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覚え書:「論点:道徳の教科化」、『毎日新聞』2014年03月28日(金)付。


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論点:道徳の教科化
毎日新聞 2014年03月28日 東京朝刊

(写真キャプション)深澤久氏=澤圭一郎撮影

 小中学校で教えられている「道徳」を「特別な教科」として位置付ける議論が、文部科学相の諮問機関「中央教育審議会」で始まった。いじめ問題を発端に、子供たちの徳育の充実を図る考えだが、「価値観の押し付けになるのではないか」など懸念もある。

 ◇授業の充実へ教師育成を--深澤久・教育誌「教師のチカラ」編集委員

 道徳は教科にする必要はない。実践を踏まえての私の結論だ。

 「道徳教育」と「道徳の時間」とは違う。「道徳教育」は、簡潔に言えば人として正しい行いができる人間を育てる教育であり、授業時間や掃除、休み時間といった学校生活の全ての場が対象になる。「道徳の時間」は週1時間ペース(年間34-35時間)で、義務教育である小・中学校の授業だ。

 政府の教育再生実行会議の提言では「学校や教員によって充実度に差がある」状況を変えるために「教科化」が必要だ、としている。だが、国語や算数をみれば明らかなように、教科にすれば差がなくなるわけではない。重要なのは「教科」に変えることではなく、現在の道徳授業の中身を充実させることだ。

 教師になりたての頃の私は「全ての教育活動が道徳教育なのだから、わざわざ授業をする必要はない」と考え、道徳授業を軽視していた。

 だが数年後、小学校時代に担任した教え子の病死が、この考えを変えた。わずか14歳だった。「早くよくなりたい」と言っていたのにかなわなかった。「命の大切さ」を子供たちに伝えたい、と痛烈に思った。子供たちは、言葉では「命は大切」と知っている。通り一遍の授業では彼らの心には響かない。教職数年目だった私はこんな授業を考えた。

 「あなたにとって大切な人は?」と子供たちに問う。家族や友人が多い。「その人に値段を付けるとするといくら?」。クラスは騒然となり、彼らは可能な限り高い値段を言う。次に、水・炭素・アンモニアなど人体を構成する成分表を示し「合計3000円」と示す。すると「それらを集めても人間は作れない」などと反論が出てくる。その後、「いじめで自殺」「日航機墜落事故」の二つの新聞記事を示し、最後に「授業のテーマと感想」を書かせる。彼らは本気で考え、書き、積極的に発言した。このように新聞記事やさまざまな本、写真から教材を開発し、道徳授業をしてきた。

 道徳のテレビ番組を見せて感想を書かせるだけの授業や「結論見え見え」の読み物資料で感じたことを言わせるような授業ばかりをどれだけやっても、無駄だ。子供たちは「どう答えれば先生は『満足』するか」をすぐに見抜く。

 教科化とは関係なく、子供たちが夢中になる授業を作り上げなければいけない。教師の道徳授業を作る力の向上が必要なのだ。

 文部科学省や教育委員会には、教師が意欲的に研修できる体制の確立や時間の確保をしてほしい。

 仮に検定教科書が作られるにしても、教師の創意・工夫は生かされねばならない。教科書教材の使用が義務付けられ、教師の手作り教材を含めた他の教材の使用が妨害・禁止されるようなら、検定教科書などない方がいい。現在の副読本で何ら問題はない。

 さらに評価の問題もある。「数値での評価はなじまない」ということではない。今も指導要録(通知表の原簿)には「行動の記録」という欄があり、教師は子供たち一人一人を評価している。これが子供の道徳性の評価だ。その上で道徳教科の評価をすればダブることになり、さらに教師を忙しくさせるだけだ。ピント外れの議論だと思う。

 実行会議の提言でも明らかだが、「道徳の教科化」の背景には「いじめ」問題がある。だが、週1時間の教科「道徳」の授業をしていれば「いじめ」がなくなるわけではない。「いじめ」防止は大切だがそれ以上に、兆候をできるだけ早くつかみ、手を打つことが決定的に重要だ。

 「いつもは自分から元気にあいさつする子が今日はしない」「昨日から笑顔がなくなりうつむいている」。こうした子供の姿を見逃さない眼力を教師は磨かねばならない。

 道徳を教科化すれば全てが解決するかのような幻想に惑わされてはならない。子供のエネルギーを正しい方向で発揮させていく教育の本道を、悩みながらも学んでいく教師たちの育成こそが最も重要なことだと考える。【聞き手・澤圭一郎】

 ◇体系的学習に教科書必要--持田浩志・東京都武蔵村山市教育長

 道徳は、子供たちに人として生きるための基本を教える教育活動で、学校教育の根本でもある。教育基本法は、教育の目的に「国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた国民の育成」を掲げているからだ。道徳教育を否定することは、学校教育を否定するのと同じだ。道徳を教科にすることが必要だ。

