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2013年11月

日記:特定秘密保護法案に反対する学者の会


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……この法律が成立すれば、市民の知る権利は大幅に制限され、国会の国政調査権が制約され、取材・報道の自由、表現・出版の自由、学問の自由など、基本的人権が著しく侵害される危険があります。

特定秘密保護法案に反対の立場ですので、学者の会の趣旨と声明に賛同し、連名するものであります。

氏家

[http://www.anti-secrecy-law.blogspot.jp/:title]

特定秘密保護法案の廃案を求めるアピール
[http://blog.tatsuru.com/2013/11/27_1135.php:title]

特定秘密保護法案に反対する学者の会記者会見全文
[http://blog.tatsuru.com/2013/11/29_1257.php:title]

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秘密保護法案 『軍事国家に道』 ノーベル賞学者ら抗議声明

 ノーベル賞を受賞した益川敏英・名古屋大素粒子宇宙起源研究機構長や白川英樹・筑波大名誉教授ら31人が「特定秘密保護法案に反対する学者の会」を結成し、同法案の廃案を求める声明を28日、発表した。声明は「憲法の定める基本的人権と平和主義を脅かす。学問と良識の名において秘密国家・軍事国家への道を開く法案に反対する」としている。
 学者の会は憲法学の樋口陽一東大名誉教授、歴史学の加藤陽子東大教授、政治学の姜尚中聖学院大教授ら、さまざまな分野の研究者で公正。ほかに304人が賛同者に名を連ねている。
 声明は「市民の間に批判が広がっているにもかかわらず、何が何でも成立させようとする与党の政治姿勢は、思想の自由と報道の自由を奪って戦争へと突き進んだ戦前の政府をほうふつとさせる」と危機感を示している。
 同日、東京都内で記者会見した栗原彬立教大学名誉教授(政治社会学)は「全ての情報を統制したナチスドイツの全権委任法に当たる」と指摘。杉田敦法政大学教授(政治学)は「法案は非常に粗雑で秘密指定はノーチェックに等しい。行政府に権力を集中させ、その他の発言権を失わせる意図があるのでは」と述べた。
 小森陽一東大教授(文学)は「本質は『国家秘密隠蔽法』だ。国民の主権者性を根本から奪ってしまう。解釈改憲に明確に結びつくものだ」と批判した。

 同会には、樋口陽一・東北大名誉教授(憲法学)▽加藤陽子・東京大教授(歴史学)▽姜尚中・聖学院大教授(政治学)▽佐和隆光・京都大名誉教授(経済学)−−ら、さまざまな分野の学者が参加。304人の賛同者が集まっているという。
    --「秘密保護法案 『軍事国家に道』 ノーベル賞学者ら抗議声明」、『毎日新聞』2013年11月29日(金)付。

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覚え書:「晩年様式集 イン・レイト・スタイル [著]大江健三郎 [評者]佐々木敦(批評家・早稲田大学教授)」、『朝日新聞』2013年11月24日(日)付。

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晩年様式集 イン・レイト・スタイル [著]大江健三郎
[評者]佐々木敦(批評家・早稲田大学教授)  [掲載]2013年11月24日   [ジャンル]文芸 

■絶望でなく希望、深く透明な感動

 「三・一一後」と端的に表現される日々、作中で自らを「後期高齢者」と幾度となく記すことになる老作家は、およそ半世紀前に障害を持ってこの世界に誕生し、これまで彼が書いてきた数多くの小説で常に中心的な存在であり続けてきた息子を始め、十数年前に自ら命を絶った幼なじみの映画監督の妹でもある妻、気丈さと不安定を併せ持った長女、小説家が繰り返し物語の舞台としてきた、彼らが生まれ育った「四国の森のへりの谷間」に今もひとり住む妹、すなわち彼の「登場人物」たちによって「逆襲」されることになる。
 具体的には、妹アサが妻千樫、娘真木と結成した「三人の女たち」が、長年にわたって彼の小説に一方的に描かれてきたことに対する「反論」を次々と書き送ってくる。そこで老作家は、彼自身が書き進める連載小説『晩年様式集』の各回に「三人の女たち」による文章を添えていくことを思い立つ。こうして開始された連載は、彼と家族たちの「三・一一後」の日々を綴(つづ)りながら、過去の小説で語られてきた幾つかの出来事の(何度目かの)再検討の様相を帯びてゆく。
 やはり以前の作品の重要な「登場人物」だった「ギー兄さん」の息子で、テレビ番組プロデューサーの「ギー・ジュニア」がアメリカからやってきて、彼らへのインタビューを記録し出すと、そこで語られた証言や告白も自在に取り込まれ、小説は刻々とポリフォニック(多声的)になってゆく……。
 「逆襲」などという、いささか強い言葉を使ったが、実際この小説は、大江健三郎の多くの著作に書かれてきたことを幾つも覆す。なにしろ息子のアカリでさえ、これまで描かれてきたものとは、まったく違った顔を覗(のぞ)かせるのだ。もちろん、これはこれまでのすべての作品と同じく「小説」なのだから、そもそもが事実そのままであるわけがないし、老作家自身が作中で明確に断っているように、これはいわゆる「私小説」ではない。
 けれどもしかし、それでもやはり、大江小説の長年の読者であれば尚更(なおさら)、この明らかに切羽詰まった、時として混乱してさえいるかに映る、畳み掛けるような「再検討」には、ひどく動揺させられるに違いない。これはどうしたことか? いったいこの偉大な老作家に何があったのか?
 大江健三郎が最初に「最後の小説」というフレーズを用いてから、長い年月が過ぎている。その間に彼は何作もの「最後の小説」を著してきた。だが、彼は今や正真正銘の「後期高齢者」であり、世界は「三・一一後」である。晩年の様式とは、そういう意味だ。だがしかし、それでも老作家は、絶望ではなく希望を、最後の最後に記す。深く透明な感動が遺(のこ)される。
    ◇
 講談社・1890円/おおえ・けんざぶろう 1935年生まれ。作家。58年、「飼育」で芥川賞。67年、『万延元年のフットボール』で谷崎潤一郎賞。94年、ノーベル文学賞。著書に『取り替え子(チェンジリング)』『水死』『定義集』など。
    --「晩年様式集 イン・レイト・スタイル [著]大江健三郎 [評者]佐々木敦(批評家・早稲田大学教授)」、『朝日新聞』2013年11月24日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013112400003.html:title]


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覚え書:「ゾミア 脱国家の世界史 [著]ジェームズ・C・スコット [評者]柄谷行人(哲学者)」、『朝日新聞』2013年11月24日(日)付。

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ゾミア 脱国家の世界史 [著]ジェームズ・C・スコット
[評者]柄谷行人(哲学者)  [掲載]2013年11月24日   [ジャンル]社会 国際 

■支配逃れ「遊動」、山地民の「歴史」

 表題の「ゾミア」とは、東南アジア大陸部(ベトナム、カンボジア、ラオス、タイ、ミャンマー)および中国南部の丘陵地帯を指す新名称である。そこには、まだ国民国家に統合されていない人々が存在する。彼らは主として、焼き畑と狩猟採集で生きている。
 これまで、彼らは山岳民族ないし原始人の生き残りと見なされてきた。しかし、著者の考えでは、もともと平地にいた農耕民である。水稲農業は必ず国家の支配、階級的支配をもたらす。そこから逃れるため山地に向かった人々が、焼き畑狩猟を始めたのである。それは遊動的な暮らしであるため、共同所有があり、したがって、平等主義的な社会が維持されたのである。
 彼らは歴史をもたないといわれる。しかし、歴史は国家によって記録されるものだ。山地民は国家から逃れ国家を阻むように生きてきたのであり、それが彼らの「歴史」である。とはいえ、山地民は平地の世界から孤絶してきたのではない。交易・戦争などを通して、たえず平地の世界と交通してきた。つまり、山地民と平地の国家は、相互的な関係において存在してきたのである。本書は「ゾミア」の地域について詳細に分析するとともに、それが各地に普遍的に存在することを示唆している。
 事実、このような山地民の世界は、日本人にとって無縁ではない。たとえば、柳田国男は約1世紀前に、宮崎県椎葉村で焼き畑狩猟民の「社会主義」的世界を見た衝撃から、また、このような山地民の世界がまもなく消えてしまうだろうという危機感から、民俗学研究に向かったのである。「ゾミア」の山地民世界も、いま急速に消えつつある。同時に、そのことが今、ミャンマー、ラオス、中国などで、深刻な政治的・宗教的な紛争をもたらしている。それを理解するためにも、本書のような本が必要である。
    ◇
 佐藤仁監訳、みすず書房・6720円/James C.Scott 36年生まれ。米エール大学教授(政治学、人類学)。
    --「ゾミア 脱国家の世界史 [著]ジェームズ・C・スコット [評者]柄谷行人(哲学者)」、『朝日新聞』2013年11月24日(日)付。

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覚え書:「そして名画があった:/97 バルジ大作戦=玉木研二 /東京」、『毎日新聞』2013年11月21日(木)付。


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そして名画があった:/97 バルジ大作戦=玉木研二 /東京
毎日新聞 2013年11月21日 地方版

 ◇ヒトラーの成算なき賭け

 本土空襲も広がり、戦局悪化の一途をたどっていた1944(昭和19)年12月20日。毎日新聞の第1面(といっても、当時は統制下で新聞は紙1枚、表裏2面しかなかった)にこんな見出しの記事が地図付きで載った。

 「独の大攻勢鋭し」「今時ぞ到(いた)る」

 欧州の戦局を伝えるベルリン特電である。記事は「西部戦線は16日早暁、独軍の大規模反撃開始によって果然新展開を見せるに至った」とし、「西部要塞(ようさい)の前面に布陣する米軍陣地に突入、不意を食った米軍を随所に撃破し」と興奮気味に報じる。

 記事の横には国軍の最長老で西部戦線の最高司令官、ルントシュテット元帥が将兵に対し「祖国と総統のために一切を捧(ささ)げ、超人的な行為を遂行するという神聖な義務」を説く布告が載っている。

 この年6月、フランスのノルマンディーに連合国軍が上陸した。ドイツ軍は既に東部戦線でソ連軍に圧倒され、西部戦線も後退を続けて日々敗色を濃くしていた。

 追い詰められたヒトラーの、最後のばくちのような作戦がこれだった。知らされた将軍たちの多くは内心あきれたが、結局従った。

 米軍は後に「バルジの戦い」と呼んだ。バルジは英語で「出っ張り」などを意味する。突き出してきたドイツ軍戦車隊は奮戦したが……。

 これを素材にしたケン・アナキン監督の米映画「バルジ大作戦」(1965年)で広く知られることになる。

 映画は、空気に流されず、冷静に情報を分析、情勢を判断する米軍中佐(ヘンリー・フォンダ)を軸に展開する。

 ベルギーのアントワープも失い、もはや反転攻勢の余力はなさそうなドイツ軍。冬季に米軍の進撃も停滞気味だったが、将兵の間には、ほどなくクリスマスで戦争も終わるという楽観的な気分が広がっていた。司令部も大勢は決したとみた。

 だが、悪天候を突いて中佐は偵察飛行をし、写真を見て、ドイツ軍集結の気配を察知する。そして司令部に敵は近く攻勢をかけてくる可能性があると進言するが、情報担当者に否定される。

 前線の士気も緩んでいた。そこを突くように、決戦のために集められたドイツ軍戦車隊は森の濃い霧に守られ進撃する。突然近づいてくる無限軌道の地響きと砲撃に米軍は雪中を敗走、捕虜も出る。
 
 ドイツ軍の目標は、スピーディーな突進攻勢で米軍を分断してその戦列を大混乱に陥れ、西部の戦局を転換することにあった。(そして講和をし、東の対ソ戦に軍を集中すると考えたといわれる)

 アメリカ暮らしの経歴があり、英語が母国語のように堪能なドイツ軍将兵がひそかに米軍背後に送り込まれ、米将兵を装ってかき回した。標識を変えて米軍を誤った方向に行かせたり、撤退の妨害工作をしたりする。

 だが、ドイツ軍には決定的な弱みがあった。燃料が足りないのだ……。

 撮影はスペインで行われた。大量に動員された戦車がワイドスクリーンいっぱいに繰り広げる戦いは、迫力がある。近代戦の戦車は第一次世界大戦に登場するが、今では大がかりな戦車隊同士の正面戦が起きることはまずないだろう。戦略的攻撃兵器の主役は空へ、宇宙へと階段を上がって行った。

 だが、映画の主役はあくまで人間だ。敵の動きを見抜いた米軍中佐をはじめ、さまざまな将兵がドラマを織りなしているが、中でも強烈な印象を残したのはドイツ軍の戦車隊を指揮した大佐だ。

 これを演じた名優ロバート・ショウは「敵役」ながら、主役を食ってしまった観がある。合理的思考の持ち主ながら、軍人の誇りは高く、激戦地を何度もくぐって戦車戦術には絶対の自信を持つ。

 作戦で彼に託された戦車兵たちを見て、あまりに未熟な若さにひそかに落胆するが、一人が歌い始め、合唱になった戦車隊の歌「パンツァーリート」に彼も和し、絶望的な戦いに臨む覚悟をするシーン。後半の激烈な戦車戦とともに記憶に深く残る。

 さて、盟友ドイツ軍の大反攻の報を当時の日本の国民はどう受け止めただろう。空襲もあり、窮迫する戦時生活の中で、考える余裕もなかったか。あるいは、連日の大本営発表の虚飾を感知し、戦況記事そのものへの関心を次第に薄めていたか。

 「バルジ大作戦」が東京で公開されたのは1966年4月16日だった。64年のオリンピックを境に東京の街のかたちも人の姿も変わり、経済的豊かさを増す中で戦争体験の「風化」がいわれた。

 映画館で「そういえば、そんな記事があったな」と、思い出した人はまずいまい。

      ◇

 次回は「八月の鯨」です。
    --「そして名画があった:/97 バルジ大作戦=玉木研二 /東京」、『毎日新聞』2013年11月21日(木)付。

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[http://mainichi.jp/area/tokyo/news/20131121ddlk13070002000c.html:title]


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覚え書:「書評:安全保障とは何か 国家から人間へ 古関 彰一 著」、『東京新聞』2013年11月24日(日)付。


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安全保障とは何か 国家から人間へ 古関 彰一 著

2013年11月24日


◆基地=安全? 疑問解く旅
[評者]前泊博盛=沖縄国際大教授
 日米安保は何から何を守っているのか。安全保障=アンポ(日米安全保障条約)という敗戦国日本の国民意識を縛る「戦後レジーム」の核心に、憲政史学の大家が挑んだ。
 なぜ戦後の日本では「安全保障」が「アンポ」と同義語になり、なぜ「基地」と「安全」は結びついてしまったのか。著者は「こんな単純な疑問」を半世紀も抱き続けてきたという。疑問を解く旅は北欧・西欧諸国へ、近代二百年という時空を超えた探査に及ぶ。
 シェイクスピア『ジュリアス・シーザー』から「セキュリティ=油断」の概念。ホッブズ『リヴァイアサン』から「社会の目的=個々人の安全保障」という関係性。アダム・スミス『道徳感情論』から「健康、財産、身分、評判を危険にさらさない」という理念。マルクス『ユダヤ人問題によせて』から「利己主義の保障」の視点。ベンサム『永遠平和綱領』から人民が利得者となるための「期待する安全保障」概念など、実に多彩な視点・論点から安全保障論を展開している。
 安全保障をめぐる時空を旅した著者は、ベンサムの時代に個人の、しかも自由と人権のために誕生した安全保障は、二十世紀後半に国家の、しかも軍事中心に変化してしまった、との総括に至る。そして、「触媒国家」という考え方やNGO(非政府組織)による「人間の安全保障」の事例を紹介し、国家権力と国家組織のための国家安全保障の「上意下達型」のグローバルガバナンス偏重の安保から、「下意上達・参加型」への転換を促している。
 ネットの「キーワード検索」などでは困難な、著者の探究・訴求力、そして慧眼(けいがん)が、戦後レジームの「アンポ至上主義」という国家催眠から国民を覚醒させる。本書は、集団的自衛権の解禁、秘密保護法の制定、オスプレイの強行配備、辺野古新基地の建設強行など「国民を守らず、国民を犠牲にするアンポ」の矛盾を突き、占領政策の呪縛から国民を解き放つ啓発書である。
(岩波書店・2940円)
 こせき・しょういち 1943年生まれ。獨協大教授。著書『日本国憲法の誕生』。
◆もう1冊 
 豊下楢彦著『集団的自衛権とは何か』(岩波新書)。戦後史の中での集団的自衛権の位置づけを検証し、今後の日本の選択を考える。
    --「書評:安全保障とは何か 国家から人間へ 古関 彰一 著」、『東京新聞』2013年11月24日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013112402000176.html:title]

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覚え書:「書評:海の武士団 水軍と海賊のあいだ 黒嶋 敏 著」、『東京新聞』2013年11月24日(日)付。

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海の武士団 水軍と海賊のあいだ 黒嶋 敏 著

2013年11月24日


◆中世の多様な海の慣行
[評者]渡邊大門=歴史研究者
 著者は豊富な研究業績を持つ気鋭の中世史研究者。本書は海を舞台にして、そこに生きる村上水軍など「海の武士団」の姿を中世(鎌倉-織豊期)全般を通して描く。さらに海の武士団と権力との関わりや多様な海の慣行を論じており、新鮮な視点を与えてくれる。
 たとえば、船が難破して上陸し、積荷が現地の人々に奪われた場合はどうなるのか。中世において漂着船の積荷は、「無主(持ち主のいないもの)」となり、その土地のものにできるという。つまり、奪われた積荷は、戻ってこないのである。これを「寄船慣行」という。寄船とは漂着船である。積荷は寺社の造営費用などに充てられた。
 また、船が入港する場合、「津料(つりょう)」という税が課された。一般的に、津料は港の施設維持費・使用料と捉えられているが、それだけではない。他国からやってきた船は立場が弱く、さまざまな言い掛かりをつけられ、積荷が強奪される危険性があった。津料はそれを回避するため負担されたという。
 そこにあるのは、「ヨソモノ」を危険から守る「ローカルの論理」である。他国から来る人々は、危険を避けるため津料などを負担した。それらは税でなく、ローカルの論理に基づく在地慣行だったのである。
 鎌倉-室町期までは海の武士団と幕府・守護などが持ちつ持たれつの関係を維持していたが、ローカルの論理はやがて危機にさらされる。その契機となったのは、強大な権力を持つ戦国大名の登場である。津料の徴収をめぐり紛争が起こると、統治者である戦国大名はローカルの論理を規制せざるを得なくなった。やがて、その動きは豊臣秀吉の「海賊停止令」へと繋(つな)がる。
 たしかな史料と先行研究に基づいた豊富な事例とその展開は、実にわかりやすい。本の帯には、同じく海に注目した中世史家・網野善彦氏を意識して「網野史学の先へ」と記されているが、看板に偽りはない。広く読まれることを期待したい。
(講談社選書メチエ・1680円)
 くろしま・さとる 1972年生まれ。東京大助教。著書『中世の権力と列島』。
◆もう1冊 
 高野澄著『歴史を変えた水軍の謎』(祥伝社黄金文庫)。村上・九鬼水軍の活動史や、水軍・海賊を制した武将の歴史の謎を解く。
    --「書評:海の武士団 水軍と海賊のあいだ 黒嶋 敏 著」、『東京新聞』2013年11月24日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013112402000175.html:title]

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覚え書:「引用句辞典 トレンド編 ソーシャルメディアが生み出す監視社会=鹿島茂」、『毎日新聞』2013年11月23日(土)付。


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引用句辞典 トレンド編
ソーシャルメディアが生み出す相互監視社会
鹿島茂

[ルサンチマン]
 世間は、大部分の人間は自分の内部から私心や利己心の臭気が立昇る事を極度に恐れてゐる。それを他人に嗅ぎ附けられる事を何よりも恐れてゐる。 (中略)彼等は吐け口を何処にも見出す事が出来ない。どの口にも「純粋」といふ栓が詰め込まれてゐる、その硬い栓を緩めるものが世界への平和とか日本人民の幸福とかいふ観念、即ち動機に他ならぬ。
(福田恆存『保守とは何か』浜崎洋介編 文春学藝ライブラリー)

 西欧近代の思想とは、個人がやりたいことをやり、言いたいことを言うのは「良いこと」だと考える個人主義を基本にしている。だが、個人主義は必然的に利己心を伴う。というよりも、利己心のソフトな言い換えが個人主義ということなのだ。しかし、野放しの利己心だけではホッブスの「万人の万人に対する戦い」になってしまうから、法律という制約が必要となる。とはいえ、それでも、西欧では共同体(村、町、会社、国家)と個人をはかりにかけたら、個人の方が重いと見なすことに変わりはない。
 法律という制約しかないアメリカ社会が個人主義(利己心の発揮)に寛容なのはこのためだし、ブログやツイッターというソーシャルメディアがアメリカで誕生したのも同じ理由による。ただし、ソーシャルメディアでも一定ラインを超えたら訴訟が待っているというルールはゲーム参加者の全員に共有されている。
 ひるがえって、日本を見るとどうだろう? 戦後、個人よりも共同体が大事と見なす社会構造が崩壊し、共同体よりも個人が大事というモラルが一般化した。しかし、一方で利己心による駆け抜けは許さないとする伝統は根強く残っているから、だれかが利己心を下手なかたちで露出させると、大変なことになる。かつてはマスコミが大衆に代わって嫉妬心を間接的に充足させていたが、いまはソーシャルメディアによる直接制裁が幅をきかせるようになったから、軽率に利己心を露出させた有名人のブログやツイッターはたちまち「炎上」する。ソーシャルメディアによる利己心のモグラたたきである。
 では、こうした「制裁」に走る人たちが利己心の少ない謙虚な人かといえば、事実はまるで逆で、福田恆存が言うように、ほとんどは「自分の内部から私心や利己心の臭気が立昇る事を極度に恐れてゐる」人たちである。内心の恐怖が、他人のうちに利己心の匂いを嗅ぎ取ろうと必死になるのだ。ニーチェがルサンチマンと呼んだのは、こうして抑圧されて反転した内心の恐怖にほかならない。
 困るのは、福田恆存の時代と違って、利己心の吐け口とすべき「世界の平和とか日本人民の幸福とかいふ観念」はとうに失われ、ガス抜き手段にはならないことだ。そこでナショナリズムというもっともわかりやすい観念が利己心の吐け口として持ち出されることになる。事態は他のアジア諸国も同じで、ソーシャルメディアによる世論を無視することができなくなった政府は「ルサンチマンによる外交」を展開せざるをえなくなる。
 利己心の適切な発散の場であるはずのソーシャルメディアが利己心の相互監視装置になり、ルサンチマンを生み出す社会。これを奇妙な倒錯と言わずしてなんだろう。(かしま・しげる=仏文学者)
    --「引用句辞典 トレンド編 ソーシャルメディアが生み出す監視社会=鹿島茂」、『毎日新聞』2013年11月23日(土)付。

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『疎開した四〇万冊の図書』=金高謙二・著」、『毎日新聞』2013年11月24日(日)付。

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今週の本棚・新刊:『疎開した四〇万冊の図書』=金高謙二・著
毎日新聞 2013年11月24日 東京朝刊

 (幻戯書房・2520円)

 第二次世界大戦末期、東京は米軍の爆撃機B29による度重なる空襲で焼け野原になった。本書は、多くの人の努力によって、貴重な書籍が戦禍を免れた史実を追う。

 1944~45年、東京・日比谷図書館は江戸時代に刊行された書籍など蔵書の一部と、収集家から買い上げた貴重書を、空襲の可能性が低い奥多摩や埼玉県内に移した。

 強い意志とリーダーシップで疎開を断行した中田邦造館長。保管場所を提供した民家や寺院。買い上げ図書の選定に当たった古書店主ら。空襲、空腹と闘いながら人力で本を運んだ中学生たち。多数の人たちによって、文化財が守られた。

 一方で都立28図書館のうち、12館が空襲で全焼した。無傷で終戦を迎えたのは3館のみ。合計73万冊余りあった蔵書のうち約44万冊が焼けた。日比谷図書館も45年5月の空襲で全焼、約20万冊を失った。戦争は、人命だけでなく人間がつむいできた歴史と文化をも奪う。

 著者は映画監督。今年制作したドキュメンタリーをもとに出版した。一般にはさほど知られていない戦時下の史実を記録する、貴重な仕事だ。(栗)
    --「今週の本棚・新刊:『疎開した四〇万冊の図書』=金高謙二・著」、『毎日新聞』2013年11月24日(日)付。

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[:http://mainichi.jp/shimen/news/20131124ddm015070009000c.htmltitle]

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『民主化のパラドックス インドネシアにみるアジア政治の深層』=本名純・著」、『毎日新聞』2013年11月24日(日)付。

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今週の本棚・新刊:『民主化のパラドックス インドネシアにみるアジア政治の深層』=本名純・著
毎日新聞 2013年11月24日 東京朝刊

 (岩波書店・2835円)

 国際的な支援の下、大々的な民主改革を実行してきたインドネシア。その陰で、改革が逆に「非民主的」な勢力の温存と拡大を助けている、と本書は指摘し、その「民主化のパラドックス」に対して警鐘を鳴らす。

 立命館大教授の著者は、インドネシア政治と東南アジアの地域研究、その比較が専門。テロや貧困、民族紛争、政権交代などの政治問題の深層に何があるかを伝えたい、と長年フィールドワークを重ねてきた。

 本書で焦点を当てるのは、(1)スハルト体制の「終わり方」(2)「スハルト後」の民主改革(3)スハルト退陣からメガワティ政権までの民主化移行期における政治エリートの権力闘争(4)ユドヨノ政権下での民主化の定着(5)分離独立運動、テロリズム、住民紛争などの治安問題(6)民主化に伴うアウトロー社会の変容--の六つの局面。権力と暴力の生々しい実態を、当事者へのインタビューをもとに描いていく。

 その上で、民主化のパラドックスが同国を超え他国でも存在することを論じ、アジアを含め世界各地で進行しつつある「民主化ドミノ」と、その促進を意図した国際的な民主化支援の問題を浮き彫りにする。(坪)
    --「今週の本棚・新刊:『民主化のパラドックス インドネシアにみるアジア政治の深層』=本名純・著」、『毎日新聞』2013年11月24日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20131124ddm015070008000c.html:title]

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書評:前田朗『増補新版 ヘイト・クライム 憎悪犯罪が日本を壊す』三一書房、2013年。


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 歴史を振り返れば、スターリンの大粛正、日本軍の三光政策・無人区政策、東京大空襲、ヒロシマ・ナガサキ、朝鮮戦争における国連軍の犯罪、ベトナム戦争・北爆。枯葉剤作戦、カンボジアのポルポト派による大虐殺、旧ユーゴスラヴィアの「民族浄化」、ルワンダのツチ虐殺、東ティモール独立をめぐる内戦による虐殺、スーダンのダルフール・ジェノサイド、アフガニスタンとイラクにおける膨大な民間人虐殺、そしてイスラエルによるパレスチナ・ジェノサイド--コリアン・ジェノサイドは、これらと同じ文脈で語られなければならない。
 歴史のはざまで数々の悲劇が起きてきた。この悲劇は自然災害ではない。人為的な犯罪は防ぐことができる。ジェノサイドをいかにして防ぐのか。そのための議論はいまだ十分になされていない。コリアン・ジェノサイドにきっちり決着をつけて、二度と起きないようにすることが課題である。八七年も昔の物語(関東大震災下における朝鮮人大虐殺のこと……引用者註)ではなく、今なお私たちが向き合わなければならない未決の課題なのである。
    --前田朗『増補新版 ヘイト・クライム 憎悪犯罪が日本を壊す』三一書房、2013年、86頁。

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前田朗『増補新版 ヘイト・クライム 憎悪犯罪が日本を壊す』三一書房、読了。日本における朝鮮人差別が生む「ヘイト・クライム」(人種・民族・国民的な差異をターゲットにして行われる差別行為とそうした差別の煽動)を取り上げ、政府と社会が繰り返してきた差別の歴史と現在を見つめ、未来を展望する一冊。

著者は表現の自由を守るためにもヘイト・クライムを処罰すべきと主張する。国際人権法の歩みを踏まえ、人種差別禁止法の必要性を視野に入れるが、非常に説得力に富む。人種差別を正当化して他者の人格権を否定するヘイト・スピーチは言論ではなく紛れもない犯罪である。表現の自由は人格権を否定するものであってはならない。

初版は2010年。本書は憎悪犯罪が席巻する昨今の事態に対応して増補新版として加筆された。関東大震災下における朝鮮人虐殺と現在の問題は通底していることを本書は丁寧に描き出す。ナチやルワンダの悲劇は対岸の火事ではない。「憎悪犯罪は社会を壊す」。

政府は拷問等禁止条約に基づいて設置された拷問禁止委員会からの勧告に「従う必要はない」と閣議決定した。暴言は過激デモだけでなく政治家、そして日本政府の問題でもある。どんな差別も罵声も自由だと勘違いするのは政府の姿勢にも原因がある。

。朝鮮人差別とヘイト・クライムの現在を冒頭で紹介、歴史的なコリアン・ジェノサイドの系譜を訪ね、国際人権法の歩み~人種差別禁止法の制定へ向けた人種差別との闘いを展望する構成。「責任としての抵抗」は如何にあるべきか。類書の少ない中、本書は基本書の1つになろう。


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 彼らは、朝鮮や韓国や在日がなくなったら、間違いなく生きる意味を失うだろう。DV夫が、妻が亡くなった途端に自殺したりするのと同じだ。

 「みんな」とか「世間」とかが一番の社会では、人は自らの意思を持つことができない。いや、許されない。だから、意志薄弱な輩の依存する最後の砦が、敵としての在日、そう、私なのだ。
 彼等は、終生私にストーカー行為を続けるのだろう。そんな彼らを取締まる警察はこの国には存在しない。しかし、彼らの人生には、光もまたありはしないのだ。
    --辛淑玉「『増補新版ヘイト・クライム』の刊行に寄せて 『日本人』というストーカー」、前田朗『増補新版 ヘイト・クライム 憎悪犯罪が日本を壊す』三一書房、2013年、186頁。

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覚え書:「今週の本棚:松原隆一郎・評 『グローバル経済の誕生』=K・ポメランツ、S・トピック著」、『毎日新聞』2013年11月24日(日)付。

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今週の本棚:松原隆一郎・評 『グローバル経済の誕生』=K・ポメランツ、S・トピック著
毎日新聞 2013年11月24日 東京朝刊

 (筑摩書房・3990円)

 ◇自由貿易の名の下に何が行われてきたか

 資本主義の起源は、M・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』によれば、個人主義的な合理主義者の禁欲的なものづくりに求められる。また自由貿易は、D・リカードの資本蓄積論によれば国内で資本投下が進み利潤率が下がったからこそ行われる。賃金への配分を下げるため、安い穀物を輸入するというのである。

 こうした説を聞けば、グローバリズムはごく最近になって進展したと思うだろう。またそれは、同じくリカードの「比較優位説」によれば平和裏に行われる。生産性においてどの産業分野でも高い国と低い国があるとして、両国は特定産業の生産に特化しつつ自由貿易をすればともに暮らし向き(消費)が豊かになるとされるからだ。弱者は自由貿易に応じれば強者に滅ぼされるという常識は、この「定説」によって否定される。

 これらは机の上の思考実験による推論だが、では現実はどうだったか。本書は歴史学の泰斗(ポメランツは米歴史学会会長)2人による世界貿易史の第2版である。カカオやゴムといった個別商品にかんする交易のローカルな歴史と、それらが網の目となって構成するグローバルな貿易史とを組み合わせ、貿易という営みで人類が何を行ってきたかを膨大な考証から跡づける。プロローグ、エピローグと7つの章からなり、各章には小項目が全部で85設けられている。それぞれの項目は貿易についての逸話として、個別に楽しめる。

 比較優位説が正しいとすれば、自由貿易は暴力を回避させる人類の知恵ということになる。生産力に劣る側の国も、暮らし向きが向上するというのだから。ところが本書が無数の逸話で語るのは、それとは真逆の事態である。世界の自由貿易の歴史は暴力とドラッグに染め上げられてきたというのだ。

 たとえば、紅茶。私たちはウェッジウッドの白磁に紅茶を淹(い)れ、砂糖を添えて飲む。英国流として日本でも人気のアフタヌーン・ティーだが、それはどのようにして定着したか。白磁は中国、砂糖はカリブ海から到来したものだが、中国原産の茶に絞ると経緯はこうだ。

 イギリスは茶に魅せられたが、輸入したくても中国が交換に応じる物産を持たなかった。仕方なく銀貨で支払ったが、それも元をただせばスペインが虐殺を経て支配したアンデスの銀山で、奴隷に採掘させたもの。それを海賊が強奪し、イギリスのものとなっていた。こうして地球上の銀は、約半分が中国に流れ込む。

 しかしいつまでも海賊頼みではやっていられない。そこでイギリスが中国に持ちこんだ物産が、植民地のインドで栽培したアヘンだった。3度の戦争を経て自由貿易に渋々承諾すると、中国はあっという間にアヘン漬け。さらにイギリスは門外不出だった茶の苗木を1880年代には虐殺を経て占領した北インドのアッサムに植え、紅茶をついに我が物としたのだった。リカードが生前、切望した穀物条例(保護関税)の撤廃が成ったのは1846年。アヘン戦争がその直前の1842年に終結したことは、偶然の一致ではなかろう。

 こうして近世初期には、西欧の垂涎(すいぜん)の的となる物産を多種擁した中国は、19世紀には貿易赤字国へと転落する。それを穴埋めしたのが海外に移住した中国人からの送金だった。「貿易ディアスポラ」はもともと耕作地に乏しい福建人に多かったが、同郷人で情報と資金を融通し合い貿易の仲介を得意とするグローバル化は、彼らに先導されていた。

 こうした史実をひも解けば、「東インド会社は、暴力を効率よく利用するために創設された」「一九世紀に世界経済の成長エンジンとしての役割を果たしたのはアヘン」「『見えざる手』と『血まみれの手』が手を携えてきた」という表現が言い過ぎでないと納得できる。所与であるかに見える生産性の比較優位は、暴力やドラッグで操作することができたのだ。それは今日では、巨大資本の広告や国家間の秘密交渉で行われている。

 逸話として興奮させられるのが、西欧の合理主義と個人主義を兼ね備えた経済人の理想的モデルとされるロビンソン・クルーソーが何者だったかの種明かしである。ロビンソンは中流たれという父の忠告を無視し、ブラジルでの砂糖・タバコの生産に乗り出す。船が難破したのは、奴隷貿易のためのアフリカ渡航においてだった。

 日本についても興味深い指摘がある。一次産品の輸出国で工業化に成功した戦前の「日本の奇跡」は、歴史的な例外だったという。国策による重工業化は失敗だったが、機械工や技術者が軽工業に転じたのが経済発展への転機となったという見立てである。

 ブラジルの金鉱山に群がる無数の労働者を撮ったサルガドのカバー写真は原著にはないようだが、鮮烈であり内容にふさわしい。綺麗(きれい)事でない歴史に蒙(もう)を啓(ひら)かされる一冊である。(福田邦夫・吉田敦訳)
    --「今週の本棚:松原隆一郎・評 『グローバル経済の誕生』=K・ポメランツ、S・トピック著」、『毎日新聞』2013年11月24日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20131124ddm015070068000c.html:title]

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グローバル経済の誕生: 貿易が作り変えたこの世界 (単行本)
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覚え書:「今週の本棚:池内紀・評 『緩慢の発見』=シュテン・ナドルニー著」、『毎日新聞』2013年11月24日(日)付。

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今週の本棚:池内紀・評 『緩慢の発見』=シュテン・ナドルニー著
毎日新聞 2013年11月24日 東京朝刊

 ◆池内紀(おさむ)評

 (白水社・2940円)

 ◇せわしい時代に光る、のろまな探検家の物語

 世界地図のカナダ北部、北極圏のしるしのさらに北、大小の島々がひしめきあったところに「フランクリン」とある。十九世紀前半のイギリスの探検家ジョン・フランクリン(一七八六-一八四七)にちなんでいる。当時、地図上では空白だった海域に北西航路を開くため、イギリス海軍によって派遣された。船が氷塊に閉じこめられ、飢えにさらされながら、ふた冬をしのいだが力つきた。船を捨てて脱出をはかった一〇五名の乗組員も悲劇的な死をとげた。通信技術のなかったころで、真相が明るみに出たのは、最後の船影をとどめてより十四年後のことである。

