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覚え書:「今週の本棚:村上陽一郎・評 『イヴリー・ギトリス ザ・ヴァイオリニスト』=フィリップ・クレマン編」、『毎日新聞』2013年11月03日(日)付。


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今週の本棚:村上陽一郎・評 『イヴリー・ギトリス ザ・ヴァイオリニスト』=フィリップ・クレマン編
毎日新聞 2013年11月03日 東京朝刊

 (春秋社・2625円)

 ◇魂をわしづかみする老演奏家へのオマージュ

 本欄では、できるだけ邦人の労作、意欲作を紹介するよう心がけてきましたが、今回は例外的に翻訳ものになりました。ギトリスというヴァイオリニストに捧(ささ)げられたオマージュが本書です。翻訳は原著とは多少構成を変えています。

 一九二二年生まれですから、九十歳を超えて、なお現役の演奏家として世界中を飛び回っているのがギトリスです。家系はロシア、イスラエル(というよりは、時代としてはまだパレスティナ)生まれ、というだけで、家の歴史が想像されるわけですが、五歳にして楽器を手にする。ヴァイオリン奏法には幾つかの流派が存在しますが、彼が教えを受けた先生を列挙すると凄(すご)いことになります。まずはA・ブッシュの直弟子、次にJ・シゲティの直弟子、そしてB・フーベルマン、G・エネスコ、K・フレッシュ、J・ティボー、T・パシュクス(ヴァイオリンを学ぶ人なら誰もが一度は師事したいと願うアメリカの名教師)といった具合で、系列を特定できないような有様です。

 そして、まさしく彼の演奏は、誰の系列とも言えない、文字通りギトリスの音楽なのです。そうであるがゆえに、かつては、評論家仲間からは異端扱いされたり、無視されたり、毀誉褒貶(きよほうへん)ただならぬものがありました。一九五一年のティボー・コンクールで五位となったのも、また、その結果に聴衆が猛烈なブーイングで応じたのも、それを象徴する出来事でした。しかし、後には、Y・メニューイン、N・ミルシュタイン、I・スターン、I・パールマンら同業者も、M・アルゲリッチ、Z・メータ、M・マイスキー、M・アンドレら異業種の音楽家も、彼を賛美して已(や)まない、一種神聖化された存在になっています。

 彼の音楽を一度でも聴かれたなら、好悪は別にして、自分の魂をわしづかみにされたような経験をされるでしょう。レパートリーは、古典から現代音楽まで、さらには、演奏会場ばかりではなく、様々な場所で、様々な登場者(空手の選手、M・マルソーのようなパントマイムなど)と共演するイヴェントまで、実に多様な活動を繰り広げてきました。彼には『魂と弦』という自伝がありますが(邦訳は同じ訳者、同じ出版社)、本書でも、そうした彼の音楽の世界は十分に紹介されています。

 ただ、本書には、ほかにない二つの大きな特徴があります。一つは、編者の役割です。編者は同じヴァイオリニストでありながら、ギトリスに魅せられ、彼の半生に密着して過ごし、細大漏らさず、演奏活動や言動を示す資料を集め、整理して本書に掲載しています。だから、日本でのチラシ(当然日本語の)なども、きちんと収録されていますし、最後に付されたディスコグラフィも、凄いとしか形容できません。

 もう一つは、日本との関わり、特に「三・一一」を巡るギトリスの思いと行動が、克明に記されていることです。そこには日本でのマネージャー役中村聡武氏の貢献が大きいのですが、災害直後の四月には、「自分が行くと言えば、災害に尻込みしている連中も考え直すだろう」と来日を決意、渡航費もギャラも要らない、と被災地に入り、荒れ果てた現地に沈黙・涙し、それでも、人々との交流を求めて、音楽を奏で、また若い生徒たちの奏でる音楽に打たれ、音楽の力をあらためて確認する、一人の人間の姿が活写されています。

 単なる一人の演奏家の事績を超えて、人間賛歌とでも言うべき書物として、音楽ファン以外の方にもお勧めしたいと思います。(今井田博訳)
    --「今週の本棚:村上陽一郎・評 『イヴリー・ギトリス ザ・ヴァイオリニスト』=フィリップ・クレマン編」、『毎日新聞』2013年11月03日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20131103ddm015070019000c.html:title]


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