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2014年1月

覚え書:「暮らしの明日 私の社会保障論 原発事故にどう応える 都知事選の歴史的意義=湯浅誠」、『毎日新聞』2014年01月29日(水)付。


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暮らしの明日
私の社会保障論
原発事故にどう応える
都知事選の歴史的意義
湯浅誠 社会活動家

 人類史に残る東京電力福島第1原発事故以降、1000万人の有権者が1人を選出するという国内最大のメガ選挙で、初めて原発について審判が下る--。東京都知事選の歴史的意義を述べるとすればそのようになるだろう。
 一昨年の衆院選が最初の機会だったが、「脱原発」を主張する政党は複数に分かれ、当時の野党・自民党も「原発依存をなくす」と言い、違いは明確ではなかった。何より、アベノミクスが席巻し、最大の争点は景気だった。衆院選で原発について明確な民意が示されたと思った人は、あまりいないだろう。
 あれから13カ月。表面上の言いぶりは変わっていないものの、原発の再稼働、輸出、新増設について、安倍政権がどこに向かおうとしているのかは明確になった。
 猪瀬直樹前知事が辞職した時には、来るべき都知事選で原発の是非が争点になる気配は、まだなかった。だが「即時原発ゼロ」を掲げる候補者の登場で、状況は一変した。
 争点を設定する力とは、恐ろしいものだ。「脱原発」を主張することは誰もができるが、それをメガ選挙の争点に押し上げることは、誰にもできることではない。
 その上で、私たちは福島第1原発事故という人類史的事件の大きさを、改めて思い知る。一時的に争点から回避できたとしても、そのまま無数の出来事の中に埋没してしまうことなく、きちんと扱われることを求める熱が、何かの拍子に噴出する。その底力、持続力は、一過性の事件では持ち得ない事案の重大性ゆえの「力」だろう。
 人々の「応答」を求めるこの事件の力に、今回、東京都民はどう応えるのだろうか。先の衆院選の際には、有権者は「過去最低の投票率」という形で応えた。人類史的事件の後の最初の国政選挙に過去最低の投票率で応えた、という事実は、後世の歴史家を混乱させ、日本人に対する「不可解さ」の念を強めるだろう。今回の都知事選の投票率は、それを挽回するものであってほしい。
 私はよく思う。低い投票率で自分の意向と同じ結論が出た場合と、高い投票率で自分の意向と異なる結論が出た場合のどちらがうれしく、また悲しいだろうか、と。少なくとも、自分の意向と同じ結論が出れば、どれだけ投票率が低くてもうれしいとは言い切れない自分がいる。
 埼玉県民の私に、今回の選挙で投じる1票は、残念ながらない。しかし、だからこそ、東京都民の皆さんには、事件からの「呼びかけ」に応えてもらいたい。それは、被災者の皆さんも、亡くなられた皆さんも、同じ気持ちではないだろうか。
 東京都民の健闘を祈る。
ことば 東京都知事選 今回は16人が立候補。細川護熙氏と宇都宮健児氏が「脱原発」を掲げる。舛添要一氏と家入一真氏は「脱原発依存を進める」、ドクター・中松氏は「新エネルギーの開発」を訴える。田母神俊雄氏は再稼働容認の立場だ。投開票は2月9日。
    --「暮らしの明日 私の社会保障論 原発事故にどう応える 都知事選の歴史的意義=湯浅誠」、『毎日新聞』2014年01月29日(水)付。

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覚え書:「書評:私の文学遍歴 秋山 駿 著」、『東京新聞』2014年01月26日(日)付。


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私の文学遍歴 秋山 駿 著  

2014年1月26日


◆人の内面を深く探る批評
[評者]富岡幸一郎=文芸評論家
 昨年十月二日夜半、秋山駿は八十三歳で逝去した。これは雑誌「二十一世紀文学」などに掲載され、作家の岳真也の取材に応えた語りをまとめた本であり遺作となった。十五歳で敗戦をむかえ、中原中也の詩や小林秀雄の批評にふれた若き日から文芸評論家としての歩みを始めてゆく日々、そして同時代作家との交友や、自らの死を意識した最晩年の声が生き生きとよみがえってくる。まさに文学的自叙伝であり、同時に戦後の時代史となっている。
 『内部の人間』を出発点とする秋山駿の批評は、「私とは何か」という抽象的な思索を基軸に展開されたが、六十六歳の時に刊行した『信長』はこの批評家の新たな領域を拓(ひら)いた。路上の石のような平凡で無用なもの、誰もが通り過ぎてしまう小さな存在を凝視し、そこから独自な文学的エッセイによる存在論というべきものを確立した秋山は、『信長』によって非凡な天才の孤独に迫り、歴史という軸による人間論、日本人論を試みた。
 それは小説家による人物論にはない、また時代小説などの英雄像では肉迫(にくはく)できない、人間の内面を深く掘りさげる秋山駿の批評の刃によって初めて可能となった。抽象と具体、内面と外界、時間と空間、思索と行動という二つの極を結ぶ、その批評の言葉の強さは比類ないものであった。小林秀雄が文芸批評を芸術の領域まで高めたとすれば、秋山駿は批評を日本語による哲学へと敷衍(ふえん)したといってよい。
 本書の最後の語り下ろしは、死を前にしての文字通りの遺言となった。「『死』が親しくなったなら怖いはずがないじゃないか。そう一またぎ、わずかな溝を一またぎだよ」と語る。学生時代から三十有余年、秋山氏に親しくして頂いた者として、点滴も鎮痛剤も拒否され死と対峙(たいじ)された最期の日々を想(おも)う。十月六日の通夜の氏の顔は、サント・ブーヴのいう一切を喰(く)らい尽くす苛烈な夏のような批評の仕事を終えられた、安らかな表情をされていた。
(作品社・1890円)
 あきやま・しゅん 1930~2013年。文芸評論家。著書『私小説という人生』など。
◆もう1冊 
 秋山駿著『「生」の日ばかり』(講談社)。最晩年の著者が自身や妻の病苦などに向き合いながら、存在の意味を考えるエッセー集。
    --「書評:私の文学遍歴 秋山 駿 著」、『東京新聞』2014年01月26日(日)付。

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私の文学遍歴
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覚え書:「書評:忠臣蔵まで「喧嘩」から見た日本人  野口 武彦 著」、『東京新聞』2014年01月26日(日)付。


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忠臣蔵まで「喧嘩」から見た日本人  野口 武彦 著 

2014年1月26日


◆諍いの文化の源流たどる
[評者]伊東潤=作家
 元禄時代は、天下泰平の気運(きうん)が精神的にも物質的にも日本の隅々まで行き渡った時代だった。そんな時代に、忠臣蔵で有名な赤穂事件は起こる。本書では赤穂事件の源流を探ると同時に、浅野内匠頭の心理状態を病理学的に解明。なぜ刃傷沙汰に及んだかを分析し、さらに大石内蔵助らの行動が、自力救済という武士の根源的感情に基づいたものであることを解き明かす。
 著者は文中、「このエッセイは『忠臣蔵まで』という表題どおり、日本人の法感情の源泉にひそむ正義感の伏流の水脈をたどるが、その山場(やまば)として赤穂事件に行き着くことをめざしている」と記している。文字通り、その博覧強記ぶりを発揮し、さまざまな歴史的事件を引用し、日本人の文化の一つである喧嘩(けんか)を分析している。
 前半は喧嘩の歴史を掘り下げ、さまざまな文献から喧嘩に関することを抽出する。そこからは、日本人は闘争心旺盛だから喧嘩をするのではなく、「男がすたる」から喧嘩をするということが分かってくる。それゆえ武士は、些細(ささい)なことから諍(いさか)いや争い事を起こし、その中から喧嘩両成敗という概念も生まれてくる。
 それでも理非は存在するので、喧嘩という自力救済の手段から裁判制度の確立へ、実力による武断統治から、強力な中央法権力による支配(法治国家)への道が開かれていくことになる。
 中盤では、川中島合戦を例に取り、武田信玄が領土拡張のための合戦をしているのとは異なり、上杉謙信は喧嘩をしていると喝破する。長篠合戦の項では、戦いを好む、つまり喧嘩的発想の武田勝頼を、物量の投入によって冷静に破った織田信長の近代的発想を評価している。さらに、忠臣蔵の一方の主役である徳川綱吉についての考察が、実に秀逸である。
 こうした話をつづりながら、最後に赤穂事件に行き着く。日本文化の源流の一つである喧嘩を、さまざまな角度から探ろうとした好著である。
(講談社・2310円)
 のぐち・たけひこ 1937年生まれ。文芸評論家。著書『幕末気分』など。
◆もう1冊 
 清水克行著『喧嘩両成敗の誕生』(講談社選書メチエ)。報復や刃傷ざたが日常だった中世に誕生した奇妙な折衷法をめぐるドラマ。
    --「書評:忠臣蔵まで「喧嘩」から見た日本人  野口 武彦 著」、『東京新聞』2014年01月26日(日)付。

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覚え書:「書評:友 臼井吉見と古田晁と 柏原 成光 著」、『東京新聞』2014年01月26日(日)付。

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友 臼井吉見と古田晁と 柏原 成光 著

2014年1月26日


◆全集当たり起死回生
[評者]森彰英=ジャーナリスト
 価値ある本を出し続けてきた筑摩書房の創業者とその協力者の評伝である。半世紀余り前の知的エリートの物語でありながら、今も心を揺さぶられるベンチャービジネス戦記として読んだ。
 二十世紀の初頭、信州に生まれた二人は中学の同期生で共に東大を卒業。古田晁は父親から貰(もら)った当時破格の十万円で出版社を設立。戦時色が濃くなる中でポオル・ヴァレリイ全集や永井荷風の小説を出版する逆張り商法をつらぬく。特に太宰治の才能を愛して彼が衝撃的な死を遂げるまで寄り添ったが、鎮魂の意味をこめて出版した全集がドル箱となった。
 戦前は教職のかたわらコンテンツ作りに外部から協力していた臼井吉見は、戦後いち早く創刊した雑誌「展望」の編集長として斬新な企画を次々と実現するとともに自らも筆を執り、評論家としての地位を固めた。だが経営は危機に瀕(ひん)し、古田が高利の手形の決済に追われていた時、臼井が出した「現代日本文学全集」の大企画が起死回生のヒットとなった。
 このような記述が続く本書はむしろIT世代に読まれるのではないか。そう評者が思うのは、近ごろ出版業界に限らず働き盛りの世代が、ネットや携帯電話がなかった時代にどのようにして熱い人間関係を保ち、どんな酒の飲み方をしたかについて盛んに話を聞きたがるからである。その答えが本の中に詰まっている。
(紅書房 ・ 2100円)
 かしわばら・しげみつ 1939年生まれ。筑摩書房の元編集者で、社長も務めた。
◆もう1冊 
 塩澤実信著『戦後出版史』(小田光雄編・論創社)。戦後の雑誌やベストセラー、作家と編集者らの群像を描く。
    --「書評:友 臼井吉見と古田晁と 柏原 成光 著」、『東京新聞』2014年01月26日(日)付。

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友 臼井吉見と古田晁と―出版に情熱を燃やした生涯
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書評:エドウィージ・ダンティカ(佐川愛子訳)『地震以前の私たち、地震以後の私たち それぞれの記憶よ、語れ』作品社、2013年。


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 危険を冒して創作する、危険を冒して読む人びとのために。これが、作家であることの意味だと私が常々思ってきたことだ。自分の言葉がたとえどんなに取るに足らないものに思えても、いつか、どこかで、だれかが命を賭けて読んでくれるかもしれないと頭のどこかで信じて、書くこと。私の祖国と私の歴史--私は人生の最初の十二年をパパ・ドックとその息子ジャン・クロードの独裁の下で生きた--から、私はこれを、すべての作家たちを一つに結びつける行動原理だとずっと考えてきた。
    --エドウィージ・ダンティカ(佐川愛子訳)『地震以前の私たち、地震以後の私たち それぞれの記憶よ、語れ』作品社、2013年、22頁。

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エドウィージ・ダンティカ『地震以前の私たち、地震以後の私たち それぞれの記憶よ、語れ』作品社、読了。本書はハイチ出身の在米女流作家の現代批評風エッセイ。原題は Creare Dangerously ハイチ公用語はフランス語。異邦の作家カミュの著作に由来する。  

ハイチの独立は1804年。合衆国独立に次ぐものでラテンアメリカでは初めてで「世界初の黒人による共和制国家」であるとは知っていた。しかし中身を何も知らなかった。著者の“危険を承知で書き続ける”ことの意義に圧倒されてしまう。

独立から二百年、ハイチ人はハイチ人の文学を読むことができないままでった。著者は12歳でアメリカに渡るが、それまだ読んだのはフランス文学ばかり(しかしそれが反権力への烽火ともなる)。ハイチ人の言葉に触れたのは移民先でのことだ。

「危険を冒して創作する、危険を冒して読む人びとのために。これが作家であることの意味だと私が常々思ってきたことだ。……いつか、どこかで、誰かが命をかけて読んでくれるかもしれないと頭のどこかで信じて書くこと」。

ハイチは史上最初の黒人共和制国家でありながら、それは干渉と独裁、それにともなう貧困の歴史であった。著者は何の為に書くのか。それは人間を無効化するマモンとそれが巣くう自身に抗うためにクリエイトするのだ。

トントンマクートが如き嵐は過ぎ去ったかかも知れない。しかし「とても悲惨な時代」は今も続いている。印象的なのは、彼女の位置の不在だ。「あなたの祖国は?」と聞かれるとアメリカでは「ハイチ」であり、ハイチでは「アメリカ」だ。

政治とは何なのだろうか。飴と鞭といってしまえば簡単すぎるが、これほど人間を馬鹿にした所作はない。しかし人間はその中で生きざるを得ない。そしてそれに対する気づきを文学が豊穣に持つ。その可能性を啓くおそるべき一冊、瞠目せよ。

たまたま図書館の新書コーナーで何気なく手に取った一冊だったけど、ぶったまげた。特定のイデオロギーに対するイエスかノーで何かが決することは否定しないけれども、それからもれるもの、そしてそれを代弁することで構造を温存させること。それこそ人間を無効化させてしまう。本源的反抗は文学からだ!

[http://www.sakuhinsha.com/oversea/24500.html:title]

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地震以前の私たち、地震以後の私たち――それぞれの記憶よ、語れ
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覚え書:「今週の本棚:辻原登・評 『露出せよ、と現代文明は言う』=立木康介・著」、『毎日新聞』2014年01月26日(日)付。


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今週の本棚:辻原登・評 『露出せよ、と現代文明は言う』=立木康介・著
毎日新聞 2014年01月26日 東京朝刊

 (河出書房新社・2520円)

 ◇現代にあらがう「心の闇」への崇高な冒険

 DVDで小津の「東京物語」や黒澤の「七人の侍」、ヒチコックの「疑惑の影」をみる。おかしい、どこか違う。フィルムの光と影の戯れが消えている。尾道港の突堤に映る灯籠(とうろう)の影はもはや影ではない。侍を濡(ぬ)らす土砂降りの雨はもう雨ではない。CDでベートーヴェンの「五番」を聴く。何という鮮明さか! それはもう音楽ではない。映画からも音楽からも、いまや曖昧な部分とノイズはカットされる。

 この本は、人間の「こころ」について真摯(しんし)に粘り強く語ろうとする少壮・気鋭の精神分析家の手になるもので、端的に言えば、「こころ」のDVD化、CD化への警鐘に他ならない。この四半世紀で猛烈な勢いで進行しているのは、「エビデンス(科学的証拠)の光」が及ばない領域、つまりわれわれの「こころ」からの闇の部分・無意識のカットである。

 「こころ」は意識と無意識の領野をあわせ持つ。意識は「こころ」のいわば海面に露出した氷山の一角に過ぎず、無意識は海中に没している。無意識の広大な領野は古来、神々の領域だった。われわれは祈りによってこれを神々に預けてきた。近代人は神々を追放して、おっかなびっくりではあったが、無意識の領野も自分が支配できるものとした。それを内面と名付け、個の中に秘め隠してきた。秘密だからこそ告白も懺悔(ざんげ)も有効だったし、一篇の小説ともなった。

 フロイトによれば、無意識は抑圧されたもの(、、、、、、、)である。しかし、おそらくここには遺伝や歴史・伝統といった共同体の記憶も含まれるだろう。

 著者は、一九八〇年代終わりに起きた宮崎勤の事件、一九九七年の「酒鬼薔薇(さかきばら)」事件、二〇〇八年の秋葉原事件を取り上げる。マスメディアは彼らの「心の闇」の解明を求め、まるでそれによって犯罪予防の効果があるかのようにふるまう。

 「サカキバラと名乗った少年の問題はどこにあったのだろうか--「心の闇」が存在していることにではなく、それがむしろ存在していない(、、、、、、、)ことにでなかったとしたら。(略)少年は、残念ながら、心の闇をつくり損なったのだ」

 心の闇をつくるのは抑圧(、、)である。「子供がひとりの主体になるのは抑圧を通じてだ」。大人だってそうだ。大体、ものを考えるということ自体が抑圧(、、)という心的作業ではないだろうか。しかし、いまや抑圧(、、)は邪魔物として排除され、資本と科学テクノロジーの光によって暗がりから明るみへともたらされ、もたらされたものはカネに換算される。

 人間は生物学的身体とエロース的身体の二つの身体により成り立つ。エロース的身体は抑圧によって形成される。フロイトは抑圧の中心に性欲を据えたが、それに限らないだろう。獣性、憎悪……、さまざまなものを抑圧することで「身体は人間化される」。著者は、精神(心)はエロース的身体(セクシュアリティ)にこそ宿る、と述べる。笑いや怒りといった情動、感情表現もエロース的身体から生まれる。中心にあるのは言語だ。

 抑圧機能の役割を担う「父なるもの」の撤退。アメリカを中心とする現代精神医療は、その診断マニュアル「DSM」から「無意識」を追放した。薬で治せる。

 パソコン、スマートフォンのどこに「心の闇」があるだろう。どこに私の記憶(、、、、)があるだろう。しかし、われわれはもうその中でしかものを考えられないのである。鮮やかなタペストリーがどれほどの分厚い裏地(無意識)に支えられているかなど、もはや誰も顧みない。

 精神分析のたいまつを掲げつづけることは、いまやドン・キホーテ的崇高な冒険を意味する。
    --「今週の本棚:辻原登・評 『露出せよ、と現代文明は言う』=立木康介・著」、『毎日新聞』2014年01月26日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140126ddm015070025000c.html:title]


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露出せよ、と現代文明は言う: 「心の闇」の喪失と精神分析
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覚え書:「今週の本棚・この3冊:人生=山田太一・選」、『毎日新聞』2014年01月26日(日)付。

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今週の本棚・この3冊:人生=山田太一・選
毎日新聞 2014年01月26日 東京朝刊

 <1>オリーヴ・キタリッジの生活(エリザベス・ストラウト著、小川高義訳/ハヤカワepi文庫/987円)

 <2>老残/死に近く 川崎長太郎老境小説集(川崎長太郎著/講談社文芸文庫/1470円)

 <3>生きる。死ぬ。(玄侑宗久、土橋重隆著/ディスカヴァー・トゥエンティワン/1575円)

 <1>アメリカ東部の小さな町の物語。13の短篇。しかし表題のオリーヴがいつも作品の中心にいるわけではない。出て来ない短篇もある。同じころ同じ町にオリーヴも生きていたということがばらばらな話をつなぎとめている。オリーヴはやがて老いてくるが、はじめは中年女で「骨太な大柄で頭一つ抜け出して背が高く」夫によれば「ひとに謝ったことがないやつ」である。無論夫にもだ。その夫ヘンリーは「ほどほどに暮す者が強いのだ」という穏やかな男で、よくまあそんな二人が別れずに生きているなあと思うほどだが続いている。ヘンリーがいつになく燃えて終って離れるや「ふーう」とオリーヴは溜息(ためいき)をつく。そんな細かな食い違いを作者は説明ぬきで書く。それが町の人たちのさまざまな物語にも及ぶので、全部を読み終えると実に多くの人生の細かな現実に接したような感慨がある。とりわけ「薬局」という作品がすばらしい。

 <2>これは二人だけの物語である。私小説である。六十一歳の小説家が三十一歳の女性と結婚をする経緯をたぶん事実に近く描いている。老人ももっと頑張って可能性を、というような話ではない。孤独な二人がそれぞれの切実さで身を寄せ合ってしまったのである。その人生をこう読めというような名付けを潔癖に排して語っているので、私も余計なおしゃべりはひかえたい。登場人物は二人だけだけれど、読みようによっては広くも深くも人生を語っていると思う。夫人は作家の八十三の死までを見送った。

 <3>対談である。他でも近いことは耳にしていたが、ガンはその人の性格や歴史や生き方に対応して肺に来たり胃に来たり大腸に来たりするというのである。肉体の敵だから心は関係がない、やっつければいいのだというものではない、ガンも身の内の変化だからそこにはきっと増殖してしまった根拠があるはずだ、必要な変化かもしれない、治そうとしない人が良くなってしまうこともある、治らないまでも、その人の生きる姿勢を根本から変える力があるかもしれないと土橋さんがきり出し、玄侑さんが待ってましたというように受けて「心がつくるガンは心で治せる」とガンがいかに概念にとり囲まれて、その具体性に向き合えていないかを説いて行く。それが宗教についての楽しい蘊蓄(うんちく)にひろがり、日本文化の二重性「不二」の思想に通じて行く、といってもなんのことか分からないでしょうが、とても面白い本でした。
    --「今週の本棚・この3冊:人生=山田太一・選」、『毎日新聞』2014年01月26日(日)付。

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覚え書:「風知草:思考停止から抜け出せ=山田孝男」、『毎日新聞』2014年01月27日(月)付。


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風知草:思考停止から抜け出せ=山田孝男
毎日新聞 2014年01月27日 東京朝刊

 「原発ゼロ」は東京都知事選(2月9日)の争点にふさわしいか--。

 世論は歩み寄りの余地がないほど割れているが、先週末、近所の映画館で遅ればせながら見た映画「ハンナ・アーレント」(2012年)が重要な視点を提供していると思った。

 哲学者、アーレント(1906-75)の、人間がなす悪についての考察が、原発と東京の有権者の責任という問題につながる--と思われたのである。

 アーレントはドイツ系ユダヤ人女性だ。ナチスに追われ、アメリカへ亡命。第二次大戦後、ユダヤ人虐殺に深く関わったナチス親衛隊中佐、アドルフ・アイヒマン(1906-62)の裁判を傍聴した。

 アーレントは、アイヒマンを「どこにでもいる平凡な人物」と見た。戦時下では誰でもアイヒマンになり得たのであり、イスラエルの法廷で被告席に座っていたのは人類全体だとも言える--と米誌「ニューヨーカー」で論じた。

 これが激しい議論を呼んだ。アイヒマンは冷酷、残忍、狂気の極悪人--という、戦後の支配的な歴史認識を侵したからだ。

 アイヒマンの証言。

 「私は命令に従ったまでです。殺害するか否かは命令次第でした。事務的に処理したんです。私は一端を担ったにすぎません」

 「戦時中の混乱期でしたから、『上に逆らったって状況は変わらない、抵抗したところで成功しない』とみんな思っていた。しかたがなかったんです。そういう時代でした……」

 アーレントの断定。

 「世界最大の悪(600万人以上とされる20世紀のユダヤ人虐殺)は平凡な人間が行う悪なのです。そんな人には動機もなく、信念も邪心も、悪魔的な意図もない。人間であることを拒絶した者なのです」

 戦時のホロコースト(大虐殺)と平時の原発事故に何の関係がある--といぶかる向きもあろうが、似た側面があると思う。

 思考停止のまま、未完の巨大技術への依存を続ければ、時に途方もない惨害を招く。福島の原発事故を見よ。直接被ばくによる死者こそ出なかったものの、故郷を追われた避難民は約14万人にのぼる。

 そういう中での都知事選である。なるほど、エネルギーの選択は国策には違いない。だが、難しいことは国が決める、専門家が決める、上司が決める、オレは知らん、自分さえ無事なら後は野となれ山となれ、という構えでよいか。

 現実の戦争だろうと、経済戦争だろうと、巨大なプロセスに巻き込まれるうちにモラルが見失われ、人を人とも思わぬ判断が繰り返されることがある。

 アーレントは、ナチスに協力し、収容所への同胞の輸送に手を貸したユダヤ人指導者の責任も問うた。彼らは非力だったが、自ら虚心に考えれば、抵抗と協力の中間に別の道があったはずだ--と論じた。

 東京都は電力の最大の消費地だが、原発はない。核廃棄物の最終処分場は存在せず、計画もない。

 悪いのは東京電力だ、原子力ムラだ、政府だ--とうそぶき、福島の14万避難民の苦難など眼中にない東京であってよいか。

 アーレントは米誌への寄稿「エルサレムのアイヒマン/悪の陳腐さについての報告」の最後でこう言っている。被告には殺意も憎悪もなかったにせよ、絞首に値する。なぜなら「政治においては服従と支持は同じもの」だから……。

 都知事選に限らず選挙に臨む有権者が胸に刻むべき言葉ではないか。(敬称略)(毎週月曜日に掲載)
    --「風知草:思考停止から抜け出せ=山田孝男」、『毎日新聞』2014年01月27日(月)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140127ddm003070078000c.html:title]


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イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告
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日記:民本主義のアクチュアリティ


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 すなわち、大逆事件以来、「我国でアナーキズムと云へば直ちに飛んでもない大それた事を計画する反逆人のやうに思ひ做さるるを常とする」が、そういう「破壊の為に破壊を事とする」ような「消極的アナーキズム」以来に「積極的アナーキズム」といえるものがある。それは「現存するものの破壊」を言いながらも、他方で「遠い将来に於て我々の到達すべき社会的理想」を示す点、むしろ大いに「積極的建設的性格」をもったものと評価さるべきであって、なかんずくそれが「純然たる思想問題として」あらわれるばあい、「今日では格別実際上の危険を伴はない」ものとせねばならないのである。荘子の「倫理的アナーキズム」における「理想世界に対する憧憬」などもその一つの例証である。
    --吉野作造「東洋に於けるアナーキズム」、『国家学会雑誌』34巻3号、1920年。

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吉野作造のデモクラシー論に対する批判のほとんどは、その同時代であれ、後世からのであれ、吉野自身が「主権の所在」を問わなかったことに向けられている。

民本主義を大胆に論じた二つの憲政論は、「実質」民主主義を論じたマニフェストといってよい提言だが、両論とも「明治憲法」すなわち主権の所在が天皇に位置することは所与の前提とされている。そこをスルーすることで、民福増進を図るという戦略ともいえようが、やはりここに批判の矛先は集中する。

復古勢力がじわりじわりと力をつけるのと同時に民本主義の議論に「陳腐さ」を感じるようになった論壇は、吉野の議論を「古くさい」と退け、知識人はより急進的アプローチを求めることになった。その一つの代案が、ロシア革命の成功に代表されるボルシェビズムの登場であり、ひとびとはそちらに注目するようになった。

僕は別段、デモクラシーとマルクス主義を対照化させてその価値判断を論じるつもりは毛頭ないが、様々な潮流を含んだ左派思想は、主権の所在を天皇から「取り戻し」、社会変革のアプローチを示唆する意味では、吉野の民本主義を「乗り超える」ものとして注目されることになったことは否定できない。

しかし、「主権の所在」を問わなかった吉野の議論は、そのままうち捨てられてよいのだろうか。

確かに「主権の所在」を問わないで進めることには不安材料がつきまとう。いつ巻き返しが起こるか分からないし、現に歴史はそちらへ梶を切った。しかし、天皇親政として機能しようが象徴として退けられようが、体制に関する議論は、天皇制に関する議論ばかりとなってしまい、現実の民福増進が二の次となってしまう。だとすれば、天皇を完全に「無視」することで体制内変革を目指そうと積極的に評価することも可能であろう。

それが保守であれ、核心であれ、大日本帝国憲法下における「天皇」を軸足にした議論は、守旧を利し、革新の敵になろうとも現実の生活者から乖離せざるを得ない。いわば、サバルタンを拡大再生産する議論でしかない。吉野はひとの話をよく聞く人であったという。イデオロギー論争よりそこを重視したのだ。

天皇に「依存」しない共同体の合意形成、そしてその内実の充実。内実の充実はその中国・朝鮮論に見られるとおり、「内に立憲主義、外に帝国主義」とはほど遠い漸進主義的連帯性をひめた議論でもある。精緻な論争自体を吉野は否定しない。しかし「何のため」という原点を喪失した知的遊戯は丹念に退ける。

天皇をプロしようともアンチしようとも、それに「依存」した議論というのは、結局のところ、どこまでも(吉野作造が民本主義でその目的とした)「民福の充実」と平行することはないのは今も昔も変わらない。ならば一層のこと、天皇に「依存」しない合意形成(=秘密主義の排除)の方が現実的ではないか。


吉野作造はもともと愛国少年だったが、長ずるにつれそれを相対化させゆく人生であった。その歩みを振り返れば、天皇制が諸悪の根源になっていることに不見識であった訳はない。大事なことは、それがある/ないの二項対立ではなく、それを不要とする市民社会の構想にあったのではないか。


浪人会が、民本主義は反天皇ゴルァといえば、そのテロル的な市民への一方的なリンチは天皇の許可をとってその赤子に狼藉をはたらくのですか、と誰何し、朝鮮半島の植民地支配の不合理に対しては、文明の兄(兄が日本という当時の議論にあえてのるw)がやるべき振る舞いではないですよねぇ、としなやかに応答する。

吉野自身、規範論に生成への意志が強くなかったが、それは同時に現実的変革提言の充実として機能した。民本主義退潮後マルクス主義隆盛後も、その論調は一貫して変わらない。しかも森戸事件以降は、非暴力の「理想主義的アナーキスト」を自認する。そしてその形成は、国家とは異なるコミュニティの社会を想定するものへとなってくる(同時代人で、共同体を国家のみに限定することで自由であった論者はほとんど存在しない)。

天皇はおろか、国家に依存しない共同体における自生的自助共助こそ目指すべき民主主義の内実なのではないか。

誰もが疎外された人の声を代弁することで、かえって疎外されている構造自体を結果的に温存させていく負荷を、吉野作造は知悉していた。それが規範論形成への醒めた眼差しとなり、「聞くひと」へと吉野を誘い、無効化させる戦略を優先させたのではあるまいか。

現実に戦後になって主権は天皇から市民へ移行した。しかし天皇に依存する議論はあとを立たない。その意味では吉野作造の議論は、それをも先取りするものであろう。

瑕疵を指摘することはたやすい。しかしそれだけに収まりきらない射程を秘めているのが吉野作造の議論であり、民本主義のアクチュアリティはおそらくここに存在する。

さて、1878年の今日1月29日は吉野作造の誕生日である。

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覚え書:「みんなの広場 頭をよぎった大本営発表」、「みんなの広場 特攻、その非人間性に怒り」、『毎日新聞』2014年01月26日(日)付。


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みんなの広場
頭をよぎった大本営発表
元理髪業・88(山口県宇部市)

 終戦の時二十歳でした。玉音放送をラジオで聞いた時、戦争に負けたことより、解放感の方を強く感じました。戦争は勝つと信じていました。ラジオ放送の「大本営発表」で日本軍は常に優勢でした。だけど、それは違っていたのです。

 特定秘密保護法が成立した時、頭をよぎったのは「大本営発表」でした。戦争が終わって肉親が帰ってきました。白布に包まれた箱の中に石ころが二つ入っていました。

 私の住む宇部市も大空襲を受けました。B29が編隊で現れ、旋回しては焼夷(しょうい)弾をばらまきました。妹と必死に逃げました。ある時は低空飛行してきたグラマンから機銃掃射を受け、多くの人が死にました。

 一部の人の狂気と野望と思い上がりの上に始められた戦争です。今平和で物があふれている中に生かされています。若い命を散らした、いや散らされた方々に申し訳ない気持ちです。靖国神社には参りません。戦争のない平和がいつまでも続くことを念じます。
    --「みんなの広場 頭をよぎった大本営発表」、『毎日新聞』2014年01月26日(日)付。

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みんなの広場
特攻、その非人間性に怒り
無職・87(島根県大田市)

 本紙1月14日の現代史探検で「特別攻撃隊」を読み、69年前、志願者名簿に署名した夜を思い出した。
 予備生徒として5月5日滋賀海軍航空隊に入隊した私たちは6月に石山寺に行軍。ここで区隊の集合写真と個人写真を撮影、数日後、各自写真をもらって一時帰省許可。僅か1泊の慌ただしい帰省だった。
 その後、ある夜の就寝前に「特攻隊志願者名簿」が回ってくる。語調を拝命していた私は率先して署名したが、私の次のI君は「死ぬのはいやだな」とつぶやきながら署名。他にも声なき声があったと思うが全員が署名した。「同期の桜」を歌い士気を鼓舞した。
 結局、飛行機が無く、陸戦隊茅ヶ崎派遣隊に転属。ここで棒地雷を抱えて戦車の前に伏す捨て身の訓練中、敗戦で万事休す。
 特攻隊の戦死者が6000人もあるというのに入隊後3カ月の我々にまで特攻隊に志願させようとした軍部上層部の混乱ぶりとその非人間性に怒りと共に一抹の哀れさを感じる。
    --「みんなの広場 特攻、その非人間性に怒り」、『毎日新聞』2014年01月26日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『西行全歌集』=久保田淳・吉野朋美校注」、『毎日新聞』2014年01月26日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『西行全歌集』=久保田淳・吉野朋美校注
毎日新聞 2014年01月26日 東京朝刊

 (岩波文庫・1323円)

 西行(佐藤義清(のりきよ))は、平清盛と同じ一一一八年に生まれ、鳥羽上皇に仕えた北面の武士であったが、二十三歳で出家した。その出家の謎や、待賢門院への恋の真偽の謎に加え、「願はくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月の頃」という歌どおりに亡くなったドラマティックな最期ゆえに、人気の高い歌人である。「享受者それぞれの思い描く西行像が先入主として存在するために、その和歌表現の多様性や伝統性、同時代歌人との共通性などには余り注意が払われてこなかったのではないかという気もする」(「解説」久保田淳)

 この指摘は、研究者や歌人のみならず、古典和歌を愛する多くの読者の思いであろう。

 本書は、『山家集(さんかしゅう)』『聞書集(ききがきしゅう)』『残集(ざんしゅう)』、また自歌合(じかあわせ)である『御裳濯河歌合(みもすそがわうたあわせ)』『宮河(みやがわ)歌合』ほか、現在知られる西行の歌約二三〇〇首すべてを集成、かつ脚注・補注などにより読みやすく工夫されている。

 格調高い名歌の数々に出会う一方で、素朴ななつかしい歌に出会うのもうれしい。

 竹馬(たけむま)を杖(つゑ)にもけふは頼(たの)むかな童遊(わらはあそ)びを思(おも)ひ出(い)でつゝ『聞書集』(ゆ)
    --「今週の本棚・新刊:『西行全歌集』=久保田淳・吉野朋美校注」、『毎日新聞』2014年01月26日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚:張競・評 『辺境から訪れる愛の物語 沈従文小説選』=沈従文・著」、『毎日新聞』2014年01月26日(日)付。


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今週の本棚:張競・評 『辺境から訪れる愛の物語 沈従文小説選』=沈従文・著
毎日新聞 2014年01月26日 東京朝刊

 ◇『辺境から訪れる愛の物語 沈従文(しんじゅうぶん)小説選』

 (勉誠出版・2940円)

