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日記:精神主義の反対物への転化は、一方、形式主義に転化し、他方では物質主義に転化する

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丸山 精神主義の反対物への転化は、一方、形式主義に転化し、他方では物質主義に転化するわけです。というのは、例えば入営するといろいろ備品があてがわれる。靴なんかは大中小、三つぐらいしか種類がない。しかも中が一番多いので、あとから配給になると、合わないものも出てくるわけだが、そういう場合でも「少し小さいが我慢してはけ、そのうち足の方が小さくなる」というようなことをいう(笑)。あれは、一つは精神的な訓練なんだけれども同時に、軍需品はマスプロダクションでもって規格的に作り、規格に人間をあてはめる。人間が道具を使うのじゃなく、規格の中に人間がむりやり入らされる。「軍隊は員数だ」ということになるわけで、それがもっと甚だしくなると、よく厩なんかの前につれて行って、お前達は郵便一本で来るけれども、この馬は何千円だぞというように、人間の生命というものが、動物以下、更に物質以下に評価される。そういったことがまさに精神主義の帰結として出てくるということ、この逆説が面白い。
※初出、『知性』国土社、1949年6月(6月号)。
    --丸山眞男、大岡昇平、亀島貞夫、野間宏「日本の軍隊を衝く」、『丸山眞男座談』第一巻、岩波書店、1998年、183-184頁。

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戦前日本の軍隊の特徴とは、ビンタと着剣特攻の玉砕に見られるように「精神主義」だとよく指摘され、まさにその通りなのですが、精神主義だけなのかというとそうでもないでしょう。

そもそも、規律と規格をもった高度に組織化された団体としての近代国家の「軍隊」とは、精神的なるものだけでは運用は難しいのもその実で、形式主義(規律)と物質主義(規格)がその枠組みを作っていることは自明の前提ですから、たとえば、アメリカの軍隊は、形式主義と物質主義の運用に成功して、日本の精神主義をうち破った……のように断言することは、いささか早計ではないかと思います。
※もちろん、日本の精神主義をアメリカの物量主義がうち破ったのは事実ですが。

その意味では、単純な対比で、あちらを立てて、こちらを立てないという図式で満足するのではなく、精神主義と形式主義や物質主義がどのように交差していくのかを見きわめることが重要になってくる。

さて、うえの対談は、丸山眞男を含め、徴兵経験のある文化人が「日本の軍隊」とは何だったのか、例えば「ミリタリズムそのものとは何か」「蛮行を合理化するもの」等々を具体的に論じたものですが、そのなかで、丸山は興味深い指摘をしております。

まさに冒頭の一節に見られる「精神主義の反対物への転化は、一方、形式主義に転化し、他方では物質主義に転化する」というところ。

ちょうど合う靴のサイズがないから「少し小さいが我慢してはけ、そのうち足の方が小さくなる」というのはまさに「精神主義」。しかし、靴のサイズを用意しないのは「形式主義」であり「物質主義」の帰結。

この逆説の問題は、おそらく、こと軍隊だけに限定されるものではないでしょう。


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