 海軍士官にして探検家の伝記が、どうして『緩慢の発見』などというタイトルなのだろう? とまどう方がいるかもしれないが、せかせか答えをさがさないでほしい。四〇〇ページをこえる大冊なのだ。ゆっくりをモットーにしていただこう。

 著者ナドルニー(一九四二~)は早くからフランクリンに親しんできた。そしてこの人物にめだつ一つの特性に気がついた。幼いころから並外れてのろまだった。行動、話し方、反応、すべてのろくさくて悠長である。学校ではいじめられ、遊びのときも仲間はずれ、せいぜい紐をもっているだけの役まわりを押しつけられる。緩慢な応答にいらついた相手が途中で背をむける。その背中につかみかかり、教師から罰として地下牢(ろう)に入れられた。「ジョンは、まるで蜘蛛(くも)のように待つことができる。ただ、なにか読むものさえあれば!」

 少年は本が好きだった。「紙は急(せ)かすことなく待ってくれる」からだ。

 『緩慢の発見』がドイツで出たのは一九八三年である。三十年前であって、おりしもパソコン・メディアが急速に普及しはじめた。かたときも休まず情報が送られてきて、一瞬のうちに結果がわかり、何ごともスピードであって、機敏で、エネルギッシュで、頭の回転の速い人間がのして(、、、)いく。著者が伝記をかりて、どのようなテーマを追求したかあきらかだ。

 のろまで緩慢なタイプにそなわっている大切な特性。フランクリンの場合は教師の一人が気づいた。のろくさい少年だが、はたして欠陥なのかどうか。少なくともそれは一つの長所と結びついている。時間をかけてよく見て、こまかく記憶している。どんな状況でもあわてないし、ねばり強く我慢して窮地を脱していく。

 いうまでもないことながら、大きなことをするためには力をためていなくてはならず、着実に行動しなくては状況は変わらない。あわただしい時代だからこそ反時代的な特性が生きてくる。小説の終わりちかくに、こんな個所がある。

 「ジョンに残ったのは、どんなことも最後までやりぬくという習慣だった。陸の上では、それは難しい。『なにを言ってる?』とジョンはつぶやいた。『楽だったことなんて、一度もなかったじゃないか!』」

 優れた小説の特性だが、語りにテンポがあって、場面転換があざやかだ。イギリス海軍という特殊な世界、ナポレオン後のヨーロッパの政治状勢、初期探検時代の無防備と無謀さ、飢餓状態におかれた人間の本能と行動。伝記的事実と背景のいっさいを、のろまな男を中心にして語っていく。小説自体は少しの緩慢も許されない。これほどの離れワザを、たのしく大冊でなしとげた力量におどろく。ドイツ文学にあって、もっともっと紹介されていい作家なのだ。(浅井晶子訳)
    --「今週の本棚:池内紀・評 『緩慢の発見』=シュテン・ナドルニー著」、『毎日新聞』2013年11月24日(日)付。

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覚え書:「みんなの広場 歴史知ってほしい」、『毎日新聞』2013年11月23日(土)付。

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みんなの広場
歴史知ってほしい
大学生 21(東京都豊島区)

 「特別永住って何ですか?」。その日、友人とのお酒の席を終え、帰路に就いた。駅を出た所に立つ巡査2人に身分証の提示を求められた。童顔の私が未成年に見えたのだろう。
 「出身は?」「韓国です」。在日コリアンである私は隠さずに伝えた。「特別永住です」「特別永住って何ですか?」。巡査はそう私に言った。さらに、ずっと日本ににるのか、なぜいるのかと。
 「両親も在日です。祖母が戦争時代に韓国から来ました」「戦争って?」。この巡査は歴史を知らないのか。歴史が知られていて当たり前と思っていたのは自分のうぬぼれだったのか。自分に言い聞かせなければ涙があふれそうだった。
 韓国を批判するなとは思ってもいない。ただ、なぜ在日コリアンがいるのかという経緯だけでも知っていてほしい。歴史や在日外国人に対する現行の制度などを知らぬ者がいる現実の中で竹島や慰安婦問題で争っていていいのか。本当に日本は大丈夫なのだろうか。
    --「みんなの広場 歴史知ってほしい」、『毎日新聞』2013年11月23日(土)付。

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『うな丼の未来 ウナギの持続的利用は可能か』=東アジア鰻資源協議会日本支部・編」、『毎日新聞』2013年11月24日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『うな丼の未来 ウナギの持続的利用は可能か』=東アジア鰻資源協議会日本支部・編 
毎日新聞 2013年11月24日 東京朝刊

 (青土社・1995円)

 たれの香ばしさが鼻をくすぐり、舌の上で身がとろける。たれと絡んだご飯がまたおいしい。日本人はウナギのかば焼きが大好きだ。

 そのウナギが食べられなくなるかもしれない。乱獲や海洋環境の変化で資源量が激減しているのだ。環境省は今年2月、ニホンウナギを絶滅危惧種に指定し、国際自然保護連合も指定を検討している。

 どうすればウナギを守り、持続的な利用を続けられるのか。本書は、土用の丑(うし)の日(今年7月22日)にウナギ研究者、養殖業者、行政の担当者らが一堂に会し、白熱の議論を展開したシンポジウムの記録である。

 ウナギの生態や完全養殖の実用化に向けた研究。消費や流通の実態。伝統的な食文化を絶やすまいとするかば焼き商の心意気。ウナギに関する話題、課題が満載されている。

 日本のウナギ消費量は世界の6~7割を占めるとされ、日本人の「胃袋」がウナギの将来を大きく左右する。ニホンウナギの産卵場所を世界で初めて突き止めた塚本勝巳・日本大教授の「ウナギの飽食をやめ、手軽なファストフードから、じっくり味わうスローフードに戻そう」との提言をかみしめたい。(鴨)
    --「今週の本棚・新刊:『うな丼の未来 ウナギの持続的利用は可能か』=東アジア鰻資源協議会日本支部・編」、『毎日新聞』2013年11月24日(日)付。

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うな丼の未来 ウナギの持続的利用は可能か
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覚え書:「今週の本棚・新刊:『スズメ つかず・はなれず・二千年』=三上修・著」、『毎日新聞』2013年11月24日(日)付。

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今週の本棚・新刊:『スズメ つかず・はなれず・二千年』=三上修・著
毎日新聞 2013年11月24日 東京朝刊

 (岩波科学ライブラリー・1575円)

 茶と黒が入り交じった羽に薄茶の腹、地味な外見ながら、ちゅんちゅんと可愛らしい鳴き声で日本人に親しまれてきたスズメ。庭で跳ねていたり、軒先でさえずっていたり、こんな身近な鳥はないだろう。だが、はたしてわれわれはどれだけスズメのことを知っているだろうか。本書は、誕生から人間との関わり、そして未来まで、軽妙な語り口でこの小さき鳥を解説する。

 まず著者は「スズメはもっとも変な鳥」と、軽いジャブを繰り出す。日本には約600種もの鳥が記録されているのに、「人にべったりなのは、スズメとツバメくらい」というのだ。「スズメが恐竜である」とも挑発する。恐竜の一部が鳥の祖先となり、さらにスズメのご先祖様がアフリカで生まれたという。

 理系の話だけではない。古くは天若日子(あめのわかひこ)の葬式で米をつく役としてスズメが『古事記』に登場し、最近は鳴き声にちなみ、カップルが夜結ばれたことを暗示する「朝ちゅん」なる言葉があることも紹介される。毎朝の通勤・通学路、頭上を飛ぶスズメたちの姿にふと足を止め、その行き先を目で追いかけてしまいたくなりそうだ。(広)
    --「今週の本棚・新刊:『スズメ つかず・はなれず・二千年』=三上修・著」、『毎日新聞』2013年11月24日(日)付。

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書評:小林秀雄『読書について』中央公論新社、2013年。

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小林秀雄『読書について』中央公論新社、読了。「読書の最初の技術は、どれこれの別なく貪る様に読む事で養われる他はない」。表題エッセーをはじめ、「読む」ことと「書く」ことにテーマ絞ったアンソロジー。巻末には対談「教養ということ」(田中美知太郎)を収録。解説は木田元。

小林の著作は幾度と無く親しんできましたが、このようにテーマを絞って積み重ねるように読むことは、その思考を奥底へ分け入る上で非常に有益でした。「解説」では哲学者の木田元さんが、自身の読書体験と小林との出逢いからハイデガーへの歩みを紹介。興味深い。

「ぜひみなさんにもこの思想家に挑戦してみていただきたいと願っています」(木田)。

若い人に読んでもらいたい。

「読書というものは、こちらが頭を空にしていれば、向うでそれを充たしてくれるというものではない。読書も亦実人生の経験と同じく真実な経験である。絶えず書物というものに読者の心が目覚めて対していなければ、実人生の経験から得る処がない様に、書物からも得る処はない」。小林秀雄「読書の工夫」 。


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読書について
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覚え書:「石田徹也ノート [著]石田徹也 [評者]水無田気流(詩人・社会学者)」、『朝日新聞』2013年11月17日(日)付。


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石田徹也ノート [著]石田徹也
[評者]水無田気流(詩人・社会学者)  [掲載]2013年11月17日   [ジャンル]文芸 


■強い視力で描かれた世界

 石田徹也の作品を初めて直(じか)に見たのは2008年、「僕たちの自画像」展だった。見終えて出ると、視界が変わっていた。現実への焦点の絞り方が書き換えられ、日常と見慣れぬものが淡々と交錯していった。石田はこれより少し前、05年に亡くなったと聞いた。
 本書には「石田徹也展」出品作を中心に、代表作が多数所収。下絵やメモも盛り込まれ、創作の意図や方法論がうかがわれる。思考の跡を記した「ノート」は51冊に及び、綿密に計算しつつ一気に離陸し、かと思えば日常と奇妙に接続する世界観に触れることができる。90年代によく描いた機械と融合する無機質な人物像から、00年代の有機的な生生流転モチーフに至るまでの濃密な時間が展開する。
 繰り返し描かれる自画像は、自我や主体を表明するよりも、むしろそこから離脱し、日常性を脱臼させていく。テレビと、トイレと、戦闘機と、あるいはダンゴムシと……、さまざまなモチーフと融合する「自分」。これらの作品が描かれた90年代は、確固たる主体や自我が疑問視された時期だ。また70年代初頭生まれの石田や評者は、最後の戦後昭和的量産型の子どもたちである。石田は、ノートにこう綴(つづ)っていた。「他人の中にある自分という存在を意識すれば、自分自身によって計られた重さは、意味がなくなる」。その没個性や匿名性について「落たんするのでなく、軽さを感じとること。それがユーモアだ」と。
 オリジナリティーそのものへの真摯(しんし)な問いは、やがて没我の極みともいえる自然の生成力や死と再生を想起させるモチーフ――幼児やベビー用品、植物や海へと至る。痛み、悲しみ、怒り、そして諧謔(かいぎゃく)など、さまざまな表現で説明される石田の作品だが、なぜかどれもしっくりこない。ただひたすら強い視力で見た世界を、その強度のままに描いて見せてくれたことに、感謝と哀悼の意を表したい。
    ◇
 求龍堂・3150円/いしだ・てつや 73年生まれ。画家。05年踏切事故で死去。著書『石田徹也遺作集』など。
    --「石田徹也ノート [著]石田徹也 [評者]水無田気流(詩人・社会学者)」、『朝日新聞』2013年11月17日(日)付。

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覚え書:「哲学者が走る [著]マーク・ローランズ [評者]角幡唯介(ノンフィクション作家・探検家)  [掲載]2013年11月17日(日)付。

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哲学者が走る [著]マーク・ローランズ
[評者]角幡唯介(ノンフィクション作家・探検家)  [掲載]2013年11月17日   [ジャンル]人文 


■生きることの意味どこに

 印象的だったのは、トルストイが『懺悔(ざんげ)』で書いたという心の動揺だ。財産があるからといってどうした? 有名になったからといってどうなる? 子孫の幸福を願うのはなぜだ? この三つの質問に答えられない限り生きていくことはできないはずだ。そのことに文豪は動揺した。
 この動揺は、生きることの究極の意味はどこにあるのかという本書のテーマに直結する。何らかの見返りを求めて行動を起こすのは実は虚(むな)しい。勉強するのは大学に入るため。大学に入るのは就職するため。就職するのは安定するため……と考えていくと、最後は生きるためという出発地点に戻ってしまうのだ。
 人生には何かのためではない内在的な意味がある。それと同様、走ることにもそれ自体に意味があり、ランニングを通じて著者は人生の秘密に迫る。前著『哲学者とオオカミ』と比べると、こじつけに感じられるところもあるが、哲学上の難問を読みやすい文章で記すところはさすがだ。
    ◇
 今泉みね子訳、白水社・2310円
    --「哲学者が走る [著]マーク・ローランズ [評者]角幡唯介(ノンフィクション作家・探検家)  [掲載]2013年11月17日(日)付。

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覚え書::「みんなの広場 治安維持法 想起させる悪法」、『毎日新聞』2013年11月22日(金)付。

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みんなの広場
治安維持法 想起させる悪法
無職 81(大阪府高槻市)

 「よらしむべし、知らしむべからず」という言葉があります。政というものは理由など説明せずにただ従わせるべきであるという考えですが、国会で審議中の特定秘密保護法案はまさにそのものでしょう。
 しかし、いくら批判しても、「数の力」で押し切られて成立するのでは、と気が気ではありません。我々世代の年輩者は特に痛切な思いに駆られるのではないでしょうか。「この道はいつか来た道」と。
 この法案は、作家の小林多喜二の拷問死を招いた戦前の悪名高き治安維持法を想起させるのに十分です。国民に安全・安心を提供するのが政治の目的のはずですが、今回の法案はまさしくその正反対の悪報と断じざるを得ません。
 今、国民の多数が国会に強く期待しているのは東日本大震災からの一日も早い復興に向けた取り組み、そして議員定数削減などではないかと思います。
    --「みんなの広場 治安維持法 想起させる悪法」、『毎日新聞』2013年11月22日(金)付。

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覚え書:「ナウシカの飛行具、作ってみた [著]八谷和彦、猪谷千香、あさりよしとお/液体燃料ロケットをDIYしてみた [著]あさりよしとお [評者]川端裕人(作家)」、『朝日新聞』2013年11月17日(日)付。


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ナウシカの飛行具、作ってみた [著]八谷和彦、猪谷千香、あさりよしとお/液体燃料ロケットをDIYしてみた [著]あさりよしとお
[評者]川端裕人(作家)  [掲載]2013年11月17日   [ジャンル]科学・生物 


■大空を駆ける「素人」の熱意

 『ナウシカの飛行具、作ってみた』は、映画「風の谷のナウシカ」の軽快な飛行具メーヴェに触発され、実際に人が乗って飛べるものを実現したアーティストの著。10年かけて、構想、設計、製作、さらにテストを繰り返し、航空局の試験飛行許可を得た。そして、飛行場内での小飛行も成し遂げた。プロジェクト名はオープンスカイ。「開け、空!」
 なぜ?という問いに著者は「いつか現れるナウシカのため」と答える。未来に夢を持ちやすかった1960年代生まれとして、まだ見ぬ子どもたちが育つ社会がより良いものであれ、とも。素人が飛行機を造る苦労を語る時ですら、常に突き抜けた開放感を感じさせる筆致に、清々(すがすが)しいメッセージ性を感じる。
 さて60年代前後生まれの世代には、宇宙やロケットに熱中した人が多い。21世紀には誰もが宇宙に行けると信じていた。しかし現実は肩すかし。そこで「誰も連れていってくれないのなら、自分たちで」と当該世代の元少年らが「なつのロケット団」を立ち上げた。『液体燃料ロケットをDIYしてみた』は活動報告。著者は漫画家で最初期からのメンバーだ。他にも小説家、ジャーナリスト、イラストレーター、事業家、エンジニアらが加わりロケットを造る。本気度はネット検索で打ち上げ動画を見れば分かる。
 その上で本書の醍醐味(だいごみ)は「ないものは作ってしまえ」という発想と、次々と現れるハードルを乗り越える熱。エンジンに燃料を通す前の「水流し試験」ではタンクに水を充填(じゅうてん)することにすら苦労し、初期の作業場だった自宅を水浸しにした。ロケット開発にはつきものの燃焼試験の失敗(爆発)も経験し、歴史を追体験しつつ実用ロケットへの道を進む。
 両著に共通するポジティヴに空を見上げる心は、時代の閉塞(へいそく)感と無縁だ。開けた青空(オープンスカイ!)を上昇するロケットの姿を思い描く。
    ◇
 『ナウシカ』幻冬舎・1470円/はちや・かずひこ、いがや・ちか▽『液体燃料』学研・1365円
    --「ナウシカの飛行具、作ってみた [著]八谷和彦、猪谷千香、あさりよしとお/液体燃料ロケットをDIYしてみた [著]あさりよしとお [評者]川端裕人(作家)」、『朝日新聞』2013年11月17日(日)付。

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覚え書:「坪井正五郎―日本で最初の人類学者 [著]川村伸秀 [評者]出久根達郎(作家)」、『朝日新聞』2013年11月17日(日)付。


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坪井正五郎―日本で最初の人類学者 [著]川村伸秀
[評者]出久根達郎(作家)  [掲載]2013年11月17日   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 


■多彩な交遊から浮かぶ人間像

 坪井正五郎とは、何者であるか。彼が「コ字付け歌」と題して詠んだ狂歌で知れる。「古物(こぶつ)古跡コロボックルは好めどもコの字の病ひこれでコリゴリ」。コの字の病とは、コレラのことである。
 コロボックル、は耳にしたことがおありだろう。アイヌ語で、フキの葉の下に住む人を意味する。坪井はアイヌ以前の日本列島先住民だと主張した。現在はDNA研究によって否定されているが、坪井といえばコロボックル、と受けとめられている。不幸なことに誤った学説を唱えたために、坪井の業績と生涯がかすんでしまった。日本人類学のパイオニアなのに、その業績は狭小化され、世間から忘れられてしまった。
 本書は坪井正五郎の復権を願って、初めてまとめられた伝記である。ユニークなのは、坪井と交流した人物たちから見た伝記であること。どんな者とつきあっていたかを見れば、その人の本質がわかる。
 本書に登場する八百余人の顔ぶれは、なじみのない人物が多い。一方、へえ、この人がこんな所に、と意外な場面で意外な顔に出会う楽しさがある。バラエティーにとんだ交遊こそが、坪井の隠れた業績かも知れない。
 民俗学者の柳田国男と、粘菌学・博物学者の南方熊楠(みなかたくまぐす)を結びつけたのは坪井だし、『世界お伽噺(とぎばなし)』の巌谷小波(いわやさざなみ)にその材料を提供した関係で、三越呉服店のブレーン組織「流行会」の一員になる。世界各国の流行を研究する会で、坪井はまた児童用品研究会にも参加した。燕(つばめ)の形をしたブーメラン(商品名は、飛んでこい)や、カレンダーつき筆入れほか、種々の玩具や学用品を発明し販売に協力した。
 冒頭の狂歌でわかるように、遊び心に満ちた学者であった。その人柄を慕って、鳥居龍蔵や金田一京助ら後輩が集まった。坪井は人材を発見し育てた学者といえる。大正二年ロシアで客死して、今年は百年になる。記念の書である。
    ◇
 弘文堂・5250円/かわむら・のぶひで 53年生まれ。山口昌男『敗者学のすすめ』などを編集したフリーの編集者。
    --「坪井正五郎―日本で最初の人類学者 [著]川村伸秀 [評者]出久根達郎(作家)」、『朝日新聞』2013年11月17日(日)付。

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坪井正五郎―日本で最初の人類学者
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日記:旅に出ることは日常の生活環境を脱けることであり、平生の習慣的な関係から逃れることである

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 旅に出ることは日常の生活環境を脱けることであり、平生の習慣的な関係から逃れることである。旅の嬉しさはかように解放されることの嬉しさである。ことさら解放を求めてする旅でなくても、旅に老いては誰も何等か解放された気持になるものである。或る者は実に人生から脱出する目的をもってさえ旅に上るのである。ことさら脱出を欲してする旅でなくても、旅においては誰も何等か脱出に類する気持になるものである。
    --三木清「旅について」、『人生論ノート』新潮文庫、昭和六十年、132頁。

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金曜日は授業が済んでから、若い衆と八王子で快飲しました。
社会情勢から文学についてまで--はば広く意見を交換できたのはなにものにも代え難いひとときでありました。

皆様ありがとうございました。

で……。

電車に乗って帰るはずが、気が付くと、「大月なう」。

始発まで、居酒屋で待機という悲劇という、とほほ。

不可抗力の如き「旅」となってしまいましたが、「旅に出ることは日常の生活環境を脱けることであり、平生の習慣的な関係から逃れることである」と納得しておきましょう・・・とほほ。

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書評:N・ファーガソン(櫻井祐子訳)『劣化国家』東洋経済新報社、2013年。


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N・ファーガソン『劣化国家』東洋経済新報社、読了。「なぜ豊かな国が貧困へと逆戻りするのか?」。西欧がトップに立ち続けた二つの要因は民主主義と資本主義、法の支配と市民社会というの4つのエンジンを実装した国民国家。その劣化を前に開発独裁の如き妖怪が注目を集めるが著者は一蹴する。

西欧が成功する要因となった制度は深刻な危機を迎えているのは事実だ。著者は、アダム・スミスといった古典からクルグーマンに至るまで--新旧の思想を現実とすりあわせながら劣化要因を腑分けし、未来を展望する。

民主主義国家の運営は国債に依存するが、世代間の社会契約の意義を見失い、複雑化する規制が資本主義の危機を招き、「法の支配」が「法律家の支配」にすり替わってしまうとき、市民社会の枠組みとしての国家は劣化・破綻する。

トクヴィルは自発的かつ多様なソーシャルキャピタルを市民社会の基盤と見たが、劣化しつつある。加えて、階級分断の格差社会が、西欧を「劣化国家」に変容した。だとすれば、市民社会の単位の認識を更新する必要もあろう。

領域性国民国家を単位とする主権国家はもはや成長の主役たり得ない。著者は『文明』(勁草書房)で「西洋が覇権をとれた6つの真因」(副題)をマクロに描いた。本書はその転換期をミクロな視点で描き出す。浮かび上がる衰退の本質は他人事ではない。


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劣化国家
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覚え書:「ビスマルク(上・下) [著]ジョナサン・スタインバーグ [評者]水野和夫(日本大学教授・経済学)」、『朝日新聞』2013年11月17日(日)付。

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ビスマルク(上・下) [著]ジョナサン・スタインバーグ
[評者]水野和夫(日本大学教授・経済学)  [掲載]2013年11月17日   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 


■大帝国を育んだ天才性と悪魔性

 鉄血宰相オットー・フォン・ビスマルクには、様々な冠がつく。「天才」「レアルポリティークの実践者」といった好意的なものから、平気で恩人を裏切ることから「冷徹、冷酷」、原理原則をもたない「融通無碍(ゆうずうむげ)」、知人から「気違いユンカー」の称号を得て、フロイトからは「不気味なもの」、ヴィクトリア女王には「邪悪」と呼ばれた。敬虔(けいけん)なカトリック信者の「悪魔」は本書を読むと、褒め言葉かと思えてくる。
 本書の原題は「ビスマルクの生涯」であるが、18世紀のフリードリヒ大王からヒトラーの独裁、そして現在の欧州連合(EU)にいたるプロイセン(ドイツ)の近現代史を描き、その中心にビスマルクを据えている点に特徴がある。
 ビスマルクが継承したのは、啓蒙(けいもう)専制君主をいただく時代遅れのプロイセン。彼の幼少期には「未開の野」などといわれたが、その首相期間(1862-90年)中に3度の戦争に勝利し、宗主国であるハプスブルク帝国の影響力も削(そ)ぎ、「ドイツ統一」を成しとげた。そのうえドイツ帝国を「ヨーロッパにおいて至上の地位」に押し上げる。まさに「天才」政治家の面目躍如たるものだった。
 ビスマルクの「悪魔」性は、「フランス革命の技術をその革命目標の達成を阻むために利用した」点にある。すなわち、当時民主化の流れを加速させるはずの普通選挙を、彼はオーストリアのドイツ介入という目論(もくろ)みを阻止するために実施したのである。決して、国内の自由主義者たちの要求を取り入れたのではなく、彼の立場からすれば「悪魔」と取引してでも「半絶対君主制」を維持することが目的だった。
 しかし、ドイツ国民はプロイセンの陸軍元帥だったヒンデンブルクをワイマール共和国の大統領に選出する。「ビスマルクの遺産はヒンデンブルクを経てドイツが生んだ最後の天才的政治家アードルフ・ヒトラーに受け継がれ、ビスマルクとヒトラーはこの遺産継承を通じて直線的に結び合わされたのである」
 話がそこで終わらないのが歴史のおもしろさである。ビスマルクは「半絶対主義的な君主制」を維持させ「ひじょうによろこばしいはじまり」だったが、失意のうちに退任するとき「不機嫌で敵意に満ちた労働者階級が登場」、それをヒトラーが利用したことで「かなしむべき、結末」を招いた。ところが1世紀半を経てユーロ統一で、「小ドイツ」は事実上「大ドイツ」へと変貌(へんぼう)しつつある。
 ビスマルクは自ら質素な墓の墓碑銘に「皇帝ヴィルヘルム一世に忠実に仕えた一人のドイツ人」と書かせ、誇り高き「ユンカー」としての生涯を貫徹したのだった。
    ◇
 小原淳訳、白水社・各4830円/Jonathan Steinberg 34年生まれ。米国の歴史家。専攻は近現代欧州史。米ハーバード大学を卒業後、英ケンブリッジ大学で博士号を取得。同大で長く教壇に立ち、現在は米ペンシルベニア大学教授。本書が初の邦訳となる。
    --「ビスマルク(上・下) [著]ジョナサン・スタインバーグ [評者]水野和夫(日本大学教授・経済学)」、『朝日新聞』2013年11月17日(日)付。

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覚え書:「JB論 ジェイムズ・ブラウン闘論集1959-2007 [編著]ネルソン・ジョージ、アラン・リーズ [評者]いとうせいこう(作家・クリエーター)」、『朝日新聞』2013年11月17日(日)付。

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JB論 ジェイムズ・ブラウン闘論集1959-2007 [編著]ネルソン・ジョージ、アラン・リーズ
[評者]いとうせいこう(作家・クリエーター)  [掲載]2013年11月17日   [ジャンル]アート・ファッション・芸能 


■黒い音楽を変えた男のファンク

 ジェイムズ・ブラウン、米国の“黒い”音楽を変えた男。世界中からJBと親しみをこめて呼ばれるシャウトの達人。彼がでっぷりした腹で踊り出し、爪先(つまさき)で移動し、一瞬にして縦に股割りして元に戻れば観客は必ず絶叫した。
 生前の彼のキャッチフレーズをもっと挙げよう。「リズム&ブルースの王」「ソウルのゴッドファーザー」「業界で一番の働き者」などなど。
 ホーン・セクションを入れたそのバンドは、フェイマス・フレイムズからJBズ、と名前こそ変わるものの、はじめから凄腕(すごうで)ミュージシャンの出入りが激しく、いわば彼らはJBの薫陶を受けては“虎の穴”を出て活躍した。
 また、演奏中に指や声で曲の展開を指示することも有名で、そのきっかけを逃すまいとメンバーはJBの一挙手一投足に集中する。だから当然、集団は規律的になる。遅刻で罰金、演奏ミスで罰金。
 それどころか、出身地南部の習慣からか、メンバーは互いに苗字(みょうじ)で呼びあい、なれなれしさを遠ざけた。
 そうしたJB周辺、またはJBそのものに関して米国の新聞や音楽雑誌に書かれた1959年から2007年までのコラム、評論、インタビューを集めたのが本書だ。
 毀誉褒貶(きよほうへん)あったJBである。例えば、キング牧師暗殺で暴動寸前のアフロアメリカンたちに「家に帰ってテレビを見ろ」と言い、局は事実JBのライブを放送。暴動をまぬがれたと言われる。一方、ショットガンを持って妻の車を穴だらけにしたし、薬物使用で投獄され、大借金も背負った。
 その毀誉褒貶は繰り返し書かれ、JB自身によって語られる。時にはエピソードに変奏が加わり、何が本当で何が嘘(うそ)かわからなくなる。
 だが、その繰り返しが次第にリズミカルなフレーズの、終わらぬ反復に思えてくる。
 ああ、JB。これもあなたのファンク。彼の永遠のしもべである私は、そう読む。
    ◇
 押野素子、佐藤信夫訳、スペースシャワーネットワーク・2940円/Nelson George , Alan Leeds
    --「JB論 ジェイムズ・ブラウン闘論集1959-2007 [編著]ネルソン・ジョージ、アラン・リーズ [評者]いとうせいこう(作家・クリエーター)」、『朝日新聞』2013年11月17日(日)付。

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覚え書:「<東日本大震災>宗教が果たした役割とは 不安な夜、頼り、支えられ」、『毎日新聞』2013年11月21日(木)付。

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<東日本大震災>宗教が果たした役割とは 不安な夜、頼り、支えられ
毎日新聞 11月21日(木)


<東日本大震災>宗教が果たした役割とは 不安な夜、頼り、支えられ

300人を超える住民が犠牲になった宮城県東松島市野蒜地区。全国から集まった青年僧侶約300人が巡礼、鎮魂の読経が海岸に響いた=2013年11月13日、小川昌宏撮影

 失われたおびただしい「いのち」への追悼と鎮魂こそ、私たち生き残った者にとって復興の起点である--。東日本大震災復興構想会議は2011年6月25日、「復興への提言」の復興構想7原則の第一にこう掲げた。まさに宗教の使命といえる。大災害に直面したとき、宗教はいかなる役割を果たし、人々の信心、宗教意識はどう変わったのだろうか。【文・内藤麻里子】

 ◇不安な夜、一心に 頼り、支えられ

 「2階に仏様がいるから早く上がれ!」。富田豊子さん(71)は、弟(当時66歳)の叫びが忘れられない。母(97)と共に2階に上がって難を逃れたが、弟は手すりに手を伸ばした瞬間、目の前で押し寄せた津波にのまれていった。

 あの日、岩手県釜石市の自宅で震災に遭った。不安と恐怖の中で、ふと「法華三部経」をあげようと思った。法華経系各派では大事なお経だ。親子2代の立正佼成会会員。母をあるだけの布団でくるみ、一心に唱えた。「この夜を過ごせたのはお経のおかげ」

 「なぜ弟が死ななきゃならないの」と、今でもつらさは残る。「信仰が揺らがなかったと言ったらうそになる」。それでも「死は誰にでも訪れるものであり、どう生きたかが大事だ」という庭野日鑛(にちこう)会長の法話に接し、少しずつ弟の死を受け入れられるようになった。家では外でのことを語らなかった弟だが、地域の人や同会会員が共に悲しんでくれ、「こんなことでお世話になった」と話してくれることが驚くほど多かった。「最近、弟ときょうだいでよかったなとつくづく思います」

 ここに信仰の姿がある。頼り、支えられ、現実を受け入れ、生きる意味や目標を獲得する。被災者は宗教に何を求め、また宗教者はこの苦難にどのように向き合ったのだろうか。

 「ながきは人の願いにて短きものは命なり」

 津波が襲った巨大防潮堤の上で今年9月11日、鈴(れい)をつきながら和讃(わさん)(釈迦(しゃか)などをたたえ先祖を敬う歌)を唱える女性たちの姿があった。岩手県宮古市の田老(たろう)地区にある唯一の寺、曹洞宗常運寺の梅花講の人々だ。曹洞宗には詠歌・和讃を唱える講がある。唱える楽しさの中で信仰を学ぶ場だ。「津波があったからといって日常を変えたくない」と、月2回の練習に仮設住宅や自宅から通い、四十九日や一周忌など節目に防潮堤で唱えている。

 この梅花講を支える住職は「(田老地区では)200人近く亡くなっている。その死を前にベラベラしゃべれない」と、取材には応じてこなかった。しかし、数々のエピソードが住職の姿を物語る。例えば、被災者がまだ避難所にいた頃のことだ。首をつって死ぬという匿名の手紙が届いた。住職は避難所に乗り込み「これ書いたの誰だ? このばかやろうどもが。いつまでも被災者面して甘えてるんじゃねえ!」と怒鳴りつけた。帰ろうとすると檀家(だんか)の一人が寄ってきた。「人間関係がぐちゃぐちゃしてしょうがなかった。一喝してくれて助かった」と口にしたという。

 何と乱暴なと思うかもしれないが、日ごろの結びつきが強いからこそ、言えた言葉だったのだろう。「がっぷりつき合って普通に話ができるからな」とだけ、住職はつぶやいた。

 ◇避難所の機能も

 門を閉ざしたケースはあったものの、被災地で津波を免れた宗教施設は、避難所としても機能した。

 宮城県気仙沼市の曹洞宗清涼院=三浦光雄住職(66)=には、仮設住宅ができるまでの5カ月間、被災者らさまざまな人が出入りした。2年前に妻を亡くし、「ご愁傷さま」と周囲からいくら声をかけられても慰めにならないことを知っていた三浦さんは、ただ被災者に寄り添った。少し落ち着くと酒とつまみを用意して、ボランティアを交え夜通し話をした。そんな雰囲気の中からボランティア同士でゴールインする例も生まれた。

 同じく気仙沼の早馬(はやま)神社=梶原忠利宮司(73)=は浸水し、さらに階段を上った先にある小さな境内にある社で約20人が2日間暮らした。梶原さんは、ボランティアでも他宗派・他教団の支援でも、何でも受け入れた。集まった物資を一軒一軒配って歩いた。

 進んでいなかった自治体による宗教施設の避難所指定が、震災を機に増えたのも事実だ。稲場圭信・大阪大学准教授(43)が今年2月に実施した全国の自治体と宗教施設の災害協定の実態調査によると、協定を結んでいるのは43自治体で223施設。うち59・1%の132施設が震災後に締結されたものだった。さらに検討中の自治体は28あった。

 ◇徐々に新たな地縁

 早くも秋の虫の音がする8月25日、福島第1原発から西に約40キロに位置する、福島県三春町の臨済宗福聚(ふくじゅう)寺で毎月恒例の「坐禅(ざぜん)会」が開かれた。住職は作家でもある玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)さん(57)。約40人の参加者の中に、三春町の仮設住宅に住む富岡町出身の斎藤泰助さん(84)と、湊谷(みなとや)克巳さん(66)がいた。

 放射線の影響で自宅には帰れない。斎藤さんは地元では曹洞宗の寺の檀家だった。用事がなくても月に2、3回は寺に顔を出していた。「それができなくなって、心もとなく寂しかった。いろいろ心のよりどころを探したけど、仏様は包容力が違うね」。湊谷さんは夫婦で東京から富岡に移住し、10年目に震災に遭った。三春で死後を託せる寺を探し、福聚寺に行きついた。「無縁仏になりたくないからお寺にすがった」

 2人の仮設住宅がある平沢地区には、高台に共同墓地がある。昨年12月、地区の有志7人が参道横に「平沢復興六道地蔵」を建立した。ちょうど仮設住宅を見守る位置に当たる。開眼法要を頼みに玄侑さんを訪ねると、仮設の住民にも参加を呼びかけることを勧められた。有志の一人で区長を務める村田清人さん(64)は、「復興を願いながら一つのことをやり遂げて元気が出た。仮設の人も散歩がてら拝んでくれる」と話す。

 寺を核にして、新しい地域の縁が作られようとしている状況を、玄侑さんはこんなふうに見る。「ここで結ばれた縁はやむにやまれぬ選択に思える。移転先も決まらず、先の暮らしの見えない中で現実的に今の安心を求める動きでしょう」

 ◇チリンチリン鈴の音…誰もいない 幽霊談続々、宗派超え心のケア

 仙台市の火葬場で読経ボランティアをした僧侶らは遺族の悲しみに向き合った。その経験から、悲嘆ケアをする「心の相談室」が11年4月にスタートした。世界宗教者平和会議(WCRP)などが資金援助し、僧侶、牧師、神職ら超宗派の宗教者が対応する形で心のケアが広がっていった。