 ◇水彩画のように描かれた異なる習俗の恋

 近代中国の小説家といえば、まず思い出されるのは魯迅であろう。茅盾(ぼうじゅん)や老舎(ろうしゃ)もある程度知られている。しかし、沈従文となると、ほとんど無名に近い。専門家をのぞいて、ふつう読まれることもない。一般読者だけでなく、堀田善衛のように戦前、上海に長期滞在し、中国文学にかなり興味のある作家でも沈従文に言及したことはないらしい。

 この作家は本国でも長いあいだ忘却の彼方(かなた)にあった。文化大革命が終了したあと、ようやく見直され、作品も再刊されるようになった。それも欧米での再評価を受けてからの動きである。

 日本ではこれまでいくつかの翻訳が出版されているが、ほとんどのものは刊行されてから四十年以上も経(た)っている。作品研究や版本の校勘がまだ進んでいなかったため、誤訳も散見される。本書の訳者は長年、沈従文研究に携わっており、近年の研究成果を生かして、最新の訳を世に問うた。代表作『辺境の町』や短編集『月下小景』のほか、九〇年代になって全容が明らかになった『虹』なども収録されている。

 一九〇二年生まれの沈従文は不運な作家である。左翼文学が幅を利かせていたこともあって、作家活動の最盛期には異端視され、不当な攻撃を受けていた。社会主義中国になってから、「政治に奉仕する」文学が求められ、小説を創作する権利は事実上剥奪された。三十年の空白期を経て、文革後に復活したものの、長い中断と高齢のため、新しい創作を断念せざるをえなかった。

 筆者は文革後にはじめて沈従文の代表作『辺境の町』を読んだ。稲妻が脳幹部を貫通したような衝撃はいまも忘れない。音楽のような美しい言葉といい、繊細な風景描写といい、情趣に富んだ民風(みんぷう)の素描といい、どれ一つを取ってみても、それまで読んだ小説にないものばかりである。何しろ多感な青春期。読書歴の偏った青年は感動しないはずはない。

 武田泰淳はかつて中国の近代文学について、「政治的な思想だけが堆積して、哲学的な思想は思想あつかいされない。文学のなかに非文学があり、非文学の中に文学がありそうに見える。こうした日本の文人から見れば、荒々しい、どぎつい、異様な現象だけが眼(め)についたものである」と酷評したことがある。郭沫若(かくまつじゃく)らの作品にはぴったりの批評だが、沈従文の小説は当てはまらない。沈従文の作品には思想的なメッセージもなければ、深い哲学的な含意もない。ましてや政治の道具として利用される余地はまったくないであろう。

 苗(ミヤオ)族や土家(トウチャ)族など少数民族が居住する地域の習俗を詩情豊かな筆致で描き出したのは、単に文学的な才能だけによるものではない。この作家の生い立ちとも関係している。生家のある湖南省西部の田舎町には複数の民族が暮らしており、沈従文本人も漢族を含めて三つの民族の血を引いている。土家族の青年の悲恋を描いた「月下小景」という短編に見られるように、その土地に生まれ、異なる習俗が行き交う中で育った者でなければ、夢幻のような美しい愛の世界は描けないであろう。

 もっとも注目すべきは、この作家が肩をこらすことなく西欧小説とまったく異なる表現様式を独自に創り出したことである。むろん本人は西洋文学を読んでいたし、『月下小景』の連作はボッカチオ『デカメロン』に擬して執筆されたものである。しかし、水彩画のような美しい自然や、山間部の住民の純朴さはいずれも欧米文学でも描かれたことのないものである。作品の特徴として、小説と随筆の境界が不鮮明であることが挙げられるが、そのような異彩を放つ文体も欧米文学と関係なく、独創的に練り上げられたものである。

 一九八三年、沈従文は八十一歳の高齢ながら、ノーベル文学賞の候補者に推薦された。創作から長く離れているという理由で受賞には至らなかったが、中国の近代作家としてはじめて候補に推されたのは驚くべきことである。彼の作品はそれだけ、ヨーロッパやアメリカの読者を魅了したのであろう。実際、沈従文の作品にあらわれた山村水郭は欧米の農村や自然と違うし、彼らがイメージした東洋の田園生活とも大きく異なっている。沈従文の手になる辺境の田舎と、その神秘的な習俗や人々の情緒世界は中国人でさえそれまで想像もしなかったものばかりだ。欧米の読者にとってなおさらメルヘンの世界から聞こえてきたメロディのようなものであろう。

 面白いことに、本人は近代を超克しようとする意識もなかったし、十九世紀小説の羈束(きそく)から逃れて悪戦苦闘したこともない。近代文明から取り残された大地に足をつけ、そこに住む人たちの情緒を恬淡(てんたん)とした心境で描いた結果、はからずも近代西洋小説の規矩(きく)を乗り越えてしまった。ただ、残念ながら、近代中国はこの才能豊かな作家を受け入れ、大きく育てる文化的土壌はなかった。もし、沈従文のような作家が多くいたならば、中国の近代文学はまったく違った道を歩んだのかもしれない。(小島久代訳)
    --「今週の本棚:張競・評 『辺境から訪れる愛の物語 沈従文小説選』=沈従文・著」、『毎日新聞』2014年01月26日(日)付。

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覚え書:「引用句時点 トレンド編 [指導者とは]国民を引きつける威信と個性あるか」、『毎日新聞』2014年01月25日(土)付。


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引用句辞典 トレンド編
国民を引き付ける
威信と個性あるか
鹿島茂

[指導者とは]
 ギリシャ神話のアポロは、カサンドラに先見能力を授けた。だが同時に、彼女の予言を聞く人が、だれ一人それを信じないよう、呪いを吹きかけた。ドゴールも、先見力だけでは不十分なことを知っていた。指導者というのは『何を為すべきか』を正しく見きわめるだけではだめで、人々を説いて、それを為さしめなければならない。(中略)ドゴールは『剣の力』の中に、『指導者は部下を心服させ、自己の権威を確立しなければならない』と書いている。
(リチャード・ニクソン『指導者とは』徳岡孝夫訳、文春学藝ライブラリー)

 われわれの青春時代、リチャード・ニクソンは最悪の政治家の象徴であった。若き日にマッカーシー議員と組んで「赤狩り」を主導し、一九六〇年の大統領選挙には旧勢力の代表としてケネディと闘って破れ、その後のカリフォルニア知事選挙にも落選して政界引退同然になったので、あのニクソンも終わりかと安心していたら、なんと六八年の大統領選挙で見事、復活を遂げて第三十七代大統領の座に収まってしまったのだ。あのとき、「なんでニクソンなんだ」と思わず天を仰いだものである。
 だが、どうだろう!
 大統領に就任するや、デタント、ベトナム撤退、中国との国交回復、金本位制からの離脱(ドルショック)と矢継ぎ早に目覚ましい業績をあげて世界を驚かせ、ジャーナリズムさえ、「もしかすると名大統領かも」と評価を変えようとした矢先に、なんとウォーター・ゲート事件で失脚。ところがどっこい、ニクソンはまだ「生きて」いて、回想録に専念するかたわら、指導者についてこんな名著まで残していたのである。どのページにも憎々しげな外観からは想像もつかない知性と教養が息づいていて、じつに読ませる。今日では、ニクソンに対するプロの評価はケネディよりも上がるかもしれない。
 そのニクソンが終生、尊敬おくあたわなかったのがシャルル・ドゴール。「ドゴールは、われわれの意識の上に、なぜこうも強い印象を残すのか。フランスより強力な国の指導者は何人もいるのに、なぜドゴールが二十世紀に屹立する存在であるのか」
 ニクソンは六〇年、副大統領のときにドゴールと会見して偉大さに打たれ、著作を繙いてさらに圧倒された。そして、大統領として復活を遂げてからはドゴールを鏡と仰いで職務に邁進した。
 ではニクソンは、ドゴールのどのような教えを信奉したのか?
 指導者とは、国民を導いていく先見性に加えて、国民を心服させるような「威信」、およびその威信から発するところの「権威」を持たなければならないという主張である。これなくしては、たとえ先見性ある政策でも、実現を期待することはできないからだ。では「権威」」とは何か? 外からは探ることも理解することも不可能だが、それでいて動かされざるを得なくなる「なにものか」だということになる。最近の言葉ならカリスマ性だが、さらに煮詰めるなら「個性」と表現されるだろう。
 さて、ニクソンの指摘する指導者の資質に、都知事選挙の候補者を照らし合わせてみるとどうなるのか?
 言うもおろかだろう。「威信」「権威」「個性」という言葉はパロディーとしか聞こえない。その証拠に、都知事選を「反原発」へのキャンペーンの一環として使おうとする「あの人」のほうにむしろ国民の関心は向かいつつあり、知事選自体はいっこうに盛り上がってこない。「場外乱闘」、それもリングの凡戦を尻目に行われる花形レスラーの場外乱闘、こんなプロレス用語が口をついて出る今日この頃である。
(かしま・しげる=仏文学者)
    --「引用句時点 トレンド編 [指導者とは]国民を引きつける威信と個性あるか」、『毎日新聞』2014年01月25日(土)付。

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覚え書:「特定秘密保護法に言いたい:政府の情報隠し、暴走危惧--次女をシリアで失った元記者・山本孝治さん」、『毎日新聞』2014年01月25日(土)付。

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特定秘密保護法に言いたい:政府の情報隠し、暴走危惧--次女をシリアで失った元記者・山本孝治さん
毎日新聞 2014年01月25日 東京朝刊


 ◇山本孝治さん(78)

 1945年3月、9歳だった私は大阪郊外の長尾(大阪府枚方市)に疎開していた。大阪大空襲で街が燃え、空が赤くなった光景を覚えている。私は「鬼畜米英」を憎み悔し涙を流した。あの戦争は何だったのか。敗北は勝利と伝えられ、私は軍国少年となった。選別された思想や情報だけを与える洗脳だった。

 2012年8月、ジャーナリストの次女、美香(当時45歳)がシリア内戦取材中に命を落とした。娘は「事実を知らせることで戦争を止める。世界を変える」という信念を持っていた。戦地の市民がどんな生活をし、どう虐げられているか。「知ることが何より大切」と考えていた。

 問題解決に必要なのは武力ではない。市民一人一人が多様な考えに耳を傾け、事実に基づき議論すること。私が戦争体験から学び、そして美香が信じたことでもある。

 銃撃時に持ち去られた美香のカメラやポシェットは今も戻らない。シリア政府側が「都合が悪い」と闇に葬ったのかもしれない。事実を知ることができないのはつらい。

 そもそも、沖縄返還を巡る日米密約も10年に民主党政権下で公式に認められるまで存在しないことになっていた。特定秘密保護法でさらに「不都合な事実」が隠されるのではないか。そして30年、50年先に、再び政府が情報を隠し戦争へと暴走する後押しをするのではないかと危惧する。

 安倍晋三政権は「決める政治」を勘違いしている。物事を決めるには議論と情報が必要だ。声を上げ続けなければならない。【聞き手・春増翔太】=随時掲載

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 ■人物略歴

 ◇やまもと・こうじ

 1935年生まれ。元朝日新聞記者。「山本美香記念財団」を設立し、若手記者の育成に取り組む。山梨県都留市在住。
    --「特定秘密保護法に言いたい:政府の情報隠し、暴走危惧--次女をシリアで失った元記者・山本孝治さん」、『毎日新聞』2014年01月25日(土)付。

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覚え書:「今週の本棚:三浦雅士・評 『近代世界システム 1-4』=I・ウォーラーステイン著」、『毎日新聞』2014年01月26日(日)付。

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今週の本棚:三浦雅士・評 『近代世界システム 1-4』=I・ウォーラーステイン著
毎日新聞 2014年01月26日 東京朝刊

 (名古屋大学出版会・各5040円)

 ◇資本主義はなぜ、格差と貧困を生み続けるのか

 高所から俯瞰(ふかん)してはじめて意味をもって見えてくる光景がある。一九七四年、ウォーラーステインがその『近代世界システム』の第一巻を上梓(じょうし)したとき、読者の多くはそう感じただろう。邦訳は一九八一年。そこにはこれまでとはまったく違う世界史があった。

 イギリス産業革命が近代資本主義を生んだのではない、近代資本主義がイギリス産業革命を生んだのだ。簡単に言えばそういうことだが、ウォーラーステインはこの近代資本主義に「世界経済」という名称を与え、それ以前に世界各地に発生した経済的繁栄は「世界帝国」にすぎないとした。エジプトも漢もローマも「世界帝国」にすぎない。「世界帝国」は富を直接的に収奪するが、「世界経済」は資本による利潤追求というかたちで間接的に収奪する。これまで資本主義が「世界システム」として稼働し「世界経済」を形成したのは唯一ヨーロッパにおいてのみであって、それはローマ帝国の崩壊後、群小国家が割拠し、小さな国際関係を形成し、いわば国際的な分業をするようになったからである。こうして中核、周辺、半周辺という役割を担う国家あるいは地域が十六世紀のヨーロッパにおいて形成され、十八世紀末から十九世紀にかけて地球大に広がり、二十世紀へといたる。資本主義はシステムとして収奪する国と収奪される国を作り上げなければ存続できない。

 中核においてヘゲモニー国家が形成されるが、これまで十七世紀のオランダ、十九世紀のイギリス、二十世紀のアメリカの三例があるにすぎない。それぞれ三十年戦争、フランス革命・ナポレオン戦争、両次世界大戦という、期間的にもほぼ三十年の「世界戦争」を経て覇権を握った。いまやアメリカがヘゲモニーを失いつつあるが、その後を担うのがEUになるか東アジアになるか予測できない。

 要点は以上。マルクス主義退潮後、その欠を補うように登場した総合理論という印象が強い。資本主義がなぜいまも格差を生み貧困を生み続けるのか、見事に説明する。

 第一巻「農業資本主義と『ヨーロッパ世界経済』の成立」、第二巻「重商主義と『ヨーロッパ世界経済』の凝集 1600-1750」、第三巻「『資本主義的世界経済』の再拡大 1730s-1840s」と刊行されてきたが、二〇一一年、第四巻「中道自由主義の勝利 1789-1914」の刊行に合わせて他の三巻も新たな序文を付して刊行された。邦訳もそれに準じ、二〇一三年、全四巻が新たにまとめて刊行された。四十年前に第一巻が刊行されたときには四巻で終わるはずだったが、アメリカの世紀である二十世紀を論じなければ収まりがつかなくなった。第五巻は「一八七三年から一九六八年ないし八九年まで」と、第四巻の序章で予告する。ウォーラーステイン八十三歳。脱帽する。

 第四巻は文化論の要素が濃い。フランス革命後、保守主義、自由主義、急進主義という三つのイデオロギーが生まれ、自由主義があとの二つを飼い慣らした。経済学、社会学、政治学はこのイデオロギーに沿って生まれた。人類学と東洋学も同じ。前者は植民地の、後者は半植民地の研究である。この延長上でバナールの『黒いアテナ』の主張に賛意を呈している。おそらく、岡田英弘や杉山正明らの提唱するモンゴルの視点に立つ世界史にも賛意を呈するだろう。

 膨大な注と参照文献には驚かされるが、トリリングやオーデンとの親交で有名なバーザンにまで言及している。ウォーラーステインはニューヨークのユダヤ系知識人の伝統に属すと思わせられた。(川北稔訳)
    --「今週の本棚:三浦雅士・評 『近代世界システム 1-4』=I・ウォーラーステイン著」、『毎日新聞』2014年01月26日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『福祉と贈与 全身性障害者・新田勲と介護者たち』=深田耕一郎・著」、『毎日新聞』2014年01月26日(日)付。

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今週の本棚・新刊:『福祉と贈与 全身性障害者・新田勲と介護者たち』=深田耕一郎・著
毎日新聞 2014年01月26日 東京朝刊

 (生活書院・2940円)

 全身性障害者、故新田勲を7年半介護してきた研究者が、広い意味での「福祉」のあり方を論じた。現場の生々しさを反映しつつ、障害者運動史やモース、今村仁司らの概念も絡めて思索を深めた労作である。

 障害者介護に限らず、マイノリティーの当事者にマジョリティーがどう関係するかは、長年、さまざまな社会運動で課題となってきた。1970年代以降、マジョリティーが従来、マイノリティーを抑圧してきたことへの負債感を利用した「連帯」の動きが、種々の運動で一つの定型となった。だが、それはしばしば、運動に関わる人を疲弊させてもきた。

 本書は、70年代以前、健常者の「善意」による障害者福祉が、結局障害者を「同じ人間」扱いできなかった歴史や、70年代以降の運動の成果と限界を踏まえつつ、新田と周囲が実現した、独特な関係性を描く。それは、家族などの愛情に負担を丸投げするのでも、単なる介護労働に福祉を切り縮めるのでもない、絶妙な相互贈与の関係だった。障害者福祉や社会運動関係者にはもちろん、より広く、家族や友人との関係に行き詰まった人にも、多くのヒントを与えてくれそうな本だ。(英)
    --「今週の本棚・新刊:『福祉と贈与 全身性障害者・新田勲と介護者たち』=深田耕一郎・著」、『毎日新聞』2014年01月26日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『独裁者に原爆を売る男たち 核の世界地図』=会川晴之・著」、『毎日新聞』2014年01月26日(日)付。

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今週の本棚・新刊:『独裁者に原爆を売る男たち 核の世界地図』=会川晴之・著
毎日新聞 2014年01月26日 東京朝刊

 (文春新書・935円)

 日米両国がモンゴルで進めていた核廃棄物処分場計画スクープなどでボーン・上田記念国際記者賞を受賞した毎日新聞記者が迫った「核の闇市場」のリアルな現場。パキスタンの「原爆の父」とも呼ばれるカーン博士の組織は、少なくとも3カ国に核兵器製造機器を売り込んでいた。カーン・ネットワークを追った海外ジャーナリストらの仕事はあるが、日本人が関係個所を訪ね歩いて真相に肉薄した例は珍しく、最新情報を伝える貴重な成果と言える。

 カーン博士は2004年にテレビでイラン、リビア、北朝鮮の核開発に協力したことを認めたあと、パキスタン当局によって自宅軟禁状態に置かれ「闇市場」は崩壊した。だが逮捕された関係者は一部にすぎず、多くは今や自由の身になっている。著者は「闇市場」を技術面で支えたスイス人親子の足跡を、裁判などを基に追う。内部情報を求めて親子と接触した米中央情報局(CIA)の動きは興味深い。本書の後半では、核拡散防止条約(NPT)への加盟を見送った国々の歴史にふれ、核の未来を展望する。東京電力福島第1原発事故後の日本の核燃料サイクル計画を考える一助にもなる。(俊)
    --「今週の本棚・新刊:『独裁者に原爆を売る男たち 核の世界地図』=会川晴之・著」、『毎日新聞』2014年01月26日(日)付。

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独裁者に原爆を売る男たち 核の世界地図 (文春新書 941)
会川 晴之
文藝春秋
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覚え書:「みんなの広場 寒空の下、原発作業員の思いは」、『毎日新聞』2014年01月23日(木)付。


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みんなの広場
寒空の下、原発作業員の思いは
無職・63(滋賀県湖南市)


 本紙の連載企画「青い鳥を追って」の最終回「原発から五輪特需の東京へ」を読み、なんともやるせない思いがした。

 廃炉作業が本格化した福島第1原発で作業を請け負う会社の社長によると、雇って数カ月しかたたない従業員5人から「東京の建設現場に行くので辞めます」と言われたという。日当1万3000円だったが、東京はさらに8000円高いらしい。2万5000円出る仕事があるとの情報も。 五輪特需によって現場から人が流出しつつあり、作業の質の低下が指摘されるが、指示を出すだけで現場に来ない東電や元請けの社員の姿に「やってられない」という。当然だ。

 このまま流出が続いて作業員不足が深刻になれば、廃炉、除染作業はどうなるのか。現政権は原発を重要なベース電源に位置づけようとし、福島原発の惨状などなかったように再稼働に向けて動いている。冬空の下、作業に取り組む人たちはどんな思いで仕事をされているのだろうか。
    --「みんなの広場 寒空の下、原発作業員の思いは」、『毎日新聞』2014年01月23日(木)付。

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青い鳥を追って:/7止 原発から五輪特需の東京へ
毎日新聞 2014年01月08日 東京朝刊


(写真キャプション)除染作業が行われている福島第2原子力発電所近くの海岸。除染や原発の現場から作業員が東京へ流出し始めている=福島県富岡町で7日

 ◇作業員、福島に見切り

 40年かかるといわれる廃炉作業が本格化した東京電力福島第1原子力発電所。通称「イチエフ」で作業を請け負う福島県いわき市の会社社長、菅野一郎さん(35)=仮名=は昨年10月、雇って数カ月しかたっていない従業員5人から切り出された。「東京の建設現場に行くので、辞めます」

 予感が当たった。

 昨年9月、ブエノスアイレスで安倍晋三首相が東京五輪招致に向けて熱弁をふるった。「福島第1原発について私は皆さんに約束します。状況はコントロールされています」。テレビを見た菅野さんは「なにを言ってやがる」と思った。「ならばなんで汚染水が出てんだよ」。間もなく東京招致が決まると、不安がよぎった。「東京の建設工事が増えると、人が流れるな」

 菅野さん自身も原発で働くが、休憩所や喫煙所で「東京」が話題になるようになった。「イチエフより東京にダンプを出す方がもうかる」「(被ばく)線量がパンク(法定限度に到達)したら東京に行けばいい」

 菅野さんが5人に払ってきた日当は各1万3000円。構内は8000円で働く人もおり、条件はいい方だと思っていた。ところが5人の話では、東京はさらに8000円高いという。

 福島では以前から、危険性の高い廃炉作業より、除染作業に人が集まる傾向がある。国直轄の除染作業の場合、危険手当と福島県の最低賃金で日当約1万5500円が保障される。

 だが、その除染の現場からも人が流出しつつある。双葉郡などで除染に従事するいわき市の男性(47)は昨年10月半ば、同僚から「宿舎は千葉で、日当が2万5000円も出る仕事がある」と聞いた。小学1年の息子がおり、上京するか悩む。「家族とは離れたくないが、子育て資金が稼げる。もし1日3万円出ることになったら、作業員の大移動が起きるんじゃないか」

 背景には、深刻な建設作業員不足がある。1997年に685万人だった全国の作業員数は、長い不況から2012年は503万人に減少。ところが昨年来、景気の回復基調や安倍政権の国土強靱(きょうじん)化政策で建設工事が増え、3兆円の経済波及効果が見込まれる五輪関連工事も来年度から東京で本格化する。都内の建設関連の求人倍率(求職者1人当たりの求人数)は昨年11月時点で4・54倍。「人手不足で都内の労務費は急騰している」と大手ゼネコンの幹部は証言する。

 事故から2年9カ月たった福島第1原発では「パンク」したベテラン作業員たちが次々と現場を離れている。危機感を抱く東電は昨年11月、作業員の労務単価を1人当たり1万円増やすと発表したが、菅野さんは冷ややかだ。「どうせ『中抜き』され、末端には落ちてこないよ」

 東電は元請け発注段階の労務単価を明確に公表せず、何重もの下請け構造でいくら抜かれていくのか知りようもない。菅野さんは元請け段階の単価を「5万円くらい」とみるが、不満は口にしない。「代わりはいくらでもいる」と言われるのがオチだからだ。

 もともと双葉郡内で飲食店を営んでいたが、原発から20キロ圏内にあり、再開の見通しは立たない。「どうせなら地元の復興のために働こう」。12年5月に仲間と建設会社を興した。これまで雇った作業員は延べ約100人。秋に辞めた5人は関東の出身で「県外から来る連中の目的はたいていカネだから」。脱法ハーブを吸って錯乱し警察署に駆け込んだ若者もいた。第1原発では昨年9月以降、ホースの誤接続などの作業ミスが相次ぐ。作業員の質の低下が指摘されているが、菅野さんによると、現場で東電や元請けが作業員を指導する姿はあまり見られないという。

 原発に来て2度目の冬。同業者から「東京に人を出さないか」と誘われても「復興が先」と断っている。防護服の下に厚い防寒具は着込めず、寒さに耐えながらの作業が続く。指示を出すだけで現場に来ない東電や元請けの社員が、線量の低い屋内で休む姿を見かけると「やってられない」と思う。「報われない状況が続けばどうしますか」と問うと、こう答えた。

 「そん時は、おれもよそで仕事を探すっかな」【前谷宏】

    □  □

 戦後の経済成長で豊かさを手にした日本。長い停滞をはさみ、政府や企業は再び「成長」を追う。だが、現場では資源が失われ、人々は疲弊し始めている。メーテルリンクの戯曲に登場する貧しいチルチルとミチルの兄妹は、幸せをもたらす青い鳥を追って長い旅をした末、自分たちの飼っていたハトこそ青い鳥と気づく。私たちのそばにも、青い鳥はいるのかもしれない。=おわり
    --「青い鳥を追って:/7止 原発から五輪特需の東京へ」、『毎日新聞』2014年01月08日(水)付。

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覚え書:「物語 岩波書店百年史1~3 [著]紅野謙介・佐藤卓己・苅部直」、『朝日新聞』2014年01月19日(日)付。

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物語 岩波書店百年史1~3 [著]紅野謙介・佐藤卓己・苅部直
[掲載]2014年01月19日   [ジャンル]歴史 


 昨年創業100年を迎えた老舗出版社の歴史は、「教養」をめぐる近代日本史でもある。岩波文庫の創刊(1927年)は、教養をだれでも手にできるものにした(1巻・紅野著「『教養』の誕生」)。「岩波講座」(28年)は学術出版社としての地位を確固たるものにし、38年には「現代人の現代的教養」を掲げた岩波新書が創刊された。講談社文化と岩波文化は、大衆文化と高級文化として対立するのではなく、むしろ補完しあっていた(2巻・佐藤著「『教育』の時代」)。60年代末の大学紛争を経て、大学の大衆化とともに「教養」は変容し、様々な模索が現在まで続く(3巻・苅部著「『戦後』から離れて」)。
    ◇
 岩波書店・1・3巻2310円、2巻2520円
    --「物語 岩波書店百年史1~3 [著]紅野謙介・佐藤卓己・苅部直」、『朝日新聞』2014年01月19日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚:中村達也・評 『過労死は何を告発しているか』=森岡孝二・著」、『毎日新聞』2014年01月26日(日)付。


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今週の本棚:中村達也・評 『過労死は何を告発しているか』=森岡孝二・著
毎日新聞 2014年01月26日 東京朝刊

 (岩波現代文庫・1302円)

 ◇隠された三六協定、サービス残業の実態に迫る

 「二四時間戦えますか」。ご記憶の方も多いであろう。あるドリンク剤のテレビ・コマーシャルである。これが流れたのが一九八八年。実はこの年は、過労死元年として関心を集めた年でもあった。大阪過労死問題連絡会が「過労死シンポジウム」を開催し、「過労死一一〇番」と銘打って過労死の補償と予防に関する電話相談を受けつけたのである。それからすでに四半世紀が過ぎたが、過労死は依然として後を絶たない。それどころか、この数年、過労死認定の申請件数が増え続けているという。本書は、長年、過労死問題に取り組んできた著者による、渾身(こんしん)の一冊である。

 一九八七年、労働基準法が改定された。それまで一日八時間・週四八時間を限度とする労働から、「一週間について四〇時間、一日について八時間を超えて労働させてはいけない」こととなった(第三二条)。もしも労働時間がこの範囲内に納まり、さらに週休二日、年次有給休暇二〇日、国民の祝日一五日がすべて取得されるとすれば、年間労働日数は二二六日、年間労働時間は一八〇八時間以内となるはずである。おそらくは、過労死や過労自殺を生みだすようなことにはならなかったかもしれない。

 ところが、同じ労働基準法の第三六条では、労使が書面による協定を結んで労働基準監督署に届け出れば、時間外でも休日でも労働させることができるとされている。いわゆる三六(さぶろく)協定(時間外労働協定)である。この協定のあるがゆえに、労働時間は第三二条の規定にもかかわらず、事実上、上限なしに引き延ばされてきた。「二四時間戦えますか」が流されていたのも、むべなるかなというわけである。

 本書には、いくつかの企業の三六協定が紹介されている。それによると、時間外労働として一日一五時間の延長が可能な企業、一ケ月一六〇時間の延長が可能な企業、三ケ月で四〇〇時間の延長が可能な企業、一年で一六〇〇時間の延長が可能な企業等の実例が示されている。いずれも、日本を代表する名だたる企業であるのに驚かされる。実は、こうした実態が明らかになったのは、二〇〇三年、大阪地方裁判所に対してなされた、三六協定の情報公開訴訟が認められて以降のことである。本書の見所の一つである。

 長時間労働に関わるもうひとつの問題として、賃金不払残業(サービス残業)がある。時間外労働をしておりながら残業代が支払われない労働である。違法であるからして、もちろんその実態を示す公式の統計はない。著者は、サービス残業の実態を探るべく、さまざまな試みを重ねてきた。そのうちの興味深い一例を紹介しよう。著者の試算によれば、二〇一二年の日本におけるサービス残業時間は、全体で一〇八億七〇〇四万時間にも達している。もしもこのサービス残業を廃止し、その分を新規の雇用でまかなうとすれば、およそ五三五万人分の雇用を生み出すことができるというのである。過労死対策と失業対策にとって意味のある提案である。

 アベノミクスの第三の矢である「民間投資を喚起する成長戦略」は、その一環として解雇規制の緩和など、雇用の流動化をめぐって論議が進められているようだ。働き方の多様化という名の下で、長時間労働も一つのありうべき形として議論されているらしい。労働(力)が商品として市場に組み込まれているのが資本主義経済というものではあるが、それは一般の商品とは異なり、生身の人間から切り離すことができない。だからして、それなりの規制が必要なのはむしろ当然。著者の熱い想(おも)いが伝わってくる一冊である。
    --「今週の本棚:中村達也・評 『過労死は何を告発しているか』=森岡孝二・著」、『毎日新聞』2014年01月26日(日)付。

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日記:戦時下の国民は、軍部に強制されて戦争に協力するほかなかったのか。そうではなかった。

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 戦時下の国民は、軍部に強制されて戦争に協力するほかなかったのか。そうではなかった。それが証拠に斉藤は、二年後の翼賛選挙において、非推薦の候補ながら、兵庫五区からトップ当選を果たしている。斉藤は軍部の政治介入よりも政党の「無気力」をより強く批判する。翼賛体制を招いたのは、斉藤を支持し続けたような民意を受け止めきれない政党の「無気力」だった。
 国民の意思はすでに一九三七年四月三〇日の総選挙の結果が示していた。第一党は議席を減らしながらも民政党であり、引き続き無産政党が躍進した。国民が求め続けたのは、格差の是正をとおして平等な社会を実現する社会民主主義的な改革だった。政民の二大政党は、改革志向の国民の期待に応えることができなかった。
 代わりに軍部が無産政党の協力を得て、国家社会主義体制のなかに国民の意思を吸収していく。この体制が軍部独裁に見えなかったのは、近衛文麿首相が主導したからである。
 国民は高貴な出自の近衛に腐敗した政党政治と軍部独裁からの救済を求めた。しかしすべての政治勢力と大多数の国民の支持を得ながら、近衛は戦争の拡大を回避できなかった。大衆民主主義は大衆迎合主義に陥りやすい。私たちはカリスマ的な指導者よりも政策の実行力がある首相をもとめるべきであろう。
 二大政党は自ら解党してまでも、近衛新党に参画しようとした。しかし近衛新党ではなく、大政翼賛会が成立する。大政翼賛会は体制統合の主体になることができず、急速に形骸化していく。近衛は政権を投げ出す。ほどなくして日米戦争が始まる。四年後、帝国日本は敗北する。
    --井上寿一『政友会と民政党 戦前の二大政党制に何を学ぶか』中公新書、2012年、244-245頁。

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靖国神社参拝をめぐる国内・国外における反対論の根拠の一つが、A級戦犯の合祀であり、愚かな指導者が戦争を引き起こし、そしてそれを止めることができず、日本人のみならずアジア諸国の人々に甚大な被害を蒙らせたことは否定しがたい事実ではあります。

しかし、そのことによって隠されてしまう問題というのもあるのではないかと思います。それは全ての責任がA級戦犯に押しつけられてしまうことによって、個々の日本人の責任がスルーされてしまうという現象ではないかと思います。

確かにA級戦犯の犯罪性を否定することはできません。しかし、それと同時に考えなければならないのは「戦時下の国民は、軍部に強制されて戦争に協力するほかなかったのか。そうではなかった」ということ。

ここを失念してしまうと足下をすくわれてしまいますよ、という話しです。

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覚え書:「みんなの広場 なぜ靖国へ強行参拝するのか」、『毎日新聞』2014年01月23日(木)付。


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みんなの広場
なぜ靖国へ強行参拝するのか
無職 77(長崎市)

 政治家による靖国神社参拝を、諸外国とのあつれきから批判するマスコミ記事が多い。その中、我が国に甚大な被害をもたらした当時の政治指導者が合祀されている神社に参拝することは問題だとして糾弾した本欄の幾つかの意見は傾聴に値する。
 当時の政治指導者が先見性を持って適切に判断していれば、300万もの命を戦場に赴かせ、あるいは空爆・原爆の惨禍にさらして無駄に散らせ、ソ連の参戦を許して多くの国民に北方の故郷を失わせることはなかったはずだ。政権与党の政治家はなぜこのような当たり前の論理に反して靖国神社参拝を強行するのだろうか? A級戦犯の霊に参拝しておいて「不戦の誓い」などの説明が通用するわけがない。特定秘密保護法を強引に成立させ、憲法改正をちらつかせつつ戦争ができる国への布石を打つ政権与党の政治家として、将来、自分らの失政で国を破滅に導き、その責任を追及される立場を予見しているからとしか思えないのだが。
    --「みんなの広場 なぜ靖国へ強行参拝するのか」、『毎日新聞』2014年01月23日(木)付。

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覚え書:「うな丼の未来―ウナギの持続的利用は可能か [編]東アジア鰻資源協議会日本支部 [評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)」、『朝日新聞』2014年01月19日(日)付。

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うな丼の未来―ウナギの持続的利用は可能か [編]東アジア鰻資源協議会日本支部
[評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)  [掲載]2014年01月19日   [ジャンル]科学・生物 

■絶滅に瀕した稀少種どう食べる

 ついこの前までスーパーの惣菜(そうざい)コーナーにあると思っていたら、急に高騰したうなぎの蒲焼(かばや)き。養殖で安定供給されていると思い込んでいたニホンウナギが、絶滅の危機に瀕(ひん)しているという。一体どういうことなのか。
 本書は昨年7月に書名と同じタイトルで、東京大学にて開催されたシンポジウムでの講演やアンケートなどを忠実に再現したもの。
 実は野性の稚魚を獲(と)ってきて大きく育てたものを「養殖」と呼んでいたことをはじめ、人工孵化(ふか)は、どこまで可能になってきたのか、そもそもどういう生態なのか、「絶滅危惧種」に指定されたらどうなるのかなどなど、ニホンウナギとうなぎ食にのしかかる現状と問題点が、22人の研究者、漁業関係者の発表から明らかになる。
 稀少(きしょう)な野生種をあまりにも雑に食べてきたことを反省しつつ、今後うなぎをどう食べるべきか、理性的な消費を促すためにも、多くの人に読んでほしい。
    ◇
 青土社・1995円
    --「うな丼の未来―ウナギの持続的利用は可能か [編]東アジア鰻資源協議会日本支部 [評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)」、『朝日新聞』2014年01月19日(日)付。

