« 日記:智慧とは「人間をして、瞬間による支配から離脱せしめるもの」 | トップページ | 覚え書:「記者の目:特定秘密保護法施行の年=日下部聡(大阪社会部)」、『毎日新聞』2014年01月09日(木)付。 »

覚え書:「論点:戦争から考える2014年=山崎正和、加藤陽子」、『毎日新聞』2014年01月10日(金)付。

401_2

-----

論点:戦争から考える2014年
毎日新聞 2014年01月10日 東京朝刊

 今年は第一次世界大戦が始まってから100年。日露戦争、日清戦争からはそれぞれ110年、120年に当たる。戦乱に満ちた19世紀末-20世紀前半の歴史を踏まえ、21世紀の私たちは、世界の中でどのような道を歩むべきなのか。

 ◇反ナショナリズム貫け--山崎正和・劇作家、評論家

山崎正和さん=須賀川理撮影

 第一次世界大戦にはいくつかの文明史的な意味がある。まず西欧中心の世界が崩壊し、代わって米国が台頭した。米国はヨーロッパ諸国に多額の戦費を提供する一方で膨大な収入を獲得し、経済的に大国となるきっかけをつかんだ。同時に、植民地主義の時代が終わりに向かった。

 また、四つの帝国が終焉(しゅうえん)した。オーストリアのハプスブルク家、ドイツのホーエンツォレルン家、トルコのオスマン帝国、ロシアのロマノフ王朝だ。時を同じくして中国の清朝も崩壊した。帝国の壊滅は二つの正反対の趨勢(すうせい)を生み出した。一つはナショナリズムの興隆だ。異なる民族が平和的に共存できた帝国の枠組みが壊れ、ウィルソン米大統領が民族自決を唱えた(1918年)こともあって、ヨーロッパをはじめ戦後世界ではナショナリズムをイデオロギーに国家が再編された。最も顕著なのがナチスドイツであり、アジアでは軍国日本だった。

 もう一つの趨勢は、広義のグローバリズムだ。帝国の割拠が崩れ、世界はおのずから一つになる傾向を持った。米国中心の経済が生まれ、ニューヨーク株式市場の暴落に始まる29年の世界大恐慌も起こった。また、米国は参加しなかったが、国際連盟が成立し、第二次大戦後の国際連合の原形となった。西欧を中心に人権、民主主義といった価値観の統一も行われた。さらに第一次大戦を契機に石炭から石油へエネルギーが転換し、第二次大戦までの戦間期には大衆文化が花開いた。

 これに対し、第二次大戦では米国の優位が確立した。米国は世界の経済と政治に強い影響力を及ぼすようになり、グローバリズムの道義性、つまり人権と民主主義を訴えて世界をリードするようになる。それはナショナリズムを主張したナチスと日本という価値観の対立する敵との勝負を制したからだ。

 次に、冷戦という奇妙な時期が到来した。これはグローバリズムへ向かう歴史の歩みにブレーキをかけた時代だったといえる。なぜなら、世界が東西に分かれ、一方にソ連を中心とする共産主義の陣営があったためだ。世界中を共産主義にしようとした彼らはインターナショナルをスローガンにしたが、現実には一国社会主義を主張するナショナリズムだった。ソ連や中国などのナショナリズム諸国と、米国を中心とするグローバリズム勢力との戦いが冷戦だった。両陣営とも国内ではパイの拡大、すなわち経済規模を大きくして格差を埋めようとしたが、それが環境問題、資源問題を引き起こした。

 今は冷戦を含む三つの「戦争」の戦後といえるが、日本にとって喜ばしいことばかりではない。一つには、中国やロシア、インドなどでナショナリズムが再び台頭し始めている。しかし、理論的にいうとナショナリズムに将来はない。ナショナル(民族)の定義があいまいなために、必ず民族内部の少数の意識を呼び起こすからだ。二つ目に環境、資源問題がある。解決が難しいのは、二酸化炭素削減に見られるように国益が介在するからで、結局はナショナリズムが問題だ。三つ目に、今後の世界は科学技術を含む新しい文明を興し、知識基盤社会として生きる以外にない。そのためにはエリートの養成が不可欠だが、教育の平等を求める社会の大衆化や、電子媒体の普及に伴う情報の大衆化と矛盾する。

 では、日本はどう進むべきか。第一に、日本人は反ナショナリズムを貫く必要がある。私は日本のいわゆる「右傾化」すなわちナショナリズムをあおる動きに反対だし、ナショナリズムを打ち出そうとする外国にも自制を求めるべきだと考える。尖閣諸島で譲るわけにいかないのは、ナショナリズムのためではなく、日本の自由な人権と民主主義の国を守るためだと考えなくてはならない。

 第二に、知的・文化的な貢献をすることだ。これにはiPS細胞など科学の成果や「和食」の良さを広めることも含まれる。諸外国は今、日本文化に好意的な目を向けている。さらに良い姿を見せ、世界から恐れられる国ではなく、愛される国になるべきである。【聞き手・大井浩一】

 ◇歴史の「長い記憶」学べ--加藤陽子・東大大学院教授

加藤陽子・東大大学院教授=栗原俊雄撮影

 宮内庁編修の「昭和天皇実録」が完成し、今春から公開される見通しとなった。そこに書かれるはずの逸話の一つに、1946年8月14日、ポツダム宣言受諾から1年目の日、昭和天皇が当時の吉田茂首相や敗戦当時首相だった鈴木貫太郎らを招いた茶話会がある。侍従次長の記録によれば、天皇は大筋、こう述べたという。「戦争に負けたのはまことに申し訳ないが、日本が負けたのは今度だけではない。663年の白村江の戦いで唐と新羅の連合軍に敗れたが、その後の改革の努力もあり、日本の文化の発展の転機となった。よって今、『日本の進むべき道』も、おのずからわかると思う」と。

