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覚え書:「今週の本棚・この3冊:ヘミングウェイ=綿矢りさ・選」、『毎日新聞』2013年11月03日(日)付。

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今週の本棚・この3冊:ヘミングウェイ=綿矢りさ・選
毎日新聞 2013年11月03日 東京朝刊

 <1>蝶々と戦車(『ヘミングウェイ全短編3』所収、高見浩訳/新潮文庫/940円)

 <2>日はまた昇る(高見浩訳/新潮文庫/704円)

 <3>海流のなかの島々 上・下(沼澤洽治訳/新潮文庫/620 662円)

 乾いた酒というのがあるなら、ヘミングウェイの小説に描かれるジンだと思う。喉を潤すためではなく、酔いたい渇望をさらなる乾きで得るために、男たちは熱くひりひりしたジンで喉を焼く。ヘミングウェイの、樫(かし)の老木に似た、堅牢(けんろう)で少し皮肉交じりの完璧な文章は、居酒屋で喧嘩(けんか)する弱い男の威嚇や臆病さを、ただ滑稽(こっけい)なだけではなく、どこか胸の痛む同情の視線で見守る。短編「蝶々(ちょうちょう)と戦車」では、戦争下でピリピリしているスペインの居酒屋で、水鉄砲で悪ふざけをした男が殺されるまでを描いている。まるで悪意がなく、ただ陽気に酔っぱらった男を蝶、ちょっとした悪ふざけも最大の愚弄(ぐろう)と受け取り男を撃った他の民衆たちを戦車と例えたこの話は、短いながらも胸に突き刺さる。個人的にこの話で好きなのは、この「蝶々と戦車」という題名にもなっている最大の決め言葉を、ヘミングウェイを彷彿(ほうふつ)とさせる作家の主人公ではなく、事件の起こった居酒屋の支配人に言わせているところだ。謙虚というか、視線が暖かいというか、こういった細かな点にもヘミングウェイの美学が表れていると思う。

 『日はまた昇る』の、若者の焦燥感がスペインの闘牛場での命をかけた戦いによって煽(あお)られる描写も、ずいぶん昔に読んだ本だが、鮮烈に覚えている。享楽の影にある焦りと、遊戯の底にある死が、激烈な生の輝きを浮かび上がらせる。一番初めの長編で、のちに強固になるハードボイルドな目線が、まだ定まらず、無力さを抱えながらも、ときどき闇雲に凶暴になる登場人物たちの姿が、ヘミングウェイの若さを反映しているようで、それも味わい深い。

 もっとも最近に読んだのは『海流のなかの島々』。キューバに移り住んだ老いた男の話で、彼が画家のせいか、釣りや海や酒の描写がこと細かで美しい。文章にも映像と同じく、画素数があるのだなと感じる鮮やかさと明度だ。離婚して家族と別々に住む主人公は子どもが恋しい。しかしもう一度家族と共に住み、騒がしい生活に戻ることは、死んだ愛する人を生き返らせてほしいと願うくらい、実現不可能だと感じる。自分の生活様式と自由が確立された望み通りの世界に生きながらも、それでは足りないと孤独にあえぐ、ヘミングウェイ自身の苦悩が見え隠れしている。男の中の男、というイメージで後世に語り継がれている彼の、彼なりの苦しみが、自殺前のこの遺稿を通して鮮明に伝わってくる。
    --「今週の本棚・この3冊:ヘミングウェイ=綿矢りさ・選」、『毎日新聞』2013年11月03日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20131103ddm015070015000c.html:title]


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