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うな丼の未来 ウナギの持続的利用は可能か
塚本勝巳 海部健三 鷲谷いづみ 勝川俊雄 田中栄次 黒木真理 田中秀樹
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覚え書:「浸透する教養―江戸の出版文化という回路 [編]鈴木健一 [評者]荒俣宏(作家)」、『朝日新聞』2014年01月19日(日)付。

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浸透する教養―江戸の出版文化という回路 [編]鈴木健一
[評者]荒俣宏(作家)  [掲載]2014年01月19日   [ジャンル]人文 


■庶民も図像で読みこなす

 日本人は難しい話を図像化して理解する、と幕末期に長崎医学伝習所で医学を教えたオランダ海軍軍医ポンペも驚いていた。神道家平田篤胤には2歳の門弟までいたが、絵図を上手に使い分かりやすく古学を教えたとの話も聞く。
 江戸庶民はこぞって教養好きだった。本書によれば、これには識字率の高さと図像読解力を礎にした江戸の出版文化が関係していた。専門的な医学書を和文でやさしく解説した手引書が数千点も出たため、一冊読んで「医者にでもなるか」という藪(やぶ)医者が横行したそうだ。
 一方、外国語、とりわけ漢文は江戸の教養の基本だったが、これを日本語として読む「訓読法」が浸透し、暗誦(あんしょう)しやすいが不規則で「テニヲハ」も省略した奇妙な日本語を産みだした。明治以後の言文一致も単に便宜の問題でなく、不自然極まった漢文体への批判を含んでいた。
 各論題が興味深い内容だけに、主題の通り「易しく」書いてほしかったが。
    ◇
 勉誠出版・7350円
    --「浸透する教養―江戸の出版文化という回路 [編]鈴木健一 [評者]荒俣宏(作家)」、『朝日新聞』2014年01月19日(日)付。

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覚え書:「記者の目:『当事者研究』の可能性=山寺香(生活報道部)」、『毎日新聞』2014年01月24日(金)付。

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記者の目:「当事者研究」の可能性=山寺香(生活報道部)
毎日新聞 2014年01月24日 東京朝刊

 ◇「個の違い」分断を共感へ

 「当事者研究」をご存じだろうか。

 精神障害や発達障害などの当事者が、同じ障害の仲間と自分たちの症状を研究する。自分が抱える漠然とした困難に他者にも通じる言葉を与えて発信し、苦しみの軽減に役立てる。最近は新しい学問領域として注目され始めた。ほかにも、認知症の当事者ら声を上げにくい人の孤立を解消する可能性を秘めており、広く知ってほしい営みだ。

 ◇困難抱える本人の視点で

 「声の出し方が分からない」「『暑い』『寒い』の感覚が分からない」--。発達障害の人が感じる困難の一例だ。とっぴに聞こえるため、症状がない人には理解されず、苦しんできた当事者は多い。

 当事者研究は、北海道の精神障害者らの活動拠点「浦河べてるの家」で2001年に生まれた。その後、薬物依存症、発達障害、認知症の人などに広まり、全国に60以上のグループがあるという。

 当事者の語りは以前から重視され、研究者や医師らが聞き取って論文などにまとめてきた。しかし、そこには限界があり、困難を抱える本人が重視する要素が抜け落ちることがあった。これに対し、当事者研究は語りから分析、公表までを当事者が担う。当事者の視点の脱落を防ぎ、切り離されてきた本人と社会とをつなぐ役割も持つ。

 私は、昨年10月の朝刊連載「生きる物語 『弱さ』の向こう側」(計10回)の取材で当事者研究を知った。取材したのは小児科医、熊谷(くまがや)晋一郎さん(36)。出生時の酸欠で脳性まひになり、電動車椅子で暮らす。特任講師として勤務する東大先端科学技術研究センターで当事者研究の理論化に取り組む。

 熊谷さんの共同研究者が、発達障害の一種、自閉症スペクトラム障害を抱えるパートナーの綾屋紗月(あややさつき)さん(39)だ。綾屋さんは現在、同じ障害の仲間と研究に取り組んでいるが、研究を始めるきっかけは熊谷さんとのやりとりだった。綾屋さんの話を熊谷さんが聞き取り、一つ一つの苦しみに2人でぴったりくる言葉を当てはめていった。

 例えば、綾屋さんはおなかがすいたという感覚が分からない。それが研究の結果、「頭がかゆい」「胃のあたりがへこむ」「肩が重い」など、多くの身体感覚が同じ強さで存在し、どれが空腹を意味するのか判断できないと分かった。綾屋さんにとっては、自分の症状が初めて納得のいく形で説明できた。原因が分かれば対処法も生まれる。2人は「コミュニケーション障害」の一語で扱われてきた発達障害を、「身体内外からの情報を絞り込み、意味や行動にまとめあげるのがゆっくりな状態」と定義し直した。

 この表現なら、症状がない人にも分かる。そして、さまざまな情報の絞り込みを助ける技術や支援があれば、コミュニケーションが楽になる。

 2人の作業をまとめた「発達障害当事者研究」(医学書院)を読み、自分とは違うと感じていた発達障害者の世界が「そういうことか」と納得でき、私にも地続きの世界だと実感した。内外の刺激を過度に感じ、生活に支障が出ているようだが、それは程度の差はあれ私にもある感覚だ。

 ◇生活を改善する新技術にも発展

 研究の成果は、当事者の生活を豊かにする研究や制度に役立てることもできる。

 東京大を中心とする大規模な研究が12年に始動した。熊谷さんらも参加するプロジェクトで、文部科学省から新学術領域として5年間で約10億円の助成を受ける。当事者研究のほか、医学、心理学、脳科学、ロボット工学、情報学の分野が参加。人の発達メカニズムを当事者研究からの仮説を含む新たな視点で検証し、同時に、発達障害の当事者が苦手な音や視覚刺激を減らし、必要な情報だけを抽出する技術などの開発も行う。

 一方で、当事者研究には「個人的で主観的な体験を普遍化できるのか」という疑問がよく投げかけられる。これについて、プロジェクト代表の國吉康夫・東大大学院情報理工学系研究科教授は「従来の科学研究は『客観性』にとらわれるあまり、発達研究に大切な個の違いを軽視してきた。個性に合った支援と理解には、当事者の視点が不可欠だ」と意義を語る。

 切実な苦しさから生み出された説得力のある言葉は「自分とは違う世界」の境界を超え共感でつなぐ力を持つ。「障害の有無によらず、職場などストレスが発生する場では当事者研究の手法が役立つ」と熊谷さん。誰もが少数派になり、何らかの困難を抱える「当事者」になりうる時代だ。当事者研究が蓄積してきた、分断された絆を回復させる手法を広く共有し、生かすべき時だと思う。
    --「記者の目:『当事者研究』の可能性=山寺香(生活報道部)」、『毎日新聞』2014年01月24日(金)付。

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覚え書:「特定秘密保護法に言いたい:報道の自由、読者と共に守れ--ジャーナリスト・むのたけじさん」、『毎日新聞』2014年01月23日(木)付。


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特定秘密保護法に言いたい:報道の自由、読者と共に守れ--ジャーナリスト・むのたけじさん
毎日新聞 2014年01月23日 東京朝刊

(写真キャプション)ジャーナリスト・むのたけじ氏=東京・内幸町の日本記者クラブで1月14日、臺宏士撮影

 ◇むのたけじさん(99)

 終戦以前の日本には治安維持法や国家総動員法、軍機保護法があって報道の自由、知る権利はなかった。国家の命令に従わないと「非国民」のレッテルを貼られたり「国賊」とののしられたりした。お互いが監視役になって縮こまり、家庭内にまで亀裂が入った。軍事情報を厳格に管理しようとする今回の特定秘密保護法は、これらの法律と同じ根を持つ。

 安倍政権が唱える「積極的平和主義」の根底には、戦争の準備を進めるという考え方がある。特定秘密保護法を作ったのは「政府は戦争の準備をしていない」と国民にうそをつき、知る権利に鎖をつけるためではないか。第三次世界大戦を誘発し、再び人類全体に悲しみや苦しみを与える動きは、決して許すわけにはいかない。

 陸軍青年将校らが起こした「2・26事件」(1936年)では朝日新聞社も襲撃された。活字ケースをひっくりかえされる程度の被害ですんだのは、軍人も「新聞の後ろにいる民衆を敵には回せない」と考えたからだ。残念ながら当時の新聞はこれを感じ取れず、毅然(きぜん)として戦争に反対する論陣を張れなかった。

 特定秘密保護法で怖いのは戦前同様の自主規制だ。報道人は読者を「報道の自由を守る仲間」だと思ってほしい。そうすれば、大きな力が生まれてくる。国民全体に自分たちの問題として関心を持ってもらうよう対話を地道に広げていくことが、ヒューマニズムとデモクラシーの根づいた社会への最短の道だ。命ある限り反対運動を続けたい。【聞き手・臺宏士】=随時掲載

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 ■人物略歴

 ◇武野武治

 元朝日新聞記者。敗戦後退社し秋田県横手市で週刊紙「たいまつ」(48-78年)を発行。近著に「99歳一日一言」。
    --「特定秘密保護法に言いたい:報道の自由、読者と共に守れ--ジャーナリスト・むのたけじさん」、『毎日新聞』2014年01月23日(木)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140123ddm041010146000c.html:title]


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覚え書:「国境〔完全版〕 [著]黒川創 [評者]小野正嗣(作家・明治学院大学准教授)」、『朝日新聞』2014年01月19日(日)付。

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国境〔完全版〕 [著]黒川創
[評者]小野正嗣(作家・明治学院大学准教授)  [掲載]2014年01月19日   [ジャンル]歴史 文芸 

■いかなる線からも自由な視線で

 読めば、作品ひいては世界への向き合い方に靴に砂でも入ったみたいな違和が生じ、各自に足下を見直させる。卓越した文学評論の名に値するすべてが本書にはある。
 我々は漱石や鴎外を教科書に載る〈国民作家〉として読みがちだが、それでは彼らの作品が〈美しい日本語・日本文学〉という凡庸な紋切り型に押し込められたままだ。
 そもそも漱石や鴎外はどんな時代に書いていたのか? 植民地的野心を抱く生まれたばかりの近代国家が、戦争のたびに変動する国境のうちに、異質な言語や文化を持つ人々を暴力的に抑え込んでいた時代である。漱石は1909年に満州と朝鮮を旅行するが、その帰国直後に伊藤博文がハルビン駅頭で安重根に暗殺される。著者は漱石が記した「韓満所感」という新資料を発掘し、漱石を植民地という文脈で読み直す。
 さらに鴎外の詩や泉鏡花、佐藤春夫の小説を当時の歴史状況に置き直し、日清・日露戦争、大逆事件、関東大震災など国家的事件と照らし合わせながら、思いも寄らぬ光景を露(あら)わにする。国境の内部に均質性と一元性を捏造(ねつぞう)し、それを強制する国家の思惑に収まりきらないテクストの微細な動きを本書は見逃さない。
 文学作品は一つの言語や文化に回収されえず、そこには砂粒のように異質な要素が、多様な他者の声やまなざしが紛れ込んでいる。だがそれは植民地の時代に限られた話ではない。我々の〈現在〉そのものがそうした砂なしには成り立ちえないからだ。
 それを誰よりも知る著者は、朝鮮半島出身者や、満州や台湾やブラジルへの日本人移民が日本語で書いた作品にも光を当て、近代文学の古典に対する以上の深い敬意と愛情を傾ける。差別や国境など人を分け隔てるいかなる線からも自由なその視線をなぞるとき、不安な美しさと豊かさに満ちた〈日本語文学〉の懐かしい風景が浮かび上がる。
    ◇
 河出書房新社・3780円/くろかわ・そう 61年生まれ。作家。本書の新資料を取り込んだ小説『暗殺者たち』など。
    --「国境〔完全版〕 [著]黒川創 [評者]小野正嗣(作家・明治学院大学准教授)」、『朝日新聞』2014年01月19日(日)付。

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覚え書:「ひとりの体で(上・下) [著]ジョン・アーヴィング [評者]いとうせいこう(作家・クリエーター)」、『朝日新聞』2014年01月19日(日)付。

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ひとりの体で(上・下) [著]ジョン・アーヴィング
[評者]いとうせいこう(作家・クリエーター)  [掲載]2014年01月19日   [ジャンル]文芸 

■過去形の甘さを引き出した傑作

 アメリカを代表する作家アーヴィングの長編がコンスタントに書かれ続けている。
 今回はヴァーモント州の小さな町に生まれたビル少年が、地域のアマチュア劇団に所属する家族(とはいえ、多くのアーヴィング作品に頻出するように実の父は“不在”なのだが)と共におおいに混乱しながら少しずつ年齢を重ね、やがて作家になっていく様子を丁寧に、しかも私小説めいた一人称で描く作品である。
 ビルは思春期にすでに男女双方に惹(ひ)かれている自分に気づく。彼は「男とも女ともセックスしたいという欲望」を持つのだ。ひとりの体で。
 そんな主人公の性的興味はまず図書館員ミス・フロストへと向かい、少年にとって小説そのものとの出会いが導かれる。劇団は母の次のパートナー、アボットを演出に迎えるから、そこでビルはシェークスピアやイプセンなどに触れ、広範な文学を身をもって“読んでいく”ことになる。
 さすがアーヴィング、登場人物は例外なく印象深く、女装好きのハリーお祖父(じい)ちゃん、憎まれ者のキトリッジなどが人生を色濃く生きる。中でもビルが焦がれるミス・フロストの性への手引きは苦くロマンティックである。
 そのミス・フロストの言葉を引いて、下巻でビルは言う。「それは私たちの物語だった--一緒にいられる時間があまりない、というのは」
 二人の関係が終わってしまう切なさを指しながら、ここで小説と読者の蜜月の終わりが示される。まさにそれは「私たちの物語」なのだ。
 実はもう十二分に老いている主人公は若かりし日々に繰り返し回帰し、自らを微笑(ほほえ)みながら見つめる。だから読者である我々もいつの間にか、ビルの少年時代を懐かしんでしまう。この「私たちの物語」を作る名人の技術と愛情!
 過去形そのものの甘さを存分に引き出した傑作。アーヴィング好きの私の中でも、これはたまらない一編だ。
    ◇
 小竹由美子訳、新潮社・各2100円/John Irving 42年生まれ。作家。『ガープの世界』など。
    --「ひとりの体で(上・下) [著]ジョン・アーヴィング [評者]いとうせいこう(作家・クリエーター)」、『朝日新聞』2014年01月19日(日)付。
 
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覚え書:「「流域地図」の作り方―川から地球を考える [著]岸由二 [評者]川端裕人(作家)」、『朝日新聞』2014年01月19日(日)付。

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「流域地図」の作り方―川から地球を考える [著]岸由二
[評者]川端裕人(作家)  [掲載]2014年01月19日
■人工的境界、取り払ってみると

 昨夏の日本は高温多雨で、台風も多かった。水の被害も相次いだ。その際、警報などの範囲が市区町村であることに違和感を抱いた人はどれだけいるだろうか。多くの水害は、行政区ではなく流域単位で起きるのに……。
 著者は「流域思考」を提唱し、流域単位での生物多様性の保全を提案実行してきた。東京都町田市を源流に横浜市で海に注ぐ鶴見川。三浦半島の全長1・2キロメートルの川が作る森。この2カ所の保全に力点を置く書籍をこれまで上梓(じょうし)している。その際、対になって語られてきた「治水」が本書で前景化した。
 基本となるのが「流域地図」だ。通常の地図では、道路や鉄道、行政区分が重視される。小さな川や蓋(ふた)をされた暗渠(あんきょ)は省略されている場合が多い。市境など「人工的」な境界は分かっても流域の境界、分水界は分からない。一方、流域地図は「自然な」位置について良好な見通しを与える。
 著者が表記する「自然の住所」の例。
 --日本列島・本州島・関東平野・多摩三浦丘陵群・鶴見川流域・矢上川支流流域・松の川小流域・まむし谷流域・一の谷北の肩。
 人工的区分を使わずに自分の足下と世界がつながる。水災害で言えば、100キロ離れた上流の豪雨が下流にとって脅威だと直観できる。さらに進めて治水と保全をセットで行う実践としては、鶴見川流域の「水マスタープラン」が詳述されている。自治体の枠を超えて健全な水循環を実現することは、今後の我々の大テーマとなるだろう。
 さらに地球温暖化についての重要な指摘。温室効果ガス削減による「緩和策」では追い付かず「適応策」が必要という科学的合意があるのに、なぜか日本では「緩和策」ばかり議論される。昨夏のような水災害が増える見込みは高く、流域単位での「適応」はその意味でも必須なのだ。
    ◇
 ちくまプリマー新書・777円/きし・ゆうじ 47年生まれ。慶応大名誉教授(進化生態学)。著書に『自然へのまなざし』。
    --「「流域地図」の作り方―川から地球を考える [著]岸由二 [評者]川端裕人(作家)」、『朝日新聞』2014年01月19日(日)付。

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日記:有機的知識人としての吉野作造


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知ることから理解することへの移行

 知ることから理解すること、感じることへの移行、あるいはその逆に感じることから理解すること、知ることへの移行。民衆的分子は「感じる」ことはあっても、つねに理解し、知るとはかぎらない。また知識人分子は「知る」ことはあるが、つねに理解することはかぎらないし、とりわけ「感じる」とはかぎらない。……知識人の誤りは、理解することなしに、とりわけ感じることなしに、情熱なしに(知ることそれ自体だけでなく、知る対象にたいしても)知ることができると「信じている」ことにある。……知識人と民衆--国民との、指導者と被指導者、統治者と被統治者との関係は、感情-情熱が理解となり、それゆえに知となるような(機械的ではなく生き生きとしたあり方で)有機的な紐帯がある場合にのみ、代表の関係であり、統治者と被統治者、指導者と被指導者とのあいだに個々の分子的興隆が生じ、このようにしてのみ社会的力としての統合的生活が現実化され「歴史的ブロック」が創造されるのである。
    --アントニオ・グラムシ(松田博訳)「知識人とヘゲモニー『知識人論ノート』注解」、『グラムシ「獄中ノート」著作集』明石書店、第III巻、2013年、80頁。

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遅きに失した感はあるものの、先週からようやくグラムシの『獄中ノート著作集』(明石書店)読み始めました(僕の場合はスピヴァク経由)。今、III巻の「知識人論ノート注解」が終わったところ。しかし、ホント、閃くことが多かった。

グラムシが言う通り、「知識人」を見いだすのは容易だが、それでもなお現代世界においては「非知識人」を発見することははなはだ困難。だれもが何らかのカタチで参与する。その世界で必要なのは「有機的知識人」というあり方なんだけど、これが自分の研究に遠回りながら接続するとは思いもしなかった。

吉野作造は既に「超克」された思想家となっている。しかし、テクストを読み、その足跡をたどると、「超克」なんてされてやいない。では何が吉野のアクチュアリティなのかと言えば、宗教者の社会性(クリスチャンデモクラット)とか民主主義の地下水脈、などと指摘もできるけどどうもすっきりしなかった。

確かに、日本宗教史を振り返ると、宗教者は社会性を喪失し、内部専念へというパターンが多い。信仰に薫発されてその真理実現へと奔走する社会派は結果、信仰を失うパターンが多い。その意味で吉野作造はその両端を排しているから高く評価することができる。民主主義議論もそう。しかし、それだけでない。

その、「それだけではない」というのが何だか分からずひっかかっていた。それがグラムシの著作を読むことで、言葉を与えられ、謎が氷解した。そう、すなわち、吉野作造の思想と実践とは、グラムシが待望した「有機的知識人」のそれなのだと。病院での仕事の休憩中に読み終え、一気にスパークした。

吉野作造が有機的知識人へとなり得た理由は、彼自身が反省できる人間であるということ。青年期吉野は植民地支配を好きではないがやむを得ないものと捉えているが、日本の植民地支配の地域を歩くことで、それを反省・否定し、脱植民地を構想する。転向は偽りの隠蔽だが、吉野は反省して軌道修正できる。

吉野作造が有機的知識人たり得たもうひとつの理由は、やはりそのキリスト教信仰の影響が大きい。吉野のキリスト教信仰の核は、あらゆる政治的イデオロギーから決別することだ(だから、その政治思想は七転八倒するし、脆弱ではある)。しかし、人間に即して社会と人間を変えようとする姿勢は信仰の薫陶によることは言うまでなく(すべての人間は信仰の如何に関わらず「神の子」であるというキリスト教信仰)。

吉野作造はその生前から「乗り越えられた」過去の論者というのが定位置でしょう。しかし、その吉野を「乗り越えた」と自認し、こちらの思想の方が最新だと吹聴した反保守の革新的立場の方が、彼らが嫌悪した保守主義者と同じく「人間」から乖離した徒手空拳だったという話しですね。ほんと。

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覚え書:「書評:彗星的思考 平井 玄 著」、『東京新聞』2014年1月19日(日)付。

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彗星的思考 平井 玄 著

2014年1月19日


写真
◆嗅覚で読むテキスト
[評者]丸川哲史=明治大教授
 書名「彗星(すいせい)」について、著者は簡潔に「恒星系を斜めに横切って旅する『宇宙のアノマリー(特異性)』」と述べている。本書のモチーフには否応(いやおう)なく、3・11以降の社会変動/運動がある。そして、いまだこの変動/運動の性格を正確に捉えた言葉は見つけられていない。確かに著者の指摘する通り、過去に引き起こされた数々の社会変動は、地震や津波など天変地異との「関連」の中で捉えられることができる。ただその「関連」は果たして、自然に理解できるものでもなく、また既成の理論で説明できるものではない(まして原発事故も伴えば)。
 そこで強調されるのが、地震を予知するナマズの比喩だろうか、「嗅覚」や「聴覚」の力である。本書の論述対象の半分は竹内好や谷川雁、平岡正明など過去の様々なテキストであるが、その向き合い方に、つまりそれらの文章の行間に「嗅覚・聴覚」を鋭く働かせていること、これが本書の最大のメリットである。
 中でも、谷川雁がかつて中国的土壌との対比において書いた「日本の二重構造」を読破し、むしろ「三重構造」となっているという変形は見事である。所属意識のあり様が異なる為政者-臣民の下にさらに無所属の群衆を置くこと、そしてこの群衆がアジア世界やアラブ世界と繋(つな)がっているというアノマリーな思考の旅…。彗星的思考がここに働いている。
(平凡社・2520円)
 ひらい・げん 1952年生まれ。批評家。著書『引き裂かれた声』など。
◆もう1冊 
 『谷川雁セレクション』(1)(2)(岩崎稔ほか編・日本経済評論社)。一九六○年代の名オルガナイザーの代表的論考集。
    --「書評:彗星的思考 平井 玄 著」、『東京新聞』2014年1月19日(日)付。

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彗星的思考: アンダーグラウンド群衆史
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覚え書:「政治の起源―人類以前からフランス革命まで(上・下) [著]フランシス・フクヤマ [評者]渡辺靖(慶応大学教授・文化人類学)」、『朝日新聞』2014年01月19日(日)付。

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政治の起源―人類以前からフランス革命まで(上・下) [著]フランシス・フクヤマ
[評者]渡辺靖(慶応大学教授・文化人類学)  [掲載]2014年01月19日   [ジャンル]政治 

■巨視的な視点で〈いま〉捉え直す

 国内外問わず、時局的な政治解説に日々接していると、ふと巨視的な視点から〈いま〉を捉え直したくなる。
 「政治制度の発展と衰退のメカニズム」に鋭く切り込んだ本書はそのための格好の書だ。
 まず何よりも評価すべきは、先史時代の社会や部族社会に関する人類学の知見を真摯(しんし)に取り入れながら、西欧近代の政治理論が前提としてきた合理主義的な人間観を客体視している点である。
 それゆえ、近代的な政治制度の発展には「国家」「法の支配」「政府の説明責任」の三つの均衡が必要だと説く際も、ホッブズやロックやルソー、あるいはギリシャやローマから語ることはしない。
 例えば、人類初の「近代国家」(=能力本位の官僚制をもとにした中央集権国家)は紀元前3世紀に中国の秦に出現したという。欧州より約1800年も前だ。
 ただ、中国では国家権力を制限する「法の支配」と「説明責任」が創出されることはなかった。それは一体なぜか。逆に、それらが西欧で確立したのはなぜか。インドから中東、ロシアまで広く視野に入れながら、著者は目から鱗(うろこ)が落ちるような斬新かつ明晰(めいせき)な解釈を次々と披露してゆく。
 その一方、政治が衰退する要因として、制度の「硬直化」と「再世襲化」を挙げる。自己革新できないまま、強力な利益集団が国家を占有してゆく状態だ。そこでは米国のみならず、日本に対しても厳しい目線が注がれている。
 人類の政治制度はリベラルな民主主義に収斂(しゅうれん)してゆく、と冷戦終結直後に著者が『歴史の終わり』で示した楽観的ビジョンは本書では影を潜めている。とりわけ巨大な国家権力を伝統とする中国の台頭は「小さな政府」を基調とする米国の論客である著者に本源的な不安を与えているようだ。
 個別事例に関する著者の解釈には異論もあろう。例えば、米国の独立革命は宗主国・英国からすれば「法の支配」を踏みにじる蛮行だったのではないか。特定の利益集団に牽引(けんいん)されない「革新」などあり得るのか……等々。
 しかし、本書の魅力はそうした細かな疑問を補って余りある。歴史を大鉈(おおなた)で斬り、世界の新たな見方を提示し、課題を設定してゆく能力は日本の知識人にもっとも欠ける資質かもしれない。
 壮大な叙述から紡ぎ出された「今日の政治にかかわる人々の多くは(中略)いま直面している問題が過去に起きた問題といかによく似ているかを理解していない」という著者の言葉が心に響く。
 著者との親交が深い訳者の翻訳と解説も実に的確。大学のゼミで学生たちとじっくり精読してみたい一冊だ。
    ◇
 会田弘継訳、講談社・上2940円、下2835円/Francis Fukuyama 52年、アメリカ・シカゴ生まれ。スタンフォード大シニア・フェロー。ハーバード大政治学博士。フランス革命から現代までを読み解く原著続編の刊行が、今年予定されている。
    --「政治の起源―人類以前からフランス革命まで(上・下) [著]フランシス・フクヤマ [評者]渡辺靖(慶応大学教授・文化人類学)」、『朝日新聞』2014年01月19日(日)付。

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覚え書:「福島第一原発観光地化計画 [編]東浩紀 [評者]隈研吾(建築家・東京大学教授)」、『朝日新聞』2014年01月19日(日)付。


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福島第一原発観光地化計画 [編]東浩紀
[評者]隈研吾(建築家・東京大学教授)  [掲載]2014年01月19日   [ジャンル]社会 


■「ここにあるもの」と向き合う

 表紙を見ただけで時代の大きな転換を感じずにいられなかった。震災、原発事故で大きなダメージを受けた福島をテーマにした本が、これほどに派手で、サブカル系ムックを思わせる表紙をまとったことに。中も図版が多く、しかも同じ調子で明るく楽しく、いわゆる震災本の暗く沈んだ反省調とは対照的である。しかも知識人が集まりながら、議論に終わらず、具体的提案満載であるところがすごい。何かを提案すること自体に、臆病で及び腰になってしまった昨今の日本を突き抜けている。個々のデザインがあまりに1960年代風であるのがちょっと気になったが、とりあえず、形にしてしまう勇気がさわやかである。
 明るさの裏には、観光化によって、工業化社会を超えていこうという、強いメッセージがある。工業化社会のあとを生きているという冷静な時代認識に基づき、観光化の可能性が追求されていて、説得力がある。
 20世紀において、観光は、本業(工業)の脇の息抜きであった。しかし今、観光こそ経済の主役であることが認識され、観光を通じて文化の本質へと接触する方法が追求され、観光を通じての文化の再構築の可能性すら示唆される。
 この本は、編者、東浩紀自身の力強い告白と読むこともできる。今までの自分は、「ここにはないもの」を探して、哲学、文学、ネット、サブカルの世界にいたが、これからは、「ここにあるもの」とも向き合っていこうと。「ここにあるもの」から、この表紙にみなぎるポジティブな明るさが発散されるのだろう。高度成長以降数十年の「ここにはないもの」を中心に動いてきた日本の文化を転回させようという本とも読める。「ここにあるもの」と向き合い、哲学、文学を復興させようとする東は頼もしい。震災と原発事故が、ポジティブに時代を展開させる可能性が、われわれを大いに勇気づける。
    ◇
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    --「福島第一原発観光地化計画 [編]東浩紀 [評者]隈研吾(建築家・東京大学教授)」、『朝日新聞』2014年01月19日(日)付。

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書評:立木康介『露出せよ、と現代文明は言う 「心の闇」の喪失と精神分析』河出書房新社、2013年。


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立木康介『露出せよ、と現代文明は言う 「心の闇」の喪失と精神分析』河出書房新社、読了。全てを晒そうとする欲望と内面の露出が人間を突き動かしている。現代文明の特徴とは「露出」ではないか--挑発的な現代批評だが肯きながら読んだ。躍起になってベールをはがしたところで空虚な現実しか存在しない。

「心の闇」の解明こそ現代社会の至上命題だが「『心の闇』は社会の敵なのか」(帯)。むしろ私たちは「心の闇」(修辞や隠喩)と、そのつきあい方を喪失した、解答集の模範解答のごとき「内面」などそもそもない。

「心の闇」の駆逐は結局のところ思考の弱体化をもたらす。実際的な現代の認知療法とて「晒す」と「露出」の圏内にとどまっている。ラカン派の精神分析学者の本格的現代批評。

 

[http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309246376/:title]

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露出せよ、と現代文明は言う: 「心の闇」の喪失と精神分析
立木 康介
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覚え書:「書評:濱口雄幸伝(上)(下) 今井 清一 著」、『東京新聞』2014年1月19日(日)付。


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濱口雄幸伝(上)(下) 今井 清一 著  

2014年1月19日


◆強く明るい政治めざして
[評者]櫻井良樹=麗澤大教授
 一九三○(昭和五)年十一月十四日、濱口雄幸(おさち)首相は東京駅で狙撃された。犯人は、金解禁と緊縮財政が農村の窮乏を招き、ロンドン軍縮条約が統帥権を干犯したとして、政党政治に反感を持つ右翼青年であった。濱口はその傷がもとで翌年八月に死亡した。狙撃された時に発した「男子の本懐」という言葉は、政策を貫き通した姿を体現したものとして有名となった。本書は濱口の本格的な伝記である。
 著者は長く日本政治史研究をリードしてきたが、驚くことに原稿は昭和三十年代のものだという。その頃著者は、「人物の姿が描かれていない」と批判された『昭和史』執筆者の一人であった。ところが本書は、公開前の濱口日記など多くの史料により、濱口の姿を生き生きと描いている。その後の史料発掘により、もの足りない部分もあるが、丸山幹治筆記のような、いまだ全貌が不明な史料も用いられている。
 それよりも、本書刊行の意義は、政党政治の発展過程を明確にしている点にあろう。政党をして政局の指導権を非立憲勢力から奪いとることに、力ずくで成功した原敬の勃興期。第一次大戦後の新思潮と民衆運動に対応した議会制度の改革をめざし、政党内閣原則を剛(つよ)い意志で実現した加藤高明の全盛期。政策を明示して世論に問い、その支持により責任をもって政策を実現するだけでなく、政党政治に対する大衆の信頼を得ることを重視し、そのために正しく強く明るき政治をめざした濱口の爛熟(らんじゅく)・衰退期というものである。
 評者は最近、加藤の伝記を出したが、言いたいことがすでに含まれていたことにも驚いた。著者は、すでに出版されていた原敬日記を読んでいたはずだが引用していない。そこに原の見方を相対化しようとする見識を感じた。また濱口が重視した大衆から政党政治への信頼感を得るための努力と、日本が世界から信頼されるための国際協調政策は、現在の政治においても依然として必要であると考えさせられた。
(朔北社・(上)2310円(下)2100円)
 いまい・せいいち 1924年生まれ。近代史研究者。著書『大正デモクラシー』。
◆もう1冊 
 城山三郎著『男子の本懐』(新潮文庫)。軍事費削減や行政改革にとり組んだ濱口雄幸と井上準之助、その生涯と志を描いた小説。
    --「書評:濱口雄幸伝(上)(下) 今井 清一 著」、『東京新聞』2014年1月19日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2014011902000167.html:title]

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覚え書:「書評:本ってなんだったっけ? 森 彰英+『週刊読書人』取材チーム 著」、『東京新聞』2014年1月19日(日)付。

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【書評】

本ってなんだったっけ? 森 彰英+「週刊読書人」取材チーム 著

2014年1月19日


◆紙の本が持つ魅力伝える
[評者]川井良介=東京経済大教授、日本出版学会会長
 本書は「紙の本の将来」を憂慮するフリージャーナリストらによる「紙の本へのエール」である。全四章からなる本書は、第二章の「書を捨てよ、街に出よう。」と第三章の「コンテンツ作りの現場を歩く」が中心である。
 第二章は、ジュンク堂池袋本店、リブロなど大型書店だけでなく、東京堂書店、代官山蔦屋書店、ヴィレッジヴァンガード三軒茶屋店、青山ブックセンターあるいは、小田急線や中央線沿線における町の本屋やブックカフェなどが紹介されている。とくに、西荻窪駅近くの小さな本屋さんにおけるトークイベントや読書会などのレポートからは、人と人を結びつける「本」というメディアの魅力が伝わってくる。
 以上のような書店の案内だけでなく、これらに関係する本が提示されているのは、より深く知りたい読者にとってはありがたい。
 第三章は、具体的な本や雑誌、ムックあるいは、出版社や本に係(かか)わるテレビ番組などに幅広く言及している。評者の関心を惹(ひ)いたのは、比較的話題にされることが少ない「岩波現代文庫」や『会社四季報』『日本鉄道旅行地図帳』であった。
 もっとも「岩波現代文庫」についていえば、従来の「岩波文庫」との刊行基準などの相違-「岩波文庫」が親本刊行から三十年以上を原則とするのに対して「岩波現代文庫」のそれが五~十年以上であるというようなことにも触れてほしかった。
 また、サブタイトルの「紙の本の未来を考える」が売るための惹句(じゃっく)にしても、電子出版の将来性を、電子出版の可能性を評価する本と、反対に否定的に把(とら)える本を提示するだけではあまりに残念というしかない。
 近年は、脳科学の知見などから紙の本を読む優位性や特徴が実証的に明らかになりつつある。このような動向を踏まえた考察こそ「紙の本へのエール」になるのではないだろうか。
(ブレーン発行、北辰堂出版発売・2415円)
 もり・あきひで 1936年生まれ。ジャーナリスト。著書『武智鉄二という藝術』。
◆もう1冊 
 福嶋聡(あきら)著『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書)。紙の本が存在する意味と優位性を、現役の書店員が体験を踏まえて考察する。
    --「書評:本ってなんだったっけ? 森 彰英+『週刊読書人』取材チーム 著」、『東京新聞』2014年1月19日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2014011902000166.html:title]

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本ってなんだったっけ?―紙の本の未来を考える
森 彰英 「週刊読書人」取材チーム
ブレーン
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覚え書:「書評:憲法と、生きる 東京新聞社会部 編」、『東京新聞』2014年01月19日(日)付。


