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覚え書:「今週の本棚:堀江敏幸・評 『木下杢太郎を読む日』=岡井隆・著」、『毎日新聞』2014年03月16日(日)付。


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今週の本棚:堀江敏幸・評 『木下杢太郎を読む日』=岡井隆・著
毎日新聞 2014年03月16日 東京朝刊

 (幻戯書房・3465円)

 ◇文人科学者の心の在処と葛藤の跡をたどって

 木下杢太郎は、明治末、自然主義とは傾向の異なる文芸美術サークル「パンの会」の立ち上げに関わった中心人物のひとりとして知られている。戯曲、小説、詩、短歌、翻訳、随想、紀行等、さまざまなジャンルで創作を試み、絵画をもたしなむ文人だったが、彼にはもうひとつ、本名である太田正雄という、皮膚科の医師としての顔があった。

 一八八五年、静岡県に生まれた杢太郎は、一九〇六年、東京帝国大学医学部に入学すると、一時与謝野鉄幹の『明星』に所属し、それを抜けて先の「パンの会」を創設した翌年には、石川啄木の『スバル』に戯曲を書いている。一一年に卒業して皮膚科の教授についたあとは、ハンセン病の研究を志した。

 彼の生涯の大きな転機になったのは、一九一六年から一九年にかけての、満州暮らしである。主任教授の命で南満医学堂の教授と奉天医院皮膚科部長を兼任していたこの時期の創作に、歌人であり自らも医師である著者は着目し、耽美(たんび)的な作風の文人科学者といった肩書きの内側に潜む葛藤の跡を、丁寧にたどっていく。

 たとえば「壺(つぼ)を埋むる人」と題された一篇の、地中に小さな壺を「そつと匿(かく)す心--暗い心」の在処(ありか)が、埋める人ではなく杢太郎自身の内にあると見て、彼が「東京にいて江戸文化になじんでいたころ」と異なる「もう少し大きくて暗いものにぶつかって詩境を拡(ひろ)げたような気がして来た」と述べ、その変化の兆しがどこにあり、原因は何なのかを想像してみる。

 あるいは、短歌雑誌『アララギ』に掲載された一九一八年の「満州通信」第十九信、斎藤茂吉に宛てた書簡体形式の文章に見られる不安の影を押さえて、「自分から何か作り出さうと云(い)ふ心ばかりが盛んで、実はその種子もなく、創造熱もないのに切歯したからである」という、創作上の行き詰まりからくる「暗い心」を照らし出す。自殺願望にも似た言葉を吐くほど弱っていた杢太郎は、しかし満州滞在のあいだにそれを少しずつ克服し、書き溜(た)められていった「瀋陽雑詩」は、やがて心の壺のなかで変容して、一九一九年、アララギ発行所から刊行された詩集『食後の唄』へとつながっていく。

 読解の鍵となるのは、オーストリアの詩人、ホフマンスタールとの関係である。十歳ほど年上になるこの早熟の詩人に杢太郎は若い頃から大きな影響を受け、翻案とも言えるような作品を書いていたにもかかわらず、詩人の訃報に接した一九二九年までそれをはっきりと表明していなかった。満州時代、とくに『食後の唄』の頃は、そのホフマンスタール的なものからの脱却を目指していた節があり、それはつよい愛の裏返しでもあったのだ。

 作品を吟味するに際し、著者は手に馴染(なじ)んでいる初版本やその復刻版の感触、そして読んでいる時間の質を大切にする。それは書き手にとっての初出の媒体とおなじくらい重要な要素なのだ。「人は発表の場所によって意識的、無意識的に微妙に<書く態度>を変えるものだ。詩を一篇一篇読んで行くとそのことが判(わか)る」

 人生と創作の境に注目し、書き手の現在位置を見失わないことが、思考の流れに任せた日々の営みの支えとなる。東京帝大の医師となって以後、杢太郎は太田正雄の方へと、心ならずも比重を移さざるをえなかった。その過程を追いながら、仕事に対する評価や「詩への共感度」の揺れを残すことによって、本書は逆に、「読む日」の反復に耐えうる強さを獲得したのである。 
    --「今週の本棚:堀江敏幸・評 『木下杢太郎を読む日』=岡井隆・著」、『毎日新聞』2014年03月16日(日)付。

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