 学校の授業は、学習の狙い、教材、活動、評価によって成り立つ。狙いとは、子供にどのような力をつけさせたいかということであり、道徳では、どのような価値を自覚させるかということだ。教材は、狙いを効率的に達成するために、子供と学習内容を仲立ちする。最も重要なのは教科書だ。

 今の道徳にも副読本がある。だが、出版社によって内容がまちまちだ。教員や学校独自の教材を使って授業をしても、全国で統一的水準を維持するのは難しい。教員の創意工夫は大事だが、道徳で学ぶべきだとされる学習指導要領の項目をきちんと入れた検定教科書を作り、他の教科と同じように資料集などで教科書を補完しながら学習すれば充実する。

 道徳の教科化に反対する人たちは「価値の押しつけは良くない」という。価値とは何か。押しつけとは何か。「うそをついてはいけない」「約束を守る」と教えることは、価値の押しつけだろうか。小学校1、2年生に対して、最初から「うそをついてもいい」というのでは、学校教育は成り立たない。発達段階に応じた教育が必要だ。

 道徳心は自然に身につくものではない。例えば、小学校低学年の学習指導要領にある「気持ちよいあいさつ」「約束やきまりを守る」などの項目は、自然と身につくか。教えられることで初めて、その価値に気づくのだ。道徳の内容を体系的に指導計画に取り入れ、繰り返し学習することで、子供は「人間」として成長する。現在、日本社会が機能しているのは、これまできちんと道徳を教えられてきたからではないか。昔は学校ではなく、親や地域社会による教育だったが、今はそれが希薄になっている。学校で教える必要性は、以前より増している。

 今の道徳の授業が形骸化しているのは、イデオロギー論争に巻き込まれて子供に寄り添った議論がされてこなかったからだ。不慣れな教員でも授業しやすいように、教員研究会で考えた授業のパターンがいいとされてきた。それは1単元を1時間で終わらせる内容だ。国語で長い物語を読むなら7時間、社会にも12時間の単元があるのに、道徳では1時間で完結する内容が望ましいとされてきた。短い教材しか使えない。1人の偉人の生き方を学ぶことも否定されてきた。しかし、教育の基本は「まねる」ことだ。生き方を考えさせるには「ああいう人になりたい」と思えるロールモデルに出会うことが必要だ。聖徳太子や伊能忠敬ら日本の先人から、生き方を考えさせたい。

 学校で教える以上、学習の狙いにどこまで近づいたかを測ることは必要だ。それが評価だ。短距離走の記録を持っているような子でも、体育で球技が苦手なら、その単元では低い評価になる。それでも体育では「教員にその子の運動能力を評価できるのか」などという議論にはならない。学校教育の評価とは、教員が設定した狙いに対する到達度を測るものだから当然だ。ほかの教科では子供の達成度を測るのに、道徳では不要だというのはおかしい。また、教員は今も、指導要録で子供の「行動の記録」をつけている。勤労や奉仕、公正・公平について、満足できる状況であれば丸印をつける評定をしている。これまで、教科でない道徳の評価基準は研究されてこなかったため、今は適切な基準はないが、他の教科同様、「関心意欲態度」「思考判断表現」「技能」「知識理解」の観点別の評価ができるはずだ。

 市内の小学校で4月から、評価基準を作る研究を始める。子供に自己評価させ、教員が行動や作文で評価する方法などを考えている。道徳教育は今のままで良いだろうか。何もしなければ子供は変わらない。【聞き手・岡礼子】

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 ◇文科省、18年度の開始が目標

 「道徳の教科化」を巡っては、政府の教育再生実行会議が昨年2月にまとめた第1次提言「いじめと体罰対策」の中に盛り込まれた。これを受け、文部科学省の有識者会議は同12月、道徳を「特別の教科」として格上げ▽将来的に検定教科書を導入する--などの報告書をまとめ、文科相に提出。今年3月から中央教育審議会(中教審)で議論が開始された。同省は来年度中にも学習指導要領の改定や教科書の検定基準の作成を進め、2018年度の教科化を目指す意向だ。今年4月からは先行して同省が新たに作成した副教材「私たちの道徳」が使われる。07年の第1次安倍内閣の時にも、中教審で道徳の教科化が議論されたが、慎重意見が多く見送られた。

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 「論点」は金曜日掲載です。opinion@mainichi.co.jp

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 ■人物略歴

 ◇ふかさわ・ひさし

 1955年生まれ。80年から群馬県高崎市などで公立小教諭。道徳教育研究団体代表も20年務める。2012年退職。「道徳授業原論」(日本標準)など。

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 ■人物略歴

 ◇もちだ・ひろし

 1950年生まれ。民間企業に勤務した後、東京都公立小教諭、都教育庁指導主事、文京区立誠之小校長などを経て、2007年度から現職。 
    --「論点:道徳の教科化」、『毎日新聞』2014年03月28日(金)付。

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