 「カフェ・デ・モンク」は、お茶を出しながら被災者の話を聞く傾聴移動喫茶だ。こちらは宮城県栗原市の金田諦応(たいおう)・曹洞宗通大寺住職(57)が11年5月に始めた。金田さんは震災の夜、改めて宗教に出合う体験をした。

 地震、津波に加え雪に見舞われた3月11日。雪がやむと、満天の星が目に飛び込んできた。「人がバタバタ亡くなった一方で、俺は星を見て生きている。これは何だ。我、彼の境目がなくなる『自他不二』という感覚にとらわれた。冷徹なこの現実をありのまま見ていた。しかも限りなく慈しみを注ぐ視点だった」。宗教家の原点といえる視線だろう。以前から自死問題に取り組んでいたこともあって、傾聴のノウハウは身についていた。仲間の僧侶と被災地を回り始めた。

 また、1200カ寺と被災地の寺院数が最多の曹洞宗も、全国曹洞宗青年会が震災直後の3月に災害復興支援部を設立し、「行茶(ぎょうちゃ)」と呼ぶ傾聴を始めた。

 行茶に通った福島県の40代の僧侶は、同年末から眠れなくなった。寝ると実体験もないのに津波の夢を見てしまう。酒に紛らわせて床に就くこと3カ月。仮設住宅に行くと、いきなり涙が止まらなくなる症状に襲われた。ある日、目が見えなくなり、激しい頭痛に見舞われ救急搬送される。行茶の後、リポートを書いてため込んだ感情を整理することの重要性を身をもって知った。参加するペースは落としたが、「やるしか選択肢はない。そのモチベーションで仲間の僧侶とつながっているので、継続できるのかな」。

 曹洞宗復興支援室分室の主事を務める久間泰弘・龍徳寺住職(43)は「支援は何カ所かに限ろうかとも話し合いましたが、結局、3県すべてでパンクするまでやろうと。幸いまだパンクしていません」と話す。

 カトリックのシスターでもある高木慶子(よしこ)・上智大学グリーフケア研究所特任所長(77)が、「傾聴ボランティアはお断りします」の張り紙を避難所で初めて見たのは震災の年の9月。やがて仮設住宅や集会所でも見かけるようになった。「宗教者だけでなくカウンセラーや医療関係者でもひたすら話に耳を傾け、内容は口外しないという傾聴の基本ができていない方が多い」と注意を促す。

 傾聴の中では、幽霊談が頻繁に登場してくるという。阪神大震災でもあったが、今回はさらに数が多い。被災者だけでなく、工事関係者、研究者らも遭遇する。津波で壊滅したスーパー跡地を朝方通りかかると、行列している姿が見える。人をひいた衝撃があったが、誰もいない--。

 鈴木光・豪シドニー大学研究員は、昨秋2カ月ほど宮城県石巻市で後片付けのボランティアをしながら被災者の宗教心などに関する調査をした。石巻を離れる前に、あちこちに花を手向けて歩いた。小学校近くの橋の上に差しかかった時、向こうからチリンチリンと鈴の音が近づいてきた。ランドセルにつけた鈴のような気がした。でも誰もいない。川に花を投げながら歩く鈴木さんに、鈴の音はずっとついてきた。橋を渡り終え、「もうバイバイだよ。私は帰るからね」と言うと、まるで近くにいた子がUターンしたかのように、肘の上あたりにふわっと髪の毛かマフラーのようなものが触れたという。

 傾聴している宗教者たちは、「これだけ一気に亡くなったんだ、出るのは当たり前じゃないか」と語る。供養を頼まれる僧侶も多い。慰霊碑を建て、鎮めることもある。

 ◇祭り、絆再び結ぶ

 ◇人が集まり地域に活気 「よりどころがほしい」

 下谷神社(東京都台東区)の阿部明徳宮司(59)が、被災地で支援物資の手配をしていた11年4月初めのことだ。宮城県名取市・閖上(ゆりあげ)地区に入り、ある光景を目にした。

 津波によって同地区の湊神社は土台を残すばかり。しかし、その土台に1円玉や5円玉の小銭の小山ができていた。さい銭だ。「こういう時こそ、こういう時だけかもしれないが、心のよりどころがほしいんだ」と気付き、仮のお社を寄贈する活動に乗り出した。

 最終的に目指すのは、祭りの復興だ。「地域の文化に根差した行事。各地に避難している人たちが集まる機会になる。地域の絆を取り戻すためにも祭りは必要」と、みこしや山車の修復にも尽力する。

 儀礼文化学会、国立文化財機構東京文化財研究所、全日本郷土芸能協会など4団体は「無形文化遺産情報ネットワーク」を設立し、被災地の民俗芸能と祭礼・行事、いわゆる祭りのデータを収集・公開している。調査の結果、3県で神楽、獅子舞などの民俗芸能約800件、七夕や火祭りなど祭礼・行事は約500件。再開も多いが、未定、情報なしの祭りも多い。

 久保田裕道・東京文化財研究所主任研究員(47)は、「沿岸部の祭りの民俗学研究は内陸に比べるとあまり進んでいなかった」という。「こんなに多彩な祭りがあると震災後、初めて分かった。いまだにこれだけの芸能を楽しみにやっている地域はめったにない」。祭りの復興からは何が見えるだろう。

 漁業が盛んな沿岸は、海に出れば常に死と隣り合わせ。神社への尊崇の念は深い。福島県いわき市にある大國魂(おおくにたま)神社の御神輿(おみこし)保存会「豊間海友会」会長、鈴木利明さん(72)は、遠洋漁業の船乗りだった。「神社に手を合わせ、沖を3回まわってから漁場に出ていった」。元の自宅があった豊間地区では「まずは神社仏閣から」と、蓄えていた区費で2神社に鳥居を建てた。

 大國魂神社では、お潮採り神事を震災の年の5月に催した。だが、みこしは担げる状態ではなく、代表者が浜辺で神事だけ行った。「お正月が毎年やってくるように、年に1回の大事なお祭りをできるならやりましょうということ。何の不思議もありません」と山名隆弘宮司(71)。

 震災前、鈴木さんは民宿を経営して繁盛していた。「民宿がなくなり、今後のことを考えると夜中に目が覚め眠れなくなった。山名先生(宮司)がいろいろ引っ張り出してくれなかったら、裏の山で首つってたと思うよ」。忙しさに救われる。そんな人たちが周囲に大勢いる。

 豊かな港町だった岩手県山田町は、秋の例大祭ともなれば町中が盛り上がる。しかし、津波と火災の被害は大きかった。山田八幡宮、大杉神社などの宮司を兼ねる佐藤明徳さん(53)によると、氏子の中で半数を超える漁師が海から離れたという。津波に流された大杉神社では「祭りをやろう」との声が自然に上がり、11年から小規模に行ってきた。

 今年9月、元々同社があった山の上の元宮に仮社殿が建てられた。伊勢神宮から木材提供を受けて、神社本庁が進めている復興支援だ。社殿ができたら祭りだとばかりに同月16日、震災以来、初めてみこしを担いだ。といってもそれは小型のみこしで、本来は本殿から祭り用のみこしにご神体を移す時に使うもの。あいにくの台風で船に乗せて海を渡る見せ場の「海上渡御(とぎょ)」は中止となったが、惜しむようにみこしを担いだ。

 本来のみこしは修復資金を募っている。神輿会会長の上林善博さん(37)は両親と妻、末っ子を亡くした。「神輿会のみんなに支えられた。生き残った者が元気にやっていることが供養になるんじゃないですか」

 ◇鎮魂の巡礼

 背丈ほどの草に覆われ、家々の基礎部分だけが残る更地に、青年僧侶約300人の読経が響いた。震災の津波で住民の約1割に当たる321人が死亡した宮城県東松島市野蒜(のびる)地区。震災犠牲者を追悼する巡拝慰霊法要が13日に営まれた。

 全国から集まった全真言宗青年連盟(清雲俊雄理事長)の僧侶らが列をなし、土地や犠牲者の魂を清める土をまきながら巡礼。約40分間かけて地区を巡り、野蒜海岸では鎮魂の祈りを込めたホラ貝の音を響かせた=写真。【近藤綾加】

 ◇学者ら、傍観から支援に オウム事件反省

 「大震災と宗教」を考えた時、今回、特筆すべきことの一つは多くの宗教学者が支援に向けて動いた点だ。従来は、調査はしても支援活動には関わってこなかった。

 その姿勢を破った一つの理由に、オウム真理教事件への反省が挙げられる。1995年、同教団に強制捜査が入る前後、メディアは宗教学者に「オウムの危険性を教えてほしい」と依頼したが、断られるばかりだった。現実から距離を取って事実把握に努めるのが研究者であり、警鐘を鳴らすのは役割が違うからだ。

 「オウム事件で傍観者だった反省はある。密着しても見えなくなるが、離れすぎても見えない」。島薗進・上智大学教授(64)は、震災翌月の4月1日に研究者と宗教団体による「宗教者災害支援連絡会」を設立し、代表に就任。避難所・支援情報などを提供した。超宗派での心のケア、活動の検証など地道な取り組みを続ける。

 稲場圭信・大阪大学准教授らは2011年3月、「宗教者災害救援ネットワーク」を設置し、宗教者の救援情報、活動場所、義援金情報などを「宗教者災害救援マップ」に集約し、インターネットで公開。支援活動の情報源になった。その後、各教団の連携作りのため、全国8万件の指定避難所、20万件の宗教施設データをまとめた日本最大の「未来共生災害救援マップ」を作って公開した。

 先に紹介した「心の相談室」の室長を務めた医師の故岡部健さん(12年9月死去)と共に、鈴木岩弓(いわゆみ)・東北大学教授(62)は昨年4月、同大に「実践宗教学寄附講座」を開設。心のケアに携わる宗教者「臨床宗教師」の養成を目指す。既に3期生まで約40人の研修修了者を送り出した。将来は病院や介護施設で受け入れられることが目標だ。「理系学部は技術によって世を変えられる。文系学部に即効性はない。でも今、世の中をいい方向に変える発信ができるチャンスが来ていると思っています」

 ◇若者の関心、高まる 入門書など人気

 「お墓や供養について教えて」「自殺した親族のことが頭をよぎる」--。仏事に関する質問や生きる上での悩みなどにお坊さんたちが答えるサイト「hasunoha(ハスノハ)」が、昨年11月始まった。創設したのは、元「YAHOO! JAPAN」社員のプロデューサー(43)ら男性3人だ。

 震災直後の4月初め、お経を唱えつつ被災地を歩く盛岡市、石雲禅寺の小原宗鑑(そうかん)副住職の姿が話題になり、これが創設のきっかけだった。「仏教には葬式のイメージしかなかったが、その僧侶の写真を見て、仏教というか宗教の存在意義を実感した。宗教が必要だと思った瞬間です」とプロデューサーは話す。

 東京に暮らす3人はすぐに企画案を立て、つてをたどって浄土宗光琳寺(宇都宮市)の井上広法副住職(34)に行きついた。回答するのは宗派を超えた僧侶50人だ。

 1995年から始まった「学生宗教意識調査」(「宗教と社会」学会・宗教意識調査プロジェクト)によると、2012年の調査で非宗教系大学に通う学生1708人のうち、「信仰を持っている」「信仰は持っていないが、宗教に関心がある」が計58・1%と半数を超え、これまでで最も高い数字を示した。

 震災以降、宗教入門書がよく売れた。例えば、11年5月刊の橋爪大三郎、大澤真幸共著「ふしぎなキリスト教」(講談社現代新書)は30万部だ。社会学者の大澤さんは「現代人は宗教心を持っていないと感じている人は多いが、人間は生きることに意味付けや説明を求めるもの。不幸が起きると、それに初めて気づく」と話す。しかしその一方で、「問いはあるのに宗教はまだ答えきれていないように見える」と現状を分析している。


 ◇関連サイトのアドレス

 仏事や生きる上での悩みなどに僧侶が答える「hasunoha(ハスノハ)」(http://hasunoha.jp:)

 避難所や宗教施設をまとめた日本最大の「未来共生災害救援マップ」(http://www.respect-relief.net/)

    --「<東日本大震災>宗教が果たした役割とは 不安な夜、頼り、支えられ」、『毎日新聞』2013年11月21日(木)付。

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[http://mainichi.jp/feature/20110311/news/20131121mog00m010006000c.html:title]


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覚え書:「書評:宮本常一 逸脱の民俗学者 岩田 重則 著」、『東京新聞』2013年11月17日(日)付。

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宮本常一 逸脱の民俗学者 岩田 重則 著

2013年11月17日

◆生活を記す学問の可能性
[評者]安藤礼二=文芸評論家
 本書は、近年再評価が著しい宮本常一の生涯と思想を、貴重な第一次資料に基づきながら概説し、現在でも色褪(いろあ)せないその可能性を浮き彫りにした労作である。著者は言う。クロポトキンの『相互扶助論』を読むことから始まった宮本の学問は、柳田國男の民俗学からも渋沢敬三の民具学からも「逸脱」していた。「逸脱」はプラスの意味を持っている。宮本は、客観性を条件とする通常の学問では許されない主観的な記述を決して排除することなく、人々の「生活誌」を描き続けた。
 宮本は常に「私」から語った。だからこそ、宮本は繰り返し「故郷」周防大島に還(かえ)っていったのである。そこには学問の抽象化と体系化に抗(あらが)う人々の生活があった。無数の島々からなる列島に移り住んだ人々は海と山を生活の場とし、自然の資源を有機的に活用することで生活を成り立たせていた。「定着」以前に「漂泊」があり、「稲作」以前に「畑作」があり、漁撈(ぎょろう)と狩猟があった。「民具」はそうした生活全体の中から捉え直される必要がある。宮本は、柳田民俗学と渋沢民具学を内側から食い破ってしまったのだ。
 「生活誌」を根幹に据えた宮本の学問を、著者は複眼的な視点からなる「総合社会史」とし、こう記す。「総合社会史としての畑作農耕文化の把握は、たとえば、柳田國男がそうであったような稲作単一農耕文化論の日本文化論に対して、狩猟・畑作農耕文化を対照的に示すとともに、さらには、農業以外の漂泊民文化、漁業文化をも提示することにより、複合文化論(多元的文化論)としての日本文化論をおのずと提出することにもなっていく」
 もちろんその過程で、戦争中の宮本の発言が「大日本帝国」を根底から支えた「根深い次元からの保守主義」に基づいていることを著者は見逃していない。農村の現実と直結した独自の保守思想を徹底することが戦後の創造的な見解につながっていった。歴史の暗部をも見据えたフェアな評伝である。
(河出書房新社 ・ 2520円)
 いわた・しげのり 1961年生まれ。中央大教授。著書『墓の民俗学』など。
◆もう1冊 
 ちくま日本文学(22)『宮本常一』(ちくま文庫)。「忘れられた日本人」など、日本中を歩いて民衆の生活記録を集めた民俗学者の選集。
    --「書評:宮本常一 逸脱の民俗学者 岩田 重則 著」、『東京新聞』2013年11月17日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013111702000164.html:title]


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宮本常一 : 逸脱の民俗学者
岩田 重則
河出書房新社
売り上げランキング: 26,241

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覚え書:「書評:ブリティッシュ・ロック 林 浩平 著」、『東京新聞』2013年11月17日(日)付。

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ブリティッシュ・ロック 林 浩平 著

2013年11月17日

◆思想・哲学と響き合う
[評者]土佐有明=ライター
 一九六〇~七○年代のロックを巡る評論には既にいくつかの類型が存在するが、思想・哲学とロックの関連性をここまで徹底して掘り下げるスタイルは珍しい。詩人で文芸評論家の著者が、主に英国のプログレッシヴ・ロックやハード・ロック、ヘヴィ・メタルについて評した本書には、ハイデガーやショーペンハウアーやアガンベンやロラン・バルトの名前が並び、彼らの思考とロックがいかに底流で深く響き合っているかが語られる。
 例えば、ロックのエイトビートに全身を揺り動かされる体験は、ニーチェのいう<ディオニュスソス的陶酔>にも似ていると言う。また、レッド・ツェッペリンの昂揚(こうよう)感や崇高感を前面に打ち出したサウンドは、同じくニーチェが提示した<悲劇>の概念を想(おも)わせるとも記す。他にも、シュタイナーやグルジェフの神秘主義思想にロックの精神との共通性を見いだしたり、ボードレールや萩原朔太郎の詩を読み解きながら、ロックの深層に迫ってみたりもする。
 評者は、ロックとは、聴く前と聴いた後で違う自分になれる音楽だと思っている。そして、ロック評論もまたそうあるべきだろう。本書を読んだ後でキング・クリムゾンやブライアン・イーノを聴くと、偉大なる哲学者や文学者の存在が脳裏をよぎる。そう、これは読んだ後で<違う自分>になれる本なのだ。
(講談社選書メチエ・1680円)
 はやし・こうへい 1954年生まれ。詩人・文芸評論家。著書『テクストの思考』。
◆もう1冊 
 中山康樹著『誰も知らなかったビートルズとストーンズ』(双葉新書)。英国ロック最大のスターバンドの関係秘話。
    --「書評:ブリティッシュ・ロック 林 浩平 著」、『東京新聞』2013年11月17日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013111702000162.html:title]


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覚え書:「みんなの広場 『スパイの親』悲劇繰り返すな」、『毎日新聞』2013年11月20日(水)付。

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みんなの広場
「スパイの親」悲劇繰り返すな
無職 81(千葉市若葉区)

 72年前の12月8日、太平洋戦争開戦の日、北海道帝国大生の宮沢弘幸さんは「軍機保護法」違反で特高警察に検挙された。宮沢さんは拷問を受けながらも「やっていない」と叫び続けた。
 根室飛行場の存在を外国人に話したことなどがスパイ行為とされたが、飛行場はリンドバーグが飛来した飛行場として公知の事実だった。しかし、大審院(現在の最高裁)は懲役15年の刑を下し、網走刑務所に閉じ込めた。
 戦後釈放されたが、獄中の衰弱がもとで27歳で亡くなり、両親も「スパイの親」として死んだ。
 宮沢さんの妹で私の友人、秋間美江子さん(86)は、米コロラド州ボルダーで「日本のみなさん、私たち家族が味わった悲しみと苦しみを二度と繰り返してはなりません」と叫んでいる。
 国会は72年前に「スパイ冤罪事件」が引き起こされ、今なお家族が苦しんでいる現実を直視し、そのうえで、国民の耳、目、口をふさぐ特定秘密保護右方案を廃案にすべきだ。
    --「みんなの広場 『スパイの親』悲劇繰り返すな」、『毎日新聞』2013年11月20日(水)付。

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井上勝生「戦時下、時代に棹さした北大生宮澤弘幸、再論:逸見勝亮氏『宮澤弘幸・レーン夫妻軍機保護法違反冤罪事件再考』評」、『北海道大学大学文書館年報』第6号、2011年3月。

[http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/45216/1/ARHUA6_005.pdf:title]

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覚え書:「今週の本棚:海部宣男・評 『ヒトのなかの魚、魚のなかのヒト』=N・シュービン著」、『毎日新聞』2013年11月17日(日)付。


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今週の本棚:海部宣男・評 『ヒトのなかの魚、魚のなかのヒト』=N・シュービン著
毎日新聞 2013年11月17日 東京朝刊


 (ハヤカワノンフィクション文庫・840円)

 ◇多細胞生物の身体形成の秘密に分け入る

 一九世紀半ばのイギリスで、地下に埋まった巨大生物の化石を研究して「恐竜」という名を与えたのは、偉大な解剖学者サー・リチャード・オーウェン。彼は、ヒト、ウマ、カエル、クジラ、鳥などの手(鰭(ひれ)、翼)や足の骨が、上から太い一本の骨、二本の骨、複数の小さな骨の塊、そして五本の指という、同じ基本デザインでできていることを明らかにした。見事な共通性にオーウェンは満足し、これこそ神が生物を周到に設計したことを示すと考えた。

 しかしすぐ後で『種の起源』を発表したダーウィンにとっては、同じ事実が、広範な四肢動物が同じ祖先から進化したことを明瞭に示す証拠だった。著者が言うには、ダーウィンとオーウェンの理論の違いは、ダーウィンの理論が「正確な予測を可能にする」ことである。

 著者のグループがカナダ北端の北極圏に毎年ヘリコプターで運ばれ、吹きさらしのデボン紀の地層で化石をひたすら探しまわったのも、この「予測」に基づく。ダーウィン理論の「四肢動物の共通の祖先」とは、「魚」であるはずだ。四億年近く前、海から陸に上がった最初の陸上植物や昆虫に交じって、原始的な四肢を備えた「魚」がいたに違いない。その化石があるとすれば、当時の河が海に注ぐ地域で形成された堆積層だろう。こうして六年の苦心が実り、著者たちは原始的なデザインの四肢骨を持つ「魚」を発見してティクターリクと名付け、大反響を呼ぶのである。

 話は、魚止まりではない。著者はシカゴ大学の自分の研究室を二つのグループに分け、一方では化石による動物の進化を、他方では現生動物の胚からの発生とそれについてのDNAの役割を並行して調べている。そうした研究をベースに本書が追うのは、四肢、歯、嗅覚、眼(め)、耳など、それに「身体」を作るボディ・プランの仕組みである。こうして動物の「身体の起源」を探るたびに、サメ、イソギンチャク、ナメクジウオ、カイメンや細菌にまで、私たちの身体と共通する痕跡が見つかる。

 例えば、耳。私たちが音楽を楽しむ中耳・内耳の構造は、原始的な魚の呼吸器である鰓(えら)や水流を測る感覚器から派生し、哺乳類では大いに発達した。例えば、歯。動物の身体で一番硬い歯は、古代のヤツメウナギのような原始的な魚コノドントあたりから始まり、初期魚類である甲皮類の鎧(よろい)は、歯が集まって作られた。ウロコや羽毛も、歯に続いて皮膚から生み出されたもの。歯は最も古い肉食の名残りだが、その後身体のさまざまな部品として転用されて、大きな発展を遂げたのだ。

 著者の筆は、解剖や化石探しなど自身の研究の苦心と興奮や、冒頭のオーウェンとダーウィンの話のような研究史をちりばめて飽きさせない。多細胞生物の身体形成の秘密に迫り、私たちの身体にもさまざまに痕跡を残した過去の膨大な生物(言ってみればご祖先たち)を思い起こさせてくれる。終章のテーマは十億年近い昔、単細胞から多細胞生物への大ジャンプだ。

 私たちはつくづく、すごい時代にいると思う。人間の出現までの進化の道がこんなふうにトータルに浮かび上がってくる。そして太陽系外では幾多の惑星が発見され、その上の生命の存在が追求されようとしている。宇宙論と素粒子論では、この世界を作る物質・力・空間の起源に迫る研究が競われている。

 いっぽう人間社会に目を向けると、先を読むのが難しい時代であると感じる。でもこれほどの英知を持つ人間、なんとか明るい展望を開いてゆけるよと、楽観的にもなれるというものだ。(垂水雄二訳)
    --「今週の本棚:海部宣男・評 『ヒトのなかの魚、魚のなかのヒト』=N・シュービン著」、『毎日新聞』2013年11月17日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20131117ddm015070023000c.html:title]


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覚え書:「今週の本棚:三浦雅士・評 『北のはやり歌』=赤坂憲雄・著」、『毎日新聞』2013年11月17日(日)付。

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今週の本棚:三浦雅士・評 『北のはやり歌』=赤坂憲雄・著
毎日新聞 2013年11月17日 東京朝刊

 (筑摩選書・1575円)

 ◇ウェブ時代の「昭和の歌」をたどる

 「はやり歌」すなわち「流行歌」である。「リンゴの唄」「北上夜曲」「北帰行」「ああ上野駅」「港町ブルース」「浜昼顔」「北国の春」「津軽海峡・冬景色」「俺(お)ら東京さ行ぐだ」「みだれ髪」の全十曲、全十章。いや、関連する曲も含めてこれに倍する流行歌が取り上げられ、柳田国男の名著に倣っていえば、『昭和史・世相篇』が語られる。

 なぜ「北」なのか。著者はウェブの二木紘三のブログの言を紹介している。

 「ふるさと、もしくは帰るべき場所が南にある人も多いはずなのに、傷心して南へ帰るといった趣旨の歌詞は、ほとんど見たことがない。おそらく、北という言葉に多くの人が抱く冷涼で寂寂(さびさび)としたイメージには、傷ついた心を癒すなにかが含まれている。南の光に満ちたイメージは、憧憬(しょうけい)・希望・夢といったプラスの心象にふさわしく、傷ついた心には眩(まぶ)しすぎるのかもしれない--と。」

 第三章「北帰行」の一節だが、著者は、「北帰行」の原曲が中国大陸の、大日本帝国にとっては最後の官立高校であった旅順高等学校の寮歌であったという事実を指摘し、小林旭が歌ってヒットしたこの流行歌の隠れた一面をたどっている。思いがけない事実の指摘はほかにも多く、第一章で紹介されている「リンゴの唄」の作詞者サトウハチローが、じつはその数カ月前に戦意高揚の歌「台湾沖の凱歌(がいか)」を作詞していたという事実にしてもそう。なかにし礼の『歌謡曲から「昭和」を読む』から引いているが、考え込ませられる。

 第六章「浜昼顔」はそのまま卓越した寺山修司論になっているが、それも古賀政男のこの曲が、一九三六年には佐藤惣之助作詞「さらば青春」として、五六年には丘十四夫(としお)作詞「都に花の散る夜は」としてすでに発表されたものであり、七四年の寺山の作詞はいわば三度目の正直であったという意外な事実を軸にしている。古賀はおそらくこのメロディはまだふさわしい歌詞に出会っていないと感じ、最後の作詞者として寺山を指名したのではないかというのだ。その後に「人の一生かくれんぼ」へと展開する流れは見事。

 だが、何よりも印象的なのは頻繁にウェブを参照していること。寺山への言及もウィキペディアから始めている。それもそのはず、本書はもと「Webちくま」の連載。さまざまなブログの文章が、街を行きかう人々の声を録音するように引用されているが、みな所を得ている。

 この感覚は新しい。二十世紀後半は基本的にラジオ、テレビの時代。年それぞれに流行歌があって、街を歩けば聞こえてきた。だが、九〇年代に入って「紅白歌合戦」が必ずしもその年の流行歌総集編にはならなくなってきた。ウォークマンなどの普及によって歌は個人の脳にじかに入り込み、街や茶の間で共有するものではなくなったのだ。人々はいわば同じ一年を共有しなくなった。変化は二十一世紀に入ってインターネットが一般化し、決定的になる。

 著者はあとがきに「YouTubeから流れてくる歌にどれだけ耳を傾けたことか」と書いているが、ウェブはいまや永遠の現在に属しているかのような錯覚を与える。本書がきわめてアイロニカルな表情を見せる理由だ。ちなみに、YouTubeでは東欧の歌謡曲を聴くこともできる。日本の歌謡曲に似ている。西洋クラシックが普遍的というのは幻想だという気がするほど。「北のはやり歌」は日本だけの現象ではないのかもしれない。

 さまざまな次元で示唆に富む一冊である。
    --「今週の本棚:三浦雅士・評 『北のはやり歌』=赤坂憲雄・著」、『毎日新聞』2013年11月17日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20131117ddm015070017000c.html:title]


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北のはやり歌 (筑摩選書)
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書評:三谷太一郎『学問は現実にいかに関わるか』東京大学出版会、2013年。


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 政治学教育は単なる専門性、または単なる一般性をもつものではない。専門性を媒介とする一般性、または一般性を媒介とする専門性をもつのであって、それが政治学教育の総合性でえある。したがって大学院における政治教育はスペシャリストというよりも、むしろジェネラリスト、すなわちオルテガが排撃したような「一つのことに知識があり、他のすべてのことには基本的に無知である人間」、要するに専門化された「大衆的人間」を逆モデルとし、丸山眞男がジョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill)のことばを引いて政治学に携わる者のモデルとして提示した「あらゆることについて何事かを知り、何事かについてあらゆることを知る人間」の養成を目指すべきであろう。
    --三谷太一郎「学問はなぜ必要か」、『学問は現実にいかに関わるか』東京大学出版会、2013年、30頁。

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三谷太一郎『学問は現実にいかに関わるか』東京大学出版会、読了。学問は現実にどう関わるべきか--。日本政治思想史の碩学が、吉野作造、蝋山政道、長谷川如是閑、南原繁、岡義武等々先人の知的格闘を通して、学問の意味を問う優れた労作。学生に読んで欲しい。

インプットを学習とすれば学問の本質的特徴とは未知なるものの探究だ。それは現実との緊張関係なしには遂行し得ない。本書は近代日本の出発点(福澤諭吉)から始まり、政治思想史の巨人の格闘を追跡するなかで、その営みを明らかにする。

著者は「現実」と「現在」の混同を諫める。学問とは、多様な側面をもつ現実の構造を捉えることだ。現在への惑溺は状況判断を曇らせる。それに抗う知的誠実さが学問の自律性と任務といってよい。そして生活世界との往復なしにはあり得ない。

本書の星は、やはり丸山眞男論。謦咳に接した著者の敬愛に満ちた丸山論は、その姿を豊かなものへと更新する。と、同時に著者の史的追跡は、東大の良心の系譜を明らかにするものでもある。「権力崇拝を退けよ」。その試練を引き受けることが課題だ。

本書は著者が折々に発表した講演、新聞記事、短評の集成録。筆者の知的関心の一貫性もさることながら、本書は書き下ろしのごとき水準に驚く。編集者の卓越した力量に驚いてしまう。ほんと、おすすめです。

[http://www.utp.or.jp/bd/978-4-13-003336-7.html:title]


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学問は現実にいかに関わるか
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覚え書:「今週の本棚:荒川洋治・評 『瀬戸内海のスケッチ』=黒島伝治・著」、『毎日新聞』2013年11月17日(日)付。


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今週の本棚:荒川洋治・評 『瀬戸内海のスケッチ』=黒島伝治・著
毎日新聞 2013年11月17日 東京朝刊

 (サウダージ・ブックス・2100円)

 ◇ひろく深く目を向ける作家の静かな名編

 黒島伝治(一八九八-一九四三)の作品一〇編を収録。山本善行選。代表作を収めた岩波文庫『渦巻ける烏(からす)の群 他三篇』(一九五三・改版一九七三、現在二十五刷)とは重複しない。

 黒島伝治は香川県小豆島の貧しい農家に生まれた。地元の醤油(しょうゆ)会社に勤めたあと、早稲田の予科に入った年に召集される。苛酷なシベリア出兵の体験をもとに「橇(そり)」(一九二七)「渦巻ける烏の群」(一九二八)など一連の反戦小説を書き、高い評価をうけた。最後の十年は肺患悪化のため、ほとんど筆をとることなく郷里小豆島で亡くなる。四十四歳の若さだった。

 この『瀬戸内海のスケッチ』は地元の刊行でもあり、主に小豆島が舞台。「砂糖泥棒」「まかないの棒」などは貧しい農村に材をとるが、密度は高い。表題作「瀬戸内海のスケッチ」は、「無花果(いちじく)がうれた。青い果実が一日のうちに急に大きくなってははじけ、紅色のぎざぎざが中からのぞいている」という初秋の景色から、台風の話へ。下駄(げた)船が難破して、海面に下駄が散乱。それをみなで拾い集める。「赤塗りの下駄、主人の下駄、老人のよそ行き、等々家族みなのを集めて行く者」も。下駄屋のおかみさんまでかけつけるようすをスケッチする。文章の構成がすばらしい。「「紋」」は、老夫婦と、猫の話。

 <古い木綿布で眼(め)隠しをした猫を手籠から出すとばあさんは、

「紋よ、われゃ、どこぞで飯を貰(もろ)うて食うて行け」と子供に云(い)いきかせるように云った。

 猫は、後へじりじり這(は)いながら悲しそうにないた。>

 「紋」という猫を、捨てに行く場面。これが最初の文章だ。紋は、よその家から食べ物を盗むので、近所から文句をいわれる。風呂を借りる家からも冷たくされ、一か月も風呂をもらうことができないので、仕方なく捨てることに。遠くの村へ捨てても、紋は戻って来る。本土へ運んでいったとき、紋は海に落ちて死ぬ。猫のようすは、ほんの少ししか出ない。なのに文章全体からここで起きることのすべてが見えてくる。そんな書き方だ。小説は描くことではない。もっと別のところで、だいじなものを静かにあたためるものなのかもしれない。

 中編「田園挽歌(ばんか)」。貧しい家から来た嫁、お十が一応のヒロインだが、そのうちに少しずつ人影がふえて支点が移動。絵巻物のような展開をとおし、心の歪(ゆが)みが映しだされていく。「「紋」」も「田園挽歌」も現代の小説を読むときのように、物語の首尾を見いだすことはむずかしい。全体から、にじみでるもの。作者はそれを求めた。「本をたずねて」は、東京でのこと。列車の窓から落っことした一冊の本を線路際(高田馬場・目白間の西側・ここをぼくも歩いてみたい)へ探しに行く。表紙が、そしてあきらめかけたときページをつけた本体が見つかるというものだ。こうした素朴で単純な話と思われるものにも、もっと向こうの世界とのふれあいを求めるような空気がある。その空気を通して、人が生きること、時を過ごすことの感興がしみいるように伝わるのだ。これは巻末の名編「雪のシベリア」(一九二七)の手法にもつながる。見るだけではない。見えないことにもひろく深く目を向ける人なのだと思う。

 黒島伝治は、どんなときにも心に強く残るものを書いた。『黒島伝治全集』全三巻(筑摩書房・一九七〇)は、近代文学屈指の個人全集である。本書『瀬戸内海のスケッチ』を開く人が、いつの日か初期の名作「電報」「二銭銅貨」に出会うとしたら、そこからまた、あらたな一日が始まることだろう。
    --「今週の本棚:荒川洋治・評 『瀬戸内海のスケッチ』=黒島伝治・著」、『毎日新聞』2013年11月17日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20131117ddm015070024000c.html:title]


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瀬戸内海のスケッチ―黒島伝治作品集
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覚え書:「今週の本棚・新刊:『出口なお 女性教祖と救済思想』=安丸良夫・著」、『毎日新聞』2013年11月17日(日)付。

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今週の本棚・新刊:『出口なお 女性教祖と救済思想』=安丸良夫・著
毎日新聞 2013年11月17日 東京朝刊

 (岩波現代文庫・1302円)

 戦前に大規模な宗教弾圧を受けたことで知られる大本教の開祖、出口なおの評伝という形で、明治期の民衆の精神を浮き彫りにした。民衆思想史の大家が1977年に刊行した本の文庫化である。

 本書は、「民衆とは、自己と世界の全体性を独自に意味づける権能を拒まれている人たち」であり、出口のような神がかりは、民衆が既存の秩序を拒否して「自己と世界との独自な意味づけ」をする特異な儀式だとする。特に出口の神がかりは、近代化により既存の権威や秩序自体が揺らぐなかで、終末論と救済論が一体となった教義を展開した。

 現在、高学歴化やインターネットを含む多様な情報収集手段の普及で、「民衆」は、誰もが自己と世界の全体性を独自に意味づけられるようになった。既存の教養などの権威失墜も著しい。ゆえに、韓国や中国を標的にしたヘイトスピーチ・デモなり、「福島差別」とまで批判される脱原発を通り越した放射能への恐怖心の扇動なり、極端な主張が流布しているのではないか。出口のようなスケール感や深みを持ち得ない救済なき終末論ばかりがはやる今こそ、改めて読まれるべき好著。(生)
    --「今週の本棚・新刊:『出口なお 女性教祖と救済思想』=安丸良夫・著」、『毎日新聞』2013年11月17日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20131117ddm015070018000c.html:title]


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出口なお――女性教祖と救済思想 (岩波現代文庫)
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覚え書:「みんなの広場 原発は輸出できる代物ではない」、『毎日新聞』2013年11月18日(月)付。

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みんなの広場
原発は輸出できる代物ではない
無職 64(堺市北区)