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憲法と、生きる 東京新聞社会部 編

2014年1月19日


◆一人ひとりの身近に
[評者]横尾和博=文芸評論家
 「憲法」が身近ではなかった。抽象的で日々の生活からは遠く離れていた。多くの人がそう感じているのではないか。私も同様だ。しかし自民党憲法改正草案を読んで驚愕(きょうがく)した。「国防軍」「国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り…」、時代錯誤もはなはだしい。だが安倍首相は本気で秘密保護法、国家安保戦略、新防衛大綱、靖国参拝など一連の動きで解釈改憲、そして成文改憲へひた走る。
 そんななかで、本紙連載をまとめた本書は、大所高所から憲法を語るのではなく、誠実な取材によって、登場人物たちに、いかに時代のなかで憲法と向きあったのかを語らせている。権力に遠慮しない裁判官、気骨の学者、特高警察の監視下にあったキリスト教の牧師など、彼らの生き方の基本に憲法があった。九条だけでなく基本的人権、思想信条宗教の自由、健康で文化的な生活の権利など、いまのあたりまえの暮らしを憲法が保障していることにも改めて思いが至った。
 また、本書は福島や沖縄の光が届かないところにも憲法の光をあてている。「市井の憲法」がモチベーションなのだ。
 敗戦という大きな犠牲のうえにできた現憲法だが、私も含めて近現代史や政治をよく学ばなかったツケが回ってきたようだ。法律論としてではなく、心のなかにこそ憲法はある。本書は「一人ひとりの憲法」を考えるための参考書である。
 (岩波書店・1890円)
 中日新聞東京本社が関東地方と静岡県東部で発行している地域ブロック紙。
◆もう1冊 
 『現代語訳 日本国憲法』(伊藤真訳・ちくま新書)。日本国憲法、大日本帝国憲法の現代語訳と逐条解説。
    --「書評:憲法と、生きる 東京新聞社会部 編」、『東京新聞』2014年01月19日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2014011902000164.html:title]

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憲法と、生きる
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覚え書:「発信箱:丸山真男と北条民雄=小国綾子(夕刊編集部)」、『毎日新聞』2014年01月21日(火)付。


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発信箱:丸山真男と北条民雄=小国綾子(夕刊編集部)
毎日新聞 2014年01月21日

 政治思想史家、丸山真男さん(享年82)の記事を書くため著作を読み進め、ふと気になった。1933年、19歳で治安維持法違反容疑で検挙された丸山さん、激しい特高の取り調べにポロポロと泣き伏した夜のことを65年以降、ある小説の題名にちなんで「留置場での『いのちの初夜』」だったと語るようになった。小説とは、ハンセン病の診断を受けた北条民雄さんが療養施設に入所した最初の夜を描いた「いのちの初夜」。丸山さんはいったいどんな思いで、若き日の勾留体験を小説の題名に重ねたのだろう。

 手がかりを求めて、久しぶりに「いのちの初夜」を読み返した。登場人物は語る。「僕らは不死鳥です。新しい思想、新しい眼(め)を持つ時、全然癩(らい)者の生活を獲得する時、再び人間として生き復(かえ)るのです」。後書きによると、北条さんは小説に描いた一夜のことを「生涯忘れることのできない恐ろしい記憶」だが、そこに立ち戻らなければ「再び立ち上がる道がつかめなかった」と川端康成さんへの手紙に書いたという。丸山さんはこの小説を読んで、勾留体験こそが自分の思想の原点、「初夜」なのだと確信したのではないか。丸山さんの「大日本帝国の実在よりは戦後民主主義の虚妄に賭ける」という思想を支えたのは、19歳で体験した留置場での「初夜」だったのではないか。

 北条さんはこの作品で36年、文学界賞を受賞。翌年、23歳で死んだ。若くして他界した小説家と戦後民主主義のオピニオンリーダー。同じ年に生まれながら接点もなく、生きた時間も異なる二つの人生は、「いのちの初夜」という言葉で今も結ばれ、私たちに多くのことを物語る。2人は今年、生誕100年を迎える。
    --「発信箱:丸山真男と北条民雄=小国綾子(夕刊編集部)」、『毎日新聞』2014年01月21日(火)付。

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ストックすべき記事としての「覚え書」にコメンタリーをつけることには躊躇しますが、少しだけ。

丸山真男と北条民雄が同世代で今年、生誕100年(1914年生まれ)とは見落としていた。治安維持法違反で19歳の丸山眞男は検挙され、北条民雄はその年、ハンセン病を発病し翌年「収監」されている。情報統制と成長の代価としての優生主義が取り戻すべき日本の過去であるとすれば残念なことこのうえない。

ちなみに一高時代の丸山眞男は治安維持法違反で検挙されますが、これは「意識の高い」確信犯ではなく、自宅に出入りし家族同様のつき合いをしていた長谷川如是閑の講演にたまたま立ち寄ったところ、検挙され、思想形成に多大な影響を与えた。その意味ではまさに「いのちの初夜」なのだろう。

丸山眞男と彼が「賭け」ようとした戦後民主主義とは、近代主義者を自認したその姿を急進主義者と復古主義者たちは「揶揄」した。近代とは「超克」されるべきものだから。しかし、日本社会とは、iPhoneで海外とスカイプしながらも、それは外面だけで、内面は前近代ですから、まずそこからですよね。

ここ2年ほど集中して丸山眞男を読んでいるけど(←はやく1本まとめろって話しですが・涙)、丸山はすでに「乗り越えられた」ものではありませんよね。縦横に対象化されることを退けながら、あえて「あまのじゃく」として振る舞う挑発にこそ、丸山に学ぶべき醍醐味はあると思う。

戦前・戦中の「近代の超克」は、まさにアンチ西洋としてその「超克」が模索され、そのウラ返しとして安直な東洋主義としてオプションが容易された。しかし、そもそも近代化されいない訳で、近代を超克しようとするのであれば、その段階を経験しなければつう話しで、なら、民主主義ちゃんとやれよという話が必然される。

アクロバティックな夢想的オプションで乗り越えようとすると絶対に失敗する。それがまさに「超克の原理」。気がついたら工業規格もないまま、総力戦に突入。まあ、これぞ丸山の指摘する「いきおい」というヤツか。丁寧に「来るべき」ものを不断に到来せしめる努力が大事なのにね。

[http://mainichi.jp/opinion/news/20140121k0000m070143000c.html:title]


北条民雄『命の初夜』は青空文庫に収録されています。
[http://www.aozora.gr.jp/cards/000997/card398.html:title]


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自己内対話―3冊のノートから
丸山 眞男
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覚え書:「今週の本棚:中島岳志・評 『岡倉天心「茶の本」を読む』=若松英輔・著」、『毎日新聞』2014年01月19日(日)付。


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今週の本棚:中島岳志・評 『岡倉天心「茶の本」を読む』=若松英輔・著
毎日新聞 2014年01月19日 東京朝刊

 (岩波現代文庫・945円)

 ◇「美の宗教」から捉えるアジアという普遍性

 日本とアジアの関係が日増しに重要となる今日、岡倉天心はアクチュアルな思想家である。

 天心はインドで執筆した『東洋の理想』の冒頭で「アジアは一つ」と言った。中国とインドはヒマラヤ山脈で隔てられ、文化的な差異が明確に存在する。仏教やヒンドゥー教、イスラーム、儒教など、宗教も多様だ。しかし、それでも「アジアは一つ」だと天心は言う。なぜか。

 天心の見るところ、アジアは「不二一元」という同じ観念を共有している。山の頂は一つだが、登り道は複数存在する。世界はバラバラでありながら、いずれ一つの真理に到達する。アジア的思惟(しい)は真理の唯一性と、真理に至る道の複数性を重視してきた。無限の真理そのものを、有限の人間が把握しきることはできない。しかし、ただ一つの超越は、有限なる世界に具体的な姿を伴って自己展開する。すべては「一なるもの」の表現である。

 この「不二一元」論を、天心はインドの宗教思想家ヴィヴェーカーナンダから吸収した。そして、その認識論をアジア的論理として定位し、近代を昇華しようとした。天心にとってアジアは地理的な概念ではなく、宗教的概念である。彼はその具体的展開を「茶道」の中に見た。若松は、不二一元論こそ『茶の本』に太く貫かれた思想であると強調する。

 天心にとって、「茶」は単なる褐色の飲料ではない。それは「何ものかに遣わされた平和の使者である」。人は「茶」を媒介とすることで超越的存在と交わり、「いま」を変容させる。茶は天と人を結びつける。そして、一なる愛がよみがえる。

 茶道はそのための「道」である。「不可視のもの」が通る場所である。人は日々苦しみ、悲しみを背負う。しかし、静かに茶を飲むことで、もう一つの世界とつながる。嘆きの眼(め)には不可視の光が注ぎ、全身が宇宙に包まれる。傍らには何気ない茶器や一輪の花が添えられる。その美は我々に働きかけ、神の遍在を伝える。私たちは自己がその一部をなしていることに静謐(せいひつ)の中で気づく。

 天心は繰り返し「愛」の存在を喚起した。「愛」は差異と同一性の絶対矛盾の中に現れる奇跡である。天心にとって「愛」とは、「万物が、ふたたびその同一性を取りもどそうとする働き」である。アジアは「愛」であると天心が言った時、アジアは限定された空間を超えて普遍となる。アジアが世界を包む。そこに洋の東西は存在しない。

 『茶の本』は、単なる「茶の本」ではない。それは「茶」という「美の宗教」のあり方を問うことで、近代世界に変容を促す思想書である。天心は多くの思想家と交響し、アジアという旋律を奏でる。若松は内村鑑三や柳宗悦、九鬼周造、井筒俊彦などとの時空を超えたシンフォニーに耳を傾け、そこに壮大な思想的オーケストラを構成する。「読む」ことは、時に「書く」こと以上に創造的な行為である。若松は、真の意味で『茶の本』を読もうとする。そこには生命の根本を揺るがす律動が存在する。

 ボートを漕(こ)ぐ者は、前に進むために後ろを向く。過去を見なければ、前に進むことなどできない。私たちは未来へ向けて、死者と対話しなければならない。天心を「読む」ということは、その先の近代を構想することに他ならない。

 アジアと共に生きるしかない日本は、近隣諸国との不和ばかりを加速させている。私たちは、アジアを定位し直すことから、あるべき未来を見つめる必要があるだろう。そのとき本書はアジアの潜在的可能性を喚起する。名著だ。
    --「今週の本棚:中島岳志・評 『岡倉天心「茶の本」を読む』=若松英輔・著」、『毎日新聞』2014年01月19日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140119ddm015070012000c.html:title]

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岡倉天心『茶の本』を読む (岩波現代文庫)
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覚え書:「今週の本棚・新刊:『神社の起源と古代朝鮮』=岡谷公二・著」、『毎日新聞』2014年01月19日(日)付。

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今週の本棚・新刊:『神社の起源と古代朝鮮』=岡谷公二・著
毎日新聞 2014年01月19日 東京朝刊

 (平凡社新書・840円)

 神社というと、日本固有の存在と考えやすい。そのせいか、神社のもつ外来的要素を探る研究は異端視されがちだ。著者は神社信仰の成立という最も根本的な部分に古代朝鮮、中でも三国の一つ、新羅(しらぎ)の影響があるとの仮説を立てる。タブーを超えていくスリリングな力作。

 渡来人の痕跡を残す神社は、実は珍しくない。問題は、日本と朝鮮の、どちらがどちらに影響を及ぼしたかの点だ。著者はまず近江(滋賀県)の渡来系神社が例外なく古いという事実を前に、「渡来人たちが、倭人の神社にならって自分たちの神社を祀(まつ)ったのではない」と確信する。

 奈良、出雲……と探査を深め、クライマックスは韓国・慶州への旅。目的は、神樹が形づくる「堂(タン)」と呼ばれる聖地だ。このかつての新羅の都で、建物がなくて森だけの堂に出合う。神社も元々は社殿がなく、山や森、巨樹、巨岩に降臨する神を祭ったとするのが通説だ。日本の古い信仰と同じ形の堂の存在は、神社の起源が新羅にあることを示すのか……。

 軽々な結論は避けたいが、著者の実地踏査は説得力がある。近年、韓国の研究者も関心を持ち始めたといい、今後の展開が興味深い。(和)
    --「今週の本棚・新刊:『神社の起源と古代朝鮮』=岡谷公二・著」、『毎日新聞』2014年01月19日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140119ddm015070010000c.html:title]

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神社の起源と古代朝鮮 (平凡社新書)
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覚え書:「今週の本棚:井波律子・評 『岩波 世界人名大辞典』=岩波書店辞典編集部編」、『毎日新聞』2014年01月19日(日)付。

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今週の本棚:井波律子・評 『岩波 世界人名大辞典』=岩波書店辞典編集部編
毎日新聞 2014年01月19日 東京朝刊

 (岩波書店・2万9400円)

 ◇世界史に輝きを放つ人々を知る喜び

 さまざまな情報が氾濫する現代、古今東西、もろもろの人物について、正確な知識を迅速に得たいと思うこともしばしばだ。全世界を対象とする『岩波 世界人名大辞典』は、そうした要求にぴったり当てはまる外国人人名辞典である。収録項目総数は三万八千余り、このうち東アジア・東南アジアの人名は一万二千項目にのぼる。この中には、七千項目以上の中国の人名が含まれる。こうして全世界の特記すべき人物像が、時空を超えて綺羅(きら)星のごとく居並び、それぞれ固有の輝きを放つさまは、壮観というほかない。

 ここには歴史上、実在した政治家、文学者、芸術家、科学者など、古代から現代までの多様なジャンルの旗手がくまなく収録され、明快な解説によって正確な情報を得られる。中国に例をとれば、政治ジャンルでは、漢の高祖劉邦(りゅうほう)から習近平まで、文学ジャンルでは屈原(くつげん)から莫言(ばくげん)まで、芸術ジャンルでは「書聖」王羲之(おうぎし)から現代の画家徐悲鴻(じょひこう)までというふうに、精密かつ網羅的にとりあげられている。これに加えて、中国の人名につきものの字(あざな)や号などの別名が記載され、自在に知りたい人物にアプローチできるのも便利だ。

 また、ビッグな人物のみならず、各時代に何らかの意味で、瞠目(どうもく)すべき痕跡を残した人物もまた、遺漏なくとりあげられている。これまた、中国に例をとれば、四世紀の東晋(とうしん)時代の大政治家謝安(しゃあん)はむろんのこと、その姪(めい)で古今きっての才媛の誉れ高い謝道〓(しゃどううん)も、有名なエピソードとともに具体的に紹介されており、きめ細かな配慮がうかがえる。

 さらにまた、実在の人物のみならず、神話伝説、文学作品などに登場する架空の人物も、数多く収録される。文学作品では、ボヴァリー夫人やダンテス(モンテ=クリスト伯)、『水滸伝』の豪傑魯智深(ろちしん)や『紅楼夢』の賈宝玉(かほうぎょく)等々に加え、ルパンやホームズまでとりあげられ、彼らが登場し活躍する物語世界のエッセンスに触れることができる。

 このほか、従来の分野に加えて、ポップカルチャーやスポーツなど、現代の新しい分野に積極的に踏み込んでいるのも、この辞典の大胆にしてゆたかな試みである。

 クラシックの巨星ベートーヴェンやモーツァルトと分け隔てなく、ボブ・ディラン、エリック・クラプトン、ローリング・ストーンズなどが続々と登場するさまを見ると、愉快な気分になってくる。なお、ストーンズもそうだが、ここでは個人名のみならず、グループ名で立てられた項目もある。はなはだ個人的な話だが、私の偏愛する北米のロックグループ、ザ・バンドの項目もあり、簡にして要を得た解説で、メンバー、代表アルバム、グループの特徴などが記されており、大いに喜ばしく思った。

 映画や演劇のジャンルにもむろん多くの項目が立てられ、たとえば、アラン・ドロン、ロミー・シュナイダー、香港映画のチョウ・ユンファ、中国映画のコン・リー等々、東西屈指の映画スターの項目では、それぞれの代表作が丹念に収録、紹介されている。

 このように、広い視野に立って、およそ考えられるかぎりのジャンルを網羅し、古今東西の膨大な人名を収録したこの辞典の最大のメリットは、着実な資料にもとづき、正確な情報を記載していることであり、読む楽しみを味わいながら、ゆったりと知識を身につけることができる。巻末の欧文および漢字の索引もすこぶる充実している。
    --「今週の本棚:井波律子・評 『岩波 世界人名大辞典』=岩波書店辞典編集部編」、『毎日新聞』2014年01月19日(日)付。

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岩波 世界人名大辞典
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書評:細馬宏通『ミッキーはなぜ口笛を吹くのか アニメーションの表現史』新潮社、2013年。


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細馬宏通『ミッキーはなぜ口笛を吹くのか アニメーションの表現史』新潮社、読了。世界で初のアニメーションは『愉快な百面相』(1906年)。3分の作品は黒板に描かれたチョーク画だった。黒板の絵が動く。最初期のアニメはヴォードヴィルの「チョーク・トーク」に由来。寄場の似顔絵即興劇がその原型という。

本書は、『愉快な百面相』から『トムとジェリー』に至るまで、個々の作品分析を通して「アニメーションの表現史」を辿るユニークな試み。ウィンザー・マッケイ、W・ディズニー、フライシャー兄弟など、巨匠たちの表現技法について具体的に解読する。

著者の専門は、視聴覚メディア史(言葉と身体動作の時間構造)。映像とセリフのシンクロニシティを巡る考察がスリリング。アメリカではプレシンク、日本ではポストシンク。前者は映像と音声を合わせるが、後者は無視する。アフレコは浄瑠璃等の伝統に浮上する。

「アニメーションの傑作はいかに作られたか?」(帯) 本書は著者の大学での講義が本書の元になっているが、映像と併せて読むとより理解しやすい。


これが世界で最初のアニメーション「愉快な百面相」(1906)ですね。
Humorous Phases of Funny Faces:


http://youtu.be/8dRe85cNXwg

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覚え書:「今週の本棚:池内紀・評 『放射能-キュリー夫妻の愛と業績の予期せぬ影響』/『光の子ども 1』」、『毎日新聞』2014年01月19日(日)付。

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今週の本棚:池内紀・評 『放射能-キュリー夫妻の愛と業績の予期せぬ影響』/『光の子ども 1』
毎日新聞 2014年01月19日 東京朝刊

 ◆池内紀(おさむ)評

 ◆『放射能-キュリー夫妻の愛と業績の予期せぬ影響』=ローレン・レドニス著、徳永旻訳

 (国書刊行会・5880円)

 ◆『光の子ども 1』=小林エリカ・著

 (リトルモア・1470円)

 ◇「目に見えないもの」の誕生と災厄の歴史

 放射能は目に見えない。それはキュリー夫妻の発見と命名に始まる。二十世紀初頭の科学進歩の成果として、大いなる福音ともなれば、とどめようのない災禍をもたらした。目に見えないものの歴史を、目に見えるように語ることはできないか。

 たのしい偶然だが、アメリカと日本でほぼ同時に、若い女性が厄介な課題にとりくみ、みごとにやってのけた。ともに語りの才と画才があって、それを強力な武器とした。すこぶる個性的な二冊の画文集が、とびきり現代的なテーマに対する意味深い回答になっている。

 アメリカ人ローレン・レドニスの『放射能』は、本づくりそのものが本の内容を訴えている。数多くの画像は「青写真プリント」として知られる手法によっており、大判のページがさまざまな色をおびている。プルシャン・ブルーに始まって、バーミリオン、黒、イエローグリーン、あるいはエメラルドグリーン。どれも抑えた色調で、しみるように感光したかのようだ。キュリー夫人のいうラジウム特有の「自発的な発光体」と対応している。

 各章のタイトルは、対称性、磁性、融合、白い閃光(せんこう)……。マリー・キュリーの博士論文の章タイトルによる。レドニスは欧文活字まで自作したが、訳書ではパソコン技術で独特の和文字体を生み出した。放射能という変幻きわまりないものの特性を感覚的に伝えるためである。

 ポーランド生まれのマリー・キュリーは、夫ピエールとともに粗末な研究室で未知の元素を追いかけた。夫が事故死したのちは独力で、偉大な科学的業績をなしとげた。娘のエーヴ・キュリーの手になる『キュリー夫人伝』はひろく世界に知られている。

 レドニスは歴史的エピソードをたどりながら、美しい神話的人物とはべつの女性像をあぶり出していく。二度目のノーベル賞のころ、マリーは亡き夫の教え子の妻ある科学者と熱愛中で、スキャンダルにつつまれていた。二十世紀の幕明けに登場したラジウムの輝かしい力に対して、夫ピエールはそれが「犯罪者の手」に渡ることを恐れたが、マリーはむしろその幻惑的な「発光スペクトル」に魅惑されたようなのだ。いっせいに登場したラジウム仕様の新製品の一つの新塗料を、時計の文字盤にかぶせる際、若い女性作業員たちは筆の穂先を唇にはさんだ。

 やがてあごの腐食、出血、貧血、衰弱へとすすむ。ある少女は鏡の自分を見て失神した。

 「彼女の身体は内側に光をもっているかのように輝いていたのでした」

 晩年のキュリー夫人について、研究所の助手が「壁を通り抜ける」かのような姿を伝えている。長期にわたる放射線被曝(ひばく)による「再生不良性貧血」だった。魔術から科学への道をたどった放射能という怪物を、アートに託して検証するなんて、アメリカの才人にしかできない芸当である。

 小林エリカ(一九七八-)の『光の子ども』は、レドニスとは対照的に白と黒のみ、ときおりプルシャンブルーが散りとんだ点として入り込む。この若い作家・マンガ家は活字やカラーではなく巧みな構成によった。個々の歴史的事実を絵の具のチューブから色を置くように配置して、目に見えない糸を張りめぐらせる。一八九六年、日本では三陸大津波で二万五千余の命が奪われた。その前年にレントゲンが謎の光「X線」の存在を確認。一九〇三年はキュリー夫妻がノーベル物理学賞を受けた年だが、アメリカのノースカロライナでライト兄弟がはじめて空を飛び、人類が空に進出した。『キュリー夫人伝』の作者エーヴが生まれた年は、「原子爆弾の父」ロバート・オッペンハイマーの誕生とかさなっている。

 キュリー夫妻は新しい元素ラジウムを鉱山の廃物ピッチブレンドから取り出した。元のドイツ語ではペッヒブレンデ。ペッヒは「不運」、ブレンデは閃亜鉛鉱。それは「不幸の石」に始まる。はたして単なる偶然なのか。

 新元素によって人類ははじめて「光」を手にした。つましい暮らしの発見者が特許を放棄する一方で、「光」は直ちに経済原理に組みこまれ、一グラムのラジウム評価額は75万フランにのぼった。

 事実の組み合わせと並行して、大いなる災厄の年二〇一一年生まれ、「光」と名づけられた主人公が語られていく。現代を介入させて、放射能をめぐる固定しがちな先入観にゆさぶりをかけ、新しく照明をあてていく。いまやそれは私たちが呼吸している空気にもひとしいだろう。マリーが祖国ポーランドにちなんで命名したポロニウムは、原爆の中性子発生装置に使われ、『光の子ども』によれば、その開発を指揮したモンサント社は、現代では遺伝子組み換え作物のシェアの90%をにぎっている。

 コミックは変幻自在に時空をこえ、いかに強力な表現媒体であるかがよくわかる。『光の子ども』はさらにつづく。どのような「かたち」で、目に見えないものの歴史がつづられていくのだろう。
    --「今週の本棚:池内紀・評 『放射能-キュリー夫妻の愛と業績の予期せぬ影響』/『光の子ども 1』」、『毎日新聞』2014年01月19日(日)付。

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放射能  キュリー夫妻の愛と業績の予期せぬ影響
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覚え書:「今週の本棚:若島正・評 『日本語に生まれて』=中村和恵・著」、『毎日新聞』2014年01月19日(日)付。


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今週の本棚:若島正・評 『日本語に生まれて』=中村和恵・著
毎日新聞 2014年01月19日 東京朝刊

 (岩波書店・1995円)

 ◇揺れる日本語と世界の出会い

 『日本語に生まれて』--このインパクトのあるタイトルを見て、おやと疑問に思う人は多いだろう。われわれは日本人に生まれたのであって、日本語に生まれたわけではないと。そう思った人は、ぜひ本書を手に取ってほしい。とりわけ、この書評欄を楽しんで読んでいるような、本の好きな人、自分の知らないものの見方に出会いたくて本を読んでいる人、そして本屋さんに行くことが好きな人に読んでもらいたい。

 副題に「世界の本屋さんで考えたこと」とあるように、本書は著者の中村和恵が世界各地に出かけていって、その土地でまず「すみません、本屋さんはどこですか」とたずね、本屋さんに出会い、本に出会った、その報告記である。それは「目で文字を追うだけでなく、その土地にいって、土地を読む」というこころみであり、著者の言葉を借りれば「脚で読む」という実践の記録だ。旅先は、あまり日本人観光客が行かない、トンガやドミニカ島といった小さな島に始まり、インドやオーストラリア、そして暴動のさなかのロンドンとさまざまだ。小さな島にも、人々がいるかぎり、どんなに小さくても本屋さんがあり、そして本がある。

 だからといって、いわゆる愛書家と勘違いしてはいけない。「本だけじゃわからないんだ、本は」と著者は言う。本の話なのに矛盾したことを書いているようだが、必ずしもそうではない。「揺れながら、間違いながら、ぶつかりながら、考える」というのが著者の態度であり、そこにはさまざまな声が響いている。英語だけではない、さまざまな言葉に出会い、さまざまな人に出会い、そこからひとつではないさまざまな声をつむぎだす、それが本書の最大の魅力だ。

 そうして世界のあちこちに出かけていって、主に旧植民地で自国語と英語のせめぎあいや混成のありようを体験したとき、著者は日本語に生まれた我が身を想(おも)う。日本語とは「日本国内の需要供給のみに頼って経済活動が成立しうる、絶妙な話者数を抱えた言語」であり、翻訳の恩恵によって、日本語だけで相当の知識を得ることができるという点で、日本は「非西洋言語圏では数すくない幸運な言語事情の国」だと著者は書く。しかし、「日本語でわたしたちは残念ながら、日本以外の国の人々に語りかけることがほとんどできない」。そのかたわらで、著者は日本語を手放すことができない。英語圏読者にはもどかしく映る漱石の『坊っちゃん』を再読して、日本語を縦書きで読むおもしろさを再発見するくだりも楽しい。そして、「日本語でぎりぎり手の届く、ある不明瞭な領域に、英語では手が届かない気がする」ことから、著者は日本語で書くことの意味を考えようとする。

 だから本書は、論理的整合性よりもむしろ揺れや屈曲を特徴にした日本語で書きながら、異なる文化との交わりを考え、実践しようとしたこころみであり、その意味では、さまざまな言葉に橋を架けようとする翻訳なのだ。本書の言葉は、ときにはやわらかく曲がり、ときには直截(ちょくせつ)になる。その鍛えられた日本語を読むのは心地よい。

 世界のあちこちから見れば、日本は決して「経済大国」のセルフイメージのような大国ではなく、小さな島国である。「日本人がおもうよりも日本人は日本人以外にとって、『異なる』人々なのだ」。しかしそれは、偏狭なナショナリズムに陥ることがなければ、まったくかまわない。著者が言うとおり、「この世は端っこのほうが、断然おもしろい」のだから。
    --「今週の本棚:若島正・評 『日本語に生まれて』=中村和恵・著」、『毎日新聞』2014年01月19日(日)付。

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日本語に生まれて――世界の本屋さんで考えたこと
中村 和恵
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覚え書:「ローマ法王:長崎キリシタンは「模範」 潜伏し信仰死守、称賛」、『毎日新聞』2014年01月17日(金)付。


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ローマ法王:長崎キリシタンは「模範」 潜伏し信仰死守、称賛
毎日新聞 2014年01月17日 東京朝刊

一般謁見に現れたフランシスコ・ローマ法王=バチカンのサンピエトロ広場で15日、AP

 【ローマ福島良典】世界のキリスト教カトリック信徒約12億人の頂点に立つフランシスコ・ローマ法王は15日、江戸時代に長崎の潜伏キリシタンが聖職者不在の中で約250年間にわたって自分たちで洗礼を授け、信仰を守り続けてきたことを「模範」とたたえた。

 法王はバチカンのサンピエトロ広場での一般謁見で「日本のキリスト教徒は17世紀初めに厳しい迫害を受けた。司祭は追放されて、いなかったが、キリスト教徒は潜伏しながら信仰と祈りを守り、子どもが生まれると父母が洗礼した。洗礼のおかげで生き延びた」と説明。「この出来事から私たちは多くのことを学ぶことができる」と述べた。

 法王が言及したのは長崎・浦上の潜伏キリシタン。禁教下、7世代にわたって信仰を死守してきた農民の男女十数人が1865年に大浦天主堂を訪れ、約250年ぶりに信徒と司祭の出会いが実現した。「信徒発見」と呼ばれ、宗教史上の奇跡と言われている。

 日本全国のカトリックの司教で作る「日本カトリック司教協議会」は2015年が「信徒発見」から150周年にあたることなどから、法王の訪日を招請している。訪日が実現すれば、1981年2月の前々任、ヨハネ・パウロ2世以来2回目となる。法王は昨年7月のブラジル訪問の帰路、今年以降、アジアを訪問したいとの意向を表明した。
    --「ローマ法王:長崎キリシタンは「模範」 潜伏し信仰死守、称賛」、『毎日新聞』2014年01月17日(金)付。

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書評:駒井洋監修、小林真生編『移民・ディアスポラ研究3 レイシズムと外国人嫌悪』明石書店、2013年。


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駒井洋監修、小林真生編『移民・ディアスポラ研究3 レイシズムと外国人嫌悪』明石書店、読了。官民あげて高まる拝外主義とヘイトスピーチだが、その台頭に対する日本社会の認識も対応も著しく遅れている。本書は「レイシズムと外国人嫌悪」の実態を露わにし、逆風へのオプションを提案する。

三つの視座でその現在進行形を素描する。即ち、1)レイシズムとしてのネット右翼、2)ヨーロッパにおけるイスラモファビア、3)日本人の拝外意識と外国人管理の強化。安田浩一×邦富対談「ネット右翼と反日暴動、その底流にあるもの」も収録。

不穏な動静のなか、日本はオリンピック招致に成功した。東アジア出身の編者の友人たちは「好きで日本に来ているのだから、喜ぶのは当然」という。「それに対していかに応えるのかを、この社会がとわれている」。論集ながら読みやすくおすすめ。
 

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レイシズムと外国人嫌悪 (移民・ディアスポラ研究3)
小林 真生
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覚え書:「今週の本棚・新刊:『月日の残像』=山田太一・著」、『毎日新聞』2014年01月19日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『月日の残像』=山田太一・著
毎日新聞 2014年01月19日 東京朝刊

 (新潮社・1680円)

 テレビの人気脚本家というと派手な印象があるが山田太一はむしろ地味。好んで表に出ないようにしているところがある。

 大学を卒業してから松竹に入社。助監督として木下恵介作品に八本ついた。仕事柄、人前で大声を出さなければならないが、これが苦手だったという。人と騒ぐのも苦手。

 多くの助監督が監督を目ざすなかで脚本家の道を選んだ。一人で出来るから。「一人でいられて好きな映画に関われるのは、シナリオライターしかないではないか」

 浅草の生まれというのは意外。家は食堂をしていた。それでいて「地縁共同体で育ったという記憶がほとんどない」と孤高。

 戦時中、店は強制疎開で壊され、やむなく湯河原に移った。そこで母親は敗戦直前に病死する。また三人の兄を肺結核で亡くしている。

 あまり子ども時代のことを語らない山田太一だが、死を身近に見て育ったことが分かる。山田ドラマの底に見え隠れする人間への厳しい目はこの体験ゆえかもしれない。

 ずっと東京ではなく川崎市の溝の口のはずれに住む。東京に出て光を浴びたくないからという。(川)
    --「今週の本棚・新刊:『月日の残像』=山田太一・著」、『毎日新聞』2014年01月19日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『山の本をつくる』=中西健夫・著」、『毎日新聞』2014年01月19日(日)付。

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今週の本棚・新刊:『山の本をつくる』=中西健夫・著
毎日新聞 2014年01月19日 東京朝刊

 (ナカニシヤ出版・2940円)

 京都大にほど近いナカニシヤ出版は人文系の専門書で定評ある中堅出版社だが、良質の山岳書をコツコツと出していることでも知られる。「先生方の本をこれまで2000冊ほど出してきましたが、生涯に1冊だけ自分の本をつくってみよう」と、77歳になる社長の中西健夫さんがまとめたのが本書だ。

 本人も若いころから京都・北山や比良山、奥美濃の山々を熱心に歩いた。今西錦司、桑原武夫ら一級の学者で、かつ登山家でもあった人々の背中を眺めながら、『鈴鹿の山と谷』『カラコルム・ヒンズークシュ登山地図』『新日本山岳誌』などの大著を次々と刊行。「旧制京都一中の山岳部には立派な図書室があったんや、そこがほかのスポーツと違うとこやと、梅棹忠夫先生が自慢されていた。登山は文化です」と信じるからだ。

 今の中高年登山は健康志向で、山の本を読まなくなった。大手出版社もあまり出したがらない。

 だがターゲットを絞れば山岳書も採算がとれる。「その辺りのノウハウもこの本に込めました」。伝統を絶やさず、次代に受け継ぎたいという思いが伝わる。(榊)
    --「今週の本棚・新刊:『山の本をつくる』=中西健夫・著」、『毎日新聞』2014年01月19日(日)付。
 
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覚え書:「みんなの広場 リーダとしての分別がない」、『毎日新聞』2014年01月15日(水)付。


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みんなの広場
リーダーとしての分別がない
無職 80(千葉県船橋市)

 「靖国神社に祭られる英霊に対して尊崇の念を持ち参拝するのは当然だ」と、安倍晋三首相は言う。それは間違いではない。ただ、置かれている立場を考えないことが、分別が無いと言われるのだ。

 反発や抗議を強めているのは中国や韓国ばかりではない。同盟国のアメリカも異例のコメントで「失望した」と、強い不快感を示した。欧州からも批判の声が上がっている。他のアジアの国々だって、戦犯の祭られている靖国神社参拝はおもしろくあるまい。これでは世界の孤児になってしまう。

 国家国民にとって計り知れない損失だ。信念であれ信仰であれ、これは断じて許されることではない。たった一人の行動で国全体を不幸にしてよいのか。民間レベルで友好親善の努力をしても、リーダーがぶち壊したのではしょうがない。本当に尊崇の念を持っているのなら辞職後、毎日でも参拝すればよい。俺に文句を言うやつはいないという、傲慢さが危険だ。
    --「みんなの広場 リーダとしての分別がない」、『毎日新聞』2014年01月15日(水)付。

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日記:「くらしの明日 私の社会保障論 医療現場にも忍び寄る影=本田宏」、『毎日新聞』2014年01月15日(水)付。

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くらしの明日
私の社会保障論
医療現場にも忍び寄る影
秘密保護法とインフォームドコンセント
本田宏 埼玉県済生会栗橋病院院長補佐

