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覚え書:「今週の本棚:若島正・評 『ピース』=ジーン・ウルフ著」、『毎日新聞』2014年03月02日(日)付。

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今週の本棚:若島正・評 『ピース』=ジーン・ウルフ著
毎日新聞 2014年03月02日 東京朝刊

 (国書刊行会・2520円)

 ◇変幻自在に語られる魅惑と覚醒の物語

 最初のページを開けるなり、ただちに読者を物語の魅惑で包んでくれるような小説がある。ああ、小説を読んでいるんだ、という喜びで、すっかり読者はその物語の魅惑に身をあずけてしまう。アメリカのSF・ファンタジー作家として名高いジーン・ウルフの初期長篇『ピース』は、そんなたぐい稀(まれ)な小説のひとつである。

 ジーン・ウルフの小説では、ごくさりげない文章の中で、とんでもないことが起こる。そして気がつけば、もうそこは他の誰のものでもないジーン・ウルフ独自の小説世界である。この『ピース』も例外ではない。語り手は、オールデン・デニス・ウィアという、アメリカの中西部で一人暮らしをしているらしい初老の男。この小説は、彼がおそらくは大きな物音のせいで目を覚ます場面から始まる。「ぼくは思いだす。心臓がどきどきしていて、発作が起きるのかと心配になり、それから何となく発作が起きたから逆に目が覚めたのではないか、もう自分は死んでいるのではないか、と考えた。」すでに穏やかではないニュアンスを含んだこの書き出しで、この小説は日常世界からゆるやかに離陸していく。ウィアは脳卒中の発作を恐れて、初老のウィアであると同時に少年のウィアとなって医者に行き、どこが悪いのかとたずねられて、「ぼくは先生もほかのみんなも死んだあとの時間を生きているんだけど、脳卒中を起こしたんで助けてほしい」と答える。そこから先は、万華鏡をのぞくような、読者を魅惑しつづけ、たえず変転する物語の世界が待っている。

 それにしても、このジーン・ウルフの変幻自在な語り口はどうだろう。物語は時間と空間を自由に行き来する。叔母の家にあずけられていた少年の頃の記憶に遡(さかのぼ)ったかと思えば、また枠物語である診察中の現在へと戻ってくる--いや、その言い方は必ずしも正確ではないかもしれない。この小説では、それが過去の事実の「記憶」であるのかどうかは不確かだし、枠物語がはたして「現在」なのかどうかもわからない。それで言うなら、語り手が生きているのかどうかもわからない。ジーン・ウルフの小説にはよくあることで、事実と虚構の境界線は曖昧である。本当なのか嘘(うそ)なのか、生きているのか死んでいるのか、それが問題だ、とハムレットならずともわたしたち読者はつぶやきたくなる。

 それでは、ここに何があるのか。ここには、ただ物語の魅惑がある。小説に埋め込まれた、さまざまな形式による、数多くの物語内物語の存在が、それを裏書きしている。ウィアに語られる民話や体験談、ウィアが子供の頃に絵本で読んだ物語、ウィアが病院で連想として語る物語、存在しない書物の一節、ウィアが読む手紙……。そうした物語群がただ「物語」としか呼べないように、『ピース』という小説全体もまたひとつの「物語」である。ウィアはここで、己の人生を素材にして、ファンタスティックな「物語」を作り上げるという、錬金術を行っているのだ。

 わたしたち読者は、物語にすっかり魅惑されたままこの小説を読み終えることになるが、その一方で覚醒していることも求められる。この小説に仕掛けられたさまざまな謎を解き明かしたいと思う読者は、『ピース』を何度も読み返すだろう。そしておそらく、その解釈は読者の数だけ異なるはずだ。そうして読者は、『ピース』という幻惑に満ちた物語をひとつの手がかりにして、そこからまた別の「物語」を紡ぎ出す。目が覚める瞬間のような、夢の魅惑と覚醒のはざまこそ、ジーン・ウルフとその愛読者が出会う場所なのだ。(西崎憲・館野浩美訳)
    --「今週の本棚:若島正・評 『ピース』=ジーン・ウルフ著」、『毎日新聞』2014年03月02日(日)付。

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