 安倍晋三首相が“トップセールス外交”でトルコに原発を売り込み、三菱重工業などの企業連合がとること実質合意したと報じています。福島原発事故の収束のめども立たない中、正気の沙汰とは思えません。
 いつ起きるか分からない原発事故。一度起きれば、取り返しがつきません。福島でも人の住めない地域が生まれてしまいました。トルコは日本と同じ地震国です。そして、親日国だと聞いています。そのような国の人々に、原発の危険性や事故の悲惨さを率直に伝える方が真摯な姿勢ではないかと思います。
 事故の収束と核廃棄物処理の方法が確立されない限り、人間のコントロール下に置けない原発は未完成の技術です。そのような技術を経済優先で使い続けた結果が福島の現状ではないでしょうか。とても他の国に輸出できるような代物ではないと思います。
    --「みんなの広場 原発は輸出できる代物ではない」、『毎日新聞』2013年11月18日(月)付。

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覚え書:「今週の本棚・情報:『エスペラント運動』事典」、『毎日新聞』2013年11月17日(日)付。


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今週の本棚・情報:「エスペラント運動」事典
毎日新聞 2013年11月17日 東京朝刊

 ひつじ書房(東京都文京区)は、『日本エスペラント運動人名事典』を発刊した。エスペラントとは、ザメンホフが1887年に提唱した特定民族集団に属さない人工語。同事典は、日本エスペラント図書刊行会が1984年に発刊した『小事典』を大幅増補・改訂。エスペラントを用いた文化運動に携わった柳田国男、梅棹忠夫ら日本人約2900人を網羅する。全672ページ。1万5750円。
    --「今週の本棚・情報:『エスペラント運動』事典」、『毎日新聞』2013年11月17日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20131117ddm015070027000c.html:title]


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日本エスペラント運動人名事典

ひつじ書房
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覚え書:「今週の本棚・本と人:『おとなの背中』 著者・鷲田清一さん」、『毎日新聞』2013年11月17日(日)付。

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今週の本棚・本と人:『おとなの背中』 著者・鷲田清一さん
毎日新聞 2013年11月17日 東京朝刊


 (角川学芸出版・1680円)

 ◇不如意への「耐性」が必要に--鷲田清一(わしだ・きよかず)さん

 しなやかな、それでいて強く根を張った哲学者の思考が随所に光るエッセー集だ。2007年以降、新聞・雑誌に寄せた文章をまとめた。

 冷戦崩壊でイデオロギーの時代は終わったといわれるが、逆にイデオロギーは強まっているという。サステイナビリティ(持続可能性)、安心・安全、情報公開など「誰も正面切って反対できない」流行の言葉に潜んでいる。例えば「多様性」が称揚されるのに、なぜ多重人格は認められないのか。「問題として突き詰められていないと感じます。これらの言葉を出せば、それ以上議論できないという意味では閉塞(へいそく)感の原因にさえなっています」

 東日本大震災でクローズアップされた「絆」も、「被災地では初めから大切さがよく分かっていた。むしろ遠くにいる人々が自分たちの失ったものを確認しようと使った」と見る。

 執筆時期は震災の前後にわたるが、ぶれないまなざし、主張の一貫性に驚かされる。「自立」とは、他人に依存しない独立(independent)ではなく、「いざという時に相互依存的(interdependent)な仕組みを生かせるようにしておくこと」。震災前に記したこの論も、いっそう重く響く。

 タイトルは、人生の中で「大人でも子供でもない期間」が長くなり、「自分が大人か子供かはっきりしない人が多くなった」日本の現状を反映している。

 「かつては場数を踏み、痛い目に遭う体験を通して、生きていくのに不可欠な『見極め』がつく大人になりました。子供もさまざまな職業の大人を見て、生き方を選択できた。ところが今は失敗する可能性があらかじめ排除され、大人の仕事にも多様なイメージを描けません」

 似たような「おとなの背中」しか見えなくなった結果、「子供たちは万能感か、無能感かの両極端に振れるようになった」と指摘する。「人口減少時代に入り、物事のスカッとした解決は難しい。思い通りにならない現実への『耐性』が必要です。大人たちは、たたずまい全体からにじみ出る生き方のモデルを後の世代に示すことが求められています」<文・大井浩一/写真・森園道子>
    --「今週の本棚・本と人:『おとなの背中』 著者・鷲田清一さん」、『毎日新聞』2013年11月17日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20131117ddm015070025000c.html:title]


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おとなの背中 (単行本)
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書評:有田芳生『ヘイトスピーチとたたかう! 日本版排外主義批判』岩波書店、2013年。


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 税金を納めないとか、医療や水道が無料とか、いちいち反論する必要もないでしょう。彼らの言う「特権」など、現実には存在しません。ありもしないものを「ある」と言い張る人と、ネットでその言い分を読んだ途端、なんの検証もせずに「真実を知った」と鵜呑みにする人たちがいます。この二種類によって、在特会は成り立っているのです。
 彼らの主張は、根拠もなければ、もちろん思想もなく、一貫性もありません。新大久保で差別主義、排外主義のデモを行い「韓国人を殺せ」「日韓国交断絶!」と叫んだ翌日、拉致問題解決を訴えるデモを同じ人間たちがやるわけです。拉致問題を解決するためには、むしろ韓国政府と連携し、情報を共有する努力が欠かせないはずです。この問題の常識です。しかしそんな考えは、在特会には思いもつかないようです。一時が万事。これが在特会の本質なのです。
 そもそも、かりに右のような「在日特権」なるものがあって、それをなくせと言いたいのなら、日本政府に向かって主張すべきことです。新大久保や鶴橋のコリアンタウンでデモをしても、何の解決にもなりません。日韓断交を訴えたいのなら、官邸や外務省、韓国大使館に行くべきです。これもまた、コリアンタウンで喚いてもまったく意味のない行為です。
 これが在特会グループの素顔です。彼らは社会正義を錦の御旗のように掲げていますが、ゆがんだ感情を吐き散らしているにすぎません、。矛先をどこへ向けるのかを見ただけで、真実の姿が透けてしまいます。
 在特会にとっては、攻撃相手も言葉も単なる道具にすぎません。自分たちの感情の発散の場として弱者を対象に選び、その方法として彼らなりの主義主張、「正義」や「大義」を振りかざしたいだけです。実際には、欲求不満のはけ口を探しているだけでしょう。だから最もターゲットにしやすい在日朝鮮・韓国人を狙い、傷つけるのです。
 自分たちは社会から虐げられているという被害者意識と、自分たちが享受すべき権利を奪ったのは「在日」だ、という妄想に突き動かされているのです。彼らは確信犯的に八つ当たりしているにすぎません。
    --有田芳生『ヘイトスピーチとたたかう! 日本版排外主義批判』岩波書店、2013年、32-33頁。

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有田芳生『ヘイトスピーチとたたかう! 日本版排外主義批判』岩波書店、読了。「殺せ」「出ていけ」--在日コリアンに浴びせられる暴力の数々。本書は在特会を中心とするヘイトスピーチ(差別・憎悪の扇動)を批判する現在進行形の戦慄すべき報告である。

日本版排外主義の系譜と現在を概観し、差別に対抗する最前線を報告する構成だ。表現の自由と法規制の問題やカウンターの現在(巻末座談、安田浩一さん、師岡康子さん)にも言及する。「日本には差別はありません」と思う人に手にとって欲しい。

在特会が詭弁する所謂「在日特権」なるもののいかがわしさについても、担当省庁とのやりとりからその欺瞞を明らかにすると同時に、心性としての「悪の陳腐さ」をも浮かび上がらせるから、安田浩一『ネットと愛国』(講談社)のその後を追跡する試みといってもよい。

筆者自身、この問題に関わるまで「こうした言葉や実態について無知でした。人種差別撤廃条約というものがあって、世界にはこの条約に基づく国内法をもつ国が多い」が、和を重んじる日本には差別は存在しないとスルーする。

どう立ち上がるのか。

「ファシズムとは、いかなる精髄もなく、単独の本質さえありません。ファシズムは〈ファジー〉な全体主義」(あとがきより。エーコ『永遠のファシズム』)。だとすれば特定勢力に対する単なる「反対」とイコールではない。永続する自己認識の闘いである。


さてと、あとは蛇足。

しかし、岩波書店、やるなあ!

有田さんに特定の政治的立場があることは前提として承知するが、その闘う相手が、安倍政権と共鳴しながら、遠心力で力をましながら、よからぬ方向に押し流していこうとするのが現在だから、こうした俊敏な切り返しとしての理知的な批判は大事だと思う。

「ひとつづつ目標をもって、人種差別撤廃条約の勧告に基づく日本政府の対応を実現させるまで、前に進むしかありません」。いまだに、「通名は特権」と居直り強盗を決め込む、竹田恒泰大先生にも、有田芳生『ヘイトスピーチとたたかう!』(岩波書店)は手にとって欲しいなあ。

斜めから目線の知識人風の人間って、岩波書店に対する怨念みたいなのもあって、まさに「岩波文化人」という言葉があるようにあてこすりをするけれども、ほんと、オール翼賛体制で言論が収斂するなかで、今回の有田本の発刊は、まさ「文化の配達人」を任じた岩波書店の侠気だなと思います。

編集者すごいわ。

[http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0247160/top.html:title]


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ヘイトスピーチとたたかう!――日本版排外主義批判
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覚え書:「ビルマ・ハイウェイ―中国とインドをつなぐ十字路 [著]タンミンウー [評者]角幡唯介(ノンフィクション作家・探検家)」、『朝日新聞』2013年11月10日(日)付。


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ビルマ・ハイウェイ―中国とインドをつなぐ十字路 [著]タンミンウー
[評者]角幡唯介(ノンフィクション作家・探検家)  [掲載]2013年11月10日   [ジャンル]歴史 


■辺境の変化、歴史掘り起こし報告

 中国とインドの国境近くの峡谷を探検したことがある。最初は98年。粗末なあばら家が並び、人々は火縄銃で猟をしていた。ところが5年後になると高速道路みたいな立派な道路が延び、その7年後には人々は携帯電話で山一つ向こうの友達と気軽に連絡を取り合っていた。それを見て私は驚愕(きょうがく)したものだ。この間まで火縄銃だったのにと。
 中国とインド、ビルマ(ミャンマー)の国境付近は世界の最辺境であり続けてきた。ヒマラヤの高峰や深い峡谷、不快な密林や疫病が障害となり中印両国の支配が及んでこなかったのだ。そのためこの地域は山ごとに異なる少数民族が暮らす、両大国の緩衝地帯の役割を果たしてきた。
 それがついに変わろうとしている。本書は経済力を手にした中印両国がいかにこの辺境に進出しているのかを、歴史の襞(ひだ)を掘り起こしながら明らかにしていく。とりわけ中国の影響力の増大は目覚ましく、雲南省からビルマを突っ切ってベンガル湾まで鉄道とパイプラインを通す計画が進行中だ。しかも中国にとってインド洋への進出は漢の武帝以来の計画だというから時間的スケールが半端ではない。本書の視点はそうした長大な歴史に支えられている。
 それにしても、ついこの前まで混沌(こんとん)としていたこの辺境地帯でも街路がきれいに整備され、日本の郊外と同じようなどこにでもあるショッピングモールが建設されつつあることを思うと、個人的にはやるせない。臆面もなく各民族固有の生活様式や文化を押しつぶすように広まっていく中国の旺盛な経済活動に著者も憂慮の念をにじませている。
 だがこれは中国一国の問題ではない。ヒト、モノ、カネの動きがついに最辺境に波及した、現代の消費主義が行き着いた果ての話でもあるのだ。その意味でビルマ辺境にとどまらず、今世界で起きていることの最先端の報告としてとても興味深い一冊だ。
    ◇
 秋元由紀訳、白水社・3150円/Thant Myint-U 66年生まれ。ケンブリッジ大で博士号(歴史)取得。歴史家。
    --「ビルマ・ハイウェイ―中国とインドをつなぐ十字路 [著]タンミンウー [評者]角幡唯介(ノンフィクション作家・探検家)」、『朝日新聞』2013年11月10日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013111000012.html:title]


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ビルマ・ハイウェイ: 中国とインドをつなぐ十字路
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覚え書:「クマムシ博士の「最強生物」学講座 [著]堀川大樹」、『朝日新聞』2013年11月10日(日)付。

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クマムシ博士の「最強生物」学講座 [著]堀川大樹
[掲載]2013年11月10日   [ジャンル]科学・生物 

 マイナス273度の低温をしのぎ、水深1万メートルの75倍の圧力に耐え、宇宙空間に10日間さらされても大丈夫。そんな「最強生物」クマムシの研究者による科学エッセー。
 体長0.1-1ミリの彼ら。実は、市街地の路上のコケにも潜んでいるそうな。捕獲しても、飼育はひと苦労。ヨコヅナクマムシはミネラル水「ボルヴィック」を浸した培地で、「生クロレラV12」という銘柄しか食べないグルメだとか。
 著者は仏の研究機関に所属する有期契約の研究員。研究を続けるため、クマムシのゆるキャラを商品化して研究費を捻出しようとする奮闘ぶりも語られる。研究対象並みのしぶとさが頼もしい。
    ◇
 新潮社・1260円
    --「クマムシ博士の「最強生物」学講座 [著]堀川大樹」、『朝日新聞』2013年11月10日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013111000009.html:title]



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クマムシ博士の「最強生物」学講座: 私が愛した生きものたち
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日記:「今読んでいるんです」とはなかなか言えず「今読み返しているのですが」……


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(twのまとめですが……)

先週の続きで、今日も文学について少々お話をしました。『カラマーゾフの兄弟』における「人類」の議論から、社会実践としてのスピヴァクの可能性へ示唆を飛ばし、世界文学を読むケーススタディとしてゲーテを参照しました。

我ながらアクロバティック。

ゲーテは文学論で、特殊個別性と普遍性は相互に照らし合うことで双方が輝くとみます。田舎文学と呼ばれた独文学を世界の舞台へ引き上げると同時に、その土着性をも尊重する形で光を当て直しました。極めてドイツ臭のする作品であると同時に、誰が読んでも心を打つ。そこにゲーテの偉大さがあるのかも知れません。

薄っぺらい世界市民を気取ることはひとつの錯覚だし根無し草にほかならない。そして、その対極としての「日本の文化は世界一ィィィィ」式の認識ほど愚かなものはないから、そういう極端を退けるなかで、誰とも違う自分を認識し、同時にその自分が人間の一員であることが両方の眼でみてとれることができるようになることが肝要ではないかと思います。

なので、今日は、そのゲーテの議論をうけるかたちで、NHKのニュース内の特集の"ヘイトスピーチ" 日韓友好の街で何が・・・を紹介しました。

[http://youtu.be/Jyi1kUDIfJE:movie]

前期はデューイで接続したのですが、ゲーテの方がよりスムーズだったような感じでした。

前期もヘイトスピーチの問題を紹介しましたが、後期では反応が違うのに驚きました。前期は、その「事件」を知らない学生が多かったのですが、後期は知っている学生が多くいました。「正直、日本人の私も怖いですが、どのように向き合えばいいのでしょうか」という学生の熱意が印象的でした。

現実に、これが特効薬というのはないし、それぞれの人がそのNOという立場を自分のいる現場で自分のできることを諦めずに取り組んでいくことで穴を穿っていくしかないのだと思う。

以前、文学の議論で、週刊誌の偏向報道が問題になったのですが、そのやりとりの中で、一人の女学生が、バイト先の店長が週刊誌の愛読者だと思いだし、授業が済んでバイトに行ったとき、店長に、日本の週刊誌の体質の話をして、「もう、読まないよ」といってくれたと後日報告がありました。

勿論、法令の整備のような他律的なアプローチの充足は必要不可欠だとは思いますが、自身の認識を改めるなかで、自分のできることなんてないと問題の大きさに振り回されるのではなくて、実は自分の関わる世界のなかでもその人にしかできないことって一杯あるような気がするからそれを大切にしたい。

むしろ、それを実現させるためには、これだけをやれば済むのだ、というアプローチこそ問題なのかもしれない。たしかにそれを実現させるために、先の「これ」をやるのも大切だとしても、それだけで済ませてしまうのではなくて、自分自身が関わるなかでの自分の実践というのも大事なような気がしてね。

さて……。
私自身はやや古典的な教養主義の立場といってもよいけど、読書で教養を身につけることで「人間性は涵養されますよ」などと言い切るほどの自信はない(その効用を全否定はしないけど)。おそらく読書で教養とは、知のカタログにレ印をくわえるのではなく、自己の臆見をたゆみなく破壊することなんだろう

なので、たとえばつぎのような読書論・教養論は面白そうだけど違う気がする

→ 「世界のエリートは、なぜ大量の本を読みこなせるのか? ハーバード、エール、東京大学EMPほか、世界のトップ機関で研鑽を積んだ男が教える『いま、本当に使えるリベラルアーツ』の身につけ方」。

[http://www.amazon.co.jp/%E9%87%8E%E8%9B%AE%E4%BA%BA%E3%81%AE%E8%AA%AD%E6%9B%B8%E8%A1%93-%E7%94%B0%E6%9D%91-%E8%80%95%E5%A4%AA%E9%83%8E/dp/4864102767:title]

“本当に使える”と形容された時点で、リベラルアーツとは似て非なるものなんじゃないのかなあ。“使える”とか“役に立つ”ように読むことこそ狭隘な知へ導いていくのじゃないのかねえ。それに抗うのがリベラルアーツのような気がするが、そんな悠長なことは行ってられないって話なんでしょうかねえ。

私自身、割と本を読む方だし、学生さんにも「古典を読め」と言っていますが、それは「人生で勝利するため=エリートなるため、に読む」のかといえばそうじゃないと思う。形式としてのエリートになる人なんて殆どいない。じゃあ読む効用なんてないの?っていわれるとそうじゃないですよね。

高度経済成長期に所謂「文学全集」が売れたような受容もどうかとは思うのだけど、偉くなるためにこれを読むのじゃなくて、農家であったり、商店主であったり、サラリーマンであったり、小役人であったり、ひとはそれぞれなんだけど、そのそれぞれの中で読んでいくことの意義をみていきたいんだよねえ。

世の中全体が勝ち/負けの二元論に矮小化されるから、本を読むこと自体も「勝つ」ために収斂されていく。しかし現実にはスーパーエリートになっていくのなんて1%だけなのだから、中世の大学・哲学の伝統は「羊飼いよ、汝は哲学をもつや否や」なんだから、勝つために読むのは、ホント違いますよ。

鶴見俊輔さん流にいえば「みみずにも哲学がある」つう話。そのひとがそのひとであることを否定してジャンプするために読むわけじゃない。結果としての功利は否定しないけれども、それが目的と化した時、エピステーメーはテクネーへと転落してしまう。前者が大切なのは常に批判の眼を提示することだから

これも何度も言っているけれども、例えば文学を読むことを、戦前の文学青年の如く奉ろうとは思わない。しかし、必然される読書経験……例えば、資格試験で読まなければならない教材を読むことを、「1冊、読書したw」っていうのかねえ。

イタロ・カルヴィーノは『なぜ古典を読むのか』(河出文庫)の中で、古典とは「今読んでいるんです」とはなかなか言えず「今読み返しているのですが」っていう本がそれという。読まなければ本は多い。しかし、何度も読み返す本は存在する。それをどれだけ多く持ち合わせ、何度も読むことができるかだ。

今日も若い子と話していて、そうなんだと思ったんだけど、最近、いろいろと読み始めたとのことだったのですが、これまた若い子から「色々読んでいるみたいだけど、村上春樹も読んでないんですかー」って言われて読み始んだとのこと。

すると「面白い」ではすまされないなあ、と実感したとのことです。

村上春樹さんの作品には、賛否両論あるし、好き嫌いがものすごく分かれる。しかし、その話が象徴しているのは、一遍読んで「はい終わり、これは面白い、面白くない」ですべてが終わってしまうというのは違いますよね。ショーペンハウアーの「読書について」をひくまでもなく。

「本を読むとは、自分の頭ではなく、他人の頭で考えることだ。たえず本を読んでいると、他人の考えがどんどん流れ込んでくる」から「自分の頭で考える人にとって、マイナスにしかならない」というパラドクスを引き受けるしかないですねw


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覚え書:「イギリスに学ぶ商店街再生計画 [著]足立基浩 [評者]隈研吾(建築家・東京大学教授」、『朝日新聞』2013年11月10日(日)付。


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イギリスに学ぶ商店街再生計画 [著]足立基浩
[評者]隈研吾(建築家・東京大学教授)  [掲載]2013年11月10日   [ジャンル]経済 社会 

■車依存の郊外居住から転換

 シャッター通りを甦(よみがえ)らせ、中心市街地を再生させることが、今後の政治・経済の最重要課題である。日本においてのみならず、世界において、危急である。なぜなら、街の中心に人々を呼び戻すことで、自動車依存の郊外居住という、20世紀を支配した生活スタイルを転換できるからであり、街を歩き回る楽しくコンパクトな生活は、地球環境問題への貢献ともなる。
 しかし、残念ながら、この分野において、ここ20年の日本は、世界と比較しても、大きく後れをとった。見識と長期的ビジョンを欠いた政策的失敗が要因であったと、この本は明かす。
 同時に、今からでも遅くはないという希望もいだかせる。感銘を受けるのは、最近のイギリスのしぶとさである。過去の政策的失敗を修正しながら、だましだまし前へと進み、保守党、労働党とも、前政権を全否定しない。全国チェーンも味方にひきこむやり方の大人さにも舌をまいた。
    ◇
 ミネルヴァ書房・2520円
    --「イギリスに学ぶ商店街再生計画 [著]足立基浩 [評者]隈研吾(建築家・東京大学教授」、『朝日新聞』2013年11月10日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013111000014.html:title]

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イギリスに学ぶ商店街再生計画―「シャッター通り」を変えるためのヒント
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覚え書:「民謡の発見と〈ドイツ〉の変貌―十八世紀 [著]吉田寛 [評者]荒俣宏(作家)」、『朝日新聞』2013年11月10日(日)付。


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民謡の発見と〈ドイツ〉の変貌―十八世紀 [著]吉田寛
[評者]荒俣宏(作家)  [掲載]2013年11月10日   [ジャンル]歴史 ノンフィクション・評伝 


■「野生の歌」国民精神の基盤に

 一見すると難解な「ドイツ音楽論」風だが、じつはその改革が音楽の専門筋からでなく哲学・文学からの幅広い運動に負っていた事情を解き明かす刺激的な本だ。
 近代的な国家・国民意識が最後まで確立せず、音楽もイタリアやフランスの折衷模倣で急場を凌(しの)いできた「遅れた国家」ドイツは、専門家が蔑視していた粗野な農民の歌謡を、その「遅れ」を逆手にとって、新たなドイツ国民精神の基盤に据えようとした。
 ドイツ民謡の価値を発見した哲学者ヘルダーが、音楽について素人であった点も、先進国コンプレックスを覆す力となった。
 この発想は、音楽を芸術的な洗練ではなく、粗野で大衆的な「野生の歌」を復活させる方向へ発展した。同様に「新しい国家」建設中だったアメリカや日本は、ドイツの民謡復活やロマン主義思潮に影響を受けたわけで、柳田國男が日本の民俗に目を向けた意義などもこの視点から再検討するとおもしろそうだ。
    ◇
 青弓社・2730円
    --「民謡の発見と〈ドイツ〉の変貌―十八世紀 [著]吉田寛 [評者]荒俣宏(作家)」、『朝日新聞』2013年11月10日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013111000011.html:title]


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覚え書:「ひと:メアリー・アン・ライトさん=9条堅持を訴える元米陸軍大佐」、『毎日新聞』2013年11月13日(水)付。


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ひと:メアリー・アン・ライトさん=9条堅持を訴える元米陸軍大佐
毎日新聞 2013年11月13日 東京朝刊

 ◇メアリー・アン・ライト(Mary Ann Wright)さん(67)

 「悲しいことだが、現在の日本は軍国主義への坂道を滑り落ちている」。このほど、大阪市で市民団体が主催した「9条世界会議・関西2013」で数千人の聴衆に語りかけた。5年ぶりに訪れた日本。高まる日本国憲法9条改正の流れに強い懸念を抱く。

 米陸軍で数々の功績を重ね、大佐まで昇進。外交官としてもアフガニスタンやシエラレオネなど過酷な地で重責を担い、計35年間、母国に尽くした。時に武力行使は必要との立場だが、2003年3月のブッシュ元大統領によるイラク侵攻決定は見過ごせなかった。「(侵攻理由の)大量破壊兵器保有疑惑に真実味はなく、開戦すれば多くの市民が犠牲になるのは明らかだった」。侵攻前日に抗議の辞任。平和運動家に転じた。

 イラク侵攻を支持し、米軍の後方支援に回った日本政府にも疑問を投げかける。「日米同盟は必要でも、間違った時にきちんと指摘するのが、真の友人ではないか」

 アフガン・イラク侵攻、中東・北アフリカへの介入で、米国は莫大(ばくだい)な負担に苦しむ。「軍事、財政面で日本の一層の協力を得たいがために、米国こそが9条改正を望んでいる」と指摘。「外圧に負けず、戦争放棄をうたう9条を守り抜いてほしい」と訴える。

 この1年で欧州や中東、アジアなど12カ国の平和集会に参加した。9条の尊さへの確信は深まるばかりで「私の旅はまだ終わりそうにない」。<文と写真・鵜塚健>

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 ■人物略歴

 米ハワイ州在住。女性平和団体「コードピンク」所属。米政府によるパレスチナ政策などにも異議を唱える。
    --「ひと:メアリー・アン・ライトさん=9条堅持を訴える元米陸軍大佐」、『毎日新聞』2013年11月13日(水)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20131113ddm008070123000c.html

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覚え書:「自然を名づける―なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか [著]キャロル・キサク・ヨーン [評者]川端裕人(作家)」、『朝日新聞』2013年11月10日(日)付。

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自然を名づける―なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか [著]キャロル・キサク・ヨーン
[評者]川端裕人(作家)  [掲載]2013年11月10日   [ジャンル]科学・生物 


■魚類は「科学的」に存在しない?

 魚類という分類群が「科学的」には存在しないという主張をご存じだろうか。生物の系統を明らかにする分岐学の立場で分類を考えるとそうなる。分類はある共通祖先から出た生き物を一括(くく)りにするべきで、魚類は「単系統」ではないから自然分類として適切ではない。どうしても魚類と言いたいなら、そこから出た両生類も爬虫(はちゅう)類も哺乳類もみな魚類だ。恐竜ファンなら「鳥は恐竜だ」という主張に触れたことがあると思うが、あれも分岐学の立場。我々が素朴に「魚」と感じる魚類など存在しないのである!
 直観的におかしな話だ。我々は、海や川や池で泳ぐマグロやアユやコイを見て、ごく自然に魚だと受け入れる。世界中の言語で魚に相当する言葉があり、だいたいのところ、我々はああいうものを見ると一まとめに分類するようになっているらしい。それが日本語ではサカナで、英語ではFishだ。
 著者は、近代分類学の祖リンネから説き起こし、ダーウィンの進化論を経て、現代の分子生物学を梃子(てこ)に、直観と「科学」の齟齬(そご)が顕在化してきた流れを追う。そして、それを読む限り分岐学の立場は実に「正しい」のである。
 一方、著者は、我々が自然を直観的に分類するやり方が、進化を反映しないとしても、我々の生きる世界において役立ってきたと位置づける。エドワード・ウィルソンが言う「生命愛(バイオフィリア)」にもつながる、自然の中に秩序を見いだす力として。「生物界を眺めるわたしたちが行っているさまざまな分類はそれぞれ価値がある。科学による分類もそのひとつである」というのが、著者による落としどころか。系統の探究と、我々が意図せずとも行ってしまう分類という行為の違いに自覚的になるべきだ、とも読める。
 この手の議論は、踏み込むとすぐに哲学的で難解になりがちだが、一貫して平易な語り口に引き込まれる。
    ◇
 三中信宏・野中香方子訳、NTT出版・3360円/Carol Kaesuk Yoon 米の進化生物学者。
    --「自然を名づける―なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか [著]キャロル・キサク・ヨーン [評者]川端裕人(作家)」、『朝日新聞』2013年11月10日(日)付。

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自然を名づける―なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか
キャロル・キサク・ヨーン
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覚え書:「戦後歴程―平和憲法を持つ国の経済人として [著]品川正治 [評者]保阪正康(ノンフィクション作家)」、『朝日新聞』2013年11月10日(日)付。

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戦後歴程―平和憲法を持つ国の経済人として [著]品川正治
[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)  [掲載]2013年11月10日   [ジャンル]歴史 ノンフィクション・評伝 


■体制内でも貫いた「9条死守」

 著者は陸軍歩兵2等兵として、中国で終戦を迎えた。抑留の後、帰国の復員船で、日本国憲法の草案を伝えるよれよれになった新聞を見た。
 「(憲法9条に)はっきりと、二度と戦争はしない、と書いてある。武力を持たないと宣言している。私たちはみな、泣いた」
 亡き戦友たちへのなによりの手向け、そして「傷つけたアジアの人々への贖罪(しょくざい)」がこれによって始まったという。
 本書は著者のその原点を辿(たど)りつつ、戦時下、戦後の生き方を丁寧に綴(つづ)った自伝風の読み物、と同時に「9条死守の覚悟」を示すことで、次代の者に戦争の記憶を忘れるなと訴える。著者は旧制三高時代に友人の非戦言動の責を負う形で学園を離れ、自ら陸軍に志願する。そして中国での戦場体験。筋の通った生き方は、戦後は損害保険会社にあっても組合活動や管理職、社長に就任しても貫かれる。その歩みには、常に「平和憲法」が意識され、日本を真の独立国たらしめよとの言を発し続ける。どれほどの管理やしめつけがあっても恐れない。
 単にそのような発言だけなら一個人の記録に堕してしまうのだが、著者は、初志に徹底してこだわり、経営者のひとりとして体制内部にあっても強い使命感を持ち続けた。損保会社の役割はセーフティーネットに徹するべきだとの経営姿勢や、妻子に対する愛情の深さで満たす家庭生活も、こうした使命感によって培われていた。
 新たな発見もある。「9条死守」は、人間錬磨に通じているし、真の常識人になることだと教えているのだ。歴史や政治のバランスのとり方も示唆されている。「沖縄の人たちは日本で一番幸せにならなければならない」という先々代社長の右近保太郎の言を自らの信条としている。沖縄の基地が撤廃されて、真の「憲法9条を持つ日本」になるとの指摘こそ、この国への遺言と解すべきであろう。
    ◇
 岩波書店・1890円/しながわ・まさじ 1924-2013年。経済同友会専務理事などを歴任。『反戦への道』
    --「戦後歴程―平和憲法を持つ国の経済人として [著]品川正治 [評者]保阪正康(ノンフィクション作家)」、『朝日新聞』2013年11月10日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013111000005.html:title]


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戦後歴程――平和憲法を持つ国の経済人として
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書評:國分功一郎『来るべき民主主義 小平市都道328号線と近代政治哲学の課題』幻冬舎新書、2013年。

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國分功一郎『来るべき民主主義』幻冬舎、読了。本書は「現在の民主主義を見直し、これからの新しい民主主義について考える」試み。副題の通り(「小平市都道328号線と近代政治哲学の課題」)、小平市都道328号線の是非を巡る住民運動に筆者が携わるなかで、近代政治哲学の流れを踏まえ、現在の問題を指摘する。

民主主義のアリーナは選挙だけなのか? 実は行政が大きな力をもつ。

近代の政治理論は主権を立法権と定義する。立法府こそ全てを決定する最終の決定機関という認識だが、実際に統治に関わる殆どの事柄は行政が決めている。そして行政権に全く関わることができないのが現実だ。都道328号線はその消息を明らかにする。

住民投票でNOと言っても、一旦決めたことを覆すのは難しい。行政が全部決めるのに民主主義と呼ばれるのが私たちの社会である。だとすれば、民主主義とそれへのアクセスの認識を一新する必要があるのではないか。著者は哲学者の責任として未来を展望する。

19世紀以来の革命理論は根本から全て変えれば解決すると考えたが、それは夢想だろう。著者はドゥルーズの議論(「制度が多いほど、人は自由になる)と「民主主義を来らしめねばならない」というデリダの発想から、新しい社会を構想する。学生に読んで欲しい。

ちなみに自分自身も小平市に住んでいるので、この問題には割とアンテナを張っていて、住民投票にも投票した(投票率の低さという問題もあるけれども)。しかし、人口減による自動車減少化社会のなかで新しい道路を作ることのこの問題は、単なるイエスorノーという局面の問題ではないですねえ。

不断に関わっていくことがなぜ大切なのか。それと同時に柔軟な発想でアクションしていくことに関して、政治思想史の文脈から「今現在の事柄」として考える、哲学者の思索と実践の往復が、國分功一郎さんの『来るべき民主主義』。どの著作を読んでもそうだけど、筆者の誠実さが光りますね。

誰とでも話しあっていくことで見えてくることはあると思う。何も向き合うまえから、悪魔化して退けることこそ、20世紀に猛威を振るった変革思想の劣悪さ。その意味で、この本は、公務員を悪魔化するひととともに、公務員のひとにも読んでもらいたいなあ。


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行政が全部決めるのに民主主義と呼ばれる社会
 ここで主権が巨大な問題に直面することになる。主権が立法権として定義されている以上、主権者たる人民が立法府に関われれば、それで「人民主権」の実現である。主権者たる人民は、立法されたことを執行しているに過ぎない行政機関には関わる必要はない。すなわち……「確かに主権者たる人民の意思が充分に立法府に届いているかというとそれは心許ないし、だから選挙制度の改革なども必要だろうが、しかし、立法府の構成員はやはり人民によって選ばれているのだから、不十分でこそあれ、これは立派な人民主権だ」というわけである。
 私たちは、立法権に対する主権者の関わりが不十分であることはよく知っている。選挙制度や議会制度に問題があることも知っている。そして、私たちはその不十分を何とかしようとしている。学者やジャーナリストも頑張っている。これは確かに重要な論点である。だが、その問題にかかずらうことによって、私たちはある現実を見失っている。それは、実際の決定は立法府ではなくて、行政府で下されているという現実。そして、それにもかかわらず、立法権として定義された主権概念のために、行政機関がいつまでも「自分は執行機関に過ぎない」と言い募ることができるようになっているという現実である。
 役所や官僚に対する批判というのはよく耳にする。だから「行政が全部決めてるなんて、そんなことは分かっている」という人がいるかもしれない。しかしそういう人はよく考えていただきたい。なぜそういった批判がこれだけ世の中に広まっているのに、この社会は「民主主義」と呼ばれ続けているのか、を。問題は、役所や官僚が政治的決定を下しているという現実が十分知られているにもかかわらず、この社会が民主主義と呼ばれ続けているのはなぜか、ということなのだ。
    --國分功一郎『来るべき民主主義 小平市都道328号線と近代政治哲学の課題』幻冬舎新書、2013年、133ー134頁。

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覚え書:「今週の本棚・この3冊:三島事件=中島岳志・選」、『毎日新聞』2013年11月10日(日)付。


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今週の本棚・この3冊:三島事件=中島岳志・選
毎日新聞 2013年11月10日 東京朝刊

 <1>三島由紀夫と楯の会事件(保阪正康著/角川文庫/品切れ)

 <2>証言 三島由紀夫・福田恆存 たった一度の対決(持丸博、佐藤松男著/文藝春秋/1700円)

 <3>火群(ほむら)のゆくへ-元楯の会会員たちの心の軌跡(鈴木亜繪美著、田村司監修/柏艪舎/1785円)

 1970年11月25日、三島由紀夫と楯の会メンバーが自衛隊市ケ谷駐屯地で東部方面総監を監禁し、割腹自殺を図った。あれから43年。三島が訴えた憲法改正が具体的な政治イシューとして取り上げられている。三島は何故(なぜ)に自衛隊に決起を促し、憲法改正を主張して自決したのか。三島事件の概要を知るためには<1>が適している。楯の会が結成される過程で重要な役割を果たしたのは、民族派雑誌『論争ジャーナル』メンバーと日本学生同盟(日学同)である。全共闘運動の全盛期に左翼勢力に対抗する若者グループとして結成された両者は、楯の会メンバーの人材供給源となった。保阪は、事件を三島の文学性や思想に還元せず、楯の会メンバーとの相互関係に注目しながら、事実を丁寧に追う。