 今年は私にとって還暦に当たる年だが、今回ほど沈鬱な気分で正月を迎えたのは初めてだ。昨年12月に国内各層からの幅広い反対と慎重審議を求める声を無視して、特定秘密保護法が強行採決されて成立したからだ。
 今回の法律では、秘密の範囲が外交や国際テロ分野以外にもひろ学可能性があり、しかも情報開示がされないものも想定されるため、重要情報が抹殺され、将来の歴史的な検証も不可能になる恐れがある。このまま秘密保護法が施行されれば、民主主義の根幹をなす「国民の知り権利」が侵される恐れが強い。医療現場では、世界常識となったインフォームドコンセントの理念が日本の政治から失われる危険性が高い。
 インフォームドコンセントとは「正しい情報を得た上での合意」を意味する。医療者が患者に検査や投薬、手術などを実施する際、それらの内容について詳細に説明し、患者が治療などのメリットだけでなく、デメリットを十分理解したうえで、自らの自由意思に基づいて医療行為を受ける同意をすることだ。
 インフォームドコンセントが世界的に注目されたきっかけは、1964年の世界医師会で採択された医学研究の倫理的原則を定めた「ヘルシンキ宣言」だ。この宣言は、先の大戦中にナチス・ドイツ政権下で起きた「医師による患者への残酷な人権侵害」と、加えて医師がその行為をしたのはナチス政権の指示に従ったためで、行為は合法であったという事実に反省と自責の念を持って採択された。
 世界医師会は、ナチスと同じ人権侵害を二度と繰り返さないため「医師は非倫理的行為を求める法には従わない」ことを決めた。さらに、ナチス政権下のような医師の独断による医療を防ぐため、世界中の医療現場で、患者の自己決定権を最優先するインフォームドコンセントが行われるようになった。
 今回の秘密保護法は、宣言のこの規定に抵触する可能性が高い。国が求めれば医療者が患者の個人情報を開示しなければならず、患者の人権が損なわれ、患者との信頼関係が崩壊し、医療行為が成り立たなくなるからだ。そのうえ、秘密保護法では、監督官庁が意図的に情報を隠したり廃棄したりできるようになり、薬害エイズのような事件の解決も不可能になる。
 医療行為の基本が医療者と患者間のインフォームドコンセントにあるように、民主政治の基本は政治家と国民の間の説明と同意にあるはずだ。論語の「民信無くば立たず」のように、国民に情報を開示する努力を放棄すれば、日本の民主主義は根幹から崩れる。子や孫に胸を張ってバトンタッチできる国にするため、今年は秘密保護法廃止に向けた運動の一年としたい。
ことば ヘルシンキ宣言
 ヒトを対象とした医学研究に関する倫理の原則。ナチス・ドイツの反省から、患者の尊厳を損なう人体への介入や組織の使用を防ぐために作られた。自由意思による同意、患者の利益やプライバシーの保護、臨床研究などに関する規定がある。
    --「くらしの明日 私の社会保障論 医療現場にも忍び寄る影=本田宏」、『毎日新聞』2014年01月15日(水)付。

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覚え書:「歌舞伎座五代―木挽町風雲録 [著]石山俊彦 [評者]隈研吾(建築家・東京大学教授)」、『朝日新聞』2014年01月12日(日)付。


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歌舞伎座五代―木挽町風雲録 [著]石山俊彦
[評者]隈研吾(建築家・東京大学教授)  [掲載]2014年01月12日   [ジャンル]歴史 アート・ファッション・芸能 

■国家背負った大劇場の歴史

 まず江戸時代以来、「歌舞伎座」という名の大劇場が、脈々と伝統を継承してきた、という誤解が解かれる。第1代歌舞伎座(明治22年)以前は、小さな芝居小屋たちが盛衰を繰り返していた。
 外国通の人々が、ヨーロッパの首都に聳(そび)えるオペラ座という文化の殿堂を見て、「日本」を発揚するために、国家を背負った大劇場が必要だと感じ、「歌舞伎座」という文化装置を発明した。
 その後の紆余曲折(うよきょくせつ)が楽しい。この庶民的な、軽やかな芝居と、国家、経済との間に横たわるギャップゆえに、緊張、軋轢(あつれき)のドラマが連続し、多様な登場人物が華をそえた。最新の第5代歌舞伎座の設計に携わったこの僕自身が驚いてしまうほどに、この劇場の歴史はスリリングであった。
 しかし、逆に見れば、それだけエキサイティングなエピソードの連続だったからこそ、歌舞伎は緊張感を保ち続け、歌舞伎座は東京の中心として輝くのだと感じた。
    ◇
 岩波書店・2100円
    --「歌舞伎座五代―木挽町風雲録 [著]石山俊彦 [評者]隈研吾(建築家・東京大学教授)」、『朝日新聞』2014年01月12日(日)付。
 
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歌舞伎座五代――木挽町風雲録
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覚え書:「豊国祭礼図を読む [著]黒田日出男」、『朝日新聞』2014年01月12日(日)付。


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豊国祭礼図を読む [著]黒田日出男
[掲載]2014年01月12日   [ジャンル]歴史 アート・ファッション・芸能 

 豊臣秀吉の死後、京都の武家や町衆が行った祭礼を描いた17世紀初頭のびょうぶ絵が豊国祭礼図だ。狩野内膳作の豊国神社本と、描法が個性的な岩佐又兵衛(かその工房)作の徳川美術館本が代表作で、人々が輪になって踊り狂う場面で知られる。
 歴史的な絵画がはらむ意味を、文献史料のほか様々な方法で読み解いてきた著者の新作。カバー絵には輪踊りではなく、かぶき者同士のけんか(徳川美術館本)を使った。この場面の解読が全編の頂点をなす。そこに至る記述は、これまでの著者の本よりやや難しいかもしれない。だが、もろ肌脱いだかぶき者を豊臣秀頼とする解釈で視界は一気に晴れる。同時に権力交代の哀切さすら漂うのだ。
    ◇
 角川選書・2100円
    --「豊国祭礼図を読む [著]黒田日出男」、『朝日新聞』2014年01月12日(日)付。

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覚え書:「みんなの広場 現憲法は変える必要ない」、『毎日新聞』2014年01月16日(木)付。


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みんなの広場
現憲法変える必要ない
無職 58(宮崎市)

 法律関係の資格を目指して憲法を学んでいる。憲法は、学べば学ぶほど実によくできていると感じている。「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」の3本の柱からなり、その目指すところは恒久平和と国家権力の乱用から国民を守ることにある。まさに国家の決まり事の根本と言うにふさわしい内容である。 
 一方、本紙に連載中の「憲法をよむ」を愛読させてもらっている。その中の現憲法と自民党案との比較がとても興味深い。今国家権力の中心にある自民党の案は、国政を運営する上で憲法の条文が障害となっている部分を変えようとしていると思えて仕方がない。
 例えば9条の武力行使について、現行憲法では「永久に放棄」となっているところ自民案では単に「用いない」となっている。つまり武力行使の可能性を残す内容に変わっているととられる。このことは「平和主義」の根幹を揺るがすものではないか。こんなによくできた憲法、変える必要はどこにもないと考える。
    --「みんなの広場 現憲法は変える必要ない」、『毎日新聞』2014年01月16日(木)付。

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日記:コロンビア大学コアカリキュラム研究会

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 「ところで、そのうちまず優秀者支配制に対応するそれと相似た人間については、われわれはすでにこれを詳しく論じたが、このような人間を善くかつ正しい人間であると、われわれは正当に主張するのだ」
 「ええ、すでに論じました」
 「そうすると、つぎにわれわれは、それより劣った人間たち--すなわち、まずスパルタふうの国制に対応する人間としての、勝利を愛し名誉を愛する人間を、そしてさらに寡頭制的な人間、民主制的な人間、僭主独裁制的な人間のことを、論究して行かなければならないわけだね? その目的は、最も不正な人間を観察し、これを最も正しい人間に対置させることによって、そもそも純粋の〈正義〉は純粋の〈不正〉に対し、それを所有する人間の幸福と不幸という点から見てどのような関係にあるか、というわれわれの考察を完成させることにある。そうすればわれわれは、トラシュマコスに従って〈不正〉を求めるべきか、それともいま示されつつある言説に従って〈正義〉を求めるべきかを、決めることができるだろうからね」
    --プラトン(藤沢令夫訳)『国家 下』岩波文庫、1979年、172頁。

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金曜日は、大学での期末試験がありましたが、それを終えてから、かねてか要望の多かったコロンビア大学の文理横断の教養教育プログラム(コアカリキュラム)のテクストを読む研究会を始動しました。

初手としてプラトン『国家』を取り上げ、2時間近くつっこんで議論してきました。

プラトンの『国家』が対話篇において特異なのは、作中のソクラテスが、答えをだしてしまう点ではないかと思います。殆どの対話篇は実際のところ、ドクサを撃つものの、何らかの答えを導き出さない訳ですが、中期の対策となる『国家』では、不思議なことにプラトンの語らせるソクラテスは答えを提示します。

それがイデア論であり、システムとしての哲人政治の理想となります。ただ哲人政治やその具体的な仕組みについては許容できるものではないので、ポパーを導きの糸としながら、古典中の古典と格闘することに。

プラトンの意図は横に置いたとしても、結果としてはプラトン“主義”の社会構想は、ポパーが批判する通りですよね。その意味ではプラトンに対する批判というものは、僕が指摘するまでもありませんが、ほぼ出そろっており、批判としてすでに完成しているということ。

だとすれば、批判を踏襲してプラトンを理解した“つもり”になってしまうのではなく、しゃかいしそうとしての負荷をふまえたうえで、未来を展望するオプションの提案が必要になってくるのではないか……そんなお話をしました。

次は、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』ですが、思想史においてethikがはじめて書名に登場する、これも古典中の古典。

俗に西洋思想史は、プラトンないしはアリストテレスの変奏曲といわれますが、基礎中の基礎になりますので、またしっかり学習していきたいなと思います。

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覚え書:「ブラック企業ビジネス [著]今野晴貴 [評者]水無田気流(詩人・社会学者)」、『朝日新聞』2014年01月12日(日)付。


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ブラック企業ビジネス [著]今野晴貴
[評者]水無田気流(詩人・社会学者)  [掲載]2014年01月12日   [ジャンル]社会 ノンフィクション・評伝 

■信頼を食い潰すビジネスの論理

 昨今頻繁に目にする「ブラック企業」という言葉。だがその実態や社会背景は、今なお正しく認識されているとは言い難い。『ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪』で、単なる違法企業の問題ではなく、私たちの社会そのものに巣食う悪弊として問い直した筆者による続作。本書ではより具体的に、ブラック企業の業態を助けるさまざまな「ビジネス」を詳解している。
 たとえば、ブラック企業を法制度面から支える弁護士や社会保険労務士のような「ブラック士業」という存在。彼らは過酷な雇用環境に対し声をあげた当事者を、脅しや法制度の意図的誤用などの手法を用い追い込んで行く。企業も士業も、利益を生むための行動はすべて「正義」というビジネスの論理。だが、社会全体からすれば部分の最適化に過ぎず、結果として弊害をもたらすと、筆者は警鐘を鳴らす。
 学生の就職率を上げたい学校も、ブラック企業ビジネスの加担者となる。なるほど、大量の新卒者を採用して使い潰すブラック企業は、学卒時点での就職率かさ上げに大いに寄与する。大学教員として勤務する評者にとっても他人事(ひとごと)ではない。またブラック企業の実態を知らず、正社員の座を死守せよと叱咤(しった)激励する家族も、結果としてブラック企業ビジネスの隆盛に寄与する。このような現状を、筆者は日本の社会システム全体のブラック化と呼ぶ。
 ブラック企業は、従来の社会関係の「信頼」や「善意」を食い潰すことで自らの利益を得ている。好業績な企業の正社員であれば一生安泰との信頼感は、既存の安定した社会関係の中で育まれてきた社会的資産だ。これを悪用するブラック企業とは、究極のフリーライダー(ただ乗り)かもしれない。背景にあるのは、ビジネスの論理の社会への浸透。本書で語られた、ビジネスとは別種の社会正義の論理に基づく専門知識と対抗策は、極めて重要である。
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 朝日新書・798円/こんの・はるき 83年生まれ。NPO法人POSSE代表。『ブラック企業』で大佛次郎論壇賞。
    --「ブラック企業ビジネス [著]今野晴貴 [評者]水無田気流(詩人・社会学者)」、『朝日新聞』2014年01月12日(日)付。

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覚え書:「復興文化論―日本的創造の系譜 [著]福嶋亮大 [評者]田中優子(法政大学教授・近世比較文化)」、『朝日新聞』2014年01月12日(日)付。

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復興文化論―日本的創造の系譜 [著]福嶋亮大
[評者]田中優子(法政大学教授・近世比較文化)  [掲載]2014年01月12日   [ジャンル]歴史 ノンフィクション・評伝 


■柿本人麻呂から宮崎駿まで

 柿本人麻呂から『平家物語』『太平記』『椿説弓張月』、三島由紀夫、太宰治、村上春樹、手塚治虫、宮崎駿まで盛りだくさんの文化論である。壬申の乱から源平合戦、応仁の乱、日露戦争、第二次大戦など数々の戦乱に震災、中国の動乱の影響など、日本社会は「慢性的負傷」状態にあり、「復興期においてたびたびイノベーションを引き起こしてきた歴史それ自体が、日本の文化活動の一段深いところにある動力」だとする。
 戦争や災害とその復興という軸で日本を捉えると、確かに新しい側面が見えてくる。そのナショナリズムは「日本ならざる何か」への「モラルも目的もない変身願望」であり、愛国に見えるものを天皇への恋情としたところも斬新だ。そのような個々の論が復興といかなる因果関係があるか明確でないところもあるが、自力で全体を見通そうとする意欲と才が光る。「無常」を日本の美として語ることに批判的だが、それを笑った文化もまた、日本にはあった。
    ◇
 青土社・2310円
    --「復興文化論―日本的創造の系譜 [著]福嶋亮大 [評者]田中優子(法政大学教授・近世比較文化)」、『朝日新聞』2014年01月12日(日)付。

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覚え書:「『ユダ福音書』の謎を解く [著]エレーヌ・ペイゲルス、カレン・L・キング [評者]赤坂真理(作家)」、『朝日新聞』2014年01月12日(日)付。


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『ユダ福音書』の謎を解く [著]エレーヌ・ペイゲルス、カレン・L・キング
[評者]赤坂真理(作家)  [掲載]2014年01月12日   [ジャンル]歴史 ノンフィクション・評伝 

■イエスの死に異説、新たなユダ像

 子供の頃、キリスト教は魅惑的で、少し恐怖だった。その素朴で複雑な感情を言葉にすればこんなだ――“拷問されて死んだ男のイメージを崇(あが)めるとは!?”
 イエス・キリストが、ローマ帝国によって十字架につけられ拷問され死んだ。仮にここまでを史実とするなら、「キリスト教」はその死の解釈が核となった宗教である。「イエス・キリストは人類の罪を償うために犠牲となった」「そして復活した」。もしそうなら、人類に罪や苦しみはもうないはずだ。
 が、その考えは実際にはさらなる暴力装置、訳者の言を借りれば〈犠牲のシステム〉とされていった。殉教の称揚は、ひいては王のため国家のために死ぬ者を、尊い犠牲として称賛する。と、そのために進んで命を投げ出す者が現れる。権力者にとって、これほどうまい話もない。
 本書では、二つのことが鮮やかな変容を見せる。ひとつはこの〈犠牲のシステム〉。もう一つが、もちろんユダ像。かの「裏切り者」ユダ。しかし、『ユダ福音書』では、ユダこそ唯一、イエスを理解した弟子である。イエスを引き渡すことによって他の弟子を凌(しの)ぐ存在になるとイエスに告げられる。
 『ユダ福音書』にも「犠牲」の語はある。しかし「霊的変容の文学」のそれとして。
 『ユダ福音書』と響き合うテキストとして引用された詩が美しい。一般には「最後の晩餐(ばんさん)」にあたる場面。そこでイエスは弟子たちの輪の中に入り、こんなふうに吟唱する。「私は、私を知るあなたの鏡」「私は、私を叩くあなたの門」「語る私のなかにあなた自身を見るがよい……」
 本書に出逢(であ)えてよかった。もし今、私たちの心にこうしたイエスが響くなら、多神教と一神教、一神教と一神教、私と彼ら……断絶して見えるものたちの間にも一筋の橋がかからないだろうか。
    ◇
 山形孝夫・新免貢訳、河出書房新社・2520円/Elaine Pagels,Karen L.King ともに米国の宗教研究者。
    --「『ユダ福音書』の謎を解く [著]エレーヌ・ペイゲルス、カレン・L・キング [評者]赤坂真理(作家)」、『朝日新聞』2014年01月12日(日)付。
 
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『ユダ福音書』の謎を解く
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書評:ロバート・イーグルストン(田尻芳樹、太田晋訳)『ホロコーストとポストモダン 歴史・文学・哲学はどう応答したか』みすず書房、2013年。


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ロバート・イーグルストン『ホロコーストとポストモダン 歴史・文学・哲学はどう応答したか』みすず書房、読了。アドルノを引くまでもなくホロコーストは歴史・文学・哲学」を一変させた。その証言やテクストと論争、それをどのように「読む」のか。本書は、ホロコーストに対する膨大な応答を分析、その継承の意義を問う。

主として取り上げるのは、S・フリートレンダー、P・レヴィ、E・ヴィーゼル、レヴィナス、デリダ、アガンベン等々。歴史の消費は記憶を定型化させてしまう(把握の形而上学)。それに抗うのがポストモダニズムだと著者は言う。

歴史的事件における「同一化」と「差異化」。「体験」の「追体験」がそもそも可能なのか。全体性への回収を俊敏に退けることによってこそ継承は可能になるのではないか。それが「読む」ことだ(単独的なものの普遍性を思考すること・デリダ)。

ホロコーストを単純に暴力と同定することは不可能だ。そこに多様なリアリティが存在する。そしてその出来事を考えることが思想の役割である。600頁を超える本書はその一つの素晴らしき見本であり、読み手は西洋哲学の持つ深い基盤に圧倒されるであろう。

本書を読み終えて実感するのは、歴史的事象の是非評価以前に、ホロコースト(そしてその消費の政治性の問題もあるがひとまず措くが)は思想を生業とするものにとっては避けては通れぬ課題なのである。

翻って日本思想界はどうか……。暗澹とせざるを得ない。

日本においてポストモダンとは「クールでかっこいい」ケセラセラの相対主義。真剣に向き合うことへの促しこそポストモダンであるとすれば、それは、対極の受容であるし、歪曲された「消費」に他ならない。

現代日本思想史においてもその受容は変わりない。先の戦争における事象と真っ正面から格闘した思想家はどれだけいるのだろうか。数少ないエッジを除き、皆無と言って良い。植民地支配と戦争犯罪。軽率な論評ばかりだから、シンゾーやゼロが受けるのであろう。

著者はホロコーストや戦争犯罪が暴力云々以前に、そのものの否定こそ、歴史というディスクール以前の暴力だと痛烈に指摘する。否定論の批判にこそポストモダニズムの歴史・文学・哲学は必要なのである、と。

朝鮮半島と中国に対する植民地支配、そして帝国日本の戦争。情緒的な肯定論も用意された反対論もその実相から遠のいていく。時空間を隔てた我々がそれを「読む」とは何か。界の体たらくを批判する前に、課題を明確にしてくれた一書である。

(以下は蛇足)
ガダマーに対する批判が好事例のように、デリダの全方位批判のなかに当てこすりの類もあって、やや「難」と思うフシは否定できないけれども、思想家とは「構え」として、デカルトの方法懐疑ならぬ方法批判という矜持を持ち合わせなければ、「はじまらない」のではないかと思ったりです。

老境にさしつつある思想屋は「定型」の「批判」を繰り返し、若手「論客」は結果として全体へ回収される議論を垂れ流して恬淡として恥じない。その両極には、生きた人間も歴史も存在しない。思想を遂行するとは、出来合の批判を踏襲することでも、受けるディスクールを発することでもないわけなのだが。

古来から現代に至るまでの日本思想史における「批判精神」は…仏教からキリスト教の伝来、西洋思想の本格的な受容に至るまで…全て「外」から摂取・咀嚼によるといってよい。しかし、その殆どは「消費」であって摂取・受容とはほど遠い。根源的に思索を遂行していくということが今ほど問われている。


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ホロコーストとポストモダン―― 歴史・文学・哲学はどう応答したか
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覚え書:「書評:戦争という見世物 木下 直之 著」、『東京新聞』2014年1月12日(日)付。


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戦争という見世物 木下 直之 著

2014年1月12日


◆勝利する「物語」に酔う人々
[評者]長山靖生=思想史家
 明治二十七(一八九四)年十二月の東京は、日清戦争勝利の祝賀ムードに包まれていた。本書はそんな時代にタイムスリップして、当時の社会情勢を観察する体裁ではじまる。
 戦争は娯楽だった-といったら不謹慎と怒られるかもしれないが、現実にそうだったのだから仕方がない。戦争は多くの国にとって現在も、正義や名誉や国民の生命財産を守る最終的解決手段と考えられている。それに戦争は、何よりの景気刺激策であり、国威発揚、国民統合に便利だった。国民も、勝ち戦なら歓迎した。
 近代日本が経験した最初の本格的対外戦争だった日清戦争は、終始、日本側優勢で進んだ。メディアも日本軍の勇猛果敢、戦果の大きさを華々しく書き立てた。戦地は日本本土を離れた外地で、一般庶民は戦争を報道や誇張された講談や演劇などを通して「物語」として受容した。
 それにしても、市井の人々のはしゃぎぶりは凄(すさ)まじい。彼らは祝捷(しゅくしょう)大会を見物し、万歳三唱に声を合わせ、分捕り品の陳列を眺めては、戦争に参加した気分を味わった。
 各業界では、それまでの不景気を吹き飛ばすかのように、祝捷に因(ちな)んだ便乗商品を売り出した。手品師や時代遅れの剣客も、この機会にイベントに参加して気勢を上げている。軍歌や「祝捷踊」も作られ、宴会で歌ったり踊ったりの騒ぎもあった。
 新聞雑誌は、記事や特集号、専門雑誌を出すだけでなく、祝賀大会に直接かかわっている。都新聞が清国皇帝のイメージを喚起する龍(りゅう)の切首のハリボテ山車を引き出せば、自由新聞社は大陸征伐の大先達である秀吉の千成瓢箪(せんなりびょうたん)を思わせる提灯(ちょうちん)飾りを繰り出した。
 日清戦争の報道では「事実」そのものより「物語」が人気を博した。しかもその痕跡は今も、風化しながらも全国各地に残存している。もしかしたら、われわれの精神の底流にも、それは残っているのかもしれない。
(ミネルヴァ書房・2940円)
 きのした・なおゆき 1954年生まれ。東京大教授。著書『わたしの城下町』など。
◆もう1冊
 原田敬一著『日清・日露戦争』(岩波新書)。日本がなぜ短期間のうちに戦争を重ねたか。その結果、日本がどう変わったかを検証する。
    --「書評:戦争という見世物 木下 直之 著」、『東京新聞』2014年1月12日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2014011202000182.html:title]

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戦争という見世物: 日清戦争祝捷大会潜入記 (叢書・知を究める)
木下 直之
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覚え書:「書評:叛乱の時代 ペンが挑んだ現場 土屋 達彦 著」、『東京新聞」』2014年1月12日(日)付。

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叛乱の時代 ペンが挑んだ現場 土屋 達彦 著

2014年1月12日


◆血と汗が匂う闘争の記録
[評者]三橋俊明=ライター
 血と汗の匂いが沸き立ってくる筆勢に誘われて、「叛乱(はんらん)の時代」へと一気に記憶が回帰していくようだ。
 「叛乱の時代とは『一九六八年』前後の十数年」という著者は、「学生運動から過激派まで『叛乱番記者』として私が現場に立ったあの時代は、いったい何だったのだろうか。…それをまとめてみたくなった」と記している。
 本書は、六七年に大森実氏が創刊した『東京オブザーバー』紙を皮切りに『産経新聞』『夕刊フジ』で、六八年の米国原子力空母佐世保寄港阻止闘争から学生運動、日大・東大などの全共闘運動、成田闘争、過激な武装闘争へと走った連合赤軍事件や日本赤軍のテロ事件など、一貫して反体制運動や現場を取材してきた著者の、ジャーナリストとしての軌跡を綴(つづ)った血風録だ。
 書くきっかけとなったのは、二〇一二年夏の金曜日夕刻、首相官邸前で原発再稼働反対に立ち上がった個人の自由な行動だった。その現場に接し「四十余年前の全共闘運動のういういしさを見出し、あの叛乱の時代を自分なりに整理しておこうと思った」という。
 首相官邸前で抗議の声をあげた若者たちの姿は、叛乱の時代に大学や社会に対して異議申し立てへと立ち上がった全共闘の学生たちと重なって見えていた。一九六八年と二○一二年の二つの場面から同質な息吹を読み取った洞察力は、著者が常に現場に寄り添いながら取材してきた賜(たまもの)だろう。
 そのようなジャーナリストであり続けた著者は「あの叛乱の時代、新聞は『権力対新聞』の姿勢を貫き、国民の支持を得た」と、いま私たちが失いつつあるメディアの社会的役割と責任について、最後に鋭く指摘している。
 ジャーナリストの著者と全共闘運動の渦中にいた評者とは、立場や考え方などに相違はある。だが「叛乱の時代」の豊かさと喪失とを鮮明に峻別(しゅんべつ)していくには、本書をはじめ複数の眼や声に耳を傾け、過去を想起し、記憶や記録を集積していくしかないだろう。
(トランスビュー・2310円)
 つちや・たつひこ 1941年生まれ。元ジャーナリスト。
◆もう1冊
長崎浩著『叛乱(はんらん)の六○年代』(論創社)。安保闘争から全共闘運動に続く「叛乱」の時代を生きた著者がその闘争の背景と意味を問う。
    --「書評:叛乱の時代 ペンが挑んだ現場 土屋 達彦 著」、『東京新聞」』2014年1月12日(日)付。

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叛乱の時代 ペンが挑んだ現場
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覚え書:「広島・長崎市長からの手紙 ’14冬」、『毎日新聞』2014年01月09日(木)付。

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広島・長崎市長からの手紙 ’14冬

 核兵器の非人道性を問い、核廃絶を求める声が国際社会で広がっている。被爆地・広島と長崎の両市長は、日本政府の核廃絶へ向けたリーダーシップ発揮と、ケネディ大使を日本に送った米国の核軍縮に期待する思いを手紙にしたためた。2014年の新年にあたり、松井一実・広島市長と田上富久・長崎市長のメッセージを紹介する。

広島 松井 一実市長
政治家多く迎えたい

 昨年は核兵器の非人道性の国際的な認識の広がりとともに、改めて被爆地の求心力を実感した年でした。
 ブーク・イエレミッチ第67回国連総会議長は、初めての広島訪問後の演説で、核抑止論者に対して、広島を訪れ、平和記念資料館の視察と原爆死没者慰霊碑の碑文を読むように提案されました。また、キャロライン・ケネディ駐日米国大使も1978年の訪問を振り返り、「心を大きく揺さぶられた」「より良い平和な世界の実現に貢献したいと切に願うようになった」と35年を経た現在も、被爆地広島に特別な思いを持ち続けてくださっています。
 「迎える平和」を提唱する私としては、被爆地訪問が核兵器の非人道性と平和への思いを共有していただく良い機会であると改めて確認することができ、意を強くしています。
 昨年10月、「核兵器の人道的結末に関する共同声明」に我が国が初めて賛同したことも、被爆地の思いを日本政府が受け止めた結果であると思います。共同声明は核兵器廃絶に向けた125カ国の約束です。今後、我が国には、これらの国々をリードしてほしいと思います。まずは、4月に広島で開催される「軍縮・不拡散イニシアチブ」外相会合で、被爆地の思いを世界に発信し、2015年のNPT(核拡散防止条約)再検討會議の成功に向け積極的に取り組むことを期待します。
 今年来日されるといわれているオバマ大統領は「核兵器のない世界」を目指すとしていますが、今なお世界には1万7000発を超える核兵器が存在し、核超大国である米国等の更なる取り組みが求められます。ぜひ、大統領にも被爆地を訪問し、自身が目指す「核兵器のない世界」への決意を新たに取り組みを加速させていただきたいと願っています。
 今年、一人でも多くの世界の人々、特に為政者を広島に迎えたいと思います。そして、被爆者の切なる願いを真摯に受け止め、加盟都市が5800を超える平和首長会議が目指す20年までの核兵器廃絶に向けて我々とともに力を尽くしてくださることを期待しています。

長崎 田上 富久市長
核廃絶 意志の連鎖を
 キャロライン・ケネディ駐日米国大使が昨年12月10日、長崎に来られました。長崎での一連の活動の後、感想を問われた大使は、故ケネディ大統領が冷戦真っただ中に結んだ部分的核実験禁止条約の締結を誇りに思っていたこと、オバマ大統領も核軍縮に努めていること、そして大使も長崎で改めてその思いを強くしたことを話されました。短時間での精力的な行動と言葉の中に、父親が取り組んだ核軍縮というテーマを受け継ごうとする“意志”を感じました。
 実は「核兵器のない世界」を実現するためにもっとも大切なものは、この“意志”なのだと思います。
 昨年の平和宣言で長崎が問いかけたことの一つが、被爆国として「二度と世界の誰にも核兵器の惨禍を経験させない」という日本政府の意志でした。その後、国連で「『核兵器の人道的結末』に関する共同声明」に政府は自らの意志で初めて賛同しました。もちろん意志だけですべてが変えられるわけではありません。しかし、そこに向かおうとする意志がなければ道は切り開けません。
 プラハで意志を示したオバマ大統領には、できるだけ早く被爆地を訪れてほしいと願っています。核兵器のない世界は私たちの意志で実現できる、というメッセージを世界に向けて発するのに、これほど適切な場所はありません。国内外に多くのハードルがあると思いますが、ぜひ実現してほしいと思います。
 意志はリーダーによる“政治的意志”だけではありません。多くの普通の人々による“市民的意志”こそが、未来を変えていく最大の力です。今年も多くの人たちとともに核兵器廃絶に向けて歩き続けていきたいと思います。
    --「広島・長崎市長からの手紙 ’14冬」、『毎日新聞』2014年01月09日(木)付。

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覚え書:「発言 縮小社会にかじを切る=森まゆみ・作家」、『毎日新聞』2014年01月09日(木)付。


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発言
縮小社会にかじを切る
森まゆみ 作家

 30年来、尊敬する年長者の話を聞いてきた。私は前の世代と次の世代をつなぐ輪のようなものである。
 90を超えてお元気な「百姓」佐藤忠吉さんはすでに十数年前、「今の日本の繁栄はアラブ産油国に戦争がなく、ホルムズ海峡に海賊が出ず、原発事故や火山の噴火が起こらず、若者が団塊の世代並の技術と忍耐力を持っていれば維持できるが、一つでも欠けると無理」と喝破していた。まさにいま総崩れの感がある。
 私の30、40代は「貧楽」であって、車もテレビも所有していなかった。収入にもならない地域誌と建物の保存活用にのめり込み、井戸水を飲み、長屋を調査し、路地を歩き、銭湯と居酒屋で遊んでいた。今子育ても終わってマイブームは「縮小」である。60が近づき、暮らしを小さくすることを試みている。服も買わず、本はあげ、アイロンも掃除機も使わない。原発事故のあとはアンペア数をおとし、クーラーを使わず、うちわと古布で作った麻の服で夏を乗り切った。ベランダに朝顔とゴーヤーを育てて楽しかった。
 1972年にローマクラブは「成長の限界」を出して宇宙船地球号にはもう未来がない、と脱成長(デグロース)への道を提唱した。それから40年、まともに考えてこなかったツケが原子力依存を生み、原発事故につながったと考えている。開発、振興、活性化、都市間競争、そうしたかけ声には乗らず、縮小社会にかじを切りたい。
 そうはいっても電力会社は電力を売らねば会社が成り立たず、ゼネコンはビルを建てなければ社員を養えない、というであろう。私は長らくエリートビジネスマンの友人たちからは「内需拡大に寄与しないやつ」としかられてきた。でもバーで豪遊したり、接待ゴルフをしたり、ブランド品を買ったり、息子の派手な結婚式をしたりしなければ、年収300万円もあれば十分暮らしていけるのではないか? というかこれ以上パイが大きくなることはなく、人口も縮小に向かっている。企業も「足るを知る」戦略が必要だ。
 そして我が子たち、20、30代の若者たちは物心ついた頃からバブルははじけており、スローライフやロハスが人気である。田舎暮らしや農業への関心も高い。都会でも私たちの谷根千(谷中・根津・千駄木)地域では、小さな長屋を安く借りて、Tシャツを染めたりバッグや靴や手作りのものを作ったりして、売って、イベントもやって、楽しんで、という若者が増えてきた。近くではコンサートや芝居、落語などもやっていて、小さなギャラリーもたくさんある。
 無限の消費と発展を求めることはもうできない。2020年のオリンピックも金で国力を誇るようなわけにはいかない。神宮外苑のような歴史的街区を規制緩和してビル群にするようなことは成熟した国としてはとうてい許容できないのだ。
 もう一人、尊敬するイタリア文学者、故・須賀敦子の言葉を引こう。彼女は新宿の高層ビルから下をながめて私にこういった。「まゆみちゃん、東京をこんなみにくくしたおわびを誰にしたらいいのかしら」

もり・まゆみ 地域雑誌「谷中・根津・千駄木」編集人。著書に「路地の匂い 町の音」など。
    --「発言 縮小社会にかじを切る=森まゆみ・作家」、『毎日新聞』2014年01月09日(木)付。

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覚え書:「今週の本棚:本村凌二・評 『皇帝フリードリッヒ二世の生涯 上・下』=塩野七生・著」、『毎日新聞』2014年01月12日(日)付。

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今週の本棚:本村凌二・評 『皇帝フリードリッヒ二世の生涯 上・下』=塩野七生・著
毎日新聞 2014年01月12日 東京朝刊

 (新潮社・各2520円)

 ◇渾身の筆で描く“驚異の男”とその時代

 わが国では、「猿」というあだ名のある秀吉がおり、「狸(たぬき)」とよばれた家康がいる。庶民感覚からすれば、実にわかりやすい。

 中世ヨーロッパでは、ローマ法王と神聖ローマ帝国皇帝との確執がたびたびくりかえされた。13世紀前半には、法王から3回も破門された皇帝すらいる。破門した法王グレゴリウス9世は「梟(ふくろう)」とあだ名され、破門された皇帝フリードリッヒ2世は「鷹(たか)」とよばれていたという。梟には人の欠点だけに目がむき悪口をいう陰険な印象があり、鷹には頭が切れて活発だが野心家でもあるという含みがあったらしい。

 1回目の破門は、33歳のフリードリッヒが遠征延期をくりかえした末に十字軍を率いてイタリア半島南端の港町を発(た)ちながら疫病の発生のため避難したことによる。2回目は翌年、破門の解除もないまま、反論の書簡を送っただけで恭順の意を示さなかったという理由で破門。やがて、無血の十字軍遠征でイェルサレムの10年期限付き奪還がなった翌年、35歳のフリードリッヒは法王の生家で「平和の接吻(せっぷん)」を交わして和解し、破門が解かれた。

 3回目の破門は、北イタリアの法王派の拠点となるロンバルディア同盟を撃破し、同盟解体に追いこんだ翌々年のこと。44歳のフリードリッヒは、10年以上も過去の言動にまでさかのぼって何かと難癖をつけられ、「反キリスト」の烙印(らくいん)を押されて破門された。70歳の法王は「怨念(おんねん)の人」になったと指摘する学者もいるという。

 中世世界にあって絶大な権威をもつローマ法王との不和と反目を恐れず、自分の信念を貫いて生き切った驚異の男がいた。著者は、作家になりたてのころから、いずれフリードリッヒ2世を書きたかったという。「執念の人」となった作家が、中世人の真打ちとなる男の生涯を描きながら、古代ともルネサンスとも異なる中世という時代を浮かび上がらせる試みでもある。

