集後記を丹念にみつめ、編集にたずさわった人、事務や営業に関わった人、資金のこと、もちろんその内容、執筆者たちの生き方と考え方、そして校正のずさんさに至るまで、眼(め)の前に浮かび上がるかのように書かれていて、実に面白い。
 著者も女性たちで『谷中・根津・千駄木』(通称、谷根千〈やねせん〉)を立ち上げ、二十年以上、その編集を継続してきた。『青鞜』も『谷根千』も大手出版社が出す雑誌ではなく、同人誌でもない。執筆者を探し、自らも執筆し、広告をとり、読者を拡(ひろ)げ、書店をめぐって出し続けた雑誌である。だからこそ、著者はその難しさも面白さもわかっている。『青鞜』が全く違う観点から見えて、数々の発見がある。
 編集者たちが走り回った明治大正の東京が立ち現れてくる。上野、谷中、染井(駒込)、護国寺に囲まれた範囲に『青鞜』編集部は転々とし、漱石や一葉の生きた時空と重なりながら、女性たちがそれぞれの芸術的才能を開花させることを目的に活動した。『青鞜』は文芸誌であるとともに、女性も自らの能力と努力で自信をもって生きていくことができる、というメッセージを送り続けたのである。政治雑誌ではなく、女性たちが言葉をもつ場を作ったのだった。そこには全国から女性たちが訪れ手紙が集まった。『谷根千』もまた、地域を観光地としてではなく、暮らす町としてその価値を見直す全国の動きの先駆となった。雑誌の刊行とはほんらい運動である。その果たした役割の大きさを改めて考えさせられる。
 著者は自分の経験から、らいてうの編集努力の限界や、エリート女性特有の考え方への批判もして、容赦が無い。それもまた魅力のひとつだ。
    ◇
 平凡社・1995円/もり・まゆみ 54年生まれ。地域雑誌『谷中・根津・千駄木』が09年に終刊するまで編集人。
    --「『青鞜』の冒険―女が集まって雑誌をつくるということ [著]森まゆみ 田中優子」、『朝日新聞』2013年08月25日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013082500007.html:title]


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覚え書:「美味しい革命―アリス・ウォータースと〈シェ・パニース〉の人びと [著]トーマス・マクナミー [評者]隈研吾」、『朝日新聞』2013年08月25日(日)付。


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美味しい革命―アリス・ウォータースと〈シェ・パニース〉の人びと [著]トーマス・マクナミー
[評者]隈研吾(建築家・東京大学教授)  [掲載]2013年08月25日   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 

■食を通じて学校教育にも影響

 20世紀後半のアメリカ西海岸は、「革命」の大産地であった。「美味(おい)しい革命」は、そのひとつである。20世紀工業化社会は食の領域においても、人間を大いに抑圧した。大量生産、平準化の原理によって、ファストフードが世界を制覇し、家庭での食事も、農薬、遺伝子操作にまみれた食品群によって、貧相で不健康なものとなった。特に、アメリカの食文化は壊滅的な状況だった。
 主人公アリス・ウォータースはこの状況に異を唱え、小さな革命を起こした。1971年、カリフォルニアのバークリーに小さな実験的レストランをオープンした。有機野菜など地元産の食材を使ったシンプルな料理。はじめは小さな革命でも、大きな意味、大きな射程があれば、小さな革命はあっという間に世界に広がり、世界を実際に変えてしまう。それが20世紀後半のメディアのシステムであった。アリスの革命も、そのような性質をもつ革命だった。彼女はカリフォルニア・クィジーヌ(料理)の母と呼ばれ、彼女がはじめた「シェ・パニース」は、アメリカの20世紀後半のレストランビジネスのベンチマークとなった。革命は成就し、彼女は成功を手に入れた。
 問題はその後である。20世紀後半、アメリカの革命は、社会を変える以前に、ビジネスの爆発的成功という形をとった。現代の革命の悲しい宿命である。
 ビジネスの成功のあとに、何を社会に残せるのだろうか。お金だけが残る悲しい革命が山ほどあった。アリスの真のすごさは、彼女がビジネスの成功に全くこだわらずに、食を通じて、アメリカの教育を変えようとしたことである。クリントン夫妻が称賛し、学校教育にも、アリスの思想は影響を与えつつある。
 もうひとつ、アリスが残したのは、レシピかもしれない。そのレシピのディテールが満載されていることで、この本は革命のあとの日常でも、読まれ続けるであろう。
    ◇
 萩原治子訳、早川書房・2520円/Thomas McNamee 47年、米国生まれ。作家、ジャーナリスト。
    --「美味しい革命―アリス・ウォータースと〈シェ・パニース〉の人びと [著]トーマス・マクナミー [評者]隈研吾」、『朝日新聞』2013年08月25日(日)付。

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