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覚え書:「今週の本棚:小島ゆかり・評 『天使エスメラルダ 9つの物語』=ドン・デリーロ著」、『毎日新聞』2013年10月20日(日)付。

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今週の本棚:小島ゆかり・評 『天使エスメラルダ 9つの物語』=ドン・デリーロ著
毎日新聞 2013年10月20日 東京朝刊


 (新潮社・2520円)

 ◇かすかな心の歪みを捉えるあざやかな短篇集

 現代アメリカ文学の作家ドン・デリーロの初の短篇集。デリーロの作品は、いくらかとっつきにくい印象をもっていたが、それはわたしが読み下手だったからだとわかった。

 じつにあざやかな短篇集である。「9つの物語」はいずれも、奇妙な虚構のように思われながら、不思議に鋭い現実感を伴う。これらの物語の世界のなかに現実がまぎれこんでいるのか、それとも、現実のなかにこれらの物語の世界がまぎれこんでいるのか……。

 たとえば「第三次世界大戦における人間的瞬間」では、宇宙船に乗って戦争中の地球を眺める二人が、宇宙空間を漂う過去のラジオ番組を受信してしまう。聴いたことのないはずの番組を覚えていると錯覚して、過去の時代の人々の心を追体験する。そのとき、高度なテクノロジーにより奪われた人間的瞬間を取り戻すのだ。

 また「象牙のアクロバット」では、ギリシャでマグニチュード六・六の大地震に襲われた主人公カイルが、勤め先の同僚の男性にプレゼントされた、クレタ島の象牙のフィギュア(女の牛跳び)をきっかけに、精神的な危機を乗り越えてゆく。

 彼女は休止の中で生きていた。いつでも休止していた。一人でアパートにいるときも、手を止めて耳を澄ました。彼女の聴覚は研ぎ澄まされていった。(中略)部屋にはたくさんの音がある。トーンの乱れ、壁の中で解き放たれる圧力。(中略)すべての危険は内部にあった。

 掠(かす)れる音。静かに揺れる音。彼女は玄関のドアを開けて、原爆の避難訓練を受けている子供みたいに膝を抱えてうずくまった。

 余震におびえるカイルの緊迫した姿。被災の現実とは、暴力的な「休止の中で生き」続けることなのかもしれない。

 さらに「天使エスメラルダ」に登場する、シスター・エドガーの姿にも胸を突かれる。

 流し場で粗末な茶色い石鹸(せっけん)を使って何度もごしごしと手を洗った。石鹸がきれいでないとしたら、手がきれいになるわけないじゃないか? この問いが生涯を通じて彼女につきまとっていた。もし石鹸を漂白剤できれいにするとしても、漂白剤の容器は何できれいにすればいいのか? 漂白剤の容器をきれいにするのにエージャックス社の研磨剤を使ったとすれば、その箱はどうやってきれいにすればいいのか?(中略)こうして、この問いはどこまでも内へ内へと向かっていく。

 荒廃したブロンクス地区(ニューヨーク)で殺された少女エスメラルダの顔が、巨大広告掲示板の上に浮かび上がる奇跡の物語であるが、そのブロンクスこそ、イタリア系移民の子であるデリーロの育った場所。「まさにこの場所が世界の真実であり、魂のふるさとであり、自分自身の姿」ゆえに、シスター・エドガーはそこを離れないのだと語られる。

 そして、「痩骨(そうこつ)の人」のなかでも、主人公が「痩骨の人(ザ・スターヴリング)」と名づけた謎の女は、このブロンクスに住む。離婚した妻とそのまま同居する男リオの物語である。

 静かな衝撃に満ちた九篇を読みつつ、ドン・デリーロの魅力を思う。何層にも入り組む現代人の心理の、ほんのかすかな歪(ひず)みすらおろそかにしない作家であると。その無数の歪みのなかから、欠片(かけら)のような光を拾う作家であると。(柴田元幸・上岡伸雄・都甲幸治・高吉一郎訳)
    --「今週の本棚:小島ゆかり・評 『天使エスメラルダ 9つの物語』=ドン・デリーロ著」、『毎日新聞』2013年10月20日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20131020ddm015070026000c.html:title]


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ドン デリーロ
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