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覚え書:「論点 [ヘイトスピーチ規制]」、『毎日新聞』2013年11月01日(金)付。


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論点ヘイトスピーチ規制

 在日コリアンを攻撃するヘイトスピーチ。朝鮮学校を標的にした市民団体の街宣活動について、京都地裁が10月7日、人種差別と認定して損害賠償を命じた。判決を機に、規制のあり方を巡る議論が活発になっている。

 ことば・ヘイトスピーチ(憎悪表現) 人種や国籍、ジェンダーなど特定の属性を有する集団をおとしめたり、差別や暴力行為をあおったりする言動を指す。日本では、在日特権を許さない市民の会(在特会)が、特別永住資格などの特権を不当に得ていると主張し、在日コリアンを攻撃する街頭宣伝活動を繰り返している。欧州を中心に法規制している国も多いが、日本ではヘイトスピーチに対する直接的な規制はない。在特会側は、自分たちの行為は憲法21条が保障する表現の自由の範囲内で、差別的であっても「意見表明」として許されると主張。朝鮮学校前での街宣活動に対して約1226万円の損害賠償を命じた京都地裁判決を不服として控訴した。

黙認できず 法整備必要
安田浩一 ジャーナリスト
 京都地裁判決は、国連の人種差別撤廃条約を援用し、在特会などの保守系市民グループが京都の朝鮮学校への街宣活動で繰り返した「ヘイトスピーチ」を「差別的であり違法」と認定した。超年、在特会を取材する私にとっても予想外で、画期的な判断だ。高額の賠償命令で経済的ダメージも与えており、今後の活動に歯止めをかける効果が期待される。だが、今回の判決だけで歯止めは十分だと考えるのは、楽観的すぎる。ヘイトスピーチそのものを規制する法律が必要だと考えている。
 法規制は「表現の自由」を揺るがしかねない、との指摘がある。私も表現者のはしくれとして、そんな懸念は理解するし、国家による表現の規制には嫌悪感を覚える。にもかかわらず、在特会のヘイトスピーチが被害者を生み出し続ける現状を「表現の自由」の名の下に黙認し続ける合理的理由は見いだせない。
在特会は街宣やデモのあと「お散歩」と称して商店街に繰り出し、商店主や買い物客に「お前は在日の味方か」とからむなど好き放題に暴れている。「カウンター」呼ばれる在特会への抗議活動の影響もあり、こうした示威行為は東京・新大久保や大阪・鶴橋では以前ほど見られなくなったが、それ以外の場所では相変わらずだ。在日コリアンはもちろん日本人も恐怖を覚え、沈黙を強いられている。
 私が在特会について書いたりしゃべったりする度に、ネット上でのや無言電話が繰り返される。その大半は匿名だ。私は自分の言説に責任を負うが、普通に暮らす人々はこうした匿名の攻撃に耐えられない。「言論には言論で対抗せよ」というのは、いじめを受ける子どもに「闘え」と言うのに似て、被害者側には非情だ。そもそも「不逞鮮人は殺せ」などという彼らの言葉は、人が自らの力で変更できない出自や属性への攻撃であって、言論ではあり得ない。当然、これに対抗する言論など存在しない。
 日本は人種差別撤廃条約を批准したが、差別扇動を法で禁じるよう求める第4条は、表現の自由に抵触するとして批准を留保している。その理由について政府は国連報告や国会答弁で「法規制を必要とするほどの民族・人種差別は国内にない」としている。
 民族差別は「在特会」として現にこの国に存在する。しかも、彼らの活動はエスカレートし続け、京都地裁判決につながった。さらに深刻なのは、その背後に、私たち日本人の在日コリアンに対する差別意識が広がっていることだ。むしろ、日本社会に存在する差別意識が「在特会」という突出した形で可視化されている--と言うべきだろう。こうした現実が、「ひどい民族・人種差別はない」とする政府見解で隠されてきた。
 「ヘイトスピーチ規制法」を作っても、実際の効果は疑わしい。それでも、立法化により「社会は差別を絶対に許さない」という姿勢を広く示すことに意味がある。私たちが自らの差別意識と向き合うきっかけにもなるだろう。新法ではなく、威力業務妨害罪や侮辱罪、名誉毀損罪など現行法で対処すべしとの意見もある。しかし、その方が司法当局による現行法の拡大解釈や恣意的な運用を許すことになり、危険ではないか。
 少なくとも、法規制を巡って活発に議論していくことには意味がある、と考える。【聞き手・井上英介】
やすだ・こういち 1964年生まれ。雑誌記者を経てフリーに。在特会を追いかけたルポ「ネットと愛国」(講談社)で講談社ノンフィクション賞を受賞。

