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覚え書:「今週の本棚:池内紀・評 『緩慢の発見』=シュテン・ナドルニー著」、『毎日新聞』2013年11月24日(日)付。

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今週の本棚:池内紀・評 『緩慢の発見』=シュテン・ナドルニー著
毎日新聞 2013年11月24日 東京朝刊

 ◆池内紀(おさむ)評

 (白水社・2940円)

 ◇せわしい時代に光る、のろまな探検家の物語

 世界地図のカナダ北部、北極圏のしるしのさらに北、大小の島々がひしめきあったところに「フランクリン」とある。十九世紀前半のイギリスの探検家ジョン・フランクリン(一七八六-一八四七)にちなんでいる。当時、地図上では空白だった海域に北西航路を開くため、イギリス海軍によって派遣された。船が氷塊に閉じこめられ、飢えにさらされながら、ふた冬をしのいだが力つきた。船を捨てて脱出をはかった一〇五名の乗組員も悲劇的な死をとげた。通信技術のなかったころで、真相が明るみに出たのは、最後の船影をとどめてより十四年後のことである。

 海軍士官にして探検家の伝記が、どうして『緩慢の発見』などというタイトルなのだろう? とまどう方がいるかもしれないが、せかせか答えをさがさないでほしい。四〇〇ページをこえる大冊なのだ。ゆっくりをモットーにしていただこう。

 著者ナドルニー(一九四二~)は早くからフランクリンに親しんできた。そしてこの人物にめだつ一つの特性に気がついた。幼いころから並外れてのろまだった。行動、話し方、反応、すべてのろくさくて悠長である。学校ではいじめられ、遊びのときも仲間はずれ、せいぜい紐をもっているだけの役まわりを押しつけられる。緩慢な応答にいらついた相手が途中で背をむける。その背中につかみかかり、教師から罰として地下牢(ろう)に入れられた。「ジョンは、まるで蜘蛛(くも)のように待つことができる。ただ、なにか読むものさえあれば!」

 少年は本が好きだった。「紙は急(せ)かすことなく待ってくれる」からだ。

 『緩慢の発見』がドイツで出たのは一九八三年である。三十年前であって、おりしもパソコン・メディアが急速に普及しはじめた。かたときも休まず情報が送られてきて、一瞬のうちに結果がわかり、何ごともスピードであって、機敏で、エネルギッシュで、頭の回転の速い人間がのして(、、、)いく。著者が伝記をかりて、どのようなテーマを追求したかあきらかだ。

 のろまで緩慢なタイプにそなわっている大切な特性。フランクリンの場合は教師の一人が気づいた。のろくさい少年だが、はたして欠陥なのかどうか。少なくともそれは一つの長所と結びついている。時間をかけてよく見て、こまかく記憶している。どんな状況でもあわてないし、ねばり強く我慢して窮地を脱していく。

 いうまでもないことながら、大きなことをするためには力をためていなくてはならず、着実に行動しなくては状況は変わらない。あわただしい時代だからこそ反時代的な特性が生きてくる。小説の終わりちかくに、こんな個所がある。

 「ジョンに残ったのは、どんなことも最後までやりぬくという習慣だった。陸の上では、それは難しい。『なにを言ってる?』とジョンはつぶやいた。『楽だったことなんて、一度もなかったじゃないか!』」

 優れた小説の特性だが、語りにテンポがあって、場面転換があざやかだ。イギリス海軍という特殊な世界、ナポレオン後のヨーロッパの政治状勢、初期探検時代の無防備と無謀さ、飢餓状態におかれた人間の本能と行動。伝記的事実と背景のいっさいを、のろまな男を中心にして語っていく。小説自体は少しの緩慢も許されない。これほどの離れワザを、たのしく大冊でなしとげた力量におどろく。ドイツ文学にあって、もっともっと紹介されていい作家なのだ。(浅井晶子訳)
    --「今週の本棚:池内紀・評 『緩慢の発見』=シュテン・ナドルニー著」、『毎日新聞』2013年11月24日(日)付。

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