 1194年、フリードリッヒは、皇帝ハインリッヒ6世を父とし、シチリア女王コスタンツァを母としてこの世に生を受けた。だが、物心つくころには、父も母も亡くして、孤児になってしまう。母が成人となるまでの後見人として頼んだのは、法王インノケンティウス3世であった。「法王は太陽、皇帝は月」と公言してはばからない、法王権力絶頂期をもたらした実力者である。彼と会見し、清貧の修道会を黙認してもらったのが、かのアッシジのフランチェスコである。だが、この法王もフリードリッヒが21歳のときに世を去った。

 ところで、地中海のほぼ中央に位置するシチリア島は、古代にはギリシア人もローマ人も住み、中世初期にはイスラム教徒に征服され、11世紀末からは北方から侵入したノルマン人の支配下にあった。これら多言語が重なる世界では、とくにパレルモの宮廷では、ギリシア語、ラテン語、アラビア語、イタリア語、ドイツ語が飛び交っていた。このような環境で育ったフリードリッヒは、アラビア語を解し、イスラム教徒の役人や軍人とも常日頃から接していたという。

 こうした異文化集団の共存する社会で生きれば、異教徒としてのイスラム教徒を敵視することはなかったのである。できるかぎり血を流さず、外交交渉で解決する。その意志が、敵陣営のスルタンであるアル・カミールとの妥結をもたらし、第6次(第5次にふくめる場合もある)十字軍によるイェルサレム無血入場として結実する。

 だが、現代からすれば、世界史の奇跡とも言えるフリードリッヒとアル・カミールの和解は、同時代には双方の側から評判が悪かった。キリスト教徒にしてみれば武力で無期限に聖地を奪還するのが望ましかったし、イスラム教徒側では40年前に英雄サラディンが取り返した聖地の大半を敵に譲り渡すなど、もってのほかだった。

 ともあれ、イェルサレムの無血奪還を一つの作品(オペラ)とすれば、フリードリッヒのもう一つの作品は「ローマ法の精神」を再興する法治国家の設立をめざしたことだ。彼にとっては、あくまでも「皇帝(カエサル)のものは皇帝(カエサル)に、神のものは神に」であった。イェルサレム無血入場の2年後、フリードリッヒは「メルフィ憲章」を発布し、その後も条項を磨き上げることに熱意を注ぐ。まさしく近代精神の息吹がほとばしりだしたのである。

 それにしても、フリードリッヒは終生にわたって側近に恵まれていた。とりわけ献身的であったのが、パレルモ大司教ベラルドとチュートン騎士団団長ヘルマンである。さらにまた、正妻・愛人をふくむ11人の女から15人の子をもうけたフリードリッヒだが、ローマの武将カエサルに似て、女の存在がほとんど影響しなかった男だという指摘には脱帽したくなる。

 さすがに若いころから狙いを定めた著者渾身(こんしん)の力作であり、失礼ながら、筆力の衰えなどいささかも感じさせない。いい男に出会ったという気がする。
    --「今週の本棚:本村凌二・評 『皇帝フリードリッヒ二世の生涯 上・下』=塩野七生・著」、『毎日新聞』2014年01月12日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『東京の片隅』=常盤新平・著」、『毎日新聞』2014年01月12日(日)付。

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今週の本棚・新刊:『東京の片隅』=常盤新平・著
毎日新聞 2014年01月12日 東京朝刊

 (幻戯書房・2625円)

 亡き常盤新平のエッセイ集。一九九二年から二〇〇八年までに雑誌などに掲載されたエッセイをまとめたものである。自分の住む町のこと、昔なじみの町のこと、本で知る町のこと。本書では、実にさまざまな町が登場する。清新町(せいしんちょう)、西葛西、平井、神田、神保町、銀座、浅草など、挙げればきりがない。それらの町で著者が通う喫茶店、洋食屋、鮨(すし)屋、小料理屋の数々。そこで出される食事のじつに美味(おい)しそうなこと。またそこで出会う人々のじつに個性的で魅力的なこと。

 「とにかく歩くようにしている。そうすると、靴の底が減る。ガニマタだから、右は右踵(かかと)が、左は左踵が減ってくる。歩けるうちが元気なのだと思えば、靴が減るのもやむを得ない」(「歩くこと」)と、飄逸(ひょういつ)なつぶやきが随所に混じるのも常盤流。翻訳家・小説家・コラムニストにしてエッセイの名手。ページをめくるたび、どこかの町のどこかの店で、本を片手にゆっくりと時間を過ごしている著者の姿が見えてくる。本書に先立って刊行されたコラム集『私の「ニューヨーカー」グラフィティ』(幻戯書房)もまた、著者の本領が発揮された好著である。(ゆ)
    --「今週の本棚・新刊:『東京の片隅』=常盤新平・著」、『毎日新聞』2014年01月12日(日)付。

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書評:木村俊道『文明と教養の〈政治〉 近代以前のデモクラシー』講談社、2013年


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木村俊道『文明と教養の〈政治〉 近代以前のデモクラシー』講談社、読了。本書は近代初期のヨーロッパを中心に、思想史の観点から政治の「原型」を明らかにする試み、著者が注目するのは政治過程ではなく、政治の言説。デモクラシー以前の政治とは「文明」をその特徴とする。

近代以前の文明とはcivilizationではなく、civilicity。矮小化された技術知や知識としての社交儀礼(エチケット)ではなく、人間の所作や振る舞いといった身体的な洗練を含むもの。教養とて例外ではない。※ここに現代における知の変容が存在する。

デモクラシー以前の初期近代において政治運営に必要不可欠なコモン・センスとは文明的な教養と作法である。そして文明的な教養と作法こそ他者との交際や共存を可能にした。民主主義が一種の普遍化する以前の世界の共通了解を学ぶことは無益ではない。

近代以前の「政治」を学ぶことはデモクラシーと対立することではない、むしろ運営を可能にするためには必要な学習となろう、なぜならデモクラシーとは君主制や貴族政と比べて遙かに難易度の高い政治的技術が必要とされるからだ。

〈教養〉政治の全盛期、必要とされたのは手の込んだ儀礼やレトリック。洗練された身体的態度が、激情を制御しつつ、利益追求と共存が担保された。産業社会以降、時代錯誤と片づけられるも、オルテガを引くまでもなく、学ぶべき点は多い。

民主主義「以前」も「以後」も王様は「裸」であってよいわけではない(現代の王様は一人一人の私たち)。教養という実践的な智慧の意義を再度見直すべきであろう。それは「江戸しぐさ」と同義ではない。都合のよい捏造を退けながら、生きた知を再生する時かも知れない。

(「禽獣」と違う存在としての人間に倫理が存在する東洋思想で言うけれども〈礼楽〉)、木村俊道『文明と教養の〈政治〉』(講談社)読んで思ったけれども、形骸化するそれは退けながらも、やっぱり「型」というのをなし崩しに否定したら始まらなんなーという感。

想田和弘『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』(岩波ブックレット)でも指摘がありましたが(そしてそれは知/不知の二元論ではありませんが)、芦部しらなくても「首相は庶民と同じでよい」という「レベルダウンでOK」ってイデオロギーは、民主主義「以前」「以後」にも最大の敵だわな。

木村俊道『文明と教養の〈政治〉 近代デモクラシー以前の政治思想』 失われた「政治の技術」  「シヴィリティに加え、他者を説得するためのレトリックや、状況に応じた判断を導く思慮によって支えられた」柔軟な叡智、単純に否定できないですね。


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覚え書:「今週の本棚・新刊:『日本降伏 迷走する戦争指導の果てに』=纐纈厚・著」、『毎日新聞』2014年01月12日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『日本降伏 迷走する戦争指導の果てに』=纐纈厚・著
毎日新聞 2014年01月12日 東京朝刊

 (日本評論社・2310円)

 国家は、非常事態に直面したときにその本質を明らかにする。本書は、日本の敗色が濃厚になるなか「太平洋戦争」があそこまで長引いた理由に迫る。私たちの日本国の有り様を知るいいテキストだ。

 敗戦の過程を見ていて痛感するのは、国家(為政者)は国民の生命財産の保護を必ずしも最優先しない、ということだ。纐纈(こうけつ)厚氏はその事実を、史料を丹念に読み解きながら明らかにしている。戦争末期、敗戦必至の状況でも戦争指導者たちが「国体護持」にこだわって戦争を長引かせ、犠牲者が増えたことはよく知られている。著者によれば、彼らが叫んだ「国体護持」とは「それを口にする人物とその所属する組織の利益を保守するために恣意(しい)的な解釈の下に都合よく使われてきた言葉」、「組織温存のための金科玉条の言葉」でしかなかった。その呪文に自ら縛られ、柔軟な政治外交ができなかった、との指摘は鋭い。

 また戦争目的を「自存自衛」とした政府は、米英中蘭が日本を圧迫しているとし「ABCD包囲網」論を展開した。だがその包囲網は「フィクション」だったと断ずるなど、刺激的な論考が随所にある。(栗)
    --「今週の本棚・新刊:『日本降伏 迷走する戦争指導の果てに』=纐纈厚・著」、『毎日新聞』2014年01月12日(日)付。

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日本降伏: 迷走する戦争指導の果てに
纐纈厚
日本評論社
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覚え書:「今週の本棚・新刊:『「テレビリアリティ」の時代』=大見崇晴・著」、『毎日新聞』2014年01月12日(日)付。

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今週の本棚・新刊:『「テレビリアリティ」の時代』=大見崇晴・著
毎日新聞 2014年01月12日 東京朝刊

 (大和書房・1890円)

 1978年生まれの日曜ジャーナリスト/文芸評論家の初の著作。

 テレビの草創期から現在に至るまでの変遷を論じた本なのだが、テレビを軸にした情報環境論、サブカルチャー史としても読める。

 テレビが一家に一台の時代には、子どもからお年寄りまで万人向けの番組が作られていた。しかしテレビが一人に一台になり、視聴者のニーズも多様化する。

 そうした変化に番組の作り手、タレントはどう対処してきたのか。

 その鍵となるのが、双方向性のコミュニケーションによって生まれる現実--“テレビリアリティ”だ。

 バラエティ番組はウソっぽさを排除するため、ドキュメンタリーの手法を取り入れ、いっぽうニュース番組はタレントをキャスターに起用し、バラエティ化に向かう。

 視聴者参加型の番組、素人タレント、リアクション芸人、つまらなさで笑わせるスベリ芸、過剰演出(やらせ)、インターネットの炎上騒動なども“テレビリアリティ”の産物とのこと。

 巻末の補論では、テレビだけでなく、文芸、オタクカルチャー、現代思想にも言及している。(魚)
    --「今週の本棚・新刊:『「テレビリアリティ」の時代』=大見崇晴・著」、『毎日新聞』2014年01月12日(日)付。

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「テレビリアリティ」の時代
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覚え書:「みんなの広場 戦争犠牲者、踏みにじる行為」、『毎日新聞』2014年01月10日(金)付。


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みんなの広場:戦争犠牲者、踏みにじる行為
無職78(東京都板橋区)

毎日新聞 2014年01月10日 東京朝刊


 年の瀬も押し詰まった12月26日、安倍晋三首相が靖国神社に参拝して、「同盟国」の米国からも「失望」された。靖国参拝が侵略戦争を正当化するものだ、と日本国民である私でさえ痛感する。

 もともと1978年に松平永芳宮司がA級戦犯を合祀し、後に「東京裁判の根源をたたく意図」だったと語った記録もあるという。神社側は、それら戦争指導者も「犠牲者扱い」にしており許し難い。

 安倍首相は、巨大与党なら何でもできると傲慢になっているのではないか。世論を無視した特定秘密保護法の強行採決、武器輸出三原則の例外措置と、集団的自衛権の行使容認への道。これでは第二次世界大戦の犠牲者たちを踏みにじり、痛みを倍増させていると言える。戦争の傷痕に塩をすりこむ行為だ。

 何ら反省の色もなく、言い繕う首相の言動に、すり寄る他党も情けない。
    --「みんなの広場 戦争犠牲者、踏みにじる行為」、『毎日新聞』2014年01月10日(金)付。

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覚え書:「今週の本棚:荒川洋治・評 『別れのワルツ』=ミラン・クンデラ著」、『毎日新聞』2014年01月12日(日)付。

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今週の本棚:荒川洋治・評 『別れのワルツ』=ミラン・クンデラ著
毎日新聞 2014年01月12日 東京朝刊

 (集英社文庫・903円)

 ◇やわらかな“心理の光景”との出会い

 世界文学の旗手、ミラン・クンデラの傑作長編。文庫は初。 サルトルが「二〇世紀最大の小説」と評した『冗談』(一九六七)、『生は彼方(かなた)に』(一九七二)につづく長編第三作だ。クンデラは一九二九年、チェコスロヴァキア生まれ。<プラハの春>挫折後の一九七五年フランスに亡命。この『別れのワルツ』は亡命前の一九七三年に書かれた。クンデラの作品はその名を世界に知らしめた『存在の耐えられない軽さ』(一九八四)がそうであるように、詩、哲学、思想、政治、あるいは国家と個人といったことがらが複雑にからみあうものが多いが、『別れのワルツ』は題名通り、やわらかみのある作品だ。

 舞台は首都から離れた、山あいの温泉保養地。「秋になり、木々の葉が黄色や赤や褐色に染まって、美しい谷間にあるその小さな温泉町は、まるで火災の炎に囲まれたように見える」という一行から始まる。

 当地に生まれ、治療センターで働く女性ルージェナ、トランペット奏者クリーマとその妻カミラ、医師スクレタ(不妊治療にあたるが、女性に自分の精液を注入するなど奇妙なことをしている)、アメリカ人湯治客バートレフ、亡命をもくろむヤクブ(人は自分の生と死の主人になるために成人式には毒薬をもらうべきだと考える人)、その友人の娘オルガなどの「五日間」の行状と心理、出会いと別れを時間の経過通りに記す。よどみなく流れるように書かれているので読みやすい。各場面は感動的な心の動きにみたされるが、作品の構造も新しい。登場人物全員に重点があり、主人公を特定できない。それでいてひとりひとりに存在感がある。亡命直前のヤクブが、クリーマの妻カミラと出会うとき。

 「ヤクブは二時間後に出発することになっていたので、やがてこの美しい女性の何も彼には残らなくなってしまうだろう。この女性は拒否のしるしとして彼の前に現れたのだ。彼が出会ったのはただ、彼女が彼のものにはなりえないことを確信するためだった。彼はその出発によって失ってしまうすべてのもののイメージとして、彼女に出会ったのだ」。また、ヤクブはこれを「人生の外で」の出会いだといい、「彼の伝記の裏側で生じた」とみる。どのような偶然の接触もこのように書かれると、照らされると、読む人のものになる。ヤクブだけではない。カミラも、またヤクブとカミラによって「生じる」新しい状況も読む人の視界をおしひろげる。そういう書き方だ。「なぜ彼女はオルガと連帯しなかったのか?」「なぜ彼は別の女のほうを振り向かないのか?」というように「なぜ」ということばが随所に配置される。道筋の確認のようにも思えるが、重い主題をも軽やかにとらえる方法なのだと思う。これが独得のリズムをつくる。そこにある美しいもの、深いものと、読者は心地よく接することができるのだ。他に例のない、新しい散文の発動である。クンデラを読むことのしあわせをかみしめる一瞬だが、その一瞬がどこまでもつづくのである。

 クンデラの短編集『微笑を誘う愛の物語』(一九七〇)の一編に、人は未来のため、まずは「登録」し、それから近づき、「接触」するという理論が記される。女性に向かうときの心得だが、ひろく応用できる見方だ。この一節を読んでから二十年が経過するけれど、ものをみるときぼくはこれを思い出す。『別れのワルツ』にはやわらかい空気があるので近づきやすい。ミラン・クンデラとの「出会い」の一編になるだろう。(西永良成訳)
    --「今週の本棚:荒川洋治・評 『別れのワルツ』=ミラン・クンデラ著」、『毎日新聞』2014年01月12日(日)付。

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別れのワルツ (集英社文庫)
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覚え書:「今週の本棚:磯田道史・評 『寿命100歳以上の世界』=ソニア・アリソン著」『毎日新聞』2014年01月12日(日)付。

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今週の本棚:磯田道史・評 『寿命100歳以上の世界』=ソニア・アリソン著
毎日新聞 2014年01月12日 東京朝刊

 (阪急コミュニケーションズ・2205円)

 ◇医療革命のもたらす劇的変化を見通す

 大晦日(おおみそか)、5歳になる甥(おい)っ子が、年越し蕎麦(そば)の代わりに、うどんを懸命に食べる姿をみて、思い出した。ノーベル賞を受ける前の山中伸弥さんと、六本木でうどんを食べた時のことを。寡黙な方であった。ただ、山中さんの前に、3時間座って、うどんをズルズルすすって雑談しているだけで、再生医学の発達の凄味(すごみ)が、ひしひしと伝わってきた。のびるうどんを食べていたからではあるまいが、歴史分析をしてきた経験から、その時、思った。

 寿命は延びる。技術変化を甘くみてはいけない。日本人、とくに女性の平均寿命が100歳に達するのは遠くない可能性がある。新技術は思いもよらぬ重大な結果をもたらすのが歴史の教訓だ。新技術で社会に何が起きるかは、事前に、相当、周到に考えておく必要がある。本書はこの問題に正面から取り組んでいる。

 再生医療が革命的な進化のきざしをみせるなか、世界で、老化を防ぎ、延命をめざす研究が、どこで、どこまで進んでいるかを克明に記し、「寿命150歳の世界」さえ絵空事とみていない。150歳は大げさだが、読後、日本政府の見込みは甘いと確信した。政府の将来予測は「現在の平均寿命、男性79・4歳、女性85・9歳が2060年に男性84・2歳、女性90・9歳まで延びる」(『高齢社会白書』)というもの。政府はこれに基づいて人口構成を考え、年金保険・税収などの将来を見込む。日本は再生医療の先端を走る国なのに50年たっても5歳しか寿命が延びない、と考えるのは非現実的だ。放射線の影響、薬に耐性をもった細菌・ウイルスの出現、強毒性インフルエンザの世界的流行で高齢者が急減するリスクはあるが、政府は医療の変化を甘くみている。

 将来、さらに寿命の格差が進むという。本書によれば、2010年度の推定値では、モナコの平均寿命が世界一で89・8歳、(日本は82・2歳)。一方、アフリカのアンゴラは38・5歳。悲しいことに寿命の南北格差は50年ある。昭和22(1947)年、日本人の平均寿命は52歳だった。それが30年も延びたのは、抗生物質やワクチンで細菌とウイルスに勝ち、子どもの死亡率を下げたからだ。そして今、人類史上初の事態が起きようとしている。老人の死亡率を下げ、高齢者の平均余命を大幅に延ばす医療革命のはじまりである。

 何が起きるのか。本書の考察は、家族、金銭・時間感覚、宗教観の変化を予測している。現在の結婚制度は寿命40年時代にできたもので、相手をじっくり探せる前に死んだ時代の制度と本書は指摘する。長寿化の社会では、何度でも自分を教育でき、教育が個人の成功の鍵となる。また日本の場合、定年の延長などで高齢者の過度な「居座り」が起きるかもしれない。若者の参入に障壁とならない工夫が必要だ。貯蓄額は増えるが、おそらく老後資金の問題が起きる。体の衰えを完全には防げないから、介護の機械化や補助具のハイテク化は進めねばなるまい。延命に高額の医療費がかかり、保険を圧迫したり、貧富による寿命の著しい格差が生じる可能性も否めない。

 寿命100歳の社会では、卒業・結婚・退職すべてが、後ろに延びるに違いない。「大人」になるまでの時間が長く、労働・余暇に使える時間が共に増える。定年後を晩年とすれば20歳で就職し60歳まで40年間勤めて、定年後、さらに同じ40年間の晩年がある。80歳定年となるかもしれない。こんな世界では、高収入期が短いサッカー選手・女性アナウンサーのカップルは忌避され、収入期間の長い仕事、日本画家が人気職業になるかもしれない。(土屋晶子訳)
    --「今週の本棚:磯田道史・評 『寿命100歳以上の世界』=ソニア・アリソン著」『毎日新聞』2014年01月12日(日)付。

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寿命100歳以上の世界 20XX年、仕事・家族・社会はこう変わる
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日記:<語ること>としての意味

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 「あるものは他のもののために」という表現における「ために」〔代わりに〕は、ある語られたことと他の語られたこととの、ある主題化されたものと他の主題化されたものとの係わりに還元されるものではありません。さもなければ、<語られたこと>としての意味の次元にとどまることになりましょう。しかし私たちとしては、<語ること>としての意味がなにを表しうるのか、この点を探らなければなりません。
 「ために」〔代わりに〕は、人間がその隣人へと接近する仕方であり、もはやある者の尺度には収まらないような関係が他の者とのあいだに創設されるその仕方です。それは近さの関係であり、そこで働くのは、ある者の他の者に対する責任です。このような関係のうちには主題化不能な知解可能性があります。それは、主題や主題化の効果によってではなく自分自身によって意味を得るような関係なのです。つまり、少なくともここでは、知解可能性と合理性は根源的な仕方で存在に属するものではないのです。ある者が他の者のためにある、そのような関係のうちには、根拠の合理性にもとづいてはもはや考えられないようなある関係がはらまれているのです。
    --E.レヴィナス(合田正人訳)「<語ること>としての意味」、『神・死・時間』法政大学出版局、1994年。

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1906年の今日(1月12日)はエマニュエル・レヴィナス師のお誕生日。

ということで、独りレヴィナス生誕祭、うぇーぃ。

病院で仕事するようになってから、レヴィナスの議論がストンと腑に落ちることが多くなった。今年はなんとかレヴィナス論を1本仕上げておきたいと思う次第です。

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神・死・時間 (叢書・ウニベルシタス)
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覚え書:「記者の目:特定秘密保護法施行の年=日下部聡(大阪社会部)」、『毎日新聞』2014年01月09日(木)付。

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記者の目:特定秘密保護法施行の年=日下部聡(大阪社会部)
毎日新聞 2014年01月09日 東京朝刊

(写真キャプション)参院本会議で特定秘密保護法が可決・成立し、野党議員(手前)がぶぜんとした表情を見せる中、拍手する与党議員(奥)=2013年12月6日、森田剛史撮影

 ◇情報巡る異変を見逃すな

 強行日程で成立した特定秘密保護法は12月までに施行される。私たちはこの法律にどう向き合うべきだろうか。昨年、取材中によく聞いたのは、「生活にどう関係するのか分からない」という声だ。そこをもう一度考えてみたい。

 ◇気象情報さえも、戦時中は秘密に

 例えば、もし天気予報がなかったら、どうだろう。「今日は傘がいるかな」「洗濯物は外に干せるだろうか」--私たちは日々、天気予報という情報を知ることによって状況を判断し、行動している。それがなければ、生活はものすごく不自由になる。荒天時には、生命にもかかわる。

 そんな時代が実際にあった。戦時中は、軍機保護法によって気象情報が国家機密とされていたのだ。

 私たちは「知ること」によって初めて多くの選択肢を得て正しい判断ができるようになる。「知る権利」はメディアの特権ではない。市民一人一人が自由でいられるための権利だ。そして、日本は、国民が代表としての政治家を選んで政府の運営を委任する民主主義の国だ。どんな政権であろうと、主権者である国民には、判断や議論の材料となる正確な情報がきちんと提供されなければならない。

 特定秘密保護法はその仕組みを根幹から揺るがしかねない危うさをはらむ。本来は国民と政治家の監督下にあるはずの官僚に、事実上、何を秘密にするかの決定権を大幅に与え、それをチェックする仕組みが不十分だからだ。

 ◇民主主義の対極、一から出直しを

 さらに気がかりなのは、法案審議を通じ、政府・与党に民主主義への気配りがほとんど感じられなかったことだ。安倍晋三首相は「自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった価値観を共有する国々と連携を強める」(昨年10月の所信表明演説)と主張してきた。石破茂・自民党幹事長は同11月29日の自身のブログで、デモについて「主義主張を実現したければ、民主主義に従って理解者を一人でも増やし、支持の輪を広げるべきで……」と記している。だが、多くの課題を残したまま繰り返された強行採決は民主主義の価値観の対極にある。

 そもそも、秘密保護制度は情報公開を制限する点で原理的に民主主義と衝突する。特定秘密保護法の条文からは、そのことへの配慮が感じられない。政府・与党が手本とする米国は少なくとも自覚はしているようだ。米国の秘密保護制度を規定する「オバマ大統領令13526」の前文は次のように記す。「我々の民主主義の原則は、国民が政府の活動について知らされることを求めている。また、国の発展は政府内部と国民への情報の自由な流通によっている。それでも、市民や民主的体制、国土の安全などを守るため、一定の情報は秘密にしなければならない」

 一方、日本の特定秘密保護法の第1条に「自由」や「民主」といった単語は皆無だ。日本の秘密保護制度が現行のままでいいとは思わない。自衛隊法が定める「防衛秘密」は指定解除前に大量に廃棄されていた。第1次安倍政権は2007年、外交や防衛分野について、省庁をまたぐ「特別管理秘密」を設定したが、法的根拠はなく、指定も解除も省庁の判断だ。それ以外に、各省庁が独自に定める「省秘」などもあり、現行の秘密指定制度は複雑怪奇かつ官僚任せとなっているのが実態だ。

 秘密を民主的に管理し、できる限り少なく抑えるための法的枠組みは必要だろう。その際、一定期間後に必ず公開▽指定・解除を監視する権限の強い独立機関の設置▽国立公文書館の機能強化▽市民は処罰の対象外--といった条件が不可欠だと思う。

 批判された政府・与党は参院採決直前になって、原案にはない監視機関を作る方針を打ち出したが、付け焼き刃の対応と言うほかなく、穴だらけの法が成立してしまった。今後、私たちは情報公開を巡る身の回りの小さな異変を見逃さないよう注意深くなる必要がある。そして、何か気付いたら伝え合おう。五輪があってもサッカーワールドカップがあっても忘れてはいけない。いずれ、この法律は一から出直しさせる必要がある。

 小泉政権の途中から麻生政権まで首相官邸で安全保障と危機管理の実務を担った柳沢協二・元内閣官房副長官補(防衛庁出身)は取材に、「知る権利」の重要性を指摘し、こう語った。「人間は間違うものだ。失敗の経験を政府と国民が共有していくことが、賢くて強靱(きょうじん)な国を育てる」

 自由と民主主義の価値を大切に考える公務員、政治家の皆さんと共に、メディアの一員として、そして一市民として、「賢い日本」を次代に残したいと思う。戦前の過ちをくり返すほど日本人は愚かではないと信じている。
    --「記者の目:特定秘密保護法施行の年=日下部聡(大阪社会部)」、『毎日新聞』2014年01月09日(木)付。

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覚え書:「論点:戦争から考える2014年=山崎正和、加藤陽子」、『毎日新聞』2014年01月10日(金)付。

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論点:戦争から考える2014年
毎日新聞 2014年01月10日 東京朝刊

 今年は第一次世界大戦が始まってから100年。日露戦争、日清戦争からはそれぞれ110年、120年に当たる。戦乱に満ちた19世紀末-20世紀前半の歴史を踏まえ、21世紀の私たちは、世界の中でどのような道を歩むべきなのか。

 ◇反ナショナリズム貫け--山崎正和・劇作家、評論家

山崎正和さん=須賀川理撮影

 第一次世界大戦にはいくつかの文明史的な意味がある。まず西欧中心の世界が崩壊し、代わって米国が台頭した。米国はヨーロッパ諸国に多額の戦費を提供する一方で膨大な収入を獲得し、経済的に大国となるきっかけをつかんだ。同時に、植民地主義の時代が終わりに向かった。

 また、四つの帝国が終焉(しゅうえん)した。オーストリアのハプスブルク家、ドイツのホーエンツォレルン家、トルコのオスマン帝国、ロシアのロマノフ王朝だ。時を同じくして中国の清朝も崩壊した。帝国の壊滅は二つの正反対の趨勢(すうせい)を生み出した。一つはナショナリズムの興隆だ。異なる民族が平和的に共存できた帝国の枠組みが壊れ、ウィルソン米大統領が民族自決を唱えた(1918年)こともあって、ヨーロッパをはじめ戦後世界ではナショナリズムをイデオロギーに国家が再編された。最も顕著なのがナチスドイツであり、アジアでは軍国日本だった。

 もう一つの趨勢は、広義のグローバリズムだ。帝国の割拠が崩れ、世界はおのずから一つになる傾向を持った。米国中心の経済が生まれ、ニューヨーク株式市場の暴落に始まる29年の世界大恐慌も起こった。また、米国は参加しなかったが、国際連盟が成立し、第二次大戦後の国際連合の原形となった。西欧を中心に人権、民主主義といった価値観の統一も行われた。さらに第一次大戦を契機に石炭から石油へエネルギーが転換し、第二次大戦までの戦間期には大衆文化が花開いた。

 これに対し、第二次大戦では米国の優位が確立した。米国は世界の経済と政治に強い影響力を及ぼすようになり、グローバリズムの道義性、つまり人権と民主主義を訴えて世界をリードするようになる。それはナショナリズムを主張したナチスと日本という価値観の対立する敵との勝負を制したからだ。

 次に、冷戦という奇妙な時期が到来した。これはグローバリズムへ向かう歴史の歩みにブレーキをかけた時代だったといえる。なぜなら、世界が東西に分かれ、一方にソ連を中心とする共産主義の陣営があったためだ。世界中を共産主義にしようとした彼らはインターナショナルをスローガンにしたが、現実には一国社会主義を主張するナショナリズムだった。ソ連や中国などのナショナリズム諸国と、米国を中心とするグローバリズム勢力との戦いが冷戦だった。両陣営とも国内ではパイの拡大、すなわち経済規模を大きくして格差を埋めようとしたが、それが環境問題、資源問題を引き起こした。

 今は冷戦を含む三つの「戦争」の戦後といえるが、日本にとって喜ばしいことばかりではない。一つには、中国やロシア、インドなどでナショナリズムが再び台頭し始めている。しかし、理論的にいうとナショナリズムに将来はない。ナショナル(民族)の定義があいまいなために、必ず民族内部の少数の意識を呼び起こすからだ。二つ目に環境、資源問題がある。解決が難しいのは、二酸化炭素削減に見られるように国益が介在するからで、結局はナショナリズムが問題だ。三つ目に、今後の世界は科学技術を含む新しい文明を興し、知識基盤社会として生きる以外にない。そのためにはエリートの養成が不可欠だが、教育の平等を求める社会の大衆化や、電子媒体の普及に伴う情報の大衆化と矛盾する。

 では、日本はどう進むべきか。第一に、日本人は反ナショナリズムを貫く必要がある。私は日本のいわゆる「右傾化」すなわちナショナリズムをあおる動きに反対だし、ナショナリズムを打ち出そうとする外国にも自制を求めるべきだと考える。尖閣諸島で譲るわけにいかないのは、ナショナリズムのためではなく、日本の自由な人権と民主主義の国を守るためだと考えなくてはならない。

 第二に、知的・文化的な貢献をすることだ。これにはiPS細胞など科学の成果や「和食」の良さを広めることも含まれる。諸外国は今、日本文化に好意的な目を向けている。さらに良い姿を見せ、世界から恐れられる国ではなく、愛される国になるべきである。【聞き手・大井浩一】

 ◇歴史の「長い記憶」学べ--加藤陽子・東大大学院教授

加藤陽子・東大大学院教授=栗原俊雄撮影

 宮内庁編修の「昭和天皇実録」が完成し、今春から公開される見通しとなった。そこに書かれるはずの逸話の一つに、1946年8月14日、ポツダム宣言受諾から1年目の日、昭和天皇が当時の吉田茂首相や敗戦当時首相だった鈴木貫太郎らを招いた茶話会がある。侍従次長の記録によれば、天皇は大筋、こう述べたという。「戦争に負けたのはまことに申し訳ないが、日本が負けたのは今度だけではない。663年の白村江の戦いで唐と新羅の連合軍に敗れたが、その後の改革の努力もあり、日本の文化の発展の転機となった。よって今、『日本の進むべき道』も、おのずからわかると思う」と。

 この話から二つの示唆が得られよう。第一に、眼前の敗戦と1000年以上も前の敗戦を引き比べて考える「長い記憶」というべきものがあることだ。大日本帝国憲法で「統治権の総攬(そうらん)者」とされた天皇が身につけていた「長い記憶」の作法は、日本国憲法で主権者となった国民が継承すべきだった主権者の作法の一つなのではないか。

 第二に、「日本の進むべき道」について言えば、戦後の日本は、日本国憲法第9条が掲げる戦争放棄と、1960年の日米安保条約第2条が掲げる経済条項を抱き合わせ、平和国家の道を歩んできた。この戦略は、国際社会、特に、戦争の惨禍を最もこうむったアジアと日本が再び緊密な関係を結び、アジアからの信頼を得るのに役立った。

 では、「長い記憶」を身につけるにはどうすればよいのだろうか。まずは史実を押さえることが重要だ。1904年に起きた日露戦争を例にとれば、「日本は中国の旧満州地域をロシアから守るため、いわば中国のためにロシアと戦った」との、講談調の歴史解釈が今なお根強い。

 だが、実際の日露戦争は、安全保障上の懸念から朝鮮半島への排他的支配を図ろうとした日本と、それを認めぬロシアとの間で戦われた戦争だった。

 旧満州をめぐる言説が現れたのは、日露開戦にあたって日本側が、英米を味方につけるべく、「満州の門戸開放のための戦争」だと喧伝(けんでん)したことによる。さらに、31年の満州事変を機に国際連盟の場で弁明を迫られた日本側は、「数十万の生霊を失い、二十億の負債」を負って旧満州を守ったのは日本だとの論陣を張った。1904年の戦争の記憶が、31年の事件の都合によって上書きされた事実に目を向けたい。「満州問題」は、41年の太平洋戦争に先立つ日米交渉において、中国からの日本軍撤兵問題とともに、日米対立の主要な論点となったので重要だ。史実に向き合うことが、「長い記憶」を身につける王道だと言える。

 現代に話をふれば、自民党が選挙で勝利したことで「決められる政治」となり、特定秘密保護法も昨年12月初旬に短時間の審議で採決された。「民意を得た」自民党が決めたのだから、国民が同法を選んだことになるとの見方もあるが、本当にそうなのか。2012年の衆院選を見れば、自民党は小選挙区の得票率43%で、議席数の79%に当たる237議席を占有した。だが比例代表で見れば同党に投票した人の数は全有権者の16%だけなのだ。現状の自民党議席は、小選挙区制がもたらした「不自然な多数」と言え、「1票の格差」をめぐっては、全国で「違憲」や「違憲状態」の司法判断が相次いでいる。「史実に見えるもの」に対して疑念を持つ態度もまた、主権者である国民が「長い記憶」を身につける方途となろう。

 昨年末には安倍晋三首相の靖国神社参拝もあった。アジア安定の軸に平和国家日本がある意味は、米中2国にとって大きな利益となる。2国が警戒するのも故なしとしない。さらに、「史実を押さえる」という点でも問題だ。戦没者慰霊ならば、政教分離が問題となるような神社参拝ではなく、戦後の日本が中途で断念したままの、兵士の「死に場所」や「死に方」を明らかにし、遺族に伝えてゆく行為こそが本筋なのではないか。【聞き手・栗原俊雄】

