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覚え書:「今週の本棚:湯川豊・評 『沈むフランシス』=松家仁之・著」、『毎日新聞』2013年11月03日(日)付。


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今週の本棚:湯川豊・評 『沈むフランシス』=松家仁之・著
毎日新聞 2013年11月03日 東京朝刊

 (新潮社・1470円)

 ◇静寂の中に“生の元型”をたどる恋愛小説

 この長篇はストーリーに劇的な起伏がない。静かな小説、というより静寂を描くのが目的なのかと思われるようでいて、しかし中身は確かに濃密な恋愛小説なのである。

 撫養(むよう)桂子は三十代半ば、東京の会社勤めをやめて、北海道東部の湧別(ゆうべつ)川沿いにある山村にやってきた。そこで非正規の郵便局員になって暮らし始める。郵便物の配達が主な仕事だ。中学生時代の三年間、乳製品会社に勤めていた父親の転勤で隣り町に住んでいたことがあり、あの湧別川沿いの村へ行きたいという思いがつのり、それを実行したのだ。

 桂子は配達で村の中心から少し離れた、川沿いに一人で住む寺富野(てらとみの)和彦と知りあった。遊びにこないかと誘われたのをきっかけに、短時間で急速に親しくなり、男と女の関係が始まる。和彦は三十八歳。

 その後のほぼ一年が語られるのだが、三人称小説だけれど語りの視点は桂子という女の側におかれている。和彦には桂子が関係した後もナゾめいた部分が多いのは語り口からしても当然。仕事は、湧別川から導入した水でフランシス・タービンをまわして発電する、小発電所の管理人。オーディオ・マニアで、この世界のあらゆる音を集めている音の蒐集(しゅうしゅう)家。そのへんはすぐにわかるのだが、隣り町に五年間別居中の妻がいることなどは、関係が深まるにつれて少しずつ明らかになってゆく。

 桂子と和彦はあっという間にまず体が結ばれた。桂子の視点から、その経緯がつぶさに語られるのだが、そこで特徴的なのは、ベッド・シーンの描写が、じつに克明であることだ。唇や手、性器の動きにいたるまで、克明で正確。見て、感じるのは桂子という女で、それが中立的で論理的な男の文体でたどられる。そこに生ずる背反が不思議な効果をつくっていて、性描写の正確さから、肉体関係の哀(かな)しみがにじみ出してくるのに胸をつかれる。

 描写といえばもう一つ、現代の小説ではきわめてめずらしいといえるほど、随所に自然描写が現われる。描写は筋の展開をいったんは中断させるものだから、現代作家は長くそこにとどまることを嫌いがちだ。しかし描写は場面(シーン)をつくる大切な手段で、これなくして小説は大きなものを失なう。筋に起伏がないことが逆にそれを可能にしているのか、著者は平然と目にしみるような自然描写をやってみせる。

 雪が降ってくる場面。北国の川の流れ。圧倒的な天空の星。それらが、一組の男女の肉体の結びつきを囲んでいるというかたちだ。

 自然描写でとりわけ心に迫るのは、村はずれに一人で住む、目の見えない老婦人の御法川(みのりかわ)さんが桂子に語る、小学校三年生のとき見た夕焼けの空。いつもより低いところに段々になって浮かんでいる雲が、ぜんぶ夕焼けの赤い雲になっていた。凄絶(せいぜつ)な空のいろを語ったすぐ後で、老婦人は巫女(ふじょ)のように告げる。

 「ほんとうは誰でもただ流れてるだけでしょう。なにかに連れ去られるようにして、いつのまにかたどりついたところに、ひとは立ってるの」

 御法川さんは、日常生活の中で人が背負っている生の元型を語っているのだ。

 小説の最後、川の氾濫でフランシス・タービンが水没するのを、丘の上から二人が見ている。そのとき和彦は離婚を決意している。二人は流れついたところで、共に立つのを覚悟したかのよう。ここに至って、恋愛小説の余韻として、とてつもなく充実した静寂が、小説の中でふんだんに聴いたさまざまな音の中から、身に迫るように聴こえてくる。秀作である。
    --「今週の本棚:湯川豊・評 『沈むフランシス』=松家仁之・著」、『毎日新聞』2013年11月03日(日)付。

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