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覚え書:「今週の本棚:池澤夏樹・評 『葭の渚 石牟礼道子自伝』=石牟礼道子・著」、『毎日新聞』2014年02月16日(日)付。


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今週の本棚:池澤夏樹・評 『葭の渚 石牟礼道子自伝』=石牟礼道子・著
毎日新聞 2014年02月16日 東京朝刊

 (藤原書店・2310円)

 ◇楽園と近代の間に湧き出す、豊饒なる言葉

 自伝は小さいながらも歴史である。

 自分の人生を文章にする。基礎には史実があって、その上に意味づけや解釈を重ねてゆく。

 しかしこの石牟礼道子の自伝はそんな枠に収まりきらない。年号や人名など史実の滑走路から離陸してはるか高いところ遠いところへ飛翔(ひしょう)する。

 史実を否定したり無視したりするのではない。日付けや人の名・土地の名をきっかけにむくむくと湧き出すものがある。

 仮にぼくが自伝を書こうとしたらと考えてみても、まこと貧相なものにしかならない。それは一瞬でわかる。『葭(よし)の渚(なぎさ)』を読んで、生きるということはかくも豊饒(ほうじょう)な営みであるかと嘆ずるばかり。

 ここに書かれたことの多くをぼくはこの作家の『椿の海の記』その他の作品で既によく知っている。それでも渇いた者が水を求めるように一ページずつを読んだのは、つまり語り口の妙に魅せられたからだ。古今亭志ん生の落語、六世野村万蔵の狂言、吉田簑助の人形浄瑠璃などと同じ至芸が文章という場で実現している。

 昭和二年、熊本県天草で道普請を生業(なりわい)とする家に生まれた娘が道子と名付けられ、まもなく八代海を隔てた水俣に移って、この町で育つ。

 大人数の家族があり、その外にはまた多くの親族がおり、祖父と父のもとで働く若い衆がいて、周囲の山や海には精霊のような動植物がひそむ。

 先ほど語り口と言ったのは、出てくる人たちの言葉づかいが耳に心地よいからだ。父が島原から土産を持って戻った。それが「つやつやした絹糸の束や、種のついた綿花」で、女たちはいそいそと織ったり紡いだりを始める。そこで大叔母である老女が、「美しさよ、よか糸のたくさん来申したなあ。この糸で、わたしのお寺まいり着物をば織ってくれませな」と言う。玉を転がすような綺麗(きれい)な響き。

 人々のすぐ横には「あれたち」とか「ものたち」がいる。たとえば狐(きつね)は月夜に子狐の手を引いて海辺に出てきて、化ける暇もないので頭に手拭いをかぶって、漁師に「向う縁(べた)の天草まで、舟で渡してはもらえませんじゃろうか」と頼む。チッソの工場ができて騒々しくなったので逃げ出すのだという。

 こういう土地で自然界と人間界の両方に目をやりながら道子は大きくなる。成人するというのは大叔母や狐のいる楽園からの追放だったのか。世間には戦争の荒々しい空気が到来し、十六歳で代用教員となって赴任した小学校では竹やり訓練が始まった。子供たちがやりで人を突き刺す練習をさせられている。

 時には先輩に誘われて行商の仲間に入り、塩鰯(いわし)を仕込んで担いで山の村まで行く。ところが口べたで一向に売れないのであきれて仲間が売ってくれる。

 そういう中で道子は、言葉を使いたいという内部からの促しに応じておずおずと文芸に手を伸ばす。思いや考えは言葉に託すことができる。その果てに稀代(きたい)の日本語の使い手になる。

 彼女は自分の心に湧く思いだけでなく、人の思いを集め始めた。西南の役を見物していた人たちの記憶を書きとめる。そうするうちに「自分が今の世の中に合わない」ということに気づき、「近代とは何か、という大テーマがわたしの中に根付」いた。その一歩先には『苦海浄土』という半世紀がかりの大仕事が待っていた。この自伝は水俣病に出会うところで終わっている。

 石牟礼道子は戦後日本文学の一等星、もっと広く読まれるべき作家である。本書は彼女の世界への格好の案内・入門書となっている。
    --「今週の本棚:池澤夏樹・評 『葭の渚 石牟礼道子自伝』=石牟礼道子・著」、『毎日新聞』2014年02月16日(日)付。

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