 <2>の著者の一人である持丸は、日学同を組織し、『論争ジャーナル』副編集長を務めたキーマンで、楯の会結成時には初代学生長に就任した。三島事件を考察する際の最重要人物の一人だが、今年9月に鬼籍に入った。<2>は持丸が残した貴重な証言録となっている。持丸は楯の会の中核メンバーとして三島に信頼されたが、事件の約1年前に脱会した。三島の構想は、学生運動の騒乱の中で自衛隊が治安出動し、楯の会が先導する形でクーデターに持ち込むというものだった。自衛隊が国軍としての地位を獲得すると、隊員は軍人としての使命に目覚め、日本精神が復興する。それが三島の描いたシナリオだった。

 しかし、自衛隊の治安出動は実現しなかった。69年10月21日の左翼による国際反戦デー闘争は、警察の圧倒的優勢の中で鎮圧され、クーデター構想は幻と化した。持丸は、この時点で「楯の会は本来の意味でその役割を終えた」と主張する。そして、この日以降、三島は先鋭化し、「状況対応型から、自らが状況を作り出す戦略に傾斜して」いったという。持丸が楯の会を脱会した理由として、国体観の違いを挙げている点も興味深い。三島は2・26事件を高く評価し、昭和天皇による鎮圧命令を批判した。しかし、持丸は、「承詔必謹」(天皇の大御心(おおみこころ)を謹んで承ること)の立場から、三島の議論を退けた。楯の会を三島に還元せず、その多様な主体を分析しなければ、事件の真相には迫れないだろう。

 <3>は楯の会メンバーへのインタビューを重ね、事件を多角的・立体的に捉えなおそうとする。関係者の高齢化が進む中、オーラルヒストリーの重要性に改めて気づかされる。
    --「今週の本棚・この3冊:三島事件=中島岳志・選」、『毎日新聞』2013年11月10日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20131110ddm015070018000c.html:title]


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覚え書:「毎日出版文化賞の人々:/3 稲垣良典さん」、『毎日新聞』2013年11月07日(木)付(東京夕刊)。


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毎日出版文化賞の人々:/3 稲垣良典さん
毎日新聞 2013年11月07日 東京夕刊

 ◆企画部門 『トマス・アクィナス 神学大全』全45巻完結(創文社、3990-7980円)

 ◇哲学、科学の源流を邦訳

 「全く意外でした。地道な出版の意義を認めてくださり、ありがたい。ちゃんと見てくださる方が世の中にはいらっしゃるのだな、と感じます」

 トマス・アクィナスは13世紀のイタリアの神学者・哲学者。そのライフワーク『神学大全』はキリスト教神学の最高の達成とされる。京大名誉教授の高田三郎氏が1960年に邦訳に着手。稲垣さんは77年から加わり、昨年の完結まで全体のほぼ半分の巻を手がけた。半世紀余をかけ、全45巻39冊の翻訳達成は偉業と言っていい。

 「毎日、朝食前に2時間程度、訳していきました。原稿用紙5、6枚になる。大変でしたねと言われるが、トマスが好きだから苦にならなかった。リズミカルで明快なラテン語です。朝のうちに大事な仕事を終えるので、日中の時間をリラックスして過ごせました」と振り返る。

 『神学大全』は「神と神学」「倫理と人間」「キリスト」の3部構成。神やキリストを巡るさまざまな問答、学説を紹介した後、著者が詳しく自説を述べるスタイル。現代の哲学、科学の源流となった神学書だ。後世の思想家ロックへの影響など、政治思想史上の役割も見逃せない。

 トマス・アクィナスとの出会いは旧制佐賀高時代。教会の神父や進駐軍将校らの影響でカトリックの哲学書などに親しむようになった。東大の卒論でも取り組んだ。スケールの大きな著作を読むうち、「西欧の13世紀の仕事を、私も現代の日本でやりたい」と思うようになった。

 『神学大全』はゴシックの大聖堂に例えられるなど、一般人には別世界の特殊な書物とみなされがちだ。稲垣さんは「日本の人文科学、教養にとって重要な本。21世紀に生きるわれわれにとって切実な価値がある」と強調する。「生きるとはどういうことなのか。人間とは、善とは何か。中途半端ではなく徹底的に考えろとトマスは言っている。自分でものを考えようとする人に、手厳しい挑戦を突きつけてくる本なのです」【米本浩二】=次回は11日掲載

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 ■人物略歴

 ◇いながき・りょうすけ

 佐賀県生まれ。九州大名誉教授。専門は哲学、法哲学。南山大、九州大、福岡女学院大などの教授を歴任。中世哲学研究の第一人者。著書に『習慣の哲学』『抽象と直観』など。84歳。
    --「毎日出版文化賞の人々:/3 稲垣良典さん」、『毎日新聞』2013年11月07日(木)付(東京夕刊)。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20131107dde014040085000c.html:title]


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神学大全 第1冊 第1部 1~13
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覚え書:「書評:社会の抜け道 古市 憲寿・國分 功一郎 著」、『東京新聞』2013年11月10日(日)付。


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社会の抜け道 古市 憲寿・國分 功一郎 著

2013年11月10日


◆閉塞を破る生活者の視点
[評者]鎌田慧=ルポライター
 二十代後半の社会学者と三十代後半の哲学者による、現代社会についての対話集だ。のっけから、IKEA、新三郷ららシティ、コストコなど、初めて聞く言葉に出会ってたじろいだが、消費文化を象徴するショッピングモールという。若い古市氏が消費文化に肯定的で、年かさの國分氏がたしなめるというスタンスで対話が進んでいく。
 ここでは消費社会から反原発デモまで語られているのだが、社会現象にたいして、直線的なアンチではなく、第三の道を探っていく方法が、「抜け道を探す」という表現になっている。「完璧なシステムなどはなく、必ず抜け道がある」。その微視的な発見が大事だ、というのが國分氏の主張である。
 たとえば、小平市の道路建設反対運動について、「住民の意見が計画に反映されていない」という市民の主張が評価されている。住民主権という自治体の精神に拠(よ)って立つならば、行政側の一方的な「計画」などは認められない。それが反対運動の論理となる。
 いま過剰な消費社会となって、「心の豊かさ」が求められるようになった。国分氏が沖縄の生活を例にあげているように、所得水準の低さが、必ずしも生活水準の低さを示すわけではない。「豊かさ」の旗を掲げて「開発」と「支配」が地域に侵攻したのだが(たとえば原発)、これに対置する沖縄の論理が「逆格差論」(岸本建男元名護市長)だった。消費者ではない、生活者の抵抗である。
 日本人の依存体質と裏腹にある「ガラッと変える」一揆主義への期待に対して、國分氏は自分たちの身のまわりのことは自分たちで決めなければいけない、そうでなければ、物事を変える想像力が働かない、とする北欧の教育を紹介している。
 地域における保育園の役割の考察などは、若い世代らしい視点である。閉塞(へいそく)とはいえ、鉄壁に囲まれているわけではない。政治へのさまざまな参加、抜け道探しの入門書である。
(小学館・1785円)
 ふるいち・のりとし 社会学者。
こくぶん・こういちろう 哲学者。
◆もう1冊 
 浅野智彦著『「若者」とは誰か』(河出ブックス)。若者たちが自分を探求してきたさまざまな現象と、大人たちの対応を描き出す。
    --「書評:社会の抜け道 古市 憲寿・國分 功一郎 著」、『東京新聞』2013年11月10日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013111002000176.html:title]


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覚え書:「書評:働くアリに幸せを 長谷川 英祐 著」、『東京新聞』2013年11月10日(日)付。

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働くアリに幸せを 長谷川 英祐 著  

2013年11月10日


◆組織のあり方 人と比べる
[評者]小林照幸=ノンフィクション作家
 人が構成する組織では、ムダを省き、いかに個人の作業効率をあげて最大の成果を得るか、が論じられる。著者はアリやハチなどの身近な生き物の巣や生態を観察し、人を含めた組織における個と集団の力学を比較考証してきた。本書はそれらをエッセイで綴(つづ)る。
 アリは忙しく働いているイメージがあるが、巣を見ればある瞬間には全体の七割が寝ているなど、働いていないこともある。人から見れば非効率でも、著者は「アリにとれば全員が働くシステムより意義がある」「生き物は人間の倫理に従っていない」と考えた。
 ワーカーと呼ばれる働きアリの一生は奥が深い。若い頃は幼虫や卵の世話など巣の中の仕事を行い、加齢と共にエサ集め、防衛など死傷する確率の高い巣外の仕事に移行し死ぬまで働く。ゆえに高齢問題も人員整理もなく、集団での労働エネルギーと「個体の利益=幸福度」の収支は取れているという。
 アリやハチは「自分-巣-個体群」の生物学的系列のみだが、人では「自分-企業-経済社会」の社会的系列もある。とはいえ、アリやハチが巣という組織の維持、将来に遺伝子を遺すモチベーションについて、著者が述べる「すべての生物は基本的には幸せだ。幸せでなくなるような進化は原理的に起こらない」は目から鱗(うろこ)だった。
 企業経営では賃金、賞与のカットなど個と組織の利害対立から働くモチベーションの低下も問題となる。経営側が「厳しいから社員の我慢は当然」という意識は経営学では是でも、人材が有限の中では「個体の利益=幸福度」を下げない経営を考慮する重要性、組織における短期的効率と長期的存続の相関性の考察などが本書の眼目だろう。
 人もアリも生命の誕生から厳しい競争を生き抜いてきた戦友だ。ヒトは生物進化の系統樹では最上位だが、精神活動を行う人は、アリはじめ身近な生き物から組織論を謙虚に学ぶ柔軟性もあるはず、との論考も印象的だった。
(講談社・1365円)
 はせがわ・えいすけ 進化生物学者。著書『働かないアリに意義がある』など。
◆もう1冊 
 本川達雄著『ゾウの時間 ネズミの時間』(中公新書)。動物のサイズから導き出される法則や知見を分かりやすく解説した入門書。
    --「書評:働くアリに幸せを 長谷川 英祐 著」、『東京新聞』2013年11月10日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013111002000175.html:title]


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働くアリに幸せを 存続と滅びの組織論
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覚え書:「そこが聞きたい:特定秘密保護法案 三木由希子氏」、『毎日新聞』2013年11月13日(水)付。

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そこが聞きたい:特定秘密保護法案 三木由希子氏
毎日新聞 2013年11月13日 東京朝刊

 ◇指定解除、ルール化を--情報公開クリアリングハウス理事長・三木由希子氏

 特定秘密保護法案=1=が衆院で審議されている。立法の動きを追ってきたNPO法人「情報公開クリアリングハウス」=2=の三木由希子理事長に、政府の秘密取り扱いのあるべき姿について聞いた。【聞き手・吉富裕倫】

--法案のどこが問題ですか。

 秘密を保護するために罰則を強化することと、何が秘密かを指定し管理することとを分けて考えています。法案には秘密の管理についての明確な規定がありません。「特定秘密」に指定された情報の指定の解除、保存や公開の基準を定めた具体的な条文がないため、政府に説明責任を果たさせる歯止めが全く利かない点が問題です。こうした法案の欠陥が放置された状態で罰則が強化されれば、ただでさえ情報公開に後ろ向きな政府が、自分にとって都合の悪い情報を闇から闇へと葬り去っていく恐れがあります。

--政府は法案の「別表」で秘密の範囲を示しており、「知る権利」への配慮規定を盛り込めば十分だと主張しています。

 自衛隊法の改正を受けて指定が始まった防衛秘密がどのように管理されているのか、情報公開請求して調べてきました。防衛秘密は2007-11年に新たに約5万5000件が指定されたのに対し、解除は1件しかありません。部局ごとの内訳はすべて黒塗りで、どの部局が何件秘密に指定したかの情報すら非開示でした。こうした運用が法案成立によって外交、スパイ活動防止、テロ防止の分野に広がれば、国民に対する説明責任がますます果たされなくなります。法案で秘密の範囲を定めた別表の文言は、例えば「防衛に関し収集した電波情報、画像情報その他の重要な情報」などと幅広く、事実上政府の判断で何でも指定できるようになっています。

--法案の背景には米国の要請があります。

 米国は情報を共有するため秘密を守ってほしいと日本に要請しました。その一方で、米中央情報局(CIA)元職員、スノーデン容疑者の暴露によれば同盟国の首脳や、広範な市民までもが通信傍受の対象になっているとみられます。政府が制約なく市民を監視することが起こりうることを示したわけで、法案が成立すれば、日本でも同様の事態を助長する環境を作るでしょう。

--政府の秘密情報の管理のあり方をどう見ますか。

 防衛秘密は防衛相の同意がなくても廃棄でき、国立公文書館などに指定文書を秘密指定したまま移管するような制度になっていません。その他の省庁では、政府が省秘や要機密に指定した行政文書は、公文書管理法に基づき廃棄には首相の同意が必要です。実際には内閣府の公文書管理課が首相に代わり廃棄の是非を判断しています。11年度末で公文書のファイルは中央官庁全体で約1400万件あり、年間200万件ほど廃棄されました。現場では、担当者はファイルのタイトルを見るだけで保存すべきか廃棄かを判断しているそうです。そのタイトルに秘密指定だったかどうかの情報はありません。国民に秘密にしていた重要な情報かどうかも分からず、公文書が捨てられるのが現状です。

--情報公開の現状は。 

 情報公開法に基づき情報公開請求しても防衛、外交、治安維持に関する情報が表に出てくることはほとんど期待できません。情報公開と情報統制は紙一重です。情報は持っている側のイニシアチブで公開される。政府がどの情報を公開するか、選別しています。政府が信頼できる存在であれば情報公開が機能しているように見えますが、信頼できなくなれば市民がコントロールされているような状態になってしまう。

 秘密の中で何が起きているか分からないでいると、原発事故のような事態が起きた時に、手痛い形で降りかかってくるかもしれない。私たちにどう影響するか、確かめようがありません。もともと日本の官僚には情報統制体質があります。法案が成立して秘密の範囲が広がるということは、市民の間に意見の対立があるテーマについて、政府の情報統制が強まっていく可能性があるということでもあります。

--政府の秘密管理はどうあるべきでしょう。

 一定期間の秘密は認めても、指定の解除と公開を明確にルール化し、責任者の匿名化を許さず、後から市民が情報にアクセスできる仕組みを作るべきです。公文書管理の仕組みと秘密指定をうまく組み合わせて記録を残す必要があります。

 参考になるのは米国の国立公文書館です。日本とは比べものにならないくらいスタッフに権限と予算がある。大統領令による秘密指定の解除についても、一定の条件のもとですが、審査する権限もあります。日本の国立公文書館は独立行政法人ですが、あまり権限がなく、来たものを受け入れるだけで、行政文書の管理にほとんど口を出せていません。特定秘密保護法案が出てきたことをきっかけに、政府の秘密をどうやって管理していくかということを真剣に考え、議論を深めていってほしいと思います。

 ◇聞いて一言

 前任地の静岡支局管内には、地震が高い確率で起きるため「最も危険」とされる中部電力浜岡原発がある。静岡県警本部長は「電源を壊せば容易に最悪のメルトダウンを引き起こすことが分かってしまった」と福島第1原発事故のテロ対策への影響を懸念していた。法案によれば、テロ防止を理由に、原発の安全対策の検証に必要な情報まで特定秘密に指定されないとは限らない。何より、情報はいずれ公開されるという緊張感を行政の当事者が持たなくなれば、深刻な腐敗を招くだろう。

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 ■ことば

 ◇1 特定秘密保護法案

 安全保障に関する情報のうち「特に秘匿が必要であるもの」を担当閣僚らが特定秘密に指定。漏えいした公務員らを10年以下、漏えいをそそのかした者を5年以下の懲役とする。自衛隊法で漏えいを懲役5年以下と定めている防衛秘密は、法案が成立すれば特定秘密に含まれる。

 ◇2 情報公開クリアリングハウス

 1980年に市民団体「情報公開法を求める市民運動」として発足、99年の同法成立に伴い名称を変更した。関連法規や条例などの調査研究、制度改善の提案や、情報公開請求する市民らの活動を支援している。福島第1原発事故では関連情報を公開請求し、政府の対応などの公文書をインターネット上で公開している。

==============

 ■人物略歴

 ◇みき・ゆきこ

 1972年、東京都生まれ。横浜市立大文理学部卒。卒業と同時に情報公開法を求める市民運動のスタッフとなり2011年から現職。
    --「そこが聞きたい:特定秘密保護法案 三木由希子氏」、『毎日新聞』2013年11月13日(水)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20131113ddm004070011000c.html:title]


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覚え書:「今週の本棚・新刊:『福島原発事故 県民健康管理調査の闇』=日野行介・著」、『毎日新聞』2013年11月10日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『福島原発事故 県民健康管理調査の闇』=日野行介・著
毎日新聞 2013年11月10日 東京朝刊

 (岩波新書・798円)

 今なお14万人を超える住民が避難を余儀なくされている、東京電力福島第1原発事故。拡散された放射性物質による健康への影響を調べるため、福島県が実施している県民健康管理調査を巡る問題を、執拗(しつよう)に追い続けた新聞記者のリポートである。

 情報公開制度で入手した膨大な資料を丹念に読み込み、そこから浮かび上がる疑問を、一つ一つ関係者に突きつける。約1年にわたり、そんな地道な作業を繰り返し、実態に迫っていく。

 専門家たちが秘密裏に会議を重ねて「シナリオ」を描き、県の担当者は議事録すら改竄(かいざん)する--。本書を読み進めるうちに「一体、誰のための調査なのか」という疑問を抱かずにはいられなくなる。あえて指摘しておきたいが、調査の原資には、国と東電が支出した約1000億円の基金が充てられているのである。

 「放射線被曝(ひばく)(特に内部被曝)と健康被害の歴史は、国と一部の『専門家』による隠蔽(いんぺい)と情報操作の繰り返しだった」。エピローグの一文に、健康管理調査の真相を記録として残そうと決意した、著者の思いが凝縮されている。「権威」とは何なのか。そんな思いに駆られる。(政)
    --「今週の本棚・新刊:『福島原発事故 県民健康管理調査の闇』=日野行介・著」、『毎日新聞』2013年11月10日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20131110ddm015070028000c.html:title]


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福島原発事故 県民健康管理調査の闇 (岩波新書)
日野 行介
岩波書店
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覚え書:「今週の本棚:本村凌二・評 『ローマ革命 上・下』=ロナルド・サイム著」、『毎日新聞』2013年11月10日(日)付。


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今週の本棚:本村凌二・評 『ローマ革命 上・下』=ロナルド・サイム著
毎日新聞 2013年11月10日 東京朝刊


 (岩波書店・各1万500円)

 ◇独裁への激動を描く古典的名著

 ノーベル文学賞(一九○二年)をもらった唯一の歴史家モムゼンは主著『ローマの歴史』を三十歳代後半で書いている。名著の誉(ほま)れ高い本書『ローマ革命』もまたサイムが書きあげたのは三十歳代後半だった。

 そのころ、ムッソリーニの率いるファシズムとヒトラーの統率するナチズムが台頭して、世界大戦の暗雲がしのび寄っていた。共和政が崩壊し独裁政が生まれる、その不安と恐れがとぎすまされた知性には突き刺さるように感じられたのだろう。

 サイムの描くところによれば、アウグストゥス帝と追随者は、心地よい標語を掲げ、ときには捏造(ねつぞう)してでも宣伝し、敵対者をレッテル貼りで貶(おとし)める。その生態は、まるで首領(ドゥーチェ)や総統(フューラー)を思い起こさせる。この過去と現在との重なりが歴史叙述をことさら生彩あるものにしていることは否めない。

 王を追放して自らの手で共和政国家を築いたローマ人はその体制を五百年にわたって守りつづけた。その共和政にほころびが見えはじめ、独裁者のごときカエサルは暗殺される。後継者に指名されたのは姪(めい)の息子オクタウィアヌスだったが、カエサルの第一子分を自認するアントニウスがいた。

 興味深いことに、サイムの視点は敗者となるアントニウスの側にある。アウグストゥスを批判しながら、その能力と偉大さを敵の目で浮かび上がらせるのだ。しかし、カエサルやアウグストゥスの人物像に重きをおくのではなく、その追随者や同志について語られる。

 もちろん支持者や協力者は指導者を賞賛する。さらに、アウグストゥス自身、共和政を再建したと唱える。だが、それは自賛にすぎないのではないか。法や制度は見せかけであり、実態は覆われている。そこに注目すれば、微細な手法で人間関係を解きほぐさなければならない。

 いわゆる皇帝権力の成立は、法制史の立場からすれば、第一人者(プリンケプス)と元老院とが共存する体制に見える。だが、護民官職権と総督命令権を掌握する第一人者は権威において他者を圧倒する。また、ローマ社会には網の目のようにいわば親分と子分のごとき庇護(ひご)関係が張りめぐらされており、第一人者はその頂点に君臨して他者の忠誠を集めることができる。もはや共和政を温存した共存体制どころではないのである。

 サイム以前にも寡頭支配層の庇護関係や党派に関する議論はにぎわいをみせていた。そのような潮流のなかで、古来の伝統的な貴族が没落し第一人者を支える人々が登場する転換期を「革命」ととらえたのが本書なのである。そこでは、眼(め)のくらむような親族関係・婚姻関係・利害関係をめぐる人脈があざやかに解明されている。

 サイムの叙述には、ローマ人の歴史家とりわけタキトゥスの語りと洞察が少なからぬ影響をおよぼしている。長い間ローマ人の考えや行動は寡頭政に導かれており、その精神で『年代記』も書かれてきた。だが、革命の進展とともに、ローマの古い支配階層は衰え、イタリア地方都市の有力者たちが台頭する。それにもかかわらず、古い枠組みは存続し、第一人者を支える寡頭支配層が形成されるのだった。

 アントニウスに同情的なサイムは、それだけアウグストゥスに辛辣(しんらつ)である。己の野望にだけ燃える狡猾(こうかつ)な男だったが、その野心の実現が結果としては救国の平和につながったという。

 個々の人物への評価は学術を超える部分がある。だが、ローマ史のなかでも最も史料のある激動期をあつかう本書は、正真正銘の古典的名著である。(逸身喜一郎ほか訳)
    --「今週の本棚:本村凌二・評 『ローマ革命 上・下』=ロナルド・サイム著」、『毎日新聞』2013年11月10日(日)付。

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ローマ革命(上)――共和政の崩壊とアウグストゥスの新体制
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ローマ革命(下)――共和政の崩壊とアウグストゥスの新体制
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覚え書:「今週の本棚・新刊:『経済学の3つの基本』=根井雅弘・著」、『毎日新聞』2013年11月10日(日)付。

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今週の本棚・新刊:『経済学の3つの基本』=根井雅弘・著
毎日新聞 2013年11月10日 東京朝刊

 (ちくまプリマー新書・714円)

 昨今の財界や経済学界の多数派は、経済成長の価値に少しでも疑義を挟まれれば、自らの存在意義を否定されたように拒否反応を示すだろう。そんななかで、経済思想史研究のエースが、多彩な学説を引用しつつ、戦後史に即して「経済成長至上主義」を批判的に検討した。

 100ページそこそこ。学説から学説への議論の流れもきれいでテンポよく読めるが、内容は深い。ガルブレイスら、今の論壇一般の表現では「リベラル」な学者を総登場させて、成長概念の見直しやバブルに踊らない道を示す。他方、1960年代末、新日鉄誕生時の「近経(近代経済学者)グループ」の学説と、財界や官界の対立を引き合いに、学界の現状にも疑義を呈する。古典派と現代の主流に連なる新古典派では競争の概念が違うといった、一見すると純粋に学問的な指摘も、現実を理解する手がかりになるはず、との思いがにじむ。

 何であれ「通念」を相対化する議論が理解されにくい今の世相では、大学生や社会人にとって十二分に刺激的な本かもしれない。本当は、知的好奇心旺盛な高校生が、こうした本を通して明日の経済学を担おうと思ってほしいのだが。(生)    --「今週の本棚・新刊:『経済学の3つの基本』=根井雅弘・著」、『毎日新聞』2013年11月10日(日)付。

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経済学の3つの基本: 経済成長、バブル、競争 (ちくまプリマー新書)
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書評:ジョセフ・ヒース(瀧澤弘和訳)『ルールに従う 社会科学の規範理論序説』NTT出版、2013年。

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ジョセフ・ヒース『ルールに従う 社会科学の規範理論序説』NTT出版、読了。テーマはずばり「なぜ人は、利己的に振舞うのではなく規範・制度・道徳に従って行動し、そのような社会を維持できるのか」ということ。本書は哲学の古典的テーマを経済学から進化生物学に至るまで先端研究を踏まえ考察する。

形而上学的徳論への嫌悪は、期待効用理論の対等を招き、人間の道徳的行動の根拠を考察することを弱体化させた。しかし筆者によれば道徳こそ人間の合理性の根拠であり、単純に形而上学と同一のものではない。それは時間をかけて抽出された人工物である。

「ルールに従う」ことは、相対的な文化に依存する。これを限界ととらえるべきか。著者は、異文化間においても、相互作用によって道徳的規範のシステムを変化させることができると見る。哲学史の伝統を踏まえながら概念を一新する「社会科学を統合する新しい試み」。

ジョセフ・ヒース(瀧澤弘和訳)『ルールに従う 社会科学の規範理論序説』NTT出版 [http://www.nttpub.co.jp/search/books/detail/100002235:title] 道徳性こそ合理性の根本に存在する。社会科学において重要である「ルール遵守」の問題について、哲学、社会心理学、進化理論、社会学や経済学の知見を用いて規範理論を構築する

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ルールに従う―社会科学の規範理論序説 (叢書《制度を考える》)
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覚え書:「今週の本棚:持田叙子・評 『山口昌男コレクション』=今福龍太・編」、『毎日新聞』2013年11月10日(日)付。


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今週の本棚:持田叙子・評 『山口昌男コレクション』=今福龍太・編
毎日新聞 2013年11月10日 東京朝刊


 ◇持田叙子(のぶこ)評

 (ちくま学芸文庫・1995円)

 ◇同時代の秩序を撃つ「道化論」の反骨

 山口昌男は、戦争と混乱の世に生をうけて学問をこころざした、サムライ学者である。

 一四歳で敗戦を迎えた。時代にふりまわされる大人をたくさん見た。学校でも孤立し、本に没入した。

 敗北をかみしめて歴史に目をひらいた少年は長じて、新しい学、文化人類学をえらぶ。アフリカを主とする未開社会部族の文化・神話の調査をさかんに行い、思考の核とした。人類学の、学問としての志を高くかかげた。

 志のほどはたとえば、本書巻頭の三論考、「人類学的認識の諸前提」「調査する者の眼(め)」「文化の中の知識人像」などに熱く宣言される。

 --人類学とは、世間離れした好事、好奇の学であってはならない。むしろ自身の生きる時代に突き刺さる、「同時代批判」でなければならぬ。人類学者とは、我々が惰性的によりかかる世界の論理を「内側から爆砕する構えを示す認識者」でなければならぬ--。

 爆砕、とはラディカルな。これはもう、通常の枠組からあふれ出る山口流人類学。戦後の荒野それにつづく高度経済成長期を突っ走る、革命的な知のエネルギー体。ではそれは何を目的に、いかに世界を爆砕するのか。

 近代は明治以降、西欧を至上のモデルとして世界を固め、制度をつくった。しかしそれは賞味期限切れ。見よ、都市も住居もコンクリートずくめ。人間の身体やことばは霊力を失い、単なる器官、記号と化している。分類と区分の精神で、世界はバラバラにされるばかり。早急に「他者」と出会い文化衝撃をうけ、蘇(よみがえ)らねば。社会全体もひとりひとりも。

 そのために人類学はとても有効、と山口は説く。この学の扱う西欧化から遠い未開社会の文化、無意識の知をゆたかにはらむ神話世界こそ、まさに「他者」。人類学とは他者に出会う学。他者に出会い、おのれを刷新する学。

 この認識をもとに山口は、古今東西の古典や芸術も博捜して多彩に華やかに、私たちの古びた世界のイメージを異化してみせる。

 この魔術的ともいえる異化に、めざましい世界の刷新に、かつていかに多くの若者が心つかまれ、参ってしまったことか……。

 私的回顧にもなるけれど、今を去るほぼ三〇年前、山口を読むことは大学生の一つの知的ファッションでさえあった。今あらためて読むとかなり複雑で多層的な文章を、遅れてはならじと皆ガツガツともかくも呑(の)み下した。文化人類学や民俗学が、時代の申し子として輝いていた。山口の活用する<祝祭><トリックスター><周縁><両義性>などの発想は、建築や芸術、哲学の最前線と共闘して世間を沸かせた。おカタい常識をゆさぶった。

 とりわけ私たちを大いに魅了したのが、山口の独創的な<道化>論。祝祭は、神と王と人が交流する場。王のわきには道化がいる。おどけ者の道化は実は、キーパーソン。神と王の聖なる言葉や動作をひっくり返し翻訳し、神聖空間を人間らしい笑いとごちそうあふれるお祭へと変換する。しかも彼は王の分身なのだ。

 道化は、アフリカの神話世界によく登場する。のみならず道化の系譜は、シェイクスピア戯曲、西欧の中世演劇、狂言の太郎冠者など世界のそこここに見いだされる。

 道化とは、文化の始原のスター。笑いとおふざけで、日常の秩序から抜け出てみせる。王と賤(いや)しい者、つまり中心と周縁を軽やかにくっつける。みずから痴愚を象徴し、人間の愚かしさの現実を突きつける。

 冷徹な批評者であり自由な越境者、異形とグロテスクの味方、敗れて笑われる者の共感者である道化こそは、「文化がつくり出した最も柔軟性に富んだ装置」である。いわば文化の真髄。なのに理性を至宝とする近代は、この洗練された賢者をバカにして、忘れ去った。

 知と愚という二元対立が解除され、しかも両者が一体のものとして融合される論理のみごとさ。道化とは知識人の原像。少なくとも自分は、自由にしなやかに芸術的に世界をひっくり返し挑発する道化でありたい、とする山口の粋で屈折した自己宣言にも、当時の若者はいたくホレボレとしたのである。

 道化論は、山口学の大きな柱。といってもこれは本書の一端。その他、政治上の父権的な天皇制と文化の中の悲劇的な天皇制との矛盾を突く王権論あり、戦死者にささげる哀切な「のらくろ」マンガ論ありと、豊富。

 それにしても著者は不可思議なひと。冷たくて熱い。冷徹な相対化の刀をふるう一方、魂みちる「始原」を恋う情念がにじむ。著作をつらぬいて、モノで着ぶくれし体裁をつくろい異分子をゆるさぬ平板な世界などクソくらえ……!と同時代を撃つ反骨の声がひびく。

 山口昌男は昭和六、一九三一年生れ。ことし三月に亡くなった。この過激にして繊細、優美な思想家を銘じ、彼の一九六〇-八〇年代のしごとより一五篇の論考をよりぬき、編者の今福龍太氏の解説をそえる。全体に活字が小さいのはいささか残念。年譜がつく。
    --「今週の本棚:持田叙子・評 『山口昌男コレクション』=今福龍太・編」、『毎日新聞』2013年11月10日(日)付。

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山口昌男コレクション (ちくま学芸文庫)
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覚え書:「今週の本棚:張競・評 『坪井正五郎-日本で最初の人類学者』=川村伸秀・著」、『毎日新聞』2013年11月10日(日)付。


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今週の本棚:張競・評 『坪井正五郎-日本で最初の人類学者』=川村伸秀・著
毎日新聞 2013年11月10日 東京朝刊

 (弘文堂・5250円)

 ◇奇天烈な「知の自由人」を輝かせた明治の包容力

 ヨーロッパのルネサンス時代には百科全書的な文化人が多く現れたが、明治時代の日本にも才能豊かな人材が輩出した。坪井正五郎はそのうちの一人である。しかし、その名は専門家を除いて、ほとんど知られていない。本書のおかげで一世紀前に活躍していた奇天烈(きてれつ)な才人の一生が明らかになった。

 辞書的な記述をするならば、文久三(一八六三)年生まれの坪井正五郎は近代日本の人類学の創始者で、帝国大学理科大学(現・東大理学部)教授として日本初の人類学講座を担当した人物である。大正二(一九一三)年五月、ロシアのペテルブルクで開かれた万国学士院連合大会に出席中に同地で客死した。同じ人類学者でも坪井の弟子の鳥居龍蔵に比べて、坪井はほとんど語られたことはない。しかし、彼の活躍はその専門領域にとどまらず、時代の知的な営みと、明治文化の雰囲気をよく映し出している。

 明治人によくあるように、坪井も型にはまらない自由な発想の持ち主である。知的好奇心が強く、若いころには狂歌戯文に心を傾けていたり、江戸時代の看板を論じる本を書いたりした。東京大学理学部で動物学専修を志願しながら、専門の勉強には身が入らず、人類に関する書物を読み漁(あさ)り、休日には遺跡探りをしていた。自分の好きな事柄に向かってまっしぐらに進み、留年などはまったく意に介さない。奔放不羈(ふき)な精神を生涯にわたって貫き通した。

 歴史の陰に追いやられた人の例にもれず、坪井の事績を調査するには困難が多い。著者は第一次資料を丹念に掘り起こし、じっくり吟味したうえで、その人間像と未知の世界に対する探究心を再現した。知識史の角度から坪井を捉え直すことで明治という時代の面白さを浮かび上がらせることができた。

 坪井が大学を卒業した際、既存の学科に進むのではなく、当時まだなかった人類学科の設立を申請して設けてもらった。非常に驚愕(きょうがく)すべきことに、一介の学生の無謀な要望は何と通ってしまい、坪井はその第一号学生として進学した。

 明治二十二(一八八九)年、坪井は官費留学生として渡欧したものの、大学には籍を置かず、師につくこともしない。いまなら資格取消になりかねないが、当時の文部省は本人に問い合わせをするだけで、とくにお咎(とが)めはなかった。帰国して帝国大学理科大学の人類学教授に任ぜられながら、三越の流行会に加わったり、児童需要品研究会に参加したりして、専門外のことにも熱を入れていた。美人コンテストの審査委員になるのはいいとしても、玩具の意匠を提案し、三越がそれを商品化するとなると、いまなら大騒ぎになるであろう。坪井の発想や行動も大胆だが、それを受け入れる明治という時代の懐もまた驚くほど大きい。坪井はよく「知の自由人」と称されているが、それを可能にしたのは明治という時代の途轍(とてつ)もない包容力であろう。

 本書のもう一つの注目すべき点は、坪井をめぐる人間のネットワークを明らかにしたことだ。専門の学会にしろ、趣味の集まりにしろ、著者はじつによく調べ、たとえ一つの細部でもあやふやにしない。坪井に焦点を当てながらも、同時代の知の交流の多様性を解明することができた。

 優れた伝記は個人の一生だけを記述するものではない。個人の活躍に着目しながら、世の中の動きと同時代人の活動をも視野に入れ、時代の流れと個人の役割の相関性を解明する。本書はその点においても一つの手本を示し、坪井正五郎没後一〇〇年にふさわしい力作である。
    --「今週の本棚:張競・評 『坪井正五郎-日本で最初の人類学者』=川村伸秀・著」、『毎日新聞』2013年11月10日(日)付。

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坪井正五郎―日本で最初の人類学者
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書評:坂口ふみ『ゴルギアスからキケロへ 人でつむぐ思想史2』ぷねうま舎、2013年。

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坂口ふみ『ゴルギアスからキケロへ 人でつむぐ思想史2』ぷねうま舎、読了。ソフィストのレトリックを退けたプラトンは真実を観よという。しかしレトリック=修辞学こそヨーロッパ精神の要でもある。言葉には限界があるが、人間は言葉を信じる。この二律背反=思想史の課題に本書は切り込んでいく。

レトリックとは単なる言葉遊びや支配の道具ではないし、真実を伝えるためには必要不可欠だ。限界を承知して遂行する--著者はその伝統をゴルギアスやキケロに遡る。雄弁さは不要だが、中庸な懐疑と柔軟な臨機応変な態度がそれをたらしめる。

主張とそれに対する単純な反発を最も嫌うのがレトリックの伝統なのかも知れない。言葉で人と向き合うこと--健全なヨーロッパ精神の伝統をたぐる魅力的試み。シリーズ「人でつむぐ思想史1」(『ヘラクレイトスの仲間たち』の続編。併せて読みたい。

