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日記:コロンビア大学コアカリキュラム研究会(2) アリストテレス『ニコマコス倫理学』

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 かくしていま、およそわれわれの行うところのすべてを蔽うごとき目的ーーわれわれはこれをそれ自身のゆえに願望し、その他のものを願望するもこのもののゆえであり、したがってわれわれがいかなるものを選ぶのも結局はこれ以外のものを目的とすrのではない、といったようなーーが存在するならば、(まことに、もしかあるものがなければ目的の系列は無限に遡ることとなり、その結果われわれの欲求は空虚な無意味なものとなるであろう、)明らかにこのものが「善」であり「最高善」(ト・アリストン)でなくてはならない。してみれば、かかる「善」の知識はわれわれの生活に対しても大きな重さを持つものではないであろうか。
    --アリストテレス(高田三郎訳)『二コマコス倫理学 上』岩波文庫、1972年、16頁。

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金曜日は、2回目のコロンビア大学コアカリキュラム研究会。
アリストテレスの『ニコマコス倫理学』を教材に、少しつっこんだ議論を交わすことができました。

前回はプラトンの『国家』を取り上げましたが、イデア論をめぐるプラトンとアリストテレスの認識が異なるが如く、『ニコマコス倫理学』におけるアリストテレスは、やはりどこまでも「等身大」の思考を心がけながら、常識のもつ「馴化」に抗おうとする姿勢が特徴的ではないかと思います。

倫理とは確かに共同体生成の要でありますが、しかしながら、同時に、それはその要を無批判に受け入れるものでもない、否、どこまでも検討する立場であることを常に随伴させる知的営みです。

その二重の契機こそ、(第一哲学には属し得ない場合もあるのですが)「人間」の事柄をどこまでも「人間」の事柄として、絶えず脱構築していくダイナミズムに倫理学の魅力はあるのかも知れません。

参加されたみなさまありがとうございました。

さて、反知性主義とオリンピックよろしく感動「病」が席巻する現在。古典を読む価値がどこにあるのかと尋ねた場合、それは、騒音を遮り、「わたし」の世界へ退行するために紐解くのではなく、騒音がインチキであることを完膚無きまでに粉砕するがゆえに、滅び亡き価値と対話し、新しい時代を切り拓き行く知性を錬磨するためではなかろうか、と思ったりです。

どうも、反知性主義と感動「病」に飲み込まれ、世間に迎合して松明を掲げ大声をあげる輪に次々を加わる人々が多いこと、そしてそれに「眉をひそめ」ながらも、彼らを対象化するだけで、アカデミズムを気取りながら、私の世界へ退行する御仁が多いゆえ、最後に念のためという話しです。


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