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覚え書:「今週の本棚:池内紀・評 『シャガール-愛と追放』=ジャッキー・ヴォルシュレガー著」、『毎日新聞』2013年10月06日(日)付。


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今週の本棚:池内紀・評 『シャガール-愛と追放』=ジャッキー・ヴォルシュレガー著
毎日新聞 2013年10月06日 東京朝刊

 ◇池内紀(おさむ)評

 (白水社・7140円)

 ◇「適応と抵抗」のはざまに生きた芸術家の足跡

 おしまいから三つ目の章に、ピカソとシャガールが少年のように顔をくっつけ合った写真がある。一九五二年のもので、ともにそのあと三十年以上を生きた。ゴッホやモディリアニが三十代半ばの生涯だったのに対して、ピカソとシャガールは九十をこえる長寿にめぐまれた。

 写真では仲がよさそうだが、実際は冷ややかなあいだ柄だったようだ。この二十世紀の偉大な芸術家両名は、まるきりちがう画歴をもっていた。ピカソが「青の時代」に始まり、はげしくスタイルを変化させたのに対して、シャガールは終始、最初のモティーフを保持しつづけた。わびしげな家並み、シナゴーグ(ユダヤ教会堂)の円屋根、屋根の上のヴァイオリン弾き、ひしと抱き合って空を飛ぶ恋人たち。目の青い大きなロバがじっと差しのぞいている……。

 芸術家としては、あきらかにピカソ流が本来の生き方にちがいない。一つのスタイルに安住するとき、作品はマンネリ化して、自分で自作を模倣するだけになる。モティーフをきわめたと判断すれば、それをみずからかなぐり捨てて新しい表現に挑戦すべきなのだ。

 シャガールの不思議は、画家の卵のころ絵にとり入れたイメージを六十年にわたってくり返しながら、ほとんどマンネリに陥らず、自作の模倣ともならなかったことである。そこでは手なれたモティーフが、未知の試みにあてられている。ピカソとはまるでちがった流儀で表現実験をくり返した。夢とも幻想ともつかない、甘美な追憶の風景とつかずはなれず、果敢な冒険家のシャガールがいた。

 浩瀚(こうかん)な評伝である。二段組みで約四〇〇ページ、図版はカラーを含めて約二〇〇点。著者はイギリスの高級紙『フィナンシャル・タイムズ』の美術記者。学者の学究的論述をすすめながら、ジャーナリストの鋭敏な問題意識をつきつけてくる。構成からして目をみはらせる。九十七年の画家人生を二つに分けて、第一部は「ロシア」とあって、三十五歳までのシャガール。第二部の「追放」が以後の六十三年にわたっている。ロシアの辺境のユダヤ人集落に生まれ、世界大戦と人種的迫害のなかで身につけたもの。「創造の源泉はつねにロシアだった」

 亡命芸術家のおおかたが「源泉」を離れると急速に枯渇していくなかで、シャガールは大いなる例外だった。初めてパリへ出たとき「シャガールは直感的にキュビズムを通過せねばならぬと分っていた」。キュビズムのピカソはよく知られているが、こまかく作品を見ていくと、たしかにキュビスト・シャガールがいる。ひっそりと主義・主張を通り抜けた。

 シャガールは巧みに時代に同化し、イメージに変容させるのだ。必要なものを旺盛に呼吸しても、自分特有の表現は決して捨てない。「適応と抵抗のあいだの緊張関係」から生み出された革新的な絵画が、一つまた一つと跡づけてある。

 読みながら、何度も表紙を見返したくなるだろう。つば広の黒い帽子をかぶり、大きな目をみひらいたシャガール。辺境から初めてロシアの首都へやってきた。才能だけが元手で、ほとんど無一文だった。緊張と不安の顔。右手の腕時計が唯一の財産で、餞別(せんべつ)がわりに手に入れたのではなかろうか。

 ベルリン、パリ、ニューヨーク。六十余年の「追放」の間、くり返し同じシャガールがいたはずだが、しだいに「悪賢くしたたかな彼」に変貌していく。かたわらにはつねに庇護(ひご)してくれる女性がいなくてはならない。ときには多少とも意地悪く、一人の芸術家の意味深い変身譜が語られていく。(安達まみ訳)
    --「今週の本棚:池内紀・評 『シャガール-愛と追放』=ジャッキー・ヴォルシュレガー著」、『毎日新聞』2013年10月06日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20131006ddm015070019000c.html:title]


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