坂口ふみ『ゴルギアスからキケロへ 人でつむぐ思想史2』ぷねうま舎 [http://www.pneumasha.com/2013/06/18/%E4%BA%BA%E3%81%A7%E3%81%A4%E3%82%80%E3%81%90%E6%80%9D%E6%83%B3%E5%8F%B2%E2%85%A1-%E3%82%B4%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%81%8B%E3%82%89%E3%82%AD%E3%82%B1%E3%83%AD%E3%81%B8/:title] 悪名高いソフィスト、ゴルギアスから、政治闘争の渦中を生きたローマの弁論家キケロへ。ひとの驚きと喜び、傷みと悲しみから、思想史を読み直す、人でつむぐ思想史。
 
坂口ふみ先生といえば、やはり『個の誕生』(岩波書店)のインパクトが凄かった。しかし昨年来より刊行中の「ひとでつむぐ思想史」シリーズ、これもはっとさせられる。時代がイエスかノーかの二者択一をより強く迫るだけに、冷静に向き合っていく、水脈をたどっていくことは大事ですね。

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人でつむぐ思想史II ゴルギアスからキケロへ (人でつむぐ思想史 2)
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覚え書:「今週の本棚・新刊:『彫刻と戦争の近代』=平瀬礼太・著」、『毎日新聞』2013年11月10日(日)付。

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今週の本棚・新刊:『彫刻と戦争の近代』=平瀬礼太・著
毎日新聞 2013年11月10日 東京朝刊

 (吉川弘文館・1785円)

 著者によれば、これまでの美術史研究では1930-40年代、つまり大日本帝国が戦争に邁進(まいしん)していた時代の彫刻は等閑視されてきたという。この時代、多くの政治家、大学の研究者やマスコミ人がそうであったように、少なからぬ美術家たちが戦争を支持し、国家に協力した。敗戦で帝国が瓦解(がかい)し「民主主義」の時代になると、当事者たちが戦争協力の歴史を封印したとしても不思議はない。研究が進まなかった一因だろう。本書は、その未開拓の研究荒野に鍬(くわ)を入れてゆく。

 彫刻家たちを「戦争協力者」として糾弾するわけでもなく、称賛するわけでもない。新聞や文献資料を丹念に追い、淡々とした筆致で当時の彫刻界を浮かび上がらせる。

 戦時下で資材が制限され、群雄割拠状態だった美術団体も一元化された。そうしたやっかいな時勢にあっても、彫刻家たちは「生き生きとしていた」。デパートや劇場で企画展を開き、あるいは「銃後」を鼓舞する作品を制作した。

 戦中や敗戦後、銅像たちがどのような扱いを受けたかもう少し知りたいむきには、著者の前著『銅像受難の近代』がお勧めだ。(栗)
    --「今週の本棚・新刊:『彫刻と戦争の近代』=平瀬礼太・著」、『毎日新聞』2013年11月10日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・本と人:『ダイオウイカ、奇跡の遭遇』 著者・窪寺恒己さん」、『毎日新聞』2013年11月10日(日)付。

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今週の本棚・本と人:『ダイオウイカ、奇跡の遭遇』 著者・窪寺恒己さん
毎日新聞 2013年11月10日 東京朝刊

 (新潮社・1470円)

 ◇深海での「世紀の出合い」伝えたい--窪寺恒己(くぼでら・つねみ)さん

 「来たぞ、ジャイアントだ」。2012年7月10日、小笠原諸島父島南東の深海630メートル。乗船していた潜水艇の前に、ついにダイオウイカが現れた。体色を金から銀へと変えながら、えさのソデイカを「自分のものだ」と言わんばかりに抱え、さらに深みへと沈んでいく。

 人類とダイオウイカが、その生息域で初めて出合った23分間。「こんなに長く、ダイオウイカと一緒にいていいのかなと思った。去っていった時、ちょっと安堵(あんど)した」。コレクションディレクターを務める国立科学博物館標本資料センター(茨城県つくば市)の研究室で“世紀の遭遇”を振り返る。

 イカやタコといった頭足類の研究を始めて約40年、ダイオウイカを追い続けて約10年。「最後の最後で総力を挙げよう」とNHKやディスカバリーチャンネルなどの協力も仰いだ。出港の際、NHKのプロデューサーからダイオウイカ撮影の可能性を問われると、「1%あるかどうか」と答えたそうだ。「潜水艇を見て、本当にダイオウイカを撮れるかなと思った。『私がやれば何か撮れるだろう』という期待を裏切ってはいけないという義務感があった」と当時の重圧を明かす。

 1月にNHKで放送された遭遇の模様は反響を呼び、今夏、東京・上野であった同博物館の特別展「深海」には3カ月の期間中、延べ約60万人が詰めかけた。しかし、「見て来て、映像を撮っただけでは科学論文は書けない。科学的に証明するのはすごく大変」という。「ただ、この経験、見たことを私は人に伝えたい。一般書では、考えていること、感じたことも書ける」と力を込める。

 本書では、若いころ英国のイカ類研究の大御所のもとで研究したり、世界旅行の途中、米国のスミソニアン自然史博物館に押しかけて標本を見せてもらったりしたエピソードも披露した。海外を目指す学生がもっと増えてくればと願う。「人間としてみんな同じように悩み、生活していることが、海外に行くと分かる。片言でも話していると、人と人とのつながりが出来てくる。そういうことは、日本にいるだけでは分からない」<文・広瀬登>
    --「今週の本棚・本と人:『ダイオウイカ、奇跡の遭遇』 著者・窪寺恒己さん」、『毎日新聞』2013年11月10日(日)付。

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覚え書:「記者の目:ヘイトスピーチ違法判決=松井豊(京都支局)」、『毎日新聞』2013年11月08日(金)付。


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記者の目:ヘイトスピーチ違法判決=松井豊(京都支局)
毎日新聞 2013年11月08日 00時46分

 ◇「差別」は在特会だけか

 京都市の京都朝鮮第一初級学校の校門前で「在日特権を許さない市民の会(在特会)」が実施した街頭宣伝について、京都地裁は先月7日、人種差別扇動を目的とした「ヘイトスピーチ(憎悪表現)」にあたると初めて実質認定した。人種差別撤廃条約に基づき明快に「差別」と言い切った画期的な司法判断で、在特会側は控訴したが、東京・新大久保や大阪・鶴橋で繰り返される過激なヘイトスピーチ・デモへの抑止効果も期待される。ただ、立ち止まって考えてみたい。「差別」は果たして在特会だけの問題なのか、と。

 ◇民族教育権の侵害には触れず

 朝鮮学校に通う児童やその保護者は愛着を込めて自分たちの学校を「ウリハッキョ」と呼ぶ。朝鮮語で「私たちの学校」という意味だ。

 1910年、日本は朝鮮半島を植民地化した。40年には民族名を日本風の名前に変えさせる政策を打ち出した。戦中は多くの朝鮮人が日本で働くことを余儀なくされ、敗戦後も約60万人が生活基盤を築いた日本にとどまった。そうした人々が民族の言語や文化を取り戻す場として、各地に朝鮮学校がつくられた。

 在特会がヘイトスピーチをした京都朝鮮第一初級学校もその流れをくみ、親子2代で通う例も多い。5年の長女が学校に通っていた保護者の女性(45)は裁判で「在日1世、2世の思いが脈々と3、4世につながる心のよりどころ」と学校の意義を語った。

 「深呼吸をしてから校門を出る」。取材で児童らの言葉に接し、「外界」が不安に満ちた世界であることに気付かされた。核開発疑惑以降、制服のチマ・チョゴリを切り裂かれるなどの被害が増え、学校は「シェルター」でもあった。その学校に、「何が子どもじゃ、スパイの子ども」などという野卑な言葉を投げ付けた街宣の衝撃は大きかった。

 それゆえ学校側は街宣を、単なる授業妨害ではなく、民族が違っても堂々と生きていける自尊心の芽を育む「民族教育権」侵害ととらえた。

 民族教育権は日本も批准する「子どもの権利条約」では、少数民族の児童が「自己の文化を享有し自己の言語を使用する権利を否定されない」と定めている。自由権規約でも同様の規定があり、国際的に認知されている。

 自身も京都朝鮮第一初級学校出身で学校側弁護団に加わった具良※(ク・リャンオク)弁護士(大阪弁護士会)は今年6月の法廷で「民族的出自に向けられた差別的言動は、児童らがよってたつ民族的自尊心に深い傷を与える」と民族教育権侵害について陳述した。そして、陳述が、在特会が街宣中に発した「スパイの子ども」「キムチくさい」というくだりに差し掛かり、その言葉を口にする際、急に言葉を詰まらせた。(※は金ヘンに玉)

 具弁護士が、在特会の発言を再現することをためらう様子は、痛みに耐える姿そのものだった。それは、綿々と育んできた民族教育を土足で踏み荒らすような街宣を、自らの痛みと感じていたからに他ならない。判決は民族教育権の侵害の有無には触れなかったが、裁判を通じて私は、民族教育の重みが、少し理解できたような気がした。

 ◇授業料無償化「除外」が土壌

 人種差別撤廃条約に基づく「差別」との指摘は、今回が初めてではない。民主党政権下の2010年2月、高校の授業料無償化に朝鮮学校を含めるかについて、中井洽(ひろし)拉致問題担当相が否定的な見解を示した。国連人種差別撤廃委員会はすぐさま、朝鮮学校の除外は人種差別に当たると、改善を勧告した。

 自民党政権に代わった12年12月、北朝鮮による拉致問題で進展がないことなどを理由に、無償化除外は正式に決まった。在日コリアンが多く暮らす大阪府、大阪市も朝鮮学校への補助金を打ち切り、他自治体も続いた。

 安倍晋三首相は在日コリアンに向けられた「ヘイトスピーチ」について、今年5月の参院予算委で「一部の国や民族を排除する言動があるのは極めて残念」と答弁した。しかし、安倍政権が決めた無償化からの朝鮮学校除外が、ヘイトスピーチにお墨付きを与えている側面がないと言えるだろうか。さらに、そうした政策を許しているのはわれわれ国民でもあるのだ。

 朝鮮学校では日本で生まれ、日本で生きていく子どもたちが学んでいる。彼、彼女らは、言うまでもなく日本社会の一員だ。朝鮮学校は今、公開授業などに積極的に取り組み、外部の人に自分たちのことを知ってもらおうと努力している。こうした機会を利用して、子どもたちに接してほしい。差別を無くす第一歩は、相手を知ることだ。そうしたつながりの広まりが、「ヘイトスピーチ」根絶の力になることを願っている。
    --「記者の目:ヘイトスピーチ違法判決=松井豊(京都支局)」、『毎日新聞』2013年11月08日(金)付。

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覚え書:「石田千作文集 きつねの遠足 [著]石田千」、『朝日新聞』2013年11月03日(日)付。

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石田千作文集 きつねの遠足 [著]石田千
[掲載]2013年11月03日   [ジャンル]文芸 

 45年の人生の、さまざまな場面で出合った人や本、何げない情景に対する思いが、67編の短い文章でつづられている。エッセー集ではなく、あえて作文集と名づけた。
 「選句の神殿」がおもしろい。「朝日俳壇」の選句会に朝9時から夕方4時すぎまで同席し、4人の選者が約6千通のはがきのなかからそれぞれ10句ずつ選びだす様子が、生き生きと描かれる。「いい句は、飛び込んでくる感じがするの」と稲畑汀子さん。「教えてやろうという選句もあるが、押しつけがましくいうひとは、だめだね」と金子兜太さん。選者のしぐさや句作の信条などが、みごとに切りとられている。石田千の目と耳は、やっぱりすごい。
    ◇
 幻戯書房・2310円
    --「石田千作文集 きつねの遠足 [著]石田千」、『朝日新聞』2013年11月03日(日)付。

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覚え書:「戸越銀座でつかまえて [著]星野博美」、『朝日新聞』2013年11月03日(日)付。


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戸越銀座でつかまえて [著]星野博美
[掲載]2013年11月03日   [ジャンル]文芸 


 「戸越銀座」とは、東京都品川区にある商店街。著者のふるさとであり、下町の雰囲気がある。地元を離れて約20年ぶりに実家に戻り、「再デビュー」したふるさと……。故郷に暮らしながら大都会での生活をしたい著者は、かつて香港や中国で暮らした時のように、緊張感を持とうと心がけるが、その意識と、どこかゆるい「戸越」がずれてトホホな脱力を誘ったり、かと思うと妙に共振して意気盛んになったり。日々は発見と驚きの連続。日常と冒険が地続きにある著者ならではの新鮮なまなざしが、よく知ったはずのふるさとと、自分をも洗い直す。「自由」であろうとする著者の闘いは、両親と暮らしていても真剣なのだ。
    ◇
 朝日新聞出版・1575円
    --「戸越銀座でつかまえて [著]星野博美」、『朝日新聞』2013年11月03日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013110300012.html:title]


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覚え書:「論点 [ヘイトスピーチ規制]」、『毎日新聞』2013年11月01日(金)付。


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論点ヘイトスピーチ規制

 在日コリアンを攻撃するヘイトスピーチ。朝鮮学校を標的にした市民団体の街宣活動について、京都地裁が10月7日、人種差別と認定して損害賠償を命じた。判決を機に、規制のあり方を巡る議論が活発になっている。

 ことば・ヘイトスピーチ(憎悪表現) 人種や国籍、ジェンダーなど特定の属性を有する集団をおとしめたり、差別や暴力行為をあおったりする言動を指す。日本では、在日特権を許さない市民の会(在特会)が、特別永住資格などの特権を不当に得ていると主張し、在日コリアンを攻撃する街頭宣伝活動を繰り返している。欧州を中心に法規制している国も多いが、日本ではヘイトスピーチに対する直接的な規制はない。在特会側は、自分たちの行為は憲法21条が保障する表現の自由の範囲内で、差別的であっても「意見表明」として許されると主張。朝鮮学校前での街宣活動に対して約1226万円の損害賠償を命じた京都地裁判決を不服として控訴した。

黙認できず 法整備必要
安田浩一 ジャーナリスト
 京都地裁判決は、国連の人種差別撤廃条約を援用し、在特会などの保守系市民グループが京都の朝鮮学校への街宣活動で繰り返した「ヘイトスピーチ」を「差別的であり違法」と認定した。超年、在特会を取材する私にとっても予想外で、画期的な判断だ。高額の賠償命令で経済的ダメージも与えており、今後の活動に歯止めをかける効果が期待される。だが、今回の判決だけで歯止めは十分だと考えるのは、楽観的すぎる。ヘイトスピーチそのものを規制する法律が必要だと考えている。
 法規制は「表現の自由」を揺るがしかねない、との指摘がある。私も表現者のはしくれとして、そんな懸念は理解するし、国家による表現の規制には嫌悪感を覚える。にもかかわらず、在特会のヘイトスピーチが被害者を生み出し続ける現状を「表現の自由」の名の下に黙認し続ける合理的理由は見いだせない。
在特会は街宣やデモのあと「お散歩」と称して商店街に繰り出し、商店主や買い物客に「お前は在日の味方か」とからむなど好き放題に暴れている。「カウンター」呼ばれる在特会への抗議活動の影響もあり、こうした示威行為は東京・新大久保や大阪・鶴橋では以前ほど見られなくなったが、それ以外の場所では相変わらずだ。在日コリアンはもちろん日本人も恐怖を覚え、沈黙を強いられている。
 私が在特会について書いたりしゃべったりする度に、ネット上でのや無言電話が繰り返される。その大半は匿名だ。私は自分の言説に責任を負うが、普通に暮らす人々はこうした匿名の攻撃に耐えられない。「言論には言論で対抗せよ」というのは、いじめを受ける子どもに「闘え」と言うのに似て、被害者側には非情だ。そもそも「不逞鮮人は殺せ」などという彼らの言葉は、人が自らの力で変更できない出自や属性への攻撃であって、言論ではあり得ない。当然、これに対抗する言論など存在しない。
 日本は人種差別撤廃条約を批准したが、差別扇動を法で禁じるよう求める第4条は、表現の自由に抵触するとして批准を留保している。その理由について政府は国連報告や国会答弁で「法規制を必要とするほどの民族・人種差別は国内にない」としている。
 民族差別は「在特会」として現にこの国に存在する。しかも、彼らの活動はエスカレートし続け、京都地裁判決につながった。さらに深刻なのは、その背後に、私たち日本人の在日コリアンに対する差別意識が広がっていることだ。むしろ、日本社会に存在する差別意識が「在特会」という突出した形で可視化されている--と言うべきだろう。こうした現実が、「ひどい民族・人種差別はない」とする政府見解で隠されてきた。
 「ヘイトスピーチ規制法」を作っても、実際の効果は疑わしい。それでも、立法化により「社会は差別を絶対に許さない」という姿勢を広く示すことに意味がある。私たちが自らの差別意識と向き合うきっかけにもなるだろう。新法ではなく、威力業務妨害罪や侮辱罪、名誉毀損罪など現行法で対処すべしとの意見もある。しかし、その方が司法当局による現行法の拡大解釈や恣意的な運用を許すことになり、危険ではないか。
 少なくとも、法規制を巡って活発に議論していくことには意味がある、と考える。【聞き手・井上英介】
やすだ・こういち 1964年生まれ。雑誌記者を経てフリーに。在特会を追いかけたルポ「ネットと愛国」(講談社)で講談社ノンフィクション賞を受賞。

独立機関による救済も
田中早苗 弁護士

 京都地裁の今回の判決は、ヘイトスピーチが特定の人たちに向けられたケースであれば現行法でも対処可能であることを示したモノで、妥当な内容だと思う。和歌山県太地町のイルカ漁を取り上げた米映画「ザ・コーブ」を巡っても、上映を妨害する街宣活動に対して損害賠償が命じられたり、映画館周辺での活動を禁止する仮処分が認められたりしてきた。裁判所の判断の積み重ねにより、許される表現と許されない表現の境目が徐々に形成されていく過程にある。
 今回は民事裁判の判決だが、威力業務妨害、脅迫など刑罰を適用する際、人種や出自、民族などを理由にした差別、憎悪を目的にした表現が伴っていれば刑を加重してもよいという議論に影響を与える可能性がある。加重罰であれば、ヘイトスピーチという表現自体を直接罰するわけではなく、より制限的な規制であることから、憲法上も許されると考えることもできる。
 一方、不特定多数に向けられたヘイトスピーチに対しては、どのような対処方法があるだろうか。判決を機に差別的な表現をそもそも法律で認めるべきではないという主張もでてきているようだ。例えば、そうしたスローガンを掲げる恐れがある人たちには、デモを許可しないというわけだ。差別を事前に規制するもので、差別表現は未遂でも違法だというのだろうが、それは行き過ぎだろう。
 海外では今なお、宗教や習俗的な理由で女性を差別し、低い社会的地位を強いているような国がないわけではない。女性の人権を守る活動をする市民団体のメンバーが、こうした国々の男性らを、憎悪するような表現で批判した場合はどうなるのか。違法かどうかの区別は難しいが、表現自体が認められなければ、人権団体の活動まで制約を受ける可能性がある。
 戦時中の「鬼畜米英」というスローガンは差別を助長する表現にあたる恐れがあるだろうし、昨年10月の発行号で同和地区を記した「週刊朝日」も処罰対象になりかねない。刑事罰が設けられれば、捜査機関がこうした表現内容の違法性を判断することになる危険性があり、あくまで慎重に考えるべきだ。
 それではどのような救済法があるだろうか。あえて問題提起するとすれば、政府から独立した行政委員会が申立人と相手方の間に入って仲裁したり、場合によって申立人の側に立って勧告を出したり、それでも問題が是正されなければ相手方名を公表するような仕組みが考えられる。
 刑務所や入国管理施設で、公務員による収容者への差別や虐待が問題になった際に、こうした人権救済機関の設置が求められてきた。ただし、日本に先駆けて救済機関を設置したカナダでは、行き過ぎた規制への反省から見直しが進んでいる。日本政府も、人権擁護法案(2002年)や人権委員会設置法案(12年)を国会に提出したが、審議未了のまま廃案になった。
 これには、表現の自由と規制をどう調整するかについて、社会的合意が得られていないという背景がある。やはり表現を禁止したり、救済機関を設けたりする前に、まずは市民社会が不特定多数に対するヘイトスピーチをなくしていくための工夫と努力を尽くすべきだ。法規制は最後の手段である。【聞き手・臺宏士】

たなか・さなえ 1962年生まれ。慶応大学法学部卒。弁護士。日本弁護士連合会人権擁護委員会副委員長。著書に「スクール/セクハラ防止マニュアル」(明石書店)。

規制 対処療法にすぎず
阪口正二郎 一橋大学大学院法学研究科教授

 ヘイトスピーチのような差別的表現に対する法規制の可否は、ヨーロッパやアメリカなど各国で長年、議論されてきた。規制に積極的なのはドイツだ。第二次大戦中に起きたホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の反省から人種差別的な発言は禁じられ、「ホロコーストはなかった」と発言するだけで処罰される。
 一方、消極的だったのはアメリカだ。マーチン・ルーサー・キング牧師らによる公民権運動は、行進や集会といった表現の自由の獲得と、差別の克服が一体となって進められた。だが、今はそのアメリカでもヘイトスピーチ規制を巡る議論が続いている。国際的には法規制への流れが進んでいると言えるだろう。
 日本では作家の筒井康隆さんが1993年に出版社による「差別語」の自主規制に反発して断筆宣言をしたことなどがあった。だが、他国に比べれば人種差別が社会的問題になっていないためか、表現と差別の問題が十分に議論されてきたとは言えないだろう。憲法学者の間でも意見が分かれているのが現状だ。
 そもそも、表現とは誰かを傷つける可能性があるものだ。誰に対し、どこでなされるかによって性質も変わる。オープンな場で意見を表現した場合は、政治的表現となる可能性もある。規制すべきかを論じるうえで、まず重要なのは、民主主義の視点から表現の価値を考えることだ。
 人種や民族、差別などを理由とした集団に対する差別表現は、何の責任もない被差別者の尊厳を傷つける。こうしたものに、表現として守るべき価値がどれほどあるのだろうか。表現には表現で対抗すべきだという意見もあるが、有効な反論ができるかは疑問だ。相手が怖くて反論できないこともあるだろう。社会に差別構造があれば反論をまともに聞き入れてもらえない。
 私は在日韓国・朝鮮人の学生とも接しているが、何気ない表現にも落ち込む姿を目にすることがある。ましてヘイトスピーチは相手を意図的に傷つけるものだ。一方的に標的にされる側はたまらない。そうなると、選択肢として規制もあり得るように思える。
 しかし、一方で規制導入を最も望んでいるのは政府だということをよく考える必要がある。規制の権限を与えても問題ないと言えるほど、政府は信頼できるだろうか。時には過激で差別的な言葉を用いて政治的な抗議がなされることもありうる。規制すべき表現と規制すべきでない表現の線引きは簡単ではない。だが、政府に規制権限を与えれば、正当な政治的表現まで禁じられるおそれがある。そう考えていくと、やはり規制には慎重にならざるを得ない。
 ヘイトスピーチの根本的な問題は差別にある。一部の日本人が韓国を嫌い、脅かされていると感じるのはなぜか。アメリカでは、貧困層に属する白人の若者が、アジアやヒスパニック系の若者に職を奪われると感じて対立していると言われるが、日本の場合は一方的な偏見が根底にあるのではないか。社会的に注目されたのを契機に、差別自体に目を向けるべきだ。
 「そもそも在特会の主張は正しいのか」「日本と朝鮮の間に過去に何があったのか」。規制の導入は、疑問を持ち、議論すべき問題にふたをすることにつながる。差別を解消しない限り、どんな規制も対処療法でしかない。【聞き手・藤沢美由紀】
さかぐち・しょうじろ 1960年生まれ。早稲田大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。著書に「立憲主義と民主主義」(日本評論社)など。専攻は憲法。
    --「論点 [ヘイトスピーチ規制]」、『毎日新聞』2013年11月01日(金)付。

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覚え書:「匠たちの名旅館 [著]稲葉なおと [評者]隈研吾(建築家・東京大学教授)」、『朝日新聞』2013年11月03日(日)付。


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匠たちの名旅館 [著]稲葉なおと
[評者]隈研吾(建築家・東京大学教授)  [掲載]2013年11月03日   [ジャンル]アート・ファッション・芸能 


■信頼が生んだ木造建築の奇跡

 日本にこんな宿が残っているということ自体が、一種の奇跡と思えてきた。建築デザイン上の共通点も列挙できる。天井の低さ、柱の細さ、屋根の薄さ、木材の吟味が、美しさに直結している。しかしそれ以上に、建主(施主)と建築家(あるいは棟梁〈とうりょう〉)との間の信頼関係が奇跡を生んだことを知った。筆者は、当事者から、信頼の核心を聞き出すことに成功した。インタビューという形をとらず、多くの場合、宿泊客とおかみ、という関係が会話をなめらかにし、施主と建築家との関係の「質感」が伝わってくる。すぐれた宿には、人と人との特別な信頼関係がある様子に、感動すら覚えた。エピソードの中から、何本もの映画やドラマがすぐにでも製作できそうである。
 信頼とは、一方的なものではなく、お互いに刺激しあい、育てあう人間関係なのだということも教えられた。その相互作用の結果が、空間の豊かさ、サービスの充実という形に結実するのである。
 かつての日本では、建築を作る時、必ずこのような人と人との信頼関係が存在していた。それが日本建築の美と質を支えて、日本建築を奇跡と呼べるレベルにまで上昇させたのである。
 それがいま失われ、日本の景観が壊滅的な状況におちいったのはなぜか。人と人との信頼が失われたからである。良い材料がなくなったからでも、いい職人がいなくなったからでもない。つきあいが組織対組織になって人間が消えてしまった。そこにいい宿は生まれない。匠(たくみ)と施主との信頼関係は、客と宿との信頼関係にまで伝染し、日本の木造旅館という奇跡が生まれた。
 信頼が失われて、日本からいい宿は絶滅しつつあり、日本は観光の最大の武器を失った。文化の核のひとつが消えた。国の大事なエンジンが消えたに等しい。その失われたものの豊かさの秘密が、ここに輝いている。
    ◇
 集英社インターナショナル・2310円/いなば・なおと 作家、写真家。著書に『遠い宮殿 幻のホテルへ』など。
    --「匠たちの名旅館 [著]稲葉なおと [評者]隈研吾(建築家・東京大学教授)」、『朝日新聞』2013年11月03日(日)付。

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覚え書:「連続シンポジウム 日本の立ち位置を考える [編]明石康 [評者]渡辺靖(慶応大学教授・文化人類学)」、『朝日新聞』2013年11月03日(日)付。

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連続シンポジウム 日本の立ち位置を考える [編]明石康
[評者]渡辺靖(慶応大学教授・文化人類学)  [掲載]2013年11月03日   [ジャンル]社会 国際 


■日米アジア識者の良質な議論

 戦後日本の民間国際交流の草分け・国際文化会館(東京)で行われた日本・米国・アジアの有識者19人による連続シンポジウムの抄録。
 例えば、日米中の関係一つ取っても多様な視点が提示されている。
 近代史をひもときながら「日本とアメリカとの関係は中国問題によって規定される」と説く加藤陽子。その中国は「日米両国を同時に相手にして戦うことはできない」として、日中関係が悪化しているときは米中関係の安定化を図ると指摘する王緝思。「アメリカも日本も日米同盟にばかり集中しない方がいい」と意外な提言をするエズラ・ヴォーゲル……。
 日中関係については、五百旗頭真とヴォーゲルが、過去の戦争への反省を土台にしながらも、戦後日本が中国に行った償いや善行については堂々と筋を通すべきだと見解を一にしている。
 加えて、トミー・コーは自国(シンガポール)がマレーシアとの領土問題解決を国際司法裁判所に付託した例を引きながら、国際法遵守(じゅんしゅ)の姿勢を前面に打ち出すことが日本の利益になると助言する。
 パワーの移行と拡散が著しい今日の国際関係にあっては、現状規定や課題設定、規範形成の能力--例えば、「自衛」や「中立」などの「概念や用語の定義をめぐる闘争」(加藤)--が国家の命運や存在感を左右する。問われるのは自国の政策・理念・制度の正当性、信頼性、そして魅力だ。
 「仮想敵を求めてみたい気持ちに駆られることへの強い自戒の念」(明石康)に裏打ちされた本書は、そのための鋭い指摘やユニークな処方箋(しょほうせん)に富んでいる。
 リベラル派と保守派の有識者双方が、左右の極論に走ることなく、良質の議論を展開している点も貴重だ。似た者同士だけで「対話」しがちな日本の論壇の閉塞(へいそく)状況とは異なる開かれた言説空間がここにはある。
    ◇
 岩波書店・2205円/あかし・やすし 31年生まれ。国連事務総長特別代表などを経て、国際文化会館理事長。
    --「連続シンポジウム 日本の立ち位置を考える [編]明石康 [評者]渡辺靖(慶応大学教授・文化人類学)」、『朝日新聞』2013年11月03日(日)付。

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連続シンポジウム 日本の立ち位置を考える

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書評:神島裕子『マーサ・ヌスバウム 人間性涵養の哲学』中央公論新社、2013年。

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神島裕子『マーサ・ヌスバウム 人間性涵養の哲学』中公選書、読了。アリストテレス研究からスタートし、貧困や女性などへの差別へ視野を広げた気鋭の哲学者ヌスバウム。本書は彼女の半生と思想(ケイパビリティ・アプローチ/政治哲学/フェミニズム/新しいコスモポリタニズム)を明らかにする。

本書の白眉は第四章「書評家ヌスバウム フェミニズム文脈のなかで」。国際関係論から人間へ注目する中でのバトラー批判とスピヴァクとのやりとりだ。彼女の知的誠実さをかいま見ると共に、リベラリズム再構築への真摯さが感じられる。

巻末にはインタビューを収録。「私は哲学に人生の多くを費やしていますが、私の人生における愛、友情、美しさ、音楽といったものすべてが私の哲学に反映されているのです」。人柄を知る上でも貴重な資料。本書は格好の水先案内人。

(帯)「人生の豊かさを取り戻す 現代を代表する哲学者は、人間と社会をどう捉えているのか。新アリストテレス主義、政治的リベラリズム、コスモポリタニズムという三つの軸からその思想の内実に迫る」。

[http://www.chuko.co.jp/zenshu/2013/09/110017.html:title]


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覚え書:「ルポ 虐待―大阪二児置き去り死事件 [著]杉山春 [評者]水無田気流(詩人・社会学者)」、『朝日新聞』2013年11月03日(日)付。


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ルポ 虐待―大阪二児置き去り死事件 [著]杉山春
[評者]水無田気流(詩人・社会学者)  [掲載]2013年11月03日   [ジャンル]社会 ノンフィクション・評伝 新書 


■浮かび上がる有象無象の矛盾

 2010年夏、大阪の繁華街近くのマンションで、3歳と1歳の子どもたちが遺体で見つかった事件は、記憶に新しい。当時23歳のシングルマザーだった母親の育児放棄(ネグレクト)による死と報道された。繰り返し映される子どもの元気だったころの写真と、風俗店勤務だった母親の宣伝写真。50日間にわたり子どもを放置した、その間遊びまわる姿をSNSにアップしていた、リビングの外から粘着テープを貼り、玄関に鍵をかけて出た……等々、身勝手な母親の姿を先鋭化する情報が、メディアに躍った。
 彼女は、本当に子どもたちを殺す気だったのか? 重く複雑な問いを軸に、筆者は丹念に取材を重ねていく。「虐待」の一言で片づけられる問題の背景にある、有象無象の矛盾。浮かび上がるのは、母親の半生に詰め込まれた不条理だ。精神的に不安定な実母と実父は離婚、自分の問題と正面から取り組むために必要な精神的後ろ盾もなく、対処法も学べず、家出を繰り返した少女時代。彼女もまたネグレクトされた被虐待児である。おそらくそれに気づく機会さえ、与えられなかった。
 19歳で結婚し、20歳で母になった彼女は、当初布おむつや母乳にこだわり手の込んだ育児をしていたという。だが、22歳で離婚。家族会議で彼女は、子どもたちを一人で責任を持って育てることを言い渡され、「家族には甘えない」「夜の仕事はしない」等の誓約書まで書かされていた。
 浮き彫りになるのは、良い母であろうという理想と現実との落差。その間を埋める手段や問題対処能力の欠落。さらに就労も住居も不安定な親は、行政の救済網からも零(こぼ)れ落ちてしまうという問題。本件は、今春懲役30年の判決が確定した。積極的ではなくとも殺意が認められるとの事由からである。妥当か否かの判断も含め、虐待問題の複雑な位相を理解するために、ぜひ一読されたい。
    ◇
 ちくま新書・882円/すぎやま・はる 58年生まれ。フリーのルポライター。著書『ネグレクト』など。
    --「ルポ 虐待―大阪二児置き去り死事件 [著]杉山春 [評者]水無田気流(詩人・社会学者)」、『朝日新聞』2013年11月03日(日)付。

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ルポ 虐待: 大阪二児置き去り死事件 (ちくま新書)
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覚え書:「病の皇帝「がん」に挑む―人類4000年の苦闘(上・下) [著]シッダールタ・ムカジー [評者]三浦しをん(作家)」、『朝日新聞』2013年11月03日(日)付。

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病の皇帝「がん」に挑む―人類4000年の苦闘(上・下) [著]シッダールタ・ムカジー
[評者]三浦しをん(作家)  [掲載]2013年11月03日   [ジャンル]医学・福祉 


■情熱的に描く、生への希求の歴史

 著者のムカジー氏は、アメリカでがんの治療と研究にあたっている医師だ。彼は娘の誕生を、注射器片手に待ち受けた。臍帯血(さいたいけつ)を採取し、がん患者の治療に役立てるためだ。そんなムカジー氏が、専門家として、多くの患者さんと向きあってきた一人の人間として、「がんとはなんなのか」「人類はがんにどう挑みつづけているのか」を、科学的かつ情熱的に解説する。
 上下巻の大著だが、ぐいぐい読める。私のように医学的な知識がないものが読んでも、わかりやすい。いまから約4千年前、古代エジプトの時代に、人々は乳房にできる「しこりの病」の存在にすでに気づいていた。紀元前500年ごろ、ペルシアの王妃アトッサは、乳房の腫瘍(しゅよう)摘出手術を受けた。
 その後も人類とがんとの戦いはつづく。まじない、体から血を抜く瀉血(しゃけつ)など、さまざまな「治療法」が生みだされた(現代の感覚からすると、瀉血はされたくない)。それはほとんど、人類の絶望の歴史だった。だがいま、がん研究は着実に進歩し、的確な手術、放射線療法、化学療法などによって、多くの患者さんの命が救われている。
 とはいえ、がんの根絶には至っていない。がんは「細胞の病的な増殖」であり、生命活動と密接に絡んだ複雑な疾患だからだ。絶望と希望のあいだで揺れる医師、研究者の姿が、本書では描かれる。患者さんたちの姿も、それぞれに印象的だ。小児がん研究基金のイコンとなったジミー少年。彼がたどった運命は、本書の大きな読みどころのひとつだろう。
 がんの歴史を知ることは、人類の「生」への希求の歴史を知ることだ。本書の言葉を借りれば、そこには「何一つ、無駄な努力はなかった」。敗者は一人もいない。知りたいし生きたいと願いつづけて生きる、人間の輝きと苦難と喜びについて、考えずにはいられなかった。
    ◇
 田中文訳、早川書房・各2205円/Siddhartha Mukherjee インド出身の腫瘍(しゅよう)内科医。本書でピュリッツアー賞。
    --「病の皇帝「がん」に挑む―人類4000年の苦闘(上・下) [著]シッダールタ・ムカジー [評者]三浦しをん(作家)」、『朝日新聞』2013年11月03日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013110300009.html:title]


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病の皇帝「がん」に挑む ― 人類4000年の苦闘 上
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覚え書:「第67回毎日出版文化賞 力作そろう トマス・アクィナス 神学大全」、『毎日新聞』2013年11月03日(日)付。


