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覚え書:「今週の本棚:沼野充義・評 『痴愚神礼讃 ラテン語原典訳』=エラスムス著」、『毎日新聞』2014年02月23日(日)付。


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今週の本棚:沼野充義・評 『痴愚神礼讃 ラテン語原典訳』=エラスムス著
毎日新聞 2014年02月23日 東京朝刊

 (中公文庫・900円)

 ◇狂信に抗し、人間に寄り添う名著

 エラスムスの『痴愚神礼讃(ちぐしんらいさん)』(初版一五一一年)といえば、十六世紀ヨーロッパの人文主義の精華とも言われる古典だが、慌ただしい日常の流れをしばし止めて、この世界に浸ろうなどという酔狂な読者が今どれほどいるだろうか? ギリシャ・ラテンの古典からの引用をちりばめながら、カトリック教会の腐敗や王侯貴族の無為徒食を痛烈に批判したこの奇想天外な書は、当時のヨーロッパでこそ驚異的な大ベストセラーになったものの、いまの日本に何の関係があるのだろうか?

 そんな疑問を抱く向きは、是非、沓掛良彦氏によるラテン語原典からの清新な翻訳を開いていただきたい。高度なレトリックを駆使したルネサンス期のラテン語は、古典時代のラテン語とはだいぶ趣を異にして、これまで日本の研究者をなかなか寄せ付けなかった。『痴愚神礼讃』については、ラテン語原典からの翻訳の試みの先例は一つだけあるが、意味不明な箇所が多く、とうていエラスムスの本領を伝えるものとは言いがたい。それに対して、今なお広く読まれている渡辺一夫・二宮敬による共訳は大変優れたものだが、フランス語からの重訳である。今回の新訳が、実質的には初めてラテン語の原著の雰囲気を全面的に日本の読者に伝えるものとなった。訳者はエラスムスにも張り合えるほど古今東西の文学に通じた博識の士、その訳文は一文一文が頭の中にしみ通るようによく分かる。それにしても、これほどの古典的名著が原典から今までまともに翻訳されなかったとは、驚くべきことではないか。現代日本で国際化を叫び、国際語だという英語を口先で振り回す人たちは、ぜひこの異様な事態の意味を考えてほしい。

 『痴愚神礼讃』は、愚かさの化身である女神による「演説稽古文」という形式を取っている。古典古代の修辞学の伝統にのっとったものだから、我々には縁のないものじゃないか、などと早合点しないでいただきたい。逆説と皮肉と博識を繰り出して、愚かさを大げさに賛美しながら、同時に世の権力者や学者たちの愚かさを切っていく、表向きはふざけきったこの愉快なスタイルは、いま日本で選挙のたびに繰り広げられる選挙演説の、表向きは偉そうに響くが、内容は空っぽな言葉の渦と正反対。こういう演説が選挙戦で聞けたらさぞ投票率も上がるだろう、と思って読むと、面白い。

 至るところ引用したくなる名句ばかり。せめていくつか挙げておこう。「世にもたわけたことを紙に書きなぐっている」著作家に言及して--「もっと賢いのは他人の作品を自作として公刊してしまう手合いです」。「宮仕えのやんごとなき方々」について--「この人種の大部分ほど、卑しく、卑屈で、つまらぬ、下等な連中はいないのですが、そのくせ、あらゆる人間の中で第一級の地位を占めていると見られたがっているのです」。戦争について--「戦争はまことに凶悪無慙(むざん)なものですから、人間よりは野獣にふさわしく、また実に狂気の沙汰で(中略)キリストの教えとはなんのかかわりもないことでありますのに、教皇方は、なにもかも放擲(ほうてき)してひたすら戦争に邁進(まいしん)している始末です」

 どうだろうか。主語を少し変えれば、いまの世界にも、そしてもちろん、日本にもこういう「手合い」はたくさんいるのではないか? しかし、エラスムスは狂信の危険を警告する厳しい風刺家であるとともに、人間の愚かさの優しい味方でもあった。こういう思想家こそいまの日本に必要である。(沓掛良彦訳)
    --「今週の本棚:沼野充義・評 『痴愚神礼讃 ラテン語原典訳』=エラスムス著」、『毎日新聞』2014年02月23日(日)付。

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