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覚え書:「今週の本棚:荒川洋治・評 『ドン・カズムッホ』=マシャード・ジ・アシス著」、『毎日新聞』2014年03月09日(日)付。


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今週の本棚:荒川洋治・評 『ドン・カズムッホ』=マシャード・ジ・アシス著
毎日新聞 2014年03月09日 東京朝刊

 (光文社古典新訳文庫・1470円)

 ◇世界の深みを照らすブラジル文学の傑作

 ブラジルの文豪マシャード・ジ・アシス(一八三九-一九〇八)の代表作。一九〇〇年刊。特別な新しさをもつ、素晴らしい長編だ。

 著者の父は、黒人奴隷の血を引くペンキ職人。母はポルトガル・アゾレス諸島からの移民。貧しい家に生まれたマシャードは、印刷工などをして働きながら独学で文学の素養を身につけ、近代ブラジル最大の小説家となった。

 語り手の「わたし」ベンチーニョは、隣家の少女カピトゥと仲良し。二人は結婚するが、生まれた子の父親は友人ではないか。疑惑までの曲折をつづる。題「ドン・カズムッホ」は偏屈卿(きょう)、むっつり屋の意味。

 十五歳からの経過をおとなになった「わたし」が、寄り道しながら回想する。全一四八章の短章で構成。「引き波の目」「髪結い」の各章が少女カピトゥの話、次は「ぼくは男だ!」「使徒座書記官」、その少しあと「心は謎だらけ」「ああ、びっくりした!」と、まるで自由詩の展開。リズムがある。こちらもすいすい進む。こんな体験ははじめてだ。とてもこれが、こんなに長い小説だとは思えないのだ。

 夢のなかで、皇帝と話をする「皇帝」、曇りの日にしか外出しない「結婚後」、長椅子と人数の関係「長椅子」、所長代行をはずされ落胆したのに、そのうち元気が戻り代行時代を熱く語る「所長代行」と、つながりなど忘れて、各章を楽しむことに。「ときどき右肩を揺する癖があったが、あるとき神学校で仲間の一人がそれを指摘すると、癖はなくなった。人間が細かい欠点をみごとに直せるのを見た、最初の例だった」。こんな点にも目をあてる。特に印象的なのは歴史や、書物を配置する場面。病気で、読書をなぐさみとする少年マンドゥッカ。

 「書くのが好きだった彼は、まるで劇的な新薬を相手にするかのように、この論争に打ち込んだ。さびしく長い時間が、いまは短く楽しいものになった」

 マンドゥッカと「わたし」、二人の子供の論争はクリミア戦争をめぐるもの。この場面ひとつで、遠い歴史の話の輪に入るような心地になる。「ホメロスの牛」、シェイクスピアの一節などもごく自然に文章におりこむ。軽やかだ。

 二八三頁に、「当時は、デートには馬ででかけるのが習慣だった。アレンカールを読み返してほしい」。アレンカールって誰かな。注をみると、「ブラジルのロマン主義の小説家(一八二九-七七年)。ブラジルの小説の創始者の一人」とある。いまの日本では読まれない、おそらくずっと読まれないかもしれない作家なのに、その名前がきらきらと輝く。この長編全体の文章の流れがこころよいので知らないことまで透きとおるように感じられるのだ。ごってりと時代を書く必要などない。歴史のこともこのくらい。「わたし」の回想もこのくらい。それでも大切なものは伝わる。いまいろんな場所で本を書く人にもだいじなもの、宝石のようなものがこの小説にはいっぱいちりばめられているように感じた。

 思えば、第一章「題名について」の結びに、この物語の要点があったのかもしれない。「本には、それを作者しか実感できないものもあるが、それほどではないものもあるのだ」。書く人とは思えないほど柔らかい見方だ。このように、作者をものごとの中心に置くことはしないのだ。できるかぎり特殊なもの、過剰なものを遠ざけて、標準的な世界の深みを照らしていく。それがマシャード・ジ・アシスの世界だ。「文学大国」ブラジルを代表する傑作。(武田千香訳)
    --「今週の本棚:荒川洋治・評 『ドン・カズムッホ』=マシャード・ジ・アシス著」、『毎日新聞』2014年03月09日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140309ddm015070005000c.html:title]

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