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第67回毎日出版文化賞
力作そろう

トマス・アクィナス 神学大全 全45巻完結
稲垣良典他訳(創文社・3990~7980円)=企画部門

世紀またいだ偉業
 キリスト教神学最高の達成「神学大全」は今日も燦然と輝きを放つ。その翻訳が52年の歳月を経ていよいよ完結した。全45巻き39冊。高田三郎、稲垣良典ら最高の訳者をえてわが国の知的資産に新しい宝石が加わった。
 中世の教会は何百年もかけて建造された。高くそびえるゴシックの尖塔は、日々たゆみない職人の努力とそれを支える協働の忍耐のたまものである。「神学大全」の訳業も、教会建築と同様、世紀をまたいだ偉業である。私が学生のころ、書店の書架に並ぶ番号は飛び飛びで、いつ完成するのかと見上げたものだ。企画に関わった人びとも多くは物故者となり、栄誉で報いるすべもない。出版という使命を深く理解した先人の覚悟にただ頭が下がる。
 「神学大全」は特徴的な問答のやりとりからなり、問題の所在とさまざまな学生が紹介されたあと、トマス・アクィナスがもっとも妥当と考える学説をのべるスタイルで晋。スコラ哲学と揶揄するならせよ、西欧の哲学も科学もここから始まった。敬意とともに改めて全巻を味わいたい。(橋爪大三郎)

いながき・りょうすけ 九州大名誉教授(哲学、法哲学)。1928年生まれ。東京大卒、南山大、九州大、福岡女学院大などの教授を歴任。中世哲学研究の第一人者として知られる。著者に「習慣の哲学」「抽象と直観」など。
    --「第67回毎日出版文化賞 力作そろう トマス・アクィナス 神学大全」、『毎日新聞』2013年11月03日(日)付。

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覚え書:「【自著を語る】『日本仏教の社会倫理 「正法」理念から考える』=島薗進さん」、『東京新聞』2013年11月05日(火)付。


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【自著を語る】

『日本仏教の社会倫理 「正法」理念から考える』 島薗進さん(上智大神学部教授、グリーフケア研究所長)

2013年11月5日

◆災害時に現れた本来の姿
 日本人の心には仏教的な思想やものの感じ方がしみ込んでいる。東日本大震災や福島原発災害ではいく度もそう感じた。
 お寺が被災者に解放された。また、僧侶が被災者に寄り添い、ともに苦難を担おうとし、人々の信頼を集める場面に出会うことも多かった。全日本仏教会の宣言文「原子力発電によらない生き方を求めて」(二〇一一年十二月)は大いに共感をよんだ。
 だが、これは古代以来の日本仏教のあり方から見て変則的なものではない。むしろ古来のあり方に即したものなのだ。近代的な仏教観が、それをおし隠していた。個人中心の宗教観や鎌倉仏教こそ大乗仏教の究極の展開形態だといった見方がじゃまをして、「社会倫理」の側面が見えにくくなっていたのだ。
 広く仏教史を見渡してみると、仏教徒は「社会に正法(しょうぼう)を具現する」という目標を掲げ続けてきたことが分かる。ゴータマ・ブッダ自身そうであったし、アショーカ王もそうだった。現代のタイの仏教やダライ・ラマの行動や言葉にもそうした考え方は顕著に見られる。
 そして日本の仏教史をつぶさにたどってみると、「正法」の理念はその根底を支えてきたことが分かる。正法(妙法)を掲げる『金光明経』『法華経』の影響力、正法流布の基礎と考えられた「戒壇」(授戒の場)への情熱、正法の後退を嘆く末法思想の力、『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』を著した道元のこだわり-「正法」理念の光に照らすとそれらの相互関係が見えやすくなる。
 正法を求めることは、社会に仏法を具現しようとすることでもある。このことを理解すると、行基や聖徳太子の時代から、戦前の日蓮主義を経て、戦後の創価学会や立正佼成会が取り組む社会・政治活動まで、一貫した社会倫理性が見えてくる。
 では、それは「慈悲」や「菩薩(ぼさつ)行」といった倫理思想とどう関わるのか。
 浄土真宗の他力思想は社会倫理としてどう位置づけられるか。仏教の社会倫理を問おうとした中村元や和辻哲郎や渡辺照宏らの学者の仕事を参考にしながら、私なりの見通しを提示している。 (岩波書店・二四一五円)

 しまぞの・すすむ 1948年生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得退学。専攻は近代日本宗教史、比較宗教運動論、死生学。東京外国語大助教授、東京大文学部教授などを経て現職。著書に『現代救済宗教論』など。
    --「【自著を語る】『日本仏教の社会倫理 「正法」理念から考える』=島薗進さん」、『東京新聞』2013年11月05日(火)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/jicho/list/CK2013110502000212.html:title]


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日本仏教の社会倫理――「正法」理念から考える (岩波現代全書)
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覚え書:「ヒッグス―宇宙の最果ての粒子 [著]ショーン・キャロル [評者]川端裕人(作家)」、『朝日新聞』2013年11月03日(日)付。

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ヒッグス―宇宙の最果ての粒子 [著]ショーン・キャロル
[評者]川端裕人(作家)  [掲載]2013年11月03日   [ジャンル]科学・生物 


■ノーベル賞もたらした大発見

 今年のノーベル物理学賞は、ヒッグス粒子なるものの存在を半世紀前に予想した2人の理論物理学者が受賞した。昨年、スイス・ジュネーブ郊外の欧州合同原子核研究機関(CERN)の実験で、同粒子が実際に「発見」されたことが直接の理由だ。米国の理論物理学者の手になる本書は、素粒子理論の構築と発見をつぶさに追った科学読み物。
 では、ヒッグス粒子とは何か。これが一言では語りにくい。粒子と対になったヒッグス場のおかげで、この世界に「質量」が生まれたとか、必ずしも正確ではない(間違いともいえない)解説が流布していて、本書はそのあたりを丁寧に解きほぐす。中学の理科第1分野が大嫌いだったという人にはあえてお奨(すす)めしないが、原子模型を興味深く眺めたことがあるような人なら、自分自身の読解力に応じた理解が得られるはずだ(多少差が出るのは仕方ない)。
 著者はこの発見を「終わりであり始まり」と述べる。ヒッグス粒子は「標準模型」という理論で予想される素粒子の中で唯一未発見だった。つまりパズルの最後のピースがぴたっとはまり、標準模型はある意味、完成した。その一方、標準模型だけでは説明できないことも多くあり、ヒッグス粒子の挙動を知ることが、新たな謎解きの第一歩となる。
 本書は科学解説に留(とど)まらず、素粒子物理のように巨大化した科学の社会的な意義をも問う。ヒッグス粒子を発見した装置は、数千億円を費やして建設され、膨大な電力を使い、数千人もの研究者がかかわる。宇宙の成り立ちを解き明かすためとはいえ、それだけのコストをかける意義があるのか。米国人の著者は90年代、テキサス州で建設途中に中止されたSSC(超伝導超大型加速器)の苦い記憶を持つ。この時、米国には「ノー」と言う声が多かったわけだ。ヒッグス粒子発見がもたらすものを垣間見た後で、考えるのにふさわしい課題だ。
    ◇
 谷本真幸訳、講談社・2940円/Sean Carroll 米カリフォルニア工科大学の理論物理学者(宇宙論)。
    --「ヒッグス―宇宙の最果ての粒子 [著]ショーン・キャロル [評者]川端裕人(作家)」、『朝日新聞』2013年11月03日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013110300007.html:title]


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ヒッグス 宇宙の最果ての粒子
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日記:人間は、一生を通じて「意識が低い」こともなければ、一生を通じて意見が違うとも限りません。


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 人間も「個体」とみなすべきではありません。あの人は活動家だ、あの人は意識が低い、あの人は××派だ、あいつは一度裏切った、あいつはあのとき来なかった、などなど。人間は、一生を通じて「意識が低い」こともなければ、一生を通じて意見が違うとも限りません。こちらから働きかければ、変わるかもしれません。
 おもしろいことに、弾圧する側は、よく運動の個体論的な考え方を利用します。ある程度広がりを持つ運動が出てくると、「穏健派」と「過激派」に分裂することをしむけます。
 たとえば目立つ運動があったときに、中心的に活動している人を、交通違反でも公務執行妨害でも、みせしめで逮捕する。それを見た人たちが、怖がって脱落したり、活動を手控えれば、残った人たちを「過激派」にできる。直接に逮捕しなくても、規制を厳しくしたりして、運動が思ったように発展しないという気分にさせるだけでも、こうした分裂をおこせます。
    --小熊英二『社会を変えるには』講談社現代新書、2012年、486頁。

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今日というか昨日の入浴介助は、史上最大の件数でしたが、息つく間もなく最短で終了。今回は、「2年ぶりですよw」という最古参の超ベテラン看護師とペア。

まじで凄かった。

「星の数よりメンコの数」(『兵隊やくざ』)というけど、これはどの世界にもありますね。

さて……。
それが済んでから夜勤に入りましたが、こちらはこちらで精神的に疲れました。

所謂、震災で目覚めたという同僚から、難癖というか、要するに、「真面目に」「純粋に」「自分に正直に」“生きること”が大事だと説教されたのですが、そんなん、言われんでも分かっている。

ただ、「真面目に」「純粋に」「自分に正直」に生きることを「意地」になってやっているとそれは違うワなと思った。

それまで、「眠っていた」という深い反省から、「真面目に」「純粋に」「自分に正直」に“生きよう”と決意したとのことですが、……それはすごいことだと思う……、それを眉間にしわを寄せて「やったるぞー」(→の返す刀でお前も真剣に生きろって話)って切り出されてしまうと、ちょと違うような感。

「真面目に」「純粋に」「自分に正直」に生きたらええと思うし、僕もそうありたいとは思う。ただし、それは「やったるでー」って「意地」になってやったら「真面目」は「真面目」だけど、純粋かとか自分に正直かといえば違うような気がしてね。

ちょと、正直うっとおしかった。

それまでの生き方を反省して違う生き方を選択することは誰にでもあるし、僕は大事なことだと思う。しかし、過度の精神主義や道徳主義というのは、大局的・長期的にみると、本人自身を毀損してしまうことになるのではないかねー。ふざけじゃなくて字義通りだけど「テイク・イット・イージー」は大事だな、と。

なんというか、あえて「悪ふざけ」する必要はないと思うけど、真面目とか正直に生きることを「望む」ことは大事だけど、「かくあらねばならぬ」とイデオロギー化してしまうと、真面目とか正直とはほど遠いものになるような気がするのよね。


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覚え書:「今週の本棚:村上陽一郎・評 『イヴリー・ギトリス ザ・ヴァイオリニスト』=フィリップ・クレマン編」、『毎日新聞』2013年11月03日(日)付。


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今週の本棚:村上陽一郎・評 『イヴリー・ギトリス ザ・ヴァイオリニスト』=フィリップ・クレマン編
毎日新聞 2013年11月03日 東京朝刊

 (春秋社・2625円)

 ◇魂をわしづかみする老演奏家へのオマージュ

 本欄では、できるだけ邦人の労作、意欲作を紹介するよう心がけてきましたが、今回は例外的に翻訳ものになりました。ギトリスというヴァイオリニストに捧(ささ)げられたオマージュが本書です。翻訳は原著とは多少構成を変えています。

 一九二二年生まれですから、九十歳を超えて、なお現役の演奏家として世界中を飛び回っているのがギトリスです。家系はロシア、イスラエル(というよりは、時代としてはまだパレスティナ)生まれ、というだけで、家の歴史が想像されるわけですが、五歳にして楽器を手にする。ヴァイオリン奏法には幾つかの流派が存在しますが、彼が教えを受けた先生を列挙すると凄(すご)いことになります。まずはA・ブッシュの直弟子、次にJ・シゲティの直弟子、そしてB・フーベルマン、G・エネスコ、K・フレッシュ、J・ティボー、T・パシュクス(ヴァイオリンを学ぶ人なら誰もが一度は師事したいと願うアメリカの名教師)といった具合で、系列を特定できないような有様です。

 そして、まさしく彼の演奏は、誰の系列とも言えない、文字通りギトリスの音楽なのです。そうであるがゆえに、かつては、評論家仲間からは異端扱いされたり、無視されたり、毀誉褒貶(きよほうへん)ただならぬものがありました。一九五一年のティボー・コンクールで五位となったのも、また、その結果に聴衆が猛烈なブーイングで応じたのも、それを象徴する出来事でした。しかし、後には、Y・メニューイン、N・ミルシュタイン、I・スターン、I・パールマンら同業者も、M・アルゲリッチ、Z・メータ、M・マイスキー、M・アンドレら異業種の音楽家も、彼を賛美して已(や)まない、一種神聖化された存在になっています。

 彼の音楽を一度でも聴かれたなら、好悪は別にして、自分の魂をわしづかみにされたような経験をされるでしょう。レパートリーは、古典から現代音楽まで、さらには、演奏会場ばかりではなく、様々な場所で、様々な登場者(空手の選手、M・マルソーのようなパントマイムなど)と共演するイヴェントまで、実に多様な活動を繰り広げてきました。彼には『魂と弦』という自伝がありますが(邦訳は同じ訳者、同じ出版社)、本書でも、そうした彼の音楽の世界は十分に紹介されています。

 ただ、本書には、ほかにない二つの大きな特徴があります。一つは、編者の役割です。編者は同じヴァイオリニストでありながら、ギトリスに魅せられ、彼の半生に密着して過ごし、細大漏らさず、演奏活動や言動を示す資料を集め、整理して本書に掲載しています。だから、日本でのチラシ(当然日本語の)なども、きちんと収録されていますし、最後に付されたディスコグラフィも、凄いとしか形容できません。

 もう一つは、日本との関わり、特に「三・一一」を巡るギトリスの思いと行動が、克明に記されていることです。そこには日本でのマネージャー役中村聡武氏の貢献が大きいのですが、災害直後の四月には、「自分が行くと言えば、災害に尻込みしている連中も考え直すだろう」と来日を決意、渡航費もギャラも要らない、と被災地に入り、荒れ果てた現地に沈黙・涙し、それでも、人々との交流を求めて、音楽を奏で、また若い生徒たちの奏でる音楽に打たれ、音楽の力をあらためて確認する、一人の人間の姿が活写されています。

 単なる一人の演奏家の事績を超えて、人間賛歌とでも言うべき書物として、音楽ファン以外の方にもお勧めしたいと思います。(今井田博訳)
    --「今週の本棚:村上陽一郎・評 『イヴリー・ギトリス ザ・ヴァイオリニスト』=フィリップ・クレマン編」、『毎日新聞』2013年11月03日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20131103ddm015070019000c.html:title]


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イヴリー・ギトリス ザ・ヴァイオリニスト

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覚え書:「今週の本棚・この3冊:ヘミングウェイ=綿矢りさ・選」、『毎日新聞』2013年11月03日(日)付。

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今週の本棚・この3冊:ヘミングウェイ=綿矢りさ・選
毎日新聞 2013年11月03日 東京朝刊

 <1>蝶々と戦車(『ヘミングウェイ全短編3』所収、高見浩訳/新潮文庫/940円)

 <2>日はまた昇る(高見浩訳/新潮文庫/704円)

 <3>海流のなかの島々 上・下(沼澤洽治訳/新潮文庫/620 662円)

 乾いた酒というのがあるなら、ヘミングウェイの小説に描かれるジンだと思う。喉を潤すためではなく、酔いたい渇望をさらなる乾きで得るために、男たちは熱くひりひりしたジンで喉を焼く。ヘミングウェイの、樫(かし)の老木に似た、堅牢(けんろう)で少し皮肉交じりの完璧な文章は、居酒屋で喧嘩(けんか)する弱い男の威嚇や臆病さを、ただ滑稽(こっけい)なだけではなく、どこか胸の痛む同情の視線で見守る。短編「蝶々(ちょうちょう)と戦車」では、戦争下でピリピリしているスペインの居酒屋で、水鉄砲で悪ふざけをした男が殺されるまでを描いている。まるで悪意がなく、ただ陽気に酔っぱらった男を蝶、ちょっとした悪ふざけも最大の愚弄(ぐろう)と受け取り男を撃った他の民衆たちを戦車と例えたこの話は、短いながらも胸に突き刺さる。個人的にこの話で好きなのは、この「蝶々と戦車」という題名にもなっている最大の決め言葉を、ヘミングウェイを彷彿(ほうふつ)とさせる作家の主人公ではなく、事件の起こった居酒屋の支配人に言わせているところだ。謙虚というか、視線が暖かいというか、こういった細かな点にもヘミングウェイの美学が表れていると思う。

 『日はまた昇る』の、若者の焦燥感がスペインの闘牛場での命をかけた戦いによって煽(あお)られる描写も、ずいぶん昔に読んだ本だが、鮮烈に覚えている。享楽の影にある焦りと、遊戯の底にある死が、激烈な生の輝きを浮かび上がらせる。一番初めの長編で、のちに強固になるハードボイルドな目線が、まだ定まらず、無力さを抱えながらも、ときどき闇雲に凶暴になる登場人物たちの姿が、ヘミングウェイの若さを反映しているようで、それも味わい深い。

 もっとも最近に読んだのは『海流のなかの島々』。キューバに移り住んだ老いた男の話で、彼が画家のせいか、釣りや海や酒の描写がこと細かで美しい。文章にも映像と同じく、画素数があるのだなと感じる鮮やかさと明度だ。離婚して家族と別々に住む主人公は子どもが恋しい。しかしもう一度家族と共に住み、騒がしい生活に戻ることは、死んだ愛する人を生き返らせてほしいと願うくらい、実現不可能だと感じる。自分の生活様式と自由が確立された望み通りの世界に生きながらも、それでは足りないと孤独にあえぐ、ヘミングウェイ自身の苦悩が見え隠れしている。男の中の男、というイメージで後世に語り継がれている彼の、彼なりの苦しみが、自殺前のこの遺稿を通して鮮明に伝わってくる。
    --「今週の本棚・この3冊:ヘミングウェイ=綿矢りさ・選」、『毎日新聞』2013年11月03日(日)付。

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蝶々と戦車・何を見ても何かを思いだす―ヘミングウェイ全短編〈3〉 (新潮文庫)
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覚え書:「みんなの広場 異なる考え受け入れる社会を」、『毎日新聞』2013年10月30日(水)付。


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みんなの広場
異なる考え受け入れる社会を
大学名誉教授 72(大分市)

 大学入試改革がまた行われようとしている。ペーパーテスト重視の入試を改革することが教育を替える突破口になる可能性を否定するものではない。しかし、日本の教育で根本的な問題は、“画一的で従順”であることを良しとする考え方であろう。この精神構造を変革して、自らと異なる人、違う考え方をする人を受け入れる社会をつくることが根本的課題である。
 私は30年にわたって大学教育に携わってきたが、教員の指示に従順に従うことに疑問を感じない学生をしばしば見かけた。このような学生は、それまでに自ら個性的であろうとして挫折した経験から、あるいは自己主張をした同級生が周囲からの圧力に苦しむ姿を目にしたことから生まれたとは考えられないだろうか。
 これからの世界で日本が存在感を発揮するには他の人とは異なる発想をする多様な人材が必要である。困難ではあるが、誰もが、とりわけ教員が、自らとは異なる人の存在を認めることが不可欠であろう。
    --「みんなの広場 異なる考え受け入れる社会を」、『毎日新聞』2013年10月30日(水)付。

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覚え書:「今週の本棚:湯川豊・評 『沈むフランシス』=松家仁之・著」、『毎日新聞』2013年11月03日(日)付。


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今週の本棚:湯川豊・評 『沈むフランシス』=松家仁之・著
毎日新聞 2013年11月03日 東京朝刊

 (新潮社・1470円)

 ◇静寂の中に“生の元型”をたどる恋愛小説

 この長篇はストーリーに劇的な起伏がない。静かな小説、というより静寂を描くのが目的なのかと思われるようでいて、しかし中身は確かに濃密な恋愛小説なのである。

 撫養(むよう)桂子は三十代半ば、東京の会社勤めをやめて、北海道東部の湧別(ゆうべつ)川沿いにある山村にやってきた。そこで非正規の郵便局員になって暮らし始める。郵便物の配達が主な仕事だ。中学生時代の三年間、乳製品会社に勤めていた父親の転勤で隣り町に住んでいたことがあり、あの湧別川沿いの村へ行きたいという思いがつのり、それを実行したのだ。

 桂子は配達で村の中心から少し離れた、川沿いに一人で住む寺富野(てらとみの)和彦と知りあった。遊びにこないかと誘われたのをきっかけに、短時間で急速に親しくなり、男と女の関係が始まる。和彦は三十八歳。

 その後のほぼ一年が語られるのだが、三人称小説だけれど語りの視点は桂子という女の側におかれている。和彦には桂子が関係した後もナゾめいた部分が多いのは語り口からしても当然。仕事は、湧別川から導入した水でフランシス・タービンをまわして発電する、小発電所の管理人。オーディオ・マニアで、この世界のあらゆる音を集めている音の蒐集(しゅうしゅう)家。そのへんはすぐにわかるのだが、隣り町に五年間別居中の妻がいることなどは、関係が深まるにつれて少しずつ明らかになってゆく。

 桂子と和彦はあっという間にまず体が結ばれた。桂子の視点から、その経緯がつぶさに語られるのだが、そこで特徴的なのは、ベッド・シーンの描写が、じつに克明であることだ。唇や手、性器の動きにいたるまで、克明で正確。見て、感じるのは桂子という女で、それが中立的で論理的な男の文体でたどられる。そこに生ずる背反が不思議な効果をつくっていて、性描写の正確さから、肉体関係の哀(かな)しみがにじみ出してくるのに胸をつかれる。

 描写といえばもう一つ、現代の小説ではきわめてめずらしいといえるほど、随所に自然描写が現われる。描写は筋の展開をいったんは中断させるものだから、現代作家は長くそこにとどまることを嫌いがちだ。しかし描写は場面(シーン)をつくる大切な手段で、これなくして小説は大きなものを失なう。筋に起伏がないことが逆にそれを可能にしているのか、著者は平然と目にしみるような自然描写をやってみせる。

 雪が降ってくる場面。北国の川の流れ。圧倒的な天空の星。それらが、一組の男女の肉体の結びつきを囲んでいるというかたちだ。

 自然描写でとりわけ心に迫るのは、村はずれに一人で住む、目の見えない老婦人の御法川(みのりかわ)さんが桂子に語る、小学校三年生のとき見た夕焼けの空。いつもより低いところに段々になって浮かんでいる雲が、ぜんぶ夕焼けの赤い雲になっていた。凄絶(せいぜつ)な空のいろを語ったすぐ後で、老婦人は巫女(ふじょ)のように告げる。

 「ほんとうは誰でもただ流れてるだけでしょう。なにかに連れ去られるようにして、いつのまにかたどりついたところに、ひとは立ってるの」

 御法川さんは、日常生活の中で人が背負っている生の元型を語っているのだ。

 小説の最後、川の氾濫でフランシス・タービンが水没するのを、丘の上から二人が見ている。そのとき和彦は離婚を決意している。二人は流れついたところで、共に立つのを覚悟したかのよう。ここに至って、恋愛小説の余韻として、とてつもなく充実した静寂が、小説の中でふんだんに聴いたさまざまな音の中から、身に迫るように聴こえてくる。秀作である。
    --「今週の本棚:湯川豊・評 『沈むフランシス』=松家仁之・著」、『毎日新聞』2013年11月03日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚:鹿島茂・評 『絶倫の人-小説H・G・ウェルズ』=デイヴィッド・ロッジ著」、『毎日新聞』2013年11月03日(日)付。


*p3*[覚え書]覚え書:「今週の本棚:鹿島茂・評 『絶倫の人-小説H・G・ウェルズ』=デイヴィッド・ロッジ著」、『毎日新聞』2013年11月03日(日)付。

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今週の本棚:鹿島茂・評 『絶倫の人-小説H・G・ウェルズ』=デイヴィッド・ロッジ著
毎日新聞 2013年11月03日 東京朝刊

 (白水社・3360円)

 ◇性のユートピアを求めた「SFの巨人」の軌跡

 小説家というのは奇妙な存在で、自分の生きた物語を語るのではなく、自分の語った(あるいは語ろうとして果たさなかった)物語の「続き」を生きたくなるという奇妙な衝動があるらしい。『交換教授』で知られる小説家デイヴィッド・ロッジがH・G・ウェルズの死後発表の赤裸々な女性遍歴告白の書『「自伝の試み」の後記(ポストスクリプト)』(なんと関係した女性は一〇〇人以上!)を読み、いたく創作欲を刺激されて本書を書きあげたのも、同じ小説家としてこの衝動への理解があったのではないかと思われる。

 一八六六年、ロンドン近郊で貧しい陶器商の息子として生まれたウェルズは苦学して学問を身につけ、教員生活の後、『タイム・マシン』で華々しくデビューし、以後、順調な作家生活を歩んでいくが、性生活の方はそうは行かなかった。最初の結婚相手のイザベルはヴィクトリア朝の性道徳に縛りつけられ、「性行為においては受身のパートナーのまま」であり、ウェルズの夢見たような性生活は実現しなかったからである。やがて彼の前に自由恋愛の信奉者と名乗る女子学生キャサリンが現れ、二人は不倫の関係となるが、興味深いのは、イザベルが夫の望む激しいセックスに従うより、離婚を選んだこと。かくて、ウェルズは喜びいさんでキャサリンと再婚するが、また同じ轍(てつ)を踏む。ロッジはウェルズに架空のインタビューを試みるという形式で二度目の結婚をこう語らせている。「そもそも彼女には肉欲が欠けていた。ところが、わたしにとってはセックスは肉欲の歓(よろこ)びに満ちた解放だった」。しかし、セックスという点を除くとキャサリンは完璧な女性だったため、ウェルズは自分は「純粋に肉体的解放感を味わうため、時折ほかの女が必要なのだ」と告白し、結婚生活の続行を希望する。キャサリンは愛人が出来た場合は正直に話すという条件でこの提案に同意する。かくて、サルトルとボーヴォワールのカップルの先駆となる男女関係が始まり、キャサリンは良き秘書としてウェルズを公私両面で支えながら子供を育て、ときに夫の恋愛の相談相手ともなる。

 では、ウェルズが主にどんな女性と関係をもったかというと、キャサリンと同じパターン。すなわち請われて参加した改良的社会主義者の団体フェビアン協会で自由恋愛擁護の講演を行ったり、エッセイを執筆したりすると、共鳴した「進んだ女」たちが次々にウェルズのもとに現れ、愛人となってゆくのだ。堅苦しい性道徳が支配する時代ゆえに各方面から激しい非難を浴びるが、ロッジが「絶倫の人」と呼ぶウェルズはひるまない。後に有名な作家・ジャーナリストとなるレベッカ・ウェストもそうした一人で、ウェルズは自著を酷評する書評を書いたウェストを自宅に招き、愛人関係を結んだのである。

 ロッジは膨大な資料を渉猟して十分に裏づけを取りながら、小説というタイム・マシンに乗ってウェルズの「性のユートピア」を自由に探訪してゆく。おかげで、ウェルズをSFへと駆り立てていた真の動機がわかってくるし、「性のユートピア」を性急に手繰り寄せようと焦った巨人の喜びと悲しみが惻々(そくそく)と伝わってくる。第二次大戦後まで生き延び、暗い方の未来予測の実現で悲観的になって死んだウェルズだが、もし、今日の日本のようなセックスレスゆえの人口減少社会の到来を見たら、どう言っただろうか? 聞いてみたいところである。イギリスが得意とする伝記文学の白眉(はくび)。(高儀進訳)
    --「今週の本棚:鹿島茂・評 『絶倫の人-小説H・G・ウェルズ』=デイヴィッド・ロッジ著」、『毎日新聞』2013年11月03日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20131103ddm015070016000c.html:title]


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日記:南原繁研究会第10回シンポジウム 三谷太一郎講演『南原繁と国際政治 学問的立場と現実的立場』を拝聴して。


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twのまとめですが、記録として残しておきます。

南原繁研究会第10回シンポジウム 三谷太一郎講演『南原繁と国際政治 学問的立場と現実的立場』を拝聴して。本講演は、第一次世界大戦後に高まる国際政治学への関心という歴史的文脈に南原繁の足跡を位置づけ、哲学による「国際政治学序説」(1924)を翠点とし、その意義(副題)を確認するもの。

(問題は多いけれども)ベルサイユ体制は、パワーゲーム至上主義から国際協調主義への歴史的転換となる。その中で各国において「国際政治学」の必要性が唱えられた。本邦では実証主義的な蝋山政道をその嚆矢と見ることがきるが、全く対照的な非実証的=哲学的アプローチを試みたのが南原繁である。

1924年11月に開講した南原繁の特別講義「国際政治学序説」は、講座担当を嘱望され、欧州へ渡った南原の研鑽を披露すべきものだが、南原が最も力を注いだのは、三批判書をはじめとするカント哲学の研究。そこでカントの政治哲学をその国際政治論との関連から明らかにすることになった。

特別講義は、後に「カントに於ける国際政治の理念」(1927年、『国家と宗教』に所収)に結実するが、南原は、道徳上(価値論)では「徳と幸福との綜合」とされる「最高善」を、政治上(政治学)では「正義と安寧の結合」と読み解いていく。前者に後者が従属するが、二律背反の解消は必要とされる。

南原は政治上の最高善を永久平和と措定するが「『永久~』は政治が義務と法の原理によって規律せられ、これと調和するに人類の安寧・福祉の綜合せられたものとして、まさに実践理性の意欲の総体である」と規定される。優越は正義にあるが安寧を無視し得ない。ここに理想的立場と現実的立場の統合がある。

この世に実現すべき「理想」と、ぐだぐだな「現実」は南原繁においてはどこまでもパラレルなものではない。相互に批判的に向き合うことによって綜合されるべきのでなければならない。その道程として浮かび上がるのが太平洋戦争の終戦工作であり、戦後の全面講和論である。

ざっくりとした内容は先の通りですが、個人的に関心を持ったのは、南原が正義の優越を強調した(しながらも「安寧」の重要性を無視しなかった訳ですが)契機には、内村鑑三の日清戦争における義戦論の認識と構造があったという指摘(もちろん、その後の言説転回も含めて)。

なれ合いの欺瞞より正義を尊ぶ内村鑑三のjustification for war/righteous of warは国家益に介在されないことで担保される上位概念(ただし日本近代史はそれを裏切る)。その姿に南原繁の「正義」優先の基礎がある。

勿論、内村の楽天的正義感は領域制国民国家に「過ぎない」ものによって裏切られるし、内村は反省のうえ、議論を転換し、最後は再臨運動へ至る。ただ、理想主義的なるものを掲げつつ現実を批判し、現実から理想的なるものを着地させようとの努力の系譜は南原繁に受け継がれたといってよいのではないか。

以後、私見)内村鑑三のデッドコピーを矢内原忠雄に見出すとすれば、そのプラトンに対するアリストテレス的受容と展開は南原繁なのではないか、という点。両者の厳格/寛容さの違いにその匂いを感じることはできるが、在家であろうとする南原にはその苦渋と苦闘と実践の責任が感じられる。

理想を理想として高く掲げ保ち奉り、そこに容喙されたくないのは人の常だ。しかし、それを後生大事に保ち奉ることでそれが実現されるのかと誰何すれば難しいものがある。その意味で、洞窟の賢者・南原繁は、プラトン的というよりアリストテレス的というのが僕の実感だな。そこに公共性がある。

加えて、内村鑑三の日清戦争義戦論から日露戦争での不戦論までは人口に膾炙された通りの見本の如く解釈が定番化している。しかし、それは不戦論そのものも退けてしまう再臨運動を視野に入れない限りそのダイナミズムは理解できないのではないかという話。ここに内村の公共性もあるのではないかと。

実際のところ、僕自身は内村鑑三を尊敬して止まないけれども、どこかに「苦手」なところがある。まぶしすぎるというか、「苦味」が効き過ぎているというか。しかし、まさにその理想主義をどのように地の国とすりあわせていくのか、つうのは、南原がそうであったように弟子の課題なんだろうなあ、と。

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覚え書:「文化 映画『ハンナ・アーレント』を観て=鈴木道彦」、『聖教新聞』2013年10月24日(木)付、ほか。


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文化
映画『ハンナ・アーレント』を観て
鈴木道彦

考える力は善悪・美醜を見分ける

ユダヤ人を絶滅収容所に送ったアイヒマン
 ハンナ・アーレントは、一九〇六年にドイツに生まれたユダヤ系の政治思想家である。若いときに哲学者のハイデガーやヤスパースに学んだが、とくにハイデガーとは一時愛人関係にあったこともよく知られている。ナチの迫害を避けて一九三三年に母とともにパリへ亡命した後、一九四一年には夫とともにナチ占領下のフランスを逃れ、アメリカに再亡命する。そして以後は、アメリカを拠点とする知識人として、その著作を発表していく。
 マルガレーテ・フォン・トロッタ監督の今回の作品「ハンナ・アーレント」は、この波乱に満ちたアーレントの生涯全体を描くわけではない。映画はまず暗い画面のなかで、一人の男がとつぜん拉致させるシーンから始まる。これが一九六〇年にアルゼンチンのブエノスアイレス近郊で実際に行われた、イスラエルの秘密機関によるアドルフ・アイヒマンの逮捕である。
 アイヒマンは、ナチ時代のドイツで無数のユダヤ人を絶滅収容所に送った部門の責任者だから、彼の名前は稀代の悪人として、ユダヤ人の記憶にこびりついている。そのアイヒマンがイスラエルに移送され、彼の戦時中の行動が裁かれることになると、アーレントは自ら志願して、「ザ・ニューヨーカー」誌に裁判傍聴記を書きたいと申し出る。
 映画は、記録フィルムも交えてその裁判の様子を伝えながら、それに対するアーレントの見方、彼女の書いた記事とそれへの反響、彼女に浴びせられた批判と、彼女の対応を映し出す。このように彼女の生涯の限られた一点に絞って展開されるだけに、ここには重要な問題が集中的に浮き彫りにされている。

凡庸さの作る途方もない悪
 数百万人の殺戮に荷担した以上、アイヒマンは野獣のような怪物で、ユダヤ人を心の底から憎む凶悪犯のはずである。ところがアーレントの目に映った彼は悪魔どころか、反ユダヤ主義でさえなく、ごく平凡な役人だった。彼は単なる思考不能の人物で、ナチの忠実な下僕であり、自ら手を下してユダヤ人を殺したことなどなく、ただ命令のままに熱心に移送計画を作り、その手配をした男にすぎない。
 「ザ・ニューヨーカー」誌に発表されたアーレントの記事は、後に『イェルサレムのアイヒマン --悪の陳腐さについての報告』という書物となって出版された。私がこの本を読んで深い感銘を受けたのは今から四十年以上も前のことだが、これは同時にさまざまな批判を呼んだ著作でもあった。
 映画はその批判の激しさを克明に描き出している。とくにアーレントは、彼女と同じユダヤ人からも、アイヒマンを擁護しているという、とんでもない非難を浴びた。
 しかし悪の凡庸さの指摘は、悪の擁護ではない。逆に凡庸で考える力がないからこそ、几帳面に命令に従って悪に荷担してしまう者が多いのは、われわれが日頃からしばしば目にすることではないか。その悪が途方もない規模に肥大して、生きる意味をも否定する犯罪になったのがアイヒマンの場合だから、この指摘はきわめて重要である。

日本や世界の問題にも通じるテーマ
 いま一つのユダヤ人の非難が集中したのは、彼女の言及する各地のユダヤ人指導者の役割についてである。彼らがナチの命令でユダヤ人の名簿の作成に協力したために大量殺戮に手を貸す結果になったことを、彼女はとくに重大視したのだが、それが反感を呼んで、彼女はユダヤ民族を愛していないとさえ言われた。
 もちろん事実は性格に検証されねばならないが、このように心ならずも自ら墓穴を掘り、巨悪に利用されるのは、誰もが陥りかねない罠である。それがもし自分と同じ民族の者の犯した行為であるなら、それだけいっそう冷静に、汚点を厳しく見つめることが必要だ。それを怠っては、今の日本社会と同様に、歴史認識の欠如を無様にさらすことになるだろう。
 こうした凡庸さのもたらす悪を克服し、自分の属する民族の汚点をも性格に把握するには、ただ徹底して「考える」ほかに方法はない。映画の最後で彼女が学生たちに、考えるとは単に知識を増やすことではなく、善悪、美醜を見分けることだと語りかける言葉は、重い意味を持っている。
 批判に深く傷つきながら、毅然としてそれに立ち向かうアーレントの姿は感動的である。主役のバルバラ・スコヴァは、夫や友人への深い優しさを湛えつつ、あくまでもラディカルに考える女性を演じて、小柄ながら圧倒的な迫力を見せる。現在の日本や世界の問題にも通じるテーマを深く掘り下げた、一人でも多くの人に観てもらいたい作品である。(フランス文学者)