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 ◇19世紀末-20世紀前半の世界と日本

1894~95 日清戦争で日本が勝利。台湾、澎湖(ほうこ)諸島などを割譲させる

1904~05 日露戦争。日本はロシアに韓国への指導や保護監督権を認めさせる

     10 韓国を併合

  14~19 第一次世界大戦。日本は日英同盟を理由に参戦。中国・山東半島のドイツ軍事基地・青島などを占領

     29 世界大恐慌

     37 日中戦争始まる

     39 欧州で第二次世界大戦勃発

     40 日独伊三国同盟締結

  41~45 太平洋戦争で日本が敗北。第二次世界大戦終結


 「論点」は金曜日掲載です。


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 ■人物略歴

 ◇やまざき・まさかず

 1934年生まれ。京都大大学院博士課程修了。関西大、大阪大教授、東亜大学長などを歴任。「大停滞の時代を超えて」など著書多数。

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 ■人物略歴

 ◇かとう・ようこ

 1960年生まれ。東大大学院人文社会系研究科教授(日本近現代史)。89年東大大学院博士課程修了。著書に「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」など。
    --「論点:戦争から考える2014年=山崎正和、加藤陽子」、『毎日新聞』2014年01月10日(金)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140110ddm004070031000c.html:title]

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日記:智慧とは「人間をして、瞬間による支配から離脱せしめるもの」


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 智慧というもののもつ最も重要な要素は、それこそが、人間をして、瞬間による支配から離脱せしめるものだ、ということである。それ故に、智慧は、時代に適うものではないのである。智慧の意図することは、人間をあらゆる運命の打撃に対して直ちに確乎たる姿勢をとらせ、あらゆる時代に対して武装させること、これである。それは、国民的色彩などほとんどないものである。
    --ニーチェ(渡辺二郎訳)『哲学者の書 ニーチェ全集3』ちくま学芸文庫、1994年、427頁。

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金曜日にて「哲学」の講義総て終わりました。

最後は、レヴィナスの「哲学とは醒めてあること」であり、それは「他者との出合い」によって到来されるもの、というお話しをしましたが、なにか出来合いの知をもって知とするのではなく、自身で「知」を新たにする毎日を送って欲しいと思います。
そのことによって世間様という重力からはじめて自由になれるのだと思います。

受講者の皆様、ありがとうございました。


 


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覚え書:「みんなの広場 愚かな靖国参拝強行」、『毎日新聞』2014年01月09日(木)付。

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みんなの広場
愚かな靖国参拝強行
翻訳業・62(東京都品川区)

毎日新聞 2014年01月09日 東京朝刊

 
 ついにやったかという印象である。安倍晋三首相は、第1次内閣の時にやれなかった首相としての靖国神社参拝を強行した。全く愚かである。

 すでに中韓をはじめとして、多方面から否定的な見解が出されているが、米国が「失望した」という強いコメントを出したのは異例である。安倍氏は公には否定しているが、A級戦犯を処刑した東京裁判の正当性は容認していないはずで、これは戦後の日米関係を根底から覆すことにつながる立場である。

 日本の国益を考えれば、じっとがまんするしかないはずだが、中韓との関係打開の展望もなく、アベノミクスの矢も尽き果て、消費増税で景気の落ち込みが予想される中、今、自己満足を果たしたというに過ぎないのではないか。靖国神社はA級戦犯の合祀(ごうし)が問題とされる。靖国神社は、国民が安心して戦争で死ねるように、明治政府が作ったものだ。戦死者をまつりたいなら、その場所は別に作るべきだと思う。
    --「みんなの広場 愚かな靖国参拝強行」、『毎日新聞』2014年01月09日(木)付。

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覚え書:「みんなの広場 安倍首相の『英霊』とは」、『毎日新聞』2014年01月09日(木)付。


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みんなの広場
安倍首相の「英霊」とは
無職・72 (大阪府和泉市)


毎日新聞 2014年01月09日 東京朝刊


 私の長兄はフィリピンで戦死しました。母親には「靖国神社でまた会える」と言っていたそうです。しかし、私は東京に住んでいた時も、一度も靖国神社にはお参りしようと思いませんでした。

 北朝鮮を思わせるような独裁的な軍部が無謀な戦争に突入していなければ、また敗色濃厚となった時点で戦争をやめていれば、広島・長崎の惨劇、各地の空襲の悲劇などもなかったでしょう。

 自分たちのメンツにこだわり、国民のことを真剣に考えずに日本をミスリードして、最悪の状態に国民を追い込んだ戦争責任者たちを、純粋な思いで散っていった若者たちと合祀(ごうし)している靖国神社を参拝する気は毛頭起こりません。

 安倍晋三首相の言われる「英霊」とは一体何でしょうか。米中韓との関係うんぬんより、もっと自国民の気持ちに配慮がほしいと痛切に感じます。
    --「みんなの広場 安倍首相の『英霊』とは」、『毎日新聞』2014年01月09日(木)付。

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覚え書:「特集ワイド:安倍政権1年 哲学者・高橋哲哉さん」、『毎日新聞』2013年12月12日(木)付(東京夕刊)。

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特集ワイド:安倍政権1年 哲学者・高橋哲哉さん
毎日新聞 2013年12月12日 東京夕刊


 <この国はどこへ行こうとしているのか>

 ◇犠牲いとわぬ統治者気分--哲学者・高橋哲哉さん(57)

 「今の政権担当者たちは、自分が生まれながらにして日本の統治者だと思っているのではないでしょうか」

 非難の言葉が穏やかな表情の哲学者からこぼれた。安倍晋三首相、麻生太郎副総理兼財務相ら2世、3世が権力の座にいる。「彼らの先祖が帝国の支配層として君臨していた時代を否定されたくないし、何とか肯定したいという欲望があるのでしょう」。優しい口調だが、高橋哲哉さんは怒っている、と確信した。その「統治者」たちは今、何をしようとしているのか。

 <ドイツのヒトラーは、ワイマール憲法という当時ヨーロッパで最も進んだ憲法で出てきた。憲法が良くてもそういったことはありうる。(中略)「静かにやろうや」ということで、ワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。誰も気がつかない間に変わった。あの手口、学んだらどうかね>

 東京大学のシンボルにもなっているイチョウの並木道をくぐりぬけると、高橋さんの研究室の入るビルがある。冬にしては温かい日差しが窓から注ぐ中、ゆっくりと語り始めた。「ここへ来て、安倍首相にも麻生氏の『ナチス発言』が乗り移ったかのようです」

 当初、安倍首相は高揚していると高橋さんには見えた。国防軍の設置を掲げ、閣僚の靖国参拝に反発した中国・韓国に対し「国のために命を落とした英霊に尊崇の念を表するのは当たり前だ。わが閣僚はどんな脅かしにも屈しない」と4月の参院予算委員会で述べたのは象徴的だ。「歴史認識については、春ぐらいまで彼の本音に近いところを出そうとしていたと思います」

 しかし、その歴史認識は中国・韓国はもちろん、米国や英国の主要メディアからも批判を浴びた。憲法9条の改正に国民が必ずしも肯定的ではないと感じて96条の先行改正を打ち出したが、これも批判が相次いで引かざるを得なかった。前のめりにやろうとしたことがうまくいかない。その時に浮かんできたのが、あの「ナチスの手口」ではないかと高橋さんは考える。

 「国民が分からないうちに、憲法を骨抜きにする法律や施策を進めていくやり方にかじを切ったように感じます」。淡々と話し続ける。「ひとつは9条の解釈改憲が大きい。内閣法制局長官の首をすげ替えて、9条の下でも集団的自衛権が行使できると歴代政権の解釈を変えてしまえば、改憲しなくても軍を地球の裏側に派遣できる」。ぐい、とお茶を飲み、大きく息を吸って続けた。「そしてなんといっても特定秘密保護法です。7月の参院選の公約にもなかったのに、秋になって突然出してきて、メディアや国民が対応できないうちに成立させようという露骨なやり方です」

 ナチスドイツは全権委任法という法律を作り、そこに「政府の作る法律は憲法に違反できる」という条文を入れ、当時のワイマール憲法を無効化した。全権委任法はたった5条、憲法の改正はしていない。「麻生副総理が言った狙いはそういうことでしょう。国民が気づいたら憲法が変わっていたという状態が一番いいんで、あの手口を学んだらどうかね、と」。ゆっくりと力を込めて話す口調から、危機感が押し寄せてくる。部屋には相変わらず日が差し込んでいるのに、いきなり背筋がぞーっとした。

 高橋さんは福島県出身。高校を卒業するまで、県内のあちこちで暮らした。東京電力福島第1原発の事故後、長く警戒区域となっていた富岡町にも住んだことがある。苦しむ故郷を顧みる時、「統治者」を気取る安倍首相の国民に対する想像力の欠如はよほど目に余るものがあるのだろう。昨年出版した「犠牲のシステム 福島・沖縄」では、第1次安倍内閣で初代防衛相に就任した久間章生氏の2003年の発言「90人の国民を救うために10人の犠牲はやむを得ない」を取り上げ、こう書いた。

 <はたして私たちは、国家・国民共同体を維持するために、自分を犠牲になるべき1割の側に組み込んでもいいということを、国家為政者に認めたことがあるだろうか>

 私たちは今、ほとんどが国家のために犠牲になることは考えていない。でも、現政権は違うようだ。「集団的自衛権を行使すべきだという彼らは、米国との関係の中で『日本国も軍事的なリスクを負わなくてはいけない』という。しかしその場合、彼らの意識の中でリスクを負って犠牲になるのは彼ら自身ではなく、『末端にいる』我々国民なのでしょう」

 ぜひとも伝えたいことだ、と高橋さんは身を乗り出した。「特にこの間、安倍政権は沖縄を国家権力むき出しで黙らせようとしています。米軍普天間飛行場の辺野古移設では、自民党本部が沖縄選出の国会議員団に『離党勧告するぞ』『県外移設なんて言っているといつまでも基地は動かない』と圧力をかけて公約を撤回させました」

 さらに、と語気を強める。「沖縄県の全41の市町村長らが一緒に東京へきて安倍首相に建白書を手渡し、『県内移設を断念してください』『オスプレイの配備を撤回してください』と言っても一顧だにしなかった。これは驚くべきことです」。「統治者」が「末端の」国民に対する姿勢があらわになっている、と指摘する。国民どころか地方議員の声にすら耳を傾けず、憲法を選挙も通さずに無効化し、戦争に行ける状況をつくりだす--そんなことがありえるのだろうか。思わず「私たちが戦争に行って死ぬことぐらい何も感じないのでしょうね」と口にしていた。

 「そう思います」。高橋さんは間髪いれず静かに答えた。

 「今の政権には即刻退陣してもらいたい。こんな政権は過去の自民党にもなかった」。この人にしては激しい言葉の後、ちょっと苦笑いした。「本来主権者である我々国民は、日本の為政者に対し、現憲法の掲げる人権が守られていない状況を正すように求めるべきです。たとえば福島や沖縄、格差社会化の底辺であえいでいる人たちなど。しかし、今の政権はその肝心な憲法を変えたいと思っているわけですから、そもそもそんな話に耳を傾けるわけがない。最悪の政権です」

 「何か希望はないか」と聞いてみた。「うーん」と首をひねる。状況は悪い。「でも日本は市民運動がとても盛んです。憲法についても多くの人が勉強している。この中から、しっかりした人権感覚や歴史認識をもつ政治家を育てるしかありません。カリスマはいらない。人類普遍の原理に立った、民主的なセンスのある政治家が必要なのです」

 この国を「統治者」のほしいままにさせない覚悟が今、問われている。【田村彰子】=「安倍政権1年」は今回で終了します

 ■人物略歴

 ◇たかはし・てつや

 1956年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科教授。著書に「記憶のエチカ」(岩波書店)、「靖国問題」(ちくま新書)、「国家と犠牲」(NHKブックス)など。
    --「特集ワイド:安倍政権1年 哲学者・高橋哲哉さん」、『毎日新聞』2013年12月12日(木)付(東京夕刊)。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20131212dde012010003000c.html:title]

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覚え書:「書評:池田晶子 不滅の哲学 若松英輔著」、『聖教新聞』2014年01月08日(水)付。


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池田晶子 不滅の哲学
若松英輔著

「言葉」は自身を絶望から救う

 「苦難や危機に際して人が本当に必要とするものは、必ず言葉であって、金や物ではあり得ない」(池田晶子)。著者は、池田晶子が残した言葉を手掛かりに「言葉」と哲学とを考えていく。
 「言葉」は言語とは限らない。色や音、まなざしでもある。「言葉」はどんな人にも寄り添う。魂にふれる何かであり「コトバのもっとも重要な働きは救済である」。私たちは「言葉」に出合わねばならないと著者は言う。自分が救われるとともに、自らが「救い」という大きなうねりの一部になるために。
 「コトバ(言葉)」は、おそらく宇宙の法則とも、道とも言い換えてよい。生きることは、書くことも考えることも祈ることも、それを聞き取り、それに向かって自分を開きゆくことだ。そして、その開かれた精神の場には、時空を超えて、師弟が常に共に在る。
 真の哲学は普遍を志向するが、自己の経験や悲しみは大切だ。言葉の深みへは知識だけでは到達できないし、生活に立脚しない哲学はない。人は悲しみを通して世界と繋がる。
 哲学は励ましてくれる。「君を救うのは君だ」と。君は君を待つ他者のために「自身を絶望の底から救いあげなくてはならない」。そして人は誰しも、自らを救った「言葉」を伝える「使命」を託されているのだと。(樹)
トランスビュー・1890円
    --「書評:池田晶子 不滅の哲学 若松英輔著」、『聖教新聞』2014年01月08日(水)付。

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覚え書:「みんなの広場 廃止まで報道し続けて欲しい」、『毎日新聞』2014年01月08日(水)付。

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みんなの広場
廃止まで報道し続けてほしい
主婦 66(ドイツ)

 特定秘密保護法が強行採決されましたが、そもそもこの法律は国連の国際人権規約を批准している日本としては条約違反でもあり廃止にしなければいけない法律です。
 情報公開と国家機密のバランスをとるための国際的な指針として昨年6月にまとまった「国家安全保障と情報への権利に関する国際原則」(ツワネ原則)の中に細かくないようが記されています。
 特定秘密保護法は1年以内に施行されるようですが、それまでに民主主義の基本である基本的人権(知る権利)自由権(表現の自由)が脅かされる内容であることを報道機関は国民が忘れないように報道し国民の力で廃止に持っていかなければ、日本はとんでもない国になってしまいます。
 このような法案が民主主義と自称する日本で出てくるのはナチス・ドイツに見習えとか、デモはテロリストなどとの発言をそのまま許しているからです。ジャーナリストの方々はもっと鋭い感性を示して欲しい。
    --「みんなの広場 廃止まで報道し続けて欲しい」、『毎日新聞』2014年01月08日(水)付。

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書評:安田敏朗『かれらの日本語 台湾「残留」日本語論』人文書院、2011年。

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安田敏朗『かれらの日本語 台湾「残留」日本語論』人文書院、読了。植民地支配下の台湾における国語政策(日本語教育)の実態を明らかにすることで、しばしば郷愁を持って語られる“親日”国台湾の日本語受容の歪んだ歴史を本書は厳格に指摘する。

「同化」「皇国臣民化」としての日本語教育(国語教育)とは、現代人が外国語を学習することと同義ではない。国語教育を通して、トータルに生活を支配していくことだ。傲岸な政策と日本語教育者の傲慢さは、日本人が台湾に抱く薄っぺらい郷愁を排する。

戦後日本人は「かれらの日本語」を再発見することで歪な自己愛にも似た自己正当化の標としたが、各々の言語文化を否定する植民地支配の発想は置き去りにされたままである。

たえず彼らは奪い続けられている。

「ことばはだれのものか」を考えさせられる。

[http://www.jimbunshoin.co.jp/book/b94762.html:title]


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かれらの日本語: 台湾「残留」日本語論
安田 敏朗
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覚え書:「記者の目:フランスに学ぶ少子化対策=宮川裕章(パリ支局)」、『毎日新聞』2014年01月08日(水)付。

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記者の目:フランスに学ぶ少子化対策=宮川裕章(パリ支局)
毎日新聞 2014年01月08日 東京朝刊

(写真キャプション)パリのパリカオ保育学校の2歳児クラス。保育学校は基本的に無料で、3-5歳の児童のほぼ全員を受け入れる=2013年11月、宮川裕章撮影

 ◇子どもを持つ幸福感

 フランスの子育て事情と家族政策を報告する連載企画「子どもと家族の大国」(12月10-13日)を担当した。少子化に悩む日本とは対照的に出生率「2」を維持するフランスは何が違うのか。長年の家族政策と高い負担を受け入れる国民、そしてそれらの支えとなる「子どもを持つ幸福感」がうまく循環し、国に自信を与えているように見える。100年後には人口半減も予測される日本は、どのような将来を選択するか。国民全体が相当な覚悟で議論する必要があると改めて思う。

 出生率2・01のフランスと1・41の日本。フランスに暮らすと、2人以上の子どもを連れた家族の多さに意識しなくても気付かされる。

 フランスの家族政策の起源は第一次大戦後の人口減少の危機感にさかのぼり、第二次大戦後、税控除制度などを整備した。1970年代以降の女性の社会進出や高学歴化で、先進国では総じて出生率が低下したが、フランスは家族関係手当を拡充するなどし、90年代半ばに回復に転じた。

 ◇「水平の連帯」 国民が納得

 取材した、子どもが8人の夫婦は大家族を優遇する税控除で15年間、所得税がゼロで済んだ。フランスの公教育は3歳から始まり、大学卒業までほぼ無料だ。その裏には重い負担がある。家族政策予算に国内総生産(GDP)比1%の日本を大きく上回る3・8%をつぎ込むが、国民から大きな異論は出ない。子供を育てる家計の負担を国民全体で支える「水平の連帯」の考え方が定着しており、高負担を国民が納得しているからだ。その結果、女性が出産を機に職場を離れる率も低く抑えられている。髪振り乱して子育てと仕事に奮闘する日本の女性のような悲壮感を、日常生活や取材を通じてフランス女性に感じることはない。

 一方、日本の状況は全く異なる。私が大学生だった90年代初頭。出生率が落ち込んだ89年の「1・57ショック」が社会を揺るがし、ゼミで話し合ったのを覚えている。だが20年以上たった今も事態は変わらない。国立社会保障・人口問題研究所の推計では、出生率が現在の水準だと、現在1億2800万人の人口は、50年後に8700万人、100年後には4300万人となる。議論しないまま受け入れてよい未来なのだろうか。

 一昨年12月の衆院選前、日本の事情にも詳しい仏経済学者のジャック・アタリ氏に日本の長期的課題について尋ねると、一番に人口問題を挙げ「なぜ主要な争点にならないのか分からない」と不思議がった。国の将来を決める緊急で重大な問題だとの認識からだ。人口の少ないコンパクトな国家を目指すのも選択肢だが、下がり始めた出生率をコントロールする難しさをアタリ氏は指摘した。

 かつての大国フランスも今ではGDPが日本の半分程度で、低成長と失業率が10%を超える不況に悩んでいる。それでもフランスに住むと、国民の根源的な将来への不安は日本より小さく思える。2005年にフランス女性の希望する子どもの数は平均2・7人に達し、取材したフランス人の多くが「今、3人以上の子どもを育てるのが当たり前のような社会の雰囲気だ」と実感を語った。国民が将来に大きな不安を抱えていれば、ありえない話だ。

 一方、日本の統計では、夫婦が理想とする子どもの数は10年、過去最低の2・42人になった。子育ての負担などから、控えめな希望も実現できていない現状がある。産みたい人が産める社会を実現させなければならない。

 ◇社会に希望と活力を与える

 これまで多くの日本の研究者がフランスを訪れ、家族政策を研究しているが、その成果が十分に政策に反映されていない。そこには予算の絶対的な不足のほか、フランスの家族政策の充実が、親族間で助け合う家族本来の機能を失わせるという根拠のない批判もある。だが、フランス人に長く接すると、日本人と同等かそれ以上に家族と過ごす時間を大切にしているのを実感する。過度のフランス異質論は、学べるものから目をそらさせる恐れがある。

 私は取材を通じ、日本人が忘れてしまったような子どもを持つ幸福感をフランス人の家族に感じ、それが不況の中でも社会に希望と活力を与えているように思った。日本は国の将来を左右する家族・人口政策をどうするか、その負担をどこまで覚悟するのか。政治が未来に向けた国家ビジョンを国民に問い、国民は緊迫感を持って議論しなければならないと強く思う。フランスから学べるものはまだまだあるはずだ。
    --「記者の目:フランスに学ぶ少子化対策=宮川裕章(パリ支局)」、『毎日新聞』2014年01月08日(水)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140108ddm005070019000c.html:title]

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覚え書:「特定秘密保護法に言いたい:官僚の負の文化、変えねば--ノンフィクション作家・柳田邦男さん」、『毎日新聞』2014年01月07日(火)付。


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特定秘密保護法に言いたい:官僚の負の文化、変えねば--ノンフィクション作家・柳田邦男さん
毎日新聞 2014年01月07日 東京朝刊


 ◇柳田邦男さん(77)

 官僚の世界では、防衛や外交分野に限らず、一般的な情報まで何でも秘密にしようとすることが当たり前になっている。政府の東京電力福島第1原発事故調査・検証委員会や、環境省の水俣病問題に係る懇談会などにかかわった経験から、秘密主義という「負の文化」を強く感じている。

 最近、大阪府警や鹿児島県警で虚偽調書の作成や調書の改ざんが発覚した。不都合なことはなかったことにするし、ないと困ることはあったことにする。内実を問わず数さえ合えばいい、という考え方を「員数主義」と言うが、旧日本軍にはびこったこの体質が、今の官僚にもある。

 戦前、軍事上の機密である軍機が増えたように、秘密は増殖するだろう。安倍晋三首相は「重層的な仕組みで恣意(しい)的な(特定秘密の)指定がなされないようにしている」と言う。しかし、法律は拡大解釈可能な条文を含んでおり、韓国軍への銃弾提供の際にみられた武器輸出三原則の解釈変更同様、突然運用が変わる恐れがある。

 政府は「一般の人は処罰されない」と言っている。一方で、石破茂・自民党幹事長は、デモをテロにたとえたり、特定秘密に関する報道への処罰の可能性に言及した。結果としては無罪になるような事例でも、政治状況を都合よくするために、見せしめ的に事件化できる可能性を秘めた法律だ、という地金をさらけ出した。声を上げ続け、特定秘密保護法も、官僚の負の文化も変えなければならない。【聞き手・臺宏士】=随時掲載

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 ■人物略歴

 ◇やなぎだ・くにお

 1936年生まれ。「マッハの恐怖」で大宅壮一ノンフィクション賞。近著に「終わらない原発事故と『日本病』」。
    --「特定秘密保護法に言いたい:官僚の負の文化、変えねば--ノンフィクション作家・柳田邦男さん」、『毎日新聞』2014年01月07日(火)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140107ddm012010066000c.html:title]


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終わらない原発事故と「日本病」
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覚え書:「仏有料ネット新聞:躍進 『公の利益』視点に報道の原点貫く」、『毎日新聞』2014年01月06日(月)付。


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仏有料ネット新聞:躍進 「公の利益」視点に報道の原点貫く
毎日新聞 2014年01月06日 東京朝刊

 2008年にフランスで設立された広告を一切載せない有料のネット新聞「メディアパート」が読者数を伸ばしている。サルコジ前大統領に絡む不正献金疑惑など、数多くのスクープで注目を集める同紙のエドウィー・プレネル代表(61)に、目指すジャーナリズム像などを聞いた。【聞き手・後藤由耶】

 --設立のきっかけは?

 フランスは10%台の高い失業率など経済危機の中で、経営難のためにほとんどの新聞社が大資本グループに買収されている。新聞社に対する政府の補助金への過度の依存という問題も起きている。ジャーナリズムは独立性、信頼性の喪失に直面しており、この中で独立したメディアを再建することが、私たちの第1の目的だった。

 2番目の目的は「デジタル革命」への対応。ネット上の無料ニュースは、既存の活字メディアには衝撃的だった。しかし、流れは後戻りしないものと捉え、誰もが情報発信できる状況の中で、職業ジャーナリズムの最良の部分を再生したいと思った。

 --広告を排除した有料ネット新聞を選択した理由は?

 「質の高い情報には対価が必要」という信念から有料にした。「無料」は広告収入への依存を意味し、娯楽性や大衆性に流されざるを得ない。「質が高く、オリジナリティーがあり、裏付けがしっかりしていれば、読者は購読料を払ってくれるはずだ」と考えた。設立から2年半で何とか採算ラインに乗り、3年前から黒字に転じた。

 --他の新聞にない特徴は?

 「読者参加型新聞」だ。サイト上には読者の誰もが投稿し、意見を書き込めるコーナーを設けている。記事が批判される長文の投稿もあれば、記事を補完してくれる意見もある。民主的な議論の場で、差別発言など編集方針に反しない限り介入しない。意見を表明する権利は、ジャーナリズムの特権ではなく、誰にでも与えられた権利だ。

 --会社の体制は?

 運転資金500万ユーロ(約7億円)を集め、記者25人、ネットや会員管理の職員2人で始めた。ネット新聞だからといって低賃金、不安定雇用であってはならず、平均月給はフランスの新聞社の平均を少し上回っている。現在の社員数は49人(記者は31人、他は技術スタッフや営業)だ。

 --編集方針は?

 私たちは全国紙。全国ニュースや国際ニュースをカバーしている。読者は、他の媒体から既に多くの情報を入手しているので、私たちの役割は特に重要だと思われる出来事を取捨選択し、読者に伝えること。現代の問題は情報が足りないことではなく、あふれかえっていることだ。情報に振り回されれば、大事な問題を見失ってしまう。取捨選択し、優先順位をつけ、ルポや分析によって掘り下げるジャーナリズム本来の仕事が重要になっている。

 記事に重要なのは、自由で自立的な市民となるために不可欠な情報、つまり「公の利益」という視点だ。他社と横並び式に報道するのではなく、独特のアングル、厳密な裏付けなどを通じ、内容を掘り下げていく必要がある。職業ジャーナリズムの存在価値を守らなければ、未来はない。

 --ネット時代に求められるジャーナリズムとは?

 私たちは民衆のメディアであろうとしている。ジャーナリズムの本来の使命は、権力の乱用を監視することだ。そのためには、権力の側ではなく、市民の側に立つ必要がある。長年全国紙「ルモンド」で働いてきた私は、大手新聞社でこの姿勢を貫くことがいかに困難であるかは、よく知っている。いわばジャーナリズムの原点に立ち返ることにより、この職業が失ってしまった若さとバイタリティーを取り戻そうとしているのだ。

 私たちは、サルコジ前大統領側への不正献金疑惑を報じた。さらに、政権交代後の現在の社会党政権についても、カユザック予算担当相(当時)がスイスに隠し口座を持っている疑惑を報道し、辞任に追い込んだ。私たちは誰の味方でもなく、公の利益と判断すれば、何でも報道する。

 権力批判を続ければ、政党や警察組織に嫌われるかもしれないが、組織内部には疑問を持っている人がいる。「この記者に話せば、決して裏切られない。情報を握りつぶさず、最後まで事件を追及してくれる」。そんな信頼関係を築いていけば、おのずと情報は集まってくる。市民の「知る権利」を守ること。それは民主主義を守る闘いだ。私たちは常に不偏不党であることを大切にしている。

 ◇スキャンダル次々暴く

 メディアパートは、次々と政界スキャンダルを暴いてきた。最も著名なのが、2010年のサルコジ前大統領側への不正献金疑惑。大手化粧品会社「ロレアル」創業者の娘、リリアンヌ・ベタンクール氏から違法な選挙資金を受け取っていたとされ、捜査当局の本格捜査が行われた。

 カユザック予算担当相(当時)を巡る隠し口座疑惑を報じたのは12年。13年3月に裁判所が60万ユーロ(8000万円超)の口座の存在を確認し、パリ検察当局が脱税隠匿、虚偽の資産報告などの疑いで捜査中だ。

 ◇読者要求の受け皿に

 メディアパート成功の理由は何か。

 そもそも仏には日本のような宅配制度がなく、新聞は売店で販売されており、一般家庭での新聞購読はごく一部にとどまる。さらに無料紙の台頭とネットの普及に押され、新聞経営は厳しい。買収が相次ぎ、かつて日刊全国紙で最多部数を誇ったフィガロは2004年、軍需会社のダッソーに買収され、ルモンドは10年、イブ・サンローランの創立者らによる実業家グループの傘下に入った。仏政府は、新聞・雑誌業界約2200社に年間6億8400万ユーロ(約1000億円)を支援しており、報道の中立性が問題になっている。

 仏ジャーナリズム事情に詳しい大石泰彦・青山学院大教授(メディア倫理法制)は「フランスでは『大企業など社会的に強い勢力が新聞を支配している』という認識が広がる一方で、無料紙のニュースも充実しているとは言えなかった。メディアパートは『深い分析記事を読みたい』という一般読者の要求の受け皿になったのではないか」と指摘する。

 一方、日本ではメディアパートのように調査報道を売り物にし、社会的な影響力を持った独立経営によるネット新聞はない。植村八潮・専修大教授(コミュニケーション学)は「日本で新しい新聞の成立が難しい背景には、欧米に比べて新聞の信頼度や、家庭での普及率が高く、新聞社などが提供する以外の、別のメディアによるニュースが受け入れられにくいことがある」と話している。【臺宏士、岡礼子、パリ宮川裕章】

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 ■ことば

 ◇メディアパート

 ルモンドやリベラシオンなどを退社した記者らが設立したネット新聞。記事は毎日朝昼晩の3回更新される。購読者は8万1000人(昨年11月現在)。購読料は月額9ユーロ(約1300円)。収入の95%を購読料が占める。

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 ■人物略歴

 ◇エドウィー・プレネル氏

 週刊誌「ルージュ」などを経て、1980年から全国紙「ルモンド」に移り、編集長も務める。同紙を退社後、2008年に「メディアパート」を設立。
    --「仏有料ネット新聞:躍進 『公の利益』視点に報道の原点貫く」、『毎日新聞』2014年01月06日(月)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140106ddm004030023000c.html:title]

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覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 時代とともに変わる形態 日本の『伝統』家族」、『毎日新聞』2014年01月08日(水)付

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くらしの明日 私の社会保障論
時代とともに変わる形態 日本の「伝統」家族
山田昌弘 中央大教授

 明けましておめでとうございます。お雑煮を食べ、初詣をするなど、伝統行事に親しんだ人も多いかもしれない。しかし、私たちがなじんでいる風習がいつから始まったのか、本当に伝統なのか、と言われると、不確実なものも多いのも事実だ。
 家族を研究していると、「日本の伝統家族」といっても、どの時代、どの地域を基準にするかで、内容は違ってくる、と感じる。
 例えば結婚制度。平安時代は「源氏物語」で描かれているように、妻問婚が行われていた。男性が女性の家に通い、子どもが生まれれば妻の実家で育てたのである。鎌倉時代以降、女性は結婚したら男性の家に入る嫁入り婚が一般化したが、それでも「大奥」に典型的にみられるように、富裕層の間では一夫多妻が普通だった。1898年の明治民法施行で、キリスト教の伝統に従い一夫多妻は法的に廃止されたが、習慣は根強く残っていた。一夫一妻が定着するのは戦後になってからである。
 夫婦の姓も同じだ。「夫婦同姓が日本の伝統」という人がいて、びっくりしたことがある。日本は今の中国、韓国と同じように、伝統的に夫婦は別姓だった。明治維新後も夫婦別姓が続いたが、明治民法の制定時、欧米の習慣に合わせて夫婦同姓になった。「伝統日本の習慣は野蛮」と、1000年以上続く伝統的な慣習を捨て、無理やり夫婦同姓に変えたのである。夫婦同姓は、日本でたかだか100年少しの歴史しかない。
 「夫は外で仕事、妻は家事・育児」という性別役割分業は、さらに新しい。戦前までは、ほとんどの庶民は農家など自営業で、男女が生産労働に従事しており、家事や育児は手のすいた人が片手間に行っていた。富裕層は乳母や子守を雇って子どもの面倒を見た。家事育児を専らにする専業主婦が一般化したのは、19世紀の英国社会であり、西洋文明の広がりとともに全世界に広がったのである。
 日本では、工業化が進んだ戦後の高度経済成長期に、米国のテレビドラマが放映されたのとともに専業主婦が普及。一方、専業主婦の本家家元であった欧米社会では、1980年代に社会構造の転換とともに女性の社会進出が進み、専業主婦は少数派になった。欧米に遅れて専業主婦が一般化した日本では「夫は外で仕事、妻が家で家事育児」という分担が、あたかも伝統であるかのように言われている。それにこだわる人がいるのは、学問的にみればおかしいことである。
 時代とともに家族形態は変わる。どの形態が良いとか悪いとかではない。日本でも時代に合わせて、家族に関わる制度や税制や社会保障のあり方を変えることが必要になっている。
ことば 共働き世帯の増加 厚生労働省の「平成24年版 働く女性の実情」によると、夫婦共働き世帯は1980年代から増加傾向にある。97年以降は専業主婦世帯を上回り、2012年に1054世帯と過去最多となった。一方、専業主婦世帯は減少傾向にあり、12年は787万世帯と過去最低だった。
    --「くらしの明日 私の社会保障論 時代とともに変わる形態 日本の『伝統』家族」、『毎日新聞』2014年01月08日(水)付。

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書評:師岡カリーマ・エルサムニー『変わるエジプト、変わらないエジプト』白水社、2012年。

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師岡カリーマ・エルサムニー『変わるエジプト、変わらないエジプト』白水社、読了。11年の政変以来揺れ続けるエジプトについて私たちはどれだけのことを知っているのだろうか。ピラミッド? イスラーム? 最も歴史の長い地域のことを殆ど知らないのではないだろうか。そんな時手に取りたい一冊だ。 

日本とエジプトの血を受けた著者が「ふつうの人々のライフスタイルや芸能人、文学、風俗を通じてエジプトという国の真髄に迫ってみよう」とする試みだが、読み手の期待以上にエジプトの実像を伝えてくれる秀逸な一冊。

古い歴史とイスラームの伝統、そして独裁政権の連続。点と点ではみえないエジプトの姿を、著者は慈愛を込め、時には厳しく描き出す。「エジプト文化は花ではない」「ユーモラスで、楽しくて、人間臭い文化」である。

エジプトとは詩歌の国。アラビア語の美しいリズムと韻が庶民の生活に息吹くことを本書で初めて教えられた。タリハール広場で展開するデモ映像では伝えられない「ジョークの闘い」がエジプト人の闘いである。

キリスト教徒とムスリムがデリケートに共存する様子を描く「ハサンの十字架とモルモスの新月」の章は印象的。映画を素材に、現在の複雑な対立構造が一義的なこと、そしてコメディーで対立から融和へ導こうとする人がいること。

本書はエジプト社会の現在を過不足なく等身大の実像として描きだす秀逸な一冊。エジプトに関心のない人にも手にとって欲しい。百以上知る人間が十を丁寧に描く一冊。文章もユーモラスでテンポ良い。新年からいい本読みました。

[http://www.hakusuisha.co.jp/detail/index.php?pro_id=08325:title]


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変わるエジプト、変わらないエジプト
師岡 カリーマ エルサムニー
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覚え書:「みんなの広場 首相の靖国参拝は国益損なう」、『毎日新聞』2014年01月05日(日)付。


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みんなの広場
首相の靖国参拝は国益損なう
無職 76(大阪府寝屋川市)

