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覚え書:「今週の本棚:池澤夏樹・評 『俳優のノート』=山崎努・著」、『毎日新聞』2013年10月27日(日)付。


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今週の本棚:池澤夏樹・評 『俳優のノート』=山崎努・著
毎日新聞 2013年10月27日 東京朝刊


 (文春文庫・693円)

 ◇演出家、翻訳者と芝居を作る羨ましき乱闘

 一つの舞台ができあがる過程を主演俳優が綿密に日記につける。準備と稽古(けいこ)、そして公演の日々。千秋楽までの六か月あまりの記録。

 演目はシェイクスピアの『リア王』、松岡和子の新訳の初演。

 主演の俳優は山崎努。演出鵜山仁、小屋はできたばかりの新国立劇場、初日が一九九八年の一月十七日。もう十六年近い昔のことだ(ぼくはこの公演を見ていない)。

 世の中にはそれ自体で完結している本もあれば、次々に他のものにつながって広がる本もある。この本は後者の典型で、少なくともページを開く前に松岡訳の『リア王』は読んでおく必要がある。

 それにしても、一つの芝居を作るとはこんなにおもしろいものなのか。スタートの地点は何もない真っ白の状態。そこから演出家や俳優たちそれぞれの読みが始まり、組み合わさって、ぶつかりあって、ゆっくりと全体を作ってゆく。

 この日記を読むことはジグソーパズルに似ている。公演はずっと前に終わっているのだから、いわば絵柄はもう完成しているわけだ。しかし日記の始まりではすべてのピースがばらばらに、しかも裏返しに色調さえ見えないように置かれている。読者は日記の一日ごとにヒントを得て絵柄を再構築する。そういう手間のかかる遊び。参加の努力を要求する読書であり、それに充分以上に報いてくれる読書である。

 まずシェイクスピアが立ちはだかる。大建築なのに言葉で造った躯体(くたい)しかない。内装はおろかそれぞれが何のための部屋かもわからない。一つ一つの場面ごとに、この場でリアの精神はどういう状態にあるか、誰に向かって何を言おうとしている台詞(せりふ)なのか、それを措定してゆく。だがこれが二転三転……七転八倒。

 俳優たちと演出家と翻訳者の共同体、その共闘と乱闘が孤独な小説書きのぼくには羨ましい。芝居を作るとはこういうことなのだと感心し嘆息しながら読み進む。

 細部の読みの積み重ねが台詞の背後に隠れているストーリーを表に引き出す。例えば……「この劇の始まりは、リアがコーディリアを嫁がせること、なのかもしれない。コーディリアを嫁がせるための持参金の問題、それが領土分割に発展したのかもしれない。勿論(もちろん)、リアの『安らかに墓に納まる』ために『一切を脱ぎ捨て』たい気持は本当なのだろうが、この鬱状態も、最愛の末娘を嫁がせることと無関係ではないはず。末娘の結婚を父として祝福する気持と、『母(、)』(の代理(、、、))が(、)『女(、)』になり自分を捨てる(、、、、、、、、、)、という不快(、、、、、)。不快、癇癪(かんしゃく)、勘当となる」という解釈は見事な補助線だ。

 これはリアとコーディリアの関係についての解釈である。リアは極端な女嫌いで、愛する末娘に母の代理の役割を求めていた。全体の八割以上を過ぎた四幕七場にいたってその理不尽に気づき、彼女を自分に属する者ではなく他者として愛することを学ぶ。この悲劇では世界の秩序は崩壊し、リアは狂気と正気の間を行き来するが、一方でそれは目覚めへの歩みでもある。

 日記だから、その日その日の稽古のこと、会った相手、食べたもの(夫人が用意する弁当がいかにもおいしそうなのに「食欲がない」というもったいない日もある)、起こった事件(大雪とか、娘の出産とか、盟友伊丹十三の突然の自死とか)、あるいは台詞を覚えるための長い散歩や他の出演者たちとのやりとりなどの記述も多い。

 つまりこれは日付けのある文章であって、ものが作られるのはいつでも現実の時間の流れの中でのことだと納得させる。誰もがその時々のハンディキャップを負っての創作なのだ。シェイクスピアだっていつも何かに追われながら、その中で永遠の傑作を書いたのだろう。そこに慰めと元気づけを汲(く)み取ってもいい。

 舞台の上の演技とは何か、瞠目(どうもく)の指摘がある--「サッカーのフォーメーションのように、ボールの移動につれて素早く自分の位置を選んで行く。考えてから動くのでは遅い。瞬時に身体を反応させるのだ。ボール(芝居の中心)は右に左に絶えず動いている。いつまでもボールを持って離さない俳優が一番困る。いつも芝居の中心(観客の視線)が自分にあると思っている。ボールをパスしない。これはイエロー・カード」

 もう一つ大事なのが演劇における、というよりも文学一般における翻訳者の役割だ。原語では上演できないからしかたなく翻訳するのではなく、それ自体が解釈の積み上げであり、原作との格闘である。それを潜(くぐ)って翻訳はいわば新しい原作として再誕生する。演劇の場合ならば翻訳者は俳優や演出家と肩を並べて戦っている。

 翻訳者だからこそ松岡和子はこんなことが言える--「この戯曲の登場人物は、名前のある役は皆歪(ゆが)んでいて、名前のない人物は全員善い人なんです、地の塩みたいな」。

 公演中に還暦を迎えた山崎努はこれを最後にもう舞台には上らなくなった。
    --「今週の本棚:池澤夏樹・評 『俳優のノート』=山崎努・著」、『毎日新聞』2013年10月27日(日)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20131027ddm015070017000c.html:title]


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