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覚え書:「石田徹也ノート [著]石田徹也 [評者]水無田気流(詩人・社会学者)」、『朝日新聞』2013年11月17日(日)付。


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石田徹也ノート [著]石田徹也
[評者]水無田気流(詩人・社会学者)  [掲載]2013年11月17日   [ジャンル]文芸 


■強い視力で描かれた世界

 石田徹也の作品を初めて直(じか)に見たのは2008年、「僕たちの自画像」展だった。見終えて出ると、視界が変わっていた。現実への焦点の絞り方が書き換えられ、日常と見慣れぬものが淡々と交錯していった。石田はこれより少し前、05年に亡くなったと聞いた。
 本書には「石田徹也展」出品作を中心に、代表作が多数所収。下絵やメモも盛り込まれ、創作の意図や方法論がうかがわれる。思考の跡を記した「ノート」は51冊に及び、綿密に計算しつつ一気に離陸し、かと思えば日常と奇妙に接続する世界観に触れることができる。90年代によく描いた機械と融合する無機質な人物像から、00年代の有機的な生生流転モチーフに至るまでの濃密な時間が展開する。
 繰り返し描かれる自画像は、自我や主体を表明するよりも、むしろそこから離脱し、日常性を脱臼させていく。テレビと、トイレと、戦闘機と、あるいはダンゴムシと……、さまざまなモチーフと融合する「自分」。これらの作品が描かれた90年代は、確固たる主体や自我が疑問視された時期だ。また70年代初頭生まれの石田や評者は、最後の戦後昭和的量産型の子どもたちである。石田は、ノートにこう綴(つづ)っていた。「他人の中にある自分という存在を意識すれば、自分自身によって計られた重さは、意味がなくなる」。その没個性や匿名性について「落たんするのでなく、軽さを感じとること。それがユーモアだ」と。
 オリジナリティーそのものへの真摯(しんし)な問いは、やがて没我の極みともいえる自然の生成力や死と再生を想起させるモチーフ――幼児やベビー用品、植物や海へと至る。痛み、悲しみ、怒り、そして諧謔(かいぎゃく)など、さまざまな表現で説明される石田の作品だが、なぜかどれもしっくりこない。ただひたすら強い視力で見た世界を、その強度のままに描いて見せてくれたことに、感謝と哀悼の意を表したい。
    ◇
 求龍堂・3150円/いしだ・てつや 73年生まれ。画家。05年踏切事故で死去。著書『石田徹也遺作集』など。
    --「石田徹也ノート [著]石田徹也 [評者]水無田気流(詩人・社会学者)」、『朝日新聞』2013年11月17日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013111700010.html:title]

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