 私の父は1945(昭和20)年5月、フィリピン・レイテ島で戦死した。弾丸も食料も尽き、餓死か病死の可能性が高いと思う。私が7歳のときだ。父を死に至らしめたのは、米国よりはむしろこの戦争を始め、そして終結の努力を怠った、時の指導者だと私は思っている。そういう者たちとともに戦死者は「靖国」に眠っているとされるが、自分を死に追いやった者たちの横で、どうして安らかに眠ることができようか。
 安倍晋三首相は年の瀬も押し詰まった時期に靖国参拝した。「ご英霊に対して哀悼の誠をささげるとともに、御霊安らかなれとご冥福をお祈りした」などとする談話を発表したが、その者たちへも哀悼の意を伝えたのだろうか。まず、そのことを明らかにすべきだ。
 中国に格好の批判の口実を与え、その国内統治を利する一方、我が国の国益を著しく損ねる愚かな行為だとなぜ分からないのか。私は遺族の一人として、自己中心的で思慮の浅い首相の行動を断じて許せない。
    --「みんなの広場 首相の靖国参拝は国益損なう」、『毎日新聞』2014年01月05日(日)付。

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日記:本来両立し得ない「祝日には日の丸を掲揚しましょう」と「初詣は氏神様から」

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近所のお宮さん、普段は「祝日には日の丸を掲揚しましょう」との掲示ですが、正月は「初詣は氏神様から」になる。何というかこのダブスタにはいつも脱力してしまう。

何かと言えば、それはnationalism と patriotismを混同していることだ。

僕自身はpatriotism自体も相対化して受容する必要があるとは思うのだけれども、そもそも、神社信仰は近代以前においては、国家的祭祀に属さない、いわゆる地域の神社というものは、その地域地域のまさに八百万であったわけで、だkらこそ、地域のひとが氏子としてそれを祀ってきた。

しかし、開国後の近代日本の宗教史においては、南方熊楠がその合祀に大いに反対したように、序列・統合の歩みであったといってよい。

だとすれば、「初詣は氏子様」という言説と「祝日には日の丸を」という言説は対極に位置する訳で、それを取り入れるということは、自身は序列化された被害者であるにも拘わらず、国家祭祀に迎合していくようで……ぐったりです。


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覚え書:「引用句辞典 『公衆は自分の願望をわかっている』=鹿島茂」、『毎日新聞』2014年01月04日(土)付。


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引用句辞典
トレンド編
[公衆は自分の願望を分かっている]
マニフェスト強制しか白紙委任回避策はない
鹿島茂

[公衆は自分の願望を分かっている]
 公衆は自らに必要なものを常にわきまえているわけではないが、自分の願望はすべてわかっている(中略)。しかし、いったん目的が世論を通じてはっきり示されたあとは、もっぱら政治学者こそがそれを実現する手段に取り組むべきである。 (中略)世論は願望を延べ、政治理論家は実行手段を提案し、そして統治者は実施すべきである。
(オーギュスト・コント『ソシオロジーの起源へ』杉本隆司訳、白水社)

 社会学の始祖オーギュスト・コントはその最初の論文「意見と願望の一般的区別」において、民衆が「自由、平和、産業の反映、歳出削減、そして適正な税金の運用」といった「政治的願望」を持つのは当然かつ自然であり、必要でもあるが、しかし、その願望を実現する手段・方法についての「政治的意見」になると、それが「実行に移されるなら、むしろ逆に無秩序と専断的な支配を招かざるをえない」と断言している。すなわち、民衆の役割は願望や世論(いまなら選挙)というかたちで「表明」することに限定すべきであって、その実行の手段については「一連の推論と反省」を専門とする政治理論家に任せた方が賢明だとしている。これは、民衆万能主義者からすると反動的ということになるだろうが、しかし民衆の役割は「願望」の「表明」であって手段・方法の「吟味」ではないという主張には一定の真理が含まれている。
 ところで、日本はどうかというと、衆参両院で可決された特定秘密保護法の例からもわかるように、民衆には「願望」の「表明」の権利さえ与えられていない。衆参両院選で国民の大多数が自民党に投票したのは、別に自民党にフリーハンドの自由を与えたいと願ったわけではなく、「とにかく景気を回復させてくれ!」という強い「願望」を「表明」したにすぎないのだが、安倍政権はあたかも、その「願望」の中に特定秘密保護法案賛成も含まれていたかの如くに振る舞ってこれを強行採決した。
 なぜこんなことが起きるのか? 現行の政治制度がそうなっているからだ。つまり、政治的争点の項目ごとに民衆が賛否を表明できるア・ラ・カルト方式ではなく、セットメニュー(つまり政党)しか選べないような方式になっているのだが、そのセットメニューは詳しいことは記されておらず、「おまかせ」システムになっている。「願望」の「表明」だけが民衆の唯一の権利のはずだが、現実には「願望」を正しく「表明」する道すらなく、白紙委任状をいずれかの政党に与えるしか方法はないのである。
 これは明らかに制度的欠陥である。では、どこをどう変えればいいのか?
 セットメニューの内容をマニフェストという形式で細部まで詳しく書かせて、マニフェストにない法案は上程しないという縛りをかけた法律を定めるしか道はない。こうしておけば「願望の表明(選挙)」が行われた「後」にマニフェストに「なかった」法案を出してきて強行可決するという「後出しジャンケン」を防ぐことができたはずなのである。
 セットメニューでも、オードブル、メイン、デザートのそれぞれの項目に選択肢が三つ以上あるのが欧米の定食屋システム。日本では内容変更不可能な数種類のセット定食(政党)から選ぶしかない。政治も定食屋も原理は同じなのである。(かしま・しげる=仏文学者)
    --「引用句辞典 『公衆は自分の願望をわかっている』=鹿島茂」、『毎日新聞』2014年01月04日(土)付。

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覚え書:「特定秘密保護法に言いたい:意欲的な人材の育成阻害 和歌山大学長・山本健慈さん」、『毎日新聞』2013年12月31日(火)付。

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特定秘密保護法に言いたい:意欲的な人材の育成阻害 和歌山大学長・山本健慈さん
毎日新聞 2013年12月31日 東京朝刊

山本健慈さん

 ◇山本健慈さん(65)

 和歌山大学は「生涯あなたの人生を応援します」というメッセージを掲げている。学生たちには生涯、好奇心を持って自主的、意欲的に生きてほしいと思っている。

 好奇心の行き着く先は分からない。ただ、歴史に名を残す優れた研究者の多くは、既存の研究や社会に疑問を持ち、現状を変えようと発想したところから出発している。

 何が秘密かも知らされない特定秘密保護法は「どこに地雷が埋まっているか分からない」という恐れを抱かせ、何かを知ろうとする若者たちの意欲を萎縮させる制度だ。意欲的な人材を育てることは社会の要請でもある。それを阻害するような制度には、大学の経営を任されている者として異議を唱えたい。

 生涯学習の研究者としても疑問がある。

 すべての市民に学ぶ機会を保障する制度づくりは世界の潮流で、政府も大学がその中心となることを求めている。しかし、市民に学習の自由が保障されなければ、絵に描いた餅となる。

 東日本大震災の後「地域の絆」が強調されるが、原子力発電所への賛否をめぐる分断のように、地域は本来、価値観の対立のるつぼのようなところだ。住民が自由に学習して自由に発言し、対立する他者に敬意を払って合意点を見つけることでしか、本当の絆は生まれないだろう。

 特定秘密保護法は「触れてはならない」「話してはならない」という領域を生む制度であり、社会の発展とは根本的に両立しない。【聞き手・日下部聡】=随時掲載

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 ■人物略歴

 ◇やまもと・けんじ

 1948年生まれ。専攻は社会教育・生涯学習論。2009年から現職。中央教育審議会臨時委員。
    --「特定秘密保護法に言いたい:意欲的な人材の育成阻害 和歌山大学長・山本健慈さん」、『毎日新聞』2013年12月31日(火)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20131231ddm041010025000c.html:title]

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日記:右翼やゴロツキの世界だ。


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昭和十七年十二月十二日(土)
 右翼やゴロツキの世界だ。東京の都市は「赤尾敏」〔代議士〕という反共主義をかかげる無頼漢の演説のビラで一杯であり、新聞は国粋党主〔国粋同盟総裁〕という笹川良一〔代議士〕という男の大阪東京間の往来までゴヂ活字でデカデカと書く。こうした人が時局を指導するのだ。
 ラジオの低調はもはや聞くにたえぬ。
 二三日以前、警察署の情報部のものが来て英米に対する敵愾心宣伝の効果如何を聞きに来たる。奥村情報局次長がやっている政策に対する批判だ。僕は奥村更迭の要をのべた。
 大東亜戦争下の失敗は、極端なる議論の持ち主のみが中枢を占有し、一般識者に責任感を分担せしめぬことであった。
    --清沢洌(橋川文三編)『暗黒日記1』ちくま学芸文庫、2002年、24頁。

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年末から清沢洌の『暗黒日記』(岩波文庫、ちくま学芸文庫ほか)を読み直していましたがようやく読了。敗戦直前の四五年五月までの二年半の間、戦時中の政治と世相を記した日記だけど、読み終えて暗澹たる気持ちになる。

民衆自体も知らず知らずのうちに加害していく構造と後押しする体制。今も同じなのではないだろうか。

相手から学ばず、でかい声を出した方が勝ちになる。あいつは主義者だといえば知識人は口をつぐみ、配給組織の隣組は相互監視の燻りだしの密告社会へと機能していく。

「いやさか、いやさか」と精神で勝とう!と人は言う。しかし「精神に徹せよ、といっても、徹した後にいかにするかの具体的方法がなくては何もならぬ」(十八年四月三十日)。

非科学的精神主義の軍部と外を知らぬ指導者。歪曲された情報に躍る臣民ががっちりタッグを組む勢い。「不思議なのは『空気』であり、『勢い』である。(米国にもそれはあるが)日本のものは特に統一的である。その勢いが危険である。あらゆる誤謬がこのために侵されるおそれがある」(十八年六月二十七日)。

『暗黒日記』序文には次のようにある。

「お前(七歳の長男)は『お父さん、あれは支那(中国)人じゃないの?』と壁にかけてある写真を指して聞いた。『ウン、支那人ですよ』と答えると、『じゃ、あの人と戦争するんですね』というのだ。……お父さんは憂鬱になったんだ」。

子供にそう問いかけられたくはない。

「お前はまだ子供だからわからないけれども、お前が大きくなっても、一つのお願いは人種が違ったり、国家が違うからといって、それで善悪可否の絶対標準を決めないようにしてくれ。……お前は一生の事業として真理と道理の味方になってくれ。道理と感情が衝突した場合には、躊躇なく道理につくことの気持を養ってくれ」(同序)。


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覚え書:「【自著を語る】『岡田英弘著作集I 歴史とは何か』 岡田英弘さん(東京外語大名誉教授)」、『東京新聞』2013年12月24日(火)付。

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【自著を語る】

『岡田英弘著作集I 歴史とは何か』 岡田英弘さん(東京外語大名誉教授)

2013年12月24日


◆史実認識の溝を越えて
 歴史は文化の一つである。文明によって、これが歴史である、と思う内容や、史実の認識には大きなギャップがある。
 私がこのような結論に至ったのは、私の学問遍歴のためである。
 私は戦後、日本がアジア大陸から総引き揚げの時代に東京大学東洋史学科に入学した。失業に直結する道を承知の上で東洋史を選んだのだから、なるべく不人気な分野をやろうと朝鮮史で卒論を書いた。そうしたらもっと不人気な分野があって、話し手もいなくなった満洲語文献の解読グループに参加し、二十六歳で学士院賞を受賞した。
 職はないからアメリカに留学してモンゴル語とチベット語を学び、中国人とは英語で会話し、満洲語文献の調査に台湾に頻繁に通った。
 こうして私は漢字文献を絶対視しなくなった。亡命ロシア人のモンゴル学者を恩師としたおかげで、欧米の思想も逆の側から見ることができた。
 現在の日本人が歴史と考えているものには二つの源流がある。ヘーロドトス著『歴史』に始まる地中海世界の歴史観は、世界はつねに対立抗争し、国家は興亡するものと考えるが、司馬遷著『史記』の歴史観は、天下は不変で天命による統治権は絶対だとする。
 日本人は、これら二つの異なった歴史観を疑うことなく取り入れて世界史としたため、一貫した叙述ができない。それで私は、十三世紀のモンゴル帝国からを世界史とし、それ以前は地域史のままでよいと提唱した。十八世紀の国民国家成立以後が現代史である。
 著作集第一巻『歴史とは何か』では歴史そのものを論じ、第二巻『世界史とは何か』では、中央ユーラシアがどのように世界史を変えてきたかの具体例を示した。
 新年一月刊行の第三巻『日本とは何か』では、シナ文明に対抗して生まれた日本文明の成立過程を、第四巻『シナ(チャイナ)とは何か』では、漢字文献に引きずられないシナ通史を述べる。
 その他、現代中国論、モンゴルやチベットの歴史、時事評論や書評、学会参加報告等が、全八巻で刊行予定である。(藤原書店・三九九〇円)
写真
 おかだ・ひでひろ 1931年東京生まれ。東京大学文学部東洋史学科卒業。57年『満文老〓(まんぶんろうとう)』の共同研究で学士院賞受賞。シナ史、モンゴル史、満洲史、日本古代史と幅広く研究し、独自に「世界史」を打ち立てる。
    --「【自著を語る】『岡田英弘著作集I 歴史とは何か』 岡田英弘さん(東京外語大名誉教授)」、『東京新聞』2013年12月24日(火)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/jicho/list/CK2013122402000207.html:title]

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日記:どこまで内向きな感動にひたらなきゃあかんのやろう。


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しかし、正月早々だけど、「感動したーええで、これ」みたいなもんこそ、いちばんやばいんやろうなー、などと思ったりすることが多い。

まあ、なにそれ、アホくさ、みたいなものをつねに持ちあわせなきゃならんはずやのにという御仁がふんぱんものを「(わかっちゃいるけど)ええで」みたいなあれで凹んでいる。

「感動した」「勇気をもらいました」「元気になりました」……っておまえ、あほか。それこそが健全な批判精神の眼を曇らせ、権力が都合がよいように動員するパンとサーカスというスペクタルやないけ、ってね。

『永遠の0』に感動するのは結構なのだけど、日本の過去だけを美化して、反省できるのでしょうかねえ。安倍さんが靖国参拝して「不戦を誓う」ことのデマゴギーと同レベルの問題。

特攻を受けた人間、日本兵の弾丸に倒れた人間にも物語があるわけですよ。

どこまで内向きな感動にひたらなきゃあかんのやろう。

ほんと、疲れます。


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覚え書:「今週の本棚・新刊:『ミヒャエル・エンデが教えてくれたこと』=池内紀ほか著」、『毎日新聞』2013年12月29日(日)付。

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今週の本棚・新刊:『ミヒャエル・エンデが教えてくれたこと』=池内紀ほか著
毎日新聞 2013年12月29日 東京朝刊

 (新潮社 とんぼの本・1680円)

 世界中で、ミヒャエル・エンデの作品が最も広く読まれている国が、この日本ではあるまいか。邦訳全集が出ているし、遺品や原稿など関連資料のおよそ九割もが、長野県の「信濃町黒姫童話館」の「エンデ資料室」に収蔵されている。本書は、六五年にわたる生涯(一九二九年-九五年)をたどりながら、エンデを育んできたもの、創作にまつわるエピソード、時代背景と人的交流のドラマを丹念に追ってゆく。

 邦訳のある主要三一作品の解説のほか、エンデの時間論と貨幣論をめぐるエッセイあり、シュタイナーとの関わりや日本への関心を論じたエッセイあり、と多彩だ。『モモ』と『はてしない物語』の原著版には未収録のエンデの自筆画や写真をいくつも見ることができるのも嬉(うれ)しい。

 ところで、『モモ』の最終章名の「おわり、そして新しいはじまり」と『はてしない(おわりなき)物語』の「おわり」はドイツ語では「Ende」、つまり著者自身の名前である。これはほんの一例であるが、エンデの作品には、言葉遊びがいくつも組み込まれているという指摘も興味深い。エンデの世界への大いに楽しめる道案内書である。(達)
    --「今週の本棚・新刊:『ミヒャエル・エンデが教えてくれたこと』=池内紀ほか著」、『毎日新聞』2013年12月29日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20131229ddm015070032000c.html:title]

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覚え書:「『不戦の誓い』場所が違う 程永華・駐日中国大使が寄稿」、『毎日新聞』2013年12月30日(月)付。

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「不戦の誓い」場所が違う
程永華・駐日中国大使が寄稿

 安倍晋三首相の靖国神社参拝について、中国の程永華駐日大使が毎日新聞に寄稿し、「不戦の誓い」をする場を間違えていると厳しく批判した。

 日本を代表する政府の指導者が第二次世界大戦のA級戦犯も合祀されている靖国神社を参拝することは、日本政府の過去の戦争に対する認識と姿勢、戦後の中日関係の回復と発展の政治基盤、広範な被害国人民の感情にかかわるものであり、日本の進む方向にかかわるものである。これ自体が政治、外交問題だ。
 中国は一貫して日本の軍国主義者と日本人民を区別し、戦犯と一般兵士を区別して考えている。日本軍国主義が発動した戦争で中国人民は甚大な災難に遭い、日本人民もその害を深く受け、あの戦争の責任は一握りの軍国主義者が負うべきだと考えている。ポツダム宣言と極東軍事法廷の裁判を受け入れたことが日本の戦後の再生の前提であり、日本政府は約束を守り、侵略戦争の性格とA級戦犯の戦争責任問題に対する明確な責任ある姿勢をとるべきだ。我々は一般市民が自らの親族を弔うことに異議はないが、日本の指導者の参拝は侵略戦争の性格と責任に対する認識にかかわるもので、中国は絶対に受け入れることはできない。
 日本に自らの死生観、宗教観があるのはいいが、それを日本の指導者がA級戦犯を含むいわゆる「英霊」を参拝する理由にすることはできない。A級戦犯も死ねば、尊崇に値する「英霊」になるというのだろうか。生前の犯罪行為と戦争責任も帳消しになるのだろうか。人はみな最低限の善悪、是非の観念があり、これは宗教、文化とは関係がない。我々はドイツの政治家が自らの死生観、宗教観を理由に、ヒトラーをはじめとする戦争狂が死をもって罪をあがなったからと墓を建て、参拝したということを聞いたことがない。
 安倍首相は参拝後の談話で、過去への反省の上に立って「不戦の誓い」を堅持していく決意を新たにしたと述べた。しかし、靖国神社での「不戦の誓い」というのは場所を間違えており、世界の良識ある人に強い反感と疑念を抱かせた。靖国神社は戦前、日本軍国主義の対外侵略の精神的な支柱であり、現在もA級戦犯をまつっているだけでなく、侵略戦争を躍起になって美化し、歪曲し、現在の国際世論とは全く相いれない間違った歴史観を宣揚している。その中の「遊就館」は典型だ。日本の指導者がこうした場所で「英霊」を参拝し、侵略戦争を発動した当時の元凶に対し、「平和」「不戦」を言っても、被害国の人民は受け入れられないし、国際社会も信じないだろう。これは平和に対する冒とくと言わざるを得ない。
 また、安倍首相は中国、韓国の人々の気持ちを傷つけるつもりはないと強調し、敬意を持って友好関係を築いていきたいと願い、中国の指導者に直接説明する機会を得ることを希望した。だが、侵略戦争を美化する靖国神社を参拝したことで、国際社会と中国の民衆が見たものは当時の加害者に対する「敬意」と「尊崇」であり、想起したものは日本軍国主義が発動した侵略戦争によって中国人民とアジアの隣国にもたらされた甚大な災難だ。歴史をかがみとしなければ未来を志向できず、中日関係も正しい発展の方向を堅持することはできない。
 日本の指導者が靖国神社を参拝することは侵略戦争に対する日本政府の認識と中日関係の政治基盤、また日本とアジアの隣国、国際社会の関係の政治基盤にかかわるもので、日本の内政若しくは一個人の問題では決してない。我々は日本の為政者が問題の本質を認識したうえで、日本国内の平和勢力の声に一層耳を傾け、アジアの隣国と国際社会の正義の声を重視し、歴史の教訓を深くくみ取り、平和的発展を真に堅持し、隣国と真に平和共存することを希望する。
    --「『不戦の誓い』場所が違う 程永華・駐日中国大使が寄稿」、『毎日新聞』2013年12月30日(月)付。

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覚え書:「今週の本棚・本と人:『皇帝フリードリッヒ二世の生涯 上・下』 著者・塩野七生さん」、『毎日新聞』2013年12月29日(日)付。


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今週の本棚・本と人:『皇帝フリードリッヒ二世の生涯 上・下』 著者・塩野七生さん
毎日新聞 2013年12月29日 東京朝刊


 (新潮社・各2520円)

 ◇不世出の王へ、万感を込めて--塩野七生(しおの・ななみ)さん

 「真打ち登場って感じです。私、『境界を超える男』が好きなんです」。半世紀近くも構想を温め続け、ついにフリードリッヒ二世の生涯を書き上げた。

 中世後期のヨーロッパを駆け抜けた王の姿は、あまりにも鮮烈だ。「リーダーは優先順位を決めざるを得ず、そこには大いなる『悪意』が要ります。地獄へ行くような男に率いられない限り、改革はできません」

 フリードリッヒ二世は1194年生まれ。幼くしてシチリア王に即位した。長じて神聖ローマ帝国皇帝として戴冠(たいかん)し、世俗界の最高位に君臨する。有能ならばアラブ人もユダヤ人も重用し、戦火を交えずに聖地エルサレムを取り戻す外交手腕を発揮した。名高い無血十字軍だ。一方、キリスト教会の最高位として破門を振りかざすローマ法王には徹底抗戦。キリスト教世界の内部で聖権とぶつかる様は痛快ですらある。

 多神教的だった古代ローマ世界と違い、この時代は人間の「顔」が見えにくい。だからこそ、不世出の王が打ち出す具体的な改革が際立つ。土地を仲立ちに力の強い者が支配する封建社会を、中央集権的な法治国家へと改造する。官僚機構を育てる。学芸を振興する。それらが「作品( オペラ )」に例えられて生き生きと描かれる。「あらゆる事業のうち、一人でできるのはお手洗いに行くことくらい(笑い)。だから彼は自分への協力者を尊重して働きやすくした。でも自分の手足として使うのであって、博愛主義ではありません」

 何やら、政治への不満が渦巻く日本社会にもの申したいご様子。「我々が託したんでしょ。だめだったら選挙で落とせばいい。主導権はこちらにあるんです」。本作には、古今東西変わらぬ政治的混迷への警句と皮肉が易しい文章で織り込まれるから、読む方もひざを打ったり、はたまたニヤニヤしたり……。

 ラストには、フリードリッヒ二世の終焉(しゅうえん)の地、南イタリアが登場する。心から愛した鷹(たか)狩りの際に発病したのだ。塩野さんは昨夏、麦畑に囲まれた小高い丘を訪ね、村の廃虚に立った。長年惚(ほ)れ抜いたスターに万感の思いを込めて筆をおいている。「フリードリッヒ二世を看取(みと)った気分です。読者の中で彼が生きてくれたらいいですね」<文・鶴谷真/写真・藤原亜希>
    --「今週の本棚・本と人:『皇帝フリードリッヒ二世の生涯 上・下』 著者・塩野七生さん」、『毎日新聞』2013年12月29日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20131229ddm015070041000c.html:title]

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覚え書:「今週の本棚:持田叙子・評 『燃える家』=田中慎弥・著」、『毎日新聞』2013年12月29日(日)付。

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今週の本棚:持田叙子・評 『燃える家』=田中慎弥・著
毎日新聞 2013年12月29日 東京朝刊

 ◇持田叙子(のぶこ)評

 (講談社・2415円)

 ◇既成世界の礎に投げつけられた毒夢の絢爛

 家は燃えている。毎日あたたかいご飯がつくられ、子どもたちが育って学校へ通い、暗くなると灯がなつかしく点(とも)る。それでも家のどこかはチリチリ燃えつづけている。それに全く気づかない人、気づいているけれどそ知らぬふりをする人、ああ、ああ燃えていると指さす人。たぶん三種類いる。著者は稀有(けう)な三番めの人。燃えている!と指さす。燃えないはずなどない!と叫ぶ。

 男と女がまぐわい子が生まれ、そんな生ぐさい獣としての営みを始まりとするのに、オヤはどうどうと教育と道徳の王座につく。そのオヤコ関係が社会の礎となり、神と人間、王と国民の支配被支配構造を絶対化するなんて、そんな奇怪なこっけいなことがあるものか、と家族と家の起源に反旗をひるがえす人--それが作家としての田中慎弥の、一つの大きな本質である。

 その意味で田中慎弥とは、生殖と血のきずなの外側にとどまることを選ぶ、永遠の童子といえる。無垢(むく)な童子の視線で、まぐわう男女、増殖する家々、そのカタマリとしての社会を青く冷たく見すえ、残酷に相対化する。

 著者がその作品で一貫してこだわる故郷の聖地、山口県下関の海峡の街、赤間関(あかまがせき)が舞台。潮風に錆(さ)びたコンクリートの壁、細長い海をゆききする船、新しい宅地に古い市場、海運会社の倉庫、コンテナ置場でできた、「本州の端の端」の小さな「皺(しわ)くちゃな街」。

 今回は特にそこが平氏滅亡、幼い安徳天皇が水死した海であり、とともに現首相の政治地盤の地であることが寓意(ぐうい)的に意識される。首相とはもちろん父の象徴。その背後にはさらに大きな国家の父、天皇の影が透視される。

 主人公は高校生の徹。幼なじみの相沢の黒い意志に巻きこまれ、サビエル記念聖堂で洗礼をうけた若い女性教師を辱(はず)かしめる儀式に、教師を熱愛する女子高生とともに加担することとなる。恐るべき子どもたち。この主題は、三島由紀夫の『金閣寺』や『午後の曳航(えいこう)』をほうふつさせる。

 街の権力者を父にもつ相沢の巧妙な処置で、事件は秘密のうちに終わったかに見えた。が、関係者に次々と闇の手が迫る。転落死した男。脅迫状と封筒の中の女の指。徹の母の失踪。相沢はリンチで廃人となる。不能で血を継げない彼を憎む、実父の命令らしい。徹は--徹のほんとうの父は、首相を補佐する国会議員。この機に息子を完全に支配しようとする。子殺しなど何とも思わぬ強大な父たちが世界を管理することに気づき、徹は幼帝の加護をたのみ、赤間神宮で父親と対決する。

 何しろ大長篇。時に著者の息切も感じる。後半、登場人物の独白による図式的な思想の開陳や、世界の狂的爆発には、はてなはてなとも思う。

 けれどジェットコースターごと悪夢の中に突っ込んでゆくような圧倒的な力があり、何より鋭い志がある。多様で絢爛(けんらん)な毒夢の光景は、既成の世界にゆたかな問題提起を投げつける。

 不能の相沢の、世界に入れない無力感。人間の不幸をただ見ている神。子を殺す父。一種の欺瞞(ぎまん)の制度でもある、愛や家族。辺境に水死する天皇がいる一方で、中央に不死の天皇が生きつづける日本国家の奇妙な生理。

 三島由紀夫へのオマージュ作と思ったけれど、小泉八雲なのかもしれない。異人として日本の外側から来た八雲は無垢の目で、敗死したカミの国の童子の王を発見した。異類の童子、安徳帝に「耳なし芳一のはなし」をささげた。本書はその後につづく作品ともいえる。
    --「今週の本棚:持田叙子・評 『燃える家』=田中慎弥・著」、『毎日新聞』2013年12月29日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20131229ddm015070038000c.html:title]

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書評:「國分功一郎著『来るべき民主主義』(幻冬舎)」、『第三文明』2014年2月、69頁。


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書評

『来るべき民主主義 小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題』

國分功一郎・著

幻冬舎新書・819円

民主主義を引き寄せよう!
「参加する社会」の構想

 本書は、哲学者の著者が、小平市都道328号線の反対運動に加わったことをきっかけにして「現在の民主主義を見直し、これからの新しい民主主義について考える」試みだ。近代の政治理論は主権を立法権と定義し、選挙で選ばれた議員たちの熟議(立法府)がすべてを決定すると言われる。しかし、全てが「決まらない」し、民意は反映されないことが多い。だから私たちは苛立(いらだ)ちを覚える。
 民主主義のアリーナとは選挙だけなのか。実は統治に関わるほとんどの事柄は行政が執行する。そして私たちは行政権に全く関わることができないのが現実だ。穴を穿(うが)つ著者の根気強い取り組みは、行政が全部決めるのに民主主義と呼ばれるパラドクスを明らかにし、未来を展望する。
 大切なことはシニシズムを決め込む前に、民主主義の概念とアクセスを一新することだ。著者の提案は極めて具体的だ。「制度が多いほど、人は自由になる」というドゥルーズの言葉から、議会以外のアクセスに注目する。住民投票やワークショップなどその経路は意外にも多い。デリダの「来るべき民主主義」という議論は、システムを絶え間なく改善していくことの必要性を説く。
 代議制民主主義の限界と直接民主主義の可能性を示す本書の議論は、その関わり形を私たちに教えてくれる。民主主義とは出来合の完成品ではなく「来るべき」ものなのだ。一回の革命で全てがバラ色になると夢想するのはやめよう。「来るべき民主主義」とは、不断に関わっていく「未完のプロジェクト」なのである。「何も変わらない」のではない。私たちが「参加する社会」に絶えず更新していかなければ「変わらない」のだ。
 本書は近代政治思想史の優れた入門書といってよいが、著者の実践が思想を生きたものへと転換する。その意味で闘いの軌跡である。「この問題に応えられなければ、自分がやっている学問は嘘だ」--著者の問いかけは、哲学者のみに向けられたものではない。
(東洋哲学研究所委嘱研究員・氏家法雄)
    --拙文「國分功一郎著『来るべき民主主義』(幻冬舎)」、『第三文明』2014年2月、69頁。

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『劣化国家』=ニーアル・ファーガソン著」、『毎日新聞』2013年12月29日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『劣化国家』=ニーアル・ファーガソン著
毎日新聞 2013年12月29日 東京朝刊

 (東洋経済新報社・1680円)

 BBC放送のリース・レクチャーという伝統ある講義シリーズがある。古くは外交史家のジョージ・ケナンが行ったものが有名だ。2012年度にニーアル・ファーガソンが行った講義を書籍したのが本書だ。

 現在の英語圏でもっとも多作な歴史家の一人であるファーガソンが、伝統ある講義で何を述べるのか。彼の念頭にあるのは、「西洋の没落」だ。かつてアダム・スミスが『国富論』の中で、「定常状態」とよんだもの、かつて豊かだったが成長を止めた国の状態に、現在西洋が陥っており、逆に非西洋諸国が大きな経済成長を続けている。それはなぜか。

 ファーガソンは、スミスが述べた通り、西洋諸国の「法と制度」が問題であると述べ、民主主義、資本主義、法の支配、市民社会の「4つのブラックボックス」が抱える問題を分析していく。世代間の社会契約再生の必要、複雑な規制、市民社会の衰退などは日本にも当てはまる。西洋諸国の「大いなる衰退」の最新の現状分析は傾聴に値する。しかし、制度が欠陥だらけでも、非西洋諸国が成長しているのはなぜか、「大いなる興隆」も、法と制度のおかげなのかは議論されていない。=櫻井祐子訳(市)
    --「今週の本棚・新刊:『劣化国家』=ニーアル・ファーガソン著」、『毎日新聞』2013年12月29日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚:村上陽一郎・評 『「福音書」解読-「復活」物語の言語学』=溝田悟士・著」、『毎日新聞』2013年12月29日(日)付。


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今週の本棚:村上陽一郎・評 『「福音書」解読-「復活」物語の言語学』=溝田悟士・著
毎日新聞 2013年12月29日 東京朝刊

 (講談社選書メチエ・1680円)

 ◇テクスト分析から「復活」の成り立ちに迫る

 時はクリスマスが過ぎたところだが、キリスト教としては、実はイエスの誕生よりもはるかに大切にしているのが復活祭である。磔刑(たっけい)に処せられたイエスが三日目に蘇(よみがえ)った、と福音書は挙(こぞ)って伝えている。俄(にわ)かには信じ難いこの「事実」こそ、しかし、キリスト教信仰の根幹であることは間違いない。新約の諸文献のなかで、最古のものとされるパウロの書簡にも、イエスの死後、この点こそが、イエス周辺の人々が実体験として伝え合っていることで、自分も伝道においてそれを継承すると書かれている。本書は、信仰の立場を脇に置き、純粋に福音書のテクスト分析の手法を通じて、福音書同士の相互関係、記事の成り立ちなどを洗いだし、「復活」が、どのような文脈のなかで成立したのかを明らかにしようとする意欲作である。

 イエスの生涯を伝える福音書と呼ばれるものは、現在の新約聖書ではマタイ、マルコ、ルカ、そして少し性格の異なるヨハネの四つ、そのほかに外典として、20世紀にエジプトで発見されたパピルスのなかのトマスのものが挙げられる。その成立年代の考証は、これまでに長い積み重ねがあるにも関わらず、完全な結論は出ていない。ただ、マルコが最も古い文書であろう、という通説は、ほぼ等しく認められている。著者も、この前提から出発する。そして、記事の内容に共通するところが多いがゆえに「共観福音書」と呼ばれるマタイ、マルコ、ルカにおいても、復活の物語に少しずつズレがある、そこに、解明の手がかりを求めようとする。それはあたかも一篇の推理小説を読むが如(ごと)き知的な興奮を呼び覚ます。

 著者は比較する。マルコでは、遺体に油を塗ろうと、婦人たちが墓へ行くが、そこには白い長衣を着た「若者」が座っていて、彼女らに「復活」を告げる。マタイでは、天使が天から下って石に座り、同じように彼女らに「復活」を告げる。天使は白い衣を纏(まと)っていたと書かれている。ルカでは「輝く衣を着た二人の人」が現れ、婦人たちに「復活」を告げた、とある。

 著者は、もう一つ聖書を読む誰にとっても気になる個所、イエスが裁判を受ける直前、マルコの福音書に唐突に現れる「若者」に着目する。弟子たちが、イエスの許(もと)を逃げ去ったとある記事の直後、一人の若者が着衣を残して、捕らえようとする人々から逃げた、と書かれているのだ。著者は、この若者が誰か、という点に、二つの解釈のあることを記す。一つは当の福音書の著者自身、つまりマルコが控えめな自署の意味で書いた、という説、もう一つは、弟子が皆逃げた、という記事の後に付け加えられているのだから、その若者は「弟子」ではない、という非常に論理的な説である。著者は、簡単には納得せず、写本の数々を洗い出して、ユダ説、ヨハネ説、さらにはイエスの兄弟であるヤコブ説まで、多くの仮説が生まれたことを跡付ける。

 その後20世紀になって、外典としてのもう一つのマルコ福音書が発見されたことが示され、そこには、復活を告げる若者と、逃げ去った若者とを結びつける可能性が示唆されていることが明かされる。紙数の関係で本書の前半部の紹介で終えなければならないが、後半部こそ著者の手法の本質が、力を発揮するところと言えるのかもしれない。それは記号論的なテクスト解釈の活用にある。例えば若者の着衣が「亜麻布(あまぬの)」と書かれていることの分析一つにも、そのことはよく表れている。並々ならぬ力量とみた。
    --「今週の本棚:村上陽一郎・評 『「福音書」解読-「復活」物語の言語学』=溝田悟士・著」、『毎日新聞』2013年12月29日(日)付。

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