独立機関による救済も
田中早苗 弁護士

 京都地裁の今回の判決は、ヘイトスピーチが特定の人たちに向けられたケースであれば現行法でも対処可能であることを示したモノで、妥当な内容だと思う。和歌山県太地町のイルカ漁を取り上げた米映画「ザ・コーブ」を巡っても、上映を妨害する街宣活動に対して損害賠償が命じられたり、映画館周辺での活動を禁止する仮処分が認められたりしてきた。裁判所の判断の積み重ねにより、許される表現と許されない表現の境目が徐々に形成されていく過程にある。
 今回は民事裁判の判決だが、威力業務妨害、脅迫など刑罰を適用する際、人種や出自、民族などを理由にした差別、憎悪を目的にした表現が伴っていれば刑を加重してもよいという議論に影響を与える可能性がある。加重罰であれば、ヘイトスピーチという表現自体を直接罰するわけではなく、より制限的な規制であることから、憲法上も許されると考えることもできる。
 一方、不特定多数に向けられたヘイトスピーチに対しては、どのような対処方法があるだろうか。判決を機に差別的な表現をそもそも法律で認めるべきではないという主張もでてきているようだ。例えば、そうしたスローガンを掲げる恐れがある人たちには、デモを許可しないというわけだ。差別を事前に規制するもので、差別表現は未遂でも違法だというのだろうが、それは行き過ぎだろう。
 海外では今なお、宗教や習俗的な理由で女性を差別し、低い社会的地位を強いているような国がないわけではない。女性の人権を守る活動をする市民団体のメンバーが、こうした国々の男性らを、憎悪するような表現で批判した場合はどうなるのか。違法かどうかの区別は難しいが、表現自体が認められなければ、人権団体の活動まで制約を受ける可能性がある。
 戦時中の「鬼畜米英」というスローガンは差別を助長する表現にあたる恐れがあるだろうし、昨年10月の発行号で同和地区を記した「週刊朝日」も処罰対象になりかねない。刑事罰が設けられれば、捜査機関がこうした表現内容の違法性を判断することになる危険性があり、あくまで慎重に考えるべきだ。
 それではどのような救済法があるだろうか。あえて問題提起するとすれば、政府から独立した行政委員会が申立人と相手方の間に入って仲裁したり、場合によって申立人の側に立って勧告を出したり、それでも問題が是正されなければ相手方名を公表するような仕組みが考えられる。
 刑務所や入国管理施設で、公務員による収容者への差別や虐待が問題になった際に、こうした人権救済機関の設置が求められてきた。ただし、日本に先駆けて救済機関を設置したカナダでは、行き過ぎた規制への反省から見直しが進んでいる。日本政府も、人権擁護法案(2002年)や人権委員会設置法案(12年)を国会に提出したが、審議未了のまま廃案になった。
 これには、表現の自由と規制をどう調整するかについて、社会的合意が得られていないという背景がある。やはり表現を禁止したり、救済機関を設けたりする前に、まずは市民社会が不特定多数に対するヘイトスピーチをなくしていくための工夫と努力を尽くすべきだ。法規制は最後の手段である。【聞き手・臺宏士】

たなか・さなえ 1962年生まれ。慶応大学法学部卒。弁護士。日本弁護士連合会人権擁護委員会副委員長。著書に「スクール/セクハラ防止マニュアル」(明石書店)。

規制 対処療法にすぎず
阪口正二郎 一橋大学大学院法学研究科教授

 ヘイトスピーチのような差別的表現に対する法規制の可否は、ヨーロッパやアメリカなど各国で長年、議論されてきた。規制に積極的なのはドイツだ。第二次大戦中に起きたホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の反省から人種差別的な発言は禁じられ、「ホロコーストはなかった」と発言するだけで処罰される。
 一方、消極的だったのはアメリカだ。マーチン・ルーサー・キング牧師らによる公民権運動は、行進や集会といった表現の自由の獲得と、差別の克服が一体となって進められた。だが、今はそのアメリカでもヘイトスピーチ規制を巡る議論が続いている。国際的には法規制への流れが進んでいると言えるだろう。
 日本では作家の筒井康隆さんが1993年に出版社による「差別語」の自主規制に反発して断筆宣言をしたことなどがあった。だが、他国に比べれば人種差別が社会的問題になっていないためか、表現と差別の問題が十分に議論されてきたとは言えないだろう。憲法学者の間でも意見が分かれているのが現状だ。
 そもそも、表現とは誰かを傷つける可能性があるものだ。誰に対し、どこでなされるかによって性質も変わる。オープンな場で意見を表現した場合は、政治的表現となる可能性もある。規制すべきかを論じるうえで、まず重要なのは、民主主義の視点から表現の価値を考えることだ。
 人種や民族、差別などを理由とした集団に対する差別表現は、何の責任もない被差別者の尊厳を傷つける。こうしたものに、表現として守るべき価値がどれほどあるのだろうか。表現には表現で対抗すべきだという意見もあるが、有効な反論ができるかは疑問だ。相手が怖くて反論できないこともあるだろう。社会に差別構造があれば反論をまともに聞き入れてもらえない。
 私は在日韓国・朝鮮人の学生とも接しているが、何気ない表現にも落ち込む姿を目にすることがある。ましてヘイトスピーチは相手を意図的に傷つけるものだ。一方的に標的にされる側はたまらない。そうなると、選択肢として規制もあり得るように思える。
 しかし、一方で規制導入を最も望んでいるのは政府だということをよく考える必要がある。規制の権限を与えても問題ないと言えるほど、政府は信頼できるだろうか。時には過激で差別的な言葉を用いて政治的な抗議がなされることもありうる。規制すべき表現と規制すべきでない表現の線引きは簡単ではない。だが、政府に規制権限を与えれば、正当な政治的表現まで禁じられるおそれがある。そう考えていくと、やはり規制には慎重にならざるを得ない。
 ヘイトスピーチの根本的な問題は差別にある。一部の日本人が韓国を嫌い、脅かされていると感じるのはなぜか。アメリカでは、貧困層に属する白人の若者が、アジアやヒスパニック系の若者に職を奪われると感じて対立していると言われるが、日本の場合は一方的な偏見が根底にあるのではないか。社会的に注目されたのを契機に、差別自体に目を向けるべきだ。
 「そもそも在特会の主張は正しいのか」「日本と朝鮮の間に過去に何があったのか」。規制の導入は、疑問を持ち、議論すべき問題にふたをすることにつながる。差別を解消しない限り、どんな規制も対処療法でしかない。【聞き手・藤沢美由紀】
さかぐち・しょうじろ 1960年生まれ。早稲田大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。著書に「立憲主義と民主主義」(日本評論社)など。専攻は憲法。
    --「論点 [ヘイトスピーチ規制]」、『毎日新聞』2013年11月01日(金)付。

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