●映画「ハンナ・アーレント」は、今月(10月)26日(土)から、東京・岩波ホールで公開。順次全国で。

すずき・みちひこ 1929年、東京生まれ。一橋大学、獨協大学教授を経て、獨協大学名誉教授。著書に『越境の時』『マルセル・プルーストの誕生』など。翻訳にニザン『陰謀』、サルトル『嘔吐』など。プルーセル『失われた時を求めて』(全13巻)の個人全訳で、2001年度の読売文学賞と日本翻訳文化賞を受賞。
    --「文化 映画『ハンナ・アーレント』を観て=鈴木道彦」、『聖教新聞』2013年10月24日(木)付。

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火論:ただ命令があれば=玉木研二
毎日新聞 2013年10月29日 東京朝刊

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 東京・岩波ホールでの上映初日、風雨にかかわらず、1回目から入りきれないほどだった。
 評判の「ハンナ・アーレント」(マルガレーテ・フォン・トロッタ監督)は劇映画だが、ナチ戦犯アイヒマンを裁く法廷シーンでは、実録フィルムでアイヒマン本人が登場する。この効果が大きい。
 ユダヤ人を貨物や家畜のように扱い、死地へ追いやる強制収容所移送を指揮した元親衛隊幹部である。敗戦後に逃亡し、変名してアルゼンチンで暮らしているところをイスラエル諜報(ちょうほう)部が急襲、逮捕した。1960年5月11日、日本では安保条約改定をめぐる激しい対立と混乱がピークに達したころだ。
 エルサレムの法廷でこの初老の男は、時にいらだちをのぞかせ繰り返し弁解した。
 「私は命令に従ったまでです」「それが命令でした」「すべて命令次第です」「事務的に処理したのです」「私は一端を担ったにすぎません」「さまざまな部署が担当しました」……。
 亡命ユダヤ人の哲学者ハンナ・アーレントは裁判を傍聴し、そこに「平凡な人間が行う悪」を見いだす。人間的な思考を放棄した者が空前の残虐行為をなすおぞましさ。
 アイヒマンは学業不振などで学校は続かず、20代で親衛隊に入隊した。やがてユダヤ人移送担当になり、実績を上げて評価される。
 移送列車運行のスケジュールを綿密に立て、戦争の敗勢で移送が難しくなってさえ、計画の完全実施にこだわったといわれる。その結果に思いを致すより、上から期待され、評価されることこそ重要だったのだろう。
 思考の力を失い、機械的に命令や職務権限を果たしていく凡庸な軍人、官僚。それがホロコースト(大虐殺)を遂行可能にする動力ともなる。彼にとって犠牲者数は統計上の数字にすぎない。
 映画は、アーレントの洞察に対する社会の非難と、それに屈しない彼女の毅然(きぜん)とした姿を描き、心を打つ。
 そして、アイヒマンの機械のように冷たい、どこかぼんやりしているような風情も不気味に残る。
 彼は極めて特異な例外的存在なのだろうか。今日も世界に絶えない大規模な破壊行為だけでなく、社会の組織的な大きな過ちや錯誤にもその小さな影を見ないだろうか。
 61年12月15日死刑判決。
 「この日エルサレムは雨と風がひどかったにもかかわらず、傍聴人席は超満員だった」と外電は伝えている。(専門編集委員)
    --「火論:ただ命令があれば=玉木研二」、『毎日新聞』2013年10月29日(火)付。

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覚え書:「生理用品の社会史―タブーから一大ビジネスへ [著]田中ひかる [評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)」、『朝日新聞』2013年10月27日(日)付。


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生理用品の社会史―タブーから一大ビジネスへ [著]田中ひかる
[評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)  [掲載]2013年10月27日   [ジャンル]社会 


■意識変えた使い捨てナプキン

 以前に生理用ナプキンを燃やそうとしたことがある。百円ライターを壊しても火すらつかなかった。高分子吸収体って何者なんだ。そしてこういうものがなかった時代、女たちは毎月どうやって経血の処置をしてきたんだろう。
 あまり公に語られてこなかった生理用品の歴史。類書も少なく、常々知りたいと思っていた。
 古代から太平洋戦争までの長い期間、経血処置に何がどう使われてきたか、不浄とみなされ、タブー扱いされていたことなどが書かれた前半も興味深いが、白眉(はくび)は第3章、使い捨てナプキンを日本人の体形に合わせて開発、商品化したアンネ社の登場。
 1961年、当時口にするのも憚(はばか)られた月経を「アンネ」と呼ぶ提案と、水洗トイレに流せる使い捨て紙ナプキンは、多くの女たちに衝撃と喜びをもって、受け入れられた。しかも快適な経血処置を提供したいという信念のもとに、この製品と呼称を創り出したのは、坂井泰子(よしこ)という27歳の女性社長。
 若く美人であるために、世間から必要以上に騒がれもてはやされ、一方で男性スタッフとのやりとりには、苦労した様子がうかがえる。当時宣伝を担当した渡紀彦の回顧文は、使用済み脱脂綿(ナプキン登場以前、広く使われていた)を見て「女性の恥部の乱舞」「業の集積」など、悪気は全くなく、むしろ善意と使命感に燃えていたのだろうが、見当違いな言葉ばかり。60年代に入っても月経に対する暗いタブー意識は、まだ色濃く残っていたのだ。
 こんな混乱を経て、使い捨てナプキンはあっという間に定着発展し、タブーを超え、日本は世界一のナプキン先進国となったのだ。
 そして現在のトレンドは、布ナプキン。使い捨てナプキンを批判する声もあるが、こうして俯瞰(ふかん)すると、日本人の意識改革に果たした役割の大きさが、しみじみとわかる。
    ◇
 ミネルヴァ書房・2520円/たなか・ひかる 70年生まれ。横浜国立大大学院で社会学専攻。『月経と犯罪』など。
    --「生理用品の社会史―タブーから一大ビジネスへ [著]田中ひかる [評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)」、『朝日新聞』2013年10月27日(日)付。

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覚え書:「「老年症候群」の診察室―超高齢社会を生きる [著]大蔵暢 [評者]田中優子(法政大学教授・近世比較文化)」、『朝日新聞』2013年10月27日(日)付。


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「老年症候群」の診察室―超高齢社会を生きる [著]大蔵暢
[評者]田中優子(法政大学教授・近世比較文化)  [掲載]2013年10月27日   [ジャンル]医学・福祉 


■人間の全体を見る医療を取り戻す

 高齢の母が複数の病院に通い、たくさんの薬を服用していた。それでもひどく具合が悪くなったことがあった。「何かおかしい」と自分で感じていくつかの薬をやめ、いくつかの医療機関をやめたら調子が良くなった。そういう経験をちかごろ良く耳にする。
 本書を読んで、すとんと心に落ちた。五つの医療機関にかかり十七種類もの薬を処方されていた高齢者の話が最初に出て来る。これは希(まれ)な例ではない。やはり変だ。著者は「医学モデル」から「生活モデル」への転換が必要だと言う。高齢者の不調は若者の病気とは異なり「虚弱化」の結果なのだ、と。具合が悪くなるとその部分の専門の病院に行くが、ひとつひとつ別々に治療しようとしたら何種類もの薬を飲むことになり、その副作用は尋常ではない。
 ではどうしたら良いか。全体を「老年症候群」と捉え、別々にではなく、老化全体と向き合いながら、生活を楽しむのがいちばんだという。自分の身に引きつけてもそのとおりだ。
 高齢になればなるほど人間の多様性が増して来る、という指摘に納得した。症候群の出方はそれぞれ、趣味も思想もまちまち。医者もそれを心得て柔軟に対応しなければならないのは、その通りだろう。この多様性は、高齢化社会の豊かさでもある。
 老年医学には「包括的高齢者評価」という概念が必要だそうだ。身体的な問題が心理的な問題と関わっていたり、その逆もあり、その原因が生活環境であったりと、全体の生活の質を知らないと、もはや医療は対応できないのである。個々の人間をみつめることになる。
 近代医学は人間の同質性を前提に部位を分け、分析することで発達した。しかし高齢化社会を迎えることでようやく、かつてのような人間の全体を見る医療を取り戻せるのではないか。その可能性を感じることのできる本だ。
    ◇
 朝日選書・1365円/おおくら・とおる 東京ミッドタウンクリニックのシニア医療部長。
    --「「老年症候群」の診察室―超高齢社会を生きる [著]大蔵暢 [評者]田中優子(法政大学教授・近世比較文化)」、『朝日新聞』2013年10月27日(日)付。

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覚え書:「三面記事の歴史 [著]ロミ [評者]鷲田清一(大谷大学教授・哲学)」、『朝日新聞』2013年10月27日(日)付。

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三面記事の歴史 [著]ロミ
[評者]鷲田清一(大谷大学教授・哲学)  [掲載]2013年10月27日   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 

■時代を超えて、のぞき見誘う

 「三面記事」は、いまの日本でいえば、スポーツ新聞や夕刊紙のゴシップ欄やセンセーショナルな記事にあたる。奇矯な事故や犯罪、スキャンダルや痴情の果ての惨事といった、人がついのぞき見したくなるような記事だ。
 親族やライバルの殺害、テロリストによる暗殺、見せしめの虐殺……。本書の冒頭に掲げられた1035年から1934年までの殺人リストは、全部で百数十項目。殺人が政治を動かしてきたという事実に、背筋が寒くなる。その一方で、「3分間でワインを4リットル飲み死亡」とか、食膳のグリーンピースを鼻に詰め猿轡(さるぐつわ)をかませて自殺した囚人の話とか、あきれるような事実が満載。これにはいやでも胸が躍り、騒ぐ。
 三面記事は時代を超えて同じ型を踏む。面白すぎる話のヴァリエーションににやりとしながら、他人の失敗を嗤(わら)うみずからの低き性(さが)を突きつけられもして、読者はふと我に返る。そういう意味ではちょっと意地悪な書でもある。
    ◇
 土屋和之訳、国書刊行会・3990円
    --「三面記事の歴史 [著]ロミ [評者]鷲田清一(大谷大学教授・哲学)」、『朝日新聞』2013年10月27日(日)付。

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日記:一国の命運を天皇に賭けることは民主主義の文化に反する


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 午後六時三十分三宮駅着、陛下みずから先導に立たれて皇太子を弁天浜御用邸に御案内になり、小憩の後、御用邸裏の桟橋に待たせたランチにお送りしたのである。
 すでに夕霧があたりに立籠めた桟橋に、ロシア皇太子の頭部の白い繃帯が、物々しく眼に映ったが、これに寄り添うように、ついて行かれる陛下の黒いお姿が、心もちうつむいて痛々しい限りであった。
 その時のことである。
 桟橋の上に立ちどまったロシア皇太子が、ポケットから煙草ケースを取り出されると、傍の陛下は、直ぐマッチを御自分のポケットから出されて、火を点じて皇太子の煙草に近づけ、お二人の顔が夕霧の中に赤く照らし出された。この影絵のようなお姿を排して、陛下のお心遣いのほどを察し、侍立していたお伴の人々の瞼は熱くなった。桟橋の彼方の沖合には七隻の露艦が夕闇の中に重々しく浮かんでいた。
 ロシア王室では遭難の原因が理解出来なかったので、とりあえず皇太子の安全を計るために、日本側の医者を辞退して軍艦に戻り、十九日には予定を切りあげてウラジオストックに帰るよう指示したのであった。先方の王室の意向は日本側には通知されなかったから、日本側は陛下を初めとして、皇太子一行の行動に肝を冷やして協議を重ねるばかりであった。軍艦は十九日出港との報があったので、日本側では御用邸に皇太子一行を招待して送別の宴を開きたいむねを軍艦へ申入れると、治療上の理由で謝絶され、そのかわりに、先方から十九日には陛下に来艦されたい旨の申出を受けた。招待の指名は天皇、北白川宮、有栖川宮のほか侍従長以下数名で、政府閣員としては青木外相一人であった。この招待を受けるべきかどうかについて閣議は沸騰した。十九日は露艦出港の日である、黒煙を上げている軍艦はそのまま天皇と皇族を人質として露西亜に連れ去るかも知れない。人質としないまでも、艦内でどんな辱しめを受け、どんな難題を持ちかけられて、脅迫をうけるか知れない……と各大臣の憂いは皆同じであった。如何なる国難が来ようとも、われわれ国民は断じて天皇を露艦に送ってはならぬと、意見の一致を見て、御辞退なさるよう奏上した。すると陛下は即座に強く退けられた。
 「お断りする理由はない。喜んで御招待に応ずる。私の一身を以て日本国の危急を救い得るなら満足である」
 一同は声を呑んで沈痛の顔を伏せた。すると、陛下は却って一同を慰め顔に言われた。
 「お前たちが心配するように、ロシアへ伴れてゆかれたら、その時は、お前たちが迎えに参ればよろしい、お断りするのは無礼である」
 こうして十九日が来た。午前九時御所を御発進、国の運命を賭けた行幸であった。沿道は不安顔の群衆で埋まっていた。
 石光真清『石光真清の手記1  城下の人』中公文庫、1978年、237-238頁。

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話題が山本太郎議員の天皇へのお手紙渡しの件で、罵声と怒号で喧々囂々なので、少しだけ書いておきます(twのまとめですが・汗

色々な考え方もあるし、もう相手にする必要のない議論(例えば「不敬」と評したり)が殆どなのだけど、誓願法まで持ち出されてしまうと、ホントやれやれというか、叩く人間がどこまで無恥なのか……ということにはあきれかえってしまう。

31日にも言及したけれども、山本太郎議員の問題とは、……意図はともかく(また意図還元主義ほどナンセンスなものはないけど)、天皇を「使用」することで民主主義の「文化」を自ら破壊してしまったという一点につきると思う。

辞職する必要は全くないと思うけど、民主主義の主体者が自らその枠組みを否定したことは残念な話だというだけだ。

山本太郎議員より、「天皇の政治利用」(山本議員は該当しないと思うけど)に関しては安倍晋三首相をはじめとする自民党のお歴々がより「利用主義者」だということは百も承知だけど、だからこそ、天皇が好き/嫌い・天皇制を支持する/しないに左右されないで物事を決めていくことが大事だと思う。

あらゆる信条に囚われず……といっても百%は無理なのですが、それでもヴェーバーのいう価値自由的な意味での認識の自覚を持った上で、物事をきめていく矜持が民主主義の文化なのではあるまいか。理想主義的に聞こえるかも知れないけれども、形式を尊重することは何より大切だ。

私は吉野作造研究が主になるけれども、吉野作造は、天皇制をスルーした“甘っちょろい”民本主義云々という批判が昔からあるけれども、吉野は天皇制に「依存」しないで正義と安寧を実現しようと試みた先駆者と評価している。ひとつひとつ積み上げることで「気にしない」で済む公共世界になると思う。

私自身は、山本太郎さんに先の選挙で一票を投じた人間ではないし、その危うさに危惧も覚える。しかし、それ以上に危うい論調が強くなる中では、形式論の立場から、問題を指摘した上で、当てこすりに対しては、擁護に回りたい。脱原発が分散するなかでは、彼自身がパフォーマティブに専念するのではなく、多様な流れの受け皿になってほしいと望むものである。

天皇に「国運」を賭ける時代ではないし、そういうメンタリティこそが民主主義を根柢から覆してしまう。ただそんだけよ、ってことなのにねえ。

いずれにしても湯浅さんの言葉に耳を傾けたい。


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ヒーロを待っていても、世界は変わらない。誰かを悪者に仕立て上げるだけでは、世界はよくならない。 ヒーローは私たち。なぜなら私たちが主権者だから。 私たちにできることはたくさんあります。それをやりましょう。
    --湯浅誠『ヒーローを待っていても世界は変わらない』朝日新聞出版、2012年、156頁。

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[http://www.asahi.com/articles/TKY201311010580.html:title]

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覚え書:「いまを生きるための政治学 [著]山口二郎 [評者]原真人」、『朝日新聞』2013年10月27日(日)付。


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いまを生きるための政治学 [著]山口二郎
[評者]原真人(本社編集委員)  [掲載]2013年10月27日   [ジャンル]政治 


■失敗ふまえ“新・政権交代論”

 著者は「生活が第一」のスローガンを提言し、4年前の政権交代に一役買った民主党のブレーンだ。理想の政治の実現を夢みた著者にとって、民主党の挫折は痛恨事だったろう。市民に政治へのあきらめ気分を広げてしまった罪は重い、と政権を総括する。
 ただ本書のテーマは失敗政権へのうらみ節でも、知恵袋としてのざんげでもない。蓄えた知識と思想をフル動員し失敗体験もふまえ、あせた政権交代論を刷新し、理想の政治論を再生することだ。
 政治状況の変化もそれを必要としている。第一に20年前に始まった政権交代可能な政党政治への歩みが振り出しに戻ってしまったことがある。自民党以外の勢力を何でもいいからかき集め、対抗勢力を作る路線はついに頓挫した。
 第二は民主党政権の失敗の反動で、政権安定と景気の回復だけを望む短絡的な民意が広がっていることだ。これが政治の矛盾を深めているという。その民意に乗る安倍政権はグローバリズムとナショナリズムという異質な土台に足場を置き、実は不安定だ。
 著者の主張は、理念や理想で結集する政党政治の基本に立ち返れ、といたってシンプルだ。ただその先が難しい。理想主義に走りすぎるな、というのだ。ベストを追うあまり微温的なものを排除していけば、往々にして最悪の結果を招き寄せてしまう。
 「2030年代に原発ゼロ」を打ち出したのに足元の再稼働を認めた野田政権。これを脱原発勢力が見放したのがいい例だ。その結果30年代ゼロ目標は安倍政権によって葬られてしまう。なかなか理想に近づけないまどろっこしさに耐えないと、本当に求めるものを失うこともある。
 目の前の政治を見放すのはたやすい。批判しつつも見守ることはずっと難しい。それでも私たちは、私たち自身のためにその努力を必要としている。そこに気づかせてくれる市民のための手引き書だ。
    ◇
 岩波現代全書・2205円/やまぐち・じろう 58年生まれ。北大教授(行政学・政治学)。『戦後政治の崩壊』など。
    --「いまを生きるための政治学 [著]山口二郎 [評者]原真人」、『朝日新聞』2013年10月27日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013102700006.html:title]


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覚え書:「島田清次郎―誰にも愛されなかった男 [著]風野春樹 [評者]荒俣宏(作家)」、『朝日新聞』2013年10月27日(日)付。

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島田清次郎―誰にも愛されなかった男 [著]風野春樹
[評者]荒俣宏(作家)  [掲載]2013年10月27日   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 

■「天才」は入院後も書き続けた

 大正時代は、スケールが大きすぎ話も赤裸々にすぎて胡散(うさん)くさく思われてしまう「天才」が多数輩出した、ある種の文化的黄金時代だったらしい。精神病院から詔勅を発した芦原将軍しかり。ロシア皇太子侍従の落とし胤(だね)としてロシア革命の修羅場を実際に体験した異色の混血作家・大泉黒石しかり。そして本書が描く島田清次郎の短い人生も、彼が残した小説に負けないほど超人的だった。
 島田清次郎は極貧の生活を送りながら、わずか20歳で刊行した自伝的小説『地上』が若い読者に支持され、大ベストセラー作家となった。本人がモデルの苦学生時代から始まる物語は、巻を重ねるに従い舞台を世界に広げ、全人類の幸福達成を妄想する「天才」の苦闘記へと発展する。その情熱に触れた女性も彼を崇拝せずにいられなくなるという身勝手きわまりない筋だが、著者によれば、中学生だった中原中也ら10代の読者の渇きを癒やす青春小説として迎えられ、清次郎のような「天才」になることが文学少年たちの目標になった。
 だが、この天才作家は、膨大な印税収入を投じて、H・G・ウェルズやゴールズワージーら世界的作家と会見する旅を敢行、本気で世界改造を論じだすのだ。故郷や学校の人脈も無遠慮にこき使い、結婚すれば妻に暴力を振るい、彼を無視する文壇とも敵対した。また自分の愛読者だった海軍少将令嬢を「誘拐監禁」し結婚を迫るに及んで逮捕・告訴され、ついに精神病院に入院となる。精神科医でもある著者が特段力を注ぐのは、彼の入院後の生活である。早発性痴呆(ちほう)(現在の統合失調症)と診断され抹殺状態に置かれた彼が、じつは死の直前まで著述をつづけ復活を期していた事実が新たに掘りだされる。愛されなかったかどうかを越えて、当時の青年に現実を突き破る妄想の力を示した「天才」の挫折伝として、これは読める。
    ◇
 本の雑誌社・2625円/かざの・はるき 69年生まれ。精神科医。書評家。専門は精神病理学、病跡学。
    --「島田清次郎―誰にも愛されなかった男 [著]風野春樹 [評者]荒俣宏(作家)」、『朝日新聞』2013年10月27日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013102700005.html:title]


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覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 『全員支え手』で発展模索=湯浅誠」、『毎日新聞』2013年10月30日(水)付。


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くらしの明日
私の社会保障論
「全員支え手」で発展模索
過疎と高齢化の町 脱「企業誘致」

湯浅誠 社会活動家

 四国にある人口1万人ちょっとの小さな町に、1万坪の空き地がある。企業誘致のために確保された町有地だ。条例でそう決められている。
 この町有地の一角を「借りたい」という人が現れた。地元で障害者向け事業を運営している事業体。カフェやパン工房、雑貨店などを展開して、町内の健常者、障害者の雇用を生み出している。
 町は県庁所在地から来るまで1時間半かかり、交通の便は良くない。しかし口上が建設されれば、町に固定資産税による収入や雇用をもたらすだろう。
 他方、障害者向け事業は、規模は大きくないが、現に地域に雇用を生み出している。わずか2~3年の間に急拡大したのは、地域にそれだけのニーズがあるからだ。利益を受けているのは障害者だけでない。地域の若者たちも、人にやさしい仕事にやりがいを感じて働いている。
 皆さんがその町の町議会議員だったら、どうするだろうか。条例を改定して貸し出しに賛成するか、いずれ来るかもしれない企業のために空き地のままにしておくか--。
 この事例は、私にはとても象徴的に思える。今から10年後、20年後に、自分たちがどのような町で暮らし、老いていきたいかという将来ビジョンに関わる話だからだ。とりわけ、高齢化と過疎化、人口減少の著しい地方の小さな町が何で生きていくか、という問いに関わる。
 日本における地域開発は、伝統的に公共事業と企業誘致の二本柱だった。しかし、バブル崩壊後の経済停滞をカバーすべく大盤振る舞いされた公共事業が巨大な財政赤字を残したことは、すでに広く知られている。今や地方自治体は、その維持管理に苦しんでいる。
 グローバル化の進展で企業誘致が難しくなっていることも、周知に賊するだろう。グローバル都市間競争で生き残りを図る一部の大都市を除けば、日本の隅々に続々と口上が進出していくことへの現実味は乏しいと言わざるを得ないのではないか。
 公共事業も企業誘致も「外」からやってくるものだった。だが、それが困難になる中で、改めて「内」からの、内在的発展の可能性が問われている。それは、地域の全員が何らかの形で「支え手」になり、活性化に後見する全員参加型の地域だろう。「地域力」とは、従来の「中央とのパイプの太さ」から、どんな人にも役割を提供できる「アイデアと実行力」に移りつつある。
 そのような事例が全国各地で積み重なってきていることに、私は新しい日本社会の展望を見いだしている。

ことば 企業誘致の難しさ
 国内の企業立地件数はそもそも低迷を続けている。経済産業省によると、2012年の工場立地件数は1229件で、ピーク時の約5分の1。人口減による国内需要の低下が見込まれる中、人件費の低い海外に生産拠点を移す企業の動きは今後も続くと予想される。
    --「くらしの明日 私の社会保障論 『全員支え手』で発展模索=湯浅誠」、『毎日新聞』2013年10月30日(水)付。

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覚え書:「スーパーマン―真実と正義、そして星条旗と共に生きた75年 [著]ラリー・タイ [評者]渡辺靖」、『朝日新聞』2013年10月27日(日)付。


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スーパーマン―真実と正義、そして星条旗と共に生きた75年 [著]ラリー・タイ
[評者]渡辺靖(慶応大学教授・文化人類学)  [掲載]2013年10月27日   [ジャンル]文芸 


■時代とともに変身、壮大な英雄の秘史

 不屈のアメリカン・ヒーロー、スーパーマン。ミッキーマウスと並ぶ米大衆文化の肖像が誕生したのは1938年。御年めでたく75歳を迎えた。
 原作者のシーゲルとシャスターはともに東欧出身の貧しいユダヤ系移民。勉強も女の子も苦手で、いつも不良の餌食になっては、空想の世界に逃避していた。
 シーゲルが18歳のとき、父親が強盗に殺害される。守護者を失ったシーゲルは自警団的正義に目覚め、「超人」の原型を生み出す。視力障害のある相棒シャスターが懸命にそれにイラストを付けた。
 200人以上の関係者に取材、未完の回想録から裁判記録まで渉猟しながら、著者は壮大なスーパーマン秘史を探り描く。
 「真実と正義と星条旗」というお馴染(なじ)みの標語はユダヤ教の口伝律法「ミシュナー」に酷似するという。惑星クリプトンの唯一の生き残りとして赤子のスーパーマンが米国に逃げてくる設定はホロコーストと重なる。
 ヒトラーからスターリン、人種差別結社、悪徳経営者、妻を虐げる夫まで容赦なく懲罰し、つねに弱者の味方に立ち続けてきたスーパーマン。時代の雰囲気を掴(つか)み取ることにも長(た)けていた。大恐慌後のニューディール政策を熱烈に支持し、冷戦末期には核兵器廃絶を独力で遂行しようとさえした。
 興味深いのは一昨年のコミックス版。スーパーマンは「国連で米国籍の破棄を表明する」と宣言する。イランの民主化デモを支援する自分の行動が「米政府の手先」と見られることに「うんざり」しての決断だった。米国内では激しい論争が巻き起こった。
 いみじくも昨今のシリア情勢をめぐり、オバマ大統領は「米国は世界の警察官ではない」と明言する一方、必要とあれば軍事介入を厭(いと)わない「例外的な存在」でもあるとも述べ、やはり国内で賛否の声が相次いだ。
 オバマ氏自身を含め、米国の自己認識が大きく揺らいでいる近年の状況をスーパーマンはとうにお見通しだったのか。
 グッズやメディアを通してスーパーマンは際限なく商品化され、キャラクターや物語設定も複雑化を極めた。原作者は130ドルで著作権を譲渡したことを生涯悔やみ、失意の晩年を過ごす。
 勧善懲悪の華やかな舞台の裏を襲った不条理な現実の数々に心がひたすら切なくなる。
 みなし子で、正体を明かさず、超人的な能力を備えた正義漢。スーパーマンを模したヒーローも世界各地で続々と誕生し、子どもたちを魅了していった。
 大衆文化論としても実に含意に富む力作。訳文や訳者あとがきも素晴らしい。
    ◇
 久美薫訳、現代書館・4200円/Larry Tye 元「ボストン・グローブ」記者。現在は、ボストンで医療報道の人材育成計画に参加。黒人の名投手サチェル・ペイジの評伝を著し、米でベストセラーになった。長年にわたるスーパーマン好き。
    --「スーパーマン―真実と正義、そして星条旗と共に生きた75年 [著]ラリー・タイ [評者]渡辺靖」、『朝日新聞』2013年10月27日(日)付。

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覚え書:「石原慎太郎を読んでみた [著]栗原裕一郎、豊崎由美 [評者]佐々木敦」、『朝日新聞』2013年10月27日(日)付。

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石原慎太郎を読んでみた [著]栗原裕一郎、豊崎由美
[評者]佐々木敦(批評家・早稲田大学教授)  [掲載]2013年10月27日   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 


■浮かび上がる小説家の肖像

 舌鋒鋭い書評家の豊崎由美と歯にきぬ着せぬ評論家の栗原裕一郎が、石原慎太郎の小説を片っ端から「読んでみた」本である。もとは月1回で1年間続いたトークイベントであり、後半では映画評論家の高鳥都と作家の中森明夫がゲストに迎えられている。
 確かに近年の石原慎太郎は、政治家としての顔が圧倒的に知られており、小説はいまだに芥川賞受賞作『太陽の季節』か、石原裕次郎を描いた『弟』ばかりが挙げられる。そこで2人は入手困難な作品も含め、次から次へと「石原慎太郎の小説」を読んでゆく。ルールとされたのは、「政治家・石原慎太郎」と「元芥川賞選考委員・石原慎太郎」をカッコに括(くく)るということ。あくまでも一人の作家として評価しようというのである。そしてその結果、おそらく両人とも事前には想定していなかった「小説家石原慎太郎」の肖像が、じわじわと浮かび上がってくるのだった。
 デビュー作「灰色の教室」から始まり、「『太陽の季節』は本当に芥川賞にふさわしかったのか?」、三島由紀夫との比較、知られざる長短編の数々、そして知る人ぞ知る傑作『わが人生の時の時』まで、毎回テーマを掲げて「メッタ斬り」してゆく様子は痛快であると同時に、2人の読み手の公平さと誠実さを窺(うかが)わせる。「一人の作家として評価」と述べたが、正確には作品ごとに評価がなされており、つまり是々非々ということだ。
 当たり前のことだが、埋もれた良作もあれば酷評されるものもあり、一編の小説においてさえ魅力と瑕疵(かし)が両方ある。ここで下される判断に異を唱える者もいるだろうが、2人とも自己の評価が絶対だとは思っていまい。だが確実に言えることは、本書を読んで「石原慎太郎の小説」を読みたくならない者はいないだろう、ということである。愛も尊敬も無関係な、これこそあるべき「文芸評論」の姿である。
    ◇
 原書房・1890円/くりはら・ゆういちろう 65年生まれ。評論家。とよざき・ゆみ 61年生まれ。ライター。
    --「石原慎太郎を読んでみた [著]栗原裕一郎、豊崎由美 [評者]佐々木敦」、『朝日新聞』2013年10月27日(日)付。

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覚え書:「みんなの広場 軽率な言葉遊び 歴史誤らせる」、『毎日新聞』2013年10月27日(日)付。

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みんなの広場
軽率な言葉遊び 歴史誤らせる
高校教員 58(山口県下関市)

 安倍晋三首相は「積極的平和主義」という表現を新たに造語したつもりでいる。そんなものがありえるのか。あるとすれば、「消極的平和主義」もあっていいはずだ。
 そもそも戦力の不保持をうたう憲法第9条こそ「消極的平和主義」の根幹であったのではないか。
 ところが、「消極的平和主義」は自衛隊の創設によって、戦力を持つ「積極的平和主義」にすでになっていたのである。
 安倍首相は、自衛隊を持つこと自体を「積極的平和主義」とは言わないだろう。個別的ではなく集団的自衛権を行使するために、自衛隊がアメリカ部隊の一部となることを「積極的平和主義」と言っているにすぎない。
 世界平和は、徹底した「消極的平和主義」によって実現するのか、それとも擬似的な「積極的平和主義」によって実現するのか。
 政治家は軽率な言葉遊びによって国家の行方を語ることが、歴史を誤ることになることを認識すべきだ。
    --「みんなの広場 軽率な言葉遊び 歴史誤らせる」、『毎日新聞』2013年10月27日(日)付。

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覚え書:「書評:忘却のしかた、記憶のしかた ジョン・W.ダワー 著」、『東京新聞』2013年10月27日(日)付。

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忘却のしかた、記憶のしかた ジョン・W.ダワー 著

2013年10月27日


◆戦時日本人の心情に迫る
[評者]成田龍一=日本女子大教授
 『敗北を抱きしめて』で、あざやかに占領下の日本を描きだした、アメリカの日本史家の歴史論集である。長短合わせて十一編の論文が収められるが、主として二十世紀の日本を対象とし、アジア・太平洋戦争や日本占領、原爆などを論じ、日本とアメリカとの関係、戦争と平和について考察する。
 このとき、ダワーの関心は、戦時の日本を逸脱とし、それを単純に裁断するのではない。戦時の「日本の体験」は、どの程度まで「より進んだ国々の行動を照らしだすのか」、また、後者の視点からみたとき、戦時日本がいかにみえるかを探求することにある。
 そのため、たとえば「日本人の受苦の聖像(イコン)」としての広島・長崎の原爆投下も、憤怒や悲惨・屈辱とともに、「科学と技術が欠如していた」という態度を生みだし、日本人は核戦争の恐怖と科学への「明るい見こみ」をもったと指摘するなど、考察は陰影に満ちている。現代史の多様性、複雑さが、存分に描きだされていく。
 ダワーは「日本のおこないを放免することなく、『日本問題』を理解するというジレンマ」を意識しながら、叙述をおこなう。ベトナム戦争からイラク占領までのアメリカの行為が視野にあり、「戦後のアメリカの侵略」と「戦前の日本の侵略」を重ね合わせるように考察する。そのため、ある章ではアメリカのイラク占領と、日本による「満州侵略」と「満州国の創設」が比較の素材とされている。むろん、戦争認識をめぐっての「日本特有の『愛されない能力』」も見逃されてはいない。歴史家としてのダワーの認識の深さが、いかんなく発揮された一冊である。
 大きな文脈と小さなものへのまなざし、国際関係の論理と人びとの心情への接近、学問理解と人道的な関心が、本書を貫いている。そして、複雑な関係を単純化せずに語るその文体は、深みを有している。日本語訳も、そうしたダワーの認識をみごとに現しており、歴史の余韻を感じさせる。
(外岡秀俊訳 岩波書店・3150円)
 John W.Dower 1938年生まれ。日本史家。著書『昭和』など。
◆もう1冊 
 丸山真男著『戦中と戦後の間』(みすず書房)。戦後の代表的政治学者が二つの特異な時代を反映する思想を読み解くエッセー集。
    --「書評:忘却のしかた、記憶のしかた ジョン・W.ダワー 著」、『東京新聞』2013年10月27日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013102702000171.html:title]


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覚え書:「書評:釜ケ崎語彙集1972─1973 寺島 珠雄 編著」、『東京新聞』2013年10月27日(日)付。

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釜ケ崎語彙集1972─1973 寺島 珠雄 編著

2013年10月27日


搾取される悲哀、怒り
[評者]正津勉=詩人
 良い本が出た。忘れてならないことは忘れるべきではない。一部が雑誌に発表されたまま未刊になっていた原稿が発掘され、四十年ぶりに日の目を見た。
 大阪・釜ケ崎、かつて「この街は日雇労働者二万人の活気であふれていた」。いくどか暴動もあった。本書は、同地区の歴史から、仕事、食住、行政、無縁仏の現状まで、「ドヤ(宿)」「アオカン(野宿)」「バンク(売血)」など地図・写真入りの全二百四十三項目にわたる釜ケ崎事典。寺島珠雄は二十世紀末に亡くなったアナキズム詩人。一九六六年から釜ケ崎に住んで、この街に根を下ろした住人らと親しく交わり、協力執筆者とともに書き継いだ底辺労働者による労働者のための渾身(こんしん)の釜ケ崎生活記録だ。
 当時、年末になると「ドヤ」がなく「アオカン」する者が一夜で五十人以上。「雨」なる項目では「傘なくて二十年間/霞町の立ちん坊/雨の降る日は柳を見る」という詩を、「石」では「われも石を投げ兼ぬる思い労働者を搾取して街の企業膨(ふ)くるる」という歌を引いて、底辺の悲哀と怒りにおよぶ。
 「釜ケ崎オンリー・イエスタデー」と帯にあるが、昔日でない、昨日のこと。いや違った。それこそ非正規労働者が二千万余人という格差と相対的貧困が広がる今日のこと。釜ケ崎化しつつある日本社会に向けた内なる抵抗と連帯の書だ。
 (新宿書房・3360円)
 てらしま・たまお 1925~99年。詩人。詩集『ぼうふらのうた』など。
◆もう1冊 
 塚田努著『だから山谷はやめられねえ』(幻冬舎アウトロー文庫)。東京・山谷での日々を描いたノンフィクション。
    --「書評:釜ケ崎語彙集1972─1973 寺島 珠雄 編著」、『東京新聞』2013年10月27日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013102702000169.html:title]


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