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覚え書:「今週の本棚:鹿島茂・評 『大菩薩峠 都新聞版 第一巻』=中里介山・著、伊東祐吏・校訂」、『毎日新聞』2014年03月16日(日)付。

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今週の本棚:鹿島茂・評 『大菩薩峠 都新聞版 第一巻』=中里介山・著、伊東祐吏・校訂
毎日新聞 2014年03月16日 東京朝刊

 (論創社・3360円)

 ◇人間・机龍之助を復刻する、剣と女の魔物語

 中里介山の『大菩薩峠(だいぼさつとうげ)』を全巻読み切ったという読者はいったいどれくらいいるのだろうか? 映画の影響で、剣鬼・机龍之助が「業」を背負って理不尽な殺人を繰り返し、ついには盲目となって幽明境にさまよいでる仏教的な小説と理解している人は少なくないが、実際には『大菩薩峠』は途中から脇役たちが活躍するバロック小説と化し、机龍之助の生死さえ言及されぬまま、作者の死によって未完として終わるのだ。つまり『大菩薩峠』は前半と後半でテイストの違う小説になるのだが、その前半においてもよく分からないところがある。とくに謎が多いのは机龍之助のキャラクターで、どうにも説明がつかない支離滅裂な行動が目につくが、逆説的なことに、その解釈不能性が『大菩薩峠』を世界でも類を見ないユニークな小説に仕立てている……とこれまでは思われてきた。

 ところが、本書の校訂者である伊東祐吏(ゆうじ)氏の『「大菩薩峠」を都新聞で読む』の刊行により、『大菩薩峠』の謎、とくに前半の不可解な展開は、単行本化の際に介山が自ら施した大幅カット(削除部分は全体の約三〇%)に起因している部分が多いことが明らかにされた。すなわち、連載に中里介山が加筆し、洗練された物語にされたというのが定説だが、実際の加筆は冒頭部分に限られ、後は削除、削除の連続で、都新聞の第一回連載分一五〇回において削除率は四〇%に達する。それなのに、これまで削除に気づいた評論家は一人もいなかった。では、具体的にどこが削除されて、どう変わったのか?

 本書は、問題の多い第一回連載分を都新聞から挿絵入りで復元して第一巻としたもので、単行本と比較すると驚くべき異同に満ちている。

 最たるものは、宇津木文之丞の妻・お浜が、奉納試合で対決する机龍之助に手心を加えるよう懇願したのに対して、龍之助が「武術の道は女の操と同じ」と答えてからの展開である。単行本では、龍之助が水車小屋の番人の与八に拉致を命じた後は、一転してお浜の心境が扱われ、「気がついた時は自分は縛られていた」と、なにごとかが暗示されているようなのだが、肝心な点はぼかされている。真相が明かされるのは、数年後、駆け落ちして龍之助と所帯を編んだお浜が痴話喧嘩(げんか)の果てに「水車小屋で手込(てごめ)にした悪者は誰でしょう」と食ってかかるセリフである。しかし、これはお浜の主観らしく、龍之助がその前に「罪は拙者(わし)にあるか、お前にあるか」と問うているところから見て、龍之助にその意識は希薄で、真相は不明のままである。

 ところが、復元された削除テクストには、与八によって拉致されたお浜と龍之助が水車小屋で対峙(たいじ)する場面が直接的に描かれているのだ。

 「試合の勝負と女の操、抑(そ)も何(いず)れが貴かるべき、時にとっての謎も、此(こ)の場合、何となく意味ありげで、龍之助はそれ以上には口を開かず、夜(よ)は森閑(ひっそり)として多摩川の水の音が鮮やかに響きます。『与八! 与八!』しばらく二人の間に沈黙が続いた時、水車小屋の裏で数多(あまた)の人声(ひとごえ)がします」。こうして門弟たちの到来で水をさされた龍之助はお浜の縄を解き放ち、家に送り届けたのである。常識的に見て、龍之助がお浜を手込めにする暇があったとは思えない。なんと、龍之助の言い分の方が正しいのだ!

 同じように、お浜が試合直前、与八を介して龍之助に紙を届ける場面では、単行本には「受取って見ると意外にも女文字。『お山の太鼓が鳴り渡る朝までに解け』と脅したあの謎の、これが心か」とあるだけで肝心な手紙の内容は書かれていない。ところが、削除テクストには、この手紙の内容がしっかりと書かれているのである。そして、それがまさに最初に介山が作品に込めようとした意図と深く関係しているのだ。

 そのほか、時代が「天保の末」と設定されていたのが幕末に変わっていたり、兄の仇討(あだう)ちを狙う宇津木兵馬と、龍之助に殺された老巡礼の孫のお松の恋物語が大幅に削られていたりする。駆け落ちした龍之助とお浜の貧乏所帯が妙にリアルに描かれていて、龍之助はニヒルな剣客というよりも、妻の愚痴に自尊心を傷つけられる売れない私小説家のようで非常に人間臭い。では、いったい大幅削除の目的は何だったのだろうか?

 校訂者は、介山が「ある意図をもって物語を改編している」と指摘する。それは単行本化の時期と、仇討ち小説として始まった連載が大きな転換を迎えて大乗小説へと変容していく時期が重なっていることと関係している。「介山は後者の小説の世界観にそぐわない場面を、単行本化の際に取り除くかたちで編集している。そのため、介山は『大菩薩峠』を連載時のバージョンに戻さなかったのではないだろうか」

 単行本で親しんだ読者は是非この都新聞版を手に取っていただきたい。介山が当初意図した剣と女の魔性の物語がそこにはあるからだ。龍之助は妖剣に魅入られると同時にファム・ファタルにも運命を操られている。人間・机龍之助の新たな誕生である。
    --「今週の本棚:鹿島茂・評 『大菩薩峠 都新聞版 第一巻』=中里介山・著、伊東祐吏・校訂」、『毎日新聞』2014年03月16日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140316ddm015070032000c.html:title]

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