 この話から二つの示唆が得られよう。第一に、眼前の敗戦と1000年以上も前の敗戦を引き比べて考える「長い記憶」というべきものがあることだ。大日本帝国憲法で「統治権の総攬(そうらん)者」とされた天皇が身につけていた「長い記憶」の作法は、日本国憲法で主権者となった国民が継承すべきだった主権者の作法の一つなのではないか。

 第二に、「日本の進むべき道」について言えば、戦後の日本は、日本国憲法第9条が掲げる戦争放棄と、1960年の日米安保条約第2条が掲げる経済条項を抱き合わせ、平和国家の道を歩んできた。この戦略は、国際社会、特に、戦争の惨禍を最もこうむったアジアと日本が再び緊密な関係を結び、アジアからの信頼を得るのに役立った。

 では、「長い記憶」を身につけるにはどうすればよいのだろうか。まずは史実を押さえることが重要だ。1904年に起きた日露戦争を例にとれば、「日本は中国の旧満州地域をロシアから守るため、いわば中国のためにロシアと戦った」との、講談調の歴史解釈が今なお根強い。

 だが、実際の日露戦争は、安全保障上の懸念から朝鮮半島への排他的支配を図ろうとした日本と、それを認めぬロシアとの間で戦われた戦争だった。

 旧満州をめぐる言説が現れたのは、日露開戦にあたって日本側が、英米を味方につけるべく、「満州の門戸開放のための戦争」だと喧伝(けんでん)したことによる。さらに、31年の満州事変を機に国際連盟の場で弁明を迫られた日本側は、「数十万の生霊を失い、二十億の負債」を負って旧満州を守ったのは日本だとの論陣を張った。1904年の戦争の記憶が、31年の事件の都合によって上書きされた事実に目を向けたい。「満州問題」は、41年の太平洋戦争に先立つ日米交渉において、中国からの日本軍撤兵問題とともに、日米対立の主要な論点となったので重要だ。史実に向き合うことが、「長い記憶」を身につける王道だと言える。

 現代に話をふれば、自民党が選挙で勝利したことで「決められる政治」となり、特定秘密保護法も昨年12月初旬に短時間の審議で採決された。「民意を得た」自民党が決めたのだから、国民が同法を選んだことになるとの見方もあるが、本当にそうなのか。2012年の衆院選を見れば、自民党は小選挙区の得票率43%で、議席数の79%に当たる237議席を占有した。だが比例代表で見れば同党に投票した人の数は全有権者の16%だけなのだ。現状の自民党議席は、小選挙区制がもたらした「不自然な多数」と言え、「1票の格差」をめぐっては、全国で「違憲」や「違憲状態」の司法判断が相次いでいる。「史実に見えるもの」に対して疑念を持つ態度もまた、主権者である国民が「長い記憶」を身につける方途となろう。

 昨年末には安倍晋三首相の靖国神社参拝もあった。アジア安定の軸に平和国家日本がある意味は、米中2国にとって大きな利益となる。2国が警戒するのも故なしとしない。さらに、「史実を押さえる」という点でも問題だ。戦没者慰霊ならば、政教分離が問題となるような神社参拝ではなく、戦後の日本が中途で断念したままの、兵士の「死に場所」や「死に方」を明らかにし、遺族に伝えてゆく行為こそが本筋なのではないか。【聞き手・栗原俊雄】

==============

 ◇19世紀末-20世紀前半の世界と日本

1894~95 日清戦争で日本が勝利。台湾、澎湖(ほうこ)諸島などを割譲させる

1904~05 日露戦争。日本はロシアに韓国への指導や保護監督権を認めさせる

     10 韓国を併合

  14~19 第一次世界大戦。日本は日英同盟を理由に参戦。中国・山東半島のドイツ軍事基地・青島などを占領

     29 世界大恐慌

     37 日中戦争始まる

     39 欧州で第二次世界大戦勃発

     40 日独伊三国同盟締結

  41~45 太平洋戦争で日本が敗北。第二次世界大戦終結


 「論点」は金曜日掲載です。


==============

 ■人物略歴

 ◇やまざき・まさかず

 1934年生まれ。京都大大学院博士課程修了。関西大、大阪大教授、東亜大学長などを歴任。「大停滞の時代を超えて」など著書多数。

==============

 ■人物略歴

 ◇かとう・ようこ

 1960年生まれ。東大大学院人文社会系研究科教授(日本近現代史)。89年東大大学院博士課程修了。著書に「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」など。
    --「論点:戦争から考える2014年=山崎正和、加藤陽子」、『毎日新聞』2014年01月10日(金)付。

-----

[http://mainichi.jp/shimen/news/20140110ddm004070031000c.html:title]

302_2
303
304
Resize2034


|

« 日記:智慧とは「人間をして、瞬間による支配から離脱せしめるもの」 | トップページ | 覚え書:「記者の目:特定秘密保護法施行の年=日下部聡(大阪社会部)」、『毎日新聞』2014年01月09日(木)付。 »

覚え書」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/451663/54581274

この記事へのトラックバック一覧です: 覚え書:「論点:戦争から考える2014年=山崎正和、加藤陽子」、『毎日新聞』2014年01月10日(金)付。:

« 日記:智慧とは「人間をして、瞬間による支配から離脱せしめるもの」 | トップページ | 覚え書:「記者の目:特定秘密保護法施行の年=日下部聡(大阪社会部)」、『毎日新聞』2